典拠となるところの明示[152]――物理学者フランク・ティプラーを目立っての
主唱者とするオメガ・ポイント理論。そこに伴う奇怪なる側面について

関連情報にまつわるカテゴリ(各部クリックにて遷移)

ホワイダニット(何故、そうもしたのか)に関わる点として考えられる事柄らにまつわっての分析 (まずもってのこととしてオメガ・ポイント理論に着目しもした場合、何が問題となるのかについて指摘する)

(直前頁まででもってして[意味的分析 ―多重的関係性にみとめられる[意味]に着目しての分析― ][確率論的分析 ―多重的関係性にあっての多重性それ度合いを計数的に重視しての分析― ]との二本立ての分析をなし終えたとし、)

 さて、延々長大なるものとしてしたためもしてきた本稿に対して走らせてきた(遮二無二もってしての勢いから言えば、それこそ「奔らせてきた」とでも言うべきか)筆もそろそろもってして擱(お)くべきときか、との観点もあるのだが、

[ブラックホールに通ずる異常異様なる先覚的言及が執拗になされてきた(と遺漏なくも摘示できるようになってしまっている)]

とのそのことについて考えられるところの動機の問題についても書き記しておきたい。


[動機]に関する分析として


 明らかに人為によってそこにあるとの、

[犯行の証跡] (無惨に引き裂かれている、それでいて、野獣に殺害や自然災害による死歿ではありえないかたちでグロテスクに[装飾]されているとの死体などでもいい)

は見てとれるし、本稿ではその指し示しにひたすらに注力なしてきたわけではあるも、他面、本稿では

[犯行の動機] (何故、そうもした犯行をなしたのか)
[犯行の機序] (どうやって殺人を起こしたのか)

については満足に論じてこなかったとのことがある。

 何故か。

 折に触れて長大な本稿の中でも言及してきたこととはなるが、については、そう、[犯行動機]や[犯行機序]について満足に論じてこなかったのは

[犯行をなした存在「以外」には全面の理解が及ばぬとの式]

がそこに関わることとなる、それがゆえに、といった話を延々なすと

「属人的な揣摩憶測の類の如きものであろう」

との非難を不可避的に受けることになる、それでもって本稿の値打ち ―(理ではなく情でばかりものをとらえるとの向きが多いとの世人がどう見るのかによって玉虫色に変化する[相対的値打ち]の類ではなく具体的事実を遺漏無くも摘示しているとの意味での[絶対的値打ち]でもいい)― が減じることになるとの判断があったからである。

 以上、先立っての段でも記した[犯行動機]や[犯行機序]についての言及の僅少さにまつわる断り書きを繰り返しなしもした上で申し述べるが、ここ以降の段では

(本稿にて忌避していたところとして)[筆者目分量]もが介在しているところの[犯行動機]の分析

を呈示しておくこととする。

 については前もって強くも断っておきたきところとして

「[犯行動機]の問題については属人的目分量が影響している(というより影響せざるをえぬ)ところであるために何であれば、[一つの考え]に過ぎぬと斥けていただいても構わないところである」

「本稿の真価は問題となる事実関係ら ―第三者が容易に裏取りなせるとの事実関係ら― 、および、そこに伴っての露骨な恣意性の指摘をなしたことそれ自体にある」(人間存在の尊厳を徹底的に軽視し、歌会で歌の雅趣を競うように人間に対する殺人行為を戯(たわむ)れになしている節とてある種族が存在している、そして、そうもした種族によって[人間存在を(何らかの効用のために)圧倒的な犠牲に供する必要がある]との執拗な意思表示がなされてきたとのことがある、とのことを遺漏なくも示している時点で本来的には(人間が滅ぼざるをえぬ種なら格別、)本稿はその役割を全うしているはずであろうと筆者は考えている)

と申し述べた上でのこととして

[犯行動機の問題] (「何故、それがなされたのか」、ホワイ・ダニットの問題)

について推し量れるところを述べていきたい。

(:そうまですることにしたのは[自身で物事を判断するのに手間取るとの読み手]を想定して「何故、そういうことが見てとれるのか」とのことについて[考えられるところ]を呈示することも必要かとの観点がありもし、またもってして、[悲劇](そこにある犯行の[証跡]の問題でもいい)が現出しているとのその背景にありうるところの事情について[費用コスト]と[効果ベネフィット]の面で考えられるところの呈示までをもなすのも極めて長大なる本稿のようなものをしたため、その内容を世に問おうとしている人間に最低限求められている[節義]か、との判断があったとのこと「も」ある ――※[義務][節度][節義]等等と述べると、「背負(しょ)っていやがる.何様のつもりだ。こいつは....」「大した誇大妄想の徒輩だ.お偉い救世主さまかなにかにでもなったつもりか」などと[筆者の側に決して立たぬ人間ら][筆者のような人間の前に石を置こうとの者達](劣化した諸種の紛い物の供給母体かもしれない)は否定的な申しようをなすことかとは思う。当然にそう思うのではあるも、それが[個人意中ひとつの問題で済むか]との点に関わるところとして、(つい先立ってもそれについて断ったように)筆者は伊達や酔狂でこのような長大な文をしたためているわけではない。また、このような世界に対するいわばもってしての愛郷の念、相応の輩らを大量に含む人間存在に対する自己犠牲精神、そんなものはナンセンスであると考えており、[救世主]などとの観念をおよそ馬鹿げたものであると見つつ([闘士]ならいざ知らず、筆者は[救世主]などとの概念は揶揄ややらせの産物、そうでなければ、[闘わぬ者達が世を救うとのスタイルを押しつけられた役者あるいは人形に対して抱くくだらぬ甘え]以外の何物でもないと見ている)、筆者はただただ[この身自身および自分が守ろうとする者(そして信ずるところの道義的に正しいと判じられるところ)のために命を賭ける]との自然なる情に基づき伊達や酔狂などとは全く別の心境にてこのような長大なる文書をしたためている(と強調したい)。であるから、[節度][節義]といった言葉をこの身、筆者が使おうとも何卒、[伊達や酔狂の産物][背負(しょ)っている類の自己陶酔がゆえの妄覚・妄言の類]と軽々に断じないでいただいものではある。尚、[必死さ]をして「ださい」「痛い」と厭うのは勝手だが、[生き死ににダイレクトに関わる(と具体的材料より判じられるところ)で[必死]になれぬ手合い]は「ださい」「痛い」にすら値しないもの、[存在として[殺され][食われる]のを是とするような「極めて」愚劣な存在]と見られてもやむなしと心ある者は認識すべきであろうとも申し述べておきたい)―― )

