典拠となるところの明示[153]――物理学者フランク・ティプラーを目立っての
主唱者とするオメガ・ポイント理論。そこに伴う奇怪なる側面について

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ホワイダニット(何故、そうもしたのか)に関わる点として考えられる事柄らにまつわっての分析 (まずもってのこととしてオメガ・ポイント理論に着目しもした場合、何が問題となるのかについて指摘する)

 前頁では物理学者フランク・ティプラーのオメガポイントにまつわる言いようについてのまずもっての解説 (よりもって充実させもしての解説を続けてなすとのことを念頭に置いてのまずもっての解説) をなし、そのうえで、ティプラーのそちらオメガポイントにまつわる言いようが次の各点から問題になるとのこと、申し述べた。

第一
 オメガポイント理論にまつわってティプラーが明示している観点は「史的」側面で
[現行の加速実験実施機関の「誕生」経緯]
との[繋がり合い]が観念されるとのものとなっている。そして、その繋がり合いは本稿にて問題視してきた[予言的作品]との共通項が問題となる[繋がり合い]「とも」なっている。

第二
 上記第一の点と一緒くたに考えてこそ意をなすこととしてティプラーのオメガポイントにまつわる言いように関しては
[加速器実験機関と結びつけられてのブラックホールの人為生成問題]
「とも」(「奇怪な式で先覚的に」と受け取れるかたちで)相通ずる側面が見受けられるようになっているとのことがある。

 上記の二点の事柄ら ―極めて不快な事柄らでもある― について順々に詳説を講じる。

 まずもって、

第一
 オメガポイント理論にまつわってティプラーが明示している観点は「史的」側面で
[現行の加速実験実施機関の「誕生」経緯]
との[繋がり合い]が観念されるとのものとなっている。そして、その繋がり合いは本稿にて問題視してきた[予言的作品]との共通項が問題となる[繋がり合い]「とも」なっている。

とのことより説明を講じることとする。

 同じくものことにまつわってはティプラーが

[オメガポイント理論との兼ね合いでナチスのドグマを強くも否定する反ナチス主義者]

となっている (ナチズムのような[偏狭かつ嗜虐的なドグマ]を否定することそれ自体は批判される謂われもないところではあるがそうもなっている) ところから指摘をなしはじめる必要があると思うのでそうすることとする。

 その点、物理学者フランク・ティプラーのナチスのやりようを強くも批判・否定するスタンスには(ティプラー自身は敬虔なバプティストであってユダヤ系ではないようだが)妻の祖父母が強制収容所の露と消えたとの来歴を有していることが強くも影響している節もある。下に引用するように、である。

(直下、職業的懐疑論者マイケル・シャーマーの手になる著作 Why People Believe Weird Things(邦題)『なぜ人はニセ科学を信じるのか?』にあっての第16章[ティプラー博士、パングロス博士に会う]409ページよりの引用をなすとして)

 アラバマ州の小さな田舎町アンダルシアで育ち、一九六五年に卒業生総代として高校を卒業したティプラーは、その卒業式でのスピーチで人種差別反対論 ―― 一九六〇年代半ばの深南部で、しかも一七歳の青年にとってはめずらしい意見―― を語るつもりだった。ティプラーの父親は、個人の代表として大企業と相対する代理人であり、人種差別に反対する弁護士だったが、フランクが大学へ行ったあとも家族はこの町に残らなければならないのだから、そういう物議をかもすような意見を控えるようにと注意した。ティプラーはキリスト教原理主義者の強い影響を受けた南部バプティストとして育ったにもかかわらず(いや、おそらくだからこそだろう)、自分は一六歳ですでに不可知論者だったと語る。

(引用部はここまでとする)

(直下、職業的懐疑論者マイケル・シャーマーの手になる著作 Why People Believe Weird Things(邦題)『なぜ人はニセ科学を信じるのか?』にあっての第16章[ティプラー博士、パングロス博士に会う]425ページよりの引用をなすとして)

 わたしの話したある著名な天文学者は、ティプラーがこの途方もない本を書いたのは、金を必要としていたからにちがいないと語った。しかし、ティプラーと少しでもこの本の話をしたことのある者なら、彼が金や名声のために書いたのではないことはすぐにわかる。彼は、おのれの主張にうんざりするほどまじめであり、みずから受ける非難を知ったうえで、充分にその覚悟をしていたのだ。私見を述べさせてもらえば、フランク・ティプラーこそ、人類とその未来を深く気にかけている人物である。彼の本は、妻の祖父母であり、ホロコーストで殺された「子供たちの曾祖父母」に捧げられている
彼らは最後の審判の日に復活する希望をいだいていたし、その希望はわたしが本書に示すように、時の終末にかなえられるだろう」。
この部分がより深い動機づけになっている
。結局のところティプラーは、バプティストとして、そしてファンダメンタリストとして受けた教育を、完全にふりきれていないのだろう。

(引用部はここまでとする)

 一個の人間に対するプロファイリングをなすのは元より本稿の本義ではないが、フランク・ティプラーは以上のような人間性 ―表向きには[善意の人]として[来世にての([機械の神]による)復活]を唱道するとの人柄でもいい― を有しているためにか、ナチス・ドグマを強くも否定している。

 それにつき、(それがどうして[嗜虐的反対話法としての色合い]を帯びていて問題となるのかとのことはこれ以降、仔細に論じていくとして)、フランク・ティプラーは

The Physics of Immortality: Modern Cosmology, God and the Resurrection of the Dead『不死の物理学:現代の宇宙観、神、そして死者の復活』

にて次のような書きようを ―道徳的観念も交えて― 「オメガ・ポイント理論それ自体との絡みで」強くも前面に出している。

(以下、ティプラーによる特定の思潮明示の部を要約するとして)

 ナチスのイデオロギーにはフリードリヒ・ニーチェ ([神は死んだ]との言葉で有名な哲学者のかのニーチェである) の哲学が強くも関わっている。ナチスが奉じていた[超人思想]はニーチェに由来しているのだ。
 ナチス・イデオロギーにも影響を与えているニーチェの哲学の主軸をなすのは
[永劫回帰(エターナル・リターン)の思想]
となり、同[永劫回帰]思想は

[世界の運命に介入するとの[神]の存在は否定される([神]は死んだ)。そうもした中で、神もおらず、万物がただただあるべきところに落着すべくも無常に繰り返される[永劫回帰]の世界にありながらも[超人]的な強さをもって世界の宿命に自身を重ねるべし]

といったものとなっている。
 ナチスの[超人思想](ウーバー・メンシュにまつわる思想)と強くも結びつくそうした永劫回帰の思想を否定することはナチスの醜悪な人種差別主義を否定する道徳的に正しきやりようと接合しもするし、また、オメガポイントの理論の適正さを論ずるうえでも
[極めて重要]
なこととなる。
 というのも、(ニーチェの哲学の主軸をなしていた)永劫回帰の観念は現行の物理学的観点から見た宇宙論にも合致するような側面を有しているところがあるのだが、そうもした永劫回帰と接続する宇宙論にての世界像が否定されることこそがオメガポイント ―(ナチスのような醜悪かつ邪悪な憎悪のイデオロギーとイデオローグとは無縁なる善なる[機械の神]によって[復活]が達成させられるとのポイント)― の実現に不可欠であるからである。

 よく知られてもいる、

[フリードリヒ・ニーチェの永劫回帰思想 ――(現行にての和文ウィキペディア[永劫回帰]項目より引用なせば)リセットしてカセットテープを巻き戻しただけの状態になる。これが「一回性の連続」である。それを永遠に繰り返す。故に、己の人生に「否」(いな)と言わず、「然り」(しかり)と言う為、強い人生への肯定が必要なのである。ツァラトストラは自ら育てた闇に食われて死して逝く幻影を見る。最高へは常に最深から。超人は神々の黄昏に力強く現れる。闇を知り、闇を破し、死してなお生への強い「然り」を繰り返す。今、ここにある瞬間の己に強く頷く態度、それこそが超人への道であり、永劫回帰の根幹である(引用部はここまでとする)といった説明のされかたをよくもされる思想―― ]

