典拠となるところの明示[18]――加速器実験に伴う欺瞞性、 そして、そこより証示
なせもすること

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ブラックホール人為生成については「新規理論登場を見るまで」プランク・エネルギーを極小領域に投下せねば実現しえぬことである、それゆえに[まったくもっての不可能事]であると看做されてきたことについて

 本稿ではここまでの数頁を割いて
[「本稿にての主題をなすところに入る前にまずもって」強調・明示しておきたいところである]
とし、次のことを微に入り細に穿ち説明してきた。

第一。
「[本稿で問題視したいこと]は[物理学者ら理論にあっての欠陥性]を指摘するなどということには毛頭ない。そういうこと、物理学者ら理論にあっての欠陥性を摘示するとの資格も能力も筆者にはない(などと述べると心得違いをなしている向きは『この者が摘示事物に確証・自信を抱いていないからそうもしたことを言うのだろう』などと誤解するかもしれないが、そうではない)。 専門家らの理論の適否を論ずることなどせずとも、それでも、[実験](と世間的には明示されている営為)に伴う問題となることは「容易に」摘示できるようになっているし、第三者でもそのことは確認できるようになっている。そのことの把握を求め、その先にあることの意味を問うのが本稿の趣意である」

第二。
「本稿では[他の人間に誤解されるようなこと]を敢えても指摘しているが、といったことにしても[きちんとした論拠](属人的目分量の問題から離れもしてそこに確として存在しているとの論拠)に基づいているとのことを厳選・取捨選択して取り上げている。それが果たして本当なのか、本稿が真剣なる顧慮に値するもの、そう、[具体的行動の指針となして然るべきようなもの]とのレベルで真剣なる顧慮に値するものなのかとの観点にて読み手に切に確認いただきたいと考えている」

 以上二点のことを説明し終えた ――の過程にあっては(表記第一の点に関わるところとして)海外LHC差し止め訴訟にあって見受けられる[科学理論の適否を殊更に取り上げることに起因する問題性]を当該の訴訟資料そのものを挙げながら摘示するといった筆の運びをなす、(表記第二の点に関わるところとして)文献的記録としてどういう奇態なることが現実に具現化しているのかとのことを科学史・書誌にまつわる情報に依拠しつつ解説するとの筆の運びをなす、などとの入り組んだ式をとるとのかたちとなってしまっていたのではあるも、とにかくも説明し終えた―― うえでものこととして、である。 
 まさしくものここ本段に至った段階にあって「も」まだもって本題(としての指し示し)に入らずに[先駆けて摘示しておく必要がある]ととらえていることがある。すなわち、[本稿内容に全体として関わることになる]との意で重きをなしてくる、そうもした[補足しておくべきこと]があるとのことでまずもってそちらの解説からなしたいとのことがある。

 具体的には、

[プランク・エネルギーというものにまつわる「一般的な」科学者ら物言いにまつわる補足]

を(科学に疎い門外漢にも分かるような式で)なす必要があると判じたとのことがあるのでそちら解説を以降なしていきたき次第である(「直下」にて頁をまたいでの補足部となりもする[プランク・エネルギーにまつわる補足部]に入ることとする)。


[プランク・エナジー領域]とのものにまつわる「長くもなって、」の補足として

 つい先立っての段にて

[ブラックホールやワームホールへ[潮汐力]や[放射]に耐えうる[文明再建の種子]としてのナノマシンを投下するとの未来技術予測]

[ホログラム原理とブラックホールの関連性を論ずる後々の理論動向]

とのまさにそれら絡みのところで

[それがなせるとは思えなかった折にての先覚的な言及をなしているとの側面]

が(露骨に、とでも言えようなかたちで)70年代小説 Adrift Just off the Islets of Langerhans:Latitude 38°54'N,Longitude 77°00'13W『北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中』には伴っていると論じてきた。

 そうもした先に詳述なしてきた奇怪な先覚性に関わるところとして、

[問題となる70年代小説 Adrift Just off the Islets of Langerhans:Latitude 38°54'N,Longitude 77°00'13W『北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中』の最も重要なるところの「ブラックホール生成問題にまつわる」先覚性とプランク・エネルギー領域の実現によるブラックホール生成トピックの関係性]

について解説することからここでの話をはじめる。

 さて、本稿の先の段でも取り上げた2005年に原著刊行を見ている書籍、

Parallel Worlds; A Journey Through Creation,Higher Dimensions and the Future of the Cosmos(邦題『パラレルワールド ――11次元の宇宙から超空間へ』)

にあっては

「ワームホールによって別宇宙間航行をなす前提として[プランク・エネルギー](という領域のエネルギー)を利用するための超巨大な加速器を建造することが必要とされる」

との可能性論についての言及「も」が見受けられる(下の出典紹介部を参照されたい)。


| 出典(Source)紹介の部21 |

 ここ出典(Source)紹介の部21では先行する流れの中でそちら内容を問題視してきたとの米国人物理学者ミチオ・カクの手になる科学関連著作 Parallel Worlds; A Journey Through Creation,Higher Dimensions and the Future of the Cosmos(邦題は日本放送出版協会(現NHK出版)から刊行されての『パラレルワールド ――11次元の宇宙から超空間へ』)にあって
[(ワームホールやブラックホール生成の前提として)プランク・エネルギーを実現する超巨大なる加速器が必要とされる]
とのことに通ずる表記がなされていることを紹介する。

(直下、同著邦訳版『パラレルワールド ――11次元の宇宙から超空間へ』のp.392からp.393より原文引用をなすとして)

「タイプIII文明の場合、太陽系サイズの粒子加速器が作れる可能性がある。先進文明は、素粒子のビームを宇宙に発射してプランクエネルギーまで加速できると考えられるのだ。・・・(中略)・・・二本のビームを、片方は太陽系を時計回りに、もう片方は反時計回りにめぐらせてもいいこの二本が衝突すると、物質/反物質の衝突でプランクエネルギーに至るエネルギーを生成するだろう

(引用部はここまでとしておく  ―※― )

(※以上をもってして訳書よりの引用となしたが、(検索エンジンにての下記長文テキストの入力などを通じ)「オンライン上よりその通りの記載がなされている、すなわち、[文献的事実]であるとのことを確認できるところの」原著 Parallel Worlds; A Journey Through Creation,Higher Dimensions and the Future of the Cosmos原文内該当表記部もここでは引用しておく。(以下、原著 CHAPTER ELEVEN Escaping the Universeの節よりの引用として) But for a type III civilization, the possibility opens up of making an atom smasher the size of a solar system or even a star system. It is conceivable that an advanced civilization might fire a beam of subatomic particles into outer space and accelerate them to the Planck energy.とのものとなる)

