典拠となるところの明示[21]――フェッセンデン氏によって構築された[人工宇宙]
を描く古典的SF作品とカシミール効果測定実験の近似性について 

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古典的SF作品『フェッセンデンの宇宙』にみとめられる特質の如きものが何故、問題になるのか

 直前頁より同作のことを問題視すると申し述べた作品として1937年に刊行されたサイエンス・フィクションたる『フェッセンデンの宇宙』(原題 Fessenden's World)という作品が存在する(尚、『フェッセンデンの宇宙』が1937年に刊行されたとの書誌情報については訳書を手にとられてみるのが確認手法としてもっとも堅いところとなるが、手軽に済ませたいとのことであれば、ウィキペディアの同著著者エドモンド・ハミルトンの作品リストーの部を一目するだけでもそれ(確認)がなせるところとなっている)。

 同『フェッセンデンの宇宙』という作品、以下にて記載の通りのあらすじを有した作品となる。


| 出典(Source)紹介の部22 |

 ここでは古典的SF作品としてよく知られている(情報の流通態様を望見する限り日本にあっての方が欧米よりよく知られている節もある)との作品、『フェッセンデンの宇宙』の粗筋(その通りであるとの単純な粗筋)にまつわる紹介媒体よりの抜粋をなしておく。

(容易に裏取りできるとのことであるため、その程度の媒体よりの引用で十分かと判断、直下、和文ウィキペディア[フェッセンデンの宇宙]項目(にての現行記載内容)よりの原文引用をなすところとして)

天文学者だった私は、ある日数年ぶりに、友人の天文学者フェッセンデンに呼び出される。フェッセンデンは、実験室に人工の宇宙を創造したというのだ。・・・(中略)・・・二枚の巨大な金属板の間に重力を遮断した空間を発生させ、そこに縮小した原子のガスを満たしたのだ。次第に凝集したガスが無数の天体を生み、小さな宇宙が誕生した。・・・(中略)・・・。ミニチュアの宇宙を公転するミニチュアの恒星とその周りをめぐるミニュチアの惑星。無数の惑星の上には様々な知的生命が芽生えていた。その豊潤さ、美しさに私は魅了された」

(小説『フェッセンデンの宇宙』粗筋にまつわる引用部はここまでとする)

出典(Source)紹介の部22はここまでとする)


 上記のような内容の『フェッセンデンの宇宙』(1937)にての人工宇宙が発生させられての場所は ―― Philological Truth[文献的事実]の問題として―― 
二枚の向かい合う金属版に挟まれた重力を打ち消す作用が発生させられての場所]
と定義されている(下の訳書よりの引用部を参照されたい)。


| 出典(Source)紹介の部22-2 |

 ここでは『フェッセンデンの宇宙』にあって
[人工宇宙が[二枚の向かい合う金属版に挟まれた、重力を打ち消す作用が発生させられての場]にて構築された]
との描写がなされていること、その出典として同著訳書よりの原文引用をなす。

(直下、本稿筆者手元にある河出書房新社より刊行の「文庫」版、最近になって世に出たとの版の方の『フェッセンデンの宇宙』(1937年版)収録短編集p.15-p.16よりの原文引用をなすとして)

 それは表面が格子状になった直径二フィート金属円盤で構成されていた。一枚は床の上にあり、もう一枚はその真上の天井にとりつけられている。電線で四隅の電気装置と接続してあり、格子状の表面が、淡い青色の光かエネルギーのようなものをかすかに放っていた。 
 二枚の円盤にはさまれて、空中にぽっかりと浮かんでいるものがあった。微細な閃光の雲である。見かけはちっぽけな金色の蜜蜂が無数に集まった群れに似ており、その群れはレンズの形をしていた。
・・・(中略)・・・
フェッセンデンがそのしろもののところまで足を運び、床と天井で青く光っている円盤のほうを身ぶりで示した。
この二枚の円盤は、ブラッドリー、あいだにはさまれた空間で通常の地球重力を打ち消す働きがあるんだ
「なんだって?」わたしはびっくりして大声をあげた。進み出て、二枚の円盤のあいだに手をつっこみ、今の言葉をたしかめようとする。だが、フェッセンデンに引きもどされた。
「よせ」とフェッセンデンが警告した。「人間の体は地球の重力に慣れているから、それに負けないよう内側に力がかかっている。もしその二枚の円盤のあいだに踏みこみ、地球の重力から解放されたら、きみの体はそれ自体の内圧で破裂してしまうだろう。ちょうど深海魚が、途方もない水圧のかかったいつもの深海から海面へいきなり運ばれると、破裂するのと同じだ」

(訳書よりの引用部はここまでとする ―※― )

(※上にて引用のところ ―1937年版『フェッセンデンの宇宙』を収録した最近の河出書房版より引用なしてのところ― と同じくものと記述内容につきオンライン上より確認できるところの表記も呈示しておく。 については引用元残置は請け合わないも英語圏の technovelgy . comとのドメインのSF小説解説媒体にあっての Gravity Neutralizing Disks by Edmond Hamilton from Fessenden's Worldsと題されてのウェブページ(HTML文書)にあってより引用するところとして It consisted of two twelve-foot metal disks with grid-like surfaces, one on the floor and one on the ceiling directly over the other. [ . . . ] These disks, Bradley, neutralize all the ordinary gravitational forces of earth in the space between them. (訳として)「(『フェッセンデンの宇宙』に見る重力中和装置かつ宇宙再現装置についての描写として)それは格子状の表面を持つ各々12フィートの金属板、それぞれ天上と床にて真向かいに向かい合うように配置された金属板によって構成されていた。・・・(中略)・・・これら金属板は、(フェッセンデンがブラッドレーに語りかけるところ)、それらと地面の間にある空間にあっての通常の重力場を[無効化]するのである」(訳を付しての引用部はここまでとする)との表記がオンライン上より同じくものこと、確認なせるところとなっている―― )

出典(Source)紹介の部22-2はここまでとする)


 1937年初出の小説、『フェッセンデンの宇宙』にあっての、

[二枚の巨大な金属板の間に「重力を遮断した」空間を発生させ、そこに縮小した原子のガスを満たした。によって宇宙が発生した]

との作中設定については次のことが問題になる。


 1937年初出フィクション『フェッセンデンの宇宙』の作中世界ならぬ現実の世界にあっての1948年(『フェッセンデンの宇宙』刊行の後14年を経てのこと)にて

[二枚の金属板を非常に近しい距離に近づけること ―換言すれば、『フェッセンデンの宇宙』にて宇宙開闢の瞬間を再現したと描かれる空想的手法と同様に二枚の金属板を向かい合わせるとの行為― で具現化するカシミール効果と呼ばれるに至った効果]

が観測されることになった。

 そのカシミール効果、二枚の金属板を極めて近づくように固定し、絶対零度までその場を冷やすことで金属板の間に
[負のエネルギー(と呼ばれるもの)]
が発生すると捕捉されたとの現象であり、については、(出典も下に挙げるところとして)、講学的には次のような説明がなされている。