がいかようにして

[ナチス・ドグマと接続している]
[[科学としての宇宙論]にての繰り返される世界像にまつわる科学的仮説と接合する((一面で[永劫回帰を「否定」する科学的説明]をなせる一方で[永劫回帰を「肯定」する説明]もなせてしまう))]

とされているのかについては銘々にティプラー『不死の物理学』読解などを通じて検討いただきたいところでもあるのだが、上にて要約して呈示したティプラー申しようを概説的に示してもいるところであるティプラー著作『不死の物理学』内の特定パートよりの引用を、「最低限」、下になしておくこととする。


| 出典(Source)紹介の部115(2) |

 ここ出典(Source)紹介の部115(2)にあっては

[フリードリヒ・ニーチェの永劫回帰思想がいかようにナチス・ドグマと結びつくのか]

についてまさしくも本段で問題視しているフランク・ティプラー著作『不死の物理学』よりの引用を通じての紹介をなすこととする。

(直下、 The Physics of Immortality : Modern Cosmology, God and the Resurrection of the Dead『不死の物理学:現代の宇宙観、神、そして死者の復活』の III. Progress Against the Eternal Return and the Heat Death第三章『永劫回帰と(宇宙の)熱的死に抗っての進歩』にての The Eternal Return in Philosophy, Religion, and Politics「哲学・宗教・政治に見る永劫回帰」の節よりの引用をなすとして)

The political consequences of Nietzsche's Eternal Return philosophy have been catastrophic. Perhaps the simplest way to show this is to point out that the Eternal Return is sufficiently ancient and important a concept in philosophy and religion to have its own symbol. The old Anglo-Saxon word for the symbol of the Eternal Return is fylfot. So dominant had the idea of progress ― the antithesis of the Eternal Return ― become in England that, when the English encountered the Eternal Return symbol again in the twentieth century, they had, to their credit, forgotten their ancient word for it. Instead, they used the Sanskrit word for the symbol: SWASTIKA.
From the very beginning the Nazis affirmed a deep connection between Nazism and Nietzsche's philosophy. The Nazi philosopher Alfred Baumler asserted that “whoever says ‘Heil Hitler!’ salutes Nietzsche's philosophy at the same time.
Baumler, professor of philosophy at the University of Berlin from 1933 to 1945, was an important figure in Nazi philosophical circles. He was the chief spokesman for Alfred Rosenberg, the editor-in-chief of the official Nazi party newspaper Volkischer Beobachter.

(多少補いもしての訳として)
「ニーチェの永劫回帰哲学の政治的帰結は災厄を撒き散らすものであった。
 そのことを示す単純なやりかたはおそらく、
[[永劫回帰]思想が相当程度昔から存在しており、それ自体を表象するシンボルを有していた哲学および宗教上の重要観念であった]
とのことを指摘するとの式であろう。
 永劫回帰を表象するシンボルのための古アングロサクソン語は[三脚巴](fylfottriskelとも呼称)となっている。[進歩]の観念、永劫回帰の対極にあるその[進歩]の観念が英国では支配的なるものであったために、英国が[永劫回帰]シンボルに20世紀に再度出会うことになるまで、英国(の民)は永劫回帰を示す往古の言葉を忘れていた。その代わり、彼らはサンスクリット語のシンボルにまつわる語、スワスティカをもってして永劫回帰を示す語句として用いていた(訳注:スワスティカこと鉤十字はナチスのシンボルである)
 そのまさしくもの発端からナチスは
ナチズムとニーチェ哲学の間の深い関係性
について強くも主張なしてきたナチスサイドの哲学者アルフレート・ボイムラー
 (訳注:ナチス党お抱えの哲学者となり1934年論文『ニーチェとナチス』でヒトラーとニーチェを同一視した者) は「総統万歳!と口に出すものはニーチェ哲学に対する賛辞をも同時に述べている」と断じていた
 1933年から1945年にかけてベルリン大学の哲学教授の職にあったボイムラーはナチス内の哲学サークルにて枢要な立ち位置にあった。彼アルフレード・ボイムラーはアルフレート・ローゼンベルク (訳注:権力闘争に敗れて権力中枢外延部に置かれていたとされるもニュルンベルク裁判の結果、処刑されるだけの立ち位置にはいたナチス党最高幹部) の主席顧問であり、ナチス党機関誌『フェルキッシャー・ベオバハター』 (訳注:一説には1944年時点のナチスドイツ内発行数1700万部の一大機関紙) の編集主任との地歩にもあった」

(訳を付しての引用部ここまでとする)

出典(Source)紹介の部115(2)はここまでとする)


 上にてのティプラー著作『不死の物理学』よりの引用部では

ニーチェ哲学およびニーチェの永劫回帰思想が政治的に(ナチスに利用されることで)欧州に災厄を撒き散らしたことナチス党のシンボルのスワスティカ(鉤十字)からしてそもそもからして永劫回帰の体現物であること

が主張されている(※)。

(※尚、上にてはナチスドイツの象徴たる鉤十字(SWASTIKA)が元来、永劫回帰を示す象徴であったとの表記がなされてはいるが、それは言い過ぎではないか?と判じられるようなところもあるにはある。鉤十字はナチスがそれをその代表的シンボルにしつらえる前から欧州をはじめ世界中にて頻用されていたとのシンボルとはなるが(については英文Wikipedia[Swastika]および同[ Western use of the swastika in the early 20th century ]項目にていろいろな事例が具体的写真付きで紹介されており、また、 Project Gutenbergのサイトにて[世界中にての往古に遡るスワスティカ紋様使用の事例の紹介]をなしている The Swastika: The Earliest Known Symbol, and Its Migrations; with Observations on the Migration of Certain Industries in Prehistoric Times.(1896)と題されてのアメリカ国立博物館(現:スミソニアン博物館)のキュレーター(学芸員)であったとの Thomas Wilsonという人物の手になる書籍などが「19世紀末」発のものとしてダウンロードできるようになっている)、 しかし、スワスティカが[太陽]や[永遠](こちらは[永劫回帰]との観点に近い)と結びつけられることはあってもはきと
[永劫「回帰」思想]
とそのままに結びつけられていたとは言い難い(筆者が色々と[キーワード一致式]で最大限効率的に調べてみてナチス登場「前」にスワスティカが永劫回帰と結びつけられていたとの文書は捕捉できないでいる、と申し述べたい。但し、ナチスが後付けでスワスティカ・シンボルをそれがニーチェの[永劫回帰]思想と結びつくものであると喧伝するようになったとのことは大いにありうることではある ―ナチスがスワスティカを[古代から連綿から続く神聖なシンボル]であると組織を挙げて吹聴しまわっていもした中で、である― )。
 その点、ニーチェの[永劫「回帰」思想]と結びつくような歴史的シンボルがあるとすればそれはむしろ
[ウロボロス紋様](尾を噛む蛇の紋章)
であり、同ウロボロスのことは広く認知されているところではある)

(長くもなるので出典紹介部を分かちもし) さらに「多少順序を違えての」引用を続ける。


| 出典(Source)紹介の部115(3) |

 ここ出典(Source)紹介の部115(3)にあっては

[フリードリヒ・ニーチェの永劫回帰思想がいかようにティプラーのオメガポイント理論と紐付けられているのか]

についてフランク・ティプラー著作『不死の物理学』それ自体よりの引用を通じての紹介をなすこととする。

(直下、 The Physics of Immortality : Modern Cosmology, God and the Resurrection of the Dead『不死の物理学:現代の宇宙観、神、そして死者の復活』の III. Progress Against the Eternal Return and the Heat Death第三章『永劫回帰と(宇宙の)熱的死に抗っての進歩』にての The Eternal Return in Philosophy, Religion, and Politics「哲学・宗教・政治に見る永劫回帰」の節よりの引用をなすとして)

The attempt by the German philosopher Friedrich Nietzsche to prove recurrence is interesting because it is almost a valid argument, given certain (untrue) presuppositions about the nature of the physical universe. That is, Nietzsche's proof contains all the essential ideas needed for a rigorous proof of recurrence of a finite physical system evolving in a particular chancelike way. Nietzsche began his “proof of recurrence as follows:

. . . we insist upon the fact that the world as a sum of energy must not be regarded as unlimited ― we forbid ourselves the concept of infinite energy, because it seems incompatible with the concept of energy.

