典拠となるところの明示[151]――ここに至るまで展開していたベイズ推定を用いて
の確率的分析の部、にまつわっての補足表記として

関連情報にまつわるカテゴリ(各部クリックにて遷移)

先行する確率分析にまつわって補いもして申し述べもしたきことについて

 前頁において基礎から入って応用に至るまでの長らくもの解説をなしてきたとの確率分析の部を終えもしたわけではあるが、その上でここ本ページでは

[(ここまでの確率論に対する)補足説明]

をなしておきたい。

 最早、数学の話をなすつもりはないわけではあるも、以下よりの補足表記を諸賢が内容把握の用に役立てていただければ、幸いと考えている次第である。


[(確率論展開の部に対する)長くもなっての補足表記として]


 本段、最前までの確率分析の部 (ベイズ推定によるモデル紹介の部) に関する補足表記のために設けた本段にあってとにかくもってして強調したいことはここまでの確率論に依拠しての分析を通じて訴求せんとしてきたとのことが

[(一部)人間存在は薬籠中の存在として尋常一様ならざる意思表示をなさしめられていると考えられる(その可能性が計数的に取り合うに足りることである)]

ではないということである。

 以上表記のこと ―[人間が薬籠中の存在として尋常一様ならざる意思表示をなさしめられていると考えられる]とのこと― との絡みでは確率論の部に入る前から多角的に、にまつわっての本質を衝くが如きことについて具体的論拠を山ほど、いいだろうか、それこそ山ほどに挙げてきたつもりである。
 膨大な文量を割いての本稿本論部にて確率論に先立つところからして

「これでもまだ異論が生じることがありうるのか?」

とのかたちにて[人間が薬籠中の存在として尋常一様ならざる意思表示をなさしめられていると考えられる]とのことにまつわっての具体的論拠(第三者が容易に後追い・検証できるとの論拠でもある)を摘示なしてきたわけである。

 極々一例を挙げるとして、たとえば、である。本稿の出典(Source)紹介の部28出典(Source)紹介の部28-2出典(Source)紹介の部28-3出典(Source)紹介の部31出典(Source)紹介の部31-2出典(Source)紹介の部32出典(Source)紹介の部32-2出典(Source)紹介の部33出典(Source)紹介の部33-2にて容易に後追いできるとの問題となる文献の原文を必要な分だけ網羅的に抜粋しながら[次の如きこと]を指し示してきた。

 1994年初出の著作である、

BLACK HOLES & TIME WARP Einstein's Outrageous Legacy『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんでもない遺産』

という科学書にあっての

[通過可能なワームホールにまつわる思考実験](にしてタイムマシン構築にまつわる思考実験)

に関わるところについて

・[「双子の」パラドックス](1「911」年提唱の概念)の機序の利用による二点間時差の応用とのテーマを扱っている

91101(米国にての日付け表記上、911の事件が発生した2001年9月11日と同文になる9/11/01と同じくもの数値列)との郵便番号(ZIPコード)ではじまる地パサデナを[時空間(時間軸・空間軸)にあっての空間軸での始点]に置いてのタイムワープにまつわる設定付与をなしている

・(上にて言及の地たる)パサデナで疾走させた爆竹付き自動車を用いての他の思考実験 ―爆竹の順次爆発に言及しての思考実験― による[双子のパラドックスに通ずる時間の相対性]にまつわる説明付与が関連するところ(まさしくも問題となる[通過可能なるワームホール]にまつわる思考実験に関連するところ)でなされている

・同一のタイムワープにまつわる設定付与の部では[時空間(時間軸・空間軸)にあっての時間軸での始点]に関わるところで[2001年9月11日]と通ずる[日時表記]の使用が認められる (:具体的には科学著作 BLACK HOLES & TIME WARP Einstein's Outrageous Legacy『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんでもない遺産』では同著にあっての 【カリフォルニア州パサデナ ―全米でそこだけが91101との数値を郵便番号として持ちえるとの地所となり、そして、91101が最も若い郵便番号ともなっている地所― を空間軸上の始発点とする双子のパラドックス(1911年提唱の科学概念)を用いてのワームホール利用にまつわる思考実験】 の開始時刻が目立つように2000年1月1日9時に設定されている(同著が1994年刊行の書籍であるにも関わらず問題となる思考実験のスタートポイントが2000年元旦の午前9時に設定されている)とのことがあり、それにつき[時⇒日⇒月⇒年]と若い順にそちら日時表記を並び替えると[9月11日2000年と通ずる数値列]が導出されてくるとのことがある(9,11,2000の導出)。にまつわって問題となることとして西暦2000年と西暦2001年、そのどちらがニュー・ミレニアムの始点なのか、曖昧模糊としているとの見方が呈されてきたとのことがある(であるから、同じくもの実験での空間軸上の始点のみならず時間軸上の始点「でも」2001/9/11という日付と親和性が高い数値列が用いられているとのことになる) )

直上の部(箇条書き部における上の点(・)の部)にあってそのことを問題視しているとのこと、【[2000年]⇔(視差として同一視する視点が存在)⇔[2001]】とのことをも分析テーマとして扱いまた、[通過可能なワームホールにまつわる思考実験](まさしくもここで問題視している思考実験)につきキップ・ソーンのここで問題としている著作 BLACK HOLES & TIME WARP Einstein's Outrageous Legacy『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんでもない遺産』と同じくものイラストレーターを起用しての図を挙げまでしているとの書籍が存在している。 同著、2000年刊の『異端の数ゼロ』という著作なのだが、さらに奇怪なることとしてそちら著作(『異端の数ゼロ』)にあって【ブラックホール⇔グラウンド・ゼロとの対応図式の介在】が垣間見れるとのこと「も」がありもする (:グラウンド・ゼロとの言葉 ―原子爆弾を生み出したマンハッタン計画の副産物たる言葉― は911の事件が起こるまで【核兵器の標的】および【核兵器の爆心地】といった文脈を除き滅多に用いられるものではなかったとの事情がある中にて[ブラックホール]と[グラウンド・ゼロ]とが結びつけられている、問題となるワームホール実験絡みのことを問題となる著作 BLACK HOLES & TIME WARP Einstein's Outrageous Legacy『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんでもない遺産』と同じくものイラストレーターを起用して取り扱いもしているとの他書にあって[ブラックホール]と[グラウンド・ゼロ]とが「不自然に」結びつけられているとのことまでもが現実にある) )

との各事由が具現化しているとのことが現実にある

 以上、論拠を先行する出典紹介部(出典(Source)紹介の部28から出典(Source)紹介の部33-2)に譲りもして再述しているとのことにつき、

【[双子(のパラドックス)]・[911(よりもって述べれば、2001年9月11日)と結びつく数値列]の「1994年」初出著作での多重的使用】

をもってして

[[双子](ツイン・タワー)の塔が[2001年9月11日]に崩落させられた事件の先覚的言及とならない]

などと強弁したければ、そのように強弁すればいいだろう (:この世界にあっての『魂が抜けきった人間の残骸か』『主体的思考能力などはなから持ち合わせていない歯車の部品か』といった心証しかもたらさぬ動き方しかなさない、そうとすら見えてしまう大概の人間は反論をなす以前に[問題を解決する最も手っ取り早い策はそちら問題を無いものとして扱うことである]方式で[存在無視]するとの式をとることかとも思うのだが(そういうやりようをとっても[銃口を突きつけられている際に銃口が消えるわけではない]が、[力なき者の最期の現実逃避]とはなりえ、筆者にも「死を従容として[覚悟]したうえでの」現実的逃避を責めるだけの権利はない)、 何かを語りあうに値しない臆病者「以下」の存在であるのならば、[問題無視]以下のやりよう、[何も中身検討せずにもの全面否定]の理なき声、[獣声]をあげるだけか、とも見ている)

 現実を見ない([事実]を見ない、でもいい)との向きが何を述べようと、とにかくも、以上のように

[人間が薬籠中の存在として尋常一様ならざる意思表示をなさしめられている]

と判ずるに足りる材がこの世界には確として数多ありもする。

 そうもしたこと ―[人間が薬籠中の存在として尋常一様ならざる意思表示をなさしめられていると考えられる]― の具体的論拠を易々と確認できようとの一次資料よりの原文引用の羅列といった式で懇切丁寧になしもしてきたのが本稿であり、またもってして、そうもしたことらをアプリオリ(先立ってそこにある、所与の前提)たることとしての話として最前にあっての確率的分析をなしてきたのが本稿である。

 ここまでの筆致にてお分かりかとは思うのだが、本稿にあっての確率論の分析対象として念頭に置いているのは

[人間が薬籠中の存在として尋常一様ならざる意思表示をなさしめられている]

など「ではない」わけである。では、何のための確率論か。 きちんと解説していることを理解いただいている向きにあっては惑うところもなかろうし、わざわざもってしてここで補足表記をなす必要もないことかとも思うのだが、

[窺い知れるところの[恣意性][執拗さ][悪意]の程]

を訴求するための確率論である。

 にまつわっては最前までの確率論 ―ベイズ推定を用いての計数的分析― で引き合いにだした仮説らの中身、下に再掲しもすることとした仮説ら中身をよく見ていただきたい。

H1:明らかに[執拗なる意志]の賜物がゆえに「特定の」事実関係が現出していると判じられる (判断の確度としては[明らかである][歴然としている]とのことで「強」)

