無償公開著作

 
 

無償公開著作について

 ここでは本Webサイトを介して配布することにした無償公開著作へのリンクを設けておく(各著作を入手したい向きは[PDFアイコン右のリンク部]をクリックし、PDFファイル閲覧状態で[PDFファイルの保存]を選択するなどするとよいだろう:オーソドックスなダウンロード方式)。

 本ページ記載の[著作についての断り書き]をよくご覧になられた上でPDF掲載の情報を有効活用していただければ、と思う。


無償公開著作『人類と操作』閲覧・ダウンロードは直下のリンクから。閲覧に際してはPDFファイル閲覧ソフトの[種類]と[バージョン]により適切に表示がなされない場合があることを留意しておいていただきたい:推奨する閲覧方式は ―表示上の問題が最新版では生じないと判明している― Adobe Readerを用いた閲覧である

『人類と操作』へはこちらより ―zinnruitosousa.pdf(12.7MB)― 

上のリンク部からの画面遷移(と閲覧)ができないなら、同リンク部にあわせてマウスを右クリック。[名前を付けてリンク先を保存] ―ブラウザによっては[対象をファイルに保存]― の項目を選択し、ファイルをダウンロードしてから閲覧いただきたい。

[公開後、後日付記]:検証したところ、上リンクからの閲覧・ダウンロードには時間がかかるケースが多いようなので([ファイル容量自体の大きさ(約12MB超)]と[一般向けの利用サーバーの環境(現時、問題となっている。"実に"色々な意味で)]に因るところが大きいようだ)、閲覧・ダウンロード時にはその点に留意していただきたい。また、困難を伴うようなら外の商用端末 ―ネット喫茶の端末など― でダウンロードなり閲覧なりを試みられてみるのもよいかもしれない。

※拙著、『人類と操作』内容について 

 極々、簡潔に内容の要約をなしておく。

当方著作、『人類と操作』は次の三点のことを主題としたものである。

「人類史の虚偽を[歴史贋造の証左の列挙]によって暴露する」(表紙の絵画、Vanitas『虚栄』、一般的にはハプスブルク家凋落の構図を示しているなどともされるその絵画は[人類史の虚偽の象徴物] ―painting filled with vicious metaphors― として抜粋したものである)。

「人間の社会を醜くしている組織体の作用機序の解明を試みる」(フリーメーソンを主たる分析対象としているが、[メーソンと提携関係にある、ありとあらゆる組織体]を動かす力学についてもよく分かるように解説している)。「その上でそうした組織体がこれから何をさせられうるか、根拠に基づき訴求する」

「人間の本質がいかに抑圧されているかについて既知の科学の枠組みから説明を講じる」(量子力学などから導き出される見解を材料とした)。

 以上各主題が額面通りに論じつくされているかどうか、大言壮語の徒の物言いでないかどうかは各自が『人類と操作』内容 ―ハードカバー約500頁相当:PDF文書上では248頁に調整― を精査の上、判断していただきたい。

 追記として

 後の日にあっての追記をここにてなしておく。上のように書籍特徴につきまとめはしているが、「その言に偽りなし」と述べたき中にあっても、拙著『人類と操作』には[これは練れていなかった]と現時、反省するに至っているところ「も」また含まれている

 例えば、次のような部が練れていなかったと考えるに至っているところである。

⇒『人類と操作』では批判的視座を交えながら海外の限界領域の話([陰謀論]と接合しもする話)につき多く取り上げているが (英語を母語とするとの向きがざっと見した際などに『見栄えがゆえに誤解を招く可能性もあるか』ともとらえ、英語交じりに付け加えてもおくが、ridiculous conspiracy theories[馬鹿げた陰謀論ら]に対して[信用の置けぬ出典]をも問題視しつつ批判的取り組み critical approach をもなしているが)、 といった中、取捨選択の過程で一部、[真偽疑わしきもの]に過度の重みづけを与えていたと顧みて考えるに至っている。殊に[海外にあっての組織的虐待行為疑惑]といったことについて ―そうした闇の側面が今日の世界に存在し、影を落としていたとしても― その規模につき過剰に見積もっているところがあったかもしれないと現時、考えるに至っている。

