典拠となるところの明示[27]――斯界のカリスマと評される物理学者キップ・ソーン
の手になる著作を契機に指摘できもすること(5)

関連情報にまつわるカテゴリ(各部クリックにて遷移)

ブラックホールにまつわる文物らが何故にもって[「奇態なる」先覚的言及]と結びついていると述べられるのか、属人的主観の類が一切問題とならぬとの式で[文献的事実]のみより摘示なせるところ[5] ――(先立って摘示してきた関係性の延長線上にあって問題となることについて)―― 

 前頁までにあっては

[物理学者キップ・ソーンの手になる科学書 BLACK HOLES & TIME WARP Einstein's Outrageous Legacy『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんでもない遺産』には先の911の事件の予見文物としての側面が伴っている

とのことについて、(1.から5.と分けてものことらにあっての) 3.と振ってのことまでの典拠紹介をなしてきた(原文引用に力を入れての典拠紹介をなしてきた)。

 ここ本頁では表記のことを示すべくもの1.から5.と分割しての指し示し事項、うち、4.の部についての典拠紹介をなすことより話をはじめることとする。

[4.の部にまつわる出典として]

 先立って1.から5.と分かちもしてのことらのうちの4.の部、すなわち、

4.

 先の3.と密接にかかわるところの話をなす。
 世の中にては2000年をもって
[新たな千年紀(ニュー・ミレニアム)の始まり]
として祝賀するムードがあったわけだが、現実には2000年ではなく2001年がニュー・ミレニアムの始期であるとする理論 ―というより暦の発展史に基づいての見立て― が存在している
 そうした見立てに言及している書籍を例として挙げる。
 チャールズ・サイフェという科学ライター(アカデミズム寄りの数学の学位を持つある程度有名なサイエンスライター)の手になる書、

ZERO:The Biography of a Dangerous Idea(邦題)『異端の数ゼロ』(原著2000年刊)

という書籍には次のような趣旨の記載がなされている。

「西暦で示される暦にあってはそれがゼロとの数値の存在を顧慮して構築されていたものではない。そういった事情より、暦のカウント方式に差分が生じる。そのため、20世紀のはじまる折は2000年ではなく2001年であるとの解釈がなされうる。2000年と2001年のそうあるべき位置づけは1年づつずれているとも述べられるのである」(続けてのすぐ後の段にてそこよりの原文引用をなすが、『異端の数ゼロ』邦訳「ハードカヴァー」版での以上のことへの言及ページはp.64-p.69となる)。

 以上のような見立てに準拠すれば、2000年と2001年の各年は[ミレニアム(新たな千年紀)のスタート・ポイント]としてその混同が問題となるところということになる。
 そのため、キップ・ソーンの『ブラックホールと時空の歪み』 ―[通過可能なワームホールとタイムマシンの関係の問題]を扱った海外では比較的知られた著作― にての

[ワームホールのタイムマシン化挙動の開始ポイント]

の時期、ソーンとスペースシャトルになったソーンの妻がしばしの別離をなすことになった時期が
「2000年1月1日9時」
とされていること ――先立っての3.と振っての段にて言及のこと―― の意味がさらに重きをもってくることになる。

先立っての1.から3.にて言及のことをまとめながらの話として
 表記のソーン著作では
[2000年1月1日9時]

[「双子の」パラドックス(1「911」年提唱)が起こるうえでのスターティング・ポイント]
と思考実験 ――それはまた[91101との2001年9月11日そのものを指す数値列を郵便番号のはじめとする一地域を始発点に置いての思考実験]でもある―― にて看做されていることになっているわけだが(そこからしてご理解いただけていない向きはここまでの内容を読みなおしていただきたい)、 2000年1月1日というのが欧米人の多くがそれを担いでいたニュー・ミレニアムのスタートポイントではなく、その実、2001年1月1日がニュー・ミレニアムのスタートポイントであるとの見立てが背面にあること、そこから、
[2000年1月1日9時→2001年1月1日9時]
こそが双子のパラドックスの起算点であるとの意味合いにての見立てもなせるところとなっている(2001年1月1日9時は数値変換の問題からダイレクトに2001年の九月十一日に起こったかの事件を想起させることになる)

とのことの出典を挙げることとする。

 より端的には

[2000年をもって[新たな千年紀(ニュー・ミレニアム)]の始まりとして祝賀するムードがあった一方で2000年ではなく2001年がニュー・ミレニアムの始期であるとする見立て ―暦の発展史に基づいての見立て― が存在している]

