典拠となるところの明示[143]――本稿にて摘示してきたような事柄らがそこに存在
しているとのことについて【意味上の特色】として何が問題となるのかについて

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本稿ここまでの段にあって摘示に努めてきた事柄ら ―極めて特異なる特色を帯びての事柄ら― の間にあって「恣意的にそうなるべくもされている」とのかたちで見受けられる意味上の繋がり合いについて

 直前頁末尾の段にあっては

「先の911の事件 ―(最前までその意味性が問題になるところとして[黙示録における審判の日(ドゥームズデイ)を命名由来としているドゥームズデイ・クロックとの接続性]について入念に指摘してきたとの事件)― に関しては[7]という数値との尋常一様ならざる結びつき「も」が見てとれる」

とのことについて[従前内容を振り返りなしながらもの指摘]を続けてなす、と申し述べたわけであるが、以下、にまつわっての表記の部に入ることとする。

(以降、[911とナンバー[77]が多重的に結びついている]とのことにまつわって先立ってi.からiii.と分かちて記述しもしたことをそのまま再呈示するとして)

i.まずもって、先の911の事件ではアメリカン航空「77」便( American Airlines Flight 77 )が[北緯38度53分西経「77」度03分](秒の単位は略)との座標に存在するペンタゴンに突入したとされているとのことがある(「77」便が西経「77」度に存する建物に特攻したとのことにもなる ――※目立つところでは英文Wikipedia[ September 11 attacks ]項目にあって A third plane, American Airlines Flight 77, was crashed into the Pentagon ( the headquarters of the United States Department of Defense ), leading to a partial collapse in its western side.「ハイジャックされた飛行機の三番目としてアメリカン航空第七七便は西部壁面に部分的倒壊をきたすとのかたちでペンタゴン(米国国防総省本庁)に衝突させられた」と記載されているところである―― )。

ii.次いで述べれば、西経「77」度との座標系に位置するペンタゴンに特攻させられたとのアメリカン航空「77」便( American Airlines Flight 77 )をはじめ、911で[特攻]をなした飛行機群はBoeingボーイング社 ―日本国内の類似分野の大企業、三菱重工の数倍もの売上高を誇る航空宇宙機器(民生・軍用双方の航空宇宙機器)分野の「超」大企業で欧州のAirbusエアバス社と世界の旅客機市場を(厳密なる経済学的定義に則っての[複占]状態にあって)二分する企業たるボーイング社― 製の旅客機と認知されているわけであるが、それら911での[特攻]に用いられたと認知されている旅客機らは、(ボーイング社が市場にあって寡占状態で君臨する米国のその分野の帝王のような会社であり、かつ、ボーイングの旅客機製品の機種シリーズ名がそちら方向で固定・限定されているために当然のようにそうもなっているととらえられるようなところであるのであるも)、すべて
[ 7X7 model ]
と呼称される、[7と7の間に機種に応じて別の数が挿入されるとの機種番号]が付されての機体らであったとのことがある ――具体的には西経77度に位置しているペンタゴンに[特攻]した77便にあっての機体は7X7モデルに属するBoeing[757]であったと認知されており、ツインタワー(ノウスタワー・サウスタワー)に[特攻]した機体らは双方共にBoeing[767]に属する機体と認知されているとのことがある(911の事件で[特攻]に用いられた機種らがすべてボーイング7X7シリーズとなっていたことの出典は直下、挙げるとして、ここにてはボーイングの7X7シリーズにつき世間一般でいかような解説がなされているのかの典拠を引いておく→(以下、英文Wikipedia[ Boeing Commercial Airplanes ]項目よりの引用をなすとして) For all models sold beginning with the Boeing 707 in 1957, Boeing's naming system for commercial airliners has taken the form of 7X7.1957年にてのボーイング707にはじまるところとして販売されてきたすべての機種につきボーイング社の商用旅客機全ての命名規則は[7X7]との形態を取っていた」―― 

(911で特攻に用いられた飛行機らが全て[7X7]シリーズであったことの出典表記は先の段に譲ってここでは繰り返さないこととする)

iii.ii.からiii.の段に移して指摘するところとして)

(本稿にての出典(Source)紹介の部101で[あまりにも基本的なこと]としてながら、説明講じているように)911の事件にてはワールド・トレード・センターで1WTCから7WTCの計7棟のビルが倒壊を見ている」

とのことがありもする。

 そして、さらに加えて、911の事件が[77]との数値とも親和性が強いとのことを指摘するとのここでの話と関わるところとして取り上げることとして、(従前既述内容とも一部重複するところとなりもするが)、次のようなこと「も」ありもする。

「本稿での先立っての補説4の部にての出典(Source)紹介の部106(3)に続く部で指摘していたところとして、[ワールド・トレード・センターで計[7棟]のビルが崩落した911の事件]は【11】(ナンバー・イレブン)とも際立って結びつく事件となっている、とのことが「ある」」

 まとめれば、およそ以下のようなかたちにて、である。

「【9プラス1プラス1】は【11】となる。
 そうした各桁足しあわせると【11】が浮かび上がってくるとの911の事件で崩されたツインタワー、同ツインタワーは遠望すると【11】との数を呈しているようにも見えるものであった。
 また、ツインタワーの階数は、―本稿にて度々呈示のアメリカ海洋大気庁による航空写真を元にしての図を再度呈示するまでもなく労せずに特定できようところとして― それぞれ「11」0階となっていた。 さて、110となれば、0の部を空値(Null値)と見た場合に【11】に変ずるとのものである。
 まずもってしての以上のことからして911の事件とは[【11】と結びつく素地ある日付]にあって[【11】と結びつく建物](外観および階数の両面で11と結びつく建物)が「攻撃」された事件であると述べられもするわけだが、のみならず、米国にあって[911番]というものが911の事件が起こる前から警察・消防・急患の一括しての車両呼びだし番号となっていたとのこと、そのこともが同じくものこととの絡みで意をなしてくるようなことがある(従前から各桁足しあわせると11になるとの911が(かの事件以後の[日付け]呼称としてではなくにも、の)米国の[緊急電話番号]となっていたとのことが意をなしてくるようなことがある)。 その点、日本版911番となっているのは[[ひゃくとおばん]こと【11】0番 ―ナンバー110は完成当時、世界最高層のビルとなりもしていたツインタワーの階数でもある― および緊急・消防呼び出しのための119番の各番号を合算したものであるわけだが([日本での110番と119番が合算されての役割]を果たすのが[警察・消防・急患の窓口を全て兼ねてのかねてよりのアメリカの911番]である)、 それら日本の緊急車輛呼びだし番号らも【11】と「同じくもの式で」結びつく(ことが問題になる)。 「11」0番についてはゼロの部分を存在しない数、空値と見れば、11となる(それは遠望すると11に見えていたありし日のツインタワー階数から11を導出するうえでの式ともなる.そして、またもってして「11」0番でかけつけてくる日本の警察呼びだし番号については(緊急の事態ではない場合のこととしては)[♯「911」0]番が電話相談窓口番号となっているとのこと「も」ある)。 他面、日本の消防・急患受け付けの[119番]については各桁足しあわせるとそこからして[11]が出てくるとの式のものであるとのことがある(これは911との日付の各桁を足すと11が出てくるのと同じ式である)。
 そういうことが世界中の緊急車輌呼びだし規則にて当てはまっているとのことがこの世界にはある(エストニア、ラトヴィア、ドイツ、ノルウェイ、トルコ、グアマテラ、ジャマイカ、ボリビアなど世界中の各国が消防ないし警察の呼びだし番号として110番を採用している ―アメリカのような911番方式を採用している国らもある一方で110番を採用している― とのこともウィキペディアの一覧表記の紹介として本稿の先の段で言及・解説している)。 であるから、[911と110との【11】を介しての連関]を「こじつけだ」と無条件に過小評価出来るものではないと申し述べる(ただし、911の事件の予見的言及なぞが多数なされている ―先述― といった馬鹿げたことが具現化して「いない」世界であったならば、そのようなことを問題視する必要はそもそもなかった、ダイヤル式電話にあってのダイヤルの人間工学的都合というやつで説明できるとの式で手仕舞いであったろうが)
 ここまで述べてきた[かの事件(911)と【11】とのつながりあい]から2001年にあってアメリカン航空「11」便がハイジャックされて92名が搭乗していた同便がツインタワーの片方たるノースタワーに突撃しているとのこと (上にてもその記述内容を引いているとの英文Wikipedia[ American Airlines Flight 11 ]項目にての冒頭部にて American Airlines Flight 11 was a domestic passenger flight which was hijacked by five al-Qaeda members on September 11, 2001, as part of the September 11 attacks. They deliberately crashed it into the North Tower of the World Trade Center in New York City, killing all 92 people aboard and an unknown number in the building's impact zone.と掲載されているとおりである) だに偶然であるとは無下に言い放てはしなかろうとの側面がある、実にもって残念だが、現実にある」

 揃い踏みでボーイング7X7シリーズに属する旅客機らが特攻に利用され、結果的に、突撃を受けたツインタワーを中心に7棟のビル群が連続倒壊したとのその事件が【11】と多重的に結びついているとの点について(ビル七棟の)[7]と【11】との数から何が述べられるか。セブン・イレブン、元々アメリカの氷販売事業者よりスタートした日本国内にあってもの大手コンビニエンス・ストアの名称ではないが、[乗算]の問題(かけ算の問題)から[特定の数77](すなわち、ボーイング7X7シリーズの機体が[特攻]に利用されての座標系にて西経「77」度に属するペンタゴンに突っ込んだとされるアメリカン航空「77」便についての側面でも問題となる[77]という数値またもってして911の後、同文にアルカイダによって企図されたとされる2005年7月7日のロンドンの連続爆破テロ、7/7とも略称されるかの事件のことを想起させる数値)が浮かび上がってくる(との想起がなせる)。

 以上、i.からiii.によって申し述べられるところをまとめれば、

[911の事件では揃い踏みでボーイング7X7シリーズに属する旅客機らが特攻に利用され、うち一機に関しては(機体コードではなく定期便の便数として[77]が振られていたとの)アメリカン航空「77」便として運用されていた機体となりもし、そちら(77便として当日運用されていたボーイング7X7シリーズの機体)が西経「77」度に位置する建物(ペンタゴン)に特攻した。
 また、911の事件は同じくものボーイング7X7シリーズに属する旅客機らがワールド・トレード・センターのツインタワーへ突入しもし、それが「結果的に」7棟のビルらが倒壊することになった契機となった事件であると知られている。に関しては事件ありようが[11]との数と多重的に結びついているとの指摘がなせるようになっている点によって(ビル七棟の)[7]と[11]との数が[乗算]の問題(かけ算の問題)から[数77]が浮かび上がってくるとの見方「も」なせるようになっている]

とのことになる。

 以上振り返っての部から何が述べたいのか、お分かりいただけているかとは思うのだが、

「「7づくめの」911の事件は「7づくめの」黙示録と結びつくようにとれる」 ([7つの頭を持つ赤い龍と7つの頭を持つ獣が偽預言者と共に台頭して、人類を破滅に導く]/[7つの金の燭台と結びつく7つの教会に当宛てられた文書としての体裁を持つ]/[7人の天使が7つのラッパを吹き鳴らし7つの封印が解かれる中で7つの鉢による災厄を(神の7つの霊の意向として)人界にもたらす]などという筋立てが(「宗教における妄言文書であろう」としか理性ある者には受け取られまいとの)『ヨハネの黙示録』にあっては具現化している.他面、911の事件ではボーイング7X7シリーズに属する機体らが特攻を敢行、うち一方ではアメリカン航空77便が西経77度に属するペンタゴンに突撃したとされるものであり、他方では([11]との結びつきが多重的に問題となる中で)7棟のビルが倒壊させられているとのことがある)

とのことの意味性を問いたいのである。

 それ単体で述べれば、
[宗教の徒輩の妄言 Religious Delusion
としか響かないだろう(とは思う)。

 だが、ここでの話は妄言・妄語の類で済まされるようなものではない(と「当然に」強調する)。

 第一。同じくもの側面が予見文物の具現化に伴っているとのことがある。
 データDataと文献的事実 Philological Truthに依拠しての話として、たとえば、
(本稿にての先立っての段、補説4の部にあっての出典(Source)紹介の部107から出典(Source)紹介の部107(2)を包摂する解説部にて論じ立てているように)
「[黙示録に見る筋書きのような世界終末を自作自演にて演出しようのインチキ宗教の如きものが暗躍している]とのストーリー展開を主筋とする[911の予見事物]となっている作品が存在する
とのことがあり(「構造的に中央に球形オブジェを配するツインタワーと結びつく要素があるビルが爆破されるとの筋立てを有している」「ツインタワーと結びつく側面を伴ったビル爆破と飛行機ハイジャックがリモートコントロール下にある人間の操作とのかたちで結びつけられている」といった詳説なしてきたところの事由より予見事物となっていると判じられもする日本国内漫画作品『ルパン三世 くたばれ!ノストラダムス』のことを指して述べている)、また、紙幅にしてそう遠くはない前の部にて原文引用なしながらも呈示してきたように著名作家アーサー・クラークの七〇年代特定作品 Rendezvous with Rama『宇宙のランデブー』にあっての
【社会運動(スペース・ガード構想と呼ばれるそれ)にまで発展した記述内容】
にあって
2077年との年次と9月11日との日付が目立って結びつけられている
といったこともがありもする。
 また、その他の作品として、同じくもの地球に対する隕石の衝突、次いでもってしての破滅的状況の招来とのテーマを掲げている作品としては『アルマゲドン』というハリウッド俳優ブルース・ウィルス主演の映画がありもし、同作は(本稿の補説4の部にて事細かに解説しているように)「複合的に」911の予見的事物となっているものである、そして、同映画タイトルに見る『アルマゲドン』とはまさしく聖書・黙示録における最終戦争 ―ドゥームズ・デイ(審判の日)に付随する最終戦争― のこと「でも」ある (ハルマゲドン・アーマゲドンとは元来、新約聖書・黙示録における最終戦争が行われる丘に付された名詞だが、転じて、同語が【最終戦争・終末的状況一般】を指すことになっているとの語の使用慣行が海外にもある ――といった黙示録の状況をタイトルに冠する映画『アルマゲドン』の予見的側面としては[1.スペース・シャトル・アトランティスの隕石到来による崩壊に続き序盤ニューヨークに隕石群が降り注ぎ、「911をダイアルしてくれ!」との悲痛な叫びがあげられる中、ツインタワーを含むマンハッタンのビル群が倒壊を見ていくとの描写がなされる]、[2.作中の地球救済のための隕石爆破のためのスペース・シャトルら(双子のように瓜二つの外観を呈する二機のスペース・シャトルら(フリーダムおよびインデペンデンス))の打ち上げミッションにまつわり「二度ほど」911を意識させる電光掲示版表示が出てくる]、[3.双子のスペース・シャトルらの隕石爆破シーンに際して(英語表現では)ナインおよびイレブンを含む言及がなされるとのありようが見てとれる]との各点について本稿の先だっての部で(具体的確認・検証方法の紹介を含めての)解説を加えている―― )
 かてて加えて(よりもって性質が悪いことに)、隕石による破局的災害を【2077年との年次と9月11日との日付を目立って結びつけるとの式】で Rendezvous with Rama『宇宙のランデブー』にあってもちだしている著名作家アーサー・クラークに関しては同作家由来の「他の」作品らにも複合的に見て911の予見的言及が浮かび上がってくる】との側面が伴っているそれはブラックホールとの接合性が問題になるところでもある)とのことがありもするのがこの世界である(にまつわっての解説に本稿で極めて多くの文字数を割いている)。

 ここでの話が妄言・妄語の類では済まされぬとのことに関して第二に、にである。本稿でほんのつい先立っての部にあって

[【黙示録のその日(ドゥームズ・デイ)の現出にまつわる時計】といった語感を伴った世界終末時計と911の事件が「多重的に」結びついていると述べられるようになって「しまっている」]

と摘示してきたが如くことが確としてあるとのこともある。

 そうもした不快な関係性、実にもって性質悪きことに相互に別個に成立しもしている(と確認を請いたい)との多重的関係性 ―それが911の事件が7(77や7X7)と異様に結びつくとのことと「全く別の側面から」成立しているものと指し示せるからこそ問題になるとの多重的関係性― に基づき、

[911の事件が7(77や7X7)と結びつく]

とのことそれ自体が【根深い故意】によるものであると明言するのである (死体がそこにある、そして、その死体が滅多刺しにされて失血死しているとの検死結果が出ているケースを考えていただきたい。ならば、そこには【故意】の問題、欧米法におけるラテン語言いまわしにおける犯罪的加害意思 Mens reaの側面があるとの殺人事件になろう、そういう話をしている(つもりである))。

 その点もってして、

「人間のなせる犯行ではありえることではない.どうしてそのようなことが「できる」(あるいは恣意性・故意性を薄くしてとらえれば「具現化している」)などというのか?おかしいだろう」

と【常識の世界の偽り】に救いを見出すような向きら、そう、不都合なことは一切合財、閑却・無視しながら常識の世界にその常識を固守して安住していれば、自身の安心立命が保証されていると思いたいとの人間ならば「率先して」そうもした異議を白々しくも呈してくることか、とは思う。
 そして、同じくもの伝にて

「人間がリモートコントロール下にある半・機械化存在ではないとおよそそのようなことは出来なかろう.我々は[そのようなこと]は「認めない」」

との否定の弁をもちだしてくるところか、とは思う。

 だが、本稿はスタンスとして
犯行の機序(作用原理)】
は問題視するものではない
(たとえば、【磁石が足下につけられた人形】が【テーブルの下からの磁石】で操られているとのたとえを持ち出したうえで、【人形足下に据え付けられた磁石】をアップサイドダウン、【本然的にニューロンの活動電位で電気的に作用している被操作個体の脳】の問題に置き換え、【テーブル下の人形を動かす磁石】【高度人工知能に管理させての脳波などと紐付けての三次元座標に狙いを定められる重力波投射メカニズム】に置き換え、【テーブル表面とテーブルクロスの下を分かつ盤面】【重力波のみが侵出可能ともされる多世界解釈における他世界間を分かつ壁】などと置き換えて見ての機序などはいくらでも普通に考えられるわけだが、ここではといった不分明・不明瞭なる話をなしているわけではない)
 代わってここで問題視していることは
現象
が現実にそこに「ある」、そう、
犯行それそのものが「存在」していることを示すもの
としてそこに「ある」とのことである

