典拠となるところの明示[73]――加速器によるブラックホール生成、にまつわっての
先覚的言及文物らの間にみとめられる関係性から問題になりもすることについて

関連情報にまつわるカテゴリ(各部クリックにて遷移)

[加速器によるブラックホール人為生成]が一切観念されていなかったとされる折柄にて同じくものことを[奇怪なやりよう][不吉なやりよう]で事前言及しているといった筋合いの文物らが存在していることについて 補説1

 直前頁にあっては著名言論人であったカール・セーガンの手になる作品、

[宇宙よりの電波探査活動(作中、[アーガス計画]と銘打たれている架空の電波探査活動)]の中、[ヘラクレス座のM13星雲]を調べたその直後、そのヘラクレス座と接する琴座の方向より[宇宙にあっての他の高度文明よりの通信]を受信するとのかたちで話が展開していくとのフィクションたる小説COTACT『コンタクト』 (世界的ベストセラーとなったハード・サイエンス・フィクション小説)

が[ブラックホールないしワームホールを地上に生成することが主軸となっている小説]として

カート・ヴォネガット小説作品 The Sirens of Titan『タイタンの妖女』 ([そのありうべきではない重篤な先覚性]についてよりもって従前の段から本稿にて問題視してきた小説作品)

と接合するようになっていることを指し示すことで(後の段に向けての)[布石]となすと申し述べていた。

 より具体的には、である。以下のことを指し示すと(直前頁末尾にあって)申し述べていた。


[小説『コンタクト』が[ゲート装置の設計図受信]につながった電波探査計画との絡みでヘラクレス座M13をいかように作品内に登場させているのか、また、その部がいかようにして[サイレン]の類と結びつくようになっているのか]
(すなわち、[[サイレン]を作品タイトルに冠し、また、[ヘラクレス座M13]に関する印象的な切り分けての序言部を含んでいるとの作品、そして、[ブラックホール]のことを想起させるとの作品たる『ザ・サイレンズ・オブ・タイタン』といかように接合性を観念できるようになっているのか])

とのことを指し示す


 以上、端的に振り返りもしたうえで、それでは(本頁初出の内容として)表記のことの出典紹介部に入ることとする。


| 出典(Source)紹介の部66 |

 ここ出典(Source)紹介の部66にあっては、

[小説『コンタクト』にあってヘラクレス座M13方面の探査の直後にこと座方面より外宇宙生命体由来の通信を受信することになったとの下りにてサイレンの声に対する言及が「不自然に」「執拗に」なされている]

とのことを原文引用にて示し、もって、そのことが冒頭部よりヘラクレス座M13のことを殊更かつ意図不明瞭にもちだしている『タイタンの妖女』(ザ・サイレンズ・オブ・タイタン)との繋がり合いを想起させるものであるとのことを示すこととする。

 まずもって以下のような引用をなすこととする。

(直下、『コンタクト(上)』(新潮「文庫」版 ――池央耿/高見浩訳―― 、重版重ねての第六刷版)にあってのp.70-p.72よりの掻い摘まんでの原文引用をなすとして))

第三章 白色雑音

耳にひびくメロディーは美しい。が、耳に聞こえぬメロディーはもっと美しい。
――ジョン・キーツ『ギリシャの壺の歌』

もっとも残酷な嘘は、しばしば沈黙のうちに語られる。
――ロバート・ルイス・スティーヴンスン『青年男女のために』
・・・(中略)・・・

デスク・ランプのスイッチをひねり、しばらく引出しの中をかきまわしてから、彼女は一対のイヤフォンをとりだした。デスクのわきの壁に貼られた、フランツ・カフカの『寓話』からの引用が、一瞬、ライトの光に浮かびあがった。

  歌よりもおそろしいサイレンたちのもう一つの武器
  それは沈黙・・・・・・
  彼女らの歌を逃れる者あろうとも
  その沈黙から逃れうる者は
  一人としていない

片手をふってライトを消すと、彼女は仄暗闇(ほのぐらやみ)をつっきって戸口にむかった。
制御室に入ると、万事異常ないことをすぐに確認して安心する。窓ごしに、ニューメキシコの砂漠上数十キロにわたって並んでいる百三十一個の電波望遠鏡の一部が見えた。いずれも、空に向かって語りかけている、奇妙な機械の花のように見える。

(国内で流通を見ている訳書よりの掻い摘まんでの引用部はここまでとする)

 上にての訳書よりの引用部に対してオンライン上より確認できるところのContact(1985)の原著版テキストも挙げておく。

(直下、カール・セーガンCONTACT原著にあってのCHAPTER 3 White Noise冒頭部よりの引用をなすとして)

CHAPTER 3 White Noise
Heard melodies are sweet, but those unheard Are sweeter.
-JOHN KEATS "Ode on a Grecian Urn" (1820)
The cruelest lies are often told in silence.
-ROBERT LOUIS STEVENSON Virginibus Puerisque (1881)
[ . . . ]
Turning on a desk lamp, she rummaged through a drawer, finally producing a pair of earphones. Briefly illuminated on the wall beside her desk was a quotation from the Parables of Franz Kafka:
Now the Sirens have a still more fatal weapon than their song, namely their silence... Someone might possibly have escaped from their singing; but from their silence, certainly never.
Extinguishing the light with a wave of her hand, she made for the door in the semidarkness. In the control room she quickly reassured herself that all was in order. Through the window she could see a few of the 131 radio telescopes that stretched for tens of kilometers across the New Mexico scrub desert like some strange species of mechanical flower straining toward the sky.

(現行はオンライン上より確認なせるところの原著よりの引用部はここまでとしておく)

 上にての訳書および原著(オンライン上よりその文言すべてを[文献的事実]として確認できるところの原著)より引いたところに見るように小説『コンタクト』では

[章(Chapter表記の部)の冒頭にて作品に興趣を添えるためになしているように(普通には)とらえられる他の文物よりの引用](具体的には英国詩人ジョン・キーツ作品および[ジキルとハイドの物語]でも有名なスコットランド小説家ロバート・ルイス・スティーヴンスン作品よりの引用)

がなされた後(うち、スティーヴンソンのそれは The cruelest lies are often told in silence.[もっとも残酷な嘘は、しばしば沈黙のうちに語られる]とsilenceサイレンスと結びつけられているとのものとなっている)、その直後、第三章中身に入って、の中で、
Now the Sirens have a still more fatal weapon than their song, namely their silence...「歌よりもおそろしいサイレンたちのもう一つの武器 それは沈黙・・・・・・」
とのフランツ・カフカよりの引用がさらにもなされつつ([妖異サイレンの武器は沈黙なり]という引用がなされつつ)、それが『コンタクト』本編にて描かれる
[外宇宙よりの電波探査計画]
と結節させられているとのコンテキストが現出を見ている([制御室に入ると、万事異常ないことをすぐに確認して安心する。窓ごしに、ニューメキシコの砂漠上数十キロにわたって並んでいる百三十一個の電波望遠鏡の一部が見えた。いずれも、空に向かって語りかけている、奇妙な機械の花のように見える]との表記引用部テキストは『コンタクト』作中にて重きをなす[宇宙電波探査計画供用施設]に関する描写である)。

 以上、言及したうえでのさらなる引用をなす。

(直下、邦訳版『コンタクト(上)』(新潮「文庫」版 ――池央耿/高見浩訳―― 、重版重ねての第六刷版)にあってのp.99-p.100、p.103-p.105よりの掻い摘まんでの原文引用をなすとして)

第四章 素数

月、このわれらが哀れな異教の星に、モラビア派信徒は一人もいないのだろうか、そこに文明を植えつけ、キリスト教を広める宣教師はただの一人も訪れていないのだろうか。
――ハーマン・メルヴィル『ホワイト・ジャケット』(一八五〇)

沈黙のみが偉大である。他のすべては弱点にすぎない。
――アルフレッド・ドヴィニー『狼の死』(一八六四)

・・・(中略)・・・

彼は管制室に入った。電波探査のプロセスをモニターしている十二のテレビ・スクリーンを、ひとわたり見まわす。<アーガス>はヘルクレス座を調べ終えたばかりのところだった。地球から数億年も離れている、銀河系のはるか彼方にある広大な銀河の群、ヘルクレス銀河団の中心部をのぞいたのである。二万六千光年彼方の、銀河系をめぐる軌道に沿って移動している、重力的にかたまった約三十万個の星の群れ、M-13にも照準をしぼってみた

・・・(中略)・・・

望遠鏡の何台かは、依然ヘルクレス座にむけられている。聞きのがしたデータがあったら、拾い直すためだ。残りの望遠鏡はすべて、その隣の天空領域、ヘルクレス座の東の星座にむけられている。いまから数千年前、東地中海に住んでいた人々の目に、その星座は絃(げん)を張った楽器のように見えたらしく、ギリシャ人のカルチャー・ヒーロー、オルフェウスと結びつけられた。その星座は"こと座"と呼ばれている

・・・(中略)・・・

声が急にうすれて制御台に目が吸いよせられた。突然、警告灯が眩く点滅しはじめたのだ。"強度VS周波数"と記されたディスプレイ上で、垂直の棒線が急上昇しつつあった。
「おい、見ろよ、単色信号だぜ」
"強度VS時間"と記された、別のディスプレイでは、ひとまとまりのパルスが左から右に流れてスクリーンから消えている。
「これは数字だな」ウィリーが、かすれた声で言った。

(国内で流通している訳書よりの掻い摘まんでの引用部はここまでとする)

 上記引用部に対するオンライン上より確認できるところのContact(1985)の原著版テキストも下に挙げておく。

(直下、カール・セーガンCONTACT原著にあってのCHAPTER 4 Prime Numbers冒頭部よりの引用をなすとして)

CHAPTER 4 Prime Numbers
Are there no Moravians in the Moon, that not a missionary has yet visited this poor pagan planet of ours to civilize civilization and Christianize Christendom?
-HERMAN MELVILLE White Jacket (1850)
Silence alone is great; all else is weakness.
-ALFRED DEVIGNY La Mort du Loup (1864)

The duty officer entered the control area. He made a quick survey of dozens of television screens monitoring the progress of the radio search. They had just finished examining the constellation Hercules. They had peered into the heart of a great swarm of galaxies far beyond the Milky Way, the Hercules Cluster--a hundred million light-years away; they had tuned in on M-13, a swarm of 300,000 stars, give or take a few, gravitationally bound together, moving in orbit around the Milky Way Galaxy 26,000 light-years away;
[ . . . ]
A few of the telescopes, the duty officer could see, were devoted to picking up some missed data in Hercules. The remainder were aiming, boresighted, at an adjacent patch of sky, the next constellation east of Hercules. To people in the eastern Mediterranean a few thousand years ago, it had resembled a stringed musical instrument and was associated with the Greek culture hero Orpheus. It was a constellation named Lyra, the Lyre.
[ . . . ]
His voice trailed off as an alarm light flashed decorously on the console in front of them. On a display marked "Intensity vs. Frequency" a sharp vertical spike was rising."Hey, look, it's a monochromatic signal." Another display, labeled "Intensity vs. Time," showed a set of pulses moving left to right and then off the screen. "Those are numbers," Willie said faintly. "Somebody's broadcasting numbers."