とのことの出典を挙げることとする。


| 出典(Source)紹介の部33 |

 本出典紹介部、出典(Source)紹介の部33にあっては

[2000年をもって[新たな千年紀(ニュー・ミレニアム)]の始まりとして祝賀するムードがあった一方で2000年ではなく2001年がニュー・ミレニアムの始期であるとする見立て ―暦の発展史に基づいての見立て― が存在している]

とのことにまつわるところとして ZERO:The Biography of a Dangerous Idea(邦題)『異端の数ゼロ』(原著2000年刊となり、邦訳版は早川書房より2003年刊の著作/著者をプリンストン大で数学の学位を取っている,科学に造詣深きサイエンス・ライターのチャールズ・サイフェとしているとの著作)、そのハードカヴァー版よりの掻い摘まんでの引用をなしていく。

(直下、早川書房より出されている邦訳ハードカヴァー版『異端の数ゼロ』p.62よりの一部引用をなすとして)

 この愚かで”子供じみた議論”――新しい世紀の最初の年は〇〇年か〇一年かという議論―― は、時計じかけのように一〇〇年ごとに現れる中世の修道士がゼロについて知ってさえいたら、私たちの暦はこんな混乱状態にはなかったろう

(「上にての」引用部はここまでとする)

(直下、早川書房より出されている邦訳ハードカヴァー版『異端の数ゼロ』p.63よりの一部引用をなすとして)

 復活祭の日付を計算するのは、暦どうしの食い違いのおかげで、なかなか厄介な仕事だった。教会の総本山はローマで、一年三六五日(閏年あり)の太陽暦を用いていた。しかし、イエスはユダヤ人で、一年三五四日(閏月あり)のユダヤの太陰暦に支配されていた。二つの暦は互いにずれていき、ある祝日がいつであるかを予測するのは実にむずかしかった。復活祭は、まさにそのような移ろいゆく祝日だったので、数世代ごとに一人の修道士が選ばれて、むこう数百年にわたる復活祭の日付の計算を任された。
 ディオニュシウス・エクシグウスは、そうした修道士の一人だった

(「上にての」引用部はここまでとする)

(直下、早川書房より出されている邦訳ハードカヴァー版『異端の数ゼロ』p.64よりの一部引用をなすとして)

キリストが生まれた年がアンノ・ドミニ一年、つまり、われらが主の最初の年であるべきだとディオニシウスは考えた
・・・(中略)・・・ただし、問題が一つあった。いや、二つだ。・・・(中略)・・・今日では、おおかたの学者は、キリストが生まれたのは紀元前四年のことだったと考えている。ディオニシウスは数年はずれていた

(「上にての」引用部はここまでとする)

(直下、早川書房より出されている邦訳ハードカヴァー版『異端の数ゼロ』p.65よりの一部引用をなすとして)

実際には、この誤りはそれほど大したものではなかった。暦の最初の年を選ぶとき、その後すべてのつじつまが合っていれば、どの年を選ぶかは本当は重要ではない。
・・・(中略)・・・
だが、ディオニシウスの暦には、もっと重大な問題があった。ゼロだ。ゼロ年がなかった

(「上にての」引用部はここまでとする)

(直下、早川書房より出されている邦訳ハードカヴァー版『異端の数ゼロ』p.66よりの一部引用をなすとして)

ゼロ年がなかったことは二〇〇年後に問題を引き起こしはじめた。・・・(中略)・・・北イングランド出身の修道士、ビードが再び復活祭表を延長した。おそらく、そうして、ディオニシウスの仕事を知るようになったのだろう。『イギリス国教会史』を書くとき、新しい暦を使った。
・・・(中略)・・・
やはりゼロを知らなかったビードにとって、紀元一年に先立つ年は紀元前一年だった。ゼロ年などなかった。・・・(中略)・・・一見、このように数を割り振るのは、それほど悪くないように思われるかもしれない。だが、これでは問題が起こるのは確実だった。・・・(中略)・・・紀元前四年一月一日に生まれた子供を想像してみればいい

(「上にての」引用部はここまでとする)

(直下、早川書房より出されている邦訳ハードカヴァー版『異端の数ゼロ』p.67よりの一部引用をなすとして)

