典拠となるところの明示[19]――加速器実験に伴う欺瞞性、 そして、そこより証示
なせもすること

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ブラックホール人為生成については「新規理論登場を見るまで」プランク・エネルギーを極小領域に投下せねば実現しえぬことである、それゆえに[まったくもっての不可能事]であると看做されてきたことについて(2)

 直前頁までは

プランク・エネルギーを実現しうる加速器が建造されればそれによりブラックホールが人為生成されうる

との言われようが従前よりなされていたことを紹介し ――それはつまるところ(プランクエネルギーを実現するための加速器が超長大なものとならざるをえぬために)[太陽系と同規模のサイズの加速器]を構築せねばブラックホールは構築できないとのことで事実上、[不可能性の言明]ともなっていたわけが、とにかくも、そういう言われようが従前からなされていたとのことを紹介し――  、その流れの中で哲学者という人種にしては
「実に科学的に練れている」
著作を著する向きであるとの心証を本稿筆者が抱きもしたとの向き(ジョン・レズリー John Andrew Leslieというカナダ人哲学者)に由来するところの書籍にも同じくものことと通ずるところの言及がなされていることに言及、続いてそちらジョン・レズリー著作内容を挙げると申し述べた。

 ここ本頁ではそうもした流れを受けて哲学者ジョン・レズリーの手になる著作、著者による入念な取材のあとが窺えるとの、

THE END OF THE WORLD the science and ethics of human extinction(邦題)『世界の終焉 今ここにいることの論理』(訳書は青土社刊行/原著は1996年刊行、訳書は1998年刊行)

との著作 ――科学的知識に欠けるところがあっても人類的問題を(浅くではなく)深く、かつ、(狭くではなく)幅広くも理解したいとの欲求を持っている社会の良識派を対象にものされているとの節ある著作(加速器関連リスクだけではなく、ありうべきナノマシン暴走問題(グレイ・グーにまつわる問題)や環境問題、そして、核戦争リスク、そういった人類的リスクについて幅広くも論じているとの著作)―― よりの引用をなすことからはじめる。


| 出典(Source)紹介の部21-4 |

 本出典紹介部では THE END OF THE WORLD the science and ethics of human extinction(邦題)『世界の終焉 今ここにいることの論理』(訳書は青土社刊行/原著は1996年刊行、訳書は1998年刊行)にあっての[プランク・エネルギーを実現しうる加速器が建造されればそれによりブラックホールが人為生成されうる]とのことに通ずる部位よりの引用をなすこととする。

(直下、 THE END OF THE WORLD the science and ethics of human extinctionの邦訳版『世界の終焉 今ここにいることの論理』の19ページから20ページよりの中略なしつつもの原文引用をなすとして)

 実験室でビッグバンが作られる?物理学者はこの可能性を探ってきた。二〇キロほどの物質――あるいはそれと等価のエネルギー――を、実際にはありえないほど小さな体積に圧縮することが必要だということが広く言われているが、宇宙論学者のアンドレイ・リンネは手紙をくれて、正しい数字は一〇万分の一グラムだと教えてくれた。とはいえ、とてつもない圧縮をしなければならず、こうして工作されたビッグバンは、独自の空間へと拡大する可能性が非常に高い。できたものは、我々から見れば、小さなブラックホールのようなものになるだろう

(訳書よりの引用部はここまでとする)

(続いて、直下、 THE END OF THE WORLD the science and ethics of human extinctionの邦訳版『世界の終焉 今ここにいることの論理』の177ページから178ページ、[ビッグバン状況再演]がなされることにつき、アラン・グース Alan Guthといった物理学者らの論文内容が援用されながら[ブラックホール生成「的」状況]がもたされる可能性が言及されているとの部よりの原文引用をなすとして)

 ファーリとグースは、さらに検討すると、どんな圧縮でも十分ではないということが示されるらしいと報告する。新しいビッグバンは先行する歴史がない高密度の泡で始まらなければならず、方程式は、いかなる実験室であってもそれはできないということを示すという。それでも「十分に常識を越えたバブル幾何学」であれば、この難点を乗り越えるかもしれない。一般相対性理論を量子化すると可能になる効果がそうかもしれない。ファーリとグヴェンによる第二の論文で詳細に展開された論点である。彼らは、新しく創造されるインフーションを起こす前に「およそ一〇キロ」の質量をもつという状況では、GUT(力の大統一理論)規模でのビッグバン創成は「ありえないと言えるほど可能性が低い」と判断した
 他方、
プランク規模に近いエネルギー規模では」、
十分可能もしれない
・・・(中略)・・・
A・A・スタロビンスキーとY・B・ゼルドヴィッチはこう述べる。
 何らかの物質あるいは量子場をもち、プランク長程度の半径(10-33センチ)をもつ、密度が特徴的なプランク密度程度の閉じた宇宙で始まるのが自然である。プランクの大きさから発達するには、インフレーション段階が必要になる。
 一〇キロではなく、10-5グラムという適切な値を認めても、ここには現実の危険があるだろうか。ファーリとグースは、我々が創造する新しいビッグバンでは、「親に何の費用もかけないで」膨張する「子宇宙」の誕生になるにすぎないと述べている。「我々は自分たちが創造するかもしれない宇宙によっては滅びない」。というのも「幾何学がユークリッド的であるおかげで」、新しい宇宙はそれ自身の空間に膨張することになるからだ。我々にとってそれは小さなブラックホールのように見えるだろうただ二人の論文には、「はっきり断言はできない」とか、「可能性は排除できない」とか、「我々の議論全体は古典的な一般相対性理論の脈絡で行われている」といった気になる文言が見られる。一般相対性理論を量子化したらどんなことが我々にふりかかることになるのか、誰もわからないのだ

(訳書よりの引用部はここまでとする)

出典(Source)紹介の部21-4はここまでとする)


