典拠となるところの明示[49]――ダンテ『地獄篇』およびミルトン『失楽園』にあっ
ての[現代的観点から見た場合の多重的ブラックホール類似物]

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ダンテ『地獄篇』とミルトン『失楽園』に見る(「今日的観点で見た場合の」)ブラックホール近似物に関して何が問題になるのかについて[4]

 直前頁にあっては著名二古典、ダンテ『地獄篇』およびジョン・ミルトン『失楽園』にあって「現代的観点から見ての」ブラックホールの近似物が具現化しているとのことにつき、

古典字面に見るルシファーという存在](エデンの誘惑の蛇に比定される存在を中心に ――[ブラックホール関連事物]との兼ね合いで―― あまりにも話が接合しすぎる」

とのことが申し述べられることに注意を向けもした。そして、と同時に現代的観点で見た場合のブラックホール近似物の登場の下りに関してはミルトン『失楽園』の方にあって

[トロイア崩壊の故事]

に相通ずる描写がなされているとのことの解説を ――古典それそのものにみとめられる記述内容、すなわち、[文献的事実]のみを典拠としつつも―― 講じてきた(全て裏取り容易なる問題となる箇所の原文引用をなしながらもの解説をなしてきた(※))。


※振り返りなせば、ミルトン『失楽園』がトロイア崩壊譚と結びつくのは

 ミルトン『失楽園』に見る、

[[罪]と[死]が人間の世界に来襲するうえで利用することになった通用路 ――アビスの領域(古典そのものにて[時間および空間が意味をなさなくなる領域][底無しの暗黒領域]と言及されている深淵の領域)を横断する通用路―― ]

 が[トロイアの比定地]および[トロイア関連事物]と接合する、すなわち、

南端の海峡(ダーダネルス海峡)と共にトロイア比定地近傍となるマルマラ海を形成するもう一方の北端の海峡(ボスポラス海峡)のことが『失楽園』アビス横断路構築の苦難を表する下りの中で言及されている」
トロイアに木製の馬で引導を渡したとの武将オデュッセウスの渦巻きの怪物(カリュブディス)との遭遇エピソードのことが『失楽園』アビス横断路構築の苦難を表する下りの中で言及されている」
トロイア比定地近傍のダーダネルス海峡(ヘレスポントス/トロイア創設者ダルダニアに命名由来を持つ海峡)のことが『失楽園』アビス横断路構築のすさまじさを表する下りの中で言及されている」
トロイアの存在地とされるダーダネルス海峡近傍で具現化を見たとされる古代史上の出来事 ――クセルクセス王の船橋構築―― のことが『失楽園』アビス横断路構築のすさまじさを表する下りの中で言及されている」

との意味合いで[トロイア比定地]およ[トロイア関連事物]と接合する

とのことがあるためであるとの解説をなしてきた。


 何故、たかだかそうした[皮相的なる一致性] (よりもって性質の悪い関係性の存在をダーダネルス海峡らとの兼ね合いで詳述していくつもりであるも、取りあえずも指摘しているところの[皮相的なる一致性]) のことまでを問題視しているかと述べれば、「一つに」次のようなことがあるからである。

「ミルトン『失楽園』に見る、
[[アビス(深淵)]を横断して[罪]と[死]が人間に襲いかかる上で用いるとの通用路]
というものは
[エデンの林檎による誘惑の結果によるところ]
として構築されたと当該古典にて描写されている ――直近言及のようにトロイア崩壊にまつわる特定名詞が用いられながらもそのように描写されている―― ものともなるのだが、そのこと(アビス横断路構築挙動とエデンの園にての誘惑の同義性)と本稿にての従前の内容、

(振り返りもして)[[トロイアにまつわる伝承]が[アトランティス伝承]と結びついているとの側面が存在する(出典(Source)紹介の部40から出典(Source)紹介の部45を包摂する部にて詳解を講じている)]

(振り返りもして)[[アトランティスの伝承上の同等物]としての評価がなされてきた[黄金の林檎の園]が[エデンの園]と結びつくとの見立てがなせるようになっているし、実際に一部でそういう見立てがなされてきたとの側面がある(出典(Source)紹介の部48から出典(Source)紹介の部51を包摂する部にて詳解を講じている)]

とのことらが結節、[関係性の環]が描けるようになってもおり、[不気味さ]が際立つとのことがある」

(:その関係性の環にまつわる[不気味さ]が[現実世界にあっての(本来ならば)重大視されて然るべきこと]と接合するところとして[ミルトン古典にてのアビス横断路構築にまつわる部]が[今日的な意味で見たブラックホール(の近似物・近似表現)]と「多層的に」結びつくようになっているとのことがあり(出典(Source)紹介の部55から出典(Source)紹介の部55(3)を包摂する部を参照のこと)、また、ブラックホール生成をなしうると ――初期、その生成可能性が「ありえることではない」と実験機関に完全否定されていたところから一転して―― 中途より主張されるに至ったとのCERNLHC実験が[アトランティス・トロイア関連名称]の双方と「[納得できるとの意図]の明示が何らなされずに」実験関係者らによって結びつけられていること(出典(Source)紹介の部35から出典(Source)紹介の部36(3)を包摂する部を参照のこと)を本稿では問題視してきた)

 以上のようなことについて常識力の高い、そして、比較的識見豊富な向きにあってはおよそ

次のような理屈

によって「部分的に」自己納得しようとするかもしれない(ありうべき常識の声を否定するための不快な話も本稿にあってさらになしていくことになるのであるが、とにかくも、相応の人間らがどういう[理屈]([自己の願望]を体現したものであっても[理屈]との形態をなんとか保持しているもの)で納得しようとするか、あるいは、納得「させられ」うるか とのことを慮(おもんぱか)っての話をここにてなしておく)。

「ジョン・ミルトンは
[エデンの園の誘惑]

