典拠となるところの明示[100]――ダンテ『神曲;地獄篇』と[ヘラクレス12功業]
関連要素の複層的繋がり合い、そして、そこから問題となりもすることについて

関連情報にまつわるカテゴリ(各部クリックにて遷移)

再び著名古典にあってみとめられることに立ち戻るとして 補説3

 直前頁にあっては

ダンテ『地獄篇(現代的観点で見た場合のブラックホールの質的近似物が複層的にみとめられる旨、詳述なしてきたとの著名古典)と[ヘラクレスの12功業]の間の多重的結びつき]

が確としてみとめられることを

[重要なること]

であるとし、これより同じくものことについての解説をなす(より具体的には[1]から[5]と振っての流れにて解説をなす)と申し述べもしてから、「まずもっても、」の[1]と振っての部にて


[[ヘラクレスの10番目の功業にて誅伐された怪物;ゲーリュオーン]によって7番目から8番目の階層への降下]

[[ヘラクレスの11番目の功業にて(その途上)誅伐された怪物;アンタイウス]によって8番目から9番目の階層へと降下]

とのプロセスを経て(出典(Source)紹介の部90)、ダンテらは第9層(地獄の最下層)に降り立った


とのことの指し示しに努めた。

 次いで、本稿では[2]と振っての部にて


 ダンテらが[ヘラクレスが第10功業にて殺害した存在](ゲーリュオーン)および[ヘラクレスが第11功業にて殺害した存在](アンタイオス)におぶわれて漸次降下していった先にあっての地獄の最下層にあって控えるのが

三面構造の存在としてのルシファー]

となっているとのことがある、そのことに関して、

[ヘラクレスの「12番目の功業」にて捕縛対象となった「三つの顔を持つ」地獄の犬ケルベロス]

のことが(「事前経緯より」)想起される


とのこと、申し述べた。

 ここ本頁では以上振り返り表記もしてのこと、


 ダンテらが[ヘラクレスが第10功業にて殺害した存在](ゲーリュオーン)および[ヘラクレスが第11功業にて殺害した存在](アンタイオス)におぶわれて漸次降下していった先にあっての地獄の最下層にあって控えるのが

三面構造の存在としてのルシファー]

となっているとのことがある、そのことに関して、

[ヘラクレスの「12番目の功業」にて捕縛対象となった「三つの顔を持つ」地獄の犬ケルベロス]

のことが(「事前経緯より」)想起される


とのことの典拠を挙げることから話をはじめる。


| 出典(Source)紹介の部90(2) |

 ここ出典(Source)紹介の部90(2)にあっては、

[ダンテらが[ヘラクレスが第10功業にて殺害した存在](ゲーリュオーン)および[ヘラクレスが第11功業にて殺害した存在](アンタイオス)におぶわれて漸次降下していった先にあっての地獄の最下層にあって控えるのが[三面構造の存在としてのルシファー]となっているとのことがあり、他面、ヘラクレスの「12番目の功業」にて捕縛対象となりもしているのが[「三つの顔を持つ」地獄の犬ケルベロス]であるとのことがある]

とのことの典拠を挙げることとする。

 につき、まずもっては、ダンテ『地獄篇』のルシファーが「三面構造を呈する」、より具体的には、

[古典『地獄篇』にあっては重力の本源たる中枢地点、[裏切り者の地獄]たる[コキュートス]にあって最も罪深い者達が幽閉される[ジュデッカ]と呼ばれる領域で「三面構造の」ルシファーが人類史にあっての三大裏切り者ら(イスカリオテのユダ、マルクス・ユニウス・ブルータス、ガイウス・ロンギヌス・カッシウスの三名)を永劫に噛み砕いているとの描写がなされている]

とのことの典拠紹介をなすことよりはじめることとする。

(直下、オンライン上にて即時に確認できるところの英文Wikipedia[Inferno(Dante)]項目よりのルシファーに関する記載部 ――ダンテ『地獄篇』英訳版よりの抜粋をなしているとの部―― よりの原文抜粋をなすとして)

In the very centre of Hell, condemned for committing the ultimate sin (personal treachery against God), is Satan. Satan is described as a giant, terrifying beast with three faces, one red, one black, and one a pale yellow:
he had three faces: one in front bloodred;
and then another two that, just above
the midpoint of each shoulder, joined the first;
and at the crown, all three were reattached;
the right looked somewhat yellow, somewhat white;
the left in its appearance was like those
who come from where the Nile, descending, flows.

(訳として)
「まさしくもの地獄の中心部にて[神に対する私的動機に基づく裏切り]との究極の罪過を責められていたのはサタン(訳注:ダンテ『地獄篇』それ自体での表記はルシファーないしルチフェロ)である。 サタンは「赤」「黒」「淡い黄色」の三つの面を持った巨大で恐ろしき獣として描写される。すなわち、
(『地獄篇』本体の記述として)
[彼は三つの顔を持っている/一つは中央の血を帯びた赤色を呈し、他の二つの顔、各々の肩の中間部のちょうど上にあり、第一の顔と結合していた/頭頂部でそれら三面は再結合を呈していた/右側の顔は幾分黄色、幾分白色を呈する、左側の顔はその外観にてナイル側がその下流へと流れていくところよりやってくる人々の色のようである]
との記載がなされている」

(訳を付しての引用部はここまでとする。尚、上にて紹介のルシファー(あるいはサタン)に関する英文ウィキペディア内の『地獄篇』引用文の引用元は Inferno, Canto XXXIV, lines 39-45, Mandelbaum translationと明記されての英訳版(1982年に Allen Mandelbaumという米国イタリア文学者の手になる英訳版)となる)

(続いて直下、オンライン上にて即時に確認出来るところの英文Wikipedia[ Dante's Satan ]項目、その冒頭部よりの原文抜粋をなすとして)

In Dante’s Inferno, Satan is portrayed as a giant demon, frozen mid-breast in ice at the center of Hell. Satan has three faces and affixed under each chin are pairs of bat-like wings. As Satan beats his wings, he creates a cold wind which continues to freeze the ice surrounding him, and the other sinners in the Ninth Circle. The winds he creates are felt throughout the other circles of Hell. Each of his three mouths chews on Judas, Brutus, and Cassius.

(訳として)
「ダンテの『地獄篇』にてサタンは地獄の中枢にて胸半ばまで凍り付いた巨大な悪魔として描かれる。サタンは三つの顔を持ち、各々の顎の下にて結合状態を呈しているとのそのありように蝙蝠のような翼らが一対見てとれる。サタンがその翼を打ち鳴らすとき、その周辺に存在する氷および第9圏に存在する囚人らを引き続き凍りづけにするとの冷風を発生させている。サタンが造り出した風らは地獄の他の階層すべてを通じて知覚される(との設定の)ものである。サタンの三つの口はそれぞれユダ、ブルータス、カッシウスらを噛み砕き続けている

(引用部訳はここまでとする ―※― )


※以上、オンライン上より難なくも即時確認できるとの英文ソースを抜粋したが、
「それだけでは不十分である」
と述べる向きもいるかもしれないので(筆者は自身が[文献的事実]であると把握するところ以外、文言を引用しないようにしているのだが、思料すべきところとして先述のように易変性を伴い編者の錯簡・誤記が混入しやすいとのウィキペディア程度の媒体よりの引用は大学教育のレベルでさえ歓迎されないとの風潮があるからである)、 オンライン上の青空文庫プロジェクト(著作権の切れた著作を公開しているとのプロジェクト)にてもその内容が確認できるとの山川丙三郎訳の『地獄篇』邦訳版、その第34曲の部より[上にて引用した部位に対応する部]も一応、原文引用なしておくこととする。