紀元〇年があったら、当然ながら、この子供は、紀元〇年一月一日に四歳、紀元一年に五歳、紀元二年に六歳になったはずだ。これなら、この子供の年の計算は、2から-4を引くだけの話だ。しかし、実際には、そうではない。正しい答えを出すにはさらに一年引かなくてはならない。したがって、イエスは一九九六年には二〇〇〇歳ではなかった。一九九九歳でしかなかった。これは混乱を招きやすい

(「上にての」引用部はここまでとする)

 以上、ページ毎に数センテンス単位の引用に留めてそういう話があるとのことが[文献的事実]であることを示したのは 

西暦の考案者として知られる6世紀活躍(544年頃死没とされる)のローマ教会内の識者ディオニシウス・エクシグウスが[ゼロ]を暦の計算にカウントしなかったこと、そのエラーが[西暦の普及者]として知られるベーダ(ビード)・ヴェネラビリスに継承され、紀元ゼロ年が「実際に存在していない」西暦のために1999年歳のイエスが2000歳を祝われている存在となっているといったことがある

とのことに関わるところとなる。


 上は英文Wikipedia[ Historia ecclesiastica gentis Anglorum ]にて著作権の縛りなく掲載されているとのセントペテルベルク在の Historia ecclesiastica gentis Anglorum (イングランド教会史)の写本の中身である。
 上図にて写本の視覚的ありようを挙げての表記著作(『イングランド教会史』)は
[西暦]
との概念を流布・固定化するうえで功あったとされる人物、8世紀活動のキリスト教教会知識人ベーダ・ヴェネラビリスが著したとのものでそれ自体が[西暦]概念の確立に重きをなして関わっているとされる著作である(:日本の高校生がお受験でそこまでは学習することを求められるような知識ではないだろうとは見るが、我々人類の過去の歴史 ――(全部が全部、シェイクスピア劇劇中人物の台詞に見るように、「男も女も[役者]、死と共に退場を強いられてきた舞台.」のようなものであっても、そう、自由度などなく、筋書き通りに生き、死んでいくとの者達らが紡いでいたというより紡が「されていた」といったものでも、とにかくもの人類の過去の歴史)―― の時間軸記述方法それ自体が生まれる沿革に表記著作『イングランド教会史』は「重きをもって」関わっているとされ、については、和文ウィキペディア[西暦]項目に(現行のそこにての記載内容を掻い摘みながら一部引用するところとして)西暦は6世紀のローマの神学者ディオニュシウス・エクシグウスによって算出された。ディオニシウスは・・・(中略)・・・当時ローマで用いられていたディオクレティアヌス紀元(ローマ皇帝ディオクレティアヌスの即位を紀元とする)に替えて、イエス・キリストの受肉(生誕年)の翌年を元年とする新たな紀元を提案した。・・・(中略)・・・西暦1年から531年までは概念上の存在であり、実際の紀年法として使用されたことはない。その後も長らくこの紀年法は受け入れらず、731年にベネディクト会士ベーダ・ヴェネラビリスが『イングランド教会史(イギリス教会史)』をキリスト紀元で著してから徐々に普及し、10世紀頃にようやく一部の国で使われ始め、西欧で一般化したのは15世紀以降のことであるという(引用部はここまでとする)と記載されているようなことがある)。
 といったキリスト教教会内の識者にて形作られてきた西暦表記には欠陥があるとされ、それが
[2000年と2001年とのどちらを21世紀のはじめとするか]
の論議につながっているとのことがここにて抜粋している著作たる『異端の数ゼロ』(原著2000年刊、邦訳版2003年刊)の内容となる


出典(Source)紹介の部33はここまでとする)


 上出典紹介部にての訳書『異端の数ゼロ』ハードカヴァー版(のp.62)からの引用部でもってして

4.

