歴史。伝承。神話。人類の歩んできた足跡上に存在するエニグマ(謎)

 
 

クリスマスと『黙示録』。その不気味極まりない相関関係  [重要テーマ取扱い記事]

 本記事のテーマは上の表題にて掲げているように

「クリスマスことイエス・キリストの降誕祭と『黙示録』の(客観的にはきと指し示せるところの)関係性について論じる」

ことである。そのように言明した上でまずは極めて常識的なる話から始めるが、
「欧米(なかんずくカトリック圏)におけるクリスマスの位置づけは我々、日本人が考えている以上に大きい。はるかに大きい」
とのことがある。
 クリスマスとは日本で言うところの[年末・年始の全行事]がワンセットとなったような長大なイベントなのである(欧州のクリスマス休暇は一般に12月24日から1月1日まで続く。カトリック圏のクリスマスは12月25日から1月6日まで続く。株式取引をやったことのある人間なら分かろうが、米国を介し世界株式市場に影響を与えるクリスマス商戦とは日本で言うところの年末商戦をすべて包含するような色彩のものなのである)。

 そのような[プレゼントをもらう子供達のみならず大人達にも区切りとして重大な意味を持つ欧州のクリスマス]だが、何故、それが『黙示録』と関係していると述べるのか。よりにもよって、『黙示録』、新約聖書の最後部を飾る最低の預言文書にして
「神に従わない者(獣や偽預言者に味方する者などと分類)は皆、殺される」/「神の千年王国が現出した後、命の書に名が載せられていない者は火の池地獄に投げ込まれて永劫に苦しむ」
などという選民主義の戯言ばかり並べている同文書と。

 非常に長く、かつ、ややこしい話になるが、以下、その点につき万事、遺漏なく根拠主導方式で実証的に遺漏なく論じていくこととする()。

※真実を知りたき読者の方々に、あるいは、私が正しく、かつ、論理的なことを述べているかどうか確認する必要を感じた方々にまずもって含んでおいてもらいたいのは以降の内容が「非常に長く」かつ「複雑に」なるということである。
 しかし、そうは述べつつも、段階説明方式を採用。始めからきちんと読んでいけば、理解に苦しむようなことは書いていない(つもりである)。ために、読解上の要となるのは[長大な本記事を構成する各パート毎の内容]をきちんと把握できる環境で臨むこと。唯、それだけである:筆者としてはWebページを[保存]するなどして、あるいは[印刷]し紙ベースにしておくなどして何時でも中断・再開が出来る姿勢で読み解いていくことをお勧めする。尚、印刷される際には外の商用端末 ―学生の方などは所属教育機関の端末でもいい― を用いてでも、カラー印刷で刷られることをお勧めしたい。本Webサイト上全コンテンツに共通することでもあるのだが、文字色を変えたはずの括弧()内記載部がモノクロ印刷では際立たず、そのため、必要以上に括弧内記載部に拘泥させられかねないと ―筆者ながら― 危惧しているがゆえに、である
)。

 それでは以下、本題に入るとし、最初に下に挙げた各図(および付してのそれらにまつわる解説)をご覧いただきたい。

 上掲四図中の左上は15世紀末に描かれた[サトゥルヌス](Saturnusというローマ由来の神の画となる(:往古の西ローマ帝国の時代も遠くなりし頃、15世紀に描かれた Leopoldi compilatio de astrorum scientia という古文献に収録の画となる)。

 図の右上は円で囲って示したようにサトゥルヌスと相似形を呈する存在を描いたものである。より具体的には、[時の翁]( Father Time と呼ばれる"比喩的存在"をヤン・サーンレダム( Jan Searnredam )というオランダの芸術家が17世紀初頭に描いたものである(:[時の翁]の描写を含むヤン・サーンレダムの上作品についてはその寓意性から[911の事件の儀式性を立証した本Webサイト上からダウンロード可能なPDF文書]のタイトルにも用いているが、それはここでは余談だ)。

 次いで、図の左下[ユールのヤギ]こと Yule Goat(ユールとはゲルマンの冬至の祭りのことだ)とも結び付けられていたクリスマスの伝統を受け継ぎヤギの上に乗る[クリスマスに来訪する老人]である。につき、[サンタクロース]という呼称を敢えて用いず、[クリスマスに来訪する老人]としたのには訳がある。欧米ではクリスマスに子供達にプレゼントを渡す老人を[サンタクロース]と呼称しない地域も多く、 Father Christmas、クリスマスのおじさん・クリスマスの老人といった他の呼称もたくさんあるがため、より包括的な呼称を用いたのである。

 四図中の右下。悪魔の王、[サタン]を描いた近代画(画家ギュスターブ・ドレが『地獄篇』近代刊行版の挿絵として描いたとのもの)である。

 ここまでの内容からして何やら、ごちゃごちゃしていて分かりづらいという方も多かろう。多かろうから、上掲図像群にて示される視覚的特徴を押さえた上で、なおかつ、次の点につき述べるのが当記事の趣意であること、把握しておいてもらいたい、としておく。

