典拠となるところの明示[71]――加速器によるブラックホール生成、にまつわっての
先覚的言及文物らの間にみとめられる関係性から問題になりもすることについて

関連情報にまつわるカテゴリ(各部クリックにて遷移)

[加速器によるブラックホール人為生成]が一切観念されていなかったとされる折柄にて同じくものことを[奇怪なやりよう][不吉なやりよう]で事前言及しているといった筋合いの文物らが存在していることについて 補説1

 つい直前頁までにて

[ 「数頁を割くとの程度で長くなる」 と明示しての脇に逸れての補足部] 米国現代文学の牽引者などと評されてきた著名作家カート・ヴォネガットの手になる小説作品らにみとめられる[相互連関を呈しての(危機的状況にまつわっての)先覚性]のことを訴求するための話が本筋、[主]であるところを他作家由来の文物らを問題視しての[従]たるところとして展開しているところの補足部

を通じもして、

「ブラックホールに通底する事柄への言及文物にあっては[先覚性]との絡みで[異常なる側面]が「往々にして」現われていることがある」

とのことの摘示に努めてきた。

 ここ本頁以降ではそうもした補足部表記に一区切りをつけて(補説1と銘打っての一連の段にての)本題となるところに立ち戻ることとする。

 さて、先立っての段では作家カート・ヴォネガット、

[同作家の代表的作品のうちの一作、 Slapstick, or Lonesome No More!『スラップスティック』(1976)にあって[ツインタワーを想起させるようなマンハッタンのロックフェラー絡みの双子]にかかわるところで[[加速器]によるブラックホール生成問題]を露骨に想起させるとの「奇怪な」作中設定を採用している ――関連するところの知識・情報が科学界にすらなかったといった時分に同じくものことを露骨に想起させるとの「奇怪な」作中設定を採用している―― との作家」

にして、かつ

[同作家の代表的作品のうちの一作、 Cat's Cradle『猫のゆりかご』(1963)でもって後の加速器リスク問題で科学者らに用いられることとなった特殊用語([アイスナイン])を生み出していた(結果的に[生み出していた]とのことになった)との作家]

ともなっている同カート・ヴォネガットが1959年に世に出していた小説 The Sirens of Titan『タイタンの妖女』に関して次のことらを問題視するとした。


 第一
「異星人に推進された人類「育種」の究極目標が[くろぽち(・)ひとつよりなる親書の異星系への伝達の補助]であった」
という同作の粗筋にあって気がかりとなるところとして
[地球は[地球質量]から見てブラックホールに換算するとcm(センチメートル)単位のものにしかならない]
との言われようがなされている ――換言すれば、「地球をそうしたサイズに圧縮すればブラックホールができあがる」とされている―― とのことがある。

 第二
[小説『タイタンの妖女』で重視されている時間等曲率漏斗(なるもの)の終点が赤色巨星ベテルギウスであったと設定付けられている]
とのこともが[ブラックホール]との絡みで不気味に映るとのこと「も」またある。
 知識を有していないとの向きから見れば[気まぐれ]を超えての意味合いでは[『タイタンの妖女』に対するベテルギウス関連の設定の付与]の理由が「ない」とも思われるところであろうが、
[ベテルギウスの赤色巨星としての終焉が「小説『タイタンの妖女』刊行より後の日 ―時期的先後関係が重要となるところにての[後の日]― にて現実世界にて導き出された知見より」「近々の」ブラックホール化であるとの見方が(人類に災厄をもたらしかねない[ガンマ線バースト]との現象に関わるところとして)目立って問題視されるに至っている]
とのことがあり、また、と同時に、
[『タイタンの妖女』にてベテルギウスを終点としていると(何故なのか)設定付けられている[時間等曲率漏斗]というものが[くろぽち(・)ひとつよりなる親書を他星系に届けるための人類の育種]と当該フィクションの中で「濃厚に」結びつけられている]
とのこと「も」があり、もって[相応の寓意性]を感じさせる、それがゆえ、[不気味に映る]とのことがある。
(:整理すれば、くろぽち(・)マークのみよりなる親書の伝達のための人類育種と[近々のブラックホール化を伴っての現象の発現可能性が(小説の刊行後にて)目立って問題視された天体](時間等曲率漏斗のゴールとしてのベテルギウスとが結びつけられていることにつき、(地球相当の質量をブラックホールに引き直すと[㎝メートル単位のブラックホール]が導出されるとの現代物理学にての指摘のされよう(先述)も加味して)、奇怪性が感じられると述べたいのである(お分かりだろうとは思うのだが、「『タイタンの妖女』刊行の折にはベテルギウスのブラックホール化が目立って問題視されるような事情(ガンマ線バーストという現象に関わる事情)が取り沙汰されていなかった ――時期的先後関係の問題も続いての段にて遺漏なくも解説試みる―― がゆえに奇怪である」とも述べているのである)。

 第三
「(上の第一、第二のことに加えて)カート・ヴォネガットの『タイタンの妖女』は同男由来の『タイムクエイク』(1997)という他小説と一緒くたに見た場合に[911の事件の前言をなしているが如く小説]に化けるようなものであるということ「も」ある」
とのことがある(その「911の事件の前言をなしているが如く小説に化ける」との側面が[偶然の賜物]ではないから「問題になる」と申し述べたきところとして、である)。


 以上のことらのうちの第一、第二の点、すなわち、


 第一
「異星人に推進された人類「育種」の究極目標が[くろぽち(・)ひとつよりなる親書の異星系への伝達の補助]であった」
という同作の粗筋にあってきがかりとなるところとして
[地球は[地球質量]から見てブラックホールに換算するとcm(センチメートル)単位のものにしかならない]
との言われようがなされている ――換言すれば、「地球をそうしたサイズに圧縮すればブラックホールができあがる」とされている―― とのことがある。

 第二
[小説『タイタンの妖女』で重視されている時間等曲率漏斗(なるもの)の終点が赤色巨星ベテルギウスであったと設定付けられている]
とのこともが[ブラックホール]との絡みで不気味に映るとのこと「も」またある。
 知識を有していないとの向きから見れば[気まぐれ]を超えての意味合いでは[『タイタンの妖女』に対するベテルギウス関連の設定の付与]の理由が「ない」とも思われるところであろうが、
[ベテルギウスの赤色巨星としての終焉が「小説『タイタンの妖女』刊行より後の日 ―時期的先後関係が重要となるところにての[後の日]― にて現実世界にて導き出された知見より」「近々の」ブラックホール化であるとの見方が(人類に災厄をもたらしかねない[ガンマ線バースト]との現象に関わるところとして)目立って問題視されるに至っている]
とのことがあり、また、と同時に、
[『タイタンの妖女』にてベテルギウスを終点としていると(何故なのか)設定付けられている[時間等曲率漏斗]というものが[くろぽち(・)ひとつよりなる親書を他星系に届けるための人類の育種]と当該フィクションの中で結びつけられている]
とのこと「も」があり、もって[相応の寓意性]を感じさせる、それがゆえ、[不気味に映る]とのことがある。


とのことらに関しては「既に」典拠となるところを十全に指し示している(:最前まで筆を割いてきたとの[「長くもなっての」脇に逸れての補足部]、そちら補足部に入る前の段にての出典(Source)紹介の部65(3)出典(Source)紹介の部65(4)と振っての部で典拠を指し示している)。

 そのため、ここ以降では解説未了であったところ、


 第三
「(上の第一、第二のことに加えて)カート・ヴォネガットの『タイタンの妖女』は同男由来の『タイムクエイク』(1997)という他小説と一緒くたに見た場合に[911の事件の前言をなしているが如く小説]に化けるようなものであるということ「も」ある」
とのことがある(その「911の事件の前言をなしているが如く小説に化ける」との側面が[偶然の賜物]ではないから「問題になる」と申し述べたきところとして、である)。


とのことにまつわる論拠を順次・段階的に呈示していくこととする。

 その点、本稿にての先立っての段では「委細解説は後の段にてなす」と申し述べたうえで上の第三の点について、次のこと、述べていた。

 カート・ヴォネガット『タイタンの妖女』にあっての
[911の前言事象]
との兼ね合いでは次のa.からd.のことが問題になる。

a.(まずはそれだけ述べれば『こじつけにすぎない』と受け取られようところからはじめるが)、『タイタンの妖女』は極めて目立つように作中冒頭部にて
「一時間ごとに太陽系は四万三千マイルずつヘラクレス座のM13球状星団へと近づいている――それなのに、進歩なんてものはないと主張する非順応者がまだなくならない」
との
[意味不明なる「暗号」がかった序言]
からはじまる作品となっている(序言としての同フレーズのために設けられた部が「何故なのか」不自然に別個に設けられている作品ともなる)。
 それにつき述べるが、911の事件が
ヘラクレスの冒険(殊に、の中の、11番目の冒険)およびそこにて登場してくる黄金の林檎
と「どうしてなのか」「なぜなのか」が問題となるところとして多層的に結びつくようになっているというのが長大なる本稿にて指し示さんとしていることの一つとなっている
(本稿にての出典(Source)紹介の部37から出典(Source)紹介の部37-5を包摂する部位はそのための一例紹介の部となる。尚、同じくものこと ――「どうしてなのか」「なぜなのか」が問題となるところとして2001年9月11日に発生した事件とヘラクレスの12功業(殊にその中の11功業)との間につながりがあるとのこと―― については本稿にての続いての段にても他例としてどういうことがあるのか事細かに具体例を挙げて解説をなす所存である)。

