典拠となるところの明示[105]――エレウシス秘儀、イシス・オシリス神話、
フリーメーソン思潮、それらが結びつく中で問題となりもすることについて

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デメテル・ペルセポネ母子崇拝の古代にあっての密儀大系、エレウシス秘儀のようなものが何故、今日に生きる我々の直面する問題に関わっていると述べられるのかについて 補説3

 先だっての頁までにて古代ギリシャ・古代ローマで行われていた[エレウシス秘儀]というものについて


[エレウシス秘儀は秘教・密儀と呼ばれる所以(ゆえん)として参入資格がある者のみが参加し、その知識を参加者身内だけで保持するとのものである ――参加者が限られている秘密の儀礼、それがゆえにもの[秘儀]である―― ](通念化しているところの見解を出典(Source)紹介の部91にて紹介)

[エレウシス秘儀は大地の女神デメテルが自身の娘ペルセポネが冥界の王ハデスに略取されたことを嘆いて彼女を探して彷徨う過程を、そして、ペルセポネが地上に戻るとの過程を模し再現するとのものである(しかしそうもしたエレウシス秘儀についてはその細かい内容についてまでは今日に伝わっていないとされる)](通念化しているところの見解を出典(Source)紹介の部91にて紹介)

[エレウシス秘儀にての儀式では酩酊作用が伴う薬物が利用されていたとされる([キュケオン]という大麦・ハッカ・水を主成分とする飲み物がアヘンを混入されながら利用されていたとの説が学者らによって唱道されている)](通念化しているところの見解を出典(Source)紹介の部91にて紹介)

[エレウシス秘儀については[エジプト神話にあっての著名な筋立て]としての[悪神セトによってオシリス神がばらばらにされて殺された(セトは棺を用意して、まんまとオシリスをその中に誘い込み、そこでオシリスをばらばらにして殺したと伝わる)オシリス神の妻たるイシス神がオシリスを求めての探索をなしたとの筋立て]に倣(なら)っての部分が多いと古文献の時点で言及されているとのことがある](学者らの指摘および記号論的類似性にまつわるところとして長くもなっての出典(Source)紹介の部92にて解説)

[エレウシス秘儀はフリーメーソンの儀式体系とのつながりが一部の識者に知られているとのものとなる](メーソン内部の人間らの世間的申しよう及び記号論的類似性について細かくも言及しての長くもなっての出典(Source)紹介の部93にて解説)


との各事項にまつわっての指し示しをなしてきた。

 そのうえで直前頁では[(以上表記のことらと)地続きにて問題になるところである]と申し述べもして、


「エレウシス秘儀でその存在が極めて重要となっている女神ら、デメテル(母たる女神)とペルセポネ(娘たる女神)については[母子分かたれずに本来的に一体としての存在]であるとの分析が学究になされてきた存在であるとのことがある」

「一体一対の存在と見立てられもするデメテル・ペルセポネ母子は古文献それ自体のレベルで女神イシスと結びつけられている存在であるとのことがある」

デメテル・ペルセポネ両者およびイシスとの結びつきに関しては[ヘカテ]という女神もその結びつきの環に入ってくるとの申しようがなせるところとなっている]

デメテル・ペルセポネ両者およびイシスと結びつくヘカテという女神に関しては[ヘラクレス12番目の功業にて登場した犬の怪物ケルベロス]にそれ自体で接合する存在となっているとのことがある」


 との各事項の指し示しに入りもし、の上で、それら事項らのうちのまずもっての部、

「エレウシス秘儀でその存在が極めて重要となっている女神ら、デメテル(母たる女神)とペルセポネ(娘たる女神)については[母子分かたれずに本来的に一体としての存在]であるとの分析が学究になされてきた存在であるとのことがある」

とのことの典拠についての紹介を既になし終えている(出典(Source)紹介の部94および出典(Source)紹介の部94(2))。

 以上、極々端的に振り返ったうえで話を続けることとする。

 さて、ここまでの出典(Source)紹介の部94及び出典(Source)紹介の部94(2)にて


「デメテルとペルセポネは本源的に一なる神としての属性を伴っている節が如実にある」


との見立てが「象牙の塔の住人などにとっては」目立つところにて呈されているとのことを挙げたとして、である。 次いで、


「一体一対の存在と見立てられもするデメテル・ペルセポネ母子は古文献それ自体のレベルで女神イシスと結びつけられている存在であるとのことがある」

デメテル・ペルセポネ両者およびイシスとの結びつきに関しては[ヘカテ]という女神もその結びつきの環に入ってくるとの申しようがなせるところとなっている]


とのことらの典拠に依拠しての指し示しをなすこととする。

 その点、既に出典摘示を繊密にもなしているところとして

「[エジプトの女神イシスがオシリス(後、冥界の主宰者になった神)を求めて彷徨したことに由来する神話およびその神話に基づいての信仰形態]と[女神デメテルが娘ペルセポネ(後、冥界の女王)を求めて彷徨した神話およびその神話に基づいての信仰形態]とは顕著な一致性を呈している」

とのことが現実にありもする出典(Source)紹介の部92にて詳述.そこにてキーとなる概念は(出典(Source)紹介の部93の段でも先述のように[フリーメーソンの密儀体系]にも影響を色濃くも与えていることもが指摘されるとの)[エレウシス秘儀]である)

 以上のことから

[イシス]⇔[デメテル・ペルセポネ母子]

との連続性が観念されるようになっているわけであるが、さらに同じくもの両者の間にある連続性につき、

「古文献それ自体に認められる文献的事実の問題としても」

そちら関係性が認められるようになっているとのことがあり、そこに見る[古文献上にての[イシス]⇔[デメテル・ペルセポネ母子]にまつわる記載内容]が、と同時に、[ヘカテ]という存在を環に入れての接続性の問題に通じているとのことをここでは問題視する(:そのような連続性が ―ケルベロスを通じ― ダンテ『地獄篇』を巡る話とも接合し、「今日的な意味をもって」問題となることに結節していると述べられるように「なってしまっている」とのことがあって、潰えた宗教体系にあっての女神らの関係性などとのことについてわざわざ微に入っての説明をなさんとしている)


| 出典(Source)紹介の部94(3) |

 ここ出典(Source)紹介の部94(3)にあっては、

[[イシス]⇔[デメテル・ペルセポネ母子]との関係性が古文献にて言及されている中でそれがまた[ヘカテ]という存在との関係性にまつわるものともなっている]

とのことの典拠を挙げることとする。

 さて、ここではローマ期の小説として完全体として伝存しているとのことで好古筋には有名な
The Golden Ass『黄金の驢馬(ろば)』
という古典の内容を引いておくこととする(:その点、『黄金の驢馬(ろば)』という作品については先に本稿で取り上げたとの書籍、国立大学で[アカデミックポスト]を有する学究(吉村正和教授)による陰謀論とは無縁のメーソン分析書、『フリーメーソンと錬金術 西洋象徴哲学の系譜』(人文書院)にあって(そのp.22より再引用するところとして)古典密儀宗教については現存する資料が限られており、正確な内容が伝えられていないことはすでに述べた通りである。その中で、アプレイウスの『黄金の驢馬』第十一巻は、ルキウスのイシス=オシリス密儀への参入をかなりなまなましく描いていることで有名である。物語形式を通して叙述されてはいるが、そこにはアプレイウスの実体験が入り込んでいることはほぼ確実であり、少し詳しく見てみるだけの価値がある(引用部はここまでとする)との言及のなされようが見受けられる古典ともなる)。

 上 The Golden Ass『黄金の驢馬(ろば)』につき国内で流通を見ている呉茂一(ホメロス古典の訳をなした人物で著名性伴っての学究(故人)/東京大学、退官後、名古屋大学教授)に手になる訳本よりの引用をなす。

(直下、『世界文學体系』(筑摩書房)掲載の呉茂一の訳になるアプレイウス『黄金の驢馬』第11の巻 ――(梗概(粗筋)として[驢馬(ろば)と化したルキウスの回復を祈る祈り、イーシス女神のこと、イーシスの祭に驢馬ルキウス、人間に生まれ返ること、ついでイーシスの信徒に加えられ、献身の秘蹟にあずかること、ローマに赴き浄福の生活を送ること]とのあらまし紹介がなされているとの巻)―― にあって驢馬(ろば)と化した主人公ルキウスがイシス神に「人間の姿に戻れるように.」との祈願をなしているとの段(p.128)よりの引用をなすとして)

天の女王よ、あなたさまは慈母ケレースとも呼ばれ、地上の作物の創造主でおいでになる。そしておん娘を探し出したお喜びから、大昔の食料だった樫の実の代わりに、それよりもっと甘い食物を授けて、未開の人々をお養いになり、今日エレウシースの野に顕現なさいます。それがまた天上のウェネスとして、天地開闢の日にアモルを誕生させ相異なる二つの性をお結びになって以来、絶えず新たな生命を吹き込み、人類を永久につづけさせ、拡めなさいまして、今日に於いても波に囲まれたパポスの霊地に、崇拝されておいでになります。あなたさまはまた、ポエブスの姉妹にもお当たりで、女の産の苦しみを、和らげるくすりの手当てでもっておなだめになり、たくさんの人の心に光明を与えられ、あなたさまはまた夜の吼えに恐ろしいプロセルピナと呼ばれ、三種の顔をもち、悪霊どもの攻撃をおし鎮め、彼らを地下の牢獄に封じ込めて、聖なる森を彷徨し給うては、種々な儀式で祭をうけておいでです。あなたさまはまた、女性らしい光でもって、あまねく町の城壁をお包みになり、(以下略)」

(訳書よりの引用部はここまでとする ―※― )

(※1.以上、邦訳書より引用なした部に対応する「オンライン上より後追い確認できるところの」英訳版表記も挙げておくこととする。ここでは誰でも確認できるところとして著作権保護期間超過を見ているとの書籍が全文公開している Project Gutenbergのサイト、そこにて公開されている THE GOLDEN ASSEの1639年版よりの部分抜粋をなしておくこととする(につき、そちら17世紀刊行版『黄金の驢馬』に関しては全文呈示サイトにて The original spelling, capitalisation and punctuation have been retained「原典の綴り、大文字化方式、句読点を踏襲している」との表記の通り「多少読み解きづらいものである」(thou[汝]であるとか、そういう古語が用いられており、そも、驢馬AssAsseと表記していることからしてそれが英訳された折の古英語の風が出ていて時代がかっている)とのこと断っておく)。それでは以下、オンライン公開版 THE GOLDEN ASSEにての THE ELEVENTH BOOKEにての訳本に対応する部位よりの引用をなす: O blessed Queene of heaven, whether thou be the Dame Ceres which art the originall and motherly nource of all fruitfull things in earth, who after the finding of thy daughter Proserpina, through the great joy which thou diddest presently conceive, madest barraine and unfruitfull ground to be plowed and sowne, and now thou inhabitest in the land of Eleusie; or whether thou be the celestiall Venus, who in the beginning of the world diddest couple together all kind of things with an ingendered love, by an eternall propagation of humane kind, art now worshipped within the Temples of the Ile Paphos, thou which art the sister of the God Phoebus, who nourishest so many people by the generation of beasts, and art now adored at the sacred places of Ephesus, thou which art horrible Proserpina, by reason of the deadly howlings which thou yeeldest, that hast power to stoppe and put away the invasion of the hags and Ghoasts which appeare unto men, and to keepe them downe in the closures of the earth:thou which art worshipped in divers manners, and doest illuminate all the borders of the earth by thy feminine shape, thou which nourishest all the fruits of the world by thy vigor and force; with whatsoever name or fashion it is lawfull to call upon thee, I pray thee, to end my great travaile and misery, and deliver mee from the wretched fortune, which had so long time pursued me. Grant peace and rest if it please thee to my adversities, for I have endured too much labour and perill. Remoove from me my shape of mine Asse, and render to me my pristine estate, and if I have offended in any point of divine Majesty, let me rather dye then live, for I am full weary of my life. When I had ended this orison, and discovered my plaints to the Goddesse, I fortuned to fall asleepe, and by and by appeared unto me a divine and venerable face, worshipped even of the Gods themselves.(邦訳版よりの引用部に対する英訳版表記の引用部はここまでとする)