 上に見る Planck energyとは Planck unitsことプランク単位、物理事象の最小の単位たるプランク領域の系にて作用するエネルギーなどと表されるものだが、ジュール換算すると1.956GJ(ギガ・ジュール)、すなわち
45リットルのガソリン(にて車を走らせる)エネルギーに若干増さる程度のエネルギー
になるとされているものとなる(※)。

(※上の点については和文ウィキペディア[エネルギーの比較]項目にて現行、
[1.6GJ(ギガジュール):45リットル(平均の燃料タンクの容量)のガソリンのエネルギー]
[1.956GJ(ギガジュール):プランク・エネルギー]

と表記されていることから確認なせるところとなっている。
 尚、英文Wikpedia[ Orders of magnitude (energy) ]項目にもほぼ同文のこととして
2.0x109J : Energy of an ordinary 61 liter gasoline tank of a car[およそ[2×10の9乗]ジュール⇒通常の車の[61リットル]ガソリンタンクのエネルギー
2.0x109J : Planck energy, the unit of energy in Planck units[およそ[2×10の9乗]ジュール⇒プランク単位にてのエネルギー、プランク・エナジー]
とのことが表記されている(ちなみに「現行にあっては」日英ウィキペディアそれぞれでガソリンのジュール換算のエネルギー量が異なるような格好となっている ――計算上、間尺が合わない―― とのことがあるようだが(計算してみると分かるであろう)、ここではそういった細かいことは割愛する)。
 ここで本稿の後にての内容に多少なりとも関わることであるから書いておくが、(上にて表記のように)プランク・エネルギーが
[45リットルガソリンで車を駆動させ続けるに相当するエネルギー]
であるのに対してLHCのような加速器の重心系衝突エネルギーたるテラ・エレクトロン・ボルト(兆単位の電子ボルト)はたかだか
[蚊が飛ぶエネルギーに相当するもの]
にすぎないとされている(先立っての段でも若干、にまつわってのことにつき筆を割いたことである)。
 その点、兆単位の電子ボルトが蚊の飛ぶエネルギーにすぎぬとのことについては同じくも和文ウィキペディア[エネルギーの比較]項目にて
160.2nJ(ナノジュール),(1TeV):飛んでいる蚊のエネルギー]
と表記され、英文Wikpedia[ Orders of magnitude (energy) ]項目にて
1.6×10-7J(およそ1.6×10のマイナス七乗) : 1 TeV (teraelectronvolt), about the kinetic energy of a flying mosquito
との表記がなされているところである。
 につき、ラージハドロンコライダー(LHC)とは
蚊の飛ぶエネルギー(1TeVこと1兆電子ボルト)を膨大な電力を食う磁石群を用いて[蚊の1兆分の1の領域]に投入する
ことを想定しての装置となっている。
 本稿の先の段、出典(Source)紹介の部10にても同じくものの引用をなしたところではあるが『宇宙創造の一瞬をつくる CERNと究極の加速器の挑戦』(早川書房)という書籍、その国内にて流通しているハードカヴァー版の27ページより以下、再度の引用をなすとして
LHCを最大レベルで運転すると、陽子は加速しつづけて光速(秒速二九万九七九二・四五八キロ)の九九・九九九九九九一パーセントという想像を絶するスピードに到達する。このときLHCはエネルギーレベルで一四TeV(テラ電子ボルト)で運転される。一TeVは蚊の飛ぶエネルギーに近く、ごく小さな値に思えるが、それがきわめて高密度になる。LHCは陽子二個の体積、つまり蚊の一兆分の一の空間の中にこのエネルギーを詰め込むのだ。体積あたりのエネルギーとして、これまでに達成された値をはるかにしのぐレベルだ。この超高エネルギー領域で、今まで物理学者の頭の中にしかなかった新粒子や新規現象が現われると考えられている
(再度の引用部はここまでとしておく)
と表記されているようなかたちにて、である)

 上の図にては
[兆単位の電子ボルト ――ひとつの電子を動かすエネルギーが一電子ボルトとしてそれが兆単位に及んでのもの(teraelectronvolt)―― ]
とて蚊の運動エネルギーに等しいにすぎないとのことが科学の世界の一般教養として知られることを示すものである。
 対して、
[プランク・エネルギー]
であるが、上の[兆単位の電子ボルト(テラエレクトロン・ボルト])が蚊の飛ぶエネルギーであるの等しいものである(ジュール換算でナノ単位のもの)であるのに対して、そちら(プランク・エナジー)は
ガソリンタンクで車を走り続けさせるのに等しいエネルギー
とのことになり、テラ・エレクトロン単位と雲泥の差どころのものではないエネルギーの単位となる(おおよそアバウトにして[10のマイナス6乗]と[10の7乗]の間に拡がる差分に近しいところであると指摘出来る)。
 ここでそのようなことをわざわざ解説しているのは無論にして蘊蓄の類を傾けたい(他から嫌われたい)とのためではない。
 従前、
[プランク・エナジー級のエネルギーを極小領域に投入しなければブラックホールの人為生成など無理であると考えられていた(計算上、そうしたことが述べられる素地があった)とのことがあった中でここつい最近(1998年)になって余剰次元理論( ADD Model )というものが提唱され、それがゆえの理論動向の変遷から2001年よりLHCでも大量のブラックホール ――即時に蒸発する無害なブラックホールとなり、その生成・発見は科学の進歩にむしろ資するなどと関係者が力弁するとのもの―― がテラエレクトロンボルト領域で生成されうると想定されることになったとの経緯がある]
とのことを強調、かつ、そうした経緯と何ら間尺が合わぬ先覚的言及がなされているとのことがある、そのことを視覚的に問題視したいがゆえに上記のような図を挙げもしているのである。その旨、ご理解いただきたい次第である(尚、そうも述べたうえででもさも小難しい話をなしているように勘違いされる向きもあるかもしれないが、そうではない先述しもしているようにここ本稿にて筆者が問題視しているのは科学理論の適否 ――筆者を含め門外漢が(出歯亀的異常者とのレッテル貼りをされることなくしては)タッチできるようなところではないとの領域―― などではなく、誰でも、そう、高校卒業程度の標準的知性があれば、理解できるはずであろうとのこと、[言われよう変遷とそれと矛盾する別の側面の間の矛盾抵触関係]が何故そこにあるのか、ただそのことだけのことである ――それにつき、これまた再言することだが、そうした[齟齬]の問題が山とあり(どういうわけなのか誰も指摘しようとしないところとして山としてあり)、かつまた、それら齟齬に通ずる事物らが相互に純・記号論的な意味での連続関係を呈しながら(その旨の例示列挙はこれよりなしていく)、「人間など家畜として滅せる愚かな種よ」といった心根を感じさせる嗜虐性を伴ったメッセージングが浮かび上がってくるようになっているとのことがあるのを(憤激の情を抑えるのに一苦労しながら)本稿では問題視せんとしている次第「でも」ある―― )。

