典拠となるところの明示[37]――伝承に見るアトラス、及び、アトランティスが
何故にもって複線的にトロイア崩壊譚と接合していると述べられるのかについて

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[アトラス]・[アトランティス]が[トロイア崩壊伝承]と何故もってして複線的に接合していると述べられるのかについて本稿以降の段の事実関係摘示に向けて布石としての詳解を講ずる(3)

 ここでは以下の流れでの筆の運びをなしている。

 本稿にての重要訴求事項に[梁]として関わるのが巨人Atlasアトラス、ギリシャ神話の英雄Herculesヘラクレス、往古海底に没したとプラトンの手になる古典(Timaeus『ティマイオス』)に言及されるAtlantisアトランティス、そして、今日の欧州文明の源流となっているギリシャ古典(後述のIliad『イリアス』およびOdyssey『オデュッセイア』)にてその破滅に向けてのありようが言及される[木製の馬で滅せられたトロイア]であると先立って言及してきたわけだが、以降の部では、うち、[アトラス][アトランティス][ヘラクレス功業]らのそれらについて[何が問題になるのか]についての極部分的なる言及をここまでにてなしてきたとの各要素についてさらに一歩進んでどういったことが述べられるのかについての解説をなしていくこととする。

 具体的には以降の段では


「アトラス」
「アトランティス」
「ヘラクレス」
「トロイア」

にあっての

アトラス
アトランティス
ヘラクレス

との各要素らが(上記要素らにあっての)他要素としての[トロイアと多重的・複線的に結びつくようになっており、そのことがまた、

[ブラックホールを生成すると主張され、その[可能性]が科学界にて部分的に認容されるに至ったとのLHC

とも関わるようになっている


ことにまつわる解説(にして「証して」「示す」との[証示])を膨大な紙幅を割いてなしていくこととする。

 それにつき、「まずもっては」同じくものことについてI.からV.と振っての流れでの指摘をなしていくこととする。

 以上振り返ったとの流れにあって直前頁では(I.からV.と振ってのことらのうち)III.と振っての段に入った。ここ本頁でそうした前頁の内容を受けて、次のことにまつわる摘示をなすことから話しはじめる。


[ヘスペリデスの黄金の林檎の園](先立っての段で[それはトロイアと結びつくものである]とのことを申し述べたとの伝承上の地所たるヘスペリデスの黄金の林檎の園)については[アトランティスの質的同等物]であるとの主張がなされてきた


 たとえば、半ば趣味人的なる史家であったイグナティウス・ロヨラ・ドネリー(政治家としてのキャリアを持つ人物)は19世紀後半(1882年)に

Atlantis: The Antediluvian World『アトランティス大洪水前の世界』

という著作 ――(同著、『アトランティス・ジ・アンティディルービアン・ワールド』については「欧州およびアメリカ大陸は古のアトランティスの影響下にあった」との申しようを主張の核とするとの著作で今日、信用の置けぬ出典( unreliable source )と看做されているような著作だが見るべきところもあるとの著作となり、表記のタイトル入力でプロジェクト・グーテンベルクなどのサイトを通じて誰でも全文確認できるとの著作ともなる)―― を世に出しており、19世紀末から20世紀初頭にかけてある程度の反響を呈していた同著の中にも、同文のこと、ヘスペリデスの園を強くもアトランティスと結びつけるとの申しようが(そうなされるべくして)なされていたとのことがある。

 直下にての出典紹介部にて解説するような式にて、である。


| 出典(Source)紹介の部41 |

 本段、出典(Source)紹介の部41にあっては

[ヘスペリデスの黄金の林檎の園が何故、アトランティスと看做される素地があるのか]

とのことに関わる典拠を紹介する。

「行き過ぎている」(far-fetched)と評価されやすき内容、すなわち、

「古に存在していた共通古代文明としてアトランティス伝承に通ずる文明が存在しており、それが新大陸(アメリカ)および旧大陸に共通の文明基盤を与えることになりもしていた」

との仮説を展開しているとの意味で「行き過ぎている」と評価されやすき内容を有しており、そして、情報の行き渡りが不十分であったとの19世紀にあって専業の学者でなく職業政治家との来歴を持つ人物(イグナティウス・ロヨラ・ドネリー)の手になる著作がゆえに全幅の信が寄せられるようなものではないといった評価が伴っての書とはなるが、著述家イグナティウス・ドネリーの手になる著書 ATLANTIS THE ANTEDILUVIAN WORLDにあっては次のような表記がなされている。

(直下、 Internet Archive Project Gutenbergのサイトを通じて全文ダウンロードできるとの書となっている ATLANTIS THE ANTEDILUVIAN WORLD(1882)にての CHAPTER II THE KINGS OF ATLANTIS BECOME THE GODS OF THE GREEKS.の部、p.306よりの抜粋をなすとして)

The Nymphs were plainly the female inhabitants of Atlantis dwelling on the plains, while the aristocracy lived on the higher lands. And this is confirmed by the fact that part of them were called Atlantids, offspring of Atlantis. The Hesperides were also "daughters of Atlas;" their mother was Hesperis, a personification of "the region of the West." Their home was "an island in the ocean," Off the north or west coast of Africa.

(補いもしながらもの拙訳として)
「貴族階級が高地に住まっていた一方でニンフら(に比定される存在)は
[アトランティスの平野部]
に住まっていた女の住人らであった(と述べられる)。これは彼女らの一部がAtlantids、[アトラスの後裔]と呼ばれていたことで確認されるところである。(ギリシャ神話の下位位階の女神らたるニンフの)ヘスペリデスはアトラスの娘達であり、彼女らの母は[西方]の人格化存在たるヘスペリスとなっていた(訳注:ヘスペリデスの母親の名がヘスペリスHesperisとなっていることはすぐに裏取りできるところだが、娘らヘスペリデスの中にヘスペリスとの存在の呼称が含まれているとされることもあったり、娘らヘスペリデスを単数形として表記した際にヘスペリスといった名称が用いられたりとややこしいところではある)
 彼女らニンフら(ギリシャ神話の女神接合存在)の故地は大洋の島であるとされ、それはアフリカの北岸ないし西岸の先にあるところであった(とのことでプラトン古典に見るアトランティスとの地理的接合性が問題になる)」

(訳を付しての引用部はここまでとする)

(続いて、直下、 Project Gutenbergなどのサイトを通じて全文ダウンロードできるようになっているとの Atlantis: The Antediluvian World『アトランティス大洪水前の世界』(1882)にての CHAPTER VIII.THE OLDEST SON OF NOAHの章、p.453よりの抜粋をなすとして)

Agriculture.--The Greek traditions of "the golden apples of the Hesperides" and "the golden fleece" point to Atlantis. The allusions to the golden apples indicate that tradition regarded the "Islands of the Blessed" in the Atlantic Ocean as a place of orchards. And when we turn to Egypt we find that in the remotest times many of our modern garden and field plants were there cultivated.

(拙訳として)
「農業について――[ヘスペリデスの園の黄金の林檎]および[金羊毛皮]にまつわるギリシャ伝統はアトランティスの方向を指し示すものである。黄金の林檎に対する言及は果樹園の場としての[大西洋の祝福されし島]にまつわる伝承のことを想起させる。そして我々がエジプトに立ち戻った時、往古にて我々の今日の果樹園や栽培種の多くがそこにて栽培されていたことを見出すのである(訳注:ここではドネリーはアトランティスとして同定できるものがギリシャら欧州やアメリカ先史時代に農業的な影響を与えていたとの式での申しようをなしている)

(訳を付しての引用部はここまでとする)

 上にての引用部に認められるようにイグナティウス・ドネリーはその著書 Atlantis: The Antediluvian World『アトランティス大洪水前の世界』(1882年刊行/19世紀末から20世紀初頭にて反響呈してた著作)にあって、はきと、

「ヘスペリデスも、また、ヘスペリデスの黄金の林檎の園もアトランティスと結びついている」

と主張している ――※ちなみにそちら主張を支える理由として[黄金の林檎の園を管掌するヘスペリデスの[ニンフ(ギリシャ神話にての下位の女神ら)としての呼称]が[アトラスの娘のグループ]がゆえに[アトランティデス](Atlantides,単数形はAtlantis)とのかたちとなっていること]、[ヘスペリデスの黄金の林檎の園が大西洋の先にあったとのことで(プラトン古典に見る)[大西洋の先にある陸塊]としてのアトランティスとの接合性が観念されること]、[ヘスペリデスの母親としても伝わるヘスペリス(ヘスペリデスの単数形呼称でもあるが母親の名としても伝わる)の語源が[西方]と結びついていることで西方にてのアトランティスとの接合性が観念されること]との各事由が挙げられていもする―― 。

出典(Source)紹介の部41はここまでとする)


 ここで
「履き違え・誤解しては欲しくはない」
ところとして申し述べるが、直近引用部にてその著作内容を取り上げたイグナティウス(イグネイシャス)・ドネリーという100年以上前の文筆家申しようについてその主張内容帰結(アトランティスとの観点と結びつくあまねくもの文明に共通する先史時代の文明にての共通基盤があったとする主張内容帰結)の真偽や信憑性を(本稿では)問題にしているのではない ――今日、ドネリーの展開してきた申しように関してはドンキホーテ的な幻想であったと評するような評価もなされているが(たとえば Ignatius Donnelly A DON QUIXOTE in the World of Science『イグナティウス・ドネリー 世界の科学にてのドンキホーテ』との書きものがオンライン上よりダウンロードできる Minnesonta Historical Societyミネソタ歴史学会なる組織経由の文書として流通したりしている)、筆者はそうもして毀誉褒貶の「毀」「貶」が目立ちもする式となっているドネリーの申しようが正しいか正しくないかを問題視しているのではない( my point of view: Whether viewpoints seen in ATLANTIS THE ANTEDILUVIAN WORLD ( by Ignatius Loyola Donnelly's ) are proper or not, it makes no differnce.)―― 。

