典拠となるところの明示[20]――ブラックホールによる災厄の具体像帯びての「先覚的
言及」文物ら
に関して本稿本題の[証示]の段に入る前にし述べておきもしたきこと

関連情報にまつわるカテゴリ(各部クリックにて遷移)

本質的なところとして何が問題になるのかについて

(直前頁で長くもなってのプランク・エナジーにまつわる補足を終えたところで)
 振り返りをなそう。
 本稿にあってはこここれに至るまでの段にて1974年の小説『北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中』がいかに問題になるのかについて次の観点からの考察を加えてきもした。

出典(Source)紹介の部11から出典(Source)紹介の部14にて呈示の出典に依拠して解説してきたことについて)

「表記の70年代刊行の小説『北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中』にあっては

後の日のLHCに際立って近しい兆単位電子ボルトを実現する欧州加速器パフォーマンスといったレベルで往時のCERN加速器ISRに対して出力比200倍を超えるかたちで現時LHCに近しいとの欧州加速器)によるブラックホール生成を臭わせる露骨な言及](それは「[兆単位の電子ボルトの一極集中によるブラックホール生成]が余剰次元理論による登場のために観念されるようになるよりも[かなり前]のことであるために時期的に奇怪.」と判じられるとの「予見的」言及でもある)

が作中にてなされているとのことで問題となるのだが、そちら小説の先覚的言及に関しては加速器にまつわるリスクとして90年代に入る前から既に問題視されていた、
[異常核物質の生成]
[真空の相転移の発生]
という他のリスク要因を巡る議論が影響を与ええたとは考えられないようになってもいる(であるから、先覚的言及に伴う奇怪性は引き続き拭い去れぬところとして残置することになりもする)」

(⇒70年代から[ベバラックという複合型加速器による異常核物質 (分子における異性体(isomers)との相似性から density isomersとも呼ばれていたところの Abnormal Nuclear Matter) の生成のリスク ――地球崩壊にまつわるリスク―― ]が全く部外に漏れることなく加速器実験関係者ら身内だけで取り沙汰されたとのことがあったと往時、加速器実験に携わっていた物理学者による述懐がなされてもいるのだが、そちら述懐されての懸念は1974年小説にあってその先覚的言及が問題となる[ブラックホール生成問題]とは異質なものであると見受けられるようになっている。また、80年代に首をもたげだしたとされる[加速器による真空の相転移現象発生にまつわるリスク ――地球どころか銀河系レベルの崩壊を引き起こしかねないとされたリスク―― ]について「も」基本的には1974年小説にてその先覚的言及がなされていたとのことが問題となるブラックホール生成リスクと異質なものであると見受けられるようになっている(そこにはプランク・エネルギーとテラエレクトロン・ボルトの差分といった問題も関わっている)。 それがゆえに[余剰次元理論]というものの登場によって[兆単位の電子ボルトの加速器によるブラックホール生成はありうる]と考えられるようになったとの1998年以降(殊に2001年以降)にこそ問題となりえたブラックホール生成問題のことを1974年に[兆単位の電子ボルトの欧州加速器を登場させつつ]臭わせている70年代前半の小説やりようには説明のなしがたさが伴う ――先覚的言及の奇怪性が残置することになる―― )

出典(Source)紹介の部18から出典(Source)紹介の部20-4(2)にて呈示の出典に依拠して解説してきたことについて)

「表記の小説『北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中』にあっては

[ナノマシンの活用との観点で「後の日になって」呈示されるようになった科学予測(先進文明やりようを想定しての科学予測)をイメージさせることまで極めて隠喩的に描いている節があること]

及び

[時期的に不自然な折にホログラムとブラックホールの関係に関する言及をなしているように見えること]

にまつわる「加えての」奇怪性もが見てとれるとのことがある」

(⇒80年代以降の理論動向・科学的発想の登場を受けてこそ成り立ちえる[ワームホールやブラックホールの類に他世界に向けての文明再構築の種子たる極小機械(ナノ・マシンあるいはフェムト・マシンの類)を送るとの先進文明やりようにまつわる予測](90年代より登場しだしたとも解されるようになっている予測)を問題となる不自然なる小説は70年代に既に言及している節がある(近年にあってはブラックホールどころかワームホールの類まで生成する可能性が主流科学者らによって認容されだした(出典(Source)紹介の部20-2)とのLHC、そのLHCと極めて近しい規模の加速器 ――(CERNならぬ)CEERNの15兆電子ボルト加速器なるもの―― を不可解・不自然に登場させている70年代小説ではそうもした加速器を運営する欧州研究機h関のビーム照射行為によって[極小のコピーと化した主人公]が[黒々とした渦を巻く底無しの穴]にいざなわれていくとの粗筋が具現化を見ているわけだが、といった描写は[極小のコピーと化した存在]となると後の科学予測に見る[ワームホールやカー・ブラックホールの先に[文明再建の種子として投下される極小機械]]といったものと親和性が高いように映るところである:)。また、80年代(あるいは早く見積もっても1978年以降)にこそそういう観点が呈示しえたところとしての[ブラックホールとホログラフィー的性質を結びつける発想法]についても70年代に言及してしまっている節があること、そこにても1974年登場の小説は奇怪なものである)

出典(Source)紹介の部21から出典(Source)紹介の部21-5(2)、および、よりもって従前の段の出典紹介部にて呈示の出典に依拠して解説してきたことについて)

「表記の小説『北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中』については奇先覚性の問題をよりもって批判的に検討するうえで
[プランク・エネルギーによる人為ブラックホール生成にまつわる(数十年前から存在していたと解されるようになっている)可能性論]
のことを顧慮する必要がある(と判じられるところとなっている)。
 そうした問題意識からプランク・エネルギー投下によるブラックホール生成議論の始原期およびそのありようを顧慮しても「奇怪なる」先覚性の問題は残置するとのことがある」

(⇒プランク・エネルギーを実現すれば、ブラックホール類似の状況をもたらす宇宙開闢・宇宙拡大の連鎖反応(チェーン・リアクション)をきたしうるとの言いようが80年代からしてなされている節があるが、問題となる1974年作品、本来のプランク・エネルギーより遙かにエネルギー規模が劣っているとのテラエレクトロンボルト(「兆単位電子ボルト」)、そちら規模の15「兆電子ボルト」級加速器 ――たかだかもの蚊の飛ぶ運動エネルギーを蚊の一兆分の1の領域に投入することになるとの加速器―― とブラックホールとの結節性を仄めかしているとの作品ともなり、それがゆえに、(プランク・スケールというものの意味合いが1998年の余剰次元にまつわる登場によって地殻変動を起こす前から)兆単位の電子ボルトによるブラックホール生成を示唆しているとの式で不気味な作品であることになる)