「ほとんどくっつくように近づけられた二枚の金属板の間の極々僅かなる隙間空間は完全な真空状態にはなく、仮想的な光子(※[仮想光子]とは粒子の反応の途中過程で生成消滅する粒子の一類型を指す)の大群がそこにある。そうした仮想光子は金属板に挟まれた領域にて動きが制約される状況にあり、金属板がない状況に比べて、(ハイゼンベルクの不確定性原理(と呼ばれるもの)に起因する本来の機序とは異なり)、エネルギーの貸与が滞りなくなされない。
 それによって、
[[金属板がない状況]のエネルギーを[ゼロ・エネルギー]と呼称した際に[金属板の間のエネルギーを巡る状況]は[マイナス・エネルギー](負のエネルギー)と表される状況がもたらされる]。
 そうした金属板の間の負のエネルギーとは[反重力]とも結びつけられるところがあるものである


 上は知識がないとの人間にはなにやら[疑似科学]めかした話をなしているように見えるところであろう(当然であろう)。であるが、[負のエネルギー]や[反重力]といったどぎついもの、いわゆる、未確認飛行物体陰謀論者の類がわざとか、あるいは、半ば信じてこととする馬鹿げた物言いであると述べられるか、というと、カシミール効果との兼ね合いでは馬鹿げたものにならない。歴とした(科学的)観測事実となっている。直下、出典を参照されたい。


| 出典(Source)紹介の部23 |

 本段、出典(Source)紹介の部23にあっては

[カシミール効果というものが「負のエネルギー」「反重力作用」といったものといかように結びつけて語られるのか]

主流の物理学者著作よりの引用をなしておく。

(直下、ポール・ディヴィス著書 How to Build a Time Machine邦訳版『タイムマシンをつくろう!』(草思社)p.121-p.123よりの中略なしつつもの引用をなすとして)

第2章で、負のエネルギーによって反重力がいかに作り出せるかを解説したが(九七ページ参照)、では、負のエネルギーはどうすれば作りだせるのか。一九四八年、オランダの物理学者ヘンドリック・カシミールが簡単な方法を発見しているので、それにしたがえばいい。二枚の金属プレートを面どうした向かい合うように接近さえて、動かないように固定させる。全体を大きな厚い金属の箱で覆ったら、箱のなかのすべての物質(気体と、電気を帯びた粒子と、中性の粒子をふくめて)を取り除いて、絶対零度(摂氏マイナス二七三度)まで冷やす。
こうすることで、プレートとプレートのあいだの空虚な空間に負のエネルギーを出現させることができる。
・・・(中略)・・・
「カシミール・エネルギー」とも呼ばれる負のエネルギーが金属プレート間に現れるのは、つぎのような理由による。空虚な空間に見えたプレートのあいだの領域は、完全な真空ではなく、仮想光子の大群が渦巻いている。
・・・(中略)・・・
二枚のプレートの外側の空間とプレート間の空間と比べたとき、プレート間では仮想光子の動きに制約ができることになる。
・・・(中略)・・・
プレートの存在によってあるエネルギーや運動の向きをもった仮想光子が生まれる可能性は排除されてしまうのだ。その結果、プレート間の領域では、ハイゼンベルクの不確定性原理のおかげで借りられる総エネルギーが、プレートがない場合より、わずかながら小さくなる。プレートがない場合の空虚な空間がもつエネルギーをゼロ・エネルギーであるとして基準を決めれば、プレートのあいだの領域は負のエネルギーをもつということになる。この負のエネルギーは、プレートのあいだに小さな引力を生み出すことによって存在を現すのである

(訳書よりの引用部はここまでとする ―※― )

(※上にて引用元としている書籍は How to Build a Time Machine(の邦題『タイムマシンをつくろう!』)とのタイトルの時点で誤解されかねない風がある書籍であるため、
『[如何物書籍(イカモノ本)]より信用の置けぬ言説を引いてきているだけではないのか』
と誤解される向きもあられるかもしれない。
 であるから、付記しておくが、引用元となっている書籍 How to Build a Time Machineはきちんとした科学読み本となっており、また、その著者も[科学界メインストリートで評価を受けているポール・ディヴィスという権威筋の物理学者]であると申し述べておく ――(英文Wikipedia[ Paul Davies ]項目などからお調べいただければお分かりいただけるだろうがカリスマ英国人物理学者としてテレビ出演を頻繁にこなし、マイケル・ファラデー賞(英国で科学を普及させた科学者に与えられる賞)ら複数の著名なる賞を受賞している同男、ポール・ディヴィスの物理学者としてのキャリアは常識の世界というものにては一流のものである(ロンドン大を卒業した後、ケンブリッジ大で著名な天体物理学者でもあるフレッド・ホイルの弟子としてポスドク時代を過ごしている等々). その点、好意的評価一辺倒の言い様をなしていると映るかもしれないが、(従前内容を検討いただいている向きにあられてはここまでの筆致でもってお分かりいただけていることかとは思うも)、筆者は[権威]をもってして無条件に偉いとするような人間ではない。さらに言えば、「[権威]の申しようであるから」との物言いを枕詞にしたがる、自己の申しようの至当適切さの[必要十分条件]とするが如くの語り口上をなす人間は質的詐欺師であることが往々にしてある」との見解すら持っている人間ですらあるのだが、権威サイドのポール・ディヴィスが[カシミール効果と負のエネルギーの関係性]について説明していることは[観測事実が重んじられての常識世界のメインストリートの見方としてそちら関係性が確として成り立つとされている]とのことを示すに十分であろうとの点までは強調できると考えている―― )

 次いで、上記 How to Build a Time Machine邦訳版『タイムマシンをつくろう!』で言及されている[カシミール効果にて見受けられる負のエネルギー]というものが見方を変えれば[反重力]の「ような」ものとして具現化を見ているとされることの一例摘示をなしておく。

(直下、和文ウィキペディア[カシミール効果]項目にての現行記載内容よりの引用をなすとして)

ワープやワームホールの論文においては、その実現性の論拠としてしばしばカシミールエネルギーという言葉が登場するが、それはこの現象のことを指している。カシミール効果の引力作用は二枚の金属板の内外の真空のエネルギー差に起因し、金属板間の真空のエネルギーは負の値をとる。ワームホールなどの維持には「負の重力」を生み出す負のエネルギーが必要となるので、負のエネルギー状態が確認された唯一の例としてこの効果が取り上げられるのである

(引用部はここまでとする)

出典(Source)紹介の部23はここまでとする)



