典拠となるところの明示[5]――加速器実験に伴う欺瞞性、 そして、そこより証示
なせもすることについて

関連情報にまつわるカテゴリ(各部クリックにて遷移)

加速器のブラックホール生成にまつわる科学界発表動向、その経年変化の中に見受けられる矛盾から申し述べられもすること ([議論の端緒]にまつわる科学者ら申しようとは両立しないが、[議論の中身]それ自体とは平仄が合うにも程があるとの[先覚的言及文物]らが実在しているとのことについて)

 前頁に至るまでに

[[事実A]から[事実E]と振っての各事実らの[記録事実としての実在の典拠]を示す]

との流れの中で、

[事実A]から[事実D]

と振っての各事実ら、振り返れば、

[事実A]

 粒子加速器によってブラックホールが生成される可能性が取り沙汰されだしたのは
1999年
からである。
 その1999年との折柄にあっては
[厳密な意味では専門家ではない市井の個人] (ウォルター・ワグナー)
によってブラックホール生成可能性が[災害を引き起こす元凶たりうるもの]として問題視されだした権威あるとされる専門家らがブラックホール生成可能性を目立って問題視していたわけではない
 対して、そうした属人的疑念視がマス・メディア「にも」取り上げられることになったことを受け、専門家サイドからは
ブラックホール生成がなされることはそもそもないことである
との強調がなされ、ブラックホール生成の可能性それ自体を事実上完全否定する(狂人の妄夢の如きものであるとする)当事者研究機関の一群の報告書ら ―(後にノーベル賞受賞者となった科学者も関与しての報告書でもある)― が世に出されることとなった

[事実B]

 粒子加速器(の中にあってのLHC)による[ブラックホール生成]がなされうるとのことが ――([事実A]に見るように[1999年にあってそれが[ありうべきリスク]として専門領域「外」の人間に問題視されだした際には「そも、粒子加速器によるブラックホール生成はありうべきところではない」と当事者研究機関に否定されていた]とのところから一転して)――  [ありえることである]と「肯定的に」科学界主流筋および研究機関によって「公的に」認められるようになったのは
2001年
のことからである(:その2001年からの論調では「通年で1000万個単位の」「安全な」極微ブラックホールが生成されることになりうるともされるようになった)。
 すなわち、「1999年にあっては」ブラックホールが人為生成される可能性だに否定していた科学界・実験機関の論調が「2001年に」変容を見、一転、加速器によるブラックホール生成をしてありうると肯定するようになったとのことがある(それについては、―これまた当然に論拠を挙げるところとして― [1998年に水面下で提唱されていた余剰次元理論(というもの)から導き出された帰結]が2001年の[変節]の背景にあると一般には説明されている)。

[事実C]

 粒子加速器LHCによってブラックホール生成がなされうると加速器実験実施研究機関に認容されるに至った折、当然に学者らは
「ブラックホール生成がなされても[安全]である」
と強調していた。
 ブラックホール生成がありうることとされるに至っての後、その初期的段階(2001年から2003年)にあっては安全性にまつわる論拠として
[[ホーキング輻射(ふくしゃ)と呼称される(仮説上の)現象]の発現による生成ブラックホールの即時蒸発
のことが部外者・公衆向けの安全性報告文書で挙げられ、次いで、2008年以降よりは安全性論拠として
宇宙線(Cosmic-ray/宇宙を飛び交う高エネルギーの放射線)との比較による生成された「蒸発しない」可能性のあるブラックホールの無害性
のことが(更改を見ての)部外者・公衆向けの安全性報告文書にて強くも前面に押し出されるに至った、とのことがある。

 そのような安全性論拠の主張動態(重み付け)の変化の背景には ―それについても当然に典拠挙げるところとして― [ホーキング輻射](と呼ばれる仮説上の現象)の発現が確実視され「なくなった」とのことがあると「される」

[事実D]

 1980年に初出を見た英国人作家ジェイムズ・ホーガンの手になる小説作品 Thrice Upon a Time『未来からのホットライン』にあっては[文献的事実]として

1.「[EFCこと欧州核融合協会との組織体が運営している施設]であるとの設定の[核融合プラント(バーグヘッド重イオン施設にあっての「加速器」使用型核融合プラント)]が問題となっている局面で」

2.「[加速器]使用型核融合プラントにての加速器で生成された大量の極微ブラックホール(具体的数値として[200万個にも及ぶ大量の極微ブラックホール]と作中明示)が地球にコアに落ち込み人類滅亡をきたすとの状況にまで至り」

3.「にも関わらず、そのような状況をもたらしたブラックホール生成元となった施設の当の運営者らは「[ホーキング輻射(ふくしゃ)現象の発現]によって粒子加速器接合型核融合発電プラントによるブラックホール生成は地球に壊滅的事態をもたらすことはない、そういうことは百万年に一回も起こりえないことだろう」との言い逃れをなしていた」

との内容を有している。

との各事実らについてそれらが確たる記録的事実 ――第三者が容易に裏取り・確認が出来るとの広くも流通を見ている文献にあっての記載内容それそのもの―― となっていることの典拠を示してきた(疑念を抱かれた向きにあっては出典(Source)紹介の部1から出典(Source)紹介の部4を参照されたい)。 

 ここ本頁では、続けて、

[事実E](疑わしきにおかれては確認願いたきところとして同[事実E][事実A]から[事実D]の各要点組み合わせなしてのものとして指定しているため、ここに至るまでにてほぼ記録的事実である典拠を挙げきっているといったものでもある)

