拡大する限界領域について

 
 

「プログラムの象徴」としての生贄殺人

「本記事の記述内容は多く自著に拠っている」。

 そのように最初に述べた上で断わっておく。

「自著では
[ケネディとリンカーンの両者暗殺に伴う確率論的に不自然極まりない相関性]
の補註、儀式殺人疑惑の補註として[本記事と内容がほぼ重なること]を書いている。書いているものの、本記事で訴求したきことは自著のそれと多少、異なる」。

 自著では
[儀式殺人(と表されよう行為類型)の存在の有無についての話]
としてハリウッド俳優の[演出された死]について専一に論じているわけだが、ここではより重要な話、
[11と12と13に関わる人類の帰趨を決するプログラム ―限界領域を極大化するプログラム・大量殺戮ないし絶滅と結びつくプログラム― 絡みの最悪の比喩にまつわる話]
として[ハリウッドスターの極めて象徴的なる死]につき取り上げんとしているのである(右に言う[11と12と13に関わる人類の帰趨を決するプログラム]/[限界領域を極大化するためのプログラム]の具体的内容については本Webサイトに掲載した[問題意識の所在]と題した一連の論稿をお読みいただきたい。尚、同論稿はPDF版も本Webサイトよりダウンロードできるようにしている)。

 それでは以下、本題に入る。

 とっかかりは[ジョーカー][カラス]だ。

 [ジョーカー]から話しはじめよう。ジョーカー。すなわち、道化。その道化の役回りを振られた後、不審死したハリウッド俳優がいた。早世のハリウッド・スター、故ヒース・レジャーがその人物だ。
 同ハリウッド俳優ヒース・レジャーはバットマン・シリーズに登場するキャラクター[ジョーカー]を演じた後、不審死を遂げたのだ。その点、ご存知でない方のために一応、付言しておく。 同バットマン・シリーズ、フリーメーソンに重要視されるとも言われる名の持ち主、名士[ブルース] ――お調べいただければお分かりいただけようが、フリーメーソンには滅亡した十字軍推進勢力テンプル騎士団の残存勢力をその起源とするとの説が存在しており、そのテンプル騎士団残存勢力を用いて「異説では」イングランドの対スコットランド侵攻を14世紀初頭に斥けたともされるロバート・「ブルース」がフリーメーソンの恩人であるような語られようもメーソンら書籍内でなされている(そしてフリーメーソンにはスコテッシュ位階との位階が上位位階として存在する)―― 、ギャンクの街シカゴないしニューヨークをモデルとしているとされるゴッサムシティの名士たる[ブルース]を表の顔とする仮装ヒーローのバットマンが日夜、悪と闘うという設定の物語である。 その『バットマン』シリーズの作中に[犯罪を楽しむ道化姿の異常者]という設定の宿敵ともいうべき悪役が登場しており、それが不審不慮の夭折を遂げたヒース・レジャーが演じた[ジョーカー](まさしくもの道化師といった出で立ちの悪役)だったというわけである。
 さて、ジョーカーをバットマン系大ヒット映画 The Dark Knight『ダークナイト』で演じたハリウッド俳優ヒース・レジャーの早世(急性薬物中毒による死とされる)については「儀式殺人だった」との話がまことしやかに囁かれている(そのように考えている欧米人は非常に多いだろう)。興味ある向きは Heath Ledger(ヒース・レジャー), Sacrifice(生け贄)などと海外情報に強い検索エンジンプラットフォームから入力・検索して調べてみるのもよいだろう。貴方の情報収集能力がそれなりに高ければ、同テーマについて扱った分かりやすい動画も見つけられることと思う (少なくとも、鋭いところを衝いた英文動画が本記事の元となった文章の記述時(2010年上半期)には散見されたりもした。テーマのあまりにも重大な背景に反して動画再生回数が少ないようにも見えたが、散見されたりもした ―動画サイトYoutube上では[非常に重要]と見る一部英文動画の再生回数が一時的に万単位に到達した後、0回から数百回に急減する事象があることに最近、気付かされた。[あまりにも不自然なこと]としてだ―) 。

 その点、[やらされ人のレベルの話]としては、だ。仮にヒース・レジャーが「最大限、演出された上で殺されていた」としても、だ(この段階ではまだ「仮に」をつけておく)。[組織]としての形態を呈しはするも実体不明瞭な"人形"の集合体、そのマフィアなどアウトロー部門の人間に対する見せしめとしか考えることができない、といった背景もあるにはある。映画『ダークナイト』にあってのアレンジされてのジョーカーはフリーメーソンが大好きなチェス模様の床 ―メーソンは白黒市松文様の床をトレーシング・ボード・シンボルとして彼らの拠点および彼らのシンボルに頻用する― の銀行、[組織の銀行]を流儀に反して強襲したマフィア界のアウトローという設定のキャラクターだったからだ (:ご存知の方も少しはいるかもしれないが、フリーメーソンは[銀行業にコミットするマフィア接合勢力]をもその一部局としている。当該事項関連語句は[アンブロシアーノ銀行,ロベルト・カルヴィ,ミケーレ・シンドナ,ロッジ・プロパガンダ・デュオ(ロッジP2)]である ――同点について扱ったよく書かれた海外[実録系]ノン・フィクションとしては『法王暗殺』との邦題で訳書が文藝春秋より出されている書籍(原題『インゴッズネーム』)が挙げられる―― )。 だが、しかし、私はそうは考えていない。諜報機関と協働しながら、というより、諜報機関に人脈浸透させながら[テロ]でも[暗殺]でも何でもやると指摘されている醜団体たるフリーメーソン、そのフリーメーソンの[アウトロー部門(法律無視裁可部門)のみを対象にした見せしめ]が主目的ではないだろう。欧米で囁かれる"噂"通り手の込んだ[儀式殺人](推理小説で言うところの[見立て殺人]でもいいが)だったうえに、
[何をやらかすか分からない"組織"に属する人間全てを対象にした何らかの意思表示]
ではなかったのか。そう見ているのである(:組織、組織と述べはしているが、その成員であるなどと自認し、その存在を誇るのは所詮は犬のような者だけだと強調しておきたい。組織というのは ―私が分析した限り― [フリーメーソンとカルトと諸種政治団体インナーサークルの連合体]、それも[人形のように自身の意思では考えられも動けもしない連中を人間業ではないような力で連結させたもの][内実空っぽのもの]にすぎないと解されるからである。そういった悪しき「トモダチ」関係ともいうべき紐帯に取りこまれてしまった者たちは確かにデービッド・アイクという男、超陰謀論者に分類されているとの男が指摘したように「意図・趣意も理解できずに」911のようなものを[紐付き人形]として起こし(起こさせられ)てもポーカーフェースを決め込んでいる[下らぬ人類の裏切り者ら]にすぎない)。