[黄金の林檎の園にて栽培される黄金の林檎の取得を目的にしての誘惑]
と同一視するような視点を有していたのではないか。
 そして、[黄金の林檎の園]とくれば、(黄金の林檎で滅んだ)[トロイア崩壊のエピソード]のことが想起される。
 ミルトンはトロイア戦争を語るうえで抜きにすることはできない古代の詩人ホメロス(トロイア戦争を扱った二大古典『イリアス』『オデュッセウス』の作者)のように視力を失っており、『失楽園』を娘らに口述筆記なさしめていたとも伝わっている文豪であるからさもありなんである(:同じくもの点については英文Wikipedia[ John Milton ]項目にあっ By 1654, Milton had become totally blind; the cause of his blindness is debated but bilateral retinal detachment or glaucoma are most likely.(大要)「一六五四年に至るまでにミルトンは網膜剥離ないし緑内障をこじらせてのことというのが最もありうるところとしての全盲となり」と記され、また、同項目別パートに Milton's magnum opus, the blank-verse epic poem Paradise Lost, was composed by the blind and impoverished Milton from 1658 to 1664 (first edition) with small but significant revisions published in 1674 (second edition).(大要)「ミルトンの畢生の作、失楽園に関しては全盲状態にてものされた」と([ミルトンが三人の娘の介助を受けながらも『失楽園』を口述筆記していることを描いた歴史画]が挙げられつつ)記されているところとなる)
 それにつき、トロイア崩壊とくれば、ミルトン活躍年代たる往時、古の[トロイア]の領域の近傍がイスラム勢力、オスマン帝国の中心地かつキリスト教圏(欧州)侵略の橋頭堡にして策源地となっており、それに対してヨーロッパ世界(キリスト教世界)に対する危機意識が高まっていもした(:ボスポラス海峡に面しての都市コンスタンティノープル、[キリスト教圏のイスラム世界に対する最前線の要衝]とも目されていたビザンツ帝国の首都がオスマン帝国に陥落させられた後、その場はイスラム勢力の策源地にして首府とされているとのことがある ――通史的歴史理解にまつわるところとなるのでそこよりの引用に留めるが、現行、和文ウィキペディア[オスマン帝国]項目にて(引用するところとして)1453年、ムラト2世の子メフメト2世は東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルを攻略し、ついに東ローマ帝国を滅ぼした(コンスタンティノープルの陥落)。コンスタンティノープルは以後オスマン帝国の首都となった。また、これ以後徐々にギリシャ語に由来するイスタンブルという呼称がコンスタンティノープルに代わって用いられるようになった。そして1460年、ミストラが陥落、ギリシャ全土がオスマン帝国領となり、オスマン帝国によるバルカン半島支配が確立した(引用部はここまでとする)と記載されているような歴史的経緯が存する―― )
 であるから、そうした状況下でのキリスト教徒一般のイスラム勢力躍進にまつわる欧州識者階層の危機感を受けて文豪ミルトンが
[エデンからの楽園追放と[死]と[罪]の来襲を[トロイア崩壊]と結びつける]
との式を前面に出していたとしてもさして不自然には思われない (:実際にミルトンが『失楽園』をものしたとされる17世紀、1667年の16年後、1683年からしてオスマントルコによるヨーロッパ征服活動の一環として[第2次ウィーン包囲]が敢行されている。 ちなみにウィーンについては一部で[黄金の林檎]とも結びつけれる都市となるとの言い伝えが(そうした言い伝えの伝がどこまで信を置くべきかは判じかねるが)存在しており、たとえば、Historical Fiction(史実脚色作品)として最近、2012年後半期に公開された海外映画 September Eleven 1683 ――直訳すれば『1683年9月11日』とのタイトルの海外映画―― では On September 11th 1683, Islam was at the peak of of it's expansion in the West. Three hundred thousand islamic troops under the command of Kara Mustafa were besieging the city they called " The Golden Apple ": Vienna.(訳として)「1683年9月11日、その折、イスラムは西洋に対する拡大基調にあっての絶頂期にあった。カラ・ムスタファに指揮されての軍兵総勢30万が彼らが[黄金の林檎]と呼んでいた都市、ウィーンを包囲するに至っていた」 との英文解説文が冒頭部から呈示され、大帝(スルタン)を代理する司令官(パシャ)に率いられてのオスマン勢力による[9月11日]にての([第二次ウィーン包囲]渦中での)[黄金の林檎と描写されてのウィーン]を手中にすべくもの戦いありようが半ばFictionとしての作中にて主軸として描かれていもする)。
 きっとそうだ。
 だから、この男(筆者)はこじつけの徒輩だ ――(加えて、「だから、ブラックホールのこともそういうやりようできっと何らかの説明がつくのだ。この男は自己の論理を支えるためにこじつけがましいこと、とんでもないことを[正鵠を射てもいない]ところで述べているにすぎない」との見方もなすかもしれない。については、残念でならないのだが、反対論拠の山の確たる存在(そして、これよりのさらにもってのその呈示)より「ご愁傷さまではありますが、」としか述べられないのだが。ちなみに、上に[黄金の林檎とオスマントルコによるウィーン包囲を結びつける作品]があることに言及したことにまつわって述べておくが、本稿の先立っての内容をきちんとお読みいただければ分かろうこととして、本稿では[911の事件の「先覚的」言及事物らと黄金の林檎の関係性]を非常に問題視しており、既にそうした文物の一例を挙げている。そして、後にての段でも[「他の」911に対する予見的作品と黄金の林檎の関係性]を都度、具体例摘示なしていく所存でもある)―― ) 」。

 以上、識見を伴った常識人のことを想定しもし、といった人間ならば抱きもし、もしかたしらば述べもしうるかととらえられる視点・申しようを直上代弁したうえで書くが、話がとおり一通りの話柄で重篤性が減じるとの心証をなんら抱けないものであるから問題となるのである。

 ここに至るまでの多くの重要なる指し示し事項を割愛したうえでの話として以下のことの意味合い「だけ」でも考えてみるべきである。

(くどくもの繰り返し表記となるところの話として)

 ダンテ『地獄篇』にあっての、

[今日的な理解にあってのブラックホール近似物の描写(於て:コキュートス)]

ミルトン『失楽園』にあっての同じくもの、

[今日的な理解にあってのブラックホール近似物の描写(於て:アビス)]

は双方別個に別々の側面からブラックホールとの近似性を呈するとのものであるが、「極めて奇怪なことに」双方共に

ルシファーによる災厄
地獄門の先にある破滅・悲劇に関わる通路

と結びつけられているとのことがある。

 以上、i.からiii.と区切ってのことらにつき、まとめれば、『地獄篇』および『失楽園』との両古典を合算して見た際に、

[ [ルシファーによる災厄]および[地獄門(と描写されるもの)の先にある[破滅][悲劇]への通路]との両要素と結びついたポイント]

に関わるところで

A.[[不帰の領域]にまつわる隻句(『地獄篇』地獄門隻句)を目にしたところから入って最終的に到達した「悲嘆」を体現しての地点] (『地獄篇』コキュートス)

B.[重力の源泉と「際立って」描写されている地点] (『地獄篇』コキュートス)

