典拠となるところの明示[47]――ダンテ『地獄篇』およびミルトン『失楽園』にあっ
ての[現代的観点から見た場合の多重的ブラックホール類似物]

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ダンテ『地獄篇』とミルトン『失楽園』に見る(「今日的観点で見た場合の」)ブラックホール近似物に関して何が問題になるのかについて[2]

 先行するところの直前頁では以下のことにまつわっての典拠を挙げてきた。


 ダンテ・アリギエーリ『地獄篇』には

[今日、物理学分野の人間らが研究対象として取り扱っているとのブラックホールとの「質的」近似物]

が描かれているとの[現象]が認められる。

 具体的には

A.[ダンテらが「一度入ったらば[悲嘆の領域]に向けて歩まざるを得ず一切の希望を捨てねばならない」との[不帰の領域]にまつわる隻句(『地獄篇』地獄門隻句)を目にしたところから入って最終的に到達した[悲嘆]を体現しての地点]

B.[重力 ―(古典『地獄篇』それ自体にて To which things heavy draw from every side[あらゆる方向から物の重さが引きつけんとする地点]と表されているところに作用している力)― の源泉と際立って描写されている場(地球を球と描いての中心ポイント)]

C.[(「悲嘆の」川コキュートス)にて(静的描写として)罪障がゆえに「凍りついた」者達が、と同時に、(動的描写として)「永劫に粉砕され続けている」との地点]

D.[光に「語源」を有する存在](ルチフェロ)が幽閉されている地点]

との全ての要素を具備した[『地獄篇』にての地獄踏破にあっての最終ポイント](コキュートス・ジュデッカ領域にまつわる描写が

A.[一度入ったらば二度と出れない」との(事象の地平線の先にての)領域]

B.[重力の源泉となっている場

C.[外側(生者)から見れば(静的描写として)被吸引者が[時が止まったような状況になりつつも(動的描写として)その被吸引者本人(死者と化した者)から見れば「粉砕され尽くしている」との場]

D.[光さえもが逃がれられぬとされる場]

との全ての要素を具備したブラックホール特性と共通のものとなっている(話としての奇異さはともかくも[記号論的一致性・文献的事実の問題]として共通のものとなっている)とのことが現実にある。


 他面、ジョン・ミルトン『失楽園』にあって「も」
[今日の物理学上の話柄にあってのブラックホールの「質的」近似物]
が描かれているとの[現象]が認められる。

 具体的には

E.[[果てなき(底無し暗黒領域]

F.[大きさ・時間場所無意味となる領域]

G.[自然の祖たる領域]

とのミルトン『失楽園』に見るアビス(地獄門の先にある深淵領域)にまつわる描写が

E.[底無し暗黒領域]

F.[時空間の法則破綻する(「時間」と「空間」が本来通りの意をなさなくなる)領域]

G.[それをもって自然の祖であるとする観点が存する場]

とのブラックホール特性と共通のものとなっているとのことが現実にある。


 ダンテ『地獄篇』にあっての、

[今日的な理解にあってのブラックホール近似物の描写(於て:コキュートス)]

ミルトン『失楽園』にあっての同じくもの、

[今日的な理解にあってのブラックホール近似物の描写(於て:アビス)]

は双方別個に別々の側面からブラックホールとの近似性を呈するとのものであるが、「極めて奇怪なことに」双方共に

ルシファーによる災厄
地獄門の先にある破滅・悲劇に関わる通路

と結びつけられているとのことがある。

 以上、i.からiii.と区切ってのことらにつき、まとめれば、『地獄篇』および『失楽園』との両古典を合算して見た際に、

[ [ルシファーによる災厄]および[地獄門(と描写されるもの)の先にある[破滅][悲劇]への通路]との両要素と結びついたポイント]

に関わるところで

A.[[不帰の領域]にまつわる隻句(『地獄篇』地獄門隻句)を目にしたところから入って最終的に到達した「悲嘆」を体現しての地点] (『地獄篇』コキュートス)

B.[重力の源泉と「際立って」描写されている地点] (『地獄篇』コキュートス)

C.[(静的描写として)外側から見た際に罪障がゆえに「凍りついた」者達がそこに横たわっている、と同時に、(動的描写として)当事者から見れば「永劫に粉砕され続けている」との地点] (『地獄篇』コキュートスの中枢ジュデッカ)

D.[光に語源を有する存在](ルチフェロ)が幽閉されている地点] (『地獄篇』コキュートスの中枢ジュデッカ)

E.[[果てなき(底無し暗黒領域] (『失楽園』アビス)

F.[大きさ・時間「場所無意味となる領域] (『失楽園』アビス/17世紀成立の『失楽園』の刊行時には時間と空間を有機的一体と見る相対性理論に通ずる発想法は無論、なかった)

G.[自然の祖たる領域] (『失楽園』アビス)

との要素らを「全て兼ね備えての」ありようが具現化していると述べられるようになっており、そうしたありようが現代物理学 ――(その担い手らが本質的には知性も自由度もないにも関わらず知性あるフリをさせられている下らぬ人種(ダンテ地獄篇にて欺瞞をこととする[人類の裏切り者]らとして氷地獄に閉じ込められているような者達)か否かどうかはこの際、関係ないものとしての現代物理学)―― の発展にて呈示されるようになったとの[「今日的な観点で見ての」ブラックホール像]と共通性を呈している、すなわち、

A.[一度入ったらば二度と出れない」との(事象の地平線の先にての)領域] (ブラックホール内側)

B.[重力の源泉となっている場] (ブラックホール) 

C.[(静的描写として)外側(生者)から見れば被吸引者が[時が止まったような状況]になっているとのことがありつつも(動的描写として)その被吸引者本人(死者と化した者)から見れば「粉砕され尽くしている」との場] (ブラックホール)

D.[光さえもが逃がれられないとされる場] (ブラックホール内側) 

E.[底無し暗黒領域] (ブラックホール)

F.[時空間の法則破綻する(「時間」と「空間」が本来通りの意をなさなくなる)領域] (ブラックホール)

G.[それをもって自然の祖であるとする観点が存する場] (ブラックホール)

との特徴を全て兼ね備えたものとしての[「今日的な観点で見ての」ブラックホール像]と共通性を呈していると摘示できるように「なっている」とのことがある(※)。

(※ダンテ『地獄篇』の最終ゴールたる氷地獄コキュートスに
B.[重力の源泉となっている場
C.[「悲嘆の」川コキュートスにて(静的描写として)外側から見た際に罪障がゆえに「凍りついた」者達がそこに横たわっている、と同時に、(動的描写として)当事者から見れば「永劫に粉砕され続けている」との地点]

との側面が伴うのに対して、現代的観点で見た際のブラックホールに
B.[重力の源泉となっている場
C.[(静的描写として)外側(生者)から見れば被吸引者が[時が止まったような状況]になっているとのことがありつつも(動的描写として)その被吸引者本人(死者と化した者)から見れば「粉砕され尽くしている」との場]

との特性が伴っているとのまさしくものそのことに関わるところとしてブラックホール(と今日、呼ばれるに至ったもの)は初期、
Frozen Star[凍った星](ダンテ『地獄篇』の[重力の中枢にあっての氷地獄]のようなものとしてのフローズン・スター)
とも形容されていたとのこと「も」先立っての段で解説した ――そちら Frozen Starの現行、Wikipediaにての関連表記は[ Black Hole ]項目、そのHistoryの節にての This is a valid point of view for external observers, but not for infalling observers. Because of this property, the collapsed stars were called "frozen stars", because an outside observer would see the surface of the star frozen in time at the instant where its collapse takes it inside the Schwarzschild radius.「この見方は外側の観測者ら(訳注:ブラックホールの外側の観測者ら)にとっては適正なる見方だが、ブラックホールに落ちこむ観測者らから見れば、適正なる見方ではない。こうもした属性がゆえに[縮退星](訳注: collapsed starはブラックホールという言葉が生み出される前にブラックホールを指して用いられていたところの一呼称) Frozen Stars[フローズン・スターズ(凍り付いた恒星)]とも呼ばれていた、というのも[外側の観察者]はその星がシュヴァルツシルト半径の内側へ向けて崩壊していくまさにその場、その瞬間を[凍り付いた恒星の外面]とのかたちで見ることになるからであるとの部位となる―― 

