典拠となるところの明示[101]――ダンテ『神曲;地獄篇』と[ヘラクレス12功業]
関連要素の複層的繋がり合い、そして、そこから問題となりもすることについて

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古代ギリシャ期ホメロス二大叙事詩『イリアス』および『オデュッセウス』、ローマ期ヴェルギリウス叙事詩『アエネーイス』。それら叙事詩とその影響下にあることが知られているダンテ『地獄篇』の関係について 補説3

 前ページまでにあって

ダンテ『地獄篇(現代的観点で見た場合のブラックホールの質的近似物が複層的にみとめられる旨、詳述なしてきたとの古典)と[ヘラクレスの12功業]の間には多重的結びつきが確としてみとめられる]

とのことについての解説をなす(より具体的には[1]から[5]と振っての流れにて解説をなす)との流れにあって[4]と振っての部までの解説をなし終えた。
 そちら直前頁までの流れにて大体にして指摘なすべきところは既に指摘なしおえているとの認識が本稿筆者にはあるのだが、加えもして、これより呈示しもする([5]と振っての)ようなこともある。

 延々と細かい話に枝分かれせざるをえぬとの側面を伴っているとの話ともなるのだが、次のような観点から「も」ヘラクレス12功業とダンテ『地獄篇』の間には繋がり合いが観念されるところとなっている。

[西洋古典古代文学作品にあって[冥界下り](『地獄篇』の主要モチーフ)を描いた代表的作品はホメロスの手になる『オデュッセイア』とヴェルギリウスの手になる『アエネーイス』の二作品となるのであるが(内、『オデュッセイア』はギリシャ期の代表的古典となり、同『オデュッセイア』は後者、ローマ期ラテン文学の源流的作品とも表される『アエネーイス』に内容込みで多大な影響を与えている作品となる)、両作品共々、[トロイア崩壊にまつわる作品]「とも」なり、また、[ダンテ『地獄篇』に多大な影響を与えている作品]ともなっているとのことがある]

[ダンテ『地獄篇』に多大な影響を与えているホメロス『オデュッセイア』(ギリシャ期代表的古典)とヴェルギリウス『アエネーイス』(ローマ期ラテン文学の源流的作品)の両作品は[トロイア崩壊と関わる作品]であるとのことは直上にて表記したが、それら『オデュッセイア』『アエネーイス』の西洋代表的古典がそれにまつわるものである[トロイア崩壊]の原因と[ヘラクレス11番目の功業]及び[ヘラクレス12番目の功業]が深く多重的に記号論的結節関係を呈しているとのことがある](:につき、直上表記の[『オデュッセイア』『アエネーイス』両古典→(多大な影響を与える)→ダンテ『地獄篇』]との関係性にあっての意味合い[『オデュッセイア』『アエネーイス』両古典←→(トロイア崩壊の原因を介しての記号論的つながりあいが存在)←→ヘラクレス11功業/ヘラクレス12功業]との関係性との兼ね合いで問題になる)

 以上のことの論拠は分割し、順次、これより指し示していく(以下、[5-a]から[5-b]に分かちての指し示しをなす)。

 ここではまず最初に

[西洋古典古代文学作品にあって[冥界下り](『地獄篇』の主要モチーフ)を描いた代表的作品はホメロスの手になる『オデュッセイア』とヴェルギリウスの手になる『アエネーイス』の二作品となるのであるが(内、『オデュッセイア』はギリシャ期の代表的古典となり、同『オデュッセイア』は後者、ローマ期ラテン文学の源流的作品とも表される『アエネーイス』に内容込みで多大な影響を与えている作品となる)、両作品共々、[トロイア崩壊にまつわる作品]「とも」なり、また、[ダンテ『地獄篇』に多大な影響を与えている作品]ともなっているとのことがある]

とのことから摘示していく。

 それにつき、まずもって強調したいのは、

[欧州にて古代ギリシャの代表的叙事詩語り手たるホメロスの古典 ―トロイア戦争の途中経過を扱った『イリアス』とトロイア崩壊後、トロイアに引導を渡した木製の馬の計略を考案したオデュッセウスの流浪を扱った『オデュッセイア』― の西洋文学に対する影響は「甚大」というより「絶大」なもので[ホメロスなくして今日の欧州文学はなかった]との評が存在している]

とのことである。

 古代ギリシャの詩人たるホメロスが西洋文学(換言すればすれば、今日の人類文明のメインストリームとなった文明の文学的側面)および西洋文明それ自体に及ぼした影響力は

「『古事記』『日本書紀』『万葉集』『源氏物語』『平家物語』の代表的古典を「すべて和して」の文献内容が[日本にあっての後の文物や思想]に与えた影響力並みに重いものであると述べても過言ではない]

といった程度のものであるととらえられるようになっている、そのような論評が実際に存在しているとのことがある ――続いて表記の出典(Source)紹介の部90(5)はそのような論評の一例を紹介してのものとなる―― (:その点、『古事記』『日本書紀』『万葉集』『源氏物語』『平家物語』のすべてが剥落しておれば、日本には[江戸期国学]どころか[中世の諸々の仏教説話集や軍記物]さえ生まれえなかったことになることは日本史についての多少の見識があれば、あるいは、『日本史』という科目を高等学校で[学習]している、銘々望みの大学に受かるぐらいにきちんと文系で[学習]している(なかんずく国立大なら文章巧拙よりも特定ワードが含まれているかで減点式に採点されていく記述試験にての体系的アウトプットが可能とのレベルまで[詰め込み]している)人間ならば、そこになんら深い理解など伴っていなくとも[そうなっている]ことは多少でも分かろうことかとは思われもする。より先立つ古典に拠って立つ[国学]のようなものが[江戸期末期のナショナリズムの高揚]にも建前上、甚大な影響力を与えたと「される」ことにつきに鑑みれば、先覚的古典(『古事記』『日本書紀』『万葉集』『源氏物語』『平家物語』)が「ない」とのことは歴史というものが回転する上での ―たとえそれが人形(のような内面空虚なる存在)らに与えられていたとの字義通り[下らぬ名分]にすぎぬものでも― [スローガンの元となるもの]が「ない」にも等しいことになるとも受け取れるようなところもあるとの式で、である([日本古典文物に対する封建主義体制下、知識人の研究]→[江戸期国学隆盛]→[王政復古と夷狄排斥思想隆盛の下ごしらえ]→[尊皇攘夷思想勃興]→[維新の促進]→[結果的な意味での日本の近代化・強国化]との流れは少なくとも細かい流れでは[今日のそれ通り]には成立しなかったろうと解される)。 さて、ホメロスらに代表される古典古代文物は表向き、[ルネサンス]の人文主義の理念に沿ってのもの、[行きすぎた神の教理の礼賛基調] (それが一時的に影響力を振るうべく振るうようになっていた長期的な流れの中での[スパイス]のようなものでも、とにかくもの、原理主義的な神の教理の礼賛基調) に対する欧州文明にての文明促進の緩衝材(バランサー)となったものであること、その意味につき、筆者は考えるべきであるととらえている)


| 出典(Source)紹介の部90(5) |

 ここ出典(Source)紹介の部90(5)にあっては、

[ホメロスの古典が欧州古典(ギリシャ・ローマから続く文物ら)にて[源流的存在]となっている]

とのことの典拠を極々基本的なるところから挙げておくこととする。

(直下、英文Wikipedia[Homer]項目にての現行記載内容よりの一部抜粋をなすとして)

In the Western classical tradition, Homer is the author of the Iliad and the Odyssey, and is revered as the greatest of ancient Greek epic poets. These epics lie at the beginning of the Western canon of literature, and have had an enormous influence on the history of literature.

(訳として)「西洋古典の伝統にあってホメロス、『イリアス』と『オデュッセイア』の作者たる同ホメロスは古代ギリシャ叙事詩語り手の中で最も偉大な存在と評価されている。それら叙事詩は文学における[西洋のウェスタン・カノン;基準的古典]の発端に位置するとのもので[文学の歴史]に多大な影響を与えている

(訳を付しての引用部はここまでとしておく)

 上にては the Western canon of literature の始点にホメロス古典を中核としたギリシャ叙事詩が位置していると表記されているが、そも、そこにいうウェスタン・カノン・オブ・リテラチュアとは何かと述べれば、

知識人らが西洋文明の大元を構築してきた文学作品と定置している作品ら

に対する総じての呼称ととらえてもらって構わないものとなる。

 ここまでわざわざ書き連ねてきたことに対して、饒舌家ならば、

「あっしらは文化って言っても、鄙(ひな)びた、しかし、人情の機微が生き生きと作用しているって類のもの、そういうものをそこそこに、そう、清涼剤程度に好くって程度の野人でありまして、公家さんらの世界の白粉(おしろい)がかった[ハイカラ文化]のお話なんてのはどうも分かりかねますねぇ」

などと述べもしようとの[世の中一般の高尚なるところのその実の紛い物性にうんざりしている向きら]/[非実用的なこと(あるいはただただ原始的・本能的に生きるための飼料・馬草以外のこと)には冷淡な向きら]が本稿 ――非実用的なことを延々細々と解説しているように見えて、その実、[人間を歯車にしての機械]にははなから最終目的としてのゴールがこの世界にて設定されているとのことをただひたすらに具体的論拠群からのみ指し示さんとしているとの本稿―― を読まれている場合を想定、即時即座に誰でも確認できようとのその伝での「確認のためだけの」出典 (ウェスタン・カノン・オブ・リテラチュアとは何か、その[重要性]が如何程のものと語られているかにまつわる出典/この際、ウエスタン・カノン・オブ・リテラチュアが個々のハイカラ志向の者達にあっての内心の位置付けがいかようなものと推し量れるかといった意味をなさないことを排して一般的世間的評価ありようについての出典) も挙げておく。

 英文Wikipedia[ Western canon ]項目冒頭部から抜粋するが、そこにては 

The term "Western canon" denotes a body of books and, more broadly, music and art that have been traditionally accepted by Western scholars as the most important and influential in shaping Western culture. As such, it includes the "greatest works of artistic merit". Such a canon is important to the theory of educational perennialism and the development of "high culture".

