典拠となるところの明示[127]――欧米圏のそれと特徴的シンボリズムを共有しも
している日本国内にあっての[911発生の予見的言及作品]について

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[911の事件の先覚的言及]と[フリーメーソン象徴体系]との接合について 補説4

 前頁では(再度繰り返し表記しもしての)以下のことにまつわっての極めて長くもなっての補足、■補足1から■補足3に区分けしもしての補足をなした。

 911の発生を予見しているが如くサブ・カルチャー作品が何作も何作も存在しており、の中には、フリーメーソン・シンボリズムとの連続性を呈する作品らも含まれている。そして、日本国内のサブ・カルチャー作品にも同様のことが当てはまりもし、本稿ではその伝で問題となるものを幾例かを呈示することとした。

(以上の運びで話をなしていた中で青少年層向けアニメ映画作品アニメ映画『ルパン三世 くたばれ!ノストラダムス』について取り上げたうえで)
 著名な漫画作品である、
『ジョジョの奇妙な冒険 スターダストクルセイダース』
もまたその範疇に入るものとなる。
 具体的には和文ウィキペディアでもってしてから同じくものことが解説されているとおりのこととして、


事実1オインゴ・ボインゴ兄弟のマンガにて死ぬことが「予言」された男の服には[911]との数字が目立って記載されている ⇒ 「誰でも容易に確認できるようになっている」との[文献的事実]である

事実2:劇中に見る上記の男の死亡予言描写(漫画作品『ジョジョの奇妙な冒険』の中の劇中の漫画作品(英文タイトルが付されており OINGO BOINGO BROTHERS ADVENTURE)にての予言描写)][飛行機と確と結びついている ⇒ 「誰でも容易に確認できるようになっている」との[文献的事実]である

事実3:劇中に見る上記の男の死亡予言が10時30分との時刻と紐付いてのバス乗車時間と結びつけらている ⇒ 「誰でも容易に確認できるようになっている」との[文献的事実]である

事実4:以上の事実1から事実3に見る描写を含む漫画作品が世に出たのは1990年代前半となっている ⇒ 文献にまつわる情報(書誌情報)としてすぐに確認できることである


とのことらが現実にある。

 上のような要素にて分解できる予見描写についてはまたもってしてフリーメーソンのシンボル(入門徒弟位階エンタード・アプレンティスの一般的なトレーシング・ボード構図)とも接合するものとなり、それは下のような式で図示できるところのものとなる。

(問題となる漫画作品に見る[予見描写構図]の解説図の再掲として)

(問題となるフリーメーソンのシンボル画 ―[月]と[一つ目]と[太陽]を一直線に並べるとのトレーシング・ボード構図― の再掲として)

 上記のことにまつわっての直前頁の補足がいかような問題点を呈示しているものなのかについては、「とにかくも先だっての内容を参照されたい」、そのように申し述べるにとどめ、本頁固有の内容に以下、入ることとする。

 さて、ここまでにて■[補足1]から■[補足3]と振っての脇に逸れての話に長々と筆を割いてしまったきらいがあるが、『ジョジョの奇妙な冒険』という作品にあっての[「問題となる」予見描写]に関して本質をなす(と筆者がとらえる)ところ ―A.からE.と振って取り上げているところ― に話を引き戻す。

 本稿筆者が『ジョジョの奇妙な冒険』という漫画の予見描写に関して心底、呆れさせられたことについては[吊された男の寓意]もが意味性をもってそこに付与されている節があるとのこと「も」ある。

 本稿にての先の段でも指摘しているようにフリーメーソンの徒弟位階への参入者(要するにフリーメーソンへの参入者)はその参入に際して

吊された男

を演じさせられるとのことがよく知られているところとなっている。

(フリーメーソン成員が組織に足入れする(徒弟位階に組み込まれる)際に[吊された男]を追体験させられもするとのことの出典として

 本稿の先の段出典(Source)紹介の部103(6)にあっては19世紀に刊行されたよく知られたフリーメーソン儀礼総覧本として(PDF版も流通しているとの)
Duncan's Masonic Ritual and Monitor『ダンカンのメーソン儀礼およびその報告』(1866)
にて掲載されている図などメーソン儀式動向を示す画をも挙げつつそのこと ―メーソン新参者、徒弟位階成員が縊死(いし)・絞殺完遂を迎えることになる絞首刑者の格好をさせられて儀式に臨むこと― について取り上げもした。その点、同じくものことについてここでは、 Robert Lomasロバート・ロマスおよび Christpher Knightクリストファー・ナイトという二名の著者の手になる書籍、 THE HIRAM KEY(幅広くもその主たる筋立ての信憑性に疑義が投げかけられている[信用のおけぬ出典] unreliable sourceとして有名な書籍だが、フリーメーソンのスポークスマン的なる者達が書いてものであることよりメーソン儀典にまつわるところでは確度高いメーソン関連情報を呈示していると判じられる書籍)の国内にて流通している訳書『封印のイエス』 ―[陰謀「論」関連本]や[トンデモ雑誌]をよく出すことでも知られる出版社である学習研究― にての21ページより24ページよりの掻い摘まんでの引用を「再度」なしておくこととする。(以降、掻い摘まんでの再度の引用をなすとして)いよいよ入団の儀礼。・・・(中略)・・・目隠しをされ、緩やかな白衣を着せられた。片足には簡素な上靴。左脚は膝まで露出させられ ・・・(中略)・・・ 首の周りには絞首刑の綱が巻かれ、背中に垂れ下がっていた。 ・・・(中略)・・・ すべての金属製のものを体から外させられ、 ・・・(中略)・・・ フリーメーソンの「テンプル」に入る準備が整った ・・・(中略.一挙に24ページまでとばす)・・・ こうして目隠しが取り除かれた。・・・(中略)・・・ 前にいるワーシップフル・マスターは ・・・(中略)・・・ メーソンリーの「光」の象徴に向けた。 ・・・(中略)・・・ そして、 ・・・(中略)・・・ 「エンタード・アプレンティス(徒弟)」という位階に受け入れられた、と告げた(引用部はここまでとする)。
 以上が ―繰り返し言及なしての部位ともなるが― [メーソン自身が語る徒弟位階への入門時、すなわち、メーソンに入団する際に参入者が強いられる儀式のありよう]である。そこにてはメーソン入団者はその入団段階で目隠しをされた死刑囚を演じさせられ、目隠しをとられて、光を与えられ、メーソンに入団することになるとはきと言及されている)

 それにつき、上述のこと ―メーソンの徒弟位階の参入者が目隠しをされた絞首刑受刑者(吊された男)の似姿にて儀式に臨むこと― と

[911の事件の予言と認知されている『ジョジョの奇妙な冒険』にあっての問題となるイラスト ―メーソン徒弟位階トレーシング・ボードと構造的類似性を呈してのもの― の中央に[串刺しにされたうえで「吊されている」との男]が描かれていること]

の間にも問題となる接続性がある。

 最上段は先に挙げた『ジョジョの奇妙な冒険』の予見的描写のありようにまつわっての図の再掲。そこでは劇中の[予言漫画]にて[911と刻印された上衣]を着用した男が電柱に「吊されたまま」死亡しているとの描写がなされているが、それは広くも言葉の定義をとらえて見れば、[ハングド・マンありよう]となる(:[吊されての縊死者]のみならず[吊されて串刺し死を遂げた者]もが定義上、ハングド・マンに含まれているとのことについては下述する)

 中段はルネサンス期の画家ピサネッロの描いた画(英文Wikipedia[Hanging]項目に掲載されている画)に認められる典型的な
[絞首刑に処された者]
の似姿。すなわち、ハングド・マン(吊された男)の似姿となる。
 その点、ハングド・マンとくれば、いや、吊された男ことハングド・マンと結びつけられる行為そのものに着目しての[ハンギング]と呼ばれる処刑方法とくれば、狭義には[窒息させるべくもの首吊りにて処刑する]との処刑法(にて殺される者の末路)であるとはされるが、広義には[磔刑(十字架上の死)あるいは吊された上での[串刺し]のように吊されたまま死をもたらす行為]もそこに内包されるとされている。につき、 ―細かいことをくだくだと紹介するようではあるが、本稿では[厳密さ]をとにかくも重んじているとのことがあるため、一応、述べておけば― 英文Wikipedia[Hanging]項目の冒頭部にあって現行、 Hanging is the suspension of a person by a noose or ligature around the neck. The Oxford English Dictionary states that hanging in this sense is "specifically to put to death by suspension by the neck", though it formerly also referred to crucifixion and death by impalement in which the body would remain "hanging".(訳として)「ハンギングとは縄(なわ)の輪あるいは首周りでの縄による吊るし上げを指す。公式にはそれは[磔刑]あるいは[吊るし上げ状態の維持なしての「串刺し」]による死亡もまた含意しているも、オックスフォード英語辞典によれば、この意でのハンギングは取り立てて首吊りによる死をもたらすことであるとされている」(訳はここまでとする)と記載されているところである)。

 下段はフリーメーソンの第一階級、入り口にあたる徒弟位階へのイニシエーション(入門の儀)を受けるものが絞首刑受刑者の格好 ―首に縄とくくりつけられ、目隠しをされるとの格好― をさせられるとことにまつわる19世紀初出のメーソン儀礼およびシンボル体系の要覧書 ―陰謀論鼓吹との意で否定的なるものではなく組織儀礼のハンドブックのようなもの― としての Duncan's Masonic Ritual and Monitor(1866)にて掲載の図像よりの再掲となる。

 お分かりか、とは思うが、『ジョジョの奇妙な冒険』の予見的描写は
[吊された男]
の使用との観点でフリーメーソンやりようと結線しているとのことがあるわけである。

 かてて加えて(より性質悪きことに)、先に言及してきた接合性、すなわち、一直線に並ぶ[月][一つ目][太陽]という象徴を介しての『ジョジョの奇妙な冒険』予見描写とメーソン・シンボリズムとの接合性が

[[エンタード・アプレンティス位階](フリーメーソンの「第一位階」)のトレーシング・ボード一直線に並ぶ[月][一つ目][太陽]という象徴と結びつくものと関わるところのもの

であるのに対して(先述のことである)、フリーメーソンの儀式体系にあって[絞首刑受刑者]の似姿が目立って具現化を見ているのも同じくものフリーメーソンの「第一位階」たる徒弟位階、[エンタード・アプレンティス](への足入れ儀礼)となっているとのこと「も」ある。

(その点、[何かに憑かれたように目分量が利かぬとの者達]、あるいは、[筆者のような人間の言論を妨げたいといった胸中が透けて見えるような者達]ら、そう、「100の重要な話」をなしているときに「1の上澄み」にあたる部分、傍論となるようなことばかりに拘(こだわ)る姿勢をとりもし、その拘りのスタンスから他の重要な主張に目を向けないで、また、その拘りが当然であるような[ご意見]というものを目立つように披瀝・吐露するような[度し難い手合い]らは筆者がここでなしているような話をもってして、[たかだかものその程度のこと]といったことが筆者主張の主色をなすように筆者のことをして
「説得力あるフリーメーソン陰謀の告発者である」
などと ―頭の具合のよろしくなさを彼ら流に前面に出した上での[褒め殺し方式]など用いながら― 「意見」呈示する材料に使うかもしれないととらえるが、繰り返すも、傀儡(くぐつ)化の力学があまねくも滲透・作用しているとの証拠 ―サーカムスタンシャル ・エヴィデンス、いわばもってしての間接的証拠― が具現化しているこのような忌むべき世界で、
「『ジョジョの奇妙な冒険』の著者がメーソンである」
(あるいはもってして)
「『ジョジョの奇妙な冒険』はフリーメーソンリーの予定・理想を吐露すべくもの漫画である」
なぞといったことを強調するのが筆者の意図でもなければ、そのような[真偽不明なること]を云々するのが本稿の趣意でもない。
 筆者意図にして本稿趣意となるところは ―([十分条件]ではないが[必要条件]の問題と判じられるところとして)― [直視して抗わなければ種族に明日などあるわけがない]との現実的状況をただひたすらに具体的証拠にもって呈示・訴求することであり、ここでの話「程度のもの」とてもそうしたことに間接的に関わっているとの認識があって筆を割いているとのものである(:筆者は[マリオネット使役力学](とし表しようがないもの)がいかようなものとして呈示できるか長大なる本稿で折に触れて論じているわけであるから[本当に語るに値するような向き]はそうした履き違いはなさないかと思いつつ、「一応」、くだくだしくも書き添えもするところとして、である))

 加えて、である。『ジョジョの奇妙な冒険』の予告描写について述べられるところには次のようなこと「も」ある。

「同作品の予見描写は
[フリーメーソンのシンボリズム]
と接合している
(先述なしてきたように漫画作品にみとめられる予見描写は月と太陽と一つ目(型の911)を一直線に並べるとの構図をとっているわけであるが、フリーメーソンの徒弟位階の訓示用図像であるトレーシング・ボードは月と太陽と一つ目(の形態をも取る明けの明星やブレイジング・スター)を一直線に並べるとのものであり、また、漫画にみとめられる予見描写が吊されて串刺しにされた男】としてのハングドマンを持ち出しているものであるとのことがある中でフリーメーソンの同じくもの入門徒弟位階では目隠しをされたハングドマン(絞首刑対象者)の扮装をするとの儀礼が執り行なわれているうえに、また、同描写は【時限爆破行為の寓意】にも ―メーソン・シンボリズムそれ自体と関わるところで― 「絶妙に」接合しているとのことがあるものである」

