典拠となるところの明示[144]――付録の部と位置づけしもしての確率論的分析。
ベイズ主義による[現象](データ)から判ずる[原因](仮説)の確率判断

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ここまで指摘してきた事柄らの偶発性(あるいは恣意性)の度合いを計数的に分析するとのやりようについて解説するうえでまずもって指摘すべきと判じもしていることらについて

 先立っての頁までにて、である。本稿にて従前、摘示してきた事柄らに対しての[(関係性の背後に見てとれる)意味上の繋がり合いに対する分析]をなし終えたとして、である。

 これ以降の段では[複雑な意味上の繋がり合い]から離れての計数的側面を強く問題視しての分析をなすとどうなるのかの解説をなしていきたい、そう、

[ここまでにて「段階的に説明を講じ」多くの人間にそういうものであるとの理解をなしていただけるとのかたちで延々と証示してきもしてきた事柄ら]

に対していかなる[確率論的分析]がなせるのか ―特定の事実関係の実在がはきと呈示されている場合にそうしたことが【偶然】として成立している目算はどれくらいか、【恣意的】にそうもなっている目算はどれくらいか、とのことについていかなる[確率論的分析]がなせるのか― の解説をなしていきたい (:より具体的には文系理系の有無を問わずにもの高校卒業程度の見識にて理解なしていただける程度にグレード・ダウンしての[ベイズ確率論(というもの)に基づいての懇切丁寧を心がけての説明]を講じていきたい) 。

 そうもした確率的分析をなしての以降のセクションでも無論、

【「遺漏無くも理解なしていただけるように、」との微に入り細を穿ちての[数式]及び[数式が示すところの概念]に対する段階的説明】

もきちんとなすつもりだが(何度も何度も申し述べているように本稿スタンスは【異論が生ずるようなところではないとのこと】であり、かつもって、【重篤な状況を指し示すこと】を[語るに足りる向きら]に「必要十分な式で」訴求することにありもし、筆者この身にそうもしたものに対する自負と責任の意識があるからそこまでする、【微に入り細を穿ちての数式および数式が示すところの概念の段階的説明】までをもなす所存である)、 だがもって「最低限の」数式の類すら毛嫌いするとの方々には辟易されるような話を展開することは避けられないとのことにもなる。
 そこで以下のことをまずもって申し添えしてもおきたい。

「これ以降の部は高等学校卒業程度の見識程度で把握できるとの式で[(ベイズ確率論というものにおける)ベイズ推定の理念・応用]を基軸となしての確率分析をなしていく所存だが、といったものである同部は(本論に対する)付録が如き位置づけを与えての部に留まる。
 であるから、もしなんであれば ―数式に対する拒否反応の問題として苦痛を感じるのであれば― 無視していただいても構わない。
 何にせよ先立っての部までにて長大な本稿にて訴求すべきことはあらかた訴求し終えたとのかたちとなっており、その真偽検討にここ確率的分析の部は絶対的必要であるといったところではないがゆえにそうも述べる(ここセクションは現況がどれだけ危険な状況にあると判じられるか、そのありようを単純な計数的モデルにてバロメーターとして「補って」示すことにある)」

 それでは以下、本題に入る。

 まずもっては

[前提となる確率論についてのあれやこれや]

に関する話を極々基本的なところとからなすこととする。

 ここでは最初に極々基本的なところ、

【確率】

との概念について[中学校卒業程度の識見の保持]で理解できるとの式での話をなすことからはじめたい。

 さて、話を極々単純化させて話すが、読み手たる貴殿がサイコロを振ったとしよう。

 その際にあって、

【サイコロを振って特定の目が出るとのその結果】

を確率論では【事象】と呼ぶことになっている(そちら【事象】について英語では[一回の出来事]との語感でEventイベントと呼ぶやりようがとられている。[一事象=ワン・イベント](「サイコロを一回振ったとのワン・イベントだね」)との認識で見てもらえれば、何のことはない、との式での[事象]のざっくりした理解がなせることか、と思う)。

 さらに述べれば、サイコロを振るというその[行為]は【試行】などとも呼び慣わしもする ―サイコロを一回振るとの【試行】の結果であるところのサイコロの目のどれかが出るとの【事象】が発生するというわけである― 。

 繰り返すが、

 【サイコロを振って特定の目が出るとのその結果】

を確率論では【事象】と呼ぶわけだが、「ただ一回だけ」サイコロを振るとのケースではそうしたものとして定義できる【事象】は全部で6通りになる。

 すなわち、1の目が出る、2の目が出る、3の目が出る、4の目が出る、5の目が出る、6の目が出る、の6通りである(別段、難しい話をしているわけではないことはお分かりだろう。要するにサイコロの目の出方という確率を考える際に考察対象となっているサイコロの目の出方のパタン ―考えられるところの出目のありよう― を【事象】などという小難しい言葉で表現している、ただそれだけのことである)。

 以上のように「ただ一回だけ」サイコロを振るとのケースを例にした場合は

【全ての事象】

は[6通りの目の出方](及びそれら[6通りの目の出方に対応する確率 ―イカサマなどとは無縁なるよくできたサイコロを顧慮すれば、各々の目の出方がきっかりと[1/6]となるとの確率― )に収斂(しゅうれん)している。

 そうもして【事象】らによって指し示される[ただ一回だけサイコロを振っての目の出方を顧慮した際の(観念上の)確率の[配分され度合い]の枠組み]を

【確率分布】

という(との呼び方の決まりが定めてられている)。

 これまた極々単純化させて述べれば、サイコロの1の目が出る、2の目が出る、3の目が出る、4の目が出る、5の目が出る、6の目が出る........そうもした各事象らがそれぞれ6分の1、6分の1、6分の1、6分の1、6分の1、6分の1、6分の1、6分の1との確率を伴って「分布」しているとの確率の[配分され度合い]の枠組みを【確率分布】と表する(仮にサイコロに分銅が仕込まれていた場合、何回もサイコロを振るとのかたちで[試行]を繰り返していく内に確率分布は例えば、1が[3/5]も出て、その他の出目の確率の和が[2/5]となるようなものになるかもしれないが(いかさまゆえに1の目が5回中3回も出る傾向となっている)、ここでは分布の中身は問題とせず、取りあえずも、確率分布とは何か、にまつわっての中学生でも分かろうとの説明をなしている)。

 といった【確率分布】はより複雑なケースであろうとそれを構成する事象を足し合せると[100%]が導出されるものとして表されるものである(たとえば、ここでの[サイコロを一回だけ振る]との例では1から6の目が各々出るそれぞれの確率たる[1/6]を足し合せての可能性が1、すなわち、100%であるとのことは「中学生でも把握している」ような基本的なる確率の話である)。

 さて、上にて例示したようなサイコロの出目にまつわる確率分布については、である。
 そのありようは[「ちりぢり・てんでばらばら」すなわち離れて散じている、「離散的」な事柄にまつわるもの]となる(たとえばサイコロを振って1が出た、2が出た、3が出た、といったかたちで【事象】が([1試行]→[1事象]との判断にあって)「明確に区分け」されている、すなわち、目が決まり切った式でばらばらにでてくる「離散的」ありようである)。
 といった離散的ケースとはまた異なる場合も考えることができてしまう。たとえば、

【「~以上」「~以下」といった括りで普通には見られるような対象(連続性の問題が観念される対象)】

の確率分布を妥当なるものとして呈示せよとのことになると高校卒業程度の識見を持っていても ―知性の問題ではなく知識の深度の問題として― 世間人並みの人間には理解がなかなかもって及ばない領域に入ることか、と思う (:[「~以上」「~以下」といった括りで普通には見られるような対象を想定しての確率分布]は連続確率分布、日本の数学教育における数学Cの領分に最近では分類されているとのそちらがそこにかぶるところともなると思うのだが(ただし改訂は顧慮しない)、多くの大学生が理解しているかの別なく学ぶことを強要される統計学と確率論の根本原理にしてそれらを橋渡しをなす[確率密度関数]と呼ばれるものの領分となる ―そして、その奥まっての背景まで理解するには確率測度というものにまつわる[測度論]というものの深い理解が要されるようになっている― )。

 離散的ではない、連続的なる値を取る対象の確率を分析するというのが[確率論の主戦場]を巡る話だが(そして[統計学]がそれなくして成立しない話でもよい)、実のことを言って、といったところの解説、確率密度関数の細々とした解説さえ必要ないとの式、複雑なモデルを極めて単純化してしまうとの式での

近代までに概念提唱されてきた確率論の基本的発想法] (数学史にあっての大家ピエール=シモン・ラプラスの時代までに広くも発表され、実演は計算機能力の未熟さから応用はできなかったが、概念としては理解されていた確率論の基本的発想法)

でもってして[ある程度複雑な仮説の枠組み]を「計数的に」分析することもできるとのことがある、そう、相当程度、現実的状況から背面の実体を分析する確率分析がなせるようになっている」とのことがある (※そして本稿では懇切丁寧に説明しながらそのなしようをこれより解説していくこととする ―尚、筆者は経営学修士号なぞを取得しているからでは断じてないが(事業をなすうえで知識・人脈を広げる一助にならぬかなどと考えていたとはいえども現行、『[下らぬもの][人を眩惑し最後には裏切るのであろうとのシステムに忠実なだけの[役者][紛い物]ら好みのもの]を取得したものだな』とそちら経営学修士号というものについては心底、冷めた眼で見るに至っている)、この身は計数的なことに普通人よりは親和性が高いともって任ずるとの者であるため、そういう説明が世間一般の人間よりは流暢になせるとの背景がある― )

 にまつわってここで取り上げるのは

【ベイズ確率論の基礎的手法】

である (これより分解して段階的に数式および数式にて示される概念の意味を段階的に解説していく所存であるが、【ベイズ確率論】における【ベイズ推定; Bayesian Inferenceと呼ばれる手法を厳密に定義付けして対象に対して適用していくことをなす)。

 さて、それが一体全体いかようなものなのかについての解説、公式の意味にまつわる説明を付しての解説は後々の段にてなすとして、である。
 ここでは先駆けて【ベイズ確率論】というものが、そも、いかように説明されるものなのか[最近世に出た書籍にての説明のされよう]をまずもって引いておこう ――数式しか見ず、概念も理解できていないとのありよう(日本の高等学校なぞで用いられる[考えぬ馬鹿を造り出すためのものか]とすら見える愚書ら、「最初に天ありき」的なる見るに堪えぬ[物理]や[数学]の科目の教科書ではそうしたありようしかもたらされまいと見るところのありようでもある)を望ましく思わず、であるからこそ、自分の言葉で十分に説明できるとの段階に至れるまで自助努力することにしたとの筋目の人間が筆者なのではあるが、にもかかわらず、ここで引用形式での紹介をなすことにしているのはひとつに[多少専門的なことにまつわる説明]を筆者自身がなしたとしても、である。(世間一通りの普通人にとっては)「こいつはおかしなこと(容れがたいこと)ばかりを言うやつだからどうせ真っ当な話ではない.「異端の」論調だ」などとの[決めつけ;予断]に囚われ、そうした[予断]の影響がゆえに[筆者を信用したくはないとの人間]の心に一石を投ずることとはできないか、と考えているがためである―― 。


| 出典(Source)紹介の部114 |

 ここ出典(Source)紹介の部114にあっては

[そも、確率論におけるベイズ主義とは何か、とのことにまつわっての世間的解説のなされよう]

について紹介しておくこととする。

(直下、2008年に世に出た英国の数学者兼サイエンス・ライター、そして、スタンフォード大の影響力ある職員でもあるとのことであるキース・デブリン(という著者)の手になる The Unfinished Game: Pascal, Fermat, and the Seventeenth-Century Letter that Made the World Modern(邦題)『世界を変えた手紙 パスカル、フェルマーと<確率>の誕生』(岩波書店刊行)の130頁から133頁よりの引用をなすとして)

 保険などに確率論を応用する場合の未来予測は、本質的に同じタイプのものがたくさんあるとき、その平均の意味で信頼できるに過ぎない。しかし今日の我々は、また別の方法で確率論を用いている。つまり、我々が「ある特定のできごと」を予測しようとするとき、その予測が正しい可能性を測ることである。この発想が実りをもたらすにはコンピュータの発展を待たねばならなかったが、今日のリスク管理社会へ向け、この問題を解決するための最後の数学的ステップは、
とてつもなく強力で巧妙な数学公式
だった
。この公式は、趣味として数学を研究していた、一八世紀イギリスの目立たない長老派牧師によって開発された。トーマス・ベイズは一七〇二年にロンドンで生まれた。
・・・(中略)・・・
 今日では、ベイズは輝かしい数学的精神の持ち主として知られているが、存命中には一つも独自の数学論文も出版しなかった。(死後に私的なノートが発見され、そこには確率論、三角法、幾何学、方程式の解法、級数、微分学、電気学、光学、天文力学についての研究が残されていたのである)。
・・・(中略)・・・
 ベイズの方法は「新たな」仮説の確率をどのように計算するかを教えてくれるのではない。むしろ、新たな情報がもたらされたときに確率を「更新する」方法なのである
 まず、ある仮説Hの確率を表す値から出発する。この数値を仮説Hの「事前確率」と呼ぶ。いま、ある新しい情報Eがもたらされたとき、Hの確率を更新するための計算をするこの新しい値を「事後確率」と言うこの更新は、ベイズの公式(ベイズ則)として知られる数学的公式に適切な値を代入することで得られる事前確率は当て推量や見積りでよい。新しい情報が十分に与えられれば、ベイズの更新手続きによって、もっと正確な確率が導かれるベイズの方法を繰り返す用いることで(普通はコンピューターを用いる)、相当に乏しい事前確率からでも、毎回新しい情報が得られるたびに、十分に信頼できる事後確率へと変換していくことができるのだ。(とは言え、この方法もコンピュータに頼り過ぎることへの、有名な金言から免れているわけではない。つまり、「ガベージイン、ガベージアウト(ゴミを入れれば、ゴミが出てくる)」。) 
 この方法は(最初の)事前確率である「種」となる初期値に依存するので、ベイズの方法が知られてから二〇〇年もの間、統計学や確率論分野の人々からほとんどに無視されてきた。しかしながら、一九七〇年代からは、強力なコンピューターによって膨大な量の情報を繰り返して処理できるようになり、しばしば最初の事前確率の不正確さを乗り越えられるようになったため、一般的に広まるようになった