Thus Nietzsche argues for the finiteness of energy of the universal system. This is indeed an essential assumption in any valid proof of recurrence. Nietzsche's argument for finiteness has a parallel in modern physics. According to general relativity, only in spacetimes where the total energy is necessarily finite (in the so-called asymptotically flat spacetimes) does “energy” have a well-defined meaning. In particular, total energy does not have a meaning in a closed universe (and I shall use this fact in my proof that infinite progress is possible in closed universes).

(上に対する拙訳として)
「 それが物理的宇宙の性質に対する特定の(あやまてるものたる)前提を置く限りはほとんど至当なる議論となるために」 ドイツ人哲学者フリードリヒ・ニーチェによる(永劫回帰における)永劫・再現性を示そうとの試みは興味深いものとなっている
 どういうことかと述べれば、ニーチェの指し示しは
特定の機会としてありうべきありようで進化してくる有限の物理的システムの循環性にまつわる厳密なる指し示しにあって必要となる本質的観念をすべからくも内包している
とのものとなっているのである
。 
 ニーチェは、(手ずから)、
[(永劫回帰を容れようとの)我々は[一個のエネルギーの総量としての世界]を際限ないものである(無尽蔵である)と見てはならぬとの事実に依拠しての説明をなそうというのである]
と述べることから[[再現性・永劫性]の指し示し]をはじめている。
 このようにニーチェは世界システム(訳注:あるいは宇宙体系とでも訳すべきか)のエネルギーの有限性にまつわる議論をもちだしているこれは[再現性(永劫回帰の性質)のいかなる「適正なる」指し示し]にあっても「本当に」本質的なる前提となるものである。ニーチェの有限性にまつわる論議は現代物理学とパラレルな関係(訳注:一致性を呈しての関係でもいい)にある
アインシュタインの)相対性理論によれば、総エネルギー量が(ニーチェよろしくの)有限である時空間にあってのみ(いわゆる[漸近的に(曲率にて)平坦なる時空]にあってのみ)[エネルギー]という観念は[よく定義されている]と述べられるだけの意味を持つことになり、といった中で総エネルギー量は[閉じた宇宙]では意味をなさぬことになるそして、著者(ティプラー)はこの事実をもってして自身の理論にて(回帰せざる)[無限なる進歩]が可能であるとしようというのである

(訳を付しての引用部はここまでとする ―※― )

(※尚、ニーチェの永劫回帰思想が現代的物理学に通ずる側面を帯びていることを(委細に踏み込まずに)上にてティプラーは論じているのだが、永劫回帰思想をして[エントロピー(熱力学における[系]の乱雑さ)の増大]における不可逆性などの観点から否定しようとの見方もある。が、といったことはここでは置く)

(直下、 The Physics of Immortality : Modern Cosmology, God and the Resurrection of the Dead『不死の物理学:現代の宇宙観、神、そして死者の復活』の III. Progress Against the Eternal Return and the Heat Death第三章『永劫回帰と(宇宙の)熱的死に抗っての進歩』にての The Eternal Return in Philosophy, Religion, and Politics「哲学・宗教・政治に見る永劫回帰」の節よりの引用をなすとして)

I have discussed the social and political implications of the Eternal Return at length because I want it to be clearly understood why I explicitly reject such a view. As we shall see in the next chapter, the rejection of the Eternal Return is expressed in the third of three postulates which I shall claim codify in mathematical language what is meant by “eternal life.Since it is this anti-Eternal Return Postulate that gives the Omega Point Theory its real predictive power, it is very important to justify the postulate in detail.

(拙訳を付すとして)
「著者(ティプラー)はそうした観点を何故もってはっきり否定したいのかを明瞭に理解いただきたいとのことがあるために永劫回帰が社会的、政治的に含意するところを委細に論じてきた。次章にて見るように[永遠の生命]によって意味されるところを数学的言語にて体系化するに際しての三つの仮説の三番目の部にて[永劫回帰の否定]が表明されるところとなっているのであるこの[反・永劫回帰仮的側面]がオメガポイント理論に(オメガポイント実現を約束するとの)真に予言的なる力を与えるがゆえに仮説を委細に渡って正当化することが重要になるとのところである

(訳を付しての引用部はここまでとする)

 さらにもって『不死の物理学』よりの引用を続ける。

(直下、 The Physics of Immortality : Modern Cosmology, God and the Resurrection of the Dead『不死の物理学:現代の宇宙観、神、そして死者の復活』の III. Progress Against the Eternal Return and the Heat Death第三章『永劫回帰と(宇宙の)熱的死に抗っての進歩』にての The Eternal Return in Philosophy, Religion, and Politics「哲学・宗教・政治に見る永劫回帰」の節よりの引用をなすとして)

A rejection of racism, that is, a belief in the inherent superiority of any group of intelligent beings ― as I showed above, a notion intimately connected with the Eternal Return ― is also essential for the Omega Point Theory. As I demonstrated in the previous chapter, a crucial step toward the Omega Point is the colonization of the universe by intelligent robots, by self-reproducing machines. Many humans (including many who should know better) regard the creation of such people ― I call intelligent robots “people,” because that is what they are ― with horror, and initially feel that the creation and reproduction of such machines (people) should be prohibited by law. For example, when I first proposed colonizing the galaxy with von Neumann probes, the astrophysicist Carl Sagan demurred:
. . . the prudent policy of any technical civilization must be, with very high reliability, to prevent the construction of interstellar von Neumann machines and to circumscribe severely their domestic use. If we accept Tipler's arguments, the entire Universe is endangered by such an invention; controlling and destroying interstellar von Neumann machines is then something to which every civilization ― especially the most advanced ― would be likely to devote some attention.
As I showed in Chapter III, one can prove that the Eternal Return will occur in a Newtonian universe provided said universe is finite in space and finite in the range of velocities the particles are allowed to have. I also showed in Chapter III that, in classical general relativity, the Eternal Return cannot occur. That is, the physical relationships existing now between the fields will never be repeated, nor will the relationships ever return to approximately what they now are. History, understood as an unrepeatable temporal sequence of relationships between physical entities, is real.

(補いもしながら拙訳を付すとして)
「人種差別主義(レイシズム)、すなわち、
[知的存在のいかなるグループの中でもの生得的優位性にまつわる信念 ―著者(ティプラー)が先立っての段で示したように永劫回帰の理念とも緊密に結びついている観念― ]
に対する[否定]はオメガポイント理論にとって本質的なものである。
 先行する章にて論じているようにオメガポイントに向けての重大な一理塚は
[知的ロボットによる宇宙の植民地化]
である (訳注として:フランク・ティプラーは[自己複製機械](セルフ・リプロデューシング・オートマタ)としてのフォン・ノイマン・プローブと呼ばれるものを宇宙空間に「自己複製による指数間的な空間的拡大方式で」播種(はしゅ)して[オメガポイントを構築するための情報統合体]を構築しようとの前提を整えるべきであるとの発想法を強くも前面に押し出しているとのことをなしている ―ちなみに同じくものこと、フォン・ノイマン型探針による宇宙開発の可能性については英文Wikipedia[ Self-replicating spacecraft ]項目に多少、微に入っての解説がなされている― (訳注の部はここまでとする))
 多くの人間(それは分別をもっていて然るべき多くの人間を含む多数の人間のことをも指す)は
[そのような「人々」 ―わたしティプラーは事実彼らが知的であるがゆえに[知的ロボット]をして[人々]と呼ぶ― ]
をして恐怖をもって見ることとなり、そして、まずもってはそのような機械ら(人々)の創造および再生産をして法によって禁止されて然るべきことと感じることであろう。
 例えば、である。(現実的な今までの経緯に関わるところとして)私フランク・ティプラーがまずもって銀河をしてフォン・ノイマン・プローブらで植民地化することを提案した際、カール・セーガン (訳注:本稿にての[補説2]の部にてその問題となる予言的やりよう・露骨に反対話法がかってのやりようについて具体的典拠に基づいて指し示してきたとの米国のカリスマ科学者(故人)がこちらカール・セーガンとなる) は次のように異議を呈してきた。
(セーガン曰くのところとして)
[いかなる技術文明にあっても用心深き政策・施策というものは高度の確実性を期すとのかたちで恒星間を異動するフォン・ノイマン機械らの建造を妨げるとのものでなくてはならないところであり、そして、それらの地球圏での使用も制限されるべきである。我々が仮にもし(そうしたものを生産・播種しようとの)ティプラーの論議を容れたのならば、全宇宙がそのような発明にて危険に曝されるとのことになる。恒星間移動のフォン・ノイマン機械(宇宙に播種されてのフォン・ノイマン・プローブ)を制御かつ破壊するとのことは全文明、殊に最も先進的な文明が注意を向けそうなことである (訳注:この場合、セーガンの原文英語でのここ申しようには二通りの解釈がなせる。第一の解釈は繰り返し表記として高度な文明とはフォン・ノイマン・プローブを構築しないとの再確認がなされているとの解釈となる。第二の解釈は行間の意味まで汲み取ればなせるとのものとなり、本稿[補説2]の部でも述べているようにカリスマ科学者カール・セーガンが外宇宙文明探査計画(SETIプロジェクトなど)の唱道を推進してきたとのスタイルを前面に押し出しての人間であったこと、それゆえにそうした人間(ないしそうした人間を動かす力学かもしれない)なりの視点として外宇宙に高度文明があった場合、人類に由来するフォン・ノイマン・プローブが破壊の対象となり、宇宙を汚染した迷惑な種族(この場合、人類)の駆逐作戦が超高度宇宙文明にて開始されうるとの文脈が含まれていると受け取れもする、そういう解釈である ―訳注の部はここまでとする― ) ]
 著者(ティプラー)が本書 The Physics of Immortality第三章にて示したように[永劫回帰]は歴史的な相対性理論(解釈)の下では(厳密には)生じ得ない。これは
[決して同じ場が繰り返されることもなく、現行、およそそれらがそうあったようなところに関係性が復することもない]
とのことらの間にある物理的な関係性である。歴史、それが物理的実体の間にあっての「繰り返すことなき」一時的関係性の連続として理解されるのが現実というものである」

