LHC実験に関しブラックホール生成リスクが取り沙汰されるようになった始原期が「何故、重要なのか」について

 
 

LHCの如き粒子加速器とブラックホール発生リスクの関係が問題とされだした始原期について

 本サイトを公開してからおよそ二年の月日が経った時分にあっての追加記事。そうしたものとして公開した本記事にあっては
巨大粒子加速器とブラックホールの関係が問題となりだした時期を巡る問題点
について取り上げることとする。

 より具体的には
[巨大粒子加速器と人為的ブラックホール生成の可能性論が「粒子加速器運営当事者物言いやメディアの報道姿勢とは平仄(ひょうそく)が合わないようなやり方で」以前より一部のサブ・カルチャー作品内で言及されていた]
というリスク問題表出の始原期をめぐる[尋常ならざる不可解性]について深くも取り上げることとする。

 以上が本記事の主要テーマとなるが、(問題としていることの機微に詳しくなき向きを想定し)、最初に基本的なことから話すこととする。

 その点、
[現時、「粛々と」とり行われているブラックホールを生成するとされる実験]
を一言で表せば、
[欧州原子核研究機構ことCERNが主催するLHC実験]
となるわけだが、同LHC実験の[内容]と同実験に伴う[懸念の所在]は次の如しとなる。

 LHC実験の内容

 LHC実験は相互に加速させた陽子ビームを衝突させ、もって、[狭くも閉じ込められた極小スケール]で実現する高エネルギー状態から未検証の理論の検証をなし、かつ、物理学上の最先端領域の開拓を期す ―ヒッグス粒子の発見や超対称性粒子の発見を期す― という目的を伴ったものとなる。その目的実現のために、[ジュネーブ郊外の地下に既存の物理学実験用巨大トンネルを転用しもしている巨大加速器LHC]が膨大な金銭が投ぜられ構築されることとなった(:LHCとはラージ・ハドロン・コライダーの略称で加速させた粒子を衝突させ、によって、実現する特殊な状況から物理学上の理論の追及をなすといった[粒子加速器]の超弩級版といったもの ―延べ27kmの地下トンネルの中に大きな超電導磁石を1600個超と巨大な検出装置を複数基配したといった塩梅のもの(下の図解部参照のこと)― である。そうもしたLHCには日本、実験主催者機関CERNのメンバー国ではないものの主要オブザーバー国として実験に参画する日本も(少なくとも)百数十億 ―国民一人当たり百数十円― の「建設」援助をなしている。着目すべきことは金額の多寡(多い少ない)よりも英文Wikipediaにもはきと記載されているように[一万人を超える科学者、100を超える国々にあっての大学・研究所が諸共、協賛して動いているところに見る人的紐帯の密なること]であろうととらえるも)

 LHC実験をとりまく懸念

 実験には以下、箇条表記するような懸念が取り沙汰されている(物理学分野のジャーゴン[専門用語]を多用しての話ともなってしまうが、掻い摘まんででもご理解いただければ、と思う)

・[余剰次元(Extra-dimensions)関連の理論]に依拠しての計算に則れば、LHC実験の陽子ビーム衝突出力 ―兆単位の電子ボルト(テラ・エレクトロンボルト)― が特定の限度を超えると極微ブラックホール(microscopic-blackhole)が生成され、かつ、それが予想されるとおりに蒸発しないとなると地球が呑まれることとなりかねないとの[懸念]が持ち出されている(重要なこととして:当の実験当事者らの中にも[ブラックホールが大量に生成される可能性を容れている者ら]がいるが、彼らの大半はブラックホールの人為的生成(とそれによってのブラックホールの「観測目的」の達成)を[理に適ったもの]であるとしている。すなわち、彼らは「ブラックホールの蒸発は必然の流れである ―(ホーキング輻射(フクシャ)という本記事の後の段で言及する事象ゆえにブラックホールの蒸発は必然のことと看做されていたりもする)― 」と強調したり、「永年、地球や月が曝され続けていた宇宙線(cosmic-ray)のエネルギー規模との比較衡量からブラックホールが周囲を呑み尽すものとして成長する可能性はない」と強調したり、「 ―Giddings(ギディングス)とMangano(マンガノ)という二名の物理学者由来の実験関係者の間で著名な英文論考たる Astrophysical implications of hypothetical stable TeV-scale black holes『仮説上の[安定化した兆単位電子ボルト所産としてのブラックホール]について天体物理学が示唆するところ』内に目立って見受けられる主張ともなるが― 仮にブラックホールが生成されそれが大方の予想にあるように瞬時蒸発せずともその成長にはきわめて長き時間を要するとも想定されるために太陽系の消滅まで懸念となるようなことはない」との考えを容れたりしながら、ブラックホール人為生成に問題はないと強調しているのである)

ストレンジレット(Strangelet)と呼ばれる仮説上の粒子が発生しうる(とも懸念視されている。本記事で問題とするのはブラックホールのことなのであるが)。そのストレンジレットが発生した場合にあってそれがマイナスに帯電(negatively-charged)していると周囲のものを同種の粒子に変換しだし、によって、地球(ひいては太陽系から銀河に至るまで)がエキゾチックマターたるストレンジレットの凝集体となりかねない(補足として:実験関係者らは(ストレンジレットが仮に存在しそれが生成されても)「理論上は引きつけ作用を伴わない正電荷のものとなる(から問題ない)」などと強調している。尚、仮説上の粒子たるストレンジレットの凝集体へと我々の世界が成り果てるような(万一にも)想定される事象を事情通は[ice9(アイス・ナイン)]と表したりもしている。というのも、著名な小説家であるカート・ヴォネガット( Kurt Vonnegut )の小説、 Cat's Cradle『猫のゆりかご』(1963年刊)に空想上の物質、アイス・ナイン ―常温で固体という新種の氷― というものが登場し、その空想上のアイスナインにあっての[水に混ぜると常温で水を氷と化させるとの描写]が[仮説上のストレンジレットの想定される性質]と似ているとされるからだ ―それにつき、カート・ヴォネガットの小説から仮説上の粒子にまつわる大災害の呼称を決めたのは洒落っ気の発露では済まされないところがある。についてはカート・ヴォネガットの他小説の内容を引き合いに後の段で述べる― )

・上記の[極微ブラックホールの蒸発せずにの暴走]や[負に帯電したストレンジレットの意図せざる生成]といった代表的懸念以外にたとえば、
真空泡というものに起因する懸念](空間にいくつかの相があると仮定した場合にあって、その相に高エネルギー状態で[相転移]と呼ばれる現象が起これば、真空の泡が内部の原子の存在を許さぬものとして膨張していき、すべてに終わりをもたらすとの一部科学者由来の懸念)
磁気モノポールというものに起因する懸念](単極の磁荷 ―N極あるいはS極のうちの一方― のみをもつ粒子が存在し、仮に、それが生成されれば、陽子の崩壊が誘発され人類の終焉につながりうるとの懸念)
も取り沙汰されている。

[ブラックホールを人為生成しうるとされるところの実験の巨大な舞台装置について]

 ブラックホールを生成しうるとされる実験 ―実験当事者はブラックホール生成の安全性と効用を肯定的に論じもし、他面、部外の反対派は(下火になりつつはあるが)[破滅を伴った危険性]を声高に訴えもしてきた実験― がいかに巨大な装置(粒子加速器)をもってとり行われているか、の図解をなしておく。
 まずもって[最上段の図]だが、ATLASALICEといった文字列を含む環形構造を描いた同図、延べ27kmに渡っての地下トンネル、欧州はスイスとフランスの国境地帯に設置されている環形地下トンネルの構造を鳥瞰視形式で指し示したものとなる(図で路線図よろしくの形で示した地下 トンネルが実験が行われる場、[粒子加速器の神経 ―陽子ビームが照射される神経― が走る場]となる)。
 次いで、[中段の図]だが、同図、[極小の世界にあって史上最大規模の高エネルギー状態にての"研究"をなすべく構築された地下トンネル]内の諸所に[検出器(detector)]が設けられており、 その検出器 ―粒子加速器構成ユニット― の時点でいかに巨大な装置が用いられているかを指し示すための図である。より具体的に述べれば、ATLASALICEといった装置に並ぶ検出器CMS(Compact-Muon-Solenoid/CMSは実験グループ名を指す呼称ともなる)の構造とサイズを示した図となる。
 [下段の図]だが、同図、[中段の図]とともに検出器(CMS)ひとつとってもいかに巨大なるかを指し示すために挙げたもので[生産段階にあった(円で囲った)検出器一部パーツそれだけを映した写真に依拠してのもの]となる。延べ27kmの地下トンネル内の各所に設けられた検出器を構成する一つのパーツ「だけ」でいかに巨大となるかについては黒塗りの人型が[オリジナルの写真に現われている人間の実寸大の大きさのもの]であることより推し量れるだろう。

 さて、(上の図解部の前の段にて)、[実験概要]と並んで細かくも[粒子加速器に起因する懸念]について言及したわけだが、そうもした懸念の存在もあってLHC実験、すなわち、史上最大の粒子加速器を用いての史上最大級の実験の参画機関が訴えられ、
「安全性が確認されるまで実験は停止すべきである」
との作為を求めての訴訟の被告になった
2008年頃、LHC主催者機関CERNの米国協働機関たる[フェルミ国立加速器研究所]と右フェルミ研究所を監督する[アメリカ合衆国エネルギー省]が訴えられて訴訟の被告となったのである ―興味深いことに[アメリカ合衆国エネルギー省]をはじめ[フェルミ国立加速器研究所]も[CERN]も全てマンハッタン計画関係者が深くも関わり設立した機関となっている― 

 原子力安全監督官の経験があるウォルター・ワグナー同人物にあっては訴訟そのものに批判的な人間には「ボタニスト、ハワイで農園をやっている[現在の植物学者]風情が・・・・」と言われることもあるようだが、ワグナー氏が原子力安全監督官としての識見を身につけていることは事実のようである)とルイ・サンショスペインの科学ジャーナリスト)の両氏が原告になって提訴したそうした訴訟にあっては
「(直近既述のような)リスクがある中にあって実験を継続することは望ましいことではない。ゆえに安全性が確認されるまでの実験停止を求める」(裁判が提訴された欧米圏の法制度にあっては司法の場での決定が行政のおこないに対し積極的作為(特定の施策を新規に講ずる)を求める効力を発揮しうる)
ということの適否が法律上の争訟の因として争われたのである。

 が、結果は判事が
「合衆国は本件に関して決定権をもたない」
として ―数十ページにもなる理由明示と共に― 棄却(原告敗訴)となったということであるが、につき問題としたきは、である。下のようなことである。

