典拠となるところの明示[74]――キリスト教世界観における[悪魔の王]、にまつ
わっての純・記号論的相関関係の束から問題となりもすることについて

関連情報にまつわるカテゴリ(各部クリックにて遷移)

著名古典であるダンテ『地獄篇』およびミルトン『失楽園』に見る悪魔の王、その悪魔の王にまつわっての純・記号論的相関関係から問題となりもすること 補説2

 これより補説2とのかたちでひとまとめにしてのセクションに入る。

 さて、 本稿の先の段にては以下、再述のことらを ―[古典に見る文献的事実]と[科学理論にまつわる世間的解説のなされよう]をひたすらに重んじて― 詳述していた。

 本稿にての出典(Source)紹介の部55から出典(Source)紹介の部55(3)を包摂する部までにては次のi.からiii.のことらの摘示に努めてきた。


 ダンテ・アリギエーリ『地獄篇』には

[今日、物理学分野の人間らが研究対象として取り扱っているとのブラックホールとの「質的」近似物]

が描かれているとの[現象]が認められる。

 具体的には

A.[ダンテらが「一度入ったらば[悲嘆の領域]に向けて歩まざるを得ず一切の希望を捨てねばならない」との[不帰の領域]にまつわる隻句(『地獄篇』地獄門隻句)を目にしたところから入って最終的に到達した[悲嘆]を体現しての地点]

B.[重力 ―(古典『地獄篇』それ自体にて To which things heavy draw from every side[あらゆる方向から物の重さが引きつけんとする地点]と表されているところに作用している力)― の源泉と際立って描写されている場(地球を球と描いての中心ポイント)]

C.[(「悲嘆の」川コキュートス)にて(静的描写として)罪障がゆえに「凍りついた」者達が、と同時に、(動的描写として)「永劫に粉砕され続けている」との地点]

D.[光に「語源」を有する存在](ルチフェロ)が幽閉されている地点]

との全ての要素を具備した[『地獄篇』にての地獄踏破にあっての最終ポイント](コキュートス・ジュデッカ領域にまつわる描写が

A.[一度入ったらば二度と出れない」との(事象の地平線の先にての)領域]

B.[重力の源泉となっている場

C.[外側(生者)から見れば(静的描写として)被吸引者が[時が止まったような状況になりつつも(動的描写として)その被吸引者本人(死者と化した者)から見れば「粉砕され尽くしている」との場]

D.[光さえもが逃がれられぬとされる場]

との全ての要素を具備したブラックホール特性と共通のものとなっている(話としての奇異さはともかくも[記号論的一致性・文献的事実の問題]として共通のものとなっている)とのことが現実にある。


 他面、ジョン・ミルトン『失楽園』にあって「も」
[今日の物理学上の話柄にあってのブラックホールの「質的」近似物]
が描かれているとの[現象]が認められる。

 具体的には

E.[[果てなき(底無し暗黒領域]

F.[大きさ・時間場所無意味となる領域]

G.[自然の祖たる領域]

とのミルトン『失楽園』に見るアビス(地獄門の先にある深淵領域)にまつわる描写が

E.[底無し暗黒領域]

F.[時空間の法則破綻する(「時間」と「空間」が本来通りの意をなさなくなる)領域]

G.[それをもって自然の祖であるとする観点が存する場]

とのブラックホール特性と共通のものとなっているとのことが現実にある(※続く段に付しての補うべくもの出典(Source)紹介の部55(3)を参照のこと))。


 ダンテ『地獄篇』にあっての、

[今日的な理解にあってのブラックホール近似物の描写(於て:コキュートス)]

ミルトン『失楽園』にあっての同じくもの、

[今日的な理解にあってのブラックホール近似物の描写(於て:アビス)]

は双方別個に別々の側面からブラックホールとの近似性を呈するとのものであるが、「極めて奇怪なことに」双方共に

ルシファーによる災厄
地獄門の先にある破滅・悲劇に関わる通路

と結びつけられているとのことがある。

 以上、i.からiii.と区切ってのことらにつき、まとめれば、『地獄篇』および『失楽園』との両古典を合算して見た際に、

[ [ルシファーによる災厄]および[地獄門(と描写されるもの)の先にある[破滅][悲劇]への通路]との両要素と結びついたポイント]

に関わるところで

A.[[不帰の領域]にまつわる隻句(『地獄篇』地獄門隻句)を目にしたところから入って最終的に到達した「悲嘆」を体現しての地点] (『地獄篇』コキュートス)

B.[重力の源泉と「際立って」描写されている地点] (『地獄篇』コキュートス)

C.[(静的描写として)外側から見た際に罪障がゆえに「凍りついた」者達がそこに横たわっている、と同時に、(動的描写として)当事者から見れば「永劫に粉砕され続けている」との地点] (『地獄篇』コキュートスの中枢ジュデッカ)

D.[光に語源を有する存在](ルチフェロ)が幽閉されている地点] (『地獄篇』コキュートスの中枢ジュデッカ)

E.[[果てなき(底無し暗黒領域] (『失楽園』アビス)

F.[大きさ・時間「場所無意味となる領域] (『失楽園』アビス/17世紀成立の『失楽園』の刊行時には時間と空間を有機的一体と見る相対性理論に通ずる発想法は無論、なかった)

G.[自然の祖たる領域] (『失楽園』アビス)

との要素らを「全て兼ね備えての」ありようが具現化していると述べられるようになっており、そうしたありようが現代物理学の発展にて呈示されるようになったとの[「今日的な観点で見ての」ブラックホール像]と共通性を呈している、すなわち、

A.[一度入ったらば二度と出れない」との(事象の地平線の先にての)領域] (ブラックホール内側)

B.[重力の源泉となっている場] (ブラックホール) 

C.[(静的描写として)外側(生者)から見れば被吸引者が[時が止まったような状況]になっているとのことがありつつも(動的描写として)その被吸引者本人(死者と化した者)から見れば「粉砕され尽くしている」との場] (ブラックホール)

D.[光さえもが逃がれられないとされる場] (ブラックホール内側) 

E.[底無し暗黒領域] (ブラックホール)

F.[時空間の法則破綻する(「時間」と「空間」が本来通りの意をなさなくなる)領域] (ブラックホール)

G.[それをもって自然の祖であるとする観点が存する場] (ブラックホール)

との特徴を全て兼ね備えたものとしての[「今日的な観点で見ての」ブラックホール像]と共通性を呈していると摘示できるように「なっている」とのことがある。


(※ここで次のことらについても(従前摘示の内容の確認がてら)言及しておくこととする。

第一
ダンテ『地獄篇』と(今日的な観点で見た場合の)ブラックホールの特性が結びつくといった発想は筆者の独創によるところではない(生き死にに関わるプラクティカルな領域にあっては一人合点の弊を帯びての主観先行の[独創]など本来的には問題視するに値しないことである。当然に筆者とてその程度のことは弁えているつもりである)。 同じくもの点について部分的に示唆していた人間も今までにいた ――やりようが([勇気]の問題なのか[自由度]の問題なのか何なのか)あまりにも不徹底に失するがゆえに問題なのだが、類似の点について示唆していた人間も今までにもいた―― 。 の中には、はきと何が問題になるのか指摘しない、具体的にどこがどう一致性の範疇に入るのか何ら指摘なしていないとのやりようをとっていた(であるから、性質が悪いともとれるわけだが)との[著名なる科学者ら]が幾人も含まれており、については ―本稿にての出典(Source)紹介の部55で言及しているように― [スティーブン・ホーキング](車椅子のカリスマ物理学者として知られる著名人)[レオナルド・サスキンド](弦(ひも)理論の大家として知られる有力物理学者)[クリフォード・ピックオーバー](研究機関の研究員でもあり、有名なサイエンス・ライターでもあるとの向き)[キップ・ソーン](通過可能なワームホール概念を煮詰めたことでも有名なカリスマ物理学者.同男はダンテ『地獄篇』をブラックホールとはきと結びつけているわけではないが、自著冒頭部より登場させているブラックホールに[冥府][あの世]との名前を与え、[地獄篇]とブラックホールとの接点を臭わせている風がある)の各人らの名を ―彼らの言い様の伝の引用をなすとともに― 本稿の先立っての段で挙げもしていた。