⇒主題として扱っている[人類操作]の行き着く先につき
「それでもなお....」
の多少、楽観的な見立てをなしていたとの側面がある。
 当サイト内容、殊に粒子加速器を用いての営為に関する不審事を扱っているとの部位をよく検討いただければお分かりいただけることかとは思うのだが、現時、筆者念頭に強くもあるのは育種の果てにある蚕と化した「種」の熱死](蚕は絹を取る過程で煮殺されてしまうの如きことである。[産業的に初期より育種してきた種を例外枠など設けずに皆殺しにする「必要」があるとの視点]が[操作]に介在していると現時、強くも見るに至っているのである(笑いたければ笑っていただいても結構ではあるが、そのような反応をなすことは「遺憾ながら」確たる論拠に依拠しての当サイト他所内容の真摯な検討をなした向きにあっては「出来ることではないだろう」と述べておきたい)。
 そうした現時にあっての我ながら厭わしくもそこに至らざるをえなかったとの見立てに対して拙著『人類と操作』執筆時の2009年にあっては(それはそれで実に忌まわしいものなのだが)[選別を伴っての間引き]の如きものをして[最もありうべき行き着く先]と重みづけをなすような書きようをなしていた(それにつき、心ない陰謀「論」者ですら呈示しているような見立てに過度の重みづけを与えていた、でもいい)。 主には[往時にあっての情報量の不足]・[思索の歩みの途上にあっての未熟さ]からである
 であるから、その点につき「練れていなかった」「甘すぎた」と心証をあらたにしていること、この場にて述べておきたい。

⇒『人類と操作』では色つきのものが多いとのサブ・カルチャー(婉曲話柄を含むサブ・カルチャー)を不適切に重んじていたとの側面も(一部ながら)あったか、と見るに至っている。

(※拙著『人類と操作』につき[練れていなかった]ととらえるに至ったところは以上の通りである)

 当ページでダウンロード可能としている拙著『人類と操作』と当サイト内容を複合顧慮し、内容不一致感を覚えたとの向きにおかれては上のような[筆者視点の深化に応じての反省]があることについても押さえていただければ幸甚である


(拙著『人類と操作』の内容と関わるところとして)
 上はポーランド・リトアニア共和国とロシアの間で争われたロシア・ポーランド戦争の一局面、クルシノの戦い(一六一〇年)を鳥瞰図形式(中空よりの鳥の目線から描いているとの形式)で描いた画よりの抜粋となる。同画にては各々の勢力が紋章を掲げて傭兵らを率いて命のやり取りをしていたことがまるでシュミレーション・ゲーム、チェス盤上の駒の小競り合いのように描かれている。
 歴史家らは[ミクロの視点]でそうした戦争の状況の分析 ―チェスや将棋の棋譜(過去の対局の記録)の分析― をなして[人間の歴史]というものを語った気になっていもする (:たとえば、関ヶ原の戦いでは西軍がどうしたこうした、誰それの軍勢が陣触れ(陣中命令)の結果どう動いた、などといった[今日に生きる我々にとってはどうでもよい首狩りゲームの細かき変遷の話]がさも我々の歴史を構築する重要な要素であるように歴史家らによって分析されている)。
 しかし、人間の歴史というものはそういうミクロの視点から離れてより上方から眺めた際に、それも計数論的視点・記号論的視点をもってして眺めた際に[まるで異なったもの]と映るように「出来上がっている」(「出来上がってしまっている」でもいい)。虚飾のメッキが剥がれてくるのである。これこれこの権力者を生かし殺し、これこれこの勢力を残置させ、滅する。
 そういうことが
共通のアルゴリズム (アルゴリズムとは[コンピューター・プログラムによって実行される定形化された作業処理の手順]のことを指す) の体現物
のようなものとして「純・機械的に」 ―取り合うに足りぬような人間が語るような[神の御心の賜物]といった神秘的なものでは断じてなく「純・機械的に」― 人間の歴史には現出している、と述べざるをえぬ、との側面があるのである。
 述べんとしていることをご理解いただけないか、とも思うので補って述べる。
 人間の歴史にあっては
[王や皇帝の称号を冠する各時代・各領域の統治者のやったことによって規定される各統治体(各々の時代・場所の別個の王国や帝国)の盛衰]
が「数値面で」別の領域、別の時代区分の統治体(王国や帝国)と「酷似」しているといったことで満ち満ちている。[後追い可能なものと指し示しできるところ]としてそういうことで満ち満ちている。 例えば、 ―どの程度まで類似性の枠を拡大して見るかは見る人間によって差分が生じるところとも見えるが― ローマ帝国の歴史と旧約聖書に登場する古代ユダヤ氏族の王国の歴史が「数値面で」際立った類似性を呈している、あるいは、中世成立の歴史書に見る英国古王国の歴史と旧約聖書に登場する古代ユダヤ氏族の王国の歴史が「数値面で」際立った類似性を呈している、といったことが散見されるようになっているのである ――統治者としての誰それが何をやってどういう風に死んだといったことが[統治者在位年代]といったはきと呈示可能な数値上の問題を伴って同じようなものとなっている、確率論的な意味での[偶然]を排する方向で別領域で連続して同じようなものとなっているといったことがある―― 。
 そうした「明らかに不可解な」こと(サイコロを振って1の目が10回連続して出るといったレベルで「明らかに不可解な」こと/初等教育を受けた「正気の」人間であるのならばそのヤラセ臭・イカサマ度合にすぐ気付きもしようとのこと)に加え、歴史には[山なす別系統の奇怪なる側面]が付きまとっていることを顧慮し、[操作]の問題を過去から現代を通観しての視点で焙り出そうとの趣旨の著作が拙著『人類と操作』という著作である。