にまつわるところの「補ってもの」出典紹介部を設けておくこととする。


| 出典(Source)紹介の部5 |

 ここ出典(Source)紹介の部5の部では

[事実(事実関係)E]

[事実A]から[事実C][事実D]の間には以下のような[矛盾]と[際立った先覚性]の問題が見受けられると指摘できるところである)

部外の人間が「加速器はブラックホールを生成するのではないか」と突発的に問題視しだしたとの1999年にあっては[加速器によるブラックホール生成可能性]は研究機関発表動向として完全否定されていた(それが肯定的に論じられるようになったのは2001年である)にも関わらず1980年初出の特定小説にあってからして加速器によるブラックホール生成が言及されていた」(「[事実A]と[事実D]より[事実関係]として導き出せる」ところである)

加速器によるブラックホール生成については2001年よりの発表動向で通年単位で1000万個の生成可能性ありとされるに「至った」の対して、問題となる1980年初出小説でもブラックホール200万個生成が描かれているとのことで非常に話が似通っている」(「[事実B]と[事実D]より[事実関係]として導き出せる」ところである)

加速器生成元が(2001年から2003年に至る)初期動向としてホーキング輻射をブラックホール生成が安全であるとの論拠として用いているのに対して、問題となる1980年初出の小説「でも」ホーキング輻射がブラックホール生成がなれていても[安全である]とのブラックホール生成元の言い訳として持ち出されていた旨、描かれているとのことがある」(「[事実C]と[事実D]より[事実関係]として導き出せる」ところである)

とのことにつき「補ってもの」出典紹介をなす(:既にここに至るまで呈示なしてきた出典(出典(Source)紹介の部4までにて挙げてきた出典)から[事実(事実関係)E]が字義通りの[事実](誰であれそうであると確認できるとの記録「的」事実)であることの典拠を必要十分なだけ挙げているわけだが(疑わしきにおかれては前段までの内容を確認されたい)、さらに補足となることの摘示をなしたい)。

 その点、つい先立っての部までにて

極微ブラックホールが加速器(使用熱核融合プラント)にて数百万個生成される][生成されたブラックホールについて[ホーキング輻射]を言い訳に安全性の強弁がなされることになる]との内容を有している小説 Thrice Upon a Time(邦題)『未来からのホットライン』が1980年に世に出されている、にも関わらず、加速器によるブラックホール生成の可能性は1999年に至るまで問題視されるとのことは何らなく、また、それが問題視されるに至った折(1999年)にあっても物理学会と加速器実験実施機関は「加速器によるブラックホール生成などありえない」と強弁していたとのことがある、が、再度の「しかし、」でそうもした動向がここ最近(2001年以降)になって変動を見ることになって加速器ブラックホール生成は「現実的に」ありうると学者らにもされるようになった

とのことを示してきたわけだが(すなわち上に表記の[事実E]の通りのことを示してきたわけだが)、

「1980年小説の元となったアイディアがあり、そのアイディアを小説家に提供したような物理学者などがいたのではないか。それがゆえの小説作品の先覚性なのではないか?」

と「当然に」見立られるところであろうことか、と思う。

 だが、

[それでは「絶対に」話がすまされぬ]

との状況になっていることを「把握」しているのが筆者である(:であるかこそ、本稿筆者は加速器問題についての(一審からして無為に長引いた節ある)行政訴訟を ――『行政訴訟などというものを提訴する者には[功利主義]の観点から間尺が合わぬことをやるとの好訴癖の持ち主、「意味のない」こと好きの相応の類も多かろう』との認識がありもした中ながら―― [国内LHC実験参加勢のとりまとめ機関]にして[加速器実験関係者らの国際的ハブ的研究機関](権威の首府たる研究機関)を相手に提訴し、[法律上の争訟]に落とし込みながら[LHC実験関係者らの欺瞞]を訴求しようとのことまでなしていた。ただただ[訴求の一材料]にするため「だけ」に提訴なしたそうした訴訟(国内初であるとのLHC関連訴訟)からして周囲の反応を見る限り「まったくもって無為なるもの」に終わったとの節もある ――逃げ惑う臆病者や「どうしてか」不快なる迷惑電話などにて足を引っ張ってきた、筆者のような人間が[そこに存在していて欲しくはない]とのスタンスを明示してきた宗教団体関係者などにただただいらつかさせられ続けただけに終わったとの節もある―― わけだが)。

 さて、常識的な人間の観点では ―たとえそれが有害なだけの希望的観測でも― そういう見立てがなされようとのもの、

「1980年にて[極微ブラックホールが加速器(使用熱核融合プラント)にて数百万個生成される][生成されたブラックホールについて[ホーキング輻射]を言い訳に安全性の強弁がなされた]との内容を有している小説 Thrice Upon a Time(邦題)『未来からのホットライン』が世に出されている([事実E])との件については小説家にアイディアを提供したような一部物理学者などがいたのではないか。その者たちが[なにがしかのこと]を先覚的に考える余地があったからこその小説作品の先覚性なのではないか?」

との見立てが否定される(否定「されてしまう」とした方がより適切な言いようともとらえるが)ようになっているとのことに通ずる論拠をここ出典(Source)紹介の部5にて一部挙げておくこととする。

 それについてはこここれに至るまで原文引用をなしてきた(出典(Source)紹介の部1出典(Source)紹介の部2[出典(Source)紹介の部3]にて原文引用をなしてきた)とのオンライン上にての流通文書、