 「問題なのは、」近代人ドネリー申しようからして

西の果てにあるとのことである[[アトランティス]([アトラスの娘]との意味合いでの[アトランティス])らが管掌する黄金の林檎の園]が[沈んだ陸塊としてのアトランティス]に親和性が高いものである

との見解が呈されるべく呈されているとのこと、そのことが伺い知れるとのことである(:ドネリーは別段、おかしなことを言っているわけではない。第一。アトランティスは大洋の先、西方の果ての島とされている。第二。伝説上の巨人アトラスの娘はアトランティス(複数形アトランティデス)と呼称されていたとのことがある。第三。アトラスの娘ら(アトランティデス)たるヘスペリデスら ――黄金の林檎の管掌者ら―― が暮らすヘスペリデスの園は大洋の際、西の果てにあったとされ、ヘスペリデスら自体が西方と親和性高い言葉である。以上、第一から第三の点よりヘスペリデスの園は大海の果てにあったと伝わるアトランティスに通ずると判じられる。以上の論理に関しては ――伝説の大陸アトランティスというものが実際にあったのか、また、そのアトランティス大陸とヘスペリデスらが実際に不可分なる関係にあったのかについては典拠などない、それがゆえに、真偽藪の中とならざるをえぬとのことがあったとしても―― 飛躍はなんらないと判じられるわけである)

イグナティウス・ドネリーやりようにまつわる補足として

 上にて
[表紙]
を挙げているのはイグナティウス・ドネリーという論客に対する批判論稿となる。

 より具体的には(最前にての)本稿本段でその著作 Atlantis: The Antediluvian World『アトランティス大洪水前の世界』(1882)の[内容;中身]を取り上げもしたとの著述家イグナティウス・ドネリーの名声を失墜させしめるに至った著作にしてシェイクスピアの真の正体はロード・フランシス・ベーコンであったとのことを主として主張しているとの(ドネリー自称としての)[暗号解読]本、 

The Great Cryptogram: Francis Bacon's Cipher in Shakespeare's Plays『大いなる暗号:シェイクスピア劇に含まれしフランシス・ベーコンの暗号』(1888)

の内容に対する批判的分析を世に問うべくもものされた論稿たる、

The Little Cryptogram『微々たる(取り合うに足らぬ)ところの暗号』(1889)

の表紙部が上に図像挙げているものとなる(:実にもって短きものでありながらも相当に難解なものでもある同論稿 The Little Cryptogram Project Gutenbergのサイトを通じて全文ダウンロードできるようになっている(との内容後追いを誰でもできるものであるからここにて引き合いに出した)と申し述べておく。尚、表紙絵を上に挙げもした同論稿でもってしてそれが槍玉にあげられているとのやりよう、[[シェイクスピア=ベーコン説]に固執するとのやりよう]にて著述家ドネリーが立つ瀬を完全に失ったとのことについては ―これより、にまつわっての内容紹介をより細やかなかたちでなすとの所存でもあるが― たかだかもの英文Wikipedia[ Ignatius L. Donnelly ]項目にてあって「も」現行、 In 1888, he published The Great Cryptogram in which he proposed that Shakespeare's plays had been written by Francis Bacon, an idea that was popular during the late 19th and early 20th century. He then travelled to England to arrange the English publication of his book by Sampson Low, speaking at the Oxford (and Cambridge) Union after which his thesis "Resolved, that the works of William Shakespeare were composed by Francis Bacon" was put to an unsuccessful vote. The book was a complete failure and Donnelly was discredited.(逐語訳に替えて半ばもの大要訳として)「1888年、イグナティウス・ドネリーは19世紀から20世紀にかけての往時、衆目を集めるところとなっていたとの観点、「ベーコンこそがシェイクスピアである」との観点を支持しての著書 The Great Cryptogramを刊行し、(同著作主張に関するものとして)オクスフォードおよびケンブリッジにての公演をなしつつ同著英国版刊行に向けての調整をなすべく渡英した。同著はまったくもっての失敗作とあいなり、それによりドネリーは信を失った」(引用部はここまでとする)との記載が端的になされているところでもある)

 その点、上にて表紙絵を挙げている批判的論稿にて槍玉にあげられたドネリー著作、 The Great Cryptogram: Francis Bacon's Cipher in Shakespeare's Plays『大いなる暗号:シェイクスピア劇に含まれしフランシス・ベーコンの暗号』(1888)については筆者も(残余余力の配分の都合もあって精査には至らぬも)一読はなしており、そこにて記載されている内容を

難解であるうえに独創先行( highly imaginative )のきらい極めて強き、行き過ぎたもの/こじつけがましきこと限りなしのもの

と判ずるに至っている。

(:ドネリー著作 The Great Cryptogram: Francis Bacon's Cipher in Shakespeare's Playsにあっては読み手が一廉の人間であり、手持ち知識・情報にて充分なる援護射撃をなそうと考えた場合でも
[判読に一定以上の知能を要するとの論理「そのもの」]
に無視しがたい固有の欠陥がついてまわっており(暗号解読、デコードの式でシェイクスピア戯曲にベーコンのメッセージングが入れ込まれているとの主張にあってのその暗号解読の方式それ自体にこじつけがましいにも程があるとの欠陥がついてまわっており)、 それがゆえに、全幅の信に値しないとのものとなっているとのことがある。
 にまつわって現代にあって
[同じくもの臭い]
を「露骨に」感じさせるものを挙げれば、である。近年、世界的にヒットし、かつ、日本にても世間に妄言・妄覚の類を広めんとするが如き筋目の者達(そういう役割を特段に負わされた相応の臭気を放っている者達)に担がれているとの書籍、元ワシントン・ポスト、ウォールストリート・ジャーナル記者であったとのマイケル・ドロズニン( Michael Drosnin )がものした、[壮大なnonsense]といった評されようもなされている著作、
The Bible Code『聖書の暗号』(訳書は新潮社刊)
という書籍およびそこに見る主張のことが挙げられもするであろう(とここでは付記しておく)。
 ドロズニンの手になる直上言及の著作『聖書の暗号』については、

[ヘブライ語聖書に未来予言を兼ねての暗号が含まれている] (e.g.オズワルドによるケネディ暗殺やロバート・ケネディ暗殺にまつわる未来予言を兼ねての暗号などが[ヘブライ語聖書]に含まれている等等)

といった「相応の」主張を支えるべくものこじつけ論理を[暗号解読方式]で展開しているとの側面がとみにみとめられる。
 以上、ドネリーの往時のやりようの現代版であるとの式で引き合いに出した The Bible Code『聖書の暗号』については、ただ、その委細に踏み込まない、踏み込む必要もなかろうと筆者は判じもしている ――そこに見る暗号解読方式としては EquiDistant Letter SequencesことEDLSないしはELSという[等距離文字列抽出方式](一定文量の原文から等距離の文字列を抽出するとの方式)が採用され、それによって完全な文章がいくつも「特定」され、聖書の中にての予言的言及が捕捉出来るようになっているなどとの主張がなされているとの言及だけはしておく―― 。 その点、ドロズニン『聖書の暗号』については反対意見を表明しての論客(ブランダン・マッケン Brendan McKayという大学人など)から

「ハーマン・メルヴィルの Moby-Dick『白鯨』からも同じくもの式(ドロズニンが聖書から暗号を引き出したのと同じくもの式)で「暗号」の解読を導き出せるようになっている」

との批判を同著著者(ドロズニン)呈示の暗号解読方式(EDLS)それ自体に準拠して呈示されるかたちとなっており、かつもって、
[「人を笑わせる(失笑させる)、それでいて、思索をもたらす」との意味で悪名を馳せた者]
に与えられる賞、[イグ・ノーベル賞]の1996年ドロズニン受賞にもつながっているとのことだけ申し述べれば十分である(そして同著委細には踏み込まない)と筆者は判じているのである ――『聖書の暗号』内容が一体全体、どのようなものなのか、そして、そこにみる[露骨なる妄言]を広めるのにどういう筋目の者達が国内外で一助なしているのかも含めて各自で確認されてみるのがよかろう、と思う (尚、筆者は【数千年前から文言変転を見ずにそこにあるとされる書物】(聖書)に【数千年後の出来事】の予言が人名(役者名)込みにもの事細かになされているなどとはありえなかろうと考えているのだが(そのようなことは超高度コンピューターでも予測できなかろうし、そも、予測する必要もない)、ただし、プログラミング computer programmingの世界で言うところの[ Easter Egg;隠しコマンド発現型愉快犯要素]としての[近年に実行スキーム(処理手順)が定義・構築された自己成就予言( self-fulfiling prophecy)]が実演されていること、いわゆる[自作自演]での[聖書に範を取っての演出]が人形のような者達らを操って[神なるもの]の振りすらする性質悪い存在によってなされていうるとのことまでは可能性論として否定しきれなかろうと考えている「とも」断っておく)。 その点、さらに述べれば、数千年前の書物(ヘブライ語聖書)に数千年後の社会にての微細なる出来事経緯の予言(オズワルドによるケネディ暗殺等等の予言)が具体的人名込みに含まれているとのことなどを殊更に強弁するような愚書・悪書の類(脳が正常に働いているとの人間には見るに堪えがたい愚劣な書でもいい)が何故にもってしてありとあらゆる[より問題となる明瞭とした「予見的な」ことら]が脇に捨て置かれている中で世界的ベストセラーになりえたのか、そこからして、この世界の現状について推し量りいただければ「なにより.」とも考えている(なお、世界的ベストセラーになったとの『聖書の暗号』を著してのドロズニンが受賞した Ig Nobel賞とは Ignatius Nobel「イグナティウス・ノーベル」なる人物の遺産によって運営されているとの[設定]も付与されているが、実体は英語のignoble「恥ずべき、不名誉な」との語に淵源を持つ賞である)―― 