(直下、岩波文庫より出されている山川丙三郎の手になる神曲 ―地獄― 上』第34曲の部より原文引用するところとして)

我その頭に三の顏あるを見るにおよびてげに驚けることいかばかりぞや、一は前にありて赤く
殘る二は左右の肩の正中(たゞなか)の上にてこれと連なり、かつ三ともに冠(とさか)あるところにて合へり

右なるは白と黄の間の色の如く、左なるはニーロの水上(みなかみ)より來る人々の如くみえき
また顏の下よりはかゝる鳥ににつかしき二つの大いなる翼いでたり、げにかく大いなるものをば我未だ海の帆にも見ず

此等みな羽なくその構造つくりざま蝙蝠の翼に似たり、また彼此等を搏ち、三の風彼より起れり
コチートの悉く凍れるもこれによりてなりき、彼は六の眼まなこにて泣き、涙と血の涎よだれとは三の頤(おとがひ)をつたひて滴したゝれり
また口毎にひとりの罪人を齒にて碎くこと碎麻機(あさほぐし)の如く、かくしてみたりの者をなやめき
わけて前なる者は爪にかけられ、その背しばしば皮なきにいたれり、これにくらぶれば噛まるゝは物の數ならじ
師曰ふ、高くかしこにありてその罰最も重き魂はジユダ・スカリオットなり、彼頭を内にし脛を外に振る
頭さがれるふたりのうち、黒き顏より垂るゝはプルートなり、そのもがきて言ことばなきを見よ 
また身いちじるしく肥ゆとみゆるはカッシオなり、されど夜はまた來れり、我等すでにすべてのものを見たればいざゆかん

(引用部はここまでとする) 

 尚、上の大正期文語調の部を現代文調になおせば

ルチフェロの持つ三面を見るだに驚かされること、筆舌に尽くしがたいとのところであった。(ルチフェロの)前方の顔は赤色を呈しており、残る二つは肩の部にあって肩の上にて真正面のものと結合しており、三つの顔は頭頂部を共有している。右側の顔は白と黄色の中間色を呈し、左の顔はナイル川(ニーロ)の上流よりやってくる人らのような色を呈している。また顔面部の下には鳥に似た巨大な翼が生えており、そうした巨大なものを海にあっての帆船の帆としても私は目にしたことがない(ほどに巨大なものである。これらの翼は羽がなく、構造からして蝙蝠の翼に近しく、また、それが揺らされることで、ルチフェロより風が発生している。コキュートス(コチート)がことごとく凍結しているのもその風に由来し、ルシファーは三つの顔面の六つの目でもって泣き、涙と血と涎が三つの顎をつたって滴りおちている。また各々の口で罪人を歯で麻ほぐし機のように粉砕し、そのために、各々の口で粉砕されている三人の者達は憂愁の憂き目に遭っている。それを見、師ヴェルギウスは口を開き
最も高いところに位置しているとの顔で噛み砕かれているのはイスカリオテのユダであり、彼は頭を顎の中に入れられ、その脛(すね)の方を外でばたつかせている。頭が口より外側の下に出ている者らについては、黒い顔より垂れ下がっている方がブルートゥスであり、そのもがくばかりで言葉を発しないとのありさまに見てみるといい。また、体格が甚だしく肥満状態にあるのがカッシウスである。さあ、もう夜が来た。見るべきものは見たので先に進もう
と述べた

と変換できる)


 次いで、

[三面構造のケルベロスがヘラクレス12番目の功業にての捕縛対象となっていること]

についての典拠紹介をなしておくこととする。

(直下、ローマ期ギリシャ人著述家アポロドーロスによる『ビブリオテーケー』の岩波書店より出されている訳本たる文庫版『ギリシャ神話』よりのワンセンテンスのみの引用 ―(当方所持の文庫版第61刷のもの、その第2巻Vの部p.102よりの原文引用)― をなすとして)

第十二番目の仕事として地獄からケルベロスを持って来ることを命ぜられたこれは三つの犬の頭、竜の尾を持ち、背にはあらゆる種類の蛇の頭を持っていた

(引用部はここまでとする)

 また、オンライン上より即時に確認できるところの媒体、ウィキペディア程度の媒体よりの引用をも一応、なしておくこととする。

(直下、英語版Wikipedia[Cerberus]項目にての「現行」記載内容よりの引用をなすとして)

Capturing Cerberus, without using weapons, was the final labour assigned to Heracles (Hercules) by King Eurystheus, in recompense for the killing of his own children by Megara after he was driven insane by Hera, and therefore was the most dangerous and difficult.

ケルベロスを何ら武器用いることなしに捕縛すること、それこそが(ヘラ神によって狂気にかられたヘラクレスが彼自身とメガラーの間に出来た子らを殺害したがために(神託にて)対価として求めれてのものとしての)エウリュステウス王よりヘラクレス(ハーキュリーズ)に申し渡された最後の功業](12番目の功業)となっており、それがゆえに、同功業、最も危険かつ困難なるものであった」

(訳を付しての引用部はここまでとする)

 以上のようにケルベロス ――三面の冥府の番犬―― の捕縛がその数、計にして12に及ぶことになったとのヘラクレスの最後の功業となっている。

(:尚、ここでは三面構造のルシファーと三面構造のケルベロスの類似性に注意を向けたうえでの典拠紹介をなしているわけだが、ダンテ『地獄篇』には[地獄の最下層に控えるルシファー]とは[別個の存在]として[ケルベロス]が罪人の拷問に使役される存在として地獄の浅い階層に登場させられているとのことがあるのでそちらにまつわる言及も当然になしておく)。
 すなわち、[地獄の第3圏;貪食者の地獄]、キリスト教的罪障観にあっての[七つの大罪]のうちの一つ[貪食](グラトニー/度を過ぎての暴飲暴食に耽ったとの罪)にてのその地獄にて貪食に起因する堕地獄の者達をケルベロスが見張り、何なれば、切り裂くとの描写が『地獄篇』にて見受けられるとのことがある。
 については英文Wikipedia[Inferno(Dante)]項目にて
The "great worm" Cerberus guards the gluttons, who are forced to lie in a vile slush produced by ceaseless foul, icy rain.巨大な芋虫(グレート・ワーム)状のケルベロスが[汚濁し、そして、氷のように冷たいとのやむことなき雨にてかたちづくられての不快なぬかるみ]の中に横たわることを強いられている暴食の咎人らを見張っている」
と記載されているところがそうである。
 また、同じくもの部位の「邦訳」されての『神曲:地獄篇』についての記述も挙げておく。
 大正期文語調にて極めて読みにくいものなれど、オンライン上の青空文庫プロジェクト(著作権の切れた著作を公開しているとのプロジェクト)にてもその内容が確認できるとの山川丙三郎訳の『地獄篇』邦訳版では[第三圏の地獄にてのケルベロス登場の下り]にあっては
(そこよりの中略なしながらもの原文引用をなすとして)
我は第三の獄(ひとや)にあり・・・(中略)・・・大粒の雹(ひょう)、濁れる水、および夢はくらやみの空よりふりしきり、地はこれをうけて悪臭(おしゅう)を放てり 猛き異樣の獸チェルベロこゝに浸れる民にむかひ、その三(みつ)の喉によりて吠ゆること犬に似たり これに紅の眼、脂ぎりて黒き髯(ひげ)、大いなる腹、爪ある手あり、このもの魂等を爬き、噛み、また裂きて片々(きりぎり)にす・・・(中略)・・・大いなる蟲(むし)チェルベロ我等を見し時、口をひらき牙をいだしぬ、その體(からだ)にはゆるがぬ處なかりき (引用部はここまでとする)
と[ケルベロス(大正期文語ではチェルベロと表記)が[大いなる蟲(グレート・ワーム)]として登場しているありさまが記載されている(以上は青空文庫のページからオンライン上で誰でも確認できるところだが、岩波書店より出されている文庫版『神曲 ―地獄― 上』(当方所持の増版重ねられての69刷版)ではp.42に全く同様の記述が認められる)―― )