『人類と操作』には一部欠陥もあったと現行考えるに至っているが、歴史の欺瞞性を暴き立て、そのような欺瞞性の根本に何が存在しているのか考える著作としての意義、旗を掲げての各軍勢らが「棋譜(記録化された対局の流れ)を後の日に残す形で」動いているのではなく、「あらかじめそこにあった棋譜の通りに」動かされているのでなければ説明がつかぬようになっているといったことが多々あることの根本に何が存しているのかについて考える著作としての意義が損なわれることは何らないと考えている

権利関係の問題

拙著テーマの性質上、著作権などについてとやかく言いたくはないとの想いもある。が、その式での無法を赦すと「伝えたき主張内容が毀損されうる」懸念があるため、この場で権利関係につき詳述しておくこととする

 まずもって述べるが、
「『人類と操作』の著作権は2009年度の骨子完成時より著者たる私こと大森健史に帰属している」(無償公開版と言えども、である)。

 上記のようなことわりをなしたうえで述べておく。
「法的な意味での原則論の通りであるのでわざわざ明記するまでもないことなのだが、『人類と操作』は国内外の著作権法、条約、その他の法律で保護されている。ゆえに、『人類と操作』閲覧者は下のようなことに注意しておく必要がある」

・[引用]目的以外の文章の転載は固く禁じられている(例えば、「出典を明示せずに」内容を転載するような行為に対しては何らかの法的措置を講じることになりうる:対し、痛烈な"批評"が目的でも「出典を明示しての」法的に適切な文量の[引用]は歓迎する。それが刑法上の違法行為あるいは民法上の不法行為 ―[ウィルスや検索エンジンを欺くようなスパム]の流布行為/詐欺行為/名誉棄損行為など― の構成要素になっていない限り、である)。

何人たりとも、拙著『人類と操作』"自体"、及び、その剽窃物から収益をあげることは許されないただ、適切かつ適法な形式に則っての『人類と操作』の[引用]をなしているコンテンツから収益をあげることに私が文句を言う筋合いはない。勇気ある人たちには ―有償・無償を問わず― 私が公けにした文書の[引用]を是非、なしていただきたい:[適切な引用]の意味が分からないなら、インターネット上にそれ絡みでの解説記事がいくらでもあるのでそちらを参照していただきたい)。すなわち、『人類と操作』"自体"から収益をあげること。それができるのは私か私が認めた者だけである私にとって収益などどうでもいいことなのだが、『人類と操作』そのものか、その改訂版を「オフラインで」流通させるためにそれなりの有償媒体を近々、手ずから製作する可能性がある。パソコンに不慣れな人々に真実を訴えるため、そして、オンラインでの検閲環境が強化された場合を期してだ。生ある限り、『人類と操作』の公益のためのオンライン無償公開を継続させていくつもりだが)。

許可なき第三者による公開版『人類と操作』の[再配布]は有償・無償を問わず認められない。

※免責事項

 本ウェブサイト上の全コンテンツにも当てはまることだが、拙著『人類と操作』オンライン公開版に関する免責事項を書いておく。

「『人類と操作』の閲覧やダウンロードに伴うウィルス感染等による副次的被害に関する責任を一切、負うことができない」(ご存知の向きもあろうかと思われるが、大企業のWebサイトを介してでさえ、ウィルス感染が広まっているのが最近の傾向である。ために、それなりの企業のWebサイトは大部分、ウィルス感染等免責事項を設けているのだが、私もそれに倣わせてもらった)。