第二
「どうしてなのか」肝心要なことを解説していないとの先人言及のことに触れたうえで述べるが、ダンテ『地獄篇』がブラックホールのことを想起させるものであるとのことについては次のような事情「も」がある。

→ダンテ『地獄篇』でダンテらが向かう先は[重力の中枢としての氷地獄]であると『地獄篇』作中にてはきと明示されている。
 その点について本稿にての出典(Source)紹介の部55の段ではダンテが地球を球形に見立てているのみならず、地球の中枢(にして地獄の中枢)が
[重力の本源たるところである]
と記述していることの意味合い、重力が何たるかを理解しての如き書きようをなしていることの[意味深長さ]について解説を講じている。
 およそ次のようなかたちにて、である。

 重力とはそも何か。それは現代科学にあって「次のように」定義されるに至っているとのものである。
(以下、重力定義として)
「「重力とは、」引力(質量に起因するところとしてあまねくも働く物と物とが引き合う力)と遠心力(地球の回転に伴う慣性の力)の合力であり、そして、(時間と空間を一体化した[時空]を観念するに至ったとの)アインシュタイン以後の観点では物質(質量あるいはエネルギー)に由来する時空の歪み(カーバチュアー)に起因する力と表されるものである」(巨大な質量が空間に歪みを発生させ、時空のシートないしトランポリンの上に鉄球を載せた際にそれが周囲のものを引きずる力として具現化するのが重力であるといった説明がよくなされている)。
 他面、ダンテ『地獄篇』ではダンテが向かった地獄の中心地点が
球形をなす地球の中心地点
と描写され、かつもって、
重さが引きずる力が等しくも働く中心的ポイント
とのかたちにての描写もがなされているとのことがある ――本稿出典(Source)紹介の部55にて(ダンテに師父と慕われてのヴェルギリウスがダンテに語りかけるパートを収めての Henry Wadsworth Longfellow (ヘンリー・ワーズワース・グッドフェロー)、アメリカではじめてダンテ 『神曲』 を翻訳した19世紀の同文人の手になる英訳版『地獄篇』よりの引用をなしたところとして) That side thou wast, so long as I descended; When round I turned me, thou didst pass the point To which things heavy draw from every side, And now beneath the hemisphere art come Opposite that which overhangs the vast Dry-land, and 'neath whose cope was put to death The Man who without sin was born and lived. Thou hast thy feet upon the little sphere Which makes the other face of the Judecca. Here it is morn when it is evening there. (拙訳として)「(地獄の中枢地点へ向けて地下へと)私が下へ下へと下っていた際だけなのだよ、君(thouは 「君」 の古語)のいる方面が[(地球の半球の)通り過ぎた向こう側]だったのは。私が(地獄の底を突きぬけて)反転し振り返った折、(脇にいた)君はもはや[あらゆる方向から物の重さが引きつけんとする地点]を通過していたわけだ。そして、いまや我々は(地球の)半球の下側、そう、乾いた大地に覆われ罪なくして産まれ生きた御仁、そのうえで殺された御仁 (設定上、イエスのことである)のおられた(地球の)半球の反対側にいるのだ。足をもってジュデッカ(地獄の最下層たる氷地獄コキュートスの中心部)の反対側をなす矮小な半球の上に置いているのである。あちらの半球で夜ならばこちら側の半球では朝なのである」との記述を引いているとおりである(ポイントとなるところは[地球が球体であり各地に時差が生じている]と描写されていること、そして、[ダンテらが通り過ぎた地球中枢たる地獄中枢地点が the point To which things heavy draw from every side[あらゆる方向から物の重さが引きつけんとする地点]である]と描写されていることである)―― )。
 そうした一事をとってからして[際立っての先覚性]が現われていると述べても決して言い過ぎにならない。

 端的に述べれば、重力というものが

[引力(質量に起因するところとしてあまねくも働く物と物とが引き合う力)と遠心力(地球の回転に伴う慣性の力)の合力]
物質(のエネルギーないし質量)「による」時空の歪みに起因する力

であるとの[科学的説明]がなされるように「後の世にあって」なったところをダンテが『地獄篇』にて地獄中枢(たる地球中心)をして

重さ(質量)「が」(周囲を)引きずる力が等しくも働く中心的ポイント

と描写しているとのことからして先覚性との意で際立っていると解されるようになってもいる。

→また、ブラックホールというものの存在が20世紀になってより問題視されだしたとのその初期、[重力の中枢たる凍った世界]であると表されてもいた(ことも問題と見える)。それにつき、英文Wikipedia[ Black hole ]項目にあってからして現行、以下のような記載がなされているところとなっている。

(直下、英文Wikipedia[ Black hole ]項目にあってのHistory(理論史)の節に認められる現行にての記載内容よりの引用をなすとして)

Oppenheimer and his co-authors interpreted the singularity at the boundary of the Schwarzschild radius as indicating that this was the boundary of a bubble in which time stopped. This is a valid point of view for external observers, but not for infalling observers. Because of this property, the collapsed stars were called "frozen stars", because an outside observer would see the surface of the star frozen in time at the instant where its collapse takes it inside the Schwarzschild radius.

(入念に補いもしての拙訳として)
「オッペンハイマー(訳注:重力崩壊に対する理論を煮詰めもしてブラックホール理論の旗手ともなっていたかのマンハッタン計画の主導者ロバート・オッペンハイマー)および彼の共著者ら ――(訳注:文脈上、 Tolman-Oppenheimer-Volkoff limitこと[トルマン・オッペンハイマー・ヴォルコフ境界]という星の重力崩壊の区切り点にまつわる理論を提唱したオッペンハイマーの理論展開にあたっての論稿共著者ら)―― は
[[シュヴァルツシルト半径](訳注:本稿にての出典(Source)紹介の部65(3)でも解説しているように物体がその半径内に押し込まれるとブラックホールができあがるとの円形領域の半径で思索対象となる物体の[質量]によってそちら[半径]が変動するとのもの)の境界面にあっての特異点(訳注:そこを越えると従来の法則が成り立たなくなり際限なくもの重力崩壊プロセスが進むとのポイント)
をして
[これは[時間]が停止を見る泡の境界を示しているのであろう]
と解釈していた。
 こうした見方は外側の観測者ら(訳注:ブラックホールの外側の観測者ら)にとっては適正なる見方だが、ブラックホールに落ちこむ観測者らから見れば、適正なる見方ではない。
 こうした属性がゆえに、[縮退星](訳注: collapsed starはブラックホールという言葉が生み出される前にブラックホールを指して用いられていたところの一呼称である)
frozen stars;フローズン・スターズ(凍り付いた恒星)]
とも呼ばれていた、というのも外側の観察者はその星がシュヴァルツシルト半径の内側へ向けて崩壊していくまさにその場、その瞬間を[凍り付いた恒星の外面]とのかたちで見るからである(訳注:ここにての[ frozen stars ]との呼称についての解説については引用元とした英文Wikipedia[ Black hole ]項目にて現行は Ruffini, R.; Wheeler, J. A. (1971). "Introducing the black hole". Physics Today 24 (1): 30-41.との出典が紹介されている。そちら出典表記に見るWheeler, J. A.ことジョン・アーチボルト・ホイーラーはブラックホールとの呼称を生み出した著名物理学者のことを指す)

(補ってもの訳を付しての引用部はここまでとする)

  表記のウィキペディアからの引用部(「たかが、」ものウィキペディアともされようものだが、上の記述に関しては正鵠を射ているとのこと、容易に確認できるところの部位)に見るように

「外側からの観察者が見た場合には[時が凍り付く]が如く様相を呈するために初期、(内側の存在は凍ったようなものの中で即時粉砕されてもいる)ブラックホールは[フローズン・スター](凍り付いた恒星)との呼び名を与えられていたとのことがある」