(これにて[三面構造をとるとの『地獄篇』ルシファー]及び[三面構造を呈するヘラクレス12功業に登場するケルベロス]に関する出典紹介を終える)

 視覚的訴求をなすために画家ギュスターブ・ドレ(先だっても『地獄篇』近代刊行版に用いられての同人物手仕事たる挿絵を挙げたとの著名画家)が『地獄篇』に提供していた近代挿絵よりの抜粋をなしておく。下図にあっての左上の部。地獄篇では[ワーム]としての格好を、すなわち、[巨大な蟲(むし)状の格好]をとる(英語でのLarva[ラーヴァ]、芋虫系統の虫のような似姿をとる)との描写が「どういうわけなのか」なされているとの『地獄篇』ケルベロス似姿を画家ギュスターブ・ドレが描いたもの。下図にての右下以下の部。『地獄篇』におけるルシファー(ルチフェロ・サタン)の似姿を画家ドレが描いたものら。分かりづらいことか、とは思うが、巨大なルシファーが三面構造呈しての存在として描かれている。

 続いて初期ルネサンス期の代表的画家にして修道士でもあったとのフラ・アンジェリコの手になる『最後の審判』と画題付されての作品(そして、その表題通り、[キリスト教大系にあっての魂にあっての究極の二元論的行き先]を描いているとの作品)にあっての地獄Hellの部を抜粋しての図を挙げる。フラ・アンジェリコがダンテ以後の人間であるがためにダンテの地獄観の踏襲があってであろうが(Dante→ Fra Angelicoとの流れがあってであろうが)、下図にあっては地獄の最下層にて[ケルベロスのように三つの口を持つサタン]が罪人ら ―最前の引用部に認められるようにダンテ『地獄篇』では[人類の代表的裏切り者ら]としての[イエス・キリストを裏切ったイスカリオテのユダ]および[ジュリアス・シーザーを裏切ったマルクス・ブルートゥス]および[(同文にシーザーを裏切った)ガイウス・カッシウス・ロンギヌス]の三者との設定である― を噛み砕いているありようが見てとれる。

出典(Source)紹介の部90(2)はここまでとする)


 以上、関連図を挙げての視覚的強調をなしつつも典拠挙げてきたことについて、

『ルネサンス期ダンテ古典に見る世界観に対する[ヘラクレス12功業]の影響のありようなどに延々とこだわっているようだが、だから何だというのか。といった微細なこと(微細なことと判じられること)、トリヴィアにこだわるというのは浮き世離れしたそういう職掌や性癖を有した人間(プロとしての学者、アマとしての好事家)に任せていれば良いといったことであり、広く一般の人間が考える必要は「ない」ことであろう』

とここに至るまでの内容を把握されて「いない」との向きらは当然に思うところか、とも考える。しかし、「然にあらず」と強調しておきたい。端的に述べれば、次の三点の事由からである。


 第一。ダンテ『地獄篇』及びミルトン『地獄篇』の相互に相通ずる特性を帯びた部 ―[ルシファーの災厄にまつわる領域]および[地獄門(ゲイツ・オブ・ヘル)の先に関わりもする部]― にて

[現代的な観点で見てのブラックホール理解に通ずるものの描写]

が多層的に具現化を見ているとのことがある(:ダンテ『地獄篇』についてはそのことを把握したうえでであろうが、一部の著名物理学者らがブラックホールの特性について語るうえで当該古典『地獄篇』を引き合いに出してきたとの具体的経緯があることをも先述している ――本稿にての先立っての部、出典(Source)紹介の部55内の表記を参照のこと―― )。

 第二ブラックホール生成 ―直上の第一の点にての内容を顧慮したうえで言い換えれば、[ダンテ『地獄篇』のルシファー領域にその[質的類似物]が認められるとのもの]の生成― の可能性が「最近になってより」取り沙汰されだした(「最近になってより」取り沙汰されだしたことにまつわる具体的経緯については本稿にての前半部、出典(Source)紹介の部1から出典(Source)紹介の部3を参照のこと)とのCERNLHC実験にあっては「どういうわけなのか」「多重的に

[ヘラクレスの12功業]

との結びつきが指摘できるとの側面が伴っている (:くどくも強調するところとして「多重的に」そうなっている。関連する文物らにまつわるところとしてLHC実験とヘラクレス12功業(なかんずく、の中の11番目の功業)の関係性が摘示できるようになっているとのことがあるのだが、その具体的内容については本稿にてのここに至るまでの膨大な解説を参照されればよくご理解いただけることかと思う ――それにつき[多重的関係性摘示可能]との性質のことを問題視するのは[偶然性が否定され恣意性が明確化している]との中で背景(恣意の背景)に何があるのかとのことが当然に首をもたげてくるからである―― 。 尚、極々表層的なところでのLHC実験とヘラクレスの第11功業の関係性については本稿にての出典(Source)紹介の部35出典(Source)紹介の部36(3)を包摂する解説部などを参照されることだけでも理解が及ぶことか、と思う ――といったこと、[LHC実験とヘラクレス12功業の関係性]についてのこれ仔細なる指摘・指し示しをなそうとの人間はこの身、筆者を除きこの世界には存在していないようなのであるが(そも、非を鳴らして然るべきあからさまなる加速器実験発表動向にまつわる欺瞞を常識の線で裁判まで起こして非を鳴らそうとの向きすらもまたこの世界には絶無なまでにおらず、また、といった状況と表裏をなすところとして同じくものことを手を替え品を替え訴求せんとしても[「相応の」機械的反応しかなさぬ要所要所に配されたロボットら(最早人間とも言えないようなあらかじめ与えられたような反応しかなさないとの手合いら)]に台無しにされてしまうとの節があることも[実体験]させられているとのことがあるのだが)、といった指摘なす者の不在の状況であろうと、個人のせせこましい主観など問題とならずに現実的状況としてそのように指し示せるように「できあがっている」とのことは不変であると(くどくも)申し述べておく―― )。

 第三。先行する第一、第二の点の両二点を関わるところしてダンテ『地獄篇』のルシファーの座するところに至るまでの道程がヘラクレス12功業の寓意と密に結びついているとのことがある(すなわち本稿のここ本段にて指し示そうとしているとのことがある)のであるとすれば、

[地獄篇]→[ブラックホールおよびヘラクレス12功業との関係性が想起される古典]
LHC実験]→[ブラックホールおよびヘラクレス12功業との関係性が想起される現実的営為]

との関係性の環の問題が観念されることになる。

 そして、同じくもの[関係性の環]を別側面から補強しもする[具体的事例]が[相互に関連するところ]として極めて多数存在しているとのことがある。


 以上、指し示しの背後にある問題意識の確認をなしたうえで[ダンテ『地獄篇』とヘラクレス12功業の繋がり合い]について論ずべくも[1]から[5]と分けもして展開している中にあっての)[2]と振っての部を終える。

