典拠となるところの明示[17]――加速器実験に伴う欺瞞性、 そして、そこより証示
なせもすること

関連情報にまつわるカテゴリ(各部クリックにて遷移)

加速器によるブラックホールやワームホール生成仮説に通ずる「先覚的」言及作品らの存在について(3)

 前頁にあっては

 メディア露出型米国人物理学者がものした科学関連書籍 Parallel Worlds; A Journey Through Creation,Higher Dimensions and the Future of the Cosmos『パラレルワールド ――11次元の宇宙から超空間へ』(2005年原著刊行)に認められるが如き

[ワームホールの中にナノマシンのような放射と潮汐力に耐えうるデヴァイスを投入して文明再現の種子とするとの発想]

どんなに早くとも1980年以降まで科学予測として成り立たなかったと解されるようになっている一方で(1980年代に入る前の)「1974年初出の」小説 Adrift Just off the Islets of Langerhans:Latitude 38°54'N,Longitude 77°00'13W『北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中』にあって

[CEERNなどと呼称される15TeV加速器を運用する機関のビーム照射装置でもって [自らを縮退させての極小の分身] をホログラム上に造り出した主人公がその分身を己の[底無しの黒々とした渦を巻くへそ](他事情も勘案してブラックホールを想起させもするもの)に落とし込み、自身の魂に引導を渡す]

との粗筋が具現化を見ている

ことを問題視した。

振り返り表記として:片方にての80年代以降になってより考案されたとしか申しようがない[科学予測]では[カー・ブラックホールや通過可能なワームホールに自らの文明のクローンを他世界に投入するためのナノ・デヴァイスを投入するとの発想法]がみとめられる.他面、もう片方にての70年代前半に世にでた小説にあっては[ブラックホールを想起させるものに極小の自身の分身を加速器運営機関が運用するビーム発射装置を媒介に送り込むとの発想法]がみとめられる.[ブラックホール(類似のもの)と極小存在投入]との観点で両者には近似性がみとめられるとのことがある.そして、この話がただの類似性の問題で済まないのはCERNの14兆電子ボルト加速器LHCがブラックホールやワームホールの類を生成しうるものであると「ここつい最近」考えられるに至りもした ――につき、LHCのワームホール生成可能性についてはその言われようについて先立っての出典(Source)紹介の部18および出典(Source)紹介の部19にて取り上げたことである―― とのことがある一方で問題となる70年代小説では[CERNの14兆電子ボルト加速器LHC]にあまりにも近しい、かつ、往時の技術水準では顧慮されるところではなかった出典(Source)紹介の部6との[15兆電子ボルト加速器]なる際立って奇態なるものを登場させているとのことがあり、その加速器運営機関のビーム照射行為と極小存在のブラックホール類似の領域への投下が結びつけられているとのことがあることである)

 以上、先行する部の内容の振り返りをなしたうえで申し述べるが、70年代前半の問題小説 Adrift Just off the Islets of Langerhans:Latitude 38°54'N,Longitude 77°00'13W『北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中』に関しては「輪をかけて」奇怪なるところとして

[ホログラムとブラックホールの情報保持のあり方]

にまつわる先覚的内容 ――後々の科学界にての[ホログラムとブラックホールの情報保持のあり方]にまつわる理論の呈示に先行するところの先覚的内容―― を同作が伴っているように見受けられること「も」問題になる。

 であるから、その点 ――[ホログラムとブラックホールの情報保持のあり方]に通ずる先覚的内容―― についての解説をも以降なしておく。

 さて、ブラックホールに関しては

「ホログラムと同様の方式で「情報を保持」している可能性がある」

という理論がゲラルド・トフーフト(ヘーラルト・トフーフトとも日本語では表記される)というオランダ人物理学者 ――1999年ノーベル物理学賞受賞の学者―― によって目立って呈示されるようになったとの申しようがなされている。


(:そも、[ホログラフィックなるブラックホール]とはいかなものか、についてであるが、ここでは[有名な米国人メディア露出型物理学者]たるブライアン・グリーンの手になる2011年初出の書籍 THE HIDDEN REALITYの邦訳版(早川書房より出されている「文庫版の」の方の邦訳版)たる『隠れていた宇宙(下)』第9章[ブラックホールとホログラム]172ページよりの引用をなしておく。

(以下、(邦題)『隠れていた宇宙(下)』第9章より原文引用をなす)

「ブラックホールの場合、情報と表面積のつながりは単なる数値計算にとどまらず、情報がブラックホールの表面に蓄積されるという具体的な意味がある。サスキンドとトホーフトは、この説は普遍的であるはずだと強調している。
・・・(中略)・・・
 この二人の大胆な思索家の提案によると、私たちが慣れ親しんでいる三次元の現実は、そのような遠くで起こっている二次元の物理過程をホログラフィーで投影したようなものだというのである」

(引用部はここまでとする)