 上にての訳書記述に見受けられるように、


[実験室でビッグバンが作られる?物理学者はこの可能性を探ってきた。二〇キロほどの物質――あるいはそれと等価のエネルギー――を、実際にはありえないほど小さな体積に圧縮することが必要だということが広く言われているが、宇宙論学者のアンドレイ・リンネは手紙をくれて、正しい数字は一〇万分の一グラムだと教えてくれた。とはいえ、とてつもない圧縮をしなければならず、こうして工作されたビッグバンは、独自の空間へと拡大する可能性が非常に高い。できたものは、我々から見れば、小さなブラックホールのようなものになるだろう]

[ファーリとグヴェンによる第二の論文で詳細に展開された論点である。彼らは、新しく創造されるインフーションを起こす前に「およそ一〇キロ」の質量をもつという状況では、GUT(力の大統一理論)規模でのビッグバン創成は「ありえないと言えるほど可能性が低い」と判断した。他方、「プランク規模に近いエネルギー規模では」、十分可能もしれない


とのことが「1996年」初出著作たる THE END OF THE WORLD the science and ethics of human extinctionにて表記されているとのことがある(前段の引用部の方で[ビッグバンの再現状況がブラックホールと親和性が高い]とのことが述べられているわけであるが、ここでの話との兼ね合いで意をなしてくるのは続く引用部にての[プランク・エネルギー Planck Energyについての言及をなしている箇所]である)。

 問題なのはそうしたブラックホール近似の状況、宇宙生誕直後の状況 ―プランク・エネルギー規模のエネルギー(先に既述のように45リットルガソリンで車を駆動させ続けるに多少増すところがあるといったレベルのエネルギー)の超極微領域への投入による宇宙生誕の再現― がいかようにして問題視されだしたか、それが本稿にて取り上げてきた前言文物に影響を与えていると言えるか、それによって、不可解なる先覚的言及に対する説明がつくか、である(※)。


(※[プラズマ加速器]というものにまつわる補足として

 直近原文引用をなしたところの訳書『世界の終焉 今ここにいることの論理』にてはそのp.153にて

(原文引用するところとして)
プランク規模のエネルギーとは、おおまかに言って1019乗GeVで、これはハットとリーズが宇宙線の衝突で放出されることがあるとした1011ないし1012GeVの一〇〇〇万倍ないし一億倍である。しかし、一〇年で一〇倍というのが続けば、1011GeVとのエネルギーは、2100年よりはるかに手前で得られることになる。すでに「プラズマ粒子加速器」という、粒子を加速する場――たぶん「脈動波」と呼ばれる急速に移動する干渉模様を生み出す二つのレーザー光線によって生み出される場――が今日の加速器の場よりも何千倍も強力になると提唱している人々がいる
(引用部はここまでとする)

とのことが記載されている(同引用部に見るハットとリーズという人名は本稿にての出典(Source)紹介の部12で「加速器リスクに対して[宇宙線にまつわる安全性検討手法]を案出したのは自分達である」と同男手ずから述べているとの典拠を挙げもした物理学者マーティン・リース ――後に長じて王立協会の会長―― および同マーティン・リースの同僚ピート・ハットのことを指す)。

 上にて引いての書籍内記載は主には(本稿の先立っての段にて問題視したところの)[真空の相転移]リスクという以前から取り上げられていた加速器関連リスクを話柄にしての話の流れの中で記述されているとのものなのだが、加速器によるブラックホール生成「近似」の状況を[宇宙の再現]とのかたちで取り上げもしている、それも[将来ありうべき人類規模のリスク]に関わる問題として取り上げもしているとの1996年初出の書籍 THE END OF THE WORLD the science and ethics of human extinctionにての同じくものことへの言及背景には

[未踏技術としての[プラズマ加速器](現行加速器より何千倍も強力な加速器たりうるもの)]

に見る技術革新が実現され、それによって[人間の手の届く加速器にて膨大なエネルギーの極微領域投入が観念されるとの予測]が1996年時点であったからだと解されるようになっている)


 その点、

「プランク・エネルギーの実現となると[太陽系サイズの加速器]が問題となるような本来的には遠未来の話であり、現行の人間に実現できるものではない」

として扱われてきた(と出典に依拠して細々と解説してきた)わけだが、その一方で、

「(現行にては未達のLHC最大出力14兆電子ボルトに「極めて」近しいものとしての)15兆電子ボルト ――プランク・エネルギーより遙かに低いエネルギーであるテラ・エレクトロン・ボルト―― の加速器を登場させてブラックホール生成への言及をなしているが如く小説『北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中』には尋常ならざる奇怪性が伴う」

との従前取り上げもしてきたとのことがある (:先にも述べているとおり、問題なのは(理論の地殻変動によって[その程度のエネルギー規模]「でも」ブラックホール生成がなされうるとここ10数年で考えられるようになったとの)[予見小説に見る15兆電子ボルト](15×160.2nJ「ナノ」ジュール)と(従前、そこまで実現しないとブラックホール生成はないだろうとされていた)[プランク・エネルギー](先に既述のように一単位で1.956GJ「ギガ」ジュール)には差分がありすぎる、既述のように[ナノ・ジュール・スケールの蚊が飛ぶエネルギーの領域の話]と[ギガ・ジュール・スケールのガソリンタンクで車を走らせ続けるに相当するエネルギーの領域の話]では差分がありすぎるとのことである。その差分がことブラックホール生成可能性との点に関して既述の[余剰次元理論](ADDモデル)が登場を見た1998年以降の理論展開にて意味を失うとされるに至ったとのことがあり、そうしたブラックホール人為生成のハードルを圧倒的に下げることになったとの「最近の」理論的帰結そのものを1974年にて予言して指し示すような小説 ―『北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中』― が存在するから[ただごとではない]とのことになるわけである)。
 
 同じくものこと、70年代前半に兆単位電子ボルトでブラックホール生成の可能性をちらつかせていた小説があるとのことについてより深く掘り下げ、問題視したいと思う。

 につき、直近引用の著作 THE END OF THE WORLD the science and ethics of human extinction原著には無論、出典が付されており、そこからして、すなわち、出典として記載されている当該問題に関する論文の内容からしてこの身は確認している。
 
 そうした確認対象としての資料内容に基づき、


(再引用なすとして)

