典拠となるところの明示[99]――記号論的な意味で容易に捕捉できるとの「予見的」
側面を帯びているとのダンテ『神曲;地獄篇』 再び、その内容に立ち戻りもして

関連情報にまつわるカテゴリ(各部クリックにて遷移)

再び著名古典にあってみとめられることに立ち戻るとして 補説3

 ここ補説3と題しての部ではダンテ『地獄篇』がいかに多くをつなげる作品となっているのかについて、いわば、ダンテ『地獄篇』が核たる作品となっているとのことについて詳解をなすこととする。

 さて、本稿従前の段、

出典(Source)紹介の部55から出典(Source)紹介の部55(3)を包摂する解説部]

にあっては、きちんとした論拠に基づいてのこととして、大要、以下のことを問題視してきた。


「[ダンテ・アリギエーリ『地獄篇』にあっての[地獄に幽閉されたルチフェロ(サタン)]および[地獄門の先にある領域]と関わる部]にて今日的な観点で見た場合のブラックホールに類似の要素を複合的に帯びての記述が見てとれるとのことがある。他面、[ジョン・ミルトン『失楽園』にあっての[地獄に幽閉されたルシファー(サタン)]および[地獄門の先にある領域]と関わる部]にてまた別側面で[今日的な観点で見た場合のブラックホールに類似の要素を複合的に帯びての記述]が見てとれるとのことがある。
 その点、
[今日的な観点で見たブラックホール]

[[1.一端そこに入ったらば光さえ抜け出れぬ領域]であるとの[2.重力の本源たる場]にして[3.その場にては時が止まった状況(ブラックホール外部観察者たる生者の視点)にて粉砕劇が実現する(ブラックホール被吸引者たる死者の視点)との場]となっている]
とされているのに対して、前者(ダンテ『地獄篇』)にあってはルチフェロ(ルシファー)を中枢とする地獄門の先にある領域が
[[1.一端そこに入ったらば何者もそこより出れぬ(地獄門の不帰の地にまつわる隻句)との領域]、かつ、[1.光(ルシファーとは元来、ラテン語のLuxと関連して光と結びつく語であるとされる)が幽閉されている領域]であるとの[2.地球の中心、重力の中枢を囲む牢獄]にして[3.その場にては時が止まったような凍り漬けの状況(外部の視点)にて永劫の粉砕劇(噛み砕かれるものがどういうわけかいつまでも五体粉砕しないような状況を見ている)がなされているとの場]となっている]
と描写されていることがある。
 他面、
[今日的な観点で見たブラックホール]

[[4.時間と空間が意を失う領域]にして[5.底無しの暗黒領域]となり、また、[6.宇宙の揺り籠であるとの視点も存するもの]である]
とされているのに対して、後者(ミルトン『失楽園』)にあってはルシファーに関わる地獄門の先の領域が
[[4.時間と空間が意を失う領域]にして[5.底無しの暗黒領域]となり、また、[6.原初自然の祖]である]
と描写されているとのことがある」


 以上表記では詰め込みすぎのきらいあり、分かりづらかったかとも思うので、さらに[従前表記に倣いもしての分解しての表記]をなせば、次の通りのことを呈示してきたとのことがある。

出典(Source)紹介の部55から出典(Source)紹介の部55(3)を包摂する本稿の従前の段にあって古典それそのものよりの原文引用なしつつも典拠示してきたこととして)


 ダンテ・アリギエーリ『地獄篇』には

[今日、物理学分野の人間らが研究対象として取り扱っているとのブラックホールとの「質的」近似物]

が描かれているとの[現象]が認められる。

 具体的には

A.[ダンテらが「一度入ったらば[悲嘆の領域]に向けて歩まざるを得ず一切の希望を捨てねばならない」との[不帰の領域]にまつわる隻句(『地獄篇』地獄門隻句)を目にしたところから入って最終的に到達した[悲嘆]を体現しての地点]

B.[重力 ―(古典『地獄篇』それ自体にて To which things heavy draw from every side[あらゆる方向から物の重さが引きつけんとする地点]と表されているところに作用している力)― の源泉と際立って描写されている場(地球を球と描いての中心ポイント)]

C.[(「悲嘆の」川コキュートス)にて(静的描写として)罪障がゆえに「凍りついた」者達が、と同時に、(動的描写として)「永劫に粉砕され続けている」との地点]

D.[光に「語源」を有する存在](ルチフェロ)が幽閉されている地点]

との全ての要素を具備した[『地獄篇』にての地獄踏破にあっての最終ポイント](コキュートス・ジュデッカ領域にまつわる描写が

A.[一度入ったらば二度と出れない」との(事象の地平線の先にての)領域]

B.[重力の源泉となっている場

C.[外側(生者)から見れば(静的描写として)被吸引者が[時が止まったような状況になりつつも(動的描写として)その被吸引者本人(死者と化した者)から見れば「粉砕され尽くしている」との場]

D.[光さえもが逃がれられぬとされる場]

との全ての要素を具備したブラックホール特性と共通のものとなっている(話としての奇異さはともかくも[記号論的一致性・文献的事実の問題]として共通のものとなっている)とのことが現実にある。


 他面、ジョン・ミルトン『失楽園』にあって「も」
[今日の物理学上の話柄にあってのブラックホールの「質的」近似物]
が描かれているとの[現象]が認められる。

 具体的には

E.[[果てなき(底無し暗黒領域]

F.[大きさ・時間場所無意味となる領域]

G.[自然の祖たる領域]

とのミルトン『失楽園』に見るアビス(地獄門の先にある深淵領域)にまつわる描写が

E.[底無し暗黒領域]

F.[時空間の法則破綻する(「時間」と「空間」が本来通りの意をなさなくなる)領域]

G.[それをもって自然の祖であるとする観点が存する場]

とのブラックホール特性と共通のものとなっているとのことが現実にある(※続く段に付しての補うべくもの出典(Source)紹介の部55(3)を参照のこと))。


 ダンテ『地獄篇』にあっての、

[今日的な理解にあってのブラックホール近似物の描写(於て:コキュートス)]

ミルトン『失楽園』にあっての同じくもの、

[今日的な理解にあってのブラックホール近似物の描写(於て:アビス)]

は双方別個に別々の側面からブラックホールとの近似性を呈するとのものであるが、「極めて奇怪なことに」双方共に

ルシファーによる災厄
地獄門の先にある破滅・悲劇に関わる通路

と結びつけられているとのことがある。

 以上、i.からiii.と区切ってのことらにつき、まとめれば、『地獄篇』および『失楽園』との両古典を合算して見た際に、

[ [ルシファーによる災厄]および[地獄門(と描写されるもの)の先にある[破滅][悲劇]への通路]との両要素と結びついたポイント]