 細かくもは次のようなこともが摘示できるようになっている。

『ジョジョの奇妙な冒険 スターダストクルセイダース』にての予見描写はオインゴ・ボインゴ兄弟の【オインゴの予言漫画にまつわるもの】として具現化しているのであるが、そちらオインゴ・ボインゴ兄弟というのは主人公ら一行(先に作中登場人物に振られた固有名称を取り上げての話の中にて既述の[空条承太郎]を中心とした一行)
[時限爆弾入りのオレンジで爆殺しようとして逆に返り討ちにあった]
との落ちがつけられている者達である(:オインゴの特殊能力が発現しての予言漫画 ―いいだろうか.[911の予見描写]として現実世界で語られているシーンを現出した「フィクションの中の」[作中漫画]がそちら予言漫画ともなる― にて主人公を[時限爆弾入りのオレンジ]などという「どうしてこのようなものを持ち出してきたのか?」との[特殊なもの]で殺せるとの描写がなされたために、彼ら、オインゴ・ボインゴ兄弟はそうしたもの、時限爆弾入りのオレンジをわざわざ作り上げ、それを主人公に食させしめようとしたのだが、結局、失敗して返り討ちにあったと描写される)
 そうした
予言をこととする者達によるオレンジに混入されての時限爆弾による爆殺の試行
という話の流れに関わるところとして「問題となる」予見描写 ―(フリーメーソンのシンボリズムと「多重的に」どういうわけなのか結合しているようになっていること、既述のオインゴの漫画に見る911の上着を着た男がハングド・マンとなって死亡するとの予見描写)― を含む『ジョジョの奇妙な冒険 スターダストクルセイダース』の一連の部は
爆弾仕かけのオレンジ
という副題が振られたコミック単行本 (先にオインゴ・ボインゴ兄弟にまつわる予言的言及を含んでいるとのこと、解説している集英社「単行本」版『ジョジョの奇妙な冒険』第20巻) に収められているとのことがある (:単行本第20巻としての[爆弾仕掛のオレンジの巻]はリニューアルされての「文庫版」とは異なるものだが、古本チェーンなどに普通に並べられているもの、それがゆえ、内容確認も容易になせるものか、と思う)

(:尚、予言描写それ自体からは離れての複数話が収録されながら[爆弾仕かけのオレンジの巻]と振られているとの集英社「単行本」版『ジョジョの奇妙な冒険』第20巻が発行されたのは1991年2月となる(その中にて予言描写を含む作中話が雑誌にて初出を見たのは1990年となる)。については和文ウィキペディア[スターダストクルセイダース]項目「にも」英文ウィキペディア[ Stardust Crusaders ]にも同巻への言及が ―題名だけのところながらも― なされている次第である ―「現行の」英文ウィキペディア[ Stardust Crusaders ]項目にあっては The Exploding Orange(直訳すれば、爆発するオレンジ)との英文タイトルと和文タイトルがアルファベット表記されての Bakudan-jikake no Orenjiの二通りがきちんと[書誌情報]として表記されているところともなっている― )

 繰り返すが、[爆弾仕かけのオレンジの巻]というタイトルが振られた単行本に掲載されている作中話(エピソード)の中で[時限爆弾を仕掛けたオレンジ](などとのもの)で主人公を暗殺しようとする兄弟らが参照していた予言描写能力を伴った漫画の中で[911の予言描写]が登場を見ているのである(※)。

(※既に[911の予言描写]が登場するセクションについては言及しているわけだが、ここでは和文ウィキペディア[スターダストクルセイダース]項目にての現行の記載内容を引いて、[爆弾じかけのオレンジ]による暗殺挙動がどういったものなのか、内容紹介をなしておくこととする。
(以下、和文ウィキペディア[スターダストクルセイダース]項目にての現行の記載内容よりの引用をなすとして)
アスワンで待ち受けていたオインゴボインゴ兄弟の兄。弟のボインゴとコンビを組み、弟の予知能力を頼りに行動する。最初は喫茶店に先回りし、ジョースター一行に毒入り紅茶を飲ませようとしたが、イギーに邪魔されたことで失敗する。次に承太郎が爆弾の爆発に巻き込まれるという予知を実現させようとするが、爆弾仕掛けのオレンジを仕掛けようとする際に現れたジョセフとポルナレフに慌てて承太郎へ化けたため、本物の承太郎の代わりに予言に巻き込まれてしまう。ジョセフたちと同行する際に様々な仕草などで怪しまれながらもなんとか逃亡に成功するが、捨てられた爆弾仕掛けのオレンジをうっかり踏んでしまったことで自爆し、存在を気づかれないまま敗北してしまう
(以上、引用部とした))

 さて、爆弾仕かけのオレンジ]という「極めて印象深い」タイトルについては

時計じかけのオレンジ』(英文原題はクロックワーク・オレンジこと、 Clockwork Orange

というタイトルの著名小説・映画作品が現実に以前から存在している中で同作より影響を受けていることは火を見るより明らかといった按配のものである(貴殿が[爆弾仕かけのオレンジ]と[時計じかけのオレンジ]という二つの類似したタイトルの作品の間に[オマージュ(敬意を抱いた他作家に対する明示的確信犯的模倣行為)を示してみせたもの]と[オマージュの対象とされたもの]との間の関係が「ない」などと考えられるとの向きならば話は別だが)

 その点、『時計じかけのオレンジ』という作品は元来、英国にて刊行された小説作品なのだが、世間一般で知られているのは『2001年宇宙の旅』や『博士の異常な愛情』や『フルメタルジャケット』といった監督作品で知られる映画界の巨匠にして鬼才、スタンリー・キューブリックがメガホンをとった映画版『時計仕かけのオレンジ』の方となろうか、と思う(:映画版『時計仕かけのオレンジ』の方についてはここ日本でも[いみじくも「本当の」映画通を任ずるとの向き]であればそちら作品を知らないし見ていないとの者はほとんどいなかろうといった按配で「有名な」作品とあろうかと思われる)。

 そちら映画版『時計じかけのオレンジ』の「よく知られた」リリース・ポスター(国内でもレンタルDVDのパッケージにそのデザインが流用されているのが見受けられるとのポスター)は
三角形の中の一つ目
を極めて印象的に描いたものとなっている  ―下の図を参照のこと―
 (:そちら[三角形の中の一つ目]をフリーメーソンのシンボリズムと強くも断ずるとの式に反感を呈する向きもこの世界にはいるのだが、はきと述べ、ここまででも実例呈示して示したきたように[中空に浮かぶ一つ目]ことオール・シーイング・アイはフリーメーソンの主要なシンボルのひとつ「とも」なっており、かつまた、それが正三角形と結びつけられていることもフリーメーソンら自身が自認しているところである ―にまつわってのフリーメーソンの識者階級(となれば社会の上層での役割を与えられた者にしてある程度の知識水準を有している者であるとの存在)による申しようをも引いておくこととする― )

 最上段。映画『時計じかけのオレンジ』にて使用されたシネマ・リリース・ポスターのその特徴的なる部のみ押さえて強調、他はカットして描画なしたとの再現図を挙げている(現物、デザイナーの Bill Goldによって手がけられたものは Theatrical release posterとして A Clockwork Orange (film)と銘打たれての英文ウィキペディア項目など諸所にて掲載されており、オンライン上よりすぐに確認なせるものとなっている)。

 中段。ドル札を握ったものならば誰もが知るところの1ドル札に刻印されてきたアメリカ合衆国国璽(事実上の国章)に認められる、ピラミッド頂点に輝く神の目を挙げている。

 下段。英文Wikipedia[ Eye of Providence ]項目にも図像が掲載されているとの初期よりフリーメーソンが用いてきた ―エプロンその他のありとあらゆるところで刻むとのかたちで用いてきた― メーソン由来の一つ目のシンボル画。図を見ればお分かりいただけるであろうが、中段の合衆国国章が一つ目が光線を四方に発しているのと同様にメーソンの一つ目も光線を四方に発している(※)。

(※その点、一部フリーメーソンやフリーメーソンに起因する陰謀史観を否定あるい愚弄したいとの筋目の向きによると、

「合衆国国璽に見る[ピラミッドの中の一つ目]の構図はメーソンに由来するところ「ではない」。また、万象を見通す神の目のシンボリズムは元来、キリスト教のシンボルであったものである。であるから、国璽に[ピラミッドの中の一つ目]が入れ込まれていることをもってして合衆国がメーソン国家であると論ずるのは不適切であり、そういうことを吹聴するのは[頭の具合のよろしくはない陰謀論者ら Conspiracy Theorists]である」

とのことになったりするようであるが、[歴史的事実]として述べられることはフリーメーソンが多く関わっていたことが知られる[フランス革命]にて採択された人権宣言にも[三角形の中の万物を見通す目](元来、キリスト教のシンボリズムであったとのもの、オムニセンス、万象・万物を見通す全能なる神の目であるとされるシンボリズム)は描かれているとのことがあり、また、フランス革命に多少先立つ、アメリカ独立、そう、

[ボストン茶会事件] (ボストン茶会事件は日本にてお受験科目としての[世界史]を[学習]する者にとりそれを知らなければ望む大学にも行けぬとの歴史にあっての重要エピソードとなるが、同事件についてもフリーメーソンリーの関与が際立っていたとの話が伝わっている/同事件については日本語ウィキペディア[ボストン茶会]事件項目などにて現行、ボストン茶会事件におけるメーソン人脈関与を[都市伝説]であるなどとどこぞやの「相応の」類が「断定」しているとの記述が目に付くが、英語圏で史実として語られるところとしてボストン茶会事件に至るまでの「前段階」の流れにて主導的な役割を果たした John Rowe(英語媒体でよく引き合いに出される歴史上の人物ジョン・ロー)という商人は歴とした有力メーソン ―グランド・マスターにまでなった者とも表される― であることが「よく知られている」(英文Wikipedia[ John Rowe (merchant) ]項目程度のものにても現行ではその点についての史実としての解説がなれている))

を発火点としてはじまったとの[アメリカ独立運動]からしてメーソンが多く[ファウンディング・ファーザーズ](独立の父ら)として関わっているとのことがあり、そうしてできあがった国家にて採択されたのが上掲のドル札に刻まれているような国璽(事実上の国章となっている印章)であったとのことである。

 そうもしたことにまつわって、

「理念も理想も含めて全てが[偽物・紛い物]である、叩いても押しても言われた通りのシステムの運営のなしかたしかなさないとのそういう[精神と魂の紛い物]らが組織性を帯びての紐帯として多く群れて[重要部]を構築してきたし、いまなお構築しているのがこの世界である」

といった言、そう、

[一歩引いての立場から見れば、悪臭が鼻についてならないとのこの世界の[偽物]性にまつわる申しよう]

を赤裸々になしもする正直でありたい向きら ―重要なところでの虚偽(不信の根)は人間存在の存続にとり、無論にして長期的に有害であるとの観点を持ちもして、おのれを包含する種族的視野として正直でありたいとの向きら― に対してそうした向きらの[正直さ]を否定したいとの者らなどは

「この世界にあっては[特定の力学の薬籠中の存在となっている相応の一群の[人形]のような者達の紐帯]が社会構築要素として見事に機能しているなどということはなく、この世界は悪しき紐帯とは無縁な[自由で独立した人間]からなっている自由なる世界である」

などとの耳に心地よいお話 (正しさ・適正さのみがおのれを含む種族を救いうるのだろうとの所信を持っている筆者のような人間から見れば[とんだお伽噺フェアリー・テイル]ではある) を強調したいとのその立場からここでの書きようを好ましくなきものと見ることか、とは思うが、とにかくも、この世界の今までの[革命]の推進力はフリーメーソンという組織に組み込まれた者達、号令一下、軌道修正も容易であろうとの筋目の者達にあまりにも多くを求められるようになっているとの経緯がある。

(ちなみに、[[望ましくなき組織性やそれに伴う人間性の欠如]に関する指摘を十把一絡げに[陰謀論]でひとくくりにし、確たる反論の論拠もなく陰謀「論」者の戯言と断ずるような手合い]が[完全に操られているとの式][内面の一部が「強奪」されているとの式]ではなくに阿(おもね)っているとのことが透けて見えるとの場合に筆者がまったくもって好かぬととらえているのはそういう者達が、多く、我々を[最終目的]のために殺すと明言しているような[力学](超高度人工知能、教祖や神、何でもいいが、自身の安泰と生活のためもあって、そして、精神の至福という脳機序の問題もあってであろう、崇拝者に絶対視されもする存在らのフリをできもしようとの人工知能を当然に用いてであろうと思われる式にて彼らにとって望ましい文明の養殖に長期的視野で努めてきたと解される力学)に「実に愚劣に」阿(おもね)っている、そうしたかたちで阿っていることにさえ気づけぬ者であろうとの察しがつく、それだけの情報・判断事由が手前手元にあるからである。といった者らは(それがいかなるものかは膨大な文量を割いての本稿を介してよくご判断いただきたいのだが)[我々を殺すことになる力学]の発するところの側から「さえも」[愚劣さ]・[小心さ]・[あざとさ]、どれかが際立っているとの特性がゆえに心底では軽蔑されようとの者ら(相手方に血を好む尚武・戦(いくさ)好きの気風が際立ってあるのならば最終的に[餌付けなしてきた側]に「嬉々として」殺されてしまうような類)と見えよう、とすらとらえている)