 重要視すべきこととして

ワグナー氏とサンチョ氏の両名が彼らが原告になった訴訟にて展開したような主張、そして、訴えられた側が「訴訟で争われたようなことは妥当ではない」と世に示そうとしたところの主張が、すなわち、今日の巨大粒子加速器をめぐる安全性の議論で問題となっていること
今よりおよそ三十年前のサブカルチャー作品(後述するSF作品)にそっくりそのままに描かれていた
ということがある(それが詰まるところ本記事本題に関わるところとなる

 直近、述べたところの[そっくりそのままに反映されていること]の細かき中身の話は本記事中の後の段にて細かくも述べるとして、そのようなことがあることにつき、事情を知らぬ向きは次のように思われるかもしれない。

であれば、粒子加速器をめぐる安全性の議論は今をさること数十年前より[少なからぬ数の人間]によってなされるようになっていたのではないか

 が、そうとは言えない、全くもってそうとは言えないからこそ問題となるのである。

 当方(本記事の執筆をなしている当方。[語る話柄の常識からの逸脱性]/[検索エンジン上での関知せざるところの見栄えの問題]などがあり如何物(イカモノ)臭が必要以上に醸し出されているととらえる媒体ながらもの本媒体の作成元でもある当方)が当サイト公開後、年月を経、設立した自身が代表を務める会社 ―(残念ながら)現時、活動に深刻な障害を伴っている会社でもある― の名で実験関係者・実験関係機関に取材を申し込み、実験のリスクをめぐる淵源について細かくも意見聴取した結果、
実験リスクをめぐるやりとり萌芽期、超巨大粒子加速器をめぐるブラックホール生成をめぐるやり取りが実験関係者の間でなされだしたのは2000年前後であり、それ以前に遡ることができない
との話を[LHC実験に関わった経験を有する向き]から得ており、その言い分が至当と解されるようになっているとのことがある。

 すなわち、そうした元・実験関係者らのブラックホール生成リスクを巡る話は
欧米圏メディアでの粒子加速器を巡るリスク報道表出時期が2000年前後以前には遡れない
ということと整合性を有したものとなっている)。

(※疑わしきには後を追うように調べていただきたいと思うところとして海外の情報流通形態を精査してみる限り、ブラックホールやストレンジレットの危険性をめぐるやり取りが欧米圏のメディアで問題とされだした画期は1999年にある(と見受けられる)。
 その折(1999年)の具体的経緯は、
「アメリカで著名な科学誌 ―科学界ではよく知られた Scientific American誌― に掲載された[後年、CERNのLHC実験をめぐる訴訟の原告となりもしたウォルター・ワグナーと後年、ノーベル賞を受賞することとなったフランク・ウィルチェックの応答書簡]、すなわち、[ブラックホールのリスクおよびストレンジレットのリスクにつき取り上げた応答書簡]が英国の保守系著名週刊新聞サンデー・タイムズの把握するところとなり、同サンデー・タイムズ( the Sunday Times )が[粒子加速器をめぐるリスク]について ―( Big Bang machine could destroy Earth 『ビッグバン再現マシーンが地球を破壊する』というセンセーショナルな題の記事でもって)― 報じだした」
とのことになっている。
 そうした経緯での報道端緒期より欧米圏メディアは時に真剣に時に茶化して風刺するようにブラックホールと巨大粒子加速器をめぐるリスクについて取り上げることとなり、その痕跡を我々はオンライン上の英文情報からも確認できることとなっている(が、強調しておきたいも、欧米メディアのブラックホールなどをめぐるリスクの報道は[終息の兆し]を見せており、かつ、そうした報道は実験にストップをかけることができなかった。必要もないところを多額の資金が投下されていると批判される実験ながらも、実験を良しとする常識の壁は ―CERNを守っているのが揃いも揃ってのノーベル賞級科学者であることもあり― 、[逸脱を許さぬ常識的なやり方]では崩せなかったのだ)。
 そうした欧米メディアの報道姿勢に対し日本国内のメディアは「全く」と言っていいほどに粒子加速器を巡るリスクについて報じることはしようとせず(真剣にもいい加減にも報じることはしようとせず)、今日に至るまでその状況に何ら変化はない。日本はLHCの建設協力国、主要オブザーバー国としての実験参画者派遣国、そして、国際リニアコライダー構想(陽電子をぶつける弩級の粒子加速器を国際プロジェクトして建設しようという構想)の推進代表国でもあり、そうしたレベルでも実験は国内問題にも関わるのだが、とにかくもって、国内マス・メディア ―放送法にて国民の安全にかかわることを報ずる義務を負っているはずの大手メディアが見るに堪えない白痴番組放映ばかりに注力し国営放送でさえもがアイドル担ぎ番組を流すことにやぶさかではない[不思議の国]ゆえの特性をよくよくも反映したマス・メディアでもいいが― は粒子加速器リスク問題を全く取り上げようともせず、それゆえ、国民の過半は[粒子加速器をめぐるブラックホールの暴走懸念]も[CERNの名]さえも知らないとのことになっている)

 さて、粒子加速器リスク(特にブラックホールリスク)を巡る報道経緯について言及したうえで述べるが、
[「三十年前のSF作品に粒子加速器をめぐる議論の機微が法廷で争われた今日のそれにそっくりそのままの形で反映されていた」という話と「2000年前後以前にリスクの問題が遡れない、との証言がある」との話が ―双方、矛盾するように― あるとのこと]
は次の三つの可能性を想起させる。

可能性1:一般の実験関係者らがリスクにつき把握しているところに限界があるのか、(故意の有無はさておき)、偽りをなすこととなってしまっている。もっと言えば、リスクは密やかに極一部関係者に「かなり前より」知られていて小説家がたまたまそのことを「細部に渡って」知る立場にあった。

可能性2:[実験当事者でさえ予想だにしていなかったこと]を三十年前の小説の作者 ―すぐ後の段にてその名は言及する― が普通では考えられないような先覚性をもって予見(というより予言)していた。

可能性3可能性1可能性2の折衷。当方が取材した実験関係者が把握していなかったことながら極一部の人間に粒子加速器をめぐるリスクの認識があり、そのリスク認識を受けてのものとして小説作者が先覚的言及をなしていたものの(マスコミが報じもしていない折に先覚的言及をなしていたものの)、そこには[常識ではとらえがたいような力学]の介在もまたあった。

 鋭い読み手はこう思うかもしれない。
可能性1可能性2(常識人には容れ難いものとしての可能性2)だけで十分なのではないか。物事は夾雑物が除かれれば除かれるほど明瞭かつ事実に合致したものとして語れるという世に言い古された経験則([オッカムの剃刀]として知られるもの)に反するように可能性3を持ち出す必要などないだろうに』

 だが、私としては可能性3を容れざるをえないとしてその理由を以下、細かくも論じていくこととする。

 その点、当方が直に意見聴取をさせてもらった実験関係者には[実験動向を広くも把握する立ち位置にあった人物]が含まれている。その人物でさえもが「2000年前後まで我々の身内で粒子加速器のリスクとしてブラックホールのことが聞かれることはなかった」と述べている。
 とすれば、多くの関係者が知らぬ中、日本国内実験グループでも極々一部の者「のみ」が国内ではかろうじて実験の[より昔に遡れるリスクをめぐる議論の動向]を把握していた「とも」想起できる(:であれば(リスクをめぐる議論があったというのならば)一部の国内科学者らは海外科学者にそれが求められていたのと同様に議論で争われたことを世に問わなければならなかったともあいなるのだが

 そのこと、一部の人間のみがリスクが取り沙汰されだした2000年前後よりかなり前からリスクにつき認識していたとのことを傍証するように英国王立協会 ―(同・王立協会は最古の科学学会とも称されるが、他面、揺籃期よりフリーメーソンが深くもかかわっていたフリーメーソンとの関係濃厚な機関との指摘もなされている機関となる)― の会長経験者たるこれぞ[斯界の泰斗](科学界の大御所)とでもいうべき科学者マーティン・リース( Martin Rees )がタイトルに反してのまじめな一般的科学読み本、
Our Final Century: Will the Human Race Survive the Twenty-first Century?(邦訳版タイトルは『今世紀で人類は終わる?』。原著は2003年刊)
にて
「1983年より粒子加速器をめぐる壊滅的リスク発生の懸念が ―[真空の相転移(空間破壊)]との絡みで― 取り沙汰され、その問題の検証に自身がかかわった」
と一言述べている、とのことがある(:著名な天体物理学者であり、表記の書籍の書きようから加速器リスク問題に[宇宙線(cosmic-ray)を用いての安全性検証アイディア]を導入したのに最も効あったと解される科学者 ―あるいは人類全体への裏切り行為に加担した科学者か― であったマーティン・リースは「ブラックホール生成が粒子加速器リスクと早くも80年代より結び付けられていた」と述べているわけではない。同男著書、 Our Final Century: Will the Human Race Survive the Twenty-first Century?の中の紛らわしい書きよう(現況のブラックホール問題について「も」一応は言及している書きよう)につきよく読めば、分かるのだが、マーティン・リースは[真空にあっての相転移(Vacuum-decay)との現象と結びつく空間破壊(銀河系、ひいては、宇宙そのものの破壊とも)の懸念]などにつき同男が[同僚 Piet Hutと共に検討した初期懸案事項(リスク)]であったと言及している一方で、
「(ブラックホール関連とは一切明示されてはいない)重篤なリスクが一九八三年より粒子加速器に関して持ち出されていた、といった書きようをなしているにとどまる」
のである。につき、穿った見方をすれば、マーティン・リースは[今日にあってブラックホール生成リスクが問題になりだしていることに一言だけ言及する一方で既に粒子加速器関連の重篤なリスクが取り沙汰されていた80年代前半にあって何が問題になったかについては「ブラックホール関連では」はきと明示しない]とのやり方を敢えてもとることで舌禍を避け、[先覚的認識を秘していたのなら問題になりうる責任]を問われる可能性を極小化しようとしているようにもとれる ―であれば、さもしいこと限りなしだが― )

 しかし、そうと言っても、すなわち、[マーティン・リースの一面で曖昧模糊たる一九八三年時点でのリスク認識への言及]があると言っても、日本国内実験参画グループ代表者 ―そうした人間の名誉と自身の名誉を慮って述べれば実験代表者クラスと私の間には何ら交渉はない― が彼ら由来のオンライン上から確認できるPDF文書でおよそ次のようなことを述べている、とのこともある。

「1998年頃に初出を見た[余剰次元にまつわる新理論]の帰結でもって重力が実験出力TeV領域 (LHC実験の[テラ電子ボルトTeV級での加速規模による陽子ビーム衝突]により実現する高エネルギー状態) で強くもなり、そのためにブラックホールが生成され、かつ、即座に蒸発すると予見されるようになった」