実験室でビッグバンが作られる?物理学者はこの可能性を探ってきた。二〇キロほどの物質――あるいはそれと等価のエネルギー――を、実際にはありえないほど小さな体積に圧縮することが必要だということが広く言われているが、宇宙論学者のアンドレイ・リンネは手紙をくれて、正しい数字は一〇万分の一グラムだと教えてくれた。とはいえ、とてつもない圧縮をしなければならず、こうして工作されたビッグバンは、独自の空間へと拡大する可能性が非常に高い。できたものは、我々から見れば、小さなブラックホールのようなものになるだろう

[ファーリとグヴェンによる第二の論文で詳細に展開された論点である。彼らは、新しく創造されるインフーションを起こす前に「およそ一〇キロ」の質量をもつという状況では、GUT(力の大統一理論)規模でのビッグバン創成は「ありえないと言えるほど可能性が低い」と判断した他方、「プランク規模に近いエネルギー規模では」、十分可能もしれない


との1996年初出の書籍 THE END OF THE WORLD the science and ethics of human extinction(邦題)『世界の終焉 今ここにいることの論理』内の記述との絡みで「理論の登場の時期的側面について」どういうことが述べられるのか考えてみるべきであるととらえている。
 
 その点、まずもって「次の1990年初出の論文 ――そちら内容をここまで引用してきた書籍 THE END OF THE WORLD the science and ethics of human extinctionに出典として紹介されているとの論文―― 」の内容を問題視すべきであるととらえている。

IS IT POSSIBLE TO CREATE A UNIVERSE IN THE LABORATORY BY QUANTUM TUNNELING? (『量子トンネル効果によって実験室にて宇宙をつくることは可能か』とでも訳すべき論文 ――同論文、表記の論文タイトルのグーグル検索エンジン上での入力でオンライン上で誰でも現時、PDFファイル版を特定・ダウンロードできるようになっているとの論文―― となり、また、学術誌掲載年次・掲載頁は Nuclear Physics B339 (1990) 417-490と掲載されているものとなる/著者らは往時にてマサチューセッツ工科大学所属の Edward FARHIおよび Alan H. GUTHとなる論文でもある)

 それでは「門外漢ながら」検証したうえで問題となるととらえた表記論文の内容を直下、引くこととする。


| 出典(Source)紹介の部21-5 |

 プランク・エネルギーを極小領域で人為的に恣(ほしいまま)にするとのことによってどういうリスクが観念されると判じられてきたのか、1990年にあってみとめられる専門家思索 ――[人間の再現しうる宇宙開闢(類似の状況)]について考察しているとの論稿に見る思索―― をここに取り上げることとする。

(直下、論文 IS IT POSSIBLE TO CREATE A UNIVERSE IN THE LABORATORY BY QUANTUM TUNNELING?冒頭頁冒頭部よりの抜粋をなすとして)

We explore the possibility that a new universe can be created by producing a small bubble of false vacuum. The initial bubble is small enough to be produced without an initial singularity, but classically it could not become a universe - instead it would reach a maximum radius and then collapse .

(上記抜粋部に対する拙訳として)
我々は偽の真空の小さきバブル(泡)を形成することで新たな宇宙が形成されうる可能性を模索している。[宇宙最初のバブル]は[宇宙最初の重力の特異点]なしに生成されるほど十二分に小さなものではない。しかし、それは古典的観点より見て、宇宙にはなりえぬもので、代わって、最大半径に到達しそれより崩壊する」

(訳を付しての引用部はここまでとする)

(続いて直下、表記の論文 IS IT POSSIBLE TO CREATE A UNIVERSE IN THE LABORATORY BY QUANTUM TUNNELING?『量子トンネル効果によって実験室にて宇宙をつくることは可能か』のConclusionsの部、472と振られた頁よりの抜粋をなすとして)

The inflationary universe model proposes that our universe grew from a tiny inflating region of false vacuum. We know, however, that the laws of classical general relativity imply that a bubble that grows large enough to become a new universe cannot be produced without an initial singularity. In this paper we have asked whether this requirement can be avoided by quantum tunneling. Unfortunately we do not have a definitive answer to this question, but we have obtained an expression for the tunneling amplitude that seems highly plausible, and we conjecture that it is a valid approximation . Thus, we are suggesting that quantum effects can very likely avoid the implications of the classical singularity theorems, and that the laws of physics as we know them permit in principle the creation of a new universe by human initiative.

(上記抜粋部に対する拙訳として)
「インフレーション宇宙モデルは我々の宇宙が[微少ながら膨張してきたとの偽の真空の領域]より成長したとのことを提案する。我々はしかしながら、古典的な一般相対性理論より導き出される法則らが新たな宇宙になるのに十分なる大きさに成長するバブル(泡)は[最初の特異点]なくして生成されえないことを知っている。 本論文では我々はこの要請が[トンネル効果]によって避けられるとのことがありうるかどうか問うとのことをなした。不幸なことに我々はこの問いに明確なる回答を与えることができなかったが、[かなりありうる]との按配にてのトンネル効果振幅にまつわる表現式を得ることができ、そして、これが適切妥当なる概算であろうと推察なすに至った。このように我々は量子効果が古典的な特異点理論の示唆するところを極めてありうべくも回避することを提案し、そして、我々がそれにつき知るところの物理学法則が人間のイニシアチブによる新たな宇宙の創造の原理的に許すものであることを提案するものである

(訳を付しての引用部はここまでとする)

(さらに続けて直下、表記の論文 IS IT POSSIBLE TO CREATE A UNIVERSE IN THE LABORATORY BY QUANTUM TUNNELING?『量子トンネル効果によって実験室にて宇宙をつくることは可能か』のConclusionsの部、475と振られた頁よりの抜粋をなすとして)

Even with this small probability, however, there might still be a large probability of an event of this sort occurring somewhere in a universe that has undergone a large amount of inflation. Thus, the possibility of a chain reaction by which one universe produces more than one universe is not obviously ruled out by this estimate . On the other hand, if we are talking about human-made universes, then a probability this small must be considered equivalent to zero. Thus the production of a universe at the GUT scale seems prohibitively unlikely, but it might be possible at energy scales approaching the Planck scale.