H2:おそらく[執拗なる意志]の賜物がゆえに「特定の」事実関係が現出していると判じられる (判断の確度としては[おそらくそうであろう]とのかたちで上のH1に劣る)

H3:[執拗なる意志]か[部分的思惑の発露]か[偶然]かにつき「予断・楽観的見方をまったく許さない」との灰色の状況に由来するものとして「特定の」事実関係が現出していると想定される (尚、[ことの本質]があまりに重要なものである、体系的に[皆殺しにするとのオペレーションの実施]にまつわる「執拗な」意思表示がなされてきたか否かに直に関わる、との領域では「予断・楽観的見方をなんら許さない」とのことはすなわち[危機の分析と回避]に全力を尽くして然るべき状態と同義であろう)

H4:おおよそ(おそらく)にして[部分的思惑の発露]ないし[極めてよくできた偶然]として「特定の」事実関係が現出していると想定される(判断の確度としては[おそらく]との程度で「弱」)

H5:ほぼ確実に[部分的思惑の発露]ないし[極めてよくできた偶然]として「特定の」事実関係が現出していると想定される(判断の確度としては「強」)

 ピックアップしたところをご覧いただければ、お分かりいただけることかとは思うのだが、確率論にあっての計数的分析の対象である仮説らでは「特定の」事実関係、すなわち、(自然ではこうはなるまいとの色合いがあるという意味で)不自然な事実関係が ―判断材料たる事象としての基礎基盤となるところとして― まずもってそこにあることに着目、その背後にある

通貫しての恣意性(執拗なる意志)の有無

を問題視しているのである。

 以上もってして、

「ここ確率論では人間存在(の一部)が[傀儡(くぐつ)][チェスの駒]となっている、なさせられしめているとの状況を問題視しているのではなく、特定の事実関係が[傀儡(くぐつ)化の問題を[前提]として観念せざるをえないところ]で根深くも現出している、そこに[執拗なまでの恣意性]が見てとれる(ゆえにあまりにも危険である)とのことを問題視している」

との断り書きをなし終えたとして、次いでもってして、

[(既にそれが[人間に破滅をもたらす]と判じられる側面についての[意味論的分析]もなしてきたところに加えて)「計数的にも」何が問題になるのかを極々単純なモデルからの指し示しをなさんとしてきた]

とのここでの話に関わる[事実関係]がどういった性質のものなのか、直下、長くなるもの図解部(復習確認を兼ねもしての図解部)を ―確率論それ自体からは離れるものながらもってして― 付しておくこととする。

[確率論の基礎としてきた事実関係の性質について整理なすべくもの図解部として]

 計数的分析で問題視した関係性、それがいかような性質を帯びたものなのか「長くもなっての」図解部をここに付すことにしたわけだが、図の呈示に先立って、唐突ながらも述きたいところとして、次のようなことがある。

2012年に到達した段階の【キリスト教徒の世界人口】は総計[22億]に達したとされている。また、キリスト教(とその前身たるユダヤ教)の聖典・神の教え(なるもの)を[啓典]として踏襲、よりもって神にまつわる崇拝思潮を強めたイスラム教の教徒人口は同文に2012年に到達した段階で総計[16億]に達したとされている(:英文Wikipedia[Religion]項目、の中の Religious groupsの節にて ―(現行、 Pew Forum on Religion & Public Life. "The Global Religious Landscape". Retrieved December 18, 2012と出典が付されるとのかたちで書き記されている限りは)―  Christianity 2.2(billion)、 Islam 1.6(billion)と表記されているところでもある.尚、イスラム教とキリスト教は異質なるものであるととらえる向きらもあろうかとは思うが、―ここでの話にも関わるところとして― 両宗教は[一神教の神(なるもの)の概念]のみならず[救世主たるイエス・キリストの観念]や[終末と最後の審判の到来の観点]も共有している ――※基本的なことながらイスラム教ではイエスを[イーサー]と呼んで尊崇視している(和文ウィキペディア[イスラム教]項目現行記載内容より引用すれば、(以下、引用なすとして)「イスラーム」とは、唯一神アッラーへの絶対服従を意味しており、モーセ(ムーサー)やイエス(イーサー)も預言者として認めている。ただし、イエスもムハンマドもあくまで人間として考えており(以下略)(引用部はここまでとする)とあるとおりである.また、イスラム教におけるキリスト教のそれと通ずるところがある終末観については基本的なことが英文Wikipedia[ Islamic eschatology ](イスラムにおける終末観)項目に端的にまとめられているところである―― )

 直上にあっての唐突なる話にての趣意たるところとして、

[共通の背景を持つ一神教を奉ずる向き]ら

が世界人口の半数を2012年にあって占めているとのことがあるわけだが(地球人口の半数超が同様の側面を多く帯びている宗教の会衆としての位置づけを与えられている)、彼らが奉ずる[一神教]のドグマ、の中の、キリスト教教徒ならば誰でも知っているとの、

[人間の不幸の根源に横たわるとされる[原罪]の観点](人間の祖たるアダムとイヴが神の言いつけを守らなかったために寵を失いつつ、また、罪を負ったとのオリジナル・シンの観点)

[人間存在が最終的に至る道 ―[失楽園よりの復楽園の達成]か[永劫の堕地獄]かに人間存在が終末に選り分けられるとのその道― にまつわる観点](神のもたらす最後の審判を経て[永劫の救いに向かう向きら]と[古き蛇にたぶらわかされて永劫の苦痛に向かう向きら]に人類が二分されるとの観点)

もその双方が

[古き蛇による禁断の果実をもってしてのエデンでの誘惑]

とのコンセプトに根深くも関わっているものとなっている(:[原罪]と[禁断の果実]の関係については言うまでもないとして、新約聖書の末尾にあっての黙示録にて[神の恩寵に浴して赦される人間]と[古き蛇・悪魔の会衆として永劫に罰せられる人間]が二分されるとされていることについては本稿にての出典(Source)紹介の部54(4)などにても聖書そのものよりの引用をなしつつ(無宗教の人間として悪辣な反対話法の賜物であろうとは見つつもの)事細やかな解説を講じている)。

 要するに、[(苦界とも表せられるような)この世界にての人間存在の罪の根源][救いの究極形態]、転じて述べれば、人間の歩みの始まり人間の歩みの終わりにまつわる世界人口の多くを占める向きらが奉じているとの宗教の基本的観点にあっては

古き蛇による禁断の果実をもってしてのエデンでの誘惑のエピソード

が根深くも影を落としているとのことがある (:一体全体、そのような[ドグマ]を本気で信じている向きがいかほどまでにいるのか、との話は別にして、取りあえずも[関連性]の問題を述べれば、そうなる)。


[上掲図上の段の図]:同図は[人間的存在に模されての古き蛇]による誘惑によって原罪に駆り立てられるアダムとイヴを描いた版画より抽出したものとなる、より具体的には、(同図が掲載されている Project Gutenbergサイトにて公開の FINE BOOKS(1912/版本学関連の著作とでも言うべき書)の記述によると)、16世紀初頭(1505年)にパリにて世に出たとされる聖書の一頁にみとめられるとの図葉となる。
[上掲図下の段の図]:同図は「[古き蛇]などとも呼称される存在にして[赤き竜]でもある」と新約聖書黙示録に言及されているサタンという存在が(黙示録にあっての記述内容の問題として)地上にて猛威を振るうべくも出現した後、しばし、神の使者らによって[鍵を掛けられた獄]に閉じ込められることになったとのその有様を描いた挿絵となり、(それがみとめられる Project Gutenbergサイトにて公開されている1894年刊行の PALAOGRAPHY ―NOTES UPON THE HISTORY OF WRITING AND THE MEDIEVAL ART OF ILLUMINATIONとの著作(『古文書学:歴史的文物および彩飾中世芸術にまつわる覚え書き』とでも表題訳すべき著作)によると)、1360年作成の『黙示録』写本表紙絵となっているとの図葉となる。
 以上絵図らに見られるように、
[(旧約聖書『創世記』に見る)人間の悲劇の発端・原罪の付与(に関わる一幕)]

[(新約聖書『黙示録』に見る)終端・最終戦争(に関わる一幕)]
のその双方に
[禁断の果実とも結びつけられる誘惑者]
というものが目立つように登場させられてきたというのが宗教的ドグマというものである)


 以上、基本的なことについて言及したうえで書くが、本稿では世界人口の過半を占めるとの一神教の会衆ら ―この世界が唯一神に主催されているとのドグマを容れているとの一神教の信徒ら― の[人間の始まりと終わりの観点]に関わっているとの、
[古き蛇による禁断の果実をもってしてのエデンでの誘惑]

[一神教が世界を覆い尽くすことになった前から見て遙か昔から存在していたギリシャ多神教時代の神話体系]

そしてもってして、

[一神教勢力が進出する前に固有の宗教社会を築いていたアメリカ大陸にあって15世紀まで残存していた神話体系]

と多重的な接続性を呈しているとのことがあるとのことを細かくも指し示さんとしてきた。
 
 およそ直下、図を付しながらも訴求するようなかたちにてである。


 表記図にて線でつないでいるように、

[38億人超(キリスト教22億・イスラム教16億との先述の宗教人口の合計にして現行現在の地球人口の過半)にあっての[種族としての起源と種族としての末期のありようにまつわっての精神風景]に影響を与えている(ユダヤ教旧約聖書創世記から踏襲されての)キリスト教ドグマにてのエデンの禁断の果実の物語]

[ギリシャ神話の黄金の林檎(の園)]との接合性が歴年、一部にて取り沙汰されてきたものとなる。

 図に付しての19世紀洋書よりの引用文 ―既に本稿にての先立っての段にて引用なしていた著作よりの再引用文ともなる― に見るように、すなわち、

(上にての図葉内でもそちら一文を挙げているとのジョージ・スタンリー・フェイバー(英文Wikipediaにも一項設けられているとの19世紀の英国国教会系の神学者)の手になる著作 The Origin of Pagan Idolatry (1816年初出.表題訳すれば『異教の偶像崇拝の起源』となる著作)内の記述に拙訳を付すとして)

But the garden of the Hesperides was none other than the garden of Paradise; consequently the serpent of that garden, the head of which is crushed beneath the heel of Hercules, and which itself is described as encircling with its folds the trunk of the mysterious tree, must necessarily be a transcript of that Serpent whose form was assumed by the tempter of our first parents. We may observe the same ancient tradition in the Phoenician fable representing Ophion or Ophioneus.