C.[(静的描写として)外側から見た際に罪障がゆえに「凍りついた」者達がそこに横たわっている、と同時に、(動的描写として)当事者から見れば「永劫に粉砕され続けている」との地点] (『地獄篇』コキュートスの中枢ジュデッカ)

D.[光に語源を有する存在](ルチフェロ)が幽閉されている地点] (『地獄篇』コキュートスの中枢ジュデッカ)

E.[[果てなき(底無し暗黒領域] (『失楽園』アビス)

F.[大きさ・時間「場所無意味となる領域] (『失楽園』アビス/17世紀成立の『失楽園』の刊行時には時間と空間を有機的一体と見る相対性理論に通ずる発想法は無論、なかった)

G.[自然の祖たる領域] (『失楽園』アビス)

との要素らを「全て兼ね備えての」ありようが具現化していると述べられるようになっており、そうしたありようが現代物理学 ――(その担い手らが本質的には知性も自由度もないにも関わらず知性あるフリをさせられている下らぬ人種(ダンテ地獄篇にて欺瞞をこととする[人類の裏切り者]らとして氷地獄に閉じ込められているような者達)か否かどうかはこの際、関係ないものとしての現代物理学)―― の発展にて呈示されるようになったとの[「今日的な観点で見ての」ブラックホール像]と共通性を呈している、すなわち、

A.[一度入ったらば二度と出れない」との(事象の地平線の先にての)領域] (ブラックホール内側)

B.[重力の源泉となっている場] (ブラックホール) 

C.[(静的描写として)外側(生者)から見れば被吸引者が[時が止まったような状況]になっているとのことがありつつも(動的描写として)その被吸引者本人(死者と化した者)から見れば「粉砕され尽くしている」との場] (ブラックホール)

D.[光さえもが逃がれられないとされる場] (ブラックホール内側) 

E.[底無し暗黒領域] (ブラックホール)

F.[時空間の法則破綻する(「時間」と「空間」が本来通りの意をなさなくなる)領域] (ブラックホール)

G.[それをもって自然の祖であるとする観点が存する場] (ブラックホール)

との特徴を全て兼ね備えたものとしての[「今日的な観点で見ての」ブラックホール像]と共通性を呈していると摘示できるように「なっている」とのことがある。

(※ダンテ『地獄篇』の最終ゴールたる氷地獄コキュートスに
B.[重力の源泉となっている場
C.[「悲嘆の」川コキュートスにて(静的描写として)外側から見た際に罪障がゆえに「凍りついた」者達がそこに横たわっている、と同時に、(動的描写として)当事者から見れば「永劫に粉砕され続けている」との地点]

との側面が伴うのに対して、現代的観点で見た際のブラックホールに
B.[重力の源泉となっている場
C.[(静的描写として)外側(生者)から見れば被吸引者が[時が止まったような状況]になっているとのことがありつつも(動的描写として)その被吸引者本人(死者と化した者)から見れば「粉砕され尽くしている」との場]

との特性が伴っているとのまさしくものそのことに関わるところとしてブラックホール(と今日、呼ばれるに至ったもの)は初期、
Frozen Star[凍った星](ダンテ『地獄篇』の[重力の中枢にあっての氷地獄]のようなものとしてのフローズン・スター)
とも形容されていたとのこと「も」先立っての段で解説した ――そちら Frozen Starの現行、Wikipediaにての関連表記は[ Black Hole ]項目、そのHistoryの節にての This is a valid point of view for external observers, but not for infalling observers. Because of this property, the collapsed stars were called "frozen stars", because an outside observer would see the surface of the star frozen in time at the instant where its collapse takes it inside the Schwarzschild radius.「この見方は外側の観測者ら(訳注:ブラックホールの外側の観測者ら)にとっては適正なる見方だが、ブラックホールに落ちこむ観測者らから見れば、適正なる見方ではない。こうもした属性がゆえに[縮退星](訳注: collapsed starはブラックホールという言葉が生み出される前にブラックホールを指して用いられていたところの一呼称) Frozen Stars[フローズン・スターズ(凍り付いた恒星)]とも呼ばれていた、というのも[外側の観察者]はその星がシュヴァルツシルト半径の内側へ向けて崩壊していくまさにその場、その瞬間を[凍り付いた恒星の外面]とのかたちで見ることになるからであるとの部位となる―― 

 上のような関係性が摘示なせるようになっているとのことは ――これまたくどくも強調したいことなのだが―― 古典の記載のみより導きだせるとの[事実]である(再三再四述べるが、出典(Source)紹介の部55から出典(Source)紹介の部55(3)を包摂する解説部を参照のこと。ちなみに同じくもの話は無論、[甚だしくも非常識的]とも映るものだが、非常識的であることが事実や真実ではないか、と述べれば、そうではない。誤解曲解の余地あり、非常識的なることを話柄とする人間は大概、[水準の低い人間であってもすぐにそれと分かるような性質の悪い紛いもの]ばかりであるとのことがあるため、誤解・予断を抱かれやすいとの余地はあろうが、[非常識的なること]と[事実・真実]は本来的には両立しうることであるのは言うまでも無い)。

 につき、[事実]が[事実]であると納得なせるかたちにて遺漏無くも呈示された折に

「それは[虚偽]であろう」

と返すのは[正気の人間]のやりようではないとのことになろう(あるいは[理が通じぬ人間]ないし[「機械」のように融通性がない存在]であるということになろう ――筆者は『この世界は正気と狂気が往々に逆転することがあるからこその人間の悲劇なのであろう』と考えつつも、のようなことをわざわざ書いている―― )。

 [事実]が[事実]として「遺漏なくも」呈示された折に事実の指し示す方向の検討をなすべき人間が心中にて考えてみるべきことは

そうしたことがあるのはよくできた[偶然の一致]で済むか否か

「[偶然の一致]で済まないのならば、その[原因]は何か

「([原因]の特定の有無とはまた別個に)[偶然の一致]で済まないのならば、その有害度は如何程か(それを無視することが自分や守りたき者に如何程の不利益を及ぼすのか)」

といったことであるべきである。

 以上述べたうえで書くが、ここにあって問題視していることは表記のようなこと、

[特定古典に今日的な観点で見てのブラックホールに通じる一致性が具現化しているとの事実 ――それが[偶然]であるか否かはとりあえずも置いておいて[事実]であることには異動が生じえないこと―― ]

に直接的に関わるとのミルトン『失楽園』にあっての特定部、

[[罪]と[死]の通用路に関連する部]