ウエスタン・カノンという用語は西洋文化体系が形づくられてきたうえで最も重要かつ最も影響力あるものとして西洋圏の学者らに伝統的に認知されている書籍らの体系、そして、より広くは音楽および芸術作品の体系を指す用語である。そのようにそれ(ウェスタン・カノン)は[芸術的価値を持った最も偉大な作品ら]を包摂している。そのようなカノン(註:元来、カノンとは[教会法]とのニュアンス強き言葉だが、ここでは[規範]といった色彩強くもの語感で用いられている)「教育」にての反復主義の方法論およびハイ・カルチャーの発展にとり、重要なものとなっている」(引用部に対する訳はここまでとしておく)

と述べられているとのことがある。

 以上のように定義付けられている[ウェスタン・カノン]の根本にあるものとして和文ウィキペディア、これまた同文に皮相的な同じくもの媒体とはなるが、同ウィキペディアにあって次のような[評価についての記述]がなされているだけのことがホメロス古典に関しては ―知名度・影響度合いとの兼ね合いで― 「ある」。

(直下、和文ウィキペディア[ホメロス]項目にあっての[後世の芸術作品への影響]との節にあっての現行現時点記載内容よりの引用をなすとして)

ホメーロスが実在したか、あるいは1つの人格であるのかといった問題はさておき、ホメーロスが古代ギリシアにとって、最初の最も高名な詩人であり、古代ギリシアは文化と教養の多くを彼に負っていると言っても誇張ではないまた「西洋文学の父」として、古代ギリシアの古典期、ヘレニズム時代、ローマ時代、(西欧でギリシア語の知識が部分的に失われた中世は除く。この時代、ホメーロスの文学はギリシア人が支配階層となった東ローマ帝国に受け継がれた)、ルネサンスから現代に至るまで、ホメーロスは西洋文学において論じられている

 以上、目につくところ、たかだかものウィキペディアよりの引用部だけをもってしてもホメロスという存在、そして、そのホメロスの古典が西洋文明にていかに重んじられているのか、大体についてご察しいただけるのではないか、と思う。

出典(Source)紹介の部90(5)はここまでとする)


(くどくも強調するが、ホメロスおよびその代表作たる叙事詩『イリアス』や『オデュッセイア』は表記のように西洋文明の源流的作品(ウェスタン・カノン)となるものであるが、そうした[源流作品]を元に構築されていった[ハイ・カルチャー]につきハイ・カルチャーの如きものの「職業的な」論評者ら ―[情緒的価値]の問題と[情報的価値]の問題の別を付けないような「相応の」宗教的・神秘主義的な者達― のように云々することが本稿の趣意ではない(:はきと述べて[純文学信仰]のようなものは筆者とて[愚物・俗物や糸繰り人形の忌まわしきありよう]に通ずるとさえとらえている)。
 本稿の趣意は[高尚]などとの言葉で表現される浮き世離れした非実用的なことについて云々することでは毛頭なく
相互に多重的に繋がり合っている不快な事実関係の山
をはきと摘示それら[事実関係の山]が[恣意性]なくして成立するようなものでは「ない」とのことそれが「養殖種」と位置付けられての我々を皆殺しにするとのことを「露骨極まりなく」「実にもって執拗に」示しているとの筋目のものである
(しかもご丁寧にそこに[人間業ではない予見的言及]との属性もが伴っている)とのことを[証示]することにある。さらに述べれば、その[証示]が向かう先につき、(『そのための能力さえなければ我々の絶滅もやむなしか』とも思うところとして)[対応策]講じられて然るべきの[用意された帰結の問題]が伴っていることを遺漏なくも ―事実と証拠の山に基づいて「のみ」― 呈示、もって、[確認]をなすことにある)

 ホメロス・ヴェルギリウス・ダンテら作品の西洋代表的古典としての連結性について指摘しているとの本段にあってホメロス・ヴェルギリウス・ダンテらを併せて描いたルネサンス期製作の画を意図して挙げておく(画は英文Wikipedia[ Western canon ]項目に見るルネサンス期イタリアの巨匠ミケランジェロが製作した作品、バチカン宮殿の四つワンセットの部屋のうちの一つ、[署名の間]にて展示されている作品(ミケランジェロ代表作 The Parnassus『パルナッソス』よりの抜粋となる)
 同画、パルナッソス山に集うアポロおよびその配下の芸術神(9人のミューズ)ら、そして、呈示の三大文豪らを描いたものとなり、三大文豪(の抜粋なした部)については左側がダンテ、そのルネサンス期にての典型的な描かれようとなり、中央が盲目のホメロス、右側がローマ期の代表的文人ヴェルギリウスとなる(そちら紹介のされようも英文ウィキペディア程度の媒体から即時に確認できるようになっている))。
 呈示の画に見るように三人の文豪が揃って描かれることは彼らが今日に遺した作品らに「あれなしやこれなし」の相関関係が根強くも介在しているとのことを想起させるところでもある(その点について以降、指し示していく)

 ホメロスの作品らが西洋文明(とすれば今日の文明世界の本源たるところ)の源流古典となっている(と広く評されている)とのことは直近の出典紹介部でもって言及したとして、

[ホメロス『オデュッセイア』から甚大な影響を受けた作品]

として存在しているのが

ヴェルギリウス作Aeneid『アエネーイス』

という作品である。

 当然にホメロス古典らと並んでこの身、筆者も読了しているところの作品だが、同作、
『アエネーイス』
は[ラテン文学の最高傑作]と評されるもので(いいだろうか.ここで問題としているのは筆者の主観ではなく[世間での評されよう]である)、それ自体が源流古典(ウェスタン・カノン)となっている作品でもあり、その作者のヴェルギリス(英語表記:ヴァージル)は甚だしくは[欧米文学全体の祖父]とさえ言われている古代詩人となりもしている(下の出典紹介部を参照のこと)。


| 出典(Source)紹介の部90(6) |

 ここ出典(Source)紹介の部90(6)にあっては

[西洋古典古代文学作品にあって[冥界下り](『地獄篇』の主要モチーフ)を描いた代表的作品はホメロスの手になる『オデュッセイア』とヴェルギリウスの手になる『アエネーイス』の二作品となるのであるが(内、『オデュッセイア』はギリシャ期の代表的古典となり、同『オデュッセイア』は後者、ローマ期ラテン文学の源流的作品とも表される『アエネーイス』に内容込みで多大な影響を与えている作品となる)、両作品共々、[トロイア崩壊にまつわる作品]「とも」なり、また、[ダンテ『地獄篇』に多大な影響を与えている作品]ともなっているとのことがある]

とのこと ―ここ一連の流れにあっての指し示し事項― に関わるところとして

[ヴェルギリウスおよびヴェルギリウスの古典(『アエネイウス』)は欧州にての代表的文人および代表的古典となっている]

とのことの典拠を挙げることとする。

(直下、あまりにもありふれた基本的なところであるためにそれで十分かと判断、オンライン上より即時即座に確認できるところとしての英文Wikipedia[Aeneid]項目にての[Influence]の部の現行記載内容より一部抜粋するとして)

Influence)The Aeneid is a cornerstone of the Western canon, and early (at least by the 2nd century AD) became one of the essential elements of a Latin education, usually required to be memorized. Even after the decline of the Roman Empire, it "remained central to a Latin education".

「([影響力Influence]の節として)『アエネイウス』は[ウェスタン・カノン]にあっての試金石となる作品であり、初期、少なくとも紀元2世紀頃にはラテン語教養の必須要素の一つとなっており、普通は内容を覚えることが(往時の人間には)必要とされていたものである。ローマ帝国の崩壊後でさえ、同古典はラテン語教養(教育)の中枢にあるものとして位置し続けた」

(訳を付しての引用部はここまでとする)

 また、『アエネイウス』作者である古代詩人ヴェルギリウスが近代にあってからしていかように称揚されていたのか、 William Young Sellarという古典学者の手になる Project Gutenberg公開の著作 ― The Roman Poets of the Augustan Age― の記述内容も下に引いておくこととする。

(直下、 Project Gutenbergを通じて公開されてい19世紀著作 The Roman Poets of the Augustan Age(1877年初出:1897年第三版刊行/『アウグストゥス帝時代のローマ詩人ら』)にあっての CHAPTER II. Virgil’s place in Roman Literature(第二章ローマ文学にあってのヴェルギリウスの位置付け)よりの引用をなすとして)

His pre-eminence not only above all those of his own country, but above all other poets with the exception of Homer, was unquestioned in the ancient Roman world. His countrymen claimed for him a rank on a level with, sometimes even above, that of the great father of European literature. And this estimate of his genius became traditional, and was confirmed by the general voice of modern criticism. For eighteen centuries, wherever any germ of literary taste survived in Europe, his poems were the principal medium through which the heroic age of Greece as well as the ancient life of Rome and Italy was apprehended.

(訳として)「ヴェルギリウスの優位性というものは彼の同国人(イタリア;ローマ)の誰よりも上を行くのみならずホメロスを除きその他の世界中のどの詩人よりも上を行くとのこと、そのことは古代ローマ世界にあって疑問を呈するまでもないこととされていた。彼の同郷人(イタリア;ローマの向きら)はヴェルギリウスをしてそれ以上の存在、欧州文学の祖父と任じもしていた。そして、こうもしたヴェルギリウス才能にまつわっての見立ては伝統的なところとなっており、現代(訳注:表記著作が世に出ている19世紀)の批評家筋論調にあっての一般的ありようともなっている。一八世紀もの間(1800年間)、ヨーロッパにて文学的嗜好が息づいていたとのどこにあってもヴェルギリウス詩作らが古代ローマおよびイタリアの生活が理解されるうえでのそれと同文にギリシャ英雄時代が理解されるうえでの主たる媒質となりもしていた」

(訳を付しての引用部はここまでとしておく)

出典(Source)紹介の部90(6)はここまでとする)



※出典の話から離れて[基本的なるところ]についての「一応の」補足として

 ここで[世界史関連の知識]を何ら有していない向きを想定して「一応、」述べておくも、欧州の文明 ―すなわち、今日の文明世界の基盤となっているところの文明― とは
次のi.からv.の如き流れ
を経て形成されているものであると日本の高校生らからして教育課程で[学習]させられることである(日本にても『世界史』を受験科目に選択すれば、「実に」基本的なところとして、下に羅列表記するような建て前上の人類史ありようについて大学に入る(意のまま、望むままの大学に入る)ために暗記を強いられるところとなる ――※「それを延々となすのはこれ狭量なり、これ愚なりの手合いばかりであろう/といったものは人に不快感を与えるだけで話芸にもならぬことであろうよ」といった当然の世間的評価が伴いがちなもの、そう、[微に入っての手前語り]なぞを(『そうしたもの愚にもつかぬ行為でも本稿それ自体の信用性の担保に資すれば、』との発想でもって)敢えてもなすが、本稿筆者は少年期、選択科目数が特段に多い(それもまた「えげつないことに」[従順に言われたとおりのことを能率的にやるとの人間]を選り分けるための参入障壁となっていると小僧の時分から見ていたわけだが)との国立大を「社会とおのれの魂の最適点と見たところでの折り合いを付けるために」確実に入学する必要があると判じていた関係上、理系科目と同様に[日本史][世界史]の双方(そして予備として用意していた[地理])にお受験プロパーのやりよう「でも」通暁している.そこに青年時代よりますます深化していったところの洋書和書問わずもの乱読多読の癖が相乗作用をきたし、[人間の文明の縦軸(時間軸)にあっての常識レベルの建前上の話]をも深くも浅くもなすことが(多くといった話はわざわざなす意味・必要もないことかとは思うが)そこそこになせるとの筋合いの者となりもする―― )

i.文明揺籃期。
[ギリシャ文明の(先発のエジプト隆盛文明や地中海隆盛文明の影響を受けながらもの)発展]→[ギリシャの東部、マケドニアに誕生したアレクサンダー大王によるインドに至るまでの征服活動による一大帝国の建立、そして、それに続く後のヘレニズム文化 ―往古ギリシャ文化と往古オリエンタル文化の融合文化― の成立]
との流れが[西洋文明の礎石]たるところとして存在している。

ii.上のi.の流れにて構築された文明が[後発のローマ帝国勃興]の中でローマ人に吸収されていった([ラテン語を基軸とするローマ帝国(後裔)文明の確立の過程]/その過程で[ギリシャの宗教]は[ローマの宗教]へと吸収されていった)。

iii.後、上のii.にあってのローマ帝国、欧州世界を僻遠の地を除きまるまる支配していたローマ帝国が[蛮族]と表されてのゲルマン人の侵入プロセスの中で徐々に衰退していった。