 また、ここでの話との絡みでさらに述べておけば、メーソン関係それ自体の人間の著作からして彼らがただ単純にもの[一つ目]のみならず
[三角形の中の一つ目]
をも紋章として好む傾向があると記述しているものもあること「も」ある(陰謀論者がどぎつい本を流通させていることが多き「国内で」プロ・メーソン的(親メーソン的)なる著作を例として引けば、『フリーメーソン源流紀行』といった本にそういう表記が実例呈示込みでなされていたことか、と思う)。

 尚、この世界は ―([相応の類]で満ち満ちているために、といったことらが適正にほとんど顧みられないのかとも見えるところとして)― 

[フリーメーソン (その押しつけられた二重話法の愚かさ度合いを[人形らを用いるような相応の力学]にすら同類(人形)を用いて茶化されるような者達でもいい) にまつわっての内部者か見識を深めた外部の人間にのみ(常識的視野でも)分かろうとの二重話法が具現化していると見えるもの]

で溢れかえっていもする (:国内で[[赤・青・黄の三原色]と[(八葉)蓮華]と[価値を創るなどといった「創」を前面に出してのフレーズ]をすべてワンセットで前面に押し出している団体]が目に留まれば、その団体の中で影響力を有している紐帯が何なのかマーキングの問題として分かる人間にはすぐに分かるようになっているといったことにも通底するところとして、である。その歴史的具現化について述べれば、たとえば、[アメリカ合衆国の(実質的なる)国章]のハクトウワシが描かれている側にあってはシール・オブ・ソロモン、[「ソロモンの」象徴]と結びつく六芒星が描かれており(本稿で折に触れて指摘しているように[ソロモン神殿]は[フリーメーソン思潮の根本となるもの]であることがよく知られている)、そのソロモン・シンボルとしての六芒星をなぞる方向にて[合衆国の(実質的なる)国章]の[ピラミッドの中の一つ目の意匠]が描かれている側にあって描画されているヴェルギリウス ―ダンテと地獄巡りをしたことが描かれもするローマ期の代表的文人― に由来するラテン語文言、 Annuit coeptis[(神が)了承されし我らの挙]および Novus ordo seclorum[この時代にての新しき秩序]を眺めて見ると「メ」「エ」「ソ」「オ」「ン」のアルファベット綴りが浮かび上がってくるとのことなどは[よく知られた事実]である)。
 しかし、そうしたことを
[状況証拠・印象論に重きを置いての話]
としてすべて脇に置いたうえで見た上でも、とにかくも、ここで問題視していることとして次のことが「ある」と述べられることに相違はない。


「三角形の中の一つ目は確かにメーソン勃興「前」から欧州のキリスト教シンボリズムとして見受けられたものなのだが、何にせよ、メーソンがそれと同様のものを好む傾向があるのは事実である」


 上掲図は19世紀に生きた学究系フリーメーソンとして知られ、現在でもフリーメーソン案内本といったその著作が広くも読まれていることが伺い知れるようになっているとの Albert Mackeyアルバート・マッキー (英文Wikipedia[ Albert Mackey ]項目にて Albert Gallatin Mackey ( March 12, 1807- June 20, 1881) was an American medical doctor and author. He is best known for his writing many books and articles about freemasonry, particularly the Masonic Landmarks.[ . . . ] He served as Grand Lecturer and Grand Secretary of The Grand Lodge of South Carolina, as well as Secretary General of the Supreme Council of the Ancient and Accepted Scottish Rite for the Southern Jurisdiction of the United States.(訳として)「アルバート・マッキーは米国の医師にして著述家となり、フリーメーソンにまつわる著述や記事ら、殊にメーソン旧跡にまつわる著作にて知れている向きとなる。・・・(中略)・・・同男アルバート・マッキーは[合衆国にてのスコットランド位階にての南部管轄の最高評議委員]であるのと同時にサウスカロライナのグランド・ロッジにてのグランド・レクチャラー、そして、グランド・セクレタリーとしての役割を果たしていた」との解説がなされているような向きとなっている) の手になる著作、

The Symbolism of Freemasonry: Illustrating and Explaining Its Science and Philosophy, its Legends, Myths and Symbols(『フリーメーソンの象徴主義:その科学と哲学、その伝説と神話とシンボルについての描写と説明』とでも訳せよう著作(1882年刊行版)にして「現時、 Project Gutenbergのサイトより全英文テキストが誰でも入手できるようになっている」との著作)

にての文言を挙げ、そちら文言に対応しての図を挙げたものとなる。

 図を見ていただければ瞭然としてお分かりいただけようが、アルバート・マッキーは

(その著作 The Symbolism of Freemasonry: Illustrating and Explaining Its Science and Philosophy, its Legends, Myths and Symbolsより引用するところとして)

the Grand Architect of the Universe, whom it is the usage, even in ordinary writing, to designate by the initials G.A.O.T.U., is accordingly presented to us in a variety of symbols, three of which particularly require attention. These are the letter G,the equilateral triangle, and the All-Seeing Eye.「[ザ・グランド・アーキテクト・オフ・ユニヴァース]は ―それは日常にて用いる書き物にてでさえG.A.O.T.Uの頭文字で表されるとの方式に適しているところの御名だが― 応ずるところに応じて様々なシンボルら、殊に三つのそれが注意要するとのシンボルの形態にて示される存在となっている。(三つの注意を要するとのシンボルにつき)それらはGの字]、[正三角形]、そして、[万物を見通す目である」

とのことを述べている。

 以上の引用部にてフリーメーソンが神(のような存在)として崇め奉っている[グランド・アーキテクト・オブ・ユニヴァース]の象徴であると明言されている正三角形][万物を見通す目][アルファベットのGらを挙げたのが本稿にあっての訴求用に、と作成した上の図となる ―につき、中央のエプロンについてはこれまたオンライン上より全文ダウンロードできるようになっているとの小冊子的著作 The Apron its Traditions,History and Secret Significances(1914)にて掲載なされているものである。極々単純化させて述べれば、「(位階・立ち位置によって役割も違うのだろうが)フリーメーソンとは詰まるところ、呈示のような[一つ目が(不気味に)刻まれたエプロン]を付けて[チェス盤上の床の交流会館]で[偉大なるプラン]について[語り合う]との筋目の者達である」ということである― 。

 ここまで摘示の通りフリーメーソン(という組織体の紐帯に取り込まれた者達)が一つ目][三角形に尋常一様ならざる拘(こだわ)りをみせている(ようにされている)こと自体は[事実]である。

 余事記載を過分に含んでの直近の話が長くなったが、下図にて呈示の関係性をご覧いただければ、映画『時計じかけのオレンジ』のリリース用ポスターがメーソン・シンボルと結線するものであること、そして、それが(ここまで問題点を示してきたとの)国内漫画作品『ジョジョの奇妙な冒険』にあっての予見描写と接合していること、ご理解いただけることか、とは思う。

 ここまでの内容を理解なせば、

[漫画作品『ジョジョの奇妙な冒険』(の中の第三部[スターダストクルセイダース])にあっての奇怪なる予見描写]

が何故、[時限爆弾爆発挙動](オレンジ組み入れ型時限爆弾を用いての挙動)との式で[フリーメーソン・シンボリズム]と結節するのかとのこともご理解いただけることか、とは思う(:一応、述べておくが、既に予見描写がフリーメーソンのシンボルと多重的に接合するようになっている ―予見描写にはエンタード・アプレンティス位階などのトレーシング・ボードに見る[太陽][一つ目][月]の訓示利用図像との共通性が認められる、予見描写にはエンタード・アプレンティス位階の参入者が[目隠しされて絞首刑受刑者]を演じさせられるとのことに通ずるハングド・マンの寓意が関わっている― ことを指摘してきた中での「加えても、」の話としてそういうことがある)

 さらに述べれば、である。漫画作品『ジョジョの奇妙な冒険』(の中の第三部[スターダストクルセイダース])にあっての奇怪なる予見描写というものについてはここまでその作品特性について詳述してきた作品ら、そう、

[ワールド・トレード・センターでの双子の塔に対する時限爆破の寓意と共にあり、また、フリーメーソンのシンボリズムとの接合性を有した作品ら]

のそれと同様の類型に入るもの「とも」なっていることもまじめな読み手には理解いただけていることか、と思う ―本稿ここまでの流れにあっては(海外作品の一例として例示した)『ファイト・クラブ』『タワーリング・インフェルノ』(国内作品の一例として例示した)『ルパン三世くたばれ!ノストラダムス』の中の特定描写がすべて[ワールド・トレード・センターの災厄][ビル時限爆破の双方と結びついているものとなっていること、また、それら描写がフリーメーソン・シンボリズムと結びついてもいるとのことを呈示してきた― 。

 ここまできたところで申し述べるが、本稿の先の段では

[『ジョジョの奇妙な冒険』にての予見描写がフリーメーソン・シンボリズムのみならず錬金術のシンボリズムら(実例呈示しての欧州の錬金術にまつわる古文献に認められるシンボリズムら)とも接合しており、かつ、そのシンボル接合性 ―賢者の石というものにまつわる接合性― を突き詰めて見ると、[黄金の林檎]にまつわる寓意が浮かび上がってくる]

とのことを ―先だってのひとまとめにしての長くもなっての補足の部にあって― 指摘していた(詳しくはひたすらに明示しての典拠らに依拠し、それら典拠に依拠しつつもの図示をなしながら展開していたとの先の段の解説部の内容を参照されたい)。

 くどくも従前内容を振り返りつつも申し述べるが、そこにいう、

黄金の林檎

の寓意が【911の事件の予見事象】にも、また、【ブラックホール生成疑惑が取り沙汰されるに至っている加速器実験】にも関わっている、しかも、[双方が互いに接合するところ]で関わっているとのことがある(本稿をきちんと検討すれば分かろうが、この世界には【911の予見をなすような作品にしてブラックホールのことも関わるとの作品ら】が複数、相互に結びつくかたちで実在しているとのことがある)との指し示しに努めてきたのが本稿となる。

 以上、もし把握未了ならば、本稿の内容を振り返って確認いただきたきことについて記載したうえで言及しておくが、

黄金の林檎は歴史的に[オレンジ]と結びつけられてきた背景がある存在である

とされているとのことがある(※)。

(※出典として:英文Wikipedia[ Golden apple ]項目にての Identity and use in other languages([他の言語にての(黄金の林檎の)定義ありよう、そして、使用])の節の記載を引けば、
In many languages, the orange is referred to as a "golden apple". For example, the Greek χρυσομηλιά, and Latin pomum aurantium both literally describe oranges as "golden apples". Other languages, like German, Finnish, Hebrew, and Russian, have more complex etymologies for the word "orange" that can be traced back to the same idea.「いくつもの言語にてオレンジは黄金の林檎として言及されている。例えば、ギリシャ語のχρυσομηλιά、そして、ラテン語のpomumは双方、字義通りもの[黄金の林檎としてのオレンジ]を表しての言葉である。他の言語、ドイツ語、フィンランド語、ヘブライ語、ヘブライ語、ロシア語はオレンジとの言葉につき同様の観念に行き着きうるとのより複雑な語源を有している」
と記載されている)

 本稿の内容をきちんとご理解いただけているとの向きにあっては以上のこと(黄金の林檎はオレンジと一致視されているとのこと)が『ジョジョの奇妙な冒険』の予見描写登場の部をして

[爆弾仕かけのオレンジ]( Bakudan-jikake no Orenji ( The Exploding Orange ) ←→ Tokei-jikake-no-Orange

から

[爆弾仕かけの黄金の林檎]( Bakudan-jikake no Golden Apple ( The Exploding Golden Apple )←→ Tokei-jikake-no- Golden Apple

へと変質させ、それがいかような意味・観点で問題になるのか、お分かりいただけるものか、とは思う(:ちなみに、[黄金の林檎]は[トロイアの【内破】としての崩壊の元凶]になったものでもある ―トロイアに引導を渡した[木製の馬]は長期的戦争の終盤にて引導を渡すための手段として用いられたものであり、そも、伝説のトロイアが破滅に向かった戦争の原因は黄金の林檎にあるとされる(本稿の出典(Source)紹介の部39を参照のこと)― )。

 さて、『ジョジョの奇妙な冒険』では予言をなしている敵役オインゴ・ボインゴ兄弟らに由来するところとして
[それを食した標的を【内側から破壊する】(内破させる)ことを企図してのオレンジ混入爆弾(なるなる奇態極まりないもの)]
が登場してくる。そのことと従前、本稿にて指摘したことの複合図解部を下に設けておく。

 大概のところは既に説明してきたところの繰り返しとなる上掲図、その下段部にあって呈示しているのは

[9月11日に起こったかの事件の多重的先覚的言及作品としての性質を帯びているとの70年代ヒット小説『ジ・イルミナタス・トリロジー』にあって(図示されるとのかたちも含めて)頻出を見る[黄金の林檎(ニューヨークと結びつくと解される)とペンタゴンの象徴を並列描写してのディスコーディアニズムのシンボル]の似姿](下段左

[9月11日に起こったかの事件の多重的先覚的言及作品としての性質を帯びているとのこと、つい先だって解説してきた映画『ファイト・クラブ』にて登場するツインタワーの間に設置のオブジェ、ザ・スフィアと類似系を呈する[黄金の林檎]を描いているルネサンス期のルーカス・クラナッハ・ジ・エルダーの絵画『パリスの審判』](下段右