出典(Source)紹介の部21はここまでとする)


 上に引用なした書籍 Parallel Worlds; A Journey Through Creation,Higher Dimensions and the Future of the Cosmos『パラレルワールド ――11次元の宇宙から超空間へ』にあって言及されている、

[[プランク・エネルギー](の極微領域への強制的投入)と結びつけられ、「超」が付くほどに巨大であることが要されるとの加速器 ――太陽系ないしより巨大なる恒星系に及んでの長大さを有する加速器―― ]( But for a type III civilization, the possibility opens up of making an atom smasher the size of a solar system or even a star system.などと言及されている加速器)

は ――本書の後の段にてもそこよりの引用をなす書籍となるが―― ポール・ディヴィス( Paul Davies )という英国の権威サイドの物理学者の手になる書 How to Build a Time Machine(邦題)『タイムマシンをつくろう!』(草思社)にて「も」次のようなかたちでその特性について言及されているものとなる。


| 出典(Source)紹介の部21-2 |

 ここ出典(Source)紹介の部21-2では物理学者ポール・ディヴィス著作
How to Build a Time Machine『タイムマシンをつくろう!』
にあって
[ワームホールを生成するための圧縮には従来、プランク・エネルギーを実現する超巨大加速器が必要と目されていた]
との物言いがなされていることを紹介しておく

(直下、英国物理学者ポール・ディヴィス著の科学読み本『タイムマシンをつくろう!』(草思社)のp.120より原文引用するところとして)

従来の電磁気技術では、プランク・エネルギーは太陽系に匹敵するぐらい巨大な加速器を建造しないと獲得できないが、まったく新しい加速器技術が開発されれば、はるかにコンパクトな装置を用いて非常に高いエネルギーを得ることができるかもしれないのだ。またいくつかの理論によれば、空間の大規模な改変はプランク・エネルギーよりもずっと低いエネルギーで実現できるかもしれず、技術的にも見通しがつけられる可能性があるという。もし重力をほどほどのエネルギーで操作できれば、これまでにのべたような途方もない圧縮や加速を必要とせずにワームホールを作ることができるだろう

(引用部はここまでとする ―※― )

(※上記引用文について:原著2002年刊行の How to Build a Time Machine邦訳版『タイムマシンをつくろう!』(草思社)よりの直近引用部後半にては
「空間の時間の大規模な改変はプランク・エネルギーよりもずっと低いエネルギーで実現できるかもしれず、技術的にも見通しがつけられる可能性があるという」
と記載されているが、については、本稿の従前の段(出典(Source)紹介の部1出典(Source)紹介の部2を包摂する段)にて取り上げてきた、また、さらに後の段でも都度言及することになる、
[1998年に提唱、2001年から目立ってブラックホール人為生成可能性を肯定するに用いられだした余剰次元理論(ADDモデル)による兆単位の電子ボルトにあっての重力増大機序]
のことを指していると解される) 

出典(Source)紹介の部21-2はここまでとする)


 上に見るようにプランク・エナジーを実現するとの加速器などは[現行の技術]にて達成可能の領域に入っているものではない。

 それでは、

[太陽系サイズ(太陽それ自体の直径からして一三七万キロである.そこから述べるまでもないことだが、太陽系サイズとなるとLHCの直径と比べるまでもない人間には建設不可能な超巨大なものとなる)との加速器]

が[他宇宙・他空間への扉の類(ワームホールと呼称されるもの)の開閉]に必要なものであるとの見立てが呈されだしたのは何時頃か。

 少なくとも、

「人間には構築できるはずもない太陽系サイズの加速器というものについては、」

1997年「以前より」、そう、90年代より同じくもの超長大加速器の類がブラックホールやワームホール生成をなす手段たりうるとの思索が既にもって確実になされていたと判じられるようになっている(:まさしくもの太陽系サイズの超巨大加速器 ―他宇宙に侵出するための加速器― を登場させている小説 ―後述のグレッグ・イーガン著『ディアスポラ』― が1997年には既に世に出ているといったことからも同じくものこと、判じられるようになっている)。

 その点、90年代から太陽系サイズの加速器が(カー・ブラックホールやワームホールといったものを生成、時空間の改変を約するとの)[相応のもの]として言及されていたとのことについては

「プランク・エネルギーのことなどが(「不可解な」予見描写をなしていると解される理由について詳述なしてきたとの)70年代小説『北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中』の作中設定構築に影響を与えた可能性はありうるのか」

とのことが顧慮すべきところとなるのだが、1970年代にまで遡ると(後述するところとして「80年代はいざ知らず」1970年代にまで遡ると)、そういうこと、
[プランク・エネルギーを実現すれば、時空の穴が開けられる]
ということが「早くも」述べられていたのか、ということについては(謙遜などなさずに)「寡聞にしてではない」との領域に至るまで取材なしつつもの目の色を変えての探査活動で煮詰めんとして北筆者とて聞き及ばないとのことがある(:そも、[15兆電子ボルト]という件(くだん)の小説に見る円形加速器(LHCにあまりにも近似していること先述してきたところの70年代フィクションに見る加速器)の出力はプランク・エネルギー実現をなすものでは「ない」。そこで問題になっているのはプランク・エネルギーに遠く及ばないものながらも「ここ最近になって」ブラックホールを生成しうると「つい最近になって」新規理論登場に応じて考えられるようになった兆単位電子ボルト(TeVスケール)、マクロ・スケールでは「蚊の飛ぶ」エネルギーにすぎないとされること、何度も何度も申し述べてきたテラ・エレクトロン・ボルト領域である)。