 [土星神格化存在サトゥルナス](左上)とそれとほぼ同等の存在である[時の翁](右上)。及び、[サンタクロースとも称されるクリスマスの老人](左下)[サタン](右下) それら全てが結びつきながらクリスマスに『黙示録』との接点があることを指し示すとの神話・伝承上のアイコンとなる」

 以上のように当記事で指し示す所存であることにつき述べた上で、話を進展させるためにもうひとつアイコン(象徴記号)となる存在を挙げておくことと。それは北欧神話の主神、オーディン(Odin)である。下の図をご覧いただきたい。

 は19世紀後半にて描かれた北欧神話主神オーディン ―隻眼の神― の画、伝承に見るオーディン似姿に基づいて作成された画である。はオーディンが8本足の愛馬、スレイプニルに乗るさまを描いたゲルマンの遺物(レリーフ)よりの抜粋である。 ここでは上掲図に示されるオーディンの視覚的特徴 ―白ひげを豊かに蓄えているといった特徴― とオーディンの愛馬(スレイプニルと神話上呼称されるそれ)が8本足となっているとの[神話上の設定]を押さえておいていただきたい

 ここまででもってして[(当記事での論証を展開する上で)前提として挙げるべき存在]を挙げきった。

 次いで、それら前提となる存在、そう、今まで挙げてきた[アイコン(象徴記号)となる存在ら]にアルファベットを振ってクリスマスの背後にある悪魔的比喩 ―『黙示録』との絡みでの比喩― について解説を講じることとする

 具体的には、である。下のADのように振っての神話・伝承上のアイコンらの間の相関関係を論じることで真実につき訴えることとする。

A[サトゥルヌス]/[時の翁]
B[クリスマス来訪の老人](繰り返すも、サンタクロースは包括的名称ではない
C[サタン]
D[オーディン]


[サトゥルヌス]/[時の翁][クリスマス来訪の老人]の関係について

 まず、A[サトゥルヌス]/[時の翁]B[クリスマス来訪の老人]の関係について指摘することからはじめる。そこには下の箇条書き部 ― 点(・)で始まる各箇条書き ― によって示せるような相関関係がある。

サトゥルヌスとはローマ由来の異教神だと一言触れたが、そのサトゥルヌス、古代ローマではかなりメジャーな存在だった(とされる)。ローマではサトゥルヌス絡みの祝祭、サトゥルナリア祭が一週間もの期間、主従逆転風習(主人が奴隷に給仕する等)とワンセットになった乱痴気騒ぎを伴い催されていたと伝わるぐらいにである。
 とした上で、述べるが、サトゥルヌスに捧げる祭り、サトゥルナリア祭は
[クリスマスのひとつの起源]
であると考えられもしている
クリスマスには他にも起源となるものが挙げられているのだが、それはおいおい触れる)。
 欧米の民俗学者がそうも指摘するの理由として第一に、開催時期の相似性がある。年末において、そう、
[冬至(12月22日)]
に近接した時期に行われることで両者は"酷似"している(サトゥルナリア祭は12月17日から12月23日にかけて開催されたというが、一見、それは今日のクリスマスの12月25日から1月6日と微妙にずれている節もある。だが、クリスマスもサトゥルナリア祭もここにいう冬至、夜が最も長くなると同時に太陽の力が徐々に力を取り戻していく折り返しポイントとなる日付と関わる祝祭であることより接合していると言える)。
 第二に祝祭開催期間にまつわる相似性のことがある。サトゥルナリア開催期間は一週間前後ということで今日のクリスマスの祝い事の期間に近しいものがある(冒頭で述べたように欧米のクリスマスは長大なイベントである)。
 第三に形態の近似性のことがある。伝わる所によるとサトゥルナリアは[プレゼントの授受]をも伴っていたという。それは今日のクリスマスと相通じるものがあるのは言うまでもない。
 以上の類似点からサトゥルナリアとクリスマスは「客観的に結びついている」と述べることができる。そして、それは少数派の異説ではなく、多くの学究(正統派の学者達)が認めるところである。

