プログラム拘束の魂たちが紡ぎ出す結末を変えるために

 
 

問題意識の所在 ―15―

 アトラス・プログラム実在の立証を終えた後、述べ始めたプログラムの帰結として起こりうる事象群の推測。その詰めをなす。
 具体的には ―(初耳/初見の人間には[神秘主義者や宗教家といった質的詐欺師由来の虚言]あるいは[メガロマニア(誇大妄想狂)由来の放言]と見られもしよう話ととらえながらも)― ここに至るまで呈示してきた想定されるところの帰結I.からIII.のうちのI.

I.「"現行"人類は大量間引きされる」

との計画の実在性についての解説をなす。

 まずもって ―唐突となるも― 下の図をご覧いただきたい。

 下段にて挙げた下半身蛇の存在の話に先立ち上段二図、[左上]の図と[右上]の図の話からはじめる。
 [左上の図]の方は再掲図で画家フィリッポ・リッピの15世紀の作品である(:すでに[問題意識の所在―11―]と題した頁にて抜粋した作品でもある)。
 に対し、[右上の図]はアルブレヒト・デューラー、15世紀末から16世紀初頭にかけて活躍した中世美術界にあっての巨匠の作品(版画『黙示録』)の一場面を抜粋したものである。

 その両者、リッピの絵(左上)ディーラーの版画(右上)を比較いただければ、相似性を見て取っていただくことが出来るだろう。と述べつつも、誤解を避けるために言えば、その相似性"自体"は常識的観点から説明できもする。
「デューラーはイタリア旅行をなしており、イタリアで先達の芸術家達から多くを学んだとされる」
からだ。
 すなわち、デューラーが[左上]のリッピの絵を精査し、彼の絵の構図を自身の版画に反映させた「可能性もある」わけである(:にしても妙なのは、敬虔なクリスチャンだったとされるデューラーがリッピの絵の聖母マリアを『黙示録』の"多頭の赤い竜"に改変してしまっていることだが、それについては本Webサイト上の他記事に譲るとしてここでは触れないこととする)。

 だが、しかし、である。[問題意識の所在―11―]と題した頁にてリッピの絵と比較したミトラ教のレリーフのことをも考慮に入れると、である。リッピの絵とデューラーの絵の相似性の背後にあるのは
「人間の思惑を超えたものである」
と見えもしてくる。というより、そう見ざるをえない。主観の問題は一切、差し挟まずに、唯、客観的な外形上の問題から、である。

 具体的には先の頁にて図像抜粋の上で、そこにて補助線による説明を付した、
[遥か昔に潰えた異教たるミトラ教のレリーフ(石彫遺物)にてリッピの絵のマリア・キリスト母子像に対応する箇所に「蛇の杖で魂の圧殺(ないし処刑)をなす場面」が彫られている有り様]
がデューラーの作品とも悪魔的につながることが問題となるのである(:この段階で話に全くついていけない、何を述べているのか皆目見当がつかないという方には[問題意識の所在―11―]の閲覧、同ページまでの内容を把握されていないとのことであれば、さらに以前のページの参照を願わせていただきたい)。すでに先の頁でその寓意について解説しきった[ミトラ教レリーフに見る魂の処分をなす「蛇の杖」]が、そう、デューラー版画『黙示録』に見る[古き「蛇」、"多頭の赤い竜"][聖書で魂に対する刻印づけをなす多頭の獣に権威を与えるとされる存在])とそのまま重なるようになっているのが問題となるのである(※)。
ミトラ教レリーフをもアルブレヒト・デューラーが見ていたとはほぼ考えられない。通説上、ミトラ教は往古、潰え、その後、「近世以降になって再発見されたもの」とされるからだ。にも関わらず、通説のミトラ教消滅時よりも千年近く後の画家、デューラーの作品にミトラ教レリーフの「蛇の杖」と爬虫類絡みでつながる『黙示録』の"多頭の赤い竜"がレリーフと位置的に対応するような箇所に描かれていることを問題としたいのである)。

 そのような時を越えてまぶされている隠喩、絶対に模倣・被模倣関係では存在の説明がつかない隠喩に関してはだ。その邪悪さの本質について、
『人間を小馬鹿にしてやっているだけだよ』
と思う向きも多いだろう ―ここに至るまでなしてきた[およそ大人の常識人には容れ難い話](人間に対する意識下の操作にまつわる話)の内容を踏まえた上で、だ― 
 対し、私はそれだけではないと見ている。
「人間を小馬鹿にしてやっている」
ことはおそらく事実だろうが、さらにもって、
「人類の行く末に関わるプログラムをも念頭においているのでは」
と見立てているのである。デューラーの版画が取りあげている『黙示録』、ヨハネの『黙示録』が[段階的大量殺戮]を含意している文書であり、これから述べていくような背景が存在しているからだ。

 ここまで述べた上で、本ページ冒頭にて挙げた三図のうち下の段の図を見ていただきたい。既述のミトラ教レリーフ[二匹の蛇がからみあう杖(ヘルメスの蛇の杖)]ではないが、[足が二匹の蛇の"ように"なった存在]を視認できるはずだ。その存在、ギリシャ神話上の巨人ギガースである。
 何故、(これまた)唐突にもギリシャ神話の巨人ギガースなのか?
 その答えはギガースが詳述してきた「アトラス・プログラム」に結びつき、『黙示録』の如き大量殺戮につながるキーワードになり"かねない"存在ということにある(ゆえに上掲の図にてデューラーの多頭の竜とギガスの下半身の竜を線で結んだのだ)。 以下の「」内でその説明をなす。

 アトラス・プログラムは既述のように[逆・ヘラクレスの冒険プログラム]とも言うべきものである。ヘラクレスのやってきたことの逆を演出し、もって、ヘラクレスにて体現される蛇に抗う人間的側面を圧殺してしまおうという考えを含んだ、である(右が911の事件の背景に横たわる思想であることは確たる根拠によってすでに指し示している)。
 と、繰り返し訴求した上で述べるが、ヘラクレスの冒険の逆が演出されきった先にあるのは『黙示録』の如き大災厄の現出であるともとれる。ヘラクレスが"12"番目の冒険を終えた後、神々の戦いに参戦し、その戦い、"ギガントマキアー"に勝つという神話の逆がろくでもないこととして現出するということも考えられるために、である(ヘラクレスが冒険の末に神々の戦い、ギガントマキアーで敵手として相対したのが"下半身、竜"の上に挙げたギガース達の集団、ギリシャの大地母神ガイアの息子達にあたるギガンテスである)。12番目の冥界探索の冒険の逆が演出された結果、大災厄がもたらされるという可能性も別に既述のこととして、である