 上のように世紀の変わり目にブラックホール生成が現実的懸念として問題となったことを国内実験グループの代表者がオンライン上から誰でも確認可能な彼ら由来の文書で堂々と忌憚なくも論じているのなら、である。それ以前から破滅的なリスクに関する議論は(マーティン・リースが言及しているように)あったかもしれないが、そうした議論が現況どおりもの ―海外マスメディアによって人口に膾炙するに至ったブラックホール絡みのそれ― であったとは述べ難くもある。より細かくも述べれば、マーティン・リース曰くの[真空の相転移]にまつわる粒子加速器発破滅的リスクなどにつき一部科学者が、(世間一般に報じられない中ながら)、把握していたという一事については「その通り」と言えるのだが、その破滅的リスクの中に問題視されるところのブラックホール関連のものが含まれていたとは述べ難くもなっているのである(:尚、私としては ―可能性3が適正なるところではあると考えられるとここにて述べている人間として[自家撞着(自己矛盾)の徒]とも誤解されなくはないのだが― 実験指揮者クラスだけではなく[少なからずの物理学者]らでさえもが[それが問題視されだしたのが2000年前後以前に遡れないと表向きは強調されていること]につき知っていてダンマリを決め込んでいた可能性を敢えて全否定しようとは思っていない ―事情が変われば、その可能性を容れ、かつ、訴求したいと考えている― 。というのも 「粒子加速器が極小領域にて超高エネルギー状態を実現できるようになるとビッグバン直後状況を再現したようなありさまとなるが、その状況はブラックホールの特異点をめぐる理論が問題とする状況に近しい」 との話を聞いたことがあるからである)

 以上、[調査して把握するに至った加速器リスクを巡る(先発的)議論の動向]につき多少細かくも言及したところでようやっと言及するが、
今より30年前に粒子加速器をめぐる今日のリスクを極めて正確に先取りしていた(問題とするところの)小説
のタイトルは
THRICE UPON A TIME邦題は『未来からのホットライン』
となる。

 同小説、スライス・アポン・ア・タイム( THRICE UPON A TIME/邦題は『未来からのホットライン』)はすでに鬼籍に入っているSF小説界の大御所であった作家、ジェイムズ・パトリック・ホーガン( James Patrick Hogan がものしたもので、要約すれば、次のような粗筋のものである。

[問題とする小説の粗筋]
「ある科学者が未来から過去に通信をなす手法を開発した。時を同じくもしてその科学者の周囲で粒子加速器(「安全ではない」ブラックホールを生成する可能性が問題視されているLHCも粒子加速器である)を用いた核融合プラント ―未達の核融合炉類型のものでなく核分裂炉とすれば、[加速器駆動未臨界炉( Accelerator Driven Subcritical Reactor/実用化を検討されている原子炉の一類型)]に通ずるものかとも思われる― にての高エネルギー状況が大量の極微ブラックホールを生成することになった。その事実と危険性に気づいた主人公らは過去に遡行する通信を試み、ブラックホールに起因する人類絶滅を回避すべく動く。結果、絶滅の危機は回避されたかに見えたが、今度は英米両国が極秘で研究・開発していた有毒ウィルスが漏れ出し、その事態を回避すべく新たに過去への通信をなすとの運びとなった」(小説原題のスライス・アポン・ア・タイムにおける「スライス」とは「三度の」という意味だが、それは三回、過去に遡行する重要な通信を未来から行ったとの小説作中の設定による)

 無論にして荒唐無稽なフィクションであると思われようジェイムズ・パトリック・ホーガンは比較的、科学考証を重要視する作家だったようだが、であっても、荒唐無稽なフィクションであると思われよう
 しかし、だ。上記のような筋立ての THRICE UPON A TIME(邦題は『未来からのホットライン』)が下のような観点から数十年も前(原著刊行時の1980年)に今日そっくりそのままの状況を前言したものとなっていたというのは[異論を許さぬ事実]である(確認を請いたい)。

類似点1
1980年刊の小説に認められる記述
[粒子加速器装置とワンセットになっている重イオン式核融合プラントによって極微ブラックホールが大量生産された

現実の状況
[2001年発表のエポックメイキングな論文を契機にか、粒子加速器が極微ブラックホール ―ただし蒸発する不安定(unstable)なブラックホール― を大量に生成するという理論を当の実験関係者ですら「可能性として」認めだした]
とが完全に対応している(※註)。
(※註:例えば、2001年にて発表された著名な論文( Savas Dimopoulosサバス・ディモプーロス Greg Landsbergグレッグ・ランズバーグの Black Holes at the LHC『LHCにあってのブラックホール』)では年間一千万個超の極微ブラックホールがLHC実験で生成されるとの試算が出され ―右論文の全文も(読み手の貴方がその気になれば)オンライン上からダウンロードできるはずだ― 、実験関係者も蒸発するブラックホールのLHC実験による生成を肯定的に ―蒸発するというのだから「肯定的に」となる― 言及しだした。尚、1980年の『スライス・アポン・ア・タイム』で持ち出された極微ブラックホール(microscopic-blackhole)の作中設定上の生成数は毎秒数十個で計200万個生成したとされていることも私は手ずから確認している)

類似点2
1980年刊の小説に認められる記述
[生成された大量(200万個とも)の極微ブラックホールが地球のコアに落ち込み周囲のものを飲み込むものへと成長する

現実の状況
[極微ブラックホールが地球のコアに落ち込み拡大を始めるというのは[LHCの運転を安全性が確認されるまで取りやめるべきであるという訴訟の原告になったウォルター・ワグナー氏が主張した最悪のシナリオ]となっている]
とが完全に対応している(※註)。
(※註:ウォルター・ワグナーの主張には「地球の核に入り込んだブラックホールは次々と物質を飲み込み、拡大の一途をたどり、最後には地球をすべて呑みこみ地球はまわりに月、人工衛星、国際宇宙センターなどを従えたままの中規模ブラックホールと化す可能性がある」との見立ても入っている。については、例えば、―実験関係者由来のものながら― COLLIDER(邦題は『神の素粒子』)という書籍に実験批判者申しようとして極々端的な言及がなされていもする)

類似点3
1980年刊の小説に認められる記述
[ブラックホールを生成した装置を運営する運営機関主導者陣が状況を報告された際にホーキング輻射(フクシャ)を持ち出してのブラックホール蒸発の可能性にすがって「まだ安全。」と強弁して責任逃れをしようとしていた(尚、小説作中では拡大するブラックホールに起因する破滅の事態は避けがたいものとなっていると描かれる)]

現実の状況
ホーキング輻射(フクシャ)によって粒子加速器によって人為生成されたブラックホールの安全性の有無について肯定的あるいは否定的な見解を闘わす ―ブラックホール瞬時蒸発について論じる― というのはLHC実験の運転停止を求めた原告ウォルター・ワグナー氏の主張内容およびCERNの科学者らのブラックホール関連リスク否定の反論に認められることそのままである]
完全に対応している(※註)。
(※註:ホーキング輻射( Hawking radiation )とは車椅子の科学者として知られるスティーブン・ホーキングが1970年初頭に提唱した仮説上の現象で、によって、ブラックホールは僅かな熱量を放出していることになり、それゆえ、極微ブラックホールは即座に蒸発するとの見立てに「後付けで」つながっているものである。
 そのホーキング輻射の加速器製ブラックホールに対する適用を御旗に ―(と言っても実験関係者によると彼らが最も重要視する実験安全性の論拠は[宇宙線]特質との比較対象にあるとの申しようをなしているが)― 加速器実験当事者らは「ブラックホールが生成されても即座にそれは(同ホーキング輻射によって)蒸発するから問題ない」と実験安全性を声高に唱えている。
 対し、ウォルター・ワグナーのような2008年の訴訟の原告になった者らは「ホーキング輻射とて結局、検証されていない仮説上のものにすぎないではないか」と反論を講じている ―それにつき当のスティーブン・ホーキングの主張によると「ホーキング輻射の効果は小さいブラックホールにしか(観測されるほどに)目立って現れない。ブラックホールが小さいほど粒子の速度の不確定性は大きくなり、もって、粒子と放射は大きいブラックホールより小さいブラックホールからのほうが、より早く漏れ出るからである」とあいなる― 。
 とにかくも、ブラックホール生成実験と揶揄される実験たるLHC実験の肯定派と否定派の双方に取り上げられている[ホーキング輻射]がブラックホールを生成してしまった者達の逃げ口上として30年も前のフィクションで持ち出されていた、とのことになる。その点、着目すべきは ―くどくはなるが― 「表立って」粒子加速器がブラックホールと結びつくと物理学者とメディアに取り上げられるようになったの2000年前後 ―小説登場後20年を経てのこと― であるということである)

 いかがであろうか。以上の類似点1から類似点3を見ても明らかなように『未来からのホットライン』などと邦題が付された小説(過去に通信を送って破局を防ぐとの筋立ての小説たる THRICE UPON A TIME)にて現況そっくりそのままの状況が忠実に描かれていた、しかも、「訴訟で敗訴したような側が実は正しい」という形で現況そっくりそのままの状況を忠実に描かれていたのだ。

 それにつき、ここまでの内容精読をなすことで
『先に持ち出した可能性1(一部の実験関係者が実験リスクを先覚的に認識していたとの可能性)こそ強化され、可能性2(字義どおり人間離れした先覚性をもってSF作家が予言的なることをなしていたとの可能性)は棄却される方向に行くだろう』
とお思いになる向きも出てくるだろう。言葉を換えれば、
可能性3可能性1可能性2が両立しているとの当方が最もありうべきところとして顧慮している可能性)など容れられるものではない』
とお思いになる向きも出てくるだろう。が、それは当を得た見立てではない。明言する。というのも以下、言及するような事情群があるからだ(事前に断わっておきたいが、これよりの各事情記載部は相当、長いものとなる)。

・SF界の大御所ジェイムズ・パトリック・ホーガンが1980年の小説 THRICE UPON A TIME(邦題は『未来からのホットライン』)執筆時にはおそらく想像だにされていなかったこととなるが、現時、CERN ―ブラックホール生成実験と揶揄される実験の主催者機関― 
[過去との通信に応用可能な現象を検証するというそれこそSF(サイエンス・フィクション)がかった実験]
に邁進している。
 イタリアはグラン・サッソ地下研究所(流布された欧米圏呼称では Laboratori Nationali del Gran Sasso となる)において行われている海外メディアにもあまり取り上げられることなき実験、OPERA(オペラ)実験がそうだ
 同OPERA実験ではニュートリノが光速を超えうるか ―Faster-than-light状態になりえるか― ことを検証するというもので、それが「肯定的な意味で検証あいなった」とのことになれば、過去への通信手法の確立も「理論的には」可能なこととなりうると言われている(:誤解を避けるために述べれば、そういう実験の実施は ―当サイトのような媒体を運営している身ながら― 私も驚かされるような類のもので、[ともすれば空想家の領分であると無知な人間には看做されそうなこと](過去への通信方法を探るといったこと)を大真面目に一級の科学者らが研究している、とのこととなる)
 さて、ここで考えなければならない。ブラックホールを巡るリスク議論をあまりにも克明かつ先覚的に言及している小説、 THRICE UPON A TIME『スライス・アポンナ・タイム』の主要テーマが[過去への伝送路の確保]であるということを、である。それが往時にあっては想像だにされえなかったOPERA実験に関与しているCERNとブラックホールを通じてあまりにも不気味な程に接合していると言えないだろうか ―常識力が高い向きはそれでも『CERNのお歴々が THRICE UPON A TIMEのような小説が存在することをかえって逆手にとって過去への通信手段探索実験に手を出した』ともとられるかもしれないが、(残念でならないが)、そうした見立てを否定する話をこれ以降なしていくことになる― 。