 さて、19世紀後半から20世紀初頭にて屹立していた卓抜した識者たるイグナティウス・ドネリーという人物、[アトランティスに仮託されるような古代の文明共通基盤が存在していた]との主張をなしたことで最大限知られているイグナティウス・ドネリーという人物が(下に批判のなされようについてだけは紹介しておくとの)[ベーコン=シェイクスピア理論]にまつわる「問題ある」主張 ――近年にあって「も」同文の「暗号解読」にまつわる主張が時折なされては物議を醸しているとのことを紹介すべくも直前、マイケル・ドロズニン著書『ザ・バイブル・コード(聖書の暗号)』にみるありようを挙げもしたとのところの(暗号論を時宜に適っていないやりようで用いてしまったとの)「問題ある」主張―― をなしていたとしても、である(※)。

(※ドネリーの主張が往時にてどういう評価を受けていたのかについての紹介を下になしておく。
 その点、上にその表紙絵を挙げている批判論稿 The Little Cryptogramにあってはドネリー呈示の暗号解読手法に対する高等批評が講じられており、そこではシェイクスピア劇 Midsummer Night’s Dream『夏の夜の夢』にあっての妖精パックの台詞、
“What fools these mortals be.”「これら死すべき定めを負った者達(人間ら)のなんと愚かなことだ」
との台詞に結語を収束すべくもさせるべくも痛烈なIrony皮肉として
It is simply impossible that this combination of unusual words, “Donnelly,” “politician,” “author,” “sage,” all jostling each other in passages introduced without relevance to the play, should be an accident. It is deep design. Bacon, looking forward with more than mortal prescience, saw the day when his deliverer would come. And in anticipation of this event, he put into his greatest play, by means of the cipher, the prophecy that is now fulfilled. By one act of transcendent genius, he made it impossible for anyone to reject the revelation which his interpreter should make in the fulness of time.(訳として)「ドネリー(Donnely)][政治家(politician)][著述家(author)][賢者(sage)]といった(往時にては)通常用いられない語句らの組み合わせが何らかの関連性なくしてシェイクスピア劇に導入されている」(正確には[ドネリー提唱の暗号体系(なるもの)]に基づいて語句変換されたうえでは導入されているとの[解釈]が出てくるというのが偶然であるなどというのは不可能である、そのように端的に言うより他はない。こうもした[ことの仕儀]を受けて期されるところから、「彼」(シェイクスピア)はその偉大なる戯曲に暗号との式で「現在」(ドネリーが解読をなしたと主張しての折柄をもってしての「現在」)にてその解読が達成されることになったこと(自体にまつわる言及)を入れ込んだのだ。(シェイクスピアの真なる姿である)ベーコン生年の前科学的ありようを越えもしての未来予見の術にて彼の伝えんとしたことが達成される日を見ていたのである類稀なる演出の才にて彼シェイクスピアたるベーコンは誰であっても否定しがたいとの[黙示](注:この場合、revelationは聖書の黙示録レベレーションの語源にも鑑みて[暴露]ではなく[黙示]と訳すべきと判じた)、[彼の作品の解読者が時が満ちてなすべくこと]にまつわる[黙示]をもなしえていたのである」
といった申しようがなされていること、挙げれば、それで十分か、とも思う ―ドネリーの暗号解読方式を実践すると[ベーコンによるシェイクスピア戯曲の真作者としての執筆の声明(と見受けられるもの)]だけではなく[シェイクスピア解読家にして政治家かつ著述家であるイグナシャス・ドネリーのありようへの予見的言及(と揶揄されてのもの)]すらもが浮かび上がってくる、であるから、おかしかろうとの論理である― )

 イグナティウス・ドネリー著書にそうもした問題ある主張がとみにみとめられる、そう、イグナティウス・ノーベル Ignatius Nobel賞とも言われるイグノーベル賞一九九六年受賞の The Bible Code『聖書の暗号』ドロズニン「的」やりよう( completely nonsenceなるやりよう)が仮に見てとれても、である。

 イグナティウス・ドネリーの主張を支える論拠までもが全部全面で信に値しないとのことにはならないとのこと、強調しておく (:先に述べたことを繰り返すが、筆者のスタンスはドネリーの申しようが正しいか正しくないかを問題視ではない( my point of view: Whether viewpoints seen in ATLANTIS THE ANTEDILUVIAN WORLD ( by Ignatius Loyola Donnelly ) are proper or not, it makes no differnce)とのものである)。

 ここ本稿では細かくも補いながらも
[おなじくものこと](ドネリーの全ての言い分が棄却に値するわけでないとのこと)
が明言できるだけの詳述詳解をなしていること、強くも断っておく ――本稿筆者自身は元来、[何も考えぬ愚かな野人]であったところをひたすらに自己進化なさんとしてきた人間であるつもりなのではあるも、宗教的な徒輩に好まれるような申しようを用いれば、「槃特(はんどく)が愚痴もこれ文殊の知恵」(愚人も正しく修養なせば、智者たりうる)とのことは残念ながら世間一般の人間には当てはまらない(システムの問題などにて[精神の実質を後天的に毀損・去勢された者ら]などにはなんら当てはまらない)、そして、といった中で、いくらもってして微に入っての解説をなしても「後天的」白痴・「実質的」死骸の群れの中にあっては聞く耳もなし、無為も甚だしいことであるとの認識「も」ある(徐々にといった認識が筆者の内実を蝕んでいる)のだが、とにかくもきちんと詳述詳解をなしていること、強くも断っておく(※)―― 

(※さらに書いておけば、「シェイクスピアの真の正体である」などとイグナティウス・ドネリーに主張されていたフランシス・ベーコンがいかような人物なのかについては ――[同人物ベーコンが今日のフリーメーソン的な紐帯の根本教理(ソロモン神殿を社会の中核に据えての教理)に記号論的に深くも接合することをいかように主張していたのか][同人物ベーコンが核として主張していたことが[養殖種]の末期にいかように関わると判じられるのか]とのことも込みにして―― 「具体的」「客観的」なる詳述詳解(是非とも[批判的検証]および[真っ当なフィードバック]を期待したいとの詳述詳解)「をも」本稿では都度、なしていくことになるとも先立って申し述べておく

(くだくだと長く、余事記載も少なからずなしてしまったとの)取りあえずもの補足はここまでとする


いくつかの出典紹介部を内包させてのさらに「長くなるも、」の注記として

 直上からして延々と脇に逸れての補足表記をなしもしていのだが、「さらにもってして」[本題から逸れての傍論として長くなるも、の注記]をなしておくこととする(:その趣意は本稿が相応の著作を出典として挙げていることに起因する誤解を避けること、および、後の段に関わるところの伏線を用意しておくことにある)。

 さて、直近引用をなしているとの Atlantis: The Antediluvian World『アトランティス大洪水前の世界』(本稿公開サイトの一にあっての他所にても言及の著作)の中にて同著著者イグナティウス・ドネリーは次のような申しよう、

[一見にして「史的論拠を一切伴わぬ下らぬ申しよう」(ridiculous)ではないのか?と看做されうるような書きよう]

をも ―同時代人の他者の見解を踏襲しているとのか形態にて― なしている。まずもってのこととして下にての出典紹介部にて紹介するような式にて、である。


| 出典(Source)紹介の部41(2) |

 ここ出典(Source)紹介の部41(2)にあっては

[イグナティウス・ドネリー著作 Atlantis: The Antediluvian World『アトランティス大洪水前の世界』にあっては ――中途半端なものながらも―― それなりに歴史知識を蔵した人間に([誤信]に基づいての)軽侮・愚弄を招きかねない記述が含まれている]

とのことを示すための引用をなしておく (:そうもした引用をなすのは次のことを訴求するためでもある ⇒ 一見にして誤解を招くような箇所であって「も」関連するところに通じた本当の歴史通「には」軽侮されるようなものではない、そう、きちんとした古文献に依拠しての申しようとなっている。ために、ドネリーの当該の著作からして半面で軽んじざるべきものである

(直下、 Atlantis: The Antediluvian World『アトランティス大洪水前の世界』にての Part IV. KINGS OF ATLANTIS THE GODS OF THE GREEKSの部、p.289よりの抜粋として)

One account says: "Hyperion, Atlas, and Saturn, or Chronos, were sons of Uranos, who reigned over a great kingdom composed of countries around the western part of the Mediterranean, with certain islands in the Atlantic. Hyperion succeeded his father, and was then killed by the Titans. The kingdom was then divided between Atlas and Saturn--Atlas taking Northern Africa, with the Atlantic islands, and Saturn the countries on the opposite shore of the Mediterranean to Italy and Sicily." (Baldwin's "Prehistoric Nations," p. 357)

