典拠となるところの明示[25]――斯界のカリスマと評される物理学者キップ・ソーン
の手になる著作を契機に指摘できもすること(3)

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ブラックホールにまつわる文物らが何故にもって[「奇態なる」先覚的言及]と結びついていると述べられるのか、偏属人的主観の類が一切問題とならぬとの式で[文献的事実]のみより摘示なせるところ[3] ――(先立って摘示してきた関係性の延長線上にあって問題となることについて)―― 

 前頁にあっては以下のことにまつわる指し示しをこれよりなすとし頁をあらためた(そして、まさにもの本ページに至っている)。

(おおよその繰り返し表記部として)

 物理学者キップ・ソーンの[通過可能なワームホール]にまつわる解説のなしようを取り上げる中で内容を問題視し、そこよりの原文引用をなしてきたところの書籍が BLACK HOLES & TIME WARP Einstein's Outrageous Legacy『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんでもない遺産(亀の移動時間にそれを当てはめると浦島伝承にそれが接合するとの[双子のパラドックス]を[ワームホール型タイムマシン]に応用しての論理を展開していること、本稿にてのつい先立っての段で細かくも解説したとの科学書)という書籍となるわけだが、同著はそれ自体からして

911の発生を明瞭に予見しているが如くもの「露骨な」予言的作品

となっており、そうもした特性にて荒唐無稽映画『スーパーマリオ 魔界帝国の女神』と不快かつ奇怪に結びついているとのことが ―認めがたいこととは思うが― 確としてある

 であるとすると、そう、表記のソーン科学書 ――ここ本段ではいまだ解説未了ながらもの911の発生に対する予言的作品としてのソーン科学書―― と映画『スーパーマリオ 魔界帝国の女神』の間に不快な関係性が成立しているとすると、

ソーン科学書 BLACK HOLES & TIME WARP Einstein's Outrageous Legacy『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんでもない遺産』⇔[双子のパラドックス]⇔[浦島伝承]

との関係性のパス、

ソーン科学書 BLACK HOLES & TIME WARP Einstein's Outrageous Legacy『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんでもない遺産』⇔(911の予見作品としての側面)⇔『スーパーマリオ 魔界帝国の女神』

とのパスが「別個独立に」成立していることになる。

 換言すれば、である。

[浦島伝承]⇔([双子のパラドックス]とワームホールにまつわる思考実験を介しての近接性)⇔『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんでもない遺産』⇔(911の事件にまつわる先覚的言及(後述)/ワームホール関連トピック)⇔『スーパーマリオ 魔界帝国の女神』(「亀」救出ならぬ「亀」軍団退治のゲーム作品を原作とする恐「竜」人の次元接合のための暗躍を描く映画作品)

との関係性のパスが
[別個独立に成立しているところの関係性の合算]
から導出できてしまうことになる(であるから、映画『スーパーマリオ 魔界帝国の女神』と浦島伝承の間にてのたかだかもの[「亀」と「竜」(竜宮)との爬虫類がらみのアナロジー(類似性)]にまつわる側面についてすら着目すべきとの話が馬鹿げたものでなくなるとのことがある)。

 以降、F.と振っての段(これまでのA.からE.と振っての流れを受けもしての段)では上にての繰り返しての表記にて最も重きをなすところ、

[キップ・ソーン科学書 BLACK HOLES & TIME WARP Einstein's Outrageous Legacy『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんでもない遺産』には先の911の事件の予見文物としての側面が伴っている

とのことの具体的指し示しに入ることとする。

 続けての出典紹介部を含めての話が紙幅にして相当な文量とならざるをえないとのところなのだが、ここ本段、F.と振っての段では以下、1.から5.と振ってのことらが呈示できる(呈示できるように「なってしまっている」)ことを事細かに問題視する。


1.