 先の3.と密接にかかわるところの話をなす。
 世の中にては2000年をもって
[新たな千年紀(ニュー・ミレニアム)の始まり]
として祝賀するムードがあったわけだが、現実には2000年ではなく2001年がニュー・ミレニアムの始期であるとする理論 ―というより暦の発展史に基づいての見立て― が存在している
 そうした見立てに言及している書籍を例として挙げる。
チャールズ・サイフェという科学ライター(アカデミズム寄りの数学の学位を持つある程度有名なサイエンスライター)の手になる書

ZERO:The Biography of a Dangerous Idea(邦題)『異端の数ゼロ』(原著2000年刊)

という書籍には次のような趣旨の記載がなされている

「西暦で示される暦にあってはそれがゼロとの数値の存在を顧慮して構築されていたものではない。そういった事情より、暦のカウント方式に差分が生じる。そのため、20世紀のはじまる折は2000年ではなく2001年であるとの解釈がなされうる。2000年と2001年のそうあるべき位置づけは1年づつずれているとも述べられるのである」(続けてのすぐ後の段にてそこよりの原文引用をなすが、『異端の数ゼロ』邦訳「ハードカヴァー」版での以上のことへの言及ページはp.64-p.69となる)。

 以上のような見立てに準拠すれば、2000年と2001年の各年は[ミレニアム(新たな千年紀)のスタート・ポイント]としてその混同が問題となるところということになる。
 そのため、キップ・ソーンの『ブラックホールと時空の歪み』 ―[通過可能なワームホールとタイムマシンの関係の問題]を扱った海外では比較的知られた著作― にての

[ワームホールのタイムマシン化挙動の開始ポイント]

の時期、ソーンとスペースシャトルになったソーンの妻がしばしの別離をなすことになった時期が
「2000年1月1日9時」
とされていること ――先立っての3.と振っての段にて言及のこと―― の意味がさらに重きをもってくることになる。

先立っての1.から3.にて言及のことをまとめながらの話として
 表記のソーン著作では
[2000年1月1日9時]

[「双子の」パラドックス(1「911」年提唱)が起こるうえでのスターティング・ポイント]
と思考実験 ――それはまた[91101との2001年9月11日そのものを指す数値列を郵便番号のはじめとする一地域を始発点に置いての思考実験]でもある―― にて看做されていることになっているわけだが(そこからしてご理解いただけていない向きはここまでの内容を読みなおしていただきたい)、 2000年1月1日というのが欧米人の多くがそれを担いでいたニュー・ミレニアムのスタートポイントではなく、その実、2001年1月1日がニュー・ミレニアムのスタートポイントであるとの見立てが背面にあること、そこから、
[2000年1月1日9時→2001年1月1日9時]
こそが思考実験における双子のパラドックスの起算点であるとの意味合いにての見立てもなせるところとなっている(2001年1月1日9時は数値変換の問題からダイレクトに2001年の九月十一日に起こったかの事件を想起させることになる)

とのことの典拠とした(:色を付けての部位が先立っての1.から3.で「既に」典拠を挙げてきたことを除いての直上の部にてはじめて典拠たるところ(4.の部の典拠たるところ)を挙げたところとなる)。

 続けて、5.の部、すなわち、

5.

 上の4.にて言及したチャールズ・サイフェ著、

ZERO:The Biography of a Dangerous Idea(邦題)『異端の数ゼロ』(原著2000年刊)

との著作は(表記のように)2000年と2001年の区別が曖昧となっていることを論じての著作であると同時に

刊行年にて先行するキップ・ソーン著作 BLACK HOLES & TIME WARP Einstein's Outrageous Legacy『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんでもない遺産』にあっての(上にて再現図を挙げての)図と同様の[通過可能なワームホールにまつわる図]を同じくものイラストレーター( Matthew Zimetという人物か)の手になる極めで独特なるテイストのイラストとして挙げもしているとの著作

にして、また、

ブラックホールという語を911の事件が起こる「前」から(往時より使用局面が限られているとの特殊な言葉であった)[グラウンド・ゼロ]との語と結びつけている著作 (キップ・ソーンのここにて問題視している[通過可能なワームホール]にまつわる思考実験のことを解説している著作の表題が『ブラックホールと時空の歪み』となっているとのそのことを想起させるようにブラックホールをグラウンド・ゼロとの言葉 ――元来にして使用局面が限られた特殊な言葉―― と結びつけている著作)

ともなる(:これまた冗談のように聞こえもしようことだが、[文献的事実]の問題としてそういうことがあることをこれより示していく)。

 そういうことまでもが([2000年と2001年の別の曖昧さについて扱っているとの著作]に伴うところとして)あり、それでもってして、先行するところの3.にて言及した、

[2000年1月1日9時と2001年1月1日9時の区別の曖昧さ]