(現行はオンライン上より確認なせるところの原著よりの引用部はここまでとしておく)

 上にての掻い摘まんでの引用部(邦訳文庫版『コンタクト』上巻p.99-p.100、p.103-p.105より引用したところ)は先立って掻い摘まんでそこよりの引用なしたところ(邦訳文庫版『コンタクト』上巻p.70-p.72より引用したところ)と同文に[Silence]に対するこだわりが垣間見れるとの按配のものである(沈黙のみが偉大である。他のすべては弱点にすぎない。――アルフレッド・ドヴィニー『狼の死』(一八六四)Silence alone is great; all else is weakness.-ALFRED DEVIGNY La Mort du Loup (1864)と記載されていることにそのことが垣間見れるとの按配のものである)。

 先立って引用なしているように[サイレンス]と[サイレン]の掛け詞をカール・セーガンが『コンタクト』にて目立つように持ち出している(章にての冒頭部にて The cruelest lies are often told in silence.[もっとも残酷な嘘は、しばしば沈黙のうちに語られる]との『ジキルとハイド』でも有名な作家 Robert Stevensonの言を引いたうえでのこととしてそうした掛け詞 ―― Now the Sirens have a still more fatal weapon than their song, namely their silence... Someone might possibly have escaped from their singing; but from their silence, certainly never.「歌よりもおそろしいサイレンたちのもう一つの武器.それは沈黙・・・・・・彼女らの歌を逃れる者あろうともその沈黙から逃れうる者は一人としていない」とのフランツ・カフカ Franz Kafka作品に由来する掛け詞―― を持ち出している)ことに鑑みて、要するに、そこにも[サイレン]へのこだわりがあると見える。

 そうした部にて

[外宇宙よりの電波探査計画](架空のアーガス計画というもの)

という小説『コンタクト』にて重きをなす計画が

「ヘラクレス座のM13界隈を調べて成果が得られなかった直後にその近傍の
[琴座方面] (作中にて(再度の引用をなすところとして)残りの望遠鏡はすべて、その隣の天空領域、ヘルクレス座の東の星座にむけられている。いまから数千年前、東地中海に住んでいた人々の目に、その星座は絃(げん)を張った楽器のように見えたらしく、ギリシャ人のカルチャー・ヒーロー、オルフェウスと結びつけられた。その星座は"こと座"と呼ばれている(原著にては The remainder were aiming, boresighted, at an adjacent patch of sky, the next constellation east of Hercules. To people in the eastern Mediterranean a few thousand years ago, it had resembled a stringed musical instrument and was associated with the Greek culture hero Orpheus. It was a constellation named Lyra, the Lyre. と表記されているところ) )
より電波を受信する」

とのかたちで急転直下の展開を見せだしたとのことが描かれているというわけである(※)。

(※『コンタクト』でそこよりの電波の受信がなされるとの設定が採用されている琴座とは(小説それ自体に見るように)ヘラクレス座と接する領域となる。疑わしきにあってはオンライン上より即時に確認できる星座の図などを参照いただきたいが、例えば、英文Wikipedia[Lyra]程度の媒体にても現行、 Lyra is a small constellation. It is one of 48 listed by the 2nd century astronomer Ptolemy, and is one of the 88 constellations recognized by the International Astronomical Union. [ . . . ] Its principal star, Vega ( Abhijit in Sanskrit ), a corner of the Summer Triangle, is one of the brightest stars in the sky. Beginning at the north, Lyra is bordered by Draco, Hercules, Vulpecula, and Cygnus.(大要として)「琴座(ライラ)はプトレマイオスに48星座に数えられることとなった小さき星座となり、主星をヴェガ、冬の大三角形の一角をなす明るき星とする星座となる。琴座はりゅう座(ドラコ)、ヘラクレス座、こぎつね座、はくちょう座に囲まれている」と端的に表記されているような位置関係が具現化している)


著作権の切れた書籍を無償公開しているとの Project Gutenbergのサイトにて現行、全文ダウンロードできるとの著作 Astronomy for Young Folks(20世紀前半活動の天文家 Isabel Lewisの手になる著作)にての[August](8月)項目にて掲載の図。同図からしてすぐにご理解いただけようことか、と思うが、Lyra(琴座)とHercules(ヘラクレス座)の位置関係はまさに近接関係を呈しているとのものとなっている。

 これにて

[小説『コンタクト』にあって[ヘラクレス座M13方面の探査の直後にこと座方面より外宇宙生命体由来の通信を受信することになったとの下りにてサイレンの声(凶器ともなると言及される「サイレン」スこと沈黙とも)に対する言及が「執拗に」なされている]

とのことの出典表記となした(その意味合いについては本稿の続く補説2の部にて解説をなす所存である)。

(尚、小さなことをくだくだと書くようだが、ここにて引用なしているのが章を隔てての[第三章]と[第四章]にあっての記載内容となることより
「離隔があるところから引用をなして、それがつながるように述べている.であるから、こじつけがましくもとれる」
と(一知半解といったかたちで)とらえる向きもあるかもしれない。
 ゆえに書いておくが、[こじつけ]と見なされるような位置的離隔も内容的離隔もここでの関係性にまつわる話にはさして認められ「ない」とのことがある。
 第一。小説
Contact『コンタクト』原著は計24章からなるが ――ちなみに邦訳されての『コンタクト』(新潮社)文庫版上下巻では全三部に分かたれ、第一部は計九章、第二部は計九章、第三部は計六章との訳書特有の章の割り振りが(章のタイトルは原著そのままに)なされている―― 、そうもして24章からなる『コンタクト』にあっての第3章と第4章の前半部描写とのことであれば、紙幅にあっての離隔はさしてないこと、お分かりいただけるだろう。
 第二。内容上の離隔もさしてないということがある。すなわち、[それまでなしのつぶてであった宇宙探査計画にまつわる一連の描写である][サイレンスとサイレンの関係を想起させるやりようが連続して第三章および第四章でとられている]、そういう意味で内容上の隔たりもない(それがゆえにこじつけがましい話をなしているわけでもない)ということがある)

 表記の通りの流れと小説 The Sirens of Titan『タイタンの妖女』にあってはその冒頭部題句が意図不明に

Every passing hour brings the Solar System forty-three thousand miles closer to Globular Cluster M13 in Hercules ― and still there are some misfits who insist that there is no such thing as progress.「一時間ごとに太陽系は四万三千マイルずつヘラクレス座のM13球状星団へと近づいている――それなのに、進歩なんてものはないと主張する非順応者がまだなくならない」

とのものとなっている(それは『タイタンの妖女』という作品それ自体の著名性がゆえにか英文ウィキペディアの[ Messier 13 ]項目(M13項目)にても言及されるような題句となる ――出典(Source)紹介の部65(11)―― )とのことを複合顧慮なせば、[ヘラクレス座M13]と[サイレン]に対する目立っての関連付けをもってして『タイタンの妖女』(ザ・サイレンズ・オブ・タイタン/1959年初出)と小説『コンタクト』(原著1985年初出)が相通ずることはお分かりいただけることか、とは思う。そして、それは[ブラックホールとの関係]が問題となる繋がり合い「でも」ある。
 第一。小説『タイタンの妖女』(人類養殖の究極目標が黒いドットマークにすぎなかったとの粗筋を具備している作品)は既述のようにブラックホールとの兼ね合いでの不可解な先覚性が問題となる作品である(ベテルギウスとガンマ線バーストにまつわってのやりようや作者カート・ヴォネガットの他作品にみる問題となるやりようの絡みでもそうもなる ――先立っての出典(Source)紹介の部65(4)を参照のこと―― )。 
 第二。小説『コンタクト』は[[ゲート]となるブラックホールないしワームホールのこの地球上での生成]が作品の主要テーマとなっているとの作品である(後にての補足2の段で当該の作品よりの原文引用をなしながら詳述に詳述を重ねていく所存であるが、小説『コンタクト』はヘラクレス座近傍の琴座ヴェガから受信された外宇宙文明由来の電波暗号が解読され、そちら電波暗号に入れ込まれていた[ブラックホールないしワームホール生成装置たるゲート装置](人類サイドでは建設段階も含めて何のためのものなのか、機序さえ理解されていなかったものの使用してみてゲート装置と判明したとの装置)が構築されるとの筋立ての作品となっている)。

出典(Source)紹介の部66はここまでとする)


 上にての出典紹介部にて訴求なしているように小説『タイタンの妖女』と小説『コンタクト』の繋がり合いがまた、と同時に、[911の事前言及]とも相互に相通ずるものとなっている(なってしまっている)とのことをも本稿の後にての段、補説2の中頃から委曲尽くして摘示なしていく所存であるが、とにかくもってして、である。以上でもって細々とした話に加えてさらにもって細々としたことを書き記してきたとのここでの話、後の段に向けての[布石]としての

[カート・ヴォネガット作品 The Sirens of Titan『タイタンの妖女』とカール・セーガン作品Contact『コンタクト』の接合性についての話]

を終えることとする。

 さて、ここで付け加えて述べもしておくが、本補説1の部では

「何故、米国文壇の寵児・米国現代文学の旗手とされてきたとのカート・ヴォネガット作品「ら」が[奇怪なる予見性]を[911の事件]および[ブラックホール生成問題]との絡みで帯びていると述べられるのか」

の根拠となるところを相当量の紙幅を割いて今まで延々と解説してきたわけではあるも、いくら微に入っての解説をなそうとも、いや、それであればこそ、

「偏執狂の類(昔ならば[小人]とでも表されていもしたであろう、[非本質的な,生きるうえで不必要なことに細々と[趣味]とは言えぬかたちで拘るとの特性の体現者]でもいい)が延々と無意味なる因数分解をなしているだけのことにすぎない」