上の点(・)にて述べたことを顧慮したうえで述べるが、サトゥルナリアと結びつく存在、[サトゥルヌス](及び、それに姿が酷似した[時の翁])とサンタクロースなどとも呼ばれる[クリスマス来訪の老人]には無視出来ぬ共通点がある。
 まず、[年末年始に絡む存在]であることが大きなこととしてある。それについては、サトゥルナスと姿が似ている、というより、それと同一の存在である[時の翁] ―"表層的"にはサトゥルナスがギリシャの[時の神]クロノスとも結びつく存在であるため、時を司る翁がサトゥルナスと共通の姿になったともされる― が
[年の変わり目にての過ぎゆく昨年]
の象徴とされることがある。に対して、[クリスマスに来訪する老人](再三再四、述べるがサンタクロースは普遍的なるその呼称にはならない)は
[過ぎゆく年の末]
にやってくる存在とされ、その式で両者は好対照をなす。
 だけではない。英語表記法に着目しよう。[時の翁]の表記方法は Father Timeであり、[クリスマスに来訪する老人]の表記方法は Father Christmas である。無論、"非常に似た語感の言葉"である。
 まだだ。表記法の類似性の話は他にもある。[時の翁]とイコールの[サトゥルヌス]だが、そのつづりはSaturnusだ。そのことは近代以降、 Father Christmasこと[クリスマス来訪の老人]のイメージが定着していく中で、彼が[サンタクロース(Santa-Claus)]と呼ばれ出したことと併せて考えるべきである。何故、そのように言うのか。については、Santaはクリスマスにやってくる老人の原型となったとされる4世紀の聖人、聖ニコラスに"聖"をつけるが如しのSaint由来の言葉とされもする([聖ニコラス]こと Saint Nicolas のオランダ語表記のもじり、シンテルクラスことSinterklaasのもじりがサンタクロースの言い回しの元となっているというのが通説)。されもするも、実はSantaSaturunusとsとaとnとtを響き強き文字として共有していることが重要だととれるのだ。そうなるべく"調整"されていると考えられるがゆえに、である後述するが、土星ことサターン、Saturnというサトゥルナスの別名を通じてそうなるよう"調整"されていると考えられる。santaサンタが悪魔の王とされるsatanサタンと同値となる由縁ともつながることとして

小さきことながら、クリスマス来訪の老人もサトゥルナスも[豊かに髭をたくわえた老人]として描かれる。

 以上箇条書き部の内容をもってして
A[サトゥルヌス]/[時の翁][サトゥルヌス][時の翁]B[クリスマス来訪の老人]がつながっている」
とのこと、お分かりいただけたかと思う。[祝祭概要にまつわる際立った相似性]や[名称にまつわる相似性]から完全に客観的に。


[クリスマス来訪の老人][サタン]の関係について

 次いで、B[クリスマス来訪の老人]C[サタン]の関係についてである。下の箇条表記部各点をご覧いただきたい。

・まずもって、サンタがサタンの"完全なるアナグラム" ―文字入れ替え言葉― になっているということがある(Santa‐ClausSantaはアルファベットの順序を換えれば、Satanとなる)。それだけ述べる限りにおいては人によっては皮相な印象論と受け取るかもしれないが、まずもってその式からしてクリスマス来訪の老人と悪魔の王は結びつくように「調整」されていると考えることができる(サンタクロースなどという呼称が近現代に与えられた時点で[恣意的なること]と言える)。

・サンタなどと呼称されるクリスマス来訪の老人は[赤い格好の存在]としてよく描かれる。それがコカコーラ社PRと結びつくというのは前後関係を履き違えた誤った俗説であると断じた上で述べるが、サタンの格好は[赤い竜]としても知られる。それにつき、個人的にはサンタのある種、奇抜な格好は幻覚キノコ[紅天狗茸](Amanaita-Muscaria。これに類したマッシュルームが「宗教を人に押しつける上で大変、重宝された」と主張する向きが欧米には一部おり、クリスマスを降誕祭として祝うキリスト教の秘教的聖体が同じくのキノコであるという説も部分的説得力を伴って存在)の外観に似ていると見てもいるが、すなわち、サンタ風体は[世界的に有名なテレビゲームでひげ面の男が摂取して巨大化するために用いるキノコ類似の特定種幻覚キノコ]の外観に似ているとも見てもいるのだが。 ――無論のこととして、といった話柄は「暴論も大概にしろ」ととられるものだが、キノコの話はともかくも、[赤い似姿と赤い竜の関係]についてはそれが何故、重んずべきものになるのか、当記事のこれよりの段にて合理的なる詳述をなしていく所存である―― 。

・この話が重い。上にて堅い論拠に依拠して
「クリスマスが異教(キリスト教から見た異教ペイガニズム)の神、ローマの土星神格化存在サトゥルナスことサターンに関連する祭儀たるサトゥルナリアと結びついている」
とのこと、述べた。そのクリスマスと結び付けられてのサトゥルナリア、換言すれば、[サターン(Saturn)のための祭り]である。(先に述べた話と重複することになるが)とすると、Saturnとサタンの発音・綴り上の近接性に目がいかざるをえず、その式でクリスマスの主賓サンタとサトゥルナリアの主賓サターン(土星)転じてのサタンを強くも想起される、とのことにもあいなる。

・サンタクロースとも呼称されるクリスマス来訪の老人と密接に結びつくクリスマス・ツリー。実はその時点で悪魔的アイコン(サタンと結びつく象徴)が用いられていると解されるようになっている。下の図をご覧いただきたい。