しかしヘスペリデスの園(黄金の林檎の園)は楽園の園に他ならなかったとのものであり、従って、その果樹園の蛇、その頭もてヘラクレスの足下に踏みしだかれている、そして、神秘的な果樹園樹木の幹に覆い被されるように巻き付いているとの描写がなされているとの蛇 ―文脈上、ヘラクレスが11功業にて相対したラドン(Ladon)のこと― は[我らが始祖(訳注:文脈上、アダムとイヴのこと)への誘惑者にそのかたちが模された蛇の類似型]にちがいなかろうとの存在と必然的になる。 我々は同じくもの古代の伝統(的描写)をオピオーンないしオポオネウス(訳注:ギリシャ神話にてタイタンのクロノスらと主導権を争い、消えていったとされる古の神/蛇の姿と結びつけられることもある)にまつわるものたるフェニキアの伝承にも見出せるかもしれない」

(訳を付しての引用部はここまでとしておく)

(上にての図葉内でもそちら一文を挙げているとのアレクサンダー・ムーレイ(英文Wikipediaにも一項目設けられている19世紀活動の主流派歴史家)の手になる著作 Manual of Mythology (1873年初出.表題訳すれば『神話学の手引き』となる著作)内の記述に拙訳を付すとして)

The Gardens of the Hesperides with the golden apples were believed to exist in some island in the ocean, or, as it was sometimes thought, in the islands on the north or west coast of Africa. They were farfamed in antiquity; for it was there that springs of nectar flowed by the couch of Zeus, and there that the earth displayed the rarest blessings of the gods : it was another Eden.

黄金の林檎が実るヘスペリデスの園は大洋にあってのどこかの島に存在する、あるいは、アフリカ沖から北ないし西に向かった先にあると考えられている。それらは古典古代の時代にあって[ゼウス寝所のそばにて流れるネクター(神々の不死の飲料のこと)の発する場]にして[この地上にあって神々の最も得がたき祝福が施された場]として非常に有名であった。すなわち、ヘスペリデスの園はもう一つのエデンであった

(訳を付しての引用部はここまでとしておく)

とのところに見るように識者言いよう(とは述べても19世紀という今より150年から200年ほど前の一部識者の言論とはなる)にあって
「[エデンの園]は[ヘスペリデスの黄金の林檎の園]と同質性を帯びている」
との申しようが見てとれるようになっている。


 以上のように[黄金の林檎の園]が[エデンの園]と通ずるものがあるとの指摘がなされてきた(上にての引用部では[蛇と結びつけられし地][理想的果樹園にして不死の神々の林檎が名乗る地]との共通点しか挙げられていないが、とにかくも同じくもの共通項にまつわる指摘がなされてきた)との点については、である。
 まったくもって露骨なるところでそれら、

[エデンの禁断の果実]
[黄金の林檎]

の間に以下にて図示するような多重的関係性「も」が成立しているとのことを細かくもひたすらに具体的典拠に基づいて指し示してきたのが本稿となる(:『[死んだ知識]など好事家と学者「稼業」の向きらの領分であり、自身が分け入るようなところではない』と考えているような人間としてながらも「それが現況現在にての極めて危険なる寓意付けに関わっている」とのことに気付いてしまったゆえに同じくものことの指し示しをなしもしてきた)


(直下、左側)[ダンテ『地獄篇』流通版に付されるべくも製作された16世紀版画;ルネサンス期の Alessandro Vellutelloの手になる1534年の作右側)[19世紀著名絵画『ヴィーナスの誕生』;画家アドルフ・ウィリアム・ブグローの手になる1879年の作を材に作成したコラージュを「ただただ強調のためだけに」付しも、同図によって示されもする問題となる関係性についての振り返っての表記をなすこととする)

 表記図に見る関係性、その細やかなる内容および典拠については関係図それそのものの中にあって「も」そちら番号を呈示しているとの本稿の出典紹介部の内容を確認いただきたいとして、俯瞰すれば、どういう純・記号論的関係性が[黄金の林檎]と[エデンの禁断の果実]の間に横たわっているのか、(図にて似姿挙げているような)[悪魔の王ルシファー]と[ギリシャ(ローマ)の美の女神アフロディテ(ヴィーナス)]を介しもしながら横たわっているのか、下におおよそもってしてのまとめの表記をなしておく

([黄金の林檎とエデンの園の関係性 ―1― ])
 ギリシャ神話では美の女神アフロディテが[黄金の林檎]を得るためにトロイア皇子パリスを美女ヘレン (ファム・ファタール、男を破滅の運命に誘うとの役回りの女) を用いて籠絡せんとしたと伝わる。 トロイ皇子パリスが世界一の美女を具にしてのそうもした女神の贈賄工作(黄金の林檎を入手すべくもの贈賄工作)に応じたがゆえに美女ヘレンはパリスのものとなったとされるのだが、彼女ヘレンが人妻であり、その夫がギリシャ有力諸侯であったため、ヘレン夫の兄を盟主としてのギリシャ軍がパリスが王族となっていたトロイアに雲霞のように押し寄せることになりもした(そして、長らくものギリシャ・トロイア間の戦争を経て最終的に木製の馬の計略が奏功してのトロイアの陥落、フォール・オブ・トロイアとの状況に至る ―出典(Source)紹介の部39― )。
 他面、エデンの園では悪魔の王サタン(堕天使ルシファー)が変じた存在との解釈が付されているとの蛇によってエヴァ (ファム・ファタール、男を破滅の運命に誘うとの役回りの女としてのイーヴ) を用いての誘惑が[林檎]を食させしめんとなされた、そして、結果的に人類が堕落を見た(フォール・オブ・マンとの状況を見た)との筋立てがよくも知られている ――「禁断の果実は林檎とは限らない」との見方もあるが、ルシファーが林檎を誘惑の具に使っているとの典型例はミルトンの古典『失楽園』などに見受けられるところとなっている(出典(Source)紹介の部54(2)など)―― 。
 ここで着目すべきところとして、

[林檎 ([黄金の林檎]及び[林檎と解釈されることの多き禁断の果実]) にまつわる誘惑]
[ファム・ファタールとしての女 ([ヘレン]及び[イヴ]) を具にしているとの誘惑]
[結末が被誘惑者(の身内)に破滅的なものであったとされること ([トロイアの陥落:フォール・オブ・トロイア] 及び [人類の堕落:フォール・オブ・マン]) ]

との特性から誘惑それ自体に類似性が伴っているとのこともあるのだが、誘惑をなした誘惑者「にも」一致性が伴っているとのことがある ―誘惑者らに極めて多層的な接続性が伴っているとのことがある― 。
 それにつき、背後の関係性までを見ずにまずもって表層的な関係性について述べれば、

「誘惑者ら ―黄金の林檎に関わるところの誘惑をなしたギリシャの女神アフロディテとエデンの果実に関わるところの誘惑をなしたエデンの園の蛇(に比定されるサタン)― が相応共々、[金星の体現存在]としての側面を帯びている」

とのことがある (ギリシャの美の女神アフロディテが金星の体現存在として伝わっている、そして、同アフロディテと同一視されもするローマの美の女神ヴィーナスの名が現代にあって金星を指す英語呼称、ヴィーナスVenusになっているとのことに見るように[トロイア皇子パリスへの誘惑者]は[金星の体現存在]としての顔を持つ。 他面、エデンの園の誘惑の蛇に比定されるサタンも堕天した天使の長ルシファーとしての来歴にあってのルシファーLuciferという語の[明けの明星;金星 Morning Star]を意味しもする語の特性から金星と濃厚に結びつく ―出典(Source)紹介の部49― )。

([黄金の林檎とエデンの園の関係性 ―2― ])
 直上表記の点以外に[林檎にまつわる誘惑]に関わる誘惑者ら (エデンの蛇に比定されるルシファーとギリシャの美の女神であるヴィーナス) の間には背後にての「複線的な」繋がり合いが存在する。
 順々に表記するとして、まずもって、