 以上表記のこと、ダンテ『地獄篇』およびミルトン『失楽園』の西洋二大古典に[ブラックホール]との絡みで問題になるとの側面が伴うとのことにつき典拠をきちんと挙げきれていなかったことにまつわっての典拠を下に挙げることとする。


| 出典(Source)紹介の部55(2) |

 先にての概説部「兼」出典紹介部としての位置づけの出典(Source)紹介の部55にて

ダンテ『地獄篇』およびミルトン『失楽園』の西洋二大古典に[ブラックホール]との絡みで問題になるとの側面が伴う

とのことにまつわって典拠を挙げきれていなかったと認識することにつき、ここ出典(Source)紹介の部55(2)にあっては補ってもの典拠を挙げておくこととする。

 まずもっては、先立っての部にてきちんとした文献上の典拠を挙げきれていなかったと認識すること、

ミルトン『失楽園』にてサタンが[擬人化された[死][罪]が渡ることになったとの航路]を単身、アビス(深淵)を飛翔・横断しながら切り拓いたとの筋立てが具現化している

とのことについて文献上の典拠となる部を原文引用にて出典紹介なしておく。

 ミルトン『失楽園』にあって[サタンが擬人化された[死][罪]が渡ることになったとの航路を単身、アビス(深淵)を飛翔・横断しながら切り拓いたとの筋立て]が具現化しているとのことに関しては次のように(古典それ自体には)描写されているところとなる。

(直下、[サタンが(艱難辛苦の踏破行といった表されかたをする)飛行移動でもってして[深淵]の領域を渡り、人間の世界に[死]と[罪]が侵入する因をつくったとのありよう]を描いた岩波文庫版ジョン・ミルトン『失楽園(上)』(内収録の第二巻)p.111からp.112よりの原文引用をなすとして)

 彼はその衝撃を排除し、必死に進路を求めて飛翔しつづけた。勿論、幾多の困難と危険にも直面したが、それは、互に鬩(せめ)ぎ合う岩礁の間をぬいながら、ボスポラス海峡を通過したときのアルゴ号が、乃至は、左舷ではカリュプディスを避け右舷では渦巻すれすれに進路をとったオデュッセウスが、直面したものよりさらに甚だしいものであった。こうやって、彼は激しい困難と辛酸をなめながら進んでいった。――まさに、それは困難と辛酸の極といえるものであった。だが、彼がひとたび通りすぎてからまもなく、というのは人間が罪に墜ちた時のことだが、そこになんと不思議な変化が生じたことであったろう。「罪」と「死」がすぐに悪魔(サタン)のあとを追い(それが神の御意志(みこころ)であったのだ)、その足跡に従って、暗欝な深淵の上に、踏みかためた広い路を敷いたからだこの路を、つまり、地獄からこの脆い宇宙の最外層部にある原動天に達する、驚嘆すべき長大な橋梁を、滾(たぎ)りたつ深淵はまさに唯々(いい)として支えるにいたった。神と善き天使たちが特別な恩恵(めぐみ)によって守り給うている人々をのぞいて、その他の多くの人間を、悪しき天使たちが或(あるい)は誘惑し、或は処罰しようとして、自由にかつ楽々と往ったり来たりする橋がまさにこれなのだ

(引用部はここまでとしておく)

 上の部にて引用なしているところで

[「罪」と「死」が悪魔(サタン)のあとを追い,地獄から宇宙の最外層部にある原動天に達するかたちで敷いたとの長大な橋梁を支えている滾(たぎ)りたつ領域]

と形容されているのがアビスこと深淵、すなわち、

E.[[果てなき(底無し暗黒領域] (『失楽園』アビス)

F.[大きさ・時間「場所無意味となる領域] (『失楽園』アビス/17世紀成立の『失楽園』の刊行時には時間と空間を有機的一体と見る相対性理論に通ずる発想法は無論、なかった)

G.[自然の祖たる領域] (『失楽園』アビス)

との要素でもってブラックホールと接合することを先立っての出典(Source)紹介の部55にて指摘したとのアビス(深淵)となる。そのアビスを横断する通路をサタン(ルシファー)が開通しもし、その通路を通ってサタンの妻子たる「罪」と「死」が人間に襲いかかることになったというのがミルトン『失楽園』の筋立てとなる。
 そのことを示すべくもの引用を「もう一押し」とのかたちで以下、なしておくこととする。

(直下、同文に[サタンが飛行移動でもってして[深淵]の領域を渡り、人間の世界に[死]と[罪]が侵入する因をつくったとのありよう]を描いた岩波文庫版ジョン・ミルトン『失楽園』(内収録の第十巻)p.167からp.168よりの原文引用をなすとして)

 地獄の門の内側で「罪」と「死」が坐っていた――そうだ、その門の内側で互に向かい合って坐っていた。門は、「罪」の手で開けられて悪魔が通過して以来、今では大きく開かれており、炎々たる焔が混沌の奥深くから噴き出していた。「罪」が急に「死」に向かって次のように話し始めた。「わが子よ、わたし達の偉大な父サタンが、他のところで首尾よく目的を果たし、親愛な子供であるわたし達のために、ここよりもっと幸福な住処(すみか)を見つけてくれたというのに、ここでわたし達がぼんやりと顔を見合わせたまま坐っている法はない(以下略)

(引用部はここまでとしておく ―※― )

(※上については和訳版でも英文原著近代訳版でも[罪]が息子たる[死]に自分たちが共に悪魔の王の子種であるように語っているさまが描写されるが、うち[罪]の方はサタンの子種であると同時に[妻]ともなっている。ミルトン『失楽園』上の設定では堕天する前のサタン(ルシファー)が[自己の分身]でもある[罪]と交わったうえで、天界から追われてから擬人化されたその[罪](蛇女の形態をとる)が[死](醜悪な怪物の形態をとる)を産み落とし、彼ら[罪]と[死]が揃って[地獄門]の側に座していたところ、地獄からエデンに向けて人類堕落( Fall of man )の単身飛行に乗り出したサタン(ルシファー)とたまさか運命的な出会いを果たすことになった、邂逅したとの設定が採用されているのである。ややこしい設定ともなり、記述が分散しているために引用だけでは同じくものことは指し示しにくいとのことがあるので、そちらについては岩波書店から出されている『失楽園(上)』(内収録の第二巻)p.95-p.100に言明がなされているとだけ解説しておく)

(さらに続いて直下、同文に[サタンが飛行移動でもってして[深淵]の領域を渡り、人間の世界に[死]と[罪]が侵入する因をつくったとのありよう]を描いた岩波文庫版ジョン・ミルトン『失楽園(上)』(内収録の第十巻)p.172よりの原文引用として)

 そこから何一障害物のない平々坦々たる広い道が地獄に下っていたというわけだ。巨大なものを微小なものに譬(たと)えることが許されれば、この橋は、かつてクセルクセスがギリシャの自由を束縛しようとして、メムノンゆかりのあの宏壮な宮殿の地スサから海岸地帯に降りてきて、ヘレスポント海峡に橋を架けることによってヨーロッパとアジアを結びつけようとしたが、その際反抗する狂欄を幾度も鞭打った故事を偲ばせた。こうやって「罪」と「死」は、驚くべき架橋の技術を駆使してこの偉業を達成し、狂乱の深淵の上に宙づりに架せられた岩橋を造り上げた

(引用部はここまでとしておく)

 以上、英文学者の故平井正穂東京大学教授が訳をなしたとの訳書に見る表記を挙げたが、抽出した部の原文にあっての対応箇所も挙げておく。すなわち、
「オンライン上よりPDF形式でダウンロード可能である」(その気があるのならばオンライン上より表記のテキストでもって検索するなどして文献的事実であると容易に確認可能である)
との画家ギュスターブ・ドレの挿絵が付された PARADISE LOST『失楽園』近代刊行版、近代文人によって編集がなされた版 ― EDITED BY HENRY C. WALSH, A.M.,と編者が記されている版― にての該当部表記も挙げておく。