(※2注記として:微に入ってのこととはなるが、識見を蔵しているとの向きが読み手となっていることを想定して一応の付記をなしておく。
 上の THE GOLDEN ASSE、その1639年版 ―― Project Gutenbergのサイトにて全文ダウンロードできるとの版―― よりの抜粋部にあっては国内学究(ホメロスの訳業でも有名であったとの故・呉茂一)の手になる訳である、
あなたさまはまた夜の吼えに恐ろしいプロセルピナと呼ばれ、三種の顔をもち、悪霊どもの攻撃をおし鎮め、彼らを地下の牢獄に封じ込めて、聖なる森を彷徨し給うては、種々な儀式で祭をうけておいでです
との部位と
thou which art horrible Proserpina, by reason of the deadly howlings which thou yeeldest, that hast power to stoppe and put away the invasion of the hags and Ghoasts which appeare unto men,and to keepe them downe in the closures of the earth:thou which art worshipped in divers manners, and doest illuminate all the borders of the earth by thy feminine shape,(古語ゆえに筆者も訳しがたいところがあり苦吟して訳すとして)「なんじ、死の臭いおびし叫びが呈しもする道理にあっては恐るべきペルセポネ、人間に影響を与える魔女・悪霊らの侵襲を押しとどめ排除せしめ、地の底へ留め置くとの力を蔵すること、明らかなりし存在ペルセポネでもあるなり。汝、種々折々の式にて崇拝され、女としての似姿を呈してはありとあらゆる地にての辻々を照らす存在なり」
云々との部位が(全文対応すべきなのに)一部対応しきっていない、「三種の顔」といった表現が英訳版(1639年版)にては欠損を見ているといったところがある「とも」受け取れるようになっている。が、については( Project Gutenbergではなく) Internet Archiveのサイトの方にて公開されている[1915年]敢行の20世紀初頭英訳版 THE GOLDEN ASS、具体的にはS.Gaseleeという人物の手によって再編集された版の巻11( BOOK XI )を見る限りは[国内流通版と英訳版の間にてほぼそのとおりの対応関係が成立していること]、伺い知れるようになっている(1915年初出の表記がなされている『黄金の驢馬』20世紀初頭英訳版には or whether Thou be called terrible Proserpine, by reason of the deadly bowlings which Thou yieldest, that hast power with triple face to stop and put away the invasion of hags and ghosts which appear unto men, and to keep them down in the closures of the Earth, which dost wander in sundry groves and art worshipped in divers mannersと表記され、[ペルセポネ(ローマ名プロセルピナ)としての形態もとるイシス]が[ペルセポネ]の形状をとるときは[三つの顔]( triple face )を持つ存在であるとの言明が国内刊行版と同様になされている)

 上のローマ期古典『黄金の驢馬』よりの表記の引用部にあっては、(引用部にあって下線を引いたところの内容をほぼそのままに反芻(はんすう)するとして)、

[(イシスが驢馬に転じたローマ期小説主人公に祈りの対象とされている中で)[イシスは慈母ケレースとも呼ばれ地上の作物の創造主であり、娘を探し出した喜びから、未開人に甘き食べものを与え、今日はエレウシースの野に顕現する]

[(イシスが驢馬に転じたローマ期小説主人公に祈りの対象とされている中で)[イシス]が[三種の顔(トリプル・フェイス)を持つペルセポネ]である]

との言及が ――特定文献の中にこれこれこういう記載がなされているとの Philological Truth[文献的事実]の問題として―― なされているわけである(:と同時に、続いての段で[イシスはウェヌスことヴィーナスといった他のローマ期の女神の別相である]「とも」言及されているのだが、そのことはここでは置き、とにかくも、以上のような記述がなされている)。

 以上のことは ―[娘を捜し求め喜びの情を覚えたとの作物の授け手、エレウシスの野に顕現する存在]とされている[ケレース]が[ギリシャのデメテル神のローマ名]であるがゆえに― 

「イシス神(エジプトからギリシャ・ローマ世界に伝来したとの女神)が[デメテル(ケレース)]および[ペルセポネ(プロセルピナ)]と同一物である(と古代にて見られていた)と古文献(ローマ期の小説として完全体として今日に伝存している『黄金の驢馬(ろば)』)の中で歴史的記録として言及されている」

とのことと同義となるわけだが、(後述するような観点から)、そのことは[ヘカテ](という存在)との兼ね合いで意味をなすこと「でも」ある。

 以上申し述べたうえでさらに『黄金の驢馬(ろば)』よりの引用を続けることにする。

(続けて直下、『世界文學体系』(筑摩書房)掲載の呉茂一の訳になるアプレイウス『黄金の驢馬』第11の巻の驢馬(ろば)と化した主人公ルキウスがイシス神に人間の姿に戻れるように、との祈願をなしたのに応えてイシス神が現出し、同神の立ち位置を主人公ルキウスに言い聞かせているとの段(p.129よりの引用をなすとして)

「ルキウスよ、私はお前の祈りにたいへん心をうたれてここへ来ました。私は天地万物の母、あらゆる原理の支配者、黄泉の女王、天界の最古参として、あらゆる神々や女神たちのたた一つの形に示現するものです。・・・(中略)・・・最も古い人類の種族プリュギア人は、神々の母としてペシヌーヌに祀り、はえぬきのアッティカ人は、ケクロピアのミネルヴァと呼び、・・・(中略)・・・ クレータ島人は、ディクチュンナのディアーナと、三ヵ国語を話すシクリー人はステュクスのプロセルピナと、古いエレウシースの住民たちはアッティカのケレースと呼びならわしています。ある地方ではユーノー、またの地方ではベローナ、ある所ではヘカテー、またラムヌーシアと呼ばれます。・・・(中略)・・・そして太陽神の、朝生まれたての光線に照らされるエティオピアの人々と、学問の古い伝統にかけては世界に冠たるエジプトの人々とは、いずれも私にふさわしい儀式を捧げ、本来の名前によって、イーシスの女王と呼びならわし崇めるのです(以下略)」

(訳書よりの引用部はここまでとする ―※― )

(※邦訳書より引用なした上の部に対応するところとして「オンライン上より確認できるところの」英訳版表記も挙げておくこととする。については直上にてそうしたのと同様に Project Gutenbergのサイト、そこにて公開されている THE GOLDEN ASSEの1639年版よりの部分抜粋をなしておくこととする。(以下、引用なすとして) Behold Lucius I am come, thy weeping and prayers hath mooved mee to succour thee. I am she that is the naturall mother of all things, mistresse and governesse of all the Elements, the initiall progeny of worlds, chiefe of powers divine, Queene of heaven! the principall of the Gods celestiall, the light of the goddesses: at my will the planets of the ayre, the wholesome winds of the Seas, and the silences of hell be diposed; my name, my divinity is adored throughout all the world in divers manners, in variable customes and in many names, for the Phrygians call me the mother of the Gods: the Athenians, Minerva: the Cyprians, Venus: the Candians, Diana: the Sicilians Proserpina: the Eleusians, Ceres: some Juno, other Bellona, other Hecate: and principally the Aethiopians which dwell in the Orient, and the Aegyptians which are excellent in all kind of ancient doctrine, and by their proper ceremonies accustome to worship mee, doe call mee Queene Isis.(引用部はここまでとする ―実にもって些細瑣末なことだが、表記引用版が1639年の古英語を踏襲しているためかprincipalprincipallであるとか、celestialcelestiallであるとか今日の英語と綴りが違うとも見受けられること、一応、誤解を避けるために言及しておく― ))

 上の引用部にてはローマ期の小説の中で驢馬に姿を変えられた主人公の前に女神が顕現したとの段にて、

Isis神が自らをして自身が[ペルセポネ](ローマ名表記でProserpinaプロセルピナ)や[ヘカテ](Hecate)を含む多くの女神らの[真なる実相]であると宣言している]

との部位となる(引用部よりその部だけ再度、抽出すれば、 the Cyprians, Venus: the Candians, Diana: the Sicilians Proserpina: the Eleusians, Ceres: some Juno, other Bellona, other Hecate(訳)「クレータ島人は、ディクチュンナのディアーナと、三ヵ国語を話すシクリー人はステュクスのプロセルピナと、古いエレウシースの住民たちはアッティカのケレースと呼びならわしています。ある地方ではユーノー、またの地方ではベローナ、ある所ではヘカテー、またラムヌーシアと呼ばれます」とのところが該当部となる)。

出典(Source)紹介の部94(3)はここまでとする)


 エジプトで崇拝されていた女神アセトがギリシャ人によってイシス[Ἶσις]と呼びならわされるに至ったとされる ――英文Wikipediaにてはヒエログリフ表記なぞが付されながら The name Isis is the Greek version of her name, with a final -s added to the original Egyptian form because of the grammatical requirements of the Greek language (-s often being a marker of the nominative case in ancient Greek).との解説がなされているようなところとなっている―― 。そのイシス神がギリシャ領域・エジプト領域を扼するに至ったローマ帝国の領内にて[有力神格]として崇拝されるようになったとの経緯がある(:それにつき本稿の後の段でも[イシスと今日のブラックホール理論開闢史との(存在することが自体が「奇怪無比な」)関係性]の実在問題と「どういうわけなのか」関わる(とのことに通ずる指摘がなされている)との著作、イシスをタイトルに含むとの巻数を包含するローマ期のギリシャ人著述家プルタルコスの手になる著名著作Moralia『倫理問答』にての De Iside et Osiride『イシスとオシリスについて』の巻の内容を取り上げることになる。そのように前もって述べておく)。
 上掲図上部にて挙げているのは、そうしたローマの多神教体系に有力神格として取り込まれたイシス、同女神をかたどった彫像として英文Wikipedia[Isis]項目にて現行掲載されている「ローマ期の」彫像(を撮影した著作権放棄表記伴っての写真)より抽出したものとなる。他面、上掲図下段にて挙げているのは紀元1世紀ヴェスビオ火山の噴火によって一昼夜にして火砕流に呑み込まれた(そしてローマ期習俗・建築物を今日に伝えるタイムカプセルとなった)ポンペイ遺構について解説した前世紀初頭の著作  ―― Project Gutenbergのサイトにて全文閲覧・ダウンロードできる POMPEII ITS LIFE AND ART(1902年刊行版)との著作―― にて掲載の[ポンペイ市にあっての今日に遺ったイシス神殿の遺構概要および遺構見取り図]を挙げたもの、火砕流に呑まれてそのまま保持されることになったとの一世紀ローマのイシス崇拝の遺構ありようを示すべくも挙げたものとなる。
 さて、イシスがローマ期多神教にあっての有力神となっていたとして、イシス・オシリスの物語がデメテル・ペルセポネの物語と接合していること、先述なしてきたようなことをもってして、
[文化伝播]
の問題として済ませるのは易いことである(ギリシャ人・ローマ人がエジプトの神を自分達の宗教にあっての教義体系に取り込んだからこそ、デメテル神の彷徨の物語とイシス神の彷徨の物語らが似通っているのだと考えるのは実に容易いことである、としてもいい)。
 その点、筆者も無論、そうした文化伝播の問題を否定しない。
 だが、ここ本稿本段での指し示しの示す方向性は類似性の背面にそうした問題、[文化伝播]の問題が観念されようがされまいが、[ことの本質]に変わりはないとのものである。極めて悪質な関係性 ――我々を皆殺しにすると巧妙無比に身内間で意思表示しているが如くやりようを悪質「ではない」と述べなければ、悪質性が否定されがたいような関係性―― がそこに存在しているとのことに変わりはないと述べるのである(そうもした申しようが至当適切なるものかは本稿のこれよりの内容を検証すればよく分かるであろう、[生存のための闘いへの勇気を問う](勇気が無い、屠所の羊として殺されていくだけとのその帰結を容れてしまっているとの御仁らには用がない)ものであるとのことはよく分かるはずであると強くも明言しておく)。

 以上、ここまでの出典紹介部を通じて、

[イシス]⇔[デメテル・ペルセポネ]

との連続性が

「古文献それ自体に認められる文献的事実の問題 ――容易に確認できるところとして特定古典にこれこれこういう記載がなされているとの事実の問題―― 」

として表出していることを指摘し、かつ、同じくもの古文献内容が[イシス⇔ヘカテ]との記述とも接合しているとのことを問題となる古文献それそのものよりの引用を通じて部分的に示しもしたわけであるが、次いで、
[ペルセポネ]⇔[ヘカテ]
の関係性についてよりもって細かくもの典拠を(脇に逸れての話を直下なした後、)取り上げしもすることとする。


多少、非本質的な内容・余事記載を含んでの脇に逸れての話として

 本稿の先の段、出典(Source)紹介の部93では直近そこよりの記述を引いたとのローマ期古典、
『黄金の驢馬(ろば)』

イシス密儀
なるものを作中主要モチーフとしており、そちらイシス密儀と当該古典内それ自体の中で関連付けられているとの
エレウシス秘儀(ペルセポネとデメテルに対する崇拝の儀式)]
を介して
フリーメーソンの象徴主義との連続性を呈する
ような古典「とも」なっていることを解説していたわけだが(端的に振り返れば、出典(Source)紹介の部93にて挙げたフリーメーソンリー成員の手になる THE ELEUSINIAN MYSTERIES AND RITES(1919)との著作にあっての The Eleusinian Mysteries ― those rites of ancient Greece, and later of Rome, of which there is historical evidence dating back to the seventh century before the Christian era ― bear a very striking resemblance in many points to the rituals of both Operative and Speculative Freemasonry. (訳として)[エレウシス秘儀、古代ギリシャおよび後期ローマのそれら密儀がキリスト教時代より7世紀ほど遡るとの史的根拠を伴うとのそちら秘儀は実務的フリーメーソンリーおよび思弁的フリーメーソンリー双方の儀式体系に対して多数の点でまさしくもの著しい一致性を帯びているとのものである]とのことに通ずるような側面があることを解説していたわけだが)、先だっての部では言及なして「いなかった」とのレベルで『黄金の驢馬』とメーソン・シンボリズムの間には連続性があるとのこともここ「脇に逸れての部では」指摘しておく

 その点、

[『黄金の驢馬』には[文献的事実]の問題として[盲目の運命の女神]によって驢馬(ろば)に変身する運命を歩むことになった主人公がイシス神の手によって[光]を与えられる]