 以上、振り返りをなしたところで、である。これ以降の段では先立っての段にて「本稿ではその方向性でのことを重んじて問題視する」としたこと、

「[権威]が[特定のこと]を述べているとの[事実]そのものが
[理論の歴史的登場時期を示す資料]
と共に存在しているとのことがある。
 また、[権威]が同じくもの[特定のこと]を述べていることに関して存在しているとの、
[理論の歴史的登場時期を示す資料]
がそれ以前はいかな者でもそういうことが述べることができたとは思えないことをそれ自体で指し示しているとのことがある。
 他面、そうしたはきと見出せるとの権威サイドの特定の申しようの[登場経緯]とは全く平仄・辻褄が合わない、にも関わらず、登場時期の問題を除いてその内容だけに着目する限りは、そうした権威申しようと「不気味」かつ「異常無比」な形で平仄・辻褄が合うとのことら、言葉を換えれば、権威が後の世にてこれはこうであろうと事細かに説明してきたことと一致しているとのことが史的に見て長期にわたって
権威の申しよう自体と全く関係ないところ
に数多存在していること、そして、(一呼吸置き)、そうして権威が科学的裏付けを与える前から存在しているとのことらが「相互に」「多重的に」絡み合って密結合関係を呈しているとのことが現実にある

とのことと関わること、しかも、異常性が際立ちもするとのかたちで関わることについて専心しての指し示しをなしていくことになると申し述べておく(それがつまるところ、本稿の本題そのものである)。


 起承転結の「起」の段をようやっと終えもしたとの中、以降、「承」の段に移行する前に「長くなるも、」申し述べておきたきところとして

 ここまでにあっては

Adrift Just off the Islets of Langerhans:Latitude 38°54'N,Longitude 77°00'13W(邦題)『北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中』

における先覚性のことばかりを問題視してきもしたわけだが(直上直近の振り返っての部も「また然り」となる)、お忘れいただきたくはないのは、筆者が本稿こここれに至れりまでの流れにて問題視してきた先覚性としては

Thrice Upon a Time(邦題)『未来からのホットライン』(1980)

との作品にみとめられる先覚性のことも[極めて問題になる]とのことである。

 その点、向きによっては

『たかだかもの小説の先覚性を何故に問題視しているのか。この者、おかしいのではないか』(あるいは一歩だけ歩み寄りの余地ありもしての内面ありようをおもんぱかって『この者、物事を気にしすぎなのではないか』でもいい)

などと思われるかもしれないが、続いての段に移行する前にあって強くも断っておきたいのは

先覚性それ自体が尋常一様ではないものであり、また、かつ、それが[我々の脳髄を狙う銃座の所在地]を克明に示すが如き性質のものである

とのことがあるとのことである。

『言い過ぎだ』

などとお考えになられた向きは[次のこと]の意味合い ――時期・年次という時系列に重きを置いての意味合い―― を考えてみるとよい。

1.物理学者ら(ノーベル賞級の物理学者を何人も含んでの物理学者ら)は2001年に至るまでブラックホールが加速器によって生成されるとの可能性それ自体を[唾棄すべきもの]と否定していたし(ノーベル賞を後に受賞することになった物理学者らが関与しての加速器実施研究機関らの報告書らは[今後ありうべき将来の加速器によるブラックホール生成可能性]それ自体を狂人の妄夢の如きもの ― pipe dream― であると締めくくっていた)、そもそも、加速器によるブラックホール生成の可能性が部外者によって問題視されるようになったのも1999年以降とのかたちとなっている(出典(Source)紹介の部1)。

2.今後運用開始されることが確定的となっていた加速器LHCによって「何百万もの」極微ブラックホールが生成される可能性が(1998年提唱のADDモデルという新規理論の流れを受けて)2001年より科学界にて認容されるようになる ――将来の(2001年から見ての将来の)LHC運用開始によって生成される極微ブラックホールらは[即時に蒸発する安全なブラックホール]と目されてのものらだが、とにかくも、「何百万もの」極微ブラックホール生成の可能性が認容されるようになる(出典(Source)紹介の部2)―― 。

3.1999年から2001年の現実世界の動向から打って変わって20年先立つところの1980年。その折、世に出た小説作品 Thrice Upon a Time(邦題)『未来からのホットライン』では[加速器敷設型核融合炉にて人類に引導を渡す大量の極微ブラックホール(200万個の極微ブラックホール)が生成される]との筋立てが具現化を見ており、そして、[生成されたブラックホールらはホーキング輻射により蒸発するから安全であるとの逃げの強弁が生成元の欧州核融合炉運営陣になされる]との筋立てが具現化を見ている(出典(Source)紹介の部4にての引用部らを参照されたい)。

4.LHC計画がCERN内部にて「正式に」スタートの承認を受けたのは1994年であると発表されている。それにまつわるところとして80年代というのならばいざ知らず1980年ジャストではLHCの建設計画はなんら形をなしていなかったと判じられるようになっているとのことがある。