 (ダンテ『地獄篇』がヘラクレスの12功業と接合するとの話を続けるとして)
 ここでは直上の[2]だけでは未だ解説不十分であろうと見るところ、

「[ダンテ『地獄篇』最下層(地獄の最終地点)に登場するルシファー]からして[ヘラクレス12功業の最終目標たる冥界のケルベロス]を想起させる」

とのことについて「他」論拠となることを挙げておくこととする。
 
 第一。
 先述のように[地獄の最終階層]に向かう段階的降下は ――(先に原典としての古典そのものより抜粋なしながら解説しているように)―― 
[ヘラクレス10番目の冒険にて誅伐された怪物]
[ヘラクレス11番目の冒険(の途上)にて誅伐された怪物]

によって実現を見ているとのことがある。

 同じくものことに関わることとして、だが、先の部では解説をしていなかったところとして、[文献的事実の問題](古典にそういう記載が確としてなされているとの問題)として次のようなこと「も」がある

 第10の冒険にてヘラクレスは
[3つの頭を持つゲーリュオーン](ダンテの地獄降下を助力した怪物として『地獄篇』にも登場し、その三面構造との点ではヘラクレス12番目の功業に登場するケルベロスや地獄最下層に陣取る『地獄篇』版ルシファー(ルチフェロ)と相似形をとる存在)
を殺害したと伝わるが、その第10の冒険には他の存在も登場してきている。
 まずもってゲーリュオーンの島を舞台としている同第10功業についてはゲーリュオン配下の者としての[紅い牛(ヘラクレスの第10の功業の略取対象)を管理する牛飼いエウリュティオーン]という伝承上の存在が登場、牛を捕られてたまるものかと強奪者ヘラクレスに反撃に出た際にそちらエウリュティオーンがヘラクレスに殺害されたとされているのだが、そうしたヘラクレスの狼藉をゲーリュオーンに報告した存在として「さらに」別の牛飼い、

[地獄王(ハーデース)の牛を飼っていたメノイテース]

なる存在が登場を見ているとのことがある(:話がややこしくなっているが、ゲーリュオーンの島に牛を略取するために上陸したヘラクレスが目的の紅い牛を奪う過程である牛飼いを殺し、そのことを[メノイテース]という牛飼い ―ここで問題となる牛飼い― がゲーリュオーンに報告、ゲーリュオーンがヘラクレスを退治するために出撃したところ、返り討ちに遭ったというのが第10番目の功業のストーリーである)。

 さて、直上にて言及の牛飼い、

[第10番目の功業にてゲーリューオンにヘラクレスやりようを報告したハーデースの牛を飼っている牛飼いメノイテース(MenoitesないしMenoetes)]

はヘラクレス第12番目の功業、[ケルベロスの地上への引き出しの功業]にて「も」登場してくる。

 具体的には

[第12功業にてヘラクレスが地獄にて冥界の主催神ハーデースの牛 ――またもや牛である―― を殺した際にヘラクレスの狼藉をとがめるかたちでヘラクレスに相撲で挑み、脇腹を砕かれたもののペルセポネー(冥王ハデスの細君)による仲裁を受け、命をながらえたとの存在]

としてそちらメノイテースは第10の功業ばかりか第12の功業にも登場してくる(:下に古典の同じくもの部にまつわる下りよりの抜粋紹介も(出典紹介を密になすとの本稿の拠って立つ観点から)になすこととする)
 
 といった、

[第10の冒険にも第12の冒険にても登場する[地獄の王]の牛の牛飼いたるメノイテース]

は ―これまた古典古代に由来する文献にはきと記載されている[文献的事実]の問題として― 

[第11番目の功業の途上にてヘラクレスによって実演された巨人アンタイオスとの相撲よろしくの相撲を第12功業でヘラクレスと実演し、アンタイオスよろしく骨を打ち砕かれている存在]

となってもいる。

第10の冒険 ―三面のゲーリュオーンを殺傷しているとの功業― にも第12の冒険 ―三面のケルベロスを引きづり出さんとしての功業― にても登場する[地獄の王]の牛の牛飼いたるメノイテース]

という存在は、

第11の冒険にて相撲で敗北を見た巨人のように第12の冒険にてヘラクレスとの相撲での勝負で敗北を見た存在]

となる(以上のことの典拠は続いての出典(Source)紹介の部90(3)を参照のこと)。

 ここで[10番目の功業][11番目の功業][12番目の功業]のすべてと通底するとの特性を有する伝承上の存在たる[メノイテース]にあっての、

[[冥界下り](ヘラクレス第12の功業:ケルベロスを求めてのヘラクレスの冥界下り)および[地獄の王]と結びつく(メノイテースは冥界の主催神ハデス、転じて、キリスト教徒の地獄の呼称ともなったとのそのハデスの牛飼いである)との側面]
ゲーリューオンと結びつく側面]
アンタイオスと結びつく側面]

のことまでをも顧慮することで

「ダンテらは『地獄篇』の[冥界下り]にあっての地獄最下層、ゲーリュオーン(第10功業にてのヘラクレス殺害対象)におぶられ、そして、アンタイオス(第11功業にてのヘラクレス殺害対象)におぶられて最終的に降下した先たるその地獄最下層にて「ヘラクレス伝承にあってはそうもした形態を取るとのゲーリュオーン状の」そして「ケルベロス状の」三面構造をとる[地獄の王]ルシファーを目撃するに至った」

との一連の流れに[よりもっての恣意性]が見出せるとのことになる(:[第12功業にも登場している冥界で地獄の王を飼うメノテース]を結節点にヘラクレス第10功業のゲーリュオーンおよび第11功業の繋がり合いがギリシャ神話からして観念できる中でそうもなっている、でもいい。動機、何故、そうもした凝っているとしか見えない側面が見出せるのかとのその動機は[文豪ダンテのヘラクレス12功業を意識しての「趣味」]以外には通り一通りの話柄では説明がなしがたいことは置いておいても、とにかくも、そうもなっている)

 以上表記のことにまつわっての典拠を下に挙げる。


| 出典(Source)紹介の部90(3) |

 ここ出典(Source)紹介の部90(3)にあっては、

[「冥界の王ハデースの牛飼いたる」メノイテースなる存在がゲーリュオーンに対してヘラクレスやりように関する報告をなした存在としてヘラクレス第10番目の功業に登場し、また、同メノイテースがヘラクレスのケルベロスを求めての冥界訪問の過程で冥界にてヘラクレスに相撲を挑んだ存在としてヘラクレス第12番目の功業にも登場してきている]

とのことの典拠を挙げることとする。

(直下、ローマ期ギリシャ人著述家アポロドーロスによる『ビブリオテーケー』(の岩波書店より出されている訳本たる文庫版『ギリシャ神話』)よりの引用 ―(当方所持の文庫版第61刷のもの、その第2巻Vの部98ページよりの原文引用)― をなすとして)

第十の仕事としてゲーリュオネースの牛をエリュテイアから持って来ることを命ぜられた。エリュテイアはオーケアノスの近くの、今ではガディラと呼ばれている島であった。この島にクリューサーオールとオーケアノスの娘カリロエーと子ゲーリュオネースが住んでいた。彼は三人の男の身体が腹で一つになっていて、脇腹と太腿からは三つに分れた身体を持っていた。彼は紅い牛を持っていて、その牛飼はエウリュティオーン、番犬はエキドナとテューポーンから生れた双頭の犬オルトスであった。そこで、ゲーリュオネースの牛を目ざしてヨウロッパを通過して多くの野獣を殺し、リビアに足を踏み入れ、タルテーソスに来り、旅の記念としてヨウロッパとリビアの山上に向かい合って二つの柱を建てた。その旅の間に太陽神(ヘーリオス)に照りつけられたので、神にむかって弓を引きしぼった。神は彼の剛気に感嘆して、黄金の盃を与え、彼はこれに乗ってオーケアノスを渡った。そしてエリュテイアに至って、アバース山中に宿った。犬が彼を認めて突進して来た。しかし彼はこれを棍棒で打ち、犬を助けに来た牛飼のエウリュティオーンをも殺した。しかしそこで地獄王(ハーデース)の牛を飼っていた
メノイテース
が事件をゲーリュオネースに告げた。彼はアンテムース河畔に牛を追い去りつつあるヘーラクレースに追いつき、戦いを交え、射られて死んだ(以下略)」