 前置きはここまでとして、それではこれ以降、

[特定事実関係現出の背後にあると解される動機にまつわる問題] (ホワイ・ダニット「何故それをなしたのか」にまつわる問題)

について ―[具現化しての人間悲劇]の背後にある[執拗さ]についてそこまでの見解を呈示しなければ語るに値する読み手らにおかれても膝を叩かれるとのことはなかろうとの判断から― [ひとつの可能性]を推察(guess)として呈示していくこととする。

 さて、(唐突とはなるが)、筆者は2012年上半期からして自身が設立した会社の名前で加速器実験機関に足を運んでそこへの取材活動をなし、エポックメイキングなことをなしもしていたと知られている国内物理学者(迷惑をおかけしたくはないので具体的姓名は挙げない)の向きなどに
[フランク・ティプラー]
という米国人物理学者の手になる著作、

The Physics of Immortality: Modern Cosmology, God and the Resurrection of the Dead (直訳すれば、『不死の物理学:現代の宇宙観、神、そして死者の復活』ともなろうタイトルの著作となるが、現時、未邦訳)

を引き合いにしての質問を[推理]にまつわるところでの質問を相対でなしだしていた ――(常識的話柄に落とし込んでのそうもした質問をなしだした時分にあっての取材活動の趣意としては[LHC問題について関係者がどういった目分量を抱いているのか]とのことを把握したかった、そういうことが主にはあったわけだが)―― 。

 今を去ること数年前(2012年上半期)から専門家らにそれにまつわっての質問「をも」あわせてなすとのことをなしはじめていたのは

そこまで力を入れて[推理]をなすべきかと判じたところのホワイダニット (何故そうなのか) に関わりうる問題

として米国人物理学者フランク・ティプラーの著作たる The Physics of Immortality: Modern Cosmology, God and the Resurrection of the Dead『不死の物理学:現代の宇宙観、神、そして死者の復活』に[重要な示唆]がなされている節が如実にある ―異常異様なる二重話法の臭いが伴いもするところとして[重要な示唆]がなされている節が如実にある― との判断が筆者にあったからである

 につき、往時を振り返り、[推理の材を得るのに注力していたものの、ただ、の中にあっても今ひとつのところがあった]とのところも他面であるのだが (自分自身に言い訳がましくも述べれば、[往時、極めて体調が悪かった]そして[絶望と通ずる心根に苛まれていた][マルチ・タスクで配分がおろそかになりもしていた]等等とのことがあって詰めに欠けるところがあった)、 とにかくもってして足を動かして判断材料の収集をなす程度に力を入れていた[推理]の問題に関わるところとして、フランク・ティプラーという物理学者の著作、 The Physics of Immortality: Modern Cosmology, God and the Resurrection of the Dead((現時未邦訳)『不死の物理学:現代の宇宙観、神、そして死者の復活』)には以下のような内容が見てとれる。


[返らずもの死者を「黄泉」返らせる]
[神に見紛う究極機械を造りだし、万難を排せるとの世界を実現する]
[時の呪縛を超越して[時の果て]にある理想郷を実現する]


 以上のことら、世間一般の普通人にはあまりにも突き抜けた絵空事と当然に見えもしようとのティプラー著作にみとめられる内容は筆者が2010年に遡るところとしてオンライン上情報や洋書書籍(原著および訳書)にてその概念について煮詰め続けてきたとの概念、

[オメガポイント]( Omega Point Thoery

と「濃密に関わる」ところのものとなる(※)。

(※筆者が[オメガポイント]について思索を深めていったとのそもそもの経緯は直近先述のThe Physics of Immortality: Modern Cosmology, God and the Resurrection of the Dead(1994/現時未邦訳)との著作の読解をなしたとのことに遡るところなのだが、同概念について突き詰めて考える必要があると判じたとのそのことについてさらに述べれば、長大なる本稿の冒頭部エピグラフの部(冒頭にてのコンセプト明示のための引用の部)にてその文言を引用してもいるとの著作、

The Singularity Is Near: When Humans Transcend Biology(原著は2005年刊、こちらは訳書も出ており、日本語訳書2007年刊)

との著作 ―(原意に近しくもタイトルを訳せば、『特異点の時は近い.人類が生体組織を超越するとき』とあいなるとの著作なのだが、(現)NHK出版より出されているとの訳書に見る邦題は『ポストヒューマン誕生 コンピューターが人間の知性を越えるとき』となっているとの著作(かなり大胆なる意訳である))― の内容を検討しもして、そちら著作内容からして(強くも抱いての推察guessの問題として)[二重話法; Double Meaning]に関わっていそうである、[人間の不幸の本質]に関わっていそうであるとのことを[Sigularity;特異点]との概念との絡みで思料するに至ったとのことがあるからである (:筆者はブラックホール生成問題との絡みで何が問題になるのか数年来、探索をなすとのことをなしていたのだが、の中で、(ブラックホールの中心にも重力にまつわるパラメータ-の問題としてそれがあるとの)[特異点]との概念についての思索もできる範囲でなすとのことをもなしており、そうした中でレイ・カーツワイルの表記著作『ザ・シンギュラリティ・イズ・ニア(特異点のその時は近い)』の意味合いを深くも考えるに至ったとのことがある) )