 図解部
 ここにて ―極めて長いものともなってしまうが― CERNが過去への通信伝送路を確保する技術につながるとも指摘される実験(ニュートリノを光速以上にして飛ばそうというOPERA実験)を行っていることブラックホールリスクを巡る現況そのままの論議を克明に描いていた30年以上前の小説 THRICE UPON A TIMEが存在していることの奇怪きまわりない関係について(別枠表記部としての)図解を講じることとする。

 としたうえでまずもって下の図をご覧いただきたい。

 [上図左側上部]にて挙げているのは人類最古の文学作品 ―そして欧米文学の源流― たるホメロス著の『イリアス』にその崩壊の顛末が描かれているトロイアにあっての王子であるガニメデスを彫った像となる(:より正確には[鷲に姿を変えたゼウス神に拉致されと伝わるガニメデスが鷲に姿を変えたゼウスに酌をする姿]をモチーフに制作された像となる)何故、唐突にも、ギリシャ神話上、神々の給仕係として「鷲に変じた」至高神ゼウスに略取されたと伝わる[トロイアのガニメデス]なのか。それは[ブラックホール人為的生成リスクを巡る今日の論議を非主流派(実験反対派)に軍配を上げる形で数十年前に先取りしていた小説] THRICE UPON A TIME(邦題)『未来からのホットライン』を世に出していたジェームズ・P・ホーガンという作家がガニメデスに由来する木星の衛星、ガニメデを作中設定上、重要な要素としている一連の小説群でその名が知られるに至ったSF作家だからであり、もっと言えば、そのことが[鷲に略取されたトロイアのガニメデスをめぐる物語に重要な寓意が含まれていかねないことを示唆している事情群がある]からである。それにつき、
「ジェームズ・ホーガンという作家は巨人三部作 ― Giants series― として知られる作品群、[人類文明はガニメアンと呼称されるかつて太陽系に住んでいた巨人タイプのヒューマノイドの遺産であり、彼らガニメアン自体とは異なる退歩的代理人が地球文明を影から操ってきた] という設定を主色とする一連のSF小説(:各小説タイトル原著原題を上図[左部]に反映させている。邦題は『星を継ぐもの』や『ガニメデの優しい巨人』といったタイトルとなる)で名を知られるに至った作家となる」
と触れた上でここ図解部での話をさらにもって進める。
 次いで、上の図の[右側]についてだ。ナチスドイツの紋章と Gran Sasso Raid(グラン・サッソ襲撃)の文字列をあわせて挙げているが、その理由は
「ナチスドイツが実施して成功したムッソリーニ奪還作戦 ―枢軸国イタリアの独裁者ムッソリーニが支持を失い幽閉されていたところをドイツ軍が救出したという戦史上、極めて有名な作戦― がなされた場がCERNがOPERA実験を行っている場、グラン・サッソであることをジェームズ・ホーガンおよび彼の小説『スライス・アポン・ア・タイム』との兼ね合いで問題視したい」
とのことがあるためである(上図内の指示線をよくも参照のこと)。

 以上、把握いただいたうえで「まずもって」下のI.からII.をお読みいただきたい。

I. 図をよく見ていただければ分かろうが、[トロイアの王子ガニメデス]も[ナチスのマーク]も鳥類の鷲と結びついている(:トロイアの王子であるガニメデスが鷲と結びつけられる傾向があるのは(繰り返すが)彼が[鷲に姿を変えたゼウス]に給仕係として略取されたことが有名な神話上の一挿話となっているためである。対し、ナチスドイツの場合は ―ヒトラーが[鷲に後光が差しているようなオブジェ]を背景にして演説をなしている写真・映像が数多残っているように― ナチ党が異常に鷲を好んだとのことがあるのだが、表向き、それはナチスがオーストリア帝国やプロイセンで用いられた鷲の紋章を[ドイツ領邦の継承者]として受け継いだからだなどとされている)
 問題はそこにいう鷲(食物連鎖の頂点にある存在)が
操作上の特殊記号
であると解釈できること ―そう考えられる理由はすぐに述べる― である。

II. CERNのOPERA実験が行われている山地、グラン・サッソを舞台に実施されたナチスによるムッソリーニ救出のための襲撃作戦。同作戦の影響を受けて史実から空想を編み出すの式で執筆された小説がある。それが空挺部隊による強襲でムッソリーニよろしくチャーチルをナチスドイツが略取せんとしたという粗筋の The eagle has landed『鷲は舞い降りた』(1975年)という小説作品である ―同『鷲は舞い降りた』のタイトルは上掲図にも反映させている― 。小説セールス記録を塗り替えたとも言われるほどの空前の大ヒットを見た同小説は鷲が好きなナチスドイツを主軸に置いた作中設定からタイトルが「鷲が舞い降りた」となっていると解せるわけだが(小説作中で作戦成功の折の暗号が[鷲は舞い降りた]となっているからだととれるも、のような設定が出てくるのもナチスの鷲好きがあったればこそととれる)現実のグラン・サッソ襲撃に材を採った同小説タイトルはCERNの過去への通信伝送路確立を目的とした実験(オペラ実験)が行われている場、グラン・サッソが鷲と結びつくようにも想起させるし(:『鷲は舞い降りた』の舞台はグラン・サッソではないがそのモデルとなったグランサッソでのムッソリーニの身柄確保作戦を介しそうもとれる)、かつ、 ―重要なこととして― ジェームズ・ホーガンの小説作風「一般」のことをも想起させる
 というのもジェイムズ・P・ホーガンのガニメデス ―鷲と接合するトロイアの神に略取されし王子― と結びつく小説シリーズ、 Inherit the Stars『星を継ぐもの』にはじまるガニメデ・シリーズがアポロ11号の月面探査を濃厚に意識しているものと解釈でき、かつ、アポロ11号の月面着陸船の名前が[イーグル;鷲]であり、アポロ月面着陸エピソードと(未曾有の大ヒットを見た小説のタイトルでもある)[鷲は舞い降りた]とのフレーズが現実に結び付けられている、とのことがあるからだ(:現実にそういうキャプションが付けられての報道もなされていたこと ―下の図を参照のこと― として1969年、アポロ11号より月面に「鷲が舞い降りた」とも言える。 ⇒ただ、述べておくが、ジェームズ・ホーガンのブラックホール関連疑惑と結びつく『スライス・アポン・ア・タイム』自体がホーガン代表作たるガニメデ・シリーズに組み込まれているわけではない。ここで「まずもって」問題視しているのは予言的作品を世に出した作家がどういう小説作風で知られる作家かということを[特殊記号としての鷲]との絡みで論じられるということである)
 さらに述べれば、ジェイムズ・ホーガンのよく知られたデビュー作(そしてジェイムズ・ホーガンの名を知らしめるに至った作品)、小説『星を継ぐもの』が[月面で発見された赤い宇宙服をまとった死体を巡る謎]が物語の端緒になっている作品であること。そのことがアーサー・C・クラークのあまりにもよく知られた 2001: A Space Odyssey『2001年宇宙の旅』と ―『2001年宇宙の旅』に登場した猿を人間に進化させたSF上のガジェット(小道具)として広く知られる架空の黒い石柱状物体のモノリスよろしく[月で発見された続くエピソードへの起爆剤]を登場させたという伝で― 通底することとなっており、『2001年宇宙の旅』と言えば、鷲は舞い降りたのアポロ計画との関係を切っても切れない作品である、ということもまた問題になる(:小説および映画の『2001年宇宙の旅』にはデービッド・「ボーマン」と「フランク」・ブールという主要人物らが登場するが、そのことがアポロ11号の月面ランディングにつながったスペース・ミッション、アポロ8号が飛んだミッションにあっての機長の名が「フランク」・「ボーマン」であったことと「偶然とされつつも」一致していることはよく知られたことである。 また、映画『2001年宇宙の旅』の公開一年後、アポロ11号は月面に着陸したわけだが、同映画『2001年宇宙の旅』を撮った映画監督スタンリー・キューブリックがアポロ11号月面着陸を「演出」したという説はよく知られた陰謀論となっている ―お分かりいただけていることを願うが、当記事はそのような[真偽不明な陰謀論]について(証拠を捏造するような)陰謀論者よろしく甲論乙駁するためのものでは「断じてない」― )

 以上、I.とII.の内容を押さえたうえで続く下の図をご覧いただきたい。

 上掲図は先の段で鷲は[操作上の特殊記号]であると解せられると述べたことにつき、その理由を説明すると同時に[鷲の象徴]がブラックホール生成実験と揶揄されるところの実験の主催者機関となっているCERNとも結びつくことを訴求せんがために挙げたものである。

 としたうえで上掲図[上段]に見る三つ並べての鷲の象徴についてだが、それぞれ左から[15世紀ロシアの紋章 ―モスクワ大公イヴァン三世が政略結婚によってビザンツ帝国(ローマ帝国後裔)より受け継いだ双頭のワシ― ][アメリカ合衆国連邦準備制度のシンボル ―アメリカの中央銀行を管掌する組織体のシンボル― ][ナチス第三帝国の鷲]となる。対し、上掲図[下側]の鷲は[ビザンツ帝国の最期の王朝たるパレオロゴス朝の統治者たるパレオロゴス家の紋章]となる。
 よく見ればお分かりになられると思うが、上掲図上段の鷲の紋章群と下段の鷲の紋章には視覚的な意味での接合性がある。それにつき、普通に考えれば、
[(双頭の恐竜のようにも見えるものだが)ロシアの双頭の鷲とナチス第三帝国の紋章をあわせることで(歴史上のトロイヤの近接地点にあって1453年、オスマン帝国に攻城戦で潰滅させられた)[ビザンツ帝国パレオロゴス朝の紋章]と酷似したものが浮かび上がるなどというのは常識では説明がつきがたきことである(「ナチスが鉤十字、ハーケンクロイツを採用したのはインドのヒンドゥー教と接合する紋様を参考にしたからである」といった話などが常識の領分での説明となるだろうが)
 ここにて ―極一面的な話しかなしていないわけだが― 私が鷲を[操作上の特殊記号]と述べる理由を「視覚的に」ご理解いただけただろう(尚、双頭の鷲はフリーメーソンの有名な象徴ともなっている)