 そこにいう、
[意思表示としての儀式殺人]
については、まず、ヒース・レジャーが生前、『Dr.パルナサスの鏡』という映画に関わっていたことに着目してみる必要がある(出版直前に事実上・道義上の出版契約を反故にされた当方著作[初稿]執筆時では同『Dr.パルナサスの鏡』はまだ劇場公開だにされていなかったが、それ程、最近の映画である同映画は極めて意味深いものである。ために、自著の[改訂稿]にても同映画のことを深く取り上げている)。
 『Dr.パルナサスの鏡』。実際に観てみれば分かるが、極めて悪魔主義的かつフリーメーソン的な映画である。その中でここにてその不審死を問題とするヒース・レジャーは額に[目の入ったピラミッド]を描かれた役を演じさせられていたのだ(正確には[一つ目の入ったピラミッドとしか見えないものを描かれた役]を演じさせられていた。その点、目の部分は「目のように見えない」との反論をなす類もいるかもしれないが、劇中で用いられている他シンボル、劇中でのその額の紋様に対する形容から100%、それは目であり、フリーメーソン象徴の焼き直し(というより刻印)と言える)。 もっと言えば、ヒース・レジャーは[一つ目が入ったピラミッド](としか見えぬもの)を額に朱で描かれた[吊るされた男(ハングド・マン)]を演じさせられていたのだ。
 いいだろうか。
[額にピラミッドと一つ目を赤字で刻印されたハングド・マン]
である。少し調べれば、すぐに分かることだが、―占いといった低劣なオカルトの話はこの際、どうでも良いものの― ハングド・マンはタロットで[死刑囚のカード]として知られる象徴主義上の存在だ(言うまでもなく、ジョーカーも[カード]である。そして、ヒース・レジャー演じるジョーカーがハングト・マンよろしくバットマンに逆さに吊るされるシーンが映画『ダークナイト』に見受けられる ―そこからして疑わしいとの方は作品鑑賞の中、手ずから確認いただきたいものである― )。
 加えて、ヒース・レジャーの出演作たる『ダークナイト』を含めバットマン絡みの映画には多くフリーメーソン的な要素が隠喩的に含まれていることもある(その悪質性はさておき、相対的に見れば、『ダークナイト』の明示的マーキング色は他のバットマン絡みの映画より薄いようにも見える。例えば、[ペンギン]と呼ばれる悪役が出てくる『バットマン』絡みの映画作品は実に露骨なマーキングを多く含んでいる)。

 だが、以上、述べたことだけでは儀式殺人の判断要素としては不充分であろう。であるから、図を挟んで述べる、次の[カラスの話]から導き出せることにつきよくお考えいただきたいものである。


※タロット・カードの12番目、[吊るされた男]と13番目、[死神]を上に挙げた。ヒース・レジャーという俳優が映画『Dr.パルナサスの鏡』で[吊るされた男]の役割を振られていたことが問題となる。フリーメーソンを用いての儀式との絡みで問題となるのである(上掲タロット・カードはFreemason成員であったアーサー・エドワード・ウェイト( Arthur Edward Waite )のデザインによるが、メーソン由来のものということもあって意図して持ち出したものだ)。


 とっかかりとして挙げた[ジョーカー][カラス]。うち、[カラス]に関する話の方に移る。

 さて、[ジョーカー]ことヒース・レジャーの生け贄殺人疑惑(この段階では疑惑としか言いようがないが、先を読んで欲しい)ともつながるその[カラスの話]とはハリウッド俳優として寵児扱いされていたブランドン・リーという男の早世にまつわる話である。
 悲劇の若死を遂げたあのブルース・リーの息子として、そして、自身も若死を遂げたハリウッド俳優として映画通には有名なブランドン・リー。そのブランドン・リ―の遺作となった映画The Crow『クロウ 飛翔伝説』(クロウについては多数の派生作が作成されているようだが、問題となるのはブランドン・リーが主演したカルト的人気を今なお誇っているとされる映画の方である)に絡む話がここで問題とするカラスの話だ。
 [カラスと魂の話]
を不気味に扱った同『クロウ 飛翔伝説』の撮影中、ブランドン・リーは実弾によって"誤って"射殺されたことに"なっている"のだが、そこにも[儀式]の臭いがつきまとうのだ。
 その疑惑に関しては、まずもって、『クロウ 飛翔伝説』もまた実にフリーメーソン的な映画だったということがある(劇中、フリーメーソンのマーキングが度々、見受けられる)。ヒース・レジャーが撮影期間中に急死を遂げた『パルナサスの鏡』と同様に、である。疑う向きは調べてみればよい。TheCrowIlluminati(イルミナティ)などといった単語を外国語に強い検索エンジンに"併せて"入力し、調べてみればよい(言っておくが、私自身は人間レベルでイルミナティなどという[組織体]が"明瞭に"存在しているなどと断じて言わない。組織の実態については先にも触れたとおりのものだと考えている)。貴方が英語を解さなくとも視覚的に理解できるよう工夫された関連動画等を目にすれば、だ。ブランドン・リーの遺作の『クロウ 飛翔伝説』がいかにメーソン的な映画だったか、分かるはずだ。
 その上で言う。問題はその『クロウ 飛翔伝説』でブランドン・リーが極めて似た格好をしていたことだ。『ダークナイト』で早世したヒース・レジャーが演じていたジョーカー(道化)の格好と。口に対する独特な朱の引き方や白粉の塗り方など両者は恐ろしく似ている人によっては"そっくり"といった按配で。それを問題視し、隠喩的なるメッセージを込めるように、ヒース・レジャーのジョーカーとブランドン・リーの『クロウ 飛翔伝説』での姿を併せて挙げている英文動画もある)。さらに、である。ヒース・レジャーの享年もブランドン・リーの享年も「28歳だった」(但しヒース・レジャーについては27歳と8か月超で満28歳)。その上、『ダークナイト』にも『クロウ 飛翔伝説』にも翼を広げた存在のシンボルが似たような形で登場している(『ダークナイト』は映画タイトルにコウモリのシンボルが、『クロウ 飛翔伝説』には劇中に同じような格好で翼を広げたカラスのシンボルがそれぞれ登場している)。

 ここまでの話を ―順序を多少たがえてながら― まとめよう。

不審死としての死を遂げた二人のハリウッド俳優が遺作となった作品で[そっくりの独特なる格好のキャラクター](片方はジョーカー/片方はカラスと一体化したキャラクター)を演じている