(邦訳版よりの引用部はここまでとする ―※― )

(※上にあってとてつもなく強力で巧妙な数学公式と言及されているものの式、及び、その数学的意味合いについて以降続いての段にて高校生でも分かる程度に噛み砕いて解説する。尚、上の引用部にてはこの方法は(最初の)事前確率である「種」となる初期値に依存するので、ベイズの方法が知られてから二〇〇年もの間、統計学や確率論分野の人々からほとんどに無視されてきた。しかしながら、一九七〇年代からは、強力なコンピューターによって膨大な量の情報を繰り返して処理できるようになり、しばしば最初の事前確率の不正確さを乗り越えられるようになったため、一般的に広まるようになった「とも」記載されているが、そうもした記載は[【主観確率】(その概念としての説明も後ほどになす)のあやふやさを繰り返し与えられるデータのコンピューティングによる処理で克服出来るとの意味合いの書きようともなり、70年代にあって(今までに比べて)「強力な」コンピューターが登場してきたとのその時代趨勢を活用するとの式で今日に生きる研究者、そして、市井の数学的教養ある向きら(ときとしてハイ・パフォーマンスを挙げんとする本当に職務に熱心なマーケティング分野担当者であったりもする)がExcelのような基本的表計算ソフト、スプレッドシート上での出来合いの関数使用機能の応用によって行列上にて瞬時にベイズ確率論を用いられるようになっているとのその状況を指しもし(ただし統計学の利用や金融数学計算で威力を発揮する普通の高機能電卓ではそうした確率分布にまつわる計算はまずもって意をなすようなかたちではできないとも明言しておく)、そちらソフトウェアに基づいての分析のなしようをも再現方法込みに(無論、意味を懇切丁寧に説明しながら)本稿では呈示することとする)

(さらにもってしての付記として)

 上の書籍よりの引用部にてはイギリス国教会牧師ベイズが[ベイズの法則を世界にもたらした恩人である]との趣意の記載がなされているが、但し、ベイズ死後、同概念の流布に貢献したのは(万物を把握する存在を想定しての【ラプラスの悪魔】の仮定でも有名なフランスの数学者であるところの)ピエール=シモン・ラプラスであると一般には認知されているので、(要らぬことか、とは思うのだが)、にまつわっての世間的説明のなされようも下に引いておく。

(直下、現行にての和文ウィキペディア[ピエール=シモン・ラプラス]項目の記載内容より一言のみの引用をなすとして)

「天体力学概論」は、1799年から1825年にかけて出版された全5巻の大著で、剛体や流体の運動を論じたり、地球の形や潮汐の理論までも含んでいる。数学的にはこれらの問題はさまざまな微分方程式を解くことに帰着されるが、方法論的にも彼が発展させた部分もあり、特に誤差評価の方法などは彼自身の確率論の応用にもなっている。また、現在ベイズの定理として知られているものも、ラプラスが体系化したものであるので、ベイズよりもラプラスに端を発するという見方も強い。

(引用部はここまでとする ―※― )

(※なお、ラプラスがベイズの方式を確たるものとしたと上にて表記されているが、ラプラスの時代にはベイズの法則を用いての確率計算は([理論上の困難さ]ではなく[膨大な数値を処理する手間暇]から)実行が困難であったのことがあり、そうした事情が計算自動処理技術の発展によって克服されたとのことがある。それが先に『世界を変えた手紙 パスカル、フェルマーと<確率>の誕生』との著作より引用なしたところの[しかしながら、一九七〇年代からは、強力なコンピューターによって膨大な量の情報を繰り返して処理できるようになり、しばしば最初の事前確率の不正確さを乗り越えられるようになったため、一般的に広まるようになった]との意味するところである(そうしたことについては【ベイズ分析】を実地で片手間にでもやったことがある人間ならばすぐに分かろうとのものである)。因(ちな)みに本稿ではこれよりラプラスの代表的著作とされる Essai philosophique sur les probabilites(1814)にて目立ってもちだされだしたものであることが英文Wikipedia[ Pierre-Simon Laplace ]項目程度のものにも現行記載されているとの[ベイズ推定の一般公式] (意味・導出の仕方も「高校生でも分かろうとのやりようで」後の段にて丁寧に解説する所存であるとの著名な公式) を原始的かつ即席的やりようで用いることでどういった確率的目分量が呈示できるのか、説明をなしていく)

出典(Source)紹介の部114はここまでとする)


 直上の出典紹介部にて紹介したようなかたちでの解説がなされもする、

【ベイズ確率論に依拠しての分析】

[本稿にて摘示してきた多重的因果関係成立事例の束ら](ここに至るまでハードカヴァーにて10冊を越えるような文量 ―ワープロソフトの文字カウント機能にて数百万字に達するとの文量― を割きもして摘示してきた多重的因果関係成立事例の束ら) に対していかように具体的に適用できるのか、の説明をこれ以降、噛み砕きながら、そう、くどくも同文の言いまわしを用いれば、文系理系問わずにもの高等学校卒業程度(高校生程度)の見識にてでも理解出来るように噛み砕きながら、なしていくこととする。

 先立ってのA.の段で【事象(確率論における事象)】とは何か、【確率分布】とは何か、の話を(高校生レベルとすら言わずにもの)中学生レベルの識見で理解できるような式で説明をなした (その上で続いての直前B.の段では多少込み入っての付説を(まったくもってして委細に踏み込まずにも、の式で)加えもした)

 さて、といった【事象】【確率分布】に関する基本的理解だけはこれ必須とのかたちでまずもって要されるとの確率論、その確率論を展開するうえで[最初にそれを決めねばならぬ]のは
【一体何を確率論の対象に据えるか】
とのことである。

 そう、確率の枠組みとして
「一体全体、何の確率を分析するのか」
を決する必要がある (対象となる確率的枠組みは出目が8面あるサイコロを振る【試行】にての確率の枠組みである、といったかたちにて、である ―もってまわった言い方をしているが当たり前のことを述べているつもりではある(確率の対象として何を考えるのか考えてもしない段階で確率論の話を展開しようなどというのは落語に出てくるおっちょこちょいの話のようなものだというわけだ)― )。

 ベイズ確率論の場合、そうした確率的枠組み(確率に詳しき向き流に言えば[確率空間]といったものにも通ずる枠組み)に分析者の主観の問題を導入するようなものとなるのだが(直近にてのB.で引いた書籍『世界を変えた手紙 パスカル、フェルマーと<確率>の誕生』にてからして[事前確率は当て推量や見積りでよい]とのかたちでそういうことが言及されているところでもある)、 しかし、さはさりながら、
「いい加減なことを論じようというのか」
などと勘違いしていただきたくはないところである。

 につき、ベイズ確率論では
【基礎となる仮説(の枠組み)】
というものをまず「計数的に」設定・定義付けしなければならない(それら仮説が現実に成り立ち得るものなのか、あるいは、成り立ち得ないような排除して構わぬものなのか、それは手持ちの具体的データーから逐次判断していくとのプロセスを踏むとしても、そも、計数的に設定・定義付けしての仮説の類 ―後にどういうものか具体例をもってして厭となる程に解説する所存であるとの仮説の類― がそこになければ確率論は展開できない)

 それら計数的に定義付けしての仮説らの確からしさの目算にベイズ確率分析をなす人間は(後々、数式とデータによって修正していくとの)[曖昧さ]を導入するわけだが(たとえば、[仮説Aでは~とのことが~%で成り立つ]等等とのことについて最初は目分量・当て推量の側面が強いかたちでの定義づけをなすことが許容されるとのやりようをなすベイズ確率論が[主観確率]にまつわるものであると言われる所以はそこにある、 そうもした仮説らの成り立ち度合いを検討する上での基礎となるデータ、現実的状況を体現しての[観測事象]のありようは厳密に定義され、そうもしたものとして[事実]として「間違いなく」捕捉されている必要がある。

(:はきと観察されるデータの集積から法則性、結果の再現性を論じようというのが[主観を排しての[科学;サイエンス]というものの本質的ありよう]であることは論じるまでもないことであろうが、仮説定立・仮説らの計数的枠組みにて主観を介在させるものでありはしても)、ベイズ確率論「にも」当然にそうした科学の本質たる性質は強くも当てはまる
 問題はベイズ主義にあってもデータの捏造がなされる、あるいは反証となるデータが一切合財ないし多く無視されるとのことがまかりとおり、もってして、
【仮説の計数的定義付け】
が適切でも
【データ ←(対応付け)→ 仮説の適正さ判断】
とのプロセスが詐欺的に他を瞞着する(騙す)ものたりうる危険性があるとのことである(これは実際にベイズの公式を活用したことがある者として他を欺瞞する詐欺を構築しようとした場合、どういうやりようがなされるのかを考えたこともある人間として述べていることである)
 その点、見る限り、科学的手法をとっていはするが、実体は科学の名を騙った詐欺であるとのことは社会に往々にしてある (ある実験結果が出ているとしつつも実はデータが捏造・歪曲されている、反証データが無視されているとの式で、である)。 そうもしたことがある中で【科学の線引き問題】では【容れるべきところ】と【容れるべきではないところ】を分けもして前者をして【真っ当な正当科学】、後者をして Pseudo Science【疑似科学】・ Pathological Science【病的科学】と表するわけであるが(尚、フリンジ・サイエンス、いわゆる、【境界科学】との言葉もあるが、そちらはレッテルの問題も介在しうるところのもの、定義上の問題として正当派にランクアップする可能性があるものに対しても用いられる呼称で後者の【容れるべき「ではない」ところ】とは無条件には見れないものである)、ベイズ確率論の場合、そもそもその前提自体からしてねじが数本飛び出ており狂っている(事実になんら依拠していない)との傾向が強い【疑似科学】には縁があまりないと見えるのではあるも、 Pathological Science【「病的」科学】というものの方には親和性が強いと受け取れるようになっているものではある。どういうことかと述べれば、(証拠のまったくないところで空中楼閣を造っているわけではないが)微少なる証拠しかないところでそれら証拠を過大評価する、所与の事前確率(前提たる確率)の状況を異常に自身の帰結に近しいとの式で見積もるとの式でのベイズ主義の悪用濫用がまかりとおる、それでもってして話者が科学の名を騙りながらも現実を自身の主張に近しい方向に曲げるとの病的科学が定立・具現化されている、というより、病的科学の言い分そのものが往々にしてベイズ主義「的」であるとのことがある。ゆえにベイズ主義のそういうところには注意をなす必要があると受け取れるようになっているのである。
 だからこそ申し述べたいのだが、ベイズ主義それ自体は歴(れっき)とした科学的手法の一角をなすものではあるも、それを悪用濫用しての病的科学のそれと筆者申しようが言えはしないのかきちんと判断いただきたい、にまつわっては、言える、あるいは、言えないとすれば、それは何故なのか、との観点で(識見ある向きには)きちんと批判的に分析いただきたいと考えている (:尚、向きによっては【実態的状況(呈示データ)それ自体の異常さ】をもってして[容れる・容れない]にあっての[容れない]の理由にするだろうが、データにて示唆される状況が異常異様である、たとえば、[人間の、人間による、人間のための世界という観点がまったくの虚偽であることを示すものである;この世界には霊長類たる我々以外の存在の関与を示唆するような側面がある][といった中で一部の人間は人間の名に値せじのただの糸繰り人形にすぎぬと示唆するような側面がある](ある種の人間が小学生に毛が生えた程度の知能しか有していないとの性質しか有していないにもかかわらずいきなりアインシュタインの相対性理論にまつわっての式を展開しだすような、あるいは、絶対に環境問題として予見できないようなことを奇怪な式で、それも恣意的な式で予見するような口の動きをなさしめられるマーベラスな糸繰り人形となっていると示唆するような側面がある)といったことがあれば、無条件にそうしたデータで示される方向にまつわっての仮定(e.g.一部の人間は人間「未満」の糸繰り人形である)をも排除しないのもまた科学というものである(と述べたい)。 一般論としてであるが、自分の容れたくはないことを認めない、自分の見たくはないことを見ない、自分のそうだと信じたい状況を[現実]と混同するのは典型的暗愚下愚の兆候ともなろう、かつ、宗教(というもの)の領分であろうとはきと述べもするところとして、である ―さらにいえば、暗愚下愚に留まり続けるとのありようでは[知性]([情報・状況を正確に捕捉・見据え対策を考案するとの能力]でもいい)が生存の条件になっているところでは「生き残れはしなかろう」とも冷たくも言い放ちたくもあるのだが、そうしたマインド(属人的観点)の話は(そも、心ある人間がこうもした世界にそうそうにいるのかにさえ楽観的になれぬ人間として)ここではこれ以上なさない― )
 とにかくも、筆者としては数式を用いての科学言語であれ、日常言語を用いての自然言語であれ、きちんと手順を踏む、詰(つ)むとの上で行き過ぎがないようにと努めているつもりである、従前の自身の行き過ぎたやりようを心底恥じ入りもして「本稿では」そうも努めているつもりであるわけだが、その点について、この身の言いように行き過ぎ・言い過ぎのきらいがないか(【真実を巡る盤面】で詰(つ)みを試みる過程にて手駒をまったく的外れに動かしていないか)とのこと、真っ当な読み手にはきちんと批判的に検証いただきたいと考えている次第である(そして、結果、目立っての欠陥がないという状況ならば 自身の足下をよく理解できただろう、であれば、出来れば、そう、押しつけなどできはしないが、彼我の力量が瞭然としているとの中の死地にあってでも「できればもってしての」行動をなして頂きたいものではあると求めたいとも思っている)
 いささか逸れすぎてのことを申し述べた節があるので話を引き戻す。
 なんら委細に踏み込んでいはしないとのこの段階ではご理解いただけないかもしれないが、話が進んでいく中で (理解する気があるとの[ここでの話をなすに見合った特性を有しておられるとの向き]には) ご理解いただけるように努める、そうもしたことに通ずるところとしてここまでの話が含意していることには
[計数的に定義されていても個々の仮説が[正しいこと]が求められているということ「ではない」]
とのこともまたある。ベイズ主義ではどの仮説が正しいと判じられるのか、どの仮説を残すべきか見極めるうえでの体系であって個々の仮説に過度の思い入れはなさないし、なしてはいけないこととなっている。
 そして、といった中で、(再言するが)、
「「まずもっては」仮説らの【基礎となるデータら】がきちんと捕捉されていると言えるのか、かつ、さらに捕捉されていくだけの(それらデータら性質に対する)定義付けをなすが必要がある」
とのことだけは必須条件として求められていること、お含みいただきたい)