に関わるところで

A.[[不帰の領域]にまつわる隻句(『地獄篇』地獄門隻句)を目にしたところから入って最終的に到達した「悲嘆」を体現しての地点] (『地獄篇』コキュートス)

B.[重力の源泉と「際立って」描写されている地点] (『地獄篇』コキュートス)

C.[(静的描写として)外側から見た際に罪障がゆえに「凍りついた」者達がそこに横たわっている、と同時に、(動的描写として)当事者から見れば「永劫に粉砕され続けている」との地点] (『地獄篇』コキュートスの中枢ジュデッカ)

D.[光に語源を有する存在](ルチフェロ)が幽閉されている地点] (『地獄篇』コキュートスの中枢ジュデッカ)

E.[[果てなき(底無し暗黒領域] (『失楽園』アビス)

F.[大きさ・時間「場所無意味となる領域] (『失楽園』アビス/17世紀成立の『失楽園』の刊行時には時間と空間を有機的一体と見る相対性理論に通ずる発想法は無論、なかった)

G.[自然の祖たる領域] (『失楽園』アビス)

との要素らを「全て兼ね備えての」ありようが具現化していると述べられるようになっており、そうしたありようが現代物理学 ――(その担い手らが本質的には知性も自由度もないにも関わらず知性あるフリをさせられている下らぬ人種(ダンテ地獄篇にて欺瞞をこととする[人類の裏切り者]らとして氷地獄に閉じ込められているような者達)か否かどうかはこの際、関係ないものとしての現代物理学)―― の発展にて呈示されるようになったとの[「今日的な観点で見ての」ブラックホール像]と共通性を呈している、すなわち、

A.[一度入ったらば二度と出れない」との(事象の地平線の先にての)領域] (ブラックホール内側)

B.[重力の源泉となっている場] (ブラックホール) 

C.[(静的描写として)外側(生者)から見れば被吸引者が[時が止まったような状況]になっているとのことがありつつも(動的描写として)その被吸引者本人(死者と化した者)から見れば「粉砕され尽くしている」との場] (ブラックホール)

D.[光さえもが逃がれられないとされる場] (ブラックホール内側) 

E.[底無し暗黒領域] (ブラックホール)

F.[時空間の法則破綻する(「時間」と「空間」が本来通りの意をなさなくなる)領域] (ブラックホール)

G.[それをもって自然の祖であるとする観点が存する場] (ブラックホール)

との特徴を全て兼ね備えたものとしての[「今日的な観点で見ての」ブラックホール像]と共通性を呈していると摘示できるように「なっている」とのことがある。


さらに加えての表記として

 次のことらについても、再度、言及しておくこととする。

第一
 ダンテ『地獄篇』と(今日的な観点で見た場合の)ブラックホールの特性が結びつくといった発想は無論、筆者の独創によるところなどではない生き死にに関わるプラクティカルな領域にあっては一人合点の弊を帯びての主観先行の[独創]など本来的には問題視するに値しないことである。当然に筆者とてその程度のことは弁えているつもりである)。 同じくもの点について部分的に示唆していた人間も今までにいた ――やりようが([勇気]の問題なのか[自由度]の問題なのか何なのか)あまりにも不徹底に失するがゆえに問題なのだが、類似の点について示唆していた人間も今までにもいた―― 。 の中には、はきと何が問題になるのか指摘しない、具体的にどこがどう一致性の範疇に入るのか何ら指摘なしていないとのやりようをとっていた(であるから、性質が悪いともとれるわけだが)との[著名なる科学者ら]が幾人も含まれており、については ―本稿にての出典(Source)紹介の部55で言及しているように― [スティーブン・ホーキング](車椅子のカリスマ物理学者として知られる著名人)[レオナルド・サスキンド](弦(ひも)理論の大家として知られる有力物理学者)[クリフォード・ピックオーバー](研究機関の研究員でもあり、有名なサイエンス・ライターでもあるとの向き)[キップ・ソーン](通過可能なワームホール概念を煮詰めたことでも有名なカリスマ物理学者.同男はダンテ『地獄篇』をブラックホールとはきと結びつけているわけではないが、自著冒頭部より登場させているブラックホールに[冥府][あの世]との名前を与え、[地獄篇]とブラックホールとの接点を臭わせている風がある)の各人らの名を ―彼らの言い様の伝の引用をなすとともに― 本稿の先立っての段で挙げもしていた。

第二
「どうしてなのか」肝心要なことを解説していないとの先人言及のことに触れたうえで述べるが、ダンテ『地獄篇』がブラックホールのことを想起させるものであるとのことについては次のような事情「も」がある。

→ダンテ『地獄篇』でダンテらが向かう先は[重力の中枢としての氷地獄]であると『地獄篇』作中にてはきと明示されている。
 その点について本稿にての出典(Source)紹介の部55の段ではダンテが地球を球形に見立てているのみならず、地球の中枢(にして地獄の中枢)が
[重力の本源たるところである]
と記述していることの意味合い、重力が何たるかを理解しての如き書きようをなしていることの[意味深長さ]について解説を講じている。
 およそ次のようなかたちにて、である。

 重力とはそも何か。それは現代科学にあって「次のように」定義されるに至っているとのものである。
(以下、重力定義として)
「「重力とは、」引力(質量に起因するところとしてあまねくも働く物と物とが引き合う力)と遠心力(地球の回転に伴う慣性の力)の合力であり、そして、(時間と空間を一体化した[時空]を観念するに至ったとの)アインシュタイン以後の観点では物質(質量あるいはエネルギー)に由来する時空の歪み(カーバチュアー)に起因する力と表されるものである」(巨大な質量が空間に歪みを発生させ、時空のシートないしトランポリンの上に鉄球を載せた際にそれが周囲のものを引きずる力として具現化するのが重力であるといった説明がよくなされている)。
 他面、ダンテ『地獄篇』ではダンテが向かった地獄の中心地点が
球形をなす地球の中心地点
と描写され、かつもって、
重さ(質量)「が」(周囲を)引きずる力が等しくも働く中心的ポイント
とのかたちにての描写もがなされているとのことがある ――本稿出典(Source)紹介の部55にて(ダンテに師父と慕われてのヴェルギリウスがダンテに語りかけるパートを収めての Henry Wadsworth Longfellow (ヘンリー・ワーズワース・グッドフェロー)、アメリカではじめてダンテ 『神曲』 を翻訳した19世紀の同文人の手になる英訳版『地獄篇』よりの引用をなしたところとして) That side thou wast, so long as I descended; When round I turned me, thou didst pass the point To which things heavy draw from every side, And now beneath the hemisphere art come Opposite that which overhangs the vast Dry-land, and 'neath whose cope was put to death The Man who without sin was born and lived. Thou hast thy feet upon the little sphere Which makes the other face of the Judecca. Here it is morn when it is evening there. (拙訳として)「(地獄の中枢地点へ向けて地下へと)私が下へ下へと下っていた際だけなのだよ、君(thouは 「君」 の古語)のいる方面が[(地球の半球の)通り過ぎた向こう側]だったのは。私が(地獄の底を突きぬけて)反転し振り返った折、(脇にいた)君はもはや[あらゆる方向から物の重さが引きつけんとする地点]を通過していたわけだ。そして、いまや我々は(地球の)半球の下側、そう、乾いた大地に覆われ罪なくして産まれ生きた御仁、そのうえで殺された御仁 (設定上、イエスのことである)のおられた(地球の)半球の反対側にいるのだ。足をもってジュデッカ(地獄の最下層たる氷地獄コキュートスの中心部)の反対側をなす矮小な半球の上に置いているのである。あちらの半球で夜ならばこちら側の半球では朝なのである」との記述を引いているとおりである(ポイントとなるところは[地球が球体であり各地に時差が生じている]と描写されていること、そして、[ダンテらが通り過ぎた地球中枢たる地獄中枢地点が the point To which things heavy draw from every side[あらゆる方向から物の重さが引きつけんとする地点]である]と描写されていることである)―― )。
 そうした一事をとってからして[際立っての先覚性]が現われていると述べても決して言い過ぎにならない。