 は19世紀末のフリーメーソン批判者 ―後、"やらせの者"と判明― のレオ・タキシル( Leo Taxil )、その男がらみのフリーメーソン攻撃宣伝ポスターに描かれたメーソンが崇めるとされる悪魔像[バフォメット]の似姿となる(同バフォメットの近代的なる典型的構図はFreemasonゆかりの人間だったともとれるエリファス・レヴィという男によって固まった)。
 は言うまでもなく、クリスマス・ツリーである。
 両者、[五芒星]をともに「目立つように」いただくとの要素を共有している。
 その点、[五芒星]に関しては今もってなお「悪魔主義者のサインである」と批判するキリスト教徒が多い ―醜団体フリーメーソンの類も(御調べいただければお分かりいただけようが)それが「シリウスの象徴である」などとして[五芒星]象徴を重要視している、とのことがある(和書で述べれば、メーソンに近しいと受け取れる向きがものした『フリーメーソン源流紀行』にそうした記述が認められる)。上掲バフォメット像の存在を敢えて無視した上でも「パフォーマンス主義を標榜している現代悪魔主義団体が[逆さ五芒星]を悪魔主義象徴としている」といった側面が五芒星にはあるゆえ― 。
 では、何故、批判があるにも関わらず、[悪魔的象徴物と結びつく印章]である五芒星が他でもない[キリスト降誕祭たるクリスマス]を彩るクリスマス・ツリーの頂上部に飾られている、というのか。
 国旗や軍事的アイコンとして最大限、用いられている[フリーメーソン起源のもの]と解される五芒星にまつわる話 ―自著にて掲載の話― を抜きに話すと、である。[ベツレヘムの星](Star-of-Bethlehem)、すなわち、[キリスト誕生の折に空にまたたいたという彗星]をあらわしているとの名目の下、クリスマス・ツリーに五芒星が飾られるようになったと「されている」 。が、現実には「近代以前」、ベツレヘムの星が[五芒星]で示されていたという歴史的根拠は皆無であるとの観を拭えない分厚き歴史読み物系洋書に向き合う余力もあり、かなりの時間をかけて図画像を検証しえたその結果の話として右のように言う。ちなみに、古代メソポタミアやピタゴラス学派の印章体系といった文脈で英文Wikipediaにも言及されている不確かな起源論を抜きして考えれば、五芒星の目立っての使用・言及は16世紀の魔術体系研究者コルネリウス・アグリッパの筆による著作、 De occulta philosophia libri tres『オカルト理念について』前後以前には遡れないと受け取れるし、それが印章や印刷物に「頻繁に用いられるようになった」のは18世紀以降である)。
 もっと言えば、性質悪き者達が偽りの理由付けをなしつつ五芒星使用を推進した節があるととれるようになっているそれについてはこう見立てることができる。『クリスマスツリーは人間がエデンの園で蛇にそそのかされて食したという[知恵の樹](リンゴの樹とも)に仮託された存在である(と和文Wikipedia[クリスマスツリー]項目程度のものにも「現行」見受けられるところとして語られている)。そこから、人間に蛇よろしく知恵を与えているプロメテウスを尊崇視するなどともされる者たち、フリーメーソン、[啓蒙者としての蛇](エデンの蛇はサタンの化身との説もある)を尊崇視する側面もあるとされる者たちが蛇こと悪魔を讃えるが如くの秘められた動機でもって五芒星をクリスマス・ツリーにつけさせたのではないか』。が、さらに推し進めれば、五芒星はサタン登場の『黙示録』にて額に刻まれるという[獣の刻印]の象徴ではないだろうかとも考えられるようになっている。psiプサイことΨ、ギリシャアルファベットにて[魂]を意味する23番目の文字にバフォメット典型像の頭部が重なるように描かれており、それが[魂といった言葉で表される本質]に対する刻印づけのような意味合いを有していそうだ、という観点上)。
 ともあれ、表向きの沿革を無視すれば、クリスマスは「その時期、飾られるツリーのレベルで」不快な象徴をまぶされたイベントと考えられ、それがために、上に述べてきたこと、クリスマス来訪の赤い老人が赤い竜ことサタンと結びつくとの見立てがより一層、説得力を帯びてくると言える。
「上掲の悪魔象が悪魔の象徴としてよく言及されるヤギをモチーフにしたものなら、初期のクリスマス来訪の老人もヤギと結び付けられていた ―冒頭の抜粋イラスト参照のこと― 」
ということとあいまりながら、である。

 B([クリスマス来訪の老人])C([サタン])の関係性についての話は取りあえずここまでとしておこう。私の無償公開著作などを読んでいないと、五芒星の話など、こじつけがましいと見る方も多かろうが、以上、述べてきたことは

[本記事全体の内容と比較してみて、より一層、重みをなす話]

と含んでいただいた上で先をお読みいただきたい。


[クリスマス来訪の老人][オーディン]の関係について
(及び[オーディン][サタン]の関係について)