 まずは本稿の先の段にて挙げたものを再掲しての下の図を元に話を進める。

 上の図は本稿の先の段、E.と振っての部の書き出しの部にて挙げもしていたとの図となる、より具体的には

[ソーン著書 BLACK HOLES & TIME WARP Einstein's Outrageous Legacy掲載の[ワームホールをタイムマシンに変換させる方式]につき解説した図(邦訳版p.456)の著作権法に抵触はしなかろう程度のイミテーション]

として作成した図(を再掲したもの)となる。

 同図にては

[思考実験におけるワームホールの口が存在している場]

として

[カリフォルニアのパサデナという地]

を配置している(そのことを記載しているとの訳書および原著よりの表記もすぐに再引用するが、はきとそのように図の解説部で明示されている)。

 先にもその概要につき解説したように
[[思考実験概要]に対する説明をなすべくも物理学者ソーンによって図示されている上の再現図のオリジナルとなった図]
からしてそちらパサデナの地(にあると表記されてのキップ・ソーン自宅)に留まっている髭を豊かに貯えた物理学者ソーンの手から、

[モデル化したワームホールの入り口]

がシュールに発生している様が描き込まれているわけであるが、 そうしたワームホール構築がなされる場として書籍にて言及されているカリフォルニアのパサデナという地、カリフォルニア工科大学が存在している地域は郵便番号(ZIPコード)が[91101]からはじまる地域である(:何故、そのようなことを当方が把握しているかと述べれば、911の事件の前言がなされていたとのことを告発している一群の動画群を検証していた際、そのうちの一つとして『ビッグリボウスキ』という映画作品が911の前言をなしていたと解説しているとの訴求動画を目にしており、(『よくそこまで気づいたものだ』と感心させられたものなのだが)、の動画の中で映画『ビッグリボウスキ』劇中に登場するキー(鍵)がパサデナと結び付けられていること、そして、パサデナの郵便番号91101と結びついているのは問題であろうとの指摘がなされていたのを目にしたからである(その動画を読み手がいまだ確認いただけるかは保証しかねる))。
 その点、91101というのは ―そこからして典拠を後に示すことになるが― 英語圏における二〇「〇一」年「九」月「一一」日の表記方法である

2.

 先にも解説しているところとして、ソーンは同じくもの図(1.と振っての部にて挙げた図)の右側に

[光速に近い速さで移動している宇宙船 (ソーン妻カロリーが乗った猛烈なスピードで地球より離れていき、同様にして地球に戻ってくるとの宇宙船) 内にワームホールのもう一つの開閉口]

を配置している。

 以上のようなキップ・ソーン著作の

[地球と宇宙船の中に配置され相互に結びついたワームホール開閉口の描写]

は[双子のパラドックス]と呼称される現象、「1911年に」提唱されたことでも知られているとの、

[特殊相対性理論の帰結として導出される観察者タイムラインの差分発生現象]

と関係するものともなる(先に原文引用をなしたところでもあるが、[双子のパラドックス]との絡みでは下にて再度の出典紹介をなす)。

 ソーンはその1911年提唱の[双子のパラドックス]のメカニズムを考慮に入れ、[地球]と[光速に近しいスピードで動く宇宙船]内にそれぞれ配置した両区間を結ぶワームホールによってのタイムマシン実現の可能性を呈示の図を挙げながら自著 BLACK HOLES & TIME WARP Einstein's Outrageous Legacy『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんでもない遺産』の中で論じているのである(同点については本稿の先の段にて既に十全の解説をなしているのでここでの話は理解している向きのためのおさらいのものとお含みいただきたい)。

 そうして考慮に入れられての双子のパラドックスからして二〇〇一年九月一一日に双子の塔が崩されたあの事件が想起されもするとのことが「まずもって」ある。

「ツイン」タワーと「双子」つながりということもあるうえ、 ――後に同点にまつわる出典紹介をなすところとして―― 双子のパラドックスの考案年数が1「911」年であるとのこともある(無論、それだけを述べれば、ただのこじつけ話と看做されかねないところであろうが)。 といった[1「911」年提唱の「双子の」パラドックス]が[郵便番号91101(繰り返すが、91101は2001年9月11日そのものを指す数字列である)よりはじまる一地域(カリフォルニア州パサデナ)を[空間上の始発点]として飛び立ったスペースシップ]を材にしての思考実験の中で重んじられているのである。