(補っての拙訳として)
「一つの説明のなされようとしてはハイペリオン、アトラス、そして、サトゥルナス(サターン)すなわちクロノスらの各人は
[地中海西部の周辺、アトランティック上の(大西洋にあっての)特定の島々と紐づく国家らよりなる巨大な王国]
を支配していたとのウラノスの息子らであるとされている(注:ウラノスというのは神話上、ハイペリオンやアトラス、そして、サトゥルナスことクロノスらタイタンらの父親となっている原初の天空神のことである)。
 ハイペリオンは彼の父親の跡を継ぎ、それよりタイタンらに殺傷された。王国はそれよりアトラスとサトゥルナスの二者によって二分割され、うち、アトラスが大西洋の島々を含むアフリカ北部を領し、サトゥルナス(サターン)がイタリアとシシリアに至る地中海の対岸沿岸部を領するとの形での二分割をなした(ボルドウィン著『先史時代の国家群』p.357より)」

(訳を付しての引用部はここまでとする)

出典(Source)紹介の部41(2)はここまでとする)


 以上、引用なしての部は(最前の段にてイグナシャス・ドネリー著作 Atlantis: The Antediluvian Worldの特定部内容を引用、問題視してきたなかだからこそ述べるのだが)、殊に、

「重きを置くには足りない」「信用の置けぬ」

との Atlantis: The Antediluvian Worldという著作が低くも見られうる、そう、[信の置けぬ馬鹿げた記述]と[ある程度、神話について通じているとの高等「教育」を受けた人間ら]には見られうるところかとは見ている (実際には「そうとは言えぬ」とのことある、後述するようなeuhemerismこと[エウヘメルス主義]との兼ね合いで問題になるようなこともあるのだが、皮相程度のものであれ、世間的にある程度の神話伝承にまつわる知識を有しているとみられるような人間の視点を慮って申し述べるところとして、である)

 神話学や伝承に対する多少の知識が中途半端にでもあるとの向きならば、

[プラトン古典などに見るアトランティス伝承に対する理解]
[ギリシャ神話体系に対する一般的理解]

にまつわってのこと以前に上の申しように見る逸脱性から話が[奇異たるに留まるもの]と映ることか、と判じられるようになって「いる」のである ――具体的には、である。上の引用部に見る記述につき、ハイペリオンやアトラスやサトルナスやクロノスは神の名前(よりもって正確に述べれば、ゼウスらとの権力闘争に敗れた古き神々たるタイタン)であって現実世界の領土問題に史的に関わっていたような存在ではない」「現在、日本にての新興宗教が往古の神々の名を使って荒唐無稽な自前の神話体系をでっちあげているが(そしてどういうわけなのか多くの人間がそうした[教義]を容れている素振りを見せているが)、19世紀末のアメリカからしてそういう愚にもつかぬ思潮でもあったのかといったものの見方が(皮相程度の)識見があるとの人間には呈されるところか、と判じられるところである―― 

 さらに述べれば、イグナティウス・ドネリーの当該著作 (本稿にて記述内容を問題視し、また、本稿を公開することとしていたサイトにてより従前より取り上げていたとの著作 Atlantis: The Antediluvian World) に見る上のような記述をダイレクトにピックアップし、そうした申しよう ――([大西洋の先]の領域などほとんど考えられることもなかった古代世界にてクロノス・アトラスらが世界の統治権を分割しあった、などという神話解釈論にて「一般に聞かれることもない」といった申しよう)―― を

[類型化された宗教家・神秘家ら特有の駄法螺としての話柄]

と殊更に同一化してオンライン上に流布する、印象操作するが如く流布するとの式のことを「どういう意図でか」ここ日本国内(オンライン上流布情報にての総じての知的水準を見る限り、惨憺たる空虚さを感じざるをえないとの日本国内)ですら不自然にやっているとの者達を事後的に特定している(筆者が本稿執筆段階から見て何年も前にオンライン上にて[反応探査]の探針として挙げていたとの情報にてドネリーのことを引き合いにだしていた折柄から見て「事後的に」特定しているとのことがあるがため、同じくものありうべき他者心証 ――「ドネリーという輩は胡乱(うろん)極まりない話をなすおかしな類にすぎなかった」との心証―― がよりもって惹起されやすきところか、同じくもの反応を助長するよう仕向ける[力学]でもあるのか、と見て「も」いる(:「筆者は本稿を公開している自サイトの一を巡る言論動向の変遷を録画までなして精査してきた」(そう、「偏執的に」と見られるようなかたちで精査してきた)とのことを申し述べ、そうもしたことをなしたとの背景について本稿の先だっての段で一言ながらも申し述べているわけだが、そうした挙の中で今までそこに見受けられなかったところを「事後的に」特定したところとして、より従前より筆者が自身のサイトにて取り上げてきたとの表記著作 Atlantis: The Antediluvian Worldに関して最前にて原文引用なしたような記述内容が含まれていることを殊更に取り上げ、オンライン上で確信犯的にか、ドネリー著作をもってして[馬鹿げた神秘主義者由来の著作]に留まるものであるように[褒め殺し方式]で取り上げているような者達の媒体 ――「日付偽装」もお手のものといった媒体を展開しているとの相応の者達たちの国内媒体―― を特定しているとのことがある ――構築者らの質・程度からはそれが自力でできるとは思えぬところで印象操作なしつつも隙間を埋めるべくもあるようにそこにあると判じられる相応の媒体(筆者媒体にも色を付けようとしてきた者達の媒体でもある)、の中の、ここで問題視しているような特定ページの残置については請け合わない。尚、筆者は計算してときに神秘主義者「的な」申しようをなすこともあるとの人間とはなるが、本質的には神秘主義の類を軽侮している人間となる(本稿にての折に触れもしての書きようからその旨、理解いただけるかと思う)。すなわち、「世間一般の神秘主義者とはその大半が相応の人間ら、偽りばかりの世界でアンダードッグ(わざと負けるべくも用意された噛ませ犬)として駄法螺を撒布し、メインストリートの偽りを[まだましなるもの]のように見せる役割を負っているにすぎない者達である」と見ている人間ともなる―― )

 脇に逸れての話(注記の部)の中でのさらに脇に逸れてもの話として要らぬことに筆(と筆を走らす時間)を割きすぎたとの感もあるが、(引き戻して述べるところとして)、先にて引用なしたような[頓狂さ]が際立つと見られかねないドネリー著書にあっての申しよう、再度引用するが、

One account says: "Hyperion, Atlas, and Saturn, or Chronos, were sons of Uranos, who reigned over a great kingdom composed of countries around the western part of the Mediterranean, with certain islands in the Atlantic. Hyperion succeeded his father, and was then killed by the Titans.(訳として)「ハイペリオン、アトラス、そして、サトゥルナス(サターン)すなわちクロノスらの各人は[地中海西部の周辺、アトランティック上の(大西洋にあっての)特定の島々と紐づく国家らよりなる巨大な王国]を支配していたとのウラノスの息子らであるとされている」

との申しよう「にも」史的見解の変遷および往時の見識を受けてのこととしてのそれなりの史的背景があるのもまた事実である、そう述べられるだけのことが「ある」。

 同じくものことについては文献的事実の問題としてドネリーの(先に原文抜粋の)書きようを支えるだけの、
往古の著述家の古典内容([文献的事実])に依拠しての申しよう
が存在しているとのことがあるので、その点、解説しておく。

 さて、――そこから言及するのが妥当であろうと判ずるためにそうするところとして―― イグナティウス・ドネリーの Atlantis: The Antediluvian World『アトランティス大洪水前の世界』にあっての(最前の出典(Source)紹介の部41(2)にて引いた)問題となる申しよう、

「(一つの説明のありようとして)ハイペリオン、アトラス、そして、サトゥルナス(サターン)すなわちクロノスらの各人は地中海西部の周辺、アトランティック上の(大西洋にあっての)特定の島々と紐づく国家らよりなる巨大な王国を支配していた(との見立てがある)」

との申しようの出典としてイグナティウス・ドネリーが挙げている著作は
Prehistoric Nations
という著作となるのであるが ――(同 Prehistoric Nations、『先史時代の国家群』とで訳せよう著作は英文Wikipediaにも同人物解説のための一項が設けられているとの19世紀の政治家にして考古学分野の著述家である John Denison Baldwinという人物の手になる1874年刊行の著書となり、インターネット・アーカイブのサイトなどを通じて全文、オンライン上より作者および著作名の入力でPDF版がダウンロードできるとのものでもある)―― 、同著『プレヒストリック・ネイションズ』それ自体からして ――何の証明力もないとのことで[人類の進歩進化にとってノイズとしかならぬもの]しかばらまかぬ神秘家という人種ら由来の駄法螺とは異なり――

[一面でながらきちんとした史的論拠に依拠して記されている]