 本頁に至るまでの内容 ―冒頭頁より[理解のための印刷後検討]を推させてもらわざるをえなかったような入り組みもしている内容ではあるも― を精読していただけていれば、大体にして私の伝えたきことはお分かりいただけたかと期待する。
 そう述べたうえで言うが、上は私がアトラス・プログラムの一つの"体現事象"と見るとして言及したこと、
[UNIVAC1101ことアトラス、アメリカ初のフォン・ノイマン型コンピューターがtask13と呼ばれる事象と結びつく ―UNIVA1101の1101は二進数で言うところの13だ― こと]
にも影響しているものと見る。13を介して影響しているものと見るのだ。アトラスと密接に関わるヘラクレスが12の冒険を終えた後、すなわち、13番目の一難事として際会したのが上にいうギガントマキアである、と言えるがゆえに、である(12+1=13。13は欧米で言うところの不吉な数でもあるわけが、それとの関係についてはすぐに触れる)。

 しかし、以上、、述べた限りなら、まじめな読み手の中にも
「無理矢理、[ギリシャ神話的要素を入力値とした儀式的行為存在の観点]を中心に据えつつ、キリスト教妄信体系の偏った解釈を述べているにすぎない」
との批判を述べたい方も出てくる「かもしれない」。ために、そうした批判が適切ではないことを示す事象を〔1〕〔5〕という形で表記しておく(キリスト教妄信体系"など"もまた、アトラス・プログラムに関わっている、と示すことを書いておく)。

〔1〕キリスト教圏では「13」は不吉な数、忌み数とされている(:キリストの弟子は全員で12人。イスカリオテのユダがキリストを売ったとされることの絡みで13が不吉視されるとの説がある。キリストを数に数えて12人の他の弟子との総和が13になった際の裏切りという意味で13が不吉視されるというのだ。また、他にもキリストが処刑されたのが13日だったから、という俗信もある)。
 その西洋における[13を忌み数とみる慣習](ビルにて13階との呼称を付さないようにするといったこともよくある)がまずもってアトラス・プログラムと不気味に接合する(繰り返すも、マシーンのUNIVAC1101ことアトラスがtask13を介しヘラクレスの冒険の次を印象づけるように13と結び付けられていることがそうだ)。

〔2〕上の〔1〕の話を踏まえて述べるが、「13」の前の数、「12」がキリスト教のみならず多くの宗教に伴う数であることからして問題となる(と見る)。
 例えば、
「ギリシャ神話のオリュンポスの神々の数は12。同じくギリシャ神話の主要なティターンの数も12。北欧神話主神のオーディンには旅だつ際に引き連れていた神官の数も12人(:オーディン連れ人に関しては中世北欧のサーガより。キリスト教との習合を観念可能。アーサー王の円卓の騎士が12であるのと同様)。仏教には一二神将なる一群の神格、[干支の十二支とも対応づけさせられる一群の神格]が存在している」
といった風になることの時点で問題となる
 その点、12がキリスト教をはじめとした宗教という妄信体系と結びつくのは暦の発展史、「12」ヶ月より構成される暦の発展史も大きく作用しているととれる(:欧州では早くも18世紀末から「イエス・キリストは[12星座上の一年を通じての太陽の動きに則て捏造された存在]である」との興味深き見解が登場していた ―今を遡ること数百年前のフランスにてシャルル・デュピュイといった論客がそういった説を提唱していた― )。暦の発展史も大きく作用しているととれるのだが、とした上で把握しておくべきは旧来の暦たる太陰太陽暦が「12と13の区別を重要視してもいた」ということである。太陰太陽暦では閏月を挿入、13ヶ月となる期間を設けて暦のバランスを保つようにしていたのだが、そのことが
「アトラス・プログラムとキリスト教、双方に通低する人外の[大調整の意思]ともつながると"とれる"」からだ。
 何故、[太陰太陽暦上での13をもってのバランスづけと結びつく大調整の意思]がありかねないととれるのか。

12を重要視する各宗教の象徴体系と同様の根から派生しているとれる西洋占星術。その占星術 ―オカルトとしての占星術はどうでもよいのだが「天文学」と接合する部分は無視すべきではない― で言うところの[暦上の各月の象徴物]とされる黄道12宮(:12星座。12星座をまとめた図を[ゾディアック]と呼称することもある)。そこに13番目の[蛇つかい座]を加える思潮が存在しており、それが天文学的知見にきちんと準拠しているからである(:天体を巡る状況の変動を受けてそういう見立てが成り立つようになってきている)。もっと言えば、13番目にやってくる爬虫類絡みの象徴物[蛇つかい座]、同存在がヘラクレスの12の冒険の後に登場する下半身、竜(爬虫類)のギガンティスを想起させ、かつ、13を不吉視するキリスト教の『黙示録』の赤い竜とも結びつきかねないことをプログラムの現われととることがいきすぎではないと見えるからである(

事実、ヘラクレスの冒険神話は黄道12宮の誕生神話と密接に結びつく ―かに座/しし座/いて座の誕生説明はヘラクレスの冒険の中にある―。他面、キリスト教に関しては一言、触れたようにイエスが黄道12宮に則って捏造された神格であるとの説得力ある異説が存在している。イエス・キリストが中央に配されたゾディアック(黄道12宮図)が太古より存在していることもその絡みで語れそうなこととしてだ。また、キリスト教のカーボン・コピーであると先の頁にて詳述したミトラ教は黄道12宮の象徴を牛の去勢に絡むレリーフに多く刻み込んでいる。無論、以上は「出来すぎるほどに出来すぎている」ことであり、そこに意味を求めるのに無理は全くない⇒例え、UNIVAC1101ことAtlasと同時代に現れた初物、ICBM ―核ミサイル― のアトラスが乱れ飛ぶことが『黙示録』よろしくの破滅的シチュエーションと重なることを捨て置いても、である