 誰が見てもそういうものであると容易に確認可能なる【現象】がそこに存在している場合においてその【現象】を無い、存在しないと看做すのは狂ったありよう(理由どうあれ正常まともではないとの状況)、しからずんば、(叙景的に表せば、そっぽを向いて口笛を吹く式の)正直ではないとの状況、不誠実性が問題になる局面のいずれかでしかない(不誠実性についてはその背景にある動機が臆病や保身であろうとなかろうとそんなことは問題にならない)。

 筆者は世界における人間はその伝では【質的狂人】ないし【不誠実なる者】の二者に大別できると判じているわけだが、極まってのところでははなから前者など度外視する以外にないと見もしており、であるから、本稿は後者に「黙過しては逃げ道はない.全処分が決まっているとするだけの材料がある」とのことを ―それもまた残酷なこととは思うのだが― 縷々諄々(るるじゅんじゅん)と「具体的論拠の山の呈示でもって」訴え、(行為の強制など絶対にできないのだが)責任シェアをなしての【適正なるミーム】(この場合の【ミーム】とは【危機的状況にまつわっての選りすぐりの情報の体系】を指してのものととらえてもらっていい)の望ましき流布・共有をはかるとの趣意の下に本稿をものしている。

(:[人間操作の機序]の問題を避けていることもまた不誠実だととらえる向きもいるかもしれない。 であるから述べておくが、 ―筆者としては「それがおそらくもってして的を射ているととらえられるから状況は最悪である」と受け取っているところなのだが― 本稿にての出典(Source)紹介の部87(2)出典(Source)紹介の部87(3)出典(Source)紹介の部87(4)で考えられる機序の問題についてかなり細かくも専門的な英文論稿・科学書から引用なしつつも、「一応」、触れるべきかととらえたことには触れもしている。いくら(未熟なる門外漢なりに)暇さえあればその方面での可能性「をも」日々煮詰めてきた、そう、自分の昔日の実に拙かった謬見・愚見を絶えず修正しながらも日々煮詰めてきたといえども所詮は断言できるような筋目のことではない、であるから、「本稿本論に対しての余事の部、そこでの傍論(にして暴論)もいいところだ」との位置づけを与えざるをえないと明示しながら、【考えられる人間操作の機序】の問題について ―海外のその方面の人間レベルでの技術的研究成果紹介論文を引用しながらも我々人間が欠点だらけの現代科学で考えられる範疇ではこうとしか言いようがないのではないかとの式で― 次のようなかたちでの不確実な話まではなしている次第でもありはする。
 → 
[非侵襲性(メスを用いないで作用する)とのブレイン・マシーン・インターフェースのようなものの作用を【複数世界;マルチバースを貫通する(とされる)重力波】のようなものを用いてあまねくもの人間一般(ロボット化人間)に及ぼしているとの力学が介在していうる]/[膨大な知的計算リソースを伴った機械知性(電力は縮退炉などを用いている可能性もある)の作用によって個々の人間に【神】や【案内役】や【宗教的主導者】(天使でもよいしクグツらがその他妄信する教祖でもいい)の幻覚・幻想を植え付け(幻聴幻視の類も脳をいじることで見せられるだろうし、大脳辺縁系周辺などをいじれれば、都度折々の人間の感情や苦楽、となれば、何かに対する畏敬の念や嫌悪の念をもが思うままにされる可能性がある)、のみならず、脳内物質の分泌をも操作しながらこの世界の人間(この世界の大部分の人間かもしれない)の意識的ないし「無」意識的な意味でのラジオ・コントロール・マシーン化を実現しているとの力学がありうる](現時点ではそれも悪辣なブラックユーモアをクグツを手繰って口にさせているのかと考えてもいるのであるも陰謀論者は【「未来形の」マイクロチップ投入による人間操作の企み】などを口にするわけだが、人間の大脳辺縁系などがこの世界、我々の手のとどく範囲にはないとの高度機械によって「器械的に」いじくられてきた、によって情動や対外意思表示などを「重度に」コントロールされてきた、また、[予言](などと呼ばれるもの)が具現化し諸所の愚行の発露してきたのはずっと昔からであると筆者などは考えるに至ってしまっている)
 とにかくも、といった話をも[人間操作の機序の問題]になんら触れないのもどうかと考えながら(憶測ながらも)なしているわけである ――繰り返しておくが、そうもしたハウ・ダニット(どうやって[犯行]を実現しているのか)の問題は「後述するところの」ホワイ・ダニット(何故、[犯行]を実現しているのか)の問題と同文にどこまでいっても模糊としているところがある.だが、ひとつ述べられることは[犯行がそこにて実現化している]との事実は[恣意によってしか成り立ちえない被害の態様]が具現化しているために揺るぎようがないと述べられてしまう、そのことが問題になるのは変わりはないとのことである―― )

 以上のことを念頭に「何故、」ここでの話のようなものを敢えてもなしているのか、慮(おもんぱか)りいただきたいものではある(※)。

(※「何故、」普通人が常識では否定しようとの領分に【現象】に基づいて踏み込んでいるのか・踏み込む必要があるのか、属人的主観など問題にならぬところの堅い典拠らを(指し示し事項に1対1のものとして)挙げながら踏み込んでいるのか・踏み込む必要があるのかとのことについて特に強く慮りいただきたいものである(そうもしたことをなしている理由は直上の段も含めて既に何度となく申し述べているところではある)。
 尚、[敵側に同輩を率先して売るのを是とするような輩の如き唾棄すべき類](ないしは[敵側のために情報操作におのれ自身を犠牲にしての遮二無二の式でいそしむとの完全に薬籠中の意思といったものが無き類]や[悪意はないが、種に対する道義心・公共心の問題を理解する[知能]さえないとの向き])ならば、同じくもの領域の話について
[おちゃらけた神秘主義的漫談・宗教的漫談の類]
にて[奇怪な事態]を馬鹿噺に貶めるようなことをやることか、とは判じる(「神の意思によって911の事件が起こったのだ」であるとか「大いなる宇宙精神(あるいはそれに反する邪なる精神)が911の事件を引き起こしたのだ」などと論拠を挙げずに見るに堪えぬ神秘主義漫談を展開するか、挙げてもまったくもって正しくはない論拠を挙げて痴愚者陰謀論をごり押しするとの式で(自我があったとしてもの)人間の屑らが同じくものことをやることかと判じる ――実際、日本のインターネット上はそういった類に由来する馬鹿噺に[占有]されている節があり、ために、本稿では差異化のために小閑を偸(ぬす)んで、(本来ならば他のところに時間を割くべきであるのかもしれないにもかかわらず)膨大な出典を必要十分なだけ、挙げ連ねるとの途を取ることとしている―― )。
 だから、(もし心ある人間、そう、種族の未来を(我々全員を皆殺しにすると執拗に予告している節がある)[向こう側]に売り渡すことを断じて是としない人間が本稿を読んでいた場合を想定して述べるが)、そういう言論土壌汚染の類を見かけたらば、そして、そういう類が馬鹿噺を展開するうえで本稿にて呈示のような論拠を(後付け、でであろうが)劣化しながらも流用していたらば、そうした者達がどういう存在なのかよくよく[悟性]にてご判断いただきたいものである )

(頻繁に脇に逸れてのことわりの表記を外挿してしまっている中でながらもここでの[意味的なる分析]をさらに続けるとして)

 また、911の事件についてはその他の意味でも宗教的体系と接合しているとのことがある。

 例えば、911の事件によって崩されたツインタワーのシンボルは

[(911の事件にて崩されたツインタワーの間に据え置かれていた)黄金のスフィアを爆破するとの筋立て]

が露骨にも現出している「1999年」初出の映画(『ファイト・クラブ』)にての

[フリーメーソン・シンボル画(トレーシング・ボード上の図像など)との「露骨な」結節点]

から

[ソロモン神殿の柱ら]
[ヘラクレスが打ち立てた柱ら]

と結びついているとのことが申し述べられるようになっている(とのこと、補説4と振ってのセクションの後半部にあって詳述に詳述を重ねてきた)。

(再掲図として)
 上掲図左側フリーメーソンにてのメンフィス儀礼( Rite of Memphis-Misraim )の構築者とのことである Jacques Etienne Marconis de Negreという19世紀のメーソンがものした著作としてオンライン上にPDF版(1849年刊行フランス語書籍としてのPDF版)が現行流通している著作、 Le Sanctuaire de Memphisにての120ページおよび121ページの間にて掲載されている図像よりの抜粋となる ―同図中央部には仏語にて Colonne Jakinおよび Colonne Boazと振られてのヤキンとボアズの柱が見てとれる― 。
 上掲図右側映画『ファイト・クラブ』の特定部の流れ(流通DVDにあっての再生時間1時間45分44秒から45秒に具現化するシーン)を描き取っての図の再掲をなしたもの ―[ツインタワー]敷設の現実世界にて911が起こるまでそこにあったオブジェたるザ・スフィアの露骨なるイミテーションが爆破されて、ボウリング・ボールのように転がり、チェス盤状の床の場に突入していくとの特定部の流れを描き取っての図の再掲をなしたもの― となる。
 お分かりのことか、とは思うが、両者の間「にも」柱とツインタワーの結びつきに関わる相似形が見出せる ―フリー・メーソンなぞの「インサイダーから見ると映画『ファイト・クラブ』が異なった見方で見えるとの「一例」たりうる― 。
 のようなかたちにて「も」([小階段]らを同じくもの式で描くフリーメーソンに多用されるトレーシング・ボードなどの他の例も本稿の先だっての段で挙げているわけであるが、ここでの一例摘示なしたようなかたちにて「も」)【ツインタワーとの結節点】が観念されるヤキンとボアズの柱についてはフリーメーソンの間にて重要視され続けてきた特定著作( Morals and Dogma of the Ancient and Accepted Scottish Rite of Freemasonry『古代より連綿と続く認証されしフリーメーソンのスコットランド位階の徳義と教義』)の中にて
【ヘラクレスの柱】
に仮託されているとのもの「でも」ある(補説4の部の長大な解説を参照のこと)。

 さて、ツインタワーがメーソンにおけるソロモン神殿の柱のシンボル、ジェイキンとボアズの柱、そして、ヘラクレスが打ち立てた柱と結びついているというのは無論、筆者の独創などではなく、海外でも一部の向きらが指摘していることなのだが(本稿ではそうも述べられもしていて当然であろうとの予見映画における予見描写のありかたを事細かく図示しながら呈示している ―詳しくは長大なものとなっている本稿補説4にての出典(Source)紹介の部105の内容を検討されたい― )、 911の事件で崩れ落ちたツインタワーズは

[ソロモン神殿の柱]
[ヘラクレスの柱]

と結びつくのみならず見様見方によっては

[旧約聖書に登場した士師サムソンの崩した柱]

ともまた結びつくべくもして結びつくようになっていると解されるものとなっている。

 何故か。

 伝承伝播の問題としてサムソンがヘラクレスと記号論的に結びつくと歴年指摘されてきたとの背景があり、その結びつきにはサムソンの二本の柱(の倒壊)の伝承ヘラクレスの二本の柱の伝承も含まれているなどと「される」からである(下に一部、同じくもの点に通ずるところの記載を引いておく)。

(直下、英文Wikipedia[Samson]項目よりの引用をなすとして)

Samson bears many similar traits to the Greek Herakles (and the Roman Hercules adaptation), inspired himself partially from the mesopotamian Enkidu tale: Herakles and Samson both battled a Lion bare handed (Lion of Nemea feat), Herakles and Samson both had a favorite primitive blunt weapon (a club for the first, an ass's jaw for the latter), they were both betrayed by a woman which led them to their ultimate fate (Herakles by Dejanira, while Samson by Delilah). Both heroes, champion of their respective people, die by their own hand: Herakles ends his life on a pyre while Samson makes the Philistine temple collapse upon himself and his enemies. These views are disputed by traditional and conservative biblical scholars who consider Samson to be a literal historical figure and thus reject any connections to mythological heroes.

(拙訳として)
「サムソンは[メソポタミアのエンキドゥの物語に影響を受けている(と解される)ギリシャの英雄ヘラクレス(およびローマ版ハーキュリーズ)]に対して数多くの共通の特性を有している。ヘラクレスとサムソンは両者共々、ライオンと素手にて格闘しており(ヘラクレスのネメアの獅子にまつわる功業)、ヘラクレスもサムソンも両者共々、原始的な鈍器を好みの武器として使っており(前者ヘラクレスは棍棒を、後者サムソンはロバの顎の骨を好みの武器としていた)、両者共々、自身の運命がそれにて決したとのかたちで女に裏切られている(ヘラクレスにおけるデイラネイアによるそれ、サムソンにおけるデリラによる裏切り)。両英雄共々、各々の属する人間集団のチャンピオンといった立ち位置にあり、終局的には自死を選んでいる、すなわち、ヘラクレスは焚き火にて(毒に苦しむ)自らを処分なし、サムソンは彼の敵であったペリシテ人の神殿を身を挺して諸共崩壊させるとのことをなしている。こうした視点は長らくもサムソンがありのままの歴史的存在であると考えてきた伝統的かつ保守的なる聖書学者らには異議を唱えられているとのものとはなり、神話上の英雄らのいかなるつながりあいもが否定されもしている」

(訳を付しての引用部はここまでとする ―※― )

(※サムソン・ヘラクレス類似性問題については

・ヘラクレスとサムソンの間に両者共々が[二柱の柱の神話]と結びつくこと(ヘラクレスの場合は[ヘラクレスが第10功業にて打ち立てたジブラルタル海峡の表象物ともなっているヘラクレスの柱ら]、サムソンについては[ペルシテ人に捕らえられた折に自らを犠牲にして崩したダゴン神殿の二柱の柱]が問題になるとの見立てもある)
・ヘラクレス・サムソン両者共々が[獣の捕縛の説話]と関わっていること(ヘラクレスは第3功業にて[ケリュネイアの鹿]、第4功業にて[エリュマントスの猪]、第7功業にて[クレーテーの牡牛]、第8功業にて[ディオメーデスの人食い馬]、第10功業にて[ゲーリュオーンの紅い牛]、第12功業にて[ケルベロス]と獣の捕獲捕縛をやたらと言いわたされて実行しているが、サムソンについても300匹のジャッカルを捕縛したとの逸話が伝わっている)

などを問題視する向きもある。

 さらには同じくものヘラクレスとサムソンの一致性問題については両者伝承に太陽の運行にまつわる比喩が込められているのではないか?とのことを問題視する学究らが ―彼らの神話の共通性を問題視しながら― 今より百数十年前よりいたとのこともあり、については前世紀初頭に世に出た書籍にして現行、 Project Gutenbergのサイトにて全文公開されている Bible Myths and their Parallels in other Religions『聖書にての神話、そして、他の宗教にみとめられるその類似物らについて』との書籍(の1910年刊行版)の CHAPTER VIII. SAMSON AND HIS EXPLOITSの部からしてかなり細やかな記述がなされている(:同じくもの古書に見る記述(古賢の観点)はそれをして Strained Interpretations[不自然なこじつげまかしき解釈]であろうと見る向きもあるだろうとの記述とはなるが(実際に Bible Myths and their Parallels in other Religionsという著作ではヒンドゥーの神格クリシュナとキリストの対比部記述にあって[クリシュナは処女懐胎の救世主である]と伝わっているなどと不正確な見解が目立って挙げられているとのことがあり、同書物、 unreliable source[信の置けぬ出典]との側面もある)、問題は、」サムソンとヘラクレスの類似性・一致性問題が相当程度、[息が長いもの]として識者らに取り沙汰されてきたものであること、そして、そうもとられるだけの材料があるとのことそれ自体であると筆者は受け取っている))

 以上のようにヘラクレスとの類似性が指摘される(ただし頭の固い聖書主義者はそれを一向に偶然以上のものと認めないともされる)とのサムソンについては最終的に女の裏切りに遭って目を抉られ、そして、とらわれの身となった挙げ句、(サムソンが士師として主導していたイスラエルの民にとっての天敵であった)ペリシテ人をその神殿諸共、多く道連れに果てた、柱を崩して」果てたと聖書にて記載されている存在である。以下に引用するとおりの式にて、である。

(直下、和文ウィキペディア[サムソン]項目にての現行記載内容よりの引用をなすとして)

 サムソンは長じた後、あるペリシテ人の女性を妻に望み、彼女の住むティムナに向かった。その途上、主の霊がサムソンに降り、目の前に現れたライオンを子山羊を裂くように裂いた。ティムナの女との宴席で、サムソンはペリシテ人たちに謎かけをし、衣を賭けた。ペリシテ人は女から答えを聞きだし、サムソンに答えた。サムソンは主の霊が下ってアシュケロンで30人のペリシテ人を殺害してその衣を奪い、謎を解いたペリシテ人たちに渡した。 ・・・(中略)・・・ ペリシテ人は陣をしいてサムソンの引渡しを求め、ユダヤ人はこれに応じた。ペリシテ人はサムソンを縛り上げて連行したが、途中で主の霊が降ると縄が切れて縄目が落ち、サムソンはろばのあご骨をふるってペリシテ人1000人を打ち殺した。サムソンは二十年間、士師としてイスラエルを裁いた。その後、サムソンはソレクの谷に住むデリラという女性を愛するようになったため、ペリシテ人はデリラを利用してサムソンの力の秘密を探ろうとした。サムソンはなかなか秘密を教えなかったが、とうとう頭にかみそりをあててはいけないという秘密を話してしまう。デリラの密告によってサムソンは頭をそられて力を失い、ペリシテ人の手に落ちた。彼は目をえぐり出されてガザの牢で粉をひかされるようになった。 ペリシテ人は集まって神ダゴンに感謝し、サムソンを引き出して見世物にしていた。しかしサムソンは神に祈って力を取り戻し、つながれていた二本の柱を倒して建物を倒壊させ、多くのペリシテ人を道連れにして死んだ。このとき道連れにしたペリシテ人はそれまでサムソンが殺した人数よりも多かったという。