(引用部はここまでとする)

 上の引用部にて

[ヘラクレス第10の功業にて[ハーデースの牛飼いたるメノイテース]がゲーリュオン(ゲーリュオネース)にヘラクレスやりようを報告した存在として登場している]

ことの文献的論拠を指し示したことになる。

 典拠紹介を続ける。

(加えて、直下、『ビブリオテーケー』の岩波書店より出されている訳本たる文庫版『ギリシャ神話』よりの引用 ―(当方所持の文庫版第61刷のもの、その第2巻Vの部102ページよりの原文引用)― をなすとして(尚、同引用部は先の出典(Source)紹介の部90(2)と一部のみ重複するところとなっている))

第十二番目の仕事として地獄からケルベロスを持って来ることを命ぜられた。これは三つの犬の頭、竜の尾を持ち、背にはあらゆる種類の蛇の頭を持っていた。
・・・(中略)・・・
地獄の門の近くに来てテーセウスとペルセポネーに求婚してそのために縛られたペイリトゥースとを見出した。彼らはヘーラクレースを見て、あたかも彼の力によって蘇生するように手を差し延べた。彼はテーセウスの手を取って醒ましたが、ペイリトゥースを立ちあがらせようとすると、大地が動揺したので、彼は放した。彼はアスカラポスの岩をも転がし除けた。彼は霊魂に血を供しようと欲し、地獄王の牡牛の一頭を殺した。しかし牡牛を飼っていたケウトーニュモスの子
メノイテース
がヘーラクレースに相撲の挑戦をした
そして身体の真中をつかまれて、脇骨を砕かれたが、ペルセポネーに乞いうけられた。彼がプルートーンにケルベロスを求めた時に、プルートーンは彼の持っている武器を使わないで圧伏して連れ出るように命じた。彼はケルベロスをアケローンの門で発見して、胸当てをつけ、獅子の皮で身を蔽い、犬の頭を両手で抱き、尾にある竜に噛まれたけれども、いうことをきくまでは猛獣をつかしめることはやめなかった。そして彼はそれを伴ってトロイゼーンを通って上った(以下略)」

(引用部はここまでとする ――※引用部にてギリシャ神話の冥界の主催神、ゼウスの兄たるハデスが[プルートーン]との式で「ローマ名」[プルートー](和訳版ではギリシャの富の神たるプルートーンに近しい響きの表記だが)の名で記されているのはここにて引用なしているアポロドーロスの『ビブリオテーケー』が「ローマ時代」に成立している著作(であることを顧慮しての邦訳)だからと解される―― )

 また、上記とほぼ記載部を一致するところで、なおかつ、オンライン上より確認できるところの英訳版ビブリオテーケーの記載も(出典表記を厚くするとの意図あって)下に紹介しておく。

Internet archiveのサイトよりオンライン上より全文確認できるところのアポロドーロス著作『ギリシャ神話』(Bibliothecaビブリオテーケー.本稿の先の段でも解説しているようにローマ期に成立したとされるギリシャ神話要覧書)英訳版よりの抜粋をそれぞれ分けて以下なすこととする)

(直下、 THE LIBRARY, II.V.(10)の部 ―― The Libraryとはアポロドーロスの手になるギリシャ神話要覧書(Bibliotheca)の英語読みとなる―― より the 10th labour of Herculesに関しての表記部よりの抜粋として)

when the herdsman Eurytion came to the help of the dog, Hercules killed him also. But Menoetes, who was there pasturing the kine of Hades, reported to Geryon what had occurred, and he, coming up with Hercules beside the river Anthemus, as he was driving away the kine, joined battle with him and was shot dead.

(先だって引用なした訳書の英訳版対応表記の引用部はここまでとする)

(直下、 THE LIBRARY, II.V.(12)の部より the 12th labour of Herculesに関しての表記部よりの抜粋)

But Menoetes, son of Ceuthonymus, who tended the kine, challenged Hercules to wrestle, and, being seized round the middle, had his ribs broken ;however, he was let off at the request of Persephone. When Hercules asked Pluto for Cerberus, Pluto ordered him to take the animal provided he mastered him without the use of the weapons which he carried.

(先だって引用なした訳書の英訳版対応表記の引用部はここまでとする)

 これにて

[ヘラクレス第10の功業にて登場した[ハーデースの牛飼いたるメノイテース]がヘラクレスの冥界下りの12番目の功業にも登場、ヘラクレスに相撲勝負を挑み(出典(Source)紹介の部90にて呈示のようにアンタイオスがそうなったように)ヘラクレスに骨砕きされたとのことが[文献的事実]の問題として古典に言及されている]

とのことの出典とした。

出典(Source)紹介の部90(3)はここまでとする)


(ここまでをもってして[1]から[5]と分割して説明なすと先だって述べているところの[ダンテ『地獄篇』と[ヘラクレス12功業]の接合性]にまつわる関係性表記にあっての[3]の部に一区切りをつけることとする)

 ダンテ『地獄篇』(今日的な意味でのブラックホールと結びつく描写をミルトン『失楽園』と同文の式で含む、そして、そのことにまつわってLHCと共通の概念使用規則がみとめられるとのことで問題視なしている古典)では最下層に控える三面のルシファーとは別に[三面のケルベロス]が地獄の浅い階層、[貪食者の地獄]にて登場しているとの旨、本稿の先の段にても(出典挙げつつも)言及していた。
(:大正期文語調にて極めて読みにくいものなれど、オンライン上の青空文庫プロジェクト(著作権の切れた著作を公開しているとのプロジェクト)にてもその内容が確認できるとの山川丙三郎訳の『地獄篇』邦訳版で[第三圏の地獄にてのケルベロス登場の下り]につき ――繰り返すも―― (そこよりの原文引用するところとして)我は第三の獄(ひとや)にあり・・・(中略)・・・大粒の雹(ひょう)、濁れる水、および夢はくらやみの空よりふりしきり、地はこれをうけて悪臭(おしゅう)を放てり 猛き異樣の獸チェルベロこゝに浸れる民にむかひ、その三(みつ)の喉によりて吠ゆること犬に似たり これに紅の眼、脂ぎりて黒き髯(ひげ)、大いなる腹、爪ある手あり、このもの魂等を爬き、噛み、また裂きて片々(きりぎり)にす・・・(中略)・・・大いなる蟲(むし)チェルベロ我等を見し時、口をひらき牙をいだしぬ、その體(からだ)にはゆるがぬ處なかりき(引用部はここまでとする)との表記がなされている、そして、英文Wikipedia[Inferno(Dante)]項目に(同文に再引用なすとして) The "great worm" Cerberus guards the gluttons, who are forced to lie in a vile slush produced by ceaseless foul, icy rain.「巨大な芋虫(グレート・ワーム)状のケルベロスが[汚濁し、そして、氷のように冷たいとのやむことなき雨にてもたらされている不快なぬかるみ]の中に横たわることを強いられている暴食の咎人らを見張っている」との表記がなされているとおりである)。

