プログラム拘束の魂たちが紡ぎ出す結末を変えるために

 
 

問題意識の所在 ―16―

 [問題意識の所在]と題し書き連ねてきたページ群で訴えてきた話も本頁が最後となる。

 ここに至るまでの内容を振り返っておこう

 まずもって、「2001年9月11日の事件が儀式の一環としての行為であったことを証する」ことから始めた。そして、極めて長い箇条書き部を経て、儀式実在の立証をなすと同時に次のようなことを指し示した。
・911の儀式の担い手はフリーメーソンを中心とした"組織"と呼ばれる操り人形の集団である(現代日本で暗躍する創価学会もその身内であるとしつつ)。
・儀式の根は少なくとも100年前より胚胎していた(タイタニックの沈没前後をめぐる動向などから)。そして、その儀式は「遠大な人類操作プロジェクトの重要な画期を彩るものとして数百年単位でものを見る操作者達によって考案されたものである」と言える (そう言えるだけの証明を帰納法的手法 ―具体的証拠を積み重ね立証していく手法― でなした)。
・儀式は「[ギリシャ神話のアトラスとヘラクレスの神話の諸要素に則った小イベント](あるいはプログラム上の入力値)を人形たちに発生・顕在化させるという形態をとっている」 ―そこから、私は一連の行為に「アトラス・プログラム」との呼称を与えた。同様の響きの言葉は関係ない異分野にもあるが、それらとは意味が全く違うと断ったうえでだ―。

 上のように端的に語れる儀式だが、アトラス・プログラムとも言うべきそれは濃密な悪意を内にたたえたものでもある。人間を殺して遊ぶような側面、あるいは、人間を殺すことが楽しくてたまらないといった側面が多々、垣間見れるからだ ―ICBMなどの大量殺戮兵器や最もヒトを殺してきた兵器とされるカラシニコフ(AK47)に始まる個人戦闘用火器群の名前にまで儀式の象徴が現れているのはそのためだろう―。
 そのような邪悪な側面が垣間見れる儀式の究極の目的だが、「[ヘラクレスで象徴されるような蛇の眷属に抗う人間的側面の圧殺]を示唆しつつ、下のような結果をもたらすことだ」と「合理的に推察」される(先にも強調したように「推察」である)。
・"現行"人類を大量間引きするか、または、死滅させる
・次元の接合をなすなどして"直接統治"を始める
・人間の"魂"と呼ばれる精神性を完全に圧殺する(人間の本質を完全に機械のようなものにしてしまう、あるいは、殺し合いを演じるだけのゾンビのような存在にしてしまう)

 上記三点については、「馬鹿げている」と笑う人間、「ニューエイジャーの戯言だ」と唾棄する人間もいるだろうと控え目な論調で話し始めた上で段階的に耳に苦しい推測がなせるとの論拠を述べていった。ときに一流の学究(科学分野の学究達)の証言を挙げ、ときに正当派の通説が虚偽であるとなじりながら、とにかくも、「不快な兆候で我々の周囲は満ち満ちていると完全に指し示しえた」と言えるだけのことを書いた。


 以上のような形で詳述に詳述を重ねてきたこと、詰め込みすぎの風があるWeb上の15ページで述べてきたことの端的なまとめをなすことが出来る。出来るとしたうえで、上にまとめたことに見られるようなことが背面で進行している事態に相対しなければならない中、我々が具体的に何をすべきかの「提言」を"とり"にあたるこの段でなしておく1から4のような形で、だ。言っておくが、「提言」であるがため、その適否は個々人が判断してほしい)。

1.直前の頁にて挙げたように大災厄実現プログラムには[不随意的な人形になりつつも半面で自主性を残した人間の行動原理]や[他を押しのけて自分達だけ助かろうという浅ましき心根に根ざした行動原理]も影響しているようにとれる。そのような行動原理を有した人間は自身が使い捨てであることを知った上で行いを改めるべきであり(腐った心根を改められなければ「人類の裏切り者として汚辱に塗れた(魂の)死を迎える」こともありうると念頭においておくべきだ)、そのような心根を有していない多くの人々は前者のような心根を有した連中の望ましからざる挙動を告発すべきときではないか
 そうすれば、「今まで同様、人災で大災厄が実現されるのなら」、それを防ぐ力が生じるだろう(例えば、だ。主流マスメディア ―「安楽死装置」かもしれない主流メディアなどに期待しても無駄かもしれないが― がCERN絡みの挙動と懸念を大っぴらに伝えることができれば、少なくとも、プログラムのひとつの出力系の前に石を置くことが出来るだろう。また、多くの専門の犬の声ばかりが目立つよう調整されたインターネット経由の日本語情報は極めて低レベルなものとなっているが―他所で詳述。本当に見るに堪えない―、知識と力を有した者達が工夫をなしつつ告発をなせば、この「愚者の国」となるべく調整された国、日本からでも「世界の現行どおり存続のために」何がしかのことができるだろう)。