とのものとなっているとのことが「ある」。

(:意欲、すなわち、裏取りをなすだけの能力を支えるとの気風が無き人間、それでいて、金太郎飴式教育および教育による選別システム(社会の良き構成要素・部品を選別/生成する流れ)にあって刷り込まれるとの[歴史関連の情報](それが真実であるかは問わずにの過去世界にまつわる情報)、そちら暗記を強いられる歴史関連の情報に産毛が生えた程度の[皮相レベルの教養]を有している向きらなどにあっては
「ハイペリオン、アトラス、そして、サトゥルナス(サターン)・クロノスらの各存在(お受験知識にほんのすこし毛が生えたようなところにて知られるギリシャ神話の古の神々の名を冠する存在)が地中海西部の周辺、アトランティック上の(大西洋にあっての)特定の島々と紐づく国家らよりなる巨大な王国を支配していた(と伝わる)」
といった書籍内容を[頓狂なこと]と見なし、そこに[古典上の論拠]が存在し、それら論拠がきちんと呈示されうるなどとのことなど、理解も及ばないところか、とは思う。思うのであるも、とにかくものこととして、同じくもの記述からして[古典上の論拠]が存在するとのことがある ――尚、さも分かったように[金太郎式促成養成の知識に産毛が生えたような皮相レベルの教養]を持った人間ありようのことを引き合いに出したが、その伝で言えば、筆者にも同じくものことで予断偏見に囚われる素地はありはした。(無用なる手前語りをなすようで何なのであるが)[歴史関連の「教養」](なるもの)とのことで言えば、別段、筆者は特定時代・特定地域にまつわる歴史を大学などで講ずるといった筋目の人間ではないわけだが(そも、そんな不毛な選択をなそうと思ったことさえない)、愚かなりし学生時代のこととして、そう、司馬遼太郎の[フィクション]としてのヒロイック歴史小説などを読むなどして青雲の志を抱いていた気になっていたとの高校時代、その志を達するため、(ええかっこしいも行き過ぎであると思うので個人の欲目を赤裸々に交えて述べれば、[違和感を感じさせてならなかったとのこの世界で周囲に気兼ねなくもの[変人]として振る舞いつつなにがしかのことを成せるとの地歩を得る]ために)、この身からして東大模試の全面記述式答案で確実に東大に受かれるぐらいの[世界史]科目の東大模試の偏差値を引き出すに至るまで[先入観の下地となる下らぬ不必要な情報]の吸収を「嫌々ながらも」「ダサイこと限りなしだな、と思いながら」自分に課していたとのダークエイジ、[暗黒時代]が(偽りの世界に眩惑されきっていた未熟期のこととして)ありもする、それがゆえに、メインストリートで担ぎ挙げられる歴史にまつわる知識体系でもって多くの物事を判じようとの通弊に陥る素地は自分自身にも「あった」とのことがある(がゆえのおもんぱかりなしての記述をなしている)とのこと、申し述べておく(尚、ここでの東大云々のそれのような物言いをなすは[ただの愚人]であるとの認識をも当然に筆者は蔵しているのだが、秤量のうえ、といった申しようをもなすこととしたとも申し述べておく。すなわち、「泡沫うたかた・仮現の社会システムの奴隷としての表向きの上下関係を決するパラメーターの一たるもの(歯車を[情報処理能力]および[素直さ]に基づき適正配分するための基準)に過ぎぬところに[愚かなりし自尊心]をもってこだわっているとの誤解もやむなしであろう、そういう俗物染みた鼻につくような話柄である」とのことは重々承知のうえで、だが、[歴史家でもないのに『分かったような話をしてくれるね』とのありうべき読み手目分量]を減衰させるべくもの書きようを「選択」することにしたとのことがある)――
 )

 引用表記なしたことにあっての[一見する限りはもってしての奇態なる記述]にも史的典拠が伴うとのことに関わるところとして、である。ドネリー著作の典拠とされている Prehistoric Nations(繰り返すが、同著 Internet Archiveのサイトなどにて全文閲覧できるとの書籍でもある)のp.356の内容を引けば、以下紹介するようなかたちにて

「ハイペリオン、アトラス、そして、サトゥルナス(サターン)すなわちクロノスらの各人は地中海西部の周辺、アトランティック上の(大西洋にあっての)特定の島々と紐づく国家らよりなる巨大な王国を支配していた」

との記述(ドネリー著作にもそれが見受けられる[頓狂さ]が際立つ部)にまつわる古典上の典拠が呈示されているとのことがある。


| 出典(Source)紹介の部41(3) |

 ここ出典(Source)紹介の部41(3)では

[「ハイペリオン、アトラス、そして、サトゥルナス(サターン)すなわちクロノスらの各人は地中海西部の周辺、アトランティック上の(大西洋にあっての)特定の島々と紐づく国家らよりなる巨大な王国を支配していた」といった申しようにも古典それそのものに見る論拠が伴っている]

とのことの典拠紹介に入ることとする。

(直下、 Internet Archiveのサイトなどにて全文閲覧できるとの Prehistoric Nationsのp.356より引用なすところとして)

Diodorus Siculus and others point out that the ancients held two opinions concerning the gods; some saying they were always heavenly and incorruptible, and others that they were originally of earthly origin, being deified men who were worshipped as forms or representations of the Supreme Being.

(訳として)
シケリアのデュオドロスらをはじめとする他の者らは古代人らは神々に対する二通りの見解を持っていた旨、指摘している神々は天上にあって常に不朽なる地位にあったと述べている者達がいる一方で、他の者らは彼ら神々は[至高存在の体現存在ないし代理存在としての聖別された人間]であり、この地上にあっての起源を原初的には持っていたと述べているのである

(訳を付しての引用部はここまでとする)

出典(Source)紹介の部41(3)はここまでとする)


 さて、上にての引用部([古の神々をして現実世界の古の人間の体現存在である]とするとの見解があった古代にはあったとのことが記載されての引用部)にその名が挙げられている、

Diodorus Siculusこと[シケリア(シチリア)のディオドロス] (シーザーが生きた紀元前1世紀ローマ時代にあってのギリシャ系著述家)の著作 ――ここではオンライン上より誰でも確認できるところの英訳版(訳者名が付された Diodorus of Sicily, with an English translation by C.H. Oldfather(『シケリアのディオドロスの英訳』)との語句のそのままの入力でインターネット上より容易に特定できよう著作――  

にあっては

Philological truth[文献学的事実] (その内容正否は問題にならないが、古文献にそのようなことが記されているとの記録が残っていることは事実であるとのこと) の問題]

として次のような記載がなされている。


| 出典(Source)紹介の部41(4) |

 ここ出典(Source)紹介の部41(4)にあっては

[アトランティス領域にあって[古の神々]を古代の「人間の」権力者の象徴存在とするとの書きようが古文献それそのものになされている]

とのことの典拠を挙げることとする。

(直下、オンライン上より全文特定できるところの古文献 Diodorus of Sicily, with an English translation by C.H. Oldfather『シケリアのディオドロスの英訳』よりその記載内容を抜粋するところとして)

After the death of Hyperion, the myth relates, the kingdom was divided among the sons of Uranus, the most renowned of whom were Atlas and Cronus. Of these sons Atlas received as his part the regions on the coast of the ocean, and he not only gave the name of Atlantians to his peoples but likewise called the greatest mountain in the land Atlas.

(訳として)
「ハイペリオンの死後、(地上にあっての巨大な)王国はウラノスの子息ら、そのうち、最も名が知れ渡っていたのはアトラスとクロノスだが、彼らウラノスの子息らによって分割された。それら子息のうちアトラスは彼の大洋の沿岸部の領域を継承、自身の統治下には入った領民にアトランティア(アトラスの民)との呼び名を与えただけではなくアトラスの地にある最も巨大な山にも同様のことをなした

(訳を付しての引用部はここまでとする)

 以上より
ギリシャ神話の(ゼウスの祖父にあたる)ウラノス、そのウラノスらの子息となっているタイタンら(アトラスやクロノスといった存在)がかつての地上にての古の王国の為政者であった
などという見立てが
[普通一般ではまったくもって聞かれぬところの話]
ながら古典それ自体にて言及されるところとなっていること換言すれば、そう見えはしても[馬鹿げた現代の神秘家・宗教家の類が手軽・勝手にこさえた設定]では済まされない古文献上の記述とまではなりもしていること ―そうしことが現実にあったが問題ではなくそうした申しようが古(いにしえ)よりなされていたことが差し当り問題となりもするとのこと― )を示した (尚、表記引用部では[タイタンのアトラスの淵源になっている伝承上の人界にての存在がアトランティス比定地の管掌者となっていた]などとの表記がなされているが、プラトン古典、本稿でも先立ってそちらよりの原文引用なしているとのプラトン古典Critias『クリティアス』にあってはアトランティスの元を造ったのは(人間などではなく)神たる海神ポセイドンPoseidonであるとされており、そのポセイドンに[開闢王]として「人間の」(タイタン・巨人のアトラスの名と同じくもの名を冠した)アトラス王が据え置かれたためのアトランティスであるとの表記がなされている)

出典(Source)紹介の部41(4)はここまでとする)


 これにてお分かりだろうが、

ハイペリオン、アトラス、そして、サトゥルナス(サターン)すなわちクロノスらの各人は地中海西部の周辺、アトランティック上の(大西洋にあっての)特定の島々と紐づく国家らよりなる巨大な王国を支配していた(との話がある)」

といったドネリー申しようからして

「世間人並み以上の歴史的理解がある人間であればある程、そう看做しかねないところながらも、ドネリーの妄想(妄想は言い換えれば、[頭の具合のよろしくない神秘家のたわごと・ざれげん]ともなる)などでは断じてなく、また、ドネリーの出典となっている著述家ボルドウィンの妄想でも断じてなく、本質的には
[紀元前1世紀に生きたとされる著述家(下にて言及のeuhemerism[エウヘメルス主義]という古典時代より存していたとの史観の体現者であった[シケリアのディオドロス]という著述家)の著作に見る[文献的事実]としての見解を踏襲しているとの物言い古典上の典拠を帯びての物言い
となっている」

とのことがあり、そこからして彼ドネリー申しようは[馬鹿げた話を展開するとの相応の類](真実や客観的証明に対する破壊をなさんといった水準低き神秘主義者のような類)が勝手に[論拠もない]とのかたちで彼らお得意の駄法螺を吹いているとのその式とは一線を画するものとなっているとのかたちとなっている ――中途半端に識見を蔵しており、それがゆえに、物事をときにもってして歪んだ視点で見るとの向きらの特質をおもんぱかったうえでいちいちもって付記するところとして、である―― 。