iv.上のiii.の進行過程でギリシャ他神教あらためローマ他神教に代わるものとして初期迫害を見ていたキリスト教のローマ帝国での国教化が進行。キリスト教を為政者公認の一神教として公認したローマ帝国が5世紀後半に滅尽滅亡を見た(正確には東西分裂しての西ローマ帝国の方がゲルマン人によって滅尽滅亡を見た)。その後の混乱期を経、西ヨーロッパではゲルマン領主が王と臣下の契約関係で緩やかに結合したフランク王国を主たる統治体としての暴力装置と教会権力とが癒着しての[封建時代]([狂信]と[封建領主らの暴力支配]と[移動の自由さえ有していないとの奴隷たる農奴を労働力としての農奴制]に支えられたいわゆる中世暗黒時代)に突入する。

v.その後、上にてのフランク王国内部の小競り合い・フランク王国に臣従しつつ勢威を高めていたゲルマン人の中のノルマン系一派(ヴァイキングと呼称される海洋交易民族)のイングランド侵攻(いわゆるノルマン・コンクエスト)などの推移を経ながら今日の領域国家の基礎がフランク王国よりの踏襲・変質を見ながら確立されていく。また、多少時代を巻き戻してのこととして、欧州でローマ帝国を侵略したゲルマン人の一派たるフランク人のフランク王国が今日にてのドイツ・フランスの所在地域を扼(やく)しながら教会権力(ローマ時代よりの宗教的権力)との蜜月関係を構築していたまさにその折たる7世紀前半に興ったイスラム勢力、すなわち、[ムハンマドとその後継者らの勢力]によって[唯一神アラーの教えをあまねくも地に広めるためのジハード(聖戦)]が敢行されるに至り、ペルシャ・アラブらの中東領域は新興のイスラム勢力の拠点へと変質。同イスラム勢力が拡大基調を呈しての中、ギリシャやイベリア半島の一部(今日のポルトガル・スペインの領域)までを蚕食、結果的にギリシャおよびローマ文明の名残りとなる知識体系が ―支配王朝は変転を見ることになったながらものこととして― ギリシャらを含む広大な領域に及ぶことになったイスラム圏内にて中世暗黒時代にも多く保持されることになる。後、イスラム圏に保持されることになったそうもした知識体系がキリスト教とイスラム勢力の対立(戦争)と結びつきもしての人間の移動の中、欧州に「再」流入し、12世紀より[後にルネサンスと呼ばれる古典古代の思潮を重んじての文化発展の流れ]が促されることになる。

 以上のi.からv.の基本的な流れ、ルネサンスに至る基本的な流れに続いての[大航海時代][絶対王政時代][近代市民革命期][列強帝国主義時代]を経て今日の文明世界の基礎が構築されていった。
 そうもした欧州文明成立のおおよそ大まかな流れの中でホメロス文物は[i.からii.の区間]にて(その時代の人間の思考方式・気風を決するものとして)多大な影響力を持っていたとのものとなり、それがv.のルネサンスの過程で今日に至るまでの欧米の文物に多大なる影響力をなすに至ったと述べられているところとなっている(ただし、ルネサンス後も欧州人の内面は最早、[ときに無体なこともやるとの人間的なる多神教の神々]の観念に対して「畏怖」しながらもの賛意を表するようなものではなくなり、[多神教時代の名残]を[一神教ドグマを容れきってのプログラム拘束的なる会衆]が「息が詰まらない」ようにものスパイスとして摂取してきた程度に留まっている節もある)
 他面、『アエネーイス』に代表されるローマ期古典の方についてはii.以降の流れでホメロス文物のようなギリシャ期文物と同様の誕生・評価・(ほぼ)忘却ないし評価減・再評価の流れを経ていたとのものになる。
 以上が[世界史]というものの常識的な流れ ――そこにて[モンキー・モデル(わざと劣った兵器を未開文明に高度文明が与えてご都合主義的なる戦いをほどよくなさせしめるとの式)に通ずる嗜虐的なる背景事情]がないと言えるのか、[家畜(あるいは本質的なことは一切自分自身で考えられないとの種別のロボット人間らでもいい)に与えられる「額面だけの」虚偽世界の由来にとどまる話としての性質]はないと言えるのか、といったことは敢えても述べずに伏せ、すくなくとも日本「でも」高校生程度が[学習]を強いられているところの一般教養のレベルで納得なせるとの世界史というものの常識的な流れ―― というものとなる)。


 さて、欧州文明がそこに大なるところとしての淵源を持つローマ帝国、その「全ての道はローマに通ず」との文明の要衝にあったローマにての[教養の中心]となっていたとされる(先述のようにそうも評される)作品たる『アエネーイス』がいかにホメロス叙事詩『オデュッセイア』と結びついているかについて言及するが、次のような観点で『アエネーイス』とホメロス古典は結びついていると述べられる。

 第一。
 ホメロス叙事詩『オデュッセイア』とは

[[木製の馬の計略考案]でトロイアに引導を渡した男たるオデュッセウスがトロイア戦争後、漂流を強いられ、艱難辛苦の冒険を強いられるとの内容の作品

である(:ホメロス『オデュッセイア』粗筋については「あらためて」下にて呈示することとした出典(Source)紹介の部90(8)を参照のこと)。

 対して、ヴェルギリウス叙事詩『アエネーイス』とは

トロイア崩壊の後、例外的に生き残ったトロイア側の有力武将たるアエネーアース(アイネイウス)が艱難辛苦の旅を強いられる(そして後に[ローマ]となる領域国家をヘスペリア(Hesperia)と表されもしてきたイタリアに建立する ――(ローマ人に流布された史観では自分たちがトロイアの民の後裔でもあるとするとのものがあり、その伝ではオオカミに育てられたローマの伝説上の建国者たるロムルスとレムスの兄弟もアイネイウスとその細君ラヴィニアの子孫とのことになる)―― )]

との筋立ての話(フィクション)である(:『アエネーイス』粗筋については下に表記の出典(Source)紹介の部90(7)を参照のこと)。

 お分かりだろうが、

「(攻め手・守り手と違いはあるが)トロイア戦争の関係者が
艱難辛苦の旅を強いられる

との式でホメロス『オデュッセイア』とヴェルギリウス『アエネーイス』は一致性を見ている。

 第二。(ここからが一致性がさらに際立っているところなのだが)、ホメロス『オデュッセイア』もヴェルギリウス『アエネーイス』も

[主人公らが同種の怪物達と遭遇し苦しめられる]
[同じくも作中主人公らが[未来への洞察]を得るために冥界下りをなしている]

との内容を有している作品となる(:『オデュッセイア』主人公オデュッセウスが一つ目のサイクロプスや渦潮の怪物カリュブディスらに苦しめられているように『アイネイアス』主人公アイネイウスも全く同一の怪物ら、サイクロプス・カリュブディスらに苦しめられているとの作品となる。そして、オデュッセウスもアイネイアスも[未来を知って指針を得る]ために死者らの領域に赴いている)。

 煩瑣であるとは思うのだが、表記のことの出典をこれより挙げることとする。


| 出典(Source)紹介の部90(7) |

 ここ出典(Source)紹介の部90(7)にあっては

[トロイア伝承関連のローマのヴェルギリウス古典『アエネーイス』(先述したように古代ローマ文明の中枢古典)がトロイア伝承関連のホメロス古典『オデュッセイア』(先述したように古代ギリシャ文明の中枢古典)の影響下にあること]

についての一般的な言われようを紹介しておくこととする。

 基本的なところとして和文ウィキペディア[アエネーイス]項目にての現行の記載を抜粋しておく。

(直下、和文ウィキペディア[アエネーイス]項目にての現行の記載よりの抜粋として)

構成はホメーロスの『イーリアス』と『オデュッセイア』に範を取っている。すなわち、前半部分(1-6巻)の、アエネーアースがイタリアにたどり着くまでに放浪を続ける箇所が『オデュッセイア』的であり、後半部分(7-12巻)の、イタリアにたどり着いたアエネーアースが、土着の勢力と戦う箇所が『イーリアス』的であるとされる。前半部についてはアエネーアースにオデュッセウスが投影されていることは明らかであるが、後半部については『イーリアス』の様々な英雄の属性が投影されている

(引用部はここまでとする ―※― )

[※1:上について一応、補っての表記として]
 本稿でも先の段にて呈示しているように(上にての引用部で言及されている)ホメロスの『オデュッセイア』も『イーリアス』も[トロイア戦争関連の物語]となる古典である。
 につき、本稿の先の段で古典名称『イリアス』(英文呼称イリアッド.語感としては the Song of Ilionことイリオンの歌といった意味合いのタイトル)と結びつく[イリオス]という語が[トロイア]を指す地名のことであり、については、基本的かつ流布されている媒体で ――和文ウィキペディア[イリオス]項目より本稿の先の段(出典(Source)紹介の部56)にて抜粋したところとして―― 
かつてイリオスのある地域は、スカマンドロス河とニュンペーのイダイアの子であるテウクロス(テラモンの子テウクロスとは別)が王として治めており、テウクロイと呼ばれていた。そこへアトラスの娘エレクトラにゼウスが生ませた子であるダルダノスがサモトラケ島からやってきた・・・(中略)・・・ダルダノスの後はエリクトニオルスが相続した。エリクトニオスの後はトロスが継いだ。トロスは、自分の名にちなんでダルダニアの地をトロイアと呼ぶことにした
(引用部はここまでとする)
との解説がなされているとおりである。
 また、上に見るダルダヌスの地、ダルダニアが転じてのトロス(トロイア)の地が『アエネーイス』主人公のアイネイウスの出身地であること、アイネイウス(伝説上のローマ領域国家の祖)が表記の引用部に見るダルダヌスの後裔としての落ち延びたトロイア側の有力武将であることは即時に確認いただけるとの性質の話である)

(※2:上について一応、補っての表記として
『アエネーアース』が先行するところのホメロス叙事詩(『オデュッセイア』および『イリアス』)の影響を受けているのはその冒頭部からしてそうだとの見解も呈されており、たとえば、先だってもそこよりの引用をなしたとの Project Gutenbergを通じて公開されている19世紀著作 The Roman Poets of the Augustan Age(1877年初出:1897年第三版出版/『アウグストゥス帝時代のローマ詩人ら』)にあっては The double purpose of the Aeneid, and its contrast in this respect with the Homeric poems, is further seen in the statement of the motives influencing the Divine beings by whose agency the action is advanced or impeded. As in the opening paragraph Virgil had the opening lines of the Odyssey in view, in the second, which announces the supernatural motive of the poem Musa, mihi causas memora, quo numine laeso— / he had in view the passage in the Iliad beginning with the line / τίς τ’ ἄρ σφωε θεῶν ἔριδι ξυνέηκε μάχεσθαι;(大要として)「叙事詩『アイネイウス』ありようにあってのホメロス叙事詩とのこの式における対称性は神なる存在らの進退姿勢に働きかけるが如くのやりよう、『アイネイウス』冒頭第一文からヴェルギリウスがミューズに語りかけるとの式(詩吟の神ミューズに語りかけ詩の代弁をなさしめるよう求めるとのインヴォケーションの式)をホメロス叙事詩『イリアス』の最初部の文言、 τίς τ’ ἄρ σφωε θεῶν ἔριδι ξυνέηκε μάχεσθαιに倣ってなしてそれを冒頭行に据え置いているとのことにもさらにもって見てとれる」 といった表記がなされているところとなる)

出典(Source)紹介の部90(7)はここまでとする)