となる。

 911の事件の多重的予見作品としての性質を帯びている映画 Fight Club『ファイト・クラブ』では現実世界のワールド・トレード・センターはツインタワーの合間に置かれていたオブジェ、ザ・スフィア The Sphereの露骨なるイミテーションが登場を見ており、上掲のルーカス・クラナッハ絵画に見る黄金の林檎の似姿とほぼ同じくもの似姿を呈してのそちらオブジェ・イミテーションが[時限爆破]されることになる ―その点にまつわって何が問題になるのか、計りかねるとの向きは本稿の従前の内容を読み返していただきたい― )

直近にての内容を受けての「さらにも、」の話として

黄金の林檎]。そちらが[911の事前言及をなしているが如く文物]と関わっているとのことについてここで脇に逸れての【他例】を紹介しておくこととする(:既に映画『ファイト・クラブ』にまつわる事例、小説『ジ・イルミナタス・トリロジー』にまつわる事例、そして、直近にての[爆弾仕かけのオレンジ](=オレンジは欧州にて歴史的に黄金の林檎を指すと見做されてきたとの背景があると先に説明をなしている)を介しての青少年向け国内フィクション『ジョジョの奇妙な冒険(スターダストクルセイダース)』にまつわる事例を紹介なしてきたうえでのこととして「さらにも、」の事例紹介をなしておく)。

 ここで[以下の指し示し事例]の[遺漏なくもの裏取り確認]のために求められる材料

[映画 Trading Places(邦題)『大逆転』収録DVD ―大抵のレンタルビデオ店には置いているであろうとのメジャーな作品― 、及び、たかだかウィキペディア程度の媒体の内容を確認できるだけの情報収集環境(情報収集能力)]

だけであるとして話を続ける。

 さて、1980年代にアフリカ系アメリカ人エディ・マーフィー主演のコメディ映画として大ヒットを見た米国映画作品として

『大逆転』(原題は Trading Places

という映画作品が存在している(同作、日本でも何度か洋画劇場枠、日本の民放テレビ局経由で夜9時から放映されていたとの作品となる)

 1983年に公開されて盛況を博したとの同作の粗筋は ―そちら粗筋の細かき把握まではここでの訴求事項にあって求めるようなことでは「ない」のだが― 現代版『王子と乞食』といった類型の物語ともなり、

[人の運命を賭け事の具にしている大物投資家兄弟の策謀でエリート投資家と物乞い(演:エディ・マーフィー)の立ち位置が無理矢理逆転させられることになり(衣食住と職掌がそのまま逆転させられることになり)、その背後にある人を食ったような思惑のことを知った(元)エリート投資家と(元)物乞いが意趣返しを計るための相場操縦を企図する]

とのものとなっている(などと書けば、「あの作品か」とピンと来る向きもいるかもしれない)。

 といった作品たる Trading Places(邦題)『大逆転』(1983)にもまた

911の事前言及をなしているが如き側面

が具現化を見ている

 具体的には下のように[確認]なせるかたちにて、である。


日本国内でも広く流通を見ている Trading Places(邦題)『大逆転』収録DVDにての(秒単位で指摘するところとして)【本編開始後1時間40分52秒後】のシーン(DVDタイムカウンター表示にて【01:40:52】ともなろうシーン)を[一時停止]して眺めて見ることで視覚的に確認できるところとして

(ハリウッド俳優エディ・マーフィー演じる主人公達がワールド・トレード・センターに到着しタクシーから降りる際の場面として)
フロント・ドア前方部に[ 110 1/9 ][ 10 1/9 ]との表示が付されたタクシーのガラスにワールド・トレード・センター・ビルディング(と文脈上、解される)ビルが映っているとのシーン

が登場を見る。ここで[ 110 1/9 ][ 10 1/9 ]とのタクシー刻字数値について[0]をnull値(空値、空の値)と見て端折ると[1119]および[119]との数値が出てくる

 そして、同じくものタクシーの刻字数値とのことではツインタワー階数でもある110との数値も他のタクシー外面部、離れた箇所にみとめられる(下図を参照のこと)。

 ここで
119という数と(窓に映った)ワールド・トレード・センター110(とのツインタワーの階数)の組み合わせ]
から[911の事件]について「普通はまったく想起されないし、そうしたことを想起するのは妥当な見方ではない」と言い切れるのは相応の心性の者だけであろうか、とは思う ―映画にみとめられるシーンの問題となる視覚的特質については下の再現図を参照のこと― 。


 無論、上のことがその通りであると確認なされた暁にも

 ―ゼロをヌル値(空値)に変換し、[ワールド・トレード・センターと結びつけられたタクシー上の[ 110 1/9 ][ 10 1/9 ]]をして[1119]および[119]と見る見方は「こじつけがましい」としても― 相通ずる側面は見て取れなくもないが、しかし、だからといって911の事件との関係が[偶然]以上にあるといえるのか』

との問題は未だ残置し続けるとの見方もなせるだろうし、そういう見方をなす者を責めることもまたできないが、「だが、」ここでの話には続きがある。

「であるから問題になる」ところとして、加えもして、 Trading Places(邦題)『大逆転』という作品については次のようなこと「も」が指摘できるようになっている。


 日本国内でも広く流通を見ている Trading Places(邦題)『大逆転』収録DVDにての(秒単位で指摘するところとして)【本編開始後1時間43分後46秒後】のシーン(DVDタイムカウンター表示にて【01:43:46】ともなろうシーン)を一時停止することで視覚的に確認できるところとして


(タクシーにてワールド・トレード・センターに乗り込んだ主人公達が自分達の運命を玩弄物にした投資家兄弟に挑むとの一連の流れにあって)主人公達はワールド・トレード・センター内の商品先物取引所(COMEX)にて大博打としての相場操縦を試みる。その際、市場が動き出す直前、

[8時55分という時間帯 ―劇中の取引の開始時間、日本の株取引の世界で言うところのザラ場に入る前の時間帯― ]

のワールド・トレード・センター内商品先物取引所の時計が目立ってピックアップされて表示されてくる。


 上に言及の[8時55分]という時計の時刻帯についてであるが、( 911 Hidden in Hollywoodという現行流通の一連のYouTube流通動画シリーズの中にても指摘されているように Trading Places(邦題)『大逆転』の問題となるシーンのこと「も含めて」指摘されているように))数多くの映画にて出現を見ている時針にて[9]と[11]を指す時間帯となる ―映画にみとめられるシーンの問題となる特質を再現しての下の図を参照のこと― 。

(※以上表記のことらについては大概のレンタル店には据え置かれていようかと見る流通DVDの(秒単位で指摘するとして)[本編開始後1時間40分52秒後]および[本編開始後1時間43分後46秒後]のシーン(上の段にて再現図を挙げているとのシーン)を確認したうえででも、英文Wikipedia[ World Trade Center in popular culture ]項目([大衆文化の中のワールド・トレード・センター]項目)にての The 1983 film Trading Places includes an external shot of the towers ( at the plaza level ) where Dan Aykroyd and Eddie Murphy enter the COMEX commodities trading floor in 4 World Trade Center which is featured in the climax of the film.(訳として)「1983年の映画 Trading Places(邦題)『大逆転』では映画クライマックスの部にて(主演をなしている俳優らの)ダン・エイクロイドおよびエディ・マーフィが第4ワールド・トレード・センター・ビルのニューヨーク商品取引所( COMEX; Commodity Exchange, Inc )のコモディティ[(汎用)商品]商品先物取引ルームに入るとのところでワールド・トレード・センターのタワーらの外面描写が見てとれる」(訳を付しての引用部はここまでとする)との表記 ―現行にあっての表記― などを確認されてみるのもよかろう)

 ここまで指摘してきたことをまとめよう。

「映画『大逆転』にあっては主人公達が 110 1/9 ][ 10 1/9 ]と刻字されたタクシー(0の部を空値null値として端折れば[119]と刻字されているとも表せられるタクシー)でワールド・トレード・センターに辿り着く。そして、そうもしたタクシーよりの乗車シーンではタクシーの窓にワールド・トレード・センターが反射しているカットが([ 11/9 ]表記と結びつくとの)タクシーのフロントドアと共に映り込んでいる。そうもしたかたちで舞台が移ったワールド・トレード・センター内での時計時刻表示として時針として9と11を指す時計表示がほどなくして問題となるタクシー・シーン登場よりおよそ3分後の[本編開始後1時間43分後46秒後のシーン]として劇中登場してくるとのことがある」

 上のことにつき[偶然]と言えるのか?(よりもってして端的に述べれば、「[911表記と結びつくナンバーが刻字され、また、ワールド・トレード・センターがそちら窓に映り込んだタクシー]からの降車の結果、ワールド・トレード・センターに入ったような中で[911]を指す時計描写が表示されてきている」とのことを偶然と言えるのか?)

 臆病者ないし卑怯者が[臆病さがゆえ、ないし、卑怯さがゆえの欺瞞]にて、あるいは、操り人形が[実質欠けての取り合うに足らぬカラッポの内面]にて
[偶然]
ないしは
[論拠を伴わぬ妄言(ないし[都市伝説]などという類型の話)]
の問題に「不適切に」置き換えもしようとのそうしたことの具現化の[機序][作用原理]の問題について[ありうべきこと]がなんたるかはここにては論じないが、「確率論的に」筆者はそうしたことが多々、現実にある ―たとえば、映画『ファイト・クラブ』では寸刻描写にてワールド・トレード・センターのビルと判じられるものの[時限爆破]が描かれており、そうもした映画の原作小説では爆破対象が【191階】と設定されているとのことがある、また、たとえば、映画『タワーリング・インフェルノ』ではツインタワーに比べ見られもするとのビルがC4爆弾にて[時限爆破]される際に【116】との階数表示が出てくるなどとのことがある、そういったことら(本稿にていままでひたすらに具体的論拠呈示しながらも指摘してきたことら)が現実にある― とのことをもってして[偶然]であるなどとは当然に考えていない(多々、際立ってのものら、911とツインタワーを結びつけているとのものが存在しているのならば、そうしたこと「ら」の具現化をして偶然と言うのは狂人だけであろう?)。
 要するに[恣意]の問題としてそうもなっていると判じている(※)。

(※ちなみにここにて問題としている映画『大逆転』を世に出した映画プロデューサーはアーロン・ルッソという人物である(映画冒頭シーンから表示されてくる映画作成元も[アーロン・ルッソ・プロダクション]となっている)。
 そのアーロン・ルッソについては
(直下、「現行にての」和文ウィキペディア[アーロン・ルッソ]項目にての記載内容よりそのまま引用するところとして)
アーロン・ルッソ(1943年2月14日 - 2007年8月24日)は、アメリカ合衆国の映画プロデューサー、映画監督、政治運動家。日本語ではアロン・ルーソ、アーロン・ラッソ等とも表記。ニューヨーク・ブルックリン区生まれ。24歳のときにナイト・クラブを開業し、レッド・ツェッペリンの米国初公演を興行。その後もグレイトフル・デッド、ジャニス・ジョプリン、ザ・フーなど60~70年代を代表するロック・アーティストのステージを相次いで打ち、彼らの人気確立に貢献する。・・・(中略)・・・ベット・ミドラー主演『ローズ』(1979年)、エディ・マーフィ主演『大逆転』(1983年)等を手がけ、・・・(中略)・・・『アメリカ─自由からファシズムへ』が話題となった後、ルッソはジャーナリストのアレックス・ジョーンズのインタビューに答え、その中で旧知の友人ニコラス・ロックフェラーとの会話の内容を披露した。ルッソによると、ロックフェラーはアメリカ同時多発テロ事件の11ヶ月前の時点で、米国でアフガニスタン侵攻やイラク戦争のきっかけとなる事件が起こることを、すでに予告していたという。そしてロックフェラーは同時に、その事件及び後に起こる米軍侵攻の全てが、「巨大なでっち上げ」であるとも語ったという。 この会話を発表した半年後、6年前から患っていた膀胱癌により、ルッソは死去した
(引用部はここまでとする)
とのことが一部にて知られている。
 などと述べれば、
『ウィキペディアという時にまったくの出鱈目も書き込まれる媒体に陰謀「論」者が妙な書き込みをしたのだろう?』
などと思う(あるいはよくも確認・検討もせずに相応の気風にてそうも「断じる」)との向きもあろうかと思うが、―「そうもしたことが公共にての言論空間でなんら問題視されない」こと自体からしてこの世界の偽物性が顕在化していると解されるところとして― 現実に[アーロン・ルッソの911でっち上げに言及したインタヴィー映像]は明瞭な発言内容のみならず発言時の本人の表情の機微まで見てとれるかたちで動画サイトにて流通を見ているとのことは[容易に確認できる事実]である(であるから検索して動画精査してみることまで薦めもしたい.無論、筆者もそちらルッソ・インタビュー映像を見ている)
 ここでアーロン・ルッソが生前言っていたこと ―インタヴュー記録映像にて述べていること― が本当だったのか否かということは
[アーロン・ルッソが身内にて聞かされたと述べていたとのことのその会話記録]
が残っていないがために確認「できない」こととはなるが(アーロン・ルッソは伝聞証拠を持ち出しているのであって「誰もが確認できる」文献的事実といったものを持ち出しているわけではないからである)、だが、しかし、そういうことがあるとのことはここ[補説4]にて延々と指し示してきたことと複合顧慮のうえで重んじて然るべきことであると本稿筆者としては述べておく ―尚、筆者は(同男自身からして[魂のない状況での傀儡(くぐつ)]であった可能性もあると現行とらえるに至っているアーロン・ルッソの証言がそれを指すと解されるところの)[ワン・ワールド陰謀論][アメリカ覇権確立にまつわる陰謀論]を鼓吹しようとしているわけでは断じてない(このような世界でいまだにワン・ワールドという[題目]が長期的目的であるなどと騙されきって、そのために鋭意邁進しておれば安泰である、などと判じている一部の馬鹿な人間らがいることは否定しようがないとも考えているが)。本稿を公開しているウェブサイトの一にても公開している(元)商業出版用著作であった『人類と操作』をご覧いただければ分かろうが、筆者は[人間の歴史]とは統制に向かって構築されたものなどでは元よりなく魂の残骸、「人形」を徹底的に統制して造り上げてきた「原初よりの」紛い物であったとの見方を有しており(どうしてそういう見方がなせるかの[データ]の例示も無論なしている)、『今更、何をもってして統制社会化なのか.実験場をそういう風に仕切り直す意図があるとでも考えているのか。だが、そうしたことを否定する方向性での本当の養殖の目標も既に明確化している』(だから、統制社会ばかりを鼓吹する者達の背景意図が(情報操作との兼ね合いで)問題になるだろう)と判じているからである。ワン・ワールド陰謀「論」(ないしはその他の凡百の陰謀「論」)の徒輩が取り上げないところ、[結末を付けるためのフェーズ]に移行したとの(傀儡くぐつ・人形ではなくパペッティア[人形遣い]のレベルでの)やりとりが具現化していると判じられるだけの[十二分なる論拠](人間が[滅び行くだけの種族]ならばついぞ真向いから直視もしなかろうとの本稿にて呈示の情報ら)がそこにあるとよく知りながら、である― )。