操作上の特殊記号としての鷲の性質]に言及したところで次のようなことをあわせて論じておく。

ナチスの圧力が[原爆を生んだマンハッタン計画の誘因]となったことはよく知られることである(:ナチスが先行的に原爆を開発するとユダヤ民族には絶望しかないとユダヤ系のベスト&ブライテスト(最良の頭脳)が結集して原爆開発計画を推進していったなどとはよく語られることである)。他面、マンハッタン計画に資金供給をなしていたのは[合衆国の錬金術の中枢工房]とも言うべき中央銀行の管掌機関FRSこと合衆国連邦準備制度である。その合衆国連邦準備制度のシンボルがナチスのシンボルと極めてよく似た形の鷲をあしらったものであったことは ―上掲図に見てとれるように― [事実]である(尚、合衆国の財界および金融制度に連なる人脈がナチスの金主になっていたことを「細かき出典と共に」指摘した論客もいた。下らぬ陰謀論者の部類には入れられないだろう論客、本サイトからダウンロード可能とした著作でもその説を詳しくも紹介しているアントニー・サットンがそうである)
 さて、ナチスとナチスと視覚的にきわめて似たシンボルを掲げる合衆国連邦準備制度の存在あってこそ完遂されたとも言えるマンハッタン計画の子供がCERN ―ブラックホール実験と揶揄されるところの実験を現時、さらに出力を上げる方向で実施している欧州原子核研究機構― であるともいえる。イシドール・ラビ、マンハッタン計画参画者たる同男がマンハッタン計画の教訓を活かして原子力平和利用を期すなどとしつつ欧州原子核研究機構設立を促進、CERN発起人となっているからだ。そうしたことは続く段で述べていくこととの兼ね合いで軽んじてはならないことである

 ここまで述べたところで続く図の話に入る。

 上掲図は
神話にあってトロイヤ陥落がもたられされるまでのプロセスを描いたもの
である。トロイヤ崩壊の経緯、人類最古の文学作品にして今日伝わる欧米文学の源流に当たる長大な抒情詩『イリアス』にも描かれる激闘の中にあって伝説上の都市が内側から崩壊させられた経緯(トロイア王子パリスが美女ヘレン略取したことで生じた戦争によって崩壊した経緯)については上掲図に付した解説をご覧いただければよいとして本記事本題との関係では次にて挙げること ―1.から4.と文頭に振ったこと― が重要となると訴求したい。

1. CERN(およびCERNが運用する粒子加速器LHCの類)は[トロイヤを滅ぼした木製の馬の如きもの]となりうるとの見解も成り立つ。というのも粒子加速器が生成しうるブラックホール ―のうちのカー・ブラックホールのようなもの― には[異なる世界との架け橋]としての役割も期待されているからだ(:二つ入口が要る異なる世界との架け橋については["人類の"未来の進んだ文明の科学技術]を想定してニューヨーク大学などで教鞭をとる[超弦理論]の伝道師ミチオ・カク(米国人物理学者)が自著 Parallel Worlds; A Journey Through Creation,Higher Dimensions and the Future of the Cosmos『パラレルワールド』にて可能性として一言言及したりしている。そうした正統派の学究の物言いによると[惑星を覆うぐらいの長大な粒子加速器]がなければワームホールのようなものは開けないことにもなるようだが)。 もっと言えば、"外"からは直に作れぬカーブラックホールの如き入り口の類 ―内側(こちら側の世界)から築かせる必要がある橋頭堡と想定されもするそれ― を
人類文明の絶頂期かつ安定期ともとれる今という時期](人口爆発を巡る問題や各国累積債務に見られる経済システムの綻びがこのまま行けば顕在化してきかねないとも一部の論客らが指摘する時期)
にあってCERNがせっせとこさえているととれてしまうようなこと ―当サイト内の他ページ、たとえば、[CERNと「次元の扉」開閉の懸念(九一一にまつわる儀式性詳説X)](クリックすることで遷移可能)といったページの内容を参照のこと― があるからである(:他ならぬCERNのセルジオ・ベルトリッチというコンピューター部門の統括者がそうした話と近接する可能性論を示唆して物議を醸したこともある)
 そうした可能性論を ―明示はなしにだが受けてだろう― CERNとトロイの崩壊を結びつけた歌劇を公演した者たちもいる。 Hector Berlioz(エクトル・ベルリオーズ)、ゲーテの『ファウスト』を下敷きにしている歌劇 La damnation de Faust『ファウストの劫罰』でも知られる19世紀活躍の同作曲家に由来するオペラ『トロイアの人々』を[CERNの粒子加速器LHCの模造品を背景]に演じた劇団も存在しているのである(裏を取りたきはインターネットにてHector、Berlioz、CERNなどと入力して検索してみるとよい。当のオペラの舞台の写真も出てくると思う)。

2. 現実にCERNにはギリシャ伝承におけるトロイヤと結びつく側面がある。トロイヤを滅ぼしたのは[黄金の林檎]であるとも言えるが、CERNの実験名称が黄金の林檎の園の所在地に知悉していると神話に伝わる巨人(アトラスという巨人)と結びついているからである ―CERNLHC実験ではアトラス実験グループという大規模実験グループ(及びアトラスの名を冠する巨大検出装置)が大きな役割を果たしている。そこにいうATLASとはギリシャ神話にあってのヘラクレスの11番目の冒険でヘラクレスから黄金の林檎の在り処を訊かれた巨人の名ともなっている。それにつき、CERNATLAS装置によって「蒸発する安全なもの」と実験関係者に表される[極微ブラックホール]の探索をやらせてもいるというのであるから、CERNは[黄金のリンゴ(その王子ガニメデが鷲に略取されたトロイアの陥落の因である神の果物)の在り処を知ることで有名な巨人アトラス]にブラックホールの在り処を訊いている、とも言い換えられる。純・記号論的に― 。

3. 黄金の林檎に端を発する女神らの諍(いさか)い ―上図参照のこと― を[審査役]として収拾した報償として王子パリスがヘレン略取を神に赦され、によってトロイアはギリシャ連合軍の猛攻に曝されることになったわけだが、発端となった黄金の林檎は(ギリシャ神話ならぬ)北欧神話にも登場してきており、そこでは[黄金の林檎]に神に不老不死を与える食物としての位置づけが与えられている。その点、神に不老不死を与える食物は ―再度、ギリシャ神話に戻って― 神酒ネクターであると述べられるわけだが、そのネクターは
[鷲に変じたゼウス神に略取されて天界の給仕者となったトロイアの王子ガニメデスがゼウスを主催神とする神々に給仕しているもの]
だ。さて、私は本図解部の前の段にて次のようなことを述べている。
現在のブラックホール・リスクにまつわる議論の要諦を今より30年前の小説で克明に描いていた作家、そして、同じくもの小説でCERNOPERA実験よろしくの過去への伝送路確保を扱っていもした作家であるジェイムズ・P・ホーガン。その彼が彼の名を知らしめるに至った作品、アーサー・C・クラークの[進化の起爆剤]を扱った小説 ―先に言及の『2001年宇宙の旅』― と同様の伝での粗筋を有している小説でガニメデ(ガニメデスの名を冠する木星の衛星)を作品の主軸に据えているのには何らかの意図の介在がしていうる]。
 などと振り返った上で述べるが、重要なのはジェイムズ・P・ホーガンの小説に見るガニメデと結びつく巨人人種のような[巨人]と[黄金の林檎]の関係である ―直近、巨人アトラスと黄金の林檎の関係に言及したわけだが、その話と結びつく重要なことを続く段にて摘示する― 。

4. 上掲図に挙げたガニメデスの像もパリスの画もフリギア帽 ―赤い三角帽― を被っている(像作成者と画家の趣向ゆえにであろう)。さて、私は当サイトでその紅い三角帽子が[フリーメーソンの象徴]かつ[去勢の象徴]となっていると述べられるだけの歴史的事情を[具体的根拠]と共に挙げている
 とした上で訴求するが、
問題の根はフリギア帽のようなものを[革命]の象徴に、そして、諸国の国章などに描いてきたフリーメーソンのような類である」
ととれる(:調べれば分かろうが[(結局身内同士の殺し合いに発展した)フランス革命]の欺瞞性を継承してのことか、キューバやエルサルバドルやニカラグアのような近代に設立された国家はフリギア帽を国章に描きこみ、アメリカ合衆国内の幾州もが州の印章にフリギア帽を用いている)
 何故、フリーメーソンのような者達が問題の根であるととらえるのか。そうした手合い ―当サイトで告発しているような重要事を陳腐化やその他の手管で台無しにするようなことをやらかしている手合い(サイト公開後、国内でその式で実に腹立たしい想いをさせられてもいる)にして国家寄生新興カルトのようなアライアンス・パートナー込みでのおトモダチの紐帯として多くの無辜(むこ)の人間を圧迫しているような手合い― が重大な犯罪行為に手を染め、我々人類の[生存限界線]を ―(自分たちだけが選民だと何の根拠もなしに愚かに妄信していられる実に心性醜き人類の裏切り者として)― 「規定」させられている節があるからである。もっと言えば、そうした者達の挙動が粒子加速器をめぐる問題やそれとむすびつく巨人の比喩の問題に関わっていると言えるだけの背景事情があるから、である。

 以上のようなことを前提に続く図を挙げる。

 上の図は[黄金の林檎とパリスの審判をあわせて描いたルネサンス期の絵画][CERNのアトラス実験のシンボルのイミテーション]を並列、挙げたものだ。それらにつき問題となることは次の如きことである。

「トロイアの陥落とも巨人アトラスとも黄金の林檎は密接に結びつく ―トロイアは黄金の林檎が因たる諍いに端を発し滅亡し巨人アトラスは[黄金の林檎がたわわに実る黄金の林檎の園について知っている存在(天界の支え人でもある)]として神話上ピックアップされていたといった風に― 。 そうした[黄金の林檎]を作中に頻出するシンボリズムとしていた米国の小説がある(米国で70年代、物議を醸した極めて有名な小説である)。そして、その小説、[アトランティス滅亡につながった蛇人間]などが実にナンセンスな作中設定で登場する荒唐無稽小説の体裁をとる小説が二〇〇一年の九一一の事件が発生させられることの事前言及に供されていたと具体的にこれはこうでと言えてしまうとのことがある(:1970年代に物議をかもした小説、冒頭、ニューヨークはマンハッタンに位置する出版社が爆破される場面から始まる小説が ―ニューヨークことビッグアップルが黄金の林檎に仮託されるような事情ある中にあって― [黄金の林檎]とペンタゴンの体現物とされる五角形を並べるのにこだわった作中設定を有し、かつ、ペンタゴン爆破や炭素菌テロを重要なテーマに据えているといった作中設定をも有しているとのことが観察される)
 について詳しくは、当サイト内の
[「常識の声」へ抗う(九一一にまつわる儀式性詳説IX)] ―クリックすることで遷移可能― 
といった頁で解説しているわけだが、黄金の林檎が九一一の事件と結びついているのはそれだけにとどまらず複線的なパスによって指し示せることである」