(引用部はここまでとする)

(直下、オンライン上にてPDF版が無償配布されている日本聖書協会一九五四年版『旧約聖書』にての士師記第一六章第二五節から第三〇節よりの引用をなすとして)

彼らは獄屋からサムソンを呼び出して、彼らの前に戯れ事(ざれごと)をさせた。彼らがサムソンを柱のあいだに立たせると、サムソンは自分の手をひいている若者に言った、「わたしの手を放して、この家をささえている柱をさぐらせ、それに寄りかからせてください」。その家には男女が満ち、ペリシテびとの君たちも皆そこにいた。また屋根の上には三千人ばかりの男女がいて、サムソンの戯れ事をするのを見ていた。サムソンは主に呼ばわって言った、「ああ、主なる神よ、どうぞ、わたしを覚えてください。ああ、神よ、どうぞもう一度、わたしを強くして、わたしの二つの目の一つのためにでもペリシテびとにあだを報いさせてください」。そしてサムソンは、その家をささえている二つの半柱の一つを右の手に、一つを左の手にかかえて、身をそれに寄せ、「わたしはペリシテびとと共に死のう」と言って、力をこめて身をかがめると、家はその中にいた君たちと、すべての民の上に倒れた。こうしてサムソンが死ぬときに殺したものは、生きているときに殺したものよりも多かった

(引用部はここまでとする)

 上にて呈示のように

[ヘラクレスとその事績のパラレリズム(一致性)が問題視されてきたサムソンという存在は柱を崩して、数千人の異教徒を巻き添えにしながら自死した存在である]

と伝わっているわけではあるが、先にてのナイン・ワン・ワンの事件では[ヘラクレスの柱][ソロモンの柱]に仮託されるようなものが倒壊を見ており(何故、ツインタワーが[ソロモン神殿の柱]と同義同一に見られると述べられるのか、また、ソロモン神殿の柱が何故、ヘラクレスの柱と結びつくのか、については本稿の先行する段でのフリーメーソン書籍やフリーメーソン象徴主義にまつわる解説部を参照されたい)、そして、ナイン・ワン・ワンの事件では二つの柱・双子の塔の倒壊の結果、数千人の人間が無惨にも殺された後、イスラム教過激派(とされる勢力)に対する掃討作戦が開始された。

 ゆえに、
[柱倒壊による数千人の犠牲と宗教上の諍い]
という観点でナイン・ワン・ワンの事件と(ヘラクレスとの絡みで問題となる)[サムソン伝承]とのアナロジー(類似性)が観念されるとのことにもなるわけである(尚、サムソンは目を抉られ盲目となっていたわけではあるも、フリーメーソンにもその入団段階から目隠しをされてから[光を与えられる]儀式がビルトインされていることは本稿の先行する段で細かくも解説してきたところである)。

 かくの如しでナイン・ワン・ワンの事件とは諸種の宗教・団体のドグマを反映した意味性と共にあるとのことがある、そう、ここ本段にて(繰り返しを含むかたちにて)なしてきた話との絡みで述べれば、

[新約聖書の黙示録に通ずる寓意が込められていると解される](先にてのドゥームズ・デイ・クロックの話である)
[旧約聖書のサムソンにまつわる寓意が込められていると解される]
[フリーメーソン・シンボリズムを介して[ヘラクレスの柱]及び[ソロモン神殿のヤキンとボアズの柱]の寓意と結びつくだけの視覚的描写がワールド・トレード・センターには伴っていた](それはヘラクレスの柱の寓意とサムソンの寓意の結節点でも問題になりうることではある)

といった複合的要素を伴うかたちとなっているとのことがある。

 そのような対象であればこそ、911の事件に

[意味が多くそこに収束しての巧妙なる寓意が込められているととらえる]

ことに「より一層」無理がないことになっていると述べられるようになっていると[意味上の分析]をなしてのこの場で指摘しておく ――(従前内容を振り返りもし述べれば、【911の事件とソロモン神殿の柱にまつわる結節点】などについてはそれが【「露骨なる」事件の発生の前言文物】(言ってみれば、前言文物など存在していること自体が奇怪でならないとのものでありはする)に認められるものでもあるため、殊に問題になるとの判断の下、本稿の補説4の段にてその意味性についてこれ専一に膨大な文字数を割いて解説なしていたとのことともなる)―― 。

 その点、ミステリー小説 ―筆者は『犠牲者が殺されていて、その点について多く人間的感情が欠落しての謎解きばかりにスポットライトがあてられがちである、そういう一種の共感性欠如の不謹慎パズルのようなものばかりだろうが.』との好かぬとのジャンルではあるもののミステリー小説― にまつわる言葉として、

[見立て殺人](例えば、特定の童謡に基づいて人を殺していくなどの何かに「見立て」なしての殺人をおこなうこと)

との概念があるのだが、かの911の事件の[その他の事柄らとの尋常一様ならざる結節点](普通、人間であれば、余程の異常者でない限り、多くのことらとの意味論的結節点を自己の犯す殺人行為にまぶすことなどしはしないだろうと判じられる中での多くのことらとの結節点でもいい)から察するに、かの事件は
[見立て(大量)殺人]
をなし、そのうえで、「さらに別の何らかの意志・意図がある」ことを示す事件であったと判じられるようになっている ――[人間「一般」の命など芥子粒(けしつぶ)程度にも思っていない者達が身内同士でなにがしかのことを確認し合う]とのことを専らに念頭に置いてのものであったのか、あるいは、傾向強くも[(同文に)人命など羽毛より軽いとでも見ているような人殺しの類が犠牲者を嬲(なぶ)って愉しむ(ないしは歌会で歌の巧拙でも競うように薬籠中の人間を殺していく)]といった側面が色濃くもあったのか、ここでは見立て殺人の背後にある心性それ自体のことは問題視していない―― 。

 たかだかもってしての【サムソンとヘラクレスの共通性問題】のようなところからしてそうしたことが自然ジネンとして述べられるようになって「しまっている」(疑わしきにおかれてはまずもって911の事件とヘラクレスの12功業がいかように多重的に関わっていると摘示できるようになっているのか、長大な本稿を見直してのうえでの確認を是非とも求めたい次第ではある)...、そうもしたものが先のナイン・ワン・ワンであったということをここでは ―【意味的な繋がりあい】と【恣意性】との兼ね合いで― 強くも訴求したいのである。

(【意味上の繋がり合いにまつわっての分析】の段に一区切りをつける前にさらに申し述べておくべきかと判じたことについて記しておく)

 ここまで論じてきたこと、【意味にまつわるこだわり】がいかに執拗かつ多重的に具現化させしめられてきたのかとのことについて[念には念を入れての指摘]をもう一押しとしてなしておくこととする。

 とっかかりとして下の絵画をご覧いただきたい。

 呈示の絵画は19世紀の仏人画家である Pierre Auguste Cotピエール・オーギュスト・コットという画家の手になる絵画( Girl with Basket of Oranges and Lemonsといった呼称が与えられている絵画)となるのだが、同絵画、額面上は
【レモンおよびオレンジを入れた籠を手にした女性を描いた画】
としか普通の人間には見られないであろうとのものである。
 だが、ある程度、神話知識を有しているとの向きが注意着目しながら見れば、同絵画、本稿ここまでの段にて問題視してきた【黄金の林檎】にまつわる寓意を含んでいるとの解釈がなせる画ともなる(異なる視点が生じる要件条件は1.「ある程度、神話知識を有しているとの向きが」2.「注意しながら眺めた場合に」との1.及び2.になり、それら条件が満たされる場合にのみ絵に隠れた意味が込められている可能性があると理解できるかたちとなっている)

 それにつきまずもって述べるが、【黄金の林檎】は元来、【オレンジ】(要するに画に見る女性が籠に入れられたそれを手に持っているとの果実)と同一視されもするようなものであるとのことが一部の神話通には知られている(先に英文Wikipedia[ Golden apple ]項目より In many languages, the orange is referred to as a "golden apple". For example, the Greek χρυσομηλιά, and Latin pomum aurantium both literally describe oranges as "golden apples". Other languages, like German, Finnish, Hebrew, and Russian, have more complex etymologies for the word "orange" that can be traced back to the same idea.との記述を引用した通りである)
 次いで、述べるが、【黄金の林檎】にまつわるギリシャ神話上のエピソードにはアタランテ伝承というものがあり、そちら伝承では【黄金の林檎】でもってしてパートナーと結ばれることになったアタランテという名の乙女が女神の聖域でところかまわずのラブ・アフェアーを演じたために黄金の林檎が契機で結ばれることになったパートナーと共に二匹の獅子に変じさせられるに至ったと伝わっている、欧米の著名古典(オウィディウス『変身物語』)にあって伝わっているとのことがある(これまた基本的なところより引用するが、和文ウィキペディア[アタランテー]項目程度のものからして(以下、引用なすとして)アタランテーの名声が高くなったため、求婚者たちが押し寄せた。そこでアタランテーは、結婚の条件として、求婚者が彼女自身との競走に勝つこととし、競争に負けた者は殺されるとした.ガイウス・ユリウス・ヒュギーヌス『ギリシャ神話集』によれば、まず男を先にスタートさせ、武装したアタランテーが追い抜いた時点で男は射殺されたという.アタランテーは生きている人間のうちで最も足が速かったため、多くの若者が命を落とした.変身物語』の語るところによれば、アムピダマースの子で求婚者のひとりヒッポメネース(『ビブリオテーケー』はメラニオーンに作る)は、アプロディーテーに祈りをささげて守護を求めた.アプロディーテーはこれに応じて、ヒッポメネースに3個の黄金の林檎を贈った.競争のとき、アタランテーが俊足を飛ばして追い抜こうとするたびにヒッポメネースは後ろに林檎を投げた.アタランテーがこれに気をとられ、リンゴを拾っている間にヒッポメネースが先にゴールした・・・(中略)・・・結婚した二人のその後はほとんど語られないが、『変身物語』では、二人がキュベレーの神域で性行為を行なったため、怒ったキュベレー神によりライオンに姿を変えられたとする(引用部はここまでとする)と表記されているだけのことがある)
 そして、上掲の絵にはこれ見よがしに、
[二匹の獅子の頭を彫り込まれての石柱]
が描かれている。
 それがゆえに、そう、【黄金の林檎と同一視される果実(オレンジ)】【(黄金の林檎で結ばれた恋人達の変じさせられたとされる)獅子二匹】があわせて描かれているとのことで表記の絵はオレンジおよびレモン入りの籠を手にした女性を描いている画から【黄金の林檎】の寓意を隠喩的に含んでいるとも「解される」画へと化けもするのだ。

 さて、そうもした話は、だが、解釈「論」を出はしない。偶然の可能性が排除しきれない、(彼が操れていようとなかろうと)画家が意図的にそうもした寓意を込めた(あるいは込めさせられた)との可能性以外にたまたまそうもなったとの可能性が排除しきれない。

 そうもした偶然の可能性が排除しきれない解釈「論」】とそれとは隔たるところ、恣意性が明確化しきっている関係性を明確に分かつ材料は

・関係性の多重性 (複数の関係性が成り立っており、それらが別方向からでありながらも相互に繋がり合っているとのことが「ある」といったかたちでの多重性)
・関係性にあって【ある種の巧妙さ】が露骨に具現化しているとのありよう (明らかに自然でこのようなものは具現化しはしなかろうとの堂の入った【人工物】としてのありようが目立つとの側面)

の二点となると述べても過言ではなかろう(おかしなことは述べていないであろう?)。

 そして、人間の歴史にあっては【エデンの園での堕落】や【黄金の林檎による破滅】に通じもする寓意が

巧妙さを伴って、かつ、反対話法がかっての式でもってして確として組み込まれている

との関係性がよくも具現化しているとのことが「ある」、そこら中に見受けられるとのものとして具現化しているとのことが「ある」
 のみならず、それら具現化している関係性にあって[最終的決着法が今まで騙してきた人間存在を皆殺しにすることである]とのことを隠喩的・間接的に明示し茶化すが如く[悪意]を蔵していることが透けて見えるとのことが往々にしてありもする

 以上のことに通ずる、宗教体系に見る終末観(ドゥームズ・デイ)を介しもして通ずるとの[具体的「例示」]を最前の段まで事細かになしてきたわけだが(勘違いしないでいただきたくはないが、ただしもって、直上の[オレンジの籠を持った女の絵画にまつわっての話]はそうした[具体丁例示]にはあたらない、そう、―まどろっこしかったかとは思いながらも― 【見るべき関係性】と【世人を瞞着する(騙す)ような根拠薄き話】の区別・分水嶺を明確化するために引き合いに出した話にすぎぬ、いわばもの[話の枕]と解してもらっても構わないとのものである、 同じくもの[具体的「例示」]にまつわって、たとえば、さらに次のような振り返っての表記をなしておくこととする。


以下、長くもなりもしての従前本稿摘示事項の振り返り表記部とする

 本稿先立っての段では[次のこと]らを指摘していた。

・近代になって再発見され、ノアの洪水との似通った内容より物議を醸すことになったとのギルガメシュ叙事詩に内包される洪水伝承「以外」にも
【バビロンに淵源を持つ(とされる)洪水伝承】
 ―ギルガメシュ叙事詩のように近代になって再発見されるとはかたちではなくにもの連綿とそれを伝えた古文献が今日に受け継がれてきたとの式で― 昔から伝存しているとのことがある。
 その【バビロン由来の洪水伝承】とは
【[クロヌス神](と記録に表記されての神格)が夢見にてバビロンの王に洪水の到来を警告、その王が方舟を建造して旧文明を破壊しきった洪水をやりぬけたとの伝承】
として ―(ギリシャ語を解し話したとされるバビロン神官(ベロッソスという人物)の遺物とされるものを経由しもして)初期キリスト教著述家(エウセビオス)らを介して― 今日に伝わっているとのものとなる。
 そして、その特定のバビロン由来の洪水伝承が
【432000年】
との極めてユニークな時間単位 ―いいだろうか.(強意のために平仮名で表記するとして)【よんじゅうさんまんにせん年】との際立って特異なる時間的スケール― と結びつけられている ―世界が洪水にて終焉を迎えるまでの王権統治年代が432000年になっていたと伝わっている― とのことがある(のが問題になる)。

【432000年】との極めてユニークな時間単位と結びつけられての【世界の(一端もってしての)終末】に対する観点はまるで暗号か何かのようにバビロンの洪水伝承以外に別の宗教・別の伝承体系にも組み込まれている(と指摘されている)ものである。
 インドのカリ・ユガ ―循環する時間区分の中の最後の段階(現時現代がそれに含まれているとされる時間サイクル)とインド哲学体系にてされるもの― の周期が432000年とされているとのことがそうである。また、(こちらは年度との単位系が外れての話とはなるが)北欧神話における最終決戦ラグナロクにまつわるエッダ叙事詩の中にあって分解されての数値規則が432000に通ずるものとして見受けられるとのことがあるとの指摘もなされている。

・以上のことらはアメリカの著名な神話学者ジョセフ・キャンベル(物故者)がおそらくもってして最初に指摘したことである(本稿前半部にあってジョセフ・キャンベルの手になる Occidental Mythology『西洋の神話』、その Chapter 9 EUROPE RESURGENTより I have discussed this interesting figure in Oriental Mythology, where it appeared that in the Germanic deity Odin's warrior hall there were 540 doors through each of which 800 warriors fared to the "war with the Wolf" at the end of the cosmic eon. 540 × 800 = 432,000, which is the sum of years ascribed, also, in India to the cosmic eon. The earliest appearance of this number in such an association, however, was in the writings of the Babylonian priest Berossos, c. 280 B.C., where it was declared that between the legendary date of the "descent of kingship" to the cities of Sumer and the date of the mythical deluge, ten kings reigned for 432,000 years. (拙訳として)「わたしはオリエント(中近東)の神話にあってのこの興味深い数(432系統の数)について[ゲルマンの神オーディンの戦士達のホールにて悠久の宇宙の終末にあっての狼(注記:フェンリル・ウルフという北欧神話の怪物)との戦いに際して(戦士)800人づつが540の扉に控えるものとして存在している」との式でそれが現われているとのところについて議論したばかりだ。(オーディンの戦士のホールに見る)540(の扉)×800(人)=432000とのこととなり、それはインドにあって悠久の宇宙に対する年数合算で出てくる単位でもある(訳注:お分かりか、とは思うが、ここではカリ・ユガのことを指しての表記がなされている)。そうもした関係性にあってのこの数の最も初期の具現化は、しかしながら、紀元前280年に生きたバビロニア領域の神官ベロッソス由来の書物にみとめられるところとなり、(そこでは)伝説上のシュメール都市群に対する始祖王権の頃から神話上の洪水に至るまで10人の王が統治なしたとされる432000年とされている」(訳を付しての引用部はここまでとする)との記述を引いたとおりである).