(直下、 Book II 1011-1044(第2巻1011行―1044行)と付された部(誰でもアーカイブのサイトよりダウンロード可能なPDF版のページ数はp.55)よりの引用をなすとして)

And more endangered, than when Argo passed
Through Bosphorus, betwixt the justling rocks ;
Or when Ulysses on the larboard shunned Charybdis, and by the other whirlpool steered.
So he with difficulty and labour hard
Moved on, with difficulty and labour -he ; ,
But he once passed, soon after, when man fell
Strange alteration ! Sin and Death amain
Following his track, such was the will of Heaven,
Paved after him a broad and beaten way
Over the dark abyss, whose boiling gulf
Tamely endured a bridge of wondrous length,
From hell continued, reaching the utmost orb
Of this frail world

(原著よりの区切っての引用部、うち、ワンパートの引用部はここまでとする ―尚、下線添付部が上にての訳書よりの引用部らとそのまま対応するかたちとしている― )

(直下、 Book X 222-255(第10巻222行―255行)と付された部(誰でもアーカイブのサイトよりダウンロード可能なPDF版のページ数はp.247)よりの引用をなすとして)

Meanwhile, ere thus was sinned and judged on earth,
Within the gates of hell sat Sin and Death,
In counterview within the gates, that now
Stood open wide, belching outrageous flame
Far into Chaos, since the Fiend passed through,
Sin opening ; who thus now to Death began :
O son, why sit we here, each other viewing
Idly, while Satan, our great author, thrives
In other worlds, and happier seat provides
For us, his offspring dear?

(原著よりの区切っての引用部、うち、ワンパートの引用部はここまでとする ―尚、下線添付部が上にての訳書よりの引用部らとそのまま対応するかたちとしている― )

(直下、 Book X 290-323(第10巻290行―323行)と付された部(誰でもアーカイブのサイトよりダウンロード可能なPDF版のページ数はp.249)よりの引用をなすとして)

Forfeit to Death ; from hence a passage broad,
Smooth, easy, inoffensive, down to hell.
So, if great things to small may be compared,
Xerxes, the liberty of Greece to yoke,
From Susa, his Memnonian palace high,
Came to the sea, and, over Hellespont
Bridging his way, Europe with Asia joined,
And scourged with many a stroke the indignant waves.
Now had they brought the work by wondrous art
Pontifical, a ridge of pendent rock,
Over the vexed abyss
, following the track
Of Satan to the self-same place where he
First lighted from his wing, and landed safe
From out of Chaos, to the outside bare
Of this round world.

(原著よりの区切っての引用部、うち、ワンパートの引用部はここまでとする ―尚、下線添付部が上にての訳書よりの引用部らとそのまま対応するかたちとしている― )

 これにて先立っての部にてきちんとした文献上の典拠を挙げきれていなかったと認識すること、

ミルトン『失楽園』にてサタンが[擬人化された[死][罪]が渡ることになったとの航路]を単身、アビス(深淵)を飛翔・横断しながら切り拓いたとの筋立てが具現化している

とのことについて文献上の典拠となる部を原文引用にて示したことになる。

[概説]部としての色彩も強かった出典(Source)紹介の部55を補ってもの部としての出典(Source)紹介の部55(2)はここまでとする


 直上にての出典紹介部で岩波から出されている邦訳版の問題となる箇所の原文引用にとどまらず懇切丁寧に英文のミルトン原著(の近代訳版)よりの引用までなしたのはそれほどまでに引用部内容が重要なるものとの認識が本稿筆者、この身にあるからである。
 につき、第一に英文学者の故平井正穂東京大学名誉教授の訳の抜粋だけではオンライン上よりの確認はできぬか、ととらえたこともある(ただし上のオンライン上の英文も古語で読み解きにくいとのものとなり、識見がないとの人間であれば、先にての邦訳版抽出部との[比較対象検討]でもってしてはじめて意味が解せるようなものとなり、その意で不親切であったかとは思う)。

 加えて二義的には

(ここでの)抜粋部がトロイア崩壊の物語と多重的・複合的に関わってくる

ということが「現実に」あり ―後の段にて詳述する― ,その点を本稿で重んじているとの点から論拠提示を密になしておきたいと考えたとの(本稿にあっての立論上の)事情もある

 Paradise Lost『失楽園』をものした17世紀英国の文人ジョン・ミルトンもトロイアの崩壊プロセスにまつわる一大叙事詩Iliad『イリアス』およびOdyssey『オデュッセイア』を今日に伝えているホメロスも双方ともどもに「盲目の」詩人として知られている(にまつわってはさらに後の段で解説に紙幅を割く)。
 そうもした「盲目の」ジョン・ミルトンとホメロスの作品らにあって
[トロイア崩壊を通じての結節点]
がみとめられることを本稿では「重く見ている」。
 というのもそちら結節点、どういうもなのかについて後続する段にて詳述する所存であるとの「トロイア関連の」結節点が、(一呼吸置いて)、よりにもよって
ブラックホール近似物描写
と結びつくところにあって具現化しているとの情報把握をこの身がなしているからである(まじめな読み手におかれてはトロイア崩壊譚がいかようにして今日のブラックホール人為生成関連の命名規則に影響を与えていると述べられるのか、具体的論拠を挙げ連ねて仔細に解説なしてきたとの本稿ここに至るまでの内容についてご把握いただけているかとは思う)。
 さて、そこにいう、
[(ブラックホール近似物描写にも関わりもする)トロイア崩壊譚を通じての結節点]
がいかようなものなのかは後の段で解説なすとして、ここではジョン・ミルトンとホメロス ――(上にては近代以後に描かれた彼らジョン・ミルトンとホメロス双方の似姿、ウィキペディアに掲載されての画像を挙げもしている)―― の双方が[ムーサ](英語呼称:ミューズ)という[ギリシャ・ローマ世界の一群の文芸を管掌する女神ら]に対する請願をなしている、[口寄せなしての物語再現に対する憑依霊感を求めての請願]を世に傑作と謳われる彼らの『失楽園』そして(トロイア崩壊にまつわる)叙事詩『イリアス』『オデュッセイア』の中で書き綴っていることを、(さしあたり)、問題視しておきたい。
 大作とされる欧米古典の特徴として、(これまた問題となるところとしてダンテ『地獄篇』も含めてそうなのだが)、その作中に文芸の神らであるムーサ(ミューズ)達に対する[インヴォケーション](憑依霊感を求めての神への請願)がなされているとのことが時折、みとめられるとのことがあり(については英文Wikipedia[Muse]項目にて現行、 Some prose authors also call on the aid of Muses, who are called as the true speaker for whom an author is merely a mouthpiece.「幾人かの散文の作者らは真の語り手であり、その場合、著者はただの代弁者(口寄せの媒質)でしかないとのミューズ達の援助を(文中にて)請い求めもするとのことがある」と記載されているとおりである)、そうもした
Invocation;技芸の神たるミューズらが自分の口を用いて物語りなどなしてくれるように、との自我を否定するような著名古典にみとめられる請願]
の例としてミルトンやホメロスのやりようが(英文Wikipedia[Muse]項目などにて)次のように式で例示されるところとなっている

[ホメロスのIliad『イリアス』冒頭部]
Tell me, (for ye are are heavenly, and beheld
A scene, whereof the faint report alone
Hath reached our ears, remote and ill-informed,)
Tell me, ye Muses, under whom, beneath
What Chiefs of royal or of humbler note
Stood forth the embattled Greeks?

[ダンテのInferno『神曲;地獄篇』地獄篇第二歌]
(Dante Alighieri, in Canto II of The Inferno:)
O Muses, O high genius, aid me now!
O memory that engraved the things I saw,
Here shall your worth be manifest to all!