 本頁に至るまでの内容を踏まえての補足

 直近、12星座に13番目の星座としての[蛇使い座](英語でいうところのOphiuchus)を加える風潮があるとした。のような話と結びつく重要事を訴求せんがために上の図をここ補足部にて付したわけだが、図と次のAからDの話の対応関係を精査いたただけたら、と考えている。
A.ドル・マークの由来は
[蛇がまきつく杖]
にあるとも言われている。そのようなドル・マーク起源論は[モーセが危急にあって頼ったとも伝わる神より与えられた青銅の蛇](妄言文書『聖書』に言及されるネフシュタンというものがそうだ)と「視覚的に」結びつくようにもとれるのだが、私の見立てでは(同起源論が)[アスクレピオスの杖]ともつながることが重要となる。そこにいうアスクレピオスというのは蛇使い座の[蛇使い]に当たる医神であることを加味して、である。
尚、[通貨のマークが蛇の杖とつながるとの考え]にはさして問題はない。それ自体、蛇を想起させる形状のマークを採用する£(ポンド)旧紙幣には上図にも挙げている二匹の蛇の巻きつく杖[カドゥケウス] ―同カドゥケウス、ギリシャ神話/ローマ神話でヘルメス/マーキュリーの杖だが問題視することとして[先に挙げたミトラ教レリーフに登場する杖]と同じものであることもある(図参照)― が描かれていたりしたからだ)
B.13番目に来る「蛇」使い座となるとヘラクレスが12の冒険を終えた後に出現する下半身が二匹の「蛇」たるギガスを想起させる:ギガスの脚の姿が上にて言及した蛇の杖[カドゥケウス]と視覚的につながるととるかは見る人間の判断によるだろうし、そういった印象論を殊更に強調する必要もなき程にかぐわかしき要素でてんてこ盛りなのがこの世界であるも)。
C.先の911の事件が
[ヘラクレスの11番目の冒険を ―10番目の冒険に登場した柱を崩しつつ― 逆に再現したものであった]
ことは十二分に論じてきた(不快な根拠に山ほど言及しつつである)。としつつ、くどくも訴求するが、そうした911の事件で崩された二つの柱は
[ヘラクレスがジブラルタル海峡に打ち建てた二本の柱の寓意物]
と ―フリーメーソン象徴を介し― なりもする。
 さて、ジブラルタル海峡に立つ柱とは[ドルマークに二本線を描いた際のその二本の線の由来となっているもの]であるともされる。なぜか。スペイン・ドルに描かれたジブラルタルの柱がドル・マーク二本線と起源との絡みで結びついているともされているからだ(:上掲図像群の中の[船が柱の先に向かう図]がジブラルタル海峡を越えて地中海から大西洋 ―ヘラクレスの11番目の冒険に登場したアトラスとも結びつく Atlantic Ocean ― に出、新大陸に向かう行為の寓意図であることは先にも言及している)。
D.米クリントン政権時代の金融緩和に一つの原因を求められるとされもするサブプライムバブル(の崩壊)。それに続く異常な金融政策の影響もあってドルの対外価値は下落し続けるとのことになった(デノミネーション、単位を切り下げての新ドル発行のうわさが飛び交っていたことはご存知の向きも多いだろう)。
 それにつき「ドル下落によって米国輸出力は強化されるから合理的だ」ととられる方もおられるかもしれないが、私の見立てからすれば、さにあらず、だ。米ドルをクラッシュさせかねない流れは
[蛇の杖の前に立つ柱を倒したことにまつわる意志表示]
[ヘラクレスの柱を倒した儀式の延長線上のこと]

としてなされている操作 ―人形を用いてなさせている操作― に因ると自然にとれてしまうからである(ここまでの話の流れから)。その流れは柱が崩れ蛇が解き放たれることにつながりかねない(ジブラルタルの柱と構造的相似形を呈するソロモン神殿の前に立つ二本の柱のシンボルのことはすでに話している。それが封印を解く比喩と結びついているという文脈にて)。
 長くなりもしたが、上記のAからDと[13番目に来る蛇使い座の話]を複合顧慮いただければ、私が本付記部で伝えたき懸念が何なのか ―真摯な読み手の方には― 「ヘラクレスと11と12と13のつながり絡みで」お分かりいただけるものか、と期待する。

〔3〕『黙示録』のような醜い選民主義文書を聖典に加えるキリスト教。同宗教は聖典文言のレベルでヘラクレスを介してアトラス・プログラムとつながる、と述べられるものだ。何故か。神話上、ヘラクレスに冒険を促したという"設定"になっている存在もキリスト教を広めたのも同じような存在だったと推し量れる材料があるからだ。
 そのように述べると、『馬鹿な』と思われる方もおられるかもしれない。が、全くもって馬鹿な話ではない。それについては、である。新約聖書の Acts of the Apostles『使徒行伝』16章に「ピュトーン」なる存在が登場してくることに着目する必要がある(:「ピュトーン」は日本語訳の聖書では「占いの霊」と改訳されている存在であることにも付言しておく)。 同「ピュトーン」、ギリシャ神話上、神託所の守護者だったとされる大地母神ガイアの息子で(要するに上述のギガス達とも兄弟)、大蛇の姿をとっていたとされる存在だ。その存在がキリスト教の新約聖書にパウロ達、キリスト教伝道者の教えを称える女に取り憑いた霊として何故か登場してくる。それも「(パウロ達のキリスト教伝道に対し)彼らは神の僕として救いの途を伝えているのです」と何日間も讃える憑依霊(占いの霊)として登場してくるのである。パウロ達は「イエス・キリストの御名において去れ」とそのピュトーンの霊を追い出したとされるが、何故、キリスト教がガイアの息子の大蛇の霊に「救いの途」と褒め称え"られる"道理があるというのか?
 その答えはキリスト教を広めたのもそういったシンボルにこだわる存在であったことにある。そう解せられる(ミトラ教レリーフの蛇の話は嫌というほどにした)。それと同じようなことがヘラクレスの冒険にも当てはまる。ヘラクレスが12の冒険をはじめたきっかけはアポロンの神託をデルポイで受けたことにあるとされるが、アポロンが神託を授けた場たるデルポイ神殿のかつての守護者こそが上のピュトーンだったからだ(※)。

※デルポイ神殿の伝承上での沿革について述べたことに関し、
「しかし、だからと言って、怪蛇の眷属退治の冒険が怪蛇の眷属に由来するわけではない」
と神話に詳しい御仁は反論するかもしれない。「ピュトーンはアポロンによって倒されており、ヘラクレスに神託を与えたのは蛇の守護者を殺したアポロンの方だ」という論法で、である。が、知っておくべきだ。ピュトーン退治をなしたアポロンの側にも蛇の隠喩的シンボリズムがまぶされているということがあるのを、だ ―私はそれを[ピュトーンとプログラムの関係についての重要な話]に関わることと定置している― 。 そして、そういった話はアポロンに限られず、ギリシャ神話の他の主要な神にも"明示的に"あてはまるということを、だ ―メデューサ退治をなしたペルセウス(ヘラクレスの神話上の先祖)からメデューサの首を受け取り、防具にその首をはめ込んだ女神アテナ。彼女が元来、「蛇の神」でメデューサ退治はその蛇神から人間の神への変遷仮定を体現したものであるという極めて説得力ある異説があったりもする。につき、アポロンも元来、同じ類だった可能性があり、実際、アポロンとピュトンの由来が(『黙示録』登場のアバドン/アポリオンという存在を介し)接合していると指摘する向きもある―
 )