の意味合いがよりもって重くもなるとのことがある。

とのことの出典を挙げることとする。


| 出典(Source)紹介の部33-2 |

 ここ出典(Source)紹介の部33-2にあっては ZERO:The Biography of a Dangerous Idea(邦題)『異端の数ゼロ』(原著2000年刊)という著作がキップ・ソーン著作『ブラックホールと時空の歪み』といかように結びつくのか、また、グラウンド・ゼロとブラックホールとの言葉をどのようにあわせて用いているのかの解説をなす。

 まずもってチャールズ・サイフェ著 ZERO:The Biography of a Dangerous Idea(邦題)『異端の数ゼロ』(原著2000年刊)

[刊行年にて先行するキップ・ソーン著作 BLACK HOLES & TIME WARP Einstein's Outrageous Legacy『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんでもない遺産』にあっての(上にて再現図を挙げての)図と同様の[通過可能なワームホールにまつわる図]を同じくものイラストレーター( Matthew Zimetという人物か)の手になる極めで独特なるテイストのイラストとして挙げもしているとの著作]

となっていることについてだが、


直に書籍を手にとってそちら該当ページを確認することで理解いただけようところのページ指定として

・キップ・ソーン『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインの残したとんでもない遺産』(白揚社/原著刊行時期より遅れること3年しての1997年に刊行された邦訳版)にあってのp.453及びp.456にて呈示の図ら

・チャールズ・サイフェ『異端の数ゼロ 数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念』ハードカヴァー版(早川書房刊行/当方が参照しているのは2003年初版の版)にあってのp.267(付録E「自家製ワームホールタイムマシンをつくろう」と題されての部)にて掲載の図


をご覧いただくことで易々と確認がなせるようになっていると申し述べておく。

 その点、極めて似たテイストのイラストら]が[極めて似たような構図;人物描写込みにして極めて似たような構図]で同じくものテーマ ――通過可能なワームホールとのテーマ―― に関わるところとして掲載されているとのことになってもいる(:同一の漫画家に由来する独特の画風のイラストがきわめて同じような構図で具現化しているとの有り様と述べることもできる。につき、キップ・ソーン著作『ブラックホールと時空の歪み』に関する手前の方の調査では[ Matthew Zimet ]とのイラストレーターの名が同著の製作者に名を挙げられていることを把握しており、チャールズ・サイフェの問題となる著作『異端の数ゼロ』に対する調査でも同名のイラストレーターの名が同著の製作関係者として名を挙げられていることを把握している。従って略称表記か否かの違いはあるが「ほぼ確実に」両著にて挿絵を提供していたイラストレーターは同一人物かと思われる)。

 次いで、 チャールズ・サイフェ著 ZERO:The Biography of a Dangerous Idea(邦題)『異端の数ゼロ』(原著2000年刊)が

[ブラックホールという語を911の事件が起こる「前」から(往時より使用局面が限られているとの特殊な言葉であった)[グラウンド・ゼロ]との語と結びつけている著作]

となっているとのことについては以下の引用部を参照されたい。

(直下、邦訳版『異端の数ゼロ』(早川書房)ハードカヴァー版にての第8章 グラウンド・ゼロのゼロ時――空間と時間の端にあるゼロの章、240ページより原文引用をなすとして)

ゼロは、物理法則を揺るがすほど強力である。この世界を記述する方程式が意味をなさなくなるのは、ビッグバンのゼロ時であり、ブラックホールのグラウンド・ゼロだ。しかし、ゼロは無視できない。ゼロは私たちの存在の秘密を握っているばかりでなく、宇宙の終りの原因にもなるのだ

(引用部はここまでとする ―※― )

(※尚、上にての引用部に対する原著 ZERO:The Biography of a Dangerous Ideaにての表記は最終章[ Chapter Infinity: Zero's Final Victory: End Time ]に先立つChapter 8: Zero Hour at Ground Zero: Zero at the Edge of Space and Timeに認められる、 Zero is so powerful because it unhinges the laws of physics. It is at the zero hour of the big bang and the ground zero of the black hole that the mathematical equations that describe our world stop making sense. However, zero cannot be ignored. Not only does zero hold the secret to our existence, it will also be responsible for the end of the universe.とあいなっている―― )

 上のように書籍『異端の数ゼロ』では(ここにて専らに問題視しているキップ・ソーン著作『ブラックホールと時空の歪み』がブラックホール絡みのものである中で)[グラウンド・ゼロ]との言葉が[ブラックホール]と結びつけられている