 端的に述べれば、重力というものが

[引力(質量に起因するところとしてあまねくも働く物と物とが引き合う力)と遠心力(地球の回転に伴う慣性の力)の合力]
物質(の質量あるいはエネルギー)による時空の歪みに起因する力

 であるとの[科学的説明]がなされるように「後の世にあって」なったところをダンテが『地獄篇』にて地獄中枢(たる地球中心)をして

 重さ(質量)「が」(周囲を)引きずる力が等しくも働く中心的ポイント

と描写しているとのことからして先覚性との意で際立っていると解されるようになってもいる。

→また、ブラックホールというものの存在が20世紀になってより問題視されだしたとのその初期、[重力の中枢たる凍った世界]であると表されてもいた(ことも問題と見える)。それにつき、英文Wikipedia[ Black hole ]項目にあってからして現行、以下のような記載がなされているところとなっている。

(直下、英文Wikipedia[ Black hole ]項目にあってのHistory(理論史)の節に認められる現行にての記載内容よりの引用をなすとして)

Oppenheimer and his co-authors interpreted the singularity at the boundary of the Schwarzschild radius as indicating that this was the boundary of a bubble in which time stopped. This is a valid point of view for external observers, but not for infalling observers. Because of this property, the collapsed stars were called "frozen stars", because an outside observer would see the surface of the star frozen in time at the instant where its collapse takes it inside the Schwarzschild radius.

(入念に補いもしての拙訳として)
オッペンハイマー(訳注:重力崩壊に対する理論を煮詰めもしてブラックホール理論の旗手ともなっていたかのマンハッタン計画の主導者ロバート・オッペンハイマー)および彼の共著者ら ――(訳注:文脈上、 Tolman-Oppenheimer-Volkoff limitこと[トルマン・オッペンハイマー・ヴォルコフ境界]という星の重力崩壊の区切り点にまつわる理論を提唱したオッペンハイマーの理論展開にあたっての論稿共著者ら)―― 
[[シュヴァルツシルト半径(訳注:本稿にての出典(Source)紹介の部65(3)でも解説しているように物体がその半径内に押し込まれるとブラックホールができあがるとの円形領域の半径で思索対象となる物体の[質量]によってそちら[半径]が変動するとのもの)の境界面にあっての特異点(訳注:そこを越えると従来の法則が成り立たなくなり際限なくもの重力崩壊プロセスが進むとのポイント)
をして
これは[時間]が停止を見る泡の境界を示しているのであろう
と解釈していた
 こうした見方は外側の観測者ら(訳注:ブラックホールの外側の観測者ら)にとっては適正なる見方だが、ブラックホールに落ちこむ観測者らから見れば、適正なる見方ではない
 こうした属性がゆえに、[縮退星(訳注: collapsed starはブラックホールという言葉が生み出される前にブラックホールを指して用いられていたところの一呼称である)
frozen stars;フローズン・スターズ(凍り付いた恒星)]
とも呼ばれていた、というのも外側の観察者はその星がシュヴァルツシルト半径の内側へ向けて崩壊していくまさにその場、その瞬間を[凍り付いた恒星の外面]とのかたちで見るからである(訳注:ここにての[ frozen stars ]との呼称についての解説については引用元とした英文Wikipedia[ Black hole ]項目にて現行は Ruffini, R.; Wheeler, J. A. (1971). "Introducing the black hole". Physics Today 24 (1): 30-41.との出典が紹介されている。そちら出典表記に見るWheeler, J. A.ことジョン・アーチボルト・ホイーラーはブラックホールとの呼称を生み出した著名物理学者のことを指す)

(補ってもの訳を付しての引用部はここまでとする)

 表記のウィキペディアからの引用部(「たかが、」ものウィキペディアともされようものだが、上の記述に関しては正鵠を射ているとのこと、容易に確認できるところの部位)に見るように

「外側からの観察者が見た場合には[時が凍り付く]が如く様相を呈するために初期、(内側の存在は凍ったようなものの中で即時粉砕されてもいる)ブラックホールは[フローズン・スター](凍り付いた恒星)との呼び名を与えられていたとのことがある」

 一方でのこととして

「ダンテ『地獄篇』では地獄の中枢が[重力の中枢ポイント]にして[生者]から見た[死者]が永遠に粉砕され続けているとの[氷地獄]の中心地点となっている」

 とのことがあるわけである。

 そうしたところひとつとって論じたうえでも

[古典(『地獄篇』)内容と今日的な理解で見たブラックホールの間に[アナロジー(類似性)]を認める見方]

に無理がないとのこと、お分かりいただけるか、とは思う(:そして、問題なのは、そうもした[類似性]が「他にも」横たわっているとのことがあり、そして、そこに相応の意味性もが「多重的に」伴っていると指摘できてしまえるようになっている(なってしまっている)ことである)。

(加えての表記はここまでとする)

 直上、要約のうえ、再掲なしたとの関係性について、そう、

[ダンテ『地獄篇』が[「他」古典(ジョン・ミルトン『失楽園』)と質的につながる箇所]と双方共に合わさって[今日的な観点で見たブラックホール類似の存在]を指し示すところとなっている]