 ここまでにて

Trading Places(邦題)『大逆転』(1983)

が何故、いかように[911の事前言及作品]と解されるかの論拠を紹介したとして(疑わしきにあられてはDVDを借りて秒単位で指摘するところの該当シーンを一時停止しながらでもそちら論拠の適切性を確認いただきたいものではある)、同映画作品が[黄金の林檎]、いや、正確には[黄金の林檎の同等物]と歴史的に見做されてきたものを[ワールド・トレード・センターと結びつけられての作品終盤の主要モチーフ]としていることについて紹介をなしておく。
その点、以下、和文ウィキペディア項目および英文ウィキペディア項目より引用なすとおりのことが映画 Trading Places(邦題)『大逆転』(1983)にあってワールド・トレード・センターにての(相場上での)戦いの主要な具とされている。

(直下、和文ウィキペディア[大逆転]項目にての「現行の」記載内容よりの引用をなすとして)

人間、出世するのは血統か環境か」とケンカをした商品先物会社を経営するデューク兄弟が、社内で指折りのエリートのウィンソープと、ホームレスのバレンタインの立場をすり替えてどういった結果になるかと、1ドルで賭ける事にした。ウィンソープはデューク兄弟の手回しで会社をクビになり、婚約者に見捨てられ帰る家も失い、娼婦のオフィーリアの家に転がり込む。一方バレンタインは拘置所に入っていた所をデューク兄弟に保釈金を払ってもらい、デューク兄弟の会社に入社してウィンソープの後釜に就いた。ウィンソープは全てを失って酒におぼれ、バレンタインは独特の相場観で会社で活躍した。しかし、バレンタインはクリスマスパーティーの夜にデューク兄弟の計画を聞き、ウィンソープにデューク兄弟の計画を教えた。そんな時、ウィンソープはデューク兄弟のスパイが「オレンジの出来高報告書」を入手したことを知り、デューク兄弟は農務省の正式な発表の前に報告書を見て、冷凍オレンジの相場を操作するであろうと推理した。二人に対する復讐のため、ウィンソープは報告書を偽物とすり替えることを計画するのだった

(特定映画粗筋についての世間的解説なされようにまつわっての引用部はここまでとしておく ―※― )

(※以上、和文ウィキペディア[大逆転]項目よりの引用部としたが、同媒体、記述内容が易変するために上のとおりの記載内容が残置しているかは請け合えない(同じくものことについては国内で容易にレンタルビデオショップから確認できるとの映画『大逆転』DVDコンテンツを借り受けすることでも容易に確認できるわけだが、とにかくものこととして、である)。といった中で同じくものことを示す英文Wikipedia[ Trading Places ]項目の記載内容「をも」ここにて挙げておくこととする。(以下、引用なすとして) Winthorpe and Valentine recall large payments made to Beeks by Duke & Duke and realize that the Dukes are planning to obtain this report so they can corner the market on frozen orange juice. Valentine learns of Beeks' travel plans and the four board his train to switch the real crop report with a forgery. Beeks uncovers their scheme and attempts to kill them, but he is knocked out by a gorilla in a nearby cage. [ . . . ] On the commodities trading floor, the Dukes commit all their holdings to buying frozen concentrated orange juice futures contracts. Suspecting the Dukes have inside information, other traders follow their lead and greatly inflate the price. Valentine and Winthorpe begin selling futures at the higher price, causing it to drop again when other traders do the same. When the real crop report is broadcast, the price of orange juice futures plummets. Valentine and Winthorpe buy back their futures at the lower price from everyone but the Dukes, reaping a huge profit. The Dukes fail to meet their margin call at the inflated purchase price and are left owing $394 million. 「ウィンスロップ(訳注:物乞いと立ち位置逆転「させられる」ことになったエリート投資家)とヴァレンタイン(訳注:エディ・マーフィ演じる主人公で投資家デューク兄弟の気まぐれによる賭け事に応じてエリート投資家ウィンスロップの立ち位置に据えられることになった元・物乞い)は「デュークス社経由での[冷凍オレンジの相場の流れを端から操作なせる]ように、」とビーク(訳注:インサイダー情報を主人公らを嵌めたデューク兄弟に渡すことになっているとの農務省役人の肩書きを持つ男)に対して多額の支払いがなされていることにつき思い至ることとなった。ヴァレンタインは彼ビークの列車による旅程、乗車車輛を[本物のオレンジ収穫報告書と偽物のそれにすり替える]ために押さえるとのことにした。(そうもした[文書すり替え]計画の過程で)ビークは彼ビークとデューク兄弟のプランを隠し通すためにウィンスロップとヴァレンタインを殺そうとするが、近くのゴリラの檻に叩き入れられるとのかたちで返り討ちにあうことになる [ . . . ] 商品取引市場フロアにてデューク兄弟は彼らの持ち分すべてを質草に先物取引で「オレンジを「買い」」の挙に出る。デューク兄弟がインサイダー情報を握っていると考えもし、他の仲買人らも追随買いに走り、オレンジ価格が高騰していくことになる。といった中、ヴァレンタインとウィンスロップは他の投機家らの同様の挙を誘発しながら高値で(空売りの)[売り]注文を出し始める。後、(ウィンスロップとヴァレンタインがすり替えた方のものではない)現実のオレンジ市況報告が報道されたとき、オレンジジュース先物の市況は一挙に暴落を見せることになる。多額の利を得ながらヴァレンタインとウィンスロップは「デューク兄弟を除く」全員から(信用売りにあっての帰結として)安値で買い戻しをなしはじめる。デューク兄弟は高騰時にての価格にての買い注文から収支を合わすことに失敗し、3億9400万ドルの負担を負うことになる(そして早期履行が求められての支払い義務に対応できずに破産することになる」(引用部はここまでとする))

 以上のように映画『大逆転』がオレンジ相場を巡る戦いが作品上の重要なモチーフとされている(インサイダー情報を巡る丁々発止のやりとり、そして、その後の「ワールド・トレード・センターにての」先物市場での熾烈な戦い、[オレンジ相場]の流れから主人公らは意趣返しをなしとげ、また、巨万の富を得ることになったと描写されている)。

 では、そこにいうオレンジ、ワールド・トレード・センター(「80年代前半」初出の映画の劇中にて複合的に911と親和性高いナンバーと結びつけられているとのワールド・トレード・センター)での先物取引の接戦にての具たるオレンジと言えば、 ―再言するが― [黄金の林檎]と同一視されているものともなる。

 その点についてはつい先立っての段でも以下の[俗間にての説明のされよう]を紹介したところとなっている。

(直下、英文Wikipedia[ Golden apple ]項目にての Identity and use in other languages[他の言語にての(黄金の林檎の)定義のありよう、そして、使用]の節にあっての現行の記載内容よりの「再度の」引用をなすとして)

In many languages, the orange is referred to as a "golden apple". For example, the Greek χρυσομηλιά, and Latin pomum aurantium both literally describe oranges as "golden apples". Other languages, like German, Finnish, Hebrew, and Russian, have more complex etymologies for the word "orange" that can be traced back to the same idea.「いくつもの言語にてオレンジは黄金の林檎として言及されている。例えば、ギリシャ語のχρυσομηλιά、そして、ラテン語のpomumは双方、字義通りもの[黄金の林檎としてのオレンジ]を表しての言葉である。他の言語、ドイツ語、フィンランド語、ヘブライ語、ヘブライ語、ロシア語はオレンジとの言葉につき同様の観念に行き着きうるとのより複雑な語源を有している」

(訳を付しての引用部はここまでとする)

 ここまでにてお分かりのことかとは思うが、

「映画『大逆転』にあっては主人公達が 110 1/9 ][ 10 1/9 ]と刻字されたタクシー(0の部を空値null値として端折れば[119]と刻字されているとも表せられるタクシー)でワールド・トレード・センターに辿り着く。そして、そうもしたタクシーよりの乗車シーンではタクシーの窓にワールド・トレード・センターが反射しているカットが([ 11/9 ]表記と結びつくとの)タクシーのフロントドアと共に映り込んでいる。そうもしたかたちで舞台が移ったワールド・トレード・センター内での時計時刻表示として時針として9と11を指す時計表示がほどなくして問題となるタクシー・シーン登場よりおよそ3分後の[本編開始後1時間43分後46秒後のシーン]として劇中登場してくるとのことがある」

とのことは[オレンジ相場]([史的にゴールデン・アップルと定置されもしてきたものの相場])を巡っての劇中終盤の戦いにまつわるものともなっているのである。

 これにて911の「予見」事物が如き異様なるものが[黄金の林檎]といかように結びつくのかとのことにまつわっての【他の例】の例示となした(:尚、本稿にての先行する段でビッグ・アップル、[ニューヨークのマンハッタン]それ自体がいかようにして[黄金の林檎]と多重的に結びつくようになっていると論じてきたのか、そのことについて「も」忘れないでいただきたいものではある)。

(※また、
911の予見事物には当てはまらないが、[911というユニーク・ナンバーと黄金の林檎が結びつく]ことまでは一面で示しもする話
をも本稿にあっては今までになしてきている。
 例えば、である。
 本稿にての出典(Source)紹介の部56(2)「の後」に続けての段ではつい最近、2012年後半期にて欧州にて[黄金の林檎]と[9月11日]を結びつけての映画として
September Eleven 1683
という映画 ―直訳すれば『1683年9月11日』とのタイトルの海外映画で17世紀末のオスマントルコによるウィーン包囲を扱った歴史映画― が封切られたことに言及しもした(:史実に名を借りた半ばフィクションとあいなっている同映画ではウィーンが[イスラム勢力に[黄金の林檎]と呼称されている都市]と紹介されながら、 On September 11th 1683, Islam was at the peak of of it's expansion in the West. Three hundred thousand islamic troops under the command of Kara Mustafa were besieging the city they called " The Golden Apple ": Vienna.(拙訳として)「1683年「9月11日」、その折、イスラムは西洋に対する拡大基調にあっての絶頂期にあった。カラ・ムスタファに指揮されての軍兵総勢30万が彼らが[黄金の林檎]と呼んでいた都市、ウィーンを包囲するに至っていた」(訳はここまでとする)との解説からスタートを見ている映画となっている)。
 さらに、本稿前半部、出典(Source)紹介の部63(3)に含めての部では北欧神話を今日に語り継ぐ『古エッダ』(エルダー・エッダ)、同『古エッダ』に包含される[スキールニルの歌]というものに登場する[黄金の林檎]が[11]や[9]と結びつけられながら学者らに分析されているものであることを示す記述を引用なした。以下のようなかたちにて、である。
(直下、筆者が探求の一環として読したところの『エッダ ――北欧歌謡集』(新潮社刊行/訳者は北欧文学を専攻していたとのことである谷口幸男元広島大学教授)のp.67、『スキールニルの歌』注釈にあっての部より再度の引用をなすとして)
林檎を十一:十一という数はおかしい。九が古代ゲルマンでの神聖な数である epli ellifo林檎を十一は、 epli elle-lyf若返りの林檎の書き誤りではないかという説がある。スノリの「ギュルヴィたぶらかし」にもあるように、ブラギの妻イズンは、神々が年をとったときに食べる若返りの林檎をとねりこの箱にしまっている。イズンの黄金の林檎について九世紀のスカルド詩人スィヨゾールヴ・オール・フヴィーニが書いているものによると、イズンはあるとき、その林檎ともども、ロキのために、巨人スィアチの手におちた。アース神は年をとりはじめ、ロキはイズンと林檎をとり戻さねばならなかった。彼は鷹の姿に身を変えて巨人の国へ飛び、イズンを胡桃(くるみ)に変えて首尾よくつれかえった
(引用部はここまでとする)
 上にては
[『スキールニルの歌』に見る黄金の林檎と[11]を結び付けている表現 epli ellifoとの表現)は[9]を神聖数とするゲルマンの観点から度がずれており、別の意味でまとまっての[若返りの林檎]との表現( epli elle-lyfとの表現)の誤記ではないか、との説もある]
と北欧文学研究者(谷口幸男元広島大学教授)によって言及されているわけである。
 以上のように[黄金の林檎]は[9][11]と ―そうもしたことを引き合いに出す物語や分析の語り手ら心境がどういったものかを忖度(そんたく)する術はないのだが― 結びつけられるものとなっている)