b.[ヘラクレス座のM13星団に地球が近付いている]との別個にて設けられている書き出し部ではじまる小説作品『ザ・サイレンズ・オブ・タイタン』こと『タイタンの妖女』に登場する艶やかな女らを象(かたど)った三対の像 ――それらの像が原著題名に見る[サイレンズ](妖女ら)に仮託されているとのこと、先述の像―― を想起させるとの作中「内」小説が『タイタンの妖女』刊行後40年近くを経て刊行されたヴォネガットの他小説『タイムクエイク』の中に認められる『B-36の三姉妹』との「フィクションの中のフィクション」となる。
 そちら不自然性を感じさせるタイトルの『B-36の三姉妹』という作中「内」小説 ――『B-36の三姉妹』などというタイトルが「ぽっと出」で出てきた自然なるものと考える向きはあまりいないかと思う―― に見る[B-36]とは米国の爆撃機のことを指す(B-29で有名なボーイング社製の一連の爆撃機シリーズに包摂される機種となる)。
 その[B-36の三姉妹]に付されての[B-36]が(作中内小説『B-36の三姉妹』を登場させている)ヴォネガット小説作品『タイムクエイク』内で[B-29](東京大空襲で用いられ、また、原爆投下をなしたことでも有名な爆撃機)と多重的に結びつけられているとのことがある。 
 その点、「わざと」[B-36](原子炉搭載型飛行機[NB-36H]を含む合衆国ボーイング社製の通し番号付きの爆撃機シリーズのうちの一機種)と[B-29](核兵器を対人兵器として史上唯一使用したとの局面にて用いられた合衆国ボーイング社製の通し番号付きの爆撃機シリーズのうちの一機種)が結びつけられている節がある中でそれぞれ両機種 ――[B-36][B-29]―― の数字各桁を合算すると[9](3+6)と[11](2+9)が別個に出てくることすらもが計算されてそうなっている節がある。すなわち、[9][11]という数値に意識誘導するような側面がある。直下続けて述べるところのヴォネガット小説『タイムクエイク』の中に見受けられる特性からそうも述べられるようになっている(:それにつき、理由となるところを続けての段でさらに述べようとも『こじつけがましいfar-fetchedこと限りなし』と受け取られるところか、と思われもするようなところがある。しかし、この話には航空史にあってエポックメイキングなる一機種、B-36の亜種の[原子炉搭載型飛行機; Nuclear-powered aircraftたるNB-36Hと同文に航空史にあってエポックメイキングなる一機種とされている[原子炉搭載型飛行機]たるTu-119(ソ連製)との関係性が想起されるとのこと「も」ある ――いいだろうか。B-36と対応するような機体としてのTu-「11」「9」である。その一事からして[9](3+6)と[11](2+9)に意を向けんとすることを笑殺することは出来ぬことになろうか、とは思う。[B-29][B-36]の双方および[Tu-119]が[航空工学と核物理学(の兵器への応用)の観点で目立っての機種]であったとの共通項も関わっている中にての話として、である―― )。

c.先立っての段にて言及のように『タイタンの妖女』(1959年初出のヴォネガット作品)では[時空間の異常構造体](時空間のゲートとなってもいるChrono-synclastic-infundibulum時間等曲率漏斗なるもの)が取り上げられて[時空間の異常現象]が強調されているわけであるが、[B-36の姉妹]なる奇怪なるタイトルの作中内小説を[B-29]と露骨に結びつけて登場させている『タイムクエイク』(1997年初出のヴォネガット作品)にも[同様同文のこと]が当てはまり、それは[時間を過去に巻き戻しての追体験をさせるとの時空震動]こと[タイムクエイク]絡みのこととなる。
 小説『タイムクエイク』ではそのタイムクエイク(時間震動)の結果、作中人物らは皆、過去の出来事の強制的追体験をなすことになる ――そして、[二〇〇一年夏]にあってその追体験が振り返られる―― との作中設定が採用されている(いいだろうか。1959年初出の『タイタンの妖女』と作中内小説[B-36の姉妹][時空の乱れ]との観点で意図的に結びつけられている節がある『タイムクエイク』は1997年初出の小説であるにもかかわらず[2001年夏に向けての追体験]が重要な作中モチーフになっているのである)。
 さて、現実の世界にて
[二〇〇一年夏]
に起こったのは911の事件である(:日本における通念上の理解では2001年のかの事件が発生したとの[9月]は秋の頃となるわけだが(9月となれば時候の挨拶でも「新秋快適の候」といった筆の運びがなされるように[秋の頃]となるわけだが)、ヴォネガット故地の米国では6月から9月をして[夏]と見る風潮がある ――については細かきことだが、(手前が示したきことに関わるために)英文Wikipedia[Summer]項目よりの原文引用をこの場にてなしての指し示しをなす;(以下、英文Wikipediaよりの引用をなすとして) In the United States,summer is often fixed as the period from the solstice ( June 20 or 21,depending on the year ) to the fall equinox ( September 22 or 23,again depending on the year )「米国にて夏は夏至(6月20あるいは21日.年度に応じての異動あり)から秋分(9月22日または23日.同様に年度に応じての異動あり)の期間と特定される風がある」―― )。
 その「二〇〇一年夏の」事件 ――911の事件―― の後に現実の世界では相応の政治屋(「質的に碌な人間ではない」とよく言われているポリティカル・マフィアにして「911の事件の如きことが起こりうることを事前に知っていた」と諸方面で唱えられている政治屋/ワールド・トレード・センター警備会社にその人脈が関わっていたことが知られ、また、と同時に、サウジのビン・ラディン一門ともビジネスパートナーだったとのことがよく知られている ―吐き気を催す程に頭と人格の具合がよろしくはないとのアメリカ人の[標本]らが挙げられてもいるマイケル・ムーアのドキュメンタリー映画『華氏911』ですら取り上げられていることである― との政治屋にして「双子の」娘の父親でもあるとの政治屋/合衆国43代大統領たる政治屋)が率先して[湾岸戦争の再演]を煽り主導したとの歴史理解がなされているわけだが、その[湾岸戦争の再演]に遡ること、[第一次湾岸戦争]の勃発日時は
一九九一年一月一七日
となっている。
 対して、カート・ヴォネガットの小説『タイムクエイク』では「まずもって」[二〇〇一年夏] ―タイムクエイクに起因する追体験が振り返られるとの[二〇〇一年夏]― にて実演の[「焼きはまぐり」パーティ]に注意が向けられもし、次いで、その六か月前、二〇〇一年二月十三日から[一九九一年二月十七日]にかけての10年間の追体験を無理矢理なさしめるタイムクエイクが発生したことに対する振り返りがなされるなどとの「どういう意図でなのか」の不自然極まりない粗筋設定が採用されている(後に出典紹介も当然になす)。 一九九七年初出の小説にて何故、[二〇〇一年夏の焼きはまぐりパーティ]に注意を向けるとのやりようがなされているかも[不可解なるところ]と述べるべきところか、ともとらえられるが(「表向きの理由は、」当該作品に作中登場人物として登場する作家が作家保養施設で二〇〇一年夏に催される予定のパーティにゲスト出演しそのゲスト出演を念頭に本作をものしているからであるなどとの言及がなされていることに求められもする)、「より不可解なのは、」そうした二〇〇一年夏の焼きはまぐりパーティに対する注意喚起がなされつつもその半年程前を起点に発生するとされる時空間の変動による追体験ループにつき、
[ループ終端ポイントたる二〇〇一年二月一三日の十年前のループのスタートポイントが一九九一年二月一三日ではなく、「どういうわけなのか」、四日ずれて一九九一年二月一七日とされている

ことである。
 ここで着目すべきは
[一九九一年二月一七日](二〇〇一年夏の焼きはまぐりパーティにて振り返られることになった再現ループのスタートポイントの日付け)
というのが湾岸戦争の勃発日時たる[一九九一年一月一七日]と丁度一か月の差分をきたしての日付けであるとのことである。
 ここで911の事件(米国基準で見れば、「二〇〇一年「夏」の事件」)が契機となって大量破壊兵器の保持とテロ支援を口実に開始された征戦、二〇〇三年にて勃発を見た戦争、イラク戦争の別称は[第二次湾岸戦争]となっていることが想起されもする。
 従って、二〇〇一年夏に注意が向けられた直後、[二〇〇一年の二月から起こることになったタイムクエイクの結果、二〇〇一年二月一三日から一九九一年二月一七日(現実世界では丁度一か月間ほどずれて第一次湾岸戦争が実演されている)に至るまでの出来事]の再演がなされるなどと言及がなされての筋立ての小説を作家に書かしめていた力学として[前言をなす]とのものが介在していた「とも」想起させられもする(:同じくものことについては単線的に見るべきことでないといった性質のことでもある。その点、[ヘラクレス座への接近に注意を向けての冒頭文]からはじまる『タイタンの妖女』(1959)の原著タイトル The Sirens of Titanに見る妖女(サイレン)ら三人一対の存在と結びつく作品と解される[『タイムクエイク』(内作中小説『B-36の三姉』)]にあって[B-36]と[B-29]とが「わざと関係付けさせられている」といった記載が当該作品(『タイムクエイク』)にて見受けられる中、そのことより[Tu-119]との結びつきを観念させもするものであるとのことがあり(上のb.の段にて述べていることだが、続いての出典紹介部にてそういうことが述べられることを示すべくもの具体的典拠も無論挙げることとする)、また、と同時に下のd.のようなことも顧慮する必要があるとのことである)。

d.小説『タイムクエイク』では上のc.にて言及した日付表記上の問題と結びつくような形で[9]や[11](や[12])との数値を想起させる描写がなされているとのこと「も」がある。