 また、 ――そちらは本稿にて初言及のこととなるが―― 物理学者キップ・ソーンはその著書 BLACK HOLES & TIME WARP Einstein's Outrageous Legacy『ブラックホールと時空の歪み』にあって[双子のパラドックスに通ずる時空の相対性]について書籍内の他所にて取り上げており、その段では双子のパラドックスに通ずる時間の相対性が

[カリフォルニア州パサデナ(ZIPコードが91101より始まる地)で [爆竹(firecrackerファイアクラッカー)付き自動車走行の観察結果]

によって解説されている。走っている爆竹付きの車( a car with a line of firecrackers on its-roof )の[爆竹のスパーク(小爆発でもいいだろう)]の発生順序に対する観察結果に見る観察者毎の差分より双子のパラドックスに通ずる時間の相対性を論じようとの発想だが、かの911の事件は時間差をきたしながら炎上・倒壊していく「双子の」塔が現出した事件だった(ZIPコード「91101」よりはじまる地で[爆竹(firecrackerファイアクラッカー)付き自動車]走行にまつわる思考実験をなして、そこに1「911」年提案の「双子の」パラドックスに通ずる時間の相対性を見ようというのは原著1994年刊行の BLACK HOLES & TIME WARP Einstein's Outrageous Legacy『ブラックホールと時空の歪み』の書きようとしては穏やかではない。時期的に、である)。

3.

 上の1.および2.だけでは、
「穿ち過ぎである(から信用が置けない)」
ととらえる向きもいるところかもしれない。だが、ここでの話には[より露骨な、問題視すべきこと]が伴っている。
 当然に続く段にて出典よりの原文引用をなし、[文献的事実]であることを示すとのこととなるが、キップ・ソーンは上にてイミテーションを挙げているその図にて一連の出来事の起算点となる時刻を

「2000年1月1日午前9時」

と設定している。その刻限からして911のことが想起されるところとなる。英語圏で2000年1月1日午前9時とくれば、 January 1, 2000 9:00 a.m.などと表記されるところであろうが、世界協定時間(UTC)としての表記では2000/01/01/09:00との表記が充てられる。より略式化すれば、2000/1/1/9である。そこからして、かの911の事件のことが想起される(2001/9/11と2000/1/1/9は[数値列]として近しいというわけである ――殊に0をnull値[空値]として見るとそうなる―― )。
 さて、ここで「何時」「何日」「何年」とショートスパン(short-span)の単位に並び変えれば、9/1/1/2000との数値が導出されることになる。
 といった並び替えがなせる刻限が[「双子の」パラドックス(1「911」年提唱の「双子の」パラドックス)にまつわる思考実験]にして、かつ、[空間上の始発点を郵便番号91101(2001年9月11日の略記そのもの)にてはじまる地区(パサデナ)に置いての思考実験]であるとのタイムマシン関連の思考実験の[時間軸上の始発点]として用いられている
 そこからして[できすぎの感]を醸し出している。