 以上、引用をなしたとの部位は世界のホログラム構造仮説にまで話が及んでいるとのものであるが、
ブラックホールの表面、[二次元面]に情報が蓄積される
とのことは
三次元が[二次元]の投影である
とのホログラフィックな性質に通底する、ホログラム的に情報保持をなしているブラックホールの性質にまつわる話となる ――通俗的な理解でもホログラフィーとは[三次元との特質を二次元に落とし込むこと]として知られる。日常的に目につくホログラフィー・シールなども視野角を変えるとそれが立体的に別の面まで具現化させているように見えるとの形態をとっている(技術的なやりようとしてはレーザー光を[ホログラム化する対象]に視野角度広くも当てて[レーザー光を反射させての像]をホログラムを投影するシートに視野角度広くも落とし込むとの手法が使われているためにそうもなっている)―― )


 諸種「科学史」解説書籍にて言及され、英文Wikipedia[ Holographic Principle ]項目にもごく一面的に記載されているように、

(「普通人から見れば[意味不明なる専門用語の羅列]になっている節があることだろう」とは当然に思われるところなのであるが、のような中にあっても、[普通人には理解しようもないとの理論適否]ではなく、[普通人「にも」およそそうした内容の理論が何時頃出てきたのかまでは後追い確認できるようになっている(との理論登場の)沿革]を問題としているところとして)

1978年に Charles Thorn(チャールズ・ソーン)という科学者が[ホログラフィック的側面]を[紐理論(弦理論)]でもって[重力作用]にまつわるところでも考えるとのことをなしだしたとされ、それが[ブラックホール・インフォメーション・パラドックス]といったものや[ブラックホール熱力学]といった科学的観点と「相補的な」関係でもって見られるようになり、ブラックホールの中ではホログラフィックに情報が保持されているといった観点もが呈示されるようになった]

とされている

とのことがある(下の出典紹介部を参照のこと)。


| 出典(Source)紹介の部20-4 |

 上記のこと、ブラックホールとホログラフィック的特質を結びつける理論が何時頃、目立って提唱されたかについては英文Wikipedia[ Holographic principle ]項目にあって次のような解説がなされている。

(直下、英文Wikipedia[ Holographic principle ]項目にあっての「現行にての」記載内容を引くところとして)

The holographic principle is a property of string theories and a supposed property of quantum gravity that states that the description of a volume of space can be thought of as encoded on a boundary to the region ― preferably a light-like boundary like a gravitational horizon. First proposed by Gerard 't Hooft, it was given a precise string-theory interpretation by Leonard Susskind who combined his ideas with previous ones of 't Hooft and Charles Thorn. As pointed out by Raphael Bousso, Thorn observed in 1978 that string theory admits a lower-dimensional description in which gravity emerges from it in what would now be called a holographic way. In a larger sense, the theory suggests that the entire universe can be seen as a two-dimensional information structure "painted" on the cosmological horizon, such that the three dimensions we observe are an effective description only at macroscopic scales and at low energies.

(多少意訳を交えての訳をなすとして)
「ホログラフィック原理( Holographic principle )とは
[[弦理論(ストリング・セオリー/ヒモ理論)の一属性を体現したもの]そして[空間の広がりの形態は重力地平のそれのようにありうべきところとして光の境界面として空間に組み込まれていうるとしているとの量子重力、その一属性を体現しうるもの]とされる理論]
である。
 ゲラルド・トホーフトにはじめて提案されたとの同ホログラフィック・プリンシプル(ホログラフィック原理)は
[より従前のトホーフト自身のアイディアとより従前のチャールズ・ソーンのアイディアとを統合させることになった物理学者レオナルド・サスキンドに由来するとの紐理論に対する簡易なる解釈]
として呈示されたものとなる。
 ラファエル・ブッソ(訳注:カリフォルニア大学物理学者)によって指摘されるように(チャールズ・)ソーンは1978年にて
[紐理論が[低次元に関する描写として現時、[ホログラフィー的方法]と呼ばれる形にてそこより重力が生じるとの描写]を認めるとの理論である]
とのことを見出していたとのことがある。
 おおよその意味合いでは、同理論は全宇宙が宇宙的境界面に描かれた二次元情報構造として観察されうるとのことを提言するとのものであり、我々が観察するような三次元構造は巨視的スケールでそして低いエネルギー領域に有効なる描写であるとのことになる」

(訳を付しての引用部はここまでとする ――上にては[「1978年に」由来するチャールズ・ソーンという物理学者の見立て]がホログラフィック原理の提唱に影響を与えているとの趣旨の記述がなされている―― )

 さらに一歩進んで、ブラックホールのホログラフィー的な属性についての理論登場時期を推し量ることができるとの出典(オンライン上にて公開されている当該分野を専門とする物理学者の手になるPDFファイル化されての論稿)の記述を引くこととする。

 具体的には

The holographic principle ]との論稿(著者名 Raphael Bousso ――上の英文ウィキペディアにても名前が挙げられているカリフォルニア大の理論物理学者であるラファエル・ブッソ―― と表記のタイトル( The holographic principle )入力でコーネル大学の論稿配布サーバーarXivより特定・ダウンロードできるようになっているとの2002年初出の論稿)

の内容を引くこととする。

(直下、論文 The holographic principle(2002)にて19と振られた頁よりの引用をなすとして)

Susskind (1995b) suggested that the horizon of a black hole can be mapped, via light rays, to a distant, flat holographic screen, citing the focussing theorem (Sec. VI.A) to argue that the information thus projected would satisfy the holographic bound.