 とにかくも、諸事情を加味し、キリスト教普及の背後にいたのも、ヘラクレスの冒険神話の作成者の背後にいたのも同じような者達、同じデルポイの地に根付くピュトーンのような存在 ―あるいはエデンの園の蛇のような存在― に自身たちを仮託していた者達であると考えられることが問題となる(キリスト教『黙示録』では蛇のような爬虫類的存在がニュッと出てきて人間を騙し、大量に殺す道筋を造ることになっているからなのは今まで書いてきた内容より言うまでもないことか、と思う)。


 ギリシャ・ローマの著名な神々の彫像。左からアポロン(ローマ名:アポロ)、アテナ(ローマ名:ミネルヴァ)、アレス(ローマ名:マルス)。彼ら多神教時代にあっての(キリスト教サイドから見た)異教神らは揃いも揃って蛇と結びつく。[左]のアポロに関しては同神を穿った上彫像それ自体が(彼がよりかかっている切り株に蛇が這っているという意味にて)蛇と結びつくが、アポロンが蛇と結びつくのは[属地的崇拝の沿革]からしてそうであるととれる。[中央]のアテナ(ミネルヴァ)に関しては彼女が身につけているアイギス ―イージス艦の語源ともなっている胸当て― に(彫像からは見えにくいだろうが)メデューサの首が嵌め込まれていることに同神の[蛇の女神としての来歴]が透けて見える。[右]のアレス(マルス)については著名な古典『アルゴナウティカ』に同神の配下としての門番の竜 ―ギリシャ古典に見る竜はドラゴンというより「大蛇」といった塩梅である― が登場することから推し量れるようにやはり蛇と無縁ではない神となる。そして、彼らオリンポス12神の父神たるゼウスもその原初をたどれば、[ゼウス・メイリキオス( Zeus Meilichios )]との名を冠されつつも、蛇の形態をとった神だったことが一部の考古学者や神話学者 ―たとえば海外では比較的有名なジョセフ・キャンベル― の指摘するところとなっている(:以上内容を踏まえて述べるが、「宗教というものが尊崇を強いてきた神というものが ―多神教であれ一神教であれ― 蛇と結びつくことに関しては当サイト中の右の記事を参照されたい」 ⇒ [蛇の神から人の神への変質 ―神話を分析することで浮上する奇怪性―](文字色改変部クリックによって遷移) )
 さて、本頁内容との絡みで重要となるのはそうしたギリシャ(ローマ)の神々の中でもアポロンに付きまとう[蛇の神としての沿革]である。本ページのより後の段の内容をお読みいただければお分かりいただけることか、と思うが、アポロンが[デルフォイの神託所の蛇]と由来を一にしていると考えられることは ―(望ましくなきものととれる映画産業関係者の挙動を介し)― [プログラムの問題]に関わりうると言えるのである。

〔4〕(補足としての図解部を挟んで述べるが)『黙示録』もヘラクレスのギガントマキアー参戦の話にも単純に文言レベルで相似性が存在する。以下のような形で、だ。
・神と敵対者の戦争に"選ばれた人間"としての側面を有した存在が参戦する。そして、そのことが最終的決着へと至る要因となる(『黙示録』では[鉄の杖をもった白馬の者]が「"12"の星をまぶした冠をかぶり月を足元においた女より生み出され」、天使達と赤い竜・獣との戦いに参戦。ギガントマキアーでは人間の血を引く者、ヘラクレスが参戦)。
・『黙示録』では一時的に赤い"竜"ことサタンが殺されずに[底なしの淵]に落とされたとされる。それはヘラクレスが参戦した"竜"の下半身を持つ巨人達ギガス達との戦いギガントマキアーにて一部の巨人が火山の下に放逐され苦しめられると伝わることと好対照をなす(※)。

※サタンとギガスの放逐にまつわる類似性の話はあてつけではない。ギリシャ神話上ではミマスやエンケラドスといったギガスが火山の下に放逐されたとされるのだが、それらギガスの名が後に土星ことサターンの衛星 ―18世紀初期に発見された衛星― の名に転用されていることが意味をなしてくる。ミマスやエンケラドスのようなギガスの名を冠した衛星に持つ土星。その欧米圏における神格化存在サターンは[時の翁/サトゥルナスというローマの神]を通じてサンタ・クロース ―SantaはSatanのアナグラム(アルファベット入れ替え語)である― と結びつくのだが、私が分析したところ、"赤い"竜ことサタンそのものとも結びつくからだ:言っておくが、「理路整然としたやり方で」右の話、[伝承上の土星神格化存在サターンと悪魔の王たるサタンの一致性]の話に言及する人間は欧米人にも皆無に近しいほどにいない。両者の発音上の響きが ―アラム語と英語との差異はあれ― 極めて近しくとも、だ。しかし、私は伝統的土星神格化存在サターンと悪魔の王サタンの関係性にまつわる「立証」までをも本Webサイト上の他記事 ―クリスマスと『黙示録』。その不気味極まりない相関関係と題した他記事:文字色改変部をクリックすることで遷移可能― で数万字余字を割いてやっている


上図像群の出典は左より、
[アメリカ合衆国に存在する19世紀末製作の[時の翁]の像]
[15世紀後半に作成されたと伝わる古文献 ― Leopoldi compilatio de astrorum scientia という古文献― に見る土星の神格化存在たるサトゥルナス]
[ダンテの『神曲』の近代刊行版に画家ギュスターブ・ドレが付した魔王サタンの挿し絵]

となる。
 それら図に見る存在につき私がWeb上の本頁の先の段にて紹介している他記事
[黙示録関連の本サイト上他記事][クリスマスと『黙示録』。その不快極まりない相関関係]との題の他記事)
を読まれることで ―(根拠主導方式の話をきちんと読み解くだけの精神の余裕を残された向きには)― 次のことをお分かり頂けるものと「保証」する。
・[時の翁]といった名称でもその名残を残す[欧州の往古の時の神クロヌス]は中世にあってより土星の神格化存在サトゥルヌスと「混同ないし同一視」されもしていた:ローマの神たるサトゥルナスSaturnusの神話的淵源はギリシャのタイタンの一柱、そして、ゼウス神の親たる神はクロノスにあるといわれているが、そのクロノスは時の神たるクロノスとは同一名の全く別の神格などとされている。だが、現実には鎌と砂時計を持つ形態、時の翁といった形態で現在にその名残を残す時の神たるクロノスも ―別存在などとされる[タイタンのクロノス]との絡みもあってか― 上図間類似性に見るようにサトゥルナスと結びつけられていた)。
・[時の翁]とも結びつくサトゥルヌス、その土星(サターン)の神格化存在は実は冬至の祭りを介しサンタ・クロースと結びついている。だけではなく悪魔の王たるサタンとも結びつけられている。
 何故、以上のような話を殊更に強調しもするのか。その理由はそういったことまでもが
我々の生命を諸共、[時の翁](=クノロス=サターン)の鎌で刈り取るがごときの悪しき計画
の命名規則、本頁で考えられる帰結の一についての推測を述べている計画 ―アトラス・プログラムとでも呼称すべき計画― の命名規則に関係していると判断できる
ことにある。 