(※2001年9月11日「前の」1994年刊行の書籍に見るやりようであるからタイムマシンではないが、時を遡行するようなやりようとの観点で問題になる ――※意味合いを問えば、まずもって、[1911年と双子が結びつくこと]が[双子の塔が崩された911の事件]と結びつくように見えるとのことを奇縁で済まされるのか、とのことがある。 加えて、[1911年と双子が結びつくこと]がまさしくも意味をなしてくるとの挙が[2001年9月11日]「そのもの」を指す数値列を[地区の始発点表象数値(郵便番号91101)]とする一区域と[空間軸上の始点]を介して結びついているとのことが奇縁で済まされるのか、とのことがある。 さらに加えて、そこに[時間のずれ]が[順次爆破]との式で関わっており、また、そうもした[時間のずれ]がタイムマシンの材にされていることが奇縁で済まされるのか、との問題がある(911の事件では双子のビルが連続で時間的ずれをきたしながらも爆発倒壊している)。 「さらに」「さらに」加えて、[何々時間・何々日・何々年をショートスパン順に入れ替えて並べれば200「1」年911と200「0」年911との式で[一桁しか違わない数値列]が同じくもの挙にての[時間軸上の始発点]となっているとのことが奇縁で済まされるのかとのことが問題にもなる (以上の問題となることらにつき、正気の人間ならば、第一段階の[双子のパラドックスと911が結びつくこと]からして[出来すぎである]との予断をもって見ることかとは思うが、そこを敢えてもの問いをここでは発している)―― )。

4.

 上の3.と密接にかかわるところの話をなす。世の中にては2000年をもって
[新たな千年紀(ニュー・ミレニアム)の始まり]
として祝賀するムードがあったわけだが、現実には2000年ではなく2001年がニュー・ミレニアムの始期であるとする理論 ―というより暦の発展史に基づいての見立て― が存在している
 そうした見立てに言及している書籍を例として挙げる。
 チャールズ・サイフェという科学ライター(アカデミズム寄りの数学の学位を持つある程度有名なサイエンスライター)の手になる書、

ZERO:The Biography of a Dangerous Idea(邦題)『異端の数ゼロ』(原著2000年刊)

という書籍には次のような趣旨の記載がなされている。

「西暦で示される暦にあってはそれがゼロとの数値の存在を顧慮して構築されていたものではない。そういった事情より、暦のカウント方式に差分が生じる。そのため、20世紀のはじまる折は2000年ではなく2001年であるとの解釈がなされうる。2000年と2001年のそうあるべき位置づけは1年づつずれているとも述べられるのである」(続けてのすぐ後の段にてそこよりの原文引用をなすが、『異端の数ゼロ』邦訳「ハードカヴァー」版での以上のことへの言及ページはp.64-p.69となる)。

 以上のような見立てに準拠すれば、2000年と2001年の各年は[ミレニアム(新たな千年紀)のスタート・ポイント]としてその混同が問題となるところということになる。
 そのため、キップ・ソーンの『ブラックホールと時空の歪み』 ―[通過可能なワームホールとタイムマシンの関係の問題]を扱った海外では比較的知られた著作― にての

[ワームホールのタイムマシン化挙動の開始ポイント]

の時期、ソーンとスペースシャトルになったソーンの妻がしばしの別離をなすことになった時期が
「2000年1月1日9時」
とされていることの意味がさらに重きをもってくることになる。
 2000年1月1日9時が[「双子の」パラドックス(1「911」年提唱)が起こるスターティング・ポイント]と看做されていることになるわけだが(そこからしてご理解いただけていない向きはここまでの内容を読みなおしていただきたい.また、理解したうえでなお疑わしいとのことであれば厚く表記しての以降の出典紹介部を参照・内容検討いただきたい)、 2000年1月1日というのが欧米人の多くがそれを担いでいたニュー・ミレニアムのスタートポイントではなく、その実、2001年1月1日がニュー・ミレニアムのスタートポイントであるとの見立てが背面にあること、そこから、
[2000年1月1日9時→2001年1月1日9時]
こそが切り替えの時であるとの見立てが背面にあるとの物言いもなせる(2001年1月1日9時は数値変換の問題からダイレクトに2001年の九月十一日に起こったかの事件を想起させることになる)

5.