 B[クリスマス来訪の老人]D[オーディン]の関係についてである。両者の間には下に箇条表記して挙げるような形で[明確な相関関係]が存在している。

実のことを言ってしまって、クリスマスに来訪する老人には[聖ニコラウス伝承由来の存在]といった側面だけではなく、[オーディン由来の存在]としての側面も色濃くある。英文Wikipedia程度の情報媒体にも載せられていることとして、である (英文Wikipedia[ Santa Claus ]項目に(そして、和文Wikipediaの[サンタクロース]項目程度にも極部分的に)載せられている話となる ――(英文Wikipediaのサンタクロース項目から文言を引くとして Numerous parallels have been drawn between Santa Claus and the figure of Odin, a major god amongst the Germanic peoples prior to their Christianization. Since many of these elements are unrelated to Christianity, there are theories regarding the pagan origins of various customs of the holiday stemming from areas where the Germanic peoples were Christianized and retained elements of their indigenous traditions, surviving in various forms into modern depictions of Santa Claus. 「(大要(抄訳)として)サンタクロースと北欧神話の主神オーディンの間には多数のパラレリズム(類似性)が存する。それはおそらくゲルマンのキリスト教化に際しての異教的風習の習合に依るところと解される」 との記載の後にサンタクロースとオーディンの類似性の一例摘示がなされていたりする)―― )。

 具体的には次のようなことが幅広くも指摘されていることとしてある。

オーディンには冬至の際、[大空で狩りの祝祭を催すとの話]が伝わっている(:ゲルマン民族は冬至を[ユールの祭り]で祝していた。今日でも北欧では[クリスマス]ではなく、[ユール]との語が冬至の年末イベントを指す言葉になっているのはそのためである)。今日伝わる北欧神話の主たる出典、古エッダにも、より後の13世紀にスノッリ・ストゥルルソンにまとめられた散文エッダにもオーディンが8本足の馬、スレプニルで中空を舞う冬至の狩りの様子が描かれている、そういった確とした文献的根拠があることとしてである。それがまずもって、サンタクロースなどと呼ばれる老人がトナカイにソリを引かせることによって[冬至の空を飛行する話]と酷似している(サンタのトナカイは原初的な姿では Yule Goat、ゲルマンの祭りにつながる[ユールのヤギ]とされていた。については、悪魔を想起させもするヤギに乗ったサンタの絵を冒頭に挙げている)。
 だけではない。一説によると、である。
オーディンの中空巻狩り時になされると伝わる冬至に子供達がオーディンの愛馬スレイプニルのための餌、ニンジンや砂糖などを入れた靴を置く風習があり、それに喜んだオーディンがお返しにプレゼントを与える
などともされていたらしい。
 そう、それが
[聖ニコラウスが暖炉に金貨を投げて暖炉に下げられていた靴下に入れた故事をもってクリスマスの贈り物風習が生まれたとする話]
に対する別の起源論、[来訪老人のプレゼントの他の起源論の一つ]だというのである ―以上は英文Wikipedia程度の媒体にも記されていることである― (その点、右の[贈り物の靴下投下起源論]が正しいかどうかは保証しない。[スレイプニルへの贈り物の風習]が英国掌握前のアメリカ大陸オランダ植民地に伝播、暖炉に靴下を下げるとの風習になったともされるのだが、靴下プレゼント投下伝承については「キリスト教聖人による贈り物に由来を求める説の通りだろう」という見方が通説視されており、真偽は保証できないのだ