(上記抜粋部に対する拙訳として)
「小さき可能性しかない中、膨張の過多なることを経験している宇宙にあってのいずこかにてこの種のことが生じているとの可能性は依然として少なからずあるかもしれない。このように我々の宇宙が一個以上の宇宙を生成することに由来するチェーン・リアクション(連鎖反応)の可能性は明らかにこの推察からは排除されるものではない。他面、我々が[人間の手による宇宙(の創造)]について考える限り、この小さき可能性はゼロに等しきものとして考えられなければならない。このような大統一理論(GUT)スケールでの宇宙の生成は途方もなくありえないことに見えるが、プランク・スケールに迫るとのエネルギー領域ならばありうるかもしれない

(訳を付しての引用部はここまでとする)

出典(Source)紹介の部21-5はここまでとする)


  以上、出典(Source)紹介の部21-5と振っての部で取り上げた1990年にて学術誌に掲載された物理学者ら論文の内容から申し述べられることは、(和訳部にて付した下線部を基点にしてその通りの内容を有しているのか確認いただきたいところだが)、

「[最初の特異点](というもの)なくして[膨張する泡](なるもの)としての宇宙を形作るものとはなりえない」
「[最初の特異点]なくして宇宙を形作るものとはなりえないが、トンネル効果(というもの)の問題をそこにては考えるべきである」
「望ましくなきチェーン・リアクションの原因になることはありうるが、人間の作り出しうる宇宙に関してはプランク・エネルギー( planck energy )を実現しなければ、そうしたことが起こりうるとは可能性ゼロの按配に近しくも考えられない」

との趣旨の記載がなされていることである(その程度のことならば、相応の英語読解力を有した人間ならば、表記抜粋の引用部と照合することで容易に確認できる([科学言語]の問題ではなく[文献的事実]という自然言語の問題として容易に確認できる)ことか、と思われる)。

 また、さらに遡るところで問題視されるところとして以上のような論文(1990年初出の論稿 IS IT POSSIBLE TO CREATE A UNIVERSE IN THE LABORATORY BY QUANTUM TUNNELING?)の著者らと同じくもの面々が「1987年にて

AN OBSTACLE TO CREATING A UNIVERSE IN THE LABORATORY

との論稿 ――そちらもまたここまで問題としてきた書籍 THE END OF THE WORLD the science and ethics of human extinctionに出典として紹介されているとの論文である―― を出しているとのことがある(:同論稿、『ラボラトリーで宇宙を造ることに伴う障害』とでも訳せよう同論稿にあっても表記の英文タイトル入力でもってグーグル検索エンジンを動かすことで誰でも入手できるPDF版をオンライン上にて特定できるようになっている。また、さらに述べておけば、同論稿の発表時の掲載元は学術誌 PHYSICS LETTERS B(核物理学・高エネルギー物理学分野の学術誌)の Volume 183, number 2となる)。

 そちら論稿 、問題としてきたイギリス人哲学者ジョン・レズリーの手になる著作 THE END OF THE WORLD the science and ethics of human extinction(邦題)『世界の終焉 今ここにいることの論理』に出典として紹介されているとの AN OBSTACLE TO CREATING A UNIVERSE IN THE LABORATORYの内容も下に引いておく。


| 出典(Source)紹介の部21-5(2) |

 次いで、1987年にあってみとめられる専門家思索のありよう ――直上、出典(Source)紹介の部21-5にて論稿 IS IT POSSIBLE TO CREATE A UNIVERSE IN THE LABORATORY BY QUANTUM TUNNELING?『量子トンネル効果によって実験室にて宇宙をつくることは可能か』(1990)にあってのその申しようを引いた,(インフレーション理論の提唱者として知られる)アラン・グース Alan Guthら専門家の思索のありよう―― についてここに取り上げることとする。

(直下、オンライン上よりPDF形式版もダウンロード可能なところの AN OBSTACLE TO CREATING A UNIVERSE IN THE LABORATORYの左下の部に150と振られた頁よりの抜粋をなすとして)

To an observer in the true vacuum region the bubble wall is always inside the Schwarzschild horizon, and the newly created universe appears as a black hole. Only the earliest stages of the bubble evolution are in principle observable.
Taking these known solutions as a guide, it seems that the creation of a universe is necessarily associated with the production of a black hole. This, however, does not in principle present an insurmountable obstacle. Ordinary materials (e.g. stars) can collapse to form black holes, and it is possible at least to conceive of a laboratory setup that would produce a black hole.
However, there is one feature of the known solutions that must be avoided if we are to imagine creating a child universe - all of the solutions for which the bubble grows without limit have the property that the bubble is associated with an initial singularity, as in fig. 1. This singularity is a spacelike boundary to the manifold, where any past directed geodesic which intersects it terminates. Such a singularity cannot conceivably be produced in the laboratory, since it has no prior history whatever.
In the standard big bang model one hypothesizes that the universe originated from such an initial singularity, but we do not know of any initial singularities available in the universe today. (The black hole created in association with the child universe also has a final singularity -i.e., a boundary resulting in the termination of future directed geodesics. This singularity does not trouble us, however, since singularities of this type can be created by the collapse of ordinary matter.)
We would therefore like to know whether it is possible to avoid the initial singularity.