 物理学者フランク・ティプラーの手になる The Physics of Immortality: Modern Cosmology, God and the Resurrection of the Dead(1994/現時未邦訳)の内容にあって何がどう二重話法がかっての側面を帯びているのかについて原著それそのものの内容を引きながら懇切丁寧を心掛けての解説をなす前に、まずもっては、

[オメガポイント]

とは何かについて概説的なる説明をなすことからはじめる。

 その点、オメガポイントという概念については、(筆者が物理学者にそれにまつわっての取材活動などでの突き詰めての質問までをなすにまで至っていたとのその後に)、

[陰謀論系の[役者]の国内特定出版物を介してのそれ(オメガポイント)にまつわってのたわごと・ざれげんの放出 ――差し障りなかろうとの範囲で述べれば、[思考し意志力ある人間に相応しいとの明瞭明晰な思索]を伴わぬ馬鹿げた抽象論・観念論をもっぱらに展開し、あわせて、裏取り出来る余地が何らないとの伝聞ばかりを[詐狂者めかしてのわざと戯画化している節ある誇大妄想および被害妄想]とごった煮にして流布しているといった手合いらによるざれげんの放出 (具体的な[芸名][社名]は付さないが、計画的に用意された節ある愚書の類によるざれげんの放出ともなり、それは「本稿筆者自著『人類と操作』の出版経緯にあっての背面から刺すような介入やりようから」動向観察してきた大手出版社出入りのスピンアウト人脈(大規模宗教団体とも接合する人脈と把握している)に由来する特定出版物を通じてのざれげんの放出ともなる)―― ]

の動きなど「も」目立って捕捉することになっていたとの概念とはなるものだが (そうもした類を介してのオメガポイント理論の取り扱いを不愉快に捕捉した折には真実に近しいところであるから、却(かえ)って、相応の紛い物 ―この国で産業として陰謀論を流布させられている国際的「仏教系」宗教団体とも接合する人脈― を用いて陳腐化がなされているのかもしれないな」「人間にはそうした[屑](としか述べられぬ戯言)しか与えぬとの悪意の賜物かなどとも見たものではある)、 同オメガポイント 、

[歴(れっき)とした科学哲学の仮説上の概念としての地歩]

を確立しつつあるものでもある。
 にまつわってはオメガポイントについて衆目につきやすきところでなされている通俗的説明を引くことからはじめたい。

(直下、まずもっての基本的なるところとして、英文Wikipedia[ Omega Point ]項目よりの引用をなすとして)

The Omega Point is the purported maximum level of complexity and consciousness towards which some believe the universe is evolving. The term coined by the French Jesuit Pierre Teilhard de Chardin (1881-1955). In this theory, developed by Teilhard in The Future of Man (1950), the universe is constantly developing towards higher levels of material complexity and consciousness, a theory of evolution that Teilhard called the Law of Complexity / Consciousness.
[ . . . ]
Frank Tipler uses the term Omega Point to describe what he maintains is the ultimate fate of the universe required by the laws of physics. Tipler identifies this concept as the Christian God and in later writing, infers correctness of Christian belief from this concept. Tipler (1994) has summarized his theory as follows:
[ . . . ]
Key to Tipler's exploration of the Omega Point is that the supposition of a closed universe evolving towards a future collapse. Within this universe, Tipler assumes a massive processing capability. As the universe becomes smaller, the processing capability becomes larger, due to the decreasing cost of communications as the systems shrink in size. At the same time, information from previously disconnected points in space becomes visible, giving the processors access to more and more information. Tipler's Omega Point occurs when the processing capability effectively becomes infinite, as the processors will be able to simulate every possible future before the universe ends - a state also known as "Aleph".

(補いもしながら訳を付すとして)
オメガポイント (訳注:ギリシャ語アルファベットにての最後の文字Ωオメガから終着点のポイントとの意味合いがある) とはそこに向けて宇宙が進化していく方向であろうと幾人かの向きが信ずる[複雑性の構造及び意識レベルの絶頂のポイント]のことを指す。 同用語オメガポイントはフランスのイエズス会士テイヤール・ド・シャルダン(1881年生1955年没)によって造語されたものとなり、テイヤールによってその著作『未来の人』(1950)によって発展させられたオメガポイント理論によれば、テイヤールが複雑性・意識性の法則と呼ぶ進化の理論にて宇宙は定常的に物質的複雑性および意識の高みに向けて発展していくことになるとされる (訳注:尚、本稿筆者もテイヤール・ド・シャルダンの著作、例えば、みすず書房という「堅い」書籍ばかり出す出版社から出ている『テイヤール・ド・シャルダン著作集2 自然における人間の位置 人間のエネルギー』といったものを読み、彼の思想が精神圏[Noosophere]、惑星のような巨視的存在にまで拡大した人間存在で示されるものであることを把握している) 。
・・・(中略)・・・
(物理学者の)フランク・ティプラーは(テイヤール・ド・シャルダンによって編み出された)オメガ点という言葉を
[物理学の法則によって要求される宇宙の究極的運命]
について自己の考えるところを表するために用いている。ティプラーは同概念 (オメガ点) を後の書き物にて[キリスト教の神]として同定、同概念からキリスト教信仰の正当性を暗に示すとのことをなしている。 
・・・(中略)・・・
(物理学者の)ティプラーのオメガ点概念の説明のキーとなるところの説明は未来の崩壊に向けて歩みを進める[閉じ行く宇宙]を想定するとのものとなる。ティプラーはそうもした[崩壊していく宇宙]にて大規模な処理能力を想定するとのことをなしており、宇宙が(収縮にて)縮小していく中でサイズ縮退に伴う通信コストの減退に応じて処理能力が向上していくとのことを想定している。と同時に、従前、宇宙にて不連続であった各点らが可視化、処理装置がより多くの情報にアクセスできるようになると想定しているティプラーのそうもしたオメガポイントは(機械の)処理能力が無限大に近しくも効率的になった際に生じ、そこでは処理手順が[宇宙が終わる前に生じえた全てのありうる未来]をシュミレートできるようになる(機械が世界のすべてをありうる限りに再生できるようになる)との[アレフ]との状況に至るとするものである