[ミルトンの Paradise Lost冒頭第一巻]
Of Man’s first disobedience, and the fruit
Of that forbidden tree whose mortal taste
Brought death into the World, and all our woe,
With loss of Eden, till one greater Man
Restore us, and regain the blissful Seat,
Sing, Heavenly Muse,

 直上引用部についてはミルトンのそれだけ訳しておくが、そこには
「人類の最初の不服従について、そして生限られた者(人間)には賞味禁じられし果樹について、世界に死を呼び込みもしてのことについて、今日生きる我らが全員にとっての災いについて、一人の偉大なる男(キリスト)に至るまでの楽園の喪失について、我らをかつてのこの上なくも満ちたりし座に恢復させしめ(我が口に言寄せて)歌ってくれ、天なるミューズよ」
などとのことが記載されており、といった書きようのことを顧慮することで
[よりもって問題の根が深く受け取れる]
とのこととなる。
 これよりさらにもって詳述なすが、
[ミルトン『失楽園』にあってのブラックホール「近似」物にまつわる描写]
にして、
[(最前、そうしたことがあると言及したところの)トロイア崩壊譚と結びつく描写]
は他事物らとの多重的関わり合いとの意味「でも」
[(時空間にまつわる相対性理論がまだ世に出ていない時代にあって)時間と空間が意味をなさなくなる[深淵]の領域を言及していることの重さ]
が増すことになるもの、そう、[操り人形]の問題に相通ずるところでそちら重さが増すことになるとのものであるからである(「[問題となる事柄らがあまりにもひとところにまとまりきっているもの]であるから.....」でもいい)。   ――余事記載が過ぎるかと思いつつも敢えても書くが―― 同じくものことについて人類にとって[悲劇]ととえられるのは現代に至るまでときに産業的に押し売りされてきた、あるいは、他に夢見心地を与えるとの才能を強くも有しているがゆえに有用視されてきた節ある[文人ら](情緒的価値はどうかは何とも言えないが、情報的価値は低いといった成果物ばかりを生産してそれでもってそのタレントが世の中に[天賦の才]として担がれるといった一群の人々)の内、少なからずが「今日に至るまで」[広告宣伝用のスピーカー]程度の存在、そう、
[言の葉さえ自分では紡げぬとの木偶(でく)]
として運用されてきた可能性があるとのことであり、加えて、そうしたシステムに与えられた役割を充分認識してやっているのかにさえ疑義があるとの彼・彼女らに由来するよく響きもする言の葉に
[悪質極まりない反対話法 ―皮相浅薄の知識しか持ち合わせていない人間には絶対に気づけぬような悪質な反対話法― ]
が濃厚かつ体系的に込められてきたし、いまもってそうであるとすら透けて見えるようになっていること「でも」ある(にまつわってはこれよりさらなる具体例を呈示していくことにする)。
 無論にして、無条件にそれを口に出せば、
[馬鹿げたものの見方][才なき者の嫉視の弁][もののあわれを知らぬ技術的野蛮人の雅致・雅趣の世界を貶めんとするが如く野蛮なる言い様]
と世人一般にはとられかねない申しようではある (:ただ、「自分の名誉(汚されると状況不利となりうると判じるもの)のために述べておく」が、筆者は文筆の世界などにて声望博している文人らに対して嫉視きたすような羨望の情など元より抱いたこともない人間であると申し述べておく.そも、泳がんとしてきたとの世界が「彼ら」とは根本からして違う.本来的に本稿筆者には[他人の移ろいやすい主観に左右されるとの情緒的価値の世界]で世に伍していくとの発想はないのである(実業志向であるとの親族縁者一般らから[文学]などを軽んずる傾向を強くも受け継いでしまっており、エンターテインメントでもなく情報的価値も乏しいとの[純文学]や[古典]などを必要以上に担ぐ世の風潮がはきといってほとんど理解出来ない).自身の知の力を活かしての[公正さが担保された情報的価値(専門技術・専門知識)を提供して世に伍していくとの発想]はこの身には少なからずあったが、[文筆の世界(博奕における目の出方からそうと言われる八と九と三の世界、不条理なコネや不条理な力学が強くも作用する相応の世界であろうとは見る)にてのときに空漠なる輝かしさ][文才に加えての相応の+αが[売れる][売られる]のに要求される節ある世界]に対して嫉視きたすような羨望の情など元よりこの身にはないのである ―日本国内では愚にもつかぬカルトに嫉視などなす人間がいないのにも関わらずそうした筋目の転換話法では[嫉妬]がなされているとのことにもなるようだが、といったことに通ずるところとしてナンセンスであるとも申し述べておく― ) 。
 そのように申し述べて、ここでの申しようが
[馬鹿げたものの見方][才なき者の嫉視の弁][もののあわれを知らぬ技術的野蛮人の雅致・雅趣の世界を貶めんとするが如く野蛮なる言い様]
では済まぬのならば、どうなるのかと問うておきたい。そして、虚偽欺瞞に慣らされてきった人間存在の至るところのありよう、抗わねばどうなるのかとのことについて一考いただければ、光栄であると申し述べておきたい。

 上のこと、申し述べたうえで
[先立っての出典(Source)紹介の部55でカヴァーしきれていなかったとのことについての補うべくもの出典紹介部]
を続けることとする。


| 出典(Source)紹介の部55(3) |

 先にての概説部「兼」出典紹介部としての位置づけの出典(Source)紹介の部55にて

ダンテ『地獄篇』およびミルトン『失楽園』の西洋二大古典に[ブラックホール]との絡みで問題になるとの側面が伴う

とのことにまつわって典拠を挙げきれていなかったと認識することにつき、ここ出典(Source)紹介の部55(3)にあってはさらに補ってもの典拠を挙げておくこととする。

 具体的には

a.[ブラックホールが[時間と空間の法則が破綻する場]であること]
b.[ブラックホールが[中に吸い込まれた者の末路が「外側から見る」と時の氷地獄に閉じ込められたようになる ――だが、しかし、吸い込まれた者から見れば分解されているとの状況になっている―― 領域]となっていること]
c.[ブラックホールが[自然の祖]であるとも考えられていること]

とのことらについてさらにもっての典拠紹介をなしておくこととする。

 まずもってブラックホールが

a.[時空間の法則が破綻する(時間と空間が本来通りの意をなさなくなる)領域]

であるとのことについてはロンドン大で科学史・科学哲学を研究する教授であるアーサー・ミラーの手になる著作、 Empire of the Stars Friendship,Obsession and Betrayal in the Quest for Black Holesの邦訳版『ブラックホールを見つけた男』(草思社)、その432ページにあって[特異点(ブラックホール)]につき次のような言いようがなされていることを引いておく。

(直下、『ブラックホールを見つけた男』(草思社)、p.432よりの原文引用をなすとして)

「特異点――限りなく縮んで無限大の密度の点になった星――という極限状況では、古典物理学の法則は破綻し、一般相対論もその例に漏れない。古典物理学の法則からは無限という特異点が現われ、容認することのできない矛盾が生じてしまう。けれども、自然をもって現実に即して記述する量子物理学なら、古典物理学が立ち往生してしまう無限を扱うことができる。ブラックホールの奥底では、量子重力の法則があとを引き継ぐ。物理学者たちの推測では、そのような極限状況にある領域では時間と空間は引き裂かれ、出来事の因果関係は消え、時間の前後の区別がなくなるとされている量子物理学の法則は異様さと曖昧さの始まりを示すものである。時間と空間は切り離される。空間は明確な形を失い、あとに残るのは、決まった形をもたない石鹸の泡の塊のような「量子の泡」の揺らぎである

(引用部はここまでとしておく)

 さらに ブラックホールが

b.[その中に吸い込まれた者の末路が「外側から見る」と時の氷地獄に閉じ込められたようになる ――だが、しかし、吸い込まれた者から見れば分解されているとの状況になっている―― 領域]

であるとのことの「さらなる」出典を挙げることとする。

 それにつき、[時に凍り漬けにされるが如き描写]についてはここでその不備を補うことを目的にしての出典(Source)紹介の部55にて既に次の通りの出典を挙げてもいた。

(直下、『2063年、時空の旅』(講談社刊行.原著原題 Time: A Traveler's Guide/著名な米国の科学解説本著者であるクリフォード・ピックオーバーの手になる門外漢向け科学理論解説書の訳書)にあっての架空の登場人物らにかこつけられてのブラックホールにまつわる科学理論の解説部となっている234ページの記述を引用なしていたところとして)