遺作となった作品のうちの一方(『バットマン・ダークナイト』)は同作を包含するバットマンシリーズ映画作品にフリーメーソン象徴主義が色濃くも表れているとの側面がある。他面、もう一人の俳優の遺作となった作品(『クロウ 飛翔伝説』)にもフリーメーソン象徴主義の臭いがする (疑わしきにおかれては当記事の『クロウ 飛翔伝説』にまつわる象徴主義的特性にまつわる記述を参考にしながらでも『クロウ 飛翔伝説』(1994)や『バットマン・リターンズ』(1992)らを意識しながら鑑賞されてみるとよいだろう)

不審死を遂げたヒース・レジャーの『バットマン・ダークナイト』と並ぶもう一つの遺作としての作品、代役(コリン・ファレルという俳優)を立てて公開に漕ぎつけたとの映画『Dr.パルナサスの鏡』ではヒース・レジャー演じる男が[額に三角形の中の一つ目を刻まれた「吊るされた男」ハングド・マン]として主要人物となっていた (:[額に三角形の中の一つ目を刻まれたハングド・マン]はメーソン象徴主義で溢れた同映画の中でも殊に目立った象徴的存在であった。また、同じくものヒース・レジャー演じていた[遺作映画『ダークナイト』作中のジョーカー]は[ハングド・マン]よろしくの[カードにまつわる象徴存在]であり、同[ジョーカー]からして映画劇中にてハングド・マンよろしく「逆さに吊るされていた」とのこともある)

遺作となった作品でそっくりの独特なる格好のキャラクター(片方はジョーカーで、片方はカラスと一体化したキャラクター)を演じていた俳優らの享年はともに(年単位の満表記で)28であった

 以上の事実としてはきと指し示せることら誰であれ容易に後追いできるとのことら読み手に後追いを請いたいと考えていることら)が全てあわさって[偶然の産物]として具現化しうると思うだろうか。私はここまでの話だけでも儀式だったのではないか、と「合理的に疑える」ものと思っている。

 だが、話はそれに留まらない。上に挙げたブランドン・リーの父親[ブルース]・リー。バットマン世界の主人公の名と同様、メーソンゆかりのブルースの名 ―スコテッシュ・ライトの位階を持つメーソンにとってスコットランド王ロバート・[ブルース]は馴染みの存在である― を名乗っていたブルース・リー。彼も言ってみれば、メーソンの色が如実についた"役者"だったようにとれることからして着目すべきだと見ているのである(ブルース・リーのファンの方にとっては残念なことかもしれないが、それが現実だ。この世界では成功する者 ―時に人形― には色がついていることが多い。クールだと若者達に見られているヒップ・ホップの米国人立役者達にすらメーソンの影が如実につきまとっている、との彼ら使用アイコンを交えての映像による指摘がなされているのがこの世界の実情なのである)。 さて、ヒース・レジャーと同じく薬物死したとされている、そのブルース・リーが最後に関わった映画のタイトルは何か。 Game of Death『死亡遊戯』である。 実に"露骨"ではないだろうか (ブルース・リーに関しては、その息子の[カラス]がヒース・レジャーの[道化]と視覚的につながるようになっている。そして、ブルース・リーの死に方はヒース・レジャーの死に方に似ていることも加味して露骨ではないだろうか) 。 また、ブランドン・リーの父親、同ブルース・リーに関しては、だ。自身の芸名(李小龍)に[龍]の字が含まれていたこともあったのか、その逆なのか、ドラゴンの名がつく映画に多数、関わっていたような人物であったこともある(時に主演俳優といった観点を超えて、だ)。
 そう、例えば、彼の代表作が ENTER THE DRAGON『燃えよドラゴン』だったという具合に、である( ENTER THE DRAGONについては字義からすれば、『龍が如く』の方がお似合いの邦訳だとは思うが。その点、アヘン、本文でも言及しているようにメーソン、及び、お友達の黒社会がタッグを組んで歴史的に供給してきたアヘン ―麻薬とメーソンの関係性については私の著書を読まれれば理解できるはずだ― を吸うことを近現代英語俗語で chase the dragonと表することも知っておくべきだろう。その事実と『燃えよドラゴン』の麻薬絡みの粗筋を知れば、[家畜小屋で通用する性質の悪いジョーク]とは何かがよく分かるはずだ ――ちなみに私はブルース・リーの『燃えよドラゴン』から映画『マトリックス』の「考えるな。感じるんだ」といったそれだけでは[家畜に相応しいととれる台詞]が引用されていること「も」重要視している―― )。
 デービッド・アイクという人物、全幅の信は置けはしないが、「原著原文では」意図しての反対話法ととれる言いようを多々なしている人物であると私的に見ているデービッド・アイクという人物が近年、欧米で最大限広めるに功あった異説たる爬虫類に起源をもつ存在が人類を操作してきたとの説。同異説にても取り上げられているドラゴンの意味合いについて考えれば、そして、フリーメーソンとヘビ・竜絡みのシンボリズムの関係(本サイト内他所でも言及している関係)について考えれば、他文化圏よりも「竜を神聖視する」中国系の風潮を超えて故ブルース・リーの来し方からいろいろと考えられるところがあるだろうと私はとらえている(フリーメーソンは[蛇のカルト]と揶揄されるように蛇シンボルと結びついている ―メーソン由来の書籍では彼ら拠点(ロッジ)一部にあっては神秘主義的「蛇」文様が壁に刻まれているといった形容がなされている― 。また、メーソンは[竜退治の聖ゲオルギウスの赤十字]に対する固執などを通じても竜のシンボルとも結びついている)。

 多少、脇に逸れるところがあったが、話をブランドン・リーの親族の死に伴う不審なるところから切り替える。

道化とカラスで示された生贄の話については[北欧神話]にも着目する必要がある」。

と強調したい (この世界ではそのようなことを大っぴらに主張し、なおかつ、客観的に指し示さんとするとの人間は ―気づいている海外の人間は少なからずいそうだが― 「絶無に近しい」との状況とあいなっているようではあるも)。
 その点、既述のヒース・レジャーは映画『Dr.パルナサスの鏡』にて[最後に悪魔に殺されるハングド・マン](吊るされた男)を演じていたのだが、

「[ハングド・マン]がオーディン、北欧神話の主神にして神々の最終決戦(ラグナロク)の敗者となることを運命づけられているオーディンと結び付けられて語られることが多いタロットのカードである