THE BLACK HOLE CASE: THE INJUNCTION AGAINST THE END OF THE WORLDと題されての英文文書] (検索エンジン上での表記英文タイトル入力で文書(発信媒体)特定・ダウンロード可能となっている英文論稿。同論稿はその作成者が[法学者] (法務博士の資格をハーバード・ロースクールで取得したうえでノースダコタ大学ロースクール助教( Assistant Professor )の立ち位置にあるとの Eric Johnsonという人物) となっているとの[LHC実験差し止め請求動向「解説」論稿]となり、 TENNESSEE LAW REVIEW[テネシー法学紀要]に掲載のものが現時arXiv(コーネル大運用の論稿配布サーバー)経由で誰でもダウンロード可能となっているとの文書でもある)

に見る主流筋の科学者申しようにまつわる記述内容を引いておくこととする。

(直下、案件解説論稿 THE BLACK HOLE CASE: THE INJUNCTION AGAINST THE END OF THE WORLDにてのの831と振られた頁よりの引用をなすとして)

In 2000, a physicist named Francesco Calogero carefully ventured some of his own thoughts on the matter. A theoretician with the University of Roma.La Sapienza, Calogero had previously served as Secretary General of the Pugwash Conferences on Science and Human Affairs and accepted the 1995 Nobel Peace Prize on behalf of the Conference.105 In his paper, Calogero criticized the findings of experts on the issues of RHIC safety, pointing to bias, a lack of scientific objectivity, and an overarching preoccupation with the public relations consequences of what is said.106 Specifically, Calogero wrote that the reports on RHIC safety issues occasionally gave him “the impression that they are biased towards allaying fears ‘beyond reasonable doubt.’107

(拙訳として)
「2000年、フランチェスコ・カロジェロという物理学者が(RHICリスクにまつわる件にて)問題となるところについての彼の考えのいくばくかを用心深くも思い切って呈示せんとした。ローマ・ラ・サピエンツァ大学の理論家でもあるカロジェロは従前、[科学と人類的問題の分野にてのパグウォッシュ会議]にて書記長との役割を務めあげ、会議を代表して1995年ノーベル平和賞を授与している人物となる(訳注として:1995年に組織体としてのパグウォッシュ会議 ――アイシュタインとバートランド・ラッセルを発起人に全世界の科学者が核兵器廃絶のために団結したとの国際会議―― と共にノーベル平和賞を受賞したのは元マンハッタン計画参画者たるポーランド出身の英国人物理学者ジョセフ・ロートブラッドであると広く知られているが、フランチェスコ・カロジェロもその折に共にノーベル平和賞を授与されている)。彼、カロジェロはRHIC安全性に関する問題にあっての専門家らの結論(findings)をバイアスがかかったものである、科学的客観性が担保されていない、広報との絡みでの何よりもの優先事をその発言の結果としているとの批判をなした(訳注:要するに自分達に都合の良いように安全であるとの主張を偏向したかたちでなしている、との言いようである)。際立ったところとして、カロジェロはRHIC安全問題に関わるレポートらは度々、[合理的疑いを超える恐怖]( ‘beyond reasonable doubt.’とは訴訟関連の用語で[挙証責任の関係上「合理的疑いを超えるところ」を罰すること]を指す)を和らげんとする方向へとバイアスがかかっているものだとの心証を彼に与えたと書いている」

(訳を付しての引用部はここまでとする)

 以上内容を引いた上で述べるが、上に見るフランチェスコ・カロジェロ ―身内であるはずの加速器実験機関(の発表文書)にも厳正にあたるとのスタンスを明示していることが上引用部に記載されているイタリア物理学会の重鎮― についてはその言論動向として同じくもの法学者論稿に次のような記載がなされているところである。

(直下、案件解説論稿 THE BLACK HOLE CASE: THE INJUNCTION AGAINST THE END OF THE WORLDにての838とノンブル(ページ番号)が振られた頁よりの引用をなすとして)

Even Francesco Calogero, who expressed so much concern with regard to strangelets, was not similarly aroused with regard to black holes. Those concerns, he said, “can be allayed by simple, hence quite reliable, order of magnitude calculations, which definitely exclude any such possibility.”172

(拙訳として)
RHIC報告書で否定されていた)[ストレンジレット]に対して一廉ならぬ懸念を表していたフランチェスコ・カロジェロですら[ブラックホール]に関しては同様に眠りから覚めるが如く目を向けてはいなかったそれら懸念(ブラックホールに関する懸念)については、――カロジェロ曰くのこととし―― 「シンプルかつ極めて信頼のおける[対数スケール上の数量の比較](オーダー・オブ・マグニチュード)にて[そのような可能性は何らないと厳然と排除される]との形態にて片付けられるものである」としていた(注記番号172)」

(訳を付しての引用部はここまでとする)

 文章の引用元たる法学者論稿( THE BLACK HOLE CASE: THE INJUNCTION AGAINST THE END OF THE WORLD )では

「ノーベル平和賞を受賞している科学者団体の主催者たる斯界の泰斗たるフランチェスコ・カロジェロがストレンジレット生成リスク(仮説上の粒子ストレンジレットが生成され、そのストレンジレットによって周囲のものが同化させしめうることになりうるとのリスク)について扱った研究機関申しように苦言を呈するとの文脈で述べていた」

ことが紹介されている一方で、

「ブラックホール生成にまつわる懸念ついてはシンプルかつ極めて信頼のおける[対数スケール上の数量の比較](オーダー・オブ・マグニチュード)にて[そのような可能性は何らないと厳然と排除される]との形態にて鎮められるようなものである」