[ヴィーナスが古代メソポタミアにてのイナンナ・イシュタルという女神から派生してきた存在であると歴年、指摘されてきた (本稿にての出典(Source)紹介の部61(2)で示しているように歴史的資料や学者ら論稿 ― THE RELIGION OF ANCIENT PALESTINE (1908)等の論稿― の中で指摘されてきた) ]

とのことが問題になる。
 それらメソポタミアの神格であるイナンナ・イシュタルという存在 ―アフロディテ・ヴィーナスの始原的存在とされも論じられてきた古代中近東の女神ら― については彼女らがルシファーと結びつくとの指摘がなされてきたとのことがあり、問題になりもする (イナンナ・イシュタルおよびルシファーについては双方共に[冥界下りをなした存在(そして望まずに冥界に囚われることになった存在)][金星の体現存在]であるといった観点からそういう指摘が学者らによってなされてもいる ――たとえば、現行にての英文Wikipedia[Lucifer]項目にあって it thus portrayed as a battle the process by which the bright morning star fails to reach the highest point in the sky before being faded out by the rising sun. Similarities have been noted with the East Semitic story of Ishtar's or Inanna's descent into the underworld, Ishtar and Inanna being associated with the planet Venus.「それ (文脈上、ルシファーと神との戦いの物語との連続性が感じられる中近東由来の神話) は[光輝く明けの明星(金星;ルシファー)]が空にあっての最高地点に達しようとする中で昇り行く太陽の存在の前に霞み視界より消滅なさしめられ(フェード・アウトし)最高点に上ることに失敗するとのことを[闘い]として描いたとのものである。イシュタルおよびイナンナは惑星の金星に関係付けられる神格なのであるから、一致性問題は東部セム系に伝わるイシュタルまたはイナンナの冥界下りに関しても着目させられようとのことがある」との記述がみとめられるのも同じくもの状況の反映となる―― )
 加えて、である。[イナンナ・イシュタル]が
[冥界に双子(カウンター・パート)を擁する存在]
にして、かつ、
[金星の体現存在]
となっていることが[他の神話体系の神格]を通じて問題になるとのこと「も」ある。
 コンロブスの発見、次いでのスペイン進出まで欧州文明が流入することがなかった[他文明圏から見ての孤立系]としてのアメリカ大陸にての土着文明(アステカ文明)の崇拝対象である
[ケツァルコアトル]
という神格が
[[冥界に双子(カウンター・パート)を擁する存在]にして、かつ、[金星の体現存在]]
との純・記号論的特性を女神イナンナ・イシュタルらと共有していることが問題になるように映るようになっているとのことがあるのである (一部識者にルシファーとの結びつきが指摘されてきたイナンナ・ケツァルコアトルは金星の体現存在であり、またもってして、イナンナにはエレシュキガルという冥界にての双子の片割れがいるとされる。他面、アメリカ土着文明にあって崇められてきたケツァルコアトルという存在が冥界にてショロトルという双子の片割れを持っている金星の体現神格となっているとのことは本稿にての出典(Source)紹介の部61にて説明している)
 そうもしたケツァルコアトルが
[知恵(文明)を授けた蛇]
[予言(一五一九年の望ましき帰還との現地神話体系に見る予言)の反対解釈の成就 ―再臨したケツァルコアトルに仮託されて見られもしたスペインよりの侵略者らの到来― によりその会衆をたばかるような式で「[戦禍]と[疫病]の苦しみが極めっての聖書『黙示録』的状況での」破滅をもたらした存在]
[金星の体現存在(こちらは重複表記でもある)]

との側面を介してルシファー(サタン)と記号論的一致性を呈しているがゆえに問題になるのである (文献的事実より指し示せる純・記号論的一致性にまつわる問題であり ―本稿では出典(Source)紹介の部53から出典(Source)紹介の部54(4)にて事細かに指し示さんとしているところである― 、そこで問題になるのは[ただの偶然で済むことなのか][何らかの恣意的な作用の結果なのか]ということだけであるとの筆の運びを本稿でなしてきたところでもある) 。
 まとめれば、彼・彼女らの結びつきが語られもしてきたルシファーとイナンナ・イシュタルの間には
[冥界へ降下し、そこに幽閉された存在としての類似性]
[金星の体現存在としての類似性]
[別神格(ケツァルコアトル)を介しての類似性]

が存在しており、イナンナ・イシュタルと同一起源を有するとされる美の女神アフロディテ(ヴィーナス)が関与しての
[黄金の林檎にまつわる誘惑]
にあっても[古き蛇]としてルシファーと同一視されている存在が関与しての[エデンの禁断の園での誘惑]との接合性が見てとれるとのことがある、それがゆえに多重的接合性がその程度のことからして問題になるとのことがある。

([黄金の林檎とエデンの園の関係性 ―3― ])
 直上にてヨーロッパ勢が進出してくる前よりアメリカ大陸にて崇拝されていたケツァルコアトル神がエデンの園の誘惑者と記号論的一致性を呈していると述べたが(具体的典拠紹介は本稿にての先立っての段に譲りつつものこととして再述したが)、 欧州より隔絶されていた土着文明にてケツァルコアトル神が崇められていたアメリカ大陸は後にヨーロッパの一部識者に
[古のアトランティス]
と同一物であると見なされるようになった領域でもある (本稿では出典(Source)紹介の部52にてフランシス・ベーコンの手になる古典『ニュー・アトランティス』の記述を原著・訳書より原文抜粋したり、往時の欧州人のそうした認識を反映しての地図を挙げたりして同じくものことの指し示しに努めてきたところである) 。
 さて、ケツァルコアトルが崇められていた(欧州人が「発見」しての)新大陸アメリカと同一視されるに至った古のアトランティスではあるが、同アトランティスはアメリカ云々といったこととは別観点にて
[黄金の林檎の園]
と結びつけられてきた存在でもある (本稿では出典(Source)紹介の部41などにてその点についての指摘をなしている。一つにそういうことがあるのはプラトン古典を介して今日に伝わるアトランティス伝承に見るアトランティスの位置が伝わるところの黄金の林檎の園の属地的特性と相通ずるところがあったこと、また、黄金の林檎を管掌するヘスペリデスという存在が[アトラスの娘ら]であり、[アトラスの娘]をもってして[アトランティス]ととらえる語法があること、また、古のアトランティスそれ自体が[アトラス]という名称と関わるものであるとのことらが原因となっていると自然に解されるところとなっている)
 同じくものことは
[ルシファー (エデンの誘惑にかかずらった古き蛇と同一視される存在) と記号論的一致性を帯びている文明の授け手にして会衆に破滅を進呈した蛇の神(ケツァルコアトル)の崇拝地域(アメリカ)]

[エデンの園との記号論的一致性を帯びている黄金の林檎の園]
と純記号論的に相通ずるようになっていることと同義である。
 であるから、 アメリカという領域、そして、そこにての土着文明にて崇められていた蛇の神ケツァルコアトルを介しても[エデンの園(の一幕)]と[黄金の林檎]との繋がり合いが問題になる (:尚、アメリカ大陸にも歴年仮託されてきた[黄金の林檎の園]を管掌していると神話が伝えるヘスペリデスという存在は[宵の明星としての金星](体現神格たるヘスペロス)と結びつく存在ともされており、その意「でも」[明けの明星]としての金星と結びつくルシファーとの相関関係が感じられるところともなる。そして、黄金の林檎の園]に見る[黄金の林檎]が[皇子パリスに対する女神アフロディテ(ヴィーナス)の誘惑を介してトロイアの崩壊原因になっている](先立って[エデンの園]での[人間の祖とされるアダムに対する誘惑の具]となっていると言及したものと相通ずるかたちとなっている)だけではなく、[黄金の林檎の園と相通ずるものとされるアトランティス大陸]それ自体にも[トロイア]との類似性がみとめられることを入念に論じてきたのが本稿となる ―本稿にての出典(Source)紹介の部40から出典(Source)紹介の部45を包摂する部にて漸次典拠を挙げているところである― ) 。

([黄金の林檎とエデンの園の関係性 ―4― ])
 上にての[黄金の林檎とエデンの園の関係性 ―2― ]と振っての部で指摘しているところ、
[(アフロディテ同質物たる)古代メソポタミアのイナンナ・イシュタルもルシファーと結びつく]
とのことに関わる点ともなるが、古代メソポタミアの女神イナンナ・イシュタルはギリシャ神話の冥界の女神ペルセポネと多層的な記号論的一致性を呈している (要するにイナンナ・イシュタルはギリシャの美の女神アフロディテと結びつくのみならずギリシャ神話の冥界の女神ペルセポネ「とも」一致性を呈している) 
 イナンナ・イシュタルおよびペルセポネの双方が

[冥界下りをなして、そのうえで、現世に再臨することになった女神]
[(これが大きいところとして)質的同一存在であるとされるタンムズ神とアドニス神という植物の体現化神格を愛人としている女神 (イナンナ・イシュタルが愛人化しているタンムズ神にもペルセポネが愛人化しているアドニス神にも[死と復活の教義]が付きまとい、にあってはイナンナ・イシュタルとペルセポネとの関係性が問題視されることもある) ]