「直近、1970年代米国にて物議を醸した小説が ―[黄金の林檎]がニューヨークの比喩とされるような事情がある中にあって― ニューヨーク(マンハッタン)とペンタゴンが標的にされた九一一の事件の発生を事前言及していたとした。そのように述べたうえで言うが、同前言小説 ―洋書原著のマーキングに溢れた体裁から考えてみて執筆小説家らはフリーメーソン関係者であるととれる― はペンタゴンに封じられた異次元生命体が解放されるとの筋立てを有したものでもあった。そこから言えること、それは先の九一一の事件で部分的に崩されたペンタゴンと異次元の比喩が結びつくとの考え(秘教思潮のようなもの)がある、ということである ―筆者がペンタゴンという言葉で日本語でインターネット上で調べてみたらば、実に下らない日本の往年の子供向け漫画(七〇年代から八〇年代にかけて流行った有名漫画)に登場のワンセットの超人の名[ペンタゴンとブラックホール]が出てきた。そういうことを「敢えて」必然の賜物と述べるつもりはないが、アメリカで物議を醸した小説の邦訳がなされたのはつい最近のことである― 」。

「筆者は[九一一の事件は特定の人間らの関与なくしては発生しなかったことだろう]と本サイト内で根拠主導方式にて論じている。
 さて、そうした手合いの上層部が[完全に狂った自殺プログラム]となっていることを風刺するようなSF小説、しかも、[粒子加速器による我々の世界の崩壊の促進させるのに暗躍する自殺プログラム]となっている形にて風刺するような小説もある。それ自体は九一一と関係ない作品だが、その先覚性が問題となるジョー・ホールドマン( Joe William Haldeman )という作家の手による Forever Peaceがその小説だ ―※右小説の邦題は『終わりなき平和』となる。尚、日本では海外ハードSF作品の邦訳版を主として出している版元は僅か二社となっているようで、それゆえ、本記事で挙げているSF小説の出版元は多く同じ会社となるが、私はそうした出版社の宣伝要員などではない。いちいち断るまでもないことだが― 。
 同小説、1997年に世に出た『終わりなき平和』では木星軌道上に据え置かれた粒子加速器が(それによって実現する高エネルギー状態での物理事象ゆえに)[世界崩壊のトリガー]となると描かれ、かつ、そのことを知っていて崩壊を後押ししようという[どうしようもなくグロテスクな連中](小説設定では[神の鉄槌派]などと呼ばれるグロテスクで狂信的な連中)が同じくもの小説作中に登場してくる
 そのように述べると次のようにとられる人間もいるかもしれない。
『フィクションに重きを置くのは妥当ではない。架空の人的・組織的関係などでの話となれば尚更だ。それに小説家ジョー・ホールドマンは物理学を専門に学んだ人間であるようではないか。指摘される小説では粒子加速器とブラックホールの関係こそ取り上げようとはして「いなかった」ようだが、[真空の相転移]の恐れなど粒子加速器を巡る従前懸念リスク(先述)について早くも一九九七年に考えるだけの識見が作者にあったのではないか?』。
 が、私は物事をそうも楽観視はしない。ジョー・ホールドマンが世界の崩壊につながる粒子加速器を小説『終わりなき平和』で据え置いたのが木星の軌道上であり、その粒子加速器 ―(作中設定では宇宙の神秘を探るための装置だなどと現実世界と全く同様のもっともらしい言い訳が用いられる)― を運用する計画を[ジュピター計画](無論、そのような計画は同様のものとしては実在していない)としていることを問題視したいのである。[ジュピター]とは木星の欧文名称にもなっている呼称だが、それは[鷲に姿を変えもするゼウス](のローマ名)のことでもある。過去への伝送路確保をテーマにしたきわめて正確な予見小説を書いたジェイムズ・P・ホーガンの代表作『星を継ぐもの』によってはじまるガニメデ・シリーズとつながる(本図解部の先の段で問題視した)ガニメデスを神話上、略取した[鷲に姿を変えるゼウス]である。さて、九一一前言と関わる黄金の林檎の在り処を知るアトラスに天界の担ぎ人をやらせたのは誰か。それもまた(アトラスのようなタイタンを屈服させた)[ゼウス]である。もっと言えば、九一一の事件が起こった年たる2001年を舞台とする『2001年宇宙の旅』にて月面で発見されたモノリス ―異星人由来の黒い石碑― が通信を始めた方向が木星方向であり、そこから『2001年宇宙の旅』では[ジュピター(ゼウス)・ミッション]という木星行き計画が発動されている(アーサー・C・クラークの小説版と作中設定を微妙に異にする映画版の設定の方にあってだ)。そこにいうジュピター・ミッションは[木星使節]と訳されるところだが、(『終りなき平和』の)ジュピター計画と似たような語感の言葉だし、また、アーサー・クラークの『2001年宇宙の旅』が問題小説『スライス・アポン・ア・タイム』をものしているジェイムズ・P・ホーガンの代表作、ガニメデ・シリーズと複線的に結びついていることは既述のことだ。と、考えれば、ジュピター(ゼウス)計画の名称使用の背景にはそれ相応の力学が介在していると考えても[行き過ぎ]にはならないだろう。そして、それは小説作中でジュピター計画を完遂させようとしていた者たちのような[現実世界での人類の裏切り者達]への操作の問題にも深く関わる力学だと考える余地がある ―のようなことにも当サイト内の他ページで触れているし、根拠の面で不十分極まりないここでの話の信憑性を高めるだけのことを本記事中の後の段にて書く― 」

 以上、
CERNが過去への通信伝送路を確保する技術につながるとも指摘される実験(ニュートリノを光速以上にして飛ばそうというOPERA実験)を行っていることブラックホールリスクを巡る現況そのままの論議を克明に描いていた30年以上前の小説 THRICE UPON A TIMEが存在していることの奇怪きまわりない関係から何を見てとれるか」
ということについての(枠線にて囲った)図解部を終えることとする。それにつき、話が「あまりにも複雑」とあいなってしまった感もするが、そうも反省する中で述べれば、
「触れるべき多くのことを脇に置いてのここでの図解部だけでは(筆者筆力の問題もあり)[問題の本質]が見えなかったという向きにも(本論に戻っての本記事の)残りの部を真摯に精査いただければ、ここ図解部で何を問題視しているのかお分かりいただけるだろう、と言えるだけの話を以後、展開していくつもりである」

(極めて長くもなった図解部を挟んで本題に戻り「(先に挙げた)可能性3を入れざるをえない」理由を列挙していくとの話を続け)CERNのLHC実験が実施されるうえでの一つの「名目上での」目的になっているのはヒッグス粒子の探索だが、そのヒッグス粒子につき2011年に発表された著名な論文 ―911に伴う異常無比なるところなどを訴求すべく当サイトを公開した時にはまだ世に出ていなかった論文だろう― で[ヒッグス粒子は過去に遡行する性質があるのではないか]と取り上げられだしたことも問題となる(ややこしくも聞こえるだろうが、[OPERA実験で俎上に挙げられたニュートリノを加速させての過去への伝送路確立と結びつく話]と[ヒッグス粒子の過去に遡行しうる性質の話]はまた別のこととなる)
 より具体的には2011年、 Causality-Violating Higgs Singlets at the LHC(『LHCにての因果律侵襲性ヒッグスシングレット』とでも訳すべきか)との論文が ―米国ヴァンダーヒルト大学に奉職する学究らに由来するものとして― 世に出、同論文がヒッグス粒子の時を逆向きに遡行する可能性を(所詮は仮説にすぎないも)問題視していることをもってCERNLHC実験 ―ヒッグス粒子探索を目的として掲げている実験― とジェイムズ・ホーガンの小説スライス・アポン・ア・タイムの濃厚なる関連性が ―およそ人間業とは思えぬ側面から― より一層、際立ちもするのだ(:同件については英文wikipediaの[ THRICE UPON A TIME ]項目にあっての[小説『スライス・アポン・ア・タイム』の先見性記述の部]にて私が教えられたこととなる。教えられたこととなるのではあるも、その際、脳裏をよぎったのは過去にも次のようなことがCERNのLHC実験に関しては取り沙汰されていたことがある ―wikipediaには書かれていなかったことと思われるが取り沙汰されていたことがある― ということである ⇒「 Niels Bohr Institute(ニールスボーア研究所)の Holger Bech Nielsen氏と京都大学基礎物理研究所の二宮正夫氏がヒッグス粒子の発見があまりにも自然の道理に反するためにLHC実験が未来からの修正力に晒されて実験が停止した可能性について持ち出したと報じられている」。この際、馬鹿げている/馬鹿げていないの話は脇に置いておいて、「とにかくも」、のこととしてである)

・上記の可能性3(極一部の人間に粒子加速器をめぐるリスクの認識があり、そのリスクの認識を受けてのものとしてSF作家が先覚的言及をなしていたものの、そこには、およそ常識ではとらえがたい力学の介在「も」あったとの可能性)を真なるところと支持する最大の理由として次のようなことがある。

2001年に起こった九一一のかの事件が起こされることを事前に予告していた、しかも、露骨に予告していた作品 ―映画/アメリカンコミック― が何作も何作も(異論を許さぬ形で)存在しており、その告発をなしている向きも海外で現われてきている(※)
(※それにつき遠慮会釈なしの明言をなせば、はきと指し示されている[事実]を不存在と否定するのは狂人だけだろう。また、容赦なくもの明言をなせば、そうもしてはきと指し示せる[事実]がわれわれ全員を殺す方向を色濃くも指し示しているのならば、それを見て見ぬふりして無視した者らは無残に殺されても一面で文句は云えぬような臆病者ということにもなるだろう。自身と自身を含む人類がどうしようもない狂人と臆病者らの御蔭で最期を迎えることになるのには遠慮つかまつりたいと明示したくも述べるのだが。 ―尚、万人を救いうる真実を流布するのを邪魔した者ら/知っていて死地を整えた者らは(矯激な物言いととられようも)[誰にとっても赦しがたい人類の裏切り者]とあいなるだろうが、そうした類のことはとりあえず置いておく― )
 さて、そうもした二〇〇一年九月十一日に起こった事件の前言作品の中に次元の接合(あるいは[事象の地平線のこちら側での具現化]とでも科学的に言うべきか)を扱ったものが含まれていた、ということがある(当サイト内の[CERNと「次元の扉」開閉の懸念(911にまつわる儀式性詳説X)]と題した頁、[問題意識の所在―10―]との見出しで書き出している頁を参照のこと)
 そのような[事実]につき明言したうえで述べるも、そうしたことが存在している背景には「それなりの思惑がある」と推察すべきであろう ―について細かくは当媒体の中の[問題意識の所在]と題したカテゴリ全般を精読いただきたい。そこにてのキーワードは先の図解部にても名を出した[アトラス]である(同アトラスは(当方が元LHC実験関係者より直に確認したところ)今は去ること1992年のLHC実験長期計画策定段階にて実験プロジェクト名にATLASとして付された名ともなる)― 」