と強調していた旨が指摘されているのである(少なくとも2001年に科学界の理論動向が地殻変動を見せるまでは、である)。


[補足]として

 法学者論稿 THE BLACK HOLE CASE: THE INJUNCTION AGAINST THE END OF THE WORLDの上にての抜粋部(838と振られてのページよりの抜粋部)に見る[172と出典番号付されている箇所]から引きなおしての[確度を示すべくもの話]をなしておく。
 その点、法学者論稿抜粋部にての問題となる出典紹介部では
172. Calogero, supra note 105, at 192.
とラテン語(supra)付きで出典表記がなされている。
 すなわち、
「本書出典番号172についてはCalogeroらの手になる本書出典番号105にて紹介の文書の第192ページを参照のこと」
と表記されている。
 その部の記載を受け、同法学者解説論稿の出典表記番号105にて記載されているカロジェロ本人の手になる論考[ Might a Laboratory Experiment Destroy Planet Earth?]の内容についても紹介なしておくこととする。
 その点、
カロジェロ論稿[ Might a Laboratory Experiment Destroy Planet Earth?
に関しては ――筆者は公的手続きで同文書を引用しようとしていたとの兼ね合いでその探索をなしていたからこそ把握しているのだが―― 「それそのものの現物」とでも言える生(なま)の論稿は「現行は」無償にてオンライン経緯で入手しづらくなっているとのことがある(ただし、といった状況は変動を見る可能性もある)。
 だが、PDF化されての同論稿そのものではなく転載なしてのものとしてその内容をオンライン上にて紹介している欧文ページも存在しており(:内容確認なせるだけの向きにあっては細かくはその論稿のタイトル、 Might a Laboratory Experiment Destroy Planet Earth?  ――同論稿、1999年CERN報告書[ Will relativistic heavy-ion colliders destroy our planet? ]([出典(Source)紹介の部1]の部にて内容紹介しているところの誰でもオンライン上より容易に入手なせる流布論稿)と「どういう料簡でなのか」極めて似通ったタイトルを有しているとの論稿ともなる―― のタイトル名をCalogeroとの作者名と共に検索エンジン上で入力するなどして特定いただきたいものである)、 そうして捕捉できるところの論稿内容紹介ページ(内容をそのまま紹介しているとのページをご覧戴きたい)で公開されているとの、
(フランチェスコ・カロジェロ論稿) Might a Laboratory Experiment Destroy Planet Earth?
にあっては次の通りの記載がなされている。

(直下、フランチェスコ・カロジェロによる案件とりまとめ論稿 Might a Laboratory Experiment Destroy Planet Earth?にあっての冒頭部、Synopsis(梗概;文書大要紹介部)よりの引用をなすとして)

Recently some concerns have been raised about the possibility that a high-energy ion-ion colliding beam experiment which just began at Brookhaven National Laboratory in the United States, and a similar one that is planned to begin some years hence at CERN in Geneva, might have cataclysmic consequences, hypothetically amounting to the disappearance of planet Earth.

(拙訳として)「[米国のブルックヘブン国立加速器研究所にて開始を見た高エネルギーイオン衝突実験]及び[ジュネーブのCERNの計画開始が企図されている似たような実験]が仮説的に地球の消失につながるとする破滅的な帰結をもたらすかもしれないとの懸念がここ最近、取り沙汰され出した」

(訳を付しての引用部はここまでとする)

(さらに直下、フランチェスコ・カロジェロによる案件とりまとめ論稿 Might a Laboratory Experiment Destroy Planet Earth?よりの(上にての引用部から長き合間の部を端折っての)引用をなすとして)

Three hypothetical dangers which might emerge from these experiments have been considered:
(i) formation of a "black hole" or some other "gravitational singularity" in which surrounding matter might then "fall";
(ii) transition to another hypothetical "vacuum state", different, and lower in energy, than the vacuum state of our world (which would therefore be metastable);
(iii) formation of a stable aggregate of "strange" matter, which might initiate a transition of all surrounding matter to this new kind of matter, with the result of completely destroying planet Earth (such a phenomenon would entail a great liberation of energy; hence, if it were to unfold quickly, it would result in a Supernova-like explosion).
The first ("gravitational") concern can be allayed by simple, hence quite reliable, order-of-magnitude calculations, that definitely exclude any such possibility.

(拙訳として)
「これら実験から生じうるところとして仮説的なる三つの危険性が顧慮されている。
i)周囲のものが落ち込むことになりうるブラックホールまたはその他の重力の特異点の形成
(ii)仮説的なる他の真空(Vacuum)の相への変異、この世界のそれと異なり、我々の世界のそれよりも低エネルギーの(それがゆえに準安定的なる)真空状態への変異
(iii)安定化したストレンジ・マターの凝集物の形成、によって、地球を完全に破壊するとの帰結を伴っての我々を取り囲むすべての物質が新しき物質への変換がもたらされる(そのような現象(ストレンジマター凝集物の生成)は膨大なエネルギーの解放を伴っており、万一、それが素早くも具現化すれば、超新星爆発としての帰結がもたらされることになる)。
 うち、最初の「重力の」懸念(訳注:ブラックホール生成にまつわるものとして(i)と振られての懸念)は「シンプルかつ極めて信頼のおける[対数スケール上の数量の比較](オーダー・オブ・マグニチュード)にて[そのような可能性は何らないと厳然と排除される]との形態にて鎮められるものである

(訳を付しての引用部はここまでとする)