※公開に至るまでの経緯公開経緯の話は非本質的な内輪話であるため、興味ある向き"のみ"ご覧いただきたい:重要なのは上の権利関係に関する注記部であり、公開経緯ではない

 『人類と操作』の[初稿]は2009年をもって完成していた(およそ、公開版の80%程度は出来上がっていた)。商業出版のオファーを出してきた出版社に同初稿を引き渡したのも同2009年で、出版が決まったのも同年だった(出版社取締役の弁によると、「初版数千部。増刷によっての大量流通も勿論、視野に入れている」)。
 であるが、その後、紆余曲折を経、出版自体が頓挫に至った(不快ながら「出版直前に」である)。 どういった成り行きでか。
 当方・出版社双方ともに「事実上の出版契約を結んだ」との認識のもと、編集作業が ―実に遅遅としたものながら― 進行。先方のよこした編集者の拙著に対する要求によって当方の時間と労力が割かれていたのにも関わらず、先方出版社が「経営事情から当社での出版を見合わせてほしい。ついては、他の出版社で出版するよう動くがどうか」と提案してきて、のような提案を私が断固拒否したがために出版自体が頓挫したのだ右にいう[事実上の契約を結んだ出版社]が案件譲り渡し先として提案してきた他社には[誰でも知っている某大手出版社]も入っているが、そんなことは問題にならない。私はそこにいう他大手の出版スタンスを元より好いていなかったし、はきとした意図をもって出版社を選定している。御社以外から出版させるつもりは現時、ない(一社にしか原稿は投げておらず、あっさり商業出版が決まっている。内容をご覧になられれば分かろうが、『人類と操作』とはそういう本だ) と先方の役員に"事前に"告げていたのだから

 以上のような形で出版が頓挫した後、即座に脳裏をよぎったのはセカンド・プラン、『人類と操作』をオンライン公開することだった(結果的にそのセカンド・プランを採択することとなった)。

 その点、自著のオンライン公開を検討することとなった背景には
『出版社の胸先三寸で流通量がコントロールされる類の商業出版、[屑みたいな本しか出すことのできない出版社]に出版権を ―彼らがよこす[百万円単位の初期印税]を対価に― 渡す類の商業出版ほど馬鹿な行いはない』
との想いが当初よりあったことも大きく影響している。『人類の操作』で扱う一部テーマが[多くの人間の生き死に込みでの今後]に関わる重大なもの、極めて公益性高きものであることと表裏をなすものとして、そのような想いが当初より我が身にあったことも大きく影響しているそういった想いが当初よりあったにも関わらず、『人類と操作』初稿を特定出版社に引き渡したのには無論、それなりの訳があった。すなわち、[有名な外国書籍邦訳を手掛けている会社]であったため、そこより本を出すことには意味・意義があるかと考えていた、との訳があったのだ。要するに、[重大な事実を広く世に明かすという目的の果たすための戦略上、望ましい商材を扱っている会社]だったから、特定企業を選定したにすぎない。その会社が国外で極めて有名な外国書籍の翻訳をてがけていなかったらその会社は度外視していただろう
 それだけではない(「初期印税を対価に[情報流通形態と体裁]をほしいままにされる、という式での出版を望ましくとらえていなかった」だけではない)。 言論界に寄生する[ある種の人間] ―言論人ではない。その裏手である― の生態に心底、嫌気が指していた、ということもある。私が初稿を出版社に渡してから、あからさまな[信用棄損行為] ―品性のない者達を用いたために[下手なマーケティング]が実施された、といった感じではなかった。そこにいう信用棄損の内容は部分的に公開版自著その他で明かしている― がなされだし、その件に絡み、弁護士に[実に分厚い訴訟資料/客観的証拠の分析資料]を渡したような事態になっていたから、そのように言うのだ(弁護士達は訴訟になれば、「別の意味で」出版社に勝てるだろうとしたが、時間と相談することとした。この件に絡んでの時効にはまだ間がある)。
 そう、平気で裏から人を刺すような類、どこにでもいる類と折り合いをつけてやっていくのも長期的に見て損失を被る行為だろうとの想いもまた、オンライン公開に踏み切った理由の一となっているわけである私自身と私の知人が結論したところ、信用棄損行為絡みでは話柄・やり口から犯行主体は[大規模カルト団体の成員の類]にしか見えない、とのことになった。元より、そういうことになりかねないとのことを想定内として出版社引き渡し稿では大規模カルト批判を具体名抜きで ―オウム真理教の背後関係分析書籍のように具体名抜きで― でしかなしていなかったのに実に残念である