 さらに加えて、

「[グラウンド・ゼロ]とは911の事件の後、ワールド・トレード・センターの跡地を指すに至った言葉でもあるが、元来、同語(グラウンド・ゼロ)は[広島・長崎の原爆投下地]を指すべくも生み出された「特殊な」言葉であった ――[普通名詞]的な語ではなくむしろ[固有名詞]的な語であった―― 」

とのことについては下を参照されたい。

(直下、英文Wikipedia[ Ground Zero ]項目にての現行記載内容よりの引用をなすとして)

The origins of the term ground zero began with the Manhattan Project and the bombing of Japan. The Strategic Bombing Survey of the atomic attacks, released in June 1946, used the term liberally, defining it as: "For convenience, the term 'ground zero' will be used to designate the point on the ground directly beneath the point of detonation, or 'air zero'."
[ . . . ]
The Pentagon, the headquarters of the U.S. Department of Defense in Arlington, Virginia, was thought of as the most likely target of a nuclear missile strike during the Cold War. The open space in the center is informally known as ground zero, and a snack bar located at the center of this plaza was nicknamed "Cafe Ground Zero".

(訳として)
グラウンド・ゼロとの言葉の[起源]はマンハッタン計画および日本に対する原爆投下にある。1946年6月に出された核攻撃の戦略的爆撃調査書では「爆発ポイント真下の地番、すなわち、エア・ゼロの場のことを示すうえで便宜上、グラウンド・ゼロとの言葉が用に適している]との言いようをなしながら同語をふんだんに用いていた。
・・・(中略)・・・
 ヴァージニアはアーリントン(ワシントン郊外)にあるペンタゴンは冷戦下、最も[核]の標的になりやすきところであると考えられていた。その中央にあっての広場は非公式には(核兵器の標的になりやすいとのこと、そして、原爆投下地がグラウンド・ゼロと呼称されるに至っていた経緯から)[グラウンド・ゼロ]と呼ばれており、広場にある軽食堂は Cafe Ground Zero[カフェ・グラウンド・ゼロ]とのニックネームが与えられていた」

(訳を付しての引用部はここまでとしておく ―※― )

(被爆国日本のウィキペディア[グラウンド・ゼロ]項目では「現況」(後に改訂される可能性もある)、そこより原文引用するところとして従来は広島と長崎への原爆投下爆心地や、ネバダ砂漠での世界初の核兵器実験場跡地、また核保有国で行われた地上核実験での爆心地を「グラウンド・ゼロ」と呼ぶのが一般的であった(引用部終端)と記載されている。グラウンド・ゼロが[原爆投下地に対する一般名詞]となっているような表記のされようだが、グラウンド・ゼロとの言葉、その使用局面は本来的には[固有名詞的なるもの]となっていると解されるようになっている)

 以上のようなこと、[グラウンド・ゼロ]との語が相当特殊な言葉であったことに鑑みて見ても、後、911の跡地がグラウンド・ゼロと呼称されることになったとのこととの絡みで

[キップ・ソーン著作『ブラックホールと時空の歪み』(の911いまつわる予見的側面)と比較顧慮した場合のチャールズ・サイフェ著作『異端の数ゼロ』の意味性]

が増すことになる。

出典(Source)紹介の部33-2はここまでとする)


 以上をもってして5.の部、すなわち、

5.

 上の4.にて言及したチャールズ・サイフェ著、

ZERO:The Biography of a Dangerous Idea(邦題)『異端の数ゼロ』(原著2000年刊)

との著作は(表記のように)2000年と2001年の区別が曖昧となっていることを論じての著作であると同時に

刊行年にて先行するキップ・ソーン著作 BLACK HOLES & TIME WARP Einstein's Outrageous Legacy『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんでもない遺産』にあっての(上にて再現図を挙げての)図と同様の[通過可能なワームホールにまつわる図]を同じくものイラストレーター( Matthew Zimetという人物か)の手になる極めで独特なるテイストのイラストとして挙げもしているとの著作

にして、また、

ブラックホールという語を911の事件が起こる「前」から(往時より使用局面が限られているとの特殊な言葉であった)[グラウンド・ゼロ]との語と結びつけている著作 (キップ・ソーンのここにて問題視している[通過可能なワームホール]にまつわる思考実験のことを解説している著作の表題が『ブラックホールと時空の歪み』となっているとのそのことを想起させるようにブラックホールをグラウンド・ゼロとの言葉 ――元来にして使用局面が限られた特殊な言葉―― と結びつけている著作)