 上の4.にて言及したチャールズ・サイフェ著、

ZERO:The Biography of a Dangerous Idea(邦題)『異端の数ゼロ』(原著2000年刊)

との著作は(表記のように)2000年と2001年の区別が曖昧となっていることを論じての著作であると同時に

刊行年にて先行するキップ・ソーン著作 BLACK HOLES & TIME WARP Einstein's Outrageous Legacy 『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんでもない遺産』にあっての(上にて再現図を挙げての)図と同様の[通過可能なワームホールにまつわる図]を同じくものイラストレーター( Matthew Zimetという人物か)の手になる極めで独特なるテイストのイラストとして挙げもしているとの著作

にして、また、

ブラックホールという語を911の事件が起こる「前」から(往時より使用局面が限られているとの特殊な言葉であった)[グラウンド・ゼロ]との語と結びつけている著作] (キップ・ソーンのここにて問題視している[通過可能なワームホール]にまつわる思考実験のことを解説している著作の表題が『ブラックホールと時空の歪み』となっているとのそのことを想起させるようにブラックホールをグラウンド・ゼロとの言葉 ――元来にして使用局面が限られた特殊な言葉―― と結びつけている著作)

ともなる(:これまた冗談のように聞こえもしようことだが、[文献的事実]の問題としてそういうことがあることをこれより示していく)。

 そういうことまでもが([2000年と2001年の別の曖昧さについて扱っているとの著作]に伴うところとして)あり、それでもってして、上の3.にて言及した、

[2000年1月1日9時と2001年1月1日9時の区別の曖昧さ]

の意味合いがよりもって重くもなるとのことがある。


 上の1.から5.の出典紹介を網羅的に、そう、必要十分と解する分だけ、以下、なしていくこととする。


「長くもなって、」の出典紹介の部として

[1.の部にまつわる出典として]

 ここでは(より端的に表しての)

1.
 再現図を呈示したとの、
[ソーン著書 BLACK HOLES & TIME WARP Einstein's Outrageous Legacyに掲載の[ワームホールをタイムマシンに変換させる方式]につき解説した図]
がそれにまつわるものとなっている(書籍に見る)[思考実験]の始発点はカリフォルニア州パサデナに設定されており、そちらパサデナの郵便番号は91101からはじまる。そして、91101という数値列は2001年9月11日を指すものでもある

とのことの出典を挙げることとする。

 まずもって
[思考実験の始発点がパサデナである]
とのことについての典拠紹介をなす。

(直下、キップ・ソーンの著作 『ブラックホールと時空の歪み』(白揚社刊行の邦訳版)456ページにあっての図の横書き解説部よりの引用を(出典(Source)紹介の部28にても引用なしたところより)「再度」なすとして)

図14・7 カロリーと私はワームホールを用いてタイムマシンを作る。左:私はワームホールの1つの出入口とともにパサデナの自宅に留まり、ワームホールを通じてカロリーと手を繋いでいる右:カロリーはもう一方の出入口を携えて高速度宇宙旅行に出かける

(訳書よりの引用部はここまでとする ―※― )

(※尚、「オンライン上検索エンジンに該当テキストを入力して検索結果表示ページを精査することで」その通りの記述がなされていること、現行は確認可能となっている原著 BLACK HOLES & TIME WARP Einstein's Outrageous Legacyにての該当するところの表記の引用をも(読み手確認の用に供していただきたくも)なしておくこととする。(以下、上の訳書よりの引用部に対応するオンライン上より確認可能な原著表記を引くとして) 14.7 Carolee and I construct a time machine from a wormhole. Left: I stay at home in Pasadena with one mouth of the wormhole and hold hands with Carolee through the wormhole. Right: Carolee carries the other mouth on a high-speed trip through the Universe. Inset:Our hands inside the wormhole.(原著よりの引用部はここまでとする)―― )

(※以上原文引用部にて呈示の再現図が述べたとおりのもの、[左にカリフォルニアはパサデナに位置するソーンを配し、右にスペースシップに出かけるソーン妻を配し、両者がワームホールでつながれたもの]であることが言及されている)

 次いで[カリフォルニア州パサデナの郵便番号が91101よりはじまることについて]の即時確認できるところの出典を挙げる。


| 出典(Source)紹介の部31 |

 ここ出典紹介部ではカリフォルニア州パサデナ市の郵便番号が91101よりはじまっていることについて正確に記載されている(正確に記載されていなければ、日常社会の運行そのものに支障がきたされうる)との英文ウィキペディア表記を引いておくこととする。