(訳を付して引用部はここまでとする ―※― )

(※尚、フランク・ティプラーの提唱したオメガ・ポイントについては[宗教と科学を融合させての「似非科学」の決定版](縮退を続ける宇宙にて縮退がゆえに機械によって再生されえるようになった世界とキリスト教における天国の観点を結びつけるなど宗教と科学を融合させての「似非科学」の決定版)などとの批判もなされている。 同じくものことについては英文Wikipediaにおける[ Frank J. Tipler ]項目にあって(以下、引用なすところとして) Tipler's Omega Point theories have received criticism by physicists and skeptics. George Ellis, writing in the journal Nature, described Tipler's book on the Omega Point as "a masterpiece of pseudoscience ... the product of a fertile and creative imagination unhampered by the normal constraints of scientific and philosophical discipline", and Michael Shermer devoted a chapter of Why People Believe Weird Things to enumerating what he thought to be flaws in Tipler's thesis. Physicist Sean M. Carroll thought Tipler's early work was constructive but that now he has become a "crackpot"「ティプラーのオメガポイント理論は物理学者らおよび懐疑論者らよりの批判に曝されている。ネイチャー誌書評にての寄稿にて(物理学者の)ジョージ・エリスはオメガポイントにまつわるティプラー著作を「疑似科学の傑作、通常の科学および哲学の規範の縛りから解き放たれた肥沃(放埒)なる独創的想像の賜物.」と表し、そして、(職業的懐疑論者の)マイケル・シャーマーは自著『何故、人は奇怪なものを信じてしまうのか』(早川書房から出されている邦題タイトルは『なぜ人はニセ科学を信じるのか?』)にあって自身がティプラー理論の欠陥と考えることを挙げるのに一章を割いている(訳注:同著内記述については意図して本稿の後の段に引用する)。 物理学者のショーン・M・キャロルはティプラーの初期の著作を建設的なるものとしつつもティプラーが変人(Crackpot)に成り下がったと考えているようである」(訳を付しての引用部はここまでとする)と記載されているところでもある)

 上のたかだかウィキペディア程度の媒体にてなされている通俗的説明の引用をもってして
[オメガポイント]
がいかなるものなのかについて一面でご理解いただけたものか、と思うのだが、同オメガポイントにまつわる現代物理学に依拠しての概念は(上の引用部に見る向きたる)物理学者フランク・ティプラーの独創のみによって構築されたものではない(:実体実質はともかくも、俗間にて何かを識り、考える能力があるなどとされている[識者階層]に分類されているような人間でも当該分野について何も識らぬとの人間などは往々にしてそこからして、そう、[概念提唱の経緯の問題]からして誤解曲解を呈しうる(何も識らぬ中で中途半端に調べもした段階で「ティプラーという旋毛が左向きがかった者が一人でオメガポイントなる概念をこさえたのであろう」云々と誤解なしえる)かとも思うのだが、本稿本段で重んじているとのオメガ点には ―すぐ後にて解説するように― [科学哲学概念]と表するに足りる歴とした沿革・理基盤板が伴っている)

 その点、世間一般ではオメガ点の旗手とされる物理学者フランク・ティプラー自身が(彼がその体系的ヴィジョンを示して見せたことで知られる)オメガポイント理論というものについて
「己一個のアイディアとして煮詰めたものではない、先達らの事績・一般的科学法則から導き出せるものである」
と懇切丁寧に解説しているとのことがある。

 に関しては(上にての英文Wikipediaにもその名が表記されている)イエズス会士テイヤール・ド・シャルダンがおおよそ今日のそれに通ずる先覚的概念としてのオメガ点を提唱し (先述なしたところの著作、そのエポックメイキングなる内容で知られるティプラー著作である The Physics of Immortality : Modern Cosmology, God and the Resurrection of the Dead『不死の物理学:現代の宇宙観、神、そして死者の復活』にあっての III. Progress Against the Eternal Return and the Heat Death(第三章『永劫回帰と(宇宙の)熱的死に抗っての進歩』)にあって Frank Tiplerはテイヤール・ド・シャルダン( Teilhard de Chardin )の視点が現代物理学の観点でもって見た場合のオメガポイント理論と相通ずる側面をいかように先覚的に呈していたのかにつきテイヤール申しようを事細かに引用なしながら懇切丁寧なる解説をなしてもいる)、 テイヤールの先覚的理論が既に登場していた段階で
オメガポイントにまつわる科学的解法
が著名物理学者フリーマン・ダイソンら (の提唱した式に対する「反対」解釈) によって先行して現われもしてきていたとティプラーが手ずから自著にて細かくも解説しているとのことがあるのである。