上に述べたことだけでも、[クリスマスおよびクリスマス来訪の老人]と[オーディン]が密接に結びつくことは一目瞭然だが、サンタのソリをひくトナカイの数が、だ。 19世紀初頭から8頭とされていたことが冗談抜きにオーディンのスレイプニルの足の数、8本とつながる。スレイプニルが8本足なのは有名な隻眼の神の愛馬の特徴である、上掲図レリーフに見ることが出来るような特徴であるとした上でつながる(サンタクロースのソリを引くトナカイの数が8頭だと明確に規定され出したのは19世紀初頭の A Visit from St.Nicholas.『サンタクロースが来た』からだ。私の見立てでは、その話をこさえたともされるコロンビア大学で古典を教えていたクレメント・クラーク・ムーア( Clement Clarke Moore )などがオーディンのスレイプニルが8本足であることを知っていた上で二重話法をしこませたのだ、と見る。オーディンが魂を狩らせる存在であること/アメリカの象徴(国璽)がフリーメーソンに頻用される[三角形の中の一つ目類型のシンボル]と重なること、それが[オーディンの一つ目]とむすびつきうることをよく知った上で、だ)。
 のみならず、である。サンタクロースのソリを牽引する8頭のトナカイには後、もう一頭の[赤鼻のトカナイ]ことルドルフが20世紀初頭に追加された( Rudolph the Red-Nosed Reindeer『赤鼻のトナカイ』 ―あるいは、『ルドルフは赤鼻のトナカイ』― は全世界でレコードを億枚単位で売り上げた、誰もが一度は聞いたことがある曲だ)ということもオーディンとの絡みでの厄介な比喩となる。何故か。
 まずもって、赤鼻が8本足の上に乗るオーディンの隻眼に対応しているということで「8+1=9」を想起させもするということがある。
 さらに、より重要な話としてルドルフ(Rudolph)が[高名な(Rod)、オオカミ(Olf)]との語義を連想させる言葉となり、北欧神話の最終決戦ラグナロクでオーディンを飲み込んだ"オオカミ"、フェンリル(Fenrir)の寓意になっていそうだ、ということもある。 その点、それは『黙示録』との関係で全くもって笑えないことである。オーディンが登場する北欧神話上での『黙示録』に対応する箇所、ラグナロク伝承 ―[ラグナロク]とは北欧神話版のハルマゲドンのこと、要するに最終戦争のことだ― ではフェンリルの眷属(フェンリルの息子)、スコール(Skoll)が太陽を飲み込んで、"蝕"が始まったときに最終戦争ラグナロクがはじまるとされるからである(いいだろうか。『黙示録』がクリスマスと結びつくというのが本記事で訴求したきテーマである)。 クリスマスにやってくるサンタクロースにオーディンとフェンリル(あるいはスコール)の比喩が併せて付加されるというのは実に性質の悪い隠喩と言えるだろう ―に関しては、余談となるも、アドルフ・ヒトラーことAdolf、高貴なる(Edel)、オオカミ(Olf)に由来する名前を持つ下らぬ虐殺独裁者仕様の"人形"を排除しようとしたのが隻眼の勇者、クラウス・シュタウフェンベルク大佐、オペレーションワルキューレを発動した人物であることも[操作者が介入した皮肉]だととれもする(シュタウフェンベルク大佐の話は近年、トム・クルーズ主演で映画化されている。[ワルキューレ]あるいは[ヴァルキリー]とはオーディン配下の勇者の魂の狩人としての神人のことだ。また、言っておくも、ヴァルキリー作戦はシュタウフェンべルク大佐ではなく、彼の同志でおなじく処刑された上役のフリードリヒ・オルブリヒト将軍が非常動員作戦として策定していたものだったがそれはここでは問題にならない)。 隻眼のオーディンを連想させる人物が魂の狩人、オーディン配下のヴァルキリーの名を冠する作戦を発動、結局のところ、高貴なオオカミ(フェンリルに仮託可能)に由来する名を持つ者、ヒトラーに同志もろとも、皆殺しにされてしまったから、「出来すぎている」という意味で操作者の皮肉だろう、ととれるのだ;ワルキューレ作戦はナチスドイツ大本営とも言うべき指揮所、[オオカミの巣]ことWolfsschanzeでヒトラーを殺しそこなって失敗した。オーディンは最終戦争に備え、勇者の魂を集めているが、結果的に最終戦争でオオカミ、フェンリルに呑みこまれて死ぬ"設定"に神話上でされている(私はそういう故事に基づいて人間を"嵌める"連中が大嫌いである)― 。

オーディンとクリスマスに来訪する老人は「視覚的にも接合する」。前に挙げた19世紀の絵画の中のオーディンの姿、流浪人たる老人に身をやつした形態でのオーディンの姿を見てほしい。そこには[白ヒゲを長々と垂らしているというオーディンの特徴]が実によく現れている。それは、白ヒゲを長々と垂らしているというのは我々が知るサンタクロースの際立った特徴でもあるというのは言うまでもないだろう。 

 長くなってしまったが、以上書いてきたことをもって[クリスマス来訪の老人]と[オーディン]の間には際立った相関関係がある、そう、Bクリスマス来訪の老人とDオーディンの間には
["ほぼ"同じくもの存在]
と言えるぐらいの相関関係があるということ、お分かりいただけたか、と思う (両者の間には≒、ニアリーイコールが付けられるともいえる。B≒Dといった形で) 。
 その相関関係に既述の[Bクリスマス来訪の老人とCサタンの相関関係]を加えて考えると、である。[CサタンとDオーディンの相関関係の存在]も論じることが出来そうだろう?([B≒D]と[BCの関係]を前提に[CDの相関関係]を主張することが出来る:単純にアルファベットを置き換えて見てもらいたい)。
 が、については、 

 『そもそも、(先に述べた)[Bサンタクロースなどとも呼称するクリスマス来訪の老人とCサタンの相関関係]には多少、強引な要素もあるようだから、"無理がある"のでは?』