となっていることがそこに見る共通性である (さらに述べれば、ペルセポネが冥界で愛人化しているアドニス神は冥界以外ではアフロディテ神によって愛人化されているとされる。そして、アフロディテとはイナンナ・イシュタルに愛人化されている存在である)。
 同じくものことは本稿にての出典(Source)紹介の部97で入念に指し示している(当然にせせこましい個人の属人的目分量など介在する余地がないとのことでそういう関係性が濃厚に成立していることを入念に指し示している)こととはなるのだが、さて、ペルセポネという存在については ――本稿では同ペルセポネが【イシス】というエジプトからギリシャへの渡来神にまつわる秘儀体系を通じてフリーメーソンの儀式体系と濃厚極まりなくも関わっている存在、そうした指摘が歴年なされてきたとのことも摘示しているとのことまでなしているのではあるも―― 【ヘカテ】という女神と結びつく存在となっている。
 そこに見るペルセポネとの結びつきを呈している女神、ヘカテという女神は複合的に
[地獄の犬ケルベロス]
と結びつくとの女神ともなっている(本稿にての出典(Source)紹介の部94(7)で指し示しに努めていることである)。
 そうしたことを念頭に「三面形態をとる」地獄の犬ケルベロスらを介してダンテ『地獄篇』に登場する「三面形態をとる」ルシファーが濃厚にヘラクレスの12功業と結びつくようになっていることの証示に努めてきたのが本稿である(典拠を出典(Source)紹介の部90から出典(Source)紹介の部90(10)]にて事細かに挙げているところとなる)。 であるから、[ペルセポネ←→ヘカテ]とのコネクションを介して「も」ルシファーはイナンナ・イシュタルという古代中近東の女神と結びつくようになっているわけではあるが (とすれば、[エデンの誘惑の蛇にも比定されるルシファー]が[黄金の林檎にまつわっての誘惑をなしたアフロディテ・ヴィーナスの始原的形態とされる古代中近東の女神イシュタル・イナンナ]とよりもって根深くも結びつくということにもなる)、 そうもした結びつき関係にあって着目しているダンテ『神曲;地獄篇』という著名古典が「実にもって濃厚に」ヘラクレスの計12の功業(の後半部)と結びつくようになってもしており、そちらヘラクレスの12功業(の後半部)のうち、第11功業が[黄金の林檎の取得のためのもの]、第12功業が[冥界下りをなしてのケルベロス捕縛のためのもの]となっているとのことがあり、そこから、[ヘラクレス12功業と濃厚極まりなく結びつく、冥界下りのダンテ『地獄篇』が三面構造を取るルシファーの目撃]で終わっていることは、すなわち、[イナンナ・イシュタル ⇔ ペルセポネ ⇔ ヘカテ ( ⇔ ケルベロス ⇔ ルシファー)] との流れはよりもってして [黄金の林檎とエデンの園の繋がり合い] にまつわってのここでの話に通ずるところがあるとのことになりもする

 以上のように
[黄金の林檎とエデンの園の関係性 ―1― ]
から
[黄金の林檎とエデンの園の関係性 ―4― ]
とのかたちでの

[(本稿内容をきちんと理解されているとの向きには食傷感を与えるかもしれないとの)くどくもの整理復習の表記の部]

でもってして示してきたことが

[偶然の問題]( only co-incidental

として具現化していると斥けられるのか、そうではなく(斥けられず)、

あまりにも執拗な意志の賜物

として具現化しているのならば、その行き着く先に何があるのかとのことを問題視してきたのが本稿である。

(頭の具合が望ましくはない状況にある向きならば、えてして勘違いするかもしれないなとは考えるのだが、ここではくだくだと
[日常生活に関わらぬ無駄な知識;トリヴィアTrivia(微細なる事柄ら)]
のことを問題視しているわけではない。断じてない。[それらの行き着く先に人間を一体全体どうしたいのかとの明確な意志が透けて見えもしようとのこと]に相通ずる話を引き合いに出しているのである ――※[脇に逸れての表記として]:尚、[どうでもいいことを扱っているわけ「ではない」]とのこととのつながりで「一応」表記しておくが、[「どうでもいい」雑学知識]を意味する語たるトリヴィアTriviaとは元来、ラテン語における[三叉路(さんさじ)]がその語源にあるとされる語句ともなり、そうも述べられるところの趣旨は[三叉路がローマ時代にありふれたものとなっており、転じて、[ありふれている⇒どうでもいい]とのことになった]とされているところとなっている(その程度のことはたかだかもの和文ウィキペディアのようなものにも記載されていることである)。 といったこと、「トリヴィアの由来は三叉路にあり」といったこととてもが[このような世界]で実際問題は額面上、[どうでもいい雑学知識]で済まされないと考えられもしようところとして、同[トリヴィア]は実に悪質な名詞となっている(と解される)とのことがある。ヘカテという女神の[別称]もまたそちらトリヴィア、淵源を同じくもするところとしてトリヴィアとなっているとのことがそのこととなる(:後に黒魔術の本尊ともなった三面の女神たるヘカテの別称が[トリヴィア]となっているとのことが目立ってあるとのことについては、英文Wikipedia[Hecate]項目にて現行、冒頭部より She also closely parallels the Roman goddess Trivia, with whom she was identified in Rome.「ヘカテは「彼女がローマにて一致視されていた」ところの女神[トリヴィア]と緊密な対称性を呈している」と記載されているところでもある/ペルセポネと多層的につながるようになっていることを本稿で摘示してきたヘカテはグレコ・ローマン時代(ギリシャ・ローマ時代)に遡る三叉路など交差点を司る女神であり、のために、結果的に三叉路(体現神格)を意味するトリヴィアとの別名を冠するに至ったとされるのだ)。  本稿ではそうも[トリヴィア](些細なること)を別称とするとされるヘカテという女神にまつわって[地獄の番犬ケルベロスとの繋がりあい]を、そして、[フリーメーソン密儀と濃厚なる関係性を呈するイシス・ペルセポネら女神らとの繋がりあい]を指摘してきた、そして、のようなことが果てはブラックホールを巡る問題にも「多角的に」接合してしまうようになっているとのことまでもがあるとのことを指摘してきた ―長大な本稿にての補説3と振っての部が同じくものことの具体的根拠を細かくも呈示している部となる― 。 ここで述べるが、ヘカテ・ケルベロスらと記号論的に複合的に通ずるようになっている事柄らが[人間らを最期には嗜虐的に皆殺しにするとの内容と密接に結びつく「奇怪」なる予言的事物ら](何故なのかルネサンス期に今日の科学的観点で見た場合のブラックホール近似のものが持ち出されているといった「奇怪」なる予言的事物ら)と結びついているとのことがあれば、どうか(そして、悲劇的なことにそれは[仮に~ならば]の話では済まされず、[実際に濃厚にそうもなっている]ところとなる;本稿の補説3の部を参照されたいものである)。 といったことは実に悲劇的なところである(あるいは詐害意思を有している者らにとっては[標的の愚劣さ]を演出しての喜劇的なことかもしれないが)。 人間存在というものが[ケルベロスと繋がる女神ヘカテ]の別名たるトリヴィアを[下らぬ、どうでもいい雑学的知識]との意味合いで情報処理するように「強いられている」、実際にはそれで済まされない事柄をそうも、 Something of small importanceたることとして情報処理するように「強いられている」とのことを感じさせられるからそうも述べるのである(閑話休題)―― )


 ここで何故もってして執拗な意志の賜物か否かとの問題が重くものしかかってくるのか、とのことに関わるところとして ―これまた本稿をきちんと読まれてきたとの向きにあっては食傷感を催させるようなあまりにも[くどくもの話]とはなるのだが― 次のようなことらが
[目を向けて当然であろうとのところ]
としてある。

・現在、CERN(欧州原子核研究機構)のおこなっているブラックホール生成可能性が取り沙汰されるに至っている「実験」とされる営為 (LHC「実験」) については
[黄金の林檎]との関係性
が次のような観点で多重的に見てとれるとのことがある。

⇒ブラックホールを検出しうるとされる検出器ATLASにあっての名称由来となっている巨人アトラスは
[黄金の林檎の在処を知る巨人]
として伝承 ―ヘラクレス第11功業にまつわっての伝承― に伝わっている存在である (:検出器アトラス( ATLAS DETECTOR )を巡るそうした話については出典(Source)紹介の部36(2)を参照のこと) 。

LHC実験でブラックホール検出に資するとされる検出器ATLASに供されてのイベント・ディスプレイ・ツール(ブラックホール生成イベントを表示する可能性があると「実験」関係者に発表されているディスプレイ・ウェア)にはATLANTISとの名称が付されている。
 ATLANTISとは
[黄金の林檎の園との一致性]
が一部識者に取り沙汰されてきた古の大陸の名称である (LHCを巡るATLANTISの話は本稿出典(Source)紹介の部35を参照のこと)。