(直上最前の断り書きの部から引き戻しもし、)直覚的に当たり前であると判じられるところに落とし込むとの式で極々単純化させて話を続けよう。サイコロを振ることを問題視していることさえ[あやふや]ならば、よりもっては、サイコロを投げて1から6が出るだろう(あるいは出そうである)といったことさえ[あやふや]ならば(そして、といった中で甚だしくは[観測データ]として149や1万などといった数が出てきているのならば)、そのような状況は何にせよ、
[出目が6つあると「想定」してのサイコロにまつわる確率論]
の対象とはなすべきではないし、ならない(のは言うまでもない)。
 であるから、
[出目が6つある(あるいは8でもいいし100でもいい)と「想定」してのサイコロにまつわる確率論]
を顧慮していると言えるだけのデータの枠組みを明確化しておく必要がある。
 反言反対解釈の問題として押し広げて申し述べれば、[観測対象]が確率論の領分となるきちんとした定義を伴ったものとして顧慮されることにならなければ、そもそも確率論の対象にならず、放逸を見ての印象論の領分にしかならぬとのことになる (:それは[科学的手法]と[神秘主義的な類による当てにならぬ純然たる主観・印象論的目分量]の間に横たわる圧倒的な垣根の問題とも言えるであろう)。
 といったことが一般論として述べられる中で([主観確率]などとは言うが)特定のデータにまつわるものとしての仮説らの確率論的枠組みを純・計数的に構築し、に対して、厳密にそうしたものであると特定してのデータらを当てはめていく ―具体的やりようはこれより呈示していく― ことで
【どの仮説が一体全体、もっとも現実的状況に近しいのか】
とのことを計算していく ―きちんとそうなるべくしての数学的裏付けがある定型的な式・方法で計算していく― のがベイズ確率論となる。 

 くだくだ・くどくどと総論的なる解説を続けるようでなんではあるのだが、そうした意味ではベイズ確率論「では」 ―いや、[[飛躍]を[跳躍]ではなく字義通りの[飛躍]にしか出来ぬとの神秘主義者や宗教的な徒輩、あるいは、それに類する[事実に対する認識][諸々の事実の意味判断]さえなせぬとの相応の部類のやりよう]「ではない」ところのすべての真っ当な事実分析の論理的・理性的プロセスにあって「では」、としてもいいのだが― 
【そうしたものであると定義付け・分類がなされている事実を反映してのデータ】 ないしは具体的サンプルが不足を見ている中ではベイズ統計学にて統計的意味付けを与えるべくものデータ定義)

【データの選り分けの方式】
が非常に重視されることになる (と強調したい ―それはこれより解説するところとして【数学】未満の話、システムエンジニアなどがそれを重視する【手順】のレベルでの話だが、極めて重要なるところであるとも言える― ) 。

 以上申し述べたうえで続いての段では

【何を確率論の基礎に据えて考えていくのか】 (いいだろうか.一事が万事の式で本質を狙うように極々単純化して述べれば、分銅が仕込まれていないかとの式でサイコロの目の出方を問題にするにしてもそのサイコロの目は1から6なのか、1から8なのか、といったことを確定させる、そういった話に通底するところと見てもらってもいい

に関わるところとして、

[[事実としての情報]を念頭にしての具体的な[データの選り分けの方式]]

を明示していくこととする(※)。

※いまひとつもってしての補足説明(めかしての表記)を一応なしておく。

 直上、これよりもってして、

[[事実としての情報]を念頭にしての具体的な[データの選り分けの方式]]

を明示するとしたが、データ選り分けの式を本質をえぐる方向で適切に考案・定立するとのことは

本当に人間に相応しい特性を有している者

にしかできぬことであろうと筆者は見ているし、そう判ずべきだけの理由がある。

 それがいかに複雑なものであれ、数式を手繰り、その解答を呈示することだけならばはっきりと述べ、

[単純機械] ([人工知能]に「満たない」単純機械)

にでも出来る、あるいは、

[思考作用を伴わないとのマニュアル遵守人間]

にも出来ることであろうと受け取れるが(たとえば人工知能に制御されて与えられたマニュアル通りに動くだけの下位ロボット ―彼は【陰謀論者】という立ち位置で振る舞うロボット人間かもしれない― でも指定データをいい加減に切り貼りして相応のばかげた漫談めかしての一文を導出することはできるかもしれない)、

[複雑性を呈する現実世界の諸相をよく見ながら事実を(それが事実と裏取りなしながら)収集して、それら収集事実の間に横たわる枠組み(事実関係)のありようを捕捉同定し、捕捉同定しもした枠組み(事実関係)の意味性を判断する ―特定の規則に合致する関係性が数多あるのならばそれはどういうことなのかの重み付け判断をなす― ] (極々単純化させもして述べれば、(思索対象となるのがサイコロ関連の話であるとして)[それは果たして出目が1から6となるサイコロにまつわるところとなると適正に述べられるのか]についてデータ収集結果から判断をなし(1や6との数が漫然としてそこにあってもそれがサイコロの出目であるとは限らない)、の後、1から6の出目としての頻度からサイコロに分銅が仕込まれているとのことがないか、といったデータ特性につき判ずる]との式での判断をなす)

といったことには

[本当の意味での能動性・率先性 ―計算能力の多寡はともかくも指示待ちの機械「的」存在には欠けている特性― を伴っての分析的思考]

が要求されるところとなる(:換言すれば、ナレッジ[知識;収集情報]の集積から適正なる状況判断を不断になそうとの[意志]の発露たる[自身の生きる世界を他人事・絵空事ととらえて生きているわけではない高等生物固有のウィズダム[知恵]]が要されるところとなる ―(サイコロなどではなく)複雑な諸相を呈しての現実的状況、その性質を多角的な情報収集を通じて出来るだけ幅広く、かつ、深くも把握しようとしながら、その際立って特異なる一特性を適切に切り分けして、その意味性を適正に呈示するとの行為に[真に人間に相応しい知恵]の作用が要らぬというならば話は別だが.― )。

 そうした特性が強くも要されるところ ―[事実を事実として収集して、それら事実に対する然るべき枠組みのありようを模索し、その意味性を(更改・修正しながら)判断していく]との式― を主軸として展開するべくものものとしてしたためていた本稿にあっては最大限、(属人的主観から離れたことを[証示]するとのかたちにて)、知的に誠実たらんとしてきたとのことがある ――少なくとも自らが[重大事]と見ることの[告発]をなすべくもものしてきた、極めて長大なものとしてものしてきた本稿にあっては謬見(誤った見方)を呈示していないか、関係性にあって疎結合(関係はあるも希薄であるとのありよう)しか呈していないとの事実関係の意味性を誇大に強調しているきらいがなかったか、といったことを絶えず自己批判しながらもの執筆をなしてきた―― 。

 詰まるところ、長大な本稿にての冒頭部にてエピグラフ(題句)として以下に呈示するような引用をなしていたのは読み手に本稿がいかようなことをいかように重要事として訴えんとしているのか、それは神秘主義者・宗教主義的狂人ら(世間に横溢しているとの不快な隣人らとしての内面の実質すら疑われるとの手合いら)のたわごと・ざれげん ―何かを変える可能性が潜在力としてゼロとなる、むしろ、何かを変える可能性を減衰させるとの言いよう― では決して済まされるようなものではないと理解なしていただきたかったことに因る。    

(直下、本稿にての冒頭より題句として呈示していた1979年 Godel, Escher, Bach: an Eternal Golden Braid(邦題)『ゲーデル、エッシャー、バッハ――あるいは不思議の環』よりの再度の引用をなすとして)

 知的でない行動と知的な行動との間の境界線がどこに引かれているのかは、誰も知らない。実際、正確な境界線が引けると考えるのは、おそらくばかげたことである。しかし知性の本質的な能力として、次のようなものを挙げることはできる。

・状況に非常に柔軟に対応すること、
・偶然的な環境を利用すること、
・曖昧な、あるいは矛盾する情報からその意味を読みとること、
・いろいろな相違によって分離されかねない状況の類似点を発見すること、
・いろいろな類似点によって結ばれている状況を区別すること、
・古い概念を新しいやりかたで結合することによって新しい概念を構成すること、
・新奇な着想を思いつくこと、

 ここで一見、逆説的なことにぶつかってしまう。コンピュータというものは、その本性からして、最も硬直的で、欲求をもたず、また規則に従うものである。いくら速くても、意識がないものの典型にすぎない。それなら、知的な行動をプログラム化することがどうして可能なのだろうか?これは最も見えすいた用語の矛盾ではなかろうか?

No one knows where the borderline between non-intelligent behavior and intelligent behavior lies; in fact, to suggest that a sharp borderline exists is probably silly. But essential abilities for intelligence are certainly:

to respond to situations very flexibly;
to take advantage of fortuitous circumstances;
to make sense out of ambiguous or contradictory messages;
to recognize the relative importance of different elements of a situation;
to find similarities between situations despite differences which may separate them;
to draw distinctions between situations despite similarities may link them;
to synthesize new concepts by taking old them together in new ways;
to come up with ideas which are novel.

Here one runs up against a seeming paradox. Computers by their very nature are the most inflexible, desireless, rule-following of beasts. Fast though they may be, they are nonetheless the epitome of unconsciousness. How, then, can intelligent behavior be programmed? Isn't this the most blatant of contradictions in terms? One of the major theses of this book is that it is not a contradiction at all.

(訳書および原著よりの引用部はここまでとしておく ―※― )

(※ちなみにたかだか[機械が如き存在]に[知的な推論]を約束する技術(知的生命体としての人間のように、そう、まるで生きているかのような推論を魂の無い存在になさしめる技術)としてベイズの法則に基づく Bayesian networkベイジアン・ネットワークとの推論方式が用いられているとのことがある。については(所与の情報から問題となる意味を導出するのがそれだとするのならば)[知性の本質]がベイズ確率論と極めて親和性が高いからであると解されるし、そのように主張されているところではある)

 直近申し述べたように、これよりもってして 【何を確率論の基礎に据えて考えていくのか】 に関わるところとして、

[[事実としての情報]を念頭にしての具体的な[データの選り分けの方式]]

を明示していくこととする ――厳密に【事象】 (e.g.先述のようにサイコロを振るとのことをなして1という目が出た、2という目が出た、そのように【試行】に対して結果としてそこに現われる現象・ありようを【事象Event】という) としてどのような事柄を問題視するのかを明確化させて、の上で、計数的側面が問題になる確率論を展開していくのに必要な範囲付けをなすとの手順を明示していくこととする―― 。
 すなわち、データ処理のアルゴリズム (この場合、データ処理のデータとは世にあまねくもひしめく情報の不特定の束、アルゴリズムとは【情報を区別・分類する(処理する)手順の仕様】ととらえていただきたい) をいかようなものとするのか

[切り分けの手順 ―「情報処理」の手順― ]

を事細かに呈示していくこととする。

 その点、まずもって述べるが、ここ確率論の話に入る前から本稿では、従前、ファクト・ファインディング(証拠収集)の問題、そして、それに次いでの関係性摘示の流れにて次の[要素]の複合的具備が問題になる関係性を数多摘示してきた。


ここでは便宜的にA.からJ.と振っての本稿にあっての従前摘示事項の【ありよう】の分類をなす

要素A:[911の事件の発生を事件発生前に先覚的に言及しているとの要素を具備している] (e.g.[[911]と[双子]との言葉の双方と関わる式での描写を目立ってなしている][ニューヨークのビル爆発とペンタゴンの攻撃を同時に描き、また、911と親和性が高い数値列を用いている]等等)

要素B:[[ブラックホール]ないし[ワームホール]ないし(機序不明概念としての)[異界との扉]のどれか一つないし複数と明示的に結びつけられている] (e.g.[特定フィクションが[ワームホール]を登場させている][特定ノンフィクションが[ブラックホール]を作中の主要テーマに据えている]等等)

要素C:[粒子加速器と結びついている] (e.g.[特定文物が粒子加速器に関わるものである]等等)

要素D:[アトランティスと命名されての概念と関わっている] (e.g.[特定フィクションが[伝説の沈んだ大陸アトランティス]に目立って言及している]等等)

要素E:[古のトロイアにまつわる伝承との結節点 (1.【叙事詩『イリアス』というトロイア崩壊にまつわるプロセスを扱った古典の際立っての構成要素】あるいは2.【叙事詩『オデュッセイア』というトロイア崩壊にまつわるプロセスを扱った古典の際立っての要素】などとの結節点) を色濃くも具備している] (e.g.[特定フィクションが[トロイアの木製の馬]と直接的に結びつく作中要素を具備している][特定フィクションが叙事詩『オデュッセイア』や叙事詩『イリアス』(の主要登場キャラクター)と結びついている]等等)

要素F:[ヘラクレスの12功業と直接的に関わっているとの特性を具備している] (e.g.[特定文物がヘラクレス第11功業と関わる]等等)

要素G:[爬虫類の知的異種族([聖書の蛇]や[悪魔]といった存在は除く)と濃厚に結びついている] (e.g.[特定フィクションが知能を持った蛇の種族を登場させている]等等)

要素H:[垣根としての五芒星・五角形と濃厚に結びついている] (e.g.[特定フィクションが垣根としての五角形を作中の重要要素に据えている]等等)

要素I:[キリスト教大系におけるサタンないしルシファーと「直接的に」結びついている] ([特定フィクションが聖書におけるサタンを作中にて悪役として登場させている]等等)