〔5〕上述の〔2〕の話とも関わることとして、キリスト教では12月25日、まさしく、"12"ヶ月が終わろうとする際にキリスト降誕を祝う(クリスマス)。それについては上掲のフィリッポ・リッピの絵がキリストの降誕Nativityと関わることも問題となる。クリスマスと結びつく降誕がらみのリッピの絵が茶化すように『黙示録』の赤い竜 ―直近の〔4〕で言及したように「サンタクロース」とも結びつく存在― にデューラーの版画で対応づけられているからだ(:デューラーの絵とリッピの絵の対応関係は本頁冒頭から挙げた図の対応関係を精査のこと。また、付言するも、デューラーの版画作製の時分では近代的サンタクロースの概念は確立していなかった)。
 だけではない。ミトラ教の「冬至」の祭りを習合したのがクリスマスであるとされることも問題となる([問題意識の所在―11―]と題した頁にても言及)。「冬至」と言えば、だ。2012年人類滅亡論との兼ね合いでも問題とされる時期であるからだ(:冬至の十二月二十一日近辺に望ましき何かが起こるというの一部のがニュー・エイジャー達の主張だが ―彼らは既述の「プレイアデス星雲」と併せて「昇天」を意味するアセンションなる言葉を使ったりもする―、それらと表裏をなす滅亡論も同じ時分に破滅的なる何かが起こるとしている。個人的にはそういった有象無象の非科学的なる説らが、だ。揃いも揃って典拠にしている「マヤの暦」が「以前に存在した各世界群が滅ぶ周期を"13"と結びつけていた」とされることを重要視している。何故か。「マヤの暦」を生み出した中南米文化圏。それはアステカにて「予言の年通りの望ましき蛇の神の再来」とされた征服者エルナン・コルテスの到着"など"を契機に[土着文化と固有民族ほぼ死滅](アステカに関しては数十分の一を除き数千万人死亡との説もある)の如き結末を迎えた文化圏となるが、[人間の操作]が強く行われていたととれる文化圏でもあり、見方を変えれば、そう、「アメリカ大陸=アトランティスにあった文化圏でもある ―ここに至るまでに何度も訴求してきた話である― 」からである)。
 「冬至」と結びつくクリスマス(降誕祭)の来訪者、赤い服のサンタクロースがサタン(赤い竜)とも結びつく ―サンタが英文綴りでもサタンのアナグラムになっていることなど微小なことにすぎないといったレベルで指摘されざるところの記号論的なる結びつきが存する(委細は先の段にて紹介の当サイト上の他記事をご覧いただきたい)― ことをも考慮に入れて、「すべてが出来すぎているほどに出来すぎている」と言えるのである(:冬至の祭りたるクリスマスと結びつくと他所で詳述をなしているサタンは『黙示録』の大殺戮時の来訪者でもあるからだ。[欧米圏では年の暮れと新年の境目と結びつけられる鎌を持った時の翁]=[鎌を持った土星神格化存在サターンの類似存在]がその画期を管掌する「12」(月)と「13」(=1月)という数字上の接点の話込みで気になるところではあるだろう)。

 どうだろうか。以上の〔1〕-〔5〕を読んでいただいたことでアトラス・プログラムがキリスト教妄信体系とも結びついているようにとれること、半面ででも推し量っていただけのではないだろうか。換言すれば、アトラス・プログラムが『黙示録』のごとく大災厄実現(現行人類の絶滅か大幅削減と結びつく大災厄実現)を目的のうちに含んでいる「可能性」があること、推し量っていただけたのではないだろうか。

(上のように書きはしたが、図付き注釈部らを間に入れたことにより流れを追いづらくなっており、かつ、元の話からして入り組んでいたことから、要点をいまひとつ押えかねているとの方もおられることと思う。そこで、(「であれば」のこととしての各部再読を願いつつ)、〔1〕から〔5〕の内容の一言要約をここになしておくこととする。

〔1〕⇒キリスト教圏では12と結びつく13を忌数とする慣習があると紹介した。

〔2〕⇒多くの宗教・神話体系が12という数と結びついていることを示し、そうしたことが[太陽暦・太陰暦の調整プロセス](13に重きを置いた調整プロセス)と結びつくとの解釈が成り立つと論じた(暦を規定してきた黄道12宮に現代的解釈では13番目の蛇使い座を加える潮流がある、ともしつつ、である)。そのうえで、計12の功業を終えたとき(13番目)に蛇の眷属との決戦を迎えるヘラクレス冒険への意識誘導をなした。

〔3〕⇒キリスト教がヘラクレスの12功業を誘発した太陽神(アポロン)と結びつく怪蛇(ピュトン)]に聖書の中ですら担がれている宗教であると示した。

〔4〕⇒聖書にあっての『黙示録』がヘラクレス冒険にあっての12を終えたときに迎える蛇の眷属との決戦と記号論的に結びつくものであることを示さんとした。

〔5〕⇒(直近の補足内容と〔4〕の内容を受けつつ)キリスト教『黙示録』登場の古き蛇サタンが12か月の終わり](冬至)と高度に記号論的に結びつくと述べられること、そうしたことがウェブ上のページ切り替え部冒頭から示している[絵画の構造類似性を通じて述べられること] ―(本ページ冒頭より問題視している類似性は[12か月の終わりの部にて配された降誕祭関連の図像(キリスト誕生の図)とサタンの襲撃を巡る図像のミトラ教シンボリズムを間に介しての類似性]となる)― と接合するように取れる風になっていること、論じた

 以上の要約部をもってして、筆者が〔1〕から〔5〕にて何を指し示さんとしてきたのか、ご理解いただけたのではないか、と思う)

 以上、論じたうえで述べるが、ここまでの[黙示録よろしくの大量殺戮計画を観念できる]との話は ―残念でかつ不快でならないことに― 「可能性」の話にとどまらず「兆候」の話とも結びつく。以降の部ではその「兆候」の話に触れる。

 としたうえで、下の図をご覧いただきたい。

     

 上掲図
[16世紀の版画でピュトーン(上述の聖書に言うところの[予言の霊]たる死せる怪蛇。図では蛇というより竜のように描かれている)を倒すギリシャの太陽神、アポロン]

を描いたものだ。それが何故、「アトラス・プログラムが[黙示録よろしくの大災厄実現]を目的のうちに含んでいる[兆候]の話につながる」かだが、焦らず先を読んでいただきたい。