 以上、内容を引いているように二〇〇〇年以降にあって「も」フランチェスコ・カロジェロ ――ノーベル平和賞をパクウォッシュ会議を代表して受賞した理論物理学者にしてイタリア物理学会の重鎮―― によって先に法学者文書より引用なしたとおりのこと、

The first ("gravitational") concern can be allayed by simple, hence quite reliable, order-of-magnitude calculations, that definitely exclude any such possibility.「ブラックホール生成にまつわる懸念はシンプルかつ極めて信頼のおける[対数スケール上の数量の比較](オーダー・オブ・マグニチュード)にて[そのような可能性は何らないと厳然と排除される]との形態にて鎮められるものである」

とのことが述べられているとのことが記録的事実・文献的事実の問題として確認できるようになっている(:尚、カロジェロの論稿 Might a laboratory experiment destroy planet Earth?が初出を見た折は二〇〇〇年と「されている」が、オンライン上に認められる同論考の内容紹介媒体では二〇〇一年三月 ―ブラックホール生成を肯定的に論じだすとのエポックメイキングな論稿([事実B]の出典紹介部でも既述となっているところのカリフォルニア大学サンタバーバラ校所属の物理学者、スティーブン・ギディングスらによる High energy colliders as black hole factories: The end of short distance physics及びスタンフォード大学のグレッグ・ランズバーグらによる Black Holes at the Large Hadron Colliderの二つの論稿)が世に出る数ヶ月前の折― が初出であるととれる記載もなされている。さらに述べておけば、同論考でもっぱら問題視されているところ、厚くも論じられているところは(無論、同論稿の内容をも細かく検討している人間として申し述べるのだが)[数百万年に一度の超新星爆発の状況などと比較されてのストレンジレット生成局面に関する研究機関申しよう](に対する物理学者カロジェロの分析)となっている)

 以上をもって[補足]とした


 ここまでの内容でもってご理解いただけたことか、と期待するが、
[「偽りなどなす必要もないし」また「偽りをなさぬように注意しての申しようをなしている節がある」科学界(物理学分野)の世界的重鎮](フランチェスコ・カルジェロ Francesco Calogero )
が、(くどくもその言動を問題視するところとして)、
「(そも、ブラックホールが生成された後のリスクはいかに「以前」の問題として)ブラックホール生成についてはシンプルかつ極めて信頼のおける[対数スケール上の数量の比較](オーダー・オブ・マグニチュード)にてそのような可能性は何らないと厳然と排除される
と ――その可能性が一転、広くも認容されることになったとの2001年に至る前のこととして―― 明言していたとのことがあるわけである。

 かくの如しで

[1980年代にブラックホール生成可能性にまつわる先覚的予測がなされて「いなかった」と解されることにまつわる論拠]

はそうした点にあって「も」見出すことができるようになっている(そして、そのことはこの身、本稿筆者が実験関係者を取材して聞いたこととも平仄が合うところとなっている)。

([事実A]から[事実D]をまとめての矛盾ありようとして呈示している[事実E]の内容を補って示すべくもの出典(Source)紹介の部5はここまでとする)


 直前まで補ってものことについて解説してきた[事実E]、その先立って呈示の内容「のみ」を振り返ってご覧頂くことだけでも惑うことなく理解いただけることか、とは思うが、ここまでの[事実A]から[事実D](及び[事実A]から[事実D]の内容をまとめて整理しての[事実E])にてその指し示しに注力なしてきたとのこととは、詰るところ、次のように図示できるところの間に横たわる矛盾関係である。


 さて、本稿本段に至るまでの流れ、

出典(Source)紹介の部1から出典(Source)紹介の部5を包摂する解説部]

で指し示してきたことよりさらに一歩進んでの話として、である。本稿筆者は次のことを非常に重要視している。

「他にもブラックホール生成問題にまつわる先覚的言及をなしている文物が存在している。そちら先覚的言及文物が[先覚性][正確性][克明さ(露骨さ)]のどの面でも群を抜いているとの異常無比なるもの、まさしくもの[[予言「的」作品]にして[克明なる告知文物]]といった形態のものとして存在しているがゆえに問題になる ――本来的には[[未知]を前提にしての予言「的」作品]と[[既知]を前提にしての克明なる告知文物]は論理的に両立するものではないわけだが、それらの要素を双方体現しているがために[異常なるもの](と定義できるもの)が際立ったかたちにて(無比なるものとのかたちにて)存在しているがゆえに問題になる―― 」

(:誤解なきように。
 上にて異常無比なる予言「的」文物があるとしているが、本稿では筆者は[神秘主義者]としての書きようをなしているのではない。
 本稿にて筆者は
[証拠]([はきと指し示せる文献的事実(記録的事実)ら]および[はきと指し示せる事実らより導きだせる自明なる因果関係])
に基づいて、

「[常識] ―述べておけば、社会でその重視・固持が求められているとの[常識]が「質的」「道義的」に正しいものとは限らない― の枠外にまで足入れするかたちにて」

ながらも何が問題になるのか、そのことが ――相応の低劣な人間がこととする印象論ではなく[事実に依拠したきちんとした方式]にて―― どう我々人間の脳髄を狙う銃座座標を示すものなのか、示そうとしているのである(そして、さらに述べれば、[変化]をこの世界にきたす以外、(それが可能・不可能かは別論点たるところとして)望ましき未来はないだろうと考えている一個の「理性」主義者としてのやりようとして上記のことの論拠を呈示しようとしているのである)