との描写がなされている(直下出典(Source)紹介の部94(4)にての抜粋表記を参照のこと。いいだろうか。続いて原文引用もなすように[文献的事実]の問題としてそういう描写がなされている)。

 イシス密儀およびそれと類似性を呈すると既述のエレウシス秘儀がメーソンの象徴体系・儀式主義と接合を見ているとの申しようが学者、そして、フリーメーソンの内部者ら自身によってなされていることは先に(出典(Source)紹介の部93にて)引いたわけだが、

[古典それそのものに[盲目の運命の女神]によって苦境に陥った主人公がイシスによって[光]を与えられる]

との描写がなされている時点でメーソンの象徴主義との連続性を ――「次のような」観点から―― 感じさせるとのことがある(こと脇に逸れてのこの部で指摘しておく)。

(『黄金の驢馬』にあっての[運命の女神とイシスの帰依者の戦いの表現]がメーソン・シンボリズムと接合する理由として)

「[運命の女神]とは[盲目の存在]であると古典『黄金の驢馬』に記載されているが、その運命の女神、古典にて盲目なる存在として描かれている運命の女神は欧州では[目隠しをした姿]で描写されてきた。そして、目隠しを外して光を与えるとのことを儀式過程に取り組んでいるのがフリーメーソンであるとのことがある。
 従って、[秘密主義を徹底する][死と再生の再現をドクトリンに強くも取り組んでいる]との側面のみならず、古典に認められるところからしてイシス関連の秘教思潮はメーソンのそれと似通ったところを感じさせるものとなっている(そして、そのような要素がある古典で言明されている[イシス神とデメテル・ペルセポネとヘカテの関係]を然るべき理由あって重んじて解説しているのが本稿のこの段である)」


| 出典(Source)紹介の部94(4) |

 ここ出典(Source)紹介の部94(4)にあっては

[ローマ期古典『黄金の驢馬(ろば)』にて[盲目の運命の女神の拘束]から主人公がイシス神に[光を与えられて]啓明の道を見つけ出すとの描写がなされていること]

[フリーメーソンにあっては目隠しされた盲目状態からの光を与えられての啓明が(死と再生と結びつけられながら)重んじられているとのこと]

の典拠らを挙げておくこととする。

(直下、『世界文學体系』(筑摩書房)掲載の呉茂一の訳になるアプレイウス『黄金の驢馬』第11の巻、主人公ルキウスがイシス神の会衆となったことを身内が称揚しているとの段(p.133)よりの引用として)

あの盲目の運命の女神は、意地わるい策をめぐらしてお前をさんざん苦しめているうち、ひょっとしたいたずら心から、思いがけずお前をこのような法悦の世界につれてきてしまった。今こそ、運命の女神よ、このルキウスのもとから去って、どこか他の所に行き、存分、怒り狂うなりと、残忍さを満たす種なりと、かってに探すがよかろう。なぜというと、われわれの信ずる女神が、御自分に奉仕させようと、その生命をお預りしなされた者どもに対しては、呪わしい災いも、つけ込むすきがないのだから、そのような人間には、邪悪な運命の女神が、どんなに盗賊や野獣の苦しみを仕向けようと、小石だらけの曲がりくねった道を往復させようと、毎日死の恐怖を与えようと、所詮骨折り損にすぎないだろう。ルキウスよ、お前はもう運命の女神(フォルトゥーナ)――といっても今度は、目の開いた(盲目ではない)、どんな神々をさえ御自身の光でお照らしになる、イーシスの女神のお胸に抱かれたのだ

(訳書よりの引用部はここまでとする ―※― )

(※以上、邦訳書より引用なした部に対応するところとして「オンライン上より確認できるところの」英訳版表記も挙げておくこととする。については先と同様に Project Gutenbergのサイト、そこにて公開されている THE GOLDEN ASSEの1639年版よりの部分抜粋をなしておくこととする。(以下、古語で読み解きにくいところがあるものながらもの引用をなすとして) but howsoever the blindnese of fortune tormented thee in divers dangers: so it is, that now unwares to her, thou art come to this present felicitie: let fortune go, and fume with fury in another place, let her finde some other matter to execute her cruelty, for fortune hath no puissance against them which serve and honour our goddesse. For what availed the theeves: the beasts savage: thy great servitude: the ill and dangerous waits: the long passages: the feare of death every day? Know thou, that now thou art safe, and under the protection of her, who by her cleare light doth lighten the other gods:(引用部はここまでとする)―― )

 以上のように

[イシス神の導きで盲目の運命の女神に振り回されての危難で溢れた人生から盲目ではない、神らの光を与えられての存在へと化さしめられる]

というのが古典『黄金の驢馬(ろば)』に認められるイシス信仰(およびその密儀)のありようであるのに対して

[メーソンは目隠しをなさしめられ、それから光を与えられている]

とのイニシエーションの過程を辿る(ことが筆者のような部外の人間にも漏れ伝わっているところとして知られている)。
 出典としてフリーメーソンリー成員によって著された書籍、 Robert Lomasロバート・ロマスおよび Christpher Knightクリストファー・ナイトという二名のメーソンの手になる書籍、 THE HIRAM KEY(先だっても同著のことを取り上げ、主たる主張内容、その信憑性に疑義が投げかけられている[信用のおけぬ出典]unreliable sourceとして有名な書籍としてのありようについて言及したとの著作だが、FreemasonSpokesman的なる者達が書いている書籍だけあってフリーメーソンの儀式に対する言及の箇所は事実に依拠してのものと見受けられる書籍)の国内にて流通している訳書『封印のイエス』 ――[陰謀「論」関連本]や[トンデモ雑誌]をよく出すことでも知られる出版社である学習研究を国内にての版元としているとの著作―― にての21ページから24ページよりの[掻い摘まんでの引用]をなしておくこととしておく。

(直下、ヒラム・キーの訳書、『封印のイエス』にての21ページより24ページよりの掻い摘まんでの引用掻い摘まんでの引用部として)

「いよいよ入団の儀礼。・・・(中略)・・・目隠しをされ、緩やかな白衣を着せられた。片足には簡素な上靴。左脚は膝まで露出させられ ・・・(中略)・・・ 首の周りには絞首刑の綱が巻かれ、背中に垂れ下がっていた。 ・・・(中略)・・・ すべての金属製のものを体から外させられ、 ・・・(中略)・・・ フリーメーソンの「テンプル」に入る準備が整った ・・・(中略.一挙に24ページまでとばす)・・・ こうして目隠しが取り除かれた。・・・(中略)・・・ 前にいるワーシップフル・マスターは ・・・(中略)・・・ メーソンリーの「光」の象徴に向けた。 ・・・(中略)・・・ そして、 ・・・(中略)・・・ 「エンタード・アプレンティス(徒弟)」という位階に受け入れられた、と告げた」

(引用部はここまでとする)。

 以上引用なしたことについてはオンライン上にPDF版が流通している(オンライン上より全文確認できる)との前世紀にてのメーソン儀式体系要覧書籍、

Duncan's Masonic Ritual and Monitor(1866)

にあって見受けられるとの、

The Deacon here ties a hoodwink, or hand-kerchief, over both eyes. (In the time of Morgan, it was the usage to cover only one eye.) The Junior Deacon then ties a rope, by Masons called a cable-tow, twice around his arm. (Formerly, the rope was put twice round the candidate's neck.) Some Lodges follow the old custom now, but this is rather a rare thing. The reader will, however, do well to recollect these hints, as they are particular points. The right foot and knee of the candidate are made bare by rolling up the drawers, and a slipper should be put on his left foot. This being accomplished, the candidate is duly and truly prepared. [ . . . ] At this point the conductor unties the hoodwink, and lets it fall from the candidate's eyes. The Master then gives one rap on the altar with his gavel, when all the brethren but himself and the conductor (S. D.) take their seats. The Master then says to the candidate:/W. M.--My brother, on being brought to light in this Degree, you behold one point of the compasses elevated above the square (see altar and compasses in this Degree, p. 58), which is to signify that you have received light in Masonry by points.

と記載されている箇所が全く同じくものことを扱った部となる。

(尚、 Duncan's Masonic Ritual and Monitor(1866)にて掲載されている[イニシエーションに際して目隠しされた絞首刑囚の格好をしているメーソンの似姿]を描き取ったイラストレーションも続いての段にて抜粋しておく ――それと同じくものありようを写し撮った[写真]がメーソンの手になる書籍 THE HIRAM KEY(邦題)『封印のイエス』の25ページにても掲載されている(がゆえに疑わしきは表記著作の訳書を借りるなり何なりしてその部を確認いただきたい)―― )。

 以上、すぐ下の段にあってありよう図版を呈示してのやりようにも認められるようにメーソンは徒弟位階に入る過程で

[首に縄を付けられて目隠しをなされての格好]

をさせられ、目隠しを外されて「光を与えられる」との流れでイニシエーションを受けるのである ――※巷間、多く嘘ばかりの陰謀論者らが二重話法込みで[イルミナティ](啓蒙された者達、光を与えられた者達)という言葉を使う背景にはそういうこと「も」強くも影響していると解されるようになっていると「私的には考えている」(「私的に考えている」とのことでさらに述べれば、そうもした儀式に字義通りの神秘性を求めるのはただの愚人ないし魂無き存在のやりよう、[脳に(重力波でか何かでか)結線された人工知能のようなものの領域]のさらなるコントロールの下に傀儡(くぐつ)を置くことの確認行為をして[ラザロ(一度死んで蘇ったなどとされるキリスト教の聖人)の復活]に仮託する並みにナンセンスなる視点であると私的には考えている)―― )。

出典(Source)紹介の部94(4)はここまでとする)


脇に逸れての部の表記を続けるとして

 先だって原文引用にて示しているように古典 The Golden Ass『黄金の驢馬』は[盲目なる運命の女神の気まぐれに曝されての状況]から[イシスの恩寵を受けた者達]が[盲目ではない][光が射し込む]との[確定された運命の状況]に「導かれての」状況に至ることを描いた作品となっている。対して、「秘密主義を徹底している(とされる)」「秘儀参入者には死の制裁にまつわる誓約を(額面だけのものなどとは世間一般にはされるが)容れることを強要する」とのメーソンの儀礼体系に関しては
[エレウシス秘儀・イシス密儀にまつわる崇拝思潮との共通性にまつわる指摘]
が存在している。これを[偶然]であると述べられるか。本稿筆者はそうは思っていない。
 といった話は脇に逸れての話、そして、属人的観点の問題が強くも介在しているところとなり、本稿主題からは多くずれることとはなるが、そこには

[運命の悪戯(目隠しされた盲目の運命の女神に表象されてのもの)から他によって確定された[因果律](チューリングテストに受かるような人工知能に完全に舗装されての流れかもしれない)を押しつけられての状況に移行「させられた」者達にまつわる寓意]

が込められていると筆者は考えており、敢えてもそのことをここにて問題視した(:本稿の後の段でもその属性について(必要性を感じて)入念に論じることとするのだが、この忌まわしき世界で普通人「以上に」[チェス盤上の駒]とされ、「フリー」という団体名に接頭語が付されているのも性質の悪いブラックユーモアの発露としか思えぬような組織 ―マス・ゲームを[自由意思なき者達](人間であることを「辞めた」機械のような者達)を用いて実施させるような組織― にて[運命を自身で「決められない」状況に追い込まれた者達]の寓意がそこにあると手前は考えている)