 以上のことらの出典を(要素要素に分解して網羅的に)これより挙げることとする。

 まずもって、(上にてa.からd.と分割して示していることにあっての)a.と振ってのことに関する出典紹介をなすことからはじめる ――ヘラクレスが本稿の先の段にて述べているところの多くの事由ら出典(Source)紹介の部34から出典(Source)紹介の部63(4)に至るまでの多くの出典紹介部で多角的に摘示しようと試みてきたところの事由ら)から[911の事件(の前言事象)]および[LHC実験]の双方と「それら双方を多重的に結びつけながら」関わっているとの[留め金]となっている存在であることを意識しての話となる―― 。


| 出典(Source)紹介の部65(11) |

 ここ出典(Source)紹介の部65(11)にあっては[布石]としてまずもって

[a.小説作品『タイタンの妖女』が「極めて目立つように」[ヘラクレス座のM13球状星団に地球は近づいている]との書き出しではじまる作品となっている]

とのことにまつわっての典拠紹介をなす(無論、同じくものことが真たることをそれ単体だけ示しても何の意味もなさないと認識しつつも、である)。

(直下、小説『タイタンの妖女』(早川書房ハヤカワ文庫版、重版にして第5刷のもの)の目次部前の冒頭部記載内容よりの原文引用をなすとして)

「一時間ごとに太陽系は四万三千マイルずつヘラクレス座のM13球状星団へと近づいている――それなのに、進歩なんてものはないと主張する非順応者がまだなくならない」

(引用部はここまでとする ―※― )

(※原著 The Sirens of Titanにての目立っての序言の部、そちら原文テキストを挙げれば、 "Every passing hour brings the Solar System forty-three thousand miles closer to Globular Cluster M13 in Hercules ― and still there are some misfits who insist that there is no such thing as progress." との箇所が該当するところとなる。尚、小説『タイタンの妖女』序言表記として表記のとおりの書かれようがなされていることは海外にてそこそこに知られているようであり、現行のWikipedia[ Messier 13 ]項目([M13星雲]項目)にあっての Literary references[著名文物にあってのM13に対する言及]の節にあっても[メシエ13(すなわち、18世紀フランス天文学者シャルル・メシエ作成のカタログに載っているM13球状星雲)に対する言及事例]としてカート・ヴォネガット小説 The Sirens of Titanにて同じくもの文言にての言及がなされていることが紹介されてもいる。さらに述べれば、ヘラクレス座の[M13球状星団]の中枢にあるの「も」([星雲][球状星団]( Globular cluster )とは自然じねんとしてそうしたものだとも言われるのだが)[ブラックホール]であるとされている。疑わしきは M13, black holeなど入力して検索、ご自身で英文の天文学関連のまともなウェブページに当たっていただきたい))

出典(Source)紹介の部65(11)はここまでとする)


 次いで、(上にてa.からd.と分割して示していることにあっての)b.と振ってのことに関する出典紹介を要素要素毎に分解して複数の出典紹介セクションを介してなすこととする。


| 出典(Source)紹介の部65(12) |

 ここ出典(Source)紹介の部65(12)にあってはまずもって

[b.[時間等曲率漏斗]とのかたちで[時空間の歪み]がテーマとされている The Sirens of Titanこと『タイタンの妖女』(1959)にはその作品由来として[三対の女らの像]が登場する。その三組ワンセットのサイレンらの像を想起させるような三姉妹を描いての『B-36の三姉妹』という作中「内」小説がヴォネガットの他小説作品、1997年に世に出た『タイムクエイク』 ――『タイタンの妖女』のように[時空間の歪み]がテーマとされている小説であり、かつ、ヴォネガット従前作品のモチーフを複合的に踏襲しているとの作品でもある―― の中に登場を見ており、その『B-36の三姉妹』との兼ね合いで爆撃機[B-36]と[B-29]への注意喚起がなされていると述べられるようなことがある]

とのことにあっての

[小説『タイタンの妖女』にあって[タイタンに据え置かれている[三対のサイレン]の像](訳書では[妖婦]といったニュアンスで[サイレン]が[妖女]と訳されている)が登場している]

との点にまつわっての典拠紹介をなす(無論、これまた同じくものことが真たることを単体で示しても何の意もなさないと認識しつつである)。

(直下、訳書『タイタンの妖女』(早川書房ハヤカワ文庫版、重版にして第5刷のもの)にての393ページよりの原文引用をなすとして)

八フィートの深さの水の底には、タイタンの三人の妖女(サイレン)、今を去るむかし好色なマラカイ・コンスタントに提供された三人の美しい女性たちがいた。それはサロがタイタンの泥炭(ビート)で作った彫像だった。サロの作った二百万個の彫像のうち、この三つだけが本物そっくりに彩色されていた。ラムフォードの宮殿の東洋風の壮麗な結構の中で重要性を持たせるためには、それを彩色することが必要だったのである。

(訳書よりの引用部はここまでとする ―※― )

(※尚、原著 The Sirens of Titanにての表記引用部に対する原文記載は(以下、引用なすところとして) In the bottom of the pool, in eight feet of water, were the three sirens of Titan, the three beautiful human females who had been offered to the lecherous Malachi Constant so long ago. They were statues made by Salo of Titanic peat. Of the millions of statues made by Salo, only these three were painted with lifelike colors. It had been necessary to paint them in order to give them importance in the sumptuous, oriental scheme of things in Rumfoord's palace.(オンライン上より文言特定できるところの原著よりの引用はここまでとしておく)となっている)

出典(Source)紹介の部65(13)はここまでとする)


 上にての引用部でもってして

[タイタンの三人の妖女(サイレン)の像が『タイタンの妖女』の表題由来になっている」

とのこと、ご理解いただけるか、とは思う( In the bottom of the pool, in eight feet of water, were the three sirens of Titan, the three beautiful human females who had been offered to the lecherous Malachi Constant so long ago. (訳として)「八フィートの深さの水の底には、タイタンの三人の妖女(サイレン)、今を去るむかし好色なマラカイ・コンスタントに提供された三人の美しい女性たちがいた」と記載されているわけだが、そこに見る the three sirens of Titanがそのまま The Sires of Titan(『タイタンの妖女』原題)との表題に転用されていること、ご理解いただけるか、とは思う)。

 さらに(a.からd.と分割して示していることにあっての)b.と振ってのことに関する出典紹介を続けることとする(直下出典紹介部)


| 出典(Source)紹介の部65(13) |

 ここ出典(Source)紹介の部65(13)にあっては、次いで、

[b.[時間等曲率漏斗]とのかたちで[時空間の歪み]がテーマとされている The Sirens of Titanこと『タイタンの妖女』(1959)にはその作品由来として[三対の女らの像]が登場する。その三組ワンセットのサイレンらの像を想起させるような三姉妹を描いての『B-36の三姉妹』という作中「内」小説がヴォネガットの他小説作品、1997年に世に出た『タイムクエイク』 ――『タイタンの妖女』のように[時空間の歪み]がテーマとされている小説であり、かつ、ヴォネガット従前作品のモチーフを複合的に踏襲しているとの作品でもある―― の中に登場を見ており、その『B-36の三姉妹』との兼ね合いで爆撃機[B-36]と[B-29]への注意喚起がなされていると述べられるようなことがある]

とのことにあっての

[小説『タイムクエイク』では『B-36の三姉妹』という作中内小説が登場を見ており、同作中内小説に関わるところとして爆撃機[B-36][B-29]への注意喚起がなされていると述べられるようになっている]

との部位に関する出典を挙げることとする。

(まずもって直下、邦訳版『タイムクエイク』(早川書房ハヤカワ文庫版、重版にして第2刷のもの)のp.23-p.24よりの原文引用をなすとして)

『タイムクエイク1』のなかで、キルゴア・トラウトは原子爆弾に関する短篇を書いた。タイムクエイクのために、彼はそれを二度書く羽目になった。思い出してほしいが、タイムクエイクのあとにつづいた十年間のリプレイで、彼とわたしは、そして、あなたも、ほかのあらゆる人間も、一九九一年二月十七日から二〇〇一年二月十三日までに自分がやったありとあらゆることを、もう一度くりかえさなければならなくなったのだ。
・・・(中略)・・・
トラウトはその短篇に、『笑いごとではない』という題名をつけた
・・・(中略)・・・
『タイムクエイク1』の結末、ふたたび自由意志のスイッチがはいった二〇〇一年夏の焼きはまぐりパーティーで、トラウトはすべての自作の小説、彼がびりびりに破いてトイレへ流したり、ごみの散らかる空き地やなにかに捨てた原稿のことをこう喝破した――「あぶく銭は身につかぬ」
・・・(中略)・・・
物語はこうだ。原子爆弾が広島に落とされ、つぎにもう一発が長崎に落とされたあと、≪ジョイズ・ブライド≫はさらにもう一発を横浜の"二百万の黄色いちび野郎ども"の頭上に落とす予定だった。その当時、黄色いちび野郎どもは、"黄色いちび野郎ども"と呼ばれていた。なにしろ戦時中である。トラウトは第三の原子爆弾をこんな風に描写している――「中規模のジュニア・ハイスクールの地下室のボイラーに負けないほどでっかい、むらさき色のマザーファッカー」

(訳書よりの引用部はここまでとする ―※― )


※直上にての原文引用部に見る筋立てについて解説をなしておく。

「ややこしい」と受け取られるかもしれないが、上の『タイムクエイク』よりの引用部にあっては

二〇〇一年夏の焼きはまぐりパーティー(注:911の折を想起させる時期と先にても言及の時期)にあって[自由意志のスイッチ]が入る

などとの書きようがなされている点について、[自由意志のスイッチ]が入る前のこととして、

一九九一年二月十七日(注:第一次湾岸戦争の勃発からちょうど一か月前の日付であると先に言及しもしたところの日付)から二〇〇一年二月十三日までの一〇年間がループ(追体験)される