 それではこれより同じくものこと、

「他にもブラックホール生成問題にまつわる先覚的言及をなしている文物が存在している。そちら先覚的言及文物が[先覚性][正確性][克明さ(露骨さ)]のどの面でも群を抜いているとの異常無比なるもの、まさしくもの[[予言「的」作品]にして[克明なる告知文物]]といった形態のものとして存在しているがゆえに問題になる ――本来的には[[未知]を前提にしての予言「的」作品]と[[既知]を前提にしての克明なる告知文物]は論理的に両立するものではないわけだが、それらの要素を双方体現しているがために[異常なるもの](と定義できるもの)が際立ったかたちにて(無比なるものとのかたちにて)存在しているがゆえに問題になる―― 」

とのことについて ――(ここまでそれが事実たる所以を呈示の[事実A]から[事実E]に続くものとして)[事実F]から[事実I]と振って―― 典拠となるところを「まずもっての一例として」指し示していくこととする。

(尚、直下、[事実F]から[事実I]と分類して指し示さんとすることは「当然に極めて問題になる」との性質のことなのだが、国内はもとより海外でもそのことを(少なくとも他人の目につく可能性あるかたちにて)問題視している人間が「全くいない」とのことでもある。当方は問題となるキーワードを組み合わせて検索エンジン表示媒体を確認、そのプロセスを日付証跡付きで録画しているが、とにかくも、[事実F]から[事実I]の問題性を指摘する人間はこの身を除いて「地球上に」「少なくともオンライン上では」二〇一〇年の当方による問題捕捉時点から本追記部執筆時に至るまでいないこと、[記録]しているとのことである(アジア的なオーバーリアクションとしてよくも持ちだされる表現、「白髪三千丈」を用いても何ら言い過ぎではないと述べたきところとして手前が[この世界と人間のありように絶望しきった]ようなところでもある)。ちなみにこの身は ―これまた大袈裟と人は思うかもしれないが― そうした現状に気づいたとき「もうあとはない」との[覚悟]を決しきった)


(本稿筆者が非常に問題視しているところとして次のような各事実がそこにある)

[事実F]

 1974年に初出を見た極めて長きタイトルのSF小説作品として、

Adrift Just off the Islets of Langerhans:Latitude 38°54'N,Longitude77°00'13W (邦題)『北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中』

という作品が存在している。

 同作、1975年、米国の権威あるサイエンス・フィクション分野の賞として認知されているヒューゴ賞 Hugo Awardを(同賞が長編・中長編(ノベラ)・中編(ノベレット)・短編と受賞分野が語数によって分たれている中で)[中編Novelette分野]にて受賞した作品となっている 。
 その小説『北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中』は作中、
15兆電子ボルトのCEERN(CERNならぬCEERN)の粒子加速器
なるものを登場させている、とのものである。

[事実G]

 上の[事実F]にて挙げた小説『北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中』は
SF小説大賞ヒューゴ賞を受賞した作品を収めた傑作撰集](英文Wikipediaにて The Hugo Winnersとのその傑作撰集のためだけの項目が設けられているその方面 ―サイエンス・フィクションの分野に志向性ある向き― では著名な傑作選
にて

The Hole Man『ホール・マン』(という1974年初出の作品)

という作品と(原著・和訳版版双方ともに)[連続掲載]されているとの作品となる(:中編分野のヒューゴ賞受賞作品と短編分野のヒューゴ賞受賞作品が連続掲載されるようになっているとの式で(定例化してのかたちで)当該傑作撰体裁が定められているために、である)。

 ここ([事実G]に対する言及部)にて挙げている The Hole Man『ホール・マン』という小説作品は ―同文に文献的事実の問題として―
極微ブラックホールのケージ(容器)より漏れ出しての暴発を描く小説
となっている。

[事実H]

 上の[事実F]と[事実G]の摘示(容易に後追いできるとの該当部引用による摘示)によって

15兆電子ボルトのCEERN(CERNならぬCEERN)の粒子加速器を登場させている小説]([事実F]の言及部にて挙げた小説)
極微ブラックホールの暴発を描く小説]([事実G]の言及部にて挙げた小説)

が著名な米国SF賞を受賞したSF傑作選の中で(そうなるべくも定例化しての当該傑作撰体裁が定められているため)連結させられていると摘示できるようになっているわけであるが、それら小説の間には
[「配置面」([連続掲載]との配置面)以外の連結関係]
が成立しもしている。
 その点、[事実F]に対する言及部に挙げた小説 ( 『北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中』 ) の主人公は作中、ラリィ「Larry」との愛称(通称)で頻繁に呼称され、その主人公の正式の姓はローレンス(Lawrence)であるとの設定が採用されている。
 他面、[事実G]の言及部にて問題視した小説( 『ホール・マン』 )の作者たるSF作家の愛称(通称)はラリィ「Larry」であり、その正式名称はローレンス(Laurence)であるとのことが存する。


※事実「関係」について

 ここにて上の[事実F]から[事実H]を通じて述べられることを表記する。

[15兆電子ボルトのCEERN(CERNならぬCEERN)の粒子加速器を登場させる小説]([事実F])
[極微ブラックホールの暴発を描く小説]([事実G])
が[三十三回目ヒューゴ賞中編分野受賞・短編分野受賞作品]としてSF傑作撰集の中で連続掲載されており(同[事実G])、それら連続掲載作品らには
「一方の主人公の姓およびその愛称が他方の作品の作者の姓およびその愛称と同一である」
との関係性が成立している([事実H])。
(上からして主観などを介在していないとの[事実]それ自体への言及にとどまる)
 
 以上の事実関係を踏まえてさらに指摘すれば、直下、呈示のようなこと([事実I])のようなこともまたある。


[事実I]