 直上図はここまでの本稿にての指し示し事項、[カシミール効果測定実験](1948年実施)とそれに先行する『フェッセンデンの宇宙』(1937年刊行)の内容が
二枚の金属プレートを向かい合わせ][その間の領域にて][重力作用に改変をきたす(斥力・反重力の類に通底する効果をもたらす)]
との点で極めて似た側面を有していることを端的に訴求するために作成したものとなる。
 尚、図の上部にて描画したカシミール効果のことを訴求すべくもの図に関しては英文Wikipedia[ Casimir Effect ]項目にも似たような図像が掲載されているとのこと、申し述べておく(ただしもって断っておくが、ウィキペディアのような媒体には、いや、ありとあらゆるオンライン上の媒体にあっても(少なくとも現行にあっては)「『フェッセンデンの宇宙』と[カシミール効果測定実験]が類似する特性を帯びている」といったありようは見受けられない(各ページ内容を見ながら英語媒体込みに検索結果がゼロ件になるまで切り詰めをなしてみたことが筆者にはある)とのことがある ――だが、だからといって両者が類似して「いない」とのことにはならないし、また、両者類似性に着目した人間が今までいなかったとのことにもならない(人間の視野角の広さを広めに見積もれば、それに気付くだけの見識を有した人間が少なからずいたとも解されるが、それに気付くだけの水準の者達らは「似ているな」と気付いても敢えてそのことを表沙汰にしようとも考えないのだとも思われる)―― )。

 さて、

[二枚の金属板を向かい合わせてその場で「重力を遮断して」宇宙を発生させるとの筋立て](1937年の『フェッセデンの宇宙』粗筋)
および
[二枚の金属板を向かい合わせ極々近距離に近づけてカシミール効果 ――負のエネルギー、さらに後述するところの反重力「的」機序と相通ずるエネルギー―― が観測されたとの科学史上の一足跡](1948年)

の間には ――典拠・論拠を挙げなければ、首をかしげられるだけの話となろうか、とも思うのだが―― 

他界への扉とも定置されるワームホール
加速器実験に伴う特性

との絡みで接合するところがある。
 
 そうも述べられるようになっていることについては下をご覧いただきたい。


二枚の金属板を極々近距離に近づけて観測されるとの[カシミール効果]という現象は理論物理学者らに[負のエネルギー][反重力]との兼ね合いで[通過可能なワームホールの生成]と結びつけられるとの文脈でも「80年代後半より」着目されることになった現象である (世間的に専門的かつ権威あるとされるであろうところの物理学者由来の書籍よりの引用も直下なす)

[負のエネルギー(反重力)でもって[通過可能なワームホール]が構築されるなどと科学理論上では述べられているとのことがあるのだが、そこにいう[ワームホール]と加速器を結びつける論調がここ最近になって呈されだした] (同じくもの点については本稿にての先の段にあって引いたことを再度引いておく ――(以下、米国物理学者の手になる『神の素粒子 ―宇宙創成の謎に迫る究極の加速器― 』(原著表題 COLLIDER: The Search for the World's Smallest Particles/邦訳版刊行元は日経ナショナルジオグラフィック社で同著、本稿先立っての[事実B]にまつわる解説部にてもその内容を問題視した実験機関担ぎ上げ本としての色彩強き書籍ともなる)のp.287-p.289より出典(Source)紹介の部18にあって抜粋したところと同じくものところを再度、原文抜粋なすとして)これまでの議論は明確な科学的根拠に基づいているが、最後に紹介するのは、SF小説のような、あるいは夢のような話である。CERNがここまで太鼓判を押してまだ不安ならば、未来から何の警告もないことで安心すればよいのだという。ロシアの数学者イリーナ・アレフエワとイゴール・ヴォロビッチによれば、LHCは現在と未来を結ぶ時空の通路、通過可能なワームホールを生み出すだけのエネルギーを持っている。もし、 LHCが危険なら、未来からのメッセージがあったり、LHCの完成を阻止して歴史を改変する科学者が出てくるであろう・・・・ 通過可能なワームホールは、アインシュタインの一般相対性理論方程式を解くことで得られるもので、時空の離れた二点をつなぐという特徴がある。 ワームホールもブラックホールと同じく、物質が宇宙という織物を強力に曲げてできる重力井戸だ。 しかし、そこに含まれる幽霊物質(未知の物質)という仮想の物質が負の質量とエネルギーを持っているため、侵入者に対する反応が違う。ブラックホールに落ちた物質が崩壊するのに対し、幽霊物質は通過可能なワームホールを開け、時空に通路をつくって宇宙の別の場所へつなぐ(再度の引用部はここまでとする)―― )

加速器実験は宇宙生誕の瞬間たるビッグバン近似の状況を極小スケールにて再現するものであると鼓吹されている。他面、[負のエネルギー]([反重力]と結びつけられもするエネルギー)との絡みで通過可能なワームホールの構築と結びつけられる[カシミール効果]の存在を立証して物議を醸した実験(「1948年」実施)と相通ずることを[二枚の金属板を向かい合わせてその場にて重力を遮断する]という式で描いていた「1937年」初出の小説『フェッセンデンの宇宙』で取り上げられているのも宇宙創成]の瞬間である](加速器実験がいかようにして宇宙創成の瞬間と結びつけられているかは下にさらに補っての出典を挙げておく)


 上記のことにまつわる解説未了であったところの出典紹介を直下なす。


| 出典(Source)紹介の部24 |

 本出典紹介部ではまずもって

二枚の金属板を極々近距離に近づけて観測されるカシミール効果は通過可能なワームホールの生成と[負のエネルギー]との兼ね合いで結びつけて考えられることがあるものである

とのことについての専門家由来の申しようを紹介することとする。

(直下、物理学者ポール・デイヴィス( Paul Davis )の手になる How to Build a Time Machineの日本語版タイトル『タイムマシンをつくろう!』p.121-p.122より中略をなしつつもの引用をなすとして)

従来の電磁気技術では、プランク・エネルギーは太陽系に匹敵するくらい巨大な加速器を建造しないと獲得できないが、まったく新しい加速器技術が開発されれば、はるかにコンパクトな装置を用いて非常に高いエネルギーを得ることができるかもしれないのだ。またいくつかの理論によれば、空間と時間の大規模な改変はプランク・エネルギーよりもずっと低いエネルギーで実現できるかもしれず、技術的にも見通しがつけられる可能性があるという。もし重力をほどほどのエネルギーで操作できれば、これまでにのべたような途方もない圧縮や加速を必要とせずにワームホールを作ることができるだろう。微小とはいえ、とりあえず実在のワームホールが製作できたとなれば、つぎのステップはそれを扱いやすい大きさに拡大することである。
・・・(中略)・・・
プランク長の規模のワームホールは小さすぎて、実際上、使いものにはならないので、何らかの方法を用いて大幅に拡大してやらねばならない。
・・・(中略)・・・
したがって、つぎの工程は、生まれたばかりのミクロのワームホールにエキゾチックな物質を送り込むことであるそうすれば、その物質がそなえている反重力がワームホールの喉を外向きに押しだして、寸法を大きくするだろう
・・・(中略)・・・
第2章で、負のエネルギーによって反重力がいかに作り出せるかを解説したが(九七ページ参照)、では、負のエネルギーはどうすれば作りだせるのか。一九四八年、オランダの物理学者ヘンドリック・カシミールが簡単な方法を発見しているので、それにしたがえばいい