 同じくもの点については、そう、プランク・エネルギー・クラスの加速器を実現すれば、時空に穴が開けられるとの物言いがなされることになったとの点についてはどんなに遡っても
「1980年代」
以前には遡れないと考えられ、そうした状況にて[1997年]にグレッグ・イーガンという小説家の作品、『ディアスポラ』という作品の時点にて[長炉]と呼称されての[超文明によるワームホール生成のための宇宙規模の超巨大加速器]が登場させられるようになったというのが筆者がその通りであろうと判ずるに至った(現行にての)見立てである。

 につき、上にて言及の『ディアスポラ』という小説作品(ワームホールを開くためのプランク・エネルギー領域の加速器を登場させる作品)をものしたグレッグ・イーガンという作家がブラックホール関連の理論を研究している物理学者から著作版元を介し、ないし、自身の取材活動の中で直に意見聴取したか、あまり知られておらぬ論考あるいはその紹介をなしている科学雑誌記事を分析・参照して以下、引用なすこととした小説『ディアスポラ』の粗筋を考案したとしか(常識的な範疇では)考えられないようになっている。


| 出典(Source)紹介の部21-3 |

 直上にて言及の小説『ディアスポラ』については直にその内容をお読みいただき、いかな内容の小説なのか、ご確認いただきたいものでもあるが、 ここ出典(Source)紹介の部21-3では Greg Eganの手になる同小説作品の原著DIASPORAよりさしあたり問題となる部 ――ブランクエネルギーを極小領域に投下できもしようとの超巨大加速器を用いて別世界への扉を開こうとの描写がなされている部―― よりの引用をなしておく。

(直下、 Greg Egan原著DIASPORA、[ 8 SHORT CUTS ]の部よりの原文引用をなすとして)

Only primordial electron-proton wormholes offered the chance of an instant short-cut to the stars; the current experiment was using freshly created electron-positron pairs merely for the sake of having both ends of each wormhole accessible. Working exclusively with electron-proton wormholes might have been simpler in theory, but new ones with known endpoints couldn't be created at useful rate under anything less than Big Bang conditions.[ . . . ] The Forge was a giant particle accelerator, consisting of over fourteen trillion free-flying components. Each one used a small light-sail to balance the sun's slight gravitational pull and keep itself locked onto a rigid straight line 140 billion kilometers long.

(以上原著よりの引用部に対して国内書店にて幅広くも流通している訳書、早川「文庫」版『ディアスポラ』237ページから239ページより原文引用するところとして)
星々への手軽な近道(ショートカット)をあたえてくれる可能性があるのは、始原から存在する電子―陽子ワームホールだけだ。現状の実験では、各ワームホールの両端をアクセス可能にしておくだけのために、あらたに作られた電子―陽電子のペアを使っている。電子―陽電子ワームホールに限定して作業したほうが理屈の上ではかんたんなのだが、ビッグバンが起きる条件下でなければ、両端のわかっている電子―陽子ワームホールを実用になる割合であらたに作ることはできない。・・・(中略)・・・ <長炉>は十四兆以上の自由飛行する構成要素からなる、巨大な粒子加速器である。要素の各々は小さな光帆(ライト・セイル)で太陽のわずかな重力の引きのバランスを保って、千四百億キロメートルの長さにわたる精確な直線上にその位置を固定している

(原著および訳書よりの引用部はここまでとしておく)

 以上、引用なしたとの部位は星々をショート・カットにてつなげるとのワームホールを構築するために[長炉](作中、 The Forgeと呼称されるもの)と呼ばれる、

[星系サイズ(1400億キロメートル 140 billion kilometers long)で膨大な部品(14兆以上の自由飛行する要素を具備 over fourteen trillion free-flying components)を含む加速器]

が肉体を失った後、人工生命体(デジタル世界上に存在するソフトウェア生命体)となった元・人類によって建造されていることが描かれての部位である。

 同パート、ミチオ・カクの書籍 Parallel Worlds; A Journey Through Creation,Higher Dimensions and the Future of the Cosmos(訳書にての該当部は現時にてNHK出版から出されている『パラレルワールド ――11次元の宇宙から超空間へ』393頁から394頁))に認められる、

出典(Source)紹介の部21の部にて挙げたところの記載を再度引用なすとして)

But for a type III civilization, the possibility opens up of making an atom smasher the size of a solar system or even a star system. It is conceivable that an advanced civilization might fire a beam of subatomic particles into outer space and accelerate them to the Planck energy.「タイプIII文明の場合、太陽系サイズの粒子加速器が作れる可能性がある。先進文明は、素粒子のビームを宇宙に発射してプランクエネルギーまで加速できると考えられるのだ。・・・(中略)・・・二本のビームを、片方は太陽系を時計回りに、もう片方は反時計回りにめぐらせてもいいこの二本が衝突すると、物質/反物質の衝突でプランクエネルギーに近いエネルギーを生成するだろう

との Planck energy実現加速器(太陽系サイズの加速器)のことに言及しているのだと解されるところのものである(ただ、 ――原著原文の該当するセクションに仔細に目を這わせている人間として申し述べるも―― グレッグ・イーガンの小説に見る星間級の加速器についてはそれがまさしくものプランク・エネルギーを集約すべくものものと述べられるものなのか、単位表記の問題でどうなのかと見える、合算が問題になるようにも見えるなどいまひとつ模糊としているとのところもある)。

出典(Source)紹介の部21-3はここまでとする)


(さらに細々と脇に逸れて、といった按配の記述を続けるが)

 加えて述べれば、直近、そこより原文引用をなした『ディアスポラ』という小説作品は2005年に出た『パラレルワールド ――11次元の宇宙から超空間へ』にて呈示されている科学予測、先にも(出典(Source)紹介の部20の段にて)引用したところの

Because the tidal forces and radiation fields would likely be intense, future civilizations would have to carry the absolute minimum of fuel, shielding, and nutrients necessary to re-create our species on the other side of a wormhole. Using nanotechnology, it might be possible to send microscopic chains across the wormhole inside a device no wider than a cell.
「ワームホールのなかでは潮汐力や放射が猛烈になりそうなので、未来の文明は、向こう側の宇宙で再生するのに必要な燃料やシールドや養分を、最小限にして運ばなければならないだろう。そこでナノ・テクノロジーを使えば、それらを詰めた小さな鎖を細胞ほどの大きさの装置に入れて、ワームホールの向こうへ送れる可能性がある。ワームホールが非常に小さくて原子サイズだとしたら、その向こう側で全人類を再生できるだけの莫大な情報を、原子でできた長いナノチューブに詰めて送ることになるだろう」