 一方でのこととして

「ダンテ『地獄篇』では地獄の中枢が[重力の中枢ポイント]にして[生者]から見た[死者]が永遠に粉砕され続けているとの[氷地獄]の中心地点となっている」

 とのことがあるわけである。

  そうしたところひとつとって論じたうえでも
[古典(『地獄篇』)内容と今日的な理解で見たブラックホールの間に[アナロジー(類似性)]を認める見方]
に無理がないとのこと、お分かりいただけるか、とは思う(:そして、問題なのは、そうもした[類似性]が「他にも」横たわっているとのことがあり、そして、そこに相応の意味性もが「多重的に」伴っていると指摘できてしまえるようになっている(なってしまっている)ことである)。

(付け加えての話はここまでとする)

 上のようなことがあることをして[偶然の一致]ととらえるのは至当か否か。その点について切り分けなすための材料を呈示せんとするに努めんとしているのが本稿となる。

 以上のようなことがあるとのことも含んでいただいたうえで続いての段の内容につき読み解いていただきたい次第である

 さて、ここ補説2と銘打っての部では、

[ダンテ『地獄篇』にあって地獄の中枢(たる氷地獄)で罪人らを噛み砕き続けている悪魔の王(ルチフェロことルシファー)]が「その他の意味でも」今日的なる科学的トピックと接合しているとのことがある、また、そうしたこと「も」がブラックホールを巡る関係性へと帰着してしまうようになっているとのことがある]

とのことにつき、解説をなす所存である(そうもした訴求事項の性質のために書き始めの部からダンテ『地獄篇』にまつわる振り返っての話をなしている)。

 さしあたり、直上にて言及の本稿ここ補説2での訴求事項に関わることであるがゆえにそこより取り上げるところとして、次のようなことがある。

「ルシファーは悪魔の王の名称とされるが、同ルシファー、
惑星[金星](英語で言うところのヴィーナスVenus)と結びつく存在]
であると歴年認知されてきた存在ともなっている。
 そして、ルシファーと結びつけられてきた天体としての[金星]については会合の周期 ―こちら会合との用語の説明も当然に続いての段でなす― が太陽系にあって[五芒星(ペンタグラム)]形状を現出させているとのことが取り上げられてきた惑星でもある」


(以上のようなことがあるため、そう、

[[ルシファー]→[金星と結びつく存在]との関係性の成立]
[[金星]→[会合周期に応じて五芒星を現出させる天体]との関係性の成立]

ということらがあるがため、キリスト教信徒の一部の者は

「五芒星は(ルシファーの如く)悪魔の象徴である」

という主張の論拠としたりもすることがあるようなのだが、ここ本稿では宗教的話柄とは一切無縁なるところとして

[金星とルシファーと五芒星にまつわる関係性]

のことを問題視していること、お含みいただきたい)



| 出典(Source)紹介の部67 |

 ここ出典(Source)紹介の部67にあっては上にて言及しているところの

「ルシファーは悪魔の王の名称とされるが、同ルシファー、
金星(英語で言うところのヴィーナスVenus)と結びつく存在
であるとも歴年認知されてきた。そうもしてルシファーと結びつけられてきた天体としての金星は[会合]の周期から太陽系にあって五芒星(ペンタグラム)形状を現出させている惑星として取り上げられてきたものでもある

とのことについての典拠紹介をなしておくこととする。

 につき、まずもっては

[ルシファーは[悪魔の王]にして[惑星金星(英語で言うところのヴィーナスVenus)と結びつく存在]であると歴年認知されてきた]

とのことについての典拠を紹介しておく。

 同じくものこと、ルシファーが金星の象徴的存在であるとのことについては本稿の先立っての段で既に解説を加えている、すなわち、本稿にての出典(Source)紹介の部49および出典(Source)紹介の部54(3)で解説を加えているとのことともなる。

だが、「一応としての」再度の指し示しをなしておくこととする。

(直下、本稿にての出典(Source)紹介の部54(3)でも引用なしたところの文書、 Project Gutenbergのサイトにて全文公開されている、すなわち、オンライン上より全文確認できるようになっているとのブリタニカ百科事典第11版、 Encyclopaedia Britannica, 11th Edition, Volume XVII, Slice 1[LUCIFER]にまつわる項目より再度の原文引用をなすとして)

LUCIFER (the Latinized form of Gr. φωσφόρος, “light-bearer”), the name given to the “morning star,” i.e. the planet Venus when it appears above the E. horizon before sunrise, and sometimes also to the “evening star,” i.e. the same planet in the W. sky after sundown, more usually called Hesperus (q.v.). The term “day star” (so rendered in the Revised Version) was used poetically by Isaiah for the king of Babylon: “How art thou fallen from heaven, O Lucifer, son of the morning! how art thou cut down to the ground, which didst weaken the nations” (Is. xiv. 12, Authorized Version). The words ascribed to Christ in Luke x. 18: “I beheld Satan as lightning fall from heaven” (cf. Rev. ix. 1), were interpreted by the Christian Fathers as referring to the passage in Isaiah; whence, in Christian theology, Lucifer came to be regarded as the name of 104 Satan before his fall. This idea finds its most magnificent literary expression in Milton’s Paradise Lost. In this sense the name is most commonly associated with the familiar phrase “as proud as Lucifer.”

(日本語表現に適合するように訳なしての拙訳として)
LUCIFERとは
φωσφόρος,[光を運ぶ者]との意のギリシャ語のラテン語表記
となり、[明けの明星](モーニング・スター)、すなわち
日の出前に東の地平線の上に現われるとの金星
に与えられての呼称、あるいは、しばしばもって、同様に金星、日没前に西の空に現われるとの[宵の明星](こちらは通例、ヘスペラスと呼ばれるところのもの「とも」なる)に与えられての呼称となっているとの語である

 同語、[デイ・スター](明けの明星)はバビロンの王によるやりようにまつわるところで(改訂訳版聖書に収録のその部にて記述されているように)旧約聖書イザヤ書にて
“How art thou fallen from heaven,O Lucifer, son of the morning! how art thou cut down to the ground, which didst weaken the nations”「黎明の子、明けの明星(Lucifer)よ、あなたは天から落ちてしまった。もろもろの国を倒した者よ、あなたは地に倒れてしまった」
と述べられているようなところの存在となり(オーサライズド・バージョン=欽定訳聖書イザヤ書14章12節)、そうした書かれようと[ルカによる福音書]第10章18節にあってのキリストによる言葉、
“I beheld Satan as lightning fall from heaven”「彼らに言われた、「わたしはサタンが電光のように天から落ちるのを見た」」
との文言(そちらについてはRev. ix. 1すなわち、レベレーション(Apocalypsis)『黙示録』第9章第1節をも参照のこと)との兼ね合いでキリスト教教父らに解釈されてきたところ、そして、キリスト教神学で解されてきたところとして、(同じくものルシファーという語は)
[堕天の前にあってのサタンの名称]
へとなったとのものでもある。
 この観点はミルトンの『失楽園』にて最も壮麗なる文学的表現を見ているところのものとなり、そこより同語(ルシファー)はよく知られたフレーズ、“as proud as Lucifer.”「ルシファーよろしく高慢な」とのフレーズと巷間にて最もそうもなされているところとして関連づけられるようになったとのものである」

(拙訳を付しての引用部はここまでとする ―※― )

(※尚、原文にて言及されている旧約聖書(『イザヤ書』)と新約聖書(『ルカによる福音書』)の日本語訳の部だけは日本聖書協会による1954年改訳版日本語聖書 ――オンライン上にてPDF版が広くも流通しているとの日本語訳聖書―― の文言をそのまま利用することとしたこと、断っておく。ちなみに、ここにて引用元としたとの第11版ブリタニカ百科事典であるが、その通用性が極めて高いとのものともなり、(以下、現行にての和文ウィキペディア[ブリタニカ百科事典第11版]項目の記載を掻い摘まんで原文引用するところとして)ブリタニカ百科事典第11版は、1910年から1911年にかけて発行されたブリタニカ百科事典の11番目の版で、全29巻からなる20世紀初頭の知識の集大成である。製作には当時の著名な研究者や、後に有名になる執筆者が多数参加している。また、この版は現在、米国で著作権の保護期間を経過しパブリックドメインになっている(引用部はここまでとする)とのものとなっている)