要素J:[聖書における禁断の果実と「直接的に」結びついている] (e.g.[特定フィクションが聖書における禁断の果実のことを扱っている])


 さて、本稿にての従前摘示事項が帯びている特性を要素Aから要素Jと振って直前にて示したうえで述べるが、世の中には膨大数多の【情報】が存在している。その【情報】を適切に処理することが情報を分析する者には求められている(これは言うまでもなく一般論である)。

 その点、文字情報といえば、そう、ひとえに文献的記録と述べても【個人の備忘録としての数百字のメモ】から【「長大な」文献的記録】 (フィクションならば、近代文豪マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』の日本語訳にして数百万字に及ぶという超長編フィクション、対して、ノン・フィクションならば、分厚いハードカヴァーの科学書やある一定以上の文字数を有した科学論文など) に至るまで種々様々な文字情報が世の中には横溢している。
 音声記録といえば、【ちょっとした知人との会話を録音したものや自然音を録音したもの】から【長大な取材テープ】【盗聴して収集した犯罪(的)組織成員の重大なる会話】など色々と性質は分かたれてくる。
 対して映像記録と言えば、【モバイル機器で撮った街の風景】から【長大な映像作品(映画作品やドキュメンタリーフィルム)】【秘密会合に対する盗撮記録】など性質・意味合いも多岐に亘る。
 そうもして世の中に種々様々な形態で存在している【情報】に対してここではまずもって[間口(まぐち)にての制限]の問題として


【第三者が容易に確認出来る刊行物とのかたちで流通している日本語文字数換算にして1万字以上(英語単語数においては3000語以上)の過去の「文献」記録(古典から現代小説などフィクション、そして、特定のトピックについて解説を加えているノン・フィクションら問わずもの文物)】
あるいは
【第三者が容易に確認できる商業作品として市場市中に流通している過去の「映像」記録(映画作品など)】
のいずれかにあたり、そして、先行して顧慮したものと差異が乏しい引用情報・仄聞(伝聞)情報を扱っているとの(公)文書を除外したもの


のみを情報処理の対象とするとの制限を設けることとする (:実際、広くも本稿では上のようなかたちで定義付けなしてのものを【証示】(証して示す、とのこと)の基礎に据えての[ファクト・ファインディング](材料収集及び呈示)をなしている。たとえば、筆者がいかなる犯罪行為にもやぶさかではないカルト組織の組織犯罪を立証するうえで申し分ない寄り合いに対する盗聴会話を保持していてもそれは広くも第三者が確認しようのないもの(たとえばカルト紐帯に取り込まれていてもなんとも思わぬとの筋目の相応の人間で溢れかえっている世間というやつで公にしたらば筆者自身が面倒なことになることであるために秘密記録として第三者が確認しようのないもの)とのことでその存在に言及するだけでは何の意味もない、陰謀論者の話柄上のものと大差ない ―あるいは[表沙汰にはできない行為判断の材料]になるにすぎない― とのものになるであろう) 。

 さらに、である。ここでは直前、それのみを問題視するとした、


【第三者が容易に確認出来る刊行物とのかたちで流通している日本語文字数換算にして1万字以上(英語単語数においては3000語以上)の過去の「文献」記録(古典から現代小説などフィクション、そして、特定のトピックについて解説を加えているノン・フィクションら問わずもの文物)】
あるいは
【第三者が容易に確認できる商業作品として市場市中に流通している過去の「映像」記録(映画作品など)】
のいずれかにあたり、そして、先行して顧慮したものと差異が乏しい引用情報・仄聞(伝聞)情報を扱っているとの(公)文書を除外したもの


という対象に対して、加えもしての条件として、先掲の[要素A]から[要素J]のいずれかの要素の具備を特定しているデータのみを思索の対象とするとの切り分けをなすこととする (:[要素A]から[要素J](たとえば[要素J]ならば、[ある情報が聖書における禁断の果実と結びつく内容を有している]との要素になる)の具備の判断まで機械に任せたいところなのだが、ビッグデータに対するデータマイニング技術(大量の情報から意味ある規則を導き出す技術)は進化の一途を辿っているも、意味論的な複雑な関係性が絡んでくるところでの判断を機械の器械的やりようでもってして代行させるには(人類の現行のマシンの検索能力および関係性抽出能力では)限界があるであろう ――といったところでも機械はベイジアンネットワークという、統計とベイズ確率論の融合方式などを用いて類推処理をも上手くもなせるようになっているとは言うが、[多重的ながらもの「間接的」関係性特定]となると機械の抽出能力には未だ限界がある(たとえば機械には特定の映像作品に[性質の悪いやり方で隠喩的に犯罪を起こすことの前言]が含まれていた際に事件発生後、それを事後的に突き止める能力などは未だないだろう)―― と判断、ここでは[[要素A]から[要素J]を具備にまつわる人力(人の手)によるマニュアル判断]を介在させてそれ以外の部でもってして入力データの「機械的」定型プロセスによる除外を実行するとの流れを想定・顧慮することとする)

 繰り返す。ここでは確率論の基礎となる対象の切り分けに際して世に膨大数多にある情報の中から取り立てて、


【第三者が容易に確認出来る刊行物とのかたちで流通している日本語文字数換算にして1万字以上(英語単語数においては3000語以上)の過去の「文献」記録(古典から現代小説などフィクション、そして、特定のトピックについて解説を加えているノン・フィクションら問わずもの文物)】
あるいは
【第三者が容易に確認できる商業作品として市場市中に流通している過去の「映像」記録(映画作品など)】
のいずれかにあたり、そして、先行して顧慮したものと差異が乏しい引用情報・仄聞(伝聞)情報を扱っているとの(公)文書を除外したもの

であり、なおかつもってして、

要素A:[911の事件の発生を事件発生前に先覚的に言及しているとの要素を具備している]

要素B:[[ブラックホール]ないし[ワームホール]ないし(機序不明概念としての)[異界との扉]のどれか一つないし複数と明示的に結びつけられている]

要素C:[粒子加速器と結びついている]

要素D:[アトランティスと命名されての概念と関わっている]

要素E:[古のトロイアにまつわる伝承との結節点 (1.【叙事詩『イリアス』というトロイア崩壊にまつわるプロセスを扱った古典の際立っての構成要素】あるいは2.【叙事詩『オデュッセイア』というトロイア崩壊にまつわるプロセスを扱った古典の際立っての要素】などとの結節点) を色濃くも具備している]

要素F:[ヘラクレスの12功業と直接的に関わっているとの特性を具備している]

要素G:[爬虫類の知的異種族([聖書の蛇]や[悪魔]といった存在は除く)と濃厚に結びついている]

要素H:[垣根としての五芒星・五角形と濃厚に結びついている]

要素I:[キリスト教大系におけるサタンないしルシファーと「直接的に」結びついている]

要素J:[聖書における禁断の果実と「直接的に」結びついている]

のいずれかの要素を帯びているものである


との情報「のみ」をもってして

[確率論の基礎になる【事象】の特定化に際して顧慮する情報]

とする ―との情報処理の手続き(後述)を定める― ことにする (きちんとご覧いただければ、お分かりかとは思うが、膨大数多なる数の対象がそこにある、たとえば、要素I:[キリスト教大系におけるサタンないしルシファーと「直接的に」結びついている]といった要素や要素J:[聖書における禁断の果実と「直接的に」結びついている]を帯びている、ある程度の尺の文献記録・映像記録などだけでも膨大数多あるとのかたちともなっている) 。

 そうも顧慮対象となる情報の色合いを規定した上で記すも、これより機械的に情報を選り分けするうえでの処理図「ら」も表記する情報処理のプロセスでは

[要素A]から[要素J]の各要素

のどの要素とどの情報処理対象データ(どの映画、どの文物といった個々ひとまとまりとなっているデータ)が紐付いているのかについてなんら惑うことがないようにする、ナンバリングなして処理手順で処理するといったかたちでの仕様を定める。

 例示なせば、特定段階の情報入力 ―この場合の[情報入力]とは[情報顧慮]とも置き換えてもよいものである― にあって(入力(顧慮)されたデータである)文物X1が[要素A]および[要素C]を具備している場合には文物X1に対するそうもしたありようを[A-X1][C-X1]とナンバリングして記録、次いで、また別の段階での情報入力対象である映画X2が[要素A]を具備している場合にはそうもしたありようを[A-X2]と記録、同文の映画X2がまたもってして[要素B]を帯びている場合には[B-X2]とナンバリングして記録するとのやりようでの分類をなす、魂の無い、自律的思考能力など本来的に皆無であるとの単純機械でも言われた通りに実行できるとの方式での分類をなす(処理対象に[要素A]から[要素J]のいずれかが具備されていると言えるのかの[判別]はさておきも[要素A]から[要素J]がそこに具備されているとのデータが入れ込まれているとのことが明確化しているのならば、処理対象の[分類]自体は「機械的」情報処理、アルゴリズムでことが済むかたちとなる)

 以上の分類のプロセス ――実にもってくどくも繰り返すが、膨大数多なる世の中の[情報]から【日本語文字数換算にして1万字以上(英語単語数において3000語以上)の「過去の」確認容易な公共空間流通の文献記録として具現化しているもの】ないし【「過去の」市場市中に流通の映像記録として具現化しているもの】であり(ただしもって先行して顧慮したものと差異が乏しい,そのままにもの引用情報・仄聞(伝聞)情報を扱っているとの(公)文書は除外)、かつもってして、要素A]から[要素J]のいずれかを具備しているとのもののみを[情報処理]の対象と見做し(それ以外は敢えて全部除外する)、その中で[要素A]から[要素J]の具備状況を一つの情報処理対象毎にA-X1、A-X2、C-X1、C-X10などとナンバリングしていくとの機械的分類をなしもするプロセス―― を通じて

【いくつもの「色が付いた」(e.g.文物X1に由来している、映画作品X2に由来しているなどと「個別の色が付いた」)ユニークな切り分け要素ら([要素A]から[要素J])の束】

が分類・導出されてくる。

 本稿でのベイズ主義に基づいての確率判断、その具体的概念や数式の説明は噛み砕いて後に詳説なす所存だが、ベイズ主義に基づいての確率判断ではそうもして導出されてきた【「個別の色が付いた」ユニークな切り分け要素らの束】をして同じくもの確率判断をなすうえでの材料 (【事象】と述べてもいい) の捕捉に役立てるとのやりようを採択する ――いいだろうか.履き違えていただきたくはないのだが、この段階ではまだ【数学】の話にはなんら入っておらず、【数学】の話を展開するうえで必要な舞台設定を整えるための【手順】の話、それもその【手順】にあっての間口のとっかかりの部にまつわっての話をなしているにすぎない―― 。

 

 ここで直上よりその言及をなしだしているとの【「個別の色が付いた」ユニークな切り分け要素らの束】をどのように評価・活用していくのかについて ―(委細についてはさらに続いての段階で詳説していくことにするとの中で)― おおよそのプロセスの説明をまずもって下になしたいと思う。

 膨大数多なる世の中の[情報]から【日本語文字数換算にして1万字以上(英語単語数において3000語以上)の「過去の」確認容易な公共空間流通の文献記録として具現化しているもの】ないし【「過去の」市場市中に流通の映像記録として具現化しているもの】であり、かつもってして、要素A]から[要素J]のいずれかを具備しているとのもののみを
[情報処理]
の対象と見做す(先述)として、である。
 そうした色つきの情報を含めて情報をいかように処理していくのかの【手順】について
[骨組みとしてのアバウトな構図]
をまずもって呈示しておく。
 その点、膨大数多なる情報については続いて詳述なしていく段階的処理手順、【処理手順1】から【処理手順6】をもってして"ふるい"にかけるように顧慮・活用していくこととする。
 しかし、などと述べもしていることについて「以降掲載の」【処理手順1】から【処理手順6】の委細について説明しての処理図 ―いわゆるアルゴリズムを記載しての図― などを一目などいただいてもこの段階ではコンセプトについてご理解いただくことは困難かとも思う。であるから、できるかぎりコンセプトについて簡略化してさらに述べると、である。次のようなやりようにまつわっての詳細なプロセス(情報処理手順)をこれより呈示しようというのであるとのこと、推し量っていただければ光栄である。

「あらかじめ色つきの情報であると捕捉されている「いくつかの」情報が【処理手順1】から【処理手順6】にて機械的に要素分析されるとの手順を定めもする。
 の際、情報が【処理手順1】に流れると ―機械的にそれが判断できるようにしている仕組み(後述)に応じて― それらデータの【色つき度合いの色の濃さ】を「自動」判断、確率論の基礎にする上で【恣意性】がそこにあると「強」判断する(【偶然】であるとは考え難いと判断する)上での【事象(いいだろうか.先述のようにサイコロを振って1が出たといった【イヴェント】のことを【事象】と確率論では呼ぶ)を特定した(と判断する)との処理をなす
 またもってして、【処理手順2】から【処理手順6】でも同様のことをなす。その点、【色つき度合いの濃さ】を自動判断する(純・機械的に判断する)との処理は下位処理手順の方がより薄くもの関係性を特定化するように処理手順を定めているため、下位手順で【事象】が捕捉される場合、それは確率判断において【恣意性】がそこにあると判断する上での否定「的」材料となりがちである....」 

(上のそれだけ骨組みの図、この段階ではよくご理解いただけないかもしれないが、さまざまな【事象】を捕捉するための段階的処理手順を定めているとの図は
何重にも編み目状のふるい(フィルター)が内部に設けられている容器
の如きものであると見ていただきたい。
 その容器に情報という名の液体をジャブジャブと注ぎ込んだとしよう。情報の中には大小の問題となる関係性が【石】のように含まれている。それら関係性を(ここで問題としている説明の便宜として引き合いに出している)容器にあっては段階捕捉する、情報という液体の中に大小の石のように含まれているそれらを各々の段階のふるい(フィルター)で捕捉収集するとのかたちとなる。
 に際しての捕捉集塵傾向に関わることとして述べれば、上のフィルターの方が編み目が粗い。となれば、そこで捕捉されてくる[関係性の石]はより大きな、露骨でごつごつしているものとなる。他面、下にいくにつれてフィルターの目が細かい。より微細なる、本来的には無視してもいいような細かい[関係性の石]までをも集塵することになる
 そうもして上から下への流れの中で捕捉していく関係性の石らをもってして【事象】と見ることとするわけであるが、捕捉の階層(それを捕捉したフィルターの位置/上層のフィルターか下層のフィルターか)に応じてそれら【関係性の石】(転じての【事象】)が等級付けされもする (より大きい石の方が重篤なものであると判ずる) との手順を定めての中で捕捉されてくる【事象】の比率に応じて所与の(あらかじめ設定している)仮説らの成立しやすさ度合いを確率論で判断するとのことをなす....。 以上のようなことをこれよりなそうというのである)