 そう、物理学者フランク・ティプラー (同輩の「科学者」らにはクラックポット、[変人]との評価をなされているようだが、[神]を[終末に到来する万能機械]で説明なそうとしていたとの意味で話題を引っさらった物理学者) は
「先達ら専門家の知的成果を自著にて最大限援用しながら」、
オメガポイントのことを世に呈示しようとのことをなしているのである (:本質的なところではすかすかになっている節もある和文情報のことは脇に置き、往々にして衆人の目につきやすき英文情報ではオメガポイントがティプラー一個の独創であるように論じたてるものが多いとも見えるわけだが、ティプラー著作にはアカデミズムの世界で生きていた人間らしい節義かとも受け取れるところが多分にみとめられる)

 同じくものことを示すティプラー著作よりの端的なる引用をなしておくこととする (:尚、これよりそこよりの引用を度々なしていく所存であるとのティプラー著作 The Physics of Immortality: Modern Cosmology, God and the Resurrection of the Dead『不死の物理学:現代の宇宙観、神、そして死者の復活』は幅広くもの読者層を想定したものであると見受けられる書籍として(理系での大卒程度の[教養]を有し英語を読み解ける(あるいは読み解く意志の力がある)限りにおいては)比較的分かり易いものであるとのものとなっている ――※何故、そうした「平易」かつ「エポックメイキングな内容を有した」九〇年代初出の書籍が今日に至るまで日本語版として訳出されてこなかったのか、国内の理学系の学者ら(学者との肩書きがそも、唾棄すべき偽りの世界の空虚な立ち位置上のことかと見えもするところとして常識的なことしか言わぬしやらぬであろうとの役者揃いかと映りもする国内の学者ら)が諸共、訳業に逡巡・忌避でもしたとでもいうのか、その不可解性は置くとして、とにかくものこととして、同著、[比較的分かりやすいもの]となっている―― )。


| 出典(Source)紹介の部115 |

 ここ出典(Source)紹介の部115にあっては

[物理学者フランク・ティプラーが主唱するオメガポイント理論は先行する物理学者ら思索を煮詰めてのものであるとティプラー自身によって細かくも解説されている]

とのことの典拠を挙げておくこととする。

(直下、 The Physics of Immortality : Modern Cosmology, God and the Resurrection of the Dead『不死の物理学:現代の宇宙観、神、そして死者の復活』にあってのオメガポイント理論登場経緯にまつわる端的な記載部 ( III. Progress Against the Eternal Return and the Heat Death第三章『永劫回帰と(宇宙の)熱的死に抗っての進歩』にての The Triumph of Progress「進歩の勝利」(ないしトライアム・[勝利の凱歌]と訳すべきか)の節) よりの引用をなすとして)

Although Teilhard's work inspired the name of the Omega Point Theory, the actual content of the theory was inspired by Freeman Dyson's extraordinary 1979 paper Time Without End: Physics and Biology in an Open Universe. This paper is important because it is the first attempt to calculate in a rigorous way, using the known laws of physics, what life must do in order to survive forever. Where Bernal, Haldane, and Teilhard speculated, Dyson computed. His mathematics established beyond question that infinite survival is very difficult: it cannot occur in just any universe. But thereby Dyson established the field of physical theology, because this very difficulty means the Eternal Life Postulate has experimental consequences: only if our own universe has certain very special properties can the postulate be true. Dyson attributes the Eternal Life Postulate to Bernal (and, to a lesser extent, Haldane), but he claims the idea of applying it to the remote future he got from a 1977 paper by the Muslim astrophysicist Jamal Islam, who comes from and now lives in Bangladesh. What Islam did was to calculate how matter would evolve in universes which expand forever. Dyson then asked what life would have to do in order to exist on matter that behaves in this way.
[ . . . ]
Interestingly, Dyson's “philosophical bias” was the exact opposite of Teilhard's, who believed, as I do, that life can evolve into infinity only in a finite closed universe. Dyson dismissed the idea of life continuing forever in a closed universe in a single paragraph:
[ . . . ]
But I do know the answer to Dyson's question: it's not possible. More precisely, I shall prove in the Appendix for Scientists that if a closed universe starts to collapse, if gravity is always attractive, and if determinism holds, then every part of the entire universe, without exception, collapses in finite proper time to zero volume while the temperature goes to infinity. There is no way life could stop this collapse.
[ . . . ]
But stopping the collapse is the last thing life would want to do. It is the very collapse of the universe itself which permits life to continue forever.