 さて、着目すべきことには上図のアポロンに巻きついた帯が極めて不自然な形でひるがえって描かれている、露骨に「蛇」を想起させるようにひるがえって描かれているということ「も」ある。ピュトーンを倒した者も蛇の類のシンボルが大好きな存在に偽造された神格か、という文脈上でだ(:緑色の丸で囲った部分。帯による「蛇」状形態の現出が上掲図だけなら問題にはならないのだが、そういう歴史的図画が多すぎる。本Webサイトでもここに至るまで何例も同様の例を挙げてきたように。ために、上の一例もご多分に漏れず同類、蛇の怪異を倒させたアテナ神の蛇神起源論 ―上述― のようなものがアポロンにも当てはまると示唆する同類 と見ている)。

 そのようなことに触れつつもここで問題視せねばならぬのは次のI-Vにて述べるようなことが存在し、上図に見る"ピュトーン"(アポロンとも結びつく怪蛇)を[不快なる占いの霊]として人類の帰趨を決するプログラムの概要を予測しうることだ(本頁にあっての先の段でも論じたことだが、ピュトーンは新約聖書の『使徒行伝』16章にキリスト教伝道者らを讃える占いの霊として登場してくる ―聖書の日本語訳版によっては[占いの霊]との語で[ピュトーン]との語を代替させているようだが― )

I.1999年に封切られたフリーメーソン象徴で満ち満ちた映画、『ファイト・クラブ』。既述のように同映画はWTCで2001年9月11日に何が起こるのかを露骨に前言していた映画だった([問題意識の所在―6―]と題して始めた頁にて〔1〕-〔10〕と根拠を挙げ連ねて詳述)。その犯罪予告映画ともとれる映画『ファイト・クラブ』は影響を受けている何のかアトラス・プログラムとも上述の占いの霊、ピュトーンとも完全につながる映画、及び、映画業界関係者の、である:下らない陰謀論者達のようにフリーメーソンの[人形]の世界に過度に人脈人脈云々してもあまり意味のないことではある。[人形]の世界の人脈はヒトの形をした代替性の道具によって"なっている"にすぎないのだから。が、ここでの話は例外だ)。

II.上のIを受けた上で、だ。具体的に『ファイト・クラブ』が影響を受けている映画、及び、映画界人脈についてだが、映画のタイトルは『12モンキーズ』。映画業界関係者は右『12モンキーズ』を撮った映画監督、テリー・ギリアムである。
 まずもって、テリー・ギリアムの方だが、同男、かつて英国のコメディアン・グループ、「モンティ・パイソン」に属していたことでも有名な男だ(:「モンティ・パイソン」は言わば、ドリフターズを洗練化したような英国お笑いユニットで、犬と人形がその"表向きの"アンチ・メーソン色などをもって評価している素振りを見せるユニットでもある。が、言っておくも、モンティ・パイソンのアンチ・メーソン色は表だけのものであり、彼ら自身が最悪の部類のインサイダーだととれる側面があったりもする⇒それを間接的に揶揄するような英語動画もネット上に存在している。きつい物言いとなるも、日本の犬のような文化人"気取り"はその程度のことも分からぬ類だから餌に与っていられるわけだが)。 
 そこにいう「モンティ・パイソン」のパイソンとは上掲の占いの霊、「ピュトーン」のことである(続く話と複合顧慮しその意味をよく考えてみるべきである)。
 モンティ・パイソンのテリー・ギリアムが撮った映画の方、『12モンキーズ』についてだ。同『12モンキーズ』、不快な要素を何点も『ファイト・クラブ』と共有している映画となっている。
 その点、『12モンキーズ』と『ファイト・クラブ』は
A.『12モンキーズ』も『ファイト・クラブ』もハリウッド俳優ブラッド・ピットにクレイジーな過激派主導者 ―世直しを掲げつつも本質的に悪戯目的で動いていると解される過激派の主導者― を演じさせている
B.[ブラッド・ピットが演じる飛んでしまっている過激派指導者]に率いられた『12モンキーズ』劇中登場の過激派組織トゥエルブ・モンキーズを明らかに意識しているととれる塩梅にて『ファイト・クラブ』の過激派成員に「スペース・モンキーズ」という呼称が劇中、使われている(:それにつき、スペース・モンキーズとの呼称については『ファイト・クラブ』の原作小説、チャック・パラニュークという(そちら系の人間だろう)作家がものした["191" ―911の入れ替え数値― 階建てのビルが時限爆弾爆破されるとの筋立ての原作小説]の段階より見受けられるものとなっている。しかし、チャック・パラニュークの1996年刊行の原作小説は1995年公開の『12モンキーズ』の影響を受けているととれるため(テロ言及作品に対するオマージュととれる)、話はテリー・ギリアムの『12モンキーズ』の悪質性の問題から離れることはない)。

との共通点が存する(以上、AとBだけ挙げれば十分だろう
)。

III.上のIIを念頭に置いた上で強調しておく。
「メーソン製予告映画の『ファイト・クラブ』がその影響下にあると明示可能な映画『12モンキーズ』の内容だが、[意図的に散布された生物兵器によって人類が数パーセントを残して大量死した世界]が重要な作中要素となっている作品である」(※)

(※生物兵器による現行人類大量殺人計画についてはフリーメーソン色濃厚な他のサブ・カルチャー群と『12モンキーズ』の間にあまりにも不快な対応関係が成立している。については「組織と呼ばれる人形の集団に押し付けられるコンセンサス」との絡みで私の無償公開版著作の最後の脚注部にて一万五千字以上、割き、入念に論じている。この世界の行く末について心底、想いを馳せる必要を感じている方々は同無償著作をダウンロードの上、その点につき精査されるとよいだろう)。

 ここでまずもって問題とすべきは生物兵器による人間大量死をとりあげている『12モンキーズ』がこだわる12という数がヘラクレスの冒険の第12番目につながりうる数であり、かつ、11の次の数であるということである(11は9月11日のあの事件の重要なるファクターであり、アトラス・プログラムの重大な一要素でもあることは繰り返すまでもない。この際、20"12"年絡みの話は抜きにしても、だ)。
 そして、『12モンキーズ』を模倣した映画(『ファイト・クラブ』)が[アトラス登場のヘラクレスの11番目の冒険と密接に結びつく9月11日の事件]を露骨に前言していたものであったことであり、 ―極めつけの話として― 『12モンキーズ』の製作サイドにアトラス・エンターテインメントという会社が名をつらねていたことだ。
 フリーメーソンのような手合いによって最悪の大量虐殺計画が実行に移されかねないことは「この段階でも」推し量れる(『ファイト・クラブ』の過激派と『12モンキーズ』の過激派は対応させられているとしたが、『12モンキーズ』の方の過激派は大災厄実現 ―人類大量殺戮実現― の実行者と勘違いされていた言わば、[本筋ならぬ存在]だった。仮に、九月十一日の事件を起こした「ファイト・クラブ」成員のような連中が本筋ではない陽動部隊なら、最低・最悪の本筋が何をやらかしてもおかしくない者達として控えさせられている可能性がある:私は極めて高い可能性で「そうだ」と見ている。既述のCERNはその最有力候補の一つだ。ヘラクレスが[12番目]の冒険で冥界より引きづりだしたケルベロスが地上に撒き散らしたと伝わる毒の涎が映画『[12]モンキーズ』で描かれる壊滅的被害惹起のウィルスの類に仮託されている可能性もあるのだが)。