2.余力を持った人間は万人に対する[真実の解説者]かつ[真実の探求者]志すべきではないか。そう、上記1で触れた[望ましからざる者達の挙動の告発(私が本Webサイトでやっているようなこと)]をなすといった途を選ばなくとも、万人に対する[真実の解説者]や[真実の探求者]を志す方が増えれば、だ(既存のコンセンサンスに根ざした科学の嘘を暴きつつ、魂とも呼ぶべき人間の内面の本質の問題を克明に解説するような[真実の解説者]や社会システムの欺瞞を根本的レベルで広く訴えるような[真実の解説者]が増えれば、だ)。人間存在の本質に対する操作メカニズムの原理が徐々に明らかになっていき、我々と我々の次代がこの牢獄のような世界、魂の虜囚で溢れた世界から脱却する途を発見しえ、そうやって牢獄から出た人間たち(私の場合は牢獄に入り損ねた人間だった)がプログラムで毒ガスが流れそうな牢獄内から多くの人間を外に出すのに貢献できるようになると見るからだ。

3.上の12で挙げたことをなそうと試みる勇敢な方々がいるのなら、すでに最奥の虚偽を暴こうと活動し出している人間たちの成果を「引用材料」や「批評材料」という形で活用するのもいいだろう(内容を改変し出典も明示せぬ「猿真似」については話は別である。他人の主張内容を劣化させる意図の下で、そういった行為をなす輩を私は特に許しがたい存在と見ている。私事になるが、同じ意味での「猿真似」をなした"犬"の如き輩に商業出版絡みで弁護士沙汰になるような不快な想いをさせられたからだ。世に出るのが遅れに遅れた自著、後、無償公開版に改訂した自著との関係で、である ―その点、「猿真似」の特質と動機も本Webサイト他カテゴリ記事や無償公開版著作に言及しているし、後、さらに具体例を挙げ連ねつつ筆誅を加えることになるかもしれない。しかし、とは言いつつも、私は「猿真似」ならぬ自著作や本Webサイトの情報に関する適正な批評や引用は歓迎する。要するに、(この局面にあって著作権法などにこだわりはたくはないのだが)自身の拓き貫こうとしている道を荒らされぬため、そして、万人のための公論を守るためにこだわることとして、「著作権法上の引用」は歓迎する―)。

4.今という時期にあっては「虚偽の精神論に縛られ、人の尊厳に対する感覚を見失う人間」を"これ以上"、増やさないように万人が心掛けるべきだ。
 具体的には「宗教の虚偽」のようなものにたばかられる人間がこれ以上、増えないよう万人が心掛けるべきである(ここでは「宗教の虚偽」の話に専心するが、同じことは愛国心にもあてはまる。「愛国心のようなものは地球に持つべきだ。"魂"を国家に掌握されてはならない」とのジミィ・ヘンドリックスの言を引くまでもなく:言っておくが、私はフリーメーソンのようなワンワールド主義者ではない)。
 とした上で、ここに言う「宗教の虚偽」が何であるかだが、「洋の西のキリスト教(関連新興カルト)から洋の東の仏教(関連新興カルト)に至るまで、宗教という害物が心魂が抜け落ちたような"駒" ―駒の特性については私の無償公開著作でも具体例を込みで挙げている― を造ってきたこと」を指す。そういった「宗教の虚偽」を万人が訴求すべき時が来ているとは強調しても強調したりない。宗教的原理主義に"魂"の次元で浸かった"駒"はハルマゲドンでもいい、ラグナロクでもいい、とにかく、大量殺戮プログラムを実行する上での重要な要素になるからだ(これまでも、そして、おそらくこれからも)。ために、「梵我一如」や「真我」といった下らぬ言葉を用い人間達の心魂の一部を奪ってきたのが、そう、「宇宙や教祖と一体となる」とたばかって醜い玩具を製造してきたのが宗教を用いての「"人外"の手管」であり、「この馬鹿げた世界が構築されているメカニズム」であることを皆で暴露すべきだと言いたいのだ(「あまりにもニューエイジャーチックである」。「何を言っているか分からない」。右の話に対し、そのような意見を抱かれた方々はとりあえず我慢しておいてもらいたい:「馬鹿げた教義に人を盲従させえる魂の問題」につき考えたことがないのなら、「同様に神秘家の口上じみて聞こえもするだろう」ここでの話について私の無償公開著作を読むことをお勧めする)。その点、より具体的には、何故、創価学会のような「何一つ自分では考えられぬ不幸な人間達を造るための組織」が中国の「文化革命」のような集団ヒステリーの中、異常な大躍進をなしえたのか、その普通に考えれば異常事態そのものの出来事の本質論を、そう、望ましからざるおトモダチ関係の本質論を明らかにすべきだろう同点につき、「人間の利益・感情に基づいた離合集散に因を求める」のは、おトモダチ関係の本質を民族差別・民族逆差別理論などで語るのは"部分的にはその通りになるべく調整された表層面"で残された人間を騙すためのやり口である。欧米にもフリーメーソンとの兼ね合いで ―日本の同様の論法よりは幾分、高踏かつ事実に合致したやり方で― 同じようなことを広める[専門の輩達]がいるとしつつ述べることだが)。

 上のような提言をなしたところで、だ。非常に長くなってしまったが、[問題意識の所在]と題した一連の頁よりなる本Webサイトの導入部を終えよう。

 最後に一言。

 「Webサイト閲覧者達が、この世界に生み落とされた魂という名の冒険者達が、真実を知ることが出来るように。そして、魂の牢獄となってしまっているこの世界に真なる意味の自由がもたらされ我々と我々の次代を脅かす影がなくなるように。内心で虚しく響くだけの祈りをなすのではなく、行動すべき時が来ているのではないか」

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