(訳として)
「サスキンド(の1995bと振られての論文)は[こうもして投影された情報はホログラフィー境界面に適合するものである]と論じているとの理論(セクションVI.Aにて呈示のもの)につき焦点を絞って引用しながら「ブラックホールの地平線は光線を通じてある距離まで平面ホログラフィースクリーンへと地図描画できる」との提言をなしたものであった」

(訳を付しての引用部はここまでとする ―※― )

(※1:上にて[ブラックホールのホログラフィー的なる性質]についての提言をなしたものとして引き合いに出されている「1995年の」サスキンド論稿とは The World as a Hologram『ホログラムとしての世界』との論稿であると解されるようになっており、同論稿が「先達となる1993年論稿としての」ゲラルド・トホーフトによる Dimensional Reduction in Quantum Gravityの内容を受けているような解説がなされているところとなっている。そこから、(1978年から呈されだしたとされる物理学者チャールズ・ソーンの見方からさらに進んで)1993年あたりよりブラックホールとホログラムの関係性を論ずる理論が目立って表に表出してきたと推察されるところである ――先後関係・帰属関係が重要視される科学論文の記載内容からはそのように判じられるとのことである(そして、同じくものことはつい先の段にて(邦題)『隠れていた宇宙(下)』第9章より原文引用なしたところ、「ブラックホールの場合、情報と表面積のつながりは単なる数値計算にとどまらず、情報がブラックホールの表面に蓄積されるという具体的な意味がある。サスキンドとトホーフトは、この説は普遍的であるはずだと強調している」との内容と平仄が合う)―― )

(※2:尚、以上のように70年代後半に呈され出した見立てを受け、目立っては90年代前半より提唱されだした節があるとのホログラフィック理論の隆盛は
[ブラックホール熱力学(というもの)]
[ブラックホール情報パラドックス(というもの)]
に関する思索の延長線上にあるもの、なおかつ、それらに関する思索と相補関係にあると一般には説明されているものでもある。同点についてはオンライン上にて目につくところの英文Wikipedia[ Black hole information paradox ]項目(和文にては[ブラックホール情報パラドックス])の現行記載にあっての該当するところを引けば、 Starting in the mid-1970s, Stephen Hawking and Jacob Bekenstein put forward theoretical arguments based on general relativity and quantum field theory that appeared to be inconsistent with information conservation. Specifically, Hawking's calculations indicated that black hole evaporation via Hawking radiation does not preserve information. Today, many physicists believe that the holographic principle (specifically the AdS/CFT duality) demonstrates that Hawking's conclusion was incorrect, and that information is in fact preserved. In 2004 Hawking himself conceded a bet he had made, agreeing that black hole evaporation does in fact preserve information.(訳として)「1970年代に遡ることとしてスティーブン・ホーキングとヤコブ・ベッケンシュタインは[情報保持]と両立しないように見えるとの一般相対性理論および量子場理論に依拠しての理論についての議論をさらに前へと推し進めた。殊にホーキングの計算ではホーキング輻射を通じてのブラックホールの蒸発は[情報を保持しない]と指し示すものであった。今日、多くの物理学者が[ホログラフィック原理](殊にAdS/CFT対応に関わるところ)がホーキングの帰結は正しからざるもの、[情報は現実には保持されるのである]と呈示しているとのことを信ずるに至っている。2004年、ホーキング彼自身が彼がなしていた賭け([キップ・ソーン、ジョン・プレスキル、スティーブン・ホーキングの賭け]として知られる物理学者間の科学理論至当性にまつわる賭け)にて敗北を認め、ブラックホール蒸発は現実には情報を保持するとのことを認めた」との部がそれに該当する。
 以上、事細かに話を振りはしたが、それは「そういうことがある」程度の文脈にての紹介に留める。すなわち、[ブラックホール熱力学]や[ブラックホール情報パラドックス]がいかようなるものなのか、それらにつきどのような評価が下されているのかについては ――同分野が多くの科学書などに見る解説がまったく要領を得ないものとなっているといった不明瞭性が際立つ領域となっていること「も」あるのだが―― [科学理論の適否自体を論ずるのが本稿の目的ではない]とのことが第一義にあって細かき解説を加えない)

出典(Source)紹介の部20-4はここまでとする)


 理論の機微の問題は置いておき、ここにて着目しているとのことは次のことである。

[1978年にホログロフィック原理に近しい概念がチャールズ・ソーンという物理学者の研究にて持ち出されているとされる。それがレオナルド・サスキンドやゲラルド・トフーフトといった物理学者によって精緻化されていったとの経緯があるとの言われようが表だって幅広くもなされている」
  