ということも ―背景にあるところの寓意性に鑑(かんが)みて― [無視してはならないこと]としてあると強調したいのである (疑わしきにはそこから確認いただきたいのだが、ハングド・マンとオーディンが結びつけられるというのは[一般的なる象徴主義解釈論]でも持ち出される有名な話である。たとえば、和文ウィキペディアのタロットカード[吊るされた男]項目にも現況、そういう記述がなされている ――ウィキペディアという媒体は有為転変しての易変性から今後の記述内容としてもそのままであるかは請け合えないが―― ) 。
 その点、オーディンは「北欧神話の世界樹たるユグドラシルに首を吊るし知識を得た」とされるが、それが『パルナサスの鏡』劇中でのヒース・レジャーの役柄とおそろしく符号する。
 ヒース・レジャーは劇中、
[一つ目 ―オーディンも片目である― が中央に描かれた三角形(としか見えないもの)を額に描いた姿]
で吊るされているが、[一つ目]と[ハングド・マン]という要素でまずもってオーディンとつながる。
 そして、ヒース・レジャーのハングド・マンは"映画の中で"瀕死状態から蘇生する。首を吊ったオーディンが神話で蘇生するように。
 以上もまた[よくできた偶然]だと思うだろうか。
 残念でならないが、私にはそうは思えない。
 何故か。ここまでにて問題視してきたブランドン・リーの『クロウ 飛翔伝説』もオーディンと結び付けられるからだ。[カラス]つながりで、である。については、伝承上、オーディンに[フギンとムニン]という二羽のカラスの使いがいるとされることが問題となる(:それら二羽のカラスは[記憶]と[思考]に対応づけられ、空を飛び回ることで北欧神話にあって世界の主催神となっているオーディン ―自らハングド・マンになることで知識を得、なおかつ、自らの片目をも知識のための担保としているとの隻眼の神― に情報をもたらす神のアンテナでもある)。
 さて、ブランドン・リーが『クロウ 飛翔伝説』で演じていたのは?
[オーディンのようにカラスと霊魂のレベルで結合した存在]
である。しかも、である。貴方にその気が真にあるのなら、ブランドン・リーが[一つ目と三角形]を想起させる飾り窓がついた建物の外壁に佇む姿も『クロウ 飛翔伝説』の劇中に見出せるだろう。


上掲左上掲中央は北欧神話主神、オーディンの姿を表したもの。円で囲った部位に二羽のカラス、フギンとムニンが見てとれる。それらカラスと霊魂のレベルで一体化している、そして、自らを吊った上で蘇生したという[オーディン絡みの神話上での設定]が映画の中で"ほぼそっくりな格好をさせられていた"ヒース・レジャーとブランドン・リーの死に影響している。そのことはここまでの内容をよく読まれれば、お分かりいただけるだろう。とした上で上掲の右だが、北欧神話上での英雄、シグルドが竜ファフニールを斃した時の有り様を描いた図となっている(正確には同挿絵はシグルトがファフニール退治の話を近代的視点で改変したリヒャルト・ワーグナーのオペラ絡みのものだ)。シグルドは超常的なる力に運命を翻弄された存在である。そして、これから述べる話を通じて[オーディン絡みの比喩を伴う現代的なる問題]にも結びつく存在である。


 今まで述べてきたことを含んでいただいた上で、だ。真実を追究する勇気を有した方には2004年に英国にて封切られた映画 Dark Kingdom:The Dragon Kingドイツでは同年に Die Nibelungen『(邦題)ニーベルンゲンの指環』という題のテレビフィルムとして放送された作品)をレンタルするなりして見て欲しい。歌劇王とも称される有名なリヒャルト・ワーグナーの『ニーベルンゲンの指環』を下敷きにしているようでいて全く別の粗筋を有している(むしろ、アイスランドに伝わる英雄物語・悲劇の Saga of the Völsungs『ヴォルスンガ・サガ』に内容的に近しい)、その映画、 Dark Kingdom : The Dragon King『(邦題)ニーベルンゲンの指環』を既述の『Dr.パルナサスの鏡』(欧米では2009年末公開)と併せて視聴いただければ、だ。ここで述べるようなことを念頭にしつつ視聴いただければ、だ。本記事でその悪をなじっている[操作をなす存在の代理組織]がどんな存在かはよく分かるだろう(その理由についてはこれから述べていく)。
 さて、 Dark Kingdom : The Dragon King『(邦題)ニーベルンゲンの指環』では[竜の血を浴びて不死になったとされるゲルマン神話の英雄ジークフリート(別名シグルド。図を上に挙げた存在)]の運命が翻案されて描かれている。
英雄ジークフリートはオーディンを始め、北欧神話の神にて決定づけられたアイスランド女王ブリュンヒルデ(:伝承ではオーディン配下の神人ヴァルキリーの一員などとされるが映画では翻案)との愛ある婚姻の約束を忘れ薬により忘れさせられてしまう。結果、ジークフリートは裏切られたと曲解したブリュンヒルデの煽動により信頼していた義兄弟の背信によって殺されてしまった
といった形でだ。  
 字面だけ目にすれば、策謀と複雑な感情が混在する伝承の現代劇化作品ととれるかもしれない。が、そうではない。同 Dark Kingdom : The Dragon Kingはありふれた現代劇などでは断じてない。フリーメーソンへの痛烈な批判を含んだ映画であると解されるのだ。劇中、最後までオーディンなどの神々のプログラムに拘束されたブリュンヒルデがフリーメーソンに仮託されていると解されるからである。何故、そのように言えるのか。その理由はすぐに述べるので焦らず先を読んで欲しい。
 とした上で映画のラストシーン。「アイスランド女王ブリュンヒルデはジークフリードの潔白と彼を煽動によって殺してしまった自身の罪に絶望。火をつけられた船に乗せられ火葬されるジークフリートの亡骸の隣で壮絶な自死を遂げることとなる」というものになっている(このシーンはデービッド・アイクが欧米で広めた爬虫類人人類支配説を顧慮して撮られているとしか見えない同じくゲルマン伝承翻案の映画、自著でも言及しているロバート・ゼメキス監督のBeowulf『(邦題)ベオウルフ/呪われた勇者(2007年公開。自著でもほんの少し触れた映画である)』のラストシーンに意識され援用されている節がある:ゲルマン人の古の葬送方法であることは置いておいて)。劇中、そのような最期を遂げたブリュンヒルデ、元となった神話では[魂を狩るヴァルキリー]だったブリュンヒルデの額に映画の中で刻印されていたのは何か。[フリーメーソンの紋章]である(メーソンの紋章については私の著書で詳しく紹介しているが、本記事でも形態だけは別途、後ろの方に掲載しておくこととする)。そのフリーメーソンの紋章を額に刻んだ、[プログラム拘束者]の最期を目にし、遺された者がこうつぶやく。「(オーディンを筆頭とする)古き神々の時代が終わったのです」。私にはそういったメッセージを劇中に織り込んだ人々の心がよく分かるような気がする。ブリュンヒルデ役を与えられていたのはクリスタナ・ローケンだったからだ。クリスタナ・ローケンはジェームズ・キャメロン監督が世に出したターミネーター・シリーズ第三作目 Terminator 3 : Rise of the Machines 『ターミネーター3』(メガホンを取ったのはジェームズ・キャメロンではない)で人類を核戦争に持っていき滅ぼす役割を担っていた[プログラム拘束の液体金属型マシーン]を演じた女優として一躍、有名になった女優。そこから、メーソンが[プログラムに拘束されて何でもやるチェスの駒(あるいは、そう、チェス"マシーン"の駒)]であると知っていた者達がローケンに映画 Dark Kingdom : The Dragon Kingの[ブリュンヒルデ]の役をオファーしたと判断できるのである(うがちすぎでも何でもない。私の無償公開著作『人類と操作』を最後まで読めば、そのことが分かるだろう。直訳すれば、『闇の王国/竜の王』となる Dark Kingdom:The Dragon Kingがデービッド・アイクの説が広まることになった英国で公開された背景、同映画をロバート・ゼメキスがCG映画『(邦題)ベオウルフ/呪われた勇者』でわざわざ模倣するようなことをやった背景を敢えて深く論ぜずともだ)。