(訳を付しての引用部はここまでとする)

出典(Source)紹介の部115(3)は以上とする)


 上もて物理学者フランク・ティプラーが

[永劫の命を約束する自身の理論の至当性を確約する理論的環境の構築]

とのことのためにいかようにもってして

[永劫回帰思想 ―[生命が何度も何度も同じ状況を繰り返しているとの思想]― ]

を否定する必要があると述べているのか、

[永劫回帰思想とワンセットのものである(とフランク・ティプラーが何度も何度も強調する)ナチスの人種差別主義・優生学思想]

を否定しながらもとの式にて同じくものこと ―永劫回帰の否定― が必要であるといかようにもってして「執拗に」述べているのかとのことにつき、(委細はともかくも)、おおよそのありようについておもんぱかりいただけることか、とは思う(※)。

※長くもなっての付記として

 物理学者フランク・ティプラーはオメガポイント理論と結びつく上記のような
[永劫回帰否定]
の観点をして
[仏教徒の涅槃(ニルヴァーナ)の境地に通ずるところのもの]
すなわち、
[繰り返す輪廻を絶ち、至福の境地に至るとの発想法]
に通底するものであるとも述べもしている。
 涅槃寂静の観点にあっての寂静・寂滅(存在自体をむなしくする、無に帰する)の部を除いてそうもしたものであると述べもしている。
 非本質的inessentialなことを延々と述べるようで何ではあるのだが、例えば、次のような式にて、である。

(以下、 The Physics of Immortality : Modern Cosmology, God and the Resurrection of the Dead『不死の物理学』より引用なすところとして)

There is no doubt that “Nirvana” means an escape from the cycles of reincarnation, an escape from the endless cycles of rebirth into other living beings after death. The undeniable goal of Buddhism was to escape the Eternal Return. But one could escape by becoming extinct, by ceasing to exist, or one could escape by entering an abode of happiness, by going to Heaven. The word “nirvana” literally means “extinction” or “blowing out” as in “blowing out a candle.” This Jiteral meaning doesn't sound very encouraging for the Nirvana = Heaven interpretation.
「ニルヴァーナ(仏教徒の涅槃の観念)が輪廻の環からの脱却、[死後の他の生命への絶え間なくもの復活のサイクルからの脱却]を意味することには何の疑いを差し挟む余地もない。仏教の否定しようがないとの目的(の観念)は[永劫回帰]から脱することである。 しかし、そこでは信徒は[滅する]こと、[存在することを止める]ことで脱却をなす、至福の境地に入る(天に入る)とのことでのみそれを実現できる。 ニルヴァーナ(涅槃)との語は字義通り[蝋燭の火を吹き飛ばす]が如く[滅][吹き消えること]を意味している。 この教典に見る意味合いは[ニルヴァーナ=天国]との解釈を押し進めるかたちで耳に響くようなものではない」

(引用部はここまでとする ―ちなみにニルヴァーナ(涅槃)との語が原義として[(火が)吹き飛ぶ]との語と照応していることはティプラー申しようが持ち出さぬまでもなくよく知られたことである― )

 以上、[涅槃](死と滅を意味する涅槃;ニルヴァーナ)を巡る話に通ずるところにあって「悪魔的にできすぎている」と受け取れるところがティプラー著作『不死の物理学』(フィジックス・オブ・イモータリティ)に認められもすると筆者は見るに至っており(「悪魔的」とはこの場合、[嗜虐的に凝っている]といったニュアンスと考えてもらいたい)、 それは[永劫回帰]

[マルコフ連鎖] (端的に述べれば、[現在の確率状況が過去の確率分布の状況から独立している]との数学概念)

とティプラー著作内にて明示して結びつけられているとのことと関わるところともなる。

 その点、フランク・ティプラーは[永劫回帰]が[マルコフ連鎖]と結びつく、ニーチェの永劫回帰思想が同数学上の概念(マルコフ連鎖)と結びつくとのことをその自著の中でくだくだと述べるとのことをなしている (例えば、 Frank Tipler The Physics of Immortality『不死の物理学』より引用するところとして I shall show in the section on Physics and the Eternal Return that Nietzsche's world model can be compared fairly closely to a system undergoing a particular type of random evolution ― a Markov chain ― whose state must recur.といった表記がなされている)
 同じくものことについて筆者は
「こじつけがましきやりようだ。わざとらしいこと限りなしであろう」
ととらえているのだが、ティプラー流の
[マルコフ連鎖の機序 ⇔ ニーチェの永劫回帰思想]
との観点が導出される理由としてティプラーはニーチェの思想にての
[永遠の時間の中でランダムな状態遷移が無限に演じられる]
とのところをもってして(過去の状態に依存しないとの)マルコフ連鎖と結びつけ、その否定を強くもなしているとのことをなしている(繰り返すも、筆者としてはこじつけ・わざとであろうとはとらえているところなのであるが)

 そのこと、永劫回帰思想(の否定)がティプラー著作内でマルコフ連鎖と結びつけられていることが何故もってして、

[悪魔的なる出来すぎ度合い]

の問題に関わると判じられる(筆者は当然にそうであろうととらえもしている)のかと述べれば、 ―ティプラーという男がその旨まで述べて「いない」からこそ問題なのだが― 「ひとつに」、

[ [マルコフ連鎖の状態 (ティプラーが[永劫回帰]と結びつけている状態) を呈する牢獄からの脱出] を [仏教における(本源的には滅と死を意味する)涅槃Nirvanaのプロセス] と結びつける欧米では比較的よく知られた伝統的ゲームが存在している]

とのことが問題になる。

 具体的には

Snakes & Ladders(スネークス・アンド・ラダーズ、すなわち、[蛇と梯子(はしご)])

とのゲームがそれでその内容は一言で述べれば、

[寛容・信頼・知識・禁欲などといった善行関連のマスを多く踏み、虚栄・俗悪・虚偽・傲慢・情欲といった悪行関連のマスから得られる煩悩を克服する、[蛇にて体現される煩悩と結びつく美徳の梯子]を踏破し、涅槃の状況を約束するMoksha[解脱;モクシャ]を達成する(のを双六形式で競う)]