「仮にチャールズ・ソーンという科学者以前(1978年以前)にホログラム原理的な発想法がブラックホールの情報保持にまつわる理論として取り沙汰される余地が全くなかったのであるとすると(現実に強くもそうであると解されるようになっている)、問題となる「1974年の」小説( Adrift Just off the Islets of Langerhans : Latitude 38°54'N, Longitude77°00'13W )にあって[ブラックホールのホログラム的性質について言及しているように「見える」]ところがある ――[ホログラム上に投影された作中主人公の極微の分身]が[渦を巻く黒々とした底無しの穴](ブラックホールのアナロジーと解されるもの)に投入されるとのセクションにまつわるところがそうである―― ことからして「より一層奇怪である」ということになる」


「[出典紹介部]を内包させての」付記の部として

 付記の部として表記するが、[それに絞っての思索対象]としてのブラックホールではなく、また、ブラックホールの情報喪失といった問題(ブラックホール情報保持のパラドックスといったところにかかわる問題)に関わるところではなく、[人間の脳機序、ひいては、この世界それそのもの自体にホログラム的な側面を見いだそう]との観点は70年代から存在しており、その提唱者デヴィッド・ボームの名はつとに知れ渡っているとのことは確かにある(和文ウィキペディアにも[ボーム拡散]といった理論の提唱者としての理論物理学者としてのデヴィッド・ボームの事績は細かく紹介されている)。

 ここでは多少、ニューエイジャー・チック(英語で述べるところのparanormalでもいい)との内容を扱った書籍でもある The Holographic Universe Michael Talbotという著者の手になる書籍でデヴィッド・ボーム David Bohmの事績についても扱った書籍/原著1991年刊行)より引用をなすが、デヴィッド・ボームは以下のようなかたちでホログラフィック的世界像 ――ホログラム脳理論( Holonomic brain theory )に関わる世界像―― を「70年代に」提唱するに至っていた。


| 出典(Source)紹介の部20-4(2) |

(直下、現行、オンライン上より内容確認なせるようになっているとのマイケル・タルボットの手になる The Holographic Universe原著にての 2 The Cosmos as Hologramの節よりの引用をなすとして)

As soon as Bohm began to reflect on the hologram he saw that it too provided a new way of understanding order. Lake the ink drop in its dispersed state, the bterference patterns recorded on a piece of holographic film also appear disordered to the naked eye. Both possess orders that are hidden or enfolded in much the same way that the order in a plasma is enfolded in the seemingly random behavior of each of its electrons. But this was not the only insight the hologram provided.
The more Bohm thought about it the more convinced he became that the universe actually employed holographic principles in its operations, was itself a kind of giant, flowing hologram, and this realization allowed him to crystallize all of his various insights into a sweeping and cohesive whole. He published his first papers on his holographic view of the universe in the early 1970s, and in 1980 he presented a mature distillation of his thoughts in a book entitled Wholeness and the Implicate Order. In it he did more than just link his myriad ideas together. He transfigured them into a new way of looking at reality that was as breathtaking as it was radical.

(原著よりの引用部はここまでとする)

 表記の引用部についての訳書にての該当表記も挙げておく。

(直下、『投影された宇宙 ホログラフィック・ユニヴァースへの招待』(春秋社)と題されての訳書の45ページの記載内容を原文引用するところとして)

「ホログラムについて考察を始めるやいなや、これも秩序について新しい理解の道を与えてくれることがボームには見てとれた。広がった状態のインクの一滴と同様に、一枚のホログラフィック・フィルムの表面に記載された干渉パターンも肉眼には無秩序と映る。どちらも隠された、あるいは、包み込まれている秩序を有しており、プラズマの秩序が、一見バラバラに見える電子の渦のひとつひとつの挙動に包み込まれているのとまったく同じなのだ。だが、ホログラムが与えてくれた洞察はこれにとどまらなかった。考えれば考えるほど、宇宙はまちがいなくホログラフィックな原理によって機能しており、それ自体が一個の巨大な流れるホログラムであるという確信をボームは深めていった。そして、その理解が、彼のさまざまな洞察すべてを巨視的で包括的な全体理論へと結晶化させたのである。一九七〇年代初期、彼は宇宙のホログラフィックな見方に関する最初の論文を発表し、一九八〇年、自分の考えをさらに吟味し凝縮させたものを『全体性と内蔵秩序』(青土社、一九八六)と題した著書で世に問うた。この本は、彼の無数の考えをひとつにまとめただけではなく、それを、過激なばかりか息を呑むような内容の新しい現実観へと昇華させたのである」

(訳書よりの引用部はここまでとする)

(上の原著よりの原文引用部の方についてはその通りの記述がなされているか、表記の英文テキストを検索エンジンに入力することで訳書を図書館で借りるなりなんなりせずとも確認できる。というのも英語圏の書籍の多くはテキストさえ分かれば、その内容を検索エンジンサイドから現時、特定できるようになっているからである)。

 以上のような理論登場の経緯が示せるようになっていること ――[一九七〇年代から世界そのものをホログラフィー的に解釈するような見立て(主に物理学者デヴィッド・ボームに由来するところの見立て)が登場してきていた]と示せるようになっていること―― は、この身が見るところでは、