と[勘違い]する向きがあるかもしれないとも見ている(話柄のありようから、ある種、当然の危惧・懸念かと自身、とらえてもいるところとして、である)。

 そのように考えていもするため、次のこと、(ここ補説1の締めの部にて)、一応、述べておくこととする。

「ここでは[補説]が[補説]たる所以として「補ってもの話」をなしている。そこにいう「補ってもの話」が向かう先、[補われての対象]となるところは、(はきと述べ)、
[人類にどういう未来が用意されているのかの嗜虐的なる予告]
の「実在」の論拠をはきと、そう、具体的かつ客観的に(ひたすらに論拠を挙げながら)指し示すとのものとなっている。
 補ってもの話がそれを意識しての[補いもして摘示せんとしていることの対象]が(その券面に偽りなければ)そうもして「極めて重大なこと」であるため、本段でなしてきたところでのひたすらに細かきことを突き詰めての話とて(そうしたものに過ぎぬと見えても)[偏執狂の無意味なる因数分解]の問題では済まされないところである(と書き手たる身として強調したい)。
 人間という種に自浄能力が僅かでもあるのならば、そう、
[[沈黙]でもって残酷な嘘を吐き通す ――先にて The cruelest lies are often told in silence.「最も残酷な嘘らはしばしば沈黙のうちに語られる」との引用がカール・セーガンによってなされていることを問題視しもしたとのことで「かくも、」の言いまわしを用いている―― ]
ことを[殺されても]遵守する(骨の髄まで脳死状態のゾンビのような存在に成り下がっている)ような[生きる能力さえないとの種族]でなければ、(どうしてそういうことがあるのか、の[機序](作用原理)の問題は置いておき、[現象]から指し示されるとの)そうしたことに対する重み付けを見誤らないはずであろう」

 上にての申しようが至当なるものか否か。

 片々たるところでの筆致や知識水準からなどでもいい、書き手たるこの身の[程度]の問題につき思料いただいたうえででも確認いただきたいものである。ここ補説1に先行する段で何を具体的にどう指し示しているのか、また、ここ補説1に後続する段(これ以降の補説2から補説4と振っての段および長大なる本稿にての後半部)にあって

[「属人的主観などとは全くもって無縁なるところにて」何をどのように指し示しているのか]

との観点でもってして確認いただきたいものである(本来ならば、「貴殿らの[生き死に]に関わるところである。[死]を望むのでなければ、そう、状況を理解して事態に抗う[意志]の力があるのならば、本稿にて指し示しているようなことの理非曲直について確認をなして然るべきだろう」と上席からの言いようのように申し述べてもいいところかとの自負もこの身にはあるのだが、ここでは[常識]に配慮しての申しようをなしている)

(以上述べたところでここ補説1の部に一区切りをつけたい)

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さらにもって付け加えもしての部として

 いまひとつ補説2の段に移行する前にカート・ヴォネガッット小説『サイレンの妖女』と「他の」著名作品 ――小説『コンタクト』以外の他の著名作品―― の関係性について指摘をなしておきたいと思うことがあったので付け加えての表記をここにてなしておく。

 多くの人間がその名だけは耳にしていることであろうと思われる作品として
2001: A Space Odyssey『2001年宇宙の旅』
という作品がある。

 同『2001年宇宙の旅』、映画版における、

[猿が黒い石碑状の物体によって[知能]を与えられて進化していく姿がいかめしくも荘厳な曲(リヒャルト・シュトラウスがニーチェ著作よりインスピレーションを得て作曲したとのことが知られる著名な交響詩『ツァラトゥストラはこう語った』冒頭部)とともに描かれる冒頭シーン]

があまりにも有名であるために[他の多くの商業的作品](CMなど)にパロディー化などされながらも取り上げがなされてきたとの作品でもある。

 基本的解説をくだくだしくもなすことの手間を避けるためにウィキペディアのような目立つ媒体より引けば、そちら『2001年宇宙の旅』とは

(直下、目立つところにあっての「現行にての」和文ウィキペディア[2001年宇宙の旅]項目の[あらすじ]の節の記述を掻い摘まみもしながら引用なすとして)

『2001年宇宙の旅』(英:2001: A Space Odyssey)は、アーサー・C・クラークとスタンリー・キューブリックがアイデアを出しあってまとめたストーリーに基いて製作されたSF映画およびSF小説である。映画版はキューブリックが監督・脚本し、1968年4月6日にアメリカで初公開された。小説版は同年6月にハードカバー版としてアメリカで出版されている。
・・・(中略)・・・
遠い昔、ヒトザルが他の獣と変わらない生活を送っていた頃、黒い石板のような謎の物体「モノリス」がヒトザルたちの前に出現する。やがて1匹のヒトザルが謎の物体の影響を受け、動物の骨を道具・武器として使うことを覚えた。獣を倒し多くの食物を手に入れられるようになったヒトザルは、反目する別のヒトザルの群れに対しても武器を使用して殺害し、水場争いに勝利する。歓びのあまり、骨を空に放り上げると、これが PAN AMのマークをつけた宇宙船に変る(人類史を俯瞰するモンタージュとされる)。
・・・(中略)・・・
18か月後、宇宙船ディスカバリー号は木星探査の途上にあった。乗組員は船長のデビッド・ボーマンとフランク・プールら5名の人間(ボーマンとプール以外の3名は出発前から人工冬眠中)と、史上最高の人工知能HAL(ハル)9000型コンピュータであった。
・・・(中略)・・・
(HALの造反から)唯一生き残ったボーマン船長はHALの思考部を停止させ、探査の真の目的であるモノリスの件を知ることになる。
・・・(中略)・・・
単独で探査を続行した彼は木星の衛星軌道上で巨大なモノリスと遭遇、スターゲイトを通じて、人類を超越した存在・スターチャイルドへと進化を遂げる。

(以上、誤りが無いこと、把握している映画版『2001年宇宙の旅』粗筋解説部よりの記述の引用とする)

との作品ともなる(ちなみに上は映画版のストーリーとはなるが、小説版のストーリー展開についてもほぼ共通しての流れが当てはまり、に関しては、英語版Wikipedia[ 2001: A Space Odyssey (novel) ]項目の現行にての Plot summary[作品概略]の節にて(掻い摘まみながら引くとして) In the background to the story in the book, an ancient and unseen alien race uses a device with the appearance of a large crystalline monolith to investigate worlds all across the galaxy and, if possible, to encourage the development of intelligent life. The book shows one such monolith appearing in ancient Africa, 3 million years B.C. (in the movie, this was altered to 4 million years), where it inspires a starving group of the hominid ancestors of human beings to develop tools. [ . . . ] The book leaps forward 18 months to 2001, to the Discovery One mission to Saturn. Dr. David Bowman and Dr. Francis Poole are the only conscious human beings aboard Discovery One spaceship. Their three other colleagues are in a state of suspended animation, to be awakened when they near Saturn. The HAL 9000, an artificially intelligent computer addressed as "HAL," maintains the ship and is a vital part of life aboard. [ . . . ] Bowman is transported via the monolith to an unknown star system. During this journey, he goes through a large interstellar switching station, and sees other species' spaceships going on other routes; he dubs it the "Grand Central Station" of the galaxy. Bowman is given a wide variety of sights, from the wreckage of ancient civilizations to what appear to be life-forms, living on the surfaces of a binary star system's planet. と表記されているとおりである。以上、英文記述は直上にて引用なした和文ウィキペディア表記とほぼ似通ったものとはなるが、ただもって注記しておきたいのは[小説版では300万年の猿への介入が描かれているのに対して映画版では400万年前であるなどとされている][モノリスは映画版では黒曜石状の不透明なるものであるところが小説版では透明な結晶状構造のものである][映画版では[木星Jupiter]とされているところの目的地が小説版では[土星Saturn]とされている][ボーマンが超人類に進化するとのプロセスが映画版に比して小説版では細やかに設定付けされている]との箇所らには異動がある ――うち、多くは直上の和文ウィキペディア(映画粗筋表記)と上の英文ウィキペディア(小説粗筋表記)それそのものから特定できるところである―― )

 上のように目立つところ、基本的なところから内容紹介した『2001年宇宙の旅』(1968年初出の作品)と本稿にあってここに至るまでその問題性について長々と解説なしてきたとの『タイタンの妖女』(1959年初出)との間には明瞭なる記号論的繋がり合いがあり、そこに

[ブラックホールの影]

がちらつきもするとのことがある(とのことをここにて問題視する)。

 それにつき、まずもっては

以下にての解説表記]

を参照されたい (※以下にての解説表記については本稿公開をなすこととしたサイトの一で試験的に従前より呈示していたページでの訴求事項を踏襲しての解説表記ともなる。その点、 ―ここでといったことをわざわざもってして述べるのも何なのではあるが― 以下解説表記の元となりもしている記述を含む手前手仕事の媒体(ウェブページ)については、である。ほとんど顧みられていない節もあり、また、水面下訴求用にさえ用いてもいなかったとのものがゆえの甘えがありもした、そして、急場を縫っての作成形態(巧遅を犠牲にしての拙速に失しての作成形態)などもあって(本稿以上の)詰め込み過ぎによる内容の不明瞭さ、重大かつ基本的なところでの誤記の介在 (たとえば、赤色巨星 Red Super Giantを赤色矮星 Red Dwarfなどと表記してしまっているような我ながら「あまりにも基本的なところで.」と忸怩たるところがある重大な誤記などの介在)、典拠呈示の不十分さなどを問題となる側面を多く伴いもしているとのものでさえありもするのだが、他面・反面、多く重要なことを(反応を手探りするとの試験的なところながら)訴えてきたつもりであるとの自負もあるとの媒体「とも」なり、それがゆえにもの記述踏襲をなしていること、断っておく ―(以上、仮にもし、万々一、言論の来歴確認をなすような奇特な向きがいた場合を期しての半ば閑話休題がかっての付記とした)― )


(極めて著名なる 2001: A Space Odyssey『2001年宇宙の旅』(原著初出1968年)と刊行時期で同『2001年宇宙の旅』に先行する The Sirens of Titan『タイタンの妖女』(原著初出1959年)の間には次のようなかたちでの目立っての結節点が存在する)

I『ザ・サイレンズ・オブ・タイタン(タイタンの妖女)』および『2001年宇宙の旅』の両作ともども[土星(英語表記Saturn)界隈へのスペース・ミッション]が作品主題となっている