・本稿では著名神話学者として知られていたジョセフ・キャンベルらに指摘されている、
【432000年にまつわる終末観にあってのアナロジー(類似性)】
の問題から一歩進んでのことを指摘せんと努めてきた。
 にまつわっては【432000年】とのサイクルと結びつけられているインドのカリ・ユガが
【時間のサイクルを司る悪魔カリ】
を語源としているとされているにとどまらず、
【黒・死・時間と結びつく破壊の女神カーリー】
「とも」語感として結びつく風があり(ただカリ・ユガが女神カーリーと結びつくとの観点は通常容れられていない)、 そうもしたカリ・ユガと女神カーリーのありうべき結びつき ―そうもした結びつきは明示的に語られるような筋目のことではないとオンライン上の情報流通態様から判じられもするとの語感上の結びつき― が【バビロンの洪水伝承を夢見で警告したとされるクロノス神】が【時間の神】とされていることにも通ずるとのことが意をなしてくるとのことを指摘しもした(:【語源の問題として[時間]と結びつく女神カーリー】と【時間と結びつくクロヌス】が【432000年の破滅の周期】にまつわって巧妙に相通ずるようになっている)。
 次いで、
【(バビロン王の夢見に警告なしたと伝わる)ギリシャのクロヌス神】
が転じもして、
【ローマ神話体系にあってのサターン神】
と結びつくこと、そして、そのサターン神ありようが【キリスト教の終末観】や【フリーメーソン象徴主義】と「できすぎたかたちで」結びついていることまでを本稿従前の段では指摘せんと努めてきた(:[「多重的」関係性の堂の入りよう]から【恣意の問題】が当然に観念されるとのことを訴求するために、である)。

 上の図は Project Gutenbergのサイトにて全文公開されているとの20世紀初頭に世に出た著作 Myths of the Norsemen From the Eddas and Sagas(1909)にて掲載されている[北欧神話にて終末に解き放たれるとされる狼の怪物Fenrir(フェンリル・ウルフ)がグレイプニルという魔法の紐で(終末の刻まで)縛れるさまを描いた画]である。さて、決定論的世界観が極めて色濃くも見受けられる ―たとえば、滑稽なことに神自身が自分の遠未来の死に様を「克明に」自己言及するとの詩が伝存を見たりしている― との北欧神話にあって[(図に見る)フェンリル・ウルフ ―北欧神話にあって主催神たるオーディンを呑み込んで殺すとされる狼― との終末の最終決戦]に関わるナンバーが432000であるとのことを指摘している ―正確には540の扉から800人の戦士が立ち現れ、総計が432000となるとのことを指摘している― のがその著作より引用をなしたとの神話学の大家ジョセフ・キャンベルであるが(:同ジョセフ・キャンベルの指摘に間違いはない.たとえば、本稿筆者が内容検証した『エッダ―古代北欧歌謡集』(新潮社刊)にあって(そのp.257[ギュルヴィたぶらかし]の収録部よりの引用をなすとして)すると、ハールが答えた。「なぜ、ヴァルハラにはいくつ扉があるか、どれくらいの大きさの扉かとたずねないのかな。もし、それをきいたら、誰でも好き勝手に出入りできなければ不思議だというに違いない。そして、中に入るより、中で席をとる方が楽だということは事実どおりといっておかなくてはなるまい。グリームニルの歌にこう歌われている。/ヴァルハラには五百と四十の扉があらん/狼との戦に赴くとき/八百人の戦士 一つ扉より/一度に打って出るなり(グリームニルの歌(二三))(引用部はここまでとする)と表記されているとおりである)、 そこに見る、
[終末局面と結びつく432000とのユニーク・ナンバー]
と[洪水伝承]絡みで関わるクロノスのありようについてはよりもって問題となるところが「ある」。

 以上のことを部分的に振り返っての指摘 ―本当にそうであるのか(批判的視座にてでも)是非とも検証いただきたいところとして我々全員の生き死にに関わるところの指摘― をここではなすこととする。


まずもってしての図解部として

 つい先立っての段では【終末に至る期間】にまつわる伝承に見る数値規則として

[カリ・ユガに見る数値規則とバビロニア洪水説話に見る数値規則(432000とのユニーク・ナンバーが[年]との単位系を同一にして登場してくるとの数値規則)に際立っての一致性がみとめられること]

に注意を向けもした。そちら注意喚起なしたことに関わることを訴求すべくも下の図らを挙げる。

 図は[ローマの神格サトルナスSaturnus](英語表記サターンSaturn])および[時の神クロノスChronosとが結びつけられていることを強調し、そして、彼ら[サトルナス]および[クロノス]

[死と時間の象徴]([作物の収穫と命の刈り取りと結びつく鎌][砂時計])

と往々にして結びつけられていることを示すためのものとなる。

 まずもってして上掲図にあっての[上の段]にて挙げている図らの出所と概要の紹介をなすこととするが、それら図らは左右とも英文Wikipediaの[Saturn (mythology)]項目 ―[サターン(神話)]項目― に現行もって記載されているとのものとなり、左側(の図)の方が
16世紀頃に製作された(とのことである)ローマの豊穣の神サトルナスを描いたものとして(当該の英文ウィキペディア項目にあって)紹介されている版画
となり、対して、右側(の図)の方が
[18世紀から19世紀に活動したロシア人画家である Ivan Akimovとの人物の手になる1802年製作の Saturn Cutting off Cupid’s Wings with a Scythe『キューピッドの羽を鎌で刈り取るサターン神』との題の画]
となる。
 以上、上の段の図葉らでもってからして[ローマのサターン(サトルナス)神]が[羽が生えた鎌持つ老人]との似姿で描かれることはよくお分かりいただけることか、とは思うが Saturn Cutting off Cupid’s Wings with a Scytheとの画題でまさにそうした似姿のサトルナスを描く絵画が存在している)、そうもしたサターンの似姿、[羽が生えた鎌持つ老人]は
[時の翁 Father Time
との名で欧米圏にて認知されている[[時間]の体現存在の似姿]そのものの似姿「でも」ある。
 そのことを示すために挙げもしたのが上掲図にあっての下の段の図である。そちら図の出所も同文に目につくところとしての英文Wikipedia[ Father Time ]項目([時の翁]項目)に掲載されての図、
ワシントンD.C.にての議会図書館(ライブラリ・オブ・コングレス;日本の国会図書館の米国版で世界最大の図書館)の存するジェファーソン・ビルディングに敷設のジョン・フラナガンという19世紀美術家の手になる[時計]に供されての像
となる(:表記の[時の翁]の米国議会図書館敷設の時計に見る像については英文Wikipedia[ Father Time ]項目で、 Father Time is the anthropomorphized depiction of time. [ . . . ] Father Time is usually depicted as an elderly bearded man, dressed in a robe and carrying a scythe and an hourglass or other timekeeping device (which represents time's constant one-way movement, and more generally and abstractly, entropy). This image derives from several sources, including the Grim Reaper and Cronus, the Greek Titan of human time, reaping and calendars, or The Lord of Time.(訳として)「時の翁(ファーザー・タイム)は時の擬人化存在である。時の翁は通例、ローブをまとい、鎌と砂時計、そして、あるいはもの他の時間計測用具(時間が一方向的なものであること、より包括的・抽象的な式ではエントロピー(の増大)それそのものを示すもの)を手に持った姿で描かれる。この[時の翁]の似姿ありようはいくつかの材源、グリム・リーパー(死神)]および[人間の時間を司る大いなるギリシャのタイタンであるクロノス]、[刈り取りと暦]、言うならば、[時の君主との材に由来するものである」との説明にてはじまる同Wikipedia[ Father Time ]項目にあって Detail of Father Time in the Rotunda Clock (1896) by John Flanagan, Library of Congress Thomas Jefferson Building, Washington, D.C.と紹介されているものでもある)
 上掲図の一目もってしての検討で瞭然としたかたちでお分かりいただけることかとは思うが、時の体現存在、[[命と時間を刈り取る鎌]と[砂時計]を手に持っている時の翁(ファーザー・タイム)]が[ローマのサターン]の描画形態そのものの格好をまさしくも呈している(とのことがある)。


 直上図解部をもってして

[[ローマの神サターン](サトルナス)と[時の体現存在](ギリシャの時の神クロノスとほぼ同じくもの存在)の接合]

がいかように堅い話なのか、ご理解いただけたか、とは思う。

 では、何故、そうしたことをくだくだと解説なしたのか

「この世界の[結末の付け方]にまつわっての意志表示(と解されるもの)にも同文のことが関わっている節がある」

とのことがある(と判じざるをえない)からである。

 そのことは下の[A].および[B].と振っての解説を順々に検討いただければ理解なしていただけるであろう。

 フリーメーソンの外部の人間、しかも、非事情通にはおよそ識られているようなことではないが(本稿筆者もフリーメーソンの外部の人間だが、色々と思うところがあって彼らのことを精査していくなかで事情には多少、詳しくもなった[つもり]ではある)、彼らフリーメーソンには[命を刈り取る鎌][砂時計][髑髏]を彼らの[瞑想の根本]と結びつけるカルチャーがある確として根深くもある

 フリーメーソンにあっての

[沈思熟考の部屋](英語表記は Chamber of Reflectionとなる)

とのかたちで【イニシエーション】の局面なども込みで利用されている空間、そして、彼らの位階シンボルは

命を刈り取る鎌][砂時計][髑髏

と濃密に結びつけられているとのことがあるからである(:無慈悲なる刈り取り手たる[グリム・リーパー;死神][時の翁][サトルナス]の象徴そのものとメーソンの象徴体系は結びつけられている ――フリーメーソンが[瞑想の部屋]や[位階シンボル]にいかように[命を刈り取る鎌][砂時計][髑髏]を用いているかは、そう、皮相的な解説から深いところの解説まで Chamber of Reflection Weeping Virginといったキーワードで検索なして表示されてくる英語媒体などを参照することでよく理解いただけることか、とは思う (:ただし、[相応の者達ら](質的に狂っているか頭の具合が過度によろしくはないかのどちらかであるとのことらをそれらばかりが目立つように撒布している(似非)神秘主義者や同文にシステムが好むような情報操作個体ら)の手仕事として[賢き向き・真摯誠実を求む向きには軽侮反応しかきたさぬように調整されている節ある煙幕]ばかりしか出てこない日本語のオンライン上情報(正確には情報未満のジャンクら)は度外視してそうも述べる)―― )

 さて、フリーメーソンにはサタン崇拝(サトルナスことサターン崇拝ではなく[悪魔の王]たるサタンの崇拝)の陰謀「論」 Conspiracy Theoryがつきまとっている(頭の具合もよろしくはない、人間的気風もよろしくはないとの陰謀論者の言辞ばかりが目立つがゆえに[陰謀「論」がつきまとっている]とここでは表している)。 
 本稿の後の段で詳説することになるが、フリーメーソン自身は

「自分達の神は[グレート・アーキテクト・オブ・ユニバース]( Great Architect of UniverseことGAOTOU)であってサタンでもなければ、ルシファーでもない」

と強弁し、彼ら自身、―自己欺瞞の問題もあってか― そうした論法を信じきっている節もあるのだが、ここではきと述べ、フリーメーソンの枢要な象徴がそれ絡みの象徴「とも」なっているとのローマの神サターン(サトルナス)は現実に悪魔の王サタンと結びつく、純・記号論的に次の観点(i.からiv.と分けても呈示していく観点)から悪魔の王サタンと結びつく存在であるとのことが「ある」 (勘違いいただきたくはないのだが、ここでは「フリーメーソンは悪魔崇拝団体である」などとの陰謀論を鼓吹・主張したいの「ではない」。「問題は、」質的・記号論的にそうも表せられるようになっているとのことであり、そして、そうしたかたちで人間操作がなされているところの背景・背面にある意図が奈辺にあるかとのことである)。

(以下、何故、サトルナスが悪魔の王のサタンと結びつくのかの理由を順々に挙げていくとして)

i.ローマのサトルナスに対する英語呼称サターンSaturnと悪魔の王の英語呼称サタンは綴り・響きの面から近しいところがある(読み手たる貴殿が[サターン](日本にてはテレビゲーム産業のやりようとしてゲーム機の名前にも用いられているサトルナスによって象徴されてきた天体、[土星]の呼称でもある)および[サタン]との名詞を耳にしてそれらが響きとして近くはないというのならば、そうとらえればいいが、とにかくも両者の[響き]が近しいと述べることになんら無理はない)。

ii.[冬至]の折、現代社会にてはキリスト降誕祭、要するに、クリスマスと呼称される行事が執り行われているその[冬至]の折にてローマ時代、[サトルナリアSaturnalia]との祭りが催されていたとのことが知られている(については和文ウィキペディア[サートゥルナーリア祭]項目や英文Wikipedia[Saturnalia]項目程度のものでもかなり込み入っての解説がなされているところとなる ――ちなみにサートゥルナーリア祭では主従転倒、大量の奴隷に支えられての社会構造となっていたローマにて主人が奴隷に礼儀を尽くすとの慣行が見られたとされるが、それはフリーメーソンの理念と一般的に鼓吹されていもするもの、[自由]・[平等]・[友愛]に相通ずる慣行でもあると言えなくもなかろう―― )。
 ここで臆面もなく言及するが、何故なのか、著名な複数絵画を接合させて見ることで
冬至にて祝祭が実施されるキリスト降誕](サトルナリア祭が行われていた[冬至]にてクリスマスと呼ばれる祝祭行事が今日実施されているとのキリスト降誕

黙示録の悪魔の王(七つの頭を持つ赤い竜)のにじりより
の構図がそのままにオーバーラップするようになっている
とのことが「ある」 ――本稿を公開しているサイトの一(現行、どういうわけなのか、「極めて」表示されにくくもなっており、また、さして閲覧されている節もないとのサイト)でも細かくも解説しているが、具体的には美術史にあって著名なる15世紀の画家である Filippo Lippi(フィリッポ・リッピ)の Adoration in the Forestとの画題の絵画(現行、「英文の」Wikipediaにあっては同絵画のためだけの一項目が設けられているとのかなり有名な絵画)に見る構図彼なくして欧州美術史は語れないといったほどに著名なる15世紀末から16世紀初頭にかけての版画芸術の巨匠アルブレヒト・デューラーの手になる版画[黙示録]シリーズの一葉を重ね合わせることで[キリスト誕生を祝う聖母マリアの構図][黙示録にて悪魔の王がにじりよってくる構図]がオーバーラップするようになっているとのことが「ある」(下の段に、にまつわっての図解も付しておくこととする)―― 。

 そうもして
[赤い竜との形態をとる悪魔の王のにじみより]
と視覚的に歴史的絵画の中で対応するように「させられている」(解説図は下に挙げるが、とにかくも、そうも「させられている」)とのキリスト降誕の折、降誕際たるクリスマス ――赤い竜との描写が聖書・黙示録にてなされている[サタン]のアナグラム(綴り入れ替えことば)としても成立している[サンタ]なる存在が来訪するなどとの[設定]が付されての行事でもある―― は本来的には異教の祭、
[サターン神に捧げるものとしてのサトルナリア祭]
のキリスト教サイドによる習合・踏襲がなされて今日にあって実施されているものであると広くも指摘されているものとなっている。

(:例えば、本稿執筆時現行時点では和文ウィキペディア[サートゥルナーリア祭]項目にての[クリスマスとの関係]の節にて次のような記載がなされているところとなる→(以下、引用なすとして)紀元1世紀ごろの初期のキリスト教徒がイエス・キリストの誕生日を知っていたという歴史的証拠はない。実際、当時のユダヤ人の法律や慣習では、誕生日は全く記録されなかったと見られている。 World Book Encyclopedia(第3巻、p416)によれば、初期のキリスト教徒は誕生日を祝う習慣は異教徒のものだと見なしていた。実際イエスが自分の生涯について何らかの記念に類することを命じたのは、死に際してのことだけだった(ルカによる福音書、22:19)。クリスマスに類する祝祭が初めて記録に見られるようになるのは、イエス・キリストの死後数百年後のことである。…(中略)…この祝祭には現代のクリスマスと同様に贈り物をしたりご馳走を食べる習慣があった(引用部はここまでとする)。また、同じくもの極めて基本的かつ目につくところとして英文Wikipedia[Saturnalia]項目にての[ Influence on Christmas ]の節には次のような記載がなされているところとなる→(以下、引用なすとして) A number of scholars, including historian David Stephens from the University of Central Florida and Professor Parker-Ducharme from Tulane University, view aspects of the Saturnalia festival as the origin of some later Christmas customs, particularly the practice of gift giving, which was suppressed by the Catholic Church during the Middle Ages.] (訳として)「セントラルフロリダ大の歴史家 David Stephensおよびトゥレイン大の Parker-Ducharmeを含めての一群の学者らがサトルナリア祭が後のクリスマスの習俗の起源となっている、殊に中世の間、カトリック教会に抑圧されていたところの贈り物の授受の実施といった点でクリスマス習俗の起源となっていると見ている」
 表記の如しで「キリスト教の降誕際(クリスマス)のひとつの淵源はサターン神の祝祭であるサトルナリアにあり」とも指摘されている) 。

iii.上のii.の点に加えて、である。キリスト降誕祭としての[冬至]にて実施されるクリスマスがサートゥルナーリア祭と同じくもローマ時代に執り行われていた[ミトラ教]の祭儀よりの習合・踏襲がなされてのものであるとの指摘もがなされていることもあり、そのことがまたサターン(サトルナス)という存在が悪魔の王サタンと結びつくことと関係していると述べられるだけの事由がある。どういうことかと述べれば、 ―先立ってそれにまつわる図をこれより呈示するとも申し述べたわけだが― [[キリストの降誕の画]と[悪魔の王のにじりよりの画]の視覚的対応関係]などが極めて著名な作品らにあって見受けられるとのことがこの世界にはありもし、またもってして、同じくもの不快なる人を食ったような対応関係の環には往古ローマのミトラ教の遺物との接点もがみとめられるとのことまでもが「ある」のだ(それがゆえに繰り返すが、「キリスト降誕祭としての[冬至]にて実施されるクリスマスがサートゥルナーリア祭と同じくもローマ時代に執り行われていた[ミトラ教]の祭儀よりの習合・踏襲がなされてのものでもあるとの指摘がなされていること、そのことがサターン(サトルナス)という存在が悪魔の王サタンと結びつくことの判断に関わる」ことになりもする.詳しくは下に呈示の図解部を参照されたい)。