との発想法(Idea)が既に1997年で登場していたことを示す作品でもある。

 というのもDiaspora『ディアスポラ』にあってはその後半部、最終章にあたる
20 INVARIANCE ](不変なるもの)
の章にて原著テキスト ――(先だっての段でも述べたように英文原著英文テキストをそのままに検索エンジンに入力することで現行、その通りの記述が洋書に含まれていること、[文献的事実]の問題を確認できるようになっている)―― より原文引用するところとして次の通りの記載がなされているからである。


| 出典(Source)紹介の部21-3(2) |

(直下、Diaspora『ディアスポラ』原著最終章にあたる[ 20 INVARIANCE ]よりの原文引用をなすとして)

The Handler had refused to disclose the nature of its own physical infrastructure, but it must have been operating below the femtomachine level to have penetrated the polis defenses. One line of speculation had it that the Striders had woven a computing device into the virtual wormholes of the vacuum throughout the galaxy, and the Contingency Handlers ran on empty space, permeating everything. Paolo said, "I'm dropping the seeds."

(以上原著よりの引用部に対して国内書店にて幅広くも流通している訳書、早川「文庫」版『ディアスポラ』460ページよりの原文引用も下になしておく)
対応係は自分の物理的インフラストラクチャーの特質を明かすのを拒んだが、ポリスの防御を突破したからには、フェムトマシン・レベル以下で作動しているのはまちがいない。総合的な仮説のひとつは、ストライダーは銀河じゅうの仮想真空ワームホールにコンピューティング・デバイスを織りこんでいて、偶発事態対応係はあらゆるものに浸透しながら空っぽの空間を走っているというものだった。パオロが声をかけてきた。「種子を投下する

(原著および訳書よりの引用部はここまでとする)

出典(Source)紹介の部21―3(2)はここまでとする)


 以上は宇宙に散ったソフトウェア生命体達よりなる離散集団(ディアスポラとのギリシャ語で示される母文明からの離散コミュニティ)の住まう移動式都市のうちの一が遠征の果てに行き着いた先にて

[フェムトマシン ――ナノが10のマイナス9乗スケールの単位であるのに対してフェムトとは10のマイナス15乗スケールの単位(原子核サイズの世界の領域の単位)である―― と呼称される超極微機械]

を用いて、そう、そちら超極微機械をワームホールの先の他世界に送り込んで、送った先にて干渉してくる異文明と出会ったとの旨の記載がなされているパートとなるのだが、ここにて注視しているのはワームホールの放射や潮汐力に耐えうるものとしてか、フェムトマシンをワームホール越しに投入するとのアイディアが原著1997年初出のフィクションに既に登場しており、そこに2005年の書籍『パラレルワールド』にて呈示されている科学予測と同様のものの片鱗が見受けられることである。

 につき、小説『ディアスポラ』は

[[フレッシャーズ]と呼称される地球のアトランタなどに残った肉体を伴った人間ら/[グレイズナー]と呼称される機械のそれながらも物理的実態を保持している機械化人/「完全に肉体を失い」ソフトウェア生命体と化した[ザ・シティズンズ:市民]と呼ばれる存在]

の三種族に人類の後裔が分化しているとの状況から話がはじまり、うち、三番目の[ソフトウェア生命体]を中心に話が展開していくとの小説作品なのだが、その過程で肉体をいまだに伴った人間は
[トカゲ座ガンマバースト]
と呼ばれる現象が遠宇宙にて発生し「生き残るに困難な宇宙線」が押し寄せてきたことにより(先述の三形態に人類の後裔が分化していったとの作品世界状況にあって)完全に滅亡することになったとの設定が採用され、のような作品設定の中にあって肉体人の中の一部の生き残りは死滅する前の肉体レベルの脳をスキャンされ、ナノマシンを介して[肉滅]させられ、[ソフトウェア生命体]に変化させられるといったかたちで話が進んでいく。 


(上にて言及の小説『ディアスポラ』粗筋にまつわる即時確認媒体の内容も下に引いておく)

『ディアスポラ』という小説の内容を把握している者として見て「よくまとまっている」と判じた現行の英文ウィキペディアの記載内容を引いておくこととする。

(直下、英文Wikipedia[Diaspora (novel)]項目にての Plot summaryの節よりの引用をなすとして)

Years later, the gleisner Karpal, using a gravitational-wave detector, determines that a binary neutron star system in the constellation of Lacerta has collapsed, releasing a huge burst of energy. [ . . . ] Stirred up by a paranoid Static diplomat, many fleshers suspect that Yatima and Inoshiro have come to trick or coerce them into "Introdus", or mass-migration into the polises, involving masses of virus-sized nanomachines which dismantle a human body and record the brain's information states as it is chemically converted into a crystalline computer. The gamma ray burst reaches Earth shortly after the conference, destroying the atmosphere and causing a mass extinction. The gleisners and the Coalition of Polises survive the burst, thanks to cosmic radiation hardening. Over the next few years, Yatima and other citizens and gleisners attempt to rescue any surviving fleshers from slow suffocation, starvation, or poisoning by offering to upload them into the polises.

(作中設定に対する注記を付しながらもの訳として)
「数年の後、[グレイズナー](訳注:作中における機械化人種)のカーパル(と命名されているキャラクター)が重力波探知機を用いることによってトカゲ座にある連星の中性子星の星系が崩壊し、それによって、すさまじいエネルギー爆発が生じたと結論するに至った。 
・・・(中略)・・・
 偏執的かつ保守的なる外交団に揺り動かされ、多くの[肉体人](訳注:作中にて未だ人間としての肉体を放棄せずにアトランタなどに住まっている人々)はヤチマおよびイノシロー (訳注:宇宙のポリスと呼ばれる拠点から地球にやってきた主要登場人物に数えられるソフトウェア化人種成員でトカゲ座に由来するガンマ線バーストが地球に到達し大量絶滅がもたらされることを事前警告しに地球に赴いたとの設定のキャラクターら) をして彼ら肉体人を欺き、ないしは、強要して彼ら肉体人を[イントロダス]、すなわち、[人間の肉体を放棄させ脳に保持されている情報にまつわる状況を化学物質作用下で結晶構造コンピューターに移行させるとのウィルスサイズのナノマシン群]の関与の下、[ポリス](訳注:ソフトウェア生命体らの拠点、市としてのポリス)に実態としての質量移住をなさしめんとしている者達なのであろうと(ヤチマおよびイノシローのことを)疑うに至った。 
(ヤチマおよびイノシローの両ソフトウェア生命が関わっての危機警告するための)会合が終わった後、間もなくしてガンマ線バーストが地球に到達、大気を破壊し、大量絶滅を惹起することとなった。 グレイズナーらと(ソフトウェア生命らの住まう)ポリス連合は宇宙放射に対する対策強化のおかげで存続することとなった。 その後、続く数年の間、ヤチマと他のポリス市民ら、そして、グレイズナーらは肉体人を(別の生命体形態へと)[アップロード]することで緩慢なる窒息死、飢餓による死、毒による死から彼らを救出するよう試みた」