「もしヴァーユがブラックホールに近づきすぎたらどうなるだろうか。琥珀に閉じこめられた古代のアリのように、ヴェーユは事象の地平面で永久に凍りついたように見えるだろう。そして彼の姿は薄くなって消えていく。現実には、彼の身体は事象の地平面を突き抜け、特異点に向かって落ち込んでいくのである」

(再度の引用部はここまでとする.尚、[外側から見るとブラックホール被吸引者の姿は琥珀に閉じ込められた蟻のように見える]と書かれてはいるが、そもそも、[外側から見る]との観測行為が諸種の障害ゆえに不可能事とされるとのこともあるのだが、そのことはここでは置く)

 ここではもう一例ほど同じくものこと ――ブラックホールの中に吸い込まれた者の末路が「外側から見る」と時の氷地獄に閉じ込められたようになるとされること―― にまつわる出典を挙げておくこととする。

(直下、『ホーキングの最新宇宙論 ブラックホールからベビーユニバースへ』(日本放送出版協会(現社名:株式会社NHK出版))との国内にて多数流通した書籍にてのp.108からp.109よりの引用をなすとして)

このように、崩壊してブラックホールになっていく星を遠くから見ている人は、星が実際に消え去るところを見ることはできません。その代わりその星は、実質的に見えなくなるまで、どんどんぼんやりと、赤くなっていくだけでしょう。向こう見ずな宇宙飛行士が、ブラックホールに飛び込むのを見ていると、同じようなことが起きるはずです。たとえば、彼の時計で十一時〇〇分にブラックホールに入るとします。そこは光線ばかりか、何ものも脱出不可能な領域です。ブラックホールの外にいる人は、どんなに長い間待っても、宇宙飛行士の時計が十一時〇〇分を指すのを見ることはできません。その代わり、宇宙飛行士の時計の一秒一秒がどんどん長くなって、ついに十一時〇〇分の前の最後の一秒が、永遠に続くのを見ることになるでしょう。このように、ブラックホールに飛び込むことで、少なくとも外にいる人に対しては、自分の姿が永遠に残るということは確信できます。けれど、その像は急速に薄れ、誰にも見えなくなるくらい、ぼんやりとかすんでいくでしょう。

(引用部はここまでとする ―※― )

(※尚、ここにて引用なした国内流通著作『ホーキングの最新宇宙論 ブラックホールからベビーユニバースへ』の著者とのことになっている著名物理学者スティーブン・ホーキング ――(同ホーキング、本稿の出典(Source)紹介の部1および出典(Source)紹介の部2にて摘示しているように[加速器生成ブラックホール]の議論の契機を一面で造りだしたとの存在にして、また、加速器生成ブラックホールの安全性論拠に転用されることになった概念(ホーキング輻射)を提供していたとの存在ともなる)―― に関してはその著書 A Brief History of Time『ホーキング、宇宙を語る ビッグバンからブラックホールまで』(早川書房)の中で次のようなこと「をも」述べてもいる。(ハードカヴァー『ホーキング、宇宙を語る ビッグバンからブラックホールまで』p.123からp.124よりの原文引用をなすところとして)たとえば軽率な宇宙飛行士などのような物体が事象地平を通ってブラックホールに落ち込むことはできても、事象地平を通り抜けてブラックホールから抜けだすことのできるものは何一つない(事象地平はブラックホールから脱けだそうと試みている光が時空の中でたどる経路であること、そして光よりも速く伝わるものは何もないことを思い出そう)。事象地平に対しては、ダンテが地獄の門のついて述べた言葉があてはまるだろう。「ここより入る者はすべての望みを棄てよ」。事象地平を落ちたものは、何物も、また、何人も、すみやかに無限の密度の領域と時間の終焉にいきつくだろう(引用部はここまでとする)。 以上抜粋して示しもしたこと、スティーブン・ホーキングがダンテ『地獄篇』にあっての Gates of Hell[地獄門]の概念を持ちだしもしながらブラックホールのことをかつて論じていたとのそのことは本稿先にて解説した[ダンテ地獄篇における[特徴]]と関わりもすることとなる ――その点、ホーキング見解は経年変化を見ており、ホーキングがここにて抜粋したような部にまつわる見解をすべて保持し続けているかの問題は脇に置く。また、筆者は「ダンテを用いての比喩の側面で」ホーキングの[慧眼](のようなものがあれば、だが)を称揚しているわけでもなければ、「かのホーキングが述べているのだから・・・」との論理を前面に押し出している([権威による論証]という[詭弁術]の一種を用いんとしている)わけでもない。「問題としたきは、」特定権威が『地獄篇』に通ずる申しようがなせるとのことを一面で傍証するようなことを述べていたとの事実がある、ただ、それだけのことである―― ) 

 他面、ブラックホールが

c.[自然の祖と表されるようなものである]とする観点が存する領域]

であるとのことについては

[ブラックホールについては宇宙の行く末と深くも関わり、また、続く[ビッグバン]との兼ね合いで宇宙の孵卵器(ふらんき)となっているとの[見立て]がなされて「も」いる存在である]

とのこについての紹介をなすことが直截な方式であると見たのでそうすることとする(尚、ブラックホールとビッグバンとの関係性について述べれば、ブラックホールに見る特異点が原初宇宙のそれに似ているといった別の話も関わる節があるのであるが、については、ここでは典拠をいちいち挙げないこととする)。

 その点、まずもっては日本にて流通を見ているここ日本の科学雑誌Newtonの記述を引いておくこととする(同誌については『物見遊山的な素人向けの雑誌だろう』と嗤う向きもあるようにも思うのだが、[広く言われもしてきたところ]としての学者ら理解のことを紹介するにはそこよりの引用で足りるとの認識が筆者にあること、お断りしておく)。

(直下、Newton別冊 正反対の顔をもつ「時空の二つの穴」ブラックホール ホワイトホール(2008年6月15発行の号)にての[宇宙とブラックホールの最終章]の部よりの中略なしつつもの掻い摘まんでの引用をなすとして)

 われわれの宇宙は現在膨張しています。そのような宇宙の未来はどうなるのでしょうか。・・・(中略)・・・真っ黒になった宇宙の銀河の中には、大きな星の最後に残ったブラックホールや冷えた中性子星、冷えた白色矮星、そしてはじめから燃えることのなかった木星のような星だけになります。・・・(中略)・・・銀河を支えるエネルギーが小さくなってつぶれていき、最後は巨大なブラックホールになります。そして、銀河がつぶれた巨大なブラックホールの間のばく大な空間を、小さなブラックホールや冷えた星がさまよっているのが、遠い宇宙の姿です。その後、宇宙はブラックホールだけになり、さらに遠い未来にはこれらが宇宙のいたるところで蒸発をはじめて輝きはじめます。そしてこの蒸発が大爆発を経てすべて終わると、宇宙に最終的な死が訪れるのです」

(引用部はここまでとしておく.同様のことは英文Wikipedia[ Chronology of the universe ]項目の Big freeze: 100 trillion years and beyondの節などにて現行、記載されているところに大きく通ずるところがあると見ている)

 また、同じくものことと関わるところとしてブラックホールが宇宙の末路であるとされる一方でブラックホールが次なる宇宙の孵卵器になっているとの申しようもなされている。

 については「従前」にあって和文ウィキペディア[ビッグバン]項目にてからして下に引用するような記載がなされて「いた」とのことがある。

(直下、「従前の」和文ウィキペディア[ビッグバン]項目よりの引用をなすとして)

「ビッグバンのメカニズムについて 1.前宇宙で発生したブラックホールで吸収された物質が、素粒子・・・(中略)・・・まで分解された後、時空の底へ落下する。2.時空の点に落ちた細かな粒子は最大の放出口であるビッグバンに向かって放出される。3.放出後に物質化した物質同士が融合を繰り返し再度ブラックホールが形成され1から繰り返される」

(引用部はここまでとする)

 だが、上の記述は現況にあってはウィキペディアの当該項目の改変によって見られなくなっている。行き過ぎた書きようであったのか、他の事情があるのか測りかねるが、とにかくものこととして、である(:筆者がウィキペディアの改変状況を把握できているのには数ギガバイトのウィキペディアのダンプデータを都度、(閲覧・参考用に)ダウンロードしているとのこと「も」ある)。 
 そこで次のような科学読み本に見る記述を ――[内容が変転しない普遍的なる文献的事実]の問題に関わるところとして―― 引いておくこととする。

(直下、本稿の先の段でもその内容を問題視したところの Parallel Worlds; A Journey Through Creation,Higher Dimensions and the Future of the Cosmos(邦題『パラレルワールド ――11次元の宇宙から超空間へ』.同書訳書の刊行元は現NHK出版)の原著、 CHAPTER EIGHT A Designer Universe?の章にてのp.254よりの原文引用をなすとして ―原著テキストの方は引用英文テキストを検索エンジンで入力・検索することでその通りの記載がなされていることをオンライン上より確認できるようになっている― )

One variation of the multiverse idea is actually testable today. Physicist Lee Smolin goes even further than Rees and assumes that an “evolution” of universes took place, analogous to Darwinian evolution, ultimately leading to universes like ours. In the chaotic inflationary theory, for example, the physical constants of the “daughter” universes have slightly different physical constants than the mother universe. If universes can sprout from black holes, as some physicists believe, then the universes that dominate the multiverse are those that have the most black holes.