で[トロイア]との接合性「も」が観念されるということとなっている。

 そうした状況下で上にて代弁したような[常識的なる話柄]にての物言いを真と想定するのは ―取りあえずも申し述べるところとして― 
[次のような観点]
から妥当ではない。

17世紀の人間であるミルトンがブラックホールのことを予測しえたか、と述べれば、そのようなことはおよそ観念できることではない(ブラックホールに近似するものを想起できるだけの科学的観点が登場を見たのはミルトンより後のことである)。
 では、ブラックホール近似物が登場を見ていることの方は(ミルトン恣意ではなく)[偶然]であったと仮定を置いてみよう
 だが、そのような仮定(計数的なる検討をなす対象と見、かつ、多少専門的なる言葉で表するとすれば、帰無仮説、[偶然]ではなく[恣意]の賜物であろうと想定する本稿ここまでの見立てを無に帰すとの仮説ともなろうもの)を無批判に[真]であると想定することも、また、ミルトンが[17世紀時代人なりの人間レベルのやりよう]にたかだかすぎないところとしてトロイアの寓意をわざと隠喩的に『失楽園』特定部描写に込めたのだろうと想定するとのことをなすことも[下に図示するような関係性]が摘示できるようになっているために、[賢明ではない]と判じられるようなところである

一例としての再掲図として)





「微に入ったところを多少長くなりもしながら」記載するところとなっての追記として

 上の部ではジョン・ミルトン、17世紀に生きた同文豪が

[ブラックホールのことを確信犯的に自身の作品(『失楽園』)に込めることができた]

などという観点は[常識]からは導出できるようなものではないと述べている。

 その点、(科学的識見を蔵した多くの人間にとり言わずもがなのことであることも承知のうえで)[ブラックホールの登場経緯]
について書くが、

「[[時間]と[空間]を一体として見るアインシュタインの相対性理論]が20世紀に入って登場を見、同理論に依拠しての科学的洞察の深化のために、
[[時間]と[空間]が共に歪み、光さえ脱出できないとされる重力の怪物としての(今日的な意味での)ブラックホール]
の観点が生まれた」

とのことがある。

 本稿にあってのさらに後の段でも科学的見地発展にまつわるそうした経緯のこと ――アインシュタインの相対性理論が20世紀に入ってから登場を見、それが煮詰められるなかで現代的な観点で見てのブラックホールなるものが立ち現れてきたとの経緯のこと―― を細かくも出典紹介なしながら解説することとする所存であるが、別段、細かくもそうした経緯のことを念頭に置かずともジョン・ミルトンという[今よりおよそ350年程前の人間]が

[光さえ脱出できない「時間と空間を一体として見て」底無しの暗黒領域のブラックホール的なるもの]

を「確信犯的に」自身の作品に込めたなどとのことは成り立たぬ解答であることは大概の人間には分かろうか、とは思う(:述べておくが、ミルトン『失楽園』の[時間と空間が意味を失う底無しの暗黒領域]たるアビスが[ルシファーに由来する災厄の領域][「地獄門」の先にある領域]とのありようで[光の表象存在が脱出出来ずに囚われている領域][重力の中心領域][凍りついた刹那の状況が保持されながらもの永劫の粉砕劇が演じられている領域][一端、足を踏み入れれば、帰還の希望を抱けぬとの不帰の領域]との『地獄篇』描写と接合し、それらがすべてブラックホールの目立っての特色となっているから問題なのである)

 とにかくもおよそ考えがたいとのなかで現実にミルトン著作にそれ(ブラックホール)に通ずるところの領域の描写 ――(「落ち込めば二度と出てこれない」とそこを飛翔横断したサタン([光]とも結びつく名前ルシファーが堕落・零落した存在)もが述べている(出典(Source)紹介の部55(3))との[「時間」と「空間」が意味をなさなくなる底無しの暗闇の領域]たるアビスにまつわる描写)―― が「どういうわけなのか」具現化を見ている。

 それにつき、ある程度の思考力と識見、そして、何よりも重要なところとしての情報収集能力を有した人間が ――ジョン・ミルトンの[確信犯]の可能性を排し、代わりに[偶然]を成り立たしめる可能性を前向きに考察しながら―― 常識で説明をなそうと考えれば、

「ミルトンの[アビス]の領域の描写は[ギリシャ神話の原初の神々の特性]にまつわる描写を踏襲しているように見え、それがたまたまもってブラックホール特性と重なって見えているにすぎないのではないか」

といった説明が試みられるところか、とも思う。

 より具体的に述べれば、古典中の古典、古代ギリシャ著述家ヘシオドスに由来する古典である、

Theogony『神統記』 紀元前8世紀から紀元前7世紀にかけて成立したとされる神々の由来につき言及した古典で日本のお受験嗜好の高校性なども[世界史]の科目を選択する限りその著者名ヘシオドスと共に(「中身一切抜きにの」その行為に一体全体何の意味があるのかは別として)名称だけは暗記することが望ましいとされるもの.同『神統記』、英文Wikipedia[Theogony]項目にての現行記述を引用するところとして Hesiod's Theogony is a large-scale synthesis of a vast variety of local Greek traditions concerning the gods, organized as a narrative that tells how they came to be and how they established permanent control over the cosmos. It is the first Greek mythical cosmogony.(訳として)「ヘシオドスの手になる『神統記』はギリシャの神々にまつわる御当地伝承を数多多種、大なる量にてまとめての総覧書となり、(同著に関しては)神々がどのようにそうある姿に至ったのか、また、どのように宇宙に対する恒久的支配を確立したかについて口述形態で言及するとのかたちにての編纂がなされている。同著はギリシャ神話にあって最初の世界発生体系について扱った著作となる」(引用部はここまでとする)とのまとめられようがされているとの[基準古典]たるものである

に遡るところとして言及されているとのギリシャ神話大系にあっての神々、

[原初神](カオス)
[大地母神](ガイア)
[[夜の体現存在](ニュクス)と交わって大気や日にちを生み出した地下の暗黒の体現存在[エレボス]]
[果てない地下の領域としてのタルタロス ――神さえ忌み嫌う「底無しの」霧塞ぐ地下の領域とも―― ]