(ここまでを補いもしての拙訳を付しての引用部とする)


 直上にて現行の英文Wikipedia[Diaspora (novel)]項目にあっての見受けられる「簡にして要を得ている」との按配の作品粗筋紹介箇所よりの抜粋をなしもしたわけだが、そこにては
[[アトランタ]などのコミュニティにて暮らす地球に残った肉体を伴った人類が絶滅に向かい、の過程で、死に行く彼らが[肉滅者]と呼ばれるソフトウェア生命体ら主導の[ナノマシンによる脳情報のコピー]によって「アップロード」される経緯]
が言及されている ――※存在論にまつわる哲学的観点では以上のような小説筋立てが馬鹿げたものに響くとのこと、すなわち、[魂のコピー]などができるのか、との問題も脳裏をよぎりはする。一部の科学者が指摘するところでは脳のどこに([記録経路でもある海馬に保持されての短期記憶]ではなくにもの)[長期記憶]が保持されているのか、ということすら我々人類には分からないとされているような中でグレッグ・イーガンの小説では[(作中にて主役となる)ソフトウェア生命体達が自らをコピーして数カ所に並列存在させることができる]といった内容、[ソフトウェア生命体は(機械の中で)人間の何十倍のサイクルで文明を加速させることができる]といった内容、[ソフトウェアがゆえに無から発生可能である]といった内容、そういう離れ業的文明のありようについてたらふく描写しているとのものとすらなっているとのことに伴う迫真性ありやなしやとの意味での問題もありもする。だが、本稿ではそういう哲学的見地と接合する非本質的なるところにまつわる問題は深く論じないこととする―― )。

 そうもした小説『ディアスポラ』に見る、

[[肉体を持った人間の[アトランタ]などのコミュニティの成員]が[ナノマシン]にて脳をスキャンされ、肉体的死を迎える中で[別のもの]に代替させられていき、結果、人間に「完全に」取って代わるとの存在となったソフトウェア生命体らが[種子]をワームホール越しに(多世界解釈における)他世界・他宇宙に送るとの発想法]

というものが

[文明再建の種子をナノマシンとしてワームホール越しに送るとの発想法]
 
と同じくものものであることにも[不気味さ]を感じさせる中(再建の種子としてのナノマシンが他所に送られるとの設定であり、その過程で[送り先の領域]が仮に[破壊・破滅]を見ないのならば、送り先の領域で何がなされうるのか、ということを指して筆者は「不気味である」と述べているのである)、本稿の後の段の内容をお読みいただければ、

[[トカゲ座のガンマ線バースト( Lac G-1⇒ Lacerta G-1⇒ Lizard G-1に由来する強烈な宇宙線)]で[アトランタAtlantaなどに残った肉体人]が死滅の道を辿る、その過程でナノマシンで肉体人の脳はスキャンされたうえで人間は[別のもの]にすべて取り替えられる]

との主たる粗筋がたかだかものサイエンフィクション( merely a science fiction)の荒唐無稽なる設定では済まされない、表層面にての設定から離れて深層面にて「いかに(他の不快な文物らの内容と合わせって)意味深いものであるか」につきご理解いただけることか、と思う(それにつき疑問符[?]をつける余地などなかろうとの話を本稿では全体として展開していく所存である)。


ある程度の見識を蔵しているとの向きを想定して作成した直上図について

 上の実にもって込み入っているとの図 ――印刷などされたうえでの検討がなされることを専らに想定しての図―― では年度順に次のことを英文にて端的に表記している。

■1974年:同年度、CEERN(CERNではない)の15TeV(15兆電子ボルト)加速器 ――今日のCERNのLHCに際立って近しいとの加速器―― を登場させる小説 Adrift Just off the Islets of Langerhans:Latitude 38°54'N,Longitude 77°00'13W『北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中』が世に出る。同小説作中では架空の実験機関CEERNを取り仕切る男によってそちらCEERNのビーム照射装置により主人公が[黒々とした渦を巻く底無しの臍(へそ)]の中へと[自身を極小化させた分身]との似姿でいざなわれるとの描写がなされる(:先覚性の問題として同小説が世に出た時期には[兆単位(TeV領域)加速器の登場可能性]のことだに専門家筋に顧慮されていなければ、また、加速器がブラックホールの類を生成するとも一切考えられていなかったとのことがある ――TeV領域加速器(兆単位電子ボルト加速器)の実現がはじめて顧慮されるようになったのは「加速器を強力なさしめる磁石の開発に繋がった超伝導技術の深化を受けてであろうところとしての」1975年以降であると先に米国フェルミ国立加速器研究所由来の公文書 Chronology:VBA (ICFA) →SSC (US-DOE)の内容を引き合いに解説を講じたことである―― 。にも関わらず、件(くだん)の小説作品は[極微ブラックホールによる惑星呑込みを描く他小説]との複合的連続関係を呈しつつ(それもまた奇怪なことであると先述なしている)、主人公の男が[ブラックホールとのアナロジーを感じさせるところ]へと兆単位の電子ボルト加速器運営機関のビーム照射でいざなわれていく様が描かれる ――ちなみに加速器のブラックホール生成問題については、である。[太陽系サイズの超長大な加速器]をもってしてプランクエネルギーを極小領域に投入するのならばいざしらず、蚊が飛ぶ程度の運動エネルギーである兆単位の電子ボルトを蚊の1兆分の1の領域に投入するとのLHCのような最新の加速器ですらブラックホール生成がなされると考えられるようになったのはここ10数年、1998年提唱の余剰次元理論を受けての新規理論展開によるところであると専門の科学者らが押しのべて発言しているところとなる(その旨、細々と解説してきたのが本稿のここまでの内容となる)。そこを70年代の表記小説は(後の[理論動向の変遷]と[LHCの登場]とのことを双方占うように)兆単位の電子ボルト加速器の運営機関を「相応の式で」登場させているとの風を感じさせるようになっている―― )。