[(ここまで委細表記の通りの事由から「複層的に」ブラックホール関連での尋常一様ならざる先覚性が見出せると指摘なしてきた)CEERN(CERNではない)などと呼称される、15TeV加速器を運用する機関のビーム照射装置でもって[自らを縮退させての極小の分身]を「ホログラム上に」造り出した主人公がそのホログラム上に造り出した分身を己の[底無しの黒々とした渦を巻くへそ]に落とし込み自身の魂に引導を渡すとの粗筋の小説が[一九七四年]に登場していた]
とのことにまつわり、
同じくもの小説にはホログラムとブラックホールの関係性を想起させる先覚的言及「をも」見出せるとの観点を呈する]
うえで
[「不適切である」「そちらは予見描写ではなく既存の知識の組み合わせで導出され得たことである」との旨の反証の有効な材]
を与えるものではない ――[反論]を観念しうるとすれば、「ただの偶然である」との非論理的な論拠を伴わぬものに留まらざるをえないとの状況がそこにも当てはまる―― ]

とのものである(言い様が極めてまどろっこしくなり、恐縮ではある)。

 デヴィッド・ボームは(筆者が調べたところでも)ブラックホールがホログラフィックな機序を有しているとの論理などは展開して「いない」からである。同人は「世界そのものがホログラフィックな概要を呈する」とのことを述べているのであってその物言いにはブラックホールとの結びつきは直接的には観念されないと見受けられるからである(:尚、本件に関しては俎上に上がっている小説にあって[[15TeV加速器を運営する欧州研究機関によるビーム照射装置による縮小化]が[加速器によるブラックホール生成のことを想起させるもの]として登場を見ているとの奇怪な側面]が現出を見ていると指摘可能となっている、そちらがあるため、物理学者デービッド・ボーム提唱のホログラフィー世界観を巡るあれやこれやなどを(本来的には問題視する必要だにないともとれる中ながら)付け加えもして論じているとの背景がある)。

出典(Source)紹介の部20-4(2)はここまでとする)


付記の部はここまでとする


 ここまでの内容をまとめれば

1974年初出小説『北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中』

に関しては次の観点から「も」[異常な先覚性]を体現している作品、しかも、我々全員に関わるところで[異常な先覚性]を体現している作品と見受けられると申し述べる次第である。


[現実の科学界を取り巻く状況としてCERNの最大出力14兆電子ボルトの円形加速器LHCがブラックホールを人為生成する可能性が(1998年の余剰次元にまつわる理論変転から)2001年から[ありうる]と取り上げられるようになったそれ以前にはブラックホール生成は人類の手になる到達可能な加速器では不可能とされていた ――研究機関発表文書ら・諸々の有識者らの申し分ではそうなっている。端的なところとして先に[事実A]と題しての段で問題視した資料より再度の引用をなせば、案件についてまとめた米国の法学者( Eric Johnson )の手になるオンライン上より取得できるとの文書、本稿にての出典(Source)紹介の部1にて引いた THE BLACK HOLE CASE: THE INJUNCTION AGAINST THE END OF THE WORLDにあっての838と題されたページなどにて In 1999, when questions floated in the media about accelerator-produced black holes, physicists issued an assurance that no particle collider in the foreseeable future would have enough power to accomplish such a feat.(訳として)「1999年、加速器製ブラックホールについての疑問がメディアに浮かんできた折、物理学者らはそのような業(わざ)をなしうるのに十分な力を有した[予見しうる未来にあっての加速器]は存在しないとの保証を発した」と解説されているとおりのことがある―― ]

 上記のようなことがあるにも関わらず、『北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中』という作品にあっては

1998年どころか1974年からCEERN(CERNではない)の最大出力15兆電子ボルトの円形加速器を登場させ、同加速器運営機関がブラックホールを生成することを露骨に想起させるような言及をなしていた](出典(Source)紹介の部10にての原文引用部を参照のこと)

とのことでその異常なる先覚性が問題になる作品である(:ちなみに出典(Source)紹介の部10にて先刻呈示のようにフェルミ国立加速器研究所由来の加速器コミニティ動向解説公文書に記されているところとして1974年にあっても[1兆電子ボルト超えの加速器]さえ青写真としてすら実現化を語られていなかったとされているそうしたことがあるにも関わらず、表記の小説『北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中』が対[往時(1974年)運用のCERN加速器]比率で見て(ISRというCERN運用加速器を比較対象として見て)240倍超も強力なもの、そして、現時のLHC(の目標上の最大出力)に比して僅か1.07倍しか強力ではないとの円形加速器を登場させているとのことがある)。

 加えて述べれば、

[米国にてメディア露出型物理学者として有名なミチオ・カクの著書 Parallel Worlds; A Journey Through Creation,Higher Dimensions and the Future of the Cosmos(訳書はNHK出版から出されている『パラレルワールド ――11次元の宇宙から超空間へ』)では[カー・ブラックホールとワームホールがワンセットになったもの]を介して[カー・ブラックホールやワームホールに伴う強烈な放射と潮汐力に耐えうるナノマシンの類]を文明再建の種子として他世界に送り込む想像上の先進文明のやりようが紹介されているそうした科学予測が立てられるようになったのは通過可能なワームホールにまつわる知見が1980年代に進展を見、なおかつ、ナノマシンに対する展望が同じくもの1980年代に開けてきたからであると解される