(:LHCに関する「現行の」英文Wikipedia[ Large Hadron Collider ]項目にあってはDesignと付された節にて
The 3.8-metre (12 ft) wide concrete-lined tunnel, constructed between 1983 and 1988, was formerly used to house the Large Electron-Positron Collider.(訳として)「幅3.8メートル(12フィート)のコンクリ-トによる直通トンネルは1983年から1988年の間にLEP(ラージ・エレクトロン・ポジトロン・コライダー;[大型電子陽電子加速器]と日本語表記されるLHCの前身となった加速器LEP)を収容すべくも前もって掘られていた」
との記載がなされていもする(なにぶんウィキペディアという内容易変性を伴う媒体のことであるので記述内容の残置については請け合わない)。
 などとの流布されたところのウィキペディア表記を目にすると
[早くもLHC計画が80年代「以前」から進んでいたのでは?]
とのように勘違いする向きもいるかもしれないが、はきと述べられるところとして、そうではない。
 上の引用部に見る80年代前半に遡るところのトンネル掘削の挙は先行する加速器LEP(大型電子陽電子加速器)のための挙であり、(そちらLEPをLHCの如きものに焼き直そうとの観点は従前よりあったとされるところだが)、14兆電子ボルトの極小領域投下を実現するLHC計画のための具体的営為が80年代初年度以前より着々と進んでいたわけ「ではない」(但し、構想として[1984年]よりLHCに向けての観点が呈示されていたとのことがあり、については本稿の後の段でも関連資料を挙げることになる ――具体的には出典(Source)紹介の部36(2)にて関連資料を挙げる―― 。 また、さらにもって述べれば、数十兆単位の電子ボルトを実現する超巨大加速器の「80年代の」構想としては米国にてのSSC構想の方が加速器実験に携わる者らの本命になっていたとのことがある)。
 同じくものこと、LEPトンネルがLHCに転用されたとのことについては英文Wikipedia[ Large Electron-Positron Collider ]項目にあって現行、
LEP was a circular collider with a circumference of 27 kilometres built in a tunnel roughly 100 m (300 ft) underground and passing through Switzerland and France. It was used from 1989 until 2000. Around 2001 it was dismantled to make way for the LHC, which re-used the LEP tunnel.(訳として)「LEPはスイスからフランスにかけての地下おおよそ100メートル(300フィート)に構築された円周27キロメートルのトンネルに存在する円型加速器であった。同加速器は1989年から2000年にかけて運用された。2001年から同加速器のトンネルを再利用すべくものLHCに途を譲るべくも同LEPは解体されていった」
と記載されているとおりの事情がある。
 それにつき、本段にての本箇所が本稿執筆をほぼ終えた段階にての付け加えての表記だからこそ、(かなり後の段の出典紹介部についてもピン・ポイントに指摘できるところとして)、本稿にての出典(Source)紹介の部36(2)の内容を確認されればお分かりいただけようが、
[LHC計画それ自体が(1984年からかたちをなしていた事前構想ありようを受けて)CERN運営陣にようやっと正式に承認を受けた]
のは1994年のこととなりもしている ――米国にて進んでいたSSC構想の破綻確定を受けての節あるところとしてそうもなりもしている―― 。といった中、そう、LHCの建設計画がLEPトンネルを引き継いで利用する(上のウィキペディアからの引用部に見るようにLEPトンネルを引き継いで利用する)とのかたちで1994年に「正式に」スタートの承認を受けた後、工事の着工・完遂を見て、LHCがようやっと運転開始に至ったのは2008年9月10日であるとのことがよく知られており、(その後、運転開始直後のヘリウム漏出事故というアクシデントを経て)、LHC実験が本格始動を見始めたのは2009年11月下旬となっているとのことが流布された実験経過となっている(:同点、LHCの実験始動時期については基本的なこととして英文Wikipedia[ Large Hadron Collider ]項目の記述を引くだけで十分ととらえているのでそちら記述を引いておくこととする(CERN公式ウェブサイトより単文ばらばらの説明の引用をもなせたが、それに代えて、ウィキペディアの史上最大の実験のこれまでの経緯についてまとめた部よりの引用を続いてなしておくこととする)。以下、「現行の」英文ウィキペディアの[LHC]関連項目よりの引用なすとして The LHC went live on 10 September 2008, with proton beams successfully circulated in the main ring of the LHC for the first time, but nine days later a faulty electrical connection led to the rupture of a liquid helium enclosure, causing both a magnet quench and several tons of helium gas escaping with explosive force. The incident resulted in damage to over 50 superconducting magnets and their mountings, and contamination of the vacuum pipe, and delayed further operations by 14 months. On November 20, 2009 proton beams were successfully circulated again, with the first recorded protonーproton collisions occurring three days later at the injection energy of 450 GeV per beam.(訳として)「LHCは2008年9月10日から、陽子ビームをLHCにての中心となるリング部にあって成功裡に巡回させるとのかたちで稼働状況に入ったが、その九日後、電気接続にての問題によって液体ヘリウムの封入部に断裂が生じ、加速器使用磁石のクエンチと爆発の元となる大量のヘリウムの漏洩を見た。 同出来事は計50の超電導磁石およびそれらの据え付け構造部の損害、真空状態にある管の汚染を結果的にもたらすこととなり、さらに進んでの可動を14ヶ月遅延させることになった。 2009年11月20日、450GeV(4500億電子ボルト)のビームの照射の後、三日後、最初の陽子・陽子ビームの衝突にて陽子ビームの再巡回が成功裡になさしめられることとなった」(訳を付しての引用部はここまでとしておく)) 。

5.上の4.の部にて言及しているように(1984年から出されていた青写真としての構想が具体案に結実し)1994年に建設スタートの正式なる認可を受けてからLHCが完成を見て[運転開始]を見たのは2008年下半期(9月10日)であるわけだが、(故障期間を経て)、LHCが本格的スタートを見たのは2009年年末であると摘示できるようになっている。 
 対して1980年にあって初出の作品である Thrice Upon a Time(邦題)『未来からのホットライン』、すなわち、
[欧州にての加速器敷設型核融合プラントによる極微ブラックホールの生成(および、それに次ぐ人類の終焉)を描く作品]
となっている同作では ――そこに着目して欲しいところなのだが―― 「2009年年末から2010年にかけての」世界の崩壊プロセスが描かれている
(本段が本稿執筆をほぼ終えた段階にての付け加えての表記だからこそ、(かなり後の段の出典紹介部についてもピン・ポイントに指摘できるところとして)、本稿にての後の段の補いもしての出典(Source)紹介の部110の内容を確認されれば、完全にその点についてご理解いただけるであろう)。

 以上、1.から5.を通じて述べられることは、である。

[欧州加速器(正確には加速器敷設型核融合プラント)によるブラックホール生成]

を後の理論動向の変転に先駆けて先覚的に描いているとの「1980年初出の」作品である Thrice Upon a Time(邦題)『未来からのホットライン』に関しては

「当該作品の刊行年次たる1980年から見もして「どういうわけなのか」30年近く後の「2009年年末から2010年にかけての」加速器(加速器敷設型核融合プラント)生成のブラックホールによる崩壊のプロセスを描いているとのことがある。そして、そのことが「2009年年末の」LHCの本格的運転開始と時期的に平仄が合うようになっている

とのことである(直下呈示の図も参照されたい)。

 読み手貴殿が[正気]であり、かつ、懐疑的精神を有しているのならば、以上、1.から5.のことの意味性 ――「当初、蒸発すると生成元に強弁されることになった」何百万のブラックホール生成にまつわる先覚的言及に関わるところの意味性でもある―― について考えた際に次の2つの可能性について「まずもって」思いを馳せることか、と思う。

第一。「書き手たるこの者(本稿筆者)が真っ赤な嘘を吐いている」(であるから[あまりにもできすぎた偶然などそもそももって「ない」][事実無根である])

第二。「書き手が本当のことを書いているとしても、それでも何らかの「常識的」説明が付けられるはずである」

 仮に、である(この段階では「仮に、」と便宜的に付しておく)。以上、2つの可能性が容れられないようになっており、代替するところとして、

「書き手たる筆者(本稿筆者)は主観などの夾雑物が介在することなくもの万端遺漏なくもの[記録的事実](摘示対象の選択それ以上には話者主観が介在することなき事実)のみを伝えている。
 そして、LHC実験始動時期にまつわる30年近く先駆けての先覚的言及(2008年9月10日にスタートを見たも2009年年末まで本格稼働をなすことなかったLHCのことを想起させるように「1980年から」30年近く先の2009年年末から2010年年初を作中舞台としているとの先覚的言及)ブラックホール生成議論動向にまつわる20年先駆けての先覚的言及(蒸発されると力弁されての何百万もの極微ブラックホールの生成が2001年より認容されだしたとのことにまつわって「1980年から」20年近く先駆けての先覚的言及)をなしているとの当該の小説 ―― Thrice Upon a Time.同作、邦題たる『未来たるホットライン』からもそのことが「半ば」推し量れるように[破滅の未来の世界から人類を救うべくもの過去改変のための通信がなされる]との筋立ての小説でもある―― に見受けられるまさしくもの先覚性に伴う奇怪性も常識的説明ではなんら払拭なされえないようになっている(なってしまっている)」