などとされ、その[ループ期間]の中で、
(小説『タイムクエイク』にての主役級登場人物たるキルゴア・トラウトという架空の作家によって二度書きされた・二回執筆された作品としての)[第三の原爆投下を扱った「架空の」小説](『タイムクエイク』の中に登場する作中内小説)
についての言及がなされているとのかたちとなっている ――(尚、そちら引用部に見る[第三の原爆投下を扱った小説]は『タイムクエイク』の中に登場していること、先に言及した作中小説『B-36の小説』そのものではない。別の作中小説、『B-36の小説』の[直前部]にて挙げられている『笑いごとではない』という作中内小説がその[日本に対する第三の原爆投下を扱った小説]である(:『B-36の小説』という小説『タイムクエイク』内作中小説と[連続言及]されるかたちで日本に対する第三の原爆投下について扱った架空の小説作品『笑いごとではない』が同じくもの『タイムクエイク』には登場しているわけである)。 また、さらに述べておけば、上の引用部では原爆被害者を愚弄しているような描写「も」なされているが、問題となる部がそのような描写を除外すると文意通じなくなるかたちで表出を見ているために不快な部を敢えてもカットせずにの引用をなしたとのこと、ご理解いただきたい(低劣な感情論を展開する、憎しみを煽るといった意図はこの身には元よりないこと、お含みいただきたい)―― 。

(加えて、直下、邦訳版『タイムクエイク』(早川書房ハヤカワ文庫版、重版にして第2刷のもの)のp.34-p.35(上の引用部にほとんど間を経ずに続く部)よりの原文引用をなすとして)

 ここに『タイムクエイク1』の死骸から切りとったべつの短篇の出だしがある。題名は『B-36の三姉妹』という。「カニ星雲のブーブーという家母長制の惑星に、B-36という姓の三人姉妹が住んでいた。彼女たちの姓が、腐敗した指導者を持つ国の民間人の頭上へ爆弾を落とすように設計された地球の飛行機の名前で同じであったことは、たんなる偶然の一致としか思えない。地球とブーブー星は、おたがいに交信さえできないほど遠く離れているのだから」

(訳書よりの引用部はここまでとする)

 上にて引用なしているパートは[第三の原爆投下]を扱った『タイムクエイク』作中小説たる『笑いごとではない』に次いで『B-36の三姉妹』という(本稿にて問題視している)作中小説 ――架空の作家キルゴア・トラウトの手になるとの設定の作中小説―― が持ち出されていること、そのことを示す書き出しの部となっている。

 そちら書き出し部では、(上にて引用しているように)、

「B-36という姓の三人姉妹の姓が[腐敗した指導者を持つ国の民間人の頭上へ爆弾を落とすように設計された地球の飛行機の名前で同じであったこと]は偶然としか言いようがない」

との表記がなされているわけだが、その直前に言及されている作中小説の流れ(横浜にて第三の原爆が投下されるとの流れ/上に引用なしたところの訳書p.23からp.24の内容)からして[B-36]という名称の使用はその実、[B-29](原爆投下をなした爆撃機)と結びつけてのわざとの挙動であると ――(「[B-36]という姓は腐敗した指導者を戴く国に爆弾を落とした爆撃機と同じであるが[偶然]としか言いようがない」などとヴォネガットによって表記されているわけだが)―― 「当然に」推し量れるようになっている


出典(Source)紹介の部65(13)はここまでとする)


 話を続ける。

 次いで、直上までの段にて、にまつっての典拠紹介をなしてきたところの(a.からd.と分割して示していることにあっての)b.と振ってのことにダイレクトに関わるところとして

「カート・ヴォネガットの長編分野の最終作であり、その集大成とされる『タイム・クエイク』については[時空間の歪み]との兼ね合いで[ヴォネガットの初期の名作とされる『タイタンの妖女』(土星の衛星タイタンに置かれた「三対の」艶やかな女らSirensの彫像が作中表題になっているとの小説)に端緒を見ての流れ]との接合性が観念されるようになっている」

との点「にも」関わるところとして以下のような

[兵器開発にまつわる動向]

があることを紹介なしておく。

(直下、[B-36の亜種たるNB-36Hが[原子炉搭載航空機]であったこと]について言及しているとの和文ウィキペディア[原子力飛行機]項目にての現行記載内容よりの引用をなすとして)

戦略爆撃を原子力動力化するWS-125( WS=Weapon System )を立案した米空軍では、遮蔽性能検証用の実験機NB-36Hが実際に試作され、模擬原子炉を搭載して通常動力による飛行試験も行われたが、データ収集のみに終わった。本格的に原子力動力を搭載するX-6計画でもB-36改造機を用いる計画であった。機内にP-1小型原子炉を搭載し、取り出した熱でJ47改造のX39原子力ターボジェットエンジン4基を駆動し推進するものである。熱交換には金属ナトリウムによる間接冷却法(高速増殖炉でも用いられる)が当初検討されたが、技術上・重量上の問題から、大気による直接冷却法が次善策として浮上した。これは吸入した大気を炉心に導入し、熱膨張させ噴流として推進する計画だったが、放射能汚染が発生するなど余りに危険なため机上案のみで放棄された。

(引用部はここまでとする)

(直下、[B-29が太平洋戦争末期にあって対日本戦に用いられた爆撃機(かつ原爆投下機体)となっている]とのこと、また、[枢軸国のうち、ドイツに対してはより旧型のB-17が戦線投入されていた]とのことについての和文ウィキペディア[爆撃機]項目の現行記載内容よりの引用をなすとして)

ボーイングB-17フライングフォートレス(空の要塞)
一万機以上制作された第二次大戦初期のアメリカの主力爆撃機。4発の大型機体で、5tに達する爆弾搭載量と4000kmに達する航続距離、充実した防御火器はこの頃の世界随一。排気タービン採用により高空での飛行性能がよく、迎え撃つ枢軸国を悩ませた。ドイツの工業地帯を昼間爆撃したため損害も多かった。

ボーイングB-29スーパーフォートレス(超要塞)
1944年のアメリカ軍のサイパン占領後、サイパンの飛行場より日本本土に飛来し、焼夷弾による絨毯爆撃で日本の諸都市を焼き尽くして継戦能力を奪い、1945年8月に広島市と長崎市に原子爆弾を投下した機体

(引用部はここまでとする。上のウィキペディア[爆撃機]項目現行記載内容よりの原文引用部にても端的に記載されているように枢軸国のうち、ドイツへの爆撃(ドレスデン爆撃がことに有名)に対してはB-17が用いられ、大戦も末期に近付いてからの太平洋戦線での爆撃にはB-29が用いられていたということが知られている。従って、[B-29]とは[東京大空襲]や[原爆投下]などとの絡みで殊に有名な機体とも述べられる)

 以上、 The Sisters B-36『B-36の三姉妹』に見るB-36及びB-29についての説明のされよう([B-36]はある種エポックメイキングであったとの原子炉搭載試行機種を含むものであり、[B-29]は東京大空襲と原爆投下で有名な機種となっているとの説明のされよう)につき取り上げた。

 そのうえで書くが、(くどくも申し述べるところとして)、ここ本稿では米国文壇寵児にして現代アメリカ文学の代表的担い手とされていた(既述)のカート・ヴォネガットの小説『タイムクエイク』(1997年刊行)の中で

[2001年夏のやきはまぐりパーティ](現実世界で911の事件が起こった折たる2001年晩夏を想起させるような1997年小説の中で言及されているやきはまぐりパーティ)

への注意喚起がなされたうえで

[1991年2月17日(注:第一次湾岸戦争の勃発からちょうど一か月前の日付)から2001年2月13日までの出来事が「追体験」されるとの10年間のループ]

への言及がなされているとのことにつき[第一次湾岸戦争への再演](後に発生したイラク戦争の実現)との文脈で911の意識誘導がなされている可能性を問題視しており、それと関わるところで

B-36(原子力・原子炉と「特段に」結びつくボーイング社製の爆撃機)」
B-29(原爆投下と「特段に」結びつくボーイング社製の爆撃機)」

と関連する事柄らが問題となると訴求したいのである。

 すなわち、『タイムクエイク』内の作中小説で目立てさせしめられている際立っての数値使用規則から9(3+6=9)11(2+9=11)との数値規則が焙りだされてくるとのことを訴求したいのである。

 などと述べても、「無論にして」、

『話をつなげるために無理に数遊びをしているだけではないか。穿ちすぎfar-fetchedであるように見える』

と思われる向きもあるだろうから述べておくが、次のこと「をも」押さえておくべきであると述べたい ――作家ヴォネガットがどうして[奇怪な設定]をわざわざ採用したのか(ないしは採用させられたのか)よく考えてみるべきであると再強調しつつも、次のこと「をも」押さえておくべきであると述べたい―― 。

(直下、和文ウィキペディア[原子力飛行機]項目にての現行記載内容よりの部分的引用をなすとして)

ソ連も原子力飛行機を開発しており、改造Tu-95ターボプロップ戦略爆撃機に小型原子炉を搭載したTu-119で試験していた。Tu-119は、・・・(中略)・・・実際に飛行中に原子炉を稼働させ、1965年に初飛行したといわれている。一部情報によれば48時間連続して原子炉を稼働させることに成功したとされ、乗員は被曝せず生還できたというが、実際はその大半が数年のうちに亡くなったようである

(引用部はここまでとする)