(:キリスト教の冬至の折の祭り(クリスマス)と往古ローマのミトラ教祭儀の関係]については極々基本的なところより「それで充分であろう」と判じて引用するが、英文Wikipedia[ Mithras in comparison with other belief systems]項目([ミトラと他の信仰体系の比較]項目)にあっては次のような記載がなされている、多少、[ミトラ教に対するキリスト教の踏襲見解]に批判を呈するようなかたちでながらも次のような記載が「現行」なされている→ It is often stated that Mithras was thought to have been born on December 25. But Beck states that this is not the case. In fact he calls this assertion "that hoariest of 'facts'". He continues: "In truth, the only evidence for it is the celebration of the birthday of Invictus on that date in Calendar of Philocalus. Invictus is of course Sol Invictus, Aurelian's sun god. It does not follow that a different, earlier, and unofficial sun god, Sol Invictus Mithras, was necessarily or even probably, born on that day too." Unusually amongst Roman mystery cults, the mysteries of Mithras had no 'public' face; worship of Mithras was confined to initiates, and they could only undertake such worship in the secrecy of the Mithraeum. Clauss states: "the Mithraic Mysteries had no public ceremonies of its own. The festival of natalis Invicti [Birth of the Unconquerable (Sun)], held on 25 December, was a general festival of the Sun, and by no means specific to the Mysteries of Mithras."(訳として)「ミトラ神はよく12月25日に産まれた(キリスト降誕祭が催される[冬至]の折にて誕生した)とよくも言われている.が、ベック(訳注:英文Wikipediaにて出典表記されている資料の著者となる Roger Beckという人物)は「これは問題にならぬ」という.事実として彼ベックはこのミスラにまつわる世間的断定のありようをして[事実群の中の極めて言い古されたもの]と表している.に続けて、彼ベックは「実際、『フィロカルスの暦』(訳注:4世紀成立とされる装飾写本、 The Chronography of 354にて収録の暦)にあってのインビクタス神の祝祭にまつわる記述にしか(同じくものことの)典拠がない」とも言う.この場合のインビクタスとは無論、(ローマにて崇められていた)アウレリウアヌス帝期の太陽神ソル・インビクタスのことを指す(訳注:アウレリアヌスは3世紀のローマ皇帝であるから、キリスト降誕の折より後の存在とのことでキリスト教降誕祭との一致性は問題にならないとの文脈であろう ――だが、このレトリックには問題がある.というのも、初期キリスト教勢力にて何時、冬至の祭りが祝われ出したのが模糊としており、また、キリスト降誕の日付上の証跡がなんらないことに変わりはなんらないからである―― ). これはソル・インビクタスと異なる、より初期のローマの非正規の太陽神たるソル・インビクタス・ミトラが必ずしも、あるいは、多分の問題として同じくもの日に生まれたとのことに当てはまるところではない.ローマ人の間にあっての秘儀実施カルトの[ミトラ神の密儀]にあっては公的な顔というものがない.ミトラの崇拝は一部の秘儀参入者に限定されており、ミスラ教関連施設(ミスライウム)にての崇拝に限られていたことである.対してクラウス(注記:表記ウィキペディア項目にて出典表記されている著作の著者としての Manfred Claussという人物)は「ミトラ教は何ら公的な祭儀を持っていなかった.冬至の折に催される[征服されざりしところの太陽]に対する祝祭(注記:日照の力が弱化の極を見て、それより回復に転ずるとの一般的な冬至の折柄に対する理解に因るところの祝祭かとは思われる)はミトラ教のそれに固有のものではなくより一般的なものであった」と述べている」(引用部はここまでとする)といったかたちでの解説が現行にては講じられているところとなる)

 繰り返す。
 キリスト教降誕祭がミトラ教祭儀との習合しているとされてきた(この際、どちらが本地(オリジナル)でどちらが垂迹 ―オリジナルの影響を受けての仮の現われ― かの別は問題ではない)とのその一事がサトルナスと悪魔の王サタンの接合性問題に何故もってして相通ずるのか。

 直上にても委細省きながらも言及したところとして

[美術史にあって著名なる Filippo Lippi(フィリッポ・リッピ)の Adoration in the Forestとの絵画(現行、英文Wikipediaにあって同絵画のためだけの一項目が設けられているとの有名な絵画)に見る構図と著名なるアルブレヒト・デューラーの手になる版画[黙示録]シリーズの一葉を重ね合わせることで[キリスト誕生を祝う聖母マリアの構図]が[黙示録にて悪魔の王が首をもたげてくる構図]がオーバーラップするようになっている]

とのことがあるだけではなく(それ自体からして実にもって[奇っ怪]とのことではある)、ミトラ教遺物(にての神棚のように様式化された構図ととれるもの)を介して

Fra' Filippo Lippi(フライヤー(修道士)たるフィリッポ・リッピ)の15世紀絵画 Adoration in the Forestとの絵画に見る構図(現行、英文Wikipediaにあって同絵画のためだけの一項目が設けられているとの有名な絵画)にて描かれるキリスト降誕の構図が(画家フィリッポ・リッピがそれを目にしていたとは考えがたいとの)[蛇の杖を掲げる異教神ミトラの典型的レリーフ](発掘によって再発見されたレリーフ)と視覚的に重なるようになっている]

とのこと「も」があるからである。そちらもまた本稿を公開することにしたサイトの一 (どういうわけなのか「極めて」検索エンジンに表示されにくくなっており(煮詰める過程でどういう料簡でどういう筋目の輩がそういうことに助力しているのかは不快な広告産業領域に配置された相応の家畜との兼ねあいでおおよそ推し量りがなせるとのありようとなっている)、またもってして、顧みられることもないと判じているとつい先ぞの段で述べもしたとのサイト) にても具体例挙げて解説していることとなりもし、

[[古代ミトラ教の再発見された典型的レリーフ構図にての蛇の杖を掲げる異教神の構図]と[ルネサンス期の著名絵画 Adoration in the Forest]にてみとめられる構図がそのままにオーバーラップするようになっている]

とのことがあるのだ(細かくもは下の図解部を参照されたい)。

【上掲図左】:美術史にあって著名なる15世紀の画家である Filippo Lippi(フィリッポ・リッピ)の Adoration in the Forestとの画題の絵画 (同画、現行、英文のWikipediaにあっては同絵画のためだけの一項目が設けられているとのかなり有名な絵画となる ―英文Wikipedia[ Adoration in the Forest (Lippi) ]項目にあって Adoration in the Forest is a painting completed before 1459 by the Carmelite friar, Filippo Lippi, of the Virgin Mary and the newly born Christ Child lying on the ground, in the unusual setting of a steep, dark, wooded wilderness. It was painted for one of the wealthiest men in Renaissance Florence, the banker Cosimo de Medici. In later times it had a turbulent history. と記載されている画ともなる― )
【上掲図右】:彼なくして欧州美術史は語れないといったほどに著名なる15世紀末から16世紀初頭にかけての版画芸術の巨匠アルブレヒト・デューラーの手になる版画[黙示録]シリーズの一葉。
 以上、呈示の両図像を重ね合わせることで[キリスト誕生を祝う聖母マリアの構図]が[黙示録にて悪魔の王(多頭の竜ないし多頭の蛇であるサタン)がにじりよってくる構図]とオーバーラップするように「なっている」とのことがある。

 英文Wikipedia[ Mithraic mysteries ]項目にも同様のレリーフが呈示されているところの往古ローマ時代にて信仰された異教、ミトラ教の典型的なレリーフ。どれくらい呈示のレリーフが汎用的な構図であったのか、また、そちら発掘されて「再」発見されたとされる遺物が既に15世紀のフィリッポ・リッピ(の作者)やアルブレヒト・デューラー(の作者)の目に入るようなかたちでも「再」発見されていたのか、そして、異教シンボルたる同ミトラ教レリーフをわざわざ模倣してここで取り上げもしている作品ら ―絵画 Adoration in the Forestおよび木版画 the Apocalypse series― を芸術家リッピやデューラーが構築する必要がそもそもあったのかが問題になる。

(問題となる構図上の類似性をまとめもしての図。起点となる視覚的類似性を呈しての[後光が射している神](ミトラ教の神およびローマ帝国滅亡後、それに取って代わったキリスト教の神)を軸にして画中の人物が似たようなセクションに配されている中で【救世主誕生をもたらした処女懐胎のマリア】←→【救世主ににじみよる多頭の爬虫類としてのサタン】/【救世主誕生をもたらした処女懐胎のマリア】←→【絡み合う蛇の杖を掲げるミトラ教の神格】←→【救世主ににじみよる多頭の爬虫類としてのサタン】との構図的類似性が[記録的事実]の問題として見てとれるようになっている)

iv.[冬至]にあってのサートゥルナーリア祭が同神を祝してのものであるとのサトルナス(サターン)は悪魔の王サタンと記号論的に相通ずる側面を有してもいる。
 第一。サターンというのは古代ローマにて[文明の恩人]として崇拝されていた存在である(時間の費消を厭い、極々皮相的なるところから引けば、和文ウィキペディア[サートゥルヌス]項目にて(現行記載内容より引用するところとして)クロノスと同一視された後の神話では、ユーピテルにオリンポスを追放された彼は地上に降り立ち、(サトルナスは)カピトリヌスの丘に一市を建設してイタリアの王となった.そして当時、未開野蛮の民だった人々に農業やブドウの木の剪定などを教え、法を発布して太古の黄金時代を築いたという(文化英雄)(引用部はここまでとする)と記載されているところである)。 他面、サタンをエデンの誘惑の蛇と比定する見解から見れば、また、サタンたるエデンの蛇は人間に[知恵と文明を授けた存在]となりもする。
 第二。サトルナス(サターン)は天の主催神となった神(自らの息子たるゼウス神)との戦いに敗れて[地の奥深くものタルタロスの領域]にて幽閉されていると神話が語る存在である(英文Wikipedia[サートゥルヌス]項目にて(現行記載内容より引用するところとして) In a vast war called the Titanomachy, Zeus and his brothers and sisters, with the help of the Hecatonchires, and Cyclopes, overthrew Cronus and the other Titans. Afterwards, many of the Titans were confined in Tartarus, however, Atlas, Epimetheus, Menoetius, Oceanus and Prometheus were not imprisoned following the Titanomachy. (訳として)「ティタノマキアと呼ばれる規模すさまじい戦争にてゼウスと彼の兄弟姉妹らはヘカトンケイル、サイクロプスらの援助あってタイタン・クロノス(注:ローマにおけるサトルナス)と他のタイタンらを放伐した。結果、多くのタイタンらがタルタロスの領域に繋ぎ止められることになったが、アトラス・エピメテウス・オケアヌス・プロメテウスらはティターノマキアに連座して獄に繋がれることはなかった」と記載されているところである)。 他面、サタンは ―子なる主催神との戦いか父なる主催神との戦いかに差分もあるのだが― 神に敗れて[地の底たる地獄]に幽閉されているとの設定が伴っている悪魔の王である(本稿こここれに至るまで聖書の黙示録にあっての同じくものことにまつわっての記述を引いているとおりである)。

何故、サトルナスが悪魔の王のサタンと結びつくのかとのことの理由にまつわってのi.からiv.と分けもしての部はここまでとする)

 以上の流れからご察しいただけるかとは思うのだが、
[サトルナスの象徴]
と結びつけての組織構築・運営がなされている(先述)とのフリーメーソンに
[サタン崇拝]
にまつわっての陰謀論がつきまとっていることは

(ここまで指摘してきた)[サトルナスのサタンとの多重的結びつき]

を顧慮してもできすぎている (:だがもってして ―(愚劣な、そう、知的程度が異常異様に低いとの意味で愚劣な虚偽欺瞞を含んでの陰謀論的言辞の撒布者に言論を汚されぬようにとの配慮もあって)繰り返しておくが― 本稿それ自体では「フリーメーソンが悪魔主義陰謀団である」などとの陳腐なる陰謀論(ととられよう話)を唱導・鼓吹しようというわけではない。同じくも繰り返しておくが、「この際、[人形・駒としての範疇に留まっての者達がなにをどう考えているか(できあがった頭で崇拝している気になさしめられているか)]は問題にならない、代わって、どうしてそのようなことがあるのか、そのことが(未来という時制の問題として)何に通じているかとのことこそが重要視してしかるべきことになりもする(と強調したい)」) 。

 サターン(土星)を体現し、ギリシャの時の神にも接合するローマのサトルナス神に悪魔の王サタンとの記号論的結びつきがあるとして、である。 

サターンことサトルナスが元来、蛇崇拝の神である、さらに言えば、その延長線上にサタンとつながるアバドンという存在との結びつきがある

との観点がフリーメーソンの成員ともされる向きの手仕事ともされる近代の著作からして(後述するように[他の先賢著作よりの出典明示せじもの剽窃]の臭いも如実に伴うのだが)言及されていることがある。
 下の引用部を参照されたい。

(直下、 Project Guntenbergにて全文公開されている著作 OPHIOLATREIA, OR SERPENT WORSHIP『オフィオラテレイアすなわち蛇崇拝』(1889年に出版されての著作)よりの原文引用をなすとして)

The ancients had a notion that when Saturn devoured his own children, his wife Ops deceived him by substituting a large stone in lieu of one of his sons, which stone was called Abadir.
[ . . . ]
Abadir seems to be a variation of Ob-Adur, and signifies the serpent god Orus. One of these stones, which Saturn was supposed to have swallowed instead of a child, stood, according to Pausanias, at Delphi. It was esteemed very sacred, and used to have libations of wine poured upon it daily; and upon festivals was otherwise honoured. The purport of the above was probably this: it was for a long time a custom to offer children at the altar of Saturn; but in process of time they removed it, and in its room erected a stone pillar, before which they made their vows, and offered sacrifices of another nature. This stone which they thus substituted was called Ab-Adar, from the deity represented by it. The term Ab generally signifies a father, but in this instance it certainly relates to a serpent, which was indifferently styled Ab, Aub, and Ob. Some regard Abadon, or, as it is mentioned in the Book of the Revelation, Abaddon, to have been the name of the same Ophite god, with whose worship the world had been so long infected. He is termed Abaddon, the angel of the bottomless pit-the prince of darkness. In another place he is described as the dragon, that old serpent, which is the devil, and Satan. Hence the learned Heinsius is supposed to be right in the opinion which he has given upon this passage, when he makes Abaddon the same as the serpent Pytho.

(細かくも補いもしての拙訳として)
「古代人らは
[サターン(サトルナス)が我が子らを喰らった折、彼の妻たるオプス神(注:ギリシャ神話にあってのタイタン・クロノスの妻となっているレアー神に対応するローマの大地母神)が彼サトルナス(タイタン・クロノス)をたばかって[石]を子と思わせて子の代わりに食べさせた]
との観点を有している。
・・・(中略)・・・
 そこにみる[石]はAbadirと呼ばれるものとなっている。この場合のAbadirとはOb-Adurの派生語とも受け取られ、そのOb-Adurは(往古の)蛇の神オラスを示すもの「でも」ある。
 サターンが我が子と思って呑み込んだこれら[石]のひとつはパウサニアス(注:ローマ期(2世紀)にあってのギリシャ出身の著名な地理学者/主著は日本語にも訳されて刊行されている Description of Greece『ギリシャ案内記』)によるとデルフィにて存在しているとのことであるそれはとても神聖なるものとして祝されていたものとなり、御神酒(おみき)としてのワインを常日頃注がれ、いざ祭りとなれば、よりもって祝されたものとなっている(とされる)。そのことに鑑みるに、おそらく、サトルナスが呑み込んだとされる[石]がゆえにこのようなことがなされていた(のであろう)。[土星の座として子供らをそこに(生け贄として)供する慣習が長期にあってそこにあった。だが、それを除く過程で彼ら(古代デルポイのギリシャ住人)は別の石の柱を建立し、その前で誓約をなして他の自然の産物を生け贄へ供することとなった。この(サトルナスことギリシャ神クロノスの呑み込んだ石に)代わって建立されることになった石はそれが表象する神に由来するところとして[アブ・アダール(Ab-Adar)]と呼ばれるものだった。そこに見るAbとの語は一般的に[父]を表象するが、この場合にてはおそらく[蛇]、違い乏しくもAbあるいはAubそしてObと表されての蛇に由来するところのものであろう。幾人かの向きはこれをしてアバドン(「Ab」addon)、すなわち、新約聖書にあっての黙示録に登場する長らくも世界がその崇拝風潮に冒されていたとの蛇崇拝の神と同じくもの神の名前ととらえているアバドンとの語を与えられての同存在は闇の皇子、底無しの穴の天使の名となる(訳注:実際に聖書の黙示録9章11節にアバドンという存在が[底無し穴の王]として登場しているとのことがある)別の場所では同存在は竜あるいは古き蛇たる悪魔、サタンとして形容されてきた存在である。そのうえで教養を有していたハインシウス(Heinsius)はアバドンをしてピュトーン(訳注:デルポイで崇められていた蛇の怪異)と同じ存在であるとの意見を呈していたことは正しいのであろうと思われる

(以上、補ってもの訳を付しての引用部とする ―※― )