とのことが厳としてそこにある場合はどうか(「常識的」などとの言葉を[このような世界]で殊更に使う・使いたがる筋目・筋合いの人間に対しては本稿筆者自身、[含むところが大なるところとしてある]のだが、といったことは置いておいて、とにかくも、「常識は一面で重んじられるべきである」との[体裁]をも本稿では敢えても採用しての話をなしていること、断っておく ――当然にそれが自身の訴求に有効有用であろうとの判断があるからそうしているのである―― )

 読み手(たる貴殿)が[正気]の人間ならば、上の問題提起をもってしってそれがいかほどに重要なのか、一面でお分かりになられるか、と思う。

 そして、実際にここでの話はまさしくもその通りのもの(筆者が問題視している通りのもの)となっている(とこの段階からして強調しておきたい)。

 第一。(冒頭からそのように強くも断って申し述べてきたことであるが)本稿では[確とした事実]のみを問題視している。  そして、この場合における[確とした事実]とは要するに、


特定の公的資料・古典および近現代の著名文物ら[流布されての(歴史的)記録]にこれこれこういう記載がなされているとの[文献的事実]( Philological Truth )として残っている、 あるいは、 [流布されての「映像的」記録]として尺何分の映像作品の再生パートこれこれの部にて再生確認可能となっているとのかたちで残っている」 とのことがある上に、なおかつ、
「世間一般の人間が極めて容易にその旨をオンライン上や流通書籍にあってその通りであることを確認できる」
との事実


のことを指す(先立って説明しているとおりである)。

 本稿にあっては上にての1.から5.で言及したようなことらとしての訴求事項を示す論拠を
[まさしくもの[文献的事実][記録的事実]]
であると[証示]すべくもの文量膨大なる出典紹介部を設けている ――そちら出典紹介部にあっては第三者がどこをどう確認すればいいのかとの後追いのしやすさを心がけての摘示、出典としての文物ら(容易に確認できるようになっているところのものを厳選しての文物ら)よりのまさしくもの問題となるセクションそのものからの要を得た原文引用に努めてもいる―― わけだが、そこでは材料摘示の方向性以外に偏頗(へんぱ)なる属人的主観が介在する余地はない (:強調しておくが、インターネット上のよからぬ者らの一部がなしもしているとのような式、ゴミみたいな材料を出典として大量に積み重ねて、あるいは、(幾分高等に)自身にとって有利に作用する権威の申しようをパッチワークで積み重ねるとの詭弁の方式を採って[虚妄の伽藍]を構築せんとしているが如き式を取っているわけでは断じてない。筆者が典拠として重んじ挙げているのは ――ここまでの内容をきちんと読んでいただければ分かろうが―― 直上にて言及しているような[記録的事実]のみを確認するうえで十分たるところを適宜絞ってのことだけであり、そこにては(再三再四述べて)主観的目分量は何の意味もなさないかたちともなっている ――※加えて申し述べておくが、その点、筆者は典拠が一体全体、何の適否を問題視するために作成されたのか、そのマインドとなるところ、意味性すら一切、重んじていない。たとえば、である。[記録的事実]の存在との観点で呈示した特定の典拠の中で「科学者がLHCがワームホールを生成しうるとの可能性を問題視している」とのことが取り扱われていたとする(実際にそういう典拠を挙げてきもした)。心得違いをしているのか、単に頭の具合がよろしくはないのか、あるいは、確信犯的に他を持説に誘導しようとの悪辣な害物(他をたばかるとの質的な意味での咎人)であるのか、いずれかの別を問わないところとして、「相応の」人間ならば、のようなことがある際に、どこそこの権威が[ワームホール生成の可能性]に言及しているのであるから、それは軽んずることができぬことだ、などと述べるところだろうが、何度も何度も述べているように、筆者は[ワームホールが加速器によって生成されうる]といったことにまつわる理論・可能性の適否それ自体なぞを問題視しているのではない(そのようなことの適否ははきと述べ、専門家にも分からないであろうし、況や、門外漢には分かることではない)。筆者が問題視しているのは[ワームホールが加速器によって生成されうる]との論調が専門の科学者らからつい最近になって出始めたとのことが[記録的事実]としてそこに存在していることであり(記録的事実を支えるところとして(その適否はともかくも)理論がどのような経緯で世に出たのか、その経緯のみが問題になる)、そうもした[記録的事実]と間尺が合わぬ時期的に異常なる先覚的言及(この場合の先覚的言及とは該当物の特性から自然にそうだろうと判じられるところのものを指す)をなしている事物が存在している、そういった筋目のことである(:につき後々の段にて取り上げるところに関して言及しておけば、である。たえとば、[加速器(陽子ビーム)とワームホール・ブラックホール「の類」のつながりあい]との例示なしたところにあっては『リアノンの剣』という1950年代(後述なすがワームホールという言葉だに存在していなかった折柄でもある)に既に世に出ていた小説作品にも奇っ怪にそうした側面がみとめられるとの指摘がなせるようにすらなっている)―― )。