(拙訳として)
「マルチ・バース(多世界解釈)にあっての一つの類型は現実に今日、検証に堪えるものとなっている。物理学者リー・スモーリンはリース(訳注:文脈上、マーティン・リースという大物物理学者のことを指す)よりさらに先に行きもし、[宇宙の進化はダーウィン的進化の類似物として発生し、結果的に我々のそれのようなものに至ったのである]と考えている。無秩序(カオス)とのことでの宇宙膨張理論(訳注:宇宙インフレーションセオリー)にあっては例えば、娘宇宙らの物理定数は幾分、母宇宙のそれと違う物理定数となるとの見方がある(訳注:ここでは生物学的に見た細胞分裂の娘細胞や母細胞のような観点で宇宙論が語られている)。仮に幾分かの物理学者らが信じているように宇宙がブラックホールより生じるのならば、他宇宙・多世界(マルチ・バース)に対して優勢を呈する宇宙とは[最もブラックホールを保有しているもの]らということになるだろう

(訳を付しての引用部はここまでとしておく)

 上にて引用したところで『パラレルワールド ――11次元の宇宙から超空間へ』(NHK出版)著者ミチオ・カク(米国にて一流かつカリスマ物理学者として認知されているハーバードにて学位取得のメディア露出型日系人物理学者)は

「仮に幾分かの物理学者らが信じているように宇宙がブラックホールより生じるのならば、他宇宙・多世界(マルチ・バース)に対して優勢を呈する宇宙とは[最もブラックホールを保有しているもの]らということになるだろう」

と述べているわけであるが、そうした見方 ――宇宙の揺り籠はブラックホールである(ないしは甚だしくは宇宙はブラックホールそのものの子供である)という見方―― を尖鋭に示す英語圏科学分野の識者の物言いも少し調べて見れば見つかるところとなっている (:たとえば、である。その伝で最も尖鋭性を呈している(極めてradicalである)との見方は Nikodem Poplawskiという物理学者に起因する2010年に端を発する見解として現況英文Wikipedia[ Nikodem Poplawski ]項目にて掲載されているところの Nikodem Poplawski (born 1975) is a theoretical physicist at the University of New Haven, most widely noted for the theory that every black hole is a doorway to another universe and that the Universe was formed within a black hole which itself exists in a larger universe.(大要訳として)「ニューヘイブン大の理論物理学者 Nikodem Poplawskiはブラックホールが他の宇宙への入り口となっているとの理論、また、[宇宙が他のより大きな宇宙の中に存在しているブラックホールの中で形成されるものであるとの理論]の提唱者とのことでよく知られているとの向きとなる」(引用部の大要訳はここまでとする)とのものに見出すことができもする ――以上の見解は[我々の住まう宇宙が他のより大きな宇宙の中に存在するブラックホールの中にて生成されている可能性がある]といったことを論じての過激なものとなっている―― )

 これにて、

[ブラックホールについては宇宙の行く末と深くも関わり、また、続く[宇宙生誕]との兼ね合いで宇宙の孵卵器(ふらんき)となっているとの[見立て]がなされて「も」いる存在である]

との解説を終えることとする(:すなわち、先程、A.からG.と分かちて明示したうちのG.[自然の祖であるとする観点が存する場]との特色をブラックホールが呈しているとされることの出典紹介を終えることとする)。


(補足として)

 直近引用部にては

[ブラックホールをして[宇宙自体の揺り籠(甚だしくは母)であるとする観点]が存在していることにつき典拠となるところ]

をミルトン『失楽園』に見る[アビス]の領域の描写 ――(時間と空間を一体として見られるようになったとのアインシュタイン「以後」の現代科学に向けての展開から振り返って見て異質なことに17世紀古典にありながら[「時間」と「空間」が意味をなさなくなる]とされている底無しの闇の領域の描写)―― に関わるところとして挙げた。

 それにつき述べておけば、同じくものことにつき、数多存在する出典紹介として呈示可能なものらを脇に置き、敢えても

Parallel Worlds; A Journey Through Creation,Higher Dimensions and the Future of the Cosmos(邦題『パラレルワールド ――11次元の宇宙から超空間へ』(現NHK出版刊行)

との書籍を直上の段にて典拠として紹介したことに「も」(本稿筆者なりの)理由がある。

 すなわち、極めて著名な古典となっているミルトン『失楽園』にあって

[ルシファーことサタンが[ブラックホールに近似的なるもの=アビス(「時間」と「空間」が意味をなさなくなる「底無し」の「暗黒領域」)]を越えて破壊の対象としての他世界(エデンにて育てられ出した人間の領域)に「林檎での誘惑につながった」単身飛行をなそうとするとの下り]
[サタンの妻子たる擬人化された[罪]と[死]が[ブラックホールに近似的なるもの=アビス(「時間」と「空間」が意味をなさなくなる「底無し」の「暗黒領域」)]を越え、[罪]と[死]が人間に襲いかかるための橋梁が構築されたとの下り]

が含まれているとのことと表記の著作、多世界解釈を扱った
『パラレルワールド ――11次元の宇宙から超空間へ』に見受けられる内容、本稿にての出典(Source)紹介の部20で取り上げていたところの[カー・ブラックホールを越えて他世界へのナノマシン投入などをなすとのありうべき先進文明やりように対する「未来」予測]がなされているとの内容] (以下、邦訳版『パラレルワールド ――11次元の宇宙から超空間へ』384ページよりの「再度の」原文引用をなすとして)カー・リングの中心にワームホールがあれば、われわれの宇宙をまったく別の宇宙と、あるいは、同じ宇宙のなかにある別の地点と、結びつけてくれるかもしれない。・・・(中略)・・・現在、おおかたの物理学者は、ブラックホールを生きて通り抜けることはできないと考えている。しかし、ブラックホールの物理的解釈はまだ未熟な段階で、この推測は検証されていないここでの議論のために、ブラックホールを通り抜けることができ、とくに回転するカー・ブラックホールでそれが可能だと考えてよう。すると、どの先進文明も、ブラックホールの中を探査しようと真剣に考えるだろう(再度の引用部はここまでとする)との部につながる極微機械投入 ―ナノ単位やそれよりも遙かに小さいフェムト単位の極微さがゆえにブラックホール内部の潮汐力に耐えうるとの自律機械の投入― にまつわる内容)

ブラックホール類似形を介しての接合性(ミルトン『失楽園』に見るアビス領域進出描写と表記著作のカー・ブラックホール進出関連トピックを介しての接合性でもいい)を感じさせるものである」

と見たとのことがあるがゆえにそのことに注意向けるべくも(現在そうしているように実際に注意を向けているとのそうした式につなげるべくも)わざと『パラレルワールド ――11次元の宇宙から超空間へ』という著作を出典として挙げもしたのである(:につき自説に誘導しようとのあざといやりようを取っているとの認識はない。本稿全体の内容をご覧いただければ、ご理解いただけようかとのところとして、そういう解釈を敢えてもなさざるをえないとの側面がこの世界にはあるとのことが摘示できるからこそ、そういうやりようをとっているのである)