ともなる。

 そういうことまでもが([2000年と2001年の別の曖昧さについて扱っているとの著作]に伴うところとして)あり、それでもってして、先行するところの3.にて言及した、

[2000年1月1日9時と2001年1月1日9時の区別の曖昧さ]

の意味合いがよりもって重くもなるとのことがある。

との部の典拠紹介とした。

(ここにて頁を改めることとする ――続く頁では今まで指し示してきたことのまとめ表記に入ることとする―― )

 前のページへ〔PREVIOUS PAGE〕     次のページへ〔NEXT PAGE〕


直下、本稿冒頭部へのリンクを設けておく

(⇒冒頭頁へは下の部より)

[典拠紹介部第1頁 加速器実験に伴う欺瞞性から証示なせることについて]

 上にて挙げているのはドイツ浪漫主義芸術の巨匠たる18世紀画家、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(Freemasonでもあったとの画家 Caspar David Friedrich)の手になる一品、

Der Wanderer uber dem Nebelmeer雲海の上の旅人』(に多少の[動き]をアレンジとして加えたもの)

となる。

 言われようの問題として一般に、

[人間の崇高なる精神が高みを目指し、ついぞ多くの物事を達観するに至った時、その折の孤独と感慨を描いた画]

などと形容される上掲の『雲海の上の旅人』に関して(本稿でもその言行を順次・段階的に取り上げることになるとの)物理学者リサ・ランドールは[次のような申しよう]をなしている。


(直下、物理学者リサ・ランドールの手になる著作 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)にての CHAPTER THREE LIVING IN A MATERIAL WORLD[第三章 物質世界に生きる]の章の記述内容 ――オンライン上検索エンジンにあっての原文検索にて該当部特定できるところの記述内容―― よりの原文引用をなすとして)

Our universe is in many respects sublime. It prompts wonder but can be daunting ―even frightening― in its complexity.  Nonetheless, the components fit together in marvelous ways. Art,science, and religion all aim to channel people’s curiosity and enlighten us by pushing the frontiers of our understanding. They promise, in their different ways, to help transcend the narrow confines of individual experience and allow us to enter into―and comprehend―the realm of the sublime. (See Figure 11.)
          [ . . . ]
[ FIGURE 11 ] Caspar David Friedrich’s Wanderer Above the Sea of Fog (1818), an iconic painting of the sublime ― a recurring theme in art and music.

(上の原著引用部に対する[訳文]として国内流通訳書『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)ハードカヴァー版にあっての81ページに記載されているところを引くとして)

多くの点で、私たちの宇宙は崇高だ。その複雑さは好奇心を駆り立てはするが、無力感も抱かせるし、ことによっては恐怖さえも感じさせる。にもかかわらず、宇宙の構成要素は素晴らしくぴたりと絡みあっている。芸術、科学、宗教は、いずれも人々の好奇心を促して、理解の限界を広げさせ、それによって私たちを啓蒙することを目指している。いずれもそれぞれのやり方で、個人の経験の狭い領域を越えさせることを約束している。それがかなえられたとき、私たちは崇高なものの領域に踏み込む――そして理解する――ことができるのだ(図11を参照)。 …(中略)… [図11]ドイツの画家カスパー・ダーヴィド・フリードリヒの「雲海の上の旅人」は、崇高なものを象徴的に描いた作品だ。崇高さは、美術と音楽に繰り返し登場するテーマである

(以上をもって Knocking on Heaven’s Doorにての原著表記および訳書よりの引用とした)


 さて、何故、ここ脇に逸れての部にあって「目立つように」特定絵画 ― 『雲海の上の旅人』― を挙げ、その絵画に対する物理学者の評しよう ―「雲海の上の旅人」は、崇高なものを象徴的に描いた作品だ....― などを引いたりもしたのか

「それは、」
絵画『雲海の上の旅人』に対して直上引用なしたような評しようをなしているとの物理学者リサ・ランドールが

加速器によるブラックホール生成可能性にまつわるトピックの理論深化に一廉ならぬ貢献をなしているとの著名物理学者

[[崇高なるもの]を目指しての宇宙の探求(およびそのための装置と銘打たれている巨大加速器LHC)の称揚・礼讃をなしているとの向き

であるとのことがあり、また、なおかつ、彼女リサ・ランドールの手による、(絵画『雲海の上の旅人』を科学者が目指しての[崇高さ]とを結びつけている)引用元著作 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)が