(拙訳として)
観察者にとり[真の真空]の領域にての泡の壁は常にシュヴァルツシルト半径の中に位置しており、そして、あらたに生成された宇宙はブラックホールとして立ち現れる。泡の成長過程の最も初期の過程のみが原理的には観測可能となる
 案内板として知られる既知のこれら解法を取れば、
宇宙の創造は必ずブラックホールの生成と関連付けさせられている]。
 これはしかしながら、原理上、克服できぬ障害とはならない。
 一般の物質(たとえば、恒星)はブラックホールを形成すべくも重力崩壊しえ
実験室設備についてもブラックホールを生成するとのことは少なくとも考える限り可能ではある]。
 しかしながら、我々が子宇宙を創造することを想起するとできるのだとすれば、避けられねばならぬとの既知の解法らのひとつの要素がある、すなわち、泡(バブル)らが際限もなく成長する解法のすべては泡が図1にて示されるような[最初の特異点](イニシャル・シンギュラリティ)と結びついているとの属性を持っているとのことがそうである
 この[特異点]は[それと交わるいかな測地上の過去も終わりを迎える、との多様体に対する空間形状の境界]である。そのような特異点はそれがいかな前史をも持たぬがため、考えられるところ、実験室で生成されるような類のものではない
 標準的ビッグバンモデルにてはそのような[最初の特異点]より宇宙は生じたのだと仮説設定するものなのだが、我々は今日の宇宙にてそうした[最初の特異点]らはいかなるものでも手の届くものとして存在しているとのことを知らない(子宇宙と結びついて生まれいずるブラックホールは[最後の特異点](ファイナル・シンギュラリティ)、換言すれば、未来に向けての測地線を向いた終点にて結実する境界線を持つ。この[特異点]の方はしかしながら、一般的な物質の崩壊にても生成されるとのものだから、我々を煩わされるようなものではない)。
 従って我々は[最初の特異点]を避けることが可能かどうかを知りたい

(訳を付しての引用部はここまでとする)

出典(Source)紹介の部21-5(2)はここまでとする)


 表記の抜粋部「それのみ」から問題視できるところとして、「1987年からして、」

[宇宙の創造はブラックホール生成と結びつけられるようなことだが、(ラボラトリーでの実験実施にあたり)克服できぬ障害とはならない。粒子加速器によって子宇宙の創造がなされうると考えた際にブラックホールを形成する重力崩壊が引き起こされうるとのことを考える限りは可能だが、[原初の特異点]のようなものは実験室で造られない。子宇宙とともに生まれいずるブラックホールは[終期の特異点]を持つが、[原初の特異点]のようなものではなく、我々を煩わせるようなものではない]

とのことが物理学者らにて述べられているとのことである(:気がかりとなるところは二点ほどである。一点目は[「1987年から」子宇宙の創造との過程でブラックホールが生成されるとされ、それが加速器実験と結びつけられているような節があること]であり、二点目は[ブラックホールの現実的生成の可能性については「煩わされるようなものではない」との申しようがなされたうえでそれを顧慮しないような申しようがなされ、[原初の特異点]と結びつく[際限なく成長する泡の生成](先に既述の[真空の相転移]のことであろう)ばかりに目を向けるとの申しようがなされているとのこと]である。そこから「本当に、」1998年の新規理論登場以降、それも2001年の理論展開を見るまでブラックホール生成が加速器で生成「されない」と断言されきったことにすら疑義を差しはさみたくなるようなことになるわけだが、科学界および権威らが一丸となって主張するところでは「まさしくもそういう論調が採用されている」ところとして「プランク・エネルギーを実現できるようなものでなければそうした業(ブラックホールの生成)は不可能である」との申しようが前面に押し出されてきたとのことがある(本稿にての[出典(Source)紹介の部5]、[出典(Source)紹介の部5]、[出典(Source)紹介の部21]、[出典(Source)紹介の部21-2]を参照されたい))。

 以上、(出典(Source)紹介の部21-5および出典(Source)紹介の部21-5(2)と銘打って)内容抜粋してきた論稿ら、 Edward FARHIおよび Alan H. GUTHら(アラン・グースの方はインフレーション理論の提唱者の一人として著名な学者となっている)の手になる、

IS IT POSSIBLE TO CREATE A UNIVERSE IN THE LABORATORY BY QUANTUM TUNNELING?(1990)

AN OBSTACLE TO CREATING A UNIVERSE IN THE LABORATORY(1987)

が直近言及の問題となる書籍、1996年からして加速器機関によるブラックホール生成が今後ありうべき展開からありうるのではないかと表記しているとの書籍たる THE END OF THE WORLD the science and ethics of human extinction『世界の終焉 今ここにいることの論理』(訳書は青土社によって1998年に刊行)にあって認められる、


実験室でビッグバンが作られる?物理学者はこの可能性を探ってきた。二〇キロほどの物質――あるいはそれと等価のエネルギー――を、実際にはありえないほど小さな体積に圧縮することが必要だということが広く言われているが、宇宙論学者のアンドレイ・リンネは手紙をくれて、正しい数字は一〇万分の一グラムだと教えてくれた。とはいえ、とてつもない圧縮をしなければならず、こうして工作されたビッグバンは、独自の空間へと拡大する可能性が非常に高いできたものは、我々から見れば、小さなブラックホールのようなものになるだろう

[ファーリとグヴェンによる第二の論文で詳細に展開された論点である。彼らは、新しく創造されるインフーションを起こす前に「およそ一〇キロ」の質量をもつという状況では、GUT(力の大統一理論)規模でのビッグバン創成は「ありえないと言えるほど可能性が低い」と判断した他方、「プランク規模に近いエネルギー規模では」、十分可能もしれない


との記述内容(出典(Source)紹介の部21-4にそのままに認められる記述内容)の背景にある資料(出典)であると判じられるようになっている。

 さて、ここで本稿筆者が問題視しているのは
[以下のような相関関係]
に認められるところから、
問題となる1974年の小説の先覚性
が部分的にでも説明がつくか否かという問題である


1987年の学術誌掲載論文に見る主流派物理学者ら ――インフレーション理論の提唱者として知られるアラン・グースら―― の物言い(出典(Source)紹介の部21-5(2)にて引用のところ)