とのものとなる ―であるから Snake & Laddersの別名はモクシャ・パタム、 Moksha Patamu(解脱moksha,そして,畜類への輪廻Patamuを結びつけての[輪廻よりの解脱])ともなっている― (詳しくは和文ウィキペディアないし英文ウィキペディアの該当項目の内容を確認されたい.尚、いかようにして Moksha Patamu[蛇と梯子]のゲーム盤が[マルコフ連鎖の超克・否定]( Overcoming of the Prison of Markov Chain )と通じているかについては(たとえば、英文Wikipedia[ Snakes and Ladders ]より引用なすところとして) Any version of Snakes and Ladders can be represented exactly as an absorbing Markov chain, since from any square the odds of moving to any other square are fixed and independent of any previous game history.スネーク・アンド・ラダーズのいかなる版も吸収的マルコフ連鎖によって正確にそのありようが示されるところとなり、それは足を踏み入れたマスのどのオッズもが従前のゲームの流れから独立したものとなっているからであるといった解説がそこにてはなされていることでも端的に理解なせるようになっている)

 ここでまでにて

[マルコフ連鎖状態の否定 = 永劫回帰状態の否定]

とのティプラー流の強引なる式と

[涅槃(「滅して」輪廻の状況から脱出するとの仏教思想に見る状態)の肯定]

が(当のティプラーが書き記して「いない」とのところながらも)別のコンテキストで結びつく、欧米圏でよく知られた『蛇と梯子』とのゲームを介して結びつくとのことが ―本当に語るに足りるとの向きが読み手であった場合には― 理解いただけることかとは思う。

(脇に逸れての記述の中にあってのそのまたさらにもの余事記載として:
 尚、
[マルコフ連鎖状態の「恣意的」否定]
とのことになると
[検索エンジン上での検閲行為]
とも話は結びつくこともある。
 というのも恣意的ならざるところで本然的に働く検索エンジンの[自然に作用するアルゴリズム]がマルコフ連鎖の機序を利用しているものとなる、そうもしたことが比較的よくも知られている(その斬新性がゆえに初期評価を得てきたとのことがある)ところとしてあるからである。
 検索エンジンの本来のアルゴリズムからは導き出せないような検閲行為(日本語ではサーチエンジン八部、海外ではサーチエンジン・センサーシップといった言葉で表される行為)は[理なきところ]でそれがなされれば違法なものだが(日本では民法709条、そして、場合によっては憲法の私人間効力の論点が関わると弁護士から聞き及んでいる)、それがたとえば、
[涅槃 (ティプラー流に言うところのマルコフ連鎖の「否定」ではある) を目的とする仏教から派生したカルトの紐帯]
などに属する[内発的倫理観とも自律的思考力などとも無縁なる細胞]([セクト]Cultと[飛び火しての細胞の運営システム] Clandestine cell systemはワンセットであるとは見る)によっておこなわれていればどうか。
 であれば、そう、[薬籠中の者達]の相応のコロニー(横断軸に組織の中枢からの指令系統を噛ませての「仏教系」カルト成員集住地域)をそこら中に「培養」したうえで、そうしたところに出入りするその実のせせこましき現益重視との名の[煩悩]でがんじがらめにしつらえた、(真実とも徳義ともより包括的なる善性とも一切無縁なる)偽善の塊として悪い意味での情動だけは付属させたロボット人間達、自分達でさえ自分達の偽らざるところの属性に気づけてさえいないとのロボット人間達にあってさえそういうこと ―普通には作用しえない検索エンジンアルゴリズム(たるマルコフ連鎖重視メカニズム)の否定としての能動的締め出し行為、センサーシップ行為なぞ― を(相応のところでその寓意とて意をなしてくるスネーク・アンド・ラダーズの徳義積み重ね方式を茶化す式で)やらせているのだとすれば、そうしたことまでなしている存在はほくそ笑んでいるかもしれない(繰り返すがティプラ―は涅槃をマルコフ連鎖の否定を【涅槃=完全な死との仏教徒における本願成就局面】と結びつけており、また、マルコフ連鎖の作用機序が恣意的に否定される状況こそが検索エンジンの検閲の状況となっているとのことがある)。
 計画に基づき思考能力を奪って、の中で、知と理なき攻撃性だけを増大させての相応の心根を生じさせるとのかたちで[機械]を通じて手繰っているが如き者達とはいえ、表層では宗教「的」なスタイルをとらされている者達の[最期]に至るプロセス ―輪廻の否定(マルコフ連鎖的ありようの否定)と涅槃寂静の成就(完全なる死の成就)との意味での「仏教」の本願の成就のありようでもいい― にはそれなりの[装飾]を施すのが相応しかろうとの式で、である ―半ば(手前言論に関わるところとしての)[恨み節]ともなるのだが、弁護士と違法検閲の問題について話し合うことを強いられたいくつかの状況のことを差しはさめば、現実的状況をヴィヴィットにとらえもしているだろうとの見立てている― ) )

(長くもなっての付記を続けるとして)

 さて、ティプラー申しようを書籍から出でての現実世界の娯楽のありよう (正確には人間が Snakes & Ladders(スネークス・アンド・ラダーズ;蛇と梯子(はしご))に見るような娯楽を強要されてきたとのありようか) まで顧慮して見てみると、

[(滅とも結びつく)[涅槃寂静:ニルヴァーナ]の思想の部分的肯定 = 永劫回帰の否定 = マルコフ連鎖の否定 = [涅槃に達するための[解脱(モクシャ)]状態を目指してのゲーム盤[蛇と梯子]の機序の超克(美徳の梯子を昇りながら煩悩の蛇を克服してのマルコフ連鎖の牢獄の克服)、次いでの、涅槃の達成]

とのコンテクストが成り立つようになっている ―欧米圏でよく知られた『蛇と梯子』とのゲーム盤とティプラー申しようの(ティプラー自身はなんら指摘せざるところながらも、の)マルコフ連鎖を通じての接合のコンテクストが成り立つようになっている― とのことに加えて、である。やりようが悪魔的ととれる (くどいが、この場合の悪魔的とは[嗜虐的に凝っている]とのことである) のは以下のことが「ある」からである。


フランク・ティプラーの(未邦訳である) The Physics of Immortality : Modern Cosmology, God and the Resurrection of the Dead『不死の物理学』にあってはその扉絵にあって
[天に伸びる梯子]
がそれだけ目立つように描かれており、その下に

A doozy of a book... it's 2001: A Space Odyssey meets The Divine Comedy ―Esquire 「あまりにも群を抜いた書...これはまさしく(アーサー・クラークの)『2001年宇宙の旅』が(ダンテの)『神曲』が出会ったようなものだ(エスクァイア誌)」

との書評がキャプションとして付けられているとの版 ―筆者が全文検討している版もそれである― が目立って存在しているとのことがある(天に伸びる梯子で意図されているところはフリーメーソン・シンボリズムにも幅広く採用されているとのことで本稿でも先立って取り上げてきたところの Jacob's Ladder[ヤコブの梯子]であろう)

 そうもした表紙それ自体での天に昇る梯子の使用との式で

[[マルコフ連鎖の否定][永劫回帰の否定]すなわち[(煩悩を捨てての)涅槃;滅・死の境地の肯定]

に通ずるようになりもしている、

[ゲーム盤[蛇と梯子] ([梯子]を上へ上へ登り切って涅槃の境地 ―先立って死・滅と結びつくものでもあると言及してきた境地でもいい― に達するとの道徳観と結びつけられもするゲーム)のマルコフ連鎖の梯子を超克すべくもの機序]

に通ずるようになりもしているとのことで

[天の梯子は【蛇の梯子】(先述のゲーム盤呼称)と照応し、その昇った先には【涅槃】([死]ないし[滅]とも同義たりうること先述のニルヴァーナ)が待つ]