 といったかたちでのケルベロス登場の段は『地獄篇』第6歌の部(欧米表記ではCantoVIの部)となる。

 そのケルベロス登場の段(第6歌)に直後続いての『地獄篇』第7歌 (CantoVII.ちなみに『地獄篇』はCantoXXXIV、すなわち、第34歌まで(『地獄篇』『煉獄篇』『天国篇』に三分割されての『神曲』全体の序曲を入れもして)区分けされているとの作品となる) にて

[(ダンテ古典研究者らにとっての)有名な一節]

が登場してくる。

[冥界の神プルートPluto(ギリシャの冥界の神ハデスのローマ版呼称)が喚いた[意味不明な内容の叫び]として文学者にはよく知られている、英文Wikipediaにそのための解説項目が一項目設けられているぐらいによく知られているとの、 Papé Satàn, papé Satàn aleppe「パペ・サタン・パペ・サタン・アレッペ!」との一節]

がそうである。

 ギリシャ神話の冥界の主催神ハデスがローマにてそのように呼称された存在たる[プルート]がダンテ『地獄篇』では(地獄の主催者などとしてではなく)、

[地獄にて訳の分からぬフレーズ「パペ・サタン・パペ・サタン・アレッペ!」 ―ただし今日に至るまで文学者の間にてその意味性が論議の的となってきたとのフレーズ― を突如として喚き散らした脇役]

へと変えられているとのことがあるのであるが、(その部の特異性は続いて呈示の出典(Source)紹介の部90(4)を参照のうえでご判断いただきたいとして)、問題は

「プルートが意味の分からぬものと認知されているフレーズ(パペ・サタン・パペ・サタン・アレッペ!)を喚いたとされる場面がケルベロスが貪食者の地獄にて罪人を責めさいなむ場面を扱った第6歌から第7歌に切り替わった直後のことであること、プルートのその喚きが登場する地獄の階層

第3圏:貪食者(キリスト教罪障観に見るセブン・デッドリー・シンズこと[七つの大罪]のうちグラトニー、[貪食]の罪を負った者)の地獄
から
第4圏:貪欲者(キリスト教罪障観に見る[七つの大罪]のうちグリード、[貪欲]の罪を負った者)の地獄
への階層移転

が生じた直後であり、[第3圏の地獄の懲罰執行存在兼番人]がケルベロスであるのに対してプルートが[第4圏の地獄の見張り番]にも「見える」との存在として描かれているということである(ケルベロスとプルートが近接する地獄の階層にてそれぞれ見張りとしての役割を果たしているようにとれるようになっている)。

著名な19世紀芸術家ギュスターブ・ドレがダンテ『神曲』近代刊行版に提供した挿絵に見るプルート。零落した(と述べるべきか)そのローマ神話における冥界の主催神が突如として喚き散らしたと描写されるフレーズを(何も知らぬとの人間にあっては尚更もって微細なることを延々と述べているように思うところか、とは承知のうえであるが)敢えても本段では問題視している。

 ここで書くが、キリスト教から見ての異教の神、冥界の主催者神であるプルートが喚いているとのフレーズ、イタリア語でもラテン語でもなく、況や、英語などでは毛頭なく、とにかくも訳の分からぬフレーズとされている(後にてそれにまつわる言われようの典拠も引くところとしての)「パペ・サタン・パペ・サタン・アレッペ!」については「サタン」との語を含むものである

 また、ギリシャおよびローマの神話体系「ではない」キリスト教の体系では

「(ハデスないしプルートではなく)サタンが地獄の中心となっている」

となっていることがある(先の抜粋部にても見受けられるようにダンテ『地獄篇』の地獄はサタンこと氷漬けのルチフェロを中心にした地下世界であると描写されている ――押し広げて見れば、ダンテ『地獄篇』は我々が住まう世界たる地球が地獄のサタンを中心に成り立っていることを描写している作品ともなるのだが(地球の中心たる地獄の中心にサタンことルチフェロが幽閉されているからそうなる)、それについては、ここでは置く―― )

 以上のことを加味して考えれば、である。

[キリスト教教義大系の問題で冥界の主催者としての地位をサタンに譲るような格好となっている(ギリシャの冥界支配存在ハデスの別名たる)プルート]

という存在が

[三面のケルベロス登場の下りと内容上近接する階層ケルベロス登場の地獄第3圏に近接する地獄第4圏)および古典文章構成上近接しての部ケルベロス登場の第6歌近接しての第7歌冒頭部)]

にあって殊更に目立つように

[サタンという語を含む訳の分からぬ(とされる)フレーズ ―続いての出典(Source)紹介の部90(4)で内容紹介するところの「パペ・サタン・パペ・サタン・アレッペ!」とのフレーズ― ]

を意味意図不明に口にしているとのことは

[『地獄篇』のサタン(ルチフェロ)がケルベロスよろしくの三面構造を有しているとのことに対する意識誘導]

ではないかと解することも可能となっている。

 さて、(「仮に」付きであるが)そのような見立てが[なせる]に留まらず、それが現実にダンテ「の背面」にある意図であるとするのであれば、

「ルチフェロ(サタン)とケルベロスが確信犯的に結びつけられている」

との側面から先述の[1]から[3]で指し示したこと([仮説]などではなく[はきと観察される事実関係]について解説したとのこと)の結びつきがいよいよもって「何故、そこまでに執拗なことをするのか」といった色合いを帯びてくるものとなるであろう。

 以上述べたうえで典拠紹介をなすこととする。


| 出典(Source)紹介の部90(4) |

 ここ出典(Source)紹介の部90(4)にあっては、

[ダンテ『地獄篇』に[パペ・サタン・パペ・サタン・アレッペ]とのフレーズが[プルート](零落したローマ神話の[冥界の王]ないし[富の神])と紐付けられて登場を見ていること]

についての出典紹介をなしておくこととする。

(直下、英文Wikipedia[ Papé Satàn, papé Satàn aleppe ]項目にての現行記載内容よりの引用をなすとして)

Papé Satàn, papé Satàn aleppe is the opening line of Canto VII of Dante Alighieri's Inferno. The line, consisting of three words, is famous for the uncertainty of its meaning, and there have been many attempts to interpret it. Modern commentators on the Inferno view it as some kind of demonic invocation to Satan. The line is a shout by Pluto. Pluto (also identified with Plutus and Hades) was originally the Roman god of wealth and the underground, but in the Inferno, Dante has made Pluto into a repulsive demon who guards the fourth circle, where souls are punished who have abused their wealth through greed or improvidence.