との関係性については、と同時に、

[ヘラクレスの12の功業](内、[11番目の功業]は本稿の出典(Source)紹介の部35から出典(Source)紹介の部36(3)を包摂する解説部で指し示しをなしてきたところに見るように加速器LHCとの直接的つながりあいが存する[黄金の林檎]と[巨人アトラス]が登場してくる功業となる)

との「濃厚なる」接合を観念できるとのもの「とも」なっている。
 
 その点について、[ヘラクレス12功業]というものの意味合いを重視しつつ、以降、取り上げていくこととする(※)。

(※本稿を公開しているサイトの一にて従前より試験的に公開していたとのPDF化しての論稿、

『911の儀式性詳説 起こりうべき災厄の予測』

でも細かくも論じていることであるが、ここでは出典紹介を第一義にしながら、また、さらに進んで何が問題になるのかの入念なる解説をなすこととする)

 それでは以降、

[ダンテ『地獄篇』と[ヘラクレスの12功業]]

の間の関係性について[1]から[5]の側面で典拠紹介および問題性摘示を入念になしつつもの解説を講じていくこととする。

(ここより長大な本論稿にての補説3と振っての本段、その前半部の核をなすところとしての[1]から[5]の指し示しを以下、(少なからず紙幅を割いて)、なしていくこととする)

 ダンテ『地獄篇』とは階層構造をとる地獄を下へ下へ、地球の中枢に下っていくとの物語である。
 その過程で

[ダンテおよびその同道者(ダンテが師父と慕うローマ期詩人ヴェルギウスの霊のことである)が「他の助力を受けて」「急降下する」とのプロセス]

が計二回ほど、発生している。
 地獄の第7層から第8層にての移動  ― 断崖絶壁よりの降下 ― に際しての[ゲーリュオン]という助力を受けた(飛行可能な怪物ゲーリュオーンの背に乗って弧を描きながら断崖を降下した)との下り、そして、地獄の第8層から第9層の移動 ―地球の中枢(重力の中枢)に向かう穴への降下― に際しての[アンタイオス]という巨人の助力を受けた(巨人アンタイオスに担がれていわばもの肉体エレベーターにて最下層に降り立った)との下りがそうである(直下にて呈示の出典(Source)紹介の部90を参照のこと)。

 その点、計9層よりなる地獄にあっての下部領域への踏破行にて

第7層→第8層の断崖降下手法:怪物ゲーリュオーンに「おぶわれて」の降下]
第8層→第9層の地球中心に向かう穴にての降下手法:巨人アンタイオスに「おぶわれて」の降下]

とのことが現出を見ているわけであるが、それは次のように言い換えることもできる。

第7層→第8層の断崖降下手法:[ヘラクレスの第10番目の功業にて誅された怪物]におぶわれての降下]
第8層→第9層の地球中心に向かう穴にての降下手法:[ヘラクレスの第11番目(別バージョンでは第10番目)の功業の合間にて誅された怪物]におぶわれての降下]

 ダンテとダンテに師父と慕われるヴェルギリウスをその背に乗せての断崖急降下なした(第7層から第8層に向けて急降下なした)怪物ゲーリュオンという存在がギリシャ神話上、[ヘラクレスの第10番目]の功業にて(目立って)誅伐されたとの存在となっており、また、同様にダンテとヴェルギリウスを担いで彼らを地獄の最下層(第9層)といざなった巨人アンタイオスが[ヘラクレスの第11番目](伝承のバージョンによっては第10番目)の功業にて(目立って)誅伐されたとの存在となっているため、上の通りの言い換えが「純・記号論的に」なせるようになっているのである。


| 出典(Source)紹介の部90 |

 ここ出典(Source)紹介の部90にあっては、

[ギリシャ神話ではゲーリュオンがヘラクレスの10番目の功業にて誅伐された存在であるとされ、他面、ダンテ『地獄篇』では地獄での第7層から第8層への急降下を実現させしめた怪物であるとされていること]

[アンタイオスがヘラクレスの11番目の功業にて誅伐された存在であり、他面、ダンテ『地獄篇』では地獄での急降下を実現させしめた怪物であること]

の典拠を多少細かくも紹介しておくことする。

 まずもって、

[ギリシャ神話ではゲーリュオンがヘラクレスの10番目の功業にて誅伐された存在であるとされ、他面、ダンテ『地獄篇』では地獄での第7層から第8層への急降下を実現させしめた怪物であるとされていること]

の典拠を紹介することとする。

(直下、誰でもオンライン上にて即時に確認できるところとして英文Wikipedia[Geryon]項目より抜粋をなすとして)

In the fullest account in the Bibliotheke of Pseudo-Apollodorus, Heracles was required to travel to Erytheia, in order to obtain the Cattle of Geryon as his tenth labour.[ . . . ] On hearing the commotion, Geryon sprang into action, carrying three shields, three spears, and wearing three helmets. He pursued Heracles at the River Anthemus but fell victim to an arrow that had been dipped in the venomous blood of the Lernaean Hydra, shot so forcefully by Heracles that it pierced Geryon's forehead, ...."

「アポロドーロスのビブリオテーケー (訳注:本稿の先の段にてもそこからの原文引用をなしてきいたとのローマ期のギリシャ神話網羅的解説文書) の網羅的説明にてはヘラクレスは彼の10番目の功業にてゲーリュオンの家畜を取得するためにエウリュテイオンに向けて旅することを要求された。・・・(中略)・・・ 騒動の音を聞きつけ、ゲーリュオーンは三つの楯と三つの槍を持ち、三つの兜をかぶり跳ね上がり行動に打って出た (訳注:伝承ではゲーリュオーンは三面六臂の存在であるため、三つの兜・楯・槍で武装できたとのことになっている)。 彼ゲーリュオンはアンテイムス川までヘラクレスを追い詰め、しかし、ヘラクレスが強くも射かけたために頭部を貫通することになったとのヒドラの毒の矢の犠牲になった(以下略)」

(訳を付しての引用部はここまでとする)

 直上、ウィキペディア(「たかだかものウィキペディア.」とアカデミックな場では軽侮される媒体だが、英語圏のそれに関しては著名古典や著名伝承にあっての文献的事実としての筋立ての紹介には錯簡・誤記はあまり介在していないとのトレンドを呈しているとの媒体)の記述を引いが、同じくものことについては、加えて、『ビブリオテーケー』(アポロドーロス、ローマ期ギリシャ人著述家によるギリシャ神話要覧書)、その岩波書店より出されている訳本たる文庫版『ギリシャ神話』よりの原文引用も ―(当方所持の文庫版第61刷のもの、その第2巻Vの部よりの原文引用)― あわせてなしておくこととする。

(直下、岩波文庫版アポロドーロス『ギリシャ神話』p.97-p.98よりの原文引用をなすとして)