といった、
[世界の根本となった神々](およびそうした存在によって体現される領域)
にミルトン古典の[アビス]に通ずるような特性が観念されもするように「見える」、要するに、
[原初の存在][暗闇][果てない領域]
を体現しての似たような一群の神々の存在が大昔(著述家ヘシオドスの時代)より観念されてきたとのことがありもし、「であるから」、ジョン・ミルトンの[アビス]描写 ――[果てない暗闇の領域][自然の祖たる領域][時間と空間が意味をなさなくなる領域]としての[アビス]の描写―― がそうしたギリシャ神話の[根本の存在]に通ずるところで導出されたとの可能性を検討するところか、と思われもする(:少なくとも「重要なことを訴求している」との自負をもってやっているとの筆者はそこまで思料し、かつ、検討している。に関してはミルトン『失楽園』にあって[アビス]の領域に関して、(ヘシオドスHesiodの『神統記』描写に見るような、)[混沌カオスと原初の暗闇の領域]との形容がなされているとのこともあってそうしているのである)。 

 しかし、ミルトンのアビスにまつわるブラックホール近似特性の描写にはギリシャ神話の原初の神々に対する特性の踏襲では説明「なしがたい」とのことになっている。

 上のように述べるところの理由の第一
 この身がオンライン上よりダウンロード可能なギリシャの原初の神々に対して言及なしているとのヘシオドスのTheogony『神統記』流布版(ギリシャ語から英訳されてもの版)を細かくも検討してきた限り、[カオス](原初神)や[ティタンが幽閉されたとのタルタロス](神さえ忌み嫌う底無しの霧塞ぐ地下の領域)などにあっては
「[空間]どころか[時間]までもが意味をなさなくなるポイント」
といった意味合いは付されていないとのことがある ――につき、識見を伴い、調査能力ある読み手ならTheogony『神統記』原著公開版に対してテキスト検索機能を働かせてすぐに確認できるか、とも思うが、といったことを実行するのは過半の人間には難儀なことか、とも見ているので、本稿にての直下の段で該当古典、ヘシオドスの『神統記』の関連する部の記述を引いておくこととする―― 。
 ヘシオドス古典に見る原初の神々に関してはせいぜい「空間が凄まじく広大な領域に渡って広まっている地下の領域」といった描写しかなされておらず、そこに「時間の無意味化」といったミルトンにおける[アビス]のそれのような描写はなされて「いない」のである ――ミルトンのアビスの描写にあっては(ブラックホールというものが[時空;spacetime]を無意味化する領域、時間と空間の双方を無意味化するものであることを想起させるように)はきと[時間]「も」が意味をなさなくなるとの明言がなされている。すなわち、ミルトン古典では先に出典(Source)紹介の部55にて引用なしているようにルシファー(ブラックホールを出ることが出来ないとされる[光]と親和性強き語)ことサタンがその領域に落ち込まぬように縫うように移動したとのアビスの領域につき The secrets of the hoary deep ; a dark illimitable ocean, without bound, / Without dimension, where length, breadth, and height, / And time, and place, are lost ; where eldest Night And Chaos, ancestors of Nature, hold Eternal anarchy, amidst the noise Of endless wars, and by confusion stand.( BOOK II.,lines 890-895 )(訳として)「秘められし古き世界。暗く果てしなく境界なき大洋長さ・幅・高さが、そして、「時間」と場所が居所を失う次元なき世界。そこにては夜と混沌、自然の祖先たるそれらが終わりなき諍いの不協和音の中、混沌を立つ瀬として無限の無秩序状態を保っていた」との描写がなされている)―― )。


(※原初の神々について言及している主たる古典となる『神統記』、オンライン上より全文英文にて確認できるところのヘシオドス『神統記』ではミルトンのアビスの描写の元となったアビス「的なる」存在、原初の神々(にて体現される領域)についての言及箇所が(僅か数カ所、そして、文量も僅少ながら)散見されるところとして存在している
 具体的には[カオス(神)]という存在をして原初の存在(訳がなされる英訳版にてはChaosに代えてChasmと表記されることもある)と描写し、[タルタロス(神)]という存在をしてオリュンポスと争った古き神々タイタンらが戦争の結果、幽閉された底無しの霧塞がる領域の体現存在と描写し、[エレボス(神)]という存在をして夜(ニュクス)と並列表記されている存在と描写しているとの式で ――ほんの少しながら―― [原初の神々]に対する言及がなされているとのことがある(後知恵的なことを文献的事実に基づか「ず」表しているとの[[紛らわしさ]を増させるような種別の力学]もあるようであるが ――例えば、エレボスをして永遠の闇の体現者であるといったことを表するが如き力学もあるようであるが―― 、とにかくも、である)
 といったことに関して、
『そこまでやる意味性があるのか。まったくもって不要なることではないのか』
とも思いながらも、原文引用、『神統記』英訳版テキストとしてオンライン上にてPDF版が取得なせるとの Martin Litchfield West(M.L.West)という学究の手になる Theogony AND Works and Days(『神統記』および『労働と日々』とのヘシオドスの二古典を収めたバージョン)よりの原文引用をも直下なしておくこととする。

 原初の神々(カオス・タルタロス・エレボスの類)について言及しているとの主たる『神統記』該当箇所は下の部となる。

 (直下、オンライン経緯で全文ダウンロード出来るとの Theogony AND Works and Days ――オクスフォードのギリシャ古典学者 Martin Litchfield Westの訳になる版―― よりの原文引用をなすとして)