との式で
「悪魔的なやりよう」
がそこにあると申し述べるのである。

 に絡んでは「第一に」『不死の物理学』にて記載された概念(オメガポイント)の目指す究極位置が([不死]などではなく)[死][滅]であるとの二重話法が透けて見えるとのことがある ―※ティプラー本人は「オメガポイントの志向する永劫回帰の否定は仏教の(死・滅を意味しもする)涅槃の観点と通ずるところがある「が」、仏教のそれは天の国を目指しているわけではない(機械の神による世界の再生を志向していない).であるから、仏教徒の涅槃の境地は機械の神が約束する再臨再生のオメガポイントと目指す方向性が違う」といったありようのことを(先立って引用しているようなかたちで)述べているのだが(再引用なせば、 There is no doubt that “Nirvana” means an escape from the cycles of reincarnation, an escape from the endless cycles of rebirth into other living beings after death. The undeniable goal of Buddhism was to escape the Eternal Return. But one could escape by becoming extinct, by ceasing to exist, or one could escape by entering an abode of happiness, by going to Heaven. The word “nirvana” literally means “extinction” or “blowing out” as in “blowing out a candle.” This Jiteral meaning doesn't sound very encouraging for the Nirvana = Heaven interpretation.とのところがそれだ)、 実際にはオメガポイント唱導の書がその表紙絵それ自体で[涅槃](ニルヴァーナ)という名の[死と滅の境地]への隠喩的表現と(欧米社会で流行ったゲーム盤を通じて)結びつけられている節ありとのことで二重話法の問題が透けて見えるとのことがある― 。 

 あまりにも堂に入っての嗜虐的反対話法の問題が首をもたげてくる理由として「第二に」ティプラー書籍の表紙絵と結びつけられている A doozy of a book... it's 2001: A Space Odyssey meets The Divine Comedy ―Esquire「あまりにも群を抜いた書...これはまさしく(アーサー・クラークの)『2001年宇宙の旅』が(ダンテの)『神曲』が出会ったようなものだ(エスクァイア誌)」とのキャプションが非常に問題になるとのことがある。
 次の理由からである。

・タイトルにあって(マルコフ連鎖否定の[蛇と梯子]のゲーム盤に見るような)[天に向けての梯子]と結びつけられつつ、
「あまりにも群を抜いた書...これはまさしく(アーサー・クラークの)『2001年宇宙の旅』が(ダンテの)『神曲』が出会ったようなものだ」
と表記されているとのことについて、まずもって、(ダンテの)『神曲』にあってのInferno『地獄篇』が異常異様に現代的観点で見た場合のブラックホール(の重力の特異点)と結びつくとの見立てをなせるようになっているとのことがある。そのことは本稿にて非常に問題視していたことである出典(Source)紹介の部55から出典(Source)紹介の部55(3)よりそちら典拠について解説をなしてから、度々もってして同じくものことを問題視している)。そして、 ―これより詳述することにもなるのだが― フランク・ティプラーの言うところのオメガ・ポイントを約束する[特異点](Singularity)とはブラックホールのそれと接合性を呈しているとのことがある続いての段の解説部を参照されたい)。

・上の点(・)だけならば、望み薄ではあるが、たかだかもってしての人間の恣意の問題 ―たとえばフランク・ティプラーの『不死の物理学』の装幀に携わった向きらに起因するわざと、の問題― で説明が付いたことかもしれない(というのもダンテ『地獄篇』における描写が現代的観点で見た場合のブラックホールと近似しているとの言いようは幾人もの著名物理学者によってなされている ―その引用も本稿ではなしている― とのことであり、にまつわっての[情報流通態様]から『不死の物理学』表紙部にて普通にそういう寓意付けがなされてもなんらおかしくはないであろうと受け取れるからだ)。 だが、話が人間レベルに留まっての寓意付けでは済まされないとのことにまで通じ至ってしまうとのところとして、表紙に見る天国に至る梯子の下にての
A doozy of a book... it's 2001: A Space Odyssey meets The Divine Comedy
との書評言いまわしに見る(アーサー・クラークの)『2001年宇宙の旅』が[ブラックホール]とも、そして、(「であるから重篤である」との点として)[911の事件の予見事象]とも多重的に関わっているとのことが問題になる(クラークの『2001年宇宙の旅』がいかようにしてブラックホールと結びつくのか、物理学者なぞにそうも指摘されるような特色を伴っているのかは先行するカート・ヴォネガットの小説作品 The Sirens of Titan『タイタンの妖女』の内容にも通ずるところとして本稿の前半部、補説1と銘打っての一連のセクションにあってのとりまとめの部にて解説していることである)。 そして、アーサー・クラークの『2001年宇宙の旅』という作品が
911の事前言及事物
としての顔を持つとのことに関しては ―本稿で細かくも先述しているところとして― 同作が哲学者フリードリヒ・ニーチェ(の著作 Thus Spoke Zarathustra『ツァラストラはかく語りき』)の物言いに関わるところともなる。 そして、フリードリヒ・ニーチェ(の著作 Thus Spoke Zarathustra『ツァラストラはかく語りき』)に関わりもすることと言えば、[永劫回帰の思想]であるとのことになり、その永劫回帰の思想の否定こそがフランク・ティプラーのオメガポイント理論の核に据えられているとのことがある。そうもしたことがあるのは無論にしてできすぎている。

(:直上にての「できすぎている」との言いようの伝はアーサー・クラークの『2001年宇宙の旅』が(ニーチェ『ツァラストラはかく語りき』を介して)[911の事前言及事物]としての側面を帯びているとのこと、そのことの時点で異常異様に「できすぎている」とのことがある中で「加えもして,できすぎている」とのことである。
 その点もってしてアーサー・クラークの『2001年宇宙の旅』が(ニーチェ『ツァラストラはかく語りき』を介して)[911の事前言及事物]としての側面を帯びているとのことについて本稿では(委細をすべて先立っての段に譲って振り返るとして)次の1.から5.の観点に分けもしての話をなしてきたとのことがある

1.[アーサー・クラークの1956年の小説 The City and Stars『都市と星』では道化師と結びつけられたツインタワー(双子との語と結びつけられての超高層ビル)の綱渡りの描写がなされる]
2.[道化師と結びついた二つの塔の綱渡りとのことで言えば、ニーチェ著作 Thus Spoke Zarathustra『ツァラストラはかく語りき』にあって「も」二つの塔の間を綱渡りし、落下死する男の比喩]が道化師と結びつけられて登場しており、それが同作『ツァラストラはかく語りき』の作品テーマ[人間(終わりの種族)とは[動物]と[超人]の間に横たわる深淵を渡るロープである]との比喩に結実するようになっているとのことがある]
3.[現実世界のワールド・トレード・センターのツインタワーの綱渡りをした者が実際におり(関連著作・関連映画が幾作も出されるなどのセンセーションを巻き起こした者が実際におり)、その男はフィリップ・プティという有名な大道芸人である]
4.[フィリップ・プティのワールド・トレード・センターのツインタワー綱渡りに先立つこととしてアーサー・クラークは小説『2001年宇宙の旅』を世に出しているわけだが、同作のあまりにも有名な映画版にはリヒャルト・ストラウスの Thus Spoke Zarathustra『ツァラストラはかく語りき』の曲が用いられているなどニーチェ思想との連続性が根深くもあるとの指摘がなされている(再言するが、ニーチェ『ツァラストラはかく語りき』は初期のクラーク作品(『都市と星』)に見るツインタワー綱渡りの寓意とも結びつくとの式で[道化師絡みの二つの塔の綱渡り]の比喩が登場してくる古典である)]
5.[以上の1.から4.よりクラークの『2001年宇宙の旅』には911の事件(「2001年」に起きたツインタワーの崩落事件)との接点があると見てとれるようになっているわけだが、クラークは七〇年代に出された小説 Rendezvous with Rama『宇宙のランデブー』にて2077年の9月11日に起こった災厄を描いており、そのフィクション上の災厄(にまつわる作中設定)が現実世界のスペースガード構想といった有志運動の命名規則に通じているとの式でよく知られているとのことがある。そして、七〇年代アーサー・クラーク小説に見る[20「77」「年の「9月11日」に起こった災厄]との77と9月11日を結びつけるやりようは9月11日に発生したかの事件が異常異様に77と結びつくようになっていることと平仄が合いすぎるとのことがある][また、クラークは、の後に、隕石 ―黒い破滅と語感と結びつくカーリ-という印度の女神の名を冠する隕石― の襲来を回避すべくものマス・ドライバー・アトラスによる人類救済プランを描く小説をものとしているのだが、マスドライバーというものが[ローレンツ力]という加速器と同文の機構をともなっているとのこと、そして、マスドライバーあらため加速器のアトラスがブラックホールを生成するとよりもって後の日に考えられるようになっていることから、多くも出来すぎて繋がるようになっている](以上委細を先の段に譲っての振り返っての表記とする)。
 以上の1.から5.のようなことがあることは ―「問題は、」それらが偶然の賜物で済むのか、あるいは、執拗な恣意の賜物であるか、であると申し述べつつ― 容易に裏取りできるし、その裏取りのための典拠を本稿で事細かに挙げていることである)