 上のことについて、より一般の目に触れやすきところにてなされている解説も引いておくこととする。

(直下、ウィキペディア[ルシファー]項目にあっての[人文学研究によるルシファーの来歴]の部にての現行にての記載内容よりの引用をなすとして)

Luciferはもともと、ラテン語で「光を帯びたもの」「光を掲げるもの」(lux光+fer帯びている、生ずる)、「光をもたらす者」(lux光+fero運ぶ)を意味する語であり、当初は悪魔や堕天使を指す固有名詞ではなかった。ラテン語としてのルキフェルが見出されるのは、ウルガータ聖書の以下の箇所においてである。「黎明の子、明けの明星よ、あなたは天から落ちてしまった。もろもろの国を倒した者よ、あなたは切られて地に倒れてしまった。」-旧約聖書「イザヤ書」14:12- ここでの明けの明星は或るバビロニアの専制君主のことを指し、輝く者を意味するヘブライ語の「ヘレル」が明けの明星luciferと訳されている。

(引用部はここまでとしておく)

(直下、ウィキペディア[ルシファー]項目にあっての[悪魔としてのルシファー]の部にての現行にての記載内容よりの引用をなすとして)

ルシファーの名の悪魔たるゆえんは、旧約聖書「イザヤ書」14章12節にあらわれる「輝く者が天より堕ちた」という比喩表現に端を発する。これはもともと、ひとりのバビロニア王がアッシリア王(サルゴン2世かネブカドネツァルであろうと言われる)について述べたものであった。キリスト教の教父たちの時代には、これは悪魔をバビロニアの王になぞらえたものであり、神に創造された者が堕ちて悪魔となることを示すものと解釈された。堕天使ないし悪魔とされたこの「輝く者」は、ヒエロニムスによるラテン語訳聖書において、明けの明星を指す「ルキフェル」の語をもって翻訳された。以上の経緯をもってルシファーは悪魔の名となったとされる。

(引用部はここまでとしておく)


※既に本稿出典(Source)紹介の部54(3)にて指摘していることの再掲として

 尚、上にて引用のブリタニカ百科事典や和文ウィキペディア[ルシファー]項目にあって[聖書に見る[ルシファー=悪魔の王]の典拠]として問題視されているのは旧約聖書内のイザヤ書物14章12節以下に認められるくだり ―「オンライン上よりダウンロードできる」との分かりやすい章節番号が付されている邦訳版PDF版電子版聖書(日本聖書協会)よりもその内容が労せず確認できるとのくだり― となるわけだが、(疑わしきには確認いただきたいところとして)
天より落とされた存在としての明けの明星」(イザヤ書物14章12節)
「陰府(よみ)に落とされ穴の奥底に入れられた存在」(イザヤ書14章15節)
国々を動かし世界を荒野のようにし、その都市を壊し、捕らえた者たちを解き帰さなかった存在」(イザヤ書14章16節-17節)
つるぎで殺され存在に覆われ踏みつけられた死体のように穴に下る存在」(イザヤ書14章19節)

との表記がなされているとの部位がまさしくもの該当部となる(:そちら[バビロンの凋落に通ずる表記]が[悪魔の王 ―新約聖書にてバビロンを破滅に誘(いざな)う存在― ]たる[ルシファー=金星]と結びつけられるに至ったとのことがある、聖書上の典拠としてはそうもなっているとのことがある)。
 その部しか ―有名どころとして― 聖書それ自体の中では[明けの明星(金星)]を悪魔の中枢存在たるサタンと比定する上での論拠となるところがないとのことになっているのだが(のような中で現実にキリスト教会はルシファーこと明けの明星を悪魔の王としてきたとの経緯がある)、その『イザヤ書』該当部については中近東の異教神(旧約聖書を奉じていた一神教たるユダヤ教から見たうえでの異教神)たる[アッタル]という神(ウガリットの明けの明星と結びつく神)を指すのではないかとの理解「も」なされており、和文ウィキペディア転じて同様に誰でもオンライン上より即時確認できるとの英文Wikipedia[Lucifer]項目にはその理解に基づいての記載がなされている ――原文引用をなせば英文Wikipedia[Lucifer]項目にて Mythology behind Isaiah 14:12[イザヤ書14章12節の背景にある神話]と振られた節にあっての In ancient Canaanite mythology, the morning star is pictured as a god, Attar, who attempted to occupy the throne of Ba'al and, finding he was unable to do so, descended and ruled the underworld. (訳として)「古代カナン地方神話にあって明けの明星はアッタルという神、バアルの玉座を奪おうとして、それが出来ぬことがわかって、冥界に下り、そこを統治したとの神と結びつけられている」と表記されているところとなる(については和文ウィキペディアに現行設けられている[アッタル]項目にての短き記載内容にもそのように言及されている)。往古ユダヤ人を迫害したと歴史が伝えるアッシリア王ではなくユダヤ教から見ての異教神が旧約聖書に見る[落ちた明けの明星の体現存在]であるともされているのである―― 。


 由来どうあれ、ここまで呈示してきたような見解が存在していることと背景を同じくするところとして

[ルシファーが[金星]と結びつく言葉であるとの[イザヤ書]に基づいての理解が欧米圏識者層には「広く」かつ「深く」歴年、すなわち、相当程度、長らくも存在していた]

ということが事実であることを示すのもまた易い。

 たとえば、 Project Gutenbergのサイトにて全文ダウンロードできる(換言すれば誰でも容易に文献的事実の問題を確認できるようになっている)ところの著作、有名なヴォルテール ―(同Voltaire、フランス革命前夜の時代にて識者の誉れが最も高かった者として日本の高校の世界史の科目の授業などでも(委細抜きに)その名だけの[暗記]が求められるとの歴史上の人物となる)― の手による、

A PHILOSOPHICAL DICTIONARY VOLUME I(『哲学事典 第一巻』.刊行後、一〇〇年以上を経ての二〇世紀に入っての折、一九〇一年に英訳されたバージョン)

にあってはそのAからZの頭文字で各項目、事典形式で掲載されているところの[ ABUSE OF WORDS.]との節にて以下、引用なすような記載がなされていもするところとなる。

(直下、 Project Gutenbergのサイトにて公開されている A PHILOSOPHICAL DICTIONARY VOLUME I(20世紀英訳版)より原文引用なすところとして)

Metaphysical terms, taken in their proper sense, have sometimes determined the opinion of twenty nations. Every one knows the metaphor of Isaiah, How hast thou fallen from heaven, thou star which rose in the morning? This discourse was imagined to have been addressed to the devil; and as the Hebrew word answering to the planet Venus was rendered in Latin by the word Lucifer, the devil has ever since been called Lucifer.