(訳書よりの引用はここまでとする)

(続けて、直下、同じくもの How to Build a Time Machineの日本語版タイトル『タイムマシンをつくろう!』p.98よりの一部引用をなすとして)

 しかし、負のエネルギーが作り出す重力場はたしかに斥力である。通常の物質でできたボールはこの箱の近くに置けば、加速されて箱から離れていくだろう。もし地球が負のエネルギーでできていれば、われわれは全員、宇宙に放りだされてしまうにちがいない
 第3章で負のエネルギーの状態をどのように作りだすかを説明するが、ここでは、適当な「エキゾチックな物質」があって、それをワームホールの喉に詰め込むと想定しよう。その物質が十分強力な反重力をおよぼすならば、それは喉がつぶれるのを食い止め、光と、それにもしかしたら宇宙飛行士が通過することを可能にするかもしれない

(訳書よりの引用はここまでとする ―※― )


※注記として

 上にての原文引用部にては
[タイムマシンの候補となる通過可能なワームホール]
の拡大・安定化には
[反重力を呈するエキゾチック物質]
が必要とされていること、そして、その反重力特性と結びつく負のエネルギーというものの生成可能性が
[カシミール効果]
によって指し示されているということが言及されている。
 そこに見る[反重力を呈するエキゾチック物質]によってワームホールの安定化を嚆矢として80年代に論じだしたのは物理学者キップ・ソーンであると知られている。
 その点、キップ・ソーンがいかなことを提唱したかについては本稿にての出典(Source)紹介の部20-2で以下に再引用するとおりのことを取り上げていたとのことがある。

(直下、 BLACK HOLES & TIME WARP Einstein's Outrageous Legacy邦訳版『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんでもない遺産』(原著の方は1994年刊行、邦訳版は白揚社より1997年刊行)よりの訳書p.444よりの「再度の」引用をなすとして)

カール・セーガンに私の意見を伝えた後、私は彼の小説が一般相対性理論を学ぶ学生の教育用に使えることを思い当った。こうして学生に役立たせるために、マイク・モリス(私の学生の一人)と私は、一九八五年の冬に
エキゾチックな物質に支えられた
ワームホールに対する一般相対論の方程式と、これらの方程式とセーガンの小説との関連について論文を書きはじめた
・・・(中略)・・・
一九八七―八八年の冬以前に、われわれは論文を[アメリカン・ジャーナル・フィジックス]誌に投稿したが、その時点では論文はまだ掲載されていなかった

(引用部はここまでとする)

 以上、引用部に認められるようなことについては80年代の物理学者キップ・ソーンやりよう(媒体の有為転変呈しやすき側面よりその記載内容の残置については請け合わぬが、英文Wikipedia[Wormhole]項目にあっては The possibility of traversable wormholes in general relativity was first demonstrated by Kip Thorne and his graduate student Mike Morris in a 1988 paper「アインシュタインの一般相対性理論に基づいての通過可能なワームホールはキップ・ソーン及び彼ソーンの研究室の院生マイケル・モリスによって1988年の論文によってはじめて呈示された」との記載が現行見受けられるところのやりよう)を受けて

[負の質量を用いて通過可能なワームホールが構築なしえるばかりではなく、それがタイムマシンともなりうるとの見解が世に出た]

とも諸々にて説明されている。

 例えば、本稿にての出典(Source)紹介の部18で既に引用しているところにしてまた、直上にても引用なしたところより再度に次いでの再引用をなすところとして次のような式にて、である。

(直下、『神の素粒子 ―宇宙創成の謎に迫る究極の加速器― 』(原著表題 COLLIDER: The Search for the World's Smallest Particlesとの同著の邦訳版刊行元は日経ナショナルジオグラフィック社/先の[事実B]の段にてその内容を問題視した実験機関担ぎあげ本としての色彩強き物理学者を著者とする書籍)のp.287-p.289よりの「再度の」引用をなすとして)

ロシアの数学者イリーナ・アレフエワとイゴール・ヴォロビッチによれば、LHCは現在と未来を結ぶ時空の通路、通過可能なワームホールを生み出すだけのエネルギーを持っている。もし、 LHCが危険なら、未来からのメッセージがあったり、LHCの完成を阻止して歴史を改変する科学者が出てくるであろう・・・・ 通過可能なワームホールは、アインシュタインの一般相対性理論方程式を解くことで得られるもので、時空の離れた二点をつなぐという特徴がある。 ワームホールもブラックホールと同じく、物質が宇宙という織物を強力に曲げてできる重力井戸だ。 しかし、そこに含まれる幽霊物質(未知の物質)という仮想の物質が負の質量とエネルギーを持っているため、侵入者に対する反応が違う。ブラックホールに落ちた物質が崩壊するのに対し、幽霊物質は通過可能なワームホールを開け、時空に通路をつくって宇宙の別の場所へつなぐ。
・・・(中略)・・・
1980年後半以来、通過可能なワームホールはCTC(時空曲線)をつくり、これをたどれば過去へタイムトラベルできるという説が唱えられてきた
・・・(中略)・・・
勇敢な宇宙船が飛び込めるほど大きいワームホールなら、ループは完全につながっているので、理論的にCTCが出来た後のどの地点にも戻ることができる。

(再度の引用部はここまでとしておく)

 上引用部に見る、
1980年後半以来、通過可能なワームホールはCTC(時空曲線)をつくり、これをたどれば過去へタイムトラベルできるという説が唱えられてきた]
との部が
「([カシミール効果]によって1948年代に検証されることになった)[負の質量]を体現してのエキゾチック・マターがワームホールの安定化につながりうる」
とするキップ・ソーンの80年代後半の理論化を受けての部と解されるようになっているわけである。

(注記の部はここまでとする)


 以上言及なしたところで、続いて、
[『フェッセンデンの宇宙』が宇宙創成をテーマとしているように)加速器実験は宇宙生誕の瞬間たるビッグバンを再現するものであると鼓吹されている]
とのことの出典を挙げることとする。

(直下、アミール・アクゼル著 Present at the Creation The Story of CERN and the Large Hadron Colliderの邦訳版『宇宙創造の一瞬をつくる CERNと究極の加速器の挑戦』(早川書房)24ページよりの原文引用をなすとして)

LHC内部での陽子衝突により解放される凄まじい量の高密度エネルギーは、科学を未踏の新たなレベル、我々の宇宙ではビッグバン直後以来観測されたことのない高エネルギーの領域へと推し進めてくれる。そのような形で大型ハドロンコライダーは我々を百数十億年昔に連れていき、誕生直後の灼熱の宇宙を満たしていた状態を見せつけてくれる

(訳書よりの引用はここまでとする ―※― )