 上は映画『大逆転』が[黄金の林檎]といかように結びついているかを示すために挙げた図となる。
(尚、付しての図葉だが、そちらは
【(英語圏にては[リングRing]との題名で知られている)著名なリヒャルト・ワーグナー歌曲『ニーベルングの指輪』にあって[黄金の林檎]を神らのために管掌する存在と描写される女神フライア(実際の北欧神話での[イズン]という女神を[フライヤ]との名で代替している存在)がまさにその黄金の林檎を手にしている様を描いた画】(挿絵家アーサー・ラッカムの作)
を挙げたとのものとなる)。

 さらにもって、『ジョジョの奇妙な冒険』の予告描写について述べられることとしては次のようなこと「も」ある。

『ジョジョの奇妙な冒険』にての911の先覚的描写はここまで解説してきたようにフリーメーソンの象徴主義と複合的連続関係を呈する ―単純な視覚的な意味での事実と定例化されての入門位階の儀礼動向にまつわっての記録的事実から入門徒弟位階(エンタード・アプレンティス位階)のありようなどと複合的連続関係を呈する― ものとなっているのであるが、そうした特性が認められもする同じくもの予言描写、オインゴ・ボインゴ兄弟という悪役にまつわる予言描写がなされた後の続く筋立てとして、である。同作(『ジョジョの奇妙な冒険』)では[人間に憑依して憑依対象となった人間を殺人機械に変化させる刀剣]との存在、
【(エジプトの)アヌビス神の名を冠した刀剣
が敵役として登場してくる(『ジョジョの奇妙な冒険』主人公らは予言に基づいて奇襲攻撃をかけてきたオインゴ・ボインゴ兄弟を斥けたとのまさにその次のエピソードから[人間に憑依するエジプト・アヌビス神の名を冠した刀]との死闘へと突入する)。
 さて、漫画作品から離れて[エジプト神話に見る冥府での秤量と結びついたジャッカルの神]であるとのこと、本稿の先だっての段でも解説してきた ―ここでの話とはまったくの別文脈、ロバート・テンプルという論客の提唱した異説内でのその言及がいかようにして問題になるのかとの観点で神格としての概要について解説してきた― とのアヌビス神とはどういう存在かと述べれば、アヌビス神はフリーメーソンにとっては[魂の道案内人]にして、その象徴ともされるブレイジング・スターが[(星天にあっての恒星たる)シリウス]のみならずときに[万物を見通す一つ目]に仮託される存在であると「当のフリーメーソンリーの中の有力者の著作(下にそこよりの該当部記述を引用するとの著作)の中で」記述されている存在となる
 といったこと、【(漫画の中では人に憑依して人間を見境なくもの殺人機械へと変化させる存在と描写される、予言のセクション登場の)アヌビス神】の一部フリーメーソンにあっての理解のありかた ―アヌビスをして【魂の案内人】にして【万物を見通す一つ目】ともとらえるとの理解のありから― から判じて見ても【アヌビス登場に少し先立っての段での予見描写】は「できすぎ」とのきらいがある(:お分かりかとも思うが、本稿ここまでの流れにて[問題となる漫画作品『ジョジョの奇妙な冒険』予見描写がフリーメーソン・シンボリズム(込み:【万物を見通す一つ目】)と複合的に接合するようになっている]とのことを論じてきたとの事前経緯あって「できすぎ」であると述べもしている)。

 以上呈示のことの出典だが、まずもってオインゴ・ボインゴ兄弟を斥けた直後、主人公らが死闘を繰り広げることになるアヌビス神にまつわるエピソードについては下記の漫画書籍を書店その他で参照いただければご理解いただけることか、と思う。

・集英社「単行本」版『ジョジョの奇妙な冒険』第20巻、同・第21巻
あるいは
・(上がリニューアルされての)集英社「文庫」版『ジョジョの奇妙な冒険』第13巻

 その点、同じくものこと、[アヌビス神にまつわる『ジョジョの奇妙な冒険』にあっての描写]については和文ウィキペディア[スターダストクルセイダース]項目に下のように記載されているところ「とも」なる ―尚、引用部に認められる[スタンド]との言葉だが、そちらが漫画作品『ジョジョの奇妙な冒険』にて[攻守共々が用いる「超能力」を指しての言葉]であることは先に解説なしている― 。 

(直下、和文ウィキペディア[スターダストクルセイダース]項目にて現行掲載されているアヌビス神にまつわる記載内容よりの引用をなすとして)

自我を備えている特殊なスタンド。本体は500年前のエジプトの刀鍛冶で故人のキャラバン・サライである。現在は自我を備えた三日月刀として、半人半獣のアヌビス神そのものの姿をしたスタンドだけが剣に宿り、独立して残っている。・・・(中略)・・・刀を鞘から抜いた者、または刀身に触れた者を「新しい本体」として操る能力を持ち、自分の宿る刀を扱わせる。・・・(中略)・・・劇中では牛飼いの青年チャカや、床屋の店主カーンに憑依してポルナレフを襲い、更には次に憑依したポルナレフのシルバーチャリオッツとの二刀流を披露し、承太郎をも窮地に追い込む。

(引用部はここまでとする)

 以上のようなアヌビス神、主人公らがオインゴ・ボインゴ兄弟 ――当該フィクションにて911の奇怪なる予見描写をフリーメーソン象徴主義と重なるところとして見せた存在―― を斥けたアヌビス神(使用者の精神を乗っ取る、すなわち、憑依をなすとの刀剣にその名と似姿が流用されているとの神格)に関してはフリーメーソン象徴主義では次のような言及がなされている。

(直下、アルバート・パイク、19世紀にあって絶大な影響力を行使した(先述)とも言われる主導的メーソンであり、また、今日にあってもその著作内容が取り上げられる同男の手になる Morals and Dogma of the Ancient and Accepted Scottish Rite of Freemasonry『古代より連綿と続く認証されしフリーメーソンのスコットランド位階の徳義と教義』の記述よりの「再度の」引用をなすところとして)

The Solstices, Cancer and Capricorn, the two Gates of Heaven, are the two pillars of Hercules, beyond which he, the Sun, never journeyed: and they still appear in our Lodges, as the two great columns, Jachin and Boaz, and also as the two parallel lines that bound the circle, with a point in the centre, emblem of the Sun, between the two tropics of Cancer and Capricorn. The Blazing Star in our Lodges, we have already said, represents Sirius, Anubis, or Mercury, Guardian and Guide of Souls. Our Ancient English brethren also considered it an emblem of the Sun. In the old Lectures they said: "The Blazing Star or Glory in the centre refers us to that Grand Luminary the Sun, which enlightens the Earth, and by its genial influence dispenses blessings to mankind." Our Ancient English brethren also considered it an emblem of the Sun. In the old Lectures they said: "The Blazing Star or Glory in the centre refers us to that Grand Luminary the Sun, which enlightens the Earth, and by its genial influence dispenses blessings to mankind." It is also said in those lectures to be an emblem of Prudence. The word Prudentia means, in its original and fullest signification, Foresight: and accordingly the Blazing Star has been regarded as an emblem of Omniscience, or the All-Seeing Eye, which to the Ancients was the Sun. It is also said in those lectures to be an emblem of Prudence. The word Prudentia means, in its original and fullest signification, Foresight: and accordingly the Blazing Star has been regarded as an emblem of Omniscience, or the All-Seeing Eye, which to the Ancients was the Sun.

(補ってもの訳として)
「[夏至・冬至の至点]、そして、[巨蟹宮(きょかいきゅう)および磨羯宮(まかつきゅう)](訳注:黄道12宮の構成要素)、そして、[天にあってのゲートとなるところ]は[ヘラクレスの柱ら]でもあり、それらを越えては太陽たる彼が決して旅しなかったとの地点を指しもし、我々(訳注:ここでは『モラルズ・アンド・ドグマ』執筆者たるアルバート・パイクらメーソンを指す)にあってのロッジにて二つの偉大なる柱、[ヤキンとボアズ]として具現化を見てもおり、それらは換言すれば、
[巨蟹宮(きょかいきゅう)と磨羯宮(まかつきゅう)の二つの回帰線(夏至線・冬至線)の合間の中央に太陽の象徴たる環を置いたうえで境界をなす二つの対称性呈してのラインら]
となっている。
 我々のロッジにてのブレイジング・スターは既に述べているように、シリウス・アヌビス、あるいは、マーキュリー、魂の守護者にして案内人を指すものであるが、我々の古き英国の有朋ら(訳注:ここでの「英国の有朋」表記は抜粋元文書の著者たるアルバート・パイクが米国系メーソン有力者であったところ、同男が英国系メーソンを指してそうした書きようをなしているとの部となる)はそれ(ブレイジング・スター)をして太陽の象徴と考えている。古き講釈曰くのところとして、「ブレイジング・スターあるいは(ヤキンとボアズらの二つの回帰線の間にあっての)中央にあっての光輝あるものは地球を照らす偉大なる明るき太陽、その温かみのある影響力によって人類に天恵をもたらしてきた存在である」とされている。また、同様にそれら講釈にあってはブレイジング・スターをしてプルーデンス、思慮分別の象徴とも語っている。プルデンシアとの語はその原義かつ最も充足的な意味合いとして[先見の明]を意味し、それに応ずるところとしてブレイジング・スターは全能性、すなわち、古代人にとって太陽であったとの万物を見通す眼の象徴と見倣されてきたのである

(訳を付しての引用部はここまでとする)

 以上、 Morals and Dogma of the Ancient and Accepted Scottish Rite of Freemasonry、「目立っての」フリーメーソン関連書籍 ―本稿の従前の段にあって先述のことであるが、英文Wikipedia[ Morals and Dogma of the Ancient and Accepted Scottish Rite of Freemasonry ]項目にあって(以下、再度の引用をなすとして) A copy of Morals and Dogma was given to every new member of the Southern Jurisdiction from the early 1900s until 1969 ( although some local Scottish Rite bodies offered copies through the mid-1970s ), when it was deemed "too advanced to be helpful to the new Scottish Rite member."「アルバート・パイクの『モラルズ・アンド・ドグマ』は、それがスコティッシュ位階の新規メンバーにとって「あまりにも(「高度な」という意味で)進んだ内容であるために助けにならないであろう」と判断されるまで、フリーメーソンの南部管轄の「全」新規メンバーに1900年代から1969年まで配布されていた(いくつかの地方のスコティッシュ位階運用組織では1970年代半ばまで同著コピーを配布していた)」(引用部はここまでとする)とまとめられもしているところから「も」フリーメーソンリー関連書籍としての通用性度合いが推し量れるようになっているアルバート・パイク著述『モラルズ・アンド・ドグマ』― よりの再度の引用部の内容を記号論的に要約すれば、

[ブレイジング・スター Blazing Star] ←→ [シリウスSirius][アヌビスAnubis][マーキュリーMercury](明示されての魂の補導要員としての存在)
[ブレイジング・スター Blazing Star] ←→ [太陽Sun][万物を見通す All Seeing Eye
(従って)
[アヌビスAnubis] ←→ ([ブレイジング・スター Blazing Star]) ←→ [万物を見通す眼 All Seeing Eye

との記述が文献的事実[ Philological Truth ]の問題としてなされているとのことになる。

 上の流れからも
『ジョジョの奇妙な冒険』
の相応の描写 ―すなわち【フリーメーソン象徴主義との接合性を呈しながら911の事件に対する予見をなしているといった描写】― を含むパートに続いて

[人間に憑依して殺人マシーンに変化させるとのアヌビスAnubis(の名を冠する存在)]

が登場を見ていることは意味深い、「実にもって悪い意味」でだが、意味深いことになろうと判じられる格好となっている(先述のように『ジョジョの奇妙な冒険(スターダストクルセイダース)』にての[911の予見描写としての側面を帯びたシーン](アヌビス会敵の前段階の[予言をなす敵手]との遭遇にまつわっての描写)に見る[911]が[一つ目]と結びつけられていること「も」そこでは意をなしてくる)

(尚、アルバート・パイクの表記の著作、 Morals and Dogma of the Ancient and Accepted Scottish Rite of Freemasonry『古代より連綿と続く認証されしフリーメーソンのスコットランド位階の徳義と教義』についてはキリスト教サイドの人間が「フリーメーソンのルシファー崇拝の証左である」などとの式で引き合いに多く出すような著作とはなるが(海外英文媒体ではとにかくもってしてそういう書かれようが目に付く)、筆者は[宗教]などという[人類に課せられた呪い]そのものであると自身判じきっているもの(人間を愚劣な被コントロール対象にするうえでの名分に用いられてきたもの、それからの解放なくしていずれにせよ種族に望ましき未来などないとの[機械仕掛けの神]を崇めたてまつらさせてきたとのナンセンス体系と判じきっているもの)に基づいてアルバート・パイク著作のことを引き合いに出しているのではなく、[非宗教的人間]として同著作の内容を問題としていること、お含みいただきたい)

(これにてA.からE.と分かちて詳述してきた『ジョジョの奇妙な冒険』に関しての[この身がさらにもって呆れさせられたとのこと]にまつわる表記を終える)