(訳として)
「応分に適切な意味で受け取られているとの抽象論的なる用語らはしばしば(往時欧州にての)二十カ国の意見ありようを決してきたものである。全ての者(訳注:ヴォルテールが生きていた時代の欧州の人間のことを指す)がイザヤ書に伴う隠喩
How hast thou fallen from heaven, thou star which rose in the morning? (イザヤ書第14章12節に認められる[黎明の子、明けの明星よ、あなたは天から落ちてしまった]との部を指す
に伴う隠喩については知っているところである

 この(聖書にての)言いようは[悪魔]に対する言及なしてのものであると想像されており、(旧約聖書がそちら言語によって記載されていたとの)[ヘブライ語]が[金星]に対してそのように言及していたところにつき[ラテン語]のルシファーへの翻訳がなされてより以降、[悪魔]は[ルシファー]と呼ばれることになった」

(訳を付しての引用部はここまでとする)

 上のようにフランス革命の時代、18世紀に生きたヴォルテールからして[ルシファーの金星起源とイザヤ書にまつわる問題]について[常識として知られている]と言及していたとのことがある(ので確認したきは表記の英文テキストをグーグル検索エンジンに入力するなどして該当著作を特定の上、内容の方、確認いただきたい)。

 以上でもって

[ルシファーは[悪魔の王]にして[惑星金星(英語で言うところのヴィーナスVenus)と結びつく存在]であると歴年認知されてきた]

とのことの典拠とした。

出典(Source)紹介の部67にての表記を続けるとして)、次いで、

[金星がその[会合]のありようから太陽系に五芒星を現出させるとの指摘が存する]

とのことについて解説を講じておく。

 同じくものことについては、そも、[会合]という現象が何なのかについての説明をなすことからはじめる(そうする必要があるとの認識あってそこからはじめる)こととする。

 その点、

誰でも理解が及ぼうとの「常識上の問題として」

[太陽系では複数の惑星、地球や金星や火星といった天体が太陽を中心に円運動をなしている]

とのことがある(ここまでは典拠を挙げるまでもないことか、と思う)。

 そのように各々太陽の周りを円運動しているとの天体らが

「複数、太陽を含むかたちで一直線に並びあう」

との状況が定期的に表出しており、そうした状況をして天文学の用語で

会合](アストロジカル・コンジャンクション

と表する(:言いようの伝としてあれではあるが、たとえばのこととして、[太陽と金星と地球が串で団子を三つ刺したような状況が[会合]の状況になった]ととらえてもらっていい ――ただし、現実には一直線上に並ぶということはなく黄道傾斜角のずれの問題を観念する必要もあるとされる―― )。

 そして、そうした状況 ――[会合]の状況―― につき太陽と一直線に並ぶ「他の」天体が([会合]現象発現時にあって基準となる星としてピックアップされた[外側の惑星]から見もして)太陽の反対側にあるか内側にあるのかの別をもってして[会合]は[外合]と[内合]に分類されもする。
 などと述べても理解が及びづらいところか、と思うのでたとえ話をもってしての説明を講ずる。につき、[地球]と[太陽]と[もう一つの惑星]を[串に刺された団子]であると考えて見るとしよう。の際、[地球(基準点)]―[太陽]―[もう一つの惑星]との関係が成立しているのならば、(基準点たる地球から見ての)[太陽の外側にある惑星]と[地球]の関係は Superior Conjunction[外合]の関係にあると表する。他面、[地球]―[もう一つの惑星]―[太陽]との関係が成立しているのならば、(基準点たる地球から見ての)[太陽の内側にある惑星]と[地球]の関係は Inferior Conjunction[内合]の関係にあると表するというわけである(中心点たる太陽を中心に複数の円が軌道として重なって描かれているありようを想像いただきたい。その何重にも描かれている軌道としての円の上をそれぞれに回っている[球体]のことを頭の中で思い浮かべれば、二つの球の間に追い越す・追い越されるの関係が生じたときが会合の瞬間を指すこと、お分かりいただけることか、と思う)。

 上にて言及のことの目立つところにあっての説明のされようとして、下に和文ウィキペディア[合(天文)]項目にあっての現行にての記載内容を引いておくこととする。

(直下、和文ウィキペディア[合(天文)]項目にあっての現行記載内容よりの引用をなすとして)

ある惑星A上の観測者から見て、それより内側を公転する惑星Bが太陽の真後ろに位置している時、惑星Bは惑星Aから見て外合の位置にあると言う。これに対して、惑星Aと惑星Bが太陽について同じ側に一直線に並んでいる時、惑星Bは惑星Aから見て内合の位置にあると言う
・・・(中略)・・・
一般に太陽系天体の合は複数の天体の黄経が同じ値をとる状態を指すが、赤経の値が等しい場合にも合と呼ぶ場合がある。両者を特に区別する必要がある場合にはそれぞれ黄経の合、赤経の合と呼ぶ。黄道と天の赤道は23.4°傾いているため、通常は黄経の合と赤経の合は完全に同時には起こらないが、ほぼ近い日時に起こる]

(引用部はここまでとする)

 さて、[金星]は地球より太陽に近い軌道をまわっているとのなかで[地球]―[金星]―[太陽]との関係が(会合のうちの) Inferior Conjunction[内合]として成立する天体となる。

 その金星と地球との[内合]の成立時期・成立態様が[五芒星]と結びついているとされていることにここでは着目している。

 地球と金星と太陽が並ぶ内合については

[地球が太陽を8周する間、すなわち、太陽暦では1周およそ365日という公転周期に依拠してのこととしての約8年 ―より正確には8年と5日― で計5回生じる]

とされている(地球と金星が一回分、内合を呈するまでの会合周期が[583.92日](8×365÷5)となっているとの表されかたもされている。その点、地球が太陽系を8回経巡る期間、金星は公転周期がより短くも(より太陽に近いとの円軌道で)太陽周囲を13回程回転している ―金星の1年は224日であるといった按配となっている― わけだが、8年間で地球より5回程多く円運動なしている金星は(円軌道を異にする中でも)地球を5周分だけ背にしている、追い越ししているとのことともなる。その追い越しのまさにそのポイントが(円軌道を外側の地球から内側の金星、そして、太陽へと見てみた際にあっての)[地球・金星・太陽が一直線に並ぶ会合ポイント]となる)。

 以上のようなかたちで周期的に生ずる[会合](くどいが、[地球と金星と太陽が一直線に並ぶ内合]のことを指す)の現出ポイントを各天体毎のものとして8年にあっての5回分、天体図上に線を引くことでつなぎあわせると「繰り返し」[五芒星]および[黄金比]と結びつくものが描画されてくるとの指摘が広くもなされている(については[正確な五芒星]とはならずに、1回の会合が生じる周期たる「約」1.6年は584日ではなくより正確には583.92...となっている、そのために、何回かの会合が集積して起こっていく中で差分が集積して五芒星の顕在箇所が回転していくことになるともされている)。

 同点にまつわり現行にては即時即座に確認可能となっているとの典拠を挙げておく。

(直下、本稿本段執筆の現時点にあってはオンライン上より確認できるところとなっている「現行にての」英文ウィキペディア[Pentagram](五芒星)項目、その[ In Astronomy and nature ]の節の記載内容より原文引用をなすとして)

Successive inferior conjunctions of Venus repeat very near a 13:8 orbital resonance (The Earth orbits 8 times for every 13 orbits of Venus), creating a pentagrammic precession sequence.

(拙訳として)
「[五芒星形を呈するとのすりこぎ運動状の足跡]を生み出しながら[金星との継続的な内合]は対地球軌道比で13:8近く(地球8周、金星13周)となる軌道上での重ね合わせ状況を繰り返す」

(訳を付しての引用部はここまでとする.尚、表記引用部は易変性伴うウィキペディア上の記述であるため、同じくもの部がこの先も残置し続けるかどうかは判じかねる。もし見当たらなかったならば、オンライン上には同様のことを扱った英文媒体が数多あるため、他のソースでご確認いただきたい)

 上掲図は、(これまたウィキペディア上の図像ということでそれがそのままのものとして残置し続けるか請け合いかねるのだが)、英文Wikipedia[Venus]項目に掲載されているとの[金星の会合周期を五芒星と結びつける図](著作権放棄表記が伴ってのものでもある)となり、

Successive inferior conjunctions of Venus occur about 1.6 Earth years apart and create a pattern of precessing pentagrams, due to a near 13:8 orbital resonance ( the Earth orbits nearly 8 times for every 13 orbits of Venus ). (訳として)「およそ地球年にして1.6年毎に継続的に生じるとの金星との[内合]関係は[13対8にての軌道上の対応関係地球が8回回転する際に金星は13回回転するとの対応関係]に応じて五芒星の周期的形状をもたらすものとなっている」

と解説が付されながら、

[おおよそながら(粗い、roughな、でもいい)もの五芒星]