 次いで、上にて表記の和文ウィキペディアよりの抜粋部にあって記載されているところ、繰り返すが、

[(ヴェルギリウスの『アエネーアース』にあっての)構成はホメーロスの『イーリアス』と『オデュッセイア』に範を取っている。すなわち、前半部分(1-6巻)の、アエネーアースがイタリアにたどり着くまでに放浪を続ける箇所が『オデュッセイア』的であり、後半部分(7-12巻)の、イタリアにたどり着いたアエネーアースが、土着の勢力と戦う箇所が『イーリアス』的であるとされる]

にあっての

[『アエネーアース』←→(類似性発露)←→『オデュッセイア』]

との部を(古典の英訳版からそれぞれ該当部抽出することで)呈示しておく。


| 出典(Source)紹介の部90(8) |

 ここ出典(Source)紹介の部90(8)にあっては、

[西洋古典古代文学作品にあって[冥界下り](『地獄篇』の主要モチーフ)を描いた代表的作品はホメロスの手になる『オデュッセイア』とヴェルギリウスの手になる『アエネーイス』の二作品となるのであるが(内、『オデュッセイア』はギリシャ期の代表的古典となり、同『オデュッセイア』は後者、ローマ期ラテン文学の源流的作品とも表される『アエネーイス』に内容込みで多大な影響を与えている作品となる)、両作品共々、[トロイア崩壊にまつわる作品]「とも」なり、また、[ダンテ『地獄篇』に多大な影響を与えている作品]ともなっているとのことがある]

とのこと ―ここ一連の流れにあっての指し示し事項― に関わるところとして

[『アエネーアース』←→(類似性発露)←→『オデュッセイア』の問題に関わるところの古文献記述内容]

のことを典拠として挙げることとする。

(直下、 Project Gutenbergのサイトにて誰でも閲覧・取得できるとの THE ODYSSEY OF HOMER ―― William Cowper(18世紀ロマン主義派英国詩人)の手になるホメロス『オデュッセウス』訳―― よりの抜粋として)

BOOK IX ARGUMENT
Ulysses discovers himself to the Phaecians, and begins the history of his adventures. He destroys Ismarus, city of the Ciconians; arrives among the Lotophagi; and afterwards at the land of the Cyclops. He is imprisoned by Polypheme in his cave, who devours six of his companions; intoxicates the monster with wine, blinds him while he sleeps, and escapes from him.

(補ってもの訳として)
[第9巻(第九歌と和文では表されがちである)要約]
ユリシーズ(オデュッセウスのラテン語表記ウリュッセウスがさらに転化しての呼称)はパイアキス人の地に自身がいるのを見出し、そして、彼の冒険の顛末を語り出した。彼、オデュッセウスはイスマロス、キコニアン人(注:ホメロス版トラキア人)の都市を破壊したこと、その後、蓮食い人(注:ロータスパゴイ.蓮を食して常に酩酊しているとの伝説上の民)の地に到達したこと、そして、後、一つ目巨人サイクロプスの地に至った(とのことをパイアキス人らに説明した)。 オデュッセウスはポリュペーモス(一つ目巨人サイクロプスのうちの一体)、彼の航海の同道者を6人ほど食らった存在によって洞穴に囚われ、の際に、怪物をワインで酩酊させ、それが眠っている間に目を潰し、そして、同存在から逃れた(とのことをパイアキス人らに語った)。

(訳を付しての引用部はここまでとしておく)

(直下、同じくも、 Project Gutenbergのサイトにて誰でも閲覧・取得できるとの THE ODYSSEY OF HOMER ―― William Cowper(18世紀ロマン主義派英国詩人)の手になるホメロス『オデュッセウス』訳―― よりの抜粋として)

BOOK XII ARGUMENT
Ulysses, pursuing his narrative, relates his return from the shades to Circe’s island, the precautions given him by that Goddess, his escape from the Sirens, and from Scylla and Charybdis; his arrival in Sicily, where his companions, having slain and eaten the oxen of the Sun, are afterward shipwrecked and lost; and concludes the whole with an account of his arrival, alone, on the mast of his vessel, at the island of Calypso.

(補っての訳として)
「[12巻要約] 
 ユリシーズは(パイアキス人に対して)彼の物語を続け、[影らの領域](注:第11巻の舞台となる影と化しての死者らの領域)から[魔女キルケの島]への帰還へとつなげ、さらに、(キルケによってなされた)事前警告、そして、[サイレンら](注:人面鳥身の怪物ら)魔手よりの逃亡、[スキュラ](注:上半身が女で下半身が複数の顔を持つ猛犬との怪物)および[カリュブディス](注:渦潮の怪物)よりの逃亡、[シシリア島に到達、そこで彼の船旅の同道者らが太陽神の牛を屠殺・食したがために(神罰によって)後に座礁・消失の憂き目を見たこと]へと話をつないでいき、そして、カリュプソの島に彼の船のマストにつかまってたった一人到達したことを結論づけるべくもの話として語った」

(引用部の訳はここまでとしておく)

 ここまでで

オデュッセウス(ユリシーズ)は古典『オデュッセイア』にて[一つ目巨人]と遭遇し、[サイレン][スキュラ][カリュプディス]らとの怪物に悩まされることになった

との典拠を挙げたわけだが、

オデュッセウスが降霊術によって死者の領域を訪れた

とのことをもさらに(それもまた『アエネーイス』との同質性に関わるため)呈示しておく。

(直下、英文Wikipedia[Necromancy]項目にあっての現行記載内容よりの抜粋をなすとして)

The oldest literary account of necromancy is found in Homer’s Odyssey. Under the direction of Circe, a powerful sorceress, Odysseus travels to the underworld (katabasis) in order to gain insight about his impending voyage home by raising the spirits of the dead through the use of spells which Circe has taught him. He wishes to invoke and question the shade of Tiresias in particular; however, he is unable to summon the seer's spirit without the assistance of others. The Odyssey's passages contain many descriptive references to necromantic rituals: rites must be performed around a pit with fire during nocturnal hours, and Odysseus has to follow a specific recipe, which includes the blood of sacrificial animals, to concoct a libation for the ghosts to drink while he recites prayers to both the ghosts and gods of the underworld.

(訳として)
「最も古き降霊術(ネクロマンシー)への文献上での言及はホメロスの『オデュッセイア』に認められる。力を持った魔女キルケの案内の下、オデュッセウスはキルケが彼に教えた術の使用を通じ、死者ら霊魂を呼び出すことで差し迫っての彼の故郷への航海にての洞察を(死者らに助言を求めて)得るために地下の国(katabasis)へと赴く。オデュッセウスは殊にテイレシアース (注:スフィンクスの謎かけでも有名なオイディプス王にまつわるギリシャ悲劇、そこでも予言者として登場したギリシャ古典にあっての代表的予言者) の影たる霊魂を呼び出し、その霊魂に質問をなすことを望んでいた。 が、オデュッセウスは助力なくして予言者(テイレシアース)の霊魂を呼び出すことはできなかった。 叙事詩『オデュッセイア』のその下りは降霊術儀式らの事細かな描写的記述を多々含んでいる。 儀式は夜間、火で照らしての穴の周辺にて行われなければならないこと、地下世界(冥界)の霊らと神々に対する祈祷を暗唱している間、霊らが飲むための捧げ物として調理すべくもの動物の血を含む特定のレシピに従わねばならなかった、とのことらがそうである」

(引用部の訳はここまでとしておく)

 ここまででもって(古典の近代英訳本に見る要約部および英文ウィキペディア記述の記述を通じて)次のことが申し述べられること、呈示した。

[叙事詩『オデュッセイア』にてはオデュッセウスが一つ目巨人サイクロプス(ポリュペーモス)に襲われ、サイレンやスキュラ、そして、渦潮の怪物カリュブディスといった存在らの魔手から逃れ、また、そうした冒険の途上、降霊術を行うとのかたちで(地上にしばしば現出を見た)冥界にも足を運んでいると描かれている]

 続いて、上記の『オデュッセイア』内容とヴェルギリウス ――『神曲;地獄篇』にダンテ同道者の亡霊として登場するとのローマ期の詩人となっているとの存在(後述)でもある―― の手になるローマ期古典『アエネーイス』が類似性を有していることを示す典拠を挙げておくこととする。

(直下、英文wikipedia[Aeneid]項目(『アエネーイス』項目)にての Journey to Italy ( books 1-6 )の部より掻い摘まんでの引用をなすとして)

(前半部省略)
Heading into the open sea, Aeneas leaves Buthrotum, rounds Italy's boot and makes his way towards Sicily (Trinacria). There, they are caught in the whirlpool of Charybdis and driven out to sea. Soon they come ashore at the land of the Cyclops. There they meet a Greek, Achaemenides, one of Ulysses' men, who has been left behind when his comrades escaped the cave of Polyphemus. They take Achaemenides on board and narrowly escape Polyphemus.
[ . . . ]
In Book 6, Aeneas, with the guidance of the Cumaean Sibyl, descends into the underworld through an opening at Cumae; there he speaks with the spirit of his father and is offered a prophetic vision of the destiny of Rome.

(訳として)
「大洋の方向へと帆を向け、アイネイウスはブトロトゥム(注:今日のアルバニアに該当する一地域)を後にし、イタリアの足(ブーツ)を迂回、シシリー(トリナクリア)に向けて道筋を定めた。そこで彼ら一行は渦潮の怪物カリュブディスに足を取られ、海へと引きづりこまれそうになる間を経ずに彼らはサイクロプスの地の岸辺にたどり着く。そこにて彼らはアカエメニデス、ユリシーズの配下の者で彼の同士らがポリュペーモス(一つ目巨人)から逃げた折、取り残されることになった男と出会うことになる。彼らはアカメニデスを加え、ポリュペーモス魔手より狭き道を逃げることになる。
・・・(中略)・・・
第六の巻にてアイネイウスはクマエのシビュラの案内でもってクマエの入り口から冥界に下るそこにて彼は父の霊と語りあい、もって、(将来、アイエイウスの子孫が建立する)ローマの運命について予言的なヴィジョンを与えられることになる

(訳を付しての引用部はここまでとする.尚、『アエネーイス』については岩波文庫より二巻本構成ででている邦訳文庫版を隅々まで目を通して検討している人間として申し述べるが、ここにて抜粋している英語ウィキペディア[Aeneid]項目に誤記の類はないと申し述べられる)

 以上、抜粋なしてきた部に見るようにラテン文学の代表的古典とされる(そうした世評を指し示すべくもの材料も先に挙げている)『アエネーイス』はホメロス『オデュッセイア』と

[全く同種の怪物達(一つ目巨人のポリュペーモスや渦潮のカリュブディス)と遭遇しその魔手から逃れる]
[同じくも作中主人公が[未来への洞察]を得るために冥界下りをなしている]

との側面を共有している物語となっている(:ただし『オデュッセイア』が冥界を地上に再現するものであるのに対して『アエネーイス』は冥界に直に下っている)。

 長くもなったが、これにて

[トロイア関連の古典としての際立っての類似性を呈しての側面]

がギリシャ期古典『オデュッセイア』([ウェスタン・カノン]と呼ばれる一群の欧州文明にとっての最重要文物らの中にあって源流的作品となっている一作)およびローマ期古典『アエネーイス』(ウェスタン・カノンと呼ばれる一群の欧州文明にとっての最重要文物にあってラテン語文学の代表作となっている作品)らに共有されていることを指し示した。

出典(Source)紹介の部90(8)はここまでとする)