 おおよそアバウトな骨格としての処理にまつわっての概念を上にて呈示したところで、である。続きもして具体的にどういうスクリーニング・分類付けを膨大数多なる世の情報に対して(上掲図にも記載しての)【データ処理手順1】から【データ処理手順6】とのかたちでなすのか、よりもって具体的な処理手順についての記載をなす。

(以下、下述するところはさらにもって後の段にて表記するアルゴリズム(機械的情報処理フロー)に見る処理手順に対する細かい自然言語による解説となる。あまりにもややこしいと思われるのならば、あるいは、そこまで検証する必要も無いなどと思われるのならば、放念いただいても構わないが、検討意欲ある向きにあっては、できれば、どういうことをやっているのかとの点についての概要把握をなしていただければ、と考えている ――ここでの話にて扱っていることは「適正に事実をデータとして処理して機械やマニュアル絶対視人間でも惑うことなく実行できる情報「処理」の結果、確率論で顧慮する仮説らの材とする【事象】としての判断材料(としてのデータ)を抽出する」とのこと、ただそれだけのことである―― ]

[切り分け手順1]最優先切り分け手順

(先述のように)[要素A]は 


要素A:[911の事件の発生を事件発生前に先覚的に言及しているとの要素を具備している] (e.g.[[911]と[双子]との言葉の双方と関わる式での描写を目立ってなしている][ニューヨークのビル爆発とペンタゴンの攻撃を同時に描き、また、911と親和性が高い数値列を用いている]等等)


と定義付けしているものとなり、その[情報としての特異性]が際立っている (問題はそれが[ただの偶然の産物]なのか[恣意の賜物]なのかであるとしつつも取りあえずもそのことは置いておいて(最終的な確率論にての見極め対象として取りあえずもは置いておいて)の話として、である)

 従って、その特異性に鑑(かんが)み、

「特定の対象(たとえば文物X1や映画作品X3等等)ら二つより要素A「と」その他の別の要素の重なり合い関係をワンセット抽出した段階で」それら要素らを

[一回しか顧慮の対象に出来ないもの]

として用いて

[「特定事実関係蓋然性「強」」の関係性判断材料(便宜的に[判断材料Black]とする)

を切り分けしたこととする(こちら切り分けプロセスも無論、[アルゴリズムの問題]として機械的に処理できるものとして定義している)

との情報処理[手順]を定めることとする (具体的処理手順のフローチャート(処理手順記述流れ図)も下にて表記するが、ここでの手順は流れのデータ処理プロセスにての第一処理手順として位置付けることとする) 。


[表記の情報処理の一例として]

 たとえば、である。

 筆者が本稿にて取り上げている事例として

映画『スーパーマリオ 魔界帝国の女神』 (額面上は荒唐無稽子供向け映画作品にしかすぎないとの作品)

という作品については

(先述の[要素A]に該当するところとして)
[911を予見しているが如く作品] (表記作品は出典(Source)紹介の部27にて説明のように1993年初出作品として上階に風穴が開き、片方が崩れるとのツインタワーのワンカット描写を登場させている作品]ともなる)

にして、なおかつ、

(先述の[要素B]に該当する)
[[ブラックホール]ないし[ワームホール]ないし(機序不明概念としての)[異界との扉]のいずれかないし複数と明示的に結びつけられている作品] (表記作品は出典(Source)紹介の部27にて説明のように[異界の扉が開かれるとの筋立ての作品]となる)

にして、なおかつ、

(先述の[要素G]に該当する)
[爬虫類の知的種族の侵略とのモチーフと濃厚に結びついている作品] (表記作品は出典(Source)紹介の部27にて説明のように[恐竜人が侵略を企図しているとの筋立ての作品]となる)

となっている ―何度も何度も繰り返し述べたいところなのだが、そうした要素らを情報処理の対象となる特定映像作品が複数帯びていることが[偶然]か[恣意的結果]なのかまでの判断は「この段階では」問題にしていない(同じくもの判断をなすための確率分析の材料(【事象】)を「機械的処理にて」集めているにすぎない)― 。

 他面、本稿にての出典(Source)紹介の部28から出典(Source)紹介の部33-2にてその問題性について具体的摘示なさんとしているとの物理学者キップ・ソーンの手になる作品、

BLACK HOLES & TIME WARP Einstein's Outrageous Legacy邦訳版『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんでもない遺産』 (原著の方は1994年刊行、邦訳版は白揚社より1997年刊行)

という科学関連書籍は

(先述の[要素A]に該当するところとして)
[911を予見しているが如く作品] (表記作品、本稿の出典(Source)紹介の部28から出典(Source)紹介の部33-2にて原著および訳書よりの原文引用それのみから示しているところとして[[「双子」と「911」と結びつく概念(双子のパラドックス)を主軸にしての思考実験]の「位置的」スターティング・ポイントが[[2001年9月11日]の略記とそのままになる数値列を郵便番号上のはじまりとする一画]に設定され、かつ、その実験の「時間的」スターティング・ポイントが[2001年9月11日]と通ずる日付表記に設定されている(他の事情からもそのように判じられるようになっている)との作品]となっている)

にして、なおかつ、

(先述の[要素B]に該当する)
[[ブラックホール]ないし[ワームホール]ないし(機序不明概念としての)[異界との扉]のいずれかないし複数と明示的に結びつけられている作品] (表記作品は本稿にての上と同じくもの出典紹介部にて論じ、かつ、表記作品タイトルそれ自体がそうであることを示しているように[ブラックホール]及び[通過可能なワームホール]をテーマとしているものとなる)

となっている。

 であるから、映画『スーパーマリオ 魔界帝国の女神』および科学関連書籍『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんでもない遺産』の両二作品が情報としてのそれぞれ別単位のデータとして入力され、情報処理手順1(ここでの切り分け手順1)にて処理されるとのこととなると、

(便宜的に作品にコードX5などと振って[A-X5]などとのかたちでデータ処理してもいいのだが、ここではタイトルをそのまま付しての表記をなすとして)

[A-『スーパーマリオ 魔界帝国の女神』] (映画『スーパーマリオ 魔界帝国の女神』から抽出された要素A)
[B-『スーパーマリオ 魔界帝国の女神』] (映画『スーパーマリオ 魔界帝国の女神』から抽出された要素B)
[A-『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんでもない遺産』] (書籍『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんでもない遺産』から抽出された要素A)
[B-『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんでもない遺産』] (書籍『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんでもない遺産』から抽出された要素B)

との固有要素が自動抽出されもすることになり(色つきのデータ入力の問題として、である)、といった中で、「(確率計算と機械的処理手順の問題上)一回しか顧慮の対象としてなせない材料として」、

[「特定事実関係蓋然性「強」」の関係性判断材料 (便宜的に[判断材料Black]とする) ]

が「一単位」切り分けされてくることになる ―先掲の[切り分け手順1]の定義に基づき、そういうことになる― (とのことをここでは例示の話として呈示している。その点、確率論に明るく、かつ、聡い向きは 『そうもしたかたちでの判断材料を複数、アルゴリズムにて選り分けして、その判断材料を(さらに微に入っての)[事象]として顧慮、[それらデータ(判断材料)の存在「想定」比率をもってしてあらかじめLikelihood[尤度]として定めもしての複数仮説らに対する事前確率・事後確率の推移を分析しての仮説検討]をなしていくつもりなのか』 といったことまでこの段階からして慮りいただけるかしれない、とも思うのだが、「その通りである」と申し述べつつ、のような[(初見の人間から見れば)何を言っているのか理解に苦しむであろうとの分析の方式]が適正なものとしてなせるとの説明、その説明も無論、続いての段階で懇切丁寧になしていく)

処理手順1にあっての情報処理の一例表記はここまでとする)


 以上のような[切り分け手順1]にて処理がなされるとのケースは厳密に限られたものとなる(ように定める。まずもってAを具備していないとその要素は[切り分け手順1]にて情報処理されることはない(続いての情報処理手順にて処理されることになる)。アルゴリズム(アルゴリズムというものが一体、いかなるものかについては下にかなり細々とした図示をなすことにする)にて容易に分岐なせるポイントとしてそのことを厳密に定義するまた、Aだけ具備していてもその他の要素を具備していないとこれまた[切り分け手順1]にて情報処理されない、関係性顧慮の材料とされないことになる。これについても単純な処理フローにて容易に分岐定義なすところとなる(下にてフローチャート方式の処理手順図示をなす)。

 上のことを踏まえたうえで
[Aの要素も具備していない(ないしはAの要素しか具備していない)との分析対象物よりの抽出要素]
は続いての[切り分け手順2]「以降」の処理にて確率的分析の材料 ―材料Black,材料Grey,材料Whiteとここでは(計算の労を厭うての)三類型に分類しての材料― として選り分けていくこととする。

[切り分け手順2]優先度として第二順位の情報処理手順

 さて、次いで、


要素B[[ブラックホール]ないし[ワームホール]ないし(機序不明概念としての)[異界との扉]のどれか一つないし複数と明示的に結びつけられている] (e.g.[特定フィクションが[ワームホール]を登場させている][特定ノンフィクションが[ブラックホール]を作中の主要テーマに据えている]等等)


との要素の特殊性に鑑(かんが)みて、同要素と


要素D:[アトランティスと命名されての概念と関わっている] (e.g.[特定フィクションが[伝説の沈んだ大陸アトランティス]に目立って言及している]等等)

要素E:[古のトロイアにまつわる伝承との結節点 (1.【叙事詩『イリアス』というトロイア崩壊にまつわるプロセスを扱った古典の際立っての構成要素】あるいは2.【叙事詩『オデュッセイア』というトロイア崩壊にまつわるプロセスを扱った古典の際立っての要素】などとの結節点) を色濃くも具備している] (e.g.[特定フィクションが[トロイアの木製の馬]と直接的に結びつく作中要素を具備している][特定フィクションが叙事詩『オデュッセイア』や叙事詩『イリアス』(の主要登場キャラクター)と結びついている]等等)

要素F:[ヘラクレスの12功業と直接的に関わっているとの特性を具備している] (e.g.[ヘラクレス第11功業と関わる]等等)

要素H:[垣根としての五芒星・五角形と濃厚に結びついている] (e.g.[特定フィクションが垣根としての五角形を作中の重要要素に据えている]等等)

要素I:[キリスト教大系におけるサタンないしルシファーと「直接的に」結びついている] ([特定フィクションが聖書におけるサタンを作中にて悪役として登場させている]等等)

要素J:[聖書における禁断の果実と「直接的に」結びついている] (e.g.[特定フィクションが聖書における禁断の果実のことを扱っている])


の各要素らのうち、いずれかもう一つの要素を具備する情報処理対象のありようが[二つのデータ(としての顧慮作品)から「ワンセット」以上、抽出された段階]にてそれら関係性を二度と再び顧慮できないとの前提の下に

[「特定事実関係蓋然性「強」」の関係性判断材料 (便宜的に[判断材料Blackオプション]と呼称する) ]

が得られるとの処理手順を定める(便宜的に[処理手順2]とする)。

 ただし、ここで(処理手順1に劣後して情報処理すると定義付けなしてとの)同処理手順2にあっては


要素B:[[ブラックホール]ないし[ワームホール]ないし(機序不明概念としての)[異界との扉]のどれか一つないし複数と明示的に結びつけられている] (e.g.[特定フィクションが[ワームホール]を登場させている][特定ノンフィクションが[ブラックホール]を作中の主要テーマに据えている]等等)


との要素と


要素C:[粒子加速器と結びついている] (e.g.[特定文物が粒子加速器に関わるものである]等等)

要素H:[垣根としての五芒星・五角形と濃厚に結びついている] (e.g.[特定フィクションが垣根としての五角形を作中の重要要素に据えている]等等)


の両立は除外することとする(データ処理にまつわる機械的処理手順、すなわち、アルゴリズムの条件付けで「はじく」)。
 何故か。第一に[ブラックホールやワームホールの類]と[加速器]の類が結びついているのは ―世間的言われようの問題として― さして問題にならないことであると見立てられるからである (厳密には[1999年「以前」ではそうした結びつきは不自然なことである]との[時期]に依拠しての分析もなせるのだが(本稿にての前半部の内容は予言「的」言及の問題としてそういうことを扱っている)、それは置く)
 また、第二に[何らかの垣根・境界としての役割を帯びての五芒星・五角形の類]が[異界との境界]そのものとなっているとのことも相当昔の文物に遡って述べられるところとしてよくもそうもなっている ―たとえば、出典(Source)紹介の部72を参照のこと― ところであり、といったものらとしての五芒星・五角形が[異界の扉]と結びつけられていることの意味性もここでは除外するほどに顧慮しないことと敢えてもする (同じくもの併存問題もアルゴリズムで「はじく」。 ちなみに、[五芒星や五角形の類(要素H関連事項)が異界のゲート(要素B関連事項)と結びつけられてきた]ということについては、である。[五芒星と五角形の無限に続く相互内接関係][極小の領域に向けての力学]を体現しているものとなっていることが知られており(文献引用なしてきたように数学史にて歴年そういう物言いがなされてきた)、そちら[極小の領域]にての暴力的改変作用たる[原子核破壊]がマンハッタン計画で利用されることになった、そう、[ペンタゴン(正五角形をとる米国国防総省)主導で行われて核兵器登場をもたらし、かつ、今日にあっての諸々の粒子加速器機関の産みの親ともなったマンハッタン計画]で最大限有効に利用されることになったとのことがありもし、かつ、そのことがブラックホールの人為生成挙動と結びつくように見えもする(というのも加速器におけるブラックホール人為生成とは極小領域にての暴力改変作用たる原子核破壊の中で招来されうる事態であるからである)とのことなども(意味上の分析にあって重くも問題となりうるようなところとして)観念されるのではあるが、本稿の先立っての段で取り上げもしてきたそうした「複雑な」関係性の問題はここでのデータ処理(計数的分析)では[意をなすことではない]と敢えても完全無視しての情報処理を ([要素B]と[要素H]の共有関係についても)なすこととする ―そこまで顧慮するとさらにもって話がややこしくなるからである― )