と考える向きもおられるかもしれない(私が[Bクリスマス来訪老人とCサンタの関係]についての従前の話で「こじつけがましくも、本記事全体の内容を検討することでより一層、重みをなす話である」と多少、控え目なことを書いたこともあるため)。
 しかしながら(そのように考える向きもおられるかもしれないも)、[Bサンタ≒Dオーディン]と[BサンタCサタンの関係]を介して、[CサタンDオーディンの関係性]を論じることに"無理はない"。
 何故か。
 多少、"現段階"では根拠が弱いともとられうる
Bクリスマス来訪の老人(サンタ)とCサタンの関係]
を介さずともCサタンとDオーディンの間には ―弱いながらも― それ単体でのいくばくかの相関関係があり、そのようにCサタンとDオーディンに関係性があれば、だ。[Bサンタ≒Dオーディン]と[BサンタCサタンの関係]から[CサタンDオーディンの関係性]を論じるとの話が"より説得力を帯びるから"だ(もって回ったような言い方をしているが、当り前なことではある。「相互補完の関係が成立する」とも言えるし、単純に墨汁を多く垂らせば、垂らすほど、水は黒くなりやすいとも言えるとの観点から)。 
 について、CサタンとDオーディンに具体的にどういう関係が成立しているかであるが、具体的には次のような関係がある。

 オーディンが北欧神話上の最終戦争ラグナロクでの[決定論的敗者]としての立ち位置を与えられている一方、サタンもまた『黙示録』上での最終戦争ハルマゲドン ―ハルマゲドンは地名だが、最終戦争そのものを指す言葉ともなっている― での[決定論的敗者]の立ち位置を与えられている(北欧神話ではオーディンを始めた主要な神々が死ぬことを前提に話が進んでいる。他面、聖書の『黙示録』では赤い竜ことサタンが敗れることを預言している)

 上のような形でC赤い竜ことサタンとDオーディンとの間には弱いながらも共通性があり、―繰り返すも―  そのことがB≒Dから(BCの相関関係を前提に)CDの関係性を論じることも無理なからぬこととの考えを"側面から"支えている (また、述べておくが、オーディンは上位者への反乱をなした者でもある。すなわち、オーディンは原始の巨人ユミルに反逆し、世界の主催者になったと北欧神話が語り継ぐ存在である。 他面、サタンもまた[上位者である神に抗った元天使長]との設定が付された存在でもある ―オーディンの反乱は奏功し、サタンの反乱は地獄行きにつながっているわけであるが、神話的類似性の多重性の中ではそれは置いておいておく。また、際立ったこととして述べておくが、先にサンタクロースとの類似性を論じているサトゥルナスという神はクロノス(ゼウスの父神)の別名で知られており、そのクロヌスからして父神ウラヌスに背きそれを放逐した神として知られている― )。

 さて、Dオーディンに伴うある種の要素は、だ。Cサタンに"直結"することではないが(ただし、間接的にはつながる)、
[フリーメーソンの悪魔主義的なる思潮を示す事象]
及び
[Bサンタ≒Dオーディンの関係]
を通じ[Bクリスマス来訪の赤い老人とCサタンのつながり]をより強固にしてもいる。非常にややこしくも聞こえるだろうが、それは次のような話から語れることである。

 オーディンは隻眼の存在だが、その隻眼(一つ目)がフリーメーソンが頻用する象徴、[三角形の中の一つ目]と関係していると述べられる。そのように述べる理由は複数あるが、ここで取り立てて問題視すべきこととしては、フリーメーソンが悪魔主義的なる映画 ―彼らの成員の手による映画― でオーディン・シンボルを[ピラミッドの中の一つ目]と併せて用いていた、ということがある。より具体的には"悪魔主義"的なフリーメーソン由来の映画『パルナサスの鏡』の中で[ピラミッドの中の一つ目]シンボルを額に刻まれたハリウッド・スターが[色々な意味でのオーディンシンボルにまみれた配役]を演じさせられていたということがある。
 そして、極めて重要なことに上記のフリーメーソンとオーディンを結びつける映画『パルナサスの鏡』にてオーディン・シンボルと結びついていた役 ―字義どおり死刑囚としての役― を振られていたハリウッドスターが劇中の役回りを想起させるような形で不審死を遂げたという事態になった(本Webサイト上の[プログラムの象徴としての生贄殺人](文字色改変部をクリックすることで遷移)という記事を参照いただければ、よくお分かりになられるだろうが、ハリウッド・スターの不審死は自覚性の問題はともあれフリーメーソン人脈による悪魔主義的(あるいは嗜虐性向反映の)儀式殺人だった、と述べられる)

 上にて言及したような["悪魔主義的映画"にまつわる"スター"の配役通りの死][フリーメーソンのシンボルとオーディンのシンボルを結びけるもの]として存在しているがゆえに、である。その式でフリーメーソンが[五芒星という悪魔主義的とされる象徴]を[ヤギ(ユール・ゴート)と結びつく存在、オーディンとほぼ同値の関係にあるクリスマスに来訪する老人]絡みのイベントにて飾られるツリー頂上部に悪魔主義的動機でもってまぶしたという見立て(上述の見立て)がより説得力を帯びたものになるのだ。
 結果、

サンタクロースこと[サタンを部分的にアナグラムとする呼称]で呼ばれる存在、クリスマス来訪の老人。その老人が同値をとるオーディンを介して(B≒Dの関係を介して)、蛇を実際に尊崇視することで有名なフリーメーソンが[蛇のカルト]として秘教的に崇めているともされるエデンの園の蛇ことサタン(C)と結びつく