(→1959年初出の『タイタンの妖女』では主人公クラスの主要人物マラカイ・コンスタントと同マラカイ・コンスタントの息子クロノらが土星の衛星タイタンに逗留するサロ ――本稿の先立っての出典(Source)紹介の部65(3)にて関連するところの記述を引いているように[黒ぽちひとつよりなる親書]の伝達ミッションの完遂のためだけに人類文明を育成してきたとの設定の異星系文明の使節―― の元に宇宙船代替部品を届けに行くとの結末に向けて物語が進んでいく ――※同じくものことに関しては目立つところの英文Wikipedia[ The Sirens of Titan ]項目にあって現行、 Rumfoord's encounter with the chrono-synclastic infundibulum, the following war with Mars, and Constant's exile to Titan were all manipulated via the Tralfamadorians' control of the UWTB. Stonehenge, the Great Wall of China and the Kremlin are all messages in the Tralfamadorian geometrical language, informing Salo of their progress. [ . . . ] As it turns out, the replacement part is a small metal strip, brought to Salo by Constant and his son Chrono (born of Rumfoord's ex-wife). (訳として)「時間等曲率漏斗(クロノ・シンクラスティック・インファンディブラム)とラムフォードの接触、そして、続く火星勢力との戦争、コンスタントのタイタンに向けての放浪は[UWTB Universal Will to Become;そうなるべくしての万有意志)]の作用を用いてのトラルファマドール人の制御による操作の結果であり、ストーンヘンジ、中国の万里の長城、クレムリンらは(土星の衛星タイタンにて足止めをくらっている)サロに進捗状況を報せるためのこれすべてトラルファマドール人の地理的表現であった。代替部品が小さな金属一片であると判明したところで(主要人物たるマラカイ・)コンスタントおよび彼の息子のクロノ(ラムフォードの前妻とマラカイ・コンスタントの間にできた子)が(タイタンに逗留する)サロの元に送られることになった」と記されているところとなる(尚、[Chronoクロノ]という[主要登場人物(マラカイ・コンスタント)の息子にして、かつ、タイタンのサロの元に部品を届けに行く役割を負った子供]の名前はChronosクロノスという[ギリシャ神話の時の神]にしてTitan(ゼウスに敗れたギリシャ神話上の古き神々タイタン)の代表者であるCronosクロノス(ローマ語表記サトルナスが転じてサターンこと土星となっているとの神格)のことを想起させる名でもある([タイタン・クロノス]と[時の神・クロノス]の関係性については本稿にての先行する段にて解説しているとおりである)のだから、[作品表題に付されてのTitan(ギリシャのタイタン族に命名由来を持つ土星衛星)/Saturn(土星)にまつわっての堂に入ってのやりよう]が感じられるところでもある―― 。 他面、1968年初出の『2001年宇宙の旅』では(映画版にあっては[木星]Jupiterが最終目標地点であったところを)[土星Saturn]が目標地点として設定してある ――※同文に目立つところの英文Wikipedia[ 2001: A Space Odyssey (novel) ]項目より引けば  The book leaps forward 18 months to 2001, to the Discovery One mission to Saturn. Dr. David Bowman and Dr. Francis Poole are the only conscious human beings aboard Discovery One spaceship. (訳として)「物語はそれから18ヶ月後の2001年、ディスカバリー・ワン号による土星への到達ミッションにまつわっての場へとうつる。デヴィッド・ボーマン博士とフランシス・プールのみが(冬眠ポットに入らずに)覚醒状態を維持しながらディスカバリー・ワン号にて活動している人間達だった」と端的に表記してあるとおりである―― )

II両作『タイタンの妖女』『2001年宇宙の旅』ともホメロス古典『オデュッセイア』 (本稿にての先行するところの出典(出典(Source)紹介の部46にあって当該の古典そのものより文言引いて示しているように[トロイア攻囲戦で木製の馬の奸計を用いてギリシャ連合軍のトロイア勢に対する皆殺し伴っての勝利をもたらした武将オデュッセウス]が[サイレンSiren][スキュラScylla][カリュブデスCharybdisら怪物が控えている航海の難所をふりきらんとして船旅の同道者らを失いつつ[女神カリュプソの島(オーギュギアー島)]に漂着するといった苦難の旅を経験する、そして、故郷に帰郷するとの内容の叙事詩) と「濃厚に」結びついているとのことがある。

(→[直上にての解説部]にても言及しているように『タイタンの妖女』原題たる The Sirens of TitanにあってのSirensとは叙事詩『オデュッセイア』(ΟΔΥΣΣΕΙΑ)に登場を見る人面鳥身の魔声でもってして船を沈没に誘(いざな)う怪物となる。他面、これまた[上にての解説部]に言及しているように『2001年宇宙の旅』に登場を見ている人間のフリを難なくやり通せるだけの[強いAI]( Strong AI )の領域に入ってのHAL9000の似姿についても[サイクロプスCyclops(オデュッセウスが叙事詩『オデュッセイア』の前半部で苦しめられた一つ目の巨人)のメタファーであろうとの識者分析](がなされるだけの背景)が介在していることが問題となりもし、かつもって、より直感的なところとして同HAL9000の似姿が[ Siren( Alarm System )を想起させる明滅する Emergency vehicle lighting[緊急車輌敷設ランプ]状の外観]から[怪物サイレン]を想起させるとのこともある ――英文Wikipedia[Interpretations of 2001:A Space Odyssey] 項目(直訳すれば[2001年宇宙の旅に対する解釈(論)]項目)に(以下、引用なすとして) Homer's epic poem The Odyssey, which is signalled in the film's title. Wheat notes, for example, that the name "Bowman" may refer to Odysseus, whose story ends with a demonstration of his prowess as an archer. He also follows earlier scholars in connecting the one-eyed HAL with the Cyclops, and notes that Bowman kills HAL by inserting a small key, just as Odysseus blinds the Cyclops with a stake.との表記がなされるだけのことがありもする。そも、『2001年宇宙の旅』の英文原題 2001:スペース・オデッセイに見る【オデッセイ】Odysseyとは叙事詩『オディッセイア』の英文表記であり、それが一般名詞化して【壮大な物語】を意味する語に転化したものであるとのことが世にあるとの中で『2001年宇宙の旅とホメロス叙事詩『オディッセイア』との関係がたとえばもってして『2001年宇宙の旅』作中登場人物(ボウマン;射手との語感に通ずる名の主要登場人物)が【射手としての(叙事詩『オデュッセイア』主人公たる)オデュッセウス】に言及する作品ありようなどとして表出していることを(先述の作中登場人工知能HALがキー解除をもってボウマンに沈黙させられたことを[(オデュッセウスに尖らせた木片にて眼を潰された 『オデュッセイア』登場の)独眼巨人サイクロプスに仮託する式]などとともに)問題視するとの欧米圏一部識者評論が存在している、それだけの背景があるわけである―― )

III両作品共々、[人類操作にあっての土星の衛星に通ずる遠大な目標]が作品主題となっているとのことがある。

(→本稿にての出典(出典(Source)紹介の部65(3)にても解説のように小説『タイタンの妖女』にあっては[黒ぽち(single-dot)ひとつよりなる親書]を送達するとの使節としての役割のためだけにサロという存在、そして、同機械生命体サロの背後に控える高度異星文明が人間文明を永年に渡って育て上げたとの設定の作品となっている。他面、『2001年宇宙の旅』についても[モノリス](黒曜石状の石碑)らを宇宙に播種した先進文明が遠大な計画の一環として人類種を育て上げたとの作品ともなっている ――目につくところの英文Wikipedia[ 2001: A Space Odyssey (novel) ]項目冒頭にあっての Plot summaryの部にて In the background to the story in the book, an ancient and unseen alien race uses a device with the appearance of a large crystalline monolith to investigate worlds all across the galaxy and, if possible, to encourage the development of intelligent life. The book shows one such monolith appearing in ancient Africa, 3 million years B.C. (大要訳として)「同書(『2001年宇宙の旅』)の物語の背景となるところとして古代の見えざる外宇宙種族が銀河系すべての世界を網羅的に探査するために[結晶のように透明なモノリス](訳注:小説ならぬ映画版では黒曜石状になっているが、小説版では透明なクリスタルのようなありようが強調されている)を伴っての機構を用い、そして、可能ならば、知的文明の進歩を促進するとのやりようをとったとの設定がなされている(といった設定に関わるところで『2001年 宇宙の旅』小説版では月でのモノリス発見・通信開始に呼応して土星の衛星ヤペタスへのミッションが開始されるとの筋立てが採用されてもいる)。同書はそうもしたモノリスのうちの一柱が300万年前のアフリカに現われたと描いている」と解説してあるとおりである(尚、私見を述べておけば、以上のようなフィクション筋立てをして[[本当のことたりうる]と楽観的に真に受ける]のは多幸症気味、あるいは、半ば脳死状態の騙され人ならば大いにありそうなことであるとも見ている。につき、筆者としては本稿の先だっての段で解説してきた John MiltonParadise Lost『失楽園』の設定、【[後発種族]に[罪]と[死]を進呈する結果に通ずるとの式で知恵(文明)を接受した】(本稿にての出典(出典(Source)紹介の部55から出典(出典(Source)紹介の部55(3)[今日的な観点で見た場合のブラックホールに相通ずる描写]との絡みで原文引用なしたところの設定)とのことの方がよりもってありうる( more persuasive )ことであろうと見ているとも申し述べておく)―― )

IV『タイタンの妖女』『2001年宇宙の旅』両作品共々、[時空間の縛りを無視する能力を獲得するに至った超人]が作中にて重きをなし、また、彼ら「時を超越した」あからさまなる[超人]らが遠大な人類操作プラン ―土星(の衛星)に通ずるところの人類操作プラン― に重きをもって関わることになる(使嗾(しそう;使役)とのかたちに近しき式で関わることになる)とのありようが目立っての作品設定として描かれている作品となっている。