が金星の会合周期によって太陽系に現出することが描写・訴求されているとのものとなる(:ちなみに、表記図像にあっては二〇〇七年をベースに見てのものであるとの記載がなされているが、同様の構図が James Ferguson’s, Astronomy Explained Upon Sir Isaac Newton’s Principles(1799)という著作、ジェイムズ・ファーガンソンという天文学者の手になるものとしてのニュートン力学に関する18世紀解説書籍にての付録図像に見てとれるとのこともが訴求されてきたとの経緯もある。については「粗い、roughな、一致性を強弁しているにすぎぬ」との批判もあろうか、とは思うが、とにかくも、ここにて引いた申しようや図像だけをもってからして金星の[内合]の周期が「おおよその」五芒星と結びつけられているとの風潮があることはご理解いただけるであろう)

 以上もってして

[金星がその[会合](地球との内合)のありようから太陽系に五芒星を現出させるとの指摘が存する]

とのことの紹介とした。

出典(Source)紹介の部67はここまでとする)


 さて、直上の段までにて

「ルシファーは悪魔の王の名称とされるが、同ルシファー、
金星(英語で言うところのヴィーナスVenus)と結びつく存在
であるとも歴年認知されてきた。そうもしてルシファーと結びつけられてきた天体としての金星は[会合]の周期から太陽系にあって五芒星(ペンタグラム)形状を現出させている惑星として取り上げられてきた存在である

とのことの典拠を紹介してきたわけだが、対して、この身はここ補説2と記した部にて[次のこと]らを ――無論、典拠となるところを細かくも明示するとの式にて―― これより問題視したい、「まずもっての第一段階として」問題視したいと考えている(:金星の会合周期における五芒星現出のことを上にて取り上げたのはいわば、[次のこと]を問題視する上での[取っ掛かり]と位置付けてのことであるとも強調しておく

(金星にまつわる会合周期にあって具現化するとの指摘もなされてきた)[五芒星相似形]を[ブラックホール絡みの話]と接合させるような奇怪なることらがある。すなわち、次のようなことらα1からα8)がある。

地球と金星と太陽の内合(インフェリアー・コンジャンクション)時にあっての天体座標を結んで出来上がるとのことがよくも取り上げられる(直近先述)との[五芒星]は[五角形]と結びつく図形でもある。[(ほぼ正確な)[五芒星]が描写される局面]というのは[(ほぼ正確な)[正五角形]に近しきものが内にて形成される局面]であるとも述べられる。どういうことか。[(正確な)五芒星]というものは[正五角形]に内接される図形として描けるものであり、[正確な五芒星の各点]を構成する五点というのが正五角形の各点にそのままに対応することになるとのことがあるのである(→ややこしいことと思うので正確な図を続く段にて挙げることとする)。

正五角形、英語に直せば、[レギュラー・ペンタゴン]との特質を持つのがアメリカの国防総省の本部庁舎である。そのペンタゴンの広場は先の911の事件の起こる前から[ワールド・トレード・センターの跡地]がそう述べられるようになったのと同じ言葉で呼び慣わされていた、[グラウンド・ゼロ]との言葉でもって呼び慣わされていた(「911の事件が起こる前から」グラウンド・ゼロという特殊な言葉がペンタゴンと結びつけられてきたとのことについては本稿の先の段で書き記していることだが、続く段で再度の出典紹介をなす)。

グラウンド・ゼロという言葉は911の事件が発生する前からペンタゴンの広場と歴史的に結びつけられてきたとの沿革がある(上のα2にて言及)のだが、そちらグラウンド・ゼロという言葉、かの911の事件が起こる「前」から[使用局面が際立って限られていた特殊用語]として存在していた同語を[ブラックホール]と関係させるとのかたちで用いていたとの書籍が存在しており、その書籍、「不可解極まりない911の予見的言及とも関わる」とのことを本稿の先だっての段で先述なしてきたとの書籍でもある ZERO:The Biography of a Dangerous Idea(邦題)『異端の数ゼロ』となる。同著『異端の数ゼロ』序盤部にては五角形と五芒星の相互に「無限に」外接・内接しあう関係性]のことが[最小の単位(無限小)に向かう力学]を指し示すようなものとして取り上げられているとのことがあるのである(α1の出典とも重なるところとして無論、そのようなことが述べられるところの出典も挙げる)。 さて、そのように問題となる ―911の異様なる先覚的言及とも関わるとの式で問題となる― 書籍で取り上げられている
五角形と五芒星の相互に「無限に」外接・内接しあう関係性
にて「も」表象される
最小の単位(無限小)に向かう力学
は言い換えれば、原子核の領域に向かう力学、さらに述べれば、原子核を構成する陽子や中性子の領域、そして、陽子を複合して構成するクォークのようなより極微の素粒子の世界に向かう力学のことを想起させるものでもある。
 何故か。
 原子のなかで原子核の占める割合はおそろしく小さい、そのような原子核を構成するのが中性子や陽子であるといったかたちで(小さきことをひたすらに突き詰めていった際の)極小の世界というものは展開しているからである。五角形(ペンタゴン)および五芒星の両者の図形的特性]のことを知っていれば、自然に想起されるのが[最も小さな極小の世界へ向けての力学]であり、それは換言すれば、[素粒子物理学などが領分とする極小の世界へ向けての力学]であると言い換えられるようなところがあるのである。
 そして、そうした限りなくものゼロ・スケールに向かって展開する極微の世界の領域の研究(たとえばヒッグス粒子や超対称性粒子なぞと命名されてのものを発見に血道をあげるとの「研究」)を声高に唱道、[原子核を壊す中での膨大なエネルギー](と述べても極微領域に集中しているからこその膨大なエネルギー)で[ブラックホール]さえもが生成される可能性が取り沙汰されているのが素粒子物理学系や核物理学系の物理学者らが集まってのLHC実験であると言われている

ZERO:The Biography of a Dangerous Idea(邦題)『異端の数ゼロ』との書籍は911の事件が起こる「前」から特異な言葉であるとのグラウンド・ゼロという言葉をブラックホールとの関係するかたちで用いているとの書籍、かつもって、不可解なる911の予見的言及とも関わっているとの書籍でもある(←α3で言及したことである)。
 そして、同著『異端のゼロ』は[五角形と五芒星の「無限に」相互内接しあう関係性]と結びつくことに言及しているとの書籍でもある(←α1およびα3にての出典にまつわるところでもある)。
 そうした書籍で扱われる
[ゼロの世界][極小の世界]
に近しきところで(原子に比してその比率が恐ろしく小さいとの極小の存在たる)[原子核]を破壊しようとのことをなし、そこにて発生する膨大なエネルギーからブラックホールを生成しうるとのところにまで至ったのがLHC実験であると「される」(←α3にて言及のことでもある)のだが、他面、[911の事件]では何が起こったのか。
[[正五角形]との形状を呈するとのペンタゴンが崩された]
とのことが起こっている(←α2で合衆国国防総省庁舎たるペンタゴンが(正確な五芒星と無限に続く相互内接外接関係を呈するとの)[正五角形]であることを問題視している)。
 以上のことより次の関係性が想起されもする。
現実世界で911の事件が起こる「前」からアメリカ国防総省本部庁舎たるペンタゴン(正五角形)の広場と結びつけられてきたグラウンド・ゼロという特殊な言葉(←α2)] ⇔ [911の事件が起こる前から[グラウンド・ゼロ]との特殊な言葉とセットとなっていた現実世界でのペンタゴン([正五角形]状の米国国防総省庁舎)の911にあっての部分崩壊] ⇔ [正五角形(;合衆国国防総省庁舎ペンタゴンとの同一形状)の(911にての)部分崩壊(α3)] ⇔ [911の事件が起こる「前」から特殊用語として存在していた[グラウンド・ゼロ]という言葉を「ブラックホール」と関係するかたちでなぜもってしてなのか用いているとの書籍であり(そして、そちら著作、911の不可解なる予見事物とも通ずるようになっている書籍との意味でも際立っての著作ともなり) また、同時に、五芒星と五角形(ペンタゴン)の間の無限に続く相互内接・外接関係によって表象されもする極小の世界へ向かう力学に言及している著作「でも」ある ZERO:The Biography of a Dangerous Idea(邦題)『異端の数ゼロ』という著作の内容] ⇔ [無限小に至る方向性での中での破壊挙動、原子核を壊す中での膨大なエネルギー発現状況でもって「ブラックホール」を作り出しうると言われるに至っているLHC実験を想起(α3)]
 以上のような⇔で結んでの関係性については『何を述べているか理解しがたい』と受け取られるか、あるいは、『穿ち過ぎ(考えすぎ)である』と思われるところか、とも思う。それゆえ、そうした物言いがなせてしまう「他の」事情があることにつき続く段で「補いながらもの」表記をなす。