■1981年:後のナノテクノロジーの概念の提唱につながった走査型トンネル顕微鏡( the Scanning Tunneling Microscope )が発明される。

■1986年:ナノテクロジーとの概念の流布の役割を担った科学者K・エリック・ドレクスラーによる著作 Engines of Creation: The Coming Era of Nanotechnology邦題『創造する機械』が世に出る(:ナノテクとの言葉それ自体は1974年に日本の東京理科大学に奉職する谷口紀男によって提唱されていたものの、一般に、分子アセンブリといったものと結びついたナノテク概念を深化かつ流布したのはエリック・ドレクスラーであるとナノテク史ではまとめられていること、先立っての出典(Source)紹介の部20-3にて紹介したところである)。

■1997年:[ナノテク](ナノマシン)の応用どころか、それより遙かに小さい領域で作用するフェムトマシンをワームホール ――プランク・エナジーを実現するためのものなのか、恒星系クラスの超長大な加速器にて人為構築されたとの設定のワームホール――  の先に向けて(極小さゆえに放射や潮汐力に耐えうるものとしてであろう)投入するとの粗筋の小説『ディアスポラ』が世に出る。

■2005年:本稿の先だっての段で解説しているようにワームホールやカー・ブラックホールの先に潮汐力や放射に耐えうるシールド・コーティングを施したナノマシンを送り込み、他世界にての文明再建の種子を播種するとのありうべき先進文明やりようについて論じた著作 Parallel Worlds; A Journey Through Creation, Higher Dimensions and the Future of the Cosmos『パラレルワールド ――11次元の宇宙から超空間へ』が世に出る。

 以上、ここまで解説してきた時系列上の流れを受けて申し述べるところとして
[ブラックホールやワームホールについてはその[人為生成]が仮になせると想定されえてもプランク・エネルギーの加速器が要るとの観点以上は逆立ちしても出てこなかったであろう折柄]
[そもそももってブラックホールやワームホールの先へ送りえる(放射や潮汐力に耐えうる)との分子レベルの物質変換を可能ならしめる極小機械の概念さえ煮詰められていなかった折柄]
[通過可能なワームホールのことが80年代に科学者キップ・ソーンらに煮詰められることになった(本稿にての出典(Source)紹介の部20-2を参照されたい)との折よりかなり前に遡る折柄]
である1970年代前半に
[自身の極小の分身](再建の種子たるナノマシンを意識させるようなものでもある極小の存在)

[テラエレクトロン・ボルト(ここごく最近になってブラックホール生成可能性と結びつけられるに至ったTeV領域)クラスの「あまりにもLHCに近しい」加速器(換言すれば、ここ最近になってブラックホールやワームホールの生成をなしうると理論家らが考えるに至った加速器LHCにあまりにも近しい加速器)の運営機関の助力]

によって露骨にブラックホールのアナロジーとなっていると解されるものに向けて投入するとの筋立ての小説が登場を見ていることは「奇っ怪」である。


(以上、支流からさらに分化しての細流に分け入ってとの按配になりながらもなしてきたグレッグ・イーガンの小説『ディアスポラ』にまつわる内容紹介の話から[プランク・エネルギー]の話に戻し)

 さて、

[プランク・エネルギー・クラスの加速器が実現されればブラックホールに似たものが生成されるとのこと]

に関しては[哲学者]という人種にしては
「実に科学的に練れている」
著作をものす向きであるとの心証を本稿筆者が抱きもしたとの向き(ジョン・レズリー John Andrew Leslieというカナダ人哲学者)に由来するところの書籍に「世間的に真っ当と看做されるかたちとして」言及 ―手前が把握するところとしての「初期の」プランク・エナジーによるブラックホール生成の言及の例― を見出せるとのことがある。
 
 具体的には

ジョン・A・レズリー著 THE END OF THE WORLD the science and ethics of human extinction(邦題)『世界の終焉 今ここにいることの論理』(訳書は青土社刊行/原著は1996年刊行、訳書は1998年刊行)

との著作にも ―解説不十分なところがあるため見識を有さぬ人間が同著を見た場合に1998年以前(との刊行時期)からブラックホール生成可能性が一部で取り沙汰されていたと「誤解」しかねない内容か、とも思うのだが― [プランク・エネルギー( Planck Energy )を実現する加速器](あるいは技術革新が実現されての[プラズマ加速器]なる実現未達の技術)を用いることで

ブラックホールに似た状況でのビッグバン再現状況が実現しうる」(ブラックホールそのものの生成とはされず「ブラックホールに似た」ビッグバン状況の実現しうる

との式で人類が滅ぼされることになりうるとの可能性論が(1997年のグレッグ・イーガンの『ディアスポラ』登場前の)「1996年から」唯・常識的な話柄にて言及されているとの格好となっているとのことがある。

 続いて引用するようなかたちにて、である。

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直下、本稿冒頭部へのリンクを設けておく

(⇒冒頭頁へは下の部より)

[典拠紹介部第1頁 加速器実験に伴う欺瞞性から証示なせることについて]

 上にて挙げているのはドイツ浪漫主義芸術の巨匠たる18世紀画家、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(Freemasonでもあったとの画家 Caspar David Friedrich)の手になる一品、

Der Wanderer uber dem Nebelmeer雲海の上の旅人』(に多少の[動き]をアレンジとして加えたもの)

となる。

 言われようの問題として一般に、

[人間の崇高なる精神が高みを目指し、ついぞ多くの物事を達観するに至った時、その折の孤独と感慨を描いた画]

などと形容される上掲の『雲海の上の旅人』に関して(本稿でもその言行を順次・段階的に取り上げることになるとの)物理学者リサ・ランドールは[次のような申しよう]をなしている。


(直下、物理学者リサ・ランドールの手になる著作 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)にての CHAPTER THREE LIVING IN A MATERIAL WORLD[第三章 物質世界に生きる]の章の記述内容 ――オンライン上検索エンジンにあっての原文検索にて該当部特定できるところの記述内容―― よりの原文引用をなすとして)

Our universe is in many respects sublime. It prompts wonder but can be daunting ―even frightening― in its complexity.  Nonetheless, the components fit together in marvelous ways. Art,science, and religion all aim to channel people’s curiosity and enlighten us by pushing the frontiers of our understanding. They promise, in their different ways, to help transcend the narrow confines of individual experience and allow us to enter into―and comprehend―the realm of the sublime. (See Figure 11.)
          [ . . . ]
[ FIGURE 11 ] Caspar David Friedrich’s Wanderer Above the Sea of Fog (1818), an iconic painting of the sublime ― a recurring theme in art and music.