 上掲図上部にて抜粋のイラストは[よく知られたシェリーフェンプランの完遂によってイギリス・フランス・ロシアら連合国に勝てるとの目算を立てていた第一次世界大戦期のドイツにての戦意高揚のためのポスター]([目隠しをした正義の女神が第一次大戦期の独逸軍の勝利を約束するように英国ユニオンジャックが秤量なして軽いことを示しており、独逸語で DES KRIEGS JAHRES、すなわち、[戦争の年]と記されているポスター])となり、 Project Gutenbergサイトにてその全文を閲覧できるとの War Posters Issued by Belligerent and Neutral Nations 1914-1919との文書(1920年初出)より抜粋したものとなる(呈示のポスターが用いられたのは1917年と明示されている)。
 他方、上掲図下部の図ら Duncan's Masonic Ritual and Monitor(1866)との著作 ―19世紀後半にものされたメーソンの象徴・儀式体系要覧書― より抜粋したフリーメーソンの入門徒弟位階への希望者(フリーメーソン入団希望者)が最初にそうしたイニシエーションの過程を経ることを強いられるところの伝統的プロセス、[目隠しをさせられた死刑囚の格好]をさせられ、それより目隠しを外されるとのプロセスを描いた図となる。
 さて、目隠しされ剣を掲げる正義の女神、いわゆるレディー・ジャスティスのモデルに関しては
[目隠しをされた運命の女神フォルトゥナおよび剣を持った復讐の女神ネメシスらを含む複数の女神らの混交型]
であるとの説がある(:例えば、英文Wikipedia[ Lady Justice ]項目程度のものの「現行の」記述にも Her modern iconography frequently adorns courthouses and courtrooms, and conflates the attributes of several goddesses who embodied Right Rule for Greeks and Romans, blending Roman blindfolded Fortuna (fate) with Hellenistic Greek Tyche (luck), and sword-carrying Nemesis (vengeance).「彼女、正義の女神の近代にての象徴物はしばしば裁判所・法廷らを飾っているとのものであり、そのありようの元となったところはギリシャ及びローマの正しき規範を体現しての女神ら、そして、ローマの目隠しなされての神フォルトゥナ(運命)、ヘレニズム期ギリシャの神ティケ(幸運)および剣を持ったネメシス(復讐)ら複数女神が融合してのところである」との申しようが見受けられる)。
 その点、[法廷の女神]が[運命の女神]からも影響を受けているとされる理由としてはローマの正義の女神ティケー、ギリシャの同文同様の正義の女神テーミスの類らが目隠しをされて「いなければ」、彼女らは今日知られる[正義の女神]よろしくもの秤も持っていなかったとのことが挙げられ、また、そも、法による紛争の解決が目隠しを伴ってのもの、[外貌に惑わされるが如く情理に流されてはならぬもの]たらねばならないとの観点が生まれたのは近世・近代以後であり、それまでは[神明裁判]・[決闘裁判]の類が大手を振るって行われていたとのことも挙げられたりしている(ブラインドフォールデッド、目隠しをされた存在が裁判と結びつけられた論理は往古からあったものではないと指摘される ―そこを目隠しをして規定の帰結、道理すら見えぬとの[人形]に世の趨勢を左右する重要なところではお定まりの醜悪なる帰結を押しつけるとのやりようが徹底化されてきた、たとえば、ソ連での大粛清時裁判やナチスでの人民法廷のようなルール・オブ・ローとは無縁なる、そう、[人の支配]を[公平度が高い法の支配]に置換するとの建て前上の理念とは無縁なる式で大量の人間を字義通り罵倒しながら殺していったとの[裁判]が具現化していたのが腐りきった偽りの世界(魂の抜けた傀儡くぐつのようなもので溢れかえった歴史の上に構築された偽りの世界)であると手前などは見ているわけだが、何も識らぬは幸いかとの者にはそうした視点の押しつけはなさない― )
 さて、現在の正義の女神の似姿にも影響を与えていると世間的に評されるところの「目隠しされての」運命の女神については目隠しされた彼女の影響力が[イシス神]の恩寵によって惑える主人公の中から払拭される、そして、驢馬(ろば)に換えられもした男が啓明を得ることになるという粗筋が(イシス秘儀とエレウシス秘儀の類似性について示唆する記述を含むとの)ローマ期古典 The Goleden Ass『黄金の驢馬(ろば)』に見受けられるとのことがある。
 以上と話が通ずるところとして
[(『黄金の驢馬』にてそれらありようも重要なモチーフとされている)イシス秘儀・エレウシス秘儀、それら秘儀体系との類似性・史的連続性を有していると有識者および他ならぬインサイダーに指摘されているとのフリーメーソンがその入団者に首に縄を巻かれての死刑囚の扮装をなさせたうえで目隠しをさせそれを取り払って光(イルミネーション)を与えるとの形態の参入儀礼形態を有している]
とのことが着目に値するところとなっている。
 そうしたanalogy(一致性)の問題を[偶然の一致の問題]として済ませてよいものであろうか。
 筆者個人はといったことがあることからしておよそ[偶然]とは見ていない。
『運命どころか法の惑わざるの適用さえもが[人情どころかそれがなければ困るとの道理もないとのプログラム押しつけ力学]によって決められている節もある紛い物だらけの醜悪にして滑稽なるこの世界にて[世界]をそのようなものになさしめている[主力としてのエンジン]、そう、[運命の悪戯(人為ならざるところ)から解放されて[偶然]に代えての[必然]の支配を受けることになった者達]が[チェス盤上の駒]のように操作されての[確定した運命]を押しつけられていることを「あてこすっての」(上位存在が愚弄しきっての)性質悪い寓意の体現そのものではないか』
と ――ここでの話に関してだけは行き過ぎた側面があること、否定することはなさないが―― 「私的には」見ているわけである。

長くもなっての脇に逸れての話はここまでとする


(脇に逸れての記述から本題へと立ち戻りもして)
 さて、先に挙げた出典(Source)紹介の部94(3)をして

「ローマ期古典の中で「文献的事実」の問題としてイシスが[ペルセポネ]にして[ヘカテ]であるとされている」

とのことを紹介したわけだが、

[(イシスという中間項を介さずとも)ペルセポネがヘカテと同一視される存在である]

ということをこれ以降、問題視することとする。

 それにつき前提としてヘカテがどういう存在か以下に解説することからはじめる。


| 出典(Source)紹介の部94(5) |

 ここ出典(Source)紹介の部94(5)にあっては、

[ヘカテ(という女神)はそも、いかようなる存在なのかとのことについての世間的説明のなされよう]

について目につくところの記述を「とっかかりとして」紹介することとする。

 さて、ヘカテがどういう存在かだが、同ヘカテ、

[三つの面を持った冥界の番人たる女神]
[魔術信仰の本尊としての魔女らの神としての性質を帯びた女神]
[日本の道祖神のように辻々を守護する女神]

として一般によく知られている。
 
 については(通用度から誤謬が介在しにくい基本的なところであるうえ、実際に誤謬が認められないと判断し)英文Wikipedia[Hecate]項目程度のものから同女神の特性紹介部の記述を引くとのことをなしておく。

(直下、即時に確認できるところの現行の英文Wikipedia[Hecate]項目より引くとして)

Hecate or Hekate was a goddess in Greek religion and mythology, most often shown holding two torches or a key and in later periods depicted in triple form. She was variously associated with crossroads, entrance-ways, dogs, light, the Moon, magic, witchcraft, knowledge of herbs and poisonous plants, necromancy, and sorcery.
[ . . . ]
In the Homeric Hymn to Demeter, Hecate is called the "tender-hearted", a euphemism perhaps intended to emphasize her concern with the disappearance of Persephone, when she assisted Demeter with her search for Persephone following her abduction by Hades, suggesting that Demeter should speak to the god of the sun, Helios. Subsequently she became Persephone's companion on her yearly journey to and from the realms of Hades. Because of this association, Hecate was one of the chief goddesses of the Eleusinian Mysteries, alongside Demeter and Persephone.
[ . . . ]
It has been claimed that her association with dogs is suggestive of her connection with birth, for the dog was sacred to Eileithyia, Genetyllis, and other birth goddesses. Although in later times Hecate's dog came to be thought of as a manifestation of restless souls or demons who accompanied her, its docile appearance and its accompaniment of a Hecate who looks completely friendly in many pieces of ancient art suggests that its original signification was positive and thus likelier to have arisen from the dog's connection with birth than the dog's underworld associations. The association with dogs, particularly female dogs, could be explained by a metamorphosis myth. The friendly looking female dog accompanying Hecate was originally the Trojan Queen Hekabe, who leapt into the sea after the fall of Troy and was transformed by Hecate into her familiar.

(拙訳として)
「ヘカテないしヘケイトはギリシャにての信仰・神話上の女神であり、最もしばしば見られるところとして、二つの松明ないし鍵を掲げ、後の時代にては三つ(の身体を持った)存在として描写されている。彼女は様々な側面から十字路・入り口となる道・犬・月・魔術・薬草および毒性植物の知識・降霊術・魔術と関連づけられている。
・・・(中略)・・・
『ホメロス讃歌』にてのデメテルに言及しての段ではヘカテは[情け深き者]と呼ばれており、それはおそらくデメテルがハデスによる娘ペルセポネの略取の後、ペルセポネを探していたのをヘカテが援助、デメテルに太陽の神ヘリオスに相談持ちかけるべきであるとの提案をなしたとのことに見られもするペルセポネ消失にあってのヘカテいたわりを強調するための婉曲表現であろう。続いてヘカテはペルセポネの1年を通じての旅、冥界からはじまり冥界に向かうとの旅の同道者となった。この協力のため、ヘカテはデメテルおよびペルセポネの脇にてエレウシス秘儀で祀られる主たる神格の一柱となっている(注:ちなみにヘカテがデメテル・ペルセポネと並んでエレウシス秘儀の主要崇拝対象となっているとの点について英文Wikipediaでは出典として Charles M. Edwardsとの学者が米国にての1986年の考古学誌( the American Journal of Archaeology, Vol. 90, No. 3)に寄稿しているとの記事、 The Running Maiden from Eleusis and the Early Classical Image of Hekate『エレウシスにての逃げ去る乙女、そして、初期古典期にてのヘカテ像』との記事が ―実にもって微に入っているところとして― 挙げられている)。
・・・(中略)・・・
彼女ヘカテと犬らとの関係は彼女の[出産]との関係性を示唆するものである。というのも犬はエイレイテュイア、ジェネテュリス、そして、他の[出産]の神々に対する神性なる存在であるからである。後の時代にて[ヘカテの犬]は彼女に同道する休息を得られぬとの死者ら魂あるいは悪霊らを表象するものであると考えられるようになったわけだが、古代美術のいくつもの断片に認められるそのおとなしめな外見およびまったくもって好意的に見えるヘカテへの同道ありようよりその原初的意味合いはポジティブなものであり、犬の地下世界(死者の世界)との関係性というより出産と犬との関係性より生じたものであるとの提言がなされるところでもある。ヘカテの犬との関係性、殊に雌の犬との関係性は[変容神話]にて説明なされうるものである。ヘカテに付き添っての親しそうに見える雌の犬は原初的にはトロイアの女王ヘカベ、トロイア陥落の後、海上へと跳躍なさしめられ、ヘカテによって眷属、使い魔(の類)に変身させられたというのである(以下略)」

(訳を付しての引用部はここまでとしておく)

 上の写真・スケッチは双方ともに英文Wikipedia[Hecate]項目に掲載されているとのもので上掲図左はローマ期のヘカテ彫像 ――現行、プリマポルタのアウグストゥス像の収蔵でも有名なバチカン美術館に収蔵されているとのもの―― を写した写真となり、ヘカテが[三面の存在]であるとのことがはきと見てとれるとのものとなる(ただし、同彫像に見るヘカテは身体の一部がつながって産まれてきたシャム双性児のように背骨がつながった三対の女神といった格好を呈しているとのものともなり(それはよくそういう描かれ方をするヘカテ似姿である)、三面に一対の胴体との彫像形態をとってはいない)。上掲図右は18世紀英国の肖像画家( Richard Coswayという肖像画家)の手になるヘカテ像となり、三対の女神が融合してヘカテとの存在が成立しているとの似姿が描かれているとのものとなる。

出典(Source)紹介の部94(5)はここまでとする)


 ヘカテがいかな存在であるかの基本的なるところからの流布された解説を上に引いたうえで

[女神ペルセポネが女神ヘカテと同一視「されている」]

とのことの論拠を挙げる。


| 出典(Source)紹介の部94(6) |

 ここ出典(Source)紹介の部94(6)にあっては、

[[イシス]との中間項を介さずとも[ヘカテ]と[デメテル][ペルセポネ]らには接続性が存在するとのことの指摘が存在する]

とのことについての解説をなす。

 まずはここに至るまでその内容を何回か問題視したとの人類学(さらに述べれば比較神話学)分野の大著として知られるフレイザー『金枝篇』よりの抜粋をなすこととする。より具体的には、

The Golden Bough Studies in the History of Oriental Religion Part IV: Adonis Attis Osiris.Vol. 1 of 2(『金枝篇』第4章(の1)[アドニス・アッティス・オシリス]1911年版)

からの抜粋をなすこととする(:抜粋部元の表記の版の『金枝篇』の同じくもの巻の全文テキストは Project Gutenbergのサイトから確認いただけるようになっている。ゆえに、[文献的事実]の問題、そのような申しようが象牙の塔の住人によって書きとどめられてきたとの事実の後追いも誰にでも容易になせる(本稿では意図的にそうした確認可能なる媒体を選択して出典として挙げている)。につき、 Project Gutenbergの表記著作紹介ページ(検索エンジンで The Golden Bough Studies in the History of Oriental Religion Part IVとの著書題名と Project Gutenbergとの文字列を入力すれば行き着けるであろうとの著作紹介ページ)を開いて、表記のテキストの一致部をブラウザ(インターネットエクスプローラーのようなインターネット閲覧ソフト)の検索機能をCtrlキーとFキーを同時押しすることでオンにしての精査をなせば、そう、チェックボックスに引用テキストの一部を入力すれば、長大な文書の中から該当部を労せずに特定できる、それによって即時即座の確認がなせるようになっていると申し述べておく ――また、より手間のかからぬ確認方法としてはある程度の文量を引用部テキストから引き直して、ダブル・クオテーション("")で括っての[完全一致検索]をグーグル検索エンジン(タブーに関わら「ない」ところではキーワードによる外注が用いられてのセンサーシップ、非表示化処理はそうそうには現われないと見える検索エンジン)でなし、表示されてきたページを閲覧するとのやりようもあるとも申し述べておく―― )。

(直下、 The Golden Bough Studies in the History of Oriental Religion Part IV: Adonis Attis Osiris.Vol. 1 of 2のうちの § 8. Cilician Goddesses.[キリキア地方(キリキアは現トルコ南部の地中海に面した地域を指す)の女神達]の節よりの抜粋をなすとして)

We may suspect that in like manner the Sarpedonian Artemis, who had a sanctuary in South-Eastern Cilicia, near the Syrian border, was really a native goddess parading in borrowed plumes. She gave oracular responses by the mouth of inspired men, or more probably of women, who in their moments of divine ecstasy may have been deemed incarnations of her divinity. Another even more transparently Asiatic goddess was Perasia, or Artemis Perasia, who was worshipped at Hieropolis-Castabala in Eastern Cilicia.The extensive ruins of the ancient city, now known as Bodroum, cover the slope of a hill about three-quarters of a mile to the north of the river Pyramus.
[ . . . ]
Only the wandering herdsmen encamp near the deserted city in winter and spring. The neighbourhood is treeless; yet in May magnificent fields of wheat and barley gladden the eye, and in the valleys the clover grows as high as the horses' knees. The ambiguous nature of the goddess who presided over this City of the Sanctuary (Hieropolis) was confessed by a puzzled worshipper, a physician named Lucius Minius Claudianus, who confided his doubts to the deity herself in some very indifferent Greek verses. He wisely left it to the goddess to say whether she was Artemis, or the Moon, or Hecate, or Aphrodite, or Demeter. All that we know about her is that her true name was Perasia, and that she was in the enjoyment of certain revenues.