「 Papé Satàn, papé Satàn aleppe(「パペ・サタン・パペ・サタン・アレッペ!」)はダンテ・ アリギエーリの『地獄篇』第7歌にての冒頭行(に見られるフレーズ)である。三語(パペとサタンとアレッペ)よりなるその下りは意味不明瞭さで有名であり、同下りに対する解釈を講じようとの多くの試みがなされてきた近現代の地獄篇に対する評者らは同フレーズをもってして[悪魔サタンに対する悪魔的色彩を帯びた祈祷文]か何かではないかと見ているその下りはプルートにて叫ばれているとの体裁をとるプルート([ギリシャの富の神プルートゥス]ないし[ギリシャの冥界の主催者ハデス]と同定されもする存在)は元来ローマの富および地下の神であったが、Inferno『地獄篇』でダンテは地獄の第4圏、[貪欲]ないし[無分別]にて自身の富を乱用した魂たちが罰せられるとのその第4圏を守る嫌悪感を引き起こさせる悪魔の類としている

(訳を付しての引用部はここまでとする)

 以上表記されたうえで英文Wikipediaにあっては Papé Satàn, papé Satàn aleppeの意味合いにつき Possible explanations[ありうべきことにまつわる説明として]と明示されたうえで

The earliest interpretations[最も初期の解釈ら]
The prayer theory[祈祷関連解釈]
The Hebrew theory[ヘブライ語立脚解釈]
The French theories[フランス語立脚解釈]

といった分類付けにて複数解釈が載せられている。

(:いちいち細かくも典拠を抜粋表記することはなさないが、現行の記載としては英語版ウィキペディアにあって
[[パペ・サタン・パペ・サタン・アレッペ!]のパペがラテン語のpapaeに由来、古典期の驚きや不快感を示すための感嘆語(現代英語の「オー」や「ダァム(ちくしょう)」の類)となっているのでは?]
といった意見、あるいは、
aleppeがイタリア語「的に」ヘブライ数字の「第1」を意味するアレフを読んだとの意味でアレフを神に付けて「筆頭者」と表するように地獄の主催者との設定のサタンを地獄の住人が礼賛しているのではないか?]
との意見が初期より出されていた、とのことが言及されている
 また、同じくもの項目(英語版Wikipedia[ Papé Satàn, papé Satàn aleppe ]項目)ではさらに進んでのヘブライ語解釈として
「口語ヘブライ語の Bab-e-sciatan, bab-e-sciatan, alep!との言いまわしはマタイ福音書16章18節(Matthew16:18)に記されているイエス言行録の内容、
[そこで、わたしもあなたにいう。あなたはペテロ(初代ローマ教皇と定置される12使徒のペテロ)である。そして、わたしはこの岩(ペテロには[岩]との意味合いがある)の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない]
との内容を反言したもののようになるのでそれが原因では?」
との解釈があること「も」言及されている。
 につき、筆者が個人的に「そこまで考えられているのか」と思ったところとして同じくもの英文ウィキペディア(の現行記載)にては
「20世紀前半より地獄篇をアラビア語に訳したとの識者より『地獄篇』の同部についてはアラブ語の Bab Al-Shaytan, Bab Al-Shaytan, Ahlibu!に親和性高いもの、(「ダンテが(ルネサンス期)イスラム圏より幾分の影響を受けていた可能性があり」)親和性高いもので[パペ・サタン・パペ・サタン・アレッペ!]、そのアラビア語解釈で意味するところは「サタンの扉、サタンの扉、先へ進め」とのものではないかとの意見も呈示されている」
ということまでもが記載されている(英語版Wikipediaに関しては欧米圏にて流通を見ている主流古典に対して、細かいところまであれやこれやのいままでの学究らの言辞が紹介される傾向がある中にてそうした記載までがなされている)。
 尚、(余事表記に次ぐ要らずもの余事記載となるが)以上、解釈論の紹介をなしていることらについては
「生まれてこのかた、宗教とは実に性質の悪いもの、何故、大の大人がそのようなものに耽溺しているのか、共感など覚えたことがない」
との葬式仏教の無宗教の人間として辟易させられながらも敢えても「宗教的」解釈論の紹介をなしたこと、理解いただきたい次第である)

上の図は(ここまで挙げてきた)画家ギュスターブ・ドレの手になる『地獄篇』挿絵のケルベロス登場の下りにまつわる挿絵とプルート登場の下りにまつわる挿絵を結びつけながら作成したものとなり、いかにケルベロス登場の下りとプルート登場の下りが近接しているかを訴求しようとのものとなる(ケルベロスは全34歌からなる地獄篇の第6歌の部(CantoVI)に登場、他面、プルートは地獄篇第7歌の冒頭部に登場しているとのことがある)。

(ここまでをもってして[1]から[5]と分割して説明なすと先だって述べているところの[ダンテ『地獄篇』と[ヘラクレス12功業]の接合性]にまつわる関係性表記にあっての[4]の部に一区切りをつけることとする)

出典(Source)紹介の部90(4)は以上とする)


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直下、本稿冒頭部へのリンクを設けておく

(⇒冒頭頁へは下の部より)

[典拠紹介部第1頁 加速器実験に伴う欺瞞性から証示なせることについて]

 上掲なしているのは19世紀後半から20世紀前半にかけて活動の著名な挿絵家アーサー・ラッカムが英訳・再刊行されたワーグナーの原作歌劇 Der Ring des Nibelungen『ニーベルングの指環』 (英文通用化タイトルとしては[指輪]一語の The Ringとも呼称される歌劇) の書籍化バージョンに提供しもしていた挿絵を挙げたもの、より具体的には挿絵家ラッカムが『ニーベルングの指環』序盤部をなすパート、 Das Rheingold『ラインの黄金』のために作成・提供していたとの画を挙げたものとなる (ただ当媒体では同画に多少の演出を施している) 。

 さてもってして、挿絵に見る女、というより、人ならざるところの[女神]はイドゥン(Idunn)という存在を(音楽界の巨匠と認知されている)『ニーベルングの指環』作曲者リヒャルト・ワグナーがフライヤ(Freia)との名前で焼き直しなし、登場させているとの存在なのではあるが、イドゥンにせよ、Wagnerが登場させた(画に見る)フライヤにせよ、北欧神話における不死の果実であるところの【黄金の林檎】と紐付けられた存在となっている(彼女ら女神達は【黄金の林檎の管掌者】となる)。 
 そうもした黄金の林檎と紐付いての彼女ら(イドゥン/フライヤ)は、いわば、神々に瑞々(みずみず)しき【不死】を(若さ約するとの)【黄金の林檎】を介して供給しているとの設定の女神となりもし、そして、彼女らの管掌する【黄金の林檎】が北欧神話多神教の神々に最早若さを与えなくなったとのその時点が【終末のはじまり】であると描写されてきたとのことがある (:【終わりの始まり】が黄金の林檎にて供給される若さの喪失と結びついていると描写されるのはワグナー歌劇にせよ、北欧神話それ自体も同文のこととなる ――ワグナー歌劇では序盤より【黄金の林檎(とフライヤ)の担保する若さの維持】が【無限の力を蔵する指輪の保持】と一時的に秤量されるのだが、結局、【黄金の林檎】と比較された指輪を欲する強欲な心(による人界の操作)が世界の終末に繋がると描写される。他面、ワグナー歌劇より遙か前から存在していた北欧神話では(それを収めたエッダ詩の訳書を借りるなどしてもよかろうしウィキペディアの[イズン]関連項目などをご覧戴くのでもよかろうが、易くも確認できようところとして)神々の最終決戦であるところのラグナロクとされる終末局面にあって黄金の林檎によって担保されていた不老は停滞を見、老化が始まると描写される―― )。

 ここからが問題なのだが、本段、脇に逸れての訴求部にあってまわりくどくもの口上にて上の如きことを引き合いに出しているのは本稿にあって【次のこと】らを【黄金の林檎】との兼ね合いで(具体的根拠と共に)訴求している ―(画に見るイドゥン・フライヤにも関わるところとして訴求している)― からである。