 そうもした除外項目を設けていることに関しては ―(処理手順の背後にある[思想;発想法]について後にて当然によりもって細かくも解説する所存ではあるが)― [結びつく傾向が「本然的特性として」強くもある関係性]などをもってして
[[偶然]か[恣意]かの機微なる選り分けのための材料抽出プロセスにての[恣意性判断]の支持材料(便宜的に材料Blackと呼ぶこととしている【事象】)]
として分類付けして顧慮することはできはしないし、してはならないとの判断が背景にある(そうもした関係性は「一般に」【恣意性】判断の支持材料としてではなく、【偶然性】判断の支持材料とするとの判断がある)。


[表記の情報処理の一例として]

 処理手順2の一例としてここでは

『「第二の」エメラルドタブレット』 (同作品は、本稿の出典(Source)紹介の部34にて取り上げている表層的には[より以前より存在していたパルプ雑誌掲載小説内容を受けての神秘家との人種による妄言録]に留まるとの1939年初出の作品となる)
『リアノンの剣』 (同作品は、本稿の出典(Source)紹介の部65(6)から出典(Source)紹介の部65(9)にて取り上げているように原著オリジナルが(改題前の作品として)1949年に刊行されているとの小説作品となる)

のことらを取り上げてみることとする。
 
 以上作品らについてまずもって

『「第二の」エメラルドタブレット』

という一品については

[要素B]に該当するところとして)
[機序不明概念としての)[異界との扉]を登場させている作品] (表記作品は出典(Source)紹介の部34にて説明のように1939年初出作品として【蛇の種族のアトランティスに対する[異次元](異界)の扉(境界)を介しての支配】を描く作品となっている)

にして、なおかつ、

(先述の[要素D]に該当する)
[アトランティスをモチーフとしている作品] (上述)

にして、なおかつ、

(先述の[要素G]に該当する)
[爬虫類の知的異種族([聖書の蛇]や[悪魔]といった存在は除く)と結びついている作品] (上述)

となっている ――再度繰り返すが、そうした要素を情報処理の対象となる特定作品が複数帯びていることについてそれ単体では[偶然]か[恣意的結果]なのかの判断まではなさない(そうもした判断をなすための確率分析の材料を前段階として「機械的処理にて」集めているにすぎない)―― 

 次いでもってして

『リアノンの剣』

という作品については

[要素B]に該当するところとして)
[半ばブラックホール的なるもの、半ば機序不明概念たる[異界との扉]となっているとのものを登場させている作品] (表記作品は本稿にての出典(Source)紹介の部65(6)で原文引用して紹介しているように主人公が[リアノンの遺産]と作中表される[真っ黒な異空間(時空間に穿たれた穴)]を越えて過去の火星に降り立つとの作品となっている)

にして、なおかつ、

[要素C]に該当するところとして)
[粒子加速器と結びつくものを意味深くも登場させている作品] (表記作品は本稿にての出典(Source)紹介の部65(7)出典(Source)紹介の部65(8)で原文引用して紹介しているように主人公が[リアノンの遺産]と作中表される[真っ黒い異空間(時空間に穿たれた穴)]を越えて過去の火星の遺跡に降り立つことになったと設定付けされているわけだが、そちら設定では主人公はプロトンガン(陽子銃)なるフィクション上の武器を持って過去に跳んだ、とのかたちとなっており、その陽子銃(なるもの)で過去の火星の遺跡の壁面を同・陽子銃(プロトン・ガン)がエネルギー切れを起こすまで破壊したとの描写がなされている.対して、LHCをはじめ加速器もまた、陽子ビームを発射するものであり、ある種、巨大陽子銃とも言えるようになっている)

[要素G]に該当するところとして)
[[蛇の種族]の間接統治と侵略を描いている作品] (表記作品は本稿にての出典(Source)紹介の部65(9)で原文引用して紹介しているように[リアノンの遺産](主人公が過去に跳ぶことになったとの黒い穴も[リアノンの遺産]と描写される)を狙う蛇の種族の暗躍と間接統治を描く作品である)

となっている。

 以上より、『「第二の」エメラルドタブレット』および『リアノンの剣』が相次いでのデータとして入力された場合(他のデータが入力されていない中でそれらのみが入力された場合)、ここ[切り分け処理手順2]では、(『リアノンの剣』が直上言及のような[要素C]を帯びていることまでは顧慮の外に置くとし)、

[B-『「第二の」エメラルドタブレット』]
[G-『「第二の」エメラルドタブレット』]
[B-『リアノンの剣』]
[G-『リアノンの剣』]

とのありようを自動抽出しもすることになる。そして、それらを(確率計算と機械的処理手順にてそのように定めてのこととして)「一回しか顧慮の対象としてなせない材料として」用いて、

[「特定事実関係蓋然性「強」」の関係性判断材料 (便宜的に[判断材料Blackオプション]とする) ]

を「一単位」、自動的に切り分けすることにもなる([ブラックホール・ワームホール・異界の扉]と[爬虫類の異種族]を結びつけている作品らにまつわる特定の関係性を一単位抽出したとする)

処理手順2にあっての情報処理の一例表記はここまでとする)


 以上のような[切り分け手順2]にて処理できるとのケースは厳密に限られたものとするまずもって[切り分け手順1]を終えておらずそちら[切り分け手順1]のデータ処理領域に保持され続けているとのデータに対しては[切り分け手順2]のデータ処理領域で切り分け処理されることはない(と機械的処理の厳密さを求めるうえで定義する ―機械的処理手順、すなわち、プログラマがプログラム可能であるとのアルゴリズムに落とし込んでの処理手順については下に図示、委細呈示することとする― )また、[要素B]との要素を具備していないデータ(たとえばもってしての映画作品や文物などの各々一作品)もここ切り分け処理手順2の処理対象とはならない(とアルゴリズムと呼ばれる方式にて厳密に定義する)。字面だけ見る限りでは何を述べているのか分かろうか、とも思うのだが、いいだろうか、具体的かつ細かくもの処理手順のフローチャート(処理手順流れ図)をさらに続いての段で示すため、それでもって(ここ[付録と位置付けての確率論展開の部]の細かきところまで検討しようとの向きにあっては)何を述べているのか検証いただけることか、とも思う(尚、IT業界ではプログラマやシステムエンジニアの類がよく鉛筆で紙に書いたアルゴリズムに仮想的にデータを流してみるとのことをやることが知られるが、本稿でもそうしたことに堪えうる処理手順図をより汎用性を高めて記述しているつもりではある)

[切り分け手順3]優先度として第三順位の情報処理手順

 ここ[切り分け手順3]では


要素C:[粒子加速器と結びついている] (e.g.[特定文物が粒子加速器に関わるものである]等等)

要素D:[アトランティスと命名されての概念と関わっている] (e.g.[特定フィクションが[伝説の沈んだ大陸アトランティス]に目立って言及している]等等)

要素E:[古のトロイアにまつわる伝承との結節点 (1.【叙事詩『イリアス』というトロイア崩壊にまつわるプロセスを扱った古典の際立っての構成要素】あるいは2.【叙事詩『オデュッセイア』というトロイア崩壊にまつわるプロセスを扱った古典の際立っての要素】などとの結節点) を色濃くも具備している] (e.g.[特定フィクションが[トロイアの木製の馬]と直接的に結びつく作中要素を具備している][特定フィクションが叙事詩『オデュッセイア』や叙事詩『イリアス』(の主要登場キャラクター)と結びついている]等等)

要素F:[ヘラクレスの12功業と直接的に関わっているとの特性を具備している] (e.g.[特定文物がヘラクレス第11功業と関わる]等等)

要素G:[爬虫類の知的異種族([聖書の蛇]や[悪魔]といった存在は除く)と濃厚に結びついている] (e.g.[特定フィクションが知能を持った蛇の種族を登場させている]等等)

要素H:[垣根としての五芒星・五角形と濃厚に結びついている] (e.g.[特定フィクションが垣根としての五角形を作中の重要要素に据えている]等等)

要素I:[キリスト教大系におけるサタンないしルシファーと「直接的に」結びついている] ([特定フィクションが聖書におけるサタンを作中にて悪役として登場させている]等等)

要素J:[聖書における禁断の果実と「直接的に」結びついている] (e.g.[特定フィクションが聖書における禁断の果実のことを扱っている])


の各要素らのうち、いずれか三つの要素を具備しているとのありようが(二つの顧慮データ(としての作品)より)[関係性]として「ワンセット」抽出された段階でそれら関係性を二度と再び顧慮できないとの前提の下に

[「特定事実関係蓋然性「強」」の関係性判断材料 (便宜的に[判断材料Blackオプション]と呼称する) ]

を切り分けるとの処理手順を定める。

 但し、要素H要素I要素Jの三要素は ―「それらが結びついているのは不自然ではない、むしろ、自然なことである」ために― ただの一要素しか共有データとして認めない(との処理手順を定める。については「自然言語にての字面だけでは何を述べているのか理解頂けないだろう」とのここでの処理手順を含むフローチャート(処理手順記述流れ図)も当然に下に付す)

[切り分け手順4]優先度として第四順位の情報処理手順

情報処理にて[切り分け手順1]から[切り分け手順3]の対象にそもそもならないデータはここ[切り分け処理手順4]の対象とする。につき、ここ[切り分け手順4]では


要素A:[911の事件の発生を事件発生前に先覚的に言及しているとの要素を具備している] (e.g.[[911]と[双子]との言葉の双方と関わる式での描写を目立ってなしている][ニューヨークのビル爆発とペンタゴンの攻撃を同時に描き、また、911と親和性が高い数値列を用いている]等等)


との要素「のみ」しか有さぬデータ(情報処理対象としての作品)が二つ捕捉された時点でそれらを「(確率計算と機械的処理手順の問題上)一回しか顧慮の対象としてなせない材料として」用いて、

[「特定事実関係蓋然性「中」」の関係性判断材料 (便宜的に[判断材料Greyオプション]とでもしておこう) ]

を「一単位」切り分けることとする。


[表記の情報処理の一例として]

 ここ[情報処理手順4]の切り分け例を挙げておく。 情報処理の対象となるデータ 膨大数多なる世の中の[情報]から【日本語文字数換算にして1万字以上(英語単語数において3000語以上)の「過去の」確認容易な公共空間流通の文献記録として具現化しているもの】ないし【「過去の」市場市中に流通の映像記録として具現化しているもの】であり(ただしもって先行して顧慮したものと差異が乏しい,そのままにもの引用情報・仄聞(伝聞)情報を扱っているとの(公)文書は除外)、かつもってして、すくなくとも[要素A]から[要素J]のいずれかを具備しているとのデータ) として次の事例が挙げておく。

映画『タワーリング・インフェルノ』(1974年より米国にて公開開始の映画)
映画『ルパン三世 くたばれ!ノストラダムス』(1995年封切りの日本国内荒唐無稽アニメ映画)

 以上の作品らにつき、切り分け処理手順4にあって問題視するうえでは[要素A]、すなわち、

要素A:[911の事件の発生を事件発生前に先覚的に言及しているとの要素を具備している] (e.g.[[911]と[双子]との言葉の双方と関わる式での描写を目立ってなしている][ニューヨークのビル爆発とペンタゴンの攻撃を同時に描き、また、911と親和性が高い数値列を用いている]等等)

との要素を具備していることのみが問題になる(よう処理フロー定義をなしている)。

 まずもって、

『タワーリング・インフェルノ』

に関しては

(先述の[要素A]に該当するところとして)
[ツインタワーと結びつくようなかたちで原作小説からの作品設定流用がなされている世界最高層のビル(映画ポスター表示にツインタワー上のものとして描かれているビル)が炎上して多くの閉じ込められた人間に災厄がもたらされる/結局、ビルは「消化のためにC4爆弾で爆破される」ことになるのだが、の際、[116]との180度回転させると911と結びつく数値がワンカット表示されてくるとの作品] (出典(Source)紹介の部106から出典(Source)紹介の部106(3)

となっている。

 対して、

映画『ルパン三世 くたばれ!ノストラダムス』(1995年封切りの日本国内荒唐無稽アニメ映画)

に関しては

(先述の[要素A]に該当するところとして)
[ツインタワーとそのままに見立てることもなせるとのビル ―かつて世界最高層ビルとしての立ち位置にも一時期あったとの現実世界の(今は倒壊した)ツインタワー、そのツインタワーの谷間にかつて据え置かれていた[ザ・スフィア(巨大な球形オブジェ)]のことを露骨に想起させるような[巨大な球形のバランサー]が建物が二つに分かたれた谷間に据え置かれているとの設定の「世界最高層の」ビル― が爆破されるとの筋立ての作品 / フィクション上のドゥームズデイ・カルト (世界の終焉の予言を自作自演して教勢を伸張させようとしているとのノストラダムス教団なるフィクション上でのカルト) が作中にてリモート・コントロールで飛行機ハイジャック・テロ後のジェット機爆破を実現しており、飛行機テロに決着をつけたのと同様の手法、リモート・コントロールによる爆破が(ツインタワーと描写上結びつく)ビルに対して同じくものカルトによってなされているとの設定が採用されもしている作品]出典(Source)紹介の部107から出典(Source)紹介の部107(2)

となっている。

 以上より

(便宜的に作品にコードX5などと振って[A-X5][A-X6]などとのかたちでデータ処理してもいいのだが、ここではタイトルをそのまま付しての表記をなすとして)

[A-『タワーリング・インフェルノ』]
[A-『ルパン三世 くたばれ!ノストラダムス』]