(かなり細かくも[訳注]で補いもしての拙訳として)
「 (ティプラーが自らの理論深化の経緯に語っているとの[主語ティプラー]との文脈にて) オメガポイント理論の名称はテイヤール・ド・シャルダン著作よりインスピレーションを受けて決したのだが、理論の現実上の内容はフリーマン・ダイソン (訳注:同フリーマン・ダイソンは[ダイソン球]といった概念の提唱者としても知られる向き、数学畑出の天才肌の著名物理学者となる) の1979年の際立ちもしての論文
Time Without End: Physics and Biology in an Open Universe『開かれた宇宙における物理学と生態系における「終焉無き」時間
よりインスパイアされもしたものとなる
 (本稿にての訳注として:ティプラーは[フリーマン・ダイソンの書く Open Universe[開かれた宇宙]]ではなく[ Closed Universe[閉じていく宇宙]]こそが[[神と化す機械]の物理的登場可能性]に関わると専らに論じている、そこにこそ、オメガポイントを導き出す解法があると論じている) 。
 フリーマン・ダイソンの同論文( Time Without End: Physics and Biology in an Open Universe )は
生命が永劫に生き続けるためになさねばならぬ
ことを厳密なやりようで計算する最初の試みをなしたとのものがゆえに重要たるものである
 バナール
(訳注として:欧米では著名な科学者となっている英国のジョン・デズモンド・バナール John Desmond Bernalのことを指す ―同バナール、主著として The World, the Flesh & the Devil: An Enquiry into the Future of the Three Enemies of the Rational Soul『世界、肉体、そして悪魔.理性的精神の三つの敵の性質に対する問い』(1929)をものしている学者、他に訳書として筆者もその古書化した版を試みに読したことがある『生物の起源』(岩波新書)をものしている学者となりもし、Biophysics[生物物理学]を切り拓いたことで有名な学者である― )、 ホールデン (訳注:J.B.S Haldaneことジョン・バードン・ホールデンのことを指す ―同ホールデン、世間的には『ダイダロス あるいは科学と未来』との人工子宮による機械的養殖人間にまつわる初期的言及小説の作者としてもよく知られる生物学者だが、ティプラーはその最終稿に至らずにもの Dialectics of Nature『自然にての論理的答弁』との書の内容を問題視している― )、 そして、テイヤールが推察を巡らしたところでダイソンが計算をなしたのである(訳注:ジョン・デズモンド・バナールの The World, the Flesh, and the Devil『世界、肉体、そして悪魔(副題:理性的精神の三つの敵の性質に対する問い)』がフリーマン・ダイソンに永劫に生きる道を計算することになる契機を与えたともティプラーは別の段で解説している.この際、影響・被影響の環の中にある書名がそれからして[二重話法がかってかぐわかしくも映る]ことは置き、である)
 ダイソンの数学(的やりよう)は永遠なる命が
[とてつもない困難を伴う]( infinite survival is very difficult
とのことを[疑いもなくに( beyond question )、]のところとして確認なしもした。すなわち、そうしたもの(永遠なる命)はいかなる宇宙にても生じえなかろうとしていた。
 しかし、ダイソンは[永劫の命の仮説]をして実験的なる結果の問題としもした、すなわち、
[我々の宇宙が特定の仮説が真なりし場合にのみの極めて特殊な特定の属性らを帯びている場合にあっての実験的な結果]
を問題としもしたことで[物理的なる意味での神学]を定立することとなった。
 ダイソンは永遠の命の仮説をしてバナールに帰さしめている(そしてそれに劣後するかたちでホールデンに帰せしめている)のだが、彼は遠未来に当てはめての同観点をバングラデッシュ出身にして同バングラディシュ在住のムスリム(イスラム教徒)の天体物理学者ジャマル・イスラムの1977年の論文から得たと主張してもいる。
 ジャマル・イスラムがなしたことは永劫に拡大する宇宙にていかように物質が進化するかであった。ダイソンはそこから生命はそうもした環境で振る舞う物質として存在する場合にて何をなさねばならぬのかとの問いを発することになる。
・・・(中略)・・・
 興味深いことに[ダイソンの哲学上の偏見]は
[テイヤール(訳注:オメガポイント理論の旗手たるテイヤール・ド・シャルダン)の信じたもの]
と正確にもの反体の性質を呈するものとなっており、このように私(ティプラー)は(ダイソンの前提に置いている[開かれた宇宙]に対して)[無限に閉じ行く宇宙]にてのみ生命は永遠に発展していくことが出来るとの帰結を見出したのである。
 ダイソンは[[閉じた宇宙]にての[生命の継続]の観点]をたったの一文のみで斥けようとしている。
・・・(中略)・・・
 しかし、私はダイソンの呈示している疑問に対しての回答を知っている。「それはありえるような話ではない」。より端的に述べれば、[閉じた宇宙]がもし崩壊を始めたのならば、そして、重力は常に引き寄せの力を呈しているのであれば、そして、決定論的観点が当てはまるのならば、例外もなく全宇宙の全パートが温度が無限に近付くなかで無限にゼロサイズに近しくも有限時間の中で崩壊していくことを示すことができるのであり、私は科学者らのための付録の部にてそのことを呈示するつもりである。生命がこの崩壊を食い止める方法は無い。
・・・(中略)・・・
 が、崩壊を食い止めるとのことは生命がおよそ望むべくもないとのことである。その崩壊こそが生命をして永劫に生きることを許さしめるものとなるからである (訳注として:ティプラーはこうもしてダイソンの呈示する[開かれた宇宙]に代替する[閉じた宇宙]にまつわる主張の間隙を突くとのかたちで[無限に収縮していく閉じた宇宙]にてその収縮過程そのものをコンピューターの計算リソースの飛躍的向上に利用なさしめ、神なる領域、世界そのものの機械的再生を実現する縁(よすが)とするのだと強調している ―同じくものことは後述する― ) 」

(長くもなっての注記付きの訳を付しての引用はここまでとする)

出典(Source)紹介の部115は以上とする)


 上に原文引用なしたようなこと ―それだけ見るならば、「ぶっ飛んだ」(などとの俗語的表現が与えられる)科学者による普通人には理解しがたいような物言い― が何故、本稿この段にて問題視している、

Whydunitの問題(ホワイ・ダニット、犯行における[何故、それをなしたのか]の問題)の[推理]]

に通ずるのかとの解説は続けて後の段でこれよりなすとして、とにかくも、フランク・ティプラーは[オメガポイントにまつわる理論が成立するに至るまでの細々とした理論的背景がある]ことを明示している(:彼ティプラーはまずフリーマン・ダイソンとの大物科学者に由来する[よりもって先達の科学者らの目分量を踏襲しての宇宙における生命の永続性の不可能性の観点]を呈示し、そこから、その間隙を衝くとのかたちで反対に[宇宙における生命の永続性の条件]を論ずるとのやりようをとっている、そのように手ずから言及している)。

 さて、(その事細やかな解説を後になすとの)フランク・ティプラーのオメガポイント理論に関しては[次の観点]から本稿にて延々と証示に努めてきたことと関連性を呈している(と指摘できるように「なってしまっている」)。