人間のありよう(崇高さとはおよそ程遠いところにあるありよう)]
人間の辿る運命

を嘲笑うような[嗜虐的寓意]で満ち満ちていると申し述べられるようになっている著作であるとのことがある、遺憾ながら
[理の当然]
として申し述べられるところとしてある ――個人のせせこましい偏頗(へんぱ)な主観などとは一線を画したところで客観的かつ具体的にこれはこうでこうだと申し述べられるようになっている(出典呈示を第一義にしての本稿では無論、その論拠を事細かに挙げる)とのところとしてある―― からであり、そのことに注意を向けたかったからである(※)。

(※上にて引用元とした著作、 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)、同著にあってはその冒頭部より
September 10, 2008, marked the historic first trial run of the Large Hadron Collider (LHC). Although the name―Large Hadron Collider― is literal but uninspired, the same is not true for the science we expect it to achieve, which should prove spectacular. (表記英文引用部に対する訳として)「2008年9月10日、ラージ・ハドロン・コライダー(LHC)が歴史的始動を見た.[ラージ・ハドロン・コライダー]との名称は有り体に言ってインスピレーションを何ら与えぬとの平凡なものだが、私たちがそれ(LHC)に[証明すべきととらえている壮大なる挙]を託しているとの意では[科学(の進歩)]にとり同じくものことは真実とはならない(LHCは際立ってのインスピレーションを与えるものである)」
などとのことが書き記されている。
 そうもした書きようが目立ってもの冒頭部にてみとめられる著作ノッキン・オン・ヘブンズ・ドアにおける表題、 [天国のドアをノックする]の由来についてリサ・ランドール女史は同じくもの著作の中で次のようなことを述べてもしている。
(以下、 Knocking on Heaven’s Doorにての CHAPTER FOUR LOOKING FOR ANSWERSより引用なすところとして)
I first heard the phrase “knockin”on heaven’s door”when listening to the Bob Dylan song at his 1987 concert with the Grateful Dead in Oakland, California. Needless to say, the title of my book is intended differently than the song’s lyrics, which I still hear Dylan and Jerry Garcia singing in my head. The phrase differs from its biblical origin as well, though my title does toy with this interpretation. In Matthew, the Bible says, “Ask, and it shall be given you; seek, and ye shall find; knock, and it shall be opened unto you: For every one that asketh receiveth; and he that seeketh findeth; and to him that knocketh it shall be opened. (以上原著表記に対して訳書『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)ハードカヴァー版[第四章]103ページにての表記を引くとして) Knocking on Heaven’s Door(天の扉を叩く)]――これが本書の原題だが、私が最初にこのフレーズを聞いたのは、一九八七年、カリフォルニア州オークランドでのグレイトフル・デッドとのコンサートで、ボブ・ディランが『天国への扉』を歌うのを聞いたときだった。いまでも私の頭の中ではディランとジェリー・ガルシアがこれを歌っているのが聞こえてくるけれど、いうまでもなく、私の本のタイトルは、この曲の歌詞とは意味が違っている。このフレーズは出典である聖書の一節とも違っているが、私のタイトルはこちらの意図を拝借したものだ。聖書の「マタイ伝」には、このように書かれている。「求めよ。さらば与えられん。尋ねよ、さらば見いださん。門を叩け、さらば聞かれん。すべて求むる者は得、たづねる者は見いだし、門を叩く者には開かれるるなり
(以上、引用部とした)
 といったところ、新約聖書のマタイ伝にあっての
[求めよ。さらば与えられん。尋ねよ、さらば見いださん。門を叩け、さらば聞かれん。すべて求むる者は得、たづねる者は見いだし、門を叩く者には開かれるるなり]
とのフレーズ、それが
[天国の門]・[天国への扉]・[天国への階梯](ステアウェイ・トゥ・ヘブン)
との兼ね合いでいかように嗜虐的なる別側面での意味( Double Meaning )と共にあるのか、そのことからして具体的典拠を挙げ連ねるとの式で遺漏無くも事細かに示そうというのが本稿の本義であるとここ脇に逸れての部にあって訴求しておきたいとの意図が筆者にはある)