(※そも、上引用元の書籍タイトル『宇宙創造の一瞬をつくる CERNと究極の加速器の挑戦』や『神の素粒子 ―宇宙創成の謎に迫る究極の加速器― 』との本稿の先立つ段にて引用をなしている書籍表題からしてCERNの実験が宇宙創成(ビッグバン)と結びつくことを示すものだが、上引用部はそうも形容されている理由、LHC実験の如く加速器実験がビッグバン再現実験であるとされている理由が一言で述べられている。
 尚、加速器がビッグバン「直後」の状況を作り出すとの点に関しては
[ビッグバン再現状況による子宇宙の生成が連鎖反応として引き起こされる]
との申しようがなされていたとのことについてもカナダ人哲学者ジョン・レズリーの書籍や同人物の書籍の出典となった物理学者らの80年代に遡る学術誌掲載論稿よりの引用を介して本稿の先の段にて解説してきたところである)

出典(Source)紹介の部24はここまでとする)


 ここまでの内容でもってして

 加速器実験とは[宇宙生誕の状況の再現]をなすものであるとされている。その点、同様のこと、[宇宙開闢]の問題を空想的なものとして扱った1937年刊行のフィクションとして『フェッセンデンの宇宙』という作品が存在している
 そちら[宇宙開闢]を描く『フェッセンデンの宇宙』にて紹介されている[宇宙開闢をもたらす空想的かつ独特なる手法]が1948年に実施された科学史上、エポックメイキングなものとされる実験と相通ずる側面を「先覚的に」帯び、かつまた、[通過可能なワームホールの生成問題]との接合性をも呈しているとのことがある(時期にも着目すべきところとして80年代後半から[通過可能なワームホール]と[負のエネルギー]を結びつける論調が出てきたとのことがあるからである)。
 そして、ここ最近になってより考えられるようになったところとして加速器実験のありうべき帰結としてワームホールの生成のことが観念されるようになってきもしているとのことがある

とのことの論拠を示した。

 以上指し示してきたことを(くどくもながら)端的に表せば、次のようなかたちとなる。

[加速器実験]→[「宇宙開闢」の状況を再現を図るとの実験]

[加速器実験]→[「ワームホール生成」を考えられるひとつの帰結とするとここ最近より考えられるに至った実験]

[フィクション『フェッセンデンの宇宙』]→[カシミール効果測定技法と相通ずるやりよう(二枚の金属プレートを並べてそこにて重力を「遮断する」がごとくことをなすとのやりよう)で「宇宙開闢状況 ――加速器実験にて再現が企図されている状況―― 」を実現するとの空想小説]

[フェッセンデンの宇宙に認められるやりようと類似するカシミール効果測定技法]→[ワームホールの安定化・拡大に寄与するとの[反重力]特性と結びつくマイナスのエネルギーの導出手法考察と結びつくものとして「も」80年より着目されるに至ったもの]

 さらに端的にまとめれば、である。「記号論的には」、

[加速器実験]→[宇宙開闢状況再現/ワームホール生成と結びつけられる挙]←[『フェッセンデンの宇宙』]

との関係性が導出されることになる(上は「結果的に偶然そうなったにすぎない」と「常識的には」説明がなされるようなところとなるが ――というのもカシミール効果の発見(1948年)に『フェッセンデンの宇宙』の刊行年1937年は先立つし、そも、ビッグバン再現とワームホールの結びつきが観念されるようになったのも1930年代よりずっと後のことであるからである―― 、本件には[複合顧慮]すべき側面があり(であるからわざわざもっての取り上げをなしている)、によって、問題の根が深いものであると呈示できるとのことがある)。


[呈示の図について]

 サイエンス・フィクション分野の著名作家、SF業界の[ビッグ・スリー]の一画に数えられる作家としてアーサー・クラークが挙げられる(同アーサー・クラークについては「有名な映画化作品『2001年宇宙の旅』の原作者である」「そもそも[衛星通信・通信衛星の父]として衛星通信・通信衛星の概念を初期的に考案したのがアーサー・クラークである」との言われようがなされていると申し述べれば、その方面のあれやこれやについて詳しくはない向きにも同男の大物っぷりについてなにがしかのことをおもんぱかることができることか、とは思う)。
 本稿の後の段でも[文献的事実]であることを示す記述とともに取り上げることになるところとして、そちらアーサー・クラークの作品らからして[奇怪な先覚性]が具現化してもいるとのこと「も」あるのだが、といったことは置いた上でも申し述べるところとして、同作家アーサー・クラークに由来するものとして諸方面にあってよくも引き合いに出される、
[クラークの三法則](クラークズ・スリー・ロー/Clarke's three laws)
というものがある。
 オンライン上より容易に確認なせる(e.g.ウィキペディアの複数項目に渡って言及・解説がなされている)とのそちら[クラークの三法則]にあっての三番目の法則の内容は

Any sufficiently advanced technology is indistinguishable from magic.「十分に発達した科学は魔法となんら見分けがつかない」

とのものとなる(映画や諸種のサブカルチャー作品にて同法則同文言に言及した部を目にしたとの人間も多くいることかと思われる)。

 さて、ここ本稿本段では
[反重力](anti-gravity
などとの
[ナンセンス(nonsense)][馬鹿げているもの]
と識者に見られるようなところに通ずるものを取り扱っているわけだが(:[反重力]をして[馬鹿げたものと見られやすきもの]として言及しているのは、それが [ UFO Religion[UFO教]の徒輩の担ぎあげる空飛ぶ円盤なるもの(アダムスキー型円盤などの写真を見ることで頭の具合とやらせの程が見受けれると筆者などは判ずるに至った幻影の中の幻影でもいい)の作用機序の理論]ととかく結びつけられて語られてきたとの事情があるからである)、 [反重力]があたかも(クラークの法則に見る)[魔法の如き高度テクノロジー]にて実現されうるとすれば、そこにてはカシミール効果に通底するような観点が応用されることとなるように「とれもする」との話をここまでにてなしてきた。
 その点、
[重力に抗って浮き上がっている魔法の絨毯](上にてはその魔法の絨毯を描いたものとして Viktor Vasnetsovヴィクトル・ヴォスネツォフとの画家の手になる19世紀後半絵画を挙げている
は魔法による賜物とされるわけだが、といったものが字義通りの魔法で済まされずに科学で実現されうるとのこととなると、 ――そちら理論の適否の如きことについては判ずることはできないし取り上げるべきではないとも先立って申し述べているわけだが―― 通過可能なワームホールを安定化なさしめるとの科学界論調があることとあいまって気がかりになりもする、[それだけのこと]がある(:これよりさらに煮詰めて呈示なしていくところの[「論調それそのものに先駆けての」先覚的言及のありよう]と[記号論的な関係性に見る奇怪性]の観点から気がかりになるだけのことがある)

 以上のような問題意識に基づいて挙げたのが上にての図であり、直下にてのここまでの関連性をまとめての関係図でもある。そのこと、図の内容を検討いただき、理解なしていただければ、光栄である。