(→『タイタンの妖女』では時空間曲率漏斗(なるもの)に入った主要登場人物のラムフォードが波動存在と化した後、土星の衛星タイタンに逗留するサロと交友を結んでの中でそれと知らずにサロのミッションの手助けをさせられることになるとの粗筋が具現化を見ている ――※再度、ほぼ同じくものところから引けば、英文Wikipedia[ The Sirens of Titan ]項目にあって現行、 The chrono-synclastic infundibula are places where these "ways to be right" coexist. When they enter the infundibulum, Rumfoord and Kazak become "wave phenomena", somewhat akin to the probability waves encountered in quantum mechanics. They exist along a spiral stretching from the Sun to the star Betelgeuse. When a planet, such as the Earth, intersects their spiral, Rumfoord and Kazak materialize, temporarily, on that planet. [ . . . ] Rumfoord's encounter with the chrono-synclastic infundibulum, the following war with Mars, and Constant's exile to Titan were all manipulated via the Tralfamadorians' control of the UWTB. (訳として)時間等曲率漏斗(クロノ・シンクラスティック・インファンディブラム)はそうなるべくしてのことらが併存するところの場であった。ラムフォードと(彼の愛犬である)カザックが時間等曲率漏斗(クロノ・シンクラスティック・インファンディブラム)に入った後、彼らは[波動存在](ウェイブ・フィノーミナ)、量子力学における確率波動の如き存在へと変じた彼らは太陽からベテルギウスにかけての渦にかけて存在することとなったのだ。地球のような惑星が渦と交点をもった際、ラムファードとカザックは一時的に惑星上に物質化するとの存在になったのである。・・・(中略)・・・時間等曲率漏斗(クロノ・シンクラスティック・インファンディブラム)とラムフォードの接触、そして、続く火星勢力との戦争、コンスタントのタイタンに向けての漂流はUWTBUniversal Will to Become:そうなるべくしての万有意志)]の作用を用いてのトラルファマドール人の制御による操作の結果であった」と記述されているとおりである―― 。 他面、『2001年 宇宙の旅』では土星(映画版では木星)へのミッションに参加した後、期せずして宇宙に放り出された主要登場人物の宇宙飛行士デヴィッド・ボーマンが人間を越えたところにある存在 Star Childなるものに進化させられ、[時空間を超越する存在]として目的の一部をなすに至るさまが(後にてのシリーズもののありようにも関わるところとして)描かれている ――※英文Wikiepdia[ 2001: A Space Odyssey (novel) ]項目にて Bowman is transported via the monolith to an unknown star system. During this journey, he goes through a large interstellar switching station, and sees other species' spaceships going on other routes; he dubs it the "Grand Central Station" of the galaxy. Bowman is given a wide variety of sights, from the wreckage of ancient civilizations to what appear to be life-forms, living on the surfaces of a binary star system's planet. He is brought to what appears to be a pleasant hotel suite, carefully constructed from monitored television transmissions, and designed to make him feel at ease. Bowman goes to sleep. As he sleeps, his mind and memories are drained from his body, and he is made into a new immortal entity, a Star Child, that can live and travel in space. (大要訳をなすとして)「(ディスカバリー号で唯一生き残った)ボーマン船長は(異星系文明に由来する黒曜石状の石柱である)モノリスの作用によって未知の星系に転移させられた。この旅の過程で彼は大規模な恒星間移動通路のありよう、そこを行き交う他の種族の宇宙船らを目にしながらついぞ[グランド・セントラル・ステーション]に至った。ボーマンは恒星系にあっての往古文明の崩壊からうまれいずる生命の形態に至るまでの幅広くもの知識を与えられてホテルの一室にいるような快適環境(の幻影)を与えられながら眠りにつき、その眠りの中で彼の精神と記憶は肉体から抽出され、宇宙を旅することが可能なるスターチャイルドなる不死なる存在へと変ずることになった」と記載されているところでもある―― )


 直上くどくもなっての摘示を通じてお分かりのことか、とは思うが、 The Sirens of Titan『タイタンの妖女』(1959)と 2001: A Space Odyssey『2001年宇宙の旅』(1968)は
【顕著なる類似性】
を呈している(:下らぬ人間はそのようなことが「ある」との事実に関して剽窃・被剽窃関係程度の問題に話を矮小化させるかもしれないが、のようなことは重要な問題ではない。 尚、一応述べておくが、『2001年宇宙の旅』には The Sentinel(邦題)『前哨』(1948年初出)のようなアーサー・クラークによるプロトタイプとなった作品があることがよく知られているが(英文Wikipedia[ 2001: A Space Odyssey (novel) ]項目にも The story is based in part on various short stories by Clarke, most notably "The Sentinel" (written in 1948 for a BBC competition, but first published in 1951 under the title "Sentinel of Eternity"). と記載されているとおりである)、そちら小説 The Sentinel内容 ――まるでセンチネル(番兵・門番)のような役割を果たしての異星系文明由来のPyramid(結晶ピラミッドなるもの)が月にて発見されるとのそちら短編小説の内容―― をも検証している人間として申し述べておけば、同 The Sentinelには以上、ここまでにて呈示してきたような結節点は具現化して「いない」)。

The Sirens of Titan→1959 A
2001: A Space Odyssey→1968 B

1.Mission to Saturn([Mission to Titan(Saturn's Satellite) seen in 1959 A]⇔[Mission to Saturn seen in 1968 B ]

2.[Oddyssey(Greek:ΟΔΥΣΣΕΙΑ)] Metaphor ([1959 A:Sirens] ⇔ [ 1968 B: Cyclops Eyes and Red Emergency vehicle lighting(→Siren( Alarm System )) image of HAL 9000])

3.Theme related with the overall purpose of human history

4.Superhuman free from Time & Space (["wave phenomena" Rumford seen in 1959 A] ⇔ ["Star Child" Bowman seen in 1968 B ] )

上はオデュッセウスが海の妖異サイレンに際会した後、渦潮に呑まれることになったとの伝承に見るそちら状況を示すべくものコラージュとなる(画の上の段ではハーバート・ドレイパーという画家の手になる絵画、 Odysseus and the Sirens(1909)を挙げ、画の下の段ではハリケーン・カトリーヌの宇宙空間よりの撮影写真に見る,渦潮と同文に対数螺旋構造を呈する渦巻きの構図を挙げもした)。 叙事詩『オデュッセイア』(すなわちもってして『2001年宇宙の旅』の原著タイトル、『2001スペース「オデッセイ」』オデッセイとの語の由来となっている叙事詩)ではオデュッセウス ―トロイア城塞に木製の馬の奸計で引導を渡した攻め手、ギリシャ勢随一の知将と伝承が語る存在― は同『オデッュセイア』第12歌で【サイレンらが航海者らを誘惑して座礁させる魔の海域】を越え、同第12歌で【渦潮の怪物カリュブディス】に呑まれて船旅同道のクルーを全て喪う。そして、身一つで女神カリュプソの島オーギュギアー島、近世よりニュートンはじめ欧州一部識者に【アトランティス】と同一視されもしてきた(出典(Source)紹介の部43)との同島に漂着することになった(と伝わっている)。

 以上のことを(最低限ながらもの典拠 ―時間が押している中で本当に「最低限」としか表しようがない典拠― 挙げつつも)紹介したうえで書くが、

2001: A Space Odyssey『2001年宇宙の旅』という作品が(世間一般にはそうしたことまで指摘されることはほとんどないものの)ブラックホール Black Hole「とも」結びつく

との見立てがなせるからこそ極めて問題になる(いいだろうか.強意のための副詞、「極めて」が付くようなところとして[問題になる]のである)。

 同じくものこと、 2001: A Space Odyssey『2001年宇宙の旅』という作品が(世間一般にはそうしたことまで指摘されることはほとんどないものの)ブラックホール Black Hole「とも」結びつくとのことについては以下のA.およびB.のポイントを参照されたい(ゾンビのように他の足を引っ張ることしかないとの知・情・意の欠損が甚だしいとの向きではなく、[嗜虐的なる滅亡の途を歩まさせられている]とのことが分かったならば、いかに絶望的状況であろうとといった状況に抗わんとする向きらにあっては参照されたい、ということである)

 前提となるところとしてまず述べるが、ポール・ハルパーン Paul Halpernという物理学者(本稿にての出典(出典(Source)紹介の部18にあってもその著作 ――LHC実験担ぎあげ本としての体裁を持つ COLLIDER: The Search for the World's Smallest Particles(邦題)『神の素粒子 ―宇宙創成の謎に迫る究極の加速器― 』との著作―― の内容を引いているところの理論物理学の分野で博士号を持ち現合衆国フィラデルフィア科学大学教授との肩書きを持つ人物)はその著書、

Cosmic Wormholes: The Search for Interstellar Shortcuts(邦題)『タイムマシン ――ワームホールで時間旅行―― 』(丸善より訳書が出されているとの同著、粒子加速器による人為的ブラックホール生成や人為的ワームホール生成の話が可能性論としても全くもって取り上げられて「いなかった」時分に加速器に対する言及一切なしに[架空の超文明]が[詳細に言及されていないところの技術]で宇宙に存在しているカー・ブラックホールや人為生成してのワームホールの類をゲートとして使用できるかについて論じているとの著作ともなる) 

にて次のとおりのことを表記している

(直下、ポール・ハルパーン著作の邦訳版『タイムマシン ――ワームホールで時間旅行―― 』p.9 からp.12より掻い摘まんでの引用をなすとして)

 アーサー・クラーク原作、スタンリー・キューブリック監督の「2001年宇宙の旅」は、月旅行よりも冒険に満ちた宇宙間旅行を知りたいという一般の人々の想像力をとらえた。何百万の観客がこの画期的な映画を見、空間を巡り時間を旅することに想像を馳せ、驚嘆し、信じられないほど当惑もした。映画は原始人が道具を使用するとする 最初の試みから始まる。そして、突然、話は未来(2001年)にとぶ。そこでは、人間の発明した道具として、棒きれと尖った石にかわって、コンピューターと宇宙船が登場する。月面基地で、木星の衛星から送られてきた不思議な信号を受信する。科学者は、その奇妙な現象を調べるために急遽調査船を組織する。
・・・(中略)・・・
 ボーマン船長は木星の近くで宇宙船が運転不可能になってしまったのち、小さな宇宙船に乗ってその巨大な構造物にむけて進入していく。驚くべきことにその内部は空洞であって、たくさんの星が輝いているのである。えたいの知れない流れによって彼はモノリスに引き込まれ、ついには時間と空間の入れ替わった領域に到達する。そこでは、空間の中を高速で移動するが、時間はまったく変化しないのである。かれがその奇妙な世界を進んでいくにつれ、彼のもっていた時計は次第に進み方が遅くなり、ついには止まってしまう
・・・(中略)・・・
 ボーマンは銀河間の異動を可能にする宇宙の関門であるスターゲートを通過したのである。クラークの物語にしたがえば、この壮大な構造物は宇宙のはるかかなたに住む高度な知性をそなえた生命が星間空間旅行を高速化するために作り上げたことになっている。ボーマンは自分の時計がほんの数分進む間に、何十兆kmの距離を旅したのである
・・・(中略)・・・
 スターゲートが実際に存在すると何が起こるかを考えてみよう。スターゲートを宇宙空間の近道として使えば、宇宙船を使った長い旅や費用のかかる冷凍保存装置が必要ではなくなるのである。

(ここまでを訳書よりの引用部とする ―※― )