(訳として)
「我々(注:ジェイムズ・フレイザーを含む大学研究者ら)は往時、シリアとの境界部界隈の南東キリキアにて聖域を持っていたサルペードーンのアルテミスという女神は本当のところ、
[他から借り物の羽毛を纏ったうえで存在誇示しているとの土着の女神]
なのではないかとの疑いを持っていた。
(往古、)[神聖なる恍惚の瞬間]が同女神(サルペードーンのアルテミス)の神性の顕現になっていると見たとの筋目の啓示を受けての男らの口を通じ、あるいは、女らの口を通じて同女神は託宣をなしていた。 
 他のよりもって浸透を呈していたとのアジア(トルコ界隈)の女神は[ペラシア]という女神、[アルテミス・ペラシア]となり、彼女は東部キリキア地方にてのヒエロポリス・カスタバラにて崇拝を受けていた。(そのCastabala界隈、)ピュラモス川の北方よりおよそ4分の3マイルの丘陵部斜面を覆う格好で現在、ボドロウムとして知られる古代都市の広大な遺構が存在している。
・・・(中略)・・・
 いまや流浪の牧夫らだけが春および秋にて放棄されたその都市(の遺構)に野営している。近傍には樹木とてなく、だが、五月には大麦および小麦が広大な野を覆って眼福を施しもし、峡谷にてはクロ-バーが馬の膝の部に達するまで成長する。その聖域ヒエロポリスとしての(遺構と化した)都市を統べていた女神の[曖昧多義的なる性質]については困惑を呈していた崇拝者の一人、ルキウス・ミニウス・クラウディアヌスという医者 ―神たる女神自体に対するものとして幾分無関心さ呈したギリシャ語の詩歌にて疑義示しているとの人物― によって打ち明けられている。同人物は賢明にも女神につき
彼女はアルテミスなのか、月(の女神)、あるいは、ヘカテ、あるいはアフロディテあるいはデメテルなのか
との言を残しているのである

(訳を付しての引用部はここまでとしておく ―※― )

(※尚、表記引用部にあっての(再度、分けもして抽出するところとしての) The ambiguous nature of the goddess who presided over this City of the Sanctuary (Hieropolis) was confessed by a puzzled worshipper, a physician named Lucius Minius Claudianus, who confided his doubts to the deity herself in some very indifferent Greek verses. He wisely left it to the goddess to say whether she was Artemis, or the Moon, or Hecate, or Aphrodite, or Demeter. All that we know about her is that her true name was Perasia, and that she was in the enjoyment of certain revenues.「その聖域ヒエロポリスとしての(遺構と化した)都市を統べていた女神の[曖昧多義的なる性質]については困惑を呈していた崇拝者の一人、ルキウス・ミニウス・クラウディアヌスという医者 ―神たる女神自体に対するものとして幾分無関心さ呈したギリシャ語の詩歌にて疑義示しているとの人物― によって打ち明けられている。同人物は賢明にも女神につき[彼女はアルテミスなのか、月(の女神)、あるいは、ヘカテ、あるいはアフロディテあるいはデメテルなのか]との言を残しているのである」(分けてもの引用部はここまでとする)との部については著者フレーザーによって、注記番号491、492と振られ、 E. L. Hicks, “Inscriptions from Eastern Cilicia,” Journal of Hellenic Studies, xi. (1890) pp. 251-253との出典が挙げられている)

 直近にて古代人の弁として20世紀に名を馳せた権威(『金枝篇』著者ジェイムズ・フレイザー)によって紹介されていること、それは、

「[アルテミス]あるいは[ヘカテ]あるいは[アフロディテ]あるいは[デメテル]らの別個独立の女神らがその実、同一の女神の別相なのではないかとの認識が、(ローマ期に勢威を誇った女神にまつわるローマ期往時の人間に由来する遺物に見る書かれようを介して指摘されるところとして)、昔からあった」

ということである。

 につき、本稿本段にあっては上の引用部にあっての、

[[ヘカテ]と[デメテル]を同一視するような視点があった]

との部を重んじている。

 そも、直近引用元文書(『金枝篇』)にて古人に[ヘカテ]と同質視されるようなことがあったとのことが『金枝篇』著者たるフレイザーによって述べられている[デメテル]についてはその娘[ペルセポネ]と本来的に一体なる存在であると見られるとのことがある存在でもある(出典(Source)紹介の部94)。それがゆえに、[デメテル]と[ヘカテ]が同質の存在と見られていたことは[ペルセポネ]と[ヘカテ]の一致性問題に意識を向けさせるようなものであるとのことに話が通ずる(※)。

(※[ペルセポネ][デメテル]の母子に対する崇拝様式(エレウシス秘儀)がエジプトよりグレコ・ローマンの領域(古代ギリシャ・ローマ文明圏)へ伝来し崇拝されていたとの女神[イシス]に対する秘教崇拝様式と多重的に結びつき、そこにいう[イシス]が[ペルセポネ]および[ヘカテ]と結びつく存在であるとの記述がローマ期特定古典『黄金の驢馬(ろば)』に認められるとのことから[イシス]を媒介項に多くが結びつくことを問題視してきたのが本稿ここまでの内容ともなる ――下にての振り返っての図を参照のこと―― 。対して、ここでは[イシス]という媒介項を介さぬ方向で[ヘカテ]と[ペルセポネ]の同質性・連続性が指摘出来るようになっていることを呈示することに重きを置いている)

 さらに加えて[[ペルセポネ]と[ヘカテ]の連続性]に注意が向けられているとの文献的記録の紹介をなす。

 メジャーどころとして一世紀以上にわたって米国人の神話理解のための標準書となっていたとされるトマス・ブルフィンチ(日本でもその騎士道ロマンスにまつわる書籍などが岩波書店なぞから翻訳、刊行されているとの19世紀米国の代表的文人)の手になる書、

THE AGE OF FABLE(『神話の時代』とでも訳すべき同著もまた Project Gutenberg経緯で全文確認可能なものとなる ――プロジェクト・グーテンベルクのサイトにて頒布の同著、ここにて引用をなす版については Revised by Rev. E. E. Haleと改定訳付しての向きの名前が付されている版となる―― )

の内容をここでは引用なすこととする。

(直下、 THE AGE OF FABLEにての MEDEA AND AESON、[メディアとアイソン]の節 ―(金羊毛皮を巡るイアソンの冒険譚を描く古典『アルゴナウティカ』に対する言及部)― よりの抜粋をなすとして)

Amid the rejoicings for the recovery of the golden Fleece, Jason felt that one thing was wanting, the presence of AESON, his father, who was prevented by his age and infirmities from taking part in them. Jason said to Medea, "My wife, I would that your arts, whose power I have seen so mighty for my aid, could do me one further service, and take some years from my life to add them to my father's." Medea replied, "Not at such a cost shall it be done, but if my art avails me, his life shall be lengthened without abridging yours." The next full moon she issued forth alone, while all creatures slept; not a breath stirred the foliage, and all was still. To the stars she addressed her incantations, and to the moon; to Hecate (Hecate was a mysterious divinity sometimes identified with Diana and sometimes with Proserpine. As Diana represents the moonlight splendor of night, so Hecate represents its darkness and terrors. She was the goddess of sorcery and witchcraft, and was believed to wander by night along the earth, seen only by the dogs whose barking told her approach.), the goddess of the underworld, and to Tellus, the goddess of the earth, by whose power plants potent for enchantments are produced.

(拙訳として)
「金羊毛皮の取り戻しにてもたらされた歓喜の中、イアソンは(にも関わらず)ひとつ欠けているところがあると感じており、それは老齢と衰えのために彼ら一行の冒険にて参加できなかったとの彼の父アイソン (注:イアソンの父のアイソンについては伝承によってはイアソンが金羊毛皮探索に出る前、幼少のみぎりに世を去っているとのバージョンもある) のことであった。 イアソンはメディアに言った。 「我が妻よ。私は我に助力するうえであまりにも強力であるとのなんじの術の力を見ているわけだが、あとひとつ頼みたいところとして私のそれから命を取って、我が父のそれにその命を(付け加えて)与えてくれないものであろうか」。 メディアがそれに応えて言うには「そのような代償はなくとも、もし私の術があなたに及ぶのならば、あなたのそれを犠牲になさらずとも父君の命は長らえられましょう」。 次の満月の晩、すべての生き物が寝入っている間、息が葉っぱを揺らすこともなく、すべてが静寂に包まれていた折、彼女は一人でことを起こした。 星々に向け、そして、月に向けて彼女は魔法の言葉を発し、そして、ヘカテ ――ヘカテはしばしば月神ディアナあるいはプロセルピナと同一視される神秘的な神格である.ディアナとして夜にて壮麗さを呈する月光を体現するようにヘカテは夜にての暗黒および恐怖をも体現する.彼女ヘカテは魔術・妖術の女神であり、地にての夜の領域にて彷徨し、彼女の接近を告げるものたる犬の吠え声にてのみその存在が知れるとの存在である―― および地下世界の女神、そして、テルース、魔術に供される潜在力を有した力ある植物らを産生するところの大地の女神に向けて呪文の言葉を発したのである」

(訳を付しての引用部はここまでとしておく)

 上にて抜粋なしているとのトマス・ブルフィンチの神話・伝承解説部には筆者が和訳版を読了、英文近代訳版にも部分的に接しているとのイアソン(英文表記ジェイソン)の冒険譚たる『アルゴナウティカ』に含まれて「いない」パートが見て取れるため、文人ブルフィンチの脚色(embroidery)の類があるのではないかともとれるのだが、そうしたことを差し引いても述べられることは

「ペルセポネとヘカテが同一視される存在であるとの見立てがある程度、よく知られたものとして ――見立ての中身の問題は取りあえずも置き―― 存在している(原文では Hecate was a mysterious divinity sometimes identified with Diana and sometimes with Proserpine)」

とのことである(:そも、ローマ期古典『黄金の驢馬(ろば)』よりの先にての引用部、出典(Source)紹介の部94(3)からしてペルセポネがヘカテよろしくの三面構造をとるとの描写がなされているとのことを先に示しているわけであるから(先に抜粋しているようにイシスが自らをヘカテにしてペルセポネであると述べている部などを含む古典たる The Golden Assの一九一五年に訳出された版にて or whether Thou be called terrible Proserpine, by reason of the deadly bowlings which Thou yieldest, that hast power with triple face to stop and put away the invasion of hags and ghosts which appear unto men, and to keep them down in the closures of the Earth, which dost wander in sundry groves and art worshipped in divers manners「あなたさまはまた夜の吼えに恐ろしいプロセルピナと呼ばれ、三種の顔をもち、悪霊どもの攻撃をおし鎮め、彼らを地下の牢獄に封じ込めて、聖なる森を彷徨し給うては、種々な儀式で祭をうけておいでです」と記載されている)、そして、エレウシス秘儀でデメテルおよびペルセポネと共にヘカテが崇められているとされる ――先立っての出典(Source)紹介の部94(5)にて英文Wikipedia[Hecate]項目より Subsequently she became Persephone's companion on her yearly journey to and from the realms of Hades. Because of this association, Hecate was one of the chief goddesses of the Eleusinian Mysteries, alongside Demeter and Persephone.「ヘカテはペルセポネの1年を通じての旅、冥界からはじまり冥界に向かうとの旅の同道者となった。この協力のため、ヘカテはデメテルおよびペルセポネの側にてエレウシス秘儀で祀られる主たる神格の一柱となっている」(引用部はここまでとする)との記述を引いているようなことがある―― のだから、表記のようなブルフィンチの見立ての元となった視点があるのも当然のことか、と思う)。

出典(Source)紹介の部94(6)はここまでとする)


 以上でもって文献的事実にひたすらに依拠しての話 ―実にもって忌まわしい、そう、真実を破壊し、言論の土壌を汚染するとの式で実にもって忌まわしいとの神秘主義者(あるいはその係累の陰謀論者)といった質的に狂った(あるいは狂った振りをして世を渡っている)人間の話柄とは一線を画しての式をとっての話― として、