との論法が「より一層、強固なものになる」というわけであるBサンタCサタンの関係性]が強化される、でもいい。そうなるとBサンタ≒Dオーディンを介して[CサタンとDオーディンの関係]を論じる見解もより説得力を帯びたものとなる:このややこしい話に鋭い方はこう突っ込むだろう。「オーディンが悪魔主義と結びつくとの話をした時点でCサタンとDオーディンの関係を論じているのでは」と。が、「映画に見る悪魔主義をサタン"自体"の属性と断じるには少し無理がある」との観点上、私はそういった論調をとらず、Bサンタ≒Dオーディンの関係を間に挟んで話を進めた。また、言っておくが、以上の話は結論が前提を補強するような詭弁の類、循環論法ではない。[フリーメーソン製の悪魔主義的なる映画とオーディンの関係]/[フリーメーソンの一つ目シンボルとオーディンの関係]という[循環の外から持ってきた補強材料]をもって論証を強化しているからである


[サトゥルヌス]/[時の翁][サタン]の関係について

 話を切り替える。切り替え、A[サトゥルヌス]/[時の翁]C[サタン]の関係性について論じることとする(D[オーディン]A[サトゥルヌス]・[時の翁]の関係を論じることを先にすべきかとも思ったが、ここではACの関係を先に論じることとする)。サトゥルナス(時の翁)とサタンの間には以下に箇条表記するような関係が成立する。

(先にも多少、言及したこととして)つづりが似ている。サトゥルヌスはSaturnusと書くが、そこにはサタンの単語を構成するsとtとaとnの文字がすべて入っている。だけではない。サトゥルナスは土星ことサターンの名称起源になっているが、その土星のスペルはSaturnであり、響きもスペリングもよりサタンに近接したものとなる流布された通説ではサタンことsatanの命名理由は今より2500年以上前に話されていたバビロンの言語、アラム語(Aramaic)の[敵対者]を意味する語、satanaに由来するとされるが、通説だけでものを見るべきではない)。これは土星サターンことサトゥルナスの祭りがクリスマスの起源になっていると言われもすること、そして、右にいうクリスマスにやってくる老人が(既述のとおり)サタンと結びつくことを複合顧慮して「あまりにも出来すぎている」と言えるここまできて、まだ「偶然の一致だ」などと言う向きがあるのなら、次のうち、どちらかだろう。「内容を理解していないか」「宗教で狂わされているか」)。

(先にほんの少し言及したこととなるが)サトゥルナスは[自らを生んだ存在、あるいは、上位者に抗った存在]とも言える。サトゥルヌスはギリシャ神話におけるクロノス(ゼウスの父。時間の神のクロノスとはまた別の農耕神とされるが、その区別は時代が経つにつれ曖昧となっていった)に淵源を持つ存在とされるが、そこにいうクロノス、父たる天の神、ウラヌスに歯向かい追放した存在であるがためにそう言えるのである。他面、サタンは神に歯向ったという天界の天使、ルシファーだったという設定があり、上位者に歯向かったという点でクロノス=サトゥルナスと相通じるところがある存在である(ただし、サトゥルヌスと同様の起源をもつとされるクロノスはサタンと異なり始めから造物主に敗北したのではなく、一旦、勝ってから神話上でその報いを受けて倒されるとの設定になっている)。

サトゥルヌスと同一存在視されるクロノスをはじめとしたティターン神族、ギリシャ神話の古き神々はだ。ゼウス達、新しき神々との戦いに敗れて、地下の無間地獄、冥界の下にあるタルタロスに幽閉されたとされる。それは、である。サタンが神との戦いに敗れ、地獄に幽閉されたとされることと好対照をなす(ダンテの『神曲』などによるとルシファー=サタンは[地獄の最奥の場、地球内部の中心]に囚われているとの設定になっている。それはティターン親族が[冥界の下のタルタロス]に幽閉されたという話とつながる)。

サトゥルヌスはギリシャ版のクロノスとは異なり、ローマでは篤く崇拝されていた(とされる)。人々に法を教え、ワインの栽培方法を教えたなどとされ、[人類に知を与えた啓蒙者]とみなされていたからである。そのことは、である。サタンこと蛇にエデンの園の知恵の樹 ―クリスマス・ツリーの由来とも― を人間に与えた[人類に知を与えた啓蒙者] との説がつきまっていることと妙に話が符合する(クリスマス・ツリーが知恵の木に仮託されているとの説が存在し、そのクリスマスがサトゥルヌスの祭りと結びついていることも一致性の問題に拍車をかける)。

 上もてAサトゥルナスCサタンの間にも相関関係が成立していることがお分かりいただけただろう。


※本記事は長い。ただでさえ詰め込みすぎているため、ここで頁を改めた方が良いだろう。真実を知りたい向きには下の右側の道を通って先を読みとかれることを勧める。

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