第十の仕事としてゲーリュオネースの牛をエリュテイアから持って来ることを命ぜられた。エリュテイアはオーケアノスの近くの、今ではガディラと呼ばれている島であった。この島にクリューサーオールとオーケアノスの娘カリロエーと子ゲーリュオネースが住んでいた。彼は三人の男の身体が腹で一つになっていて、脇腹と太腿からは三つに分れた身体を持っていた。彼は紅い牛を持っていて、その牛飼はエウリュティオーン、番犬はエキドナとテューポーンから生れた双頭の犬オルトスであった。そこで、ゲーリュオネースの牛を目ざしてヨウロッパを通過して多くの野獣を殺し、リビアに足を踏み入れ、タルテーソスに来り、旅の記念としてヨウロッパとリビアの山上に向かい合って二つの柱を建てた。その旅の間に太陽神(ヘーリオス)に照りつけられたので、神にむかって弓を引きしぼった。神は彼の剛気に感嘆して、黄金の盃を与え、彼はこれに乗ってオーケアノスを渡った。そしてエリュテイアに至って、アバース山中に宿った。犬が彼を認めて突進して来た。しかし彼はこれを棍棒で打ち、犬を助けに来た牛飼のエウリュティオーンをも殺した。しかしそこで地獄王(ハーデース)の牛を飼っていたメノイテースが事件をゲーリュオネースに告げた。彼はアンテムース河畔に牛を追い去りつつあるヘーラクレースに追いつき、戦いを交え、射られて死んだ。ヘーラクレースは牛を盃に乗せ、タルテーソスに渡航し、太陽神(ヘーリオース)に盃をかえした」

(引用部はここまでとする ―※― )

(※尚、ここにて引用なしているとの岩波文庫版アポロドーロス『ギリシャ神話』p.97-p.98には[旅の記念としてヨウロッパとリビアの山上に向かい合って二つの柱を建てた]と記されているが、それがジブラルタル海峡の比喩的象徴物として知られるヘラクレスの柱のこととなる。その[ヘラクレスの柱]は(後述するが)ダンテ『地獄篇』内容にも関わってくるものとなる)

(さらに直下、オンライン上にて即時に確認できるところとしての英文Wikipedia[Inferno]項目 ――『地獄篇』項目―― の現行にての関連部記載内容より抜粋をなすとして)

The last two circles of Hell punish sins that involve conscious fraud or treachery. These circles can be reached only by descending a vast cliff, which Dante and Virgil do on the back of Geryon, a winged monster traditionally represented as having three heads or three conjoined bodies. However, Dante describes Geryon as having three mixed natures: human, bestial, and reptilian. Dante's Geryon is an image of fraud, having the face of an honest man on the body of a beautifully colored wyvern, with the furry paws of a lion and a poisonous sting in the pointy scorpion-like tail (Canto XVII).

(文法的に雅文調で曖昧としたところをより明確にしつつ、なおかつ、不足部を補うとのかたちで訳すとして)
「(ダンテ『地獄篇』にて描写される地獄にあっては)地獄の最後の二つの圏 ――『地獄篇』地獄が9圏にて構成されているなかでの第8層と第9層をなす領域―― は[意識的詐欺]と[裏切り]を含む罪を罰するとのものであった。それら地獄の最後の二つの圏へは[伝統的には三つの頭と三つの身体を持つ姿で表されるが翼ある怪物として描写されてのゲーリュオン]の背に乗って[広大な断崖]を降下することによってのみダンテおよびヴェルギリウスが到達なしえたとのものであったゲーリュオンという存在は伝統的に三つの頭、三つの身体を持つ姿で伝統的に表される存在ながらもダンテは[ゲーリュオン]をして三つの側面の混合した存在、[色鮮やかな色彩を呈するワイバーン(翼竜)のそれに恐ろしげなライオンの前脚、そして、毒針めかした針を備えての蠍の尾のような尾を伴っての胴体の上に正直然として男の顔をいただいての[人間]・[裏切り(者としての唾棄すべき特性)]・[爬虫類]の三つの側面の混合した存在]として描いていた(第17歌)」

(訳を付しての引用部はここまでとする ―※― )

(※同引用部では地獄の第8圏および第9圏とそうではない領域の垣根に広大な断崖が存在しており、その難所を通過するために、ダンテとヴェルギリウスがゲーリュオーン ――直近にて誰でも確認可能なウィキペディアの(メジャーな)神話解説部より引いた通り、ヘラクレスの10番目の功業にて誅伐された三面六臂の怪物―― の背におぶさられて移動したこと、すなわち、第7圏から第8圏への降下へゲーリュオーンの助力を受けたことが表記されているわけである。尚、オンライン上にて公開されているダンテ『地獄篇』の英語近代訳のテキストを抜粋することに代えてここではたかだかウィキペディア程度の媒体より引用をなすことにしたのだが、それは英文ウィキペディアの当該表記に誤りがないとのことを確認してのうえで(通貫しての物語となっており、部分的にそこよりの引用をなしても内容把握しがたいとの英訳『地獄篇』よりの引用をなすよりも)英文ウィキペディア程度のものよりの引用をなした方が理解に資するか、との筆者なりの判断があったことによる)

 次いで、

[アンタイオスがヘラクレスの11番目の功業にて誅伐された存在であり、他面、ダンテ『地獄篇』では地獄での急降下を実現させしめた怪物であること]

の出典を挙げることとする。

(直下、誰でもオンライン上にて即時に確認できるところとして英文Wikipedia[Antaeus]項目より抜粋をなすとして)

Antaeus had defeated most of his opponents until it came to his fight with Heracles (who was on his way to the Garden of Hesperides for his 11th Labour). Upon finding that he could not beat Antaeus by throwing him to the ground as he would reheal due to his parentage (Gaia), Heracles discovered the secret of his power. Holding Antaeus aloft, Heracles crushed him in a bearhug.