 その点、ミルトン『失楽園』の[アビス ―繰り返すが、「地獄門の先にある領域にして」「時空間の法則が意味をなさなくなる場にして」「果てなき暗闇の領域であり」「自然の祖である」との場― ]については次のような描写がなされている。

(直下、ミルトン『失楽園』に見る[悪魔の王サタンが「[地獄門を越えた先にある深淵アビスの領域]を越えて新しく造られた人間の領域に侵出、堕落のための工作をなすべし」との必要性を同サタン(ルシファー)と共に堕天した仲間の元・天使ら(悪魔ら)に一席ぶっている場を描いてのパート]、岩波文庫版『失楽園(上)』(平井正穂訳)p.79に記載されているところより原文引用をなすとして)

「荒れ狂っているこの業火の円蓋は、われわれを九重の壁でとり囲んでいる。頂上から覆いかぶさる、そして炎々と燃えさかっているもろもろの金剛不壊の門は、頑としてわれわれが出てゆくのを禁じている。誰かがあそこを通り抜けたとしても、そのあとには、実体なき『夜』の底知れぬ空漠の世界が、大きな口を開けて待ち構えている。すべてを無に帰せしめんとするその淵に呑み込まれたら最後、もはや何もかも跡形もなく消滅してしまうのだ。かりにそこを脱れ、どこか未知の世界に達しえたとしても、やはりそこに待ち受けているものは、同じような未知の危険の危険であり、同じように困難極まりない脱出の模索に他なるまい

(国内にて流通している訳書よりの引用部はここまでとする ―※― )

(※尚、インターネットよりその木があるのならば全文ダウンロードできようとのパラダイス・ロスト原著、具体的には Henry Walshとの人物を編者として著名な挿絵家 Gustave Doreの手になる挿絵が付されているところの Internet Archive Project Gutenbergのサイト経由でダウンロード可能なミルトン PARADISE LOST原著近代刊行版にあっては( BOOK II 433-466行を収めた)38ページにての、
Outrageous to devour, immures us round
Ninefold, and gates of burning adamant,
Barred over us, prohibit all egress.
These passed, if any pass, the void profound
Of unessential night receives him next
Wide gaping, and with utter loss of being
Threatens him, plunged in that abortive gulf.
If thence he 'scape into whatever world,
Or unknown region, what remains him less
Than unknown dangers, and as hard escape

との部位がオンライン上より確認できる上記の国内流通訳書よりの引用部に対する原著該当部の文言となる ――ちなみに、そこにて地獄の牢獄がNinefold「9重」と定義されているのは『失楽園』に数世紀ほど先行するところのDanteInferno『地獄篇』地獄が9層であると形容されていることの影響であろうと解されるところとなる―― )

 以上の引用部にみるように

[『夜』の底知れぬ空漠の世界となり、一端、そこに下手に落ち込めば、二度と抜けられぬ領域 ――『失楽園』の別の箇所では「時空間の法則が意味をなさなくなる場にして」「果てなき暗闇の領域であり」「自然の祖である」と描写されているアビスの領域―― ] (そちらが他古典ダンテ『地獄篇』とあわせてブラックホールとの多重的類似性を有しているからこそ、本稿本段にて問題視しているとの領域)

を越えてルシファーが人間の世界に侵出しようとしている(そして[林檎]による悲劇をもたらそうとしている)と『失楽園』にて描写されていることが

(本稿にての出典(Source)紹介の部20でそういう物言いが著名物理学者よりなされるに至っているところの例示とした)

[科学書『パラレルワールド ――11次元の宇宙から超空間へ』に見る、[カー・ブラックホールないしワームホールを越えての潮汐力や放射に耐えうるナノマシン形態の「種子」の投入](他宇宙・他世界への進出へ対する種子たる自律極微機械投入)とのありうべき先進文明やりようにまつわる未来予測の話]

と[ブラックホール][ワームホール]関連で接合する節があるとのことを問題視すること「さえも」行き過ぎにはならないとの事柄ら(化け物がかった多重的関連性でもいい)があると指摘することに努めんとしているのが本稿となる ――※[加速器によるワームホール(と呼ばれる重力の妙技)の人為生成]の可能性が現代の物理学者らによって取り沙汰されだしたのは「ここつい最近」のこととはなるが(同じくものことについては本稿の前半部にて細かくも典拠挙げながら解説しているし、さらに後の段にても解説なす所存である)、 1950年代、[ワームホール]との言葉さえ存在していなかったとのその1950年代との折柄に世に出た特定ファンタジー小説作品からして[蛇の種族の侵略の筋立て][加速器とワームホール・ブラックホールの接合にまつわる(明示的ならぬ)隠喩的言及]をその特色としていると申し述べたらば、どうか(:既に数点ほど、先覚的文物の問題を扱ってきた本稿ではあるが、未だ解説なしていないとのそちら小説作品、『リアノンの剣』については後にての段で詳説をなすこととする)。 またもって、[ワームホール]という言葉の由来が一般に[「林檎に対する」虫喰い穴に由来するとされている中で[ワーム](現在の語法では[這いずる虫])との語が本来的には古英語で[蛇]の類を意味する語であったと申し述べれば、どうか(その点について「も」後の段で解説なす)。 読み手が聡くもあるのならば、そうしたことここまで摘示してきた内容、そして、ミルトン『失楽園』にあって[[蛇(ワーム)]に変じたサタンが[林檎]でもって人間に破滅の結末をもたらした存在]と描写されていることから何がしかのことを考えて然るべきところである。そうも述べておく―― 。

 注意喚起のために上のこと、述べておく。

(補足はここまでとする)


 ここまでにてダンテ『地獄篇』・ミルトン『失楽園』にあっての[ルシファーと結びつく地獄門の先の領域]の絡みで着目しもしたところ(古典内特定記述)と接合する、

[時空間の法則が破綻する(時間と空間が本来通りの意をなさなくなる)領域としての性質]

[その中に吸い込まれた者の末路が「外側から見る」と時の氷地獄に閉じ込められたようになる ――だが、しかし、吸い込まれた者から見れば分解されているとの状況になっている―― 領域としての性質]

[自然の祖であるとする観点が存するとの性質]

をブラックホールが有していると「される」ことについての典拠を挙げるべくも設けた出典紹介部を終えることとする。

[概説]部としての色彩も強かった出典(Source)紹介の部55を補ってもの部としての出典(Source)紹介の部55(3)はここまでとしておく


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直下、本稿冒頭部へのリンクを設けておく

(⇒冒頭頁へは下の部より)

[典拠紹介部第1頁 加速器実験に伴う欺瞞性から証示なせることについて]

 上にて挙げているのはドイツ浪漫主義芸術の巨匠たる18世紀画家、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(Freemasonでもあったとの画家 Caspar David Friedrich)の手になる一品、

Der Wanderer uber dem Nebelmeer雲海の上の旅人』(に多少の[動き]をアレンジとして加えたもの)

となる。

 言われようの問題として一般に、

[人間の崇高なる精神が高みを目指し、ついぞ多くの物事を達観するに至った時、その折の孤独と感慨を描いた画]

などと形容される上掲の『雲海の上の旅人』に関して(本稿でもその言行を順次・段階的に取り上げることになるとの)物理学者リサ・ランドールは[次のような申しよう]をなしている。


(直下、物理学者リサ・ランドールの手になる著作 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)にての CHAPTER THREE LIVING IN A MATERIAL WORLD[第三章 物質世界に生きる]の章の記述内容 ――オンライン上検索エンジンにあっての原文検索にて該当部特定できるところの記述内容―― よりの原文引用をなすとして)

Our universe is in many respects sublime. It prompts wonder but can be daunting ―even frightening― in its complexity.  Nonetheless, the components fit together in marvelous ways. Art,science, and religion all aim to channel people’s curiosity and enlighten us by pushing the frontiers of our understanding. They promise, in their different ways, to help transcend the narrow confines of individual experience and allow us to enter into―and comprehend―the realm of the sublime. (See Figure 11.)
          [ . . . ]
[ FIGURE 11 ] Caspar David Friedrich’s Wanderer Above the Sea of Fog (1818), an iconic painting of the sublime ― a recurring theme in art and music.