 以上が私が可能性3を容れざるをえないとする理由の一部となる。それにつき、最後の理由(部分的なるものとして挙げたもの)についてはその響きのより一層の奇矯さから呈示参照先を検討いただかなければ手前物言いが事理に適うものなのかご判断・ご納得いただけないところだろうと見るから ―なぜだか人目に付きがたい本媒体がいかほどの数の方々の目に触れるかはわからないが― とにかくもって閲覧を推させていたただいている当媒体内の問題とする箇所の適否を眼光紙背に徹するといった厳しき形にてご検討いただきたい。

 としたうえで整理のために改めて述べれば、

今より三十年前のSF作品に粒子加速器をめぐるブラックホール生成リスクに関しての議論の機微が克明に描かれていたという事実「と」2000年前後を大きくも遡る形でブラックホール生成リスクをめぐる議論の萌芽期を確認することができないという関係者証言が併存している件]
につき

可能性1:(当方が直に知りうる限りのところを聞かせてもらった)実験当事者が把握しているところに限界があるのか、(故意の有無はさておき)、実験当事者らが偽りをなすこととなってしまっていた。もっと言えば、リスクは密やかに極一部の関係者にかなり前より知られており小説家がたまたまそのことを「細部に渡って」知る立場にあった。

可能性2:実験当事者でさえ予想だにしていなかったことを三十年前の小説の作者(ジェイムズ・パトリック・ホーガン)が普通では考えられない先覚性をもって予言した。

可能性3可能性1可能性2の折衷として極一部の人間に粒子加速器をめぐるリスクの認識があり、そのリスクの認識を受けてのものとして小説作者が先覚的言及をなしていたものの、そこにはおよそ常識ではとらえがたいような力学の介在「もまた」あった。

のうちの可能性3が真なるところだろうと考えられる

との根拠をここに至るまで述べてきたわけである。そのように確認をなしたうえで次のようなこと、α.およびβ.と振ってのことを問題視したい。

α.[過去へ遡行する通信にまつわる実験(CERN関与のOPERA実験)が実施されることが1980年頃には到底想起されるようなものではなく、同じ伝で2011年になってからヒッグス粒子にまつわる過去への遡行性を扱った論文が登場したことも言うに及ばないのなら(1980年に想起されたはずがないのなら)、1980年刊行の小説 THRICE UPON A TIME「と」研究機関CERNがそうした要素(過去への通信)およびブラックホール人為生成の話を共有していることがいよいよもって「出来すぎている」とのこととなる。それについては ―我々全員を殺したうえではじめて制御下に置ける、というより、我々全員を殺すことがはなからの入手の与件になっている「とも」思しき― ブラックホール制御技術が本格的タイムマシーンなどを実現させるものになると考えられる、ということもある](:尚、フィクション上では[過去への通信]が問題にされたことに関しては他例もある。たとえば、『スライス・アポン・ア・タイム』と同じくもの1980年の作品だが、一卵性双生児の作家の片割れ、グレゴリー・ベンフォードがものしたTimescape『タイムスケープ』、時間を遡行するタキオン通信 ―タキオンとは仮説上の粒子で光よりも早く動くものと考えられている― に触れた同作などがそうだ。であるが、[ブラックホール生成実験実施機関と揶揄されるCERN]が現実世界で行っている実験 ―OPERA実験― が[ブラックホール人為生成を巡る現行の問題をリアルに予測(その通りになっている形で予測)し過去への通信をも扱っている小説を追認しようとしている]となると話はたかだかフィクションの問題では済ませられなくなるのは論を俟たない。よくても実験関係者が世間に同点についての説明責任を果たして然るべき問題となるのは論を俟たない)

β.[二〇〇一年に起こった九一一の事件の発生をずいぶん前から言及している作品群が ―信じがたいことながら― 実在しており、そうした作品群の一部にて時空間の接合が描かれており、そのための手段が[ブラックホール(と近縁のワームホール)の生成]と言えもするのなら、そして、そうしたことが「内側から崩された様が欧米文学源流にあるギリシャ古典で描かれるトロイア破滅の因となった」黄金の林檎を介してCERN実験と結びついているのなら、それもまた ―話の性質がいかにエキセントリックでも客観的に述べられることである以上― 問題としなければならないことであるはずである](:CERN実験が[黄金の林檎]の在り処を知ると神話にて語られる巨人(アトラス)と結びついていることが[事実]であるのなら、先の九一一の事件の事前言及作品らが(前言そのものの形態との兼ね合いで)[黄金の林檎]と結びついているのもまた[事実]だ。当サイト内ではきと指摘していることなどを参考にご自身でそうも言えてしまう理由となっている事物について直に確認されてみればよい ―[誰でも確認可能な事実に基づく具体論]のみが我々を唯一救いうるものだと考える人間として私は(役者としての陰謀論者がこととするような)[確認不可能な話]はしないこととしている― )

 現実と向き合うか向き合わずに運命を認諾・認容するか。各自が決めるべきことだろう。につき、少なくとも私は ―現状と結果がどうあれ― (主観の問題としては)「黙って死ぬ気はない」としたうえで話を続ける。さて、以上の話と複合顧慮すべきことがある。それが以降述べていくこと、カート・ヴォネガットの小説から導き出せることである。

カート・ヴォネガットの小説から導き出せること

 本記事の先の段で粒子加速器によってストレンジレット ―ブラックホールと並ぶ危険因子と定置されている仮説上の粒子―  が生成されるとの懸念があることについて取り上げた。その折、事情通にストレンジレットの凝集体に我々の世界に変えられるプロセス(ありうべきところとされるプロセス)がアイス・ナイン(ice9)と呼ばれていること、そのアイス・ナインとの言葉の由来が著名な小説家カート・ヴォネガットの小説『猫のゆりかご』にある、とのことにもあわせて「一言だけ」言及していた。

 と、振り返ったうえで問題としたきは、だ。カート・ヴォネガットが『猫のゆりかご』に先立つこと、4年前に、
The Sirens of Titan『タイタンの妖女』(1959年。文学的嗜好がある向きの間ではよく知られた小説)
を世に出していることである。同小説、『タイタンの妖女』については当サイト内の
[巨人の象徴物(九一一にまつわる儀式性詳説V)](クリックすることで遷移可能)
との頁で述べているように(同じくもの)カート・ヴォネガットの最後の長編小説『タイムクエイク』と複合顧慮することで九一一の事件を起こすことの事前言及作品であると述べることができる(:一九五九年に世に出た『タイタンの妖女』はそれ単体では九一一の事前言及作品と述べることはできないものだが、同小説とヴォネガットの他小説『タイムクエイク』を合わせて見ると『タイタンの妖女』は[九一一の前言およびその背景にある思考法の言及小説]へと変貌すると言える。複雑な話ともなるので理由については上にて挙げた参照ページ内容をご覧いただきたい)

 さて、そうもした The Sirens of Titan『タイタンの妖女』ワームホール(時空間の結節点)の概念が提唱されてから間もなく世に出た作品であったのにもかかわらず、そして、土星の衛星タイタンに人が住める環境があるなどとの設定を導入しているなど真摯な科学考証とは一切無縁の小説ではあったのにもかかわらず、興味深い[空想上の時空間ゲート]を描いた小説、作中呼称で述べるところの[時間等曲率漏斗(Chrono-synclastic-infundibulumクロノ・シンクラスティック・インファンディブラム)]を描いた小説であった。とした上で話を進めて述べるが、その[空想上の時空間ゲート](時間等曲率漏斗。作中、極めて重きを与えられている存在)の終端部は何故をもってなのか、ベテルギウス(Betelgeuse)とされている。当方はベテルギウスが[双子]といった言葉と結びつくとされる天体であることも重視しているが、ここでもって「とりたてて重視すべきは」同ベテルギウスが[ブラックホール]と結びつくことである(:赤色矮星(訂正:赤色巨星)Red-dwarf(訂正:Red-supergiant)たるベテルギウスの近々起こり「うる」とされるスーパーノヴァ、超新星爆発によっての想定される末路はブラックホール化であるともされている ――追記として:軽侮冷笑を買おうとの基本的な誤記があった。先に[赤色巨星ベテルギウス]を赤色矮星などと誤記していた。につき、言い訳がましいこととは承知の上で述べるが、「拙速に傾きすぎた中で事後確認をおろそかにしていた」ことや「ホワイト・ドワーフこと白色矮星を重視しているとのLHC実験関係者の著名報告文書の内容確認に注力していた中で混同が生じた」といった中での誤記となっていた―― )。
 何故、ベテルギウスがブラックホールと結びつくことを重視するのか。
 話がようやっと本記事本題とつながることとなるが、『タイタンの妖女』、20世紀アメリカ文学に燦然(さんぜん)と輝く名作であるなどと文化人に評されてきた同作に[人類育種の究極的目的]がブラックホールであると匂わせるような側面、人間業ではないように指し示す側面があるからである。

 「馬鹿な」「信じがたい」「そんな話は聞いたことがない」。それが大方の反応だと思われるが、先をお読みいただきたい。

 その点、 The Sirens of Titan『タイタンの妖女』 ―表向きにはフリーメーソンのような類ひいては人類がどんなに愚かなことでもやらされるよう操作されているのを(滑稽な筋立てのなかで)皮肉った小説ともとれるがそれだけでは済まされない作品― にあっては作者(カート・ヴォネガット)が生み出した[空想上の宇宙人(トラファマドール星の住人)とその代理人(サロSaloという名を有するロボット状のソレで土星の衛星タイタンにて足止めをくらっている存在)]が人類の歴史を操作してきたとの作中設定になっているのだが(:万里の長城がトラファマドール代理人サロと母星との連絡用にこさえられたとかそういった風に)、そうした人類操作の究極目的が
[人類文明の発展によって途中停滞を強いられた惑星間航行のための宇宙船代用部品を確保することであり、もっと言えば、トラファマドール星人が[小さなドット・マーク(a-single-dot)がひとつだけ書かれた親書]を他惑星に届けんとするためだった]
とされている(右のように要約それだけを見る限りナンセンス小説の域を出でぬようにとられるだろうが、そんな中にあってさらに述べれば、『タイタンの妖女』の作中設定では[小さなドット・マーク]はトラファマドール語で「よろしく」との意味を持つ記号であるとされている)