(※注記:「時間と空間移動の関係が破綻している」ボーマンの持っていた時計の表示が止まってしまう」といった描写はスタンリー・キューブリック映画版『2001年宇宙の旅』にはまったくといっていいほど見受けられない。対して、映画版とほぼ期を一にして刊行された小説版にはそうした記述が克明になされている(少なくとも筆者手元にある早川書房より出されている『2001年宇宙の旅(決定版)』「第六部スターゲイトを抜けて」の部にはそうした記述がみとめられるようになっている ――原著 2001: A Space Odysseyにての該当表記部は、(オンライン上より表記文言で検索いただければ、文献事実であるとのこと、捕捉いただけようが)、THROUGH THE STARGATEの章、 Grand Centralの節にての There was no sense of motion, but he was falling toward those impossible stars, shining there in the dark heart of a moon. No - that was not where they really were, he felt certain. He wished, now that it was far too late, that he had paid more attention to those theories of hyperspace, of transdimensional ducts. To David Bowman, they were theories no longer. [ . . . ] Not only space, he suddenly realized, was involved in whatever was happening to him now. The clock on the pod's small instrument panel was also behaving strangely. Normally, the numbers in the tenths-of-a-second window flickered past so quickly that it was almost impossible to read them; now they were appearing and disappearing at discrete intervals, and he could count them off one by one without difficulty. The seconds themselves were passing with incredible slowness, as if time itself were coming to a stop. At last, the tenth-of-a-second counter froze between 5 and 6. Yet he could still think, and even observe, as the ebon walls flowed past at a speed that might have been anything between zero and a million times the velocity of light.との表記となる)―― )

 以上は1992年に原著刊行されての科学読み本、 Cosmic Wormholes: The Search for Interstellar Shortcuts(邦題)『タイムマシン ――ワームホールで時間旅行―― 』にあって

2001: A Space Odyssey『2001年宇宙の旅』の劇中に[銀河間の異動を可能にする宇宙の関門であるスターゲート(宇宙空間のモノリス内部に展開する内的世界)が登場する]

とのことへの言及がなされているとの箇所となる。

 そして、同じくもの著作( Cosmic Wormholes: The Search for Interstellar Shortcuts )にあっては上に見る、

[(モノリス内部に展開する)時間と空間が入れ替わったスターゲイト]

につき、それが[ブラックホール特性]と結びつくの言いようが以下のようなかたちでなされもしている。

(直下、同じくもの書籍『タイムマシン ――ワームホールで時間旅行―― 』、そのp.170よりの記述を引用するところとして)

 「ブラックホールの地平線の内側には、時間と空間の逆転した領域があって、時間座標と空間座標の役割が入れ替わるのは本当である。もう少し専門的にいうと、時空のメトリックの役割が入れ替わるのである。空間座標が実数から虚数へ、時間座標が虚数から実数へと変わる。そうすると、時間と空間が入れ替わったといえるのである。時間方向には自由に移動できるが、空間方向への移動は自由ではなくなる」

(引用部はここまでとする)。

 以上の書きようと同じくもの書籍『タイムマシン ――ワームホールで時間旅行―― 』にてのモノリス内部領域に対する言及は、(一面で噛み合わないように見えるところもあるが)、時間が止まってのモノリスの内部にての「時間と空間が逆転してのありよう」(時間が「止まり」距離が「意味をなさなくなる」)との点においては接合性が感じられるようになっている。

2001: A Space Odyssey『2001年宇宙の旅』の[続編]として小説にあっては映画化されもしている1982年初出の作品 2010: Odyssey Two『2010年宇宙の旅』が世に出ている。前作『2001年宇宙の旅』映画版の方が小説版の方より遙かに盛況を博したとの事情あってのことかとは思われるのだが、そちら『2010年宇宙の旅』では前作『2001年宇宙の旅』の行き先が(旧来小説版の土星から)[木星]へと変更されもしているのだが(作者アーサー・クラークの弁として[パラレル・ワールド]を描くが如くの作品設定を採用しているとの物言いが引き合いにだされている)、そうもした同作では(前作ディスカバリー号の行き先として描写される)木星がモノリスの蝟集によって黒くも侵蝕されていき、によって、[ルシファー;Lucifer]との真天体が誕生する様が描かれている(表記のことについては、たとえば、英文Wikipedia[ 2010: Odyssey Two ]項目にあって(以下、引用なすところとして) then the monolith vanishes from orbit and a mysterious dark spot appears on Jupiter and begins to grow. HAL's telescope observations reveal that the "Great Black Spot" is, in fact, a vast population of monoliths, increasing at an exponential rate, which appear to be eating the planet. [ . . . ] The Leonov crew flees Jupiter as the swarm of monoliths spread to engulf the planet. By acting as self-replicating 'von Neumann' machines, these monoliths increase Jupiter's density until the planet achieves nuclear fusion, becoming a small star. In the novel, this obliterates the primitive life forms inhabiting the Jovian atmosphere, which the Monoliths' controllers had deemed very unlikely to ever achieve intelligence unlike the aquatic life of Europa. [ . . . ] The creation of the new star, which Earth eventually names Lucifer, destroys Discovery. (即時にての大要訳をなすとして)「それからモノリスが木星軌道から消失、そして、不可解なる巨大なる黒色の斑点( "Great Black Spot" )が木星に現われ、そして、拡大しはじめた。(ディスカバリー号のコンピューターたる)HALの望遠システムがその場で蝟集しているのは膨大な数のモノリスであり、それらがまるで惑星そのものを喰っているような程度に増大を呈しているとのことを明らかにした。(劇中、主人公たるフロイドが乗り込んだソ連の宇宙船たる)レオーノフ号のクルーらがモノリスの大群が惑星を覆い尽くすとの局面にて逃げることになりもした中、[自己複製フォンノイマン機械]と化してのモノリスらが核融合を起こして恒星化するまでの密度を呈するまでに木星の密度を増さしめていた。小説では木星の衛星である水を帯びてのエウロパの方のそれとは異なり[知的営為をなすに至らないであろうと判じられての木星の大気下で生きるとの原始的生命形態]をモノリスを操る先進文明の操作者らが破棄することにしたとのことになっている(注:作中設定の問題として木星の生命を犠牲にして木星を恒星化させて、その衛星のエウロパの生命の進化を企図しだしたとの上位存在の意図があったとされている)。新しい恒星、それは結果的に[ルシファー]と呼ばれるに至ったものだが、その創造は(木星軌道上にあった)ディスカバリー号を破壊することになりもした」(訳はここまでとする)と解説されているところである)

 そうもした小説 2010: Odyssey Two『2010年宇宙の旅』は[ブラックホール]のことを以下の事由らから想起させるものである。

第一
 ヴィジュアルの問題。疑わしきにあっては Peter Hyams(ピーター・ハイアムズ)という映画監督が撮った映画版(英語原題では『2010』とだけタイトル付けされている1984年に封切られての映画版 2010: Odyssey Two『2010年宇宙の旅』)をレンタルするなりして見てみれば理解いただけるであろうが、そこでは星(木星)がブラックホールを想起させるような式で黒くもなって喰われていくありようが生々しくも描かれている

第二
 これが大きい。国内の著名作家としての小松左京(物故者)が世に出していた作品として

地球に接近しつつあるマイクロブラックホールを木星の爆破によって防ぐとの筋立てが具現化している]

との『さよならジュピター』との作品がありもし、同作では[木星の恒星化]とのプランもが作中にて取り上げられている(:和文ウィキペディアに[さよならジュピター]項目にあっての現行表記として(以下、引用なすとして)あらすじ: 西暦2125年、太陽系外縁の開発に着手していた太陽系開発機構 (SSDO) は、エネルギー問題の解決と開発のシンボルとして、2140年の実現へ向けて「木星太陽化計画」(JS計画)を進めていた。その前線基地であるミネルヴァ基地で、計画主任・本田英二は長らく音信不通だった恋人マリアと再会を果たす。彼女は過激な環境保護団体「ジュピター教団」の破壊工作グループのメンバーとなっていた。英二は宇宙言語学者ミリセント・ウィレムに協力し、木星探査艇「JADE-III」で数万年前に太陽系を訪れた宇宙人の母船「ジュピターゴースト」の探査を行う。一方、英二の友人であるパイロット・キンと天文学者・井上を乗せて彗星源探査に向かっていた宇宙船「スペース・アロー」が謎の遭難を遂げる。計画責任者のマンスールの調査の末、原因はマイクロブラックホールとの接触によるものであり、しかも太陽に衝突するコースをとっている事が判明する太陽系を救う方法はただ一つ、木星太陽化のプロセスを応用して木星を爆発させてブラックホールに衝突させ、そのコースを変更する事だった(以上引用部とする)とあるとおりである)

 同作『さよならジュピター』は
「全くもって奇しくもか」
あるいは、さにあらずんば、
「一群の(機序不明瞭にもの)傀儡クグツ化人間らの無意識的操作によるマスゲームの具現化としての必然なのか」(筆者はこの世界ではそうした言い分とて何ら行き過ぎにならないと見ている ――出来るだけ避けたほうが賢明な物言いかとは思っているが、忌憚なくも思うところを示せば、魂の抜けたような人間「未満」のもので満ち満ちている節ある忌むべき世界の実体としてはそうした見方の方が正鵠を射ているととらえている――  )
との按配で
[1984年]
との折柄、 Peter Hyams(映画監督ピーター・ハイアムズ)がメガホンをとった映画『2010』の映画封切りと同年度のその1984年との折柄にかなりもの予算をかけての邦画として封切られたとの[映画化作品]ともなっているのだが、その書籍としての初出自体は82年であり、また、そのアイディアとしての初出は70年代末葉に遡ると言われている(きちんと[ Publication date 1982]との表記をも含む英文Wikipedia[ Sayonara Jupiter ]項目にあって現行、 Sayonara Jupiter (さよならジュピター Sayonara Jupiter) is a novel by Sakyo Komatsu, released as two volumes. Komatsu adapted the story into the script for the 1984 film of the same name, directed by Koji Hashimoto. と表記されているところとなり、またもって、和文Wikipedia[さよならジュピター]項目にて(以下、現行にての記載内容を引用するところとして)1979年半ばにシナリオの初稿は完成。併せてアメリカでの著作権登録も行った。これは、初稿が上映時間3時間を越え、外国人俳優数百人を要するというスケールの大きさから、小松がアメリカとの合作も視野に入れたためである。後に現実にアメリカの映画会社から原作を買い取りたいという申し出があったが、アメリカ人を主役とし、小松を制作には関与させないという契約条件で、合作ではなくアメリカ映画として制作するというものだったため、小松が断ったという逸話がある(引用部はここまでとする)と記載されているところでもある ――1979年のシナリオ初稿完成との表記ウィキペディア記述の典拠としては[『東宝特撮映画大全集』 ヴィレッジブックス、2012年、204 - 207頁]とのソースが現行にては挙げられている―― )。