 尚、クラークの三原則(クラークズ・スリー・ロー)にあってはその第一法則として次のような[いかにもありうべきこと]が挙げられてもいる。

When a distinguished but elderly scientist states that something is possible, he is almost certainly right. When he states that something is impossible, he is very probably wrong.「著名ではあるが、高齢でもあるとの科学者が[何か]をして可能であるとする場合にはおおよそにしてその言や正しいものである。だが、逆に彼が[何か]をして不可能であるとする場合には大いにありうるところとしてそれは誤りとなっている」

 本稿では出典(Source)紹介の部1の部にて

「世紀の変わり目にあって加速器の類によるブラックホール生成可能性が科学界重鎮によって諸共、否定されてきた」

との状況について解説している。

 そこにて問題になるのは(クラーク三法則にあって当てにならぬとされる)[頭が固くもなった老齢の権威]の申しようだけではなかった。ブラックホール生成の可能性が狂人の妄夢の如きものであると否定されていたとの往時ありようについては最先端を行く「高齢に達しておらぬ」物理学者らにも同じくものことが当てはまっていた。後にノーベル賞を受賞したフランク・ウィルチェック(1951-)のような往時、脂の乗った(と世間的には評されもしよう)物理学者、そして、また、本稿の冒頭部よりその申しようを引いているし、後の段にあってもそのブラックホール生成理論まわりでの重きをもっての役割を解説していく女流物理学者リサ・ランドールの申しようでも同じくものこと、[ブラックホール生成は90年代にあってはありえないと看做されていた]とのことが当てはまって見えるようになっている(「彼ら」が大嘘吐きである可能性はここでは脇に置いている)。

 そのような流れがある、少なくともクラークの第一原則では[こと]が済まされないとの事情変転 ――[加速器によるブラックホール生成はありえないことである]との論調が後に[ありうることである]と主張されるようにもなったとの変転―― もあった中で
[科学理論 ――それら理論の適否は問題にならないしすべきでもない―― の変遷そのものを克明に反映しもしている先覚的言及文物ら]
の特性のことを本稿では問題視してきたし、これより問題視していくとのこと、理解なして欲しい次第ではある。

(以上、長くもなったが、直上および直下の関係図にまつわるところの字面による解説はここまでとする)


(「A.からF.と区切りながら段階的に論じていく」と先述のことにつき、A.と振っての段はここまでとする)

 直上まで書き進めてきたところのA.と振っての段にて取り上げた短編小説『フェッセンデンの宇宙』には次のような局面が描かれもする。

神のように振舞う科学者フェッセンデンは[自己の造りだした極小宇宙]にて[人間とうりふたつの種族の文明]と[進化した爬虫類の文明]が別個独立に同じ太陽系に存在している状況を発見する。そこでフェッセンデンは針のような装置で片方の惑星をもう片方の惑星に接近させ、両者に闘争が起こるように仕向ける。結果、人間種族と爬虫類種族の戦争が始まるが、
爬虫類種族が人間種族を皆殺しにする
との結果に終わる。それを見て、フェッセンデンは「所詮は実験世界にての微々たる種族の宿命である」と非を鳴らした友人の物言いに冷笑でもって応える....。

 どうして上のような記述部をわざわざ問題視しているかについては、さらに後続する段にて解説するとし、上の通りの内容が短編小説『フェッセンデンの宇宙』に含まれていることを示すべくもの引用を下になしておくこととする。


| 出典(Source)紹介の部25 |

 本段、出典(Source)紹介の部25にあっては
[小説『フェッセンデンの宇宙』では主要登場人物フェッセンデンが自ら造りだした人工宇宙に介入し人類に似た種族の惑星と爬虫類に似た種族の惑星を結合なさしめて両種族の争いを誘発する(そして、爬虫類によく似た種族が人類によく似た種族を絶滅させることになる)との粗筋がみてとれる]
とのことを引用によって示すことにする。

(直下、筆者手元にある河出書房新社より刊行の「文庫」版、最近になって世に出たとの版の方の『フェッセンデンの宇宙』収録短編集(『フェッセンデンの宇宙』掲載部はp.9からp.34となっているとの短編集)p.25-p.26よりの原文引用をなすとして)

それは黄色い太陽で、四つの惑星がその周囲をめぐっていた。そのうちの二つは大気がない世界だったが、残りのふたつは異なる生態の生物が棲息していた。片方は人間に生き写し、もう片方は爬虫類によく似ており、それぞれが自分の世界に君臨していた
・・・(中略)・・・
両者のあいだには接触も通信もなかった。ふたつの惑星が、遠くへだたっているからだ
「さて、気になっているんだが」とフェッセンデンが、興味津々といった顔でいっていた。「あのふたつの種族が接触したら、どういう結果になるだろう。まあ、じきにわかるさ」彼はそういうと、もういちど針に似た装置のほうへ手をのばした。
 またしてもか細い糸のような力線が、極小宇宙のなかへすーっとのびた。わたしは望遠鏡ごしにその効果を目のあたりにした。力線の命中したはずみで、片方の惑星が軌道を変えはじめたのだ
・・・(中略)・・・
間髪をいれずに、狭い淵を渡って片方の世界から船が飛びはじめた。通信が確立された。するとたちまちふたつの世界のあいだに戦争が勃発した。人間に似た種族と爬虫類に似た種族の闘いである
・・・(中略)・・・
闘いの帰趨は爬虫類に似た種族にかたむいた。彼らの侵略軍団が、人間に似た種族をひとり残らず血祭りにあげた。それで闘いは終結した。爬虫類に似た種族が、両方の世界をわがものとしたのだ
・・・(中略)・・・
わたしは叫んだ。
「きみがあのもうひとつの世界と接触させなかったら、あの小さな人類は、ずっと平和と幸福のうちに暮らしていたんだぞ!なぜ放っておいてやらなかったんだ?」
フェッセンデンがいらだたしげにいった。
「莫迦なことをいうな、ブラッドリー。これはただの科学実験だ――ああいった蜉蝣(かげろう)みたいな種族も、やつらのちっぽけな世界も研究対象にすぎないんだ」

(訳書よりの引用部はここまでとしておく)

出典(Source)紹介の部25はここまでとする)


 直近、文献的事実であると原文引用にて示したことは次のように「記号論的に」言い換えることができることともなる。

[[通過可能なワームホール]を構築するの役立つとされるエネルギーを測定するに至った手法であるカシミール効果測定技法(二枚の金属板を重ねそれを絶対零度まで冷やしてその動きを観測するとの1948年確立の技法)と相通ずるやりよう、[二枚の板を重ね合わせそこにての物理事象にあっての原子レベルでの変化を促すとの技法]で宇宙開闢をもたらしたなどという相応の空想小説(1937年初出の『フェッセンデンの宇宙』)にあって開闢を見た極小宇宙の中で爬虫類系統の種族による人類種族の[絶滅戦]が展開される局面が描かれている]