First came the Chasm;" and then broad-breasted Earth, secure seat for ever of all the immortals who occupy the peak of snowy Olympus; the misty Tartara" in a remote recess of the broad-pathed earth; and Eros," the most handsome among the immortal gods, dissolver of flesh, who overcomes the reason and purpose in the breasts of all gods and all men. Out of the Chasm came Erebos" and dark Night, and from Night in turn came Bright Air and Day, whom she bore in shared intimacy with Erebos.(逐語訳はなさず大要訳にとどめるところとして)「(神々のうち)最初に生まれたのが[カオス]であり、それに次いで生まれたのはオリュンポス山上の頂きを占める全ての不滅なる者達(神ら)の間で安定的な位置にある[大地](ギリシャ神話のゲーないしガイア)であり、懐深き[大地]の奥まったところに横たわる霧で覆われた[タルタロス]となる。次いで生まれたのが神らのなかで見目最も麗わしき[エロス]の神であり、・・・(中略)・・・、[カオス]から[エレボス]、そして、「暗き夜」(ニュクス)が生まれることになった(以下略)」
The scales of battle turned. But until then, they attacked each other, fighting furiously in fierce combat. In the forefront Kottos, Briareos, and Gyges, who was never sated with battle, raised bitter conflict. Three hundred rocks from their stalwart hands they discharged in a volley, darkening the Titans' sky with missiles. And they dispatched them below the wide-pathed earth, and bound them in painful bondage, having defeated them by force for all their pride: as far below the earth as heaven is from the earth, for so far it is from earth to misty Tartarus.(逐語訳はなさず大要訳にとどめるところとして)「タイタン神族とゼウスら新発の神々の間で争いが起こり、戦いの大勢が決することになるまで激しい合戦が行われた。結果、敗者となったタイタンらは自負心を徹底的にたたきのめされるかたちにて[天が地上から離れているのと同じくらい地上から離れているとの地下の領域、霧塞がるタルタロスの領域]にての苦痛伴う獄につながれることになった」
There Kottos, Gyges, and brave Obriareos live, trusty guardians of Zeus who bears the aegis. And there are the sources and extremities of dark earth and misty Tartarus, of the undraining sea and the starry heaven, all in order, dismal and dank, that even the gods shudder at; a vast chasm, whose floor a man would not reach in a whole year if once he got inside the gates, but stormwind upon terrible stormwind would carry him hither and thither. (逐語訳はなさず大要訳にとどめるところとして)「アイギス(訳注:メデューサの首が後の日にはめ込まれることになったとの神具/トロイア戦争にてトロイア内破の推進サイドに立っていたアテナ神の持つ神具)をまとったゼウスが信を置いていたタイタン戦争ら功労者コットン/ギューゲース/勇敢なるブリアレオスら(ヘカトンケイルら)がタイタンの幽閉地の番に就くこととなった。そのタイタン幽閉地は[地の暗きにあっての根源的かつ際立ったところ、水捌(みずは)けなされぬ海が滞留しているとの霧り塞がりしタルタロス、神さえもが悪寒を覚えるとの暗く湿った領域]であった。[広大な亀裂の領域]として人間がその門をくぐれば、[一生をかけても底にたどり着けぬとの領域]であるが、それはまた強風に次ぐ強風が来訪者をあちらこちらに運ぶとの領域でもあった」

 以上の部位らが『神統記』の問題となりそうに見え「も」する部のすべてである。
 さて、上にて原文引用のヘシオドス古典に見るタルタロス、底無しの暗黒領域であるタルタロスがミルトンの描写するアビス、[底無しの暗黒領域]とされるアビスに最も近しい存在と「見えもする」わけだが、そのタルタロスからして[時間]を無意味ならしめるとのミルトン[アビス]の描写と特質を同一にするものではない(尚、カオスやタルタロスのことに言及しているギリシャ古典(および古典時代の言論)は上にて原文引用なしているヘシオドス『神統記』(およびそれを受けての[シュロスのペレキュデース]という哲学者の物言い)ぐらいのものである(と手前はいろいろと食指伸ばして調べるなかで判断するに至っている))
 につき、「どういうわけなのか」サブ・カルチャー作品ら(若者世代がそれを摂取することとなっているも[広告]や[番組]以外では主流メディアには取り沙汰されないようなサブ・カルチャー作品ら)にあっては[そうではない]との誤解をきたすようなものが含まれている、すなわち、[タルタロス]や[エレボス]のようなものにもブラックホール関連の寓意が「原初からして」含まれているように一部の人間に誤解きたすような作品が含まれているとのことがありもする(と筆者なぞは考えるに至っている)。
 その点については、
「サブ・カルチャー作品らに見る[メッセージ性]なるものをありのままに受け取るのが賢明ではないのと同時に、それらサブ・カルチャー作品らに見る[神話関連の命名規則]の問題をありのままに受け取るのもまた実にもって賢明ではない」
とのこと、([そういう作品群を摂取している読み手]を想定して)、述べておきたい次第でもある。


(ミルトン『失楽園』の[アビス]にあってのブラックホールと近似する描写形態が[ギリシャ神話の原初の神々に付されての特性の踏襲]などでは説明なしがたいと述べるところの) 理由の第二

 先立っての段にて述べているところと重複するところともなるが、ミルトン古典で問題となる描写が

[地獄門の先にあるルシファー関連の領域(としてのアビス)]

にあって現出を見ているとのものである一方で他の古典『地獄篇』にあっての同様なるところ、

[地獄門の先にあるルシファー関連の領域(としてのコキュートス・ジュデッカ)]

にて「より奇怪な.」といった風情でのブラックホール的なる特性がミルトン『失楽園』とは「別側面で」 ――ポイントは「別側面で、」というところにある―― 具現化を見ているとのことがある(そちら『地獄篇』の描写のほう、[重力の本源]にての双方の描写の方は極めて露骨なのものとなっているがため、物事をはっきりと述べないとの物理学者のような種別の人間「ら」でさえもが(何も変ええぬし、変えられぬようにするとのロボットのような類としてかもしれないが)『地獄篇』とブラックホールの関係性を仄めかしているとのことがよくもある ――本稿にての出典(Source)紹介の部55の段にて著名物理学者がいかようにダンテ『地獄篇』をブラックホールと中途半端にあわせて言及なしているかは原文引用なしながら先述のことである―― )。

(ミルトン『失楽園』の[アビス]にあってのブラックホールと近似する描写形態が[ギリシャ神話の原初の神々に付されての特性の踏襲]などでは説明なしがたいと述べるところの理由の第三

 こちらについて「も」つい先立っての段にて述べているところと重複するところとなるが、ここに至るまで呈示の図らとても僅か一例にしかならぬような式で、

[[ブラックホール先覚描写]にまつわる「他の」できすぎた関係性] (その多重性・集積度合いについて本稿の続いての段でさらにもの摘示をなし、本稿末尾近くでは ――[見識]と(何よりも重要なことに)[意志]を伴っての語るに足る大人を対象に―― [ベイズ主義](ジェントルな、そう、良心的ベイズ主義とのかたちでの批判者視点を尊重してのベイズ主義)といった観点によって「高校生レベルの数学知識で事足りる」との説明を付しての確率論的な切り分け手法を呈示しもすることにしているとの関係性)

が「数多」存在しており、それらを無視するのが「賢明ではない」どころか、「致命的なことになろう」とのことが現実にある(がゆえに、ミルトン『失楽園』アビス描写のようなものからして軽んじられるものではない。それにつき、「自己破壊せよ」と命令されれば自殺もしよう ――ロボット三原則から導きだせる帰結のことを述べている―― との相応の[ロボット]人間でなければ、あるいは、愚昧なる存在へと堕さしめられ物事の是非を判断する能力などはなから持ち合わせていないとの「運命が決した」獣畜に仮託されるような存在でなければ、特定の一方向を指す矢印が「別個独立方向から」発するとのかたちで「膨大な数にて」存在しており、その矢印の発信元ら(起点)相互にもまた別の観点でのつながりが多重的に存在することが示された際に、そうしたところで[[偶然]である]との見方に賭けようとは思わないだろう。また、同じくもの相関関係の束、束、束が相応の「具体的」結末を用意している]とのことを[意志]([悪意][執拗さ])が露骨に透けて見えるとのかたちで指し示しているとのものらでもあるのならば、[放置すべきことである・何かをなす対象ではない]「とも」見はしないだろう)