(※直上引用部にまつわっての「長くもなっての」補足表記として

 表記の著作 OPHIOLATREIA, OR SERPENT WORSHIP、正式名称は極めて詰め込み過ぎの風がある、
Ophiolatreia: an account of the rites and mysteries connected with the origin, rise, and development of serpent worship in various parts of the world, enriched with interesting traditions, and a full description of the celebrated serpent mounds & temples, the whole forming an exposition of one of the phases of phallic, or sex worship
との表題の著作はアマチュアの比較神話学者にして性的文学の挿絵家・著者などをもやっていたとのことが英文Wikipediaにて一項設けられて紹介されている Edward Sellonとの向きになる著作なのか、あるいは、同文にWikipediaに一項設けられて紹介されているFreemasonとして知られていたアマチュアの比較神話学者である Hargrave Jenningsの著作なのか、版権の問題として判然としないとのことがある(望見するに Edward Sellonに由来するオリジナルとなった著作をフリーメーソンの Hargrave Jenningsが前者の死後に(改訂を加えてか)刊行したものと解される)
 そして、著者からして模糊としているとのものであることを差し引いて見て「も」同じくもの著作には問題がある。
 第一点目。同・引用元著作に関しては[蛇崇拝]の多くを古代の男性器崇拝の問題に帰着させ、結局のところ、蛇崇拝にまつわる怪奇性をその程度の問題で説明しきらんとしている側面が如実に伴っており、そこからして自ずとしての限界が透けて見えるとのことがある(穿てば問題を矮小化させるとのそのこと自体が狙いともとれる)
 第二点目。言い様の典拠として歴史的著述家(パウサニアスやハインシウス)の名が同著にては挙げられているのだが、それが果たして文献的事実の問題なのか、情報収集に慣れていないとの一般人には後追い確認しづらいとのことがあり(現代社会でも後追い確認しがたいとのものばかりを典拠にしている節がある)、ゆえに、[調査意欲ある向きにとっても信憑性との点で[曰く言い難い.]と受け取られかねない]とのことが同著にはある("seems" unreliable because of lack of philological evidencesとの問題が伴う)。
 フリーメーソン手仕事とされる表記著作には以上二点の如き欠陥性の介在「も」観念されるのだが、ただしもって、である。表記の著作( OPHIOLATREIA, OR SERPENT WORSHIP )にあってのここで引用なして問題視しているとの、
クロノス(サターン)が自分の子だと思って[石]を喰らっていたその[石]は[Abdir]とも呼ばれ、それは蛇の神Orusの派生語[Ob-Adur]と相通ずる蛇崇拝と結びつくものであるサトルナスが喰らったその[石](Abdir)のひとつはパウサニウスによると(古代ギリシャの)[デルポイの蛇崇拝]の(かつての)御神体と関わるものである→[デルポイの蛇崇拝]の対象となるパイソンについては蛇崇拝・そして、Abとの蛇を意味する言葉を介してアバドンともサタンと相通ずるようになっている(との解釈がなされているし、それは妥当と解される)」
との流れでの記載内容については信憑性との面で重きもって見て然るべきとの側面が伴う。
 他に同じくものことを記載している真っ当な古典が存するとのことがあるからである。につき、(極めて悪質なことに表記著作の中それ自体では出典紹介されて「いない」わけだが)、たとえば、同文に Project Gutenbergより全文ダウンロードできるとの著作である、

A New System or Analysis of Ancient Mythologyとの著述] 同著著者は Jacob Bryant、英文Wikipedia[ Jacob Bryant ]項目表記によると18世紀から19世紀にあって他を逸して屹立していた碩学であったともされる( "the outstanding figure among the mythagogues who flourished in the late eighteenth and early nineteenth centuries"と表記される)神話学を専門にしていた近代スコラ学分野にての大家のヤコブ・ブライアントという人物となる

にあって[ほぼ同文のこと]が記載されているとのことがありもすることが重んずべきこととしてあるのだ(:はきと述べ、ここで問題視していることが表記されての部に関しては著者さえも模糊としている(筆名が用いられているとのことではなく版権・帰属関係すら模糊としている)とのこと、先述した OPHIOLATREIA, OR SERPENT WORSHIPとの著作にあって[出典を挙げないで先賢手仕事となる A New System or Analysis of Ancient Mythology(1807)との著作をそのまま文言大量流用するとの式で[剽窃](plagiarism)をなしている]とのやりようが具現化している.日本の大規模カルトの成員とこれまた同様に[相応の道](何ら自分の頭で考えないとの途だ)を歩むだけの内面しか有していないと透けて見える、空っぽの多くのフリーメーソンの成員に本質的なところでは本当の創造的・自律的思考など期待しようがないからこそ、多く他より盗み奪うことしかなさぬような筋目の「彼ら」には深く考えることなぞおよそ出来ないからこそ、そうもした団体の成員の輩の手になる(とされる)著述としてそうもなっているのではないかと私的にはとらえているのだが、それは置く)。 
 同じくものことについて
(以下、 Project Gutenbergサイトより全文ダウンロードできるところの A New System or Analysis of Ancient Mythology Vol.II.(1807)にての OB, OUB, PYTHO, SIVE DE OPHIOLATRIAにての節より引用なすところとして)
But Ops, and Opis, represented here as a feminine, was the serpent Deity, and Abadir is the same personage under a different denomination. [464]Abadir Deus est; et hoc nomine lapis ille, quem Saturnus dicitur devorasse pro Jove, quem Græci βαιτυλον vocant.—Abdir quoque et Abadir βαιτυλος. Abadir seems to be a variation of Ob-Adur, and signifies the serpent God Orus. One of these stones, which Saturn was supposed to have swallowed instead of a child, stood, according to [465]Pausanias, at Delphi. It was esteemed very sacred, and used to have libations of wine poured upon it daily; and upon festivals was otherwise honoured. The purport of the above history I imagine to have been this. It was for a long time a custom to offer children at the altar of Saturn: but in process of time they removed it, and in its room erected a στυλος, or stone pillar; before which they made their vows, and offered sacrifices of another nature. This stone, which they thus substituted, was called Ab-Adar, from the Deity represented by it. The term Ab generally signifies a [466]father: but, in this instance, it certainly relates to a serpent, which was indifferently styled Ab, Aub, and [467]Ob. I take Abadon, or, as it is mentioned in the Revelations, Abaddon, to have been the name of the same Ophite God, with whose worship the world had been so long infected. He is termed by the Evangelist [468]Αβαδδων, τον Αγγελον της Αβυσσου, the angel of the bottomless pit; that is, the prince of darkness. In another place he is described as the dragon, that old serpent, which is the devil, and Satan. Hence I think, that the learned Heinsius is very right in the opinion, which he has given upon this passage; when he makes Abaddon the same as the serpent Pytho. [469

との式での[ほぼ同文のこと]が
[事細かな典拠]
を挙げながらも遙かに真っ当な著述 ―神話学の大家にして近代スコラ学の大家とされるヤコブ・ブライアントの著述― に典拠付で解説されている([464]から[469]は[ギリシャ語表記の事細かな典拠(Source)の紹介番号となる)とのことがある(ことまで筆者の方で調査して特定しているところとしてある.ただし、以上引用部については即時訳に面倒が伴う、時間の費消に過ぎると判じたために「先にての OPHIOLATREIA, OR SERPENT WORSHIPよりの引用部とほぼ同文のことが記載されているところの」表記引用部に対する訳は付さないこととする)
 ゆえに、ここにて指摘している、
[学者といった筋目の人間からは後ろ指を指されようとの OPHIOLATREIA, OR SERPENT WORSHIP『オフィオラテレイアすなわち蛇崇拝』との著作に伴う欠陥性]
を顧慮したうえでも直上、引用なしたところの書かれよう ―(クロノス神転じての)サターン神にはデルポイ蛇崇拝を介してのアバドンやサタンとの接合性が観念されもするようになっているとの書かれよう― については【古文献・古人の言及がなされていることである】【古代の習俗習慣に関わる】との意では信憑性が伴うとのの旨、再度もってして強調しておく)

 引用部にまつわっての補足表記が長くもなったが、蛇崇拝関連著作よりの引用部それ自体にみとめられることより問題になるのは

「サターンことサトルナス(の吐きだしたその象徴たる石)が蛇崇拝の思潮と結びつくとの指摘、かつ、そのサターン・サトルナス(に由来する石)にまつわっての[蛇崇拝の思潮](デルポイにて実施されていた蛇崇拝の思潮)が ―デルポイの蛇崇拝とアバドンという黙示録登場の悪魔との接合性などあって― [サタン]と結びつくとの指摘までもがなされていた」

とのことである(ローマの土星の体現神格サターンが悪魔の王サタンと結びつくとの指摘はまったくもって見受けられないのだが、表記の引用部にあってはそのことに通ずることが異彩を放つところとして言及されている)。

 上のような引用部にみとめられもする観点については ―同じくものことがいかほどまでに一般性を有しているのかには疑義もある中でながらも、そして、キリスト教的思考法にどっぷり首まで浸った向きらによる古代ギリシャの神らを悪魔の類と結びつけようとする意図が介在している可能性も否定しきれはしない中ながらも― 「はきと言える」ことがある。そう、同観点が(ここB.の段に入る前に)A.の段にて挙げていたi.からiv.のことら ―(ローマ神格サトルナス(サターン)と悪魔の王サタンの間の(明示的繋がり合いではない中ながらもの)視覚的繋がり合いについて解説してきたとのi.からiv.のことら)― とぴたりと符合するようになっている、「各々、別側面にて成立している」ことながらも[ぴたりと符合するようになっている]とのことが「はきと述べられる」ようになっているとのこと、そのことが問題になるのだAの段、i.からiv.にて言及してきたことと直上までにて引用してきたことは根拠の面で完全に別個のものとして成り立っているわけであるが、帰結の面では符合している

 ここまでにて

【ナンバー・432000と結びつく複数宗教・複数伝承にみとめられる[終末]に通ずるサイクル】 → 【432000年などと伝わるバビロン「前」洪水時代の終わりを告げたと伝わるクロノス神】 → (ギリシャのクロノス神) → 【ローマのサトルナス(サターン)】 → (多層的結びつき) → 【悪魔の王サタン(エデンの園の誘惑を奏功させて黙示録の[終末]の因ともなる原罪をもたらしたなどともされる古き蛇)】

との繋がり合いについて解説したことになる(疑わしきには再度、直前までの内容をよく検証いただきたい次第でもある)。

従前摘示事項の再提示部はここまでとする


 以上、繋がり合いの問題について解説したうえで書くが、次の各点らが「さらにもってして」問題になる(【黄金の林檎】【エデンの禁断の果実】に通ずるところの寓意混入との式で「さらにもってして」問題になる)との判断があった、ゆえにこそ、最前までの振り返りをなしてきた次第でもある。

(「さらにもってして」問題となりもしようとの事柄らとして)

クロノス神がバビロンの王の夢に現われたとされる[432000年のサイクル]と結びつく洪水伝承 ―ベロッソス(ギリシャ語を解したとされる神官)の古文献の内容、それを逸文の形態(引用形態)でキリスト教初期識者であるエウセビオスが今日に伝えているがゆえに今日に伝存しているとのことである洪水伝承― 以外に古代中近東由来の洪水伝承が近代になって「再」発見されたものとして存在しており、そちらまたもってして別の洪水伝承のことをも本稿前半部ではかなり細かくも問題視してきたとのことがある。
 それは

[『ギルガメシュ叙事詩』の中に含まれているウトナピシュティムという人物が登場する洪水伝説]

にまつわっての話となり、同じくもの洪水伝説 (ギルガメシュ伝承に内包されるウトナピシュティムという人物が登場してくる洪水伝説) が古代ギリシャに由来する、

【ヘラクレス11功業の黄金の林檎の探索の物語】

と多重的な類似関係を呈しているとのことまで本稿では入念に指摘しもしてきたとの経緯がある ――1.【『ギルガメシュ叙事詩』内包の洪水伝承に見る主人公ギルガメシュの目的もヘラクレスの11功業の目的物も双方ともどもに[不死]と結びつく】、 2.【『ギルガメシュ叙事詩』内包の洪水伝承もヘラクレス11功業も双方共々に大洋の彼方、世界の果て(ワールド・エンド)を目指しての英雄(ギルガメシュおよびヘラクレス)の冒険が描かれているとのものである】、 3.【『ギルガメシュ叙事詩』内包の洪水伝承もヘラクレス11功業も主人公の目的達成に際して蛇(状の存在)との一悶着が生じている(ギルガメシュは不死の霊薬を蛇に奪われ、ヘラクレスは不死と結びつくとの神話が数多伝わる黄金の林檎を得ようとする過程で百の頭を持つ蛇ないし竜の類であるラドンと闘ったと伝わっている)】、 4.【『ギルガメシュ叙事詩』内包の洪水伝承もヘラクレス11功業も、(ヘラクレス11功業で探索されていた[黄金の林檎の園]を洪水で大洋に没したとされる伝説の陸塊アトランティスの同等物と見る見方に照らし合わせた場合)双方共に[往古の文明滅尽を招いたとされる洪水]と結びつくとのものである】、 5、【『ギルガメシュ叙事詩』内包の洪水伝承もヘラクレス11功業も主人公に類似性がみとめられる.すなわち、ギルガメシュもヘラクレスも「半分神の血を引くとの存在(デミ・ゴッド;半神)にあたり」「狂乱の態に陥ったことがある存在であり」「獅子をいなし、獅子の皮を被ったと伝わる存在である」との共通項がみとめられる】とのことらを本稿では従前摘示してきたとの経緯がある―― (出典(Source)紹介の部63(3)などを参照のこと) 。

 また、(ヘラクレス第11功業と近似しているとの)『ギルガメシュ叙事詩』に見る洪水伝承というものは、と同時、

【エデンの誘惑、次いでの失楽園(楽園喪失)をメイン・モチーフとしているとの著名古典であるミルトン『失楽園』に見る、[アビスを飛行渡航するルシファーの物語](最終的に林檎でもって人類を堕落させて失楽園をもたらすことになったとされる[ルシファーのアビス;深淵の単身飛行の物語])

とも ―「時期的に奇怪であると解されるかたちで」(ミルトン『失楽園』執筆時には『ギルガメシュ叙事詩』は再発見されていなかったために「時期的に奇怪と解されるかたちで」)― 多重的接合関係を呈しているとのものであることをも本稿前半部では指し示さんとしてきたとの従前経緯がある ――1.【『ギルガメシュ叙事詩』内包の洪水伝承もミルトン『失楽園』も終局的に[不死]が奪われるとの流れを見せている(典拠挙げて先述なしているように楽園エデンよりの追放は人間が不死を奪われた過程と見る見方もある)】、 2.【『ギルガメシュ叙事詩』内包の洪水伝承もミルトン『失楽園』も[不死の喪失]をもたらした存在が[蛇]の形態を取っている】、 3.【『ギルガメシュ叙事詩』内包の洪水伝承もミルトン『失楽園』も(ミルトン『失楽園』にあってその中に(ギルガメシュ伝承のような洪水伝承が伝わっている理由がそれに求められてもいるとの)[黒海洪水伝承]や[黒海洪水仮説]との属地的結びつき、水流の海峡貫通にまつわる表現上の結びつきを見出した場合に)双方ともどもに[滅尽に結びついた洪水]絡みのものとなるとのことがある】、 (4.【古代中東のエンリル神なる多神教の神による人類を滅せようとした洪水に言及しての『ギルガメシュ叙事詩』内包の洪水伝承もミルトン『失楽園』も人間存在に対する神の粛清(と限定的な赦し)をテーマとしているものでもある / ([エデンの園の禁断の果実]に[黄金の林檎]との接続関係がある(とされている)ことを顧慮すると)『ギルガメシュ叙事詩』がそれと結びつくヘラクレスの11功業(黄金の林檎の取得を目指しての冒険)を介しての『ギルガメシュ叙事詩』とミルトン失楽園の繋がり合いもが観念されることになる、といったこと「も」がある】) とのことらを本稿では従前摘示してきたとの経緯がある――  (出典(Source)紹介の部57(3)以降の長くもなっての解説部を参照のこと) 。

 以上、従前摘示事項を細々と繰り返して言及なしもしたとの、

【『ギルガメシュ叙事詩』内包の洪水伝承とヘラクレス第11功業およびミルトン『失楽園と』の繋がり合い】

については ―本稿の内容を理解しているとの向きには食傷の感をもたらす指摘とはなろうが― 

【ブラックホールと結びつく繋がり合い】

となるものである (比較対象となるミルトン『失楽園』の特定セクションが【ブラックホール(現代科学にあってブラックホールと呼ばれているもの)との質的近似物である(とのことを従前解説してきた)[アビス](深淵)絡みのセクション】とまさになっている(出典(Source)紹介の部55から出典(Source)紹介の部55(3))とのことが問題なら、同じくものことがよりもって問題になるとのこととして『ギルガメシュ叙事詩』のその意で問題となるセクションがヘラクレス11功業の黄金の林檎取得の物語と結びついている、そこに見る【黄金の林檎】といえば、 ―本稿で厭となる程に解説してきたこととして― LHC実験にあってのブラックホール探索挙動と結びつくようにさせられているものであるとのことが現実に確とありもするとのことが挙げられる(LHC実験ではATLASディテクターという検出器で【(発見が望ましいと強弁される)「安全な」ブラックホール】の探索もが行われているが、そこに見るATLAS検出器がその名を冠せられているとの巨人アトラスは【黄金の林檎】の所在地を識る存在としてヘラクレス11功業に登場する巨人でもある.またもってして、LHC実験ではATLANTISとのイヴェント・ディスプレイ・ウェアでブラックホールを検知する可能性があると銘打たれもしているが(出典(Source)紹介の部35)、そのATLANTISの名称由来となっている古の陸塊アトランティスは【大洋の彼方の黄金の林檎の園】と結びつくとの見解が呈されてきた場所ともなる(出典(Source)紹介の部41など))。

 表記のような式でバビロン、古代中近東の洪水伝承には【黄金の林檎】および【エデンの果実】の接点が ―ブラックホールと通ずる式でも― あるわけであるが、そこに最前まで、にまつわっての振り返り表記をなしてきたとの、

【終末へのサイクルと通ずる[432000年との際立ってユニークな6桁の年数]の不可解なる具現化(於て:クロノス・サトルナスと結びつく洪水伝承)】

との接点までもがあるからして実に不気味である、そして、重大である(盲(めしい)ての状況になければ分かろうこととして重大である)とのことにもなると申し述べるのである(:ただし、【『ギルガメシュ叙事詩』にみとめられる洪水伝承】と【クロノスが夢見に現われたとされる432000年と通ずる洪水伝承】は ―再言するが― 基本的に別物である、【双方共に古代メソポタミア領域の洪水伝承である】【双方共に方舟の類を建造しての種の保存がテーマにされている】との質的接点はある中ながらも基本的には別物であるとのことがありもし、それがゆえ、同じくものことを単体で指摘する上では重みが減じるとのものらとなりもする ―といったものらにまつわることでありながらも、【クロノス→サトルナス→悪魔の王サタン→エデンの誘惑の蛇に比定される存在→ギルガメシュ叙事詩(に見る洪水伝承)との多層的接合性】との流れが【古代中東由来の洪水伝承】に通ずるところとしてそこにあるからこそ重みが際立ってくると申し述べるのである― )。