・さらに言えば、『不死の物理学』(の本稿筆者が検討している版)に見るような
「あまりにも群を抜いた書...これはまさしく(アーサー・クラークの)『2001年宇宙の旅』が(ダンテの)『神曲』が出会ったようなものだ(エスクァイア誌)」
とのタイトルキャプションと結びつけられている、
[天国に至る梯子]
だが、それはジェイコブズ・ラダーとのシンボリズムとも接合し、そのジェイコブズ・ラダーが複数のフリーメーソン・シンボリズムで溢れた作品らの中にあって[911の事前言及](として成立してしまっている作中内表現)と接合していることがあり、またもってして、そうもした側面を帯びての(怪物じみた)予見的作品らにあっての一部には
[重力の機序の操作による世界の破壊(と再生)]
とそちら[天国に至る梯子はしご](あるいは[天国に至る階梯かいてい(ステアウェイ・トゥ・ヘブン)])が結びつくとの側面までもが伴っているとのことまで「も」がある (といったことが人間存在(のコントロール影響下度合い)に対する諦観に近しき感情に筆者が苦しめられている理由の一ともなっている。ちなみに、そうした作品が国内の著名漫画作品として存在しているとのことは本稿の補説4では入念に解説していることである ―下図はその振り返りをなしてのものである― )

(直上、一例としての再現図を呈示している([天国への階梯ステアウェイ・トゥ・ヘブン]と同義であるとの)[ヤコブの梯子(はしご)]と結びつきもする[911の事前言及事物] (国内漫画作品『ジョジョの奇妙な冒険』にあっての911の事前言及がかっての描写をなしているパートとして巷間語られもしている箇所にして、かつもってして、フリーメーソンの徒弟(エンタード・アプレンティス)階級のトレーシング・ボードと露骨な視覚的かつ意味論的な接合性を呈していると本稿にて指摘しているとの箇所) についての解説は先の段に譲る)


 ここまで幾分もってして微に入ってのところまで解説してきたとの、

[永劫回帰(にまつわる[マルコフ連鎖]のことなどを持ち出してのティプラー否定の弁)と涅槃寂静の境地との部分的近接性(にまつわるティプラー言い分)およびティプラー著作『不死の物理学』表紙部内容、それらの事柄らより導き出せもする[解脱と天に向かう梯子]に関わる寓意]

は ―再言するが― フランク・ティプラーが[そういうことがある]と明示的に一切言及していないものとなっている、そう、[思考能力を蔵した人間] (自律的思考能力などはなから有しておらずやることなすことといえば種族の生存に石を置くことぐらいであろうといった按配の偽物・紛い物だらけになったこの世界では希少種へと追い込まれていることかとも見えもしてまう存在かもしれない) がアテンションを向けて思索した際にのみ特定化できるかたちでそこに体現させられている隠喩的な式(いわばもってしての[隠れ要素])であると判じられるものとなっているからこそ、そして、そこにあっては[911の事前言及事物]および[ブラックホール(の特異点)]との多重的な接合性までもが見て取れもするからこそ、[悪辣なやりよう]であると申し述べる。

(以上をもってして長くもなってのフランク・ティプラーの[永劫回帰否定]の申しようにまつわる長くもなっての付記の部を終える)

(長くもなっての付記の部から本題に立ち戻るとし)

 ここからが

[何故、ティプラーの申しようが問題になるのか ――[[犯罪]の「極悪なる」具体的証跡]が(本稿にて挙げ連ねてきたような式で)眼前に目につくようになっている(明らかに人為的な式で嗜虐的な殺され方をしている死体が眼前にあるような式で目につくようになっている)との状況での(考えられるところの)[犯行動機]、Whydunit[何故、彼らはそうしたのか]との点に関わりうるところでいかようにして問題になるのか、でもいい―― ]

とのことにまつわる[推理] (先立っての段でも強くも申し述べているようにここでの話は証跡指し示しをなしたうえで[申し分け]程度に付している[推理(guess)]の領域に留まるとのものである) に直接的に関わるところとなる。

 すなわち、

第一
 オメガポイント理論にまつわってティプラーが明示している観点は「史的」側面で
[現行の加速実験実施機関の「誕生」経緯]
との[繋がり合い]が観念されるとのものとなっている。そして、その繋がり合いは本稿にて問題視してきた[予言的作品]との共通項が問題となる[繋がり合い]「とも」なっている。

第二
 上記第一の点と一緒くたに考えてこそ意をなすこととしてティプラーのオメガポイントにまつわる言いように関しては
[加速器実験機関と結びつけられてのブラックホールの人為生成問題]
「とも」(「奇怪な式で先覚的に」と受け取れるかたちで)相通ずる側面が見受けられるようになっているとのことがある。

との点らにあっての

第一
 オメガポイント理論にまつわってティプラーが明示している観点は「史的」側面で
[現行の加速実験実施機関の「誕生」経緯]
との[繋がり合い]が観念されるとのものとなっている。そして、その繋がり合いは本稿にて問題視してきた[予言的作品]との共通項が問題となる[繋がり合い]「とも」なっている。

に主軸として関わるところとなる。

 その点もってして

[フランク・ティプラーが永劫回帰とワンセットになって否定に力を入れているナチス思想出典(Source)紹介の部115(2)出典(Source)紹介の部115(3)) ]

への科学者らが大同団結して結集してのカウンター・アクションこそが

[(ブラックホール生成をなしうるとされるに至った)現行の加速器実験機関ら

を世に産み出すことになったとのことがある(との点が問題になるだけの事情が存在している)。

 さて、同じくものこと (現行の加速実験機関の誕生を促進したのがナチスへのカウンター・アクションであるとのこと) に関わるところとして本稿の[補説2]の部にあっては以下、振り返りもするようなことの証示に努めもしてきた。

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また、直下、本稿冒頭部へのリンクも設けておく

(⇒冒頭頁へは下の部より)

[典拠紹介部第1頁 加速器実験に伴う欺瞞性から証示なせることについて]

 上掲なしているのは19世紀後半から20世紀前半にかけて活動の著名な挿絵家アーサー・ラッカムが英訳・再刊行されたワーグナーの原作歌劇 Der Ring des Nibelungen『ニーベルングの指環』 (英文通用化タイトルとしては[指輪]一語の The Ringとも呼称される歌劇) の書籍化バージョンに提供しもしていた挿絵を挙げたもの、より具体的には挿絵家ラッカムが『ニーベルングの指環』序盤部をなすパート、 Das Rheingold『ラインの黄金』のために作成・提供していたとの画を挙げたものとなる (ただ当媒体では同画に多少の演出を施している) 。

 さてもってして、挿絵に見る女、というより、人ならざるところの[女神]はイドゥン(Idunn)という存在を(音楽界の巨匠と認知されている)『ニーベルングの指環』作曲者リヒャルト・ワグナーがフライヤ(Freia)との名前で焼き直しなし、登場させているとの存在なのではあるが、イドゥンにせよ、Wagnerが登場させた(画に見る)フライヤにせよ、北欧神話における不死の果実であるところの【黄金の林檎】と紐付けられた存在となっている(彼女ら女神達は【黄金の林檎の管掌者】となる)。 
 そうもした黄金の林檎と紐付いての彼女ら(イドゥン/フライヤ)は、いわば、神々に瑞々(みずみず)しき【不死】を(若さ約するとの)【黄金の林檎】を介して供給しているとの設定の女神となりもし、そして、彼女らの管掌する【黄金の林檎】が北欧神話多神教の神々に最早若さを与えなくなったとのその時点が【終末のはじまり】であると描写されてきたとのことがある (:【終わりの始まり】が黄金の林檎にて供給される若さの喪失と結びついていると描写されるのはワグナー歌劇にせよ、北欧神話それ自体も同文のこととなる ――ワグナー歌劇では序盤より【黄金の林檎(とフライヤ)の担保する若さの維持】が【無限の力を蔵する指輪の保持】と一時的に秤量されるのだが、結局、【黄金の林檎】と比較された指輪を欲する強欲な心(による人界の操作)が世界の終末に繋がると描写される。他面、ワグナー歌劇より遙か前から存在していた北欧神話では(それを収めたエッダ詩の訳書を借りるなどしてもよかろうしウィキペディアの[イズン]関連項目などをご覧戴くのでもよかろうが、易くも確認できようところとして)神々の最終決戦であるところのラグナロクとされる終末局面にあって黄金の林檎によって担保されていた不老は停滞を見、老化が始まると描写される―― )。