(その点、(延々とマイナーなる、込み入っての話をなすようではあるが、「それとてもが本稿にての訴求事項に関わる」との認識で述べておくこととして)、上のように神話にあってのタイタンら、そうした神話的存在らをして
[かつて君臨していた人間の統治者を神に転化させての存在]
と看做すとの思潮は古代ローマの時代である古典期より一部にあり、 Prehistoric Nationsという著作 ――イグナティウス・ドネリーの Atlantis: The Antediluvian Worldの出典とされている著作とのことで最前にて内容を取り上げた著作―― にもその名への言及がなされているとの[シケリアのディオドロス]だけではなく和文ウィキペディアにすら解説一項目設けられている[エンニウス]こと[クイントゥス・エンニウス]、紀元前1世紀のシケリアのディオドロスより遡っての(帝政期以降前の)共和政期ローマの著述家の手になる著作エウヘメルス(Euhemerus)にも同様のこと、
「神々として伝わっている存在の実態が現世・人界にあって際立った事績を遺した大昔の権力者らであった」
との見解が古代より呈されていたとのことが一部の識者には知られているとのことがある(:史家クイントゥス・エンニウスの著作エウヘメルスに由来するところとしてeuhemerismこと[エウヘメルス主義]との思潮が[多神教の神々は人間のより往古の歴史の合わせ鏡として生み出された存在である]とのものとして存在しており、については、比較的充実した解説がなされているとの英文Wikipedia[Euhemerism]項目の冒頭部にて Euhemerism is a rationalizing method of interpretation, which treats mythological accounts as a reflection of historical events, or mythological characters as historical personages but which were shaped, exaggerated or altered by retelling and traditional mores.(訳として)エウヘメリズムとは[神話上の物言いを歴史的イヴェントの反映として扱う]、あるいは、[神話上の存在らを改変見ての物語あるいは伝統的規範のありようにて形作られ、誇張され、変質なさせられてきたとの歴史的個人らとして扱う]との解釈論にての理由付け手法となるとの表記がなされているところでもある)―― )

 さらに、本稿これよりの内容への[布石]を兼ねもして、奥へ奥へと進んで取り上げれば、である。 Atlantis: The Antediluvian World『アトランティス大洪水前の世界』原著(オンライン上よりPDF形式でダウンロードできるとの著作)のp.82にあって ――原文引用なすところとして―― 次のような表記がなされているとのことを「も」格別に問題視しておきたい。


| 出典(Source)紹介の部41(5) |

 出典(Source)紹介の部41(5)にあっては

[洪水を警告した神と古代人に解されていたクロノス神に由来する[クロノスの海](なるもの)が古のアトランティス伝承と結びつくだけの背景がある]

とのことを紹介しておく。

(直下、 Atlantis: The Antediluvian Worldを原著(スキャンなされてのPDFファイル形式のものも公開されているとの著作)にてのp.82よりの原文抜粋をなすとして)

In the first place, Berosus tells us that the god who gave warning of the coming of the Deluge was Chronos. Chronos, it is well known, was the same as Saturn. Saturn was an ancient king of Italy, who, far anterior to the founding of Rome, introduced civilization from some other country to the Italians. He established industry and social order, filled the land with plenty, and created the golden age of Italy. He was suddenly removed to the abodes of the gods. His name is connected, in the mythological legends, with "a great Saturnian continent" in the Atlantic Ocean, and a great kingdom which, in the remote ages, embraced Northern Africa and the European coast of the Mediterranean as far as the peninsula of Italy, and "certain islands in the sea;" agreeing, in this respect, with the story of Plato as to the dominions of Atlantis. The Romans called the Atlantic Ocean "Chronium Mare," the Sea of Chronos, thus identifying Chronos with that ocean. The pillars of Hercules were also called by the ancients "the pillars of Chronos."

(補いもしての拙訳として)
「最初に述べるが、ベロッソス (訳注:バビロニア史を遺したことで知られる紀元前三世紀の著述家ベロッソス/同ベロッソスについては後の出典紹介部でもその伝わるところの伝承を一次資料そのもの(に対する英訳文書)より引用なすこととする) が我々に語っているところの洪水 (訳注:往古の伝承にて問題視される洪水と同義のもの) の到来を警告した神はクロノスである。 クロノスはサターン(サトルゥナス)と同一の存在であることはよく知られている(訳注:この場合のサターンとは現行英語にての土星呼称ともなっているローマ由来の土星神格化存在のことを指す)。 サターン(サトゥルナス)はローマより遥か前に遡る往古イタリアの王であるともされ、他の文明をイタリアに移植した存在である。 彼は産業と社会位階を確立、大地をして富で満たし、そして、イタリアの黄金時代を創始した。 (その後)、ほどなくして急遽、サトゥルナスは[神話上の存在にすぎぬもの]へと取り除かれた。 同サトゥルナスの名前は[アトランティック・オーシャン(要するに大西洋)にあった偉大なる(ものとされる)サトゥルナリア大陸]、そして、[偉大なる(ものとされる)王国、すなわち、往古、イタリア半島そして数々の島々のみならず北アフリカと地中海のヨーロッパ側に抱かれるように位置していたとの偉大なる(ものとされる)王国]と結び付けられており、また、サトルゥナスの名前はこのような観点に沿うところとして[プラトンのアトランティス統治体に言及している物語]とも結びつく。 ローマ人はアトランティック・オーシャン(大西洋)をしてクロニウム・メア、[クロノスの海]と呼び、大洋を[クロノス](サトルナス同一存在)と結び付けていた。 また、ヘラクレスの柱(地中海と大西洋を分かつジブラルタル海峡の寓意物)は[クロノスの柱ら]とも古代人に呼ばれていたのである

(訳を付しての引用部はここまでとする)

出典(Source)紹介の部41(5)はここまでとする)


 上にて引いたようなドネリー物言い、

「大西洋はクロノスの海である」
「クロノスの島が大西洋上にある」

といった申しようがイグナシャス・ドネリーになされるような史的背景が果たして本当にそこにあるのかとのことについて「も」この身は出来る限り調査してきた ――「というのも、」苔むした、とのレベルを越えて、ほぼ風化せんとしているといった按配でのそうした見方が今日にあっても顕在化している問題に関わっている、正確に述べれば、関わるように「されている」と判断できるだけの[寓意付け]が[特定の領域]にてなされていると判断なすに至ったとのことがあるからである―― 。
 その点、[文献的事実]の問題、著名なローマ時代の著述家プルタルコス ―頭の具合のよろしくはないとのお受験スタンダードで見れば、皮相的知識の暗記(インプット・アウトプット能力)の深度が重んじられる日本の私大入試では暗記事項となっているとの歴史上の著名人― の大著Morarlia『倫理論集』内やプルタルコス著作『博物誌』内に[クロノスの海]にまつわるドネリー著作内申しようを裏付ける記述があるとのことを手前は把握するに至っている(と述べるうえで当然のこととして、この身は「国内で流通を見ていない」古典の近代英訳版原著記述をも(少なからぬ読解量にて)紐解いている)。
 例えば、である。プルタルコス著Moralia『倫理論集』、現行オンライン上より各部の全文の確認もダウンロードも可能となっている大著『倫理論集』にての英文該当部を(便宜的に出典(Source)紹介の部41(6)とのかたちで)挙げておくこととする。


| 出典(Source)紹介の部41(6) |

 ここ出典(Source)紹介の部41(6)にあっては

[「大西洋はクロノスの海である」「クロノスの島が大西洋上にある」とのドネリーの言い様の伝にも古典上の典拠が伴っている]

とのことの出典を挙げておく。

(直下、オンライン上よりダウンロード可能となっているとのプルタルコス著Moralia『倫理論集』よりの原文引用をなすとして)

An isle, Ogygia, lies far out at sea, ; a run of five days off from Britain as you sail westward ; and three other islands equally distant from it and from one another lie out from it in the general direction of the summer sunset. In one of these, according to the tale told by the natives, Cronus is confined by Zeus, and the antique (Briareus), holding watch and ward over those islands and the sea that they call the Cronian main, has been settled close beside him,

(多数の手をもつヘカトンケイルに属する巨人ブリアレオスにまつわる細かき伝承理解を要するとの部を含むために、逐語訳をなさずに大要訳をなすとして)
「大洋の彼方、ブリテン(ローマ期イギリス)より西へと5日間の航程で船首を向けた先にはオーギュギアー島があり、そこからさらに等距離離れた先に[他の島々]があるが、現地民によって語られるところでは[クロノスがゼウスに幽閉されたとの伝承]が関わって、そこにての海および島々はクロニアン・メイン(クロノスの大洋)と呼ばれている

(引用部はここまでとする。尚、ここにて原文抜粋なしているとの文章は「そのまま検索エンジンに入力するだけでも」プルタルコス原著内容記載ページが表示されてくるような性質のものである(であるからプルタルコスの古典由来のものであると容易に裏取りできるであろう))

出典(Source)紹介の部41(6)はここまでとする)


 上記のようにローマ期著述家プルタルコスの手になる著作にても[文献的事実]の問題として言及がなされているところの[クロノス神の海]だが、それは日本はおろか欧米にてすら現代社会にてほとんど知られていない(と見受けられる)ところながらも、

氷りついた海としても知られるクロニウム・メア Cronian main/Cronium Mare[クノロスの海]