IV.テリー・ギリアムという男は、だ。つい最近、封切られた映画、自身が監督した「パルナサス」が名につく映画 ―(「パルナサス」とは大蛇の怪物ピュトーンとも結びつくデルポイの神託所に面した山だ。が、占いの霊、ピュトーンをその名に冠したお笑いユニット出身者らしいお遊びでは全く済まない話だ)― にて儀式殺人行為のお膳立てをしていたと言える。冗談抜きにテリー・ギリアムはハリウッド俳優ヒース・レジャーがあまりにも不審な象徴にまみれた死に方をすることになったお膳立てをしたと言えるのだ(:バットマン・シリーズの有名映画『ダークナイト』で道化的犯罪者、ジョーカーを怪演したことでも有名なヒース・レジャーが何故、お膳立てされた死を迎えた ―要するに生贄殺人の具にされた― と言えるかは私の無償公開版著作の「生贄殺人」関連脚注部にて8000字以上割いて、細かくも論じている。客観的証拠群に裏付けられた"悪魔的な世界の現実"を知る勇気をもった方にのみ同著作を精査されることをお勧めする)。

 具体的には、

 スター級のハリウッド俳優だった故ヒース・レジャーはデルポイの神託を連想させる映画『ドクター・パルナサスの鏡』にて[モンティ・パイソンを介し「占いの霊」ピュトーン(パイソン)ともつながるような映画監督](テリー・ギリアム)によって
[額に三角形の中の一つ目を刻まれた吊るされた男(ハングドマン)
として登場させられた後、不審死「させられて」しまったわけだが、彼がそうして死ぬことになった背景には極めて厄介な比喩が隠されていると確言 ―いいだろうか。確言である― できてしまうのである。
[額に三角形の中の一つ目紋様を描かれもした吊るされた男を演じさせられていたヒース・レジャー]が
北欧神話上の最高神オーディンのシンボルと結び付けられる形で死亡させられもしていたこと
が ―2009年末に海外で封切られた上映画やその他の類似映画・類似事件(意図的に殺されたハリウッド俳優はヒース・レジャーだけではないことを示す"類似"映画・"類似"事件)を分析する限り― 客観的に見てとれる

ということがあるのである(『馬鹿げている』と取り立てて強くも思われるところだろう。が、その点については事細かくもの解説をなしている私の著作の公開版および当サイト上の他記事[「プログラムの象徴」としての生贄殺人](クリックすることで遷移)の内容を検討いただくことで[事実である]とご納得いただけるものか、と思う。実に残念ながら)。

 それにつき、オーディンというのは[北欧神話上の最終決戦ラグナロクで死ぬことが決まっているとされる存在]であり、そのオーディンと結びつくのがタロット・カードの「吊るされた男」、ヒース・レジャーがその格好をさせられた「"12"番目のカード」であることが無視せざるべきこととなるように解せられる(ただ、[勇士の魂を神々の最終決戦 ―神々及びヘラクレス 対 ギガンティスの戦いを想起させる― にいざなう神オーディン]にどんなプログラム上の位置づけが与えられているかはいま一つ分らないところがある。また、言っておくが、私はタロット・カード云々するオカルト理論など下らぬものと見ている。そのようなものは犬と人形にくれてやればいいとさえ思っているのだが、プログラム絡みの隠喩と数値だけは問題と見、分析対象としている)。
 そういった儀式的行為は自身の監督作品の題に『"12"モンキーズ』と掲げた男テリー・ギリアムが、そう、占いの霊(テリー・ギリアムが所属していたモンティ・パイソンの名の由来となっているパイソン)に憑かれていそうな男が何を考え"させられているか"、という観点上、決して軽んずべきことではない(※)。

※ここで長くなるも付言しておくが、[ヒース・レジャーの不審死]自体がチェス盤上の"人形"達への覚悟の押し付けだったようにもとれる。
「人類の帰趨を決するプログラム ―私は"アトラス・プログラム"との呼称を与えた― は最低なものであるも、"飼い主"達の下らぬコンセンサスになっている」
と再認識させつつの。
 に関して、私が真に浅ましい人間の性根の表れと見ていることには
テリー・ギリアムが用いた映画のタイトルの名に用いたパルナサス山がギリシャの大洪水神話(聖書の洪水伝説やメソポタミアの洪水伝承に対応)で生き残った者達、"プロメテウス"の子であるデウカリオーン"など"が到達した"約束の地"とされていたこと
がある。そこにかなり前に既述の映画『2012』に見られる屑たちの心性と同様、次の『』内のような「パルナサスの一語の使用動機」があったと見ているがゆえに。
『排他的選民主義を内に秘める醜団体、フリーメーソンや創価学会。おトモダチである両者は自身達が大量虐殺のユニットとして用いられる可能性を認識しつつ(フリーメーソンは911を起こしたがそれは前座ととれると延々、述べてきた)、身内同士で自身達だけが大洪水の如き大災厄から逃れられると ―実に噴飯物なことに― 妄信している節がある(そういったことを言わ"されていた"金融マフィアの男を個人的にも一人、知っている)。だから、身内で危険な状況を臭わせつつ、[特定の選民主義体現キーワード](ここではパルナサスだ)を用いて意思伝達し合っている』。
 我が身可愛さ"のみ"に生きる輩達、かつ、他人を犠牲にする輩達は自分たちが[使い捨ての駒] ―そうだと自然に考えられるだけの事情がある― であることすら認識できないよう"調整"されているとしても、だ。私はそういった人間の浅ましき性根がなくならぬ限り、人類に望ましき未来はない、と思っている
)。