 とにかくも、拙著『人類と操作』、2009年の決定を受けて2010年上半期には書店に並んでいたはずの著作を公開することになったわけだが、形式にこだわった出版の頓挫後、無償公開版を公開するまでに時間がかかることとなってしまったのには[はきとした理由]がある。
 具体的には、
「公開版の体裁を業者に渡さず(秘密を保持したまま)整えるのに苦労した」
「公開に際して、追記箇所が多数、発生し、その反映に時間を要した」
「著作執筆活動と並行して研究していた事象、[911の儀式性]にまつわる公開意義が甚大といえる程にまで高まったがため、その研究成果とまとめて公開することが望ましいと判断。によって、公開時期がずれにずれた」(これが公開時期が遅れた最大の理由である)
といった理由がある。

※上記のことを踏まえて

 上にて挙げた[※公開に至るまでの経緯]を読んでいただければ、よく分かろうかと思うが、拙著『人類と操作』が世に出る過程は大変な難産だったといえる。言わば、出産を手助けする助産婦が出産途中で逐電(職務放棄)し、より素行の悪い助産婦が代わりに助産を申し出てきたり、助産婦の悪友が妊婦の腹を蹴り上げようとしていたというような状況でもあった。のみならず、やれ、出産しようという段にて実は子供が超巨大児と判明。ふんばってもふんばってもなかなか出てこないといった次第でもあった。
 極めて意義深き情報の結晶体である『人類と操作』に関して、上のような拙い例え話をして何だが、とにかくも、『人類と操作』を公開するまでには名状しがたい労苦を伴った。そう述べたところで補足しておきたいが、生まれた後にもその[真実の子]が歩む途には数多の困難が待ち受けているように思われる。
 全篇でタブーをえぐり出している同著を快く思わない人間が ―というより、そういった人間の飼い主と当の『人類と操作』での話柄でもって言うか― いるだろうからだ。そうした中には手段を選ばす、有形・無形の「圧力」をかけてくる者達もいるだろう。問題は、私のみならず、[真相の求道者を志す方々]や[この世界のシステムと闘う覚悟をした方々](すなわち、『人類と操作』の熱心な読み手になりうる方々)が、そのような圧力によって邪魔されかねないことだ。
 ゆえに、仮に『人類と操作』や私自身の悪口が陰で組織だって囁かれていたりしても、あるいは、『人類と操作』の公開経路なり『人類と操作』自体が電子犯罪の具などにされていても、まずもって、その背景に何があるのかを慮って欲しい (杞憂かもしれないが、右のようなこととて、なされうる。上の[※権利関係の問題]の項はそのために細かく詰めたものであり、[※免責事項]の項は現実にそこにある危機のために記載したものなのだ:不正アクセスや諸種ウィルスやスパムなどで当方の提示情報を毀損しようという動きがあるのなら、それをなしている連中がどういう組織体に属しているか、『人類と操作』や本Webサイト上の他情報を検討すれば、すぐに分かる筈だ。そういう連中は私のみならず、[全人類にとって何をやらかすか分からない連中]である)。




 直近まで解説をなしてきた『人類と操作』以外に公開することとしているPDF文書には以下のものがある。

『911の儀式性詳説 及び 起こりうべき災厄の予測』下のリンクを辿った先の頁からダウンロード可能としている

『911の儀式性詳説 及び 起こりうべき災厄の予測』(改訂版)へはこちらより

※各PDF文書の容量について:『人類と操作』容量は約12.5MB、『911の儀式性詳説 及び 起こりうべき災厄の予測』(改訂版)容量は約9MBとなっている(画質軽視の圧縮をなしうえでのPDF化でも表記の程度の容量を有する)。

『911の儀式性詳説 及び 起こりうべき災厄の予測』[改訂版]へのリンクをすぐ上の段に設けているが、旧版へのリンクも一応、下に設けておく(旧版は文量が改訂版の二分の一以下になっており、その一方で読みづらさが伴ってもいるものともなるが、公開を継続する)
⇒(旧版へのリンクは直下より)
『911の儀式性詳説 及び 起こりうべき災厄の予測』 (旧版)

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