(「同一存在であると見立てられもしている(先述)とのデメテル・ペルセポネは古文献それ自体のレベルで女神イシスと結びつく存在であるとの言及がなされている」とのことに加えて)

「デメテル・ペルセポネ両者については(イシスという中間項を介さずとも)ヘカテという女神と結びつく(との申しようが「複合的に」なせるようになっている)]

とのことの指し示しをなした(下にての整理がてらもの図の内容を確認されたい)。

 さて、ここまできたところで述べるが、

[デメテル・ペルセポネ・イシスの各々と古典伝承にあって「多重的」結合関係を呈する(上の図の振り返っての図を参照されたい)との[ヘカテ]という女神はまたもってしてギリシャ神話の地獄の番犬ケルベロス ――ヘラクレス12番目の功業にて地上への引きづりが目的とされた存在―― と際立っての共通点を持つ存在でもある]

とのことが摘示可能ともなっている。
 
 それについてはこれより呈示することとする[際立っての相似形]にまつわっての出典(Source)紹介の部94(7)を参照されたい。


| 出典(Source)紹介の部94(7) |

 ここ出典(Source)紹介の部94(7)にあっては、

[ヘカテという存在とケルベロスの間には際立っての接続性がある]

とのことについての典拠を挙げることとする(:何故、そうもした話を延々諄々(じゅんじゅん)となしているのか、と述べれば、(さらに続けての後の段を精査いただければお分かりもいただけようところとして)、ヘカテとケルベロスの接続性のようなこと ―傍から見れば神話伝承を好む向きらの好事家話柄にしかなりえないように解されもすること― が「悲劇的なことに」神秘家話柄などとは一線を画しての式でブラックホールにまつわる理論開闢史]さらには[ケルベロスという存在にまつわって指摘なせるようになっているブラックホールと通ずる特性]と接続しているなどとのことが「ある」、この世界には現実にありもし、そして、同じくものことが[予見性・先覚性]との兼ね合いで[他の事柄]らと接続しながら「問題になる」とのだけのことがあるからである)

([ケルベロス]と[ヘカテ]の接続性について)

 第一。ケルベロスは有名なこととして「三つの頭」を持つ存在である。そして、ヘカテもまた「三つの頭」を持つ存在であるとされる。については、下の図像らだけでもその通りであるとご納得できることか、と思う。

上掲図左は先にダンテ『地獄篇』に登場するケルベロスにまつわる解説部でも挙げたところの挿絵、19世紀刊行のダンテ『神曲』近代刊行版に著名芸術家のギュスターブ・ドレが付した挿絵となる。上掲図右は先にて挙げたところのローマ期作成のヘカテ彫像(現時、バチカン美術館所蔵のローマ期遺物とされてのもの)となる。一目瞭然であろうが、ケルベロスもヘカテも三面構造との際立っての特色を有している。

 第二。ケルベロスは「犬」の怪物である。また、ヘカテも「犬」と濃厚なる結びつきをもっている存在である。
(上の出典(Source)紹介の部94(5)にて挙げたところの英文ウィキペディアにても
[彼女ヘカテと犬らとの関係は彼女の[出産]との関係性を示唆するものである。というのも犬はエイレイテュイア、ジェネテュリス、そして、他の[出産]の神々に対する神性なる存在であるからである。後の時代にて[ヘカテの犬]は彼女に同道する休息を得られぬとの死者ら魂あるいは悪霊らを表象するものであると考えられるようになったわけだが、古代美術のいくつもの断片に認められるそのおとなしめな外見およびまったくもって好意的に見えるヘカテへの同道ありようよりその原初的意味合いはポジティブなものであり、犬の地下世界(死者の世界)との関係性よりも出産と犬との関係性より生じたものであるとの提言がなされるところでもある。ヘカテの犬との関係性、殊に雌の犬との関係性は変容神話にて説明なされうるとのものである。ヘカテに付き添っての親しそうに見える雌の犬は原初的にはトロイアの女王ヘカベ、トロイア陥落の後、海上へと跳躍なさしめられ、ヘカテによって眷属、使い魔(の類)に変身させられたというのである]
との趣旨のことが掲載されているようにヘカテは「犬を連れた」似姿でよくも偶像化される存在である)。

 第三。ケルベロスは「冥界の番犬である。他面、ヘカテは死者の魂の化身ともされる犬を連れてペルセポネの「冥界」と地上を行き来する旅に同道する存在、また、十字路と(まるで番人であるように)結びつく存在であるとしてよく知られている(:上の出典(Source)紹介の部94(5)で呈示の英文ウィキペディア[Hecate]項目よりの引用部にて Hecate or Hekate was a goddess in Greek religion and mythology, most often shown holding two torches or a key and in later periods depicted in triple form. She was variously associated with crossroads, entrance-ways, dogs, light, the Moon, magic, witchcraft, knowledge of herbs and poisonous plants, necromancy, and sorcery「ヘカテないしヘケイトはギリシャにての信仰・神話上の女神であり、最もしばしば見られるところとして、二つの松明ないし鍵を掲げ、後の時代にては三つ(の身体を持った)存在として描写されている。彼女は様々な側面から十字路・入り口となる道・犬・月・魔術・薬草および毒性植物の知識・降霊術・魔術と関連づけられている」と記されている部位、 Subsequently she became Persephone's companion on her yearly journey to and from the realms of Hades. Because of this association, Hecate was one of the chief goddesses of the Eleusinian Mysteries, alongside Demeter and Persephone.「ヘカテはペルセポネの1年を通じての旅、冥界からはじまり冥界に向かうとの旅の同道者となった。この協力のため、ヘカテはデメテルおよびペルセポネの脇にてエレウシス秘儀で祀られる主たる神格の一柱となっている」との部位、 Although in later times Hecate's dog came to be thought of as a manifestation of restless souls or demons who accompanied her, its docile appearance and its accompaniment of a Hecate who looks completely friendly in many pieces of ancient art suggests that its original signification was positive and thus likelier to have arisen from the dog's connection with birth than the dog's underworld associations.「後の時代にて[ヘカテの犬]は彼女に同道する休息を得られぬとの死者ら魂あるいは悪霊らを表象するものであると考えられるようになったわけだが、古代美術のいくつもの断片に認められるそのおとなしめな外見およびまったくもって好意的に見えるヘカテへの同道ありようよりその原初的意味合いはポジティブなものであり、犬の地下世界(死者の世界)との関係性よりも出産と犬との関係性より生じたものであるとの提言がなされるところである」との部位に認められるように(ヘカテのことを調べる限りにおいて)よく目にするところとなる)。

 第四。これが大きい。ケルベロスの涎がトリカブトの由来であるとはよく知られたところである。他面、トリカブトはその別称として

ヘカテの毒物

と呼ばれているとされている。

 その点、ローマ期に成立したオウィディウスの手になる有名な古典『変身物語』。その Project Gutenbergのサイトにて公開されている英訳版 THE METAMORPHOSES ―― Henry Thomas Rileyという訳者の手によって19世紀、ヴィクトリア朝時代に訳された版――  にては(引用なすところとして)

Pallas, taking compassion, bore her up as she hung; and thus she said: “Live on indeed, wicked one,29 but still hang; and let the same decree of punishment be pronounced against thy race, and against thy latest posterity, that thou mayst not be free from care in time to come.” After that, as she departed, she sprinkled her with the juices of an Hecatean herb;30

との記載 ――(大要として)[パラス(女神アテナとの神話的同等物)が(機織り女アラクネArachneと機織り勝負で)競い合い、の折、生きたような布地の織物を呈示され完膚なき敗北を見た。それによってアラクネに怒ってパラスはヘカテの毒薬をアラクネに振りかけた(そして蜘蛛に変身させた)]との趣旨の記載―― がなされている。

 以上、オウィディウス『変身物語』の英訳版より抜粋なした部にて30と注釈番号振られての部に対する解説EXPLANATION.の部にあっては(一例となるところとして)「トリカブトはケルベロスないしヘカテと密接に結びつく毒である」との明示的言及がなされている。

 すなわち、 THE METAMORPHOSES『変身物語』の Project Gutenberg公開版の文中にての注釈部30にあっては
(同様に抜粋するところとして)

[30.An Hecatean Herb.] ― Ver. 139. This was aconite, or wolfsbane, said to have been discovered by Hecate, the mother of Medea. She was the first who sought after, and taught the properties of poisonous herbs. Some accounts say, that the aconite was produced from the foam of Cerberus, when dragged by Hercules from the infernal regions.]

「30.ヘカティアン・ハーブ(ヘカテの薬草)とは:(139)これはメディアの母たるヘカテによって発見されたとされているトリカブト](アーコォナイト)、すなわち、ウルフズ・ベイン(狼の毒)のことである。彼女ヘカテは毒草特性について追求、そして、教えをなしたとの最初の存在であった。幾人かの説明では[トリカブト]は黄泉の領域からヘラクレスによって引きづり出された折、ケルベロスの泡つばき(涎)から産生されたとのことである

と記載されているとのことがある ――[ヘカテの毒物たるトリカブト]はまたもってして[ケルベロスの泡つばき(涎)から産生したもの]であると指摘されているとのことがある (尚、機織り女のアラクネが機織り勝負に負けたことを怒ったパラスによって[ヘカテの毒]でもって蜘蛛に変身させられたことは英文Wikipedia[Arachne]項目にて she ripped Arachne's work into shreds, and sprinkled her with Hecate's potion, turning her into a spider and cursing her and her descendants to weave for all time.と記載されているかなり知られたことである。問題はそのアテナによってアラクネに蜘蛛への変身を強要させることになった[ヘカテの毒]がオウィディウス『変身物語』に対する注釈部表記に一例を見るように[トリカブトaconite]であるとも定置されていることである)―― )。

上にて挙げているのはヨーロッパ及びアジアにて自生する[狼を殺す毒](ウルフズ・ベイン)との呼ばれようがなされるトリカブト、 Aconitum lycoctonum(別名 Aconitum septentrionale)となる。同トリカブトが[ケルベロスの涎]とされるのと同時に[魔女ヘカテに由来する毒]とされているとのことをここでは問題視している。

 まとめる。ケルベロスとヘカテの間には

「双方、[三面構造]を有した存在である」
「双方、[犬]との属性と結びつく存在である」
「双方、[冥界]と関わる存在である(それに通ずるところとして[冥界の番犬](ケルベロス)と[辻々の番人にして亡者の案内人](ヘカテ)との両者性質が重なるようなところもある)」
「双方ともに毒物[トリカブト]由来と濃厚に結びつけられている存在である」

との計四点の[際立っての類似性]が存する(:双方共に冥界に関わる」「三面の」「犬絡みの」「トリカブト由来となっている」存在となっているということである)。

出典(Source)紹介の部94(7)はここまでとする)


 上掲図は出所明示してここまでにて挙げてきた図らをつなぎあわせてのものではあるが、同図を介して強調したいのは
[[エレウシス秘儀](英語での表記はエレウシニアン・ミステリーズ)を[留め金]にして「も」ヘカテとケルベロスの相関関係がより一層強くも想起されるとの申しようがなせる]
とのことである。
 その点、ヘカテに関しては[エレウシス秘儀]の主要崇拝神格となっていた、デメテル・ペルセポネ母子と並んでの主要崇拝神格となっていたとの話が伝わっている(先の出典(Source)紹介の部94(5)にて微に入っての出典紹介が付されている現行にての英文Wikipediaの書かれようを引いたようなところとしてそういう指摘がなされているとのことがある)。
 そこから、
[エレウシス秘儀に関わる存在としてのヘカテ、そして、エレウシス秘儀のいわば主役とでも言うべき存在、ペルセポネ(の略取)と結びつけて象徴化されるケルベロスのエレウシス秘儀を介しての関係性]
にも目を投ずるべきであろうと申し述べるのである。

 以上の流れから

[ペルセポネ ⇔ ヘカテ ⇔(際立っての相似形) ⇔ ケルベロス]

との流れもが一致性・接続性の問題として成立していること、お分かりいただけたか、と思う。


補足として

 直上、ヘカテとペルセポネとケルベロスの関係性の指摘・解説をなしもしているわけだが、その絡みで問題になるとの従前にて指摘してきたことの振り返り表記を(話の[整理]も兼ねて)ここにてなしておく

 その点、ここにての解説部 ――(先に[A]から[F]と分けても摘示していくこととするとした[ダンテ『地獄篇』とヘラクレス12功業の間には関係があるとのことにまつわる「さらなる」解説部])にあっての[A]の段に含まれるとのここにての解説部)―― に入る前に筆者は
「ダンテ『地獄篇』とヘラクレス12功業の関係につき「まずもって」論じられることはこうである」
とのかたちにて以下の[1]から[5]と振ってのことらを順々に呈示していた。

(以下、[1]から[5]と先に振って示していたところの[ダンテ『地獄篇』とヘラクレス12功業の関係性]について、再度、振り返っての表記をなすとし)

 ダンテ『地獄篇』とは階層構造をとる地獄を下へ下へ、地球の中枢に下っていくとの物語である。

 その点、[計9層よりなる地獄]にあっての下部領域への踏破行にて『地獄篇』では

[第7層⇒第8層の断崖降下態様:怪物ゲーリュオーンに「おぶわれて」の降下]
[第8層⇒第9層の地球中心に向かう穴にての降下態様:巨人アンタイオスに「おぶわれて」の降下]