 以上、述べたようにメーソンへの批判の現われだった Dark Kingdom : The Dragon King『(邦題)ニーベルンゲンの指輪』を視聴した上でだ。繰り返しになるも、既述のThe Imaginarium of Doctor Parnassus『Dr.パルナサスの鏡』の内容と見比べて欲しい。そうすることで、映画『(邦題)ニーベルンゲンの指輪』と同じ英国で公開された『Dr.パルナサスの鏡』の公開意図というものが"半面で"実によく分かることと思う(半面で、としたのは、[重要な選択の局面]に際会しているように見えるこの世界ではもう半面に何が控えているか、分からないからだ)。
 『Dr.パルナサスの鏡』では『ニーベルンゲンの指環』にて額にメーソンの紋章を刻んだブリュンヒルデと同様に額に同じくメーソンの象徴である[ピラミッドと目]を刻まれたハングド・マンが無残に死ぬことになった(劇中でも"現実"でも)。ただし、オーディン等の古い神々に仮託されたメーソンが死ぬ(滅する)という形ではなく、異常なメーソン儀式臭がする映画の中でメーソン(の支配者の悪魔)に運命を翻弄された男が死ぬ、という形に話の筋があからさまに変わっている中で、だ。冗談抜きに実際のヒース・レジャーの死を伴ってだ (『Dr.パルナサスの鏡』でもハングド・マンというオーディンが結局は死ぬことには変わりはないのだが、その劇中の筋立てを注視するだけでは悪魔的"人外"の意図を測り損なうと見ている。何故か。悪魔的"人外"は自分達(と道具)が映画『ニーベルンゲンの指輪』でオーディンに仮託されたことを転換、神々の最終決戦[ラグナロク]の敗者たる北欧神話主神オーディンの敗北せざるをえない運命を逆手にとって、人間の運命を悲劇的に操作する意思があることを示唆した可能性がある、と見ているからだ)。

 ここまで書けば、
『ハリウッド俳優達(ヒース・レジャーとブランドン・リー)の死は手の込んだ[儀式・やらせ]だ』
と思わない方が「甘い」と ―物事につきよく考えるだけの最低限の理性・知性を持っているとの向きには― お分かりいただけたのではないか、と思う。
 その点、当サイト上の他所にてもなしている話、
「隠喩的な作品で実際に人を殺すことで何でもやる者たちへの見せしめ・印象操作をなした」
という話。そういったこと以外にも「"人外"の次元では反逆者にオーディンの立ち位置を与える慣行でもあるのか」あるいは「"人外"同士の争いでオーディンが何らかの存在に仮託されているのか」それとも「ただ単純に人間で遊んでいるだけなのか(ウルトラC再現ゲームか何かか?)」といった他事情 ―常識の世界では神秘主義者戯言と鼻で笑われようとの仮定に依拠してのありうべき他事情― があるかどうかは、だ。相互矛盾する材料が多々あって分からないが、
[プログラム"体現"殺人実在]
を判断 ―というより立証― できる材料が厳としてあることは動かない(帰納法的、すなわち、証拠を羅列するだけで立証できるだけの材料がある)。
 とした上で[道化][カラス]の話から始めたここまでの生贄殺人の話をまとめよう(下記〔1〕〔8〕という形で、だ)。

〔1〕ヒース・レジャーの死(興行収入が全世界で1000億円を超過。2010年現時点で全米史上、トップ3に入る観客動員数を誇っている映画、『ダークナイト』で[道化]を演じさせられた後の死)については ―不審死とのことで― 他殺との説がつきまとっていもする(公式にはヒース・レジャーの死は薬物の過剰摂取にあるとされている)。

〔2〕ヒース・レジャーは映画『ダークナイト』で道化役を振られたが、故人は道化(ジョーカー)とも[カード絡み]でつながる配役を与えられていた。映画『ダークナイト』と同様、故人の生前には封切られることがなかった映画、『Dr.パルナサスの鏡』で故人は ―ジョーカーがカードの札上にあっての存在であるように― タロット・「カード」上の[ハングド・マン(吊るされた男)]の立ち位置を与えられていたのである(:『Dr.パルナサスの鏡』では何度も吊るされる[ハングド・マン]としてのヒース・ロジャーの役割が作中のカードの寓意と共に明確に出されているが、そも、同じくものヒース・レジャー遺作と看做されている映画『ダークナイト』上でもヒース・レジャーはバットマンに逆さづりにさせられている)。

〔3〕『ダークナイト』と同様のヒース・レジャー遺作たる『Dr.パルナサスの鏡』はフリーメーソンの象徴を含んだ映画である。そして、ヒース・レジャーはフリーメーソンの最たる象徴である[三角形の中の一つ目シンボル](としか見えぬもの)を額に描かれた吊るされた男 ―タロットで言うところ死刑囚のカード― を演じさせられた後、映画の中の人物と同様、世を去った(『Dr.パルナサスの鏡』自体は代役を立てることで完成、封切られた)。

〔4〕『ダークナイト』のヒース・レジャーと満表記での同年齢(28歳)で死んだ俳優がいる。それが映画『クロウ 飛翔伝説』が遺作となったブランドン・リーである(ブランドン・リーは公式には『クロウ 飛翔伝説』で銃弾"事故"によって死んだことになっている)。

〔5〕映画『クロウ 飛翔伝説』(続編とは別物)もヒース・レジャー遺作同様、フリーメーソンの象徴がまぶされた映画だった。

〔6〕(重要なところとして)ブランドン・リーが死ぬまで演じていた配役はヒース・レジャーが『ダークナイト』で演じていた役、ジョーカーと視覚的に「極めて似た」格好 ―見様見方によっては"そっくり"とも― となっていた(口に対する独特な朱の引き方や白粉の塗り方など恐ろしく似ている。意図を全く明示せず、両者の外観的相似性を見せつけるような英語動画もネット上には存在している)。