(上の原著引用部に対する[訳文]として国内流通訳書『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)ハードカヴァー版にあっての81ページに記載されているところを引くとして)

多くの点で、私たちの宇宙は崇高だ。その複雑さは好奇心を駆り立てはするが、無力感も抱かせるし、ことによっては恐怖さえも感じさせる。にもかかわらず、宇宙の構成要素は素晴らしくぴたりと絡みあっている。芸術、科学、宗教は、いずれも人々の好奇心を促して、理解の限界を広げさせ、それによって私たちを啓蒙することを目指している。いずれもそれぞれのやり方で、個人の経験の狭い領域を越えさせることを約束している。それがかなえられたとき、私たちは崇高なものの領域に踏み込む――そして理解する――ことができるのだ(図11を参照)。 …(中略)… [図11]ドイツの画家カスパー・ダーヴィド・フリードリヒの「雲海の上の旅人」は、崇高なものを象徴的に描いた作品だ。崇高さは、美術と音楽に繰り返し登場するテーマである

(以上をもって Knocking on Heaven’s Doorにての原著表記および訳書よりの引用とした)


 さて、何故、ここ脇に逸れての部にあって「目立つように」特定絵画 ― 『雲海の上の旅人』― を挙げ、その絵画に対する物理学者の評しよう ―「雲海の上の旅人」は、崇高なものを象徴的に描いた作品だ....― などを引いたりもしたのか

「それは、」
絵画『雲海の上の旅人』に対して直上引用なしたような評しようをなしているとの物理学者リサ・ランドールが

加速器によるブラックホール生成可能性にまつわるトピックの理論深化に一廉ならぬ貢献をなしているとの著名物理学者

[[崇高なるもの]を目指しての宇宙の探求(およびそのための装置と銘打たれている巨大加速器LHC)の称揚・礼讃をなしているとの向き

であるとのことがあり、また、なおかつ、彼女リサ・ランドールの手による、(絵画『雲海の上の旅人』を科学者が目指しての[崇高さ]とを結びつけている)引用元著作 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)が

人間のありよう(崇高さとはおよそ程遠いところにあるありよう)]
人間の辿る運命

を嘲笑うような[嗜虐的寓意]で満ち満ちていると申し述べられるようになっている著作であるとのことがある、遺憾ながら
[理の当然]
として申し述べられるところとしてある ――個人のせせこましい偏頗(へんぱ)な主観などとは一線を画したところで客観的かつ具体的にこれはこうでこうだと申し述べられるようになっている(出典呈示を第一義にしての本稿では無論、その論拠を事細かに挙げる)とのところとしてある―― からであり、そのことに注意を向けたかったからである(※)。

(※上にて引用元とした著作、 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)、同著にあってはその冒頭部より
September 10, 2008, marked the historic first trial run of the Large Hadron Collider (LHC). Although the name―Large Hadron Collider― is literal but uninspired, the same is not true for the science we expect it to achieve, which should prove spectacular. (表記英文引用部に対する訳として)「2008年9月10日、ラージ・ハドロン・コライダー(LHC)が歴史的始動を見た.[ラージ・ハドロン・コライダー]との名称は有り体に言ってインスピレーションを何ら与えぬとの平凡なものだが、私たちがそれ(LHC)に[証明すべきととらえている壮大なる挙]を託しているとの意では[科学(の進歩)]にとり同じくものことは真実とはならない(LHCは際立ってのインスピレーションを与えるものである)」
などとのことが書き記されている。
 そうもした書きようが目立ってもの冒頭部にてみとめられる著作ノッキン・オン・ヘブンズ・ドアにおける表題、 [天国のドアをノックする]の由来についてリサ・ランドール女史は同じくもの著作の中で次のようなことを述べてもしている。
(以下、 Knocking on Heaven’s Doorにての CHAPTER FOUR LOOKING FOR ANSWERSより引用なすところとして)
I first heard the phrase “knockin”on heaven’s door”when listening to the Bob Dylan song at his 1987 concert with the Grateful Dead in Oakland, California. Needless to say, the title of my book is intended differently than the song’s lyrics, which I still hear Dylan and Jerry Garcia singing in my head. The phrase differs from its biblical origin as well, though my title does toy with this interpretation. In Matthew, the Bible says, “Ask, and it shall be given you; seek, and ye shall find; knock, and it shall be opened unto you: For every one that asketh receiveth; and he that seeketh findeth; and to him that knocketh it shall be opened. (以上原著表記に対して訳書『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)ハードカヴァー版[第四章]103ページにての表記を引くとして) Knocking on Heaven’s Door(天の扉を叩く)]――これが本書の原題だが、私が最初にこのフレーズを聞いたのは、一九八七年、カリフォルニア州オークランドでのグレイトフル・デッドとのコンサートで、ボブ・ディランが『天国への扉』を歌うのを聞いたときだった。いまでも私の頭の中ではディランとジェリー・ガルシアがこれを歌っているのが聞こえてくるけれど、いうまでもなく、私の本のタイトルは、この曲の歌詞とは意味が違っている。このフレーズは出典である聖書の一節とも違っているが、私のタイトルはこちらの意図を拝借したものだ。聖書の「マタイ伝」には、このように書かれている。「求めよ。さらば与えられん。尋ねよ、さらば見いださん。門を叩け、さらば聞かれん。すべて求むる者は得、たづねる者は見いだし、門を叩く者には開かれるるなり
(以上、引用部とした)
 といったところ、新約聖書のマタイ伝にあっての
[求めよ。さらば与えられん。尋ねよ、さらば見いださん。門を叩け、さらば聞かれん。すべて求むる者は得、たづねる者は見いだし、門を叩く者には開かれるるなり]
とのフレーズ、それが
[天国の門]・[天国への扉]・[天国への階梯](ステアウェイ・トゥ・ヘブン)
との兼ね合いでいかように嗜虐的なる別側面での意味( Double Meaning )と共にあるのか、そのことからして具体的典拠を挙げ連ねるとの式で遺漏無くも事細かに示そうというのが本稿の本義であるとここ脇に逸れての部にあって訴求しておきたいとの意図が筆者にはある)

当サイト内にあっての【各頁および各典拠への一覧方式遷移部】、及び、【PDF形式文書配布ページ】へのリンクを直下、設けておく

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問題となる[「予見的」言及→実現]の体系についての[典拠紹介部]一覧呈示頁

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ここ本頁内にて[参照先]として挙げている【「容易に後追い確認なる」「堅い」ソースを呈示しての出典紹介部ら】、それぞれへの[遷移経路]を設けておく (:クリックすることでブラウザ ―インターネット閲覧ソフト― の[別タブ(別枠)]にて典拠紹介部を表示( open "additional" tabbed window(s) of web browsers

[出典(Source)紹介の部1](加速器のブラックホール生成リスク問題視の契機が1999年にあり、の折、実験機関はブラックホール生成可能性それ自体を否定していたとのことにまつわっての典拠紹介部1)
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典拠紹介部第2頁 1999年における加速器を巡る議論動向

[出典(Source)紹介の部2](加速器によるブラックホール生成が[現実的にありうること]と当事者実験機関および科学界にて表立って論じられ出したのが2001年であると判じられるようになっていることにまつわっての出典紹介部2)
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典拠紹介部第3頁 ブラックホール生成可能性にまつわる研究機関の変節の経緯

[出典(Source)紹介の部20]([カー・ブラックホールを越えて他世界へのナノマシン投入などをなすとのありうべき先進文明やりように対する「未来」予測]についても解説しているとの著名物理学者著述の内容を引きもしての出典紹介部20)
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典拠紹介部第15頁 加速器によるワームホール生成仮説に通ずる「先覚的」言及作品らの存在について(1)

[出典(Source)紹介の部55](ダンテ『地獄篇』およびミルトン『失楽園』にあって[「今日的な観点で見た場合の」ブラックホールの質的近似物]が描写されていることにまつわっての出典紹介部55)
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典拠紹介部第46頁 ダンテ『地獄篇』とミルトン『失楽園』に見るブラックホールに通ずる描写