 第二。上の第一の点にて述べているように筆者が[記録的事実]をまさにその通りのものとして摘示しているとして、である。本稿これ以降の段にて主軸として指し示していくことであるが、といった[記録的事実]の先にある関係性については山とある関連事物らを通じての[常識的反論]を一切寄せ付けない、しかしながらも、[そこに確として「ある」][のみならず、それらが「どういうわけなのか」純・記号論的に相互に多重的に繋がるだけの特性を帯びている]との側面が伴っているとのこともがある(からこそそれらを問題視している)。
 たとえば、である。『リアノンの剣』という作品(邦題タイトルは『リアノンの「魔」剣』)という作品が1950年代からして(後に訳書およびオンライン上より確認なせるとの原著よりの原文引用にて示すように)[加速器(で用いられる陽子ビーム)とワームホール・ブラックホール「の類」のつながりあい]を露骨に指し示す作品として存在しているとのことがありもするのだが(それにまつわっての解説をなすのは本稿にてのかなり先の段になる)、そこに見る[1950年代の加速器(で用いられる陽子ビーム)とワームホール・ブラックホール「の類」のつながりあい]に関してはそういう観点が1950年代に成り立ちえたのかとの点につき何ら常識的説明がなせないようになっている。のみならず、そちら作品(『リアノンの剣』)が他の同文の意味で不可解な文物らと不気味かつ異様なる結合性を呈しているとのことさえある。[常識]はといったところでは何の意味もなさず、にも関わらず、多重的関係性成立の問題はそこに確としてある(:ちなみに当たり前のことを書くようだが、世間人並みの人間がその通りに考え行動すべきとの規範となっている[常識]とそうあるのが理想であるとの[良識]はときに別物たりうる、あるいは、それら[常識]と[良識]とは抵触関係を呈することさえある ――たとえば、圧政(ないし圧政的なるシステム)がみとめられるなかで圧政(ないし圧政的なるシステム)に抗じずに無難に日々を過ごそうとする処世術一般の枠組みもが[常識]に含まれる一方で(手打ちをこととするような暴君・専制国家に[儒教的世界観を建て前にしての常識]でひたすらに忠勤に努めるといったところでもいい)、圧政が長期的に児孫に多大なる損害を強いる(暴君・専制国家に多くの人間が処刑される現実的懸念が濃厚にある)と判じて抵抗をなす、できる範囲で抵抗をなさんとするというのが良識であるといった按配にて、である―― 。唾棄すべき手合いはときに[常識]と[良識]をイコールであるように「騙る」、あるいは、それらが両立して然るべきものとして、[常識]の方のみを押しつけてくるものではあるが、筆者という人間はそのような手合いをして[本質的には決して自分の運命さえ思うままに出来ぬ類][下らぬもの(に成り下がってしまった存在)]として何かを説くに値しない類と見ているとのことも述べておく)

 ここまで申し述べたうえではきと言明しておくが、自分自身が

[存続・生存に値する種族の成員](自明なるところで[屠所の羊]との立ち位置に安住しない、殺されると分かれば、抗意を示すとの種族の成員)

であることを否定するつもりがないとの者ならば、そう、殺されることが自明の状況では戦うことを選ぶとの種族の成員をもって任ずるつもりがあるのならば、筆者が

[世間人並みの水準を有しているのならば、簡単に確認できると申し述べるところの式]

で摘示していることにつき、[その通りか否か]確認してみればよいと強くも求めておく。

 尚、などと筆調強くも書き記しているとの
[筆者(話者)の[知]の水準][筆者(話者)のやりようの重み]
につき疑わしいとのことであれば、こうも述べておく。

「人間であるから、時に単純なケアレス・ミス、あるいは、錯誤錯簡を呈してしまうこともあるが、といった限界をときに伴う人の身ながら、とにかくも、筆者は小柴(ノーベル賞を受賞したかの小柴である)の肝煎りで設立された東京大学に付属する研究機関(加速器実験の国際的推進役となっている研究機関である)を相手方にして[LHC実験にまつわる(法律問題に通ずるところの)欺瞞性に非を鳴らすべくもの行政訴訟]を一審からして二年をまたいで戦いもしてきたような人間となりもする(これもまた記録的事実でありそれにまつわっての水面下での訴求・渉外活動に身を入れていた ―振り返って見もし,煮え湯ばかりを呑まされたとの観もあるのだが身を入れていた― との前歴も筆者にはあり、その点についての解説媒体の構築も「必要ならばなすべきである」と現時考えている)。 その点もってして常識レベルの行政訴訟提訴 ―ブラックホール人為生成にまつわってのことが法廷にて問題視を見た国内初かつ唯一のLHC関連訴訟ではある― の提訴などが[真に問題となるところの訴求のためだけのひとつの戦術的選択]にすぎぬことであったとしても、といったことまでやる、といったことまでなせる人間の水準が[人後にそうそうに落ちるところがある]のか、また、[人後にそうそうに落ちることがない]と判じられるのならば、その言や軽んじられるものなのか(おかしな、ただ単に[出っ張りすぎているだけの人間]の申しようであるとのことで済むのか)、よくよく判断をなしてみるがよい」。

(話が長くなりもしているが)上のように強くも申し述べるとの筆者は本稿の冒頭、いわば[題句]の呈示の部にて 

If you think that your belief is based upon reason, you will support it by argument, rather then by persecution, and will abandon it if the argument goes against you. But if your belief is based on faith, you will realize that argument is useless, and will therefore resort to force either in the form of persecution or by stunting and distorting the minds of the young in what is called "education".
-Bertrand Russell
  Human Society in Ethics and Politics

(補いもしての拙訳として) 「仮にもし[自身の信ずるところ、それは[理]に基づいているものである」と貴殿が考えているのならば、その信ずるところを[迫害](による持説・所信と一致せざるところの否定)などではなく[議論]によって支持することとしているのだろうし、仮にもし、そうもした[議論]の結果が自身の信ずるところに反することになるのならば、貴殿は当初の所信を捨て去ることとなるであろう(正しい・正しくないを証拠や論理に基づいてのやりとりによってのみ判ずる、[理]によって判ずるとの当然の帰結として)。 だが、もし仮に貴殿の信ずるところが([理]ではなく)[信仰]に依拠しているとのものならば、最早、そこでは[議論]は無用の長物と化す、貴殿は[迫害]によってか、あるいは、[[教育]と呼ばれもする若者ら精神を阻害・矮小たらしめる式 ――理とは多く相容れない歪で,反復的な式―― ]によっての[強制]の力にのみ正当性論拠を求めることになるであろう」  ――バートランド・ラッセル『倫理と政治における人間社会』より

とのバートランド・ラッセルの言い様を引きもしているのだが、そちら引用の言の中で[議論が通じぬところ]として取り上げられている宗教の徒、そう、欧米圏では批判者らに
「フーリー(フーリーとはコーランに登場する見目麗しき神女らのことだが、その役割など特性については各自調べればいい)の待つ天国のために己と周囲を滅殺してやまない者達だ」
と言われるような宗教の徒、の中の、自爆テロまで起こすとの狂信的な徒輩として[存続に値しない愚劣なありよう]を全身で呈している(ないしはそうしたありようを不条理に押しつけられ、そのような状況に甘んじている)との類、あるいは、同文に語るに値しない、[生死をどうでもよいと見るような手合い][生死の問題を諦めきっている者]が相手ではない限り、