〔7〕ヒース・レジャーの遺作『Dr.パルナサスの鏡』もブランドン・リー(父親は Game of Daeth『死亡遊戯』が遺作となったブルース・リー)の遺作『クロウ 飛翔伝説』も北欧神話と異様な形で結びつく
 まず前者、『Dr.パルナサスの鏡』からだ。第一に、ヒース・レジャーはハングド・マンを演じさせられていたわけだが、ハングド・マンは北欧神話主神オーディンと結びつくタロット・カードだとされる(一般的なる解釈論上)。 第二に、ヒース・レジャーは[三角形の中の一つ目]を額に刻まれたハングド・マンを演じさせられたわけだが、一つ目(隻眼)はオーディンの特徴である。 弟三に、ハングド・マンというカードがオーディンに結びつくだけではなく、ヒース・レジャーが『Dr.パルナサスの鏡』で演じていた役柄の細かい設定もオーディン的側面を有していた(オーディンは世界樹ユグドラシルで首を吊った後、瀕死状態から復活。ヒース・レジャーの役柄もまさにそうだ)。
 次いで、ブランドン・リー遺作についてだ。その劇中、『ダークナイト』の中のヒース・レジャーとそっくりな格好をさせられていたブランドン・リーは[カラスと霊魂の次元で融合した存在]という役割を振られていた(一体全体、そのような妙な設定のキャラクターがフリーメーソン臭濃厚な映画で何故、登場してきたのか。不可解極まりないだろう。ブランドン・リーの[誤射]による死もさることながら)。それはオーディンが[カラスと霊魂の次元で融合した存在]であることと一致する(フニンとムニンの二羽のカラスの話はした)。だけではなく、ブランドン・リーの遺作となった『クロウ 飛翔伝説』では[一つ目と三角形]を想起させる飾り窓がついた建物の外壁に印象的にカラスと一体化したブランドン・リーが佇む場面も登場する。それはヒース・レジャーが[一つ目と三角形]とも結びついたハングド・マン(オーディンと結びつく象徴)を演じた後に死んだことと符合する。
 以上よりヒース・レジャーの遺作での役柄もブランドン・リーの遺作での役柄も双方、北欧神話主神オーディンの視点を変えての表象物と言えてしまうのである。

〔8〕上の〔7〕で述べたことはまったくもってこじつけではない。2004年に封切られたテレビ・フィルム、 Dark Kingdom : The Dragon King『(邦題)ニーベルンゲンの指輪』ではオーディンの命で魂を狩る神人、ヴァルキリーと同じ名を有するブリュンヒルデがその額に[フリーメーソンのシンボル](コンパス・シンボル)をメーソン員の墓のそれのように刻まれ、最後に死んだ。遺された者達に「古き神々(オーディンを主催者とするエッダの神々)の時代は終わったのです」と言われて、である。それは後の日の作品に会ってヒース・レジャーがその額に[オーディンの一つ目と結びつくフリーメーソンの別の典型的シンボル]を描かれた上で、オーディン・シンボルに塗れた役を振られた中、映画の公開を見る前に「現実に」「死んだ」こととあまりにも話が符合する。そう、オーディンが北欧神話上の最終戦争ラグナロクの敗者との位置づけを神話上、与えられているという観点も加味して符合する(ただし、アイスランドに伝わるヴォルスンガ・サガを下敷きにしている映画の『ニーベルンゲンの指輪』は ―既述のように― リヒャルト・ワーグナーの似たような題名のオペラとは異なり、反フリーメーソン的な作品だ。ゆえに、操作をなす存在が『パルナサスの鏡』リリースによって作品のメッセージを捻じ曲げた可能性がある)。

 上の〔1〕〔8〕を読んだ上でもまだ「ハリウッド俳優達が儀式的に殺された」ということが疑わしいという方がいるだろうか。仮に内容を理解した上で、しかも、確認までなしたうえで「まだ疑わしい」と言う方がいるとしたら、だ。率直に言って、その方の懐疑心のありようには悪い意味で感心させられもするが、そういった懐疑心旺盛な方(及び消化不良の方)のために、さらに次のような話もなしておく。

「疑わしきは百聞は一見に如かず」
との観点の下、
[下に挙げる二本の映画]
をたて続けに見てみるとよいだろう(:無論、ここまでの拙文だけでご理解・ご納得していただけているのなら格別として、である)。
 まず、一本目に挙げる映画Valkryrie『ワルキューレ』(海外2008年初公開)、トム・クルーズがヒトラーに立ち向かった片目の勇者シュタウフェンベルク大佐を演じた作品だ。同映画に登場するシュタウフェンベルク大佐はイギリス軍の機銃照射で片目を失った人物であり、そして、彼が「オーディンのように片目になった」上で最悪の独裁者を倒すために主導した歴史上、有名な作戦名が映画タイトル名にもなっている[ワルキューレ]である。そこにいうワルキューレ(バルキリー)とはオーディンのために神々の最終決戦(ラグナロク)に備えて[勇士の魂を宮殿ヴァルハラに運ぶ北欧神話登場の神人]のことである(上にて既述のブリュンヒルデもその一人)。
 いいだろうか。片目にワルキューレ。つながらないだろうか。私には現実のシュタウフェンベルク大佐が[運命の扉]にいざなわれてから梯子を外された生け贄だったかどうかは分からない(:しかしながら、次のようなことも述べられるようになっている ⇒ 「[ワルキューレ(バルキリー)を主導した隻眼の北欧神話主神オーディン]が北欧神話(エッダ媒介伝承)が語るところの神々の最終決戦ラグナロクでフェンリル・ウルフと呼称される狼に呑まれて滅したことになっていることも[類似性]との絡みで着目に値する。ワルキューレ作戦(オペレーション・バルキリー)の発動に関わった隻眼のシュタウフェンベルク大佐が暗殺を試みた独裁者アドルフ・ヒトラーについてはそのアドルフとのファーストネームがAdolf、すなわち、[高貴なる(Adal)、オオカミ(Olf)に由来する名前]であると一般にされていること(英文 wikipedia[Adolf(given-name)]項目にも解説がなされていることである)、また、ワルキューレ作戦がナチスドイツ大本営とも言うべき指揮所、[オオカミの巣]ことヴォルフスシャンツェ Wolfsschanzeでヒトラーを殺しそこなって失敗した、とのことが「神話上、オーディンがフェンリル・ウルフに呑まれる決定論的敗者となっている」とのこととの類似性の絡みで問題になる」 ―※ワルキューレ作戦を主導した隻眼のシュタウフェンベルクはワルキューレを主導した北欧神話主神オーディンのように狼に敗れて死んだ、でもよいだろう。そのような出来すぎた一致性が仮に[恣意]によってなっているのであるのならば、[役者にしかすぎぬ人間][期せずして役者の立場に追いやられた人間]をもってして歴史的出来事を演出してきたとの[ふざけた操作]が介在していることと同義となるだろう― )。
 シュタウフェンベルクが嵌められたかどうかは置き、この話にはまだ続きがある。映画『ワルキューレ』の内容を把握していただいた上で二本目の映画として Minority Report『マイノリティ・レポート』(2002年公開)の内容をも把握していただければこそ出来る話の続きがあるのだ。
 その点、ここで挙げる映画『マイノリティ・レポート』は非常に興味深い小説を何作も書いているフィリップ・キンドレド・ディックの短編の映画化作品だが、そういった背景はこの際、どうでもよい(フィリップ・K・ディックの小説にはこの世界の秘密に迫ろうとしたものととれるものが多く、それはそれで興味深いのだが、ここでの本題ではない)。どうでもよいとして、第一に映画『マイノリティ・レポート』が映画『ワルキューレ』と以下のような側面から「視覚的に」つながることに着目すべきだ。
[主演がトム・クルーズであること]
[劇中、抜き取られた眼球が極めて強調された形で登場していること](:『ワルキューレ』では目を失ったトム・クルーズ演じるシュタフェンベルク大佐が義眼をグラスの中に入れるシーンが出てくる。他面、『マイノリティ・レポート』ではトム・クルーズ演じる実の目を失った主人公が生体認証セキュリティシステムを突破するために保持しておいた眼球を取り扱うシーンが出てくる
という観点にて、である。
 次いで、『マイノリティ・レポート』終盤の場面に
[額に一つ目の絵を描いた不気味な老人 ―当記事で問題視した方式通りの存在でもいい― ]
が「全くもって意味不明」かつ「極めて印象的に」現れることにも着目すべきである。まるで、『マイノリティ・レポート』の主題、[運命操作]を嘲笑うかの如くに、である(『マイノリティ・レポート』はフリーメーソンの比喩も含むと解される)。
 そういったことから、『ワルキューレ』も『マイノリティ・レポート』も、だ。
[トム・クルーズという同じ役者の起用などの類似点]
[ワルキューレ(バルキリー)の名とオーディン類似の片目の存在の登場]([主人公の抜き取られた片目の描写が現れていること])
[後のヒース・レジャーの死を伴ったオーディンへの言及を含むメソニックな映画との類似性](額への目の描き方など。ここが重要である)