「既知のこれら解法を取れば、
[宇宙の創造は必ずブラックホールの生成と関連付けさせられている]。
 これはしかしながら、原理上、克服できぬ障害とはならない。
 一般の物質(たとえば、恒星)はブラックホールを形成すべくも重力崩壊を呈しえ、
[実験室設備についてもブラックホールを生成するとのことは少なくとも考える限り可能ではある]。
 しかしながら、我々が子宇宙を創造することを想起するとできるのだとすれば、避けられねばならぬとの既知の解法らのひとつの要素がある、すなわち、泡(バブル)らが際限もなく成長する解法のすべては泡が図1にて示されるような[最初の特異点](イニシャル・シンギュラリティ)と結びついているとの属性を持っているとのことがそうである。
 この[特異点]は[それと交わるいかな測地上の過去も終わりを迎える、との多様体に対する空間形状の境界]である。そのような特異点はそれがいかな前史をも持たぬがため、考えられるところ、実験室で生成されるような類のものではない。
 標準的ビッグバンモデルにてはそのような[最初の特異点]より宇宙は生じたのだと仮説設定するものなのだが、我々は今日の宇宙にてそうした[最初の特異点]らはいかなるものでも手の届くものとして存在しているとのことを知らない(子宇宙と結びついて生まれいずるブラックホールは[最後の特異点](ファイナル・シンギュラリティ)、換言すれば、未来に向けての測地線を向いた終点にて結実する境界線を持つ。この[特異点]の方はしかしながら、一般的な物質の崩壊にても生成されるとのものだから、我々を煩わされるようなものではない)」

1990年の学術誌掲載論文に見る「同じくもの」主流派物理学者らの物言い(出典(Source)紹介の部21-5にて引用のところ)

「小さき可能性しかない中、膨張の過多なることを経験している宇宙にあってのいずこかにてこの種のことが生じているとの可能性は依然として少なからずあるかもしれない。このように我々の宇宙が一個以上の宇宙を生成することに由来するチェーン・リアクション(連鎖反応)の可能性は明らかにこの推察からは排除されるものではない。他面、我々が[人間の手による宇宙(の創造)]について考える限り、この小さき可能性はゼロに等しきものとして考えられなければならないこのような大統一理論(GUT)スケールでの宇宙の生成は途方もなくありえないことに見えるが、プランク・スケールに迫るとのエネルギー領域ならばありうるかもしれない

2002年科学読み本に見る物言い(出典(Source)紹介の部21-2にて紹介のところ)

(直下、英国物理学者ポール・ディヴィス著の科学読み本『タイムマシンをつくろう!』(草思社)のp.120より「再度の」原文引用するところとして)

従来の電磁気技術では、プランク・エネルギーは太陽系に匹敵するぐらい巨大な加速器を建造しないと獲得できないが、まったく新しい加速器技術が開発されれば、はるかにコンパクトな装置を用いて非常に高いエネルギーを得ることができるかもしれないのだ。またいくつかの理論によれば、空間の大規模な改変はプランク・エネルギーよりもずっと低いエネルギーで実現できるかもしれず、技術的にも見通しがつけられる可能性があるという。もし重力をほどほどのエネルギーで操作できれば、これまでにのべたような途方もない圧縮や加速を必要とせずにワームホールを作ることができるだろう」(:以上引用部に見る[空間の大規模な改変をプランク・エネルギーよりも遙かに低いエネルギーで許しワームホール構築を可能ならめる「いくつかの」理論]とは1998年に初出のADDモデル(先述の余剰次元理論)、そして、その改変種のRSモデル(後述)のことを指す)


 以上の言辞を複合顧慮することでも、

1980年代より「プランク・エネルギーを顧慮すると、」と主張されるかたちにてブラックホール生成と加速器が結びつけられていた ――先にも述べたように科学界の公式発表上では「加速器(手の届く範囲の加速器)でブラックホール生成はなしえない、とのことに「なっている」―― との節があるが、それは否定が先にあってのこと、殊にプランク・エネルギーを具にしての否定が先にあってのことになっている、と見受けられるところである(ただし、科学界が一丸となって欺瞞をなしている可能性も否定はしない)。
 そして、それがゆえに、

[1974年初出の小説が ――プランク・エネルギーより遙かに僅少なものであったはずの兆単位の電子ボルトの一極集中によってブラックホール生成がなされるかもしれないとの流れにつながった―― 余剰次元理論登場「前に」CEERNの15兆電子ボルト加速器でブラックホール生成を臭わせていた]

ことの奇怪性は否定できるとのものではない

との物言いが至当であろう、と考えられるようになっている (:その点、仮に科学界の[欺瞞]との観点で奇怪性が否定できる可能性が残置すると無理に考えても「他の要素からあまりにも危険である」とのことに変わりはないとのことをこれよりさらに述べていくのが本稿とはなるのだが、とにかくものこととして、である ―※― )。


※多少、専門的な話を取り扱っての注記として

 1998年のADDモデル(余剰次元理論)の登場後、プランク・エネルギーを基礎にしての質量(Mpで表されるプランク・マスことプランク質量)からブラックホールの生成を従前とは別立てに考える思潮が出てきたとのことがある(:手前に関しては国内で欺瞞に非を鳴らすべくものLHC関連裁判(既述のように長期化しての中、泥沼・無為の領域に落とし込まれた節ある裁判)を実験機関相手にやっていた人間としてそういうこと「にも」裁判完遂に必要なレベルでは詳しくなっているとの背景がある)。

 先に[事実C]と付してのことにまつわる出典紹介の段にて

[ブラックホール生成が2003年の研究機関報告書(CERN報告書)より従前、ありえないとされていたところが一転、ありうることと看做されて表記なされだしたこと]

とのことがあると紹介している(出典(Source)紹介の部3と振っての箇所がその長くもの複数文書よりの原文引用兼解説部となる)。

 それにつき「2003年の」研究機関報告書(CERN報告書)よりの「再」引用を直下なすと、

([ STUDY OF POTENTIALLY DANGEROUS EVENTS DURING HEAVY-ION COLLISIONS AT THE LHC ](2003年CERN報告書)にあっては同文書の下に2と振られたページよりの再度の引用として)

The second question we address is the possibility of creating dangerous objects associated with gravitational interactions. A similar question was also discussed in the RHIC report with the conclusion, expected by ordinary dimensional analysis, that such gravitational effects are suppressed by inverse powers of the Planck mass Mp and are, therefore, negligible. Recently, however, there have been suggestions that Mp is not the right parameter to use in the analysis because it does not determine the fundamental scale of the theory. These models contain extra compact space dimensions [4], whose size may be much larger than Mp-1, in fact as large as the inverse of a few TeV.