[筆者の[知]の水準・筆者のやりようの重きにつき判断なしてみるがよい

との上にて言及のことについての[答え]は半ば歴然としていること、「本稿の」こここれに至れりまでの内容からだけでもご察しいただけることか、とは思う。

(:上にて自身の申しようを[理]なくして否定するような人種として
[宗教的狂人]
[生死をどうでもよいと見るような手合い/生死の問題を諦めきっている者]
のことを特段に挙げたが、前者(宗教的狂人)と時に分化して存在しうるとの後者、[死]をどうでもいいと認容した者ら程度の「弱き」内面しか有しておらぬとの者達に対して緊迫した状況を説くような真似はなしたくはないと筆者は考えている(そうした者達が手前自身のやらんとしていることに種族を裏切ったように石を置くのならば、そうした者らに法的に適法なる限りでのありとあらゆる方向から一太刀浴びせることにもやぶさかではないわけではあるが、同じくもの手合いらは敵手とはなりえてもネゴシエーションの相手方にはなりえないと考えている)。
 そうした死を認容した者ら・死を認容せざるをえないとの者達に
[死ねば永劫の無]
[種族が滅すれば残るものは何も無し]
との
「生物学に依拠しての合理的視点から見たうえでの標準(であろう)との死生観・世界観」
があるかどうか知らぬが(生死の問題をどうでもいいととらえる向きを多分に包含する宗教的狂人にこと関してはそこからしてなんら折り合いを付けられない可能性がある)、なんにせよ、[残るもの何ら無し]と想定される[滅]を認容する、あるいは、そういうモードで動かされるようになってしまっているとの存在には
[語りあうに値する内面の実質・精神性(マインド)]
はそもそも欠を見ている、そして、その[後々の増大]も込みにしてなんら期待できるところがないとの見立て(訴求活動の中で抱くに至ったとの見立て)が筆者にはあるがゆえ、"彼ら"(そちら三人称代名詞としての対象が世の[過半]となるかもしれないところの"彼ら"でもある)には語る意味も値打ちもなかろうと判じているのである ――筆者が常日頃苦しむのはこの世界には精神の力が希薄化している人間ら、生き残るための戦いにあって状況を語るに値しないとのところにまでに内面が空虚化・弱化した人間が世の過半を占めるとのかたちで大勢いそうである (そう、テレビ番組やその他、諸種メディア作品にみとめられる[日常現実世界の嘘]を一切捨象しての[人間だけの、人間だけによる、人間だけのためのものとして構築されたとの体裁をとるお花畑的世界]に見るありようが諸共、[残酷極まりない嘘]であろう(酸鼻を極める家畜小屋をそうと見せぬための装飾風情のものであろう)と判じきれるだけのことがそこら中にある、であるにも関わらず、そうしたものが至極自然なるものとして平然と世に容れられているとのことと表裏をなすようなところとして大勢いそうである) とまで見るに「至ってしまっている」とのことがあるのだが、といった[自身の内面に渦巻く苦しみの根]の問題は置いておいたうえで、勇気と意思の力を有した者、抗う力を蔵した者にだけ筆者は状況を伝えたいと考えている(そこには「鉄格子付きの独房に収監されている死刑囚(倫理的に死罪に値するのかはこの際、問わない)に明日、お前は殺されるのだ」などとのことを強調するような[愚劣さ][残酷さ]を可及的に削ぎ落としたいとの観点もまたあるとしつつも述べれば、である)―― )

 (意図して本稿の後々の流れにまつわる言及をなすとして)

 上の図は予言的言及をなしているとの小説作品、
Thrice Upon a Time(邦題)『未来からのホットライン』(1980)
が、と同時に、
ヘラクレスの第11功業]及び[(ヘラクレスの死因となり、また、ヘラクレスが「人類に火を与えた」プロメテウスを解放するために対価として犠牲にしたとの式でヘラクレス第11功業にも登場するとの)ケンタウロス
との伝承上の事物と
ブラックホール生成問題「それ自体」]
を介して多重的に接合するようになっている ――主観など問題にならぬ純・記号論的ありようとして多重的に接合するようになっている――  ことを指し示すためのものとなる(尚、小さなことだが、上掲図の材とした図像らをどこから引いたかの解説もなしておく。につき、上掲図左上の箇所にて呈示している[棍棒を手にした壮年の男が竜と戦っているとの像]だが、そちらは英文Wikipedia[Ladon (mythology)]項目にて現行、著作権放棄の意思表示とともに掲載されている16世紀活動の彫刻家Giambolognaジャンボローニャの手になる彫刻、[ラドン(ヘラクレス第11番目の功業に登場する百の頭を持つ蛇ないし竜 ――呈示の彫刻では[西洋に伝わる典型的なドラゴン]として描かれている―― )と死闘を繰り広げるヘラクレス像を象(かたど)っての彫刻]を写し撮っての写真より引いたとのものとなり、右上に挙げているのは Project Gutenbergのサイトにて公開されている著作権喪失著作ら、 Myths of Greece and Rome narrated with special reference to literature and art(1893年初出著作の1921年改訂版)及び Stories of Old Greece and Rome(1913)にて掲載されていもする16世紀の彫刻家ジャンボローニャ(上にて挙げているラドンとヘラクレスの像を制作したのと同じくもの彫刻家ジャンボローニャ)の手になる[ケンタウロス・ネッソス(今際の際の計略にてヘラクレスが死因をもたらしたとの好色のケンタウロス)を縊り殺すヘラクレスを象(かたど)っての彫刻]を写し撮った写真より引用したものとなる)
 同じくものこと、
予言的小説 Thrice Upon a Time(邦題)『未来からのホットライン』(1980)が[ヘラクレスの第11功業][(ヘラクレス第11功業に登場する)ケンタウロス]との伝承上の事物と[ブラックホール生成問題「それ自体」]を介して接合している
とのことについては本稿の後の段にて委細詳説なすが(本段が本稿執筆をほぼ終えた段階にての付け加えての表記だからこそ、(かなり後の段の出典紹介部についてもピン・ポイントに指摘できるところとして)、本稿にての後の段、出典(Source)紹介の部110から出典(Source)紹介の部110(8)を包摂する長大な解説部がその点について扱ったセクションとなり、読み手が本稿を読み進めたうえで同じくもの段に至って精査いただければ、ここでの書きようになんら誇張も行き過ぎもないとのこと、ご理解いただけるであろう)、 そちら[ヘラクレスの第11功業との濃厚なる結びつきが見出される]とのことについては ――それこそが問題となるところとして―― LHC実験(の中のブラックホール生成に関わるところの命名規則)についても同文のことが当てはまるようになっているとのことがある。 
 そうしたことが「あまりにも多重的に」指摘できるようになってしまっているとのことのが果たして[偶然]で済むのか、あるいは、[偶然]で済まないのならば、そう、[恣意の賜物]であるのならば、それにまつわって何が問題になるのか、とのことを突き詰めるのが本稿の趣意・主題となるところである

「長くなりもする」と前言するところの(「起」「承」「転」「結」にあっての)「承」の段に移行する前にまずもって述べておくべきかと判じたところを記載しての部はここまでとする