 さて、ここまで問題視なしてきた『アエネーイス』の方の作者ヴェルギリウスがダンテ『神曲』にての地獄での案内役となっているとのことがある。

 ダンテ『神曲;地獄篇』(及び『煉獄篇』)にあっては

[キリスト教が勃興する前の時代の人間かつ未洗礼者であり偉人たりといえども[異教徒の魂]としてヴェルギリウスは天国に入れず、彼の魂は他の古典古代の偉人らと地獄の辺獄(リンボ)に据え置かれており、といった霊体としてのヴェルギリウス(英語版呼称ではヴァージル)がダンテ初恋の人にして『神曲』にて神々しき純粋善の体現者との設定の存在とされている貴婦人ベアトリーチュの請願を受けてダンテの地獄巡りおよび煉獄巡り(天国巡りは除外される)の案内人に抜擢されたとの作中設定]

が採用されているのである。


| 出典(Source)紹介の部90(9) |

 ここ出典(Source)紹介の部90(9)にあっては

[『神曲;地獄篇』では作者ダンテに師として慕われてのヴェルギリウスが[地獄巡りの案内人]として登場してくる]

とのことにまつわっての基本的な解説のなされようを引いておくこととする。

(直下、『地獄篇』の上の通りの冒頭部粗筋についてここでは即時即座に確認出来るところの和文ウィキペディア[神曲]項目よりの抜粋をなすだけで十分と判断、同項目よりの抜粋をなすとして)

西暦(ユリウス暦)1300年の聖金曜日(復活祭直前の金曜日)、人生の半ばにして暗い森に迷い込んだダンテは、地獄に入った。作者であり主人公でもあるダンテは、私淑する詩人ウェルギリウスに案内され、地獄の門をくぐって地獄の底にまで降り、死後の罰を受ける罪人たちの間を遍歴していく。ウェルギリウスは、キリスト以前に生れたため、キリスト教の恩寵を受けることがなく、ホメロスら古代の大詩人とともに未洗礼者の置かれる辺獄(リンボ)にいたが、ある日、地獄に迷いこんだダンテの身を案じたベアトリーチェの頼みにより、ダンテの先導者としての役目を引き受けて辺獄を出たのである。

(引用部はここまでとする)

(直下、和文ウィキペディア[ウェルギリウス]項目よりヴェルギリウスが『地獄篇』『煉獄篇』にて何故、案内役として登場してきているのか、『神曲』作者意図(ダンテ意図)として一般に解説されているところを引く)

ウェルギリウスはダンテ・アリギエーリに大きな影響を与えている。ダンテは『神曲』においてウェルギリウスを自分の詩の根源として称え、主人公ダンテの「師」として案内役に登場させた。二人の詩人は地獄・煉獄の2つの世界を遍歴していく。

(引用部はここまでとする)

 上にて示していることからも窺えるように[冥界下り]をモチーフとするダンテ『地獄篇』については

[[冥界下り]「をも」モチーフとしている叙事詩『アエネーイス』、その執筆を含むヴァージル(ヴェルギリウス)の文筆活動の影響を強くも受けており、それがためにヴェルギリウス(『アエネーイス』作者)がダンテの地獄巡りに師父として慕われる存在として同道している]

との一般的理解がなされているとのことがある(:ヴェルギリウスがダンテの案内人として[冥界下り]をなしているとのところに結節点としての特性が強くも表れている。ちなみにヴェルギリウスの代表作である『アエネーイス』(先述のようにトロイア後日譚がいかようにローマの礎に繋がっているかを描写している古典)は全12巻よりなるとの作品で、冥界下りはそのうち、第6巻が割かれているとのものとなる。12巻の内の1巻となると「文量的には少ないのでは.」ととらえる向きもあるかも知れないが、(イメージしやすくも述べるとし)、手前が(ラテン語からの)英訳版と並んで読了しているとの邦訳版、上下二冊に分かれての邦訳版の岩波文庫より出されている『アエネーイス』からして80ページ近くがその[冥界下り]に関する部に割かれており(手前の検討した邦訳文庫版では345頁から434頁がその部に相当)、決して[文量的に少ないところ]からこじつけているわけではない。尚、『アエネイウス』の冥界下りに関しては[トロイアよりの落人アイネイアスが未来に歩む道、そして、その結果、誕生したローマが歩む道が「克明に予言」されている]との伝で[冥界下りによって未来を知る]とのモチーフによって『オデュッセイア』に見る冥界下り(先述のようにオイディプス王などにまつわる予言で有名な予言者テイレシアースの助言を求めての冥界下り)と共通するところが多分にあり、そこからして複数古典が有機的に結びついていることが観念できるようになってもいる ――お分かりか、とも思うのだが、ここでの話は愚にもつかぬ文学談義をぶってのものでもなければ、知識をひけらかさんとするペダン(論証などに必要であるといった以上に学識を鼻にかけるとの[衒学家]などと漢字表記されて愚物視される人間類型)としての話をなしているわけでもない。そうしたこと「さえも」が[相応の最期を進呈しようとの計画性実在の具体的かつ多重的指し示し]に関わるところがある、その指し示しが我々全員の生き死に関わる、との認識で苦痛を伴う中、労をとってわざわざ細かくも筆を割いているのである―― )。

出典(Source)紹介の部90(9)はここまでとする)


 以上呈示してきたように、

「冥界下りにて「も」通じあうとの式で酷似した内容を有するヴァージル『アエネーイス』とホメロス『オデュッセイア』(および『イリアス』)の関係から[『オデュッセイア』→『アエネーイス』→『神曲;地獄篇』]との関係性もが濃厚に想起される」

ようになっている。

 ダンテ『地獄篇』近代刊行版に19世紀活動の芸術家ギュスターブ・ドレが提供した挿絵よりの抜粋。挿絵に見るようにダンテは『地獄篇』地獄巡りにあって始終、ヴェルギリウス(ウェルギリウス)の案内を受けることになっていた(上にて目に付くところからの引用をなしているとおり)。
 ちなみに、上掲の図は
CantoX(第10歌)にあっての[異端者の地獄]で[キリスト教にとっての異端者]が業火猛り狂う墓穴に閉じ込められ、永劫の苦しみを味あわされるさまを描いたもの]
となる ――尚、[余談めくも、の話]というより[余談そのもの]となるが、ダンテの時代のキリスト教ドグマに支配されたやりようを受けている、でなければ、ドグマチックな思考法を反対話法で嗤うとの底意地の悪いブラックユーモアがかった側面が具現化しているとの『地獄篇』側面が上の挿絵に関わるところに見てとれもするようなところがある。 その点、『地獄篇』にあっては[ヴェルギリウスはキリスト教を奉じていないとの人間であるが、ヴェルギリスがキリスト「生誕」以前に没した人間であるため、死後、辺獄(リンボ)に置かれ、ダンテの案内をなすぐらいの余裕をもっての死後のありようを呈していた]との作中設定が採用されている(直近にての引用部に表記されている通りのよく知られた『地獄篇』作中設定でもある)。といった[ヴェルギリウスはキリスト前の人間であるから罪に問われない]との設定が採用されている一方でのこととして、呈示の図にて描かれているシーン、異端者が業火渦巻く墓穴の中に永劫に閉じ込められるとのシーンに関わるところとして、異端者の地獄の受刑者の中には「魂は肉体の死と共に滅亡する」との観念を「古代にあって」唱道していたエピクロスおよびその思潮の崇拝者が含まれている、その教義、魂の不滅性を認めなかったとの教義ゆえに含まれているなどと描写されているとのことがある(については現行の英文Wikipedia[Epicureanism]項目の In Dante's Divine Comedy, the Epicureans are depicted as heretics suffering in the sixth circle of hell. In fact, Epicurus appears to represent the ultimate heresy.「ダンテの『神曲』にてはエピクロス主義者は地獄の第六圏(異端者の地獄)で罪を受けている異端者らとして描写されている。実際、エピクロス彼自身も究極の異端の罪を体現した存在としてその場にて描かれている」との記述程度のものから「も」確認なせるところとなっている)。エピクロスはキリスト以前(要するに「紀元前」、B.C.( Before Chirist )の時代)に生きたと伝わっているわけであるから本来ならば、エピクロスもヴェルギリウスVirgilと同様同文に地獄の辺獄リンボLimboに拷問なくして据え置かれているとの式が理の流れとなると受け取れるのであるが、であるにも関わらず、彼エピクロスは教義と矛盾することを過去に唱道していたために異端者の地獄で永劫の苦痛渦巻く墓穴入りを強いられている。そこが性質が悪い、(法律施行前に犯した罪を後に施行された法律によって罰せられるような式で)永劫の拷問を喰らうことになっているとの設定が採用されているとのことに加えて『地獄篇』そのもののありよう、[時が止まったがようなブラックホール類似のもの(その描写が実に奇怪なるもの)の中での死ねぬ魂らに対する永遠永劫の拷問]を濃厚に作品のモチーフとしているとのありようから見て性質が悪いと述べるのである。矛盾論理(直近述べたところのヴェルギリウスとエピクロスへの対応の違いに見る論理矛盾)を含む、それでいて奇怪な特性を帯びているとの作品にあって[魂の不滅]が強くも容れられている一方でそれは[罪ある(と認定された)魂への永劫の呵責・断罪]の理念の容認でもある....述べたいことはお分かりいただけるであろう。閑話休題―― 

 ここまでの内容でもってして

[西洋古典古代文学作品にあって[冥界下り](『地獄篇』の主要モチーフ)を描いた代表的作品はホメロスの手になる『オデュッセイア』とヴェルギリウスの手になる『アエネーイス』の二作品となるのであるが(内、『オデュッセイア』はギリシャ期の代表的古典となり、同『オデュッセイア』は後者、ローマ期ラテン文学の源流的作品とも表される『アエネーイス』に内容込みで多大な影響を与えている作品となる)、両作品共々、[トロイア崩壊にまつわる作品]「とも」なり、また、[ダンテ『地獄篇』に多大な影響を与えている作品]ともなっているとのことがある]

とのことの典拠の指し示しを終える。

 直近[5-a]と振っての段にて示してきたことを前提にしたうえで([ホメロス『オデュッセイア』はラテン文学の源流的作品とも表されるヴェルギリウス『アエネウス』に内容込みで多大な影響を与えており、『オデュッセイア』『アエネーイス』両作品共々、[トロイア崩壊にまつわる作品]「とも」なり、また、[ダンテ『地獄篇』に多大な影響を与えた作品]ともなっている]とのことを前提にしたうえで)、ここ[5-b]と振っての段では

[ダンテ『地獄篇』に多大な影響を与えているホメロス『オデュッセイア』(ギリシャ期代表的古典)とヴェルギリウス『アエネーイス』(ローマ期ラテン文学の源流的作品)の両作品は[トロイア崩壊と関わる作品]であるとのことは直上にて表記したが、それら『オデュッセイア』『アエネーイス』の西洋代表的古典がそれにまつわるものである[トロイア崩壊]の原因と[ヘラクレス11番目の功業]及び[ヘラクレス12番目の功業]が深く多重的に記号論的結節関係を呈しているとのことがある](:につき、直上表記の[『オデュッセイア』『アエネーイス』両古典→(多大な影響を与える)→ダンテ『地獄篇』]との関係性にあっての意味合い[『オデュッセイア』『アエネーイス』両古典←→(トロイア崩壊の原因を介しての記号論的つながりあいが存在)←→ヘラクレス11功業/ヘラクレス12功業]との関係性との兼ね合いで問題になる)

とのことにつき「まずもって」指摘しておくべきであるととらえるところを摘示することとする。

 その点、

[『オデュッセイア』と『アエネーイス』がそれをモチーフとしているところのトロイア戦争]