 ここで『ジョジョの奇妙な冒険』にまつわって書き記してきたところを極々的端的にまとめる。

第一。漫画作品『ジョジョの奇妙な冒険』第三部スターダストクルセイダース(の中の[「クヌム神」のオインゴ 「トト神」のボインゴ(1)]の部)にあって現出している劇中内それ自体からして予言的ヴィジョンと設定されている部には[911の事前言及をなしている]と巷間指摘されているとおりの描写 ―[911との数値が刻字された上着]を着た男が[飛行機][911にてのツインタワー崩落時刻][(イスラム勢力の象徴と認知される)三日月]と結びつけられながら、との式で、「お、10時30分だ」と述べた直後(換言すれば、現実世界でツインタワーの内のノースタワーが倒壊した午前10時28分に極めて近い時刻)にて殺されていくとの描写― が含まれている(ここまでにて【際立っての特徴の明示に努めての再現図を挙げながら細かくも概要紹介してきたこと】と【問題となる図の掲載ページ数を紹介している書籍】の比較検証をなしていただきたいものである)。

第二。以上のような問題となる予言シーン(『ジョジョの奇妙な冒険』第三部スターダストクルセイダース(の中の[「クヌム神」のオインゴ 「トト神」のボインゴ(1)]の部にての予言シーン)を包摂するエピソードについてはさらに次のことら(A.からE.のことら)「も」が申し述べられるようになっている。

(以下、A.からE.につき(典拠・具体的論拠にまつわる委細はここまでの本稿にての記述にもろとも譲って)振り返っての表記をなすところとして)

 作中にて[現実世界でツインタワーのノースタワーが崩壊した時刻]ともなっている10時28分に極めて近い時間帯、10時30分との[予言描写]に見る時間帯 ―[911と刻字された上着を着る男]が[飛行機]らの描写を含むシーンで電柱に突き刺されての死体となる契機となる(未来描写設定付与のセクションに見る)時間帯― についてはアナログ時計の文字盤を180度反転させて見ると時針が「9」「11」を指す時間帯となってもいる。そして、同様に
180度回転させると911との数字が出てくる数値ないし時刻が登場してくるとの「かぐわかしい」作品
として本稿の先の段では【ツインタワーに比定される合衆国最大のビルが爆破されるとの内容を有している『ザ・タワー』を原作としもする映画タワーリング・インフェルノに認められるビル ―映画リリース・ポスターにあって「も」ツインタワーのことが想起されるようになってもいるビル― のタンク爆破時の壁面の数値(116)の描写のこと】、および、【マンハッタンのビルやペンタゴンが爆破標的にされ、また、ニューヨークとペンタゴンの並列象徴が作品内にて頻繁に登場し、さらに、(現実の911の事件でもそうなったように)米軍から漏出した炭疽菌の災厄を描いている作品たる70年代ヒット小説ジ・イルミナタス・トリロジーのペンタゴン爆破時の時間帯のこと】(こちらは5時55分との時針で[11][6]を指す時間帯に爆破がなされる)、そして、【ツイン・パインなるものと116との電光表示を結びつけながら、また、近接するポイントで[119]とのデジタル電光表示を登場させている映画作品バック・トゥ・ザ・フューチャーや映画『アルマゲドン』のことら】をも(後追い確認容易なる具体的解説に努めるとの式で)あわせて取り上げた。

 問題となる『ジョジョの奇妙な冒険』の予見描写の部 ―再言すれば、[911との数値が刻字された上着]を着た男が[飛行機][911にてのノースタワー崩落時刻(そして上下逆転すると911との数字が表示されてくる時刻)][(イスラム勢力の象徴ともなる)三日月]と結びつけながら、「お、10時30分だ」と述べた直後(換言すれば、現実世界でツインタワーの内のノースタワーが倒壊した午前10時28分に極めて近い時刻)にて殺されていくとの描写との部― は
][一つ目][太陽
を並べての描写がなされている
とのもの「でも」あるが、そこに見る、
][一つ目][太陽
を並べてのやりようはフリーメーソンの徒弟位階のトレーシング・ボードにみとめられるフリーメーソンが拘(こだわ)りを見せている
構図ともなる。そして、同点にまつわっての補足となることとして「長くもなるが、」と断ったうえで以下のことら、懇切丁寧に論じてきもした

■補足1:次の発想が本稿筆者の[呈示]の挙の背景にはある。⇒ 筆者は『ジョジョの奇妙な冒険』の作者がフリーメーソンであるなどと主張したいわけではない.この世界には傀儡(くぐつ)と人間を化さしめる力学があることもあってそうも述べる(だが、フリーメーソンのシンボルが用いられていることのその意味性は問題になる)」
■補足2:(典拠を入念に挙げながら指し示しに努めたこととして)『ジョジョの奇妙な冒険』の予見描写部と同様の[月][一つ目][太陽]を並べての構図は欧州錬金術の象徴体系]「にも」見てとれるものとなりそれにまつわるシンボリズム分析をなすことで【[黄金の林檎]と結びつくところで[他の911の事前言及作品]ともつながる】との式が浮かび上がってくるとのことが(どういうわけなのか、あまりにも奇怪なこととして)「ある」。また、以上のことが本稿の先だっての段で述べてきたところの事由ら(黄金の林檎にまつわっての事由ら)より【ブラックホール生成をなしうると論じられるようになった「実験」】にも容赦なくも多重的に接続しているとのことが「ある」。 
■補足3:(同文に典拠を入念に挙げながらも指し示しに努めたこととして)「『ジョジョの奇妙な冒険』の問題となる予見描写は[フリーメーソンのヤコブの梯子ハシゴと結びつく象徴]と際立っての視覚的【接続性】を呈するものともなっている。その点、[ヤコブの梯子](ジェイコブズ・ラダー)は[天国への階段](ステアウェイ・トゥ・ヘブン)という語とも言い換えられるものとなるが、そのステアウェイ・トゥ・ヘブン、著名バンド[レッド・ツェッペリン]の逆再生メッセージ混入疑惑との兼ね合いで有名な曲の曲名「とも」なってもいる。ツェップことレッド・ツェッペリンのステアウェイ・トゥ・ヘブンに関しては ―先に説明のなされようを事細かに呈示しているところとして― 米国州法による音源への逆再生メッセージ混入規制([事前告知無しにの逆再生メッセージを禁ずる]との混入規制)実現への風潮につながった(ただし、カリフォルニアやアーカンソーで問題となったといったそうした規制動向については法案が法案(ビル)に留まり法令(アクト)には議会が法を可決しても[州知事の差し戻し]などから至らなかったとのことがある)ような「悪名」との意味でもよく知られた曲となっている(と細かくも解説した)。そうもしたステアウェイ・トゥ・ヘブンを名に冠する曰くつきの曲、ヤコブの梯子と同一の概念を指すステアウェイ・トゥ・ヘブンとの名を冠するレッド・ツェッペリンの曲が『ジョジョの奇妙な冒険』では後に主人公らを皆殺しにし、[世界そのものを破壊した重力を操作する挙]と命名背景の問題として結びつけられているとのこと「も」がある(レッド・ツェッペリン歌曲名から材をとったとされるとの式で結びつけられているとのこと「も」がある)。そのことがよりもって不気味なのは911の予見描写】(『ジョジョの奇妙な冒険』の予見描写にこと限って言えば、ステアウェイ・トゥ・ヘブンと概念的に接合する天国への昇降段たるヤコブの梯子、そのヤコブの梯子に通ずるメーソン・シンボリズムと連結性を呈しているとのものとなる)と【重力の増大による破滅(ブラックホール具現化による破滅)が危惧・懸念されてきた加速器実験】が全く異なる方向性、全く異なるところ「でも」多重的に結びついているとのことが指摘できるようになっている、とのことである。

(直上の)B.の段で扱っているようなところで視覚的に『ジョジョの奇妙な冒険』の予見描写はフリーメーソン・シンボリズムと接合しているのであるが、と同時に、同じくもの描写はその他の意味でもフリーメーソンの思潮と接合している。その点、[吊された男](ハングド・マン)が描写されているのが表記の予見描写の部となるが(具体的には[電柱に首を突き刺された911と刻字された上着を着ての[吊された男]が描かれている]のが当該予見描写の部となる)、フリーメーソン入門位階たるエンタード・アプレンティス(徒弟)位階にあっての参入儀礼にあっては候補者が[絞首刑受刑者]のように首に縄を巻かれ、また、目隠しをされた格好(すなわち、ハングド・マンの格好)をさせられるようになっているとのことがあり、その点でも問題となる予見描写とメーソン思潮との接合性が認められる(しかも、[月][一つ目][太陽]の中空にての連続描写にまつわる一致性に関してのB.の段にて言及の接合性が徒弟位階の儀式動向に大きくも関わると判断できるようになっている中、ハングド・マンの描写「も」徒弟位階の儀式動向と大きくも関わっているとのことがある)。

 『ジョジョの奇妙な冒険』の予見描写はオインゴ・ボインゴ兄弟という敵役の[予言をなす漫画]の描写というかたちで具現化を見るものである([予言描写をなす漫画]と作中明示されているものの中にあってA.及びB.にて表記のような属性を伴った描写が具現化を見ている)。そうした予言漫画を用いて最適の暗殺手段を特定・選択するうえでのいわばもの凶器として用いていたオインゴ・ボインゴ兄弟が最終的に主人公ら一行を暗殺しようとした手段が
時限爆弾混入型オレンジを食させしめ、それでもってして人体を内破させる
という「突拍子もない」(としか表しようがない)かたちにて描かれているのではあるが、それがため、[問題となる予見描写]を含むエピソードを含む当初の単行本タイトルは
爆弾仕かけのオレンジ
ともなっている(ただし、リニューアルされての文庫版に関しては同じくものことは目立ってあたらない)。
 そこに見る
爆弾仕かけのオレンジ
とは
時計じかけのオレンジ
という有名な映画作品の邦題(原題はクロックワーク・オレンジ)との接合性を「当然に」感じさせるところのものなのだが(ゆえにタイトルに対するオマージュがそこにあると想定される)、本家本元の『時計じかけのオレンジ』という映画の有名なリリースポスター(ビル・ゴールドというデザイナーがデザインした有名なリリース・ポスター)は[フリーメーソン象徴主義と露骨に接合するようなもの]となっている(三角形と一つ目の結びつけゆえに、である)。
 同じくものことから、
[『ジョジョの奇妙な冒険(スターダストクルセイダース)』にての予見描写を含むとの箇所]

フリーメーソン象徴体系「および」時限爆破
の双方とつながっているとのことが述べられるようになっており、また、
フリーメーソン象徴主義と多重的に接合する、ワールド・トレード・センター比定物に対する時限爆破を描いた作品]
との筋目の[911の予見作品]としての(本稿にて解説してきた)他の作品らが存在しているとのことが想起される格好となっている(なってしまっている)。
 さらに加えて述べれば、
[爆弾仕かけのオレンジ](ジョジョの奇妙な冒険の予告描写を含む単行本に付された副題)・[時計じかけのオレンジ](比較対象のうえで問題となる作品)
に見る[オレンジ]とは歴史的に
[黄金の林檎]
と結びつけられてきたものである、とのこともある。
 その点、[黄金の林檎]とは(本稿で膨大な文字数を割いてそのことについての解説をなしているように)【911の予見事象】とも【ブラックホール生成をなしうるとされるに至った加速器実験】とも(「どういうわけなのか」との理由を考えるべきところとして)結びつく伝承上の果実 ―古のトロイアの内破の元凶ともなっている果実― となっているとのことがある。

 劇中にて(問題となる)[予見漫画]を持ち出してきたヴィラン(悪役)として描かれているオインゴ・ボインゴ兄弟を斥けた後、『ジョジョの奇妙な冒険』では主人公らが次なる会敵存在として
人間に憑依して殺人鬼に豹変させるアヌビスの名を冠する存在
の襲撃を(話数にしては直後からといった按配にて)受けることになる。
 その点、[アヌビス]とはフリーメーソンの思潮体系にあって
魂の案内人としてのブレイジング・スターの象徴神格
となっていると描写されることもある存在となり、そこにいう、
アヌビスと結びつくブレイジング・スター
は同じくものメーソンの思潮にあって
万物を見通す一つ目
に仮託されるものでもある。
 それは(先述のB.からD.の内容に鑑みて)「できすぎ」と映るところともなる(繰り返すが、『ジョジョの奇妙な冒険(スターダストクルセイダース)』の[吊された男が登場する描写]にあっては[月][「一つ目」][太陽]の並列使用との観点で[フリーメーソンの徒弟位階 ―参入者が目隠しをされた絞首刑受刑者(吊された男)の格好をイニシエーションでさせられるとの位階― のトレーシング・ボード]との際立っての類似性が想起されるようになっているとのことがある。また、といった描写を含む巻数のコミックタイトルが[爆弾仕かけのオレンジ]となっていることについて「も」オマージュの対象となっていると当然に判じられる『時計じかけのオレンジ』が[三角形と一つ目]と結びつけられているとのことがある(がゆえに[万物を見通す一つ目とアヌビスの関係]が問題になる))

 以上のまとめての振り返り表記なしもしてのことらが文献的事実の問題に対するつまびらやかな分析から
[何ら飛躍なきところ]
として ―([話柄としての頓狂さ]はともかくも[推論]としては何ら飛躍なきところとして)― 指摘できるようになっている、なってしまっている、そのことがゆえに筆者はこの世界に呆れかえり、かつ、この世界の一つの方向性が(「下らない」と世間一般の人間には見られうるとの微少なるところからも)推し量れると述べるのである。