 上もてお分かりだろうが、
『B-36の三姉妹』
などという作中小説が持ち出されている件につき[B-36]という爆撃機の一亜種[NB-36H](先述のようにある種エポックメイキングな[原子炉]搭載飛行機)と対応関係を観念させるとのソ連版の[原子炉]搭載飛行機がTu-「119」というものとなっているのである(ここで問題視しているのは119との数値である)。

(※[原子炉]を搭載したまま飛行するとの原子力飛行機というのは搭乗員らに被曝リスクを与え、また、それが撃沈・墜落した際に周囲に放射能リスクを与えるとのものであるため、開発されたものの袋小路を見て正式採用されなかったとされる存在となる ――原子炉を搭載するに留め、原子炉を[推進機構]とするにまで至らずに計画頓挫したとされる存在となる―― (につき先の段にあって和文ウィキペディア[原子力飛行機]項目の[遮蔽性能検証用の実験機NB-36Hが実際に試作され、模擬原子炉を搭載して通常動力による飛行試験も行われたが、データ収集のみに終わった]との記述を引きもしたところである。その点、以上の再度の引用部に記載されているNB-36Hにあって搭載の[模擬原子炉]とは推進機構ではないものの原子炉であることに変わりはないと解されるものとなる。英文Wikipedia[ Convair NB-36H ]項目にて The Convair NB-36H was a bomber that carried a nuclear reactor. It was also known as the "Crusader".[ . . . ] Unlike the planned Convair X-6, the three-megawatt air-cooled reactor in the NB-36H did not power any of the aircraft's systems, nor did it provide propulsion, but was placed on the NB-36H to measure the effectiveness of the shielding. ](訳として)「NB-36Hは原子炉を運んだとの爆撃機となる。同機は[クルセイダー(十字軍兵士)]との名前でも知られている。・・・(中略)・・・計画されていたX-6型機とは異なり、NB-36Hにての300メガワット冷却原子炉は飛行機の動力系をなんらなすものではなく、また、推進力をもたらすものでもなかったが、NB-36Hにて搭載のそちら原子炉は放射能防護性能を量るために据え置かれていたとのものとなる」と記載されているように、である))

 B-29とB-36、ソ連のTu-119の関係性にまつわる図を挙げておく。
それら爆撃機らは航空史にて取り立てて[原子力技術]との関わりあいが深いとの機種らとなっている(B-29は原子爆弾を投下した爆撃機となり、B-36(の中のNB-36H)およびそのソ連にての対応機体Tu-119は原子爆弾開発と共に世に現われた原子炉を搭載した史上初にして今日に至るまで再登場を見ていない ―原子炉を搭載して飛行をなすなど効率性と安全性の面で勘定に合わなかったために今日に至るまで再登場を見ていない― とのタイプの爆撃機らとなる ――尚、爆撃機にも実験的に搭載された原子炉についてだが、世界初の[原子炉]たる実験用原子炉シカゴ・パイル一号は[B-29]が日本に原爆を起こすことになったとの帰結をもたらした[マンハッタン計画]にて生まれ落ちたものであることがよく知られている ――英文Wikipedia[ Chicago Pile-1 ]項目にあってその冒頭部から Chicago Pile-1 (CP-1) was the world's first artificial nuclear reactor. The construction of CP-1 was part of the Manhattan Project, and was carried out by the Metallurgical Laboratory at the University of Chicago. ](訳として)「シカゴ・パイル一号は[世界初の「人工の」原子炉]となる(訳注:「人工の」原子炉とartificialとの語がわざわざもって付されているのは天然の原子炉、[ガボンの天然原子炉]といったかたちで[かつて自律的核分裂反応を呈していたと目されるウラン鉱床]のようなものが存在していることに起因しているところと思われる)。そちらシカゴ・パイル一号(CP-1)の建設挙動はマンハッタン計画の一翼をなすところのものとなっており、シカゴ大学にて実行されたものとなる」と表記されているとおりである―― )

 といったことがあるのを[偶然]と思われるだろうか?

 につき、小説『タイムクエイク』内作中小説たる、

『B-36の三姉妹』(こちら作中内小説『B-36の三姉妹』については既述のように[第三の原爆投下にまつわる「別の」作中小説](『笑いごとではない』と題されての別の作中内小説)が直前にて引き合いに出されており、それゆえ、(原爆投下をなした機種たる)[B-29]との結びつきが観念されるとのものとなり、また、「B-36の三姉妹に見るB-36が日本に原爆を投下した爆撃機と結びついているように見えるのは偶然の賜物以上のことではない」との言及がわざわざなされていることからしてかえって[B-29]と[原爆投下]への意識誘導が背景にあると解されるようになっている作品ともなる)

はそれがソ連版に切り替えられれば

The Sisters Tu-119Tu-119の三姉妹

となりうるものであるとのこと、そのことにつき筆者は[偶然]とは思っていない ――B-29(2+9=[11])とB-36(3+6=[9])まで加味しての悪質な「やらせ」挙動であると判断している―― (であるから、このような話に長々と筆を割いている)。

 尚、[偶然]ではなかった場合、カート・ヴォネガットという輩は([傀儡(くぐつ)]であろうとなんだろうと)[911の予言]をなしている輩に化けることになるといったことがある(さらにその点については続く段で煮詰める)。

 そういう輩が

[加速器のブラックホール生成挙動と関わると露骨に解されること]

を(場合によっては[911の事件で崩されたツインタワー]と結びついているように解されるとの塩梅の)他小説(『スラップスティック』)にて言及しており、また、

[人類育種の究極目的が「まるぽちひとつ」であった]

との[サイレンが題名に付されての小説](ザ・サイレンズ・オブ・タイタンこと『タイタンの妖女』)をものしていることをこの身は問題視しているのである。

 [29][36][119]という数値が並べられ、それらが[原子力と結びつくエポックメイキングな爆撃機の機体コード]としての共通性を伴うものとしてそこに現出していたらば、どうか。そこより[2+9=11]および[3+6=9]および[[11][9]]から911を意識するのは[行き過ぎ]になるだろうか。
「なるまい」。

 そう述べられるところの理由として第一に、

[原子力と結びつくエポックメイキングな爆撃機(B-29)が[マンハッタン計画]との帰結として[グラウンド・ゼロ]という言葉のそもそもの元となっている爆心地を広島・長崎に生み出したとのことがあり、といった史的経緯がある中で[グラウンド・ゼロ]という言葉が後に[ペンタゴンの広場]を指すもの、そして、[マンハッタンにてツインタワーが破壊された跡地]を指すものへと、すなわち、[911の舞台に対する呼称「でも」あるもの]とされていると指摘できるようになっている]

とのことがある ――(同じくものことについては本稿にての先の段にての出典(Source)紹介の部33-2と付した部にて紹介していたところの英文Wikipedia[ Ground Zero ]項目にあって(再度の引用をなすとして) The origins of the term ground zero began with the Manhattan Project and the bombing of Japan. The Strategic Bombing Survey of the atomic attacks, released in June 1946, used the term liberally, defining it as: "For convenience, the term 'ground zero' will be used to designate the point on the ground directly beneath the point of detonation, or 'air zero.](大要)「グランド・ゼロとの言葉の起源はマンハッタン計画、日本への原爆投下ポイントにある」 と記載されているところ、および、 The Pentagon, the headquarters of the U.S. Department of Defense in Arlington, Virginia, was thought of as the most likely target of a nuclear missile strike during the Cold War. The open space in the center is informally known as ground zero, and a snack bar located at the center of this plaza was nicknamed "Cafe Ground Zero".(大要)「ワシントン郊外のヴァージニアはアーリントンにあるペンタゴンは冷戦下、最も核の標的になりやすかったところとはなるが、その広場は非公式にはグラウンド・ゼロと呼ばれてきた(広場にある軽食堂はカフェ・グラウンド・ゼロとのニックネームが与えられていた)」と記載されているところともなる)―― 。

 表記の数値らから911のことを意識しても行き過ぎにならぬであろうと述べもする理由として第二に、である。カート・ヴォネガットの同じくもの『タイムクエィク』という作品 ――(1997年に出たヴォネガット晩年の作、『タイタンの妖女』(1959年)から40年近くを経ての作となるも、『タイタンの妖女』の影響を(『B-36の姉妹』ありようなどを通じて)受けているらしいとのことが窺われるとの作品)―― に関してはその他にも2001年の事件の事前言及と解せられる要素を帯びている、作中内日付け使用との観点で帯びていると判断できるようになっているとのこともある(続く出典(Source)紹介の部65(14)および出典(Source)紹介の部65(15)を参照のこと)。

 さて、さらに話を続けて、(上にてa.からd.と分割して示していることにあっての)c.と振ってのことに関する出典紹介をなすこととする。


| 出典(Source)紹介の部65(14) |

 ここ出典(Source)紹介の部65(14)にあっては

[c.カート・ヴォネガットの小説『タイムクエイク』では[2001年夏]にて実演の焼きはまぐりパーティに注意が向けられる中、その六か月前、2001年2月13日から1991年2月17日にかけての10年間の追体験を無理矢理なさしめるタイムクエイクが発生したなどとの粗筋設定が「どういう意図でなのか」採用されており、それが第一次湾岸戦争の再演(911に付随しての2003年のイラク戦争の敢行)のことを想起させる]

とのことの典拠を挙げることとする。

(直下、小説『タイムクエイク』(早川書房ハヤカワ文庫版、重版にして第2刷のもの)のp.9-p.10よりの原文引用をなすとして)