という際立った結節点の存在ゆえに「オーディンに仮託しつつの儀式的殺人が存在していることを示した映画であった」と見ていいだろうととらえる(そも、『ワルキューレ』の元となっているシュタウフェンベルク大佐を巡る出来事からしてその臭いが付きまとうわけだが)。 

 ここまで書いてきたことを十二分に理解し(手前筆力の問題もあり「なおもって理解困難である」とのことであれば印刷などなしての穴が開くほどの検討をお勧めする)、実際に挙げてきた映画を目にし、さらにそれらが封切られた時期などを顧慮すれば、である。いかに懐疑的な人間も疑いを差し挟むことができなくなるはずである。保証する。


※Cyclops、一つ目巨人サイクロプスの絵を元にした図像群をここまでの内容を補足するものとして挙げておく。上掲左はオリジナルの絵であるが、映画 Minority Report『マイノリティ・レポート』にも似たような格好の人物 ―額に目を描いた人物― が出てきたと紹介した。上掲中央は映画、 The Imaginarium of Doctor Parnassus『Dr.パルナサスの鏡』で故ヒース・レジャーがさせられていた、およその格好だ(三角形の中の眼は合衆国国章、ドル札に描かれた合衆国国章の一部分で、無論、フリーメーソンのシンボルである)。上掲右は映画、 Dark Kingdom : The Dragon King『(邦題)ニーベルンゲンの指輪』に登場したプログラム拘束者、ブリュンヒルデの格好で額に刻まれているのはフリーメーソンのコンパス紋章の一部分だ。本文にて述べてきたように以上は全て[オーディン]とつながる。


 さて、ここまでなしてきた儀式殺人の話には ―「さらにもっての誤解」を恐れずに述べて― 
限られた人間の属人的悲劇の問題では済まされず全人類に関わるプログラムの問題に直結すると判断できるとの側面
が伴っている(ここにて[本記事冒頭にて述べたこと]、属人的悲劇の話などでは済まされないとのことへと話が帰着する)。
 であるから、その意味合いを重くも見、ここ当記事で[儀式的な死]について仔細に論じたてたのである。

 それにつき、以下のようなことが[顧慮すべき他事情]として存在している。

I.ヒース・レジャーが[北欧神話上の最終戦争ラグナロクの敗者:オーディン]と結びつくハングド・マンのカードに関連付けされた上で死んだとの話はした。そのハングド・マンのカードはタロットに言う12番目のカードである。問題はその12だ。12は11の次の数であり、11と12と13は相互に結びつきながら[一連の最悪の儀式的行為]と密接に関わっている数だと言えてしまうだけの背景があるとのことがあるがゆえである(20"12"年絡みのニューエイジャー・チックな話の流布もそのことと結びついていると解される。組織的な発生前言行為がなされていたとも指摘されている911の事件、9+1+1で11となる事件もその儀式的行為と結びついている、そのように「多重的に」判断できるようになっているとのことが「現実に」あるのである ―911の事件と儀式的行為の関係性については当サイト上で膨大な文字数を割いて客観的に立証せんと試みている。その点、(私の造語としての)[アトラス・プログラム]についての記載内容をまだお読みになられていない方はそちらを精査することをお勧めする― )。