との関係性を、(確率計算の基礎データ収集にあっての機械的処理手順の問題として)、「一回しか顧慮の対象となせない材料として」、

[「特定事実関係蓋然性「中」」の関係性判断材料 (便宜的に[判断材料Greyオプション]と呼称する) ]

とのかたちで一単位切り分ける (:再度、繰り返そう。確率論に明るく、かつ、聡い向きは 『判断材料を複数、アルゴリズムにて選り分けして、その判断材料を[データ]として顧慮、[データ(判断材料)の比率をあらかじめLikelihood[尤度]として定めての仮説に対する事前確率・事後確率の推移を分析しての仮説検討]をなしていくつもりか』 といったことまでこの段階からして慮りいただけるかしれないな、とも思うのだが、「その通りである」と申し述べつつ、のような[(初見の人間から見れば)何を言っているのか理解に苦しむであろうとの分析の方式]が適正なものとしてなせるとの説明、その説明も無論、続いての段階で懇切丁寧になしていく所存である)

 ここでの

[「特定事実関係蓋然性「中」」の関係性判断材料 (便宜的に[判断材料Greyオプション]と呼称する) ]

とはいくつかの仮説の検討をなすための材料として切り分けているものとなる。そして、それら仮説とは(後にても説明するが)[執拗性を伴っての巨視的な意味での恣意性]がそこにあってのものなのか、おおよそもってしてただの[偶然]として特定の関係性が具現化しているにすぎないのか、とのことにまつわる仮説として「純・計数的に」定義・構築するものらとなる(後の段にて詳述するが、尤度設定という行為にて仮説としての枠組みを「純・計数的に」定義・構築するものらとなる)。

 尚、以上問題視した『タワーリングインフェルノ』と『ルパン三世 くたばれ!ノストラダムス』とのツインタワーに比べ見られるものを爆破するとの映画らには
[フリーメーソン・シンボリズムと通底する側面]
もが両作共々に伴っているのだが(特に前者にてはそれが露骨となる.といったことについては本稿にての出典(Source)紹介の部106(4)から出典(Source)紹介の部106(6)および出典(Source)紹介の部107(2)に後続する段でそれぞれ解説してきたことである)、 意味論的分析に大いにからめて然るべきとのそうした要素についてはここでの計数的分析・確率論分析にあっては割愛、顧慮しないものとしての敢えてものデータ処理をなすこととする ―そこまで顧慮対象にしての確率的分析のスキームを構築することも当然にできたのだが、基本的に大学生向けの(ところを高校生程度の識見でも理解出来るところの水準に落とし込んでの)計数的分析までなしてのところで(多く下らぬ人間ばかり揃えたなといった風情の)陰謀論者らの領域の話柄であろうと見られてもつまらぬ、と考え、といったことは顧慮対象外とすることとした(と断っておく)― 

[切り分け手順5]優先度として第五順位の情報処理手順

 ここ[切り分け手順5]では[切り分け手順4]までの検討がなされた段階で


要素B:[[ブラックホール]ないし[ワームホール]ないし(機序不明概念としての)[異界との扉]のどれか一つないし複数と明示的に結びつけられている] (e.g.[特定フィクションが[ワームホール]を登場させている][特定ノンフィクションが[ブラックホール]を作中の主要テーマに据えている]等等)

要素C:[粒子加速器と結びついている] (e.g.[特定文物が粒子加速器に関わるものである]等等)

要素D:[アトランティスと命名されての概念と関わっている] (e.g.[特定フィクションが[伝説の沈んだ大陸アトランティス]に目立って言及している]等等)

要素E:[古のトロイアにまつわる伝承との結節点 (1.【叙事詩『イリアス』というトロイア崩壊にまつわるプロセスを扱った古典の際立っての構成要素】あるいは2.【叙事詩『オデュッセイア』というトロイア崩壊にまつわるプロセスを扱った古典の際立っての要素】などとの結節点) を色濃くも具備している] (e.g.[特定フィクションが[トロイアの木製の馬]と直接的に結びつく作中要素を具備している][特定フィクションが叙事詩『オデュッセイア』や叙事詩『イリアス』(の主要登場キャラクター)と結びついている]等等)

要素F:[ヘラクレスの12功業と直接的に関わっているとの特性を具備している] (e.g.[特定文物がヘラクレス第11功業と関わる]等等)

要素G:[爬虫類の知的異種族([聖書の蛇]や[悪魔]といった存在は除く)と濃厚に結びついている] (e.g.[特定フィクションが知能を持った蛇の種族を登場させている]等等)

要素H:[垣根としての五芒星・五角形と濃厚に結びついている] (e.g.[特定フィクションが垣根としての五角形を作中の重要要素に据えている]等等)

要素I:[キリスト教大系におけるサタンないしルシファーと「直接的に」結びついている] ([特定フィクションが聖書におけるサタンを作中にて悪役として登場させている]等等)

要素J:[聖書における禁断の果実と「直接的に」結びついている] (e.g.[特定フィクションが聖書における禁断の果実のことを扱っている])


の各要素らのうち、いずれ二つ以上の要素を具備するデータからの関係性が(顧慮されているデータとしてのふたつの作品らより)「ワンセット」、抽出された段階でそれら関係性を二度と再び顧慮できないとの前提の下に、

[「特定事実関係蓋然性「中」」の関係性判断材料 (便宜的に[判断材料Greyオプション]と呼称することとする) ]

を「一単位」切り分けることとする (但し、留保条件として【[要素B]と[要素C]】、【[要素H]と[要素]I】、【[要素]と[要素J]】の共有は[灰色]の判断材料に当たらぬ[あまりにもありふれたもの]として顧慮の対象外としてはじくこととする ――ちなみにここ[切り分け手順5]については(注視して見ていただければお分かりいただけることかと思われるところとして)[切り分け手順2]と一部もってして重複するように映るところがあるとのものなのだが、ここ[切り分け手順5]にあっては([切り分け手順2]から[切り分け手順4]の対象外となっている)【[要素B]と[要素H]】の関係もが顧慮されるようになっていることを(細かくもなりすぎているきらいありの話の中にあってのさらにもの一応のこととして)付記しておく―― ) 。

[切り分け手順6]優先度として第六順位の情報処理手順

 ここ[切り分け手順6]では[切り分け手順5]までの検討がなされた段階で


要素B:[[ブラックホール]ないし[ワームホール]ないし(機序不明概念としての)[異界との扉]のどれか一つないし複数と明示的に結びつけられている] (e.g.[特定フィクションが[ワームホール]を登場させている][特定ノンフィクションが[ブラックホール]を作中の主要テーマに据えている]等等)

要素C:[粒子加速器と結びついている] (e.g.[特定文物が粒子加速器に関わるものである]等等)

要素D:[アトランティスと命名されての概念と関わっている] (e.g.[特定フィクションが[伝説の沈んだ大陸アトランティス]に目立って言及している]等等)

要素E:[古のトロイアにまつわる伝承との結節点 (1.【叙事詩『イリアス』というトロイア崩壊にまつわるプロセスを扱った古典の際立っての構成要素】あるいは2.【叙事詩『オデュッセイア』というトロイア崩壊にまつわるプロセスを扱った古典の際立っての要素】などとの結節点) を色濃くも具備している] (e.g.[特定フィクションが[トロイアの木製の馬]と直接的に結びつく作中要素を具備している][特定フィクションが叙事詩『オデュッセイア』や叙事詩『イリアス』(の主要登場キャラクター)と結びついている]等等)

要素F:[ヘラクレスの12功業と直接的に関わっているとの特性を具備している] (e.g.[特定文物がヘラクレス第11功業と関わる]等等)

要素G:[爬虫類の知的異種族([聖書の蛇]や[悪魔]といった存在は除く)と濃厚に結びついている] (e.g.[特定フィクションが知能を持った蛇の種族を登場させている]等等)

要素H:[垣根としての五芒星・五角形と濃厚に結びついている] (e.g.[特定フィクションが垣根としての五角形を作中の重要要素に据えている]等等)

要素I:[キリスト教大系におけるサタンないしルシファーと「直接的に」結びついている] ([特定フィクションが聖書におけるサタンを作中にて悪役として登場させている]等等)


の内、いずれかたった一つでも共有するとの作品らを捕捉した時点で(顧慮されているデータとしての二つの作品らより)それら関係性を二度と再び顧慮できないとの前提の下に

[「特定事実関係蓋然性「弱」」の関係性判断材料 (便宜的に[判断材料Whiteオプション]と呼称する) ]

として一単位切り分けることにする (但し、留保条件を付けもし、[要素B ―ブラックホール関連の要素― ]や[要素C ―加速器関連の要素― ]にまつわる文物らを繋ぎ合せることは非常に易くなっている(ように見えもする)ために、[要素B]および[要素C]絡みの科学論文・研究機関発表文書などノン・フィクション分野のデータは敢えても除外する(よう処理手順を定める)。【[要素B]:[ブラックホール]ないし[ワームホール]のどれか一つないし複数と明示的に結びつけられている】および【[要素C]:粒子加速器と結びついている】と関わるものとして扱っているノン・フィクションの数はそれこそ日々大量に「量産」されており、そのような[ありふれたもの]を意味判断の材料にすることはできないと判ずるわけであるが、について、極論すれば、「最近刊行された加速器実験関連の特定研究者論文と過去に刊行された加速器関連の解説書籍をつなぎあわせて、それらには[要素C]の共有がみとめられる、だから、[恣意性][偶然性]の是非を決めるうえでの恣意性否定の論拠となるかたちで情報処理できる」とはなせないだろうと想定するのだ ―上にてWhiteオプションと便宜的に表記しているものは後に呈示する複数仮説にあって恣意性否定の論拠として必ず影響する(後述)ものであるが、その導出からしていい加減なことがまかりとおらぬように注意している― 。 また、同じくもの理由でここでは【[要素I]:キリスト教大系におけるサタンないしルシファーと直接的に結びついている】、および、【[要素J]:聖書における禁断の果実と直接的に結びついている】も処理にて格別にはじくこととする(e.g.[特定フィクションが聖書における禁断の果実のことを扱っている]との要素「のみ」を具備しているだけのデータもフィクションであろうとノン・フィクションであろうと膨大な数存在し、またもってして日々大量に量産されているとのことで間口のレベルで検討対象として除外する(ように情報処理のフローを設定する)。尚、この処理手順6にてWhiteの抽出に一旦使われた作品に由来する要素は残余部があっても全消除するWhiteは一つの関係性のセットから一単位を越える量では導出出来ないように手順を定める ―データの過剰な重複顧慮を避けるために、である― ))

 以上、細々と見るだに七面倒くさいかたちで、だが、それは最小限数的処理に「要る」ことであろうとの観点でその手順概要を定義しもしたとの
[情報処理手順1]
から
[情報処理手順6]
の順を追っての処理の流れでもってして、(確率計算を念頭に置いての)情報処理の処理対象、すなわち、


【第三者が容易に確認出来る刊行物とのかたちで流通している日本語文字数換算にして1万字以上(英語単語数において3000語以上)の過去の「文献」記録(古典から現代小説などフィクション、そして、特定のトピックについて解説を加えているノン・フィクションら問わずもの文物)】
あるいは
【第三者が容易に確認できる作品として流通している過去の「映像」記録(映画作品など)】
のいずれかにあたり、そして、うち、先行して顧慮したものに対する評論などにおける純然たる引用情報・仄聞(伝聞)情報、そして、同一事項を扱っている(公)文書は除いてのもの


であり、なおかつ、


要素A:[911の事件の発生を事件発生前に先覚的に言及しているとの要素を具備している] (e.g.[[911]と[双子]との言葉の双方と関わる式での描写を目立ってなしている][ニューヨークのビル爆発とペンタゴンの攻撃を同時に描き、また、911と親和性が高い数値列を用いている]等等)

要素B:[[ブラックホール]ないし[ワームホール]ないし(機序不明概念としての)[異界との扉]のどれか一つないし複数と明示的に結びつけられている] (e.g.[特定フィクションが[ワームホール]を登場させている][特定ノンフィクションが[ブラックホール]を作中の主要テーマに据えている]等等)

要素C:[粒子加速器と結びついている] (e.g.[特定文物が粒子加速器に関わるものである]等等)

要素D:[アトランティスと命名されての概念と関わっている] (e.g.[特定フィクションが[伝説の沈んだ大陸アトランティス]に目立って言及している]等等)

要素E:[古のトロイアにまつわる伝承との結節点 (1.【叙事詩『イリアス』というトロイア崩壊にまつわるプロセスを扱った古典の際立っての構成要素】あるいは2.【叙事詩『オデュッセイア』というトロイア崩壊にまつわるプロセスを扱った古典の際立っての要素】などとの結節点) を色濃くも具備している] (e.g.[特定フィクションが[トロイアの木製の馬]と直接的に結びつく作中要素を具備している][特定フィクションが叙事詩『オデュッセイア』や叙事詩『イリアス』(の主要登場キャラクター)と結びついている]等等)

要素F:[ヘラクレスの12功業と直接的に関わっているとの特性を具備している] (e.g.[特定文物がヘラクレス第11功業と関わる]等等)

要素G:[爬虫類の知的異種族([聖書の蛇]や[悪魔]といった存在は除く)と濃厚に結びついている] (e.g.[特定フィクションが知能を持った蛇の種族を登場させている]等等)

要素H:[垣根としての五芒星・五角形と濃厚に結びついている] (e.g.[特定フィクションが垣根としての五角形を作中の重要要素に据えている]等等)

要素I:[キリスト教大系におけるサタンないしルシファーと「直接的に」結びついている] ([特定フィクションが聖書におけるサタンを作中にて悪役として登場させている]等等)

要素J:[聖書における禁断の果実と「直接的に」結びついている] (e.g.[特定フィクションが聖書における禁断の果実のことを扱っている])


ら各要素らのいずれかないし複数を具備しているとの処理対象に対する[情報処理]([情報の分類付け])を実行する。
 そうもした式で(要件を充足している作品らを同じくもの処理フローにかけることで)自動的に抽出されてくるとの、