(拙訳として)
「我々(抜粋元文書 STUDY OF POTENTIALLY DANGEROUS EVENTS DURING HEAVY-ION COLLISIONS AT THE LHCの執筆陣たる案件検討に関わったCERN関係者ら)が的を絞ったところの第二の疑問は[重力相互作用に関わる危険な物体ら]( dangerous objects associated with gravitational interactions )が生み出される可能性である。同様の疑問については[RHICにまつわる報告書]にあって議論されており、その議論は 
そのような重力における効果はプランク質量(Mp)の反対の力らによって抑えられるところであり、従って、無視できるものである
との[一般的な次元にまつわる解析]によって期待されるところの結論を伴ったものであった。
 しかしながら、今回にあっては、
Mp(プランク質量)はそれが理論にあっての基礎的基準を決定しえないとのことで分析にて使用すべき適切なパラメーターにならない
との提案が存在している。
 それら(理論上の)モデルは[プランク質量の逆数(Mpのマイナス1乗)より大きいかもしれない、実際に数TeV(テラエレクトロンボルト;兆単位の電子ボルト)の逆数( the inverse of a few TeV )と同じくらいのサイズかもしれない「余剰の」小さくまとめられた空間次元]のことを含意するものである

(訳を付しての引用部はここまでとする)

 普通の門外漢から見れば、上の研究機関発表資料(CERN発表資料)、何を書いているのか、理解できないようなものであろうとも思われるのだが(見れば、一目瞭然のことか、とは思う)、同資料の同じくもの引用部、

「[従前のプランク質量(というもの)にまつわる理解、テラエレクトロンボルトを遙かに凌駕する規模でのプランク質量]が[余剰次元にまつわる新規理論]のために意味をなさなくなったために、プランク質量を基礎にして算出していたブラックホール生成の必要条件(ハードル)が従前よりも緩くなった

とのことを書いているとのものとなる。

 にまつわっての具体的な数値例としては

Mp ~ 1019GeV (プランク質量は[10の19乗]×10億電子ボルトである)]

とのところが

Mp down to ~1 TeV(プランク質量は1兆電子ボルトまでダウンして見るべきものである)]

とあいなったため(プランク・スケールのハードルが余剰次元のために低くなった)、ブラックホール生成が可能になったなどとの申しようがなされているわけである(:「ブラックホールの質量( BH Mass )がプランク質量Mpを凌駕することになるため、ブラックホールが生成されることになるといった見立てが呈されるに至った」との言いようの資料も読み手が情報収集に貪欲ならば特定できようか、とも思う)。

 については、インターネット上より容易に確認できるところのPDF資料にあっては、

Black Holes, Extra Dimensions & the LHC

というタイトルのプレゼンテーション資料(表記の文書タイトル名をグーグル検索エンジン上で入力すれば特定できようとのものでバーミンガム大にての高エネルギー物理学(HEP;ハイ・エナジー・フィジックス)関連のセミナー HEP Seminar - University of Birminghamに供されたロンドン大の関係者の手によって作成の資料)
にてのp.3の末尾に見る、

Mp ~ 1019 GeV (⇒ hierarchy problem)「プランク質量(Mp)は10の19乗ギガ・エレクトロン・ボルトより(階層性問題)」

との記述および同資料の Extra Dimensions & The Planck Scale([余剰次元とプランク・スケール])と付されてのセクションにあってのp.12の末尾に見る、

Perhaps we can bring Mp down to~1 TeV「多分、我々はプランク質量(Mp)を1兆電子ボルトの領域に落として見ることができる」

との記述からまずもっての文書的裏付けを得ることができる ――読み手が当該問題について精査した場合、TeV領域をしてプランク・スケールと表する論文に出会うことも多かろうか、と思うが、その背景にはここにて述べているようなことがあると解されるようになっている―― )

(以上をもって専門的な話に分け入っての注記の部とした)


 ここまで書き進めてきたところで、である。「本題たる指し示しに入る前にいまひとつ申し述べておくべくことである」との問題意識の程を明示し、そして、頁をまたいでの少なからずの紙幅を割きもして取り扱ってきたとの、

[プランク・エネルギーを実現しえなければ、加速器によるブラックホール人為生成はなされないとの申しようが従前よりなされてきたとのことにまつわる補足の部]

を終えることとしたい。

(「長くもなって、」のプランク・エネルギーについての補足部をここまでとする)


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直下、本稿冒頭部へのリンクを設けておく

(⇒冒頭頁へは下の部より)

[典拠紹介部第1頁 加速器実験に伴う欺瞞性から証示なせることについて]

 上にて挙げているのはドイツ浪漫主義芸術の巨匠たる18世紀画家、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(Freemasonでもあったとの画家 Caspar David Friedrich)の手になる一品、

Der Wanderer uber dem Nebelmeer雲海の上の旅人』(に多少の[動き]をアレンジとして加えたもの)

となる。

 言われようの問題として一般に、

[人間の崇高なる精神が高みを目指し、ついぞ多くの物事を達観するに至った時、その折の孤独と感慨を描いた画]

などと形容される上掲の『雲海の上の旅人』に関して(本稿でもその言行を順次・段階的に取り上げることになるとの)物理学者リサ・ランドールは[次のような申しよう]をなしている。


(直下、物理学者リサ・ランドールの手になる著作 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)にての CHAPTER THREE LIVING IN A MATERIAL WORLD[第三章 物質世界に生きる]の章の記述内容 ――オンライン上検索エンジンにあっての原文検索にて該当部特定できるところの記述内容―― よりの原文引用をなすとして)

Our universe is in many respects sublime. It prompts wonder but can be daunting ―even frightening― in its complexity.  Nonetheless, the components fit together in marvelous ways. Art,science, and religion all aim to channel people’s curiosity and enlighten us by pushing the frontiers of our understanding. They promise, in their different ways, to help transcend the narrow confines of individual experience and allow us to enter into―and comprehend―the realm of the sublime. (See Figure 11.)
          [ . . . ]
[ FIGURE 11 ] Caspar David Friedrich’s Wanderer Above the Sea of Fog (1818), an iconic painting of the sublime ― a recurring theme in art and music.