 タイムクエイク、つまり、時空連続体に発生したとつぜんの異常で、あらゆる人間とあらゆるものが、過去十年間にしたことを、よくもわるくも、そのままくりかえすかしかなくなる。
・・・(中略)・・・
 わたしはそのタイムクエイクで、一瞬にして、あらゆる人間とあらゆるものを、二〇〇一年二月十三日から一九九一年二月十七日へと逆もどりさせた。
・・・(中略)・・・
タイムクエイクが起きたあの瞬間へ帰りつくまで、だれもがロボットのように自分の過去の再演をつづけなくてはならない。老SF作家キルゴア・トラウトがいみじくもいったように――「ふたたび自由意志のスイッチがはいるまで、だれもが自分でこしらえた障害物競争のコースを走りつづけるしかなかった」
・・・(中略)・・・
 十年間のリプレイが終わり、彼を含めたあらゆる人間がとつぜん新しい行動を考え、ふたたび創造的になる必要にせまられたことに気づいた時、トラウトはこんな言葉を吐いた。「ああ、なんたることだ!いやほど経験を積んだこの老いぼれが、またまた自由意志相手にロシアン・ルーレットのゲームをせにゃならんのか」
 そう。このわたしも『タイムクエイク1』の登場人物であり、リプレイが終わって六カ月後、ふたたび自由意志のスイッチが入ってから六カ月後の二〇〇一年の夏、作家の保養施設<ザナドゥー>の近辺でひらかられた焼きはまぐり(クラムベイク)パーティー(砂浜に穴を掘り、石をしいて火を燃やし、魚介類、野菜などを焼いて食べる)にゲスト出演を果たすことになる。

(訳書よりの引用部はここまでとする)


※上の部については『タイムクエイク』邦訳文庫版p.23より先にての出典(Source)紹介の部65(13)で原文引用したとの部位、

「『タイムクエイク1』のなかで、キルゴア・トラウトは原子爆弾に関する短篇を書いた。タイムクエイクのために、彼はそれを二度書く羽目になった。思い出してほしいが、タイムクエイクのあとにつづいた十年間のリプレイで、彼とわたしは、そして、あなたも、ほかのあらゆる人間も、一九九一年二月十七日から二〇〇一年二月十三日までに自分がやったありとあらゆることを、もう一度くりかえさなければならなくなったのだ」

と同じくものことを述べている部となるが、そういう記述がくどくもなされ、粗筋として強調されている小説が『タイムクエイク』となっているのをここでは問題視しているとのこと、お含みいただきたい(また、『タイムクエイク』というのは現実に発表されている小説のタイトルであるのと同時に作中にて発生する時空間振動、タイムクエイクを描いた作中にて言及される小説『タイムクエイク1』と結びつけられているものでもある。要するに、ヴォネガットは『タイムクエイク』という名の小説のことが解説されているとの内容の小説を『タイムクエイク』という題にて出していると述べられるわけである))


 以上、引用したうえで書くが、第一次湾岸戦争(1991)がスタートを見たのは
(現行にての和文ウィキペディア[湾岸戦争]項目にての[戦争推移]の節、そこにての[砂漠の嵐]の部より引用するところとして)
1月17日に、多国籍軍はイラクへの爆撃(「砂漠の嵐」作戦 operation desert storm )を開始した。宣戦布告は行われなかった。この最初の攻撃はサウジアラビアから航空機およびミサイルによってイラク領内を直接たたく「左フック戦略」と呼ばれるもので、クウェート側に軍を集中させていたイラクは出鼻をくじかれ、急遽イラク領内の防衛を固めることとなった。巡航ミサイルが活躍し、アメリカ海軍は288基のUGM/RGM-109「トマホーク」巡航ミサイルを使用、アメリカ空軍はB-52から35基の AGM-86C CALCMを発射した。CNNは空襲の様子を実況生中継して世界に報道した (引用部はここまでとする)
との解説ありように見るように1991年1月17日、すなわち、
[1997年初出小説『タイムクエイク』の中に認められる[2001年夏の焼きハマグリパーティと関わるところの2001年2月13日からはじまって1991年に至るまでのリプレイをなさしめるタイムクエイク]の起算点[1991年2月17日]の丁度一ヶ月前]
であるというのが[史実]として語られるところである。

 対して、
[第二次湾岸戦争](2003)
とは
[2001年9月にあっての911の事件]
が契機となって、そう、
[1997年小説に見る[2001年夏]の焼きはまぐりパーティとの関係性が問題になるところの事件](時候の挨拶などに見るように日本では9月は[秋]とみられる折柄だが、米国では9月は[夏]の範疇に入られるとのこと、先述している ――英文Wikipedia[Summer]項目にあっての現行記載よりの原文引用を再度なせば; In the United States,summer is often fixed as the period from the solstice ( June 20 or 21,depending on the year ) to the fall equinox ( September 22 or 23,again depending on the year (訳として)「米国にて夏は夏至(6月20あるいは21日.年度に応じての異動あり)から秋分(9月22日または23日.同様に年度に応じての異動あり)の期間と特定される風がある」とされていることを先述している―― )
が契機となって

[[1991年1月17日]にスタートを見た湾岸戦争を2003年にあらためて再演した戦争]

であった ――911を起こしたとの設定が付されてのアルカイダを支援していると目されたイラク、[大量破壊兵器]を保持していると目されていた(と強調される)イラクに侵攻するとのかたちで再演なさしめたものであった―― (であるからこそ、[2001年夏から振り返られもしての1991年2月17日に起算点を持つ(丁度、湾岸戦争開戦日の一ヶ月後の日に起算点を持つ)ループ現象]を扱っているとの『タイムクエイク』という作品にあっての[911の事件との数値的接続性]が想起されることになる)。

出典(Source)紹介の部65(14)はここまでとする)


「さらに」に加えてさらにもの指し示しをなすとして(上にてa.からd.と分割して示していることにあっての)d.と振ってのことに関する出典紹介をなすこととする。


| 出典(Source)紹介の部65(15) |

 ここ出典(Source)紹介の部65(15)にあっては、

[d.小説『タイムクエイク』では上の日付側面と結びつくような形で9や11や12との数値を想起させる描写がなされている]

との典拠を挙げることとする。

(直下、多くの書店に並んでいる小説『タイムクエイク』(早川書房ハヤカワ文庫版、重版にして第2刷のもの)のp.11-p.12よりの原文引用を直下なす(一部先にての出典(Source)紹介の部65(13)にあっての原文引用部との[重複箇所]を含むところよりの原文引用を直下なす)として)

 そう。このわたしも『タイムクエイク1』の登場人物であり、リプレイが終わって六カ月後、ふたたび自由意志のスイッチが入ってから六カ月後の二〇〇一年の夏、作家の保養施設<ザナドゥー>の近辺でひらかられた焼きはまぐり(クラムベイク)パーティー(砂浜に穴を掘り、石をしいて火を燃やし、魚介類、野菜などを焼いて食べる)にゲスト出演を果たすことになる。
 キルゴア・トラウトを含めて、その本に登場する架空の人物たちといっしょに、わたしはそのパーティーに出席した。
・・・(中略)・・・
 いま、こうしてわたしの最後の本は、このまえがきだけを除いて完成した。きょうは一九九六年一一月一二日。たぶんあと九カ月ほどで、この本の発行日、印刷機という産道からの誕生日がやってくるだろう
・・・(中略)・・・
 わたしは二〇〇一年の焼きはまぐりパーティーまで自分が生きながらえるという前提で、この本を書いた。46章では、二〇一〇年になってもまだ自分が生きながらえていると想像した

(訳書よりの引用部はここまでとする) 

 上にては作家カート・ヴォネガットが「長編小説としては」自己の最後の作となった『タイムクエイク』(1997)という小説にあって、その作中、

「キルゴア・トラウトという作家 (『タイムクエイク』作中の[第三の原爆投下]を扱った小説たる『笑いごとではない』の作者にして『B-36の三姉妹』の作者たる架空の小説家) と一緒に[「2001年夏」の焼きはまぐりパーティ]に(作中にての登場人物とも等しき立ち位置で)自分自身が参加することを念頭にこの小説をものしている」

と述べているとの部ともなるが、「問題なのは、」そうした小説『タイムクエイク』にあって(上にて引用している部に見るように)

「11月12日に完成、多分、あと、9か月で発行を迎えるであろう」

などと記述されている([ this work has been accomplished on this day , 12th of[November→「11」], and will be published 「9」 months later. ]といった筋立てのことが小説Timequakeにては冒頭の目立つ部にあって記述されている)とのことである。

 につき、
[「2001年夏」のやきはまぐりパーティ]
に関しての言及がなされたうえで、次いで、「紙幅にして直後.」といったかたちで間を挟まずにそちら11月12日との脱稿日への言及がなされ、(どうしてそうも長期的に、かつ、きっかりと決まっているのか、と考えられるところとして)
「9か月後に本書発行とあいなろう」
などと記載されているところからして ――11月12日脱稿( 12th of November )、9ヶ月後刊行との式でのmonth(月次)表記における11月、9ヶ月の使用との意味で―― かの九一一の事件のことを想起させもするとの作品が『タイムクエイク』となっていると指摘したいのである(:それ単体で述べれば、『[頭の具合が相応の状況にある、ないし、確信犯的に煙幕の撒布を役割としているとの類ら由来の妄言]の類と見られようところか』と当然に見もするのだが、[他の事情]と複合顧慮して[そうでは済まぬであろう]と述べるのである)。

出典(Source)紹介の部65(15)はここまでとする)