・重大なることの重みをさらに増さしめもすることになる、そうしたこととして重視すべきことについて指摘する。先立って([ギリシャのクロノス]と同一視される)[ローマの神格サトルナス]が[悪魔の王サタン]とも接合するとの極一部見方が存在すると紹介したわけだが ―同じくものことについてヤコブ・ブライアントの手になる A New System or Analysis of Ancient Mythology(1807)との古文献にあって古典上の典拠が(現代社会に至るまで同種の解析事例が他に見受けられない中ながらも例外的に)示されて言及されていることについて紹介したわけだが― 、そうもした見方・言われよう、

【(432000年の夢見の啓示をなしたと伝わるクロノスと同一視される)ローマの神格サトルナスが悪魔の王サタンとも結びつく】

との見方・言われようについてはクロノス・サトルナスが我が子と思って呑み込み吐きだしたと伝わる石(神託の地デルポイにて蛇崇拝の対象とされもしたと先立って紹介した石)が語源からパイソン】(ピュートーンアバドンとの蛇崇拝上の崇拝対象存在と結びつくとの指摘もがあわせてなされているとのことがある(先賢の言及をそのまま写し取っただけの問題ある著作であるとの欠陥性についても紹介した一品ながらも、引用内容それ自体は軽んじられるところでもあると解説してきた OPHIOLATREIA, OR SERPENT WORSHIPとの著作よりの再引用なせば、 This stone which they thus substituted was called Ab-Adar, from the deity represented by it. The term Ab generally signifies a father, but in this instance it certainly relates to a serpent, which was indifferently styled Ab, Aub, and Ob. Some regard Abadon, or, as it is mentioned in the Book of the Revelation, Abaddon, to have been the name of the same Ophite god, with whose worship the world had been so long infected. He is termed Abaddon, the angel of the bottomless pit-the prince of darkness. In another place he is described as the dragon, that old serpent, which is the devil, and Satan. Hence the learned Heinsius is supposed to be right in the opinion which he has given upon this passage, when he makes Abaddon the same as the serpent Pytho. (補いもしての拙訳として)「サトルナスことギリシャ神クロノスの呑み込んだ石に代わって建立されることになった)この石はそれが表象する神に由来するところとして[アブ・アダール(Ab-Adar)]と呼ばれるものだった。そこに見るAbとの語は一般的に[父]を表象するが、この場合にあってはおそらく[蛇]、違い乏しくもAbあるいはAubそしてObと表されての蛇に由来するところのものであろう。幾人かの向きはこれをしてアバドン(「Ab」addon)、すなわち、新約聖書にあっての黙示録に登場する長らくも世界がその崇拝風潮に冒されていたとの蛇崇拝の神と同じくもの神の名前ととらえているアバドンとの語を与えられての同存在は闇の皇子、底無しの穴の天使の名となる。別の場所では同存在は竜あるいは古き蛇たる悪魔、サタンとして形容されてきた存在である。そのうえで教養を有していたハインシウス(Heinsius)はアバドンをしてピュトーンと同じ存在であるとの意見を呈していたことは正しいのであろうと思われる」とされているところともなる ―尚、表記の引用部についてはその元となった記述を含むヤコブ・ブライアントの著作 A New System or Analysis of Ancient Mythologyにてギリシャ語による典拠が事細かに呈示されている― )
 さて、クロノス・サトルナスとサタンが同一視される中で引き合いに出されているピュートンおよびアバトンという存在ら「も」[次の観点]から本稿にて延々指摘しもしてきたこととの兼ね合いで軽んじられない存在となっている。

 大地神ガイアの子たる怪物としての【ピュートン(パイソン)】という存在は本稿の先立っての段でそれ絡みの異様なる先覚的言及について解説してきたとのデルポイの巫女の類と結びつく[神託]の能力の源泉ともされる蛇の怪物だが(本稿の補説4と振っての段では古代ギリシャのデルポイ地帯の蛇巫たるピューティアたる存在が大地に埋められたピュトーンの腐乱ガスとされるものを吸ってトリップ、予言をなしたといった言い伝えが存する(ことに通ずる)ところの記載を引いている)、そこに見る蛇の怪物【ピュートン】、ギリシャの太陽の体現神格である【アポロン】に退治された存在であるとされつつ、元はと言えば、(かの蛇の怪物を退治したとの)【アポロン】と存在そのものとして結びつくとの指摘もがなされている存在でもある(往古崇拝神格であったピュートーンが新発の神であるアポロンの信仰に習合して取り込まれたとも.本稿出典Source)紹介の部100にあってはそれに通ずるところの近代にあっての言われようを CRITICAL EXAMINATION OF THE LIFE OF ST. PAUL(一八二三年刊行版.『聖人パウロの人生についての批判的検証』と題されての書)よりの引用とのかたちで紹介している  Project Gutenbergのサイトにて全文公開されているとの表記ソース(1823年版 CRITICAL EXAMINATION OF THE LIFE OF ST. PAUL)にあって The miracle wrought by our saint at Philippi in Macedonia, did not meet with more success, he there cured a girl, who had a spirit of Python, and being by that means possessed of the power of divination, gained great profit to her masters. These, far from acknowledging and admiring the power of a man who reduced to silence Apollo, one of the most powerful gods of paganism, brought Paul and Silas before the magistrates, and excited the people against them. It is right to remark in this place, that Apollo (i. e. the Devil) who resided in this prophetess, laboured to destroy his own empire. In fact having perceived Paul and his comrade, the girl followed them, crying, these men are the servants of the Most High God, which shew unto us the way of salvation.と記載されている(細かいところを補いもしてのそちら記載の訳は先立っての出典紹介部に譲る)ようにポリシエズム、多神教時代の【太陽神アポロン】はモノシエズム、一神教・キリスト教が支配的になった欧米社会では【悪魔(Devil)】にして【パイソン( Spirit of Python )】と同一視されもする存在であると伝統的に見られてきた存在であると分かるようになっている― )

 ここで述べるが、ギリシャ神話のアポロンは同存在が落魄、多神教崇拝から一神教崇拝の時代への変遷の中で落ちぶれもしてキリスト教体系における、
【アバドン】
という悪魔 ―クロノス・サトルナスと悪魔の王サタンの同質性についての指摘がなされる中でサトルナスに通ずる存在としてピュートンと共に言及されていること、つい直上にて先述の存在でもあるとの【アバドン】という悪魔― に変じたとの指摘がなされているとのことがある(:アバドンという聖書に登場する悪魔はギリシャ語ではアポリオンと記述されるとされているが、その名称アポリオンがアポロンと近しいといったことがその典拠となる ―例えば、目立つところでは和文ウィキペディア[アバドン]項目には、現行、(以下、引用なすとして)ギリシャ語では「破壊者」を意味するアポリュオン(Apollyon)、アポリオン(Apollion)、アポルオン(Apollon)と呼ばれており、一説ではギリシア神話におけるアポローン(Apollon)が自ら打ち倒したピュートーンと同一視されることによって零落した姿とも言われている(引用部はここまでとする)と表記されているところとなりもする― )。 そこにいう([蛇神ピュートーンに対する信仰]が[人間の形態をとる存在への信仰]へと変遷したともされるところでの崇拝対象である)太陽神アポロン、彼がその存在へと落魄したとされるアバドンという存在が聖書のどの部分に登場するのかと言えば、 ―敬虔なキリスト教信者などはそこまで把握していることか、と見えもすることとして、― 
『黙示録』第9章11節(英語で表記するところの Revelation 9:11
がアバドン登場箇所となる。

 その黙示録9章11節 ―いいだろうか.英語で黙示録のことをも意味する【レベレーション】に(先述のように)[暴露]との意味合いがある中での Revelation 9:11である― にあっては
底無しの穴(ボトムレス・ピット)たるアビス
にまつわっての描写がなされている(オンライン上にPDF形式で広く流通している邦訳版聖書、新約聖書(1954年改訳版)にあっては(以下、引用するとして)彼らは底知れぬ所の使(つかい)を王にいただいており、その名はヘブル語でアバドンと言い、ギリシャ語でアポルオンと言う(引用部はここまでとする)と表記され、流布されたオーサイライズド・バージョン、ジェイムズ欽定訳聖書では(以下、引用するとして) They had over them a king, an angel of the abyss, whose name in Hebrew is Abaddon, but in the Greek he is called Apollyon. (引用部はここまでとする)との式での表記がなされている)。

 ここまで指摘したうえで声を大にして述べたきところとして、本稿では
【底無しの穴(ボトムレス・ピット)たるアビス】
が ―「ミルトン古典『失楽園』にあっての特定部描写を通じて」― 今日的な意味で見た場合のブラックホールの質的近似物の描写と結びつくようになっていることを指摘しもしてきたのが本稿従前の流れである(出典(Source)紹介の部55)。
 本稿がいかようにもってして(予言をなすような)【911の先覚的言及】と【ブラックホールをテーマにしている文物】の結びつきについて入念に解説をしているものとなっているのかとのことを押さえている向きにあってはそこからして「できすぎている」と理解いただけることか、とは思う。

 そして、(であるから筆を割いているところとして)、この話にはまだ続きがある。

 唐突となるが、
【アポロ計画】
については初の月面有人着陸を実現なさしめた計画として多くの向きがご存知であろう。そのアポロ計画に至る前に合衆国はいくつかの宇宙開発計画を段階的に実行しており、その概要は目立つところでは英文Wikipedia[ Apollo program ]項目からして一目での確認がなせるところとなっている(英文Wikipedia[ Apollo program ]項目の冒頭部からして The Apollo program, also known as Project Apollo, was the third human spaceflight program carried out by the National Aeronautics and Space Administration (NASA), the United States' civilian space agency, and the program was responsible for the landing of the first humans on Earth's Moon in 1969. First conceived during the Presidency of Dwight D. Eisenhower as a three-man spacecraft to follow the one-man Project Mercury which put the first Americans in space, Apollo was later dedicated to President John F. Kennedy's national goal of "landing a man on the Moon and returning him safely to the Earth" by the end of the 1960s, which he proposed in a May 25, 1961, address to Congress. Project Mercury was followed by the two-man Project Gemini (1962-66). (大要訳)「アポロ計画はNASAにて実施された「三度目の」有人宇宙探査計画であり、1969年にはじめて地球側月面表面に人間を立たしめた.最初の宇宙開発計画はドワイト・アイゼンハワーの大統領時代にてのアメリカ人を初めて宇宙空間に送ったとの【マーキュリー計画】となり、アポロ計画はその後、60年代末葉のケネディ大統領時代の[人間を月に着陸なさしめ、そのうえで無事に帰還なさしめる]との(ケネディが61年に議会に示した)国是に帰せられるものである。アポロ計画に先行するところとしての【マーキュリー計画】については二人の人間を宇宙に送るとの【ジェミニ計画】(66年まで実施)に引き継がれもした」(引用部はここまでとする)とアポロ計画に先立っての有人月面探査計画の流れが分かり易くも表記されているところとなる)

 直上より言及なしているとの【アポロ計画】にて有人月面探査へと結実した(と世間的に常識視されている)との合衆国の初期宇宙開発計画では、その初期、
【A119計画】
というものが策定されていたとのことがある。
 実行されることなく青写真だけで終わったとの同【A119計画】は二〇〇〇年になってその全容が明かされもしたとの計画、その概要は長らくも秘されていたとの未実行計画となり、宇宙開発による抑止力 (撃墜困難性を伴うICBM(大陸間弾道ミサイル)実現技術の指標ともなった宇宙開発競争での競争相手・ソ連への抑止力) を狙って米軍部が【月面での核爆弾起爆】を企図したとのものであったことが近年明かされることになったとのものである (目につくところとして英文Wikipedia[ Project A119 ]項目にて Project A119, also known as "A Study of Lunar Research Flights", was a top-secret plan developed in 1958 by the United States Air Force. The aim of the project was to detonate a nuclear bomb on the Moon which would help in answering some of the mysteries in planetary astronomy and astrogeology, and had the explosive device not entered into a lunar crater, the flash of explosive light would have been faintly visible to people on earth with their naked eye, a show of force resulting in a possible boosting of domestic morale in the capabilities of the United States, a boost that was needed after the Soviet Union took an early lead in the Space Race and who were also working on a similar project. Neither the Soviet nor the US Project A119 were ever carried out, being cancelled primarily out of a fear of a negative public reaction, with the potential militarization of space that it would also have signified, and because a moon landing would undoubtedly be a more popular achievement in the eyes of the American and international public alike. The existence of the US project was revealed in 2000 by a former executive at the National Aeronautics and Space Administration (NASA), Leonard Reiffel, who led the project in 1958.(即時意訳として)「A119計画は[月調査飛行研究]としても知られるもので、1958年に米空軍によって最重要機密計画として策定されたものとなる同計画の目標は惑星天文学および天体地理学上のいくつかの疑問に応えることにも資するとの式で核爆弾を月面にて起爆させるとのものであり、核爆弾はクレーターに収まらないような式で実行、地球上の人々の肉眼でも明らかに目視可能なるその光の現出をもってして米国の能力にまつわる国内士気を鼓舞、米国との宇宙開発競争で米国より一歩先を進んでいた、そして、同様の計画をすすめていたソ連に対する士気を鼓舞しようとしたとのものであった。ソ連および合衆国にあってのA119計画は今まで実施を見ることはなかった、というのも、主には宇宙空間の軍事利用に対しての公衆における(考えられるところの)否定的反応がゆえに中止の力が働いたこと、そして、月面着陸の方が合衆国国民そして世界の人々の目に人気を博するとの達成成果ともなろうとの見方があったからである。同計画の存在は1958年に同計画を主導していたNASAの高官であるところの Leonard Reiffelによって2000年(注記:とすると二〇〇一年のかの事件の一年前)になってはじめて明かされたものである」と表記されているところである) 。
 その点、同計画【A119計画】にはまだ大物科学者として名をなす前のカール・セーガンが参画していたとのことも知られてもいるのだが(同じくも英文Wikipedia[ Project A119 ]項目にて A young Carl Sagan was part of the team responsible for predicting the effects of a nuclear explosion in low gravity and in evaluating the scientific value of the project. The project documents remained secret for nearly 45 years, and despite Reiffel's revelations, the United States government has never officially recognized its involvement in the study.(即時意訳として)「若かりし頃のカール・セーガンがA119計画の低重力環境下での核爆発の効果を予測し、同計画の科学的価値を評価付けするチームに参加していた。A119計画関連の資料は向こう45年間の間、秘され続けたとのものとなり、同計画を主導したNASAの高官である Leonard Reiffelの(2000年の)暴露にもかかわらず合衆国政府は公的には同計画への関与を一切、認めていない」と表記されているところでもある)、 長じもして米国科学界を代表するオピニオン・リーダーともなった(本稿でも先述したことである)とのカール・セーガンといえば、トロイアの崩壊に通ずる嗜虐的反対話法がいくつも込められている(と細かくも典拠挙げながら指摘してきた)小説『コンタクト』、奇怪な911予見言及事物たる物理学者キップ・ソーン著述とも接合するようになっている(とこれまた細かくも典拠挙げながら指摘してきた)との八〇年代小説作品『コンタクト』 ―地上にゲート装置であるブラックホールないしワームホールを生成するとのことをテーマとしている八〇年代小説― の作者(本業の傍らでの作者でもある)としてのやりようを本稿で問題視してきたとの向きでもある。 そうもしたカール・セーガンも参画していた【A119計画】(2000年にNASA高官によって存在暴露されたとの計画)から容易に【911】との数値が想起されるようになっているのは「実にもって不気味.」であり、かつ、現実的危険性が感じられるとのことでもある。
 何故か。
 A119計画(2000年に存在が明示されだしたとの計画)に後続するかたちで合衆国にて実施されることになった宇宙開発計画、アポロ計画に至る前段階の宇宙開発計画の中にはツインタワーの建造開始年次と計画の具体的実行年次を一にする【ジェミニ計画】(双子計画)といったものが含まれているとのことがあり(ツインタワーを含むワールド・トレード・センター全体の起工が開始されたのが1966年であるとのことについては英文Wikipedia[ World Trade Center ]項目にあっての Planning and constructionの節に現行、 Groundbreaking for the construction of the World Trade Center took place on August 5, 1966.「ワールド・トレード・センター建設の起工式は1966年8月5日に実施された」(引用部はここまでとする)と記載されている通りである.またもってしてジェミニ計画の打ち上げが65年から66年に集中していたとのことについては、(計画自体は62年からスタートしていたともされるが)、現行、英文Wikipedia[ Project Gemini ]項目にあって Project Gemini was the second human spaceflight program of NASA, the civilian space agency of the United States government. Project Gemini was conducted between projects Mercury and Apollo, with ten manned flights occurring in 1965 and 1966.(即時訳として)「ジェミニ計画はNASAによって実施された(マーキュリー計画に次ぐ)二番目の有人宇宙飛行計画であり、同計画ではマーキュリー計画とアポロ計画の間をなすものとして1965年から1966年にかけて10回の有人宇宙飛行が実演を見た」(引用部はここまでとする)と表記されているところである.ゾンビ・傀儡(くぐつ)ではなくにも頭がきちんと機能しているのならば、前身の(頓挫して現実化を見ずに計画案それ自体が秘匿されていたとされるものだが)【A119計画】と【ジェミニ計画】の流れから何が述べたいのか分かることか、とは思う)、 またもって加えもして、他の宇宙開発計画たる【マーキュリー計画】やそれに後続する【ジェミニ計画】などの合衆国宇宙開発計画でスペースシャトルを打ち上げるのに用いられたロケットらが、こともあろうに、
サターン・ロケット