[グラウンド・ゼロ]という言葉 ―(本来、[広島・長崎の爆心地]を指すべくも考案された特別な言葉であり、また、冷戦期、核戦争の標的たるところと結びつけられるに至った言葉である)― と[911]の事件の発生前から結びつけられていた[ペンタゴン](アメリカ国防総省本庁舎)というのはレズリー・グローヴズという男(往時、米国陸軍工兵隊大佐)を責任者にして1941年9月11日に建設が開始されたとの建物である。 そちらペンタゴンの建設計画を指揮していたレズリー・グローヴズという男が「ペンタゴン建造中に」大佐から准将に昇進、主導することになったのが[マンハッタン計画]となっており、同[マンハッタン計画]で実現・現出を見たのが[原子爆弾]と[広島・長崎への原子爆弾の投下]([グラウンド・ゼロ]との言葉がはじめて用いられるようになった爆心地を現出させた挙動との意味合いで本稿の先の段でも取り上げていた原爆投下)となる。 そこに見る[原子爆弾]というのは[極小領域たる原子核のレベルでの崩壊現象、[核分裂反応]によって実現を見た兵器]でもある ――根拠を入念に示さんとするものとして作成しているとの本稿スタンスに則り、無論、以上のようなことが述べられる確たる論拠もこれより「網羅的に」紹介していく―― (:1941年9月11日から建設開始(着工)を見ていた[ペンタゴン]の建設計画を指揮していた男レズリー・グローヴズが[マンハッタン計画]の責任者でもあったわけであるが、[マンハッタン計画]というのはそも、[極小の領域、原子核のレベルでの崩壊現象が原子爆弾を実現ならしめること]が着想されて開始された計画である。[原子核レベルでの崩壊現象を利用しての核兵器開発]と[ペンタゴン]が結びつく、そう、[五芒星形と五角形(ペンタゴン)が無限に相互に内接・外接しあいながら無限小へ至る方向(原子核や素粒子の世界へ至る方向)を指し示すもの]であることを想起させるように結びつくとのことが歴史的沿革として存在していることが問題となる)。

金星の内合ポイントにてその近似物が具現化するとの五芒星は史的に見て[退魔の象徴]とされてきたとの経緯があるものである(無論、そこからして典拠を後の段にて指し示す)。さて、その[退魔の象徴としての五芒星]と結びつくような[退魔の象徴物としてのペンタゴン(アメリカ国防総省本庁舎)]が爆破されて「異次元から」干渉する外側の銀河由来の妖怪が解き放たれるとの[荒唐無稽小説]が世に出ている。それが本稿の先の段で「911の「奇怪なる」予見的言及をなしている」との要素を同作が多重的に帯びていることにつき仔細に解説してきた70年代欧米でヒットを見たとの小説作品、『ジ・イルミナタス・トリロジー』である。につき、[退魔の象徴としての五芒星と結びつくが如き退魔の象徴としてのペンタゴンの崩壊、および、911の事件の発生(マンハッタンペンタゴンが同時攻撃されたとの事件)を前言しているが如くの奇怪なる文物]などとのものより想起されるのは ―繰り返しになるも― 次のようなこととなる。 ⇒[(直近にて言及の)書籍『異端の数ゼロ』に特性として認められるとの[五角形(ペンタゴン)と五芒星の内接関係を無限小に至る機序として呈示するとのやりよう]・[グラウンド・ゼロという言葉を911の事件が発生する前からブラックホールと結び付けているとのやりよう]・[不可解なる911の予見的言及とも関わるとの側面]]←→(関係性の想起)←→[ペンタゴン(1941年9月11日に建造開始)の建設計画を主導した軍人が同様に主導して[原爆]と[グラウンド・ゼロ]を具現化させることになった[無限小に至る力学(五角形と五芒星が相互に無限に内接・外接されるかたちで表象される力学)の過程での原子核崩壊作用]を利用しての[マンハッタン計画]に見るありよう

会合周期(具体的に述べれば、8年単位で現出する5回の地球との周期的内合関係)でもって[五芒星]を描くとされる存在が金星となるとのことを先述した。また、同文に金星が悪魔の王ルシファーと欧州にて歴史的に結びつけられてきた星であることも先述した。さて、歴史的に惑星金星と結び付けられてきたとの悪魔の王ルシファーとのつながりで述べれば、ダンテ『地獄篇』にもミルトン『失楽園』にも[ルシファーと結びついた罪の領域]にあって[今日的な観点で見てのブラックホールの近似物]が多重的に具現化していると申し述べられるようになっていること、解説をなしてきたのが本稿である。

五芒星]は[黄金比]と際立って結びつく図形でもあるそこに見る[黄金比]と[ブラックホール]が結びつくことを論証しようとの学究申しようが欧米圏にてささやかなる注目を浴びているということがある

(これより要素分解なしたうえで網羅的にその典拠となるところを指し示していく所存であるとの上のα1からα8の流れに加えてのこととして)

日本でも五芒星紋様が用いられてきたとのことがある。それは海女による[セーマン・ドーマン]と呼ばれる紋様の使用にまつわる話となる。その点、海女によるセーマンこと五芒星の使用は[竜宮]に引き込まれないための呪(まじな)いであるとの物言いがなされてもいる。さて、伝承に見る[竜宮]とはどういう場か。
[時空間の乱れが発生した場]([外側に対して時間の進みが遅い場])
とされる場である。他面、重力の化け物、ブラックホールおよびその近傍領域も[時間の乱れ]が問題となるものである(時を止めるが如くブラックホールにおける時空間の法則の破綻とのことについては部分的に本稿の先の段でも典拠挙げながら問題視していることとなるが、続く段にて後追い確認を請うための再度の出典提示をなす)。以上のことは単体で述べれば、「考えすぎ」の謗(そし)り免れないこととあいなろうが(当たり前ではある)、上(のαの段)にて述べてきたようなことがすべて[事実]であると網羅的に指し示されたとき、ここβの申しようも「考えすぎ」では済まされぬものとなって「しまう」とのことがある(その点についても無論、細かい解説をなす)。

 以上のことら(α1からα8およびβと振ってのことら)の解説と出典表記を順次段階的にこれ以降なすこととする。

 前のページへ〔PREVIOUS PAGE〕     次のページへ〔NEXT PAGE〕


直下、本稿冒頭部へのリンクを設けておく

(⇒冒頭頁へは下の部より)

[典拠紹介部第1頁 加速器実験に伴う欺瞞性から証示なせることについて]

 上にて挙げているのはドイツ浪漫主義芸術の巨匠たる18世紀画家、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(Freemasonでもあったとの画家 Caspar David Friedrich)の手になる一品、

Der Wanderer uber dem Nebelmeer雲海の上の旅人』(に多少の[動き]をアレンジとして加えたもの)

となる。

 言われようの問題として一般に、

[人間の崇高なる精神が高みを目指し、ついぞ多くの物事を達観するに至った時、その折の孤独と感慨を描いた画]

などと形容される上掲の『雲海の上の旅人』に関して(本稿でもその言行を順次・段階的に取り上げることになるとの)物理学者リサ・ランドールは[次のような申しよう]をなしている。


(直下、物理学者リサ・ランドールの手になる著作 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)にての CHAPTER THREE LIVING IN A MATERIAL WORLD[第三章 物質世界に生きる]の章の記述内容 ――オンライン上検索エンジンにあっての原文検索にて該当部特定できるところの記述内容―― よりの原文引用をなすとして)

Our universe is in many respects sublime. It prompts wonder but can be daunting ―even frightening― in its complexity.  Nonetheless, the components fit together in marvelous ways. Art,science, and religion all aim to channel people’s curiosity and enlighten us by pushing the frontiers of our understanding. They promise, in their different ways, to help transcend the narrow confines of individual experience and allow us to enter into―and comprehend―the realm of the sublime. (See Figure 11.)
          [ . . . ]
[ FIGURE 11 ] Caspar David Friedrich’s Wanderer Above the Sea of Fog (1818), an iconic painting of the sublime ― a recurring theme in art and music.