直上にてのまずもって述べておくべきかと判じたところの表記を終え、本筋に引き戻して申し述べるところとして

 これ以降は、繰り返し述べ、

「[権威]が[特定のこと]を述べているとの[事実]そのものが
[理論の歴史的登場時期を示す資料]
と共に存在しているとのことがある。
 また、[権威]が同じくもの[特定のこと]を述べていることに関して存在しているとの、
[理論の歴史的登場時期を示す資料]
がそれ以前はいかな者でもそういうことが述べることができたとは思えないことをそれ自体で指し示しているとのことがある。
 他面、そうしたはきと見出せるとの権威サイドの特定の申しようの[登場経緯]とは全く平仄・辻褄が合わない、にも関わらず、登場時期の問題を除いてその内容だけに着目する限りは、そうした権威申しようと「不気味」かつ「異常無比」な形で平仄・辻褄が合うとのことら、言葉を換えれば、権威が後の世にてこれはこうであろうと事細かに説明してきたことと一致しているとのことが史的に見て長期にわたって
権威の申しよう自体と全く関係ないところ
に数多存在していること、そして、(一呼吸置き)、そうして権威が科学的裏付けを与える前から存在しているとのことらが「相互に」「多重的に」絡み合って密結合関係を呈しているとのことが現実にある

とのことについて解説していくことになるわけだが、につき、まずもって、

[[加速器によってワームホールが生成されうる]との理論と ――「理論の登場時期との兼ね合いでは辻褄が合わない」ものの―― 内容面で不気味かつ異常無比なかたちで平仄が合うとの文物が[文献的事実]の問題として幾点も存在している]

とのことについて[一例]たるものを取り上げそうして挙げた一例の延長線上にさらに不快な[密結合]の関係性が横たわっているとのことを ―[事実]と[証拠]に基づき― 摘示していくこととする。
 そして、そちら摘示にあっては以降、[AからFと振って分割しての指し示し]を順々になしていくこととする。

(それでは以降、A.からF.と振っての部をご検討いただきたい)

 ここA.と振っての部ではまず、

 加速器実験とは[宇宙生誕の状況の再現]をなすものであるとされている。
 その点、同様のこと、[宇宙開闢の再現]を空想的なものとして扱った1937年刊行のフィクションとして『フェッセンデンの宇宙』という作品が存在しているのであるが、同作にて紹介されている[宇宙開闢をもたらす空想的かつ独特なる手法]が ――そちらは加速器実験とは「全く関係ない」とのかたちのものである一方で―― 小説刊行後の1948年に実施された科学実験と手法としての際立った近似性を呈しており、小説と似たようなことをやった現実世界でのその科学実験が[ワームホールの生成問題]に通ずる[負のエネルギー]というものの発見と結びつくものとなっているとのことがある

とのことがあることを問題視する(上だけご覧になられる分には『ややこしく意味不明瞭のことを述べている』と見られるところか、と思うのだが、続く段を読まれていく中で言わんとしているところ、ご理解いただけることかと思う)。

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直下、本稿冒頭部へのリンクを設けておく

(⇒冒頭頁へは下の部より)

[典拠紹介部第1頁 加速器実験に伴う欺瞞性から証示なせることについて]

 上にて挙げているのはドイツ浪漫主義芸術の巨匠たる18世紀画家、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(Freemasonでもあったとの画家 Caspar David Friedrich)の手になる一品、

Der Wanderer uber dem Nebelmeer雲海の上の旅人』(に多少の[動き]をアレンジとして加えたもの)

となる。

 言われようの問題として一般に、

[人間の崇高なる精神が高みを目指し、ついぞ多くの物事を達観するに至った時、その折の孤独と感慨を描いた画]

などと形容される上掲の『雲海の上の旅人』に関して(本稿でもその言行を順次・段階的に取り上げることになるとの)物理学者リサ・ランドールは[次のような申しよう]をなしている。


(直下、物理学者リサ・ランドールの手になる著作 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)にての CHAPTER THREE LIVING IN A MATERIAL WORLD[第三章 物質世界に生きる]の章の記述内容 ――オンライン上検索エンジンにあっての原文検索にて該当部特定できるところの記述内容―― よりの原文引用をなすとして)

Our universe is in many respects sublime. It prompts wonder but can be daunting ―even frightening― in its complexity.  Nonetheless, the components fit together in marvelous ways. Art,science, and religion all aim to channel people’s curiosity and enlighten us by pushing the frontiers of our understanding. They promise, in their different ways, to help transcend the narrow confines of individual experience and allow us to enter into―and comprehend―the realm of the sublime. (See Figure 11.)
          [ . . . ]
[ FIGURE 11 ] Caspar David Friedrich’s Wanderer Above the Sea of Fog (1818), an iconic painting of the sublime ― a recurring theme in art and music.

(上の原著引用部に対する[訳文]として国内流通訳書『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)ハードカヴァー版にあっての81ページに記載されているところを引くとして)

多くの点で、私たちの宇宙は崇高だ。その複雑さは好奇心を駆り立てはするが、無力感も抱かせるし、ことによっては恐怖さえも感じさせる。にもかかわらず、宇宙の構成要素は素晴らしくぴたりと絡みあっている。芸術、科学、宗教は、いずれも人々の好奇心を促して、理解の限界を広げさせ、それによって私たちを啓蒙することを目指している。いずれもそれぞれのやり方で、個人の経験の狭い領域を越えさせることを約束している。それがかなえられたとき、私たちは崇高なものの領域に踏み込む――そして理解する――ことができるのだ(図11を参照)。 …(中略)… [図11]ドイツの画家カスパー・ダーヴィド・フリードリヒの「雲海の上の旅人」は、崇高なものを象徴的に描いた作品だ。崇高さは、美術と音楽に繰り返し登場するテーマである

(以上をもって Knocking on Heaven’s Doorにての原著表記および訳書よりの引用とした)


 さて、何故、ここ脇に逸れての部にあって「目立つように」特定絵画 ― 『雲海の上の旅人』― を挙げ、その絵画に対する物理学者の評しよう ―「雲海の上の旅人」は、崇高なものを象徴的に描いた作品だ....― などを引いたりもしたのか

「それは、」
絵画『雲海の上の旅人』に対して直上引用なしたような評しようをなしているとの物理学者リサ・ランドールが

加速器によるブラックホール生成可能性にまつわるトピックの理論深化に一廉ならぬ貢献をなしているとの著名物理学者

[[崇高なるもの]を目指しての宇宙の探求(およびそのための装置と銘打たれている巨大加速器LHC)の称揚・礼讃をなしているとの向き

であるとのことがあり、また、なおかつ、彼女リサ・ランドールの手による、(絵画『雲海の上の旅人』を科学者が目指しての[崇高さ]とを結びつけている)引用元著作 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)が

人間のありよう(崇高さとはおよそ程遠いところにあるありよう)]
人間の辿る運命

を嘲笑うような[嗜虐的寓意]で満ち満ちていると申し述べられるようになっている著作であるとのことがある、遺憾ながら
[理の当然]
として申し述べられるところとしてある ――個人のせせこましい偏頗(へんぱ)な主観などとは一線を画したところで客観的かつ具体的にこれはこうでこうだと申し述べられるようになっている(出典呈示を第一義にしての本稿では無論、その論拠を事細かに挙げる)とのところとしてある―― からであり、そのことに注意を向けたかったからである(※)。