(訳として)
アンタイオスは[第11番目の功業]にてヘスペリデスの園(黄金の林檎の園)に向かう途上にあったヘラクレスと闘うことになるまでは大多数の敵対者を敗北させてきた。その親となる存在(ガイア神)の加護によって大地に投げつけられた際にアンタイオスが治癒・回復を見ていることを見いだし、ヘラクレスは彼(アンタイオス)の強さの秘密を発見した。(そこでヘラクレスは)アンタイオスを中空に持ち上げ、羽交い締めにしたうえでアンタイオスの身体を打ち砕いた」

(訳を付しての引用部はここまでとする)

 上と同じくものことについては『ビブリオテーケー』(ローマ期成立のギリシャ神話要覧書)、その岩波書店より出されている訳本たる文庫版『ギリシャ神話』よりの引用 ―(当方所持の文庫版第61刷のもの、その第2巻Vの部よりの原文引用)― も直下なしておくこととする。

(直下、岩波文庫版アポロドーロス『ギリシャ神話』p.99からp.100、ヘラクレスが黄金の林檎探索の過程でリビアに立ち寄ったとの部よりの原文引用をなすとして)

第一一番目の仕事としてヘスペリスたちから黄金の林檎を持って来るように命じた。これは一部の人々の言うようにリビアにあるのではなく、ヒュペルボレアス人の国の中のアトラースの上にあったのである。それを大地(ゲー)がヘーラーと結婚したゼウスに与えたのである。テューポーンとエキドナから生まれた不死の百頭竜がその番をしていた。それとともにヘスペリスたち、すわなちアイグレー、エリュテイア、ヘスペリアー、アレトゥーサが番をしていた。
・・・(中略)・・・
イリュリアーを徒歩で通って、エーリダノス河へと急ぎ、ゼウスとテミスとの間に生まれたニムフたちの所に来た。彼女らは彼にネーレウスを教えた。ヘーラクレースは眠っているところを捕え、あらゆる姿に変身するネーレウスを縛り、どこに林檎とヘスペリスたちがいるかを彼から教わるまで放さなかった。教わってから彼はリビアを通り過ぎた。この地の王はポセイドーンの子アンタイオスであって、彼は異邦人を強いて相撲(すま)わしめては殺していた。ヘーラクレースは彼と相撲することを強いられたので、しっかと両腕で抱えて高々と差上げ、粉砕して殺した。というのは彼は大地に触れると一層強くなったからである。それだから一部の人々は彼は大地の子であると主張したのである」

(引用部はここまでとする)

 以上のようにアンタイオスは
[ヘラクレス11番目の功業の折に殺傷された存在]
として伝存しているわけだが、同アンタイオスがダンテ『地獄篇』にて[地獄第8圏から第9圏(最下層)への降下]の介添え役として登場を見ていることの典拠を挙げておくこととする。

(直下、オンライン上より確認できるところとしての英文Wikipedia[Inferno]項目より該当部のみを抜粋するとして)

The giant Antaeus (being the only giant unbound with chains) lowers Dante and Virgil into the pit that forms the ninth circle of Hell (Canto XXXI).

(訳として)
「巨人アンタイオス(最下層間際にて捕らわれている巨人らの中で鎖につながれいなかった唯一の巨人)は地獄の第9圏をなす穴へとダンテとヴェルギリウスを引き下ろした(第31歌)」

(訳を付しての引用部はここまでとする/Inferno本体よりの引用に代えてたかだかウィキペディア程度のものよりの引用に留めた理由は上にての「ダンテ『地獄篇』に登場する」ゲーリュオンにまつわる引用部にて申し述べていることと同文となる)

画家ギュスターブ・ドレが近代刊行版ダンテ『神曲;地獄篇』に提供していた挿絵 ―日本でも某有名漫画家にインスピレーションを与えたなどとの伝で知られる一群の挿絵― の中にあってゲーリュオーンおよびアンタイオスを描いているとのものを挙げた。画に付してのキャプションの部、そして、ここに至るまでの解説内容から述べるまでもないことか、とは思うが、上の段に挙げてのそれがダンテとヴェルギリウスを背におぶって下層階に降下するところのゲーリュオーン ―(先述のようにギリシャ神話では[三面六臂の存在]であるところが地獄篇では[色鮮やかな色彩を呈するワイバーン(翼竜)のそれに恐ろしげなライオンの前脚、そして、毒針めかした針を備えての蠍の尾のような尾を伴っての胴体の上に正直然として男の顔をいただいての[[人間]・[裏切り(者としての唾棄すべき特性)]・[爬虫類]の三つの側面の混合した存在]へと改変されているとのゲーリュオーン)― の似姿となり、下の段に挙げてのそれがダンテとヴェルギリウスをおぶって地獄の最下層に到達なさしめた肉体エレベーターとでも述べるべき巨人アンタイオスの似姿となる。

出典(Source)紹介の部90はここまでとする)


 ダンテ『地獄篇』に登場するルシファーは

[地獄の第9圏に半身氷付けになって幽閉され、人類史、最も著名な裏切り者ら ――[イエスを売ったイスカリオテのユダ][シーザー(ユリウス・カエサル)を裏切って謀殺したマルクス・ユニウス・ブルータス][同じくもシーザーを裏切って謀殺したガイウス・カッシウス・ロンギヌス]の計3名―― を「三つある」顔の「三つある」口にて噛み砕いているとの三面の存在

として描かれている(:重力が向かう先、[裏切り者の地獄]たる[コキュートス]にあって最も罪深い者達が幽閉される[ジュデッカ]でそういう格好のルシファーが「永劫に」人類史にあっての三大裏切り者を噛み砕き続けているとのシュールな描写がなされている)。
 
 さて、

[[ヘラクレスの10番目の冒険にて誅伐された怪物;ゲーリュオーン]によって7番目から8番目の階層への降下]
[[ヘラクレスの11番目の冒険にて(その途上)誅伐された怪物;アンタイウス]によって8番目から9番目の階層へと降下]

がなされて(出典(Source)紹介の部90)、ダンテらに訪問された地獄の最下層(第9層)に囚われているのが

[三面構造の存在(ルシファー)]

となっているとのことで述べれば、

[ヘラクレスの12番目の冒険にて捕縛対象となった「三つの顔を持つ」地獄の犬ケルベロス]

のことが想起されもするところである。

 そうも述べる理由 ―地獄篇のルシファーがケルベロスに通ずるとのことになっていると述べるところの理由― は複層的に存在しているのだが(それら[各]理由については遺漏なくもこれよりの段で指し示していく)、まずもってはそこより問題になるのは[ヘラクレス功業の順序順番]との観点、くどくも繰り返しての表記をなすが、

「ダンテとダンテがその師父と慕うヴェルギリウスらが地獄巡りの後半部にて[ヘラクレス10番目の冒険にてヘラクレス相手方となった怪物](既述のゲーリュオーン)・[ヘラクレス11番目の冒険にてヘラクレス相手方となった巨人](既述のアンタイオス)らに順次段階的に最下層領域へ向けていざなわれている ――直上の部にて言及のようにゲーリュオーンにおぶられての第7層から第8層への降下、次いで、アンタイオスにおぶられての第8層から第9層(最下層)への降下とのかたちで最下層領域へ向けて順次段階的にいざなわれている―― とのその先に控えるのは[ヘラクレス12番目の冒険にてヘラクレス相手方となった怪物]であるべきではないか、との予断じみた観点が生じもするとのことがあり、といった中でヘラクレス12番目の冒険にて相手となったのが三面構造のケルベロスとなっているのに対して地獄篇のルシファーがお誂(あつら)えむきに三面構造になっている、そう、アンタイオスにいざなわれての先(地獄最下層)に控えるのが同文に「三面構造の」ルシファーとなっているとのことが(古典にまつわる[文献的事実]の問題として)そこにある」