 ここからが問題なのだが、本段、脇に逸れての訴求部にあってまわりくどくもの口上にて上の如きことを引き合いに出しているのは本稿にあって【次のこと】らを【黄金の林檎】との兼ね合いで(具体的根拠と共に)訴求している ―(画に見るイドゥン・フライヤにも関わるところとして訴求している)― からである。

黄金の林檎 ―それは北欧神話から離れてのギリシャ神話ではトロイア戦争の原因、すなわち、城塞トロイアの崩壊の元凶でもある(本稿の前半部にあって古典よりの原文引用でもってして典拠紹介のこととなる)― が【人間の終末】に関わるとの指摘がなせるようになって「しまっている」、しかも、それ(黄金の林檎)がブラックホール生成との兼ね合いで古今東西にまたがっての文物を介して【人間の終末】に関わるとの指摘が濃厚になせるようになって「しまっている」とのことが現実にある (:現況現在執り行なわれているLHC実験にあって「科学の進歩に資する」とされてのブラックホール生成可能性と紐付けられてきたディテクター(検出器)の名前が【黄金の林檎】の在処を識る巨人アトラスの名を冠する ATLAS Detectorとなっているとのことが確とある一方で黄金の林檎と接合するエデンの禁断の果実を用いての誘惑者の著名古典に見る描写が(それ自体、奇怪奇矯なることなのではあるも)今日的な視点で見た場合のブラックホールの近似的描写と紐付いている、そうしたことがそれこそ山となり、それら山とあることらが相互に多重的に接合しているとのこともが「ある」)。

・上掲図の元となっているワグナー歌劇『ニーベルングの指環』は【黄金の林檎】(を管掌する女神)と【無限の富(力)を約する指環】の取引が序章の部より描かれているのだが、(黄金の林檎を管掌する女神と秤量されての)【指環】の取得に固執した者らが強欲さゆえに次々と滅亡していくさまが同歌劇では描かれる(:その一番はじめの描写は『ニーベルングの指環』前半部にあっての【黄金の林檎】管掌者たるフライヤを略取、彼女フライヤを【指輪】との取引の具とした巨人ファーフナーとファーゾルドの兄弟が殺し合いをはじめるとの部となる)。 そのことは現実世界で「黄金の林檎と接合している」とのかたちとなっている巨大なリング状の装置、加速器ラージ・ハドロン・コライダーが【指輪;リング】に仮託される風が一部ある (『ニーベルングの指環』の影響下にあるJ.R.R.トールキン原作のロード・オブ・ザ・リング『指輪物語』に登場の冥王に由来する指環と結びつけられるなど加速器LHCが【指輪】に仮託される風が実験関係者含めて見受けられる) とのことと平仄が合うにも程があろうとの筋合いのことともなる (:ただ現況もってして、同じくものことを問題視する人間はまったくいない(心ある向きには是非とも確認いただきたいところなのだが検索エンジンで英文単語を何語か入れて当たりをつけんとしてみても【リングと黄金の林檎の結びつき】を加速器との関係で目立って問題視するような向きはこの世界にはいない))。

・上にて先述のように【ギリシャ神話におけるトロイア崩壊の元凶】「でも」あるとのゴールデン・アップルがそれ(黄金の林檎)に関連する事物ら(巨人ATLAS「など」)を介してブラックホール生成をなす可能性があるとの加速器 ―巨大な【リング】でもある― と結びつくとして、である。 現在にあって巨大加速器実験を実施している「研究」機関ら、および、そちら「研究」機関らに携わっていた初期の紐帯がどうやって世に生み出されたのかもがワーグナーの『ニーベルングの指輪』に通ずる側面がある。 どういうことか。 現況、加速器実験を執り行なっている主たる研究機関ら(それら研究機関らは、と同時に、ブラックホール生成可能性に伴うリスクとの観点で中途半端に海外で法廷に引きづり出された研究機関ら「でも」ある) はその沿革上、
【マンハッタン計画の子供ら】
となっているとのことがある ―同じくものことは長大な本稿本文の部にあって(入念を心掛けての)指し示しの対象としていることでもある― のであるが (:またもってして核分裂の過程に通ずる原子核人為破壊を兵器転用なそうとしたとのマンハッタン計画にあっての挙、そちら核兵器を製造するプロセスと加速器実験にての原子核人為破壊のプロセスは同一方向のベクトルを指している ―無論にして同じくものことの典拠をも本稿本論部で入念に挙げている― )、 マンハッタン計画と今日の加速器実験(におけるブラックホール生成に通ずる挙)の縁(えにし)の深さはそれ以外にも濃厚に認められるとのことがある(たとえば円形加速器という装置をそもそも生み出した者達がマンハッタン計画の主導者となっていたとのことがある等々)。
 そうもした(加速器実験運営機関を生み出した)マンハッタン計画始動の原因になっているユダヤ系の迫害の挙に出たナチスのやりよう・躍進・劫略のプロセスはワグナー歌劇『ニーベルングの指環』と濃密に結びついているとのことがある(『指環物語』作者ワグナーがユダヤ系の向きらにあって反芸術・野蛮の象徴である忌避すべき象徴とされてきたのはナチス第三帝国およびその領袖ヒトラーが反ユダヤ主義を大っぴらに喧伝していたリヒャルト・ワーグナーを最大限重要視していたとの歴史的事実があるからであり、たとえば、ナチスの実行してきた非道なる命令体系、占領統治下の反体制派・レジスタンスを夜陰に乗じて密やかに処分することを目しての行政命令であるところのナハト・ウント・ネーベル( Nacht und Nebel )、【夜と霧】行政命令 ―日本では Man's Search for Meaningとの原題を有した心理学者ヴィクトル・フランクルの書籍の「邦題」として識られている語でもある【夜と霧】(収容所が絶滅収容所へと変遷していく画期を象徴する語であるとも認識されている)― などはワグナーの『ニーベルングの指環』に由来しているとのものとなる ――※ウィキペディア[夜と霧]項目などにおいても簡明な解説がなされてはいることだが(であるから疑わしきはその程度の媒体からでも確認いただけるであろう)、ナチスドイツが欧州にて反対派を掃討するための共通規則とした【夜と霧】命令はヒトラーが愛聴していた、そして、ナチス体制下の国家芸術の象徴として扱われていたリヒャルト・ワグナーの『ニーベルングの指輪』、その『ラインの黄金』にあっての一幕(の中の[ニーブルヘルム]の下り)にて侏儒(ドワーフ)のアルベリヒが隠れ頭巾を用いて姿を消す際に口にする台詞、「夜と霧になれ、誰の目にも映らないように.」に由来しているとのことが知られている(にまつわって述べておけば、【夜と霧の呪文】を唱えたドワーフ・アルベリヒは強欲さの象徴でもあり、絶大な力をもたらす【呪いの指環】そのものを生み出した存在でもあるとワグナー歌劇では設定付けがなされているキャラクターである)―― 。

 以上のことはそれだけを読まれる限りは何が問題になるのか判じがたいとのこととなろうかとは(当然に)思うのであるが(理解を阻む詰め込み過ぎの風もあったかと脳裏をよぎりもしている)、同じくものことにまつわっての指し示しを細々となしもしている、また、そこからさらにもってして何が述べられるのかの指摘を委細を尽くしてなしているとの本稿本論部をご検討いただければ、【ことの重篤さ】 ―重篤さというのは【執拗さ】の問題として何が企図されているのかに通じもしていることである― についてご理解いただけるか、と考えている。

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