(紙幅離隔もさしてないところ、備忘を期すという按配とならぬようなところで同じようなことをくだくだと述べるとのことをなしてしまった風もあるが)、以上、第一から第三の理由から筆者はミルトンやりようにつき
「[ギリシャ神話からの踏襲]などとの観点も成り立たない」
と述べるのである。

(追記の部はここまでとしておく)

 ミルトン『失楽園』についてそのありようを常識論で説明しようとすることの方が(普通であれば反対であるべきところを)「まったくもって困難である」とのこと、申し述べたうえでこれよりは問題となることをよりもって強くも指し示すものである「他の」事柄らについての指し示しをなしていくこととする。

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直下、本稿冒頭部へのリンクを設けておく

(⇒冒頭頁へは下の部より)

[典拠紹介部第1頁 加速器実験に伴う欺瞞性から証示なせることについて]

 上にて挙げているのはドイツ浪漫主義芸術の巨匠たる18世紀画家、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(Freemasonでもあったとの画家 Caspar David Friedrich)の手になる一品、

Der Wanderer uber dem Nebelmeer雲海の上の旅人』(に多少の[動き]をアレンジとして加えたもの)

となる。

 言われようの問題として一般に、

[人間の崇高なる精神が高みを目指し、ついぞ多くの物事を達観するに至った時、その折の孤独と感慨を描いた画]

などと形容される上掲の『雲海の上の旅人』に関して(本稿でもその言行を順次・段階的に取り上げることになるとの)物理学者リサ・ランドールは[次のような申しよう]をなしている。


(直下、物理学者リサ・ランドールの手になる著作 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)にての CHAPTER THREE LIVING IN A MATERIAL WORLD[第三章 物質世界に生きる]の章の記述内容 ――オンライン上検索エンジンにあっての原文検索にて該当部特定できるところの記述内容―― よりの原文引用をなすとして)

Our universe is in many respects sublime. It prompts wonder but can be daunting ―even frightening― in its complexity.  Nonetheless, the components fit together in marvelous ways. Art,science, and religion all aim to channel people’s curiosity and enlighten us by pushing the frontiers of our understanding. They promise, in their different ways, to help transcend the narrow confines of individual experience and allow us to enter into―and comprehend―the realm of the sublime. (See Figure 11.)
          [ . . . ]
[ FIGURE 11 ] Caspar David Friedrich’s Wanderer Above the Sea of Fog (1818), an iconic painting of the sublime ― a recurring theme in art and music.

(上の原著引用部に対する[訳文]として国内流通訳書『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)ハードカヴァー版にあっての81ページに記載されているところを引くとして)

多くの点で、私たちの宇宙は崇高だ。その複雑さは好奇心を駆り立てはするが、無力感も抱かせるし、ことによっては恐怖さえも感じさせる。にもかかわらず、宇宙の構成要素は素晴らしくぴたりと絡みあっている。芸術、科学、宗教は、いずれも人々の好奇心を促して、理解の限界を広げさせ、それによって私たちを啓蒙することを目指している。いずれもそれぞれのやり方で、個人の経験の狭い領域を越えさせることを約束している。それがかなえられたとき、私たちは崇高なものの領域に踏み込む――そして理解する――ことができるのだ(図11を参照)。 …(中略)… [図11]ドイツの画家カスパー・ダーヴィド・フリードリヒの「雲海の上の旅人」は、崇高なものを象徴的に描いた作品だ。崇高さは、美術と音楽に繰り返し登場するテーマである

(以上をもって Knocking on Heaven’s Doorにての原著表記および訳書よりの引用とした)


 さて、何故、ここ脇に逸れての部にあって「目立つように」特定絵画 ― 『雲海の上の旅人』― を挙げ、その絵画に対する物理学者の評しよう ―「雲海の上の旅人」は、崇高なものを象徴的に描いた作品だ....― などを引いたりもしたのか

「それは、」
絵画『雲海の上の旅人』に対して直上引用なしたような評しようをなしているとの物理学者リサ・ランドールが

加速器によるブラックホール生成可能性にまつわるトピックの理論深化に一廉ならぬ貢献をなしているとの著名物理学者

[[崇高なるもの]を目指しての宇宙の探求(およびそのための装置と銘打たれている巨大加速器LHC)の称揚・礼讃をなしているとの向き

であるとのことがあり、また、なおかつ、彼女リサ・ランドールの手による、(絵画『雲海の上の旅人』を科学者が目指しての[崇高さ]とを結びつけている)引用元著作 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)が

人間のありよう(崇高さとはおよそ程遠いところにあるありよう)]
人間の辿る運命

を嘲笑うような[嗜虐的寓意]で満ち満ちていると申し述べられるようになっている著作であるとのことがある、遺憾ながら
[理の当然]
として申し述べられるところとしてある ――個人のせせこましい偏頗(へんぱ)な主観などとは一線を画したところで客観的かつ具体的にこれはこうでこうだと申し述べられるようになっている(出典呈示を第一義にしての本稿では無論、その論拠を事細かに挙げる)とのところとしてある―― からであり、そのことに注意を向けたかったからである(※)。