が[黄金の林檎]によって勃発したものであるとの伝承上の[設定]が存在していることは本稿の先の段で論じ尽くしているとのことである(※)。


(※振り返っての表記として本稿にての出典(Source)紹介の部39で引用・呈示したことを再度、ここにて挙げておくこととする。

 直下、

THE AGE OF FABLE(一世紀以上にわたって米国人の神話理解のための標準書となっていたとされるトマス・ブルフィンチ(日本でもその騎士道ロマンスにまつわる書籍などが岩波書店なぞから翻訳、刊行されているとの19世紀米国の代表的文人 Thomas Bulfinch)の手になる書.岩波書店や講談社学術文庫など出版元を異にして邦題を異にしての複数訳書が存在)

とのオンライン上より誰でも確認できるとのソース(著作権喪失著作を公開しているとの Project Gutenbergのサイトを通じて誰でも全文ダウンロードできるとのソース)に認められるところの記述を再度、引いておくこととする。

Project Gutenbergのサイトにて公開されている BULFINCH'S MYTHOLOGY THE AGE OF FABLE ―― Rev. E. E. Haleとの人物による編による版―― にての Chapter XXと付されての部より「再度の」引用として)

Minerva was the goddess of wisdom, but on one occasion she did a very foolish thing; she entered into competition with Juno and Venus for the prize of beauty. It happened thus: At the nuptials of Peleus and Thetis all the gods were invited with the exception of Eris, or Discord. Enraged at her exclusion, the goddess threw a golden apple among the guests, with the inscription, "For the fairest." Thereupon Juno, Venus, and Minerva each claimed the apple. Jupiter, not willing to decide in so delicate a matter, sent the goddesses to Mount Ida, where the beautiful shepherd Paris was tending his flocks, and to him was committed the decision. The goddesses accordingly appeared before him. Juno promised him power and riches, Minerva glory and renown in war, and Venus the fairest of women for his wife, each attempting to bias his decision in her own favor. Paris decided in favor of Venus and gave her the golden apple, thus making the two other goddesses his enemies. Under the protection of Venus, Paris sailed to Greece, and was hospitably received by Menelaus, king of Sparta. Now Helen, the wife of Menelaus, was the very woman whom Venus had destined for Paris, the fairest of her sex. She had been sought as a bride by numerous suitors, and before her decision was made known, they all, at the suggestion of Ulysses, one of their number, took an oath that they would defend her from all injury and avenge her cause if necessary. She chose Menelaus, and was living with him happily when Paris became their guest. Paris, aided by Venus, persuaded her to elope with him, and carried her to Troy, ・・・(以下略)

(訳として)
「ミネルバ(女神アテナ)は智惠の女神でもあったわけだが、ある機会にて彼女はユーノー(女神ヘラ)、そして、ヴィーナス(女神アフロディテ)との美人競争に参加するとのとてつもない愚行をおかした。
 それはこのように起こったことである。
[ペレウスとテティスの婚礼の儀の折、その場には不和の女神たるエリス以外の全ての神々が招かれた。自身の排斥に激怒、不和の女神エリスは来賓らの間に「最も美しきものへ.」と記された[黄金の林檎]を投げ入れた。その挙を受け、ユーノー(ヘラ)、ヴィーナス(アフロディテ)、そして、ミネルヴァ(アテナ)は各々、林檎を我が物であると主張しだした。ジュピター(ゼウス神)はそのようなデリケートな問題を決するのに乗り気ではなく、それら三女神らを見目麗しきパリスが羊飼いとして羊の群れの世話をしていたとのイーデー山へと送る、[誰が最も美しいかを決させしめるべくもの役割]を負わせてのパリスの元へと送ることとした。女神らはそれがゆえにパリス面前に現われ、各々が勝利の熱情に駆られながらパリスにバイアスがかかった裁決を下させるべくも試み、ユーノー(ヘラ)はパリスに権力・富を(彼女を勝たせる対価に)与えると提案、ミネルバ(アテナ)は栄光と戦にての名声を与えると提案、そして、ヴィーナス(アフロディテ)は彼の妻に最も見目麗しき女を与えると提案した
 パリスはヴィーナスを支持することにし、彼女に
[(美人コンテストの勝者の証となっていた)黄金の林檎
を与えることにした
ため、他の二柱の女神は彼パリスの[敵]へと変ずることになった。
 ヴィーナス(アフロディテ)の庇護の下、パリスはギリシャに向けて船出し、そして、そこにてスパルタ王であったメネラオス王の歓待を受けることになった。その当時、メネラオス王の妻に収まっていたとのヘレンはその美に秀でての女ぶりよりヴィーナスがパリスのものになるとの運命を与えたまさにもの女であった。(それに先立つところとして)彼女ヘレンは[数多の婚約希望者に「花嫁に、」と求められていた存在]となってもおり、のような中、ヘレンが夫たる者を決する前に婚約希望者らはユリシーズ(オデュッセウス)の提案で(ヘレンの夫となった人間と他の婚約希望者らとの後々の禍根を断つためもあって)[必要となれば、全ての暴力・彼女の歩んだ道に対する復讐からヘレンを守る]との誓約をなしていた。彼女はメネラオスを選び、パリスが彼らの客としてその場を訪れるまで幸せに暮らしていた。ヴィーナス(アフロディテ)による助力を受けていたパリスはヘレンに彼と駆け落ちすることを説得しおおせことが出来るようになっており、彼女をトロイアに連れ出した ―以下略― (後、オデュッセウスがギリシャ諸侯にヘレン絡みで取り交わすことを提案していた誓約に縛られていたためにギリシャ有力諸侯がこぞって参加してのヘレンの(元)夫たるメネラオスの兄アガメムノン王を盟主とする大量のギリシャ勢、アキレウスを最強の力を持った戦士として結集したギリシャ勢がトロイアに来襲することになったというのがトロイア戦争開戦を巡る顛末となる)

(ここまでを訳を付しての引用部とする)

 以上に見るように[黄金の林檎が勝者の証]となっているギリシャ神話の主要な三女神らがエントリーしていたとの美人コンテスト、その場に審判者として招聘されたパリス(トロイア皇子)が

[絶世の美女として知られていたヘレネー(ヘレン)の獲得]

を買収の条件、アフロディテを勝者とする買収の条件として受け入れ、黄金の林檎(不和の女神の投げ入れた黄金の林檎)をアフロディテに手渡したこと、その結果(パリスによるヘレン略取)に既にヘレネーの夫となっていたギリシャのスパルタ王たるメネラーオスが怒り、すなわち、メネラオースの兄たるアガメムノン王を総指揮官にしてのギリシャ諸侯のトロイア攻め、パリスが王子としてロイヤル・ファミリーで重きをなすことになっていたトロイアの攻囲戦が開始されたとの運びとなっているわけである。

(本稿出典(Source)紹介の部39にて挙げたトロイア崩壊をもたらす契機となったとの黄金の林檎を巡るパリスの審判にまつわる図の再掲) 図の上の段はスペイン人画家エンリケ・シモネ( Enrique Simonet )の手になる20世紀初頭のパリスの審判を描いての画となり(黄金の林檎を美の象徴として求めての女神らが自身の美を審判役たるパリスに示さんとしている場をモチーフとしているとの画となり)、下の段はそれぞれ黄金の林檎を巡ってのコンテストにエントリーしていた三女神([アフロディテ=ヴィーナス(パリスにヘレンと添い遂げることを賄賂として約束した勝者の女神)][アテナ=ミネルヴァ][ヘラ=ユーノー])をかたどった彫像、 その写真として Project Gutenbergのサイトにて公開されている19世紀後半刊行の著作にて掲載されているとのものらとなる。

(振り返ってもの表記はここまでとする)


 さて、

古典『オデュッセイア』と古典『アエネーイス』がそれをモチーフとしているところのトロイア戦争のそもそもの原因となっている(とのこと、上にての再引用部を通じて再度の指し示しをなしたとの)「黄金の林檎」

については

(これまた何度も何度も長大な本稿の中にて言及しているところとして)

[ヘラクレスが第11の功業にてそれを求めていた ―巨人アトラスの娘らがそれを管掌しているため、巨人アトラスに請願をなすとの格好で求めていた―― とのもの]

「とも」となっている(※)。


(※黄金の林檎がヘラクレス第11功業の目標物になっていることについては本稿出典(Source)紹介の部39にて引用なしているところのアポロドーロス(ローマ時代のギリシャ人著述家)によって著されたビブリオテーケー(BIBLIOTHEKE)の和訳版(岩波より出されている『ギリシャ神話』/当方所持の文庫版では第61刷99ページから101ページ)よりの再度の引用をなすところとして

「エウルステウスは・・・(中略)・・・第一一番目の仕事としてヘスペリスたちから黄金の林檎を持って来るように命じた。これは一部の人々の言うようにリビアにあるのではなく、ヒュペルボレアス人の国の中のアトラースの上にあったのである。それを大地(ゲー)がヘーラーと結婚したゼウスに与えたのである。テューポーンとエキドナから生まれた不死の百頭竜がその番をしていた。それとともにヘスペリスたち、すわなちアイグレー、エリュテイア、ヘスペリアー、アレトゥーサが番をしていた。・・・(中略)・・・ヒュペルボレアスの地のアトラースの所に来た時に、プロメーテウスがヘーラクレースに自分で林檎を取りに行かないで、アトラースの蒼穹を引きうけて、彼を遣わせと言ったので、それに従って蒼穹を引きうけた。アトラースはヘスペリスたちから三つの林檎をとって来て、ヘーラクレースの所へやって来た」(引用部はここまでとする)

と伝わっているとおりである)


 ここまで指し示してきた流れより述べられるところ ―属人的主観など一切問題にならぬとのかたちで文献的事実よりのみ述べられるところ― は次のことである。

ホメロス『オデュッセイア』と(『オデュッセイア』と際立っての内容接合性を有する)ヴェルギリウス『アエネーイス』がそれにまつわるところの物語となっているとのトロイア戦争の原因は

[黄金の林檎]

となっている。

となれば、

[『地獄篇』に多大な影響を与えている作品ら](『アエネーイス』および『アエネーイス』の範となっているところの『オデュッセイア』)

は[黄金の林檎を原因とする戦争]に関連する作品ら、すなわち、

[ヘラクレスの11番目の冒険の取得対象となっていたものを原因とする戦争]

に関連する作品らとなっているとも指摘出来る。

そのように、

[ヘラクレスの11番目の冒険の取得対象(=[黄金の林檎])となっていたものを原因とする戦争]

に関連する作品ら ――ホメロス『オデュッセイア』およびヴェルギリウス『アエネーイス』―― 、冥界下りをモチーフともしているとの両作品が

『地獄篇』(いいだろうか.本稿にて度々言及してきたように[現代的な意味でのブラックホール理解に近しいもの]を「どういうわけなのか」登場させているのがそちら『地獄篇』である)