との伝「でも」語られてきたものである ――たとえば、オンライン上より全文確認できようところとしては Project Gutenbergのサイトにて公開されているイングランドにての年代記にて網羅的に解説している20世紀初頭(1906年)刊行の著作、 Old English Chronicles, INCLUDING ETHELWERD'S CHRONICLE. ASSER'S LIFE OF ALFRED. GEOFFREY OF MONMOUTH'S BRITISH HISTORY. GILDAS. NENNIUS. TOGETHER WITH THE SPURIOUS CHRONICLE OF RICHARD OF CIRENCESTERとの実にもって長くもあるタイトルの著作にての第八章( CHAP. VIII.)にての26と振られての注記部にて Thule, according to the same author, abounds in fruits. At the distance of a day's sail from Thule the sea is difficult to pass through, and frozen; it is by some called Cronium.(訳として) 「古のトゥーレ(訳注:伝説にあっての世界の最果てたる地)は同じくもの著者(ソライナスと前述されている人物)によれば豊潤にも果実らを産する.トゥーレから一日の航程の段階で海は[凍り付いたもの]となっているがゆえに航海困難になる、そして、そうした海はクロニウム(クロノスの領域)と呼ばれていたと表記されているように[凍り付いた]ものともされるクロノスの海と結びつけられている――

 そうもした凍り付いた海]に封印されているとされる存在「でも」あるといった伝承理解がなせるようになっているのがクロノス神(英語呼称におけるSaturnとなる土星の体現神格化存在)となり(オンライン上よりダウンロード可能となっているとのプルタルコス著Moralia『倫理論集』より最前の段にて原文引用なしたところとして Cronus is confined by Zeus, and the antique (Briareus), holding watch and ward over those islands and the sea that they call the Cronian main(訳として)「現地民によって語られるところでは[クロノスがゼウスに幽閉されたとの伝承]が関わって、そこにての海および島々はクロニアン・メイン(クロノスの大洋)と呼ばれている」との記述が見受けられるとおりである)、に関して、

[古典時代古代人の世界解釈を受けての洪水伝承と結びつく側面]

が見出せるとの指摘がなせるようになっている、すなわち、(批判的識者の世界では Unreliable Source[信の置けぬ出典]であろうとの見方を呈されやすい著作でもあること、先述のものながらもの Atlantis: The Antediluvian World『アトランティス・大洪水前の世界』よりの引用部表記を繰り返すところとして)、

ベロッソスが我々に語っているところの洪水(訳注:往古の伝承にて問題視される洪水と同義のもの)の到来を警告した神はクロノスである。 そのクロノスがサターン(サトルゥナス)と同一の存在であることはよく知られている。 サターン(サトゥルナス)はローマより遥か前に遡る往古イタリアの王で文明を他の文明をイタリアに移植した存在である。 彼は産業と社会位階を確立、地をして富で満たし、そして、イタリアの黄金時代を創始した。 (その後)、ほどなくして急遽、サトゥルナスは[神話上の存在にすぎぬもの]へと取り除かれた。 同サトゥルナスの名前は[アトランティック・オーシャン(大西洋)にあった偉大なる(ものとされる)サトゥルナリア大陸]、そして、[偉大なる(ものとされる)王国、すなわち、往古、イタリア半島そして数々の島々のみならず北アフリカと地中海のヨーロッパ側に抱かれるように位置していたとの偉大なる(ものとされる)王国]と結び付けられており、また、サトルゥナスの名前はこのような観点に沿うところとして[プラトンのアトランティス統治体に言及している物語]とも結びつく。ローマ人はアトランティック・オーシャン(大西洋)をしてクロニウム・メア、[クロノスの海]と呼び、大洋を[クロノス]と結び付けていた。 また、ヘラクレスの柱(地中海と大西洋を分かつジブラルタル海峡の寓意物)は[クロノスの柱ら]とも古代人に呼ばれていたのである」(原著表記は In the first place, Berosus tells us that the god who gave warning of the coming of the Deluge was Chronos. Chronos, it is well known, was the same as Saturn. Saturn was an ancient king of Italy, who, far anterior to the founding of Rome, introduced civilization from some other country to the Italians. He established industry and social order, filled the land with plenty, and created the golden age of Italy. He was suddenly removed to the abodes of the gods. His name is connected, in the mythological legends, with "a great Saturnian continent" in the Atlantic Ocean, and a great kingdom which, in the remote ages, embraced Northern Africa and the European coast of the Mediterranean as far as the peninsula of Italy, and "certain islands in the sea;" agreeing, in this respect, with the story of Plato as to the dominions of Atlantis. The Romans called the Atlantic Ocean "Chronium Mare," the Sea of Chronos, thus identifying Chronos with that ocean. The pillars of Hercules were also called by the ancients "the pillars of Chronos."となる)

との指摘がなせるようになっていることが何故にもって問題となるのかについてであるが、それについては本稿にあってのこれより後の段で典拠となるところを示すし、本稿を公開しているサイトの一にて2011年初期よりまとめてのプロトタイプを公開していたPDF論稿、

Analysis of 911 Ritual & Prospect of Puppeteers' Plan『911の儀式性詳説 及び 起こりうべき災厄の予測(改訂版)』

と題してのPDF論稿をご覧いただくことでも、([知識]と([知識]取得にも通ずる)[検討の意欲]さえあれば)、若干かもしれぬが、理解が及ぶか、とも思う  (:逆を述べれば、(出来る・出来ないの問題として)そうしたことについて批判的視座にてでも分析する気力気概すらないとの筋合いの向きらならば、何にせよ問題となることについて ―それがおのれを殺そうとする銃座の所在を示すものであったとしても― ついぞ把握することはなかろうとも判じているわけだが(真実の一断面を[現象]に基づいてのみ指し示さんとする情報源に相対する意思の力がそもそも「ない」とも見ている)、とにかくも、筆者が検討者として望むだけの水準の向きならば直上掲題のPDF論稿 (今考えれば、疎漏に失するところもあったかと見ているものではあるも、のPDF論稿 Analysis of 911 Ritual & Prospect of Puppeteers' Plan 程度のものを通じても[クロノスにまつわる問題性]について相半ばながらもの理解はなしていただけることか、と思う ――※因(ちな)みにだが、本稿のこれよりの段ではクロノスという存在が属人的主観などがなんら問題にならぬとの[純・記号論的結びつき]の問題としていかように聖書に見る悪の根源サタンと結びつきもするのか、またもってして、[クロノス]ことサターン(土星を体現してのローマ期神格Saturn)と通ずるところがあるとの聖書におけるそちらサタンに対する[凍り漬けの重力中枢領域に対する封印]を扱ったルネサンス期古典に異常異様に[今日的な意味での観点から見た場合のブラックホール]の質的近似物に対する言及が複線的になされているのかについて詳説しもすることになること、([布石]として)、先立って申し述べもしておく―― )。

[さらにもってして、]の記述部として

 ここまでにて

クロノス(であるとベロッソスという古代著述家に名指しで言及されての神格)が夢見に現われて王に大洪水の警告を与えたとのバビロン由来の洪水伝承
【(大洪水で滅したと伝わる)アトランティスクロノスに通ずるありよう】
[クロノスの海の名を冠する大西洋(アトランティック・シー)]および[クロノスの柱とも呼称されていたヘラクレスの柱]】
【[凍りついた海]としてのクロノスの封印領域クロニアン・メイン)】

との各点にまつわる文献記録や識者言い分を引き合いに出してきたわけではあるが、本稿にあっての紙幅にしてかなりもって後の段では

「[ギリシャのクロノス](ローマのサトルナス(あるいはサターン)に照応する存在)は[聖書におけるサタン]と結びつく素地が何重にも伴っているとの存在でもある」

とのことにまつわっての具体的論拠をいくつも挙げることとする(:そうもした指摘をなす一方で同じくものことに通ずるところでは[人間の終末にまつわる複数地域の神話内記述]が ―[洪水伝承]にも通ずるところとして― [43200]との際立ってのユニークナンバーと結びつけられているとのことも(先賢の言を引きながら)紹介することとする)

 そうもした(後にて詳述の)内容に関わりもするところとしてこの段階から申し述べておくが、

「([凍り付いた海]と結びつけられ、また、同じくもの領域における[幽閉]とも結びつけられているとの)ローマ神格サトルナス(ギリシャの[クロノス]の質的同等物)と純・記号論的な意味での接続性を多重的に帯びているとの存在が聖書におけるサタンという存在であるということがありもする中で、ダンテの著名古典『神曲;地獄篇』ではそのサタンが氷地獄に閉じ込められた存在(凍り漬けになって幽閉された魔王ルチフェロ)として登場してくる」

「(上にて言及のことに通ずる)ダンテ古典に見る悪魔の王サタンが幽閉されている氷地獄の領域(重力の中枢領域であると古典それ自体にて明示されもしてのジュデッカの領域)はブラックホールの質的近似物となっているとのもの「でも」ある(実際にダンテ『神曲;地獄篇』をブラックホールと結びつけている物理学者らが何人もおり、本稿の後の段 ―出典(Source)紹介の部55― ではそうもした彼らを言を引きもする.またもってして、同じくものことはブラックホールがその初期研究において(ブラックホールという言葉すらなかった折のこととして) Frozen Starと性質上、呼ばれていたこととオーバーラップして見えるようになっても「いる」)

「【クロノス(であるとベロッソスという古代著述家に言及されての存在)が夢見に現われて王に大洪水の警告を与えたとされるバビロン由来の洪水伝承】【クロノスにも通ずる(大洪水で滅した)アトランティスのありよう】の二点からもおもんぱかりなせるようなところとして[凍り漬けの領域(と接合するところ)に幽閉されていると伝わりもするクロノス]には古典内容(先に引用なした[シケリアのディオゲネス]の手になる古典)や近代識者申しよう(イグナティウス・ドネリーや彼に典拠を提供しているとのジョン・ボールドウィン)を介して[アトランティス]との結びつきが存するとのことが指摘できるようになっている。そして、[アトランティス]については ―本稿にての先行するところの出典(Source)紹介の部35にて摘示しているように― ブラックホール人為生成挙動(とされるに至った実験ありよう)に通ずるところがある(イヴェント・ディスプレイ・ウェアATLANTISを介して生成ブラックホールを検知しうるなどとされていることがそれである)