[事実F]の部にてその名を挙げた小説 Adrift Just off the Islets of Langerhans : Latitude 38°54'N, Longitude77°00'13W(邦題)『北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中』

[欧州の加速器運営機関(CERNならぬCEERNなどと呼称される15TeV加速器を運用する機関)のビーム照射装置でもって[自らを縮退させての極小の分身]をホログラム上に造り出した主人公がそちら分身を己の[「底無しの」「黒々とした」「渦を巻く」へそ]に落とし込み、もって、己の魂に引導を渡させるとの粗筋の作品]

「とも」なっている。


 以上の[事実F]から[事実I]が[紛れもなくもの文献的事実]である(愚人や相応の情報撹乱者でなければ生き死にに関わる問題ではそれを持ち出すことはなかろうとの[主観]が介在するような性質の話ではない)ことを示すべくもの出典紹介 ―この身申しようが疑わしいとの向きにあっては是非とも裏をとっていただきたいとの出典紹介― を[原文引用]とのかたちでこれよりなすこととする。

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直下、本稿冒頭部へのリンクを設けておく

(⇒冒頭頁へは下の部より)

[典拠紹介部第1頁 加速器実験に伴う欺瞞性から証示なせることについて]

 上にて挙げているのはドイツ浪漫主義芸術の巨匠たる18世紀画家、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(Freemasonでもあったとの画家 Caspar David Friedrich)の手になる一品、

Der Wanderer uber dem Nebelmeer雲海の上の旅人』(に多少の[動き]をアレンジとして加えたもの)

となる。

 言われようの問題として一般に、

[人間の崇高なる精神が高みを目指し、ついぞ多くの物事を達観するに至った時、その折の孤独と感慨を描いた画]

などと形容される上掲の『雲海の上の旅人』に関して(本稿でもその言行を順次・段階的に取り上げることになるとの)物理学者リサ・ランドールは[次のような申しよう]をなしている。


(直下、物理学者リサ・ランドールの手になる著作 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)にての CHAPTER THREE LIVING IN A MATERIAL WORLD[第三章 物質世界に生きる]の章の記述内容 ――オンライン上検索エンジンにあっての原文検索にて該当部特定できるところの記述内容―― よりの原文引用をなすとして)

Our universe is in many respects sublime. It prompts wonder but can be daunting ―even frightening― in its complexity.  Nonetheless, the components fit together in marvelous ways. Art,science, and religion all aim to channel people’s curiosity and enlighten us by pushing the frontiers of our understanding. They promise, in their different ways, to help transcend the narrow confines of individual experience and allow us to enter into―and comprehend―the realm of the sublime. (See Figure 11.)
          [ . . . ]
[ FIGURE 11 ] Caspar David Friedrich’s Wanderer Above the Sea of Fog (1818), an iconic painting of the sublime ― a recurring theme in art and music.

(上の原著引用部に対する[訳文]として国内流通訳書『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)ハードカヴァー版にあっての81ページに記載されているところを引くとして)

多くの点で、私たちの宇宙は崇高だ。その複雑さは好奇心を駆り立てはするが、無力感も抱かせるし、ことによっては恐怖さえも感じさせる。にもかかわらず、宇宙の構成要素は素晴らしくぴたりと絡みあっている。芸術、科学、宗教は、いずれも人々の好奇心を促して、理解の限界を広げさせ、それによって私たちを啓蒙することを目指している。いずれもそれぞれのやり方で、個人の経験の狭い領域を越えさせることを約束している。それがかなえられたとき、私たちは崇高なものの領域に踏み込む――そして理解する――ことができるのだ(図11を参照)。 …(中略)… [図11]ドイツの画家カスパー・ダーヴィド・フリードリヒの「雲海の上の旅人」は、崇高なものを象徴的に描いた作品だ。崇高さは、美術と音楽に繰り返し登場するテーマである

(以上をもって Knocking on Heaven’s Doorにての原著表記および訳書よりの引用とした)


 さて、何故、ここ脇に逸れての部にあって「目立つように」特定絵画 ― 『雲海の上の旅人』― を挙げ、その絵画に対する物理学者の評しよう ―「雲海の上の旅人」は、崇高なものを象徴的に描いた作品だ....― などを引いたりもしたのか

「それは、」
絵画『雲海の上の旅人』に対して直上引用なしたような評しようをなしているとの物理学者リサ・ランドールが

加速器によるブラックホール生成可能性にまつわるトピックの理論深化に一廉ならぬ貢献をなしているとの著名物理学者

[[崇高なるもの]を目指しての宇宙の探求(およびそのための装置と銘打たれている巨大加速器LHC)の称揚・礼讃をなしているとの向き

であるとのことがあり、また、なおかつ、彼女リサ・ランドールの手による、(絵画『雲海の上の旅人』を科学者が目指しての[崇高さ]とを結びつけている)引用元著作 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)が

人間のありよう(崇高さとはおよそ程遠いところにあるありよう)]
人間の辿る運命

を嘲笑うような[嗜虐的寓意]で満ち満ちていると申し述べられるようになっている著作であるとのことがある、遺憾ながら
[理の当然]
として申し述べられるところとしてある ――個人のせせこましい偏頗(へんぱ)な主観などとは一線を画したところで客観的かつ具体的にこれはこうでこうだと申し述べられるようになっている(出典呈示を第一義にしての本稿では無論、その論拠を事細かに挙げる)とのところとしてある―― からであり、そのことに注意を向けたかったからである(※)。