LHC実験で用いられているブラックホール生成イベント・ジェネレーターたるCHARYBDIS (同CHARYBDIS、ブラックホール生成挙動を仮想的に再現しようとのソフトウェアで直上言及のイベント・ディプレイ・ツールATLANTISとは別物となる) にみとめられるカリュブディスという名称は
[トロイアを木製の馬で滅ぼした謀将オデュッセウス (本稿でも先述しているように同オデュッセウスは黄金の林檎を巡る女神ら駆け引きにあってのパリスのヘレン取得の挙がトロイア攻城戦につながることになった盟約の発起人となっていた男でもある) がトロイア絶滅戦完遂後にての船旅にて呑まれた渦潮の怪物]
から命名されている。 そうもして渦潮の怪物カリュブディスとはトロイア滅亡の後日譚に登場する存在となるわけだが、トロイア滅亡は黄金の林檎にて引き起こされている(LHCを巡るCHARYBDISの話は出典(Source)紹介の部46を参照のこと)。 また、トロイアに引導を渡した男オデュッセウス、同存在はカリュブディスに呑まれたことが契機になって女神カリュプソの島に漂着したとホメロス古典には語られる者なのだが、そのオデュッセウス漂着の島であるカリュプソの島、オーギュギア島という固有名詞が与えられての島は欧州一部識者 (かのアイザック・ニュートンも含む一部識者) に[アトランティス]と同一物であるとの視点が呈されていた島ともなり(出典(Source)紹介の部43)、アトランティスということとなれば、(直上先述のように)黄金の林檎の園と目されていた地所でもある。

LHCは上述表記のように黄金の林檎と関わる命名規則がブラックホールと相通ずるところで多重的に用いられている「実験」なのだが、にまつわっては次のことらが述べられるようになっている。

LHC実験にあってブラックホールが生成されうるのではないかとの疑義が呈されるようになったのは1999年であり、同時期以前にはそういうことが目立って取り沙汰されたことはない (本稿にての前半部、出典(Source)紹介の部21から出典(Source)紹介の部21-5(2)を包摂する段で事細かに呈示しているように[プランク・エネルギー]というものを極小領域に投下しないと人工ブラックホールなど生成しえないとの観点があったからであるとされる)。 また、学界関係筋にLHCによるブラックホール生成の可能性が「肯定的文脈で」認容されだした ―「科学の進歩に資する」即時蒸発を呈するブラックホールが観測される可能性があるとの式で認容されだした― のは2001年以降であり、それは1998年に呈示されるに至ったADD模型という理論を発展させてのことだった ([プランク・エネルギー]を実現せずともプランク・エネルギーの極小領域投下力量に天文学的なレベルで下回るLHCでもブラックホール生成をなしうるとの観点が2001年より肯定的に流布されだした ――本稿の冒頭部からはじめての前半部全般を介して努めて細かくもの証示に努めていることである(出典(Source)紹介の部1から出典(Source)紹介の部5に至るまでの段などを参照されたい)―― )。

⇒直上表記のようなことがあるとの中であってLHC実験にあっての[黄金の林檎]と結びつくATLASの命名規則が定まったのは計画策定段階であった1992年のことであると発表されている(出典(Source)紹介の部36(2)にて典拠を挙げている)。 とすれば、[トロイア崩壊の原因となったもの「でも」ある黄金の林檎]と結びつく巨人ATLASの名を実験関係者が[警告]のためにブラックホール生成と結びつけられることになった実験関連事物の名称 ―2001年よりブラックホール生成を観測しうると肯定的に論じられ出した検出器の名称― に付したわけではないと「判じられる」ところとなる(純粋に物事の先後関係の問題である)。

⇒また、LHC実験関係者はブラックホール生成が取り沙汰されるに至ってから今日に至るまで実験に関わる学界関係筋の者らによって
「生成されうる(と近年考えられるようになった)ブラックホールは即時蒸発する、ではなくとも、成長に天文学的時間を要するとの[人畜無害のもの]である」
「科学理論の発展に資するため、ブラックホール生成は極めて有意義有用なることである」
と強弁・主張されているとのことがある (そして、そのことは[科学界全体のコンセンサンス(総合的同意事項)である]との風潮が見てとれる。当事者機関における主張内容、ブラックホール生成可能性に危惧感を表している極一部の外部外野の市民運動家らが関与しての訴訟における当事者機関の物言いを本稿前半から数多原文抜粋しているように、である。尚、LHCによるブラックホール生成が何故、物理学における理論深化に資するなどとされているかについては本稿にての出典(Source)紹介の部81で[標準理論に対する代替案の呈示][統一理論候補の呈示]との観点で[学究]らにどういう主張がなされているのかとのことにまつわる説明をなしている)。

 以上のことらより「も」、繰り返すが、

[[事前警告の意図]が関係機関筋にあって、それがゆえ、[アトラス](黄金の林檎の在処を知るとされる巨人)との名称がブラックホール探索挙動(と後付けになったこと)への命名規則に用いられるようになったとは「言えない」]

と判じられるところとなっている ―にも関わらず[実験]とされる営為は[黄金の林檎(トロイア崩壊の原因ともなった黄金の林檎)の在処を知るとされる伝説上の巨人の名前(ATLAS)を付された装置]でもってしてブラックホールの検出をさえ期してきたとのものとなってもいる― 。

・[黄金の林檎]と[エデンの禁断の果実]が「純・記号論的に」多重的に結びつくとのことは上の段にてくどくも指し示していることだが、
「どういうわけなのか」
[エデンの禁断の果実の誘惑と結びつけられてのルシファーを登場させる著名古典らの相互に連関する特定部分]

[「今日的な意味で見た場合の」ブラックホールの質的近似物]
が多層的に具現化しているとのことまでがこの世界には「ある」(該当古典らから細かくもの原文引用をなし、それらが何故、問題になるのかの解説を付しての部は本稿にての出典(Source)紹介の部55から出典(Source)紹介の部55(3)となる)

・加速器実験のことから打って変わってのこととして[黄金の林檎]と結びつく寓意が
[911の事件が起こることを先覚的に言及している(としか記号論的には評しようがないとの)奇怪な文物ら]
と「多層的に」結びついているとのこともが現実にこの世界では具現化している(意味論的思索を一切無視しての確率論の入力データにまつわるところでも先立って再説明を講じたところである)。
 さて、
[911の事件が起こることを先覚的に言及している(としか記号論的には評しようがないとの)奇怪な文物ら]
の中には、と同時に、

[ブラックホールや時空の扉(ワームホールと呼称されようもの)に関連するものら]

が見てとれるとのことがある (:先程来再言及したばかりの[[双子(のパラドックス)][911(あるいは2001年9月11日)と相通ずる数値列]の多重的使用をもってして[双子(ツイン・タワー)の塔が2001年9月11日に崩落させられた事件の先覚的言及をなしている(としか述べようがない)]との「凄まじい」の一語に尽きる性質を帯びての作品、出典(Source)紹介の部28から出典(Source)紹介の部33-2にて前言の典拠を事細かに原文引用だけで呈示しているとのキップ・ソーン著作 BLACK HOLES &TIME WARP Einstein's Outrageous Legacy 『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんでもない遺産』との著作がその代表例である) 。

 上もて[正常なる人間]にはお分かりいただけるかとは思うのだが、(とは述べても魂の抜け殻のように思考能力をろくすっぱ伴わぬ、一方で愚劣さとワンセットになったマイナスの感情ばかりはときにふんだんに作用している節があるとの向きらが多いとのこのような世界にどれだけ正常なる人間がいるのか、私という人間には何の楽観的期待・希望的観測がなせないでいるのではあるも)

計数的分析(先立っての確率論的分析)の対象ともした関係性

について以上述べたきたようなことがひとつに「ある」から、筆者は[ことの本質]が極めて重要・重大なるものであろうと見ているのである。 

 その点、「降車に振るうはこれ蟷螂の斧か」といった非力の身の上 (正確に述べれば、そういう立ち位置にあることをさんざんぱらに段階的に「思い知らされてきた」身の上) でありつつも、権威の首府とされる加速器実験にまつわる国際的オルガナイザー(の一部局)としての役割をも担う国内機関を「法廷の場に引きづりだし」(知人法曹なぞの話や書籍書かれようから心底、『行政訴訟など提訴するに値せぬ下らぬものである』との観点があったものの)そちら[年にして二年間も一審からして続いた行政訴訟]に意と労を割くなどしたのもそのためである(※)。