 問題は、である。アーサー・クラークの 2010: Odyssey Two『2010年宇宙の旅』(1982年初出)にあっても小松左京のそれに先行するところと解されるところの『さよならジュピター』にあっても目立って
[木星の恒星化]
が描かれているとのことである(英文Wikipedia[ 2010: Odyssey Two ]項目にての(以下、「再度の」引用なすとして) The Leonov crew flees Jupiter as the swarm of monoliths spread to engulf the planet. By acting as self-replicating 'von Neumann' machines, these monoliths increase Jupiter's density until the planet achieves nuclear fusion, becoming a small star. (訳として)「(劇中、主人公たるフロイドが乗り込んだソ連の宇宙船たる)レオーノフ号のクルーらはモノリスの大群が惑星を覆い尽くすとの局面にて逃げることになった。といった中、[自己複製フォンノイマン機械]と化してのモノリスらが核融合を起こして恒星化するまでの密度を呈するまでに木星の密度を増さしめていた」(再度の引用部はここまでとする)との記述と和文Wikipedia[さよならジュピター]項目の(以下、「再度の」引用なすとして)あらすじ: 西暦2125年、太陽系外縁の開発に着手していた太陽系開発機構 (SSDO) は、エネルギー問題の解決と開発のシンボルとして、2140年の実現へ向けて「木星太陽化計画」(JS計画)を進めていた・・・(中略)・・・一方、英二の友人であるパイロット・キンと天文学者・井上を乗せて彗星源探査に向かっていた宇宙船「スペース・アロー」が謎の遭難を遂げる。計画責任者のマンスールの調査の末、原因はマイクロブラックホールとの接触によるものであり、しかも太陽に衝突するコースをとっている事が判明する。太陽系を救う方法はただ一つ、木星太陽化のプロセスを応用して木星を爆発させてブラックホールに衝突させ、そのコースを変更する事だった(「再度の」引用部はここまでとする)との記述の複合検討でも容易に分かるところとなっている)。
 世界的SF作家であるアーサー・クラークの作品とクラークに先行していたと解される・見えるところの国内SF作家大御所の小松左京の作品らの間の剽窃・被剽窃の現れ(あるいはリスペクトの先後関係とでも言うべきか)ぐらいにしか[程度の低いところ]では着目されないことかとは思うが、問題はそのようなことにはない。[ブラックホール]が主要結節事項となっていることこそが問題になるのだ(小説『さよならジュピター』では木星の恒星化計画がかねてより進んでいた中で地球に接近するマイクロ・ブラックホールの影響を避けるためにそちら木星恒星化計画の活用が企図されたと描かれる。他面、初出時期では『さよならジュピター』に後続するとも解されるところの『2010年宇宙の旅』では[モノリスの蝟集の後、木星が黒くも浸食されてルシファーという名の新・恒星となる]との筋立てが具現化を見ている)。

第三
 アーサー・クラークの小説『2010年宇宙の旅』では木星が(人間に知性を与えた存在でもあるモノリスらに蝟集される中で)黒くも喰われ、(核融合を起こすほどに密度増大を見ている中で)誕生したと描写される新天体の名がルシファーとなっている。ルシファー。本稿の先だっての段 ――出典(出典(Source)紹介の部55から出典(Source)紹介の部55(3)を包摂する段)―― でそちら証示に努めてきたところとして著名古典ダンテ・アリギエーリ『地獄篇』およびジョン・ミルトン『失楽園』にあってはそのまさしくものルシファーに関わるところとして
[ルシファーに由来する領域]
[地獄門の先にある領域]
にあって
[今日的な意味で見た場合のブラックホールの質的近似物]
が露骨かつ多重的に具現化を見ているとのことがある(同じくものことからさらにもって何が述べられるのかは続いての補説2および補説3の部の主要テーマともするところだが、とにかくも、出典(Source)紹介の部55から出典(Source)紹介の部55(3)を包摂する従前内容を参照されたいものである)。

 以上の(A.に加えてのB.にあって小分けして問題点を呈示しての)ことらの検討をなしていただくことで

[カート・ヴォネガット『タイタンの妖女』とアーサー・クラークの『2001年宇宙の旅』(モノリスに主要人物ボーマンがいざなわれてスター・チャイルドなるものに進化していく(小説版)シーンに関してブラックホールとの類似性にまつわる指摘がなされているとの作品)の繋がり合い]

から[ブラックホール]との兼ね合いで何が問題になるか、「半ば」もってしてお分かりいただけるのではないか、とは思う。

 そして、話はそれだけでは済まない。さらにもって問題となるところとして(まるで小説らに見る[文明操作のやりよう]が現実世界にそのまま当てはまっての寓意であるかのように)[明らかに人間のなせる業]を越えており、かつ、そこに[嗜虐的なる遠大なる目標にまつわる(傀儡クグツを使っての)示唆行為(としかとれぬもの)]が具現化していると申し述べたらば、どうか。
 といったことすらもが客観的かつ具体的に示せるようになっているとのことがあり、つまるところ、それが我々人類への結末の付け方と密接に結びついているとのことがある。現実にそうもしたことが多重的・多角的に示せてしまえるように「なってしまっている」のである。

 その点、つい最前の段にあっては

「[布石]としてカート・ヴォネガット『タイタンの妖女』とカール・セーガン『コンタクト』の関係性に注意を向けもしたが、その先には[911の多重的予見]の問題がある」

との旨のこと、申し述べていた(その委細については続いての補説2の部にあってその詳説詳解を講ずるとしつつもそうも申し述べていた ――ちなみに既に『タイタンの妖女』についてはどういう意味合いで[911の予見事象]と繋がると言えるのか、出典(Source)紹介の部65(11)から出典(Source)紹介の部65(14)を包摂する段にて(原文引用に力点を置いての)まずもってしてながらもの微に入っての解説をなしている―― )。

 以上のこととも関わるところとして

「アーサー・クラークという作家の手仕事に関しては『2001年宇宙の旅』も含めての複数作が[911の予見事象]に関わるところのものとなっている」

とのことがあるのである (クラーク『2001年宇宙の旅』などについては海外でも一部陰謀論者や飛躍しての物言いを好む向きらが[似たようなこと]を述べているが、ここ本稿ではそうした者達の言い様とは性質を異にしての[文献的事実]のみに重きを置いての指し示しを「かなり後の段にて」なすことになると先立って申し述べておく ――※同じくものことに関しては[911との日付と[77]との数値を結びつけての式をアーサー・クラークがその70年代初頭の小説作品にてもちだしていたり(かなり後の段にて解説するように77というのは一部でよくも認識されているところとして先の911の事件と多重的に結びついている数値でもある)、同クラークが他の小説にあって双子の塔を登場させもしており、そのことがそれなりの予言的やりようと相通ずるようになっている(どこからか手繰られてであろうか、相通ずるようになさしめられている、と解されるようになっている)とのことをも「かなり後の段にて」摘示することとする―― )

 [911の先覚的言及をなしているが如く事物ら]が何故なのか複合的にブラックホールやワームホ―ルとも結びつくようになっているとの本稿これまでの段にて指摘してきたこと、そして、さらにもってこれより摘示なしていく所存であるとの指し示しの部と複合顧慮しもすべきところとして、である。直上にて言及のようなカール・セーガンやアーサー・クラークの911の予見的言及ありようにまつわっての解説部を検討いただければ、何が問題となるのか、自ずとご理解いただけるであろう。その旨、請け合う。

これにて付け加えてもの表記の部の終えることとする


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直下、本稿冒頭部へのリンクを設けておく

(⇒冒頭頁へは下の部より)

[典拠紹介部第1頁 加速器実験に伴う欺瞞性から証示なせることについて]

 上掲なしているのは

【古典『神曲;地獄篇』にて文豪ダンテとダンテに師父と慕われる古代ローマ詩人ヴェルギリウス(の霊)が【地球の中枢】とイコールであると描写されての【地獄の中枢】に向かっていくさまを描きもしての図】

となりもする。

 ここで文学的嗜好など皆無といったまでに持ち合わせていないとの向きらにあっては『神曲;地獄篇』のことなどをいきなり引き合いに出されても

『お公家がかった好古家の世界の話だろう?』

などと思われるかもしれないが、まずもってそこより述べるところとして、現実的問題としてダンテ『神曲;地獄篇』が我々人間の世界 ―いかに空虚で吐き気を催させるような【紛いもの】だらけのものであろうともとにかくもってしての我々人間の世界― にあって

【古今最大級の著名度を誇る文学作品】

として世間にあって認知されていることになんら相違はない(※)。

(※編集・更改が頻繁になされるとの媒体性質がゆえに記述内容が有為転変としており、そちら記述が残置するものなのか請け合えないが、たとえばもってして現行、いや、筆者がダンプデータを押さえつつ把握する限り、ここ数年間ずっと、和文ウィキペディアには ―ダンテ『神曲』がいかに際立ったものであると評されているのかについて― 次のような記述がなされているところでもある ⇒(以下、和文ウィキペディア[神曲]項目にあっての[文学的評価]の節の記述よりの原文引用をなすとして)神曲』は、世界文学を代表する作品として評価は定着しており、西洋において最大級の賛辞を受けている「世界文学」を語る際にはほぼ筆頭の位置に置かれ、古典文学の最高傑作、ルネサンスの先蹤となる作品とも評されている特に英語圏では『神曲』の影響は極めて大きく、部分訳を含めれば百数十作にのぼる翻訳が行われ、膨大な数の研究書や批評紹介が発表されている(引用部はここまでとする))

19世紀英国の文人であった[ダンテ]・ガブリエル・ロセッティが描いた最愛のベアトリーチェの死に際会した折の文豪ダンテありよう描写図(のうちの一バージョンに強調のために多少動きを加えたもの)。上掲のような扮装の彫像がいくつも遺っているとの文豪ダンテ・アリギエーリの手になる『地獄篇』が同作それ自体の外側に確として存在している多層的関係性の中にて[異常なる先覚的表現と嗜虐的に結びついているから問題であると本稿にあっては指摘しもしている。

 ダンテ『神曲』に【異様とも言える数学(あるいは数値操作)上の工夫】が施されているとのことを指摘する向きは国外、のみならず、国内にもいるわけだが(たとえばもってして John Guzzardo Thomas Hartといった欧米圏のダンテ研究者らの分析結果を実にもって分かり易くも援用・解説・省察しているとの国内学究の向き ―このようなところで名指しされればご迷惑でもあろうと判じているため具体名は挙げない― のダンテ関連の論稿が存在しており、の中では、ダンテ『神曲』の異常なる円周率π等に対する拘(こだわ)りに非人間的なる側面、ある種の機械プログラム的なる側面が詳述されたりしている)、 数的側面への異様なる固執のみならずダンテ『神曲;地獄篇』には(今日的な観点で見た)ブラックホール近似物の描写がみとめられることもまた同様に示唆されるように言及されてきたことである(著名科学者らに起因する同じくものことにまつわっての評されようについても本稿本文の部にて引用なしているところである)。