とのことが現出を見ている。そして、そのことは

[第7層⇒第8層の断崖降下態様:[ヘラクレスの第10番目の功業にて誅された怪物]におぶわれての降下]
[第8層⇒第9層の地球中心に向かう穴にての降下態様:[ヘラクレスの第11番目(別バージョンでは第10番目)の功業の合間にて誅された怪物]におぶわれての降下]

とのように言い換えがなせるところのものである(出典(Source)紹介の部90)。

 ダンテ『地獄篇』の最下層への降下は[ヘラクレス12功業にあっての10番目の功業にて誅伐された存在と11番目の功業にて誅伐された存在]によって順次具現化を見たと述べられるようになっている。

  上の[1]にて指摘しているように、

[第7層⇒第8層の断崖降下態様:[ヘラクレスの第10番目の功業にて誅された怪物]におぶわれての降下]
[第8層⇒第9層の地球中心に向かう穴にての降下態様:[ヘラクレスの第11番目(別バージョンでは第10番目)の功業の合間にて誅された怪物]におぶわれての降下]

が(『地獄篇』地獄にあっての)最下層へ向かう二段階降下ありようとなっているのだが、降下した先にあってのルシファーの領域(本稿にての出典(Source)紹介の部55から出典(Source)紹介の部55(3)を包摂する解説部で今日的な観点で見てのブラックホールとの接合性を呈しているとのことを解説しているとの領域)に関しては

[ヘラクレスの12番目の冒険にて捕縛対象となった「三つの顔を持つ」地獄の犬ケルベロス]

のことが想起されるとのことがある(出典(Source)紹介の部90(2))。

 ヘラクレスの功業のうち、最後の三つ、

10番目の功業([1]で指摘しているところとして『地獄篇』でダンテらの7階層から8階層への降下でダンテらをおぶったゲーリュオーンが誅伐された功業)
11番目の功業(同文に[1]で指摘しているところとして『地獄篇』でダンテらの8階層から9階層(ルチフェロが幽閉されている最下層)への降下でおぶったアンタイオスが誅伐された功業)
12番目の功業(ダンテ『地獄篇』よろしくヘラクレスが冥界下りをなしてケルベロスを地上に引きづりだすとの筋立ての功業)

に関してはそれらすべてと結びつく特定存在のことが想起されもする。

 その第10功業・第11功業・第12功業の全てとの接合性を呈している特定存在とは

第10番目の功業にてゲーリューオンにヘラクレスやりようを報告した「地獄の王」ハーデースの牛を飼っている牛飼いメノイテース(MenoitesないしMenoetes)]

という存在となる。

 同存在(メノイテース)に関しては

[[冥界の王ハデースの牛飼い]となる同存在がゲーリュオーンに対してヘラクレスやりように関する報告をなした存在としてヘラクレス第10番目の功業に登場し、また、冥界にて[ヘラクレスに相撲を挑み(第11功業にてのアンタイオスの運命と同じくも)ヘラクレスに相撲で骨砕きされた存在]としてケルベロス捕縛の任が課せられてのヘラクレス第12番目の功業に登場してきている]

とのことがある(出典(Source)紹介の部90(3))。

 そうしたヘラクレスの[10番目の功業][11番目の功業][12番目の功業]を結びつけるメノイテースは[「地獄の王」の牛飼い][ヘラクレス第10功業でヘラクレス略奪行為の「三面の」ゲーリュオーンへの注進に及んだ存在][ヘラクレス第12功業の「三面の」ケルベロス捕縛の任の途上でヘラクレスと相撲(という名のデス・マッチ)をなすに至った存在]としての特性から[「三面の」「地獄の王」たるルチフェロ]の領域への到達で終わるとの冥界下りのダンテ『地獄篇』と冥界下りのヘラクレス12功業との結びつきを想起させる存在ともなり、といった存在のことからダンテ『地獄篇』とヘラクレス12功業の関係を顧慮するのは「一層」無理がないと述べられもする。

 ダンテ『地獄篇』ではケルベロスが地獄の浅い階層、[貪食者の地獄]に登場を見ている。ケルベロス登場の段は『地獄篇』第6歌の部(欧米表記ではCantoVIの部)となるが、そのケルベロス登場の段(第6歌)に直後続いての『地獄篇』第7歌にて
[有名な一節]
が登場してくる。、

[冥界の神プルートPluto(ギリシャの冥界の神ハデスのローマ版呼称)が喚いた[意味不明な内容の叫び]として文学者の類にはよく知られている、英文Wikipediaにそのためだけの解説項目が一項目設けられているぐらいによく知られているとの、 Papé Satàn, papé Satàn aleppe「パペ・サタン・パペ・サタン・アレッペ!」にまつわる一節]

がそうである(出典(Source)紹介の部90(4))。

 ローマ神話にての冥王プルート(「キリスト教を社会基盤とする世界の中で零落して、」といった按配で『地獄篇』に登場しているとの冥王)によるその Papé Satàn, papé Satàn aleppeとの叫びの登場の段が直前ケルベロス登場の段と連続関係を呈しており、また、その叫び自体に[サタン](最下層に幽閉されている三面のルチフェロ)への言及が含まれているとのことがあるため、(ケルベロスがダンテ地獄篇の浅い階層に別個に登場しているとはいえども)、最下層に控える三面構造のルチフェロ(サタン)との繋がりが想起され、それゆえ、『地獄篇』とヘラクレス12功業の(功業順序通りの)接合関係が「よりもって」想起されるとのことになる。

 西洋古典古代文学作品にあって[冥界下り]を描いた代表的作品はホメロスの手になる『オデュッセイア』とヴェルギリウスの手になる『アエネーイス』の二作品であるが、両古典共々、[トロイア崩壊にまつわる作品]「とも」なり、また、[ダンテ『地獄篇』に多大な影響を与えた作品]ともなっているとのことがある(出典(Source)紹介の部90(5)から出典(Source)紹介の部90(9)を包摂する解説部)。

 につき、(ダンテ『地獄篇』に多大な影響を与えているとの指摘がなせるホメロス『オデュッセイア』とヴェルギリウス『アエネーイス』の両作品は[トロイア崩壊と関わる作品]であるとのことは上にて記しているとおりだが)、それら『オデュッセイア』『アエネーイス』がそれにまつわるものである[トロイア崩壊]の原因と[ヘラクレス11番目の功業]及び[ヘラクレス12番目の功業]が多重的に関わり合っているとのことがある([トロイア崩壊の原因としての黄金の林檎の等価物ヘレン][ヘレンと同じくもの制約にまつわる略取対象としてのペルセポネ]らについての解説をなしての出典(Source)紹介の部90(10)]を参照のこと)。

 また、ダンテ『地獄篇』では『オデュッセイア』『アエネーイス』に大なるところとしてその役割が描かれる[トロイアに木製の馬で引導を渡した]とのオデュッセウスが[ヘラクレス第10功業に由来する象徴物(ヘラクレスの柱)]と結びつけられてダンテがヘラクレス第10功業にて殺害されたゲーリュオーンの背におぶわれて降り立った地獄の特定階層 ―悪意者の地獄たる第八階層― にて登場させられているとのこと「も」がある(『地獄篇』にて[ヘラクレスの柱]が[破滅への分水嶺]として登場してきていることを摘示しての出典(Source)紹介の部90(11)]を参照のこと)。

 上のことらよりダンテ『地獄篇』とヘラクレス12功業の関係性が一層、想起されるとのこと「も」ある。

 尚、以上、ここ補足部にて振り返って摘示したとの関係性、そのうちの[5]と振っての部(よりもって述べれば、さらに細分化して[5-a]および[5-b]と振っていたとの部)にての内容はここ従前の内容を振り返ってのセクションに入る前の最前の段にて問題視してきたところの関係性、

[ペルセポネ⇔ヘカテ⇔(際立っての相似形による接合)⇔ケルベロス]

との関係性をより色濃くも指し示すとのものとなってもいる。

 どういうことか。

 本稿にあっての[5-a]および[5-b]と振っての段では次のような流れでの解説をなしていたことが[ペルセポネ⇔ヘカテ⇔(際立っての相似形による接合)⇔ケルベロス]にも関わるのである。


[ダンテ『地獄篇』は[西洋文明の形成そのものに多大なる影響を与えているとされる文物ら(いわゆる[ウェスタン・カノン]と呼称される文物ら)の中にあっての代表的作品、すなわち、代表的古典の中のさらにもってもの代表作とでも言うべきヴェルギウス『アエネーイス』およびホメロス『オデュッセイア』と濃厚に結びつくとの作品となっている](出典(Source)紹介の部90(5)から出典(Source)紹介の部90(9)を包摂する解説部にてそうも述べられているところのひとつの指示材料を示している)

[ダンテ『地獄篇』に多大な影響を与えている先駆的古典、ホメロス『オデュッセイア』とヴェルギリウス『アエネーイス』が[トロイア戦争関連の作品]であることから[トロイア戦争の元凶]に着目してみると[テセウスとペイリトオスの誓約にまつわる女ヘレン]のことが浮かび上がってくるとのことがある(絶世の美女ヘレンが[黄金の林檎]を巡る女神らの美人コンテストにしてレフリーとして招聘された男トロイアの王子パリスに賄賂として供され、ヘレンがギリシャ王侯の人妻であったから、妻を奪われたヘレンの夫の呼びかけでパリスとヘレンの行き先であるトロイア攻囲戦が開始されたとのことは先述のことである ――出典(Source)紹介の部39―― )。そのヘレン、トロイアの元凶となった女をトロイア戦争の問題が生じる前に「も」略取した男達がいる(と伝承は語り継いでいる)。それがテセウスおよびペイリトオスの両二名となり、彼らは絶世の美女ヘレンをものにできなかった方の男はもう片方が妻君を取得するのに協力するとの約定をなしていた。結果、彼らのうちの片方が奇縁あってペルセポネを略取すべくも人の身ながらも冥界下りをなすことを決した折に両者ともども冥界下りをなすことになった。そのようなエピソードより述べられるところとして、ヘレン ――ダンテ『地獄篇』に多大な影響を与えているとのこと、先述のホメロス『オデュッセイア』とヴェルギリウス『アエネーイス』がモチーフとしているところのトロイア戦争の元凶たる絶世の美女―― が[テセウスとペイリトオスの略取対象]となっている中、[ペルセポネ]も同じくも[テセウスとペイリトオスの(ヘレンと釣り合わせるべくもの)略取対象]となっているとのことがあり、そのことがケルベロス類似存在(三面構造を取るルシファー)に最終地点でまみえるとの冥界下りのダンテ『地獄篇』にあっての寓意性とも通じている側面がある。[ヘレンとペルセポネの略取に関わる誓い]を結んだテセウスとペイリトオスは神に対する狼藉を働いたとのことで冥界の獄舎 ―蛇にて構築された忘れ椅子とも― に繋がれることになったと伝承が語り継いでいるとのことがあるのだが、そうした[トロイア戦争の元凶(たるヘレン)とペルセポネ絡みでの誓約]で結ばれた彼らはヘラクレスがその第12功業にて冥界下りをなしてきた際(ダンテ『地獄篇』のモチーフでもある冥界下りをなしてきた際)、ヘラクレスがケルベロスの捕縛を実現するなかで(本稿にての先の[1]から[4]の段にて述べているようにダンテ『地獄篇』にあって登場する三面構造のルシファーと多重的に結びついているとの三面構造のケルベロスの捕縛を実現するなかで)ついでに救出されることになったとされてもいる。そのようなかたちでも[三面構造のルシファーとの遭遇にて終息するダンテ『地獄篇』]と[三面構造のケルベロスの捕縛にて終息するヘラクレス12功業][後のトロイア戦争元凶たるヘレンと秤量されてヘレンと同じくも誓約にまつわる存在となっていたペルセポネを略取しようとしていたテセウスらの解放が試みられる12功業]には接合性がある](出典(Source)紹介の部90(10)]を包摂する解説部にてそうも述べられているところのひとつの指示材料を示している)


 上のようなことらを全て顧慮したうえでペルセポネが(ケルベロスと接合する)ヘカテと一致視されているとの最前指し示しもしてきたことを複合顧慮すると、

[トロイア戦争の元凶たる女ヘレンにまつわる誓約、それと同じくもの者達(ヘラクレスが12功業にてケルベロス捕縛のために降りた冥界で解放されたテセウス)によって結ばれたペルセポネ略取の誓約]

までもが[ケルベロス]と結びついていることに複合的関係性が自然ジネンとして見出せもするようになる(:ただ単純に[(略取対象たる)ペルセポネ]という名詞が[(捕縛対象たる)ケルベロス]に置き換えられたと考えても構わない ――これは複合性・多層性との意味でよく出来たパズルに通底するようなところがある。[トロイア戦争の元凶たる女ヘレンにまつわる誓約、それをなしたとの同じくもの者達テセウスらの間によって結ばれたケルベロス(←変換←ペルセポネ)略取の誓約]との[ペルセポネ⇒ケルベロス]変換後の式が[ヘラクレスが12功業にてケルベロス捕縛のために降りた冥界で解放された者達テセウスおよびペイリトオスの救出]とのかたちで現実に伝わっているところの伝承と接合するように「できあがっている」からである―― )。