(直下、英文Wikipedia[ Pasadena, California ]項目、その右の枠内部の市街地データ記載部にあってのZIPコード表記欄(郵便番号表記欄)よりの引用をなすとして)

ZIP codes 91101-91191

(引用部はここまでとする.尚、上にての引用部の意味合いは[カリフォルニア州パサデナの郵便番号は91101にてスタートし、91191にて終わる]とのものとなる)

出典(Source)紹介の部31-2はここまでとする)


 上についても疑わしきは検索エンジンで読み手がご自分自身で[ pasadena zip code 91101 ]で入力、そのとおりとなっていること、ご確認いただきたい(尚、『言うまでもないことか』とは思うのだが、カリフォルニア州パサデナ郵便番号の全てが91101となっているわけでは「ない」(カリフォルニア州ロサンゼルス群内でのパサデナ市の人口は13万人超に達すると諸所にて確認なせるようになっており、その人口規模は東京23区の相対的人口規模高位地区の数分の1に達する))。

 さらに[91101]との表記が米国表記にて2001年9月11日 ――先の911の事件が起こった日付そのもの―― である論拠も(本来ならば日付表記方式自体は Common Knowledge常識としての話ともなろうか、とも思うのだが)挙げておくこととする。


| 出典(Source)紹介の部31-2 |

 ここ出典紹介部では91101との数値列が米国日付表記方式にて2001年9月11日を指すものであることの典拠を、(『日付表記などとという基本的極まりないことに関してそこまでする必要があるのか』とも思いもしたのだが)、呈示しておくこととする。

 まずもって紹介するが、英文Wikipedia[ Calendar date ]項目にては「合衆国にて用いられるもである」と記載されている( This sequence is used primarily in the United States.と記載されている)日付表記方式として

Gregorian, month-day-year[グレゴリウス方式:月:日:年]

との日付表記方式が挙げられている。すなわち、合衆国では月・日・年との順での日付表記方法が(半ば常識の問題でもあるわけだが)採用されている。

 それがゆえに2001年9月11日が(ここにて問題視している数値列たる)91101となるとことの実例を下に挙げておく。 

 上は911の事件の後、米国にて発生した炭疽菌テロを起こしたとされるブルース・イヴィンズ容疑者 ――本稿の後の段にてそのやりようを取り上げるとの自殺による物故者―― が書いたと見なされている犯行声明書の内容を挙げたものである(英文Wikipedia[ 2001 anthrax attacks ]掲載のものよりの転載)。

 そこに見る一見にして愚劣なものであると分かろうとの内容はどうでもいいとして、ここにて問題視しているのは上の犯行声明文に見る「(0)91101」というナンバーがパサデナという地区のジップコード(郵便番号)の開始番号となっていることである(そうしたことにこだわらざるをえぬとの[奇怪な相関関係]が現出しているとの話の流れで日本でもクレジットカードなど一般に見られる世間一般の常識的数値表記法にまつわる話をなしている)。

出典(Source)紹介の部31-2はここまでとする)


 ここまでにて

1.
 再現図を呈示したとの、
[ソーン著書 BLACK HOLES & TIME WARP Einstein's Outrageous Legacyに掲載の[ワームホールをタイムマシンに変換させる方式]につき解説した図]
がそれにまつわるものとなっている(書籍に見る)[思考実験]の始発点はカリフォルニア州パサデナに設定されており、そちらパサデナの郵便番号は91101からはじまる。そして、91101という数値列は2001年9月11日を指すものでもある

とのことの出典紹介部を終える。

(続けて1.から5.と分かちての部にあっての2.以降の出典を挙げていくこととする)

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直下、本稿冒頭部へのリンクを設けておく

(⇒冒頭頁へは下の部より)