※本稿この段の時点では「行き過ぎた話」になるところのの補足として

 先に本稿で問題視した1997年初出の小説『ディアスポラ』は

[[肉体を持った人間のアトランタなどのコミュニティの成員]が[トカゲ座のガンマ線バースト]にて死滅の運命に追い込まれていく中、人類の生き残りはナノマシンにて脳をスキャンされて肉体が死滅する中で[別のもの]に代替させられ、結果、人間に「完全に」取って代わることとなったソフトウェア生命体らが[種子]をワームホール越しに他世界に送る ―その試みの際には[長炉]と呼称される加速器が用いられる― との粗筋]

を伴っている作品となってもいる(出典(Source)紹介の部21-3(2)およびそれに続いての段にて表記・紹介のことである)。

 といった作品たる『ディアスポラ』(通過可能なワームホールの先に[宇宙開闢に通ずるエネルギーを実現する加速器]を通じて種族の種子を送るとの筋立ての作品)と『フェッセンデンの宇宙』(通過可能なワームホールを実現すると考えられるに至った負のエネルギーの発見と結びつく手法で宇宙の開闢の状況の再現 ―加速器実験も宇宙開闢の状況の再現を謳っている― がなされるとの作品)の間にて

[「トカゲ座」にて発生したガンマ線バースト(人類に引導を渡すことになった『ディアスポラ』登場の現象)⇔フェッセンデンの構築した人工宇宙での惑星架橋の挙に起因する「爬虫類の」種族による人類に似た種族の皆殺し挙動]

との点に爬虫類つながりでアナロジー(類似性)を認めると、

「[爬虫類と結びつくものによる人間の絶滅]との設定が[ワームホールのことが問題となる内容]との兼ね合いで浮かび上がってくる」

とのことにもなる(:他の類例らに目が向けられずここまでの流れのみが着目される限り[行き過ぎての話をなしている]と「当然に」思われるところであろうとは重々承知のうえで述べれば、である)。

 その点、『フェッセンデンの宇宙』に見出すことができると既述の、

[ワームホールの安定化に用いられると80年代後半より考えられている負のエネルギーを捕捉するに至った実験(1948年にその結果が物議を醸すことになったカシミール効果測定実験)との接合性]
[宇宙創成を企図しているなどと銘打たれての加速器実験との宇宙生誕再現との意味での接続性および加速器が(宇宙再現挙動の中で)ワームホールを生成すると考えられるに至ったことにまつわる接続性]

は小説『フェッセンデンの宇宙』刊行がなされた1937年当時では想像だに及びもしなかったところともなっているわけだが、そう、それがゆえに[予言「的な」内容]も問題になると申し述べたいところであるのだが、(ここにて再度取り沙汰したとの)小説『ディアスポラ』については ―同作が世に出た時点(1997年当時)にあって[ワームホールの生成]が作中にて問題視されているのは― 「既出のものとなっていた科学的予測に依拠している」と述べられるようになっている(先に解説なしている[人類の技術レベルでは実現不能とされるも仮説上の先進文明を顧慮すればのこととしての[プランク・エネルギーの投下]の話である)。といった中で、とにかくも、上記のような観点での類似性が見受けられるところとなっている。

 それについては、(くどくも強調したきところとして)
『こじつけがましい』
『偶然の賜物であろうことに意味を求めすぎている』
としか述べられないことを「この時点では」述べているにすぎないが、長大なものとなっている本稿を最後まで読めば、それが「偶然の賜物で片付く」ものなどでは「断じてない」こと、よくも理解いただけるであろう)

(先にその内容を取り上げた『ディアスポラ』を引き合いにしての補足の部はここまでとしておく)


 さて、本稿の先の段(出典(Source)紹介の部19)にては次のような内容の記事の引用をなしていた。

(直下、 Attack of the Hyperdimensional Juggernaut-Menとの題名で2009年11月6日付け( 6th November 2009付け)で発信されている The Reg( The Register/テクノロジー情報紹介商業ウェブサイト)の記事の冒頭部よりの「再度の」引用をなすとして)

A top boffin at the Large Hadron Collider (LHC) says that the titanic machine may possibly create or discover previously unimagined scientific phenomena, or "unknown unknowns" - for instance "an extra dimension".
"Out of this door might come something, or we might send something through it," said Sergio Bertolucci, who is Director for Research and Scientific Computing at CERN, briefing reporters including the Reg at CERN HQ earlier this week.

(拙訳として)
「LHC実験にかかわるトップクラスの科学者が巨大マシンは従前想像だにされていなかった科学的現象、よく知られていない未知の事柄ら、たとえば、余剰次元のようなものを発生ないし発見する可能性があると発言している。
「この扉を通過して何かが来るかもしれないし、それを通じて我々が何かを送れるようになるかもしれない」
今週初頭のCERN本部でのブリーフィングで当媒体( the Register )の記者を含むレポーターらを前にしてCERNのリサーチおよびコンピューティングの責任者であるセルジオ・ベルトリッチはそのように述べた」

(訳を付しての再度の引用部はここまでとする)

 以上のような内容を有しての Attack of the Hyperdimensional Juggernaut-Men[超次元の絶対的不可抗力(ジャガーノート)の力を有した者らの侵襲]にてはそのページ遷移部にあって、
「極めておどけながら(comicalに)もの調子にて」

So what have we got? Dinosaurs? Demonic soul-reapers? Parallel globo-Nazis? Hyperspherical juggernaut-beings?(訳として)「では、我々に何とまみえることになるというのだろうか?[恐竜]か?[悪魔的な魂の収奪者]か?[並行地球のナチス]か?[超次元の絶対的不可抗力(ジャガーノート)の力を有した者ら]か?」

との表記がなされている。

 以上のような[おどけ]を感じさせる部が[字義通り滑稽なもの]では済まされないとのことを ――[事実にきちんと向き合うこと]が[生き残るに値する種族としての必要条件](残念ながら十分条件ではなかろうが、とにかくもの必要条件)であろうと考えている人間として―― これ以降、呈示していくこととする。

(「A.からF.と区切りながら段階的に論じていく」と先述のことにつき、B.と振っての段はここまでとする)

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直下、本稿冒頭部へのリンクを設けておく

(⇒冒頭頁へは下の部より)

[典拠紹介部第1頁 加速器実験に伴う欺瞞性から証示なせることについて]

 上にて挙げているのはドイツ浪漫主義芸術の巨匠たる18世紀画家、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(Freemasonでもあったとの画家 Caspar David Friedrich)の手になる一品、

Der Wanderer uber dem Nebelmeer雲海の上の旅人』(に多少の[動き]をアレンジとして加えたもの)

となる。

 言われようの問題として一般に、

[人間の崇高なる精神が高みを目指し、ついぞ多くの物事を達観するに至った時、その折の孤独と感慨を描いた画]

などと形容される上掲の『雲海の上の旅人』に関して(本稿でもその言行を順次・段階的に取り上げることになるとの)物理学者リサ・ランドールは[次のような申しよう]をなしている。


(直下、物理学者リサ・ランドールの手になる著作 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)にての CHAPTER THREE LIVING IN A MATERIAL WORLD[第三章 物質世界に生きる]の章の記述内容 ――オンライン上検索エンジンにあっての原文検索にて該当部特定できるところの記述内容―― よりの原文引用をなすとして)

Our universe is in many respects sublime. It prompts wonder but can be daunting ―even frightening― in its complexity.  Nonetheless, the components fit together in marvelous ways. Art,science, and religion all aim to channel people’s curiosity and enlighten us by pushing the frontiers of our understanding. They promise, in their different ways, to help transcend the narrow confines of individual experience and allow us to enter into―and comprehend―the realm of the sublime. (See Figure 11.)
          [ . . . ]
[ FIGURE 11 ] Caspar David Friedrich’s Wanderer Above the Sea of Fog (1818), an iconic painting of the sublime ― a recurring theme in art and music.