に多大な影響を与えていると指摘できる。

 他面、先述なしてきたところの[1]から[4]の通りの[多重的結節点]が『地獄篇』と[ヘラクレスの12功業]の間には存在しているとのことがある。
 すなわち、

[ダンテ『地獄篇』の最下層に向けての降下のプロセスには[ヘラクレス10番目の功業にて誅伐された怪物][ヘラクレス11番目の功業(トロイア崩壊の原因でもある黄金の林檎を取得するための功業)にて誅伐された怪物]が功業の順序に準拠するようなかたちで関与しており、最下層に控えるルチフェロ(ダンテ版サタン)からして[ヘラクレスの12番目の功業(冥界下りの功業)にて登場するケルベロス]状の三面構造を呈している(そして、ルチフェロに関しては[3]および[4]の段で摘示してきたように[第10功業・第11功業・第12功業を繋ぎ合わせる冥界の王の牛飼いであるメノイテースを介しての功業らそれら自体からしての連関性][階層の浅い段階で別個に『地獄篇』に登場してくるとのケルベロスにまつわる下りと冥界の王プルートーの[サタン絡みの叫び]の結節にまつわる連関性]「も」がケルベロスとの絡みで問題になる)

とのことがある。

 さらに、である。ここ本段(補説3にあっての[5-b]と振っての段)では次の流れの通りの伝承伝存の形態が今日にあって具現化を見ていること「をも」指し示すこととする。

神話にて[黄金の林檎を巡る女神達の美人投票]に賄賂の具として用いられた絶世の美女ヘレン、彼女ヘレンは成人して人妻となる前、少女のみぎり「にも」(後にトロイアの王子パリスに連れて行かれてトロイア戦争の元凶となる前に)特定の者達に妻とすべくも誘拐されている]

[少女のみぎりの折のヘレンを略取したのは[アテナ王テセウスとその相棒のペイリトオス]である(アテナ王テセウスとその相棒のペイリトオスは絶世の美女ヘレンをテセウスの妻とすべくも略取した)]

[テセウスとその相棒のペイリトオスはヘレンを妻とすべくも略取した(そして彼女が成長するまでテセウス母アイトラーの元に留め置いた)と伝わっているが、後、今度は[テセウスのヘレン略取]に付き合ったペイリトオスの方がヘレンに釣り合いもする自身の妻を得るべくテセウスと共に[ペルセポネ](ゼウスの娘で冥界の女王)を略取するための冥界下りを二人で敢行したと伝わっている]

[テセウスとペイリトオスはヘレン対価とすべくも神たるペルセポネを略取しようとしたとのその不敵な行為の罰を受ける格好で冥界に拘束され続けることになったと伝わっている]

冥界の囚われ人となったテセウスとペイリトオスに救いの手を差し伸べたのは[冥界下りの第12番目の功業]に挑んでいた折のヘラクレスであったと伝わっている]

[(以上より「まずもって」述べられるところとして)
 美女ヘレンは[トロイア崩壊の原因となりもしたパリスの略取対象](ヘレンは黄金の林檎を巡る女神らの美人投票の賄賂に用いられ、結果、略取の許可を得たパリスによって連れ去られトロイア戦争を引き起こした存在となる)であるのと同時に[テセウスとペイリトオスの「元」・略取対象]であった。
 他面、冥界の女王ペルセポネもヘレンと秤量されるかたちでの[テセウスとペイリトオスの略取対象]となっている。
 といった中、ヘレンおよびペルセポネを双方釣り合わせるように略取対象としたテセウスとペイリトオスがその狼藉のために冥界に拘束され続けることになっていたところをその冥界下りの第12功業 ―先述のようにケルベロス捕縛を主目的としての第12功業― でヘラクレスが救いだそうとしたと伝わっていることより、
[[黄金の林檎あらため絶世の美女ヘレンとの形態をとってのトロイア戦争の原因]と[ヘラクレス第12功業としての冥界下りの物語]の結節点
が観念できることになり([テセウスとペイリトオスの略取対象としてのヘレンおよびペルセポネ]及び[ヘラクレス12番目の冒険の性質]から観念できることになり)、11功業に見る黄金の林檎それ自体とは「また別の側面」から、
[(既にその後半部がヘラクレス12功業と多重的に結びついているとのことについて詳述なしているとの古典である)冥界下りのダンテ『地獄篇』←→(濃厚な被影響・影響の関係が存在)←→トロイア戦争関連文物にして冥界下りをモチーフにしているヴェルギリウス『アエネーイス』←→(濃厚な被影響・影響の関係が存在)←→トロイア戦争関連文物にして冥界下りをモチーフとしているホメロス『オデュッセイア』]
との(最前取り上げもしてきたところの)関係性が[冥界下りのヘラクレス12功業]との絡みで「さらにもってして」想起されるとのことがある]

[また、[ホメロス『オデュッセイア』 ―トロイアを木製の馬で陥落させた者、そして、そもそも[絶世の美女ヘレンと黄金の林檎をやりとりしての取引]がトロイア戦争の原因となった盟約の発案者でもある武将オデュッセウスを主人公とする叙事詩― とヘラクレス12功業との関係性とのことで述べれば、ダンテ『地獄篇』にあって「も」『オデュッセイア』主人公オデュッセウスが[ヘラクレス10番目の功業](三面のゲーリュオーン登場の功業)にて打ち建てられたと伝わるヘラクレスの柱を越えた段階で地獄行きを強いられ、その行き先が地獄下層8圏(マーレボルジェと呼称される地獄)の一部をなす[謀略者の地獄]であると描写されているとのことがある(そして、[謀略者の地獄]はダンテらが(先述の)ゲーリュオーンの背におぶわれて降下した先である悪意者の地獄の一画をなすところである)。 すなわち、ヴェルギリウス古典『アエネイウス』を介して『地獄篇』との被影響・影響が観念されるとのホメロス叙事詩『オデュッセイア』主人公オデュッセウスは[ヘラクレスが三面のゲーリュオンを討伐することになった第10功業にて打ち建てたヘラクレスの柱]を越えた段階で[ダンテらがヘラクレス第10功業にて討伐されたゲーリュオンの背におぶわれて降下した先たる地獄の第8圏]に落とされたとのことになる]

(※尚、(これより典拠を指し示していくところの)以上の流れが何故もって重要なのか、について述べれば、[テセウスとペイリトオスというギリシャ伝承上の英雄らの略取対象]となっていた[女神ペルセポネ]という存在が[ルチフェロ](ダンテのサタンに対する呼称)とも[ケルベロス](ダンテ版サタンがそうであるような三面構造を呈するヘラクレス第12功業の捕縛対象)とも[フリーメーソン団にあっての秘教主張]とも結びついている、[化け物がかった巧妙性]でもって結びついているとのことを指摘できるように「なってしまっている」存在であるとのことがあるからであるその点についてはここ[5-b]と振っての部では論じずにさらに続く段にて膨大な文字数を割いて入念にひたすらに出典に依拠しての解説を講じていくこととする― )

 それでは表記のこと、繰り返すが、

神話にて[黄金の林檎を巡る女神達の美人投票]に賄賂の具として用いられた絶世の美女ヘレン、彼女ヘレンは成人して人妻となる前、少女のみぎり「にも」(後にトロイアの王子パリスに連れて行かれてトロイア戦争の元凶となる前に)特定の者達に妻とすべくも誘拐されている](:便宜的にギリシャ文字小文字で[α(アルファ)の部]とする)

[少女のみぎりの折のヘレンを略取したのは[アテナ王テセウスとその相棒のペイリトオス]である(アテナ王テセウスとその相棒のペイリトオスは絶世の美女ヘレンをテセウスの妻とすべくも略取した)](:便宜的にギリシャ文字小文字で[β(ベータ)の部]とする)

[テセウスとその相棒のペイリトオスはヘレンを妻とすべくも略取した(そして彼女が成長するまでテセウス母アイトラーの元に留め置いた)と伝わっているが、後、今度は[テセウスのヘレン略取]に付き合ったペイリトオスの方がヘレンに釣り合いもする自身の妻を得るべくテセウスと共に[ペルセポネ](ゼウスの娘で冥界の女王)を略取するための冥界下りを二人で敢行したと伝わっている](:便宜的にギリシャ文字小文字で[γ(ガンマ)の部]とする)

[テセウスとペイリトオスはヘレン対価とすべくも神たるペルセポネを略取しようとしたとのその不敵な行為の罰を受ける格好で冥界に拘束され続けることになったと伝わっている](:便宜的にギリシャ文字大文字で[δ(デルタ)の部]とする)

冥界の囚われ人となったテセウスとペイリトオスに救いの手を差し伸べたのは[冥界下りの第12番目の功業]に挑んでいた折のヘラクレスであったと伝わっている](:便宜的にギリシャ文字小文字で[ε(エプシロン)の部]とする)

[(以上より「まずもって」述べられるところとして)
 美女ヘレンは[トロイア崩壊の原因となりもしたパリスの略取対象](ヘレンは黄金の林檎を巡る女神らの美人投票の賄賂に用いられ、結果、略取の許可を得たパリスによって連れ去られトロイア戦争を引き起こした存在となる)であるのと同時に[テセウスとペイリトオスの「元」・略取対象]であった。
 他面、冥界の女王ペルセポネもヘレンと秤量されるかたちでの[テセウスとペイリトオスの略取対象]となっている。
 といった中、ヘレンおよびペルセポネを双方釣り合わせるように略取対象としたテセウスとペイリトオスがその狼藉のために冥界に拘束され続けることになっていたところをその冥界下りの第12功業 ―先述のようにケルベロス捕縛を主目的としての第12功業― でヘラクレスが救いだそうとしたと伝わっていることより、
[[黄金の林檎あらため絶世の美女ヘレンとの形態をとってのトロイア戦争の原因]と[ヘラクレス第12功業としての冥界下りの物語]の結節点
が観念できることになり([テセウスとペイリトオスの略取対象としてのヘレンおよびペルセポネ]及び[ヘラクレス12番目の冒険の性質]から観念できることになり)、11功業に見る黄金の林檎それ自体とは「また別の側面」から、
[(既にその後半部がヘラクレス12功業と多重的に結びついているとのことについて詳述なしているとの古典である)冥界下りのダンテ『地獄篇』←→(濃厚な被影響・影響の関係が存在)←→トロイア戦争関連文物にして冥界下りをモチーフにしているヴェルギリウス『アエネーイス』←→(濃厚な被影響・影響の関係が存在)←→トロイア戦争関連文物にして冥界下りをモチーフとしているホメロス『オデュッセイア』]
との(最前取り上げもしてきたところの)関係性が[冥界下りのヘラクレス12功業]との絡みで「さらにもってして」想起されるとのことがある](:便宜的にギリシャ文字大文字で[ζ(ゼータ)の部]とする)

[また、[ホメロス『オデュッセイア』 ―トロイアを木製の馬で陥落させた者、そして、そもそも[絶世の美女ヘレンと黄金の林檎をやりとりしての取引]がトロイア戦争の原因となった盟約の発案者でもある武将オデュッセウスを主人公とする叙事詩― とヘラクレス12功業との関係性とのことで述べれば、ダンテ『地獄篇』にあって「も」『オデュッセイア』主人公オデュッセウスが[ヘラクレス10番目の功業](三面のゲーリュオーン登場の功業)にて打ち建てられたと伝わるヘラクレスの柱を越えた段階で地獄行きを強いられ、その行き先が地獄下層8圏(マーレボルジェと呼称される地獄)の一部をなす[謀略者の地獄]であると描写されているとのことがある(そして、[謀略者の地獄]はダンテらが(先述の)ゲーリュオーンの背におぶわれて降下した先である悪意者の地獄の一画をなすところである)。 すなわち、ヴェルギリウス古典『アエネイウス』を介して『地獄篇』との被影響・影響が観念されるとのホメロス叙事詩『オデュッセイア』主人公オデュッセウスは[ヘラクレスが三面のゲーリュオンを討伐することになった第10功業にて打ち建てたヘラクレスの柱]を越えた段階で[ダンテらがヘラクレス第10功業にて討伐されたゲーリュオンの背におぶわれて降下した先たる地獄の第8圏]に落とされたとのことになる](:便宜的にギリシャ文字小文字で[η(エータ)の部]とする)