(上の原著引用部に対する[訳文]として国内流通訳書『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)ハードカヴァー版にあっての81ページに記載されているところを引くとして)

多くの点で、私たちの宇宙は崇高だ。その複雑さは好奇心を駆り立てはするが、無力感も抱かせるし、ことによっては恐怖さえも感じさせる。にもかかわらず、宇宙の構成要素は素晴らしくぴたりと絡みあっている。芸術、科学、宗教は、いずれも人々の好奇心を促して、理解の限界を広げさせ、それによって私たちを啓蒙することを目指している。いずれもそれぞれのやり方で、個人の経験の狭い領域を越えさせることを約束している。それがかなえられたとき、私たちは崇高なものの領域に踏み込む――そして理解する――ことができるのだ(図11を参照)。 …(中略)… [図11]ドイツの画家カスパー・ダーヴィド・フリードリヒの「雲海の上の旅人」は、崇高なものを象徴的に描いた作品だ。崇高さは、美術と音楽に繰り返し登場するテーマである

(以上をもって Knocking on Heaven’s Doorにての原著表記および訳書よりの引用とした)


 さて、何故、ここ脇に逸れての部にあって「目立つように」特定絵画 ― 『雲海の上の旅人』― を挙げ、その絵画に対する物理学者の評しよう ―「雲海の上の旅人」は、崇高なものを象徴的に描いた作品だ....― などを引いたりもしたのか

「それは、」
絵画『雲海の上の旅人』に対して直上引用なしたような評しようをなしているとの物理学者リサ・ランドールが

加速器によるブラックホール生成可能性にまつわるトピックの理論深化に一廉ならぬ貢献をなしているとの著名物理学者

[[崇高なるもの]を目指しての宇宙の探求(およびそのための装置と銘打たれている巨大加速器LHC)の称揚・礼讃をなしているとの向き

であるとのことがあり、また、なおかつ、彼女リサ・ランドールの手による、(絵画『雲海の上の旅人』を科学者が目指しての[崇高さ]とを結びつけている)引用元著作 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)が

人間のありよう(崇高さとはおよそ程遠いところにあるありよう)]
人間の辿る運命

を嘲笑うような[嗜虐的寓意]で満ち満ちていると申し述べられるようになっている著作であるとのことがある、遺憾ながら
[理の当然]
として申し述べられるところとしてある ――個人のせせこましい偏頗(へんぱ)な主観などとは一線を画したところで客観的かつ具体的にこれはこうでこうだと申し述べられるようになっている(出典呈示を第一義にしての本稿では無論、その論拠を事細かに挙げる)とのところとしてある―― からであり、そのことに注意を向けたかったからである(※)。

(※上にて引用元とした著作、 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)、同著にあってはその冒頭部より
September 10, 2008, marked the historic first trial run of the Large Hadron Collider (LHC). Although the name―Large Hadron Collider― is literal but uninspired, the same is not true for the science we expect it to achieve, which should prove spectacular. (表記英文引用部に対する訳として)「2008年9月10日、ラージ・ハドロン・コライダー(LHC)が歴史的始動を見た.[ラージ・ハドロン・コライダー]との名称は有り体に言ってインスピレーションを何ら与えぬとの平凡なものだが、私たちがそれ(LHC)に[証明すべきととらえている壮大なる挙]を託しているとの意では[科学(の進歩)]にとり同じくものことは真実とはならない(LHCは際立ってのインスピレーションを与えるものである)」
などとのことが書き記されている。
 そうもした書きようが目立ってもの冒頭部にてみとめられる著作ノッキン・オン・ヘブンズ・ドアにおける表題、 [天国のドアをノックする]の由来についてリサ・ランドール女史は同じくもの著作の中で次のようなことを述べてもしている。
(以下、 Knocking on Heaven’s Doorにての CHAPTER FOUR LOOKING FOR ANSWERSより引用なすところとして)
I first heard the phrase “knockin”on heaven’s door”when listening to the Bob Dylan song at his 1987 concert with the Grateful Dead in Oakland, California. Needless to say, the title of my book is intended differently than the song’s lyrics, which I still hear Dylan and Jerry Garcia singing in my head. The phrase differs from its biblical origin as well, though my title does toy with this interpretation. In Matthew, the Bible says, “Ask, and it shall be given you; seek, and ye shall find; knock, and it shall be opened unto you: For every one that asketh receiveth; and he that seeketh findeth; and to him that knocketh it shall be opened. (以上原著表記に対して訳書『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)ハードカヴァー版[第四章]103ページにての表記を引くとして) Knocking on Heaven’s Door(天の扉を叩く)]――これが本書の原題だが、私が最初にこのフレーズを聞いたのは、一九八七年、カリフォルニア州オークランドでのグレイトフル・デッドとのコンサートで、ボブ・ディランが『天国への扉』を歌うのを聞いたときだった。いまでも私の頭の中ではディランとジェリー・ガルシアがこれを歌っているのが聞こえてくるけれど、いうまでもなく、私の本のタイトルは、この曲の歌詞とは意味が違っている。このフレーズは出典である聖書の一節とも違っているが、私のタイトルはこちらの意図を拝借したものだ。聖書の「マタイ伝」には、このように書かれている。「求めよ。さらば与えられん。尋ねよ、さらば見いださん。門を叩け、さらば聞かれん。すべて求むる者は得、たづねる者は見いだし、門を叩く者には開かれるるなり
(以上、引用部とした)
 といったところ、新約聖書のマタイ伝にあっての
[求めよ。さらば与えられん。尋ねよ、さらば見いださん。門を叩け、さらば聞かれん。すべて求むる者は得、たづねる者は見いだし、門を叩く者には開かれるるなり]
とのフレーズ、それが
[天国の門]・[天国への扉]・[天国への階梯](ステアウェイ・トゥ・ヘブン)
との兼ね合いでいかように嗜虐的なる別側面での意味( Double Meaning )と共にあるのか、そのことからして具体的典拠を挙げ連ねるとの式で遺漏無くも事細かに示そうというのが本稿の本義であるとここ脇に逸れての部にあって訴求しておきたいとの意図が筆者にはある)

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