(上の原著引用部に対する[訳文]として国内流通訳書『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)ハードカヴァー版にあっての81ページに記載されているところを引くとして)

多くの点で、私たちの宇宙は崇高だ。その複雑さは好奇心を駆り立てはするが、無力感も抱かせるし、ことによっては恐怖さえも感じさせる。にもかかわらず、宇宙の構成要素は素晴らしくぴたりと絡みあっている。芸術、科学、宗教は、いずれも人々の好奇心を促して、理解の限界を広げさせ、それによって私たちを啓蒙することを目指している。いずれもそれぞれのやり方で、個人の経験の狭い領域を越えさせることを約束している。それがかなえられたとき、私たちは崇高なものの領域に踏み込む――そして理解する――ことができるのだ(図11を参照)。 …(中略)… [図11]ドイツの画家カスパー・ダーヴィド・フリードリヒの「雲海の上の旅人」は、崇高なものを象徴的に描いた作品だ。崇高さは、美術と音楽に繰り返し登場するテーマである

(以上をもって Knocking on Heaven’s Doorにての原著表記および訳書よりの引用とした)


 さて、何故、ここ脇に逸れての部にあって「目立つように」特定絵画 ― 『雲海の上の旅人』― を挙げ、その絵画に対する物理学者の評しよう ―「雲海の上の旅人」は、崇高なものを象徴的に描いた作品だ....― などを引いたりもしたのか

「それは、」
絵画『雲海の上の旅人』に対して直上引用なしたような評しようをなしているとの物理学者リサ・ランドールが

加速器によるブラックホール生成可能性にまつわるトピックの理論深化に一廉ならぬ貢献をなしているとの著名物理学者

[[崇高なるもの]を目指しての宇宙の探求(およびそのための装置と銘打たれている巨大加速器LHC)の称揚・礼讃をなしているとの向き

であるとのことがあり、また、なおかつ、彼女リサ・ランドールの手による、(絵画『雲海の上の旅人』を科学者が目指しての[崇高さ]とを結びつけている)引用元著作 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)が

人間のありよう(崇高さとはおよそ程遠いところにあるありよう)]
人間の辿る運命

を嘲笑うような[嗜虐的寓意]で満ち満ちていると申し述べられるようになっている著作であるとのことがある、遺憾ながら
[理の当然]
として申し述べられるところとしてある ――個人のせせこましい偏頗(へんぱ)な主観などとは一線を画したところで客観的かつ具体的にこれはこうでこうだと申し述べられるようになっている(出典呈示を第一義にしての本稿では無論、その論拠を事細かに挙げる)とのところとしてある―― からであり、そのことに注意を向けたかったからである(※)。

(※上にて引用元とした著作、 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)、同著にあってはその冒頭部より
September 10, 2008, marked the historic first trial run of the Large Hadron Collider (LHC). Although the name―Large Hadron Collider― is literal but uninspired, the same is not true for the science we expect it to achieve, which should prove spectacular. (表記英文引用部に対する訳として)「2008年9月10日、ラージ・ハドロン・コライダー(LHC)が歴史的始動を見た.[ラージ・ハドロン・コライダー]との名称は有り体に言ってインスピレーションを何ら与えぬとの平凡なものだが、私たちがそれ(LHC)に[証明すべきととらえている壮大なる挙]を託しているとの意では[科学(の進歩)]にとり同じくものことは真実とはならない(LHCは際立ってのインスピレーションを与えるものである)」
などとのことが書き記されている。
 そうもした書きようが目立ってもの冒頭部にてみとめられる著作ノッキン・オン・ヘブンズ・ドアにおける表題、 [天国のドアをノックする]の由来についてリサ・ランドール女史は同じくもの著作の中で次のようなことを述べてもしている。
(以下、 Knocking on Heaven’s Doorにての CHAPTER FOUR LOOKING FOR ANSWERSより引用なすところとして)
I first heard the phrase “knockin”on heaven’s door”when listening to the Bob Dylan song at his 1987 concert with the Grateful Dead in Oakland, California. Needless to say, the title of my book is intended differently than the song’s lyrics, which I still hear Dylan and Jerry Garcia singing in my head. The phrase differs from its biblical origin as well, though my title does toy with this interpretation. In Matthew, the Bible says, “Ask, and it shall be given you; seek, and ye shall find; knock, and it shall be opened unto you: For every one that asketh receiveth; and he that seeketh findeth; and to him that knocketh it shall be opened. (以上原著表記に対して訳書『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)ハードカヴァー版[第四章]103ページにての表記を引くとして) Knocking on Heaven’s Door(天の扉を叩く)]――これが本書の原題だが、私が最初にこのフレーズを聞いたのは、一九八七年、カリフォルニア州オークランドでのグレイトフル・デッドとのコンサートで、ボブ・ディランが『天国への扉』を歌うのを聞いたときだった。いまでも私の頭の中ではディランとジェリー・ガルシアがこれを歌っているのが聞こえてくるけれど、いうまでもなく、私の本のタイトルは、この曲の歌詞とは意味が違っている。このフレーズは出典である聖書の一節とも違っているが、私のタイトルはこちらの意図を拝借したものだ。聖書の「マタイ伝」には、このように書かれている。「求めよ。さらば与えられん。尋ねよ、さらば見いださん。門を叩け、さらば聞かれん。すべて求むる者は得、たづねる者は見いだし、門を叩く者には開かれるるなり
(以上、引用部とした)
 といったところ、新約聖書のマタイ伝にあっての
[求めよ。さらば与えられん。尋ねよ、さらば見いださん。門を叩け、さらば聞かれん。すべて求むる者は得、たづねる者は見いだし、門を叩く者には開かれるるなり]
とのフレーズ、それが
[天国の門]・[天国への扉]・[天国への階梯](ステアウェイ・トゥ・ヘブン)
との兼ね合いでいかように嗜虐的なる別側面での意味( Double Meaning )と共にあるのか、そのことからして具体的典拠を挙げ連ねるとの式で遺漏無くも事細かに示そうというのが本稿の本義であるとここ脇に逸れての部にあって訴求しておきたいとの意図が筆者にはある)