との観点があるがゆえに、

「地獄最下層第9圏内の「三面構造の」ルシファーと「三面構造の」ケルベロスの関係性」

が想起されもする(理由は他にもあり、再言するが、それについてはさらに続けての段で述べていく)。

 前のページへ〔PREVIOUS PAGE〕     次のページへ〔NEXT PAGE〕


直下、本稿冒頭部へのリンクを設けておく

(⇒冒頭頁へは下の部より)

[典拠紹介部第1頁 加速器実験に伴う欺瞞性から証示なせることについて]

 上掲なしているのは19世紀後半から20世紀前半にかけて活動の著名な挿絵家アーサー・ラッカムが英訳・再刊行されたワーグナーの原作歌劇 Der Ring des Nibelungen『ニーベルングの指環』 (英文通用化タイトルとしては[指輪]一語の The Ringとも呼称される歌劇) の書籍化バージョンに提供しもしていた挿絵を挙げたもの、より具体的には挿絵家ラッカムが『ニーベルングの指環』序盤部をなすパート、 Das Rheingold『ラインの黄金』のために作成・提供していたとの画を挙げたものとなる (ただ当媒体では同画に多少の演出を施している) 。

 さてもってして、挿絵に見る女、というより、人ならざるところの[女神]はイドゥン(Idunn)という存在を(音楽界の巨匠と認知されている)『ニーベルングの指環』作曲者リヒャルト・ワグナーがフライヤ(Freia)との名前で焼き直しなし、登場させているとの存在なのではあるが、イドゥンにせよ、Wagnerが登場させた(画に見る)フライヤにせよ、北欧神話における不死の果実であるところの【黄金の林檎】と紐付けられた存在となっている(彼女ら女神達は【黄金の林檎の管掌者】となる)。 
 そうもした黄金の林檎と紐付いての彼女ら(イドゥン/フライヤ)は、いわば、神々に瑞々(みずみず)しき【不死】を(若さ約するとの)【黄金の林檎】を介して供給しているとの設定の女神となりもし、そして、彼女らの管掌する【黄金の林檎】が北欧神話多神教の神々に最早若さを与えなくなったとのその時点が【終末のはじまり】であると描写されてきたとのことがある (:【終わりの始まり】が黄金の林檎にて供給される若さの喪失と結びついていると描写されるのはワグナー歌劇にせよ、北欧神話それ自体も同文のこととなる ――ワグナー歌劇では序盤より【黄金の林檎(とフライヤ)の担保する若さの維持】が【無限の力を蔵する指輪の保持】と一時的に秤量されるのだが、結局、【黄金の林檎】と比較された指輪を欲する強欲な心(による人界の操作)が世界の終末に繋がると描写される。他面、ワグナー歌劇より遙か前から存在していた北欧神話では(それを収めたエッダ詩の訳書を借りるなどしてもよかろうしウィキペディアの[イズン]関連項目などをご覧戴くのでもよかろうが、易くも確認できようところとして)神々の最終決戦であるところのラグナロクとされる終末局面にあって黄金の林檎によって担保されていた不老は停滞を見、老化が始まると描写される―― )。

 ここからが問題なのだが、本段、脇に逸れての訴求部にあってまわりくどくもの口上にて上の如きことを引き合いに出しているのは本稿にあって【次のこと】らを【黄金の林檎】との兼ね合いで(具体的根拠と共に)訴求している ―(画に見るイドゥン・フライヤにも関わるところとして訴求している)― からである。

黄金の林檎 ―それは北欧神話から離れてのギリシャ神話ではトロイア戦争の原因、すなわち、城塞トロイアの崩壊の元凶でもある(本稿の前半部にあって古典よりの原文引用でもってして典拠紹介のこととなる)― が【人間の終末】に関わるとの指摘がなせるようになって「しまっている」、しかも、それ(黄金の林檎)がブラックホール生成との兼ね合いで古今東西にまたがっての文物を介して【人間の終末】に関わるとの指摘が濃厚になせるようになって「しまっている」とのことが現実にある (:現況現在執り行なわれているLHC実験にあって「科学の進歩に資する」とされてのブラックホール生成可能性と紐付けられてきたディテクター(検出器)の名前が【黄金の林檎】の在処を識る巨人アトラスの名を冠する ATLAS Detectorとなっているとのことが確とある一方で黄金の林檎と接合するエデンの禁断の果実を用いての誘惑者の著名古典に見る描写が(それ自体、奇怪奇矯なることなのではあるも)今日的な視点で見た場合のブラックホールの近似的描写と紐付いている、そうしたことがそれこそ山となり、それら山とあることらが相互に多重的に接合しているとのこともが「ある」)。

・上掲図の元となっているワグナー歌劇『ニーベルングの指環』は【黄金の林檎】(を管掌する女神)と【無限の富(力)を約する指環】の取引が序章の部より描かれているのだが、(黄金の林檎を管掌する女神と秤量されての)【指環】の取得に固執した者らが強欲さゆえに次々と滅亡していくさまが同歌劇では描かれる(:その一番はじめの描写は『ニーベルングの指環』前半部にあっての【黄金の林檎】管掌者たるフライヤを略取、彼女フライヤを【指輪】との取引の具とした巨人ファーフナーとファーゾルドの兄弟が殺し合いをはじめるとの部となる)。 そのことは現実世界で「黄金の林檎と接合している」とのかたちとなっている巨大なリング状の装置、加速器ラージ・ハドロン・コライダーが【指輪;リング】に仮託される風が一部ある (『ニーベルングの指環』の影響下にあるJ.R.R.トールキン原作のロード・オブ・ザ・リング『指輪物語』に登場の冥王に由来する指環と結びつけられるなど加速器LHCが【指輪】に仮託される風が実験関係者含めて見受けられる) とのことと平仄が合うにも程があろうとの筋合いのことともなる (:ただ現況もってして、同じくものことを問題視する人間はまったくいない(心ある向きには是非とも確認いただきたいところなのだが検索エンジンで英文単語を何語か入れて当たりをつけんとしてみても【リングと黄金の林檎の結びつき】を加速器との関係で目立って問題視するような向きはこの世界にはいない))。