[典拠紹介部第1頁 加速器実験に伴う欺瞞性から証示なせることについて]

 上にて挙げているのはドイツ浪漫主義芸術の巨匠たる18世紀画家、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(Freemasonでもあったとの画家 Caspar David Friedrich)の手になる一品、

Der Wanderer uber dem Nebelmeer雲海の上の旅人』(に多少の[動き]をアレンジとして加えたもの)

となる。

 言われようの問題として一般に、

[人間の崇高なる精神が高みを目指し、ついぞ多くの物事を達観するに至った時、その折の孤独と感慨を描いた画]

などと形容される上掲の『雲海の上の旅人』に関して(本稿でもその言行を順次・段階的に取り上げることになるとの)物理学者リサ・ランドールは[次のような申しよう]をなしている。


(直下、物理学者リサ・ランドールの手になる著作 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)にての CHAPTER THREE LIVING IN A MATERIAL WORLD[第三章 物質世界に生きる]の章の記述内容 ――オンライン上検索エンジンにあっての原文検索にて該当部特定できるところの記述内容―― よりの原文引用をなすとして)

Our universe is in many respects sublime. It prompts wonder but can be daunting ―even frightening― in its complexity.  Nonetheless, the components fit together in marvelous ways. Art,science, and religion all aim to channel people’s curiosity and enlighten us by pushing the frontiers of our understanding. They promise, in their different ways, to help transcend the narrow confines of individual experience and allow us to enter into―and comprehend―the realm of the sublime. (See Figure 11.)
          [ . . . ]
[ FIGURE 11 ] Caspar David Friedrich’s Wanderer Above the Sea of Fog (1818), an iconic painting of the sublime ― a recurring theme in art and music.

(上の原著引用部に対する[訳文]として国内流通訳書『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)ハードカヴァー版にあっての81ページに記載されているところを引くとして)

多くの点で、私たちの宇宙は崇高だ。その複雑さは好奇心を駆り立てはするが、無力感も抱かせるし、ことによっては恐怖さえも感じさせる。にもかかわらず、宇宙の構成要素は素晴らしくぴたりと絡みあっている。芸術、科学、宗教は、いずれも人々の好奇心を促して、理解の限界を広げさせ、それによって私たちを啓蒙することを目指している。いずれもそれぞれのやり方で、個人の経験の狭い領域を越えさせることを約束している。それがかなえられたとき、私たちは崇高なものの領域に踏み込む――そして理解する――ことができるのだ(図11を参照)。 …(中略)… [図11]ドイツの画家カスパー・ダーヴィド・フリードリヒの「雲海の上の旅人」は、崇高なものを象徴的に描いた作品だ。崇高さは、美術と音楽に繰り返し登場するテーマである

(以上をもって Knocking on Heaven’s Doorにての原著表記および訳書よりの引用とした)


 さて、何故、ここ脇に逸れての部にあって「目立つように」特定絵画 ― 『雲海の上の旅人』― を挙げ、その絵画に対する物理学者の評しよう ―「雲海の上の旅人」は、崇高なものを象徴的に描いた作品だ....― などを引いたりもしたのか

「それは、」
絵画『雲海の上の旅人』に対して直上引用なしたような評しようをなしているとの物理学者リサ・ランドールが

加速器によるブラックホール生成可能性にまつわるトピックの理論深化に一廉ならぬ貢献をなしているとの著名物理学者

[[崇高なるもの]を目指しての宇宙の探求(およびそのための装置と銘打たれている巨大加速器LHC)の称揚・礼讃をなしているとの向き

であるとのことがあり、また、なおかつ、彼女リサ・ランドールの手による、(絵画『雲海の上の旅人』を科学者が目指しての[崇高さ]とを結びつけている)引用元著作 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)が