II.上のI.の話と接合することとして、ヒース・レジャーを12番目のカードと結びつけたフリーメーソン臭濃厚な映画『Dr.パルナサスの鏡』を撮った映画監督テリー・ギリアム、その男が以前(1995年)に『12モンキーズ』という映画を世に出していたとのことがある(ポイントは「12」であるとお含みいただいたうえで以下の内容をお読みいただきたい)。同映画の中で「人類はウィルスによって大半が死に絶える」と描かれている、と指摘した上で、である。忌むべき映画、フリーメーソンの比喩を含んだ同『12モンキーズ』がフリーメーソンの人形達 ―国内にあっての国家寄生カルトのような輩ら― に敬意をもって真似られたことに触れる必要があるととらえている。911の事件 ―当サイト上の他所で数字の「11」と結びつく事件であったとの論拠を挙げ連ねている事件― の露骨な予告を含んでいた映画、フリーメーソン臭が伴う『ファイト・クラブ』にて真似られていることに触れる必要があるととらえている:尚、『ファイト・クラブ』の露骨な911の前言がいかようなものなのかに関しても当然に本Webサイトの他所で細かくも解説している)。
 フリーメーソン臭で溢れたヒース・レジャー遺作(『Dr.パルナサスの鏡』)を撮った男、テリー・ギリアムの従前作品『12モンキーズ』は911予告映画『ファイトクラブ』にてどう真似られていたのか。
 については、
映画『12モンキーズ』と後の『ファイト・クラブ』双方でハリウッド俳優の[ブラッド]・ピッドが頭のおかしくなった過激派主導者 ―悪戯目的で動くもオイタがすぎる過激派の主導者― を演じている『12モンキーズ』登場の過激派組織トゥエルブ・モンキーズを明らかに意識するように『ファイト・クラブ』の過激派成員に[スペース・モンキーズ]という呼称が劇中、使われている
とのことらを指摘すれば、十分であろうと思う。
 以上を念頭に置いたうえで「危惧すべきである」と強調したいのは911の事件発生の露骨極まりない前言を含んでいた(と他所にて詳述している)映画『ファイト・クラブ』登場のブラッド・ピット演じるリーダーに率いられた過激派達 ―かの911の事件を起こした者達に比定される者達― が[相似形を呈するようにされている他作品(『12モンキーズ』)過激派]が劇中そうであると描かれているように[煙幕]にすぎず最悪の本筋が裏に控えている可能性がある、と述べられることである(『12モンキーズ』ではブラッド・ピッド演じるキャラクターが率いる者達は人類の大半を殺す行為に与した者達のように見えて実は違う(との作中設定が採用されている)。ようするに、[劇中、そればかり着目されるすさまじく目立つ煙幕]にすぎない。その煙幕としての過激派トゥエルブ・モンキーズと相似形を呈する映画『ファイト・クラブ』登場のスペース・モンキー達。[911の事件そのままのことをまさにそれ絡みの象徴が伴う映画(同ファイト・クラブ)の中で実行したブラッド・ピッド演じるキャラクターが率いるその過激派スペース・モンキー]が(類似性を呈する『トゥエルブ・モンキーズ』過激派らのように)これまた煙幕ならば、である。相応の建前が掲げられての[二つの塔]倒壊事件(ビル爆破倒壊映画『ファイト・クラブ』でその場所まで言及されていたものらの倒壊事件)の裏で人類大量殺戮を計画している者達がいることになると想起されるところである。架空の過激派絡みの話を現実に当てはめることがナンセンスでは「ない」ような事情があるため、そう言えるのである)。

III.その監督作品に込められた細部にあっての寓意を観察・分析した私にはどういう類か容易に想像がつくが(自主性などないロボット人間の如き輩であると容易に想像がつくが)、上のII.にてその名を挙げたテリー・ギリアムという男は、だ。モンティ・パイソンという英国芸人ユニットに属していた。パイソンとは聖書にも[占いの霊]として登場する大蛇(パイソンあるいはピュトーン)のことだが、[神託]とも結びつく存在である。大地母神ガイアの子にあたる同大蛇はギリシャ神話の神託の場、デルフォイのかつての守護者だったからだ(本Webサイト他所内容との重複記載ともなることだが)。 とした上で、その神託の場が[パルナッソス山]に面していたことは無視できない。上のI.II.のような事情がある中、神託の山たるパルナッサス山と結びつく映画(Dr.パルナサスの鏡)に出演していた[最終戦争の敗者オーディン絡みのシンボル]を付された男、ヒース・レジャーが[12番目のカードと結びつくシンボル]を当てられ不審死したからだ(:それにつき『12モンキーズ』で知られるテリー・ギリアム、『Dr.パルナサスの鏡』を撮った同男はヒース・レジャーが死ぬことになる数年前に『ブラザーズ・グリム』との映画でも同じくものヒース・レジャーを主役に抜擢している。その映画、題名(ブラザーズ・グリム)の通り、童話で有名なグリム兄弟をモチーフとした映画となるが、[酷薄なブラザー](スペリングがGrimmと多少異なるが、grimは「酷薄な」という意もある)ともタイトルが見えもするものにして、なおかつ、
日蝕と結びつく折、12番目の生贄が捧げられた際に邪悪な女王が復活するとの筋立て
を有していた映画であった(疑わしきにおかれてはブラザーズ・グリムをレンタルなり何なりして確認いただきたい)。
 そう、そこからして([12番目の生贄]がプロット上、重きをなすヒース・レジャー主演の映画『ブラザーズ・グリム』とも「12」と「儀式的な死」で接合するとのことで)[テリー・ギリアム作品に見るヒース・レジャーに的を絞っての12番目のカード(ハングド・マン)と結びつく寓意](当記事で専一に述べてきたとの寓意)のことが見出せるようになっているということがありもする ――※それにつき、『ブラザーズ・グリム』の[12(及び半面で皆既日食)と結びついた儀式的な死]との絡みで当方の脳裏をよぎったのは(たかが漫画作品のことと人は笑うかもしれないが)[隻眼隻腕(当記事で述べたワルキューレ作戦発動に至るまでのシュタウフェンベルク大佐の負傷後の特徴)となるに至った男(狼の象徴的存在に絶えず飲み込まれかねない状況にある男)を主人公とする日本の『ベルセルク』という漫画作品]の11巻(毛皮を被り棍棒を振り回すとのギリシャ神話上のヘラクレスと似た邪悪な怪物が登場する巻)、12巻、13巻の内容のことである。 残酷描写で溢れかえり普通人には到底読解を薦められるような作品ではないのだが、第一巻からして[特異なる臭い](鼻につく悪臭でもいい)がするその『ベルセルク』という作品については(直に現物に当たっていただかなければ理解は及ばないか、とも思いもするところとして)12巻粒子加速器というものが今日のようにブラックホールを人為生成するなど誰にも問題視されて「いなかった」折の1996年に刊行されたとのもので具現化する皆既日食領域への落とし込みがジェット噴射を伴った不帰の地ブラックホールの中での惨殺を嗜虐的に描写していると見えるとのことがあるのである―― )。

 もう、話すべくことは話した。あとは閲覧者の方々に自身で判断していただきたい。そのための情報も全部、本Webサイト上に載せている。

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最後に当記事内容と相補関係にあるとも述べられる内容を有した当サイト上の他記事を紹介しておくそれら他記事の検討をもってしても筆者が取り合うに足りることを述べている人間なのか、その判断の一助としていただければ幸甚である

(馬鹿げた一致性の問題が存するとはきと指し示せること、それが[思惑]の問題と関わっていうることを細かくも論じた記事として)

クリスマスと『黙示録』。その不気味極まりない相関関係について] ―文字色改変部をクリックすることで記事に移動―

(何でもやるとの憑かれたような人間らを用いて醜行為が想像以上の規模で行われている可能性を論じた記事として)

現代社会で取り沙汰される悪魔崇拝(ボヘミアン・グローブの宴の背後で)] ―文字色改変部をクリックすることで記事に移動―