ようになっているところを、

[1980年代どころか1974年に問題となる小説 ――先立っての段で述べているように[極微ブラックホール暴発による40年後の惑星呑込みを描く70年代の他小説と複合的な連関性「をも」呈する『北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中』―― はブラックホール然としたものにナノマシン(文明再建の種子としてのナノプローブ)を「想起」させるように極微化された主人公の分身を[底無しの黒々とした渦を巻くへそ]とのブラックホール然としたものに落とし込むとの粗筋が具現化している([事実J]にまつわる出典(Source)紹介の部10にて該当部原文引用)]

とのこと「でも」その異常な先覚性が問題になる作品である(同点については出典(Source)紹介の部20から出典(Source)紹介の部20-3にかけて典拠の解説をなしている)。

 さらにもって加えて述べれば、


チャールズ・ソーンという理論物理学者が1978年にて紐理論に通ずるところで量子重力にホログラフィー的性質を見出してから、その後、ゲラルド・トフーフトという物理学者がブラックホールの境界面にては情報がホログラフィックに保持されるとのことを問題視しだしたとのことがある(目立ってのそうした理論の形成期は1990年代であるとの書かれようでもある)]

とされているところを、

1978年以前、1974年からして問題となる小説は[ブラックホール然としたもの]と[ホログラフィー]の話を結びつけていた(:ブラックホールのアナロジー(類比的体現物)であろうと解されるもの、[底無しの黒々とした渦を巻くへそ]にレーザーにてホログラム面に縮小された主人公の極微分身が落とし込まれるとの粗筋を有している)]

とのことがある


とのこと「でも」その異常な先覚性が問題に「なりうる」とのことがある(同点については出典(Source)紹介の部20-4から出典(Source)紹介の部20-4(2)の部にかけてその典拠となるところの解説をなしてきた)。


 以上、各観点から判じて小説 『北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中』は「重ねて」際立っての先覚性を呈していると述べるべき作品となっている。

 長くもなった。ここまでにて先立って「本稿にての主題をなすところに入る前にまずもって」強調・明示しておきたいとした二点のこと、

第一。
「[本稿で問題視したいこと]は[物理学者ら理論にあっての欠陥性]を指摘するなどということには毛頭ない。そういうこと、物理学者ら理論にあっての欠陥性を摘示するとの資格も能力も筆者にはない(などと述べると心得違いをなしている向きは『この者が摘示事物に確証・自信を抱いていないからそうもしたことを言うのだろう』などと誤解するかもしれないが、そうではない)。 専門家らの理論の適否を論ずることなどせずとも、それでも、[実験](と世間的には明示されている営為)に伴う問題となることは「容易に」摘示できるようになっているし、第三者でもそのことは確認できるようになっている。そのことの把握を求め、その先にあることの意味を問うのが本稿の趣意である」

第二。
「本稿では[他の人間に誤解されるようなこと]を敢えても指摘しているが、といったことにしても[きちんとした論拠](属人的目分量の問題から離れもしてそこに確として存在しているとの論拠)に基づいているとのことを厳選・取捨選択して取り上げている。それが果たして本当なのか、本稿が真剣なる顧慮に値するもの、そう、[具体的行動の指針となして然るべきようなもの]とのレベルで真剣なる顧慮に値するものなのかとの観点にて読み手に切に確認いただきたいと考えている」

にあっての第二点目のことについて「先行して」取り上げるべきととらえたことを論じてきた。

すなわち、

第二。
「本稿では[他の人間に誤解されるようなこと]を敢えても指摘しているが、といったことにしても[きちんとした論拠](属人的目分量の問題から離れもしてそこに確として存在しているとの論拠)に基づいているとのことを厳選・取捨選択して取り上げている。それが果たして本当なのか、本稿が真剣なる顧慮に値するもの、そう、[具体的行動の指針となして然るべきようなもの]とのレベルで真剣なる顧慮に値するものなのかとの観点にて読み手に切に確認いただきたいと考えている」

との点に関わるところとして


[CERNの挙動が異世界への扉とも表すべきワームホール(別名アインシュタイン・ローゼン・ブリッジ)を開く可能性がある。それによって、この世界に我々を支配すべくもの何がしかのもの(ナノマシンのような構造体)が入ってくる可能性や我々の世界の崩壊がもたらされる可能性が観念される]


といった、

[一見にして「頭の具合がよろしくない」と解されもしようとの実にシュールな申しよう]

をなしていることからして[それなりの背景]があって申し述べていることであると指し示すために、同じくもの、


[CERNの挙動が異世界への扉とも表すべきワームホール(別名アインシュタイン・ローゼン・ブリッジ)を開く可能性がある。それによって、この世界に我々を支配すべくもの何がしかのもの(ナノマシンのような構造体)が入ってくる可能性や我々の世界の崩壊がもたらされる可能性が観念される]