 ここでまたもってして振り返るが、直近、指摘したようなことが摘示なせるようになっていることにつき、本稿にあっては

[他の「日本国内」アニメ映画作品(本来ならば大の大人が肩肘張ってその性質について云々するようなものではないと見倣されようルパン三世関連のアニメ映画作品)にも[911の事前言及と受け取れる描写]が[ツインタワー類似物の爆破]という形で登場し、そこにメーソンにまつわる比喩がかっての側面が垣間見れるようになっていること]

[『ファイト・クラブ』や『タワーリング・インフェルノ』(崩壊ではなく消火のためにツインタワーを想起させる超高層ビルが爆破されるとの作品)にも[911の事件の発生の事前言及と「露骨に」受け取れる描写]が[ツインタワー類似物の爆破](ファイト・クラブに関してはワールド・トレード・センター「そのもの」の爆破と述べられる形態)というかたちで登場し、そこに、メーソンにまつわる比喩が垣間見れることになっていること]

との結びつきを弥(いや)が上にも観念せざるをえないとの指摘をなしもしており、

[国内作品ありようからとて[予言の介在]が強く想起されるようになっている]

と強調しているのである。

 さて、これにて先だっての映画『ファイト・クラブ』におけるフリーメーソンに関わる問題となる特質について詳述してきたとの部位、I.からV.と振っての部位にあってのV.の部、すなわち、

 911の事件については

部分的に「フリーメーソン象徴主義に通ずる」視覚的特徴を呈しながら事件(911の事件)の発生について予見的言及をなしている作品ら

が「他にも」複数作存在しているとのことがある。であるから、ことは[極めて特殊な唯一例の話]にとどまってのものではないとのことで映画『ファイト・クラブ』におけるフリーメーソン・シンボリズムとの接続性が一層にして問題になる。

とのところから押し広げて何が指摘できるのかの ―実に長くなりもしての― 一連の流れに一区切りをつけることとする(:本稿従前内容をきちんと把握されていないとの向きはいきなりも映画『ファイト・クラブ』のことが強意をもって引き合いに出されもしていることに「?」と首をかしげるところがあるかもしれないと思うが、ここまでの流れ ―(直前直近までの国内作品にすら[相応の911発生にまつわる予見的側面]が見受けられることについて詳説していくとの部を含めてのここまでの流れ)― は本来的に上記のV.と振ってのことについてどういうことが述べられるのかについて詳説していく、それでもってして、映画『ファイト・クラブ』にみとめられる際立ちもしての特性の先にあって何が問題となるのかをつまびらやかにするとの立論展開(本稿構成上の立論展開)に沿ってのものとなっているとのことがある)。

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また、直下、本稿冒頭部へのリンクも設けておく

(⇒冒頭頁へは下の部より)

[典拠紹介部第1頁 加速器実験に伴う欺瞞性から証示なせることについて]

 上にて挙げているのはドイツ浪漫主義芸術の巨匠たる18世紀画家、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(Freemasonでもあったとの画家 Caspar David Friedrich)の手になる一品、

Der Wanderer uber dem Nebelmeer雲海の上の旅人』(に多少の[動き]をアレンジとして加えたもの)

となる。

 言われようの問題として一般に、

[人間の崇高なる精神が高みを目指し、ついぞ多くの物事を達観するに至った時、その折の孤独と感慨を描いた画]

などと形容される上掲の『雲海の上の旅人』に関して(本稿でもその言行を順次・段階的に取り上げることになるとの)物理学者リサ・ランドールは[次のような申しよう]をなしている。


(直下、物理学者リサ・ランドールの手になる著作 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)にての CHAPTER THREE LIVING IN A MATERIAL WORLD[第三章 物質世界に生きる]の章の記述内容 ――オンライン上検索エンジンにあっての原文検索にて該当部特定できるところの記述内容―― よりの原文引用をなすとして)

Our universe is in many respects sublime. It prompts wonder but can be daunting ―even frightening― in its complexity.  Nonetheless, the components fit together in marvelous ways. Art,science, and religion all aim to channel people’s curiosity and enlighten us by pushing the frontiers of our understanding. They promise, in their different ways, to help transcend the narrow confines of individual experience and allow us to enter into―and comprehend―the realm of the sublime. (See Figure 11.)
          [ . . . ]
[ FIGURE 11 ] Caspar David Friedrich’s Wanderer Above the Sea of Fog (1818), an iconic painting of the sublime ― a recurring theme in art and music.

(上の原著引用部に対する[訳文]として国内流通訳書『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)ハードカヴァー版にあっての81ページに記載されているところを引くとして)

多くの点で、私たちの宇宙は崇高だ。その複雑さは好奇心を駆り立てはするが、無力感も抱かせるし、ことによっては恐怖さえも感じさせる。にもかかわらず、宇宙の構成要素は素晴らしくぴたりと絡みあっている。芸術、科学、宗教は、いずれも人々の好奇心を促して、理解の限界を広げさせ、それによって私たちを啓蒙することを目指している。いずれもそれぞれのやり方で、個人の経験の狭い領域を越えさせることを約束している。それがかなえられたとき、私たちは崇高なものの領域に踏み込む――そして理解する――ことができるのだ(図11を参照)。 …(中略)… [図11]ドイツの画家カスパー・ダーヴィド・フリードリヒの「雲海の上の旅人」は、崇高なものを象徴的に描いた作品だ。崇高さは、美術と音楽に繰り返し登場するテーマである

(以上をもって Knocking on Heaven’s Doorにての原著表記および訳書よりの引用とした)


 さて、何故、ここ脇に逸れての部にあって「目立つように」特定絵画 ― 『雲海の上の旅人』― を挙げ、その絵画に対する物理学者の評しよう ―「雲海の上の旅人」は、崇高なものを象徴的に描いた作品だ....― などを引いたりもしたのか

「それは、」
絵画『雲海の上の旅人』に対して直上引用なしたような評しようをなしているとの物理学者リサ・ランドールが

加速器によるブラックホール生成可能性にまつわるトピックの理論深化に一廉ならぬ貢献をなしているとの著名物理学者

[[崇高なるもの]を目指しての宇宙の探求(およびそのための装置と銘打たれている巨大加速器LHC)の称揚・礼讃をなしているとの向き

であるとのことがあり、また、なおかつ、彼女リサ・ランドールの手による、(絵画『雲海の上の旅人』を科学者が目指しての[崇高さ]とを結びつけている)引用元著作 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)が

人間のありよう(崇高さとはおよそ程遠いところにあるありよう)]
人間の辿る運命

を嘲笑うような[嗜虐的寓意]で満ち満ちていると申し述べられるようになっている著作であるとのことがある、遺憾ながら
[理の当然]
として申し述べられるところとしてある ――個人のせせこましい偏頗(へんぱ)な主観などとは一線を画したところで客観的かつ具体的にこれはこうでこうだと申し述べられるようになっている(出典呈示を第一義にしての本稿では無論、その論拠を事細かに挙げる)とのところとしてある―― からであり、そのことに注意を向けたかったからである(※)。

(※上にて引用元とした著作、 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)、同著にあってはその冒頭部より
September 10, 2008, marked the historic first trial run of the Large Hadron Collider (LHC). Although the name―Large Hadron Collider― is literal but uninspired, the same is not true for the science we expect it to achieve, which should prove spectacular. (表記英文引用部に対する訳として)「2008年9月10日、ラージ・ハドロン・コライダー(LHC)が歴史的始動を見た.[ラージ・ハドロン・コライダー]との名称は有り体に言ってインスピレーションを何ら与えぬとの平凡なものだが、私たちがそれ(LHC)に[証明すべきととらえている壮大なる挙]を託しているとの意では[科学(の進歩)]にとり同じくものことは真実とはならない(LHCは際立ってのインスピレーションを与えるものである)」
などとのことが書き記されている。
 そうもした書きようが目立ってもの冒頭部にてみとめられる著作ノッキン・オン・ヘブンズ・ドアにおける表題、 [天国のドアをノックする]の由来についてリサ・ランドール女史は同じくもの著作の中で次のようなことを述べてもしている。
(以下、 Knocking on Heaven’s Doorにての CHAPTER FOUR LOOKING FOR ANSWERSより引用なすところとして)
I first heard the phrase “knockin”on heaven’s door”when listening to the Bob Dylan song at his 1987 concert with the Grateful Dead in Oakland, California. Needless to say, the title of my book is intended differently than the song’s lyrics, which I still hear Dylan and Jerry Garcia singing in my head. The phrase differs from its biblical origin as well, though my title does toy with this interpretation. In Matthew, the Bible says, “Ask, and it shall be given you; seek, and ye shall find; knock, and it shall be opened unto you: For every one that asketh receiveth; and he that seeketh findeth; and to him that knocketh it shall be opened. (以上原著表記に対して訳書『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)ハードカヴァー版[第四章]103ページにての表記を引くとして) Knocking on Heaven’s Door(天の扉を叩く)]――これが本書の原題だが、私が最初にこのフレーズを聞いたのは、一九八七年、カリフォルニア州オークランドでのグレイトフル・デッドとのコンサートで、ボブ・ディランが『天国への扉』を歌うのを聞いたときだった。いまでも私の頭の中ではディランとジェリー・ガルシアがこれを歌っているのが聞こえてくるけれど、いうまでもなく、私の本のタイトルは、この曲の歌詞とは意味が違っている。このフレーズは出典である聖書の一節とも違っているが、私のタイトルはこちらの意図を拝借したものだ。聖書の「マタイ伝」には、このように書かれている。「求めよ。さらば与えられん。尋ねよ、さらば見いださん。門を叩け、さらば聞かれん。すべて求むる者は得、たづねる者は見いだし、門を叩く者には開かれるるなり
(以上、引用部とした)
 といったところ、新約聖書のマタイ伝にあっての
[求めよ。さらば与えられん。尋ねよ、さらば見いださん。門を叩け、さらば聞かれん。すべて求むる者は得、たづねる者は見いだし、門を叩く者には開かれるるなり]
とのフレーズ、それが
[天国の門]・[天国への扉]・[天国への階梯](ステアウェイ・トゥ・ヘブン)
との兼ね合いでいかように嗜虐的なる別側面での意味( Double Meaning )と共にあるのか、そのことからして具体的典拠を挙げ連ねるとの式で遺漏無くも事細かに示そうというのが本稿の本義であるとここ脇に逸れての部にあって訴求しておきたいとの意図が筆者にはある)

当サイト内にあっての【各頁および各典拠への一覧方式遷移部】、及び、【PDF形式文書配布ページ】へのリンクを直下、設けておく

各頁および各典拠への一覧方式遷移部へは以下より


問題となる[「予見的」言及→実現]の体系についての[典拠紹介部]一覧呈示頁

PDF形式文書配布ページへは以下より


典拠解説媒体としての[一括PDF文書]の公開頁

ここ本頁の内容の前提となっていることらに対応しての【「容易に後追い確認なる」「堅い」ソースを呈示しての出典紹介部ら】、その主たるところへの[遷移経路]を下に設けておく。 典拠について疑わしいとの部があれば、必要に応じて参照されたい (:クリックすることでブラウザ ―インターネット閲覧ソフト― の[別タブ(別枠)]にて典拠紹介部を表示( open "additional" tabbed window(s) of web browsers

[出典(Source)紹介の部39]トロイア崩壊の原因が黄金の林檎となっているとのこと、また、そちら黄金の林檎がヘラクレス第11功業に登場を見ている「巨人アトラスと結びつく神の果実」でもあるとのことに関しての出典紹介部39)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第35頁 ブルフィンチ神話要覧書などに見る黄金の林檎とトロイア

[出典(Source)紹介の部101]先に発生した911の事件は(飛行機が突撃したツインタワーのみならず)ワールド・トレード・センターに存在していたビル七棟がすべて倒壊したとの事件となる】、 【その中身が適正なものか否かはとりあえず置き、かつてそこにあったワールド・トレード・センターの第七ビルに関してはそれが発破倒壊 ―コントロール・デモリッション(ビルを炸薬を用いて一挙に破壊して解体処理する手法)― によって倒壊したのだとの申しようが専門家団体、[建築家団体]より呈されている】、 【911の事件が発生する「直前」、2001年7月にて、「アメリカで[アルカイダ]と[オサマ・ビン・ラディン]の犯行を名目にしての政府関係者筋による[自作自演のテロ]が起こされることを警告していた」との有名な論客が存在している】とのことらを各別に紹介しての典拠紹介部101の部)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第117頁 重大事件の先覚的言及と『使徒行伝』に見る占いの霊

[出典(Source)紹介の部102(4)](1999年公開の映画作品『ファイト・クラブ』がいかようにして[911の事件の先覚的言及]を多重的になしていると指摘出来るのか、そのことについての[1]から[9]と振っての典拠紹介部にあっての「一例」としての ―[4]と振っての部の「一例」としての― 典拠紹介部102(4)の部)
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典拠紹介部第118頁 ファイト・クラブに見る911の前言、その解説[1]

[出典(Source)紹介の部102(8)](1999年公開の映画作品『ファイト・クラブ』の原作小説(1996年刊)からして911の予見的側面と相通ずるようになっていることにまつわっての典拠紹介部102(8)の部)
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典拠紹介部第119頁 ファイト・クラブに見る911の前言、その解説[2]

[出典(Source)紹介の部106(3)](1973年公開の映画作品『タワーリング・インフェルノ』がいかようにもってして多重的に911の予見的言及作品となっているのかにまつわっての典拠紹介部106(3)の部)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第123頁 フリーメーソン象徴主義と911発生の予言的言及[3]