(※半ばもってしての余事記載として:ただただ[訴求のためだけに起こした訴訟]である直上言及の訴訟、国内で初めて、かつ、(現行)唯一のLHC関連訴訟であるところの同訴訟からして
[聞く耳を持たぬ向きら ―話せば話す程にその内面の空虚さに落胆させられてきたとの多くの人間存在― ]
の前ではただただ無意味か、との感をひたすらに覚えさせられることとなった、そして、『結局は我が身とて幽閉された愚か者・死刑囚のようなものであろう』とのおのれの無力さ・非力さについての確信を「よりもって」強めさせられた、とシビアなところにその位置付けが落ち込みつつあるものなのだが、そうした挙にまで出ていたとの筋合いの者がこの身、本稿筆者となる。
 といった人間であるとの本稿筆者ありようについて御自身が置かれている状況を理解出来ていないとの向きにおかれては勘違いするかもしれないが、筆者 (ときに冗談・洒落のめした態度で聞き手に重篤な状況を絶望的に見せまいとしてしまうが如しの甘さ、若い折よりの自分自身と他者に対する甘さがいまだもってして若干、残っているとの者ながらもの筆者) はたかだかもってしての伊達や酔狂でやっているわけではない、死命死線の縁にあるとのなんら甘さが許されぬ状況であるとの観点で ―その挙が結果的無駄無為無意味なるものかは置き― 現行、動いている (『どこぞやの輩が男を上げるためか、粋がって妙ちきりんなことをなしているな』なぞと考える向きもいるかもしれないが、そういうお呼びではない者らの観点とは全く異質なことに筆者意中の問題としては『間もなく殺されるとの懸念が極めて現実的なものとしてある.そうもした中では非力非才なる我が身としてもやれるだけのことをやらざるをえぬ』といった観点がある)。 
 に関しては、
LHC実験の語られざるところの異様さそれ自体について非を鳴らすべくも([法律上の争訟]の対象となる)関係者不品行を問題視する裁判]
を提訴することになった2012年中葉より幾分前の折柄より訴求のためだけに採算度外視で会社まで造りもしていた、(「練れていないものであった」と反省するところなのだが、社用ウェブ媒体などを用意しながら)、「そのためだけの訴求の用に特化した」株式会社などを設立しもするとのことまでなしていることからもおもんぱかりいただきたいとも思っている (そちらおのれが代表務める会社からして結局、[諸種の嫌がらせ行為](その者達に本来的にはそうする動機もないところであろうと判じられるところでうち続いた大宗教団体の関係者らの嫌がらせ行為などを捕捉している)ぐらいしか目立っての反応を得られていないとのありさまではある、元より採算などどうでもいいとの会社であるものの、現行、税金だけを食う会社となっている節がありもするのだが、そこまでしての腰の入れようでの訴求をなしてきた筆者の行いの背景について本来の合理主義や悟性から逸脱しての愚昧さがあるかどうか推し量りいただきたいと思っている(経営学修士なぞの学位、筆者もそれを保持しているゴミのような実利志向社会ならではの下らぬ学位が依拠しているとのものの見方、「資本主義社会にては経済的に勝ってこそだ」「会社組織の究極的目的とは利潤を獲得することである」との観点では明らかに馬鹿げている挙なのだが、本然的な意味での合理主義や悟性から逸脱しての愚昧さが筆者やりようにみとめられるかどうか推し量りいただきたいと思っている)) ― )

以上、ここまでの表記でもってして

[高校(卒業)程度のレベルに留まっての数学知識保持者でも分かるように、」とグレード・ダウンしての(ベイズ推定を用いての)計数的分析で問題視した関係性、それがいかような性質を帯びたものなのかにまつわっての補足表記の部]

に付しもしての

[「長くもなっての」図解部]

を終えることとする。

[加えての話として]

 計数的関係性の分析対象とした事実関係の現出についてくどくもの再提示をなした直上の図解部にあっては

[(事実関係現出の背後にある)[機序]の問題]

には一切言及して「いない」し(奇っ怪な事実関係現出の背後にある[作用機序]の問題については本稿の補説2の部にて考えられるところの話を[推測]として明示してなしているが、分からぬこと、未知のことに推測を巡らすのは元より本稿の本義ではない)、また、

[[動機]にまつわる目分量](本稿のさらに続いて後の段で取り上げることにしている[ホワイダニット](何故、そうもしたことがなされているのか)にまつわること)

についても一切言及して「いない」。

 要するに、ひたすらもってして、事実から導出できるだけの「その限りの」事柄に重きを置いている。


[長くもなっての(確率論展開の部に対する)補足表記の部はここまでとする]


 これにて各々極めて長くもなっての

[意味的分析]
[計数的分析](データにおける記号論的な結びつき(における多重性度合い)に着目しての初歩的な式での確率論的分析)

と分けもしての本稿摘示事項に対する分析のための部を終えることとする。

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直下、本稿冒頭部へのリンクを設けておく

(⇒冒頭頁へは下の部より)

[典拠紹介部第1頁 加速器実験に伴う欺瞞性から証示なせることについて]

 上にて挙げているのはドイツ浪漫主義芸術の巨匠たる18世紀画家、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(Freemasonでもあったとの画家 Caspar David Friedrich)の手になる一品、

Der Wanderer uber dem Nebelmeer雲海の上の旅人』(に多少の[動き]をアレンジとして加えたもの)

となる。

 言われようの問題として一般に、

[人間の崇高なる精神が高みを目指し、ついぞ多くの物事を達観するに至った時、その折の孤独と感慨を描いた画]

などと形容される上掲の『雲海の上の旅人』に関して(本稿でもその言行を順次・段階的に取り上げることになるとの)物理学者リサ・ランドールは[次のような申しよう]をなしている。


(直下、物理学者リサ・ランドールの手になる著作 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)にての CHAPTER THREE LIVING IN A MATERIAL WORLD[第三章 物質世界に生きる]の章の記述内容 ――オンライン上検索エンジンにあっての原文検索にて該当部特定できるところの記述内容―― よりの原文引用をなすとして)

Our universe is in many respects sublime. It prompts wonder but can be daunting ―even frightening― in its complexity.  Nonetheless, the components fit together in marvelous ways. Art,science, and religion all aim to channel people’s curiosity and enlighten us by pushing the frontiers of our understanding. They promise, in their different ways, to help transcend the narrow confines of individual experience and allow us to enter into―and comprehend―the realm of the sublime. (See Figure 11.)
          [ . . . ]
[ FIGURE 11 ] Caspar David Friedrich’s Wanderer Above the Sea of Fog (1818), an iconic painting of the sublime ― a recurring theme in art and music.

(上の原著引用部に対する[訳文]として国内流通訳書『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)ハードカヴァー版にあっての81ページに記載されているところを引くとして)

多くの点で、私たちの宇宙は崇高だ。その複雑さは好奇心を駆り立てはするが、無力感も抱かせるし、ことによっては恐怖さえも感じさせる。にもかかわらず、宇宙の構成要素は素晴らしくぴたりと絡みあっている。芸術、科学、宗教は、いずれも人々の好奇心を促して、理解の限界を広げさせ、それによって私たちを啓蒙することを目指している。いずれもそれぞれのやり方で、個人の経験の狭い領域を越えさせることを約束している。それがかなえられたとき、私たちは崇高なものの領域に踏み込む――そして理解する――ことができるのだ(図11を参照)。 …(中略)… [図11]ドイツの画家カスパー・ダーヴィド・フリードリヒの「雲海の上の旅人」は、崇高なものを象徴的に描いた作品だ。崇高さは、美術と音楽に繰り返し登場するテーマである

(以上をもって Knocking on Heaven’s Doorにての原著表記および訳書よりの引用とした)


 さて、何故、ここ脇に逸れての部にあって「目立つように」特定絵画 ― 『雲海の上の旅人』― を挙げ、その絵画に対する物理学者の評しよう ―「雲海の上の旅人」は、崇高なものを象徴的に描いた作品だ....― などを引いたりもしたのか

「それは、」
絵画『雲海の上の旅人』に対して直上引用なしたような評しようをなしているとの物理学者リサ・ランドールが

加速器によるブラックホール生成可能性にまつわるトピックの理論深化に一廉ならぬ貢献をなしているとの著名物理学者

[[崇高なるもの]を目指しての宇宙の探求(およびそのための装置と銘打たれている巨大加速器LHC)の称揚・礼讃をなしているとの向き

であるとのことがあり、また、なおかつ、彼女リサ・ランドールの手による、(絵画『雲海の上の旅人』を科学者が目指しての[崇高さ]とを結びつけている)引用元著作 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)が

人間のありよう(崇高さとはおよそ程遠いところにあるありよう)]
人間の辿る運命

を嘲笑うような[嗜虐的寓意]で満ち満ちていると申し述べられるようになっている著作であるとのことがある、遺憾ながら
[理の当然]
として申し述べられるところとしてある ――個人のせせこましい偏頗(へんぱ)な主観などとは一線を画したところで客観的かつ具体的にこれはこうでこうだと申し述べられるようになっている(出典呈示を第一義にしての本稿では無論、その論拠を事細かに挙げる)とのところとしてある―― からであり、そのことに注意を向けたかったからである(※)。