 ここまできたところで申し述べるが、カート・ヴォネガット ――同ヴォネガット、本稿にての出典(Source)紹介の部64の段で述べているように米国文壇で最も影響力を持っていた作家、まさしくも[文壇の寵児]との呼称が相応しくも当てはまる作家となる―― は
『タイムクエイク』(1997)
という作品をもってして自身の[長編小説]分野の最終作と自ら号していた作家(物故者)ともなっている(:目立つところでは英文Wikipedia[ Kurt Vonnegut ]項目にて[ With the publication of his novel Timequake in 1997, Vonnegut announced his retirement from writing fiction. ](訳)「1997年にての彼の小説『タイムクエイク』の刊行をもってしてヴォネガットはフィクション分野よりの引退を表明した」と記載されているとおりである ――ちなみにヴォネガットの執筆業それ自体はその後もノン・フィクション、「非」長編分野にて単発的に続いていたとのこともあるのだが、本格的執筆・長編執筆とのことであれば、『タイムクエイク』がヴォネガットの打ち止めの作となる―― )。 そして、作家ヴォネガットは『タイムクエイク』という作品をして自身の作家人生の総決算、様々な要素の[ごった煮]として執筆したと述べていた作家「とも」なる(:目立つところでは英文Wikipedia[Timequake]項目にて(その冒頭部より引用するところとして) Timequake is a semi-autobiographical work by Kurt Vonnegut, Jr. published in 1997. Vonnegut described the novel as a "stew", in which he alternates between summarizing a novel he had been struggling with for a number of years, and waxing nostalgic about various events in his life. ](訳として)「小説『タイムクエイク』はカート・ヴォネガット・ジュニアによって1997年に刊行された半・自伝的作品となる。ヴォネガットは同作『タイムクエイク』をして[自身が何年にもわたり取り組んできた小説の要約]と[彼の人生にての諸種様々な出来事の懐古的言明]を行き来しての[ごった煮]的作品であると表していた]」と記載されているとおりである)。

 以上のことがここまで意図して典拠紹介してきたa.からd.のことらとあわさって

[『タイタンの妖女』と『タイムクエイク』の間の繋がり合い]

を判ずる材料となりもする。それにつき、「過去の作家としての歩みの集大成ともなっている」と作者自らが述べていたとの『タイムクエイク』、同作は「時空間の歪み」の如きことを主軸として扱った作品もとなり(目立つところでは英文Wikipedia[Timequake]項目にて the Timequake has thrust citizens of the year 2001 back in time to 1991 to repeat every action they undertook during that time「(小説『タイムクエイク』にあっては)[時間震動]が2001年の市民らをして1991年に遡ってその間、なしてきたすべての行為を無理矢理再演させしめることとなった」と表記されているところに関わるところである)、といった特性は(出典(Source)紹介の部65(4)にて先述のように)[時間等曲率漏斗]なるものを登場させながら、(扱いかたこそ違いこそあれ)、そちらもまた[時空間の歪み]に重きを置いているとの『タイタンの妖女』の特性を想起させるところともなる ――そも、ヴォネガットの小説は1959年に登場を見た『タイタンの妖女』以降、[トラルファマドール星人](Tralfamadore)なる作中存在のやりようとの絡みで一貫として[時間や空間の跳躍]を問題としている作品ばかりともなっており、『タイム・クエイク』は『ザ・サイレンズ・オブ・タイタン』以降のそういう作家の執筆来歴に見る伝統とでもいうべき流れを受け継いでいる作品となっている―― (一言表記すれば、「『タイムクエイク』は『タイタンの妖女』以降のやりようの影響を受けている」)。

 であるからこそ『タイタンの妖女』と『タイムクエイク』の繋がり合いが観念される。
 そして、それは、『タイタンの妖女』、ブラックホールに[問題となる式]で関わる(「であるからこそ問題になる」)と先述してきたところの同作が
[911の予見]
とも結びつくことに相通ずるとのことでもある。
 『タイムクエイク』(の中にあっての三姉妹の物語たる『B-36の姉妹』)には[911の予見作品]との要素が伴い(その厭な臭いについてはここに至るまで詳述してきたことである)、『タイタンの妖女』(三人一組の艶やかな三つの像を表題にしているとの時空間のねじれが重きをなしているとの小説)がそちら三姉妹の物語と関わっているように解されるとのことがある。またもって『タイタンの妖女』ではまったくもって意味意図不明なことに極めて目立って巻頭言から地球がM13ヘラクレス座に接近しているなどとのことが言及されるが、ヘラクレス(の第11功業)というのはここ本段に至るまでの段階でも[ブラックホールと相通ずるところがある奇っ怪なる911発生にまつわっての事前言及文物]に重きをもって関わる(と摘示してきた)ところの[要素]であり、またもって、同じくものヘラクレス(の第11功業)というのは  ――黄金の林檎を介して―― ブラックホール生成をなしうると近年考えられるようになった加速器実験にまつわっての命名規則にも関わる(と摘示してきた)ところの[要素]でもある。

 これにて実に長くもなったが、『タイタンの妖女』が軽んじられるものではないとした三つの理由についての指し示しに一区切りをつけることとする。

 すなわち、(以下、繰り返し表記なすとして)、


 第一
「異星人に推進された人類「育種」の究極目標が[くろぽち(・)ひとつよりなる親書の異星系への伝達の補助]であった」
という同作の粗筋にあって気がかりとなるところとして
[地球は[地球質量]から見てブラックホールに換算するとcm(センチメートル)単位のものにしかならない]
との言われようがなされている ――換言すれば、「地球をそうしたサイズに圧縮すればブラックホールができあがる」とされている―― とのことがある。

 第二
[小説『タイタンの妖女』で重視されている時間等曲率漏斗(なるもの)の終点が赤色巨星ベテルギウスであったと設定付けられている]
とのこともが[ブラックホール]との絡みで不気味に映るとのこと「も」またある。
 知識を有していないとの向きから見れば[気まぐれ]を超えての意味合いでは[『タイタンの妖女』に対するベテルギウス関連の設定の付与]の理由が「ない」とも思われるところであろうが、
[ベテルギウスの赤色巨星としての終焉が「小説『タイタンの妖女』刊行より後の日 ―時期的先後関係が重要となるところにての[後の日]― にて現実世界にて導き出された知見より」「近々の」ブラックホール化であるとの見方が(人類に災厄をもたらしかねない[ガンマ線バースト]との現象に関わるところとして)目立って問題視されるに至っている]
とのことがあり、また、と同時に、
[『タイタンの妖女』にてベテルギウスを終点としていると(何故なのか)設定付けられている[時間等曲率漏斗]というものが[くろぽち(・)ひとつよりなる親書を他星系に届けるための人類の育種]と当該フィクションの中で結びつけられている]
とのこと「も」があり、もって[相応の寓意性]を感じさせる、それがゆえ、[不気味に映る]とのことがある。
(:整理すれば、くろぽち(・)マークのみよりなる親書の伝達のための人類育種と[近々のブラックホール化を伴っての現象の発現可能性が(小説の刊行後にて)目立って問題視された天体](時間等曲率漏斗のゴールとしてのベテルギウスとが結びつけられていることにつき、(地球相当の質量をブラックホールに引き直すと[㎝メートル単位のブラックホール]が導出されるとの現代物理学にての指摘のされよう(先述)も加味して)、奇怪性が感じられると述べたいのである(お分かりだろうとは思うのだが、「『タイタンの妖女』刊行の折にはベテルギウスのブラックホール化が目立って問題視されるような事情(ガンマ線バーストという現象に関わる事情)が取り沙汰されていなかった ――時期的先後関係の問題も続いての段にて遺漏なくも解説試みる―― がゆえに奇怪である」とも述べているのである)。

 第三
「(上の第一、第二のことに加えて)カート・ヴォネガットの『タイタンの妖女』は同男由来の『タイムクエイク』(1997)という他小説と一緒くたに見た場合に[911の事件の前言をなしているが如く小説]に化けるようなものであるということ「も」ある」
とのことがある(その「911の事件の前言をなしているが如く小説に化ける」との側面が[偶然の賜物]ではないから「問題になる」と申し述べたきところとして、である)。


の三つの理由らについての指し示しに一区切りをつけることとする(三つ目の理由についてはa..からd.に分割しての指し示しをつい最前の段までなしてきた)。

 さて、続いては補説1と銘打っての部にあって、

[カート・ヴォネガットの問題となる複数作品ら ――直近言及の『タイタンの妖女』に至るまでの複数作品ら―― ]

に関していかなる指し示しをなしてきたのか、(多少、指し示しをなしてきた順とは順序たがえながらも)、箇条表記形式にてのまとめ・確認表記をなしておくこととする。

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直下、本稿冒頭部へのリンクを設けておく

(⇒冒頭頁へは下の部より)

[典拠紹介部第1頁 加速器実験に伴う欺瞞性から証示なせることについて]

 上掲なしているのは

【古典『神曲;地獄篇』にて文豪ダンテとダンテに師父と慕われる古代ローマ詩人ヴェルギリウス(の霊)が【地球の中枢】とイコールであると描写されての【地獄の中枢】に向かっていくさまを描きもしての図】

となりもする。

 ここで文学的嗜好など皆無といったまでに持ち合わせていないとの向きらにあっては『神曲;地獄篇』のことなどをいきなり引き合いに出されても

『お公家がかった好古家の世界の話だろう?』

などと思われるかもしれないが、まずもってそこより述べるところとして、現実的問題としてダンテ『神曲;地獄篇』が我々人間の世界 ―いかに空虚で吐き気を催させるような【紛いもの】だらけのものであろうともとにかくもってしての我々人間の世界― にあって