第一
 オメガポイント理論にまつわってティプラーが明示している観点は「史的」側面で
[現行の加速実験実施機関の「誕生」経緯]
との[繋がり合い]が観念されるとのものとなっている。そして、その繋がり合いは本稿にて問題視してきた[予言的作品]との共通項が問題となる[繋がり合い]「とも」なっている(※)。

(※上の第一の点については字面、その響きからして
[「この段階では」何を述べているのかさえ理解いただきがたいところであろう]
とのことであると重々承知の上ではあるが、これより詳述をなしていく中でまじめな読み手には理解いただけることか、とは思う)

第二
 上記第一の点と一緒くたに考えてこそ意をなすこととしてティプラーのオメガポイントにまつわる言いように関しては
[加速器実験機関と結びつけられてのブラックホールの人為生成問題]
「とも」(「奇怪な式で先覚的に」と受け取れるかたちで)相通ずる側面が見受けられるようになっているとのことがある。

 上記の二点の事柄ら ―極めて不快な事柄らでもある― について順々に詳説を講じる。

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また、直下、本稿冒頭部へのリンクも設けておく

(⇒冒頭頁へは下の部より)

[典拠紹介部第1頁 加速器実験に伴う欺瞞性から証示なせることについて]

 上掲なしているのは19世紀後半から20世紀前半にかけて活動の著名な挿絵家アーサー・ラッカムが英訳・再刊行されたワーグナーの原作歌劇 Der Ring des Nibelungen『ニーベルングの指環』 (英文通用化タイトルとしては[指輪]一語の The Ringとも呼称される歌劇) の書籍化バージョンに提供しもしていた挿絵を挙げたもの、より具体的には挿絵家ラッカムが『ニーベルングの指環』序盤部をなすパート、 Das Rheingold『ラインの黄金』のために作成・提供していたとの画を挙げたものとなる (ただ当媒体では同画に多少の演出を施している) 。

 さてもってして、挿絵に見る女、というより、人ならざるところの[女神]はイドゥン(Idunn)という存在を(音楽界の巨匠と認知されている)『ニーベルングの指環』作曲者リヒャルト・ワグナーがフライヤ(Freia)との名前で焼き直しなし、登場させているとの存在なのではあるが、イドゥンにせよ、Wagnerが登場させた(画に見る)フライヤにせよ、北欧神話における不死の果実であるところの【黄金の林檎】と紐付けられた存在となっている(彼女ら女神達は【黄金の林檎の管掌者】となる)。 
 そうもした黄金の林檎と紐付いての彼女ら(イドゥン/フライヤ)は、いわば、神々に瑞々(みずみず)しき【不死】を(若さ約するとの)【黄金の林檎】を介して供給しているとの設定の女神となりもし、そして、彼女らの管掌する【黄金の林檎】が北欧神話多神教の神々に最早若さを与えなくなったとのその時点が【終末のはじまり】であると描写されてきたとのことがある (:【終わりの始まり】が黄金の林檎にて供給される若さの喪失と結びついていると描写されるのはワグナー歌劇にせよ、北欧神話それ自体も同文のこととなる ――ワグナー歌劇では序盤より【黄金の林檎(とフライヤ)の担保する若さの維持】が【無限の力を蔵する指輪の保持】と一時的に秤量されるのだが、結局、【黄金の林檎】と比較された指輪を欲する強欲な心(による人界の操作)が世界の終末に繋がると描写される。他面、ワグナー歌劇より遙か前から存在していた北欧神話では(それを収めたエッダ詩の訳書を借りるなどしてもよかろうしウィキペディアの[イズン]関連項目などをご覧戴くのでもよかろうが、易くも確認できようところとして)神々の最終決戦であるところのラグナロクとされる終末局面にあって黄金の林檎によって担保されていた不老は停滞を見、老化が始まると描写される―― )。

 ここからが問題なのだが、本段、脇に逸れての訴求部にあってまわりくどくもの口上にて上の如きことを引き合いに出しているのは本稿にあって【次のこと】らを【黄金の林檎】との兼ね合いで(具体的根拠と共に)訴求している ―(画に見るイドゥン・フライヤにも関わるところとして訴求している)― からである。

黄金の林檎 ―それは北欧神話から離れてのギリシャ神話ではトロイア戦争の原因、すなわち、城塞トロイアの崩壊の元凶でもある(本稿の前半部にあって古典よりの原文引用でもってして典拠紹介のこととなる)― が【人間の終末】に関わるとの指摘がなせるようになって「しまっている」、しかも、それ(黄金の林檎)がブラックホール生成との兼ね合いで古今東西にまたがっての文物を介して【人間の終末】に関わるとの指摘が濃厚になせるようになって「しまっている」とのことが現実にある (:現況現在執り行なわれているLHC実験にあって「科学の進歩に資する」とされてのブラックホール生成可能性と紐付けられてきたディテクター(検出器)の名前が【黄金の林檎】の在処を識る巨人アトラスの名を冠する ATLAS Detectorとなっているとのことが確とある一方で黄金の林檎と接合するエデンの禁断の果実を用いての誘惑者の著名古典に見る描写が(それ自体、奇怪奇矯なることなのではあるも)今日的な視点で見た場合のブラックホールの近似的描写と紐付いている、そうしたことがそれこそ山となり、それら山とあることらが相互に多重的に接合しているとのこともが「ある」)。