(※上にて引用元とした著作、 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)、同著にあってはその冒頭部より
September 10, 2008, marked the historic first trial run of the Large Hadron Collider (LHC). Although the name―Large Hadron Collider― is literal but uninspired, the same is not true for the science we expect it to achieve, which should prove spectacular. (表記英文引用部に対する訳として)「2008年9月10日、ラージ・ハドロン・コライダー(LHC)が歴史的始動を見た.[ラージ・ハドロン・コライダー]との名称は有り体に言ってインスピレーションを何ら与えぬとの平凡なものだが、私たちがそれ(LHC)に[証明すべきととらえている壮大なる挙]を託しているとの意では[科学(の進歩)]にとり同じくものことは真実とはならない(LHCは際立ってのインスピレーションを与えるものである)」
などとのことが書き記されている。
 そうもした書きようが目立ってもの冒頭部にてみとめられる著作ノッキン・オン・ヘブンズ・ドアにおける表題、 [天国のドアをノックする]の由来についてリサ・ランドール女史は同じくもの著作の中で次のようなことを述べてもしている。
(以下、 Knocking on Heaven’s Doorにての CHAPTER FOUR LOOKING FOR ANSWERSより引用なすところとして)
I first heard the phrase “knockin”on heaven’s door”when listening to the Bob Dylan song at his 1987 concert with the Grateful Dead in Oakland, California. Needless to say, the title of my book is intended differently than the song’s lyrics, which I still hear Dylan and Jerry Garcia singing in my head. The phrase differs from its biblical origin as well, though my title does toy with this interpretation. In Matthew, the Bible says, “Ask, and it shall be given you; seek, and ye shall find; knock, and it shall be opened unto you: For every one that asketh receiveth; and he that seeketh findeth; and to him that knocketh it shall be opened. (以上原著表記に対して訳書『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)ハードカヴァー版[第四章]103ページにての表記を引くとして) Knocking on Heaven’s Door(天の扉を叩く)]――これが本書の原題だが、私が最初にこのフレーズを聞いたのは、一九八七年、カリフォルニア州オークランドでのグレイトフル・デッドとのコンサートで、ボブ・ディランが『天国への扉』を歌うのを聞いたときだった。いまでも私の頭の中ではディランとジェリー・ガルシアがこれを歌っているのが聞こえてくるけれど、いうまでもなく、私の本のタイトルは、この曲の歌詞とは意味が違っている。このフレーズは出典である聖書の一節とも違っているが、私のタイトルはこちらの意図を拝借したものだ。聖書の「マタイ伝」には、このように書かれている。「求めよ。さらば与えられん。尋ねよ、さらば見いださん。門を叩け、さらば聞かれん。すべて求むる者は得、たづねる者は見いだし、門を叩く者には開かれるるなり
(以上、引用部とした)
 といったところ、新約聖書のマタイ伝にあっての
[求めよ。さらば与えられん。尋ねよ、さらば見いださん。門を叩け、さらば聞かれん。すべて求むる者は得、たづねる者は見いだし、門を叩く者には開かれるるなり]
とのフレーズ、それが
[天国の門]・[天国への扉]・[天国への階梯](ステアウェイ・トゥ・ヘブン)
との兼ね合いでいかように嗜虐的なる別側面での意味( Double Meaning )と共にあるのか、そのことからして具体的典拠を挙げ連ねるとの式で遺漏無くも事細かに示そうというのが本稿の本義であるとここ脇に逸れての部にあって訴求しておきたいとの意図が筆者にはある)

当サイト内にあっての【各頁および各典拠への一覧方式遷移部】、及び、【PDF形式文書配布ページ】へのリンクを直下、設けておく

各頁および各典拠への一覧方式遷移部へは以下より


問題となる「予見的言及→実現」の体系についての[典拠紹介部]一覧呈示頁

PDF形式文書配布ページへは以下より


典拠解説媒体としての[一括PDF文書]の公開頁

ここ本頁内にて[参照先]として挙げている【「容易に後追い確認なる」「堅い」ソースを呈示しての出典紹介部ら】、それぞれへの[遷移経路]を設けておく (:クリックすることでブラウザ ―インターネット閲覧ソフト― の[別タブ(別枠)]にて典拠紹介部を表示( open "additional" tabbed window(s) of web browsers ))

[出典(Source)紹介の部1](加速器のブラックホール生成リスク問題視の契機が1999年にあり、の折、実験機関はブラックホール生成可能性それ自体を否定していたとのことにまつわっての典拠紹介部1)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第2頁 1999年における加速器を巡る議論動向

[出典(Source)紹介の部2](加速器によるブラックホール生成が[現実的にありうること]と当事者実験機関および科学界にて表立って論じられ出したのが2001年であると判じられるようになっていることにまつわっての出典紹介部2)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第3頁 ブラックホール生成可能性にまつわる研究機関の変節の経緯

[出典(Source)紹介の部3](加速器のブラックホール生成問題に関し、「たとえブラックホール生成がなされても蒸発するから安全である」との論理を目立って前面に出しての実験機関公式報告書が2003年に出されていることにまつわっての典拠紹介部3)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第3頁 ブラックホール生成可能性にまつわる研究機関の変節の経緯

[出典(Source)紹介の部4](西暦2000年前後の科学界やりとりと際立って類似性を呈しての[加速器ブラックホール生成のストーリー]を扱う小説作品が「1980年に」世に出ていることにまつわっての典拠紹介部4)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第4頁 小説『未来からのホットライン』に見るブラックホール生成描写

[出典(Source)紹介の部5](西暦2000年との折柄にあっては物理学界を代表するノーベル賞受賞科学者が[「他の」加速器リスク]の可能性を多めに見繕う慎重論を呈しつつも「加速器のブラックホール生成可能性などはエネルギー単位の問題から即時否定できるものである」と明言していたことにまつわっての典拠紹介部5)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第5頁 科学界発表動向となんら一致せざるところの先覚的言及として

[出典(Source)紹介の部36(2)](LHC実験計画の進捗動向にまつわっての典拠紹介部36(2))
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第30頁 アトラスおよびアトランティス それらとLHC命名規則の繋がり合いについて

[出典(Source)紹介の部110]から[出典(Source)紹介の部110(8)](加速器ブラックホール生成にまつわっての予見的言及小説『未来からのホットライン』がなぜもってして[ヘラクレス第11功業][ケンタウロス]に関わるかについての典拠紹介部110から出典紹介部110(8))
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第135頁 『未来からのホットライン』らの予見的言及の問題[2]