[「特定事実関係蓋然性「弱」」の関係性判断材料 (便宜的に[判断材料Whiteオプション]と呼称する) ]

[「特定事実関係蓋然性「中」」の関係性判断材料 (便宜的に[判断材料Grayオプション]と呼称する) ]

[「特定事実関係蓋然性「強」」の関係性判断材料 (便宜的に[判断材料Blackオプション]と呼称する) ]

との関係性判断材料を個数単位で切り分けられもしてくる中で、それらをもってして確率論の基礎としての【事象】(サイコロを振った折の目として1が出た、2が出た、そうしたかたちでの【事象】)ととらえることとする(そして、続けての確率計算の話に入る)。

 以上、ここまでの話はいわば
【手順】
の話であって
【数学】
の話「ではない」(まだその段階に入っていない)。
 その点、どうしてもってここまで表記のようなかたちでの手順を定めたのか、【事象】のとらえかたの定義をなしているのか、その思想(思考法)についての解説は後の段にて細かくもなすとして、取りあえずもってして、ここまでの【手順】の委細について仕様を定めてのフローチャート図を下に挙げておくこととする。

 処理手順の事細かやなフローチャート図を下に付す。

(心意気はある、だがしかし、そうしたものに親近感を抱く余地がなんらないとの向きが仮にもし当該フローチャート図の内容まで検討することがあった場合のことを念頭に置いての注記として)

・フローチャート図は多くプログラミング可能、要するに、機械にて機械的に処理することを念頭にしての流れ図として表記しているものである(いわゆるアルゴリズムとしての書式特性「も」帯びている)。であるから、書式が機械処理に親和性が高いとのものとなっているとのこと、お断りしておく ――たとえば、「~のデータを処理領域(特定の情報処理をなすための領域)に移す」「~との【マッチング】(【一致要素のすりあわせ】)処理を行う」「処理は□>□>□の順序で行う」といった表現を鼻につきもしようとのかたちで用いている―― 。そうも断らせていただいたうえで「処理手順の客観性(同じ情報に対する情報処理を走らすと誰がやっても同じような結果が返ってくるとの側面としてもいい)にあっての厳正厳密さを求めると必然的にそういうかたちへと落着せざるをえなかった」と申し述べさせていただきたい。

・機械的処理を多く念頭に置いての記述をなしているものであるが、きちんと読み解けば、処理図はプログラミング的思考などとは無縁なる向きでも[特定の結果]を返せる(情報に対して一様なる情報処理を実行できる)とのものとしてしつらえているつもりである(拙速になりがちながらもの愚拙胸中ではその「つもり」である)。

 以上、お断りしたうえで、それでは[処理手順1]から[処理手順6]とのかたちでの[情報処理 ―情報を選り分けし自動的に分類する処理― ]手順にまつわるフローチャート図を下にて呈示しておく。


(説明が煩瑣になりもする、かつ、幅広くもの読み手に理解を求めるとのことでは手前には手に負えるとの認識があるところがある統計学と接合する「~以上」「~以下」といった連続するものを対象とする確率論などではなく、代替するところの「離散的な」【事象】を「単純な手法にて」「有効であろうとの式で」分析すべくもの確率論(その気があるのならば、文系(なるもの)に分類されての高校生でも理解できようとの単純な確率論)、そうしたものの領分に[複雑な現実社会の諸相の問題]をいかに適正・正確に落とし込むのか、とのことにまつわっての離散的なる【事象】の機械的定義・選り分けの手順の表記の部はここまでとする ―尚、離散云々とは書いているが、ここでの話は【離散数学】的なる思考におけるアルゴリズム定義といったものと言う程に高度なもの「ですらない」とのところとなる(位置付けとしては基本的数学 Primary Mathematicsのみを用いての分析をなす上での道具立てとしての手順紹介の部となる)― ) 


※本稿本段にての【確率論】にまつわる話は先にて断っているように

【ある程度の知識 ―高校卒業程度の数学知識― を有した向きを前提にしての「付録」としての位置付けを与えての話(既に訴求すべきことをおおよそ訴求し終えているとの判断がある中で識見ある向きに念を押すべくもの話)】

となる。
 といったいわばもってしての人を選んでの(付録としての)話にあってのこととし、ここでの情報処理手順についての話は ―それもまた再言となるが― 

[確率論展開の前提となるところにまつわる「事細やかな」【手順】にまつわるもの] (確率論の基礎としての【事象】、その【事象】の抽出の【手順】にまつわる話)

に留まるとのものであり、であるから、本稿の結論のみを(最も問題となるところで)とにかくもってして理非検討したいとの向きにあってはなおさらもってしてここでの話は無視・放念いただいても構わない(とはなから前提に置いたうえでの実にもって微に入っての細々とした記述をなしている)。
 ただし、本稿にての立論展開の適正さをそれこそ端から端まで検討しようとの向き(であり、なおかつ、高校(卒業)程度の数学的知識をもちあわせている向き)にあられては、である。望ましくはここでのたかだかもってしての【手順】の説明ありようの適正さからして検討なしていただければ光栄、そのように考えている次第でもまたある。

(ここまで話を進めたうえで言うが) いちいちもって言の葉にするまでもないかと思えるようとなところとして[話が細々と、そして、単調に、無為に長くなっている]きらいが如実にある。

 だが、[ベイズ確率論]というものの性質が[観測事象]から[原因事象]を推定するものであり(:基本的なところとしては例えば、法廷でも用いられる数学概念の典型となる[ベイズ推定]について和文ウィキペディア[ベイズ推定]項目の冒頭部にて(原文引用するところとして)ベイズ推定とは、ベイズ確率の考え方に基づき、観測事象(観測された事実)から、推定したい事柄(それの起因である原因事象)を、確率的な意味で求めることを指す(引用部はここまでとする)と記載されているとおりである)、 のような中で[基礎となる観測事象]が、(主張者が良好なパフォーマンスについて良心的ならんとすればする程)、[その性質を厳密に定義されなければならないもの]であるとのことがあるために不可避的となるとの話、観測【事象】の性質を厳密に「データ整理・分類」する ―厳密に「情報処理」する― とのことにまつわっての話を今しばらくも続けることとする (書き手たるこの身自身が(最早残された時間も少ないとの判断がある中で)ついつい煩瑣面倒であると思っているところともなってしまうのだが、(ベイズ推定の一般公式の道筋への(高校生でも分かろうとの式での)解説をなすに先駆けもしての)切り分け手順にまつわる話を今しばらくも続けることとする)。

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直下、本稿冒頭部へのリンクを設けておく

(⇒冒頭頁へは下の部より)

[典拠紹介部第1頁 加速器実験に伴う欺瞞性から証示なせることについて]

 上にて挙げているのはドイツ浪漫主義芸術の巨匠たる18世紀画家、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(Freemasonでもあったとの画家 Caspar David Friedrich)の手になる一品、

Der Wanderer uber dem Nebelmeer雲海の上の旅人』(に多少の[動き]をアレンジとして加えたもの)

となる。

 言われようの問題として一般に、

[人間の崇高なる精神が高みを目指し、ついぞ多くの物事を達観するに至った時、その折の孤独と感慨を描いた画]

などと形容される上掲の『雲海の上の旅人』に関して(本稿でもその言行を順次・段階的に取り上げることになるとの)物理学者リサ・ランドールは[次のような申しよう]をなしている。


(直下、物理学者リサ・ランドールの手になる著作 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)にての CHAPTER THREE LIVING IN A MATERIAL WORLD[第三章 物質世界に生きる]の章の記述内容 ――オンライン上検索エンジンにあっての原文検索にて該当部特定できるところの記述内容―― よりの原文引用をなすとして)

Our universe is in many respects sublime. It prompts wonder but can be daunting ―even frightening― in its complexity.  Nonetheless, the components fit together in marvelous ways. Art,science, and religion all aim to channel people’s curiosity and enlighten us by pushing the frontiers of our understanding. They promise, in their different ways, to help transcend the narrow confines of individual experience and allow us to enter into―and comprehend―the realm of the sublime. (See Figure 11.)
          [ . . . ]
[ FIGURE 11 ] Caspar David Friedrich’s Wanderer Above the Sea of Fog (1818), an iconic painting of the sublime ― a recurring theme in art and music.

(上の原著引用部に対する[訳文]として国内流通訳書『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)ハードカヴァー版にあっての81ページに記載されているところを引くとして)

多くの点で、私たちの宇宙は崇高だ。その複雑さは好奇心を駆り立てはするが、無力感も抱かせるし、ことによっては恐怖さえも感じさせる。にもかかわらず、宇宙の構成要素は素晴らしくぴたりと絡みあっている。芸術、科学、宗教は、いずれも人々の好奇心を促して、理解の限界を広げさせ、それによって私たちを啓蒙することを目指している。いずれもそれぞれのやり方で、個人の経験の狭い領域を越えさせることを約束している。それがかなえられたとき、私たちは崇高なものの領域に踏み込む――そして理解する――ことができるのだ(図11を参照)。 …(中略)… [図11]ドイツの画家カスパー・ダーヴィド・フリードリヒの「雲海の上の旅人」は、崇高なものを象徴的に描いた作品だ。崇高さは、美術と音楽に繰り返し登場するテーマである

(以上をもって Knocking on Heaven’s Doorにての原著表記および訳書よりの引用とした)


 さて、何故、ここ脇に逸れての部にあって「目立つように」特定絵画 ― 『雲海の上の旅人』― を挙げ、その絵画に対する物理学者の評しよう ―「雲海の上の旅人」は、崇高なものを象徴的に描いた作品だ....― などを引いたりもしたのか

「それは、」
絵画『雲海の上の旅人』に対して直上引用なしたような評しようをなしているとの物理学者リサ・ランドールが

加速器によるブラックホール生成可能性にまつわるトピックの理論深化に一廉ならぬ貢献をなしているとの著名物理学者

[[崇高なるもの]を目指しての宇宙の探求(およびそのための装置と銘打たれている巨大加速器LHC)の称揚・礼讃をなしているとの向き

であるとのことがあり、また、なおかつ、彼女リサ・ランドールの手による、(絵画『雲海の上の旅人』を科学者が目指しての[崇高さ]とを結びつけている)引用元著作 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)が

人間のありよう(崇高さとはおよそ程遠いところにあるありよう)]
人間の辿る運命

を嘲笑うような[嗜虐的寓意]で満ち満ちていると申し述べられるようになっている著作であるとのことがある、遺憾ながら
[理の当然]
として申し述べられるところとしてある ――個人のせせこましい偏頗(へんぱ)な主観などとは一線を画したところで客観的かつ具体的にこれはこうでこうだと申し述べられるようになっている(出典呈示を第一義にしての本稿では無論、その論拠を事細かに挙げる)とのところとしてある―― からであり、そのことに注意を向けたかったからである(※)。

(※上にて引用元とした著作、 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)、同著にあってはその冒頭部より
September 10, 2008, marked the historic first trial run of the Large Hadron Collider (LHC). Although the name―Large Hadron Collider― is literal but uninspired, the same is not true for the science we expect it to achieve, which should prove spectacular. (表記英文引用部に対する訳として)「2008年9月10日、ラージ・ハドロン・コライダー(LHC)が歴史的始動を見た.[ラージ・ハドロン・コライダー]との名称は有り体に言ってインスピレーションを何ら与えぬとの平凡なものだが、私たちがそれ(LHC)に[証明すべきととらえている壮大なる挙]を託しているとの意では[科学(の進歩)]にとり同じくものことは真実とはならない(LHCは際立ってのインスピレーションを与えるものである)」
などとのことが書き記されている。
 そうもした書きようが目立ってもの冒頭部にてみとめられる著作ノッキン・オン・ヘブンズ・ドアにおける表題、 [天国のドアをノックする]の由来についてリサ・ランドール女史は同じくもの著作の中で次のようなことを述べてもしている。
(以下、 Knocking on Heaven’s Doorにての CHAPTER FOUR LOOKING FOR ANSWERSより引用なすところとして)
I first heard the phrase “knockin”on heaven’s door”when listening to the Bob Dylan song at his 1987 concert with the Grateful Dead in Oakland, California. Needless to say, the title of my book is intended differently than the song’s lyrics, which I still hear Dylan and Jerry Garcia singing in my head. The phrase differs from its biblical origin as well, though my title does toy with this interpretation. In Matthew, the Bible says, “Ask, and it shall be given you; seek, and ye shall find; knock, and it shall be opened unto you: For every one that asketh receiveth; and he that seeketh findeth; and to him that knocketh it shall be opened. (以上原著表記に対して訳書『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)ハードカヴァー版[第四章]103ページにての表記を引くとして) Knocking on Heaven’s Door(天の扉を叩く)]――これが本書の原題だが、私が最初にこのフレーズを聞いたのは、一九八七年、カリフォルニア州オークランドでのグレイトフル・デッドとのコンサートで、ボブ・ディランが『天国への扉』を歌うのを聞いたときだった。いまでも私の頭の中ではディランとジェリー・ガルシアがこれを歌っているのが聞こえてくるけれど、いうまでもなく、私の本のタイトルは、この曲の歌詞とは意味が違っている。このフレーズは出典である聖書の一節とも違っているが、私のタイトルはこちらの意図を拝借したものだ。聖書の「マタイ伝」には、このように書かれている。「求めよ。さらば与えられん。尋ねよ、さらば見いださん。門を叩け、さらば聞かれん。すべて求むる者は得、たづねる者は見いだし、門を叩く者には開かれるるなり
(以上、引用部とした)
 といったところ、新約聖書のマタイ伝にあっての
[求めよ。さらば与えられん。尋ねよ、さらば見いださん。門を叩け、さらば聞かれん。すべて求むる者は得、たづねる者は見いだし、門を叩く者には開かれるるなり]
とのフレーズ、それが
[天国の門]・[天国への扉]・[天国への階梯](ステアウェイ・トゥ・ヘブン)
との兼ね合いでいかように嗜虐的なる別側面での意味( Double Meaning )と共にあるのか、そのことからして具体的典拠を挙げ連ねるとの式で遺漏無くも事細かに示そうというのが本稿の本義であるとここ脇に逸れての部にあって訴求しておきたいとの意図が筆者にはある)

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