・上にて先述のように【ギリシャ神話におけるトロイア崩壊の元凶】「でも」あるとのゴールデン・アップルがそれ(黄金の林檎)に関連する事物ら(巨人ATLAS「など」)を介してブラックホール生成をなす可能性があるとの加速器 ―巨大な【リング】でもある― と結びつくとして、である。 現在にあって巨大加速器実験を実施している「研究」機関ら、および、そちら「研究」機関らに携わっていた初期の紐帯がどうやって世に生み出されたのかもがワーグナーの『ニーベルングの指輪』に通ずる側面がある。 どういうことか。 現況、加速器実験を執り行なっている主たる研究機関ら(それら研究機関らは、と同時に、ブラックホール生成可能性に伴うリスクとの観点で中途半端に海外で法廷に引きづり出された研究機関ら「でも」ある) はその沿革上、
【マンハッタン計画の子供ら】
となっているとのことがある ―同じくものことは長大な本稿本文の部にあって(入念を心掛けての)指し示しの対象としていることでもある― のであるが (:またもってして核分裂の過程に通ずる原子核人為破壊を兵器転用なそうとしたとのマンハッタン計画にあっての挙、そちら核兵器を製造するプロセスと加速器実験にての原子核人為破壊のプロセスは同一方向のベクトルを指している ―無論にして同じくものことの典拠をも本稿本論部で入念に挙げている― )、 マンハッタン計画と今日の加速器実験(におけるブラックホール生成に通ずる挙)の縁(えにし)の深さはそれ以外にも濃厚に認められるとのことがある(たとえば円形加速器という装置をそもそも生み出した者達がマンハッタン計画の主導者となっていたとのことがある等々)。
 そうもした(加速器実験運営機関を生み出した)マンハッタン計画始動の原因になっているユダヤ系の迫害の挙に出たナチスのやりよう・躍進・劫略のプロセスはワグナー歌劇『ニーベルングの指環』と濃密に結びついているとのことがある(『指環物語』作者ワグナーがユダヤ系の向きらにあって反芸術・野蛮の象徴である忌避すべき象徴とされてきたのはナチス第三帝国およびその領袖ヒトラーが反ユダヤ主義を大っぴらに喧伝していたリヒャルト・ワーグナーを最大限重要視していたとの歴史的事実があるからであり、たとえば、ナチスの実行してきた非道なる命令体系、占領統治下の反体制派・レジスタンスを夜陰に乗じて密やかに処分することを目しての行政命令であるところのナハト・ウント・ネーベル( Nacht und Nebel )、【夜と霧】行政命令 ―日本では Man's Search for Meaningとの原題を有した心理学者ヴィクトル・フランクルの書籍の「邦題」として識られている語でもある【夜と霧】(収容所が絶滅収容所へと変遷していく画期を象徴する語であるとも認識されている)― などはワグナーの『ニーベルングの指環』に由来しているとのものとなる ――※ウィキペディア[夜と霧]項目などにおいても簡明な解説がなされてはいることだが(であるから疑わしきはその程度の媒体からでも確認いただけるであろう)、ナチスドイツが欧州にて反対派を掃討するための共通規則とした【夜と霧】命令はヒトラーが愛聴していた、そして、ナチス体制下の国家芸術の象徴として扱われていたリヒャルト・ワグナーの『ニーベルングの指輪』、その『ラインの黄金』にあっての一幕(の中の[ニーブルヘルム]の下り)にて侏儒(ドワーフ)のアルベリヒが隠れ頭巾を用いて姿を消す際に口にする台詞、「夜と霧になれ、誰の目にも映らないように.」に由来しているとのことが知られている(にまつわって述べておけば、【夜と霧の呪文】を唱えたドワーフ・アルベリヒは強欲さの象徴でもあり、絶大な力をもたらす【呪いの指環】そのものを生み出した存在でもあるとワグナー歌劇では設定付けがなされているキャラクターである)―― 。

 以上のことはそれだけを読まれる限りは何が問題になるのか判じがたいとのこととなろうかとは(当然に)思うのであるが(理解を阻む詰め込み過ぎの風もあったかと脳裏をよぎりもしている)、同じくものことにまつわっての指し示しを細々となしもしている、また、そこからさらにもってして何が述べられるのかの指摘を委細を尽くしてなしているとの本稿本論部をご検討いただければ、【ことの重篤さ】 ―重篤さというのは【執拗さ】の問題として何が企図されているのかに通じもしていることである― についてご理解いただけるか、と考えている。

当サイト内にあっての【各頁および各典拠への一覧方式遷移部】、及び、【PDF形式文書配布ページ】へのリンクを直下、設けておく

各頁および各典拠への一覧方式遷移部へは以下より


問題となる[「予見的」言及→実現]の体系についての[典拠紹介部]一覧呈示頁

PDF形式文書配布ページへは以下より


典拠解説媒体としての[一括PDF文書]の公開頁

ここ本頁内の記述内容を支える【「容易に後追い確認なる」「堅い」ソースを呈示しての出典紹介部ら】への[遷移経路]を下に設けておく典拠について疑わしいとの部があれば、必要に応じて参照されたい (:クリックすることでブラウザ ―インターネット閲覧ソフト― の[別タブ(別枠)]にて典拠紹介部を表示( open "additional" tabbed window(s) of web browsers

[出典(Source)紹介の部35]LHC実験とトロイア崩壊およびアトランティスの関係性を示す命名規則上のありようにまつわっての部LHC実験にあっては[(トロイア崩壊の因たる)黄金の林檎の在処を知ると神話が語り継ぐ巨人アトラス]の名前を冠する検出器ATLASおよび黄金の林檎の果樹園とも同一視されもするアトランティス]の名前を冠するディスプレイ・ウェアATLANTISによって生成極微ブラックホール捕捉をなしうるとの可能性が取り沙汰されてきたとのことについての出典紹介の部35)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第30頁 アトラス・アトランティスとLHC命名規則の繋がり合い

[出典(Source)紹介の部36(2)](LHC実験にあってはブラックホール生成可能性が問題視されるそれ以前、1992年から覚書が交わされてATLASとの名称の使用が確定していたことにまつわっての出典紹介の部36(2))
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第30頁 アトラス・アトランティスとLHC命名規則の繋がり合い

[出典(Source)紹介の部55](ダンテ『地獄篇』およびミルトン『失楽園』にあって[「今日的な観点で見た場合の」ブラックホールの質的近似物]が描写されていることにまつわっての出典紹介部55)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第46頁 ダンテ『地獄篇』とミルトン『失楽園』に見るブラックホールに通ずる描写

[出典(Source)紹介の部55(3)](ダンテ『地獄篇』およびミルトン『失楽園』にあって[「今日的な観点で見た場合の」ブラックホールの質的近似物]が描写されていることにまつわっての出典紹介部55(3))
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第47頁 ダンテ『地獄篇』とミルトン『失楽園』に見るブラックホールに通ずる描写[2]