黄金の林檎 ―それは北欧神話から離れてのギリシャ神話ではトロイア戦争の原因、すなわち、城塞トロイアの崩壊の元凶でもある(本稿の前半部にあって古典よりの原文引用でもってして典拠紹介のこととなる)― が【人間の終末】に関わるとの指摘がなせるようになって「しまっている」、しかも、それ(黄金の林檎)がブラックホール生成との兼ね合いで古今東西にまたがっての文物を介して【人間の終末】に関わるとの指摘が濃厚になせるようになって「しまっている」とのことが現実にある (:現況現在執り行なわれているLHC実験にあって「科学の進歩に資する」とされてのブラックホール生成可能性と紐付けられてきたディテクター(検出器)の名前が【黄金の林檎】の在処を識る巨人アトラスの名を冠する ATLAS Detectorとなっているとのことが確とある一方で黄金の林檎と接合するエデンの禁断の果実を用いての誘惑者の著名古典に見る描写が(それ自体、奇怪奇矯なることなのではあるも)今日的な視点で見た場合のブラックホールの近似的描写と紐付いている、そうしたことがそれこそ山となり、それら山とあることらが相互に多重的に接合しているとのこともが「ある」)。

・上掲図の元となっているワグナー歌劇『ニーベルングの指環』は【黄金の林檎】(を管掌する女神)と【無限の富(力)を約する指環】の取引が序章の部より描かれているのだが、(黄金の林檎を管掌する女神と秤量されての)【指環】の取得に固執した者らが強欲さゆえに次々と滅亡していくさまが同歌劇では描かれる(:その一番はじめの描写は『ニーベルングの指環』前半部にあっての【黄金の林檎】管掌者たるフライヤを略取、彼女フライヤを【指輪】との取引の具とした巨人ファーフナーとファーゾルドの兄弟が殺し合いをはじめるとの部となる)。 そのことは現実世界で「黄金の林檎と接合している」とのかたちとなっている巨大なリング状の装置、加速器ラージ・ハドロン・コライダーが【指輪;リング】に仮託される風が一部ある (『ニーベルングの指環』の影響下にあるJ.R.R.トールキン原作のロード・オブ・ザ・リング『指輪物語』に登場の冥王に由来する指環と結びつけられるなど加速器LHCが【指輪】に仮託される風が実験関係者含めて見受けられる) とのことと平仄が合うにも程があろうとの筋合いのことともなる (:ただ現況もってして、同じくものことを問題視する人間はまったくいない(心ある向きには是非とも確認いただきたいところなのだが検索エンジンで英文単語を何語か入れて当たりをつけんとしてみても【リングと黄金の林檎の結びつき】を加速器との関係で目立って問題視するような向きはこの世界にはいない))。

・上にて先述のように【ギリシャ神話におけるトロイア崩壊の元凶】「でも」あるとのゴールデン・アップルがそれ(黄金の林檎)に関連する事物ら(巨人ATLAS「など」)を介してブラックホール生成をなす可能性があるとの加速器 ―巨大な【リング】でもある― と結びつくとして、である。 現在にあって巨大加速器実験を実施している「研究」機関ら、および、そちら「研究」機関らに携わっていた初期の紐帯がどうやって世に生み出されたのかもがワーグナーの『ニーベルングの指輪』に通ずる側面がある。 どういうことか。 現況、加速器実験を執り行なっている主たる研究機関ら(それら研究機関らは、と同時に、ブラックホール生成可能性に伴うリスクとの観点で中途半端に海外で法廷に引きづり出された研究機関ら「でも」ある) はその沿革上、
【マンハッタン計画の子供ら】
となっているとのことがある ―同じくものことは長大な本稿本文の部にあって(入念を心掛けての)指し示しの対象としていることでもある― のであるが (:またもってして核分裂の過程に通ずる原子核人為破壊を兵器転用なそうとしたとのマンハッタン計画にあっての挙、そちら核兵器を製造するプロセスと加速器実験にての原子核人為破壊のプロセスは同一方向のベクトルを指している ―無論にして同じくものことの典拠をも本稿本論部で入念に挙げている― )、 マンハッタン計画と今日の加速器実験(におけるブラックホール生成に通ずる挙)の縁(えにし)の深さはそれ以外にも濃厚に認められるとのことがある(たとえば円形加速器という装置をそもそも生み出した者達がマンハッタン計画の主導者となっていたとのことがある等々)。
 そうもした(加速器実験運営機関を生み出した)マンハッタン計画始動の原因になっているユダヤ系の迫害の挙に出たナチスのやりよう・躍進・劫略のプロセスはワグナー歌劇『ニーベルングの指環』と濃密に結びついているとのことがある(『指環物語』作者ワグナーがユダヤ系の向きらにあって反芸術・野蛮の象徴である忌避すべき象徴とされてきたのはナチス第三帝国およびその領袖ヒトラーが反ユダヤ主義を大っぴらに喧伝していたリヒャルト・ワーグナーを最大限重要視していたとの歴史的事実があるからであり、たとえば、ナチスの実行してきた非道なる命令体系、占領統治下の反体制派・レジスタンスを夜陰に乗じて密やかに処分することを目しての行政命令であるところのナハト・ウント・ネーベル( Nacht und Nebel )、【夜と霧】行政命令 ―日本では Man's Search for Meaningとの原題を有した心理学者ヴィクトル・フランクルの書籍の「邦題」として識られている語でもある【夜と霧】(収容所が絶滅収容所へと変遷していく画期を象徴する語であるとも認識されている)― などはワグナーの『ニーベルングの指環』に由来しているとのものとなる ――※ウィキペディア[夜と霧]項目などにおいても簡明な解説がなされてはいることだが(であるから疑わしきはその程度の媒体からでも確認いただけるであろう)、ナチスドイツが欧州にて反対派を掃討するための共通規則とした【夜と霧】命令はヒトラーが愛聴していた、そして、ナチス体制下の国家芸術の象徴として扱われていたリヒャルト・ワグナーの『ニーベルングの指輪』、その『ラインの黄金』にあっての一幕(の中の[ニーブルヘルム]の下り)にて侏儒(ドワーフ)のアルベリヒが隠れ頭巾を用いて姿を消す際に口にする台詞、「夜と霧になれ、誰の目にも映らないように.」に由来しているとのことが知られている(にまつわって述べておけば、【夜と霧の呪文】を唱えたドワーフ・アルベリヒは強欲さの象徴でもあり、絶大な力をもたらす【呪いの指環】そのものを生み出した存在でもあるとワグナー歌劇では設定付けがなされているキャラクターである)―― 。

 以上のことはそれだけを読まれる限りは何が問題になるのか判じがたいとのこととなろうかとは(当然に)思うのであるが(理解を阻む詰め込み過ぎの風もあったかと脳裏をよぎりもしている)、同じくものことにまつわっての指し示しを細々となしもしている、また、そこからさらにもってして何が述べられるのかの指摘を委細を尽くしてなしているとの本稿本論部をご検討いただければ、【ことの重篤さ】 ―重篤さというのは【執拗さ】の問題として何が企図されているのかに通じもしていることである― についてご理解いただけるか、と考えている。

当サイト内にあっての【各頁および各典拠への一覧方式遷移部】、及び、【PDF形式文書配布ページ】へのリンクを直下、設けておく

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問題となる[「予見的」言及→実現]の体系についての[典拠紹介部]一覧呈示頁

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[出典(Source)紹介の部55](ダンテ『地獄篇』およびミルトン『失楽園』にあって[「今日的な観点で見た場合の」ブラックホールの質的近似物]が描写されていることにまつわっての出典紹介部55)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第46頁 ダンテ『地獄篇』とミルトン『失楽園』に見るブラックホールに通ずる描写

[出典(Source)紹介の部55(3)](ダンテ『地獄篇』およびミルトン『失楽園』にあって[「今日的な観点で見た場合の」ブラックホールの質的近似物]が描写されていることにまつわっての出典紹介部55(3))
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第47頁 ダンテ『地獄篇』とミルトン『失楽園』に見るブラックホールに通ずる描写[2]