V.お膳立てや前言絡みでおトモダチには死んでもなりたくない輩、テリー・ギリアムの出身母体モンティ・パイソンは、だ。私が一時、籍を置いていた ―が、決して没入できなかった― 「IT業界」とも不快な、いや、深い関係を持つ芸人ユニットだ。情報処理産業界で用いられるプログラミング言語にパイソンことPythonという名のオブジェクト指向プログラミング言語が存在するのだが、その海外で主に用いられているプログラミング言語命名の由来が「お笑いユニット、モンティ・パイソンに開発者が感化された」ことに"なっている"からだ(オブジェクト指向プログラミング言語の根底に流れる思想はフリーメーソンを媒介とした支配思想ときわめて近しいものであり、かつ、同オブジェクト指向プログラミング言語は関連シンボルの時点でメソニックな部分も少なくはない)。
 とした上で、プログラミング言語のパイソンの象徴イラストが「双頭の蛇」であることにも着目すべきだ。「双頭の蛇」というのはまさしく、ギガントマキアーでヘラクレス ―(いいだろうか。同ヘラレクレスはアポローンの神託が原因で多頭の蛇の怪物の眷属を多く相手にする12の試練に挑むことになったのである)― が戦う相手ギガンティスの脚の恰好だからだ。そういった"一見、迂遠な話"も、
[モンティ・パイソン出身の(あるいは[アポロン神託所の蛇の霊の名を冠するコメディグループ]出身の、でもいい)テリー・ギリアムが『12モンキーズ』という映画 ―911事前言及映画『ファイト・クラブ』と関係がある作品― を撮っていること]
[11と12絡みの儀式殺人のお膳立てをするような者であること](委細については指定参照先を参照のこと)
との兼ね合いで決して軽んずるべきことではないととらえている(プログラミング言語の"ようなもの"で動かされるのはハードウェアでなくヒトであっても[マシーン]なわけだが、現実のマシーンが双頭の蛇で象徴されるようなものに操られうるということは軽んずるべきではないだろう。とした上で「テリー・ギリアムはマシーンのような男ではない。彼はメッセージ性高き映画の監督として受けがいいような人間だ」などという屑の論法には惑わされないようにしておくべきだ、ともあらためて強調しておきたい ―「愚者の国」となるべく調整されている日本の"犬"のような輩しかギリアムの映画など今時、担がないだろうが― 。彼、ギリアムは自身の撮った監獄社会風刺作品との"設定"の映画で劇中の非人間的拷問実行担当者、すなわち、マシーンの娘として自身の娘を出演させているような筋金入りであることも把握しておくべきだ、と述べつつ)。

 以上、I-Vで述べたようなことを精査していただければ、だ。アトラス・プログラムのフリーメーソンなぞを介しての目指す方向が
「人類の大量殺戮 ―根本的改変を強いる準絶滅ないし絶滅とも接合― である」
可能性があることもお分かりいただけるだろう
。そして、[人間レベルでの大量殺戮計画]の存在可能性が推し量れるのなら、(であれば想定されるところの)計画実行手段が何なのかも問題になるが、「生物兵器」が最もありうべき候補だと見ている。何故か。無差別ウィルス兵器使用の比喩が多くのフリーメーソン関連サブカルチャーに対応関係を伴って垣間見れるからだ(上の『12モンキーズ』はそのうちの一つにすぎない。細かい対応関係について知りたければ、私の無償公開著作をダウンロードの上、読まれるとよいだろう。上の箇条表記部I-VIIIで述べたことを繰り返すようだが、同無償公開著作の「一万五千字以上、割いて、図表付きで生物兵器使用の可能性について詳述している最後の脚註部」を読まれれば、多くのことが分かるようになっている。『不思議の国のアリス』/『鏡の国のアリス』の比喩とも接合しながら生物兵器などを用いての大量殺戮の意図がある"らしき"こと分かるようになっている)。


 以上をもってアトラス・プログラムのありうべき帰結の話を終えることとしよう。とした上で、ここに至るまで述べてきた考えられる三つの帰結、

「次元の接合がなされるなどして[直接統治の時代] ―あるいは[卵の殻にされた人類の大破局]― がもたらされる」(尚、粒子加速器実験で[安定したブラックホール]やワームホールの類が発生すれば、我々全員が凄まじい潮汐力で瞬時に殺されると考えられる中(普通に考えればそうなる)、右にて直接統治の時代などと馬鹿げた発想と看做されかねないようなことを書いているのは ―先の頁で述べたことを再述するが― 以下の理由による。
 ⇒ 米国人物理学者ミチオ・カクの海外でヒットを見た(原著2004年刊の)著作『パラレル・ワールド(邦題)』には [ニコライ・カルダジェフが提唱した著名な先進文明に関する予測](英文wikipediaに[ Kardashev scale ]と項目が設けて記載されているようなもの) に基づいてだろうこととして[超高度といった程度にテクノロジーを深化させた文明]はその極小性ゆえにワームホールの中の潮汐力や放射に耐えうる極小機械の類を[文明構築・再建の種子]として別宇宙に送ることも可能になるとの予測が立てられる、と記載されている。 仮に、[ナノマシン(あるいはそれより小さい規模のフェムトマシンFemto-machineのようなもの)] でそうした離れ業すらもなせる超高度テクノロジーを有した存在が人類を操っているのならば、人為的に構築させたワームホール越しに[種子]の送信をなそうとの計画のこととても観念できる。 それゆえ、先の頁にて紹介のCERNにて情報技術および調査のセクションを指揮するセルジオ・ベルトリッチの[問題となる申しよう] ―風刺記事の中で問題視されながも確としてなされたとされる「粒子加速器実験によって何かを送れるようになったり何かが来ることになる可能性もある」などとの申しよう― とあわせて直接統治の可能性とて否定はできないと考えられるとするのである(「ブラックホールを[エレベーター]に、ワームホールを[エレベーターの出口]に。」といった状況下で出入口周辺地域が生物が存続できる形で残っていると観念すること自体、「ナンセンスの極み」と受け取られよう方もおられるかもしれないが) )

「人間の"魂"と呼ばれる精神性が完全に圧殺されてしまう;人類が精神性なき機械のような存在へと変えられてしまう」

「"現行"人類は大量間引きされるか、または、死滅させられる」

複合的に発生しうると考えられるものであることもここにて強調しておく。各予測はその成り立ちの論拠を共有する、としつつ、だ(※)。

(※例えば、「人間の"魂"と呼ばれる精神性が完全に圧殺されてしまう」ことに絡み述べてきた論拠につき、魂の死が肉体の死と結びつくのなら、それは「大量殺戮」の論拠ともなる。あるいは「次元の接合」が人間の「大量殺戮」を伴うなら ―ワームホール越しに大量殺戮生物兵器をフェムト・マシンといった形でこの次元に送り込むつもりであったりワームホール開閉が(おそらくそうなると解されるように)世界の破滅を意味するということであったなら― その論拠は大量殺戮の論拠と同義のものとなる

 本頁はここまでとし、最後の頁にあたる次頁に入ることとする。

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