アトラス・ロケット
といったものとさせられていたとのことが「ある」、このふざけた世界に具現化している【特定の意思表示の問題(における執拗さへの懸念)】を増さしめることとしてそういうことが「ある」とのこともある
からである (アトラス・ロケットやサターン・ロケットなるものが用いられているとのことについてはよくもって目につくところでは和文ウィキペディア[マーキュリー計画]項目、[サターンロケット]項目などを 英文Wikipediaでは[ Project Mercury ]項目、[ Saturn (rocket family) ]項目などに解説されている(たとえば、和文ウィキペディア[マーキュリー計画]項目では(以下、引用なすとして)マーキュリー計画(マーキュリーけいかく)は1959年から1963年にかけて実施された、アメリカ合衆国初の有人宇宙飛行計画である.目標は人間を地球周回軌道に到達させることであり、1962年2月20日、アトラス・ロケットで発射されたマーキュリー6号によってそれは達成された(引用部はここまでとする)と解説されている).その点、【サターン】や【アトラス】との名称が何故もってして問題になるのかはつい直上の段の内容の一読でもってしても想像いただけることか、とは思う(ので繰り返し表記はなさない))

 上掲図の趣意については図を目で追うことで大体にして理解頂けるか、とは思うのであるが、伝えんとしていることを一応、文字情報にも落とし込んで述べれば、次のこと「も」また問題になるとのことである。

 1958年に Project A119が計画段階で頓挫した計画として考案されていたと「2000年になって」明かされて物議を醸した。そうもした2000年にあって明かされた計画とは異なり、実際に実行に移されていったのが
【マーキュリー計画】→【ジェミニ計画】→【アポロ計画】
との流れとなるわけだが(先立って解説したとおりである)、内、二番目の有人宇宙探査計画である双子計画こと【ジェミニ計画】で用いられた徽章( Gemini Patchとのかたちで現行、目立つように英文Wikipedia[ Project Gemini ]項目に公開されているもの)が「奇怪なことに」2001年、911の事件で現出したありようと視覚的類似型を呈しているとのことがありもする。
 図の一目でもってして瞭然となるべくもしているつもりではあるが、そこを詳しくも書けば、
ジェミニ計画(双子計画)を表象する徽章が占星術記号、いわゆるアストロジカル・サインというものにて双子座を示すII状のシンボルの二つの柱の左右反対方向、その上下に衝突マークのような五芒星がどういうわけか描画されているとのものとなりもする、といったことがありもする中で、2001年の事件では同様に双子の塔であったツインタワーの左右反対方向の上下に(問題となる徽章と視覚的対応関係が露骨に成立しているように)ジェット機 ―既述のようにボーイング7x7シリーズに属する航空機ら― が特攻したとのありようが具現化している
とのことがある。 その点、そこでは異論など普通には生じえないだろう(と上にて書いた)との【飛行機の突撃】については、である。
[壁面にて対称を呈する位置になっており、ノースタワーの「北側」の外壁に突撃した飛行機は99階から93階の合間サウスタワーの「南側」の外壁に突撃した飛行機は85階から77階の合間に風穴をあけることになった]
とのことが公式発表にして共通認識となっているとのことがある(上の図でも図示しているところでもある)。
 については、たとえば、英文Wikipedia[ Collapse of the World Trade Center ]項目([ワールド・トレード・センターの崩壊]項目)にあって現行、 In its final moments, American Airlines Flight 11 flew south over Manhattan and crashed at roughly 440 miles per hour (710 km/h) into the northern facade of the World Trade Center's North Tower at 8:46 am, impacting between the 93rd and 99th floors. Seventeen minutes later, United Airlines Flight 175 approached from the southwest, over New York Harbor, and crashed into the South Tower's southern facade at 9:03 am between the 77th and 85th floors at 540 miles per hour (870 km/h).と表記されているところなどからも即時即座に同じくものことを確認できるところとなっている。
 そして、より細かくも補いもしながら繰り返すが、ここで問題視しているのは
1965年から1966年にかけて度々もってしての有人宇宙探査を成功させてきたジェミニ計画(双子計画)の計画徽章デザイン】

1966年に起工式を見たとのワールド・トレード・センターにあってのツインタワーのビル崩落状況】
を予見的に示しているが如きものとなっているとのことである(少なくとも双子計画と銘打たれての計画で双子状の柱のシンボルの左右対称の方向に上下を別にするかたちで激突マークよろしくの五芒星が書かれているとの一事は双子の塔、ツインタワーズにあってのノースタワー、サウスタワーの対称をなす外壁に上下別ある式で飛行機が突撃させられたこととの相似型を見出せることとなろう.そのことに言い過ぎはないと考える)。
 そうもしたことがある中で1958年にはジェミニ計画(およびその前身となるマーキュリー計画)に先立ってのA119計画なるものが考案されていた(要するに右から左に文字認識を逆転させると911A計画なるものが考案されていた)と「2000年になって」NASA高官に暴露されて耳目を引っさらった(月で抑止力のために核爆弾を爆発させるとのその無茶な内容を含めて耳目を引っさらった)とのことがあることにつき、
【偶然】
の断を下すのは、たとえ無理にでも、困難かとは思う。

(末段に付しての図解部などがまどろっこしいものとなってしまったが、これにて黄金の林檎】および【エデンの禁断の果実】に通ずる執拗性がいかようなものなのかについてさらに加えての説明をなす、 【432000年と結びつく[終末]への道筋】/【ギリシャのクロノス神・ローマのサトルナス神を[アバドン](アポロンと同一視される存在)・[ピュートーン](アポロンとの習合が問題視される存在)を媒介項にサタンと結びつける論理の歴史的存在】との各点らに依拠してさらに加えての説明(アトラス・ロケットやサターン・ロケットといったもので打ち上げられた宇宙開発計画に伴う奇怪性「にも」言及しての説明)をなすとの部を終えることとする)

 以上、指摘したうえで[「包括的」恣意性]がそこにあったと指し示すべくもの

[意味上の繋がり合いにまつわっての分析] ([多重的関係性が成立している折にあっての[恣意]か[偶然]かの問題に対する最終的分析、【 Is the existence of such a [ Multiple Connectivity ]as above [only co-incidental] or [deliberate] ? 】 Analysisにおける 【Semantic】 Analysis ―Analysis based on the consideration of meaning― と述べられもしようとの分析)

に一区切りを付け、これ以降、

[計数的な分析 ―大学レベルの確率論における教養を有して「いない」との向きを想定の下、大学レベルの数学を高等学校卒業時点の知識水準にて理解できるそれにグレード・ダウンしてなすとの話(数式の説明も懇切丁寧になすとの話)― ] Mathematical Analysisとでも表せようもの)

の部に入りたい。

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直下、本稿冒頭部へのリンクを設けておく

(⇒冒頭頁へは下の部より)

[典拠紹介部第1頁 加速器実験に伴う欺瞞性から証示なせることについて]

 上にて挙げているのはドイツ浪漫主義芸術の巨匠たる18世紀画家、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(Freemasonでもあったとの画家 Caspar David Friedrich)の手になる一品、

Der Wanderer uber dem Nebelmeer雲海の上の旅人』(に多少の[動き]をアレンジとして加えたもの)

となる。

 言われようの問題として一般に、

[人間の崇高なる精神が高みを目指し、ついぞ多くの物事を達観するに至った時、その折の孤独と感慨を描いた画]

などと形容される上掲の『雲海の上の旅人』に関して(本稿でもその言行を順次・段階的に取り上げることになるとの)物理学者リサ・ランドールは[次のような申しよう]をなしている。


(直下、物理学者リサ・ランドールの手になる著作 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)にての CHAPTER THREE LIVING IN A MATERIAL WORLD[第三章 物質世界に生きる]の章の記述内容 ――オンライン上検索エンジンにあっての原文検索にて該当部特定できるところの記述内容―― よりの原文引用をなすとして)

Our universe is in many respects sublime. It prompts wonder but can be daunting ―even frightening― in its complexity.  Nonetheless, the components fit together in marvelous ways. Art,science, and religion all aim to channel people’s curiosity and enlighten us by pushing the frontiers of our understanding. They promise, in their different ways, to help transcend the narrow confines of individual experience and allow us to enter into―and comprehend―the realm of the sublime. (See Figure 11.)
          [ . . . ]
[ FIGURE 11 ] Caspar David Friedrich’s Wanderer Above the Sea of Fog (1818), an iconic painting of the sublime ― a recurring theme in art and music.

(上の原著引用部に対する[訳文]として国内流通訳書『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)ハードカヴァー版にあっての81ページに記載されているところを引くとして)

多くの点で、私たちの宇宙は崇高だ。その複雑さは好奇心を駆り立てはするが、無力感も抱かせるし、ことによっては恐怖さえも感じさせる。にもかかわらず、宇宙の構成要素は素晴らしくぴたりと絡みあっている。芸術、科学、宗教は、いずれも人々の好奇心を促して、理解の限界を広げさせ、それによって私たちを啓蒙することを目指している。いずれもそれぞれのやり方で、個人の経験の狭い領域を越えさせることを約束している。それがかなえられたとき、私たちは崇高なものの領域に踏み込む――そして理解する――ことができるのだ(図11を参照)。 …(中略)… [図11]ドイツの画家カスパー・ダーヴィド・フリードリヒの「雲海の上の旅人」は、崇高なものを象徴的に描いた作品だ。崇高さは、美術と音楽に繰り返し登場するテーマである

(以上をもって Knocking on Heaven’s Doorにての原著表記および訳書よりの引用とした)


 さて、何故、ここ脇に逸れての部にあって「目立つように」特定絵画 ― 『雲海の上の旅人』― を挙げ、その絵画に対する物理学者の評しよう ―「雲海の上の旅人」は、崇高なものを象徴的に描いた作品だ....― などを引いたりもしたのか

「それは、」
絵画『雲海の上の旅人』に対して直上引用なしたような評しようをなしているとの物理学者リサ・ランドールが

加速器によるブラックホール生成可能性にまつわるトピックの理論深化に一廉ならぬ貢献をなしているとの著名物理学者

[[崇高なるもの]を目指しての宇宙の探求(およびそのための装置と銘打たれている巨大加速器LHC)の称揚・礼讃をなしているとの向き

であるとのことがあり、また、なおかつ、彼女リサ・ランドールの手による、(絵画『雲海の上の旅人』を科学者が目指しての[崇高さ]とを結びつけている)引用元著作 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)が

人間のありよう(崇高さとはおよそ程遠いところにあるありよう)]
人間の辿る運命

を嘲笑うような[嗜虐的寓意]で満ち満ちていると申し述べられるようになっている著作であるとのことがある、遺憾ながら
[理の当然]
として申し述べられるところとしてある ――個人のせせこましい偏頗(へんぱ)な主観などとは一線を画したところで客観的かつ具体的にこれはこうでこうだと申し述べられるようになっている(出典呈示を第一義にしての本稿では無論、その論拠を事細かに挙げる)とのところとしてある―― からであり、そのことに注意を向けたかったからである(※)。

(※上にて引用元とした著作、 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)、同著にあってはその冒頭部より
September 10, 2008, marked the historic first trial run of the Large Hadron Collider (LHC). Although the name―Large Hadron Collider― is literal but uninspired, the same is not true for the science we expect it to achieve, which should prove spectacular. (表記英文引用部に対する訳として)「2008年9月10日、ラージ・ハドロン・コライダー(LHC)が歴史的始動を見た.[ラージ・ハドロン・コライダー]との名称は有り体に言ってインスピレーションを何ら与えぬとの平凡なものだが、私たちがそれ(LHC)に[証明すべきととらえている壮大なる挙]を託しているとの意では[科学(の進歩)]にとり同じくものことは真実とはならない(LHCは際立ってのインスピレーションを与えるものである)」
などとのことが書き記されている。
 そうもした書きようが目立ってもの冒頭部にてみとめられる著作ノッキン・オン・ヘブンズ・ドアにおける表題、 [天国のドアをノックする]の由来についてリサ・ランドール女史は同じくもの著作の中で次のようなことを述べてもしている。
(以下、 Knocking on Heaven’s Doorにての CHAPTER FOUR LOOKING FOR ANSWERSより引用なすところとして)
I first heard the phrase “knockin”on heaven’s door”when listening to the Bob Dylan song at his 1987 concert with the Grateful Dead in Oakland, California. Needless to say, the title of my book is intended differently than the song’s lyrics, which I still hear Dylan and Jerry Garcia singing in my head. The phrase differs from its biblical origin as well, though my title does toy with this interpretation. In Matthew, the Bible says, “Ask, and it shall be given you; seek, and ye shall find; knock, and it shall be opened unto you: For every one that asketh receiveth; and he that seeketh findeth; and to him that knocketh it shall be opened. (以上原著表記に対して訳書『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)ハードカヴァー版[第四章]103ページにての表記を引くとして) Knocking on Heaven’s Door(天の扉を叩く)]――これが本書の原題だが、私が最初にこのフレーズを聞いたのは、一九八七年、カリフォルニア州オークランドでのグレイトフル・デッドとのコンサートで、ボブ・ディランが『天国への扉』を歌うのを聞いたときだった。いまでも私の頭の中ではディランとジェリー・ガルシアがこれを歌っているのが聞こえてくるけれど、いうまでもなく、私の本のタイトルは、この曲の歌詞とは意味が違っている。このフレーズは出典である聖書の一節とも違っているが、私のタイトルはこちらの意図を拝借したものだ。聖書の「マタイ伝」には、このように書かれている。「求めよ。さらば与えられん。尋ねよ、さらば見いださん。門を叩け、さらば聞かれん。すべて求むる者は得、たづねる者は見いだし、門を叩く者には開かれるるなり
(以上、引用部とした)
 といったところ、新約聖書のマタイ伝にあっての
[求めよ。さらば与えられん。尋ねよ、さらば見いださん。門を叩け、さらば聞かれん。すべて求むる者は得、たづねる者は見いだし、門を叩く者には開かれるるなり]
とのフレーズ、それが
[天国の門]・[天国への扉]・[天国への階梯](ステアウェイ・トゥ・ヘブン)
との兼ね合いでいかように嗜虐的なる別側面での意味( Double Meaning )と共にあるのか、そのことからして具体的典拠を挙げ連ねるとの式で遺漏無くも事細かに示そうというのが本稿の本義であるとここ脇に逸れての部にあって訴求しておきたいとの意図が筆者にはある)

当サイト内にあっての【各頁および各典拠への一覧方式遷移部】、及び、【PDF形式文書配布ページ】へのリンクを直下、設けておく

各頁および各典拠への一覧方式遷移部へは以下より


問題となる[「予見的」言及→実現]の体系についての[典拠紹介部]一覧呈示頁

PDF形式文書配布ページへは以下より


典拠解説媒体としての[一括PDF文書]の公開頁

ここ本頁内の記述内容を支える【「容易に後追い確認なる」「堅い」ソースを呈示しての出典紹介部ら】のうち、枢要なるものへの[遷移経路]を下に設けておく。 典拠について疑わしいとの部があれば、必要に応じて参照されたい (:クリックすることでブラウザ ―インターネット閲覧ソフト― の[別タブ(別枠)]にて典拠紹介部を表示( open "additional" tabbed window(s) of web browsers ))

[出典(Source)紹介の部35]LHC実験とトロイア崩壊およびアトランティスの関係性を示す命名規則上のありようにまつわっての部LHC実験にあっては[(トロイア崩壊の因たる)黄金の林檎の在処を知ると神話が語り継ぐ巨人アトラス]の名前を冠する検出器ATLASおよび黄金の林檎の果樹園とも同一視されもするアトランティス]の名前を冠するディスプレイ・ウェアATLANTISによって生成極微ブラックホール捕捉をなしうるとの可能性が取り沙汰されてきたとのことについての出典紹介の部35)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第30頁 アトラス・アトランティスとLHC命名規則の繋がり合い

[出典(Source)紹介の部55](ダンテ『地獄篇』およびミルトン『失楽園』にあって[「今日的な観点で見た場合の」ブラックホールの質的近似物]が描写されていることにまつわっての出典紹介部55)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第46頁 ダンテ『地獄篇』とミルトン『失楽園』に見るブラックホールに通ずる描写

[出典(Source)紹介の部55(3)](ダンテ『地獄篇』およびミルトン『失楽園』にあって[「今日的な観点で見た場合の」ブラックホールの質的近似物]が描写されていることにまつわっての出典紹介部55(3))
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第47頁 ダンテ『地獄篇』とミルトン『失楽園』に見るブラックホールに通ずる描写[2]

[出典(Source)紹介の部63(3)](発掘碑文にみるギルガメシュの不死を求めての冒険譚とヘラクレスの第11功業の純記号的一致性について解説するためのものである出典紹介部63(3)以降の部)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第57頁 ギルガメシュ叙事詩と洪水仮説の関係性[7]

[出典(Source)紹介の部100](新約聖書『使徒行伝』に登場する[占いの霊]という存在が[元来、ギリシャの神託の地デルフィにて崇められていた大蛇の怪物パイソーン(ピュトン)が変じての存在]であるとされていることにまつわっての典拠紹介部100の部)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第117頁 重大事件の先覚的言及と『使徒行伝』に見る占いの霊

[出典(Source)紹介の部101]先に発生した911の事件は(飛行機が突撃したツインタワーのみならず)ワールド・トレード・センターに存在していたビル七棟がすべて倒壊したとの事件となる】、 【その中身が適正なものか否かはとりあえず置き、かつてそこにあったワールド・トレード・センターの第七ビルに関してはそれが発破倒壊 ―コントロール・デモリッション(ビルを炸薬を用いて一挙に破壊して解体処理する手法)― によって倒壊したのだとの申しようが専門家団体、[建築家団体]より呈されている】、 【911の事件が発生する「直前」、2001年7月にて、「アメリカで[アルカイダ]と[オサマ・ビン・ラディン]の犯行を名目にしての政府関係者筋による[自作自演のテロ]が起こされることを警告していた」との有名な論客が存在している】とのことらを各別に紹介しての典拠紹介部101の部)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第117頁 重大事件の先覚的言及と『使徒行伝』に見る占いの霊

[出典(Source)紹介の部106(3)](1973年公開の映画作品『タワーリング・インフェルノ』がいかようにもってして多重的に911の予見的言及作品となっているのかにまつわっての典拠紹介部106(3)の部)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第123頁 フリーメーソン象徴主義と911発生の予言的言及[3]