(※上にて引用元とした著作、 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)、同著にあってはその冒頭部より
September 10, 2008, marked the historic first trial run of the Large Hadron Collider (LHC). Although the name―Large Hadron Collider― is literal but uninspired, the same is not true for the science we expect it to achieve, which should prove spectacular. (表記英文引用部に対する訳として)「2008年9月10日、ラージ・ハドロン・コライダー(LHC)が歴史的始動を見た.[ラージ・ハドロン・コライダー]との名称は有り体に言ってインスピレーションを何ら与えぬとの平凡なものだが、私たちがそれ(LHC)に[証明すべきととらえている壮大なる挙]を託しているとの意では[科学(の進歩)]にとり同じくものことは真実とはならない(LHCは際立ってのインスピレーションを与えるものである)」
などとのことが書き記されている。
 そうもした書きようが目立ってもの冒頭部にてみとめられる著作ノッキン・オン・ヘブンズ・ドアにおける表題、 [天国のドアをノックする]の由来についてリサ・ランドール女史は同じくもの著作の中で次のようなことを述べてもしている。
(以下、 Knocking on Heaven’s Doorにての CHAPTER FOUR LOOKING FOR ANSWERSより引用なすところとして)
I first heard the phrase “knockin”on heaven’s door”when listening to the Bob Dylan song at his 1987 concert with the Grateful Dead in Oakland, California. Needless to say, the title of my book is intended differently than the song’s lyrics, which I still hear Dylan and Jerry Garcia singing in my head. The phrase differs from its biblical origin as well, though my title does toy with this interpretation. In Matthew, the Bible says, “Ask, and it shall be given you; seek, and ye shall find; knock, and it shall be opened unto you: For every one that asketh receiveth; and he that seeketh findeth; and to him that knocketh it shall be opened. (以上原著表記に対して訳書『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)ハードカヴァー版[第四章]103ページにての表記を引くとして) Knocking on Heaven’s Door(天の扉を叩く)]――これが本書の原題だが、私が最初にこのフレーズを聞いたのは、一九八七年、カリフォルニア州オークランドでのグレイトフル・デッドとのコンサートで、ボブ・ディランが『天国への扉』を歌うのを聞いたときだった。いまでも私の頭の中ではディランとジェリー・ガルシアがこれを歌っているのが聞こえてくるけれど、いうまでもなく、私の本のタイトルは、この曲の歌詞とは意味が違っている。このフレーズは出典である聖書の一節とも違っているが、私のタイトルはこちらの意図を拝借したものだ。聖書の「マタイ伝」には、このように書かれている。「求めよ。さらば与えられん。尋ねよ、さらば見いださん。門を叩け、さらば聞かれん。すべて求むる者は得、たづねる者は見いだし、門を叩く者には開かれるるなり
(以上、引用部とした)
 といったところ、新約聖書のマタイ伝にあっての
[求めよ。さらば与えられん。尋ねよ、さらば見いださん。門を叩け、さらば聞かれん。すべて求むる者は得、たづねる者は見いだし、門を叩く者には開かれるるなり]
とのフレーズ、それが
[天国の門]・[天国への扉]・[天国への階梯](ステアウェイ・トゥ・ヘブン)
との兼ね合いでいかように嗜虐的なる別側面での意味( Double Meaning )と共にあるのか、そのことからして具体的典拠を挙げ連ねるとの式で遺漏無くも事細かに示そうというのが本稿の本義であるとここ脇に逸れての部にあって訴求しておきたいとの意図が筆者にはある)

当サイト内にあっての【各頁および各典拠への一覧方式遷移部】、及び、【PDF形式文書配布ページ】へのリンクを直下、設けておく

各頁および各典拠への一覧方式遷移部へは以下より


問題となる[「予見的」言及→実現]の体系についての[典拠紹介部]一覧呈示頁

PDF形式文書配布ページへは以下より


典拠解説媒体としての[一括PDF文書]の公開頁

ここ本頁内の記述内容を支える【「容易に後追い確認なる」「堅い」ソースを呈示しての出典紹介部ら】のうち、枢要なるものへの[遷移経路]を下に設けておく。 典拠について疑わしいとの部があれば、必要に応じて参照されたい (:クリックすることでブラウザ ―インターネット閲覧ソフト― の[別タブ(別枠)]にて典拠紹介部を表示( open "additional" tabbed window(s) of web browsers ))

[出典(Source)紹介の部35]LHC実験とトロイア崩壊およびアトランティスの関係性を示す命名規則上のありようにまつわっての部LHC実験にあっては[(トロイア崩壊の因たる)黄金の林檎の在処を知ると神話が語り継ぐ巨人アトラス]の名前を冠する検出器ATLASおよび黄金の林檎の果樹園とも同一視されもするアトランティス]の名前を冠するディスプレイ・ウェアATLANTISによって生成極微ブラックホール捕捉をなしうるとの可能性が取り沙汰されてきたとのことについての出典紹介の部35)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第30頁 アトラス・アトランティスとLHC命名規則の繋がり合い

[出典(Source)紹介の部39]トロイア崩壊の原因が黄金の林檎となっているとのこと、また、そちら黄金の林檎がヘラクレス第11功業に登場を見ている「巨人アトラスと結びつく神の果実」でもあるとのことに関しての出典紹介部39)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第35頁 ブルフィンチ神話要覧書などに見る黄金の林檎とトロイア

[出典(Source)紹介の部41]トロイアとアトランティスの関係にまつわっての出典紹介部の一例[トロイア崩壊の原因たる黄金の林檎が実るヘスペリデスの黄金の林檎の園]が何故、[アトランティス]と結びつくのかについての出典紹介の部41)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第37頁 アトランティスを巡るドネリーの主張について

[出典(Source)紹介の部43]トロイアとアトランティスの関係にまつわっての出典紹介部の一例トロイアを木製の馬の計略で劫略した武将オデュッセウスが漂着した島が何故、[アトランティス]と結びつくのかについての出典紹介の部43)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第38頁 アトランティスとトロイアの記号論的関係性の深耕として

[出典(Source)紹介の部52](アメリカ大陸をもってしてアトランティスと定置しているとのフランシス・ベーコン著作『ニュー・アトランティス』の内容を細かくも紹介しての出典紹介の部52)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第44頁 アトランティスと蛇崇拝の先コロンブス期アメリカ

[出典(Source)紹介の部54(4)](ケツァルコアトル再臨類似のプロセスにあって現出した裏切りと同文の結果をもたらした等等、エデンの誘惑の蛇に比定されもするサタン・ルシファーの特質について解説しての出典紹介部54(4)以降の部)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第44頁 アトランティスと蛇崇拝の先コロンブス期アメリカ[2]

[出典(Source)紹介の部55](ダンテ『地獄篇』およびミルトン『失楽園』にあって[「今日的な観点で見た場合の」ブラックホールの質的近似物]が描写されていることにまつわっての出典紹介部55)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第46頁 ダンテ『地獄篇』とミルトン『失楽園』に見るブラックホールに通ずる描写

[出典(Source)紹介の部55(3)](ダンテ『地獄篇』およびミルトン『失楽園』にあって[「今日的な観点で見た場合の」ブラックホールの質的近似物]が描写されていることにまつわっての出典紹介部55(3))
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第47頁 ダンテ『地獄篇』とミルトン『失楽園』に見るブラックホールに通ずる描写[2]