人間のありよう(崇高さとはおよそ程遠いところにあるありよう)]
人間の辿る運命

を嘲笑うような[嗜虐的寓意]で満ち満ちていると申し述べられるようになっている著作であるとのことがある、遺憾ながら
[理の当然]
として申し述べられるところとしてある ――個人のせせこましい偏頗(へんぱ)な主観などとは一線を画したところで客観的かつ具体的にこれはこうでこうだと申し述べられるようになっている(出典呈示を第一義にしての本稿では無論、その論拠を事細かに挙げる)とのところとしてある―― からであり、そのことに注意を向けたかったからである(※)。

(※上にて引用元とした著作、 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)、同著にあってはその冒頭部より
September 10, 2008, marked the historic first trial run of the Large Hadron Collider (LHC). Although the name―Large Hadron Collider― is literal but uninspired, the same is not true for the science we expect it to achieve, which should prove spectacular. (表記英文引用部に対する訳として)「2008年9月10日、ラージ・ハドロン・コライダー(LHC)が歴史的始動を見た.[ラージ・ハドロン・コライダー]との名称は有り体に言ってインスピレーションを何ら与えぬとの平凡なものだが、私たちがそれ(LHC)に[証明すべきととらえている壮大なる挙]を託しているとの意では[科学(の進歩)]にとり同じくものことは真実とはならない(LHCは際立ってのインスピレーションを与えるものである)」
などとのことが書き記されている。
 そうもした書きようが目立ってもの冒頭部にてみとめられる著作ノッキン・オン・ヘブンズ・ドアにおける表題、 [天国のドアをノックする]の由来についてリサ・ランドール女史は同じくもの著作の中で次のようなことを述べてもしている。
(以下、 Knocking on Heaven’s Doorにての CHAPTER FOUR LOOKING FOR ANSWERSより引用なすところとして)
I first heard the phrase “knockin”on heaven’s door”when listening to the Bob Dylan song at his 1987 concert with the Grateful Dead in Oakland, California. Needless to say, the title of my book is intended differently than the song’s lyrics, which I still hear Dylan and Jerry Garcia singing in my head. The phrase differs from its biblical origin as well, though my title does toy with this interpretation. In Matthew, the Bible says, “Ask, and it shall be given you; seek, and ye shall find; knock, and it shall be opened unto you: For every one that asketh receiveth; and he that seeketh findeth; and to him that knocketh it shall be opened. (以上原著表記に対して訳書『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)ハードカヴァー版[第四章]103ページにての表記を引くとして) Knocking on Heaven’s Door(天の扉を叩く)]――これが本書の原題だが、私が最初にこのフレーズを聞いたのは、一九八七年、カリフォルニア州オークランドでのグレイトフル・デッドとのコンサートで、ボブ・ディランが『天国への扉』を歌うのを聞いたときだった。いまでも私の頭の中ではディランとジェリー・ガルシアがこれを歌っているのが聞こえてくるけれど、いうまでもなく、私の本のタイトルは、この曲の歌詞とは意味が違っている。このフレーズは出典である聖書の一節とも違っているが、私のタイトルはこちらの意図を拝借したものだ。聖書の「マタイ伝」には、このように書かれている。「求めよ。さらば与えられん。尋ねよ、さらば見いださん。門を叩け、さらば聞かれん。すべて求むる者は得、たづねる者は見いだし、門を叩く者には開かれるるなり
(以上、引用部とした)
 といったところ、新約聖書のマタイ伝にあっての
[求めよ。さらば与えられん。尋ねよ、さらば見いださん。門を叩け、さらば聞かれん。すべて求むる者は得、たづねる者は見いだし、門を叩く者には開かれるるなり]
とのフレーズ、それが
[天国の門]・[天国への扉]・[天国への階梯](ステアウェイ・トゥ・ヘブン)
との兼ね合いでいかように嗜虐的なる別側面での意味( Double Meaning )と共にあるのか、そのことからして具体的典拠を挙げ連ねるとの式で遺漏無くも事細かに示そうというのが本稿の本義であるとここ脇に逸れての部にあって訴求しておきたいとの意図が筆者にはある)