とのことにまつわっての出典をこれより順次挙げていくこととする。

 前のページへ〔PREVIOUS PAGE〕     次のページへ〔NEXT PAGE〕


直下、本稿冒頭部へのリンクを設けておく

(⇒冒頭頁へは下の部より)

[典拠紹介部第1頁 加速器実験に伴う欺瞞性から証示なせることについて]

 上掲なしているのは19世紀後半から20世紀前半にかけて活動の著名な挿絵家アーサー・ラッカムが英訳・再刊行されたワーグナーの原作歌劇 Der Ring des Nibelungen『ニーベルングの指環』 (英文通用化タイトルとしては[指輪]一語の The Ringとも呼称される歌劇) の書籍化バージョンに提供しもしていた挿絵を挙げたもの、より具体的には挿絵家ラッカムが『ニーベルングの指環』序盤部をなすパート、 Das Rheingold『ラインの黄金』のために作成・提供していたとの画を挙げたものとなる (ただ当媒体では同画に多少の演出を施している) 。

 さてもってして、挿絵に見る女、というより、人ならざるところの[女神]はイドゥン(Idunn)という存在を(音楽界の巨匠と認知されている)『ニーベルングの指環』作曲者リヒャルト・ワグナーがフライヤ(Freia)との名前で焼き直しなし、登場させているとの存在なのではあるが、イドゥンにせよ、Wagnerが登場させた(画に見る)フライヤにせよ、北欧神話における不死の果実であるところの【黄金の林檎】と紐付けられた存在となっている(彼女ら女神達は【黄金の林檎の管掌者】となる)。 
 そうもした黄金の林檎と紐付いての彼女ら(イドゥン/フライヤ)は、いわば、神々に瑞々(みずみず)しき【不死】を(若さ約するとの)【黄金の林檎】を介して供給しているとの設定の女神となりもし、そして、彼女らの管掌する【黄金の林檎】が北欧神話多神教の神々に最早若さを与えなくなったとのその時点が【終末のはじまり】であると描写されてきたとのことがある (:【終わりの始まり】が黄金の林檎にて供給される若さの喪失と結びついていると描写されるのはワグナー歌劇にせよ、北欧神話それ自体も同文のこととなる ――ワグナー歌劇では序盤より【黄金の林檎(とフライヤ)の担保する若さの維持】が【無限の力を蔵する指輪の保持】と一時的に秤量されるのだが、結局、【黄金の林檎】と比較された指輪を欲する強欲な心(による人界の操作)が世界の終末に繋がると描写される。他面、ワグナー歌劇より遙か前から存在していた北欧神話では(それを収めたエッダ詩の訳書を借りるなどしてもよかろうしウィキペディアの[イズン]関連項目などをご覧戴くのでもよかろうが、易くも確認できようところとして)神々の最終決戦であるところのラグナロクとされる終末局面にあって黄金の林檎によって担保されていた不老は停滞を見、老化が始まると描写される―― )。

 ここからが問題なのだが、本段、脇に逸れての訴求部にあってまわりくどくもの口上にて上の如きことを引き合いに出しているのは本稿にあって【次のこと】らを【黄金の林檎】との兼ね合いで(具体的根拠と共に)訴求している ―(画に見るイドゥン・フライヤにも関わるところとして訴求している)― からである。

黄金の林檎 ―それは北欧神話から離れてのギリシャ神話ではトロイア戦争の原因、すなわち、城塞トロイアの崩壊の元凶でもある(本稿の前半部にあって古典よりの原文引用でもってして典拠紹介のこととなる)― が【人間の終末】に関わるとの指摘がなせるようになって「しまっている」、しかも、それ(黄金の林檎)がブラックホール生成との兼ね合いで古今東西にまたがっての文物を介して【人間の終末】に関わるとの指摘が濃厚になせるようになって「しまっている」とのことが現実にある (:現況現在執り行なわれているLHC実験にあって「科学の進歩に資する」とされてのブラックホール生成可能性と紐付けられてきたディテクター(検出器)の名前が【黄金の林檎】の在処を識る巨人アトラスの名を冠する ATLAS Detectorとなっているとのことが確とある一方で黄金の林檎と接合するエデンの禁断の果実を用いての誘惑者の著名古典に見る描写が(それ自体、奇怪奇矯なることなのではあるも)今日的な視点で見た場合のブラックホールの近似的描写と紐付いている、そうしたことがそれこそ山となり、それら山とあることらが相互に多重的に接合しているとのこともが「ある」)。

・上掲図の元となっているワグナー歌劇『ニーベルングの指環』は【黄金の林檎】(を管掌する女神)と【無限の富(力)を約する指環】の取引が序章の部より描かれているのだが、(黄金の林檎を管掌する女神と秤量されての)【指環】の取得に固執した者らが強欲さゆえに次々と滅亡していくさまが同歌劇では描かれる(:その一番はじめの描写は『ニーベルングの指環』前半部にあっての【黄金の林檎】管掌者たるフライヤを略取、彼女フライヤを【指輪】との取引の具とした巨人ファーフナーとファーゾルドの兄弟が殺し合いをはじめるとの部となる)。 そのことは現実世界で「黄金の林檎と接合している」とのかたちとなっている巨大なリング状の装置、加速器ラージ・ハドロン・コライダーが【指輪;リング】に仮託される風が一部ある (『ニーベルングの指環』の影響下にあるJ.R.R.トールキン原作のロード・オブ・ザ・リング『指輪物語』に登場の冥王に由来する指環と結びつけられるなど加速器LHCが【指輪】に仮託される風が実験関係者含めて見受けられる) とのことと平仄が合うにも程があろうとの筋合いのことともなる (:ただ現況もってして、同じくものことを問題視する人間はまったくいない(心ある向きには是非とも確認いただきたいところなのだが検索エンジンで英文単語を何語か入れて当たりをつけんとしてみても【リングと黄金の林檎の結びつき】を加速器との関係で目立って問題視するような向きはこの世界にはいない))。

・上にて先述のように【ギリシャ神話におけるトロイア崩壊の元凶】「でも」あるとのゴールデン・アップルがそれ(黄金の林檎)に関連する事物ら(巨人ATLAS「など」)を介してブラックホール生成をなす可能性があるとの加速器 ―巨大な【リング】でもある― と結びつくとして、である。 現在にあって巨大加速器実験を実施している「研究」機関ら、および、そちら「研究」機関らに携わっていた初期の紐帯がどうやって世に生み出されたのかもがワーグナーの『ニーベルングの指輪』に通ずる側面がある。 どういうことか。 現況、加速器実験を執り行なっている主たる研究機関ら(それら研究機関らは、と同時に、ブラックホール生成可能性に伴うリスクとの観点で中途半端に海外で法廷に引きづり出された研究機関ら「でも」ある) はその沿革上、
【マンハッタン計画の子供ら】
となっているとのことがある ―同じくものことは長大な本稿本文の部にあって(入念を心掛けての)指し示しの対象としていることでもある― のであるが (:またもってして核分裂の過程に通ずる原子核人為破壊を兵器転用なそうとしたとのマンハッタン計画にあっての挙、そちら核兵器を製造するプロセスと加速器実験にての原子核人為破壊のプロセスは同一方向のベクトルを指している ―無論にして同じくものことの典拠をも本稿本論部で入念に挙げている― )、 マンハッタン計画と今日の加速器実験(におけるブラックホール生成に通ずる挙)の縁(えにし)の深さはそれ以外にも濃厚に認められるとのことがある(たとえば円形加速器という装置をそもそも生み出した者達がマンハッタン計画の主導者となっていたとのことがある等々)。
 そうもした(加速器実験運営機関を生み出した)マンハッタン計画始動の原因になっているユダヤ系の迫害の挙に出たナチスのやりよう・躍進・劫略のプロセスはワグナー歌劇『ニーベルングの指環』と濃密に結びついているとのことがある(『指環物語』作者ワグナーがユダヤ系の向きらにあって反芸術・野蛮の象徴である忌避すべき象徴とされてきたのはナチス第三帝国およびその領袖ヒトラーが反ユダヤ主義を大っぴらに喧伝していたリヒャルト・ワーグナーを最大限重要視していたとの歴史的事実があるからであり、たとえば、ナチスの実行してきた非道なる命令体系、占領統治下の反体制派・レジスタンスを夜陰に乗じて密やかに処分することを目しての行政命令であるところのナハト・ウント・ネーベル( Nacht und Nebel )、【夜と霧】行政命令 ―日本では Man's Search for Meaningとの原題を有した心理学者ヴィクトル・フランクルの書籍の「邦題」として識られている語でもある【夜と霧】(収容所が絶滅収容所へと変遷していく画期を象徴する語であるとも認識されている)― などはワグナーの『ニーベルングの指環』に由来しているとのものとなる ――※ウィキペディア[夜と霧]項目などにおいても簡明な解説がなされてはいることだが(であるから疑わしきはその程度の媒体からでも確認いただけるであろう)、ナチスドイツが欧州にて反対派を掃討するための共通規則とした【夜と霧】命令はヒトラーが愛聴していた、そして、ナチス体制下の国家芸術の象徴として扱われていたリヒャルト・ワグナーの『ニーベルングの指輪』、その『ラインの黄金』にあっての一幕(の中の[ニーブルヘルム]の下り)にて侏儒(ドワーフ)のアルベリヒが隠れ頭巾を用いて姿を消す際に口にする台詞、「夜と霧になれ、誰の目にも映らないように.」に由来しているとのことが知られている(にまつわって述べておけば、【夜と霧の呪文】を唱えたドワーフ・アルベリヒは強欲さの象徴でもあり、絶大な力をもたらす【呪いの指環】そのものを生み出した存在でもあるとワグナー歌劇では設定付けがなされているキャラクターである)―― 。

 以上のことはそれだけを読まれる限りは何が問題になるのか判じがたいとのこととなろうかとは(当然に)思うのであるが(理解を阻む詰め込み過ぎの風もあったかと脳裏をよぎりもしている)、同じくものことにまつわっての指し示しを細々となしもしている、また、そこからさらにもってして何が述べられるのかの指摘を委細を尽くしてなしているとの本稿本論部をご検討いただければ、【ことの重篤さ】 ―重篤さというのは【執拗さ】の問題として何が企図されているのかに通じもしていることである― についてご理解いただけるか、と考えている。

当サイト内にあっての【各頁および各典拠への一覧方式遷移部】、及び、【PDF形式文書配布ページ】へのリンクを直下、設けておく

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問題となる[「予見的」言及→実現]の体系についての[典拠紹介部]一覧呈示頁

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[出典(Source)紹介の部55](ダンテ『地獄篇』およびミルトン『失楽園』にあって[「今日的な観点で見た場合の」ブラックホールの質的近似物]が描写されていることにまつわっての出典紹介部55)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第46頁 ダンテ『地獄篇』とミルトン『失楽園』に見るブラックホールに通ずる描写

[出典(Source)紹介の部55(3)](ダンテ『地獄篇』およびミルトン『失楽園』にあって[「今日的な観点で見た場合の」ブラックホールの質的近似物]が描写されていることにまつわっての出典紹介部55(3))
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第47頁 ダンテ『地獄篇』とミルトン『失楽園』に見るブラックホールに通ずる描写[2]