(※上にて引用元とした著作、 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)、同著にあってはその冒頭部より
September 10, 2008, marked the historic first trial run of the Large Hadron Collider (LHC). Although the name―Large Hadron Collider― is literal but uninspired, the same is not true for the science we expect it to achieve, which should prove spectacular. (表記英文引用部に対する訳として)「2008年9月10日、ラージ・ハドロン・コライダー(LHC)が歴史的始動を見た.[ラージ・ハドロン・コライダー]との名称は有り体に言ってインスピレーションを何ら与えぬとの平凡なものだが、私たちがそれ(LHC)に[証明すべきととらえている壮大なる挙]を託しているとの意では[科学(の進歩)]にとり同じくものことは真実とはならない(LHCは際立ってのインスピレーションを与えるものである)」
などとのことが書き記されている。
 そうもした書きようが目立ってもの冒頭部にてみとめられる著作ノッキン・オン・ヘブンズ・ドアにおける表題、 [天国のドアをノックする]の由来についてリサ・ランドール女史は同じくもの著作の中で次のようなことを述べてもしている。
(以下、 Knocking on Heaven’s Doorにての CHAPTER FOUR LOOKING FOR ANSWERSより引用なすところとして)
I first heard the phrase “knockin”on heaven’s door”when listening to the Bob Dylan song at his 1987 concert with the Grateful Dead in Oakland, California. Needless to say, the title of my book is intended differently than the song’s lyrics, which I still hear Dylan and Jerry Garcia singing in my head. The phrase differs from its biblical origin as well, though my title does toy with this interpretation. In Matthew, the Bible says, “Ask, and it shall be given you; seek, and ye shall find; knock, and it shall be opened unto you: For every one that asketh receiveth; and he that seeketh findeth; and to him that knocketh it shall be opened. (以上原著表記に対して訳書『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)ハードカヴァー版[第四章]103ページにての表記を引くとして) Knocking on Heaven’s Door(天の扉を叩く)]――これが本書の原題だが、私が最初にこのフレーズを聞いたのは、一九八七年、カリフォルニア州オークランドでのグレイトフル・デッドとのコンサートで、ボブ・ディランが『天国への扉』を歌うのを聞いたときだった。いまでも私の頭の中ではディランとジェリー・ガルシアがこれを歌っているのが聞こえてくるけれど、いうまでもなく、私の本のタイトルは、この曲の歌詞とは意味が違っている。このフレーズは出典である聖書の一節とも違っているが、私のタイトルはこちらの意図を拝借したものだ。聖書の「マタイ伝」には、このように書かれている。「求めよ。さらば与えられん。尋ねよ、さらば見いださん。門を叩け、さらば聞かれん。すべて求むる者は得、たづねる者は見いだし、門を叩く者には開かれるるなり
(以上、引用部とした)
 といったところ、新約聖書のマタイ伝にあっての
[求めよ。さらば与えられん。尋ねよ、さらば見いださん。門を叩け、さらば聞かれん。すべて求むる者は得、たづねる者は見いだし、門を叩く者には開かれるるなり]
とのフレーズ、それが
[天国の門]・[天国への扉]・[天国への階梯](ステアウェイ・トゥ・ヘブン)
との兼ね合いでいかように嗜虐的なる別側面での意味( Double Meaning )と共にあるのか、そのことからして具体的典拠を挙げ連ねるとの式で遺漏無くも事細かに示そうというのが本稿の本義であるとここ脇に逸れての部にあって訴求しておきたいとの意図が筆者にはある)

当サイト内にあっての【各頁および各典拠への一覧方式遷移部】、及び、【PDF形式文書配布ページ】へのリンクを直下、設けておく

各頁および各典拠への一覧方式遷移部へは以下より


問題となる「予見的言及→実現」の体系についての[典拠紹介部]一覧呈示頁

PDF形式文書配布ページへは以下より


典拠解説媒体としての[一括PDF文書]の公開頁

ここ本頁内にて[参照先]として挙げている【「容易に後追い確認なる」「堅い」ソースを呈示しての出典紹介部ら】、それぞれへの[遷移経路]を設けておく (:クリックすることでブラウザ ―インターネット閲覧ソフト― の[別タブ(別枠)]にて典拠紹介部を表示( open "additional" tabbed window(s) of web browsers ))

[出典(Source)紹介の部1](加速器のブラックホール生成リスク問題視の契機が1999年にあり、の折、実験機関はブラックホール生成可能性それ自体を否定していたとのことにまつわっての典拠紹介部1)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第2頁 1999年における加速器を巡る議論動向

[出典(Source)紹介の部2](加速器によるブラックホール生成が[現実的にありうること]と当事者実験機関および科学界にて表立って論じられ出したのが2001年であると判じられるようになっていることにまつわっての出典紹介部2)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第3頁 ブラックホール生成可能性にまつわる研究機関の変節の経緯

[出典(Source)紹介の部3](加速器のブラックホール生成問題に関し、「たとえブラックホール生成がなされても蒸発するから安全である」との論理を目立って前面に出しての実験機関公式報告書が2003年に出されていることにまつわっての典拠紹介部3)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第3頁 ブラックホール生成可能性にまつわる研究機関の変節の経緯

[出典(Source)紹介の部4](西暦2000年前後の科学界やりとりと際立って類似性を呈しての[加速器ブラックホール生成のストーリー]を扱う小説作品が「1980年に」世に出ていることにまつわっての典拠紹介部4)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第4頁 小説『未来からのホットライン』に見るブラックホール生成描写