とのことの絡みで何が問題になるのか、とのことについて部分的解説をなすとのことをなしてきた ――尚、ここまでの話は先にて[そうしたものである]と明示しているように「限局的なる」話にすぎない.俎上にあげている[CERNの挙動が異世界への扉とも表すべきワームホール(別名アインシュタイン・ローゼン・ブリッジ)を開く可能性がある。それによって、この世界に我々を支配すべくもの何がしかのもの(ナノマシンのような構造体)が入ってくる可能性や我々の世界の崩壊がもたらされる可能性が観念される]とのことの絡みで[何が本当に問題になるか]は長大なる本稿全体にて訴求なすと先立って明言しているようにここまでなしてきた話とて所詮は微に入っての限局的な話でしかない―― 。

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直下、本稿冒頭部へのリンクを設けておく

(⇒冒頭頁へは下の部より)

[典拠紹介部第1頁 加速器実験に伴う欺瞞性から証示なせることについて]

 上にて挙げているのはドイツ浪漫主義芸術の巨匠たる18世紀画家、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(Freemasonでもあったとの画家 Caspar David Friedrich)の手になる一品、

Der Wanderer uber dem Nebelmeer雲海の上の旅人』(に多少の[動き]をアレンジとして加えたもの)

となる。

 言われようの問題として一般に、

[人間の崇高なる精神が高みを目指し、ついぞ多くの物事を達観するに至った時、その折の孤独と感慨を描いた画]

などと形容される上掲の『雲海の上の旅人』に関して(本稿でもその言行を順次・段階的に取り上げることになるとの)物理学者リサ・ランドールは[次のような申しよう]をなしている。


(直下、物理学者リサ・ランドールの手になる著作 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)にての CHAPTER THREE LIVING IN A MATERIAL WORLD[第三章 物質世界に生きる]の章の記述内容 ――オンライン上検索エンジンにあっての原文検索にて該当部特定できるところの記述内容―― よりの原文引用をなすとして)

Our universe is in many respects sublime. It prompts wonder but can be daunting ―even frightening― in its complexity.  Nonetheless, the components fit together in marvelous ways. Art,science, and religion all aim to channel people’s curiosity and enlighten us by pushing the frontiers of our understanding. They promise, in their different ways, to help transcend the narrow confines of individual experience and allow us to enter into―and comprehend―the realm of the sublime. (See Figure 11.)
          [ . . . ]
[ FIGURE 11 ] Caspar David Friedrich’s Wanderer Above the Sea of Fog (1818), an iconic painting of the sublime ― a recurring theme in art and music.

(上の原著引用部に対する[訳文]として国内流通訳書『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)ハードカヴァー版にあっての81ページに記載されているところを引くとして)

多くの点で、私たちの宇宙は崇高だ。その複雑さは好奇心を駆り立てはするが、無力感も抱かせるし、ことによっては恐怖さえも感じさせる。にもかかわらず、宇宙の構成要素は素晴らしくぴたりと絡みあっている。芸術、科学、宗教は、いずれも人々の好奇心を促して、理解の限界を広げさせ、それによって私たちを啓蒙することを目指している。いずれもそれぞれのやり方で、個人の経験の狭い領域を越えさせることを約束している。それがかなえられたとき、私たちは崇高なものの領域に踏み込む――そして理解する――ことができるのだ(図11を参照)。 …(中略)… [図11]ドイツの画家カスパー・ダーヴィド・フリードリヒの「雲海の上の旅人」は、崇高なものを象徴的に描いた作品だ。崇高さは、美術と音楽に繰り返し登場するテーマである

(以上をもって Knocking on Heaven’s Doorにての原著表記および訳書よりの引用とした)


 さて、何故、ここ脇に逸れての部にあって「目立つように」特定絵画 ― 『雲海の上の旅人』― を挙げ、その絵画に対する物理学者の評しよう ―「雲海の上の旅人」は、崇高なものを象徴的に描いた作品だ....― などを引いたりもしたのか

「それは、」
絵画『雲海の上の旅人』に対して直上引用なしたような評しようをなしているとの物理学者リサ・ランドールが

加速器によるブラックホール生成可能性にまつわるトピックの理論深化に一廉ならぬ貢献をなしているとの著名物理学者

[[崇高なるもの]を目指しての宇宙の探求(およびそのための装置と銘打たれている巨大加速器LHC)の称揚・礼讃をなしているとの向き

であるとのことがあり、また、なおかつ、彼女リサ・ランドールの手による、(絵画『雲海の上の旅人』を科学者が目指しての[崇高さ]とを結びつけている)引用元著作 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)が

人間のありよう(崇高さとはおよそ程遠いところにあるありよう)]
人間の辿る運命

を嘲笑うような[嗜虐的寓意]で満ち満ちていると申し述べられるようになっている著作であるとのことがある、遺憾ながら
[理の当然]
として申し述べられるところとしてある ――個人のせせこましい偏頗(へんぱ)な主観などとは一線を画したところで客観的かつ具体的にこれはこうでこうだと申し述べられるようになっている(出典呈示を第一義にしての本稿では無論、その論拠を事細かに挙げる)とのところとしてある―― からであり、そのことに注意を向けたかったからである(※)。