 以上が[三面構造のケルベロスに終息するヘラクレス12功業]と[三面構造のルシファーにて終息するダンテ『地獄篇』]との間の結びつきが ――ダンテ『地獄篇』がその多大なる影響下にあるところのホメロス古典およびヴェルギリウス古典にてモチーフとされているところのトロイア戦争の元凶、ヘレンを通じもして―― [ペルセポネ⇒ヘカテ(⇒ケルベロス)]との変換式でより一層濃厚に際立ってくると申し述べるところの理由である。 

(整理がてら従前の内容を振り返っての補足部はここまでとする)


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直下、本稿冒頭部へのリンクを設けておく

(⇒冒頭頁へは下の部より)

[典拠紹介部第1頁 加速器実験に伴う欺瞞性から証示なせることについて]

 上掲なしているのは19世紀後半から20世紀前半にかけて活動の著名な挿絵家アーサー・ラッカムが英訳・再刊行されたワーグナーの原作歌劇 Der Ring des Nibelungen『ニーベルングの指環』 (英文通用化タイトルとしては[指輪]一語の The Ringとも呼称される歌劇) の書籍化バージョンに提供しもしていた挿絵を挙げたもの、より具体的には挿絵家ラッカムが『ニーベルングの指環』序盤部をなすパート、 Das Rheingold『ラインの黄金』のために作成・提供していたとの画を挙げたものとなる (ただ当媒体では同画に多少の演出を施している) 。

 さてもってして、挿絵に見る女、というより、人ならざるところの[女神]はイドゥン(Idunn)という存在を(音楽界の巨匠と認知されている)『ニーベルングの指環』作曲者リヒャルト・ワグナーがフライヤ(Freia)との名前で焼き直しなし、登場させているとの存在なのではあるが、イドゥンにせよ、Wagnerが登場させた(画に見る)フライヤにせよ、北欧神話における不死の果実であるところの【黄金の林檎】と紐付けられた存在となっている(彼女ら女神達は【黄金の林檎の管掌者】となる)。 
 そうもした黄金の林檎と紐付いての彼女ら(イドゥン/フライヤ)は、いわば、神々に瑞々(みずみず)しき【不死】を(若さ約するとの)【黄金の林檎】を介して供給しているとの設定の女神となりもし、そして、彼女らの管掌する【黄金の林檎】が北欧神話多神教の神々に最早若さを与えなくなったとのその時点が【終末のはじまり】であると描写されてきたとのことがある (:【終わりの始まり】が黄金の林檎にて供給される若さの喪失と結びついていると描写されるのはワグナー歌劇にせよ、北欧神話それ自体も同文のこととなる ――ワグナー歌劇では序盤より【黄金の林檎(とフライヤ)の担保する若さの維持】が【無限の力を蔵する指輪の保持】と一時的に秤量されるのだが、結局、【黄金の林檎】と比較された指輪を欲する強欲な心(による人界の操作)が世界の終末に繋がると描写される。他面、ワグナー歌劇より遙か前から存在していた北欧神話では(それを収めたエッダ詩の訳書を借りるなどしてもよかろうしウィキペディアの[イズン]関連項目などをご覧戴くのでもよかろうが、易くも確認できようところとして)神々の最終決戦であるところのラグナロクとされる終末局面にあって黄金の林檎によって担保されていた不老は停滞を見、老化が始まると描写される―― )。

 ここからが問題なのだが、本段、脇に逸れての訴求部にあってまわりくどくもの口上にて上の如きことを引き合いに出しているのは本稿にあって【次のこと】らを【黄金の林檎】との兼ね合いで(具体的根拠と共に)訴求している ―(画に見るイドゥン・フライヤにも関わるところとして訴求している)― からである。

黄金の林檎 ―それは北欧神話から離れてのギリシャ神話ではトロイア戦争の原因、すなわち、城塞トロイアの崩壊の元凶でもある(本稿の前半部にあって古典よりの原文引用でもってして典拠紹介のこととなる)― が【人間の終末】に関わるとの指摘がなせるようになって「しまっている」、しかも、それ(黄金の林檎)がブラックホール生成との兼ね合いで古今東西にまたがっての文物を介して【人間の終末】に関わるとの指摘が濃厚になせるようになって「しまっている」とのことが現実にある (:現況現在執り行なわれているLHC実験にあって「科学の進歩に資する」とされてのブラックホール生成可能性と紐付けられてきたディテクター(検出器)の名前が【黄金の林檎】の在処を識る巨人アトラスの名を冠する ATLAS Detectorとなっているとのことが確とある一方で黄金の林檎と接合するエデンの禁断の果実を用いての誘惑者の著名古典に見る描写が(それ自体、奇怪奇矯なることなのではあるも)今日的な視点で見た場合のブラックホールの近似的描写と紐付いている、そうしたことがそれこそ山となり、それら山とあることらが相互に多重的に接合しているとのこともが「ある」)。

・上掲図の元となっているワグナー歌劇『ニーベルングの指環』は【黄金の林檎】(を管掌する女神)と【無限の富(力)を約する指環】の取引が序章の部より描かれているのだが、(黄金の林檎を管掌する女神と秤量されての)【指環】の取得に固執した者らが強欲さゆえに次々と滅亡していくさまが同歌劇では描かれる(:その一番はじめの描写は『ニーベルングの指環』前半部にあっての【黄金の林檎】管掌者たるフライヤを略取、彼女フライヤを【指輪】との取引の具とした巨人ファーフナーとファーゾルドの兄弟が殺し合いをはじめるとの部となる)。 そのことは現実世界で「黄金の林檎と接合している」とのかたちとなっている巨大なリング状の装置、加速器ラージ・ハドロン・コライダーが【指輪;リング】に仮託される風が一部ある (『ニーベルングの指環』の影響下にあるJ.R.R.トールキン原作のロード・オブ・ザ・リング『指輪物語』に登場の冥王に由来する指環と結びつけられるなど加速器LHCが【指輪】に仮託される風が実験関係者含めて見受けられる) とのことと平仄が合うにも程があろうとの筋合いのことともなる (:ただ現況もってして、同じくものことを問題視する人間はまったくいない(心ある向きには是非とも確認いただきたいところなのだが検索エンジンで英文単語を何語か入れて当たりをつけんとしてみても【リングと黄金の林檎の結びつき】を加速器との関係で目立って問題視するような向きはこの世界にはいない))。

・上にて先述のように【ギリシャ神話におけるトロイア崩壊の元凶】「でも」あるとのゴールデン・アップルがそれ(黄金の林檎)に関連する事物ら(巨人ATLAS「など」)を介してブラックホール生成をなす可能性があるとの加速器 ―巨大な【リング】でもある― と結びつくとして、である。 現在にあって巨大加速器実験を実施している「研究」機関ら、および、そちら「研究」機関らに携わっていた初期の紐帯がどうやって世に生み出されたのかもがワーグナーの『ニーベルングの指輪』に通ずる側面がある。 どういうことか。 現況、加速器実験を執り行なっている主たる研究機関ら(それら研究機関らは、と同時に、ブラックホール生成可能性に伴うリスクとの観点で中途半端に海外で法廷に引きづり出された研究機関ら「でも」ある) はその沿革上、
【マンハッタン計画の子供ら】
となっているとのことがある ―同じくものことは長大な本稿本文の部にあって(入念を心掛けての)指し示しの対象としていることでもある― のであるが (:またもってして核分裂の過程に通ずる原子核人為破壊を兵器転用なそうとしたとのマンハッタン計画にあっての挙、そちら核兵器を製造するプロセスと加速器実験にての原子核人為破壊のプロセスは同一方向のベクトルを指している ―無論にして同じくものことの典拠をも本稿本論部で入念に挙げている― )、 マンハッタン計画と今日の加速器実験(におけるブラックホール生成に通ずる挙)の縁(えにし)の深さはそれ以外にも濃厚に認められるとのことがある(たとえば円形加速器という装置をそもそも生み出した者達がマンハッタン計画の主導者となっていたとのことがある等々)。
 そうもした(加速器実験運営機関を生み出した)マンハッタン計画始動の原因になっているユダヤ系の迫害の挙に出たナチスのやりよう・躍進・劫略のプロセスはワグナー歌劇『ニーベルングの指環』と濃密に結びついているとのことがある(『指環物語』作者ワグナーがユダヤ系の向きらにあって反芸術・野蛮の象徴である忌避すべき象徴とされてきたのはナチス第三帝国およびその領袖ヒトラーが反ユダヤ主義を大っぴらに喧伝していたリヒャルト・ワーグナーを最大限重要視していたとの歴史的事実があるからであり、たとえば、ナチスの実行してきた非道なる命令体系、占領統治下の反体制派・レジスタンスを夜陰に乗じて密やかに処分することを目しての行政命令であるところのナハト・ウント・ネーベル( Nacht und Nebel )、【夜と霧】行政命令 ―日本では Man's Search for Meaningとの原題を有した心理学者ヴィクトル・フランクルの書籍の「邦題」として識られている語でもある【夜と霧】(収容所が絶滅収容所へと変遷していく画期を象徴する語であるとも認識されている)― などはワグナーの『ニーベルングの指環』に由来しているとのものとなる ――※ウィキペディア[夜と霧]項目などにおいても簡明な解説がなされてはいることだが(であるから疑わしきはその程度の媒体からでも確認いただけるであろう)、ナチスドイツが欧州にて反対派を掃討するための共通規則とした【夜と霧】命令はヒトラーが愛聴していた、そして、ナチス体制下の国家芸術の象徴として扱われていたリヒャルト・ワグナーの『ニーベルングの指輪』、その『ラインの黄金』にあっての一幕(の中の[ニーブルヘルム]の下り)にて侏儒(ドワーフ)のアルベリヒが隠れ頭巾を用いて姿を消す際に口にする台詞、「夜と霧になれ、誰の目にも映らないように.」に由来しているとのことが知られている(にまつわって述べておけば、【夜と霧の呪文】を唱えたドワーフ・アルベリヒは強欲さの象徴でもあり、絶大な力をもたらす【呪いの指環】そのものを生み出した存在でもあるとワグナー歌劇では設定付けがなされているキャラクターである)―― 。

 以上のことはそれだけを読まれる限りは何が問題になるのか判じがたいとのこととなろうかとは(当然に)思うのであるが(理解を阻む詰め込み過ぎの風もあったかと脳裏をよぎりもしている)、同じくものことにまつわっての指し示しを細々となしもしている、また、そこからさらにもってして何が述べられるのかの指摘を委細を尽くしてなしているとの本稿本論部をご検討いただければ、【ことの重篤さ】 ―重篤さというのは【執拗さ】の問題として何が企図されているのかに通じもしていることである― についてご理解いただけるか、と考えている。

当サイト内にあっての【各頁および各典拠への一覧方式遷移部】、及び、【PDF形式文書配布ページ】へのリンクを直下、設けておく

各頁および各典拠への一覧方式遷移部へは以下より


問題となる[「予見的」言及→実現]の体系についての[典拠紹介部]一覧呈示頁

PDF形式文書配布ページへは以下より


典拠解説媒体としての[一括PDF文書]の公開頁

ここ本頁内の記述内容を支える【「容易に後追い確認なる」「堅い」ソースを呈示しての出典紹介部ら】への[遷移経路]を下に設けておく典拠について疑わしいとの部があれば、必要に応じて参照されたい (:クリックすることでブラウザ ―インターネット閲覧ソフト― の[別タブ(別枠)]にて典拠紹介部を表示( open "additional" tabbed window(s) of web browsers

[出典(Source)紹介の部55](ダンテ『地獄篇』およびミルトン『失楽園』にあって[「今日的な観点で見た場合の」ブラックホールの質的近似物]が描写されていることにまつわっての出典紹介部55)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第46頁 ダンテ『地獄篇』とミルトン『失楽園』に見るブラックホールに通ずる描写

[出典(Source)紹介の部55(3)](ダンテ『地獄篇』およびミルトン『失楽園』にあって[「今日的な観点で見た場合の」ブラックホールの質的近似物]が描写されていることにまつわっての出典紹介部55(3))
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第47頁 ダンテ『地獄篇』とミルトン『失楽園』に見るブラックホールに通ずる描写[2]

[出典(Source)紹介の部90](ダンテ『地獄篇』がいかようにして[ヘラレクレス12功業]と接続性を呈しているのかについての出典紹介部90以降の部)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第99頁 ダンテ『地獄篇』に見る地獄降下、そして、ブラックホール

[出典(Source)紹介の部90(5)](ダンテ『地獄篇』がいかようにして[ヘラレクレス12功業]と接続性を呈しているのかについての出典紹介部90(5)以降の部)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第101頁 ホメロス、ヴェルギリウス、そして、ダンテ

[出典(Source)紹介の部91](エレウシス秘儀についての基本的性質から紹介しだしているとの出典紹介の部91(以降)の部)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第103頁 エレウシス秘儀、女神デメテル、女神ペルセポネ

[出典(Source)紹介の部93](エレウシス秘儀についてさらに込み入ってのこと、現代のフリーメーソン思潮などとの接続性について典拠となるところを紹介しての出典紹介の部93(以降)の部)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第104頁 古代にての女神ペルセポネの秘教会とフリーメーソン