・上掲図の元となっているワグナー歌劇『ニーベルングの指環』は【黄金の林檎】(を管掌する女神)と【無限の富(力)を約する指環】の取引が序章の部より描かれているのだが、(黄金の林檎を管掌する女神と秤量されての)【指環】の取得に固執した者らが強欲さゆえに次々と滅亡していくさまが同歌劇では描かれる(:その一番はじめの描写は『ニーベルングの指環』前半部にあっての【黄金の林檎】管掌者たるフライヤを略取、彼女フライヤを【指輪】との取引の具とした巨人ファーフナーとファーゾルドの兄弟が殺し合いをはじめるとの部となる)。 そのことは現実世界で「黄金の林檎と接合している」とのかたちとなっている巨大なリング状の装置、加速器ラージ・ハドロン・コライダーが【指輪;リング】に仮託される風が一部ある (『ニーベルングの指環』の影響下にあるJ.R.R.トールキン原作のロード・オブ・ザ・リング『指輪物語』に登場の冥王に由来する指環と結びつけられるなど加速器LHCが【指輪】に仮託される風が実験関係者含めて見受けられる) とのことと平仄が合うにも程があろうとの筋合いのことともなる (:ただ現況もってして、同じくものことを問題視する人間はまったくいない(心ある向きには是非とも確認いただきたいところなのだが検索エンジンで英文単語を何語か入れて当たりをつけんとしてみても【リングと黄金の林檎の結びつき】を加速器との関係で目立って問題視するような向きはこの世界にはいない))。

・上にて先述のように【ギリシャ神話におけるトロイア崩壊の元凶】「でも」あるとのゴールデン・アップルがそれ(黄金の林檎)に関連する事物ら(巨人ATLAS「など」)を介してブラックホール生成をなす可能性があるとの加速器 ―巨大な【リング】でもある― と結びつくとして、である。 現在にあって巨大加速器実験を実施している「研究」機関ら、および、そちら「研究」機関らに携わっていた初期の紐帯がどうやって世に生み出されたのかもがワーグナーの『ニーベルングの指輪』に通ずる側面がある。 どういうことか。 現況、加速器実験を執り行なっている主たる研究機関ら(それら研究機関らは、と同時に、ブラックホール生成可能性に伴うリスクとの観点で中途半端に海外で法廷に引きづり出された研究機関ら「でも」ある) はその沿革上、
【マンハッタン計画の子供ら】
となっているとのことがある ―同じくものことは長大な本稿本文の部にあって(入念を心掛けての)指し示しの対象としていることでもある― のであるが (:またもってして核分裂の過程に通ずる原子核人為破壊を兵器転用なそうとしたとのマンハッタン計画にあっての挙、そちら核兵器を製造するプロセスと加速器実験にての原子核人為破壊のプロセスは同一方向のベクトルを指している ―無論にして同じくものことの典拠をも本稿本論部で入念に挙げている― )、 マンハッタン計画と今日の加速器実験(におけるブラックホール生成に通ずる挙)の縁(えにし)の深さはそれ以外にも濃厚に認められるとのことがある(たとえば円形加速器という装置をそもそも生み出した者達がマンハッタン計画の主導者となっていたとのことがある等々)。
 そうもした(加速器実験運営機関を生み出した)マンハッタン計画始動の原因になっているユダヤ系の迫害の挙に出たナチスのやりよう・躍進・劫略のプロセスはワグナー歌劇『ニーベルングの指環』と濃密に結びついているとのことがある(『指環物語』作者ワグナーがユダヤ系の向きらにあって反芸術・野蛮の象徴である忌避すべき象徴とされてきたのはナチス第三帝国およびその領袖ヒトラーが反ユダヤ主義を大っぴらに喧伝していたリヒャルト・ワーグナーを最大限重要視していたとの歴史的事実があるからであり、たとえば、ナチスの実行してきた非道なる命令体系、占領統治下の反体制派・レジスタンスを夜陰に乗じて密やかに処分することを目しての行政命令であるところのナハト・ウント・ネーベル( Nacht und Nebel )、【夜と霧】行政命令 ―日本では Man's Search for Meaningとの原題を有した心理学者ヴィクトル・フランクルの書籍の「邦題」として識られている語でもある【夜と霧】(収容所が絶滅収容所へと変遷していく画期を象徴する語であるとも認識されている)― などはワグナーの『ニーベルングの指環』に由来しているとのものとなる ――※ウィキペディア[夜と霧]項目などにおいても簡明な解説がなされてはいることだが(であるから疑わしきはその程度の媒体からでも確認いただけるであろう)、ナチスドイツが欧州にて反対派を掃討するための共通規則とした【夜と霧】命令はヒトラーが愛聴していた、そして、ナチス体制下の国家芸術の象徴として扱われていたリヒャルト・ワグナーの『ニーベルングの指輪』、その『ラインの黄金』にあっての一幕(の中の[ニーブルヘルム]の下り)にて侏儒(ドワーフ)のアルベリヒが隠れ頭巾を用いて姿を消す際に口にする台詞、「夜と霧になれ、誰の目にも映らないように.」に由来しているとのことが知られている(にまつわって述べておけば、【夜と霧の呪文】を唱えたドワーフ・アルベリヒは強欲さの象徴でもあり、絶大な力をもたらす【呪いの指環】そのものを生み出した存在でもあるとワグナー歌劇では設定付けがなされているキャラクターである)―― 。

 以上のことはそれだけを読まれる限りは何が問題になるのか判じがたいとのこととなろうかとは(当然に)思うのであるが(理解を阻む詰め込み過ぎの風もあったかと脳裏をよぎりもしている)、同じくものことにまつわっての指し示しを細々となしもしている、また、そこからさらにもってして何が述べられるのかの指摘を委細を尽くしてなしているとの本稿本論部をご検討いただければ、【ことの重篤さ】 ―重篤さというのは【執拗さ】の問題として何が企図されているのかに通じもしていることである― についてご理解いただけるか、と考えている。

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