【古今最大級の著名度を誇る文学作品】

として世間にあって認知されていることになんら相違はない(※)。

(※編集・更改が頻繁になされるとの媒体性質がゆえに記述内容が有為転変としており、そちら記述が残置するものなのか請け合えないが、たとえばもってして現行、いや、筆者がダンプデータを押さえつつ把握する限り、ここ数年間ずっと、和文ウィキペディアには ―ダンテ『神曲』がいかに際立ったものであると評されているのかについて― 次のような記述がなされているところでもある ⇒(以下、和文ウィキペディア[神曲]項目にあっての[文学的評価]の節の記述よりの原文引用をなすとして)神曲』は、世界文学を代表する作品として評価は定着しており、西洋において最大級の賛辞を受けている「世界文学」を語る際にはほぼ筆頭の位置に置かれ、古典文学の最高傑作、ルネサンスの先蹤となる作品とも評されている特に英語圏では『神曲』の影響は極めて大きく、部分訳を含めれば百数十作にのぼる翻訳が行われ、膨大な数の研究書や批評紹介が発表されている(引用部はここまでとする))

19世紀英国の文人であった[ダンテ]・ガブリエル・ロセッティが描いた最愛のベアトリーチェの死に際会した折の文豪ダンテありよう描写図(のうちの一バージョンに強調のために多少動きを加えたもの)。上掲のような扮装の彫像がいくつも遺っているとの文豪ダンテ・アリギエーリの手になる『地獄篇』が同作それ自体の外側に確として存在している多層的関係性の中にて[異常なる先覚的表現と嗜虐的に結びついているから問題であると本稿にあっては指摘しもしている。

 ダンテ『神曲』に【異様とも言える数学(あるいは数値操作)上の工夫】が施されているとのことを指摘する向きは国外、のみならず、国内にもいるわけだが(たとえばもってして John Guzzardo Thomas Hartといった欧米圏のダンテ研究者らの分析結果を実にもって分かり易くも援用・解説・省察しているとの国内学究の向き ―このようなところで名指しされればご迷惑でもあろうと判じているため具体名は挙げない― のダンテ関連の論稿が存在しており、の中では、ダンテ『神曲』の異常なる円周率π等に対する拘(こだわ)りに非人間的なる側面、ある種の機械プログラム的なる側面が詳述されたりしている)、 数的側面への異様なる固執のみならずダンテ『神曲;地獄篇』には(今日的な観点で見た)ブラックホール近似物の描写がみとめられることもまた同様に示唆されるように言及されてきたことである(著名科学者らに起因する同じくものことにまつわっての評されようについても本稿本文の部にて引用なしているところである)。

 問題となるところのひとつとしてそうもしたダンテ『地獄篇』のブラックホール近似物にまつわる描写が他の著名古典、英国にて17世紀に成立したジョン・ミルトンの手になる叙事詩『失楽園』の描写とまさしくものブラックホール近似物にまつわるところで複合的に結びつくとのことがある(※)。

(※上にて引き合いに出したジョン・ミルトン『失楽園』について世間一般の人間は内容はおろか名前さえ知らぬとのことがあるかとは思う ―キリスト教圏でもない領域では「当該の作品はキリスト教文学の金字塔となっている」などと一口で言ってもミルトンの知名度についてのおもんぱかりがなされることを期待する方が無理があるか、ともとらえる― 。であるから、ダンテ『地獄篇』にまつわって付した注記と同様にミルトン『失楽園』の知名度についての記載を目立つところより引く、英文ウィキペディアより下に引いておくこととする。⇒(以下、英文Wikipeia[ John Milton ]項目にての現行にあっての記述を引用なすとして) Once Paradise Lost was published, Milton's stature as epic poet was immediately recognised. He cast a formidable shadow over English poetry in the 18th and 19th centuries; he was often judged equal or superior to all other English poets, including Shakespeare.(即時訳)「『失楽園』が刊行を見てより、(壮大な)叙事詩の紡ぎ手としてのミルトンの名声は即時に認容されることになり、同ミルトン(の詩)は18世紀から19世紀にあっての英文詩ありようにおそるべき隠然たる影響力をおよぼすことになった.ミルトンはしばしば「シェイクスピアを含む」他のいかなる英語による詩の紡ぎ手に比肩しえる、あるいは、優越しうると評価されてきた存在であった」)

 その点もってして双方、際立っての著名性を有しているとのDanteInferno『地獄篇』にあってもMilton Paradise Lost『失楽園』にあっても[地獄門の先にある領域][ルシファーに起因する災厄の領域]との部にてブラックホール近似物描写がみとめられるとのことがあるのである。

 以上申し述べた上で ―委細は本文に譲るとの式で― さらにもって指摘しておくが、極めて問題となるとのこととして、ブラックホール近似物描写セクションとの兼ね合いで問題となるとの『地獄篇』と『失楽園』の両古典の問題描写それ自体に

ヘラクレス12功業と結節する側面
人類に対するエデンにての誘惑(および宗教的ドグマなぞに見るところの原罪、オリジナル・シンの押しつけ)とルシファー(エデンの蛇に比定される存在)の暗躍の筋立てと結節する側面
古のトロイア崩壊伝承に通ずる側面

との側面らと多層的に接続している、そうもしたありようもが見てとれるとのこともが「ある」 (:そして、酸鼻を極める(としか言いようがない)こととして【ヘラクレス12功業と結節する側面】【人類に対するエデンにての誘惑と悪魔の暗躍の物語と結節する側面】【古のトロイア崩壊の伝承に通ずる側面】の上掲各側面が、(すべて本稿本論の部にて典拠を仔細に呈示しているところの【現実】の問題として)、【ブラックホール人為生成に通ずると近年目されるに至った加速器実験】【ブラックホール人為生成にまつわる予見的文物】の双方に多層的に接続しているとのことがまたもってありもし、それが「養殖種としての人間を皆殺しにする」との意思表示(がかってのもの)と結びついているとのことまでもが「ある」 ―※― )。

(※日本国内に比して比較的洗練された、程度の高い情報を発信する人間が僅少ながらも存在すると見る英語圏ですらどういうわけなのか、以上のことら、著名古典らの結節領域にてブラックホール近似物にまつわっての描写がみとめれるとのことらについて問題視・精査する人間がこの世界には「現行」まったく見受けられず、に関して筆者なぞは慨嘆・嘆息させられている(検索エンジンのクエリ(入力文)に応じての深耕の問題として筆者は同じくものことについて状況把握することになり慨嘆・嘆息させられもしているとのことがある ――なおもってして、「目立つところながらにあり、かつ、重要であると当然に受け取れるのにそのことを誰も指摘しない(しようとしない)」とのことにまつわって唐突となるところとして記載しておくが、兵法三十八計にあっては[勝戦計](彼我の戦力にあって圧倒的に有利な側が勝利を盤石ならしめるために講ずる計略とされるもの)として【瞞天過海(まんてんかかい)の計】なるものが存在している(著名な兵法三六計の一番目に挙げられる計略である)。 同【瞞天過海の計】とは勝勢濃厚なる勢力が弱者の勢力を一挙に叩き潰す前に戦いを理想的に終わらす(損失少なくもの勝ちを得る)ために相手方油断を誘う上で攻め手側攻勢機微にまつわる情報を小出しにしてそれを相手方に頻繁に見せつけもし、「また例の話(挙)の具現化か.至急対処とのかたちで重んずるには値しまい」とのいわばもってしての危機慣れのありようを相手にもたらすとのことが謀られるとされる。その意ではここで述べているようなこと、たとえば、DanteInferno『地獄篇』にあってもMilton Paradise Lost『失楽園』にあってもその双方共々に[地獄門の先にある領域][ルシファーに起因する災厄の領域]との側面にてブラックホール近似物の描写がみとめられるとのことに「通ずる」描写が大衆に消費される現代サブ・カルチャーなぞに隠喩的・間接的にみとめられだしているとのことまでは現況もある一体全体どこに発想の原点があるのかと受け取れるようなサブ・カルチャー(この世界の現状を鑑(かんが)みれば、白昼夢、【人間の人間による人間のための世界の幻想】を心地良いもの、だが、現状認識なすことを困難ならしめるような式で押し売りするようなサブ・カルチャー)なぞに近年より隠喩的・間接的に見受けられるようになっているとのことがあるとのこと「も」筆者は把握するところとなっている(衆を瞞着するが如きやりよう表出にまつわっての一般論としての話をなしているわけではあるが、につき、愚拙、この身の来したしに照らしあわせれば、である。『持ち出しに過ぎぬな』と思いつつも訴訟を提訴、2011年下半期には会社まで設立して(またもって小さきこととしてそちら会社連動ウェブサイトなどを立ち上げるなどして)微力ながら警鐘発せんとしてきたとの自身の独特な式でのひとつの訴求方式に近しきこと「をも」茶化す(低劣なるものに貶めている)が如くの【類似】の要素を帯びたサブ・カルチャー作品すらもが登場を見ているとのことを知った(ただし本稿品位を保つためにそちら【具体例】らについてはここでは言及しない))。 その点、相応の人間らは自分達が「危機慣れさせられている」ことを認識できずに現実的状況の指摘・訴求に接した際に「またあの【フィクション】の話だろう?」「【フィクション】に没入しすぎた誇大妄想狂の放言であろう?」なぞと相応の思考作用状況で即断する(可能性もあるかもしれない)とのことが万象あまねくも表出している(しうる)現実的状況に付帯するところとして観念されもするが([瞞天過海の計]奏功のありように近しいかと見る)、とにかくもってして、ここでの話は世に横溢するサブ・カルチャーなぞの荒唐無稽なる[設定]にまつわってのことではない、何の容赦もない現実的状況にまつわるものであると強くも断っておく―― )

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