(上の原著引用部に対する[訳文]として国内流通訳書『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)ハードカヴァー版にあっての81ページに記載されているところを引くとして)

多くの点で、私たちの宇宙は崇高だ。その複雑さは好奇心を駆り立てはするが、無力感も抱かせるし、ことによっては恐怖さえも感じさせる。にもかかわらず、宇宙の構成要素は素晴らしくぴたりと絡みあっている。芸術、科学、宗教は、いずれも人々の好奇心を促して、理解の限界を広げさせ、それによって私たちを啓蒙することを目指している。いずれもそれぞれのやり方で、個人の経験の狭い領域を越えさせることを約束している。それがかなえられたとき、私たちは崇高なものの領域に踏み込む――そして理解する――ことができるのだ(図11を参照)。 …(中略)… [図11]ドイツの画家カスパー・ダーヴィド・フリードリヒの「雲海の上の旅人」は、崇高なものを象徴的に描いた作品だ。崇高さは、美術と音楽に繰り返し登場するテーマである

(以上をもって Knocking on Heaven’s Doorにての原著表記および訳書よりの引用とした)


 さて、何故、ここ脇に逸れての部にあって「目立つように」特定絵画 ― 『雲海の上の旅人』― を挙げ、その絵画に対する物理学者の評しよう ―「雲海の上の旅人」は、崇高なものを象徴的に描いた作品だ....― などを引いたりもしたのか

「それは、」
絵画『雲海の上の旅人』に対して直上引用なしたような評しようをなしているとの物理学者リサ・ランドールが

加速器によるブラックホール生成可能性にまつわるトピックの理論深化に一廉ならぬ貢献をなしているとの著名物理学者

[[崇高なるもの]を目指しての宇宙の探求(およびそのための装置と銘打たれている巨大加速器LHC)の称揚・礼讃をなしているとの向き

であるとのことがあり、また、なおかつ、彼女リサ・ランドールの手による、(絵画『雲海の上の旅人』を科学者が目指しての[崇高さ]とを結びつけている)引用元著作 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)が

人間のありよう(崇高さとはおよそ程遠いところにあるありよう)]
人間の辿る運命

を嘲笑うような[嗜虐的寓意]で満ち満ちていると申し述べられるようになっている著作であるとのことがある、遺憾ながら
[理の当然]
として申し述べられるところとしてある ――個人のせせこましい偏頗(へんぱ)な主観などとは一線を画したところで客観的かつ具体的にこれはこうでこうだと申し述べられるようになっている(出典呈示を第一義にしての本稿では無論、その論拠を事細かに挙げる)とのところとしてある―― からであり、そのことに注意を向けたかったからである(※)。

(※上にて引用元とした著作、 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)、同著にあってはその冒頭部より
September 10, 2008, marked the historic first trial run of the Large Hadron Collider (LHC). Although the name―Large Hadron Collider― is literal but uninspired, the same is not true for the science we expect it to achieve, which should prove spectacular. (表記英文引用部に対する訳として)「2008年9月10日、ラージ・ハドロン・コライダー(LHC)が歴史的始動を見た.[ラージ・ハドロン・コライダー]との名称は有り体に言ってインスピレーションを何ら与えぬとの平凡なものだが、私たちがそれ(LHC)に[証明すべきととらえている壮大なる挙]を託しているとの意では[科学(の進歩)]にとり同じくものことは真実とはならない(LHCは際立ってのインスピレーションを与えるものである)」
などとのことが書き記されている。
 そうもした書きようが目立ってもの冒頭部にてみとめられる著作ノッキン・オン・ヘブンズ・ドアにおける表題、 [天国のドアをノックする]の由来についてリサ・ランドール女史は同じくもの著作の中で次のようなことを述べてもしている。
(以下、 Knocking on Heaven’s Doorにての CHAPTER FOUR LOOKING FOR ANSWERSより引用なすところとして)
I first heard the phrase “knockin”on heaven’s door”when listening to the Bob Dylan song at his 1987 concert with the Grateful Dead in Oakland, California. Needless to say, the title of my book is intended differently than the song’s lyrics, which I still hear Dylan and Jerry Garcia singing in my head. The phrase differs from its biblical origin as well, though my title does toy with this interpretation. In Matthew, the Bible says, “Ask, and it shall be given you; seek, and ye shall find; knock, and it shall be opened unto you: For every one that asketh receiveth; and he that seeketh findeth; and to him that knocketh it shall be opened. (以上原著表記に対して訳書『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)ハードカヴァー版[第四章]103ページにての表記を引くとして) Knocking on Heaven’s Door(天の扉を叩く)]――これが本書の原題だが、私が最初にこのフレーズを聞いたのは、一九八七年、カリフォルニア州オークランドでのグレイトフル・デッドとのコンサートで、ボブ・ディランが『天国への扉』を歌うのを聞いたときだった。いまでも私の頭の中ではディランとジェリー・ガルシアがこれを歌っているのが聞こえてくるけれど、いうまでもなく、私の本のタイトルは、この曲の歌詞とは意味が違っている。このフレーズは出典である聖書の一節とも違っているが、私のタイトルはこちらの意図を拝借したものだ。聖書の「マタイ伝」には、このように書かれている。「求めよ。さらば与えられん。尋ねよ、さらば見いださん。門を叩け、さらば聞かれん。すべて求むる者は得、たづねる者は見いだし、門を叩く者には開かれるるなり
(以上、引用部とした)
 といったところ、新約聖書のマタイ伝にあっての
[求めよ。さらば与えられん。尋ねよ、さらば見いださん。門を叩け、さらば聞かれん。すべて求むる者は得、たづねる者は見いだし、門を叩く者には開かれるるなり]
とのフレーズ、それが
[天国の門]・[天国への扉]・[天国への階梯](ステアウェイ・トゥ・ヘブン)
との兼ね合いでいかように嗜虐的なる別側面での意味( Double Meaning )と共にあるのか、そのことからして具体的典拠を挙げ連ねるとの式で遺漏無くも事細かに示そうというのが本稿の本義であるとここ脇に逸れての部にあって訴求しておきたいとの意図が筆者にはある)

当サイト内にあっての【各頁および各典拠への一覧方式遷移部】、及び、【PDF形式文書配布ページ】へのリンクを直下、設けておく

各頁および各典拠への一覧方式遷移部へは以下より


問題となる[「予見的」言及→実現]の体系についての[典拠紹介部]一覧呈示頁

PDF形式文書配布ページへは以下より


典拠解説媒体としての[一括PDF文書]の公開頁

ここ本頁内にて[参照先]として挙げている【「容易に後追い確認なる」「堅い」ソースを呈示しての出典紹介部ら】、その一部への[遷移経路]を下に設けておく(:クリックすることでブラウザ ―インターネット閲覧ソフト― の[別タブ(別枠)]にて典拠紹介部を表示( open "additional" tabbed window(s) of web browsers ))

[出典(Source)紹介の部55](ダンテ『地獄篇』およびミルトン『失楽園』にあって[「今日的な観点で見た場合の」ブラックホールの質的近似物]が描写されていることにまつわっての出典紹介部55)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第46頁 ダンテ『地獄篇』とミルトン『失楽園』に見るブラックホールに通ずる描写

[出典(Source)紹介の部55(3)](ダンテ『地獄篇』およびミルトン『失楽園』にあって[「今日的な観点で見た場合の」ブラックホールの質的近似物]が描写されていることにまつわっての出典紹介部55(3))
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第47頁 ダンテ『地獄篇』とミルトン『失楽園』に見るブラックホールに通ずる描写[2]