(上の原著引用部に対する[訳文]として国内流通訳書『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)ハードカヴァー版にあっての81ページに記載されているところを引くとして)

多くの点で、私たちの宇宙は崇高だ。その複雑さは好奇心を駆り立てはするが、無力感も抱かせるし、ことによっては恐怖さえも感じさせる。にもかかわらず、宇宙の構成要素は素晴らしくぴたりと絡みあっている。芸術、科学、宗教は、いずれも人々の好奇心を促して、理解の限界を広げさせ、それによって私たちを啓蒙することを目指している。いずれもそれぞれのやり方で、個人の経験の狭い領域を越えさせることを約束している。それがかなえられたとき、私たちは崇高なものの領域に踏み込む――そして理解する――ことができるのだ(図11を参照)。 …(中略)… [図11]ドイツの画家カスパー・ダーヴィド・フリードリヒの「雲海の上の旅人」は、崇高なものを象徴的に描いた作品だ。崇高さは、美術と音楽に繰り返し登場するテーマである

(以上をもって Knocking on Heaven’s Doorにての原著表記および訳書よりの引用とした)


 さて、何故、ここ脇に逸れての部にあって「目立つように」特定絵画 ― 『雲海の上の旅人』― を挙げ、その絵画に対する物理学者の評しよう ―「雲海の上の旅人」は、崇高なものを象徴的に描いた作品だ....― などを引いたりもしたのか

「それは、」
絵画『雲海の上の旅人』に対して直上引用なしたような評しようをなしているとの物理学者リサ・ランドールが

加速器によるブラックホール生成可能性にまつわるトピックの理論深化に一廉ならぬ貢献をなしているとの著名物理学者

[[崇高なるもの]を目指しての宇宙の探求(およびそのための装置と銘打たれている巨大加速器LHC)の称揚・礼讃をなしているとの向き

であるとのことがあり、また、なおかつ、彼女リサ・ランドールの手による、(絵画『雲海の上の旅人』を科学者が目指しての[崇高さ]とを結びつけている)引用元著作 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)が

人間のありよう(崇高さとはおよそ程遠いところにあるありよう)]
人間の辿る運命

を嘲笑うような[嗜虐的寓意]で満ち満ちていると申し述べられるようになっている著作であるとのことがある、遺憾ながら
[理の当然]
として申し述べられるところとしてある ――個人のせせこましい偏頗(へんぱ)な主観などとは一線を画したところで客観的かつ具体的にこれはこうでこうだと申し述べられるようになっている(出典呈示を第一義にしての本稿では無論、その論拠を事細かに挙げる)とのところとしてある―― からであり、そのことに注意を向けたかったからである(※)。

(※上にて引用元とした著作、 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)、同著にあってはその冒頭部より
September 10, 2008, marked the historic first trial run of the Large Hadron Collider (LHC). Although the name―Large Hadron Collider― is literal but uninspired, the same is not true for the science we expect it to achieve, which should prove spectacular. (表記英文引用部に対する訳として)「2008年9月10日、ラージ・ハドロン・コライダー(LHC)が歴史的始動を見た.[ラージ・ハドロン・コライダー]との名称は有り体に言ってインスピレーションを何ら与えぬとの平凡なものだが、私たちがそれ(LHC)に[証明すべきととらえている壮大なる挙]を託しているとの意では[科学(の進歩)]にとり同じくものことは真実とはならない(LHCは際立ってのインスピレーションを与えるものである)」
などとのことが書き記されている。
 そうもした書きようが目立ってもの冒頭部にてみとめられる著作ノッキン・オン・ヘブンズ・ドアにおける表題、 [天国のドアをノックする]の由来についてリサ・ランドール女史は同じくもの著作の中で次のようなことを述べてもしている。
(以下、 Knocking on Heaven’s Doorにての CHAPTER FOUR LOOKING FOR ANSWERSより引用なすところとして)
I first heard the phrase “knockin”on heaven’s door”when listening to the Bob Dylan song at his 1987 concert with the Grateful Dead in Oakland, California. Needless to say, the title of my book is intended differently than the song’s lyrics, which I still hear Dylan and Jerry Garcia singing in my head. The phrase differs from its biblical origin as well, though my title does toy with this interpretation. In Matthew, the Bible says, “Ask, and it shall be given you; seek, and ye shall find; knock, and it shall be opened unto you: For every one that asketh receiveth; and he that seeketh findeth; and to him that knocketh it shall be opened. (以上原著表記に対して訳書『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)ハードカヴァー版[第四章]103ページにての表記を引くとして) Knocking on Heaven’s Door(天の扉を叩く)]――これが本書の原題だが、私が最初にこのフレーズを聞いたのは、一九八七年、カリフォルニア州オークランドでのグレイトフル・デッドとのコンサートで、ボブ・ディランが『天国への扉』を歌うのを聞いたときだった。いまでも私の頭の中ではディランとジェリー・ガルシアがこれを歌っているのが聞こえてくるけれど、いうまでもなく、私の本のタイトルは、この曲の歌詞とは意味が違っている。このフレーズは出典である聖書の一節とも違っているが、私のタイトルはこちらの意図を拝借したものだ。聖書の「マタイ伝」には、このように書かれている。「求めよ。さらば与えられん。尋ねよ、さらば見いださん。門を叩け、さらば聞かれん。すべて求むる者は得、たづねる者は見いだし、門を叩く者には開かれるるなり
(以上、引用部とした)
 といったところ、新約聖書のマタイ伝にあっての
[求めよ。さらば与えられん。尋ねよ、さらば見いださん。門を叩け、さらば聞かれん。すべて求むる者は得、たづねる者は見いだし、門を叩く者には開かれるるなり]
とのフレーズ、それが
[天国の門]・[天国への扉]・[天国への階梯](ステアウェイ・トゥ・ヘブン)
との兼ね合いでいかように嗜虐的なる別側面での意味( Double Meaning )と共にあるのか、そのことからして具体的典拠を挙げ連ねるとの式で遺漏無くも事細かに示そうというのが本稿の本義であるとここ脇に逸れての部にあって訴求しておきたいとの意図が筆者にはある)

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