(※上にて引用元とした著作、 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)、同著にあってはその冒頭部より
September 10, 2008, marked the historic first trial run of the Large Hadron Collider (LHC). Although the name―Large Hadron Collider― is literal but uninspired, the same is not true for the science we expect it to achieve, which should prove spectacular. (表記英文引用部に対する訳として)「2008年9月10日、ラージ・ハドロン・コライダー(LHC)が歴史的始動を見た.[ラージ・ハドロン・コライダー]との名称は有り体に言ってインスピレーションを何ら与えぬとの平凡なものだが、私たちがそれ(LHC)に[証明すべきととらえている壮大なる挙]を託しているとの意では[科学(の進歩)]にとり同じくものことは真実とはならない(LHCは際立ってのインスピレーションを与えるものである)」
などとのことが書き記されている。
 そうもした書きようが目立ってもの冒頭部にてみとめられる著作ノッキン・オン・ヘブンズ・ドアにおける表題、 [天国のドアをノックする]の由来についてリサ・ランドール女史は同じくもの著作の中で次のようなことを述べてもしている。
(以下、 Knocking on Heaven’s Doorにての CHAPTER FOUR LOOKING FOR ANSWERSより引用なすところとして)
I first heard the phrase “knockin”on heaven’s door”when listening to the Bob Dylan song at his 1987 concert with the Grateful Dead in Oakland, California. Needless to say, the title of my book is intended differently than the song’s lyrics, which I still hear Dylan and Jerry Garcia singing in my head. The phrase differs from its biblical origin as well, though my title does toy with this interpretation. In Matthew, the Bible says, “Ask, and it shall be given you; seek, and ye shall find; knock, and it shall be opened unto you: For every one that asketh receiveth; and he that seeketh findeth; and to him that knocketh it shall be opened. (以上原著表記に対して訳書『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)ハードカヴァー版[第四章]103ページにての表記を引くとして) Knocking on Heaven’s Door(天の扉を叩く)]――これが本書の原題だが、私が最初にこのフレーズを聞いたのは、一九八七年、カリフォルニア州オークランドでのグレイトフル・デッドとのコンサートで、ボブ・ディランが『天国への扉』を歌うのを聞いたときだった。いまでも私の頭の中ではディランとジェリー・ガルシアがこれを歌っているのが聞こえてくるけれど、いうまでもなく、私の本のタイトルは、この曲の歌詞とは意味が違っている。このフレーズは出典である聖書の一節とも違っているが、私のタイトルはこちらの意図を拝借したものだ。聖書の「マタイ伝」には、このように書かれている。「求めよ。さらば与えられん。尋ねよ、さらば見いださん。門を叩け、さらば聞かれん。すべて求むる者は得、たづねる者は見いだし、門を叩く者には開かれるるなり
(以上、引用部とした)
 といったところ、新約聖書のマタイ伝にあっての
[求めよ。さらば与えられん。尋ねよ、さらば見いださん。門を叩け、さらば聞かれん。すべて求むる者は得、たづねる者は見いだし、門を叩く者には開かれるるなり]
とのフレーズ、それが
[天国の門]・[天国への扉]・[天国への階梯](ステアウェイ・トゥ・ヘブン)
との兼ね合いでいかように嗜虐的なる別側面での意味( Double Meaning )と共にあるのか、そのことからして具体的典拠を挙げ連ねるとの式で遺漏無くも事細かに示そうというのが本稿の本義であるとここ脇に逸れての部にあって訴求しておきたいとの意図が筆者にはある)

当サイト内にあっての【各頁および各典拠への一覧方式遷移部】、及び、【PDF形式文書配布ページ】へのリンクを直下、設けておく

各頁および各典拠への一覧方式遷移部へは以下より


問題となる「予見的言及→実現」の体系についての[典拠紹介部]一覧呈示頁

PDF形式文書配布ページへは以下より


典拠解説媒体としての[一括PDF文書]の公開頁

ここ本頁内にて[参照先]として挙げている【「容易に後追い確認なる」「堅い」ソースを呈示しての出典紹介部ら】、それぞれへの[遷移経路]を設けておく (:クリックすることでブラウザ ―インターネット閲覧ソフト― の[別タブ(別枠)]にて典拠紹介部を表示( open "additional" tabbed window(s) of web browsers ))

[出典(Source)紹介の部6]70年代に遡るところとして[欧州CERN加速器によるブラックホール生成]を臭わせている風が如実にあるとの[複数フィクション]が存在していることにまつわっての典拠紹介部6)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第6頁 70年代小説らに見る「克明無比なる」ブラックホール生成に通ずる言及

[出典(Source)紹介の部18]から[出典(Source)紹介の部19](LHCによるワームホール生成可能性についての言われようを引いているところの出典紹介部18から出典紹介部19)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)

[出典(Source)紹介の部18]
典拠紹介部第15頁 加速器によるワームホール生成仮説に通ずる「先覚的」言及作品らの存在について(1)Soruce18)

[出典(Source)紹介の部19]
典拠紹介部第15頁 加速器によるワームホール生成仮説に通ずる「先覚的」言及作品らの存在について(1)Soruce19)