 以上のことらが[ブラックホール]や[アトランティス]を媒介にしてのこじつけがましきこと限りなしの伝言ゲームの類で済むことなのか、あるいはもってして、[我々の脳髄を容赦なくも狙う銃座の所在]を示すものであるのか(それだけの根拠が数多存在していると述べられるか否か)、是非とも本稿の後にての段の検討を通じて判断なしていただきたいものである。

(本稿にあってのかなり後の段では[サトルナス(クロノス)および悪魔の王サタンの一致性問題]に関わるところとして上掲のような図が描画できることが何故にもってして問題になるのか、とのことの解説をもなす所存である)

これにて「長くもなって、」の[布石]を兼ねての注記の部を終える


(直上まで注記と銘打っての部からして長くなりすぎてしまったきらいがあるも、本稿本筋に話を回帰させもし、) 歩を先に進める。

 ここまででもってしてイグナシャス・ドネリーの著作内容を引くなどして

[[ヘスペリデスの黄金の林檎の園]が[アトランティス]と定置されるだけの理由(およびその理由を受けての風潮)があるし、現実に同じくもの定置の式が垣間見れるとのことがある]

とのことについて指摘してきたわけだが(せんだっての出典(Source)紹介の部40および出典(Source)紹介の部41を包摂する解説部にて細かくもの言及をなしてきたとおりである)、 次いで、

[アトラスの娘たるカリュプソが住まうオーギュギアー島(アイランド・オーギュギアー)という島]

もまたもってして

[アトランティス同等物と定置されもする洋上の陸塊]

であることについて摘示していくこととする。

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直下、本稿冒頭部へのリンクを設けておく

(⇒冒頭頁へは下の部より)

[典拠紹介部第1頁 加速器実験に伴う欺瞞性から証示なせることについて]

 上にて挙げているのはドイツ浪漫主義芸術の巨匠たる18世紀画家、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(Freemasonでもあったとの画家 Caspar David Friedrich)の手になる一品、

Der Wanderer uber dem Nebelmeer雲海の上の旅人』(に多少の[動き]をアレンジとして加えたもの)

となる。

 言われようの問題として一般に、

[人間の崇高なる精神が高みを目指し、ついぞ多くの物事を達観するに至った時、その折の孤独と感慨を描いた画]

などと形容される上掲の『雲海の上の旅人』に関して(本稿でもその言行を順次・段階的に取り上げることになるとの)物理学者リサ・ランドールは[次のような申しよう]をなしている。


(直下、物理学者リサ・ランドールの手になる著作 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)にての CHAPTER THREE LIVING IN A MATERIAL WORLD[第三章 物質世界に生きる]の章の記述内容 ――オンライン上検索エンジンにあっての原文検索にて該当部特定できるところの記述内容―― よりの原文引用をなすとして)

Our universe is in many respects sublime. It prompts wonder but can be daunting ―even frightening― in its complexity.  Nonetheless, the components fit together in marvelous ways. Art,science, and religion all aim to channel people’s curiosity and enlighten us by pushing the frontiers of our understanding. They promise, in their different ways, to help transcend the narrow confines of individual experience and allow us to enter into―and comprehend―the realm of the sublime. (See Figure 11.)
          [ . . . ]
[ FIGURE 11 ] Caspar David Friedrich’s Wanderer Above the Sea of Fog (1818), an iconic painting of the sublime ― a recurring theme in art and music.

(上の原著引用部に対する[訳文]として国内流通訳書『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)ハードカヴァー版にあっての81ページに記載されているところを引くとして)

多くの点で、私たちの宇宙は崇高だ。その複雑さは好奇心を駆り立てはするが、無力感も抱かせるし、ことによっては恐怖さえも感じさせる。にもかかわらず、宇宙の構成要素は素晴らしくぴたりと絡みあっている。芸術、科学、宗教は、いずれも人々の好奇心を促して、理解の限界を広げさせ、それによって私たちを啓蒙することを目指している。いずれもそれぞれのやり方で、個人の経験の狭い領域を越えさせることを約束している。それがかなえられたとき、私たちは崇高なものの領域に踏み込む――そして理解する――ことができるのだ(図11を参照)。 …(中略)… [図11]ドイツの画家カスパー・ダーヴィド・フリードリヒの「雲海の上の旅人」は、崇高なものを象徴的に描いた作品だ。崇高さは、美術と音楽に繰り返し登場するテーマである

(以上をもって Knocking on Heaven’s Doorにての原著表記および訳書よりの引用とした)


 さて、何故、ここ脇に逸れての部にあって「目立つように」特定絵画 ― 『雲海の上の旅人』― を挙げ、その絵画に対する物理学者の評しよう ―「雲海の上の旅人」は、崇高なものを象徴的に描いた作品だ....― などを引いたりもしたのか

「それは、」
絵画『雲海の上の旅人』に対して直上引用なしたような評しようをなしているとの物理学者リサ・ランドールが

加速器によるブラックホール生成可能性にまつわるトピックの理論深化に一廉ならぬ貢献をなしているとの著名物理学者

[[崇高なるもの]を目指しての宇宙の探求(およびそのための装置と銘打たれている巨大加速器LHC)の称揚・礼讃をなしているとの向き

であるとのことがあり、また、なおかつ、彼女リサ・ランドールの手による、(絵画『雲海の上の旅人』を科学者が目指しての[崇高さ]とを結びつけている)引用元著作 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)が

人間のありよう(崇高さとはおよそ程遠いところにあるありよう)]
人間の辿る運命

を嘲笑うような[嗜虐的寓意]で満ち満ちていると申し述べられるようになっている著作であるとのことがある、遺憾ながら
[理の当然]
として申し述べられるところとしてある ――個人のせせこましい偏頗(へんぱ)な主観などとは一線を画したところで客観的かつ具体的にこれはこうでこうだと申し述べられるようになっている(出典呈示を第一義にしての本稿では無論、その論拠を事細かに挙げる)とのところとしてある―― からであり、そのことに注意を向けたかったからである(※)。

(※上にて引用元とした著作、 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)、同著にあってはその冒頭部より
September 10, 2008, marked the historic first trial run of the Large Hadron Collider (LHC). Although the name―Large Hadron Collider― is literal but uninspired, the same is not true for the science we expect it to achieve, which should prove spectacular. (表記英文引用部に対する訳として)「2008年9月10日、ラージ・ハドロン・コライダー(LHC)が歴史的始動を見た.[ラージ・ハドロン・コライダー]との名称は有り体に言ってインスピレーションを何ら与えぬとの平凡なものだが、私たちがそれ(LHC)に[証明すべきととらえている壮大なる挙]を託しているとの意では[科学(の進歩)]にとり同じくものことは真実とはならない(LHCは際立ってのインスピレーションを与えるものである)」
などとのことが書き記されている。
 そうもした書きようが目立ってもの冒頭部にてみとめられる著作ノッキン・オン・ヘブンズ・ドアにおける表題、 [天国のドアをノックする]の由来についてリサ・ランドール女史は同じくもの著作の中で次のようなことを述べてもしている。
(以下、 Knocking on Heaven’s Doorにての CHAPTER FOUR LOOKING FOR ANSWERSより引用なすところとして)
I first heard the phrase “knockin”on heaven’s door”when listening to the Bob Dylan song at his 1987 concert with the Grateful Dead in Oakland, California. Needless to say, the title of my book is intended differently than the song’s lyrics, which I still hear Dylan and Jerry Garcia singing in my head. The phrase differs from its biblical origin as well, though my title does toy with this interpretation. In Matthew, the Bible says, “Ask, and it shall be given you; seek, and ye shall find; knock, and it shall be opened unto you: For every one that asketh receiveth; and he that seeketh findeth; and to him that knocketh it shall be opened. (以上原著表記に対して訳書『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)ハードカヴァー版[第四章]103ページにての表記を引くとして) Knocking on Heaven’s Door(天の扉を叩く)]――これが本書の原題だが、私が最初にこのフレーズを聞いたのは、一九八七年、カリフォルニア州オークランドでのグレイトフル・デッドとのコンサートで、ボブ・ディランが『天国への扉』を歌うのを聞いたときだった。いまでも私の頭の中ではディランとジェリー・ガルシアがこれを歌っているのが聞こえてくるけれど、いうまでもなく、私の本のタイトルは、この曲の歌詞とは意味が違っている。このフレーズは出典である聖書の一節とも違っているが、私のタイトルはこちらの意図を拝借したものだ。聖書の「マタイ伝」には、このように書かれている。「求めよ。さらば与えられん。尋ねよ、さらば見いださん。門を叩け、さらば聞かれん。すべて求むる者は得、たづねる者は見いだし、門を叩く者には開かれるるなり
(以上、引用部とした)
 といったところ、新約聖書のマタイ伝にあっての
[求めよ。さらば与えられん。尋ねよ、さらば見いださん。門を叩け、さらば聞かれん。すべて求むる者は得、たづねる者は見いだし、門を叩く者には開かれるるなり]
とのフレーズ、それが
[天国の門]・[天国への扉]・[天国への階梯](ステアウェイ・トゥ・ヘブン)
との兼ね合いでいかように嗜虐的なる別側面での意味( Double Meaning )と共にあるのか、そのことからして具体的典拠を挙げ連ねるとの式で遺漏無くも事細かに示そうというのが本稿の本義であるとここ脇に逸れての部にあって訴求しておきたいとの意図が筆者にはある)

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