 問題となるところのひとつとしてそうもしたダンテ『地獄篇』のブラックホール近似物にまつわる描写が他の著名古典、英国にて17世紀に成立したジョン・ミルトンの手になる叙事詩『失楽園』の描写とまさしくものブラックホール近似物にまつわるところで複合的に結びつくとのことがある(※)。

(※上にて引き合いに出したジョン・ミルトン『失楽園』について世間一般の人間は内容はおろか名前さえ知らぬとのことがあるかとは思う ―キリスト教圏でもない領域では「当該の作品はキリスト教文学の金字塔となっている」などと一口で言ってもミルトンの知名度についてのおもんぱかりがなされることを期待する方が無理があるか、ともとらえる― 。であるから、ダンテ『地獄篇』にまつわって付した注記と同様にミルトン『失楽園』の知名度についての記載を目立つところより引く、英文ウィキペディアより引いておくこととする。⇒(以下、英文Wikipeia[ John Milton ]項目にての現行にあっての記述を引用なすとして) Once Paradise Lost was published, Milton's stature as epic poet was immediately recognised. He cast a formidable shadow over English poetry in the 18th and 19th centuries; he was often judged equal or superior to all other English poets, including Shakespeare.(即時訳)「『失楽園』が刊行を見てより、(壮大な)叙事詩の紡ぎ手としてのミルトンの名声は即時に認容されることになり、同ミルトン(の詩)は18世紀から19世紀にあっての英文詩ありようにおそるべき隠然たる影響力をおよぼすことになった.ミルトンはしばしば「シェイクスピアを含む」他のいかなる英語による詩の紡ぎ手に比肩しえる、あるいは、優越しうると評価されてきた存在であった」)

 その点もってして双方、際立っての著名性を有しているとのDanteInferno『地獄篇』にあってもMilton Paradise Lost『失楽園』にあっても[地獄門の先にある領域][ルシファーに起因する災厄の領域]との部にてブラックホール近似物描写がみとめられるとのことがあるのである。

 以上申し述べた上で ―委細は本文に譲るとの式で― さらにもって指摘しておくが、極めて問題となるとのこととして、ブラックホール近似物描写セクションとの兼ね合いで問題となるとの『地獄篇』と『失楽園』の両古典の問題描写それ自体に

ヘラクレス12功業と結節する側面
人類に対するエデンにての誘惑(および宗教的ドグマなぞに見るところの原罪、オリジナル・シンの押しつけ)とルシファー(エデンの蛇に比定される存在)の暗躍の筋立てと結節する側面
古のトロイア崩壊伝承に通ずる側面

との側面らと多層的に接続している、そうもしたありようもが見てとれるとのこともが「ある」 (:そして、酸鼻を極める(としか言いようがない)こととして【ヘラクレス12功業と結節する側面】【人類に対するエデンにての誘惑と悪魔の暗躍の物語と結節する側面】【古のトロイア崩壊の伝承に通ずる側面】の上掲各側面が、(すべて本稿本論の部にて典拠を仔細に呈示しているところの【現実】の問題として)、【ブラックホール人為生成に通ずると近年目されるに至った加速器実験】【ブラックホール人為生成にまつわる予見的文物】の双方に多層的に接続しているとのことがまたもってありもし、それが「養殖種としての人間を皆殺しにする」との意思表示(がかってのもの)と結びついているとのことまでもが「ある」 ―※― )。

(※日本国内に比して比較的洗練された、程度の高い情報を発信する人間が僅少ながらも存在すると見る英語圏ですらどういうわけなのか、以上のことら、著名古典らの結節領域にてブラックホール近似物にまつわっての描写がみとめれるとのことらについて問題視・精査する人間がこの世界には「現行」まったく見受けられず、に関して筆者なぞは慨嘆・嘆息させられている(検索エンジンのクエリ(入力文)に応じての深耕の問題として筆者は同じくものことについて状況把握することになり慨嘆・嘆息させられもしているとのことがある ――なおもってして、「目立つところながらにあり、かつ、重要であると当然に受け取れるのにそのことを誰も指摘しない(しようとしない)」とのことにまつわって唐突となるところとして記載しておくが、兵法三十八計にあっては[勝戦計](彼我の戦力にあって圧倒的に有利な側が勝利を盤石ならしめるために講ずる計略とされるもの)として【瞞天過海(まんてんかかい)の計】なるものが存在している(著名な兵法三六計の一番目に挙げられる計略である)。 同【瞞天過海の計】とは勝勢濃厚なる勢力が弱者の勢力を一挙に叩き潰す前に戦いを理想的に終わらす(損失少なくもの勝ちを得る)ために相手方油断を誘う上で攻め手側攻勢機微にまつわる情報を小出しにしてそれを相手方に頻繁に見せつけもし、「また例の話(挙)の具現化か.至急対処とのかたちで重んずるには値しまい」とのいわばもってしての危機慣れのありようを相手にもたらすとのことが謀られるとされる。その意ではここで述べているようなこと、たとえば、DanteInferno『地獄篇』にあってもMilton Paradise Lost『失楽園』にあってもその双方共々に[地獄門の先にある領域][ルシファーに起因する災厄の領域]との側面にてブラックホール近似物の描写がみとめられるとのことに「通ずる」描写が大衆に消費される現代サブ・カルチャーなぞに隠喩的・間接的にみとめられだしているとのことまでは現況もある一体全体どこに発想の原点があるのかと受け取れるようなサブ・カルチャー(この世界の現状を鑑(かんが)みれば、白昼夢、【人間の人間による人間のための世界の幻想】を心地良いもの、だが、現状認識なすことを困難ならしめるような式で押し売りするようなサブ・カルチャー)なぞに近年より隠喩的・間接的に見受けられるようになっているとのことがあるとのこと「も」筆者は把握するところとなっている(衆を瞞着するが如きやりよう表出にまつわっての一般論としての話をなしているわけではあるが、につき、愚拙、この身の来したしに照らしあわせれば、である。『持ち出しに過ぎぬな』と思いつつも訴訟を提訴、2011年下半期には会社まで設立して(またもって小さきこととしてそちら会社連動ウェブサイトなどを立ち上げるなどして)微力ながら警鐘発せんとしてきたとの自身の独特な式でのひとつの訴求方式に近しきこと「をも」茶化す(低劣なるものに貶めている)が如くの【類似】の要素を帯びたサブ・カルチャー作品すらもが登場を見ているとのことを知った(ただし本稿品位を保つためにそちら【具体例】らについてはここでは言及しない))。 その点、相応の人間らは自分達が「危機慣れさせられている」ことを認識できずに現実的状況の指摘・訴求に接した際に「またあの【フィクション】の話だろう?」「【フィクション】に没入しすぎた誇大妄想狂の放言であろう?」なぞと相応の思考作用状況で即断する(可能性もあるかもしれない)とのことが万象あまねくも表出している(しうる)現実的状況に付帯するところとして観念されもするが([瞞天過海の計]奏功のありように近しいかと見る)、とにかくもってして、ここでの話は世に横溢するサブ・カルチャーなぞの荒唐無稽なる[設定]にまつわってのことではない、何の容赦もない現実的状況にまつわるものであると強くも断っておく―― )

当サイト内にあっての【各頁および各典拠への一覧方式遷移部】、及び、【PDF形式文書配布ページ】へのリンクを直下、設けておく

各頁および各典拠への一覧方式遷移部へは以下より


問題となる[「予見的」言及→実現]の体系についての[典拠紹介部]一覧呈示頁

PDF形式文書配布ページへは以下より


典拠解説媒体としての[一括PDF文書]の公開頁

ここ本頁内にて[参照先]として挙げている【「容易に後追い確認なる」「堅い」ソースを呈示しての出典紹介部ら】、その一部への[遷移経路]を下に設けておく(:クリックすることでブラウザ ―インターネット閲覧ソフト― の[別タブ(別枠)]にて典拠紹介部を表示( open "additional" tabbed window(s) of web browsers ))

[出典(Source)紹介の部43]トロイアとアトランティスの関係にまつわっての出典紹介部の一例トロイアを木製の馬の計略で劫略した武将オデュッセウスが漂着した島が何故、[アトランティス]と結びつくのかについての出典紹介の部43)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第38頁 アトランティスとトロイアの記号論的関係性の深耕として

[出典(Source)紹介の部46]LHC実験とトロイア崩壊およびアトランティスの関係性を示す命名規則上のありようにまつわっての部LHC実験にあってはトロイア攻囲戦に木製の馬で決着をつけた武将オデュッセウス ―黄金の林檎を巡る争いがトロイア戦争に発展した原因としての盟約を取り決めた存在でもある― が仲間共々呑み込まれた渦潮の怪物カリュブディス]の名前を冠するイヴェント・ジェネレーターCHARYBDISによって(「無害なる、」と強弁される)生成極微ブラックホールのありうべき似姿再現シュミレーションがなされてきたことについての出典紹介の部46)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第40頁 LHC実験とトロイア崩壊譚の関係についてのまとめ

[出典(Source)紹介の部55](ダンテ『地獄篇』およびミルトン『失楽園』にあって[「今日的な観点で見た場合の」ブラックホールの質的近似物]が描写されていることにまつわっての出典紹介部55)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第46頁 ダンテ『地獄篇』とミルトン『失楽園』に見るブラックホールに通ずる描写

[出典(Source)紹介の部55(3)](ダンテ『地獄篇』およびミルトン『失楽園』にあって[「今日的な観点で見た場合の」ブラックホールの質的近似物]が描写されていることにまつわっての出典紹介部55(3))
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第47頁 ダンテ『地獄篇』とミルトン『失楽園』に見るブラックホールに通ずる描写[2]

[出典(Source)紹介の部65(4)](カート・ヴォネガットの手になる小説『タイタンの妖女』に[ガンマ線バースト(という現象)による災厄のありうべき具現化](と[赤色巨星ベテルギウスのありうべきブラックホール化])にも相通ずるところの問題となる予見性が見受けられるとのことに関しての出典紹介部65(4))
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第66頁 ヴォネガット『タイタンの妖女』、その予見性の詳解

[出典(Source)紹介の部65(13)](先立っての段で問題視してきたところの『タイタンの妖女』の[911の発生]に関わるところの先覚性にまつわっての出典紹介部65(13))
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第71頁 カート・ヴォネガット小説に見る911への予見的言及