(※上にて引用元とした著作、 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)、同著にあってはその冒頭部より
September 10, 2008, marked the historic first trial run of the Large Hadron Collider (LHC). Although the name―Large Hadron Collider― is literal but uninspired, the same is not true for the science we expect it to achieve, which should prove spectacular. (表記英文引用部に対する訳として)「2008年9月10日、ラージ・ハドロン・コライダー(LHC)が歴史的始動を見た.[ラージ・ハドロン・コライダー]との名称は有り体に言ってインスピレーションを何ら与えぬとの平凡なものだが、私たちがそれ(LHC)に[証明すべきととらえている壮大なる挙]を託しているとの意では[科学(の進歩)]にとり同じくものことは真実とはならない(LHCは際立ってのインスピレーションを与えるものである)」
などとのことが書き記されている。
 そうもした書きようが目立ってもの冒頭部にてみとめられる著作ノッキン・オン・ヘブンズ・ドアにおける表題、 [天国のドアをノックする]の由来についてリサ・ランドール女史は同じくもの著作の中で次のようなことを述べてもしている。
(以下、 Knocking on Heaven’s Doorにての CHAPTER FOUR LOOKING FOR ANSWERSより引用なすところとして)
I first heard the phrase “knockin”on heaven’s door”when listening to the Bob Dylan song at his 1987 concert with the Grateful Dead in Oakland, California. Needless to say, the title of my book is intended differently than the song’s lyrics, which I still hear Dylan and Jerry Garcia singing in my head. The phrase differs from its biblical origin as well, though my title does toy with this interpretation. In Matthew, the Bible says, “Ask, and it shall be given you; seek, and ye shall find; knock, and it shall be opened unto you: For every one that asketh receiveth; and he that seeketh findeth; and to him that knocketh it shall be opened. (以上原著表記に対して訳書『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)ハードカヴァー版[第四章]103ページにての表記を引くとして) Knocking on Heaven’s Door(天の扉を叩く)]――これが本書の原題だが、私が最初にこのフレーズを聞いたのは、一九八七年、カリフォルニア州オークランドでのグレイトフル・デッドとのコンサートで、ボブ・ディランが『天国への扉』を歌うのを聞いたときだった。いまでも私の頭の中ではディランとジェリー・ガルシアがこれを歌っているのが聞こえてくるけれど、いうまでもなく、私の本のタイトルは、この曲の歌詞とは意味が違っている。このフレーズは出典である聖書の一節とも違っているが、私のタイトルはこちらの意図を拝借したものだ。聖書の「マタイ伝」には、このように書かれている。「求めよ。さらば与えられん。尋ねよ、さらば見いださん。門を叩け、さらば聞かれん。すべて求むる者は得、たづねる者は見いだし、門を叩く者には開かれるるなり
(以上、引用部とした)
 といったところ、新約聖書のマタイ伝にあっての
[求めよ。さらば与えられん。尋ねよ、さらば見いださん。門を叩け、さらば聞かれん。すべて求むる者は得、たづねる者は見いだし、門を叩く者には開かれるるなり]
とのフレーズ、それが
[天国の門]・[天国への扉]・[天国への階梯](ステアウェイ・トゥ・ヘブン)
との兼ね合いでいかように嗜虐的なる別側面での意味( Double Meaning )と共にあるのか、そのことからして具体的典拠を挙げ連ねるとの式で遺漏無くも事細かに示そうというのが本稿の本義であるとここ脇に逸れての部にあって訴求しておきたいとの意図が筆者にはある)

当サイト内にあっての【各頁および各典拠への一覧方式遷移部】、及び、【PDF形式文書配布ページ】へのリンクを直下、設けておく

各頁および各典拠への一覧方式遷移部へは以下より


問題となる[「予見的」言及→実現]の体系についての[典拠紹介部]一覧呈示頁

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ここ本頁内の記述内容を支える【「容易に後追い確認なる」「堅い」ソースを呈示しての出典紹介部ら】のうち、枢要なるものへの[遷移経路]を下に設けておく。 典拠について疑わしいとの部があれば、必要に応じて参照されたい (:クリックすることでブラウザ ―インターネット閲覧ソフト― の[別タブ(別枠)]にて典拠紹介部を表示( open "additional" tabbed window(s) of web browsers ))

[出典(Source)紹介の部31](キップ・ソーン著作 BLACK HOLES & TIME WARP Einstein's Outrageous Legacy『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんでもない遺産』が[911の事件の先覚的言及文物]となっていることにまつわっての出典紹介部31(以降)の部)
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典拠紹介部第25頁 ソーン『ブラックホールと時空の歪み』のとんでもない特性

[出典(Source)紹介の部32](キップ・ソーン著作 BLACK HOLES & TIME WARP Einstein's Outrageous Legacy『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんでもない遺産』が[911の事件の先覚的言及文物]となっていることにまつわっての出典紹介部32(以降)の部)
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典拠紹介部第26頁 書籍『ブラックホールと時空の歪み』の問題性(続き)

[出典(Source)紹介の部33](キップ・ソーン著作 BLACK HOLES & TIME WARP Einstein's Outrageous Legacy『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんでもない遺産』が[911の事件の先覚的言及文物]となっていることにまつわっての出典紹介部33(以降)の部)
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典拠紹介部第27頁 ソーン著作とサイフェ『異端の数ゼロ』の関係性

[出典(Source)紹介の部35]LHC実験とトロイア崩壊およびアトランティスの関係性を示す命名規則上のありようにまつわっての部LHC実験にあっては[(トロイア崩壊の因たる)黄金の林檎の在処を知ると神話が語り継ぐ巨人アトラス]の名前を冠する検出器ATLASおよび黄金の林檎の果樹園とも同一視されもするアトランティス]の名前を冠するディスプレイ・ウェアATLANTISによって生成極微ブラックホール捕捉をなしうるとの可能性が取り沙汰されてきたとのことについての出典紹介の部35)
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典拠紹介部第30頁 アトラス・アトランティスとLHC命名規則の繋がり合い

[出典(Source)紹介の部36(2)](LHC実験にあってはブラックホール生成可能性が問題視されるそれ以前、1992年から覚書が交わされてATLASとの名称の使用が確定していたことにまつわっての出典紹介の部36(2))
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典拠紹介部第30頁 アトラス・アトランティスとLHC命名規則の繋がり合い

[出典(Source)紹介の部39]トロイア崩壊の原因が黄金の林檎となっているとのこと、また、そちら黄金の林檎がヘラクレス第11功業に登場を見ている「巨人アトラスと結びつく神の果実」でもあるとのことに関しての出典紹介部39)
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典拠紹介部第35頁 ブルフィンチ神話要覧書などに見る黄金の林檎とトロイア

[出典(Source)紹介の部41]トロイアとアトランティスの関係にまつわっての出典紹介部の一例[トロイア崩壊の原因たる黄金の林檎が実るヘスペリデスの黄金の林檎の園]が何故、[アトランティス]と結びつくのかについての出典紹介の部41)
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典拠紹介部第37頁 アトランティスを巡るドネリーの主張について

[出典(Source)紹介の部46]LHC実験とトロイア崩壊およびアトランティスの関係性を示す命名規則上のありようにまつわっての部LHC実験にあってはトロイア攻囲戦に木製の馬で決着をつけた武将オデュッセウス ―黄金の林檎を巡る争いがトロイア戦争に発展した原因としての盟約を取り決めた存在でもある― が仲間共々呑み込まれた渦潮の怪物カリュブディス]の名前を冠するイヴェント・ジェネレーターCHARYBDISによって(「無害なる、」と強弁される)生成極微ブラックホールのありうべき似姿再現シュミレーションがなされてきたことについての出典紹介の部46)
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典拠紹介部第40頁 LHC実験とトロイア崩壊譚の関係についてのまとめ

[出典(Source)紹介の部48]トロイア崩壊に繋がった黄金の林檎を巡っての誘惑とエデンの園での誘惑が多層的多重的に共通要素を帯びているとのことの出典紹介部の一例として黄金の林檎を巡っての誘惑者エデンの園にあっての誘惑者[惑星ヴィーナス(金星)]の体現存在としての顔を有しているとのことについての出典紹介の部48)
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典拠紹介部第41頁 エデンの誘惑と黄金の林檎 ルシファーとアフロディテ

[出典(Source)紹介の部54(4)](ケツァルコアトル再臨類似のプロセスにあって現出した裏切りと同文の結果をもたらした等等、エデンの誘惑の蛇に比定されもするサタン・ルシファーの特質について解説しての出典紹介部54(4)以降の部)
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典拠紹介部第44頁 アトランティスと蛇崇拝の先コロンブス期アメリカ[2]

[出典(Source)紹介の部55](ダンテ『地獄篇』およびミルトン『失楽園』にあって[「今日的な観点で見た場合の」ブラックホールの質的近似物]が描写されていることにまつわっての出典紹介部55)
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典拠紹介部第46頁 ダンテ『地獄篇』とミルトン『失楽園』に見るブラックホールに通ずる描写

[出典(Source)紹介の部55(3)](ダンテ『地獄篇』およびミルトン『失楽園』にあって[「今日的な観点で見た場合の」ブラックホールの質的近似物]が描写されていることにまつわっての出典紹介部55(3))
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典拠紹介部第47頁 ダンテ『地獄篇』とミルトン『失楽園』に見るブラックホールに通ずる描写[2]

[出典(Source)紹介の部81](ブラックホール人為生成可能性現実化の理論登場後にあっては[加速器実験の大義]にブラックホール生成それ自体もが組み込まれることに至ったとのことを[超統一理論]にまつわる言われようを引用しながらも解説しもしている出典紹介の部81)
の参照は直下より


典拠紹介部第86頁 小説『コンタクト』にあっての加速器実験と通ずる側面

[出典(Source)紹介の部90](ダンテ『地獄篇』がいかようにして[ヘラレクレス12功業]と接続性を呈しているのかについての出典紹介部90以降の部)
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典拠紹介部第99頁 ダンテ『地獄篇』に見る地獄降下、そして、ブラックホール

[出典(Source)紹介の部90(5)](ダンテ『地獄篇』がいかようにして[ヘラレクレス12功業]と接続性を呈しているのかについての出典紹介部90(5)以降の部)
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典拠紹介部第101頁 ホメロス、ヴェルギリウス、そして、ダンテ

[出典(Source)紹介の部94(7)](女神ヘカテと地獄の番犬ケルベロスの接続性問題について扱っての典拠紹介部94(7)の部)
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典拠紹介部第105頁 イシスとペルセポネ、そして、死と再生の密儀

[出典(Source)紹介の部97](冥界の女王ペルセポネとシュメ―ル・アッカドの女神イナンナ・イシュタルの間に横たわる一致性について典拠紹介なしての典拠紹介部97の部)
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典拠紹介部第111頁 ラテン語[明けの明星;ルシファー]に通ずる多重的関係性