 ここで考えなければならない。カート・ヴォネガットのような類 ―私の私見では九一一の事件の前言さえさせられもしていた[大した操り人形]である― がきわめて意味深き小説で何故、人類育種の究極的目的を
「突き詰めて行けば、小さなドット・マークひとつ(よりなる親書の伝達)]にすぎない」
などと描いていたか、をだ(:くどいが、[・]という本サイトこの場にて持ち出しているドットマークが原寸大で人類育成の長期的目標になっているなどとされているのだ。文化人といった人種がそこに込められた[皮相な諧謔(かいぎゃく。ユーモア)とペーソス(哀歓)のハーモニーの妙]だけをもって絶賛してきたアメリカの代表的文学的作品の一で、だ)
 その答えとして私が[最もありうべきこと]として呈示するのが、
小さなドット・マークひとつが極微ブラックホールのかなり忠実な比喩だからだろう
ということである小さなドットマーク程の特異点 ―重力の井戸― があれば地球は終わりを迎えるだろう。冗談抜きに言えることとして、だ。そして、その極微ブラックホールを構築するだけのメリットも確かにある、と言えてしまうだけの事情がある⇒当サイト内でも[CERNと「次元の扉」開閉の懸念(911にまつわる儀式性詳説X)]と題したページにてそういうことにつき多少、触れている)
 が、などと述べても非事情通よりは
『それはこの男の一主観による物言い(あるいは正気の沙汰とは思えぬ妄言の類か)にすぎない』
との誤解を招きかねないだろう(当たり前だが)。が、次のA.からE.の事由に相対し、のような観点を固守し続けられるのは
[具体的根拠を ―己の狭い了見を超えては― 容れられないだけの心性を有した者](漢字二字の表現は用いない)
だけだろうと言ってしまって構わないだろう(と自身の矜持に賭けて述べる)。

[小説『タイタンの妖女』がその実のブラックホール生成目的を吐露したものであるととれるだけの根拠 ―以下、A.からE.にて呈示― ]

A. カート・ヴォネガットが『タイタンの妖女』を作成した時代(1959年)には ―同じくの重力の妙技ともいえる構造体に対するワームホールという言葉はすでに生まれていたのだが― ブラックホールという呼称さえ確立されていなかった(:ワームホールは1957年にジョン・アーチボルト・ホイーラーの命名によってすでに生まれていた言葉となる。対し、[ブラックホール]という言葉は同じくものジョン・ホイーラーがそれまでの[コラプサー(崩壊させるもの)]という用語を1967年に同語(ブラックホール)をもって表するまで存在していなかったとされる ―※ちなみに、ブラックホールに「近似する」概念、[光さえ逃がさぬ重力強き場]は18世紀に John Michellジョン・ミッチェルという学者(および[ラプラスの魔物]で知られるラプラス)に観念されており、その折の呼称は Dark Starであったとされている。同ダーク・スターはアインシュタイン的空間の歪みの理解に基づいたものでなければ(今日のものと全く異質なもの)、当時の科学コミュニティに間を経ずに否定的に見られるようになったものだが、一応、述べておくこととして、である― )

 そんな時分にあって、しかも科学考証をきちんとなしていない作家であるカート・ヴォネガットが[極微ブラックホール]の比喩を『タイタンの妖女』作中に込めていたとの観点は確かに馬鹿げたものと聞こえるそれについてはカート・ヴォネガットが一流の科学者であるか、カート・ヴォネガットがそうした科学者からアイディアを部分的に得る立場にいたとしても話はさして変わらないだろう(いいだろうか。[小説作中の人類の養殖目的たる異星人の小さい黒ドットマーク]がその実、[極微ブラックホールの比喩]だったという観点は小説刊行時が1959年であったというのなら ―往時の科学的知見の有りようを顧慮して― 何をやっても普通では導き出せないことであるととらえられるのだ。尚、マイクロブラックホールがサイエンス・フィクション上のガジェット(小道具)として[人類に破滅をきたすもの]としてはじめて登場してくるのは1970年代中葉 ―ヴォネガットの問題とする小説の刊行からおよそ15年から16年後― の[重力の研究を専門とする物理学者(ロバート・フォワード)]がアイディアを提供していたとされるラリー・ニーヴンという作家の手による『ホールマン』という短編作品からではないか、と筆者は考えている。精査を続け得た知見によってである ―ただし、サイエンスフィクションの裾野は非常に広いので、後、訂正をなす可能性もある― )

 が、上はあくまでも常識に則っての話となる。としたうえで(「もはや」付きで)誤解を招くことをおそれずに[非常識極まりない領域]に分け入って述べれば、
「カート・ヴォネガットが
[意識的にか、無意識的にか、およそ、人間業ではない外力に曝されて、おのれ自身に由来しもしないことを口走っていた類]
であるのならば話は別とあいなろう」
と考えられる。

 フリーメーソンにそういう状況と結びつく類が多いとの論調が最近、「欧米圏で」唱導されるようになってきているが、[憑依]や[お筆先](:お筆先とは神秘家の類 ―神秘家など唾棄すべき人種だろう― がよく持ち出すそれで自動筆記などとも評する)ないし主要宗教を込みにしての一切合財の妄言体系と言うべき宗教の中でも確立された用語となっている[異言](:いげん。グロソラリア。いきなり外国語を解せぬ類がその言葉を不自然に話はじめたといった馬鹿噺(ばなし)でよくも引き合いに出されるおかしな言動)のようなものをこととする輩がカート・ヴォネガットだったととれば「話は別」となろうと考えられるのだ。
 そして、そのような話、神秘家といった人種の専売特許となっているような類の話が[現実に適合すること]であるととらえるだけの材料がある(:尚、私は[憑依]や[お筆先]や[異言]といったことにつき考えざるをえない人間がこの忌むべき世界には実にたくさんいると考えている。[自然法則に合致せぬ超自然的なもの]など何一つこの世界には存在しないと考え、[超自然的なるものがあると見せるような力学]を妄信し畏れ敬ったことなど生まれてこのかた一切なき私自身はそういった特性を身をもって体験することなどとは無縁であるが。 ―私はすべては科学で説明ができると信じている― )
 などと述べても、常識人には
『この男、いくら言葉を飾ろうとも、何も変ええない、むしろ、世の中の害になるだけの妄言・愚論を拡散させるだけの神秘家の類ではないのか』
と思われるのが落ちであろうから、誰が見てもその伝でのこと ―常識では説明がつかぬ外力が意識的あるいは無意識的に人間存在に働きうるとのこと― があると言わざるをえぬ根拠を示すべくの話をなすこととする([視覚的な根拠]に依拠しての根拠主導方式のものとしてなすこととする)。下の図解部をご覧いただくとよい(尚、直下図解部取扱いのルネサンス期画については当サイト上の蛇紋様にまつわる奇怪性(二重螺旋構造篇) ―クリックすることで遷移― とのページでも問題視をなしている)。



 上の図解部にて述べたような力学の介在あってカート・ヴォネガットのような輩が
[ベテルギウス(ブラックホール化が取りざたされもする赤色巨星)を終点とする時間等曲率漏斗に重きを置く小説]
でもある『タイタンの妖女』(:原題はザ・サイレンズ・オブ・タイタン The Sirens of Titan/20世紀米国文学にあっての金字塔などともてはやされたりもする作品)にて
[人類育種の究極目標がたった一つの小さなドットマークだった]
などと「極微ブラックホールとの絡みで」言わせられていた、と見ることは理に適っていると考えられる(続くB.からE.の流れも併せて読まれるとよい)。

B. 先にて言及したことを繰り返すが、
「『タイタンの妖女』は[同じ作者の他小説(『タイムクエイク』)]とあいまって九一一の事件の事前言及作品となっている」と述べられる(:については当サイト内の[巨人の象徴物(九一一にまつわる儀式性詳説V)]とのページを参照されるとよい、と先の段にて述べている ―お忘れの方か把握し損じている方は印刷しながらでも本記事を読みなおしてみればよい― )
 さて、『タイタンの妖女』が他作品とあいまって九一一の事件が起こる前からの前言に供されているとの話が真なれば、である ―私としては参照元として紹介している当サイト内のページにて記述していることより「それは真なり」と声高に訴えたい― 。上にて述べたこと、[カート・ヴォネガットがそれ相応の操り人形だったとの話]の説得力はより一層高まるうえ、さらに言えば、『タイタンの妖女』にどんな隠喩 ―ここでは極微ブラックホール生成絡みの隠喩を想定― が込められていてもおかしくはない、との話の説得力も当然にして高まることになる。それについて(本記事内では初言及だが当サイト内の他所では細かくも論じていることをも交え)さらに述べれば、
カート・ヴォネガットの揃いも揃って九一一の前言に供されていると言える小説作品、『タイタンの妖女』と『タイムクエイク』の二作がマンハッタン計画の話とも(九一一との接合性の話を介しもし)結びつくようになっており、そうしたことの延長線上にブラックホールの比喩があるととれるようになっているとのこともまたある
のだ ―※(当サイト内の右の話についての言及部を読んでいないのなら当然にしてそうなると思うが)何を言っているのか分からないというのならば、[巨人の象徴物(九一一にまつわる儀式性詳説V)]と題した当サイト内の他ページを参照いただきたい。そこではマンハッタン計画の技術分野を主導したロバート・オッペンハイマーがブラックホール理論の旗手であったことなども込みに多くが不快にも「結線」するように出来上がっていることを深く、かつ、細かくも論じている― 。

C. ブラックホール生成が問題となっているCERNLHC実験だが、同実験によって生成されれば、[我々、人類の最期につながりかねない物質]としてストレンジレットという仮説上の粒子もが(ブラックホールと並び)取り沙汰されていることについては本記事前半部で言及した。そのストレンジレットの考えられる害はアイスナイン(ice9)と呼称されているが、(本記事前半部で述べたことの再言となるも)、そのアイスナインの由来はカート・ヴォネガットの小説、『猫のゆりかご』に出てくる[常温で存在する氷]である。とすると、カート・ヴォネガット小説に人類育種の目的が現われている可能性があると気づいた向きらが警世の意味を込めて、あるいは、最悪、愚弄の意図をもって、(『猫のゆりかご』よりも『タイタンの妖女』の[小さいドット]のほうが ―極微ブラックホール絡みで― 問題であるところを)、わざわざもってカート・ヴォネガット小説『猫のゆりかご』からアイスナインなどという名称を敢えて引っ張ってきた可能性があるとも考えられる。

D. ブラックホールを飼いならすブラックホール工学の精髄を窮めることは死すべき定めを負った生命体が[神の如く境地]([究極のコンピューティングの実現]や[時間の操作や時空間の法則を無視した移動]や[エネルギー問題の解決])に至る途であるとする科学系の論客 ―本業は理論物理学者や発明家といった向き― が20世紀後半より米国にて少なからず注目を集めているとのことがある。そうした科学系の論客らの物言いに真なるところが含まれるのなら、人類を[破って捨てる科学実験用のゴム手袋]にして利用する(してきた)だけの理由があることになるともとれる。

E. 本記事の先の段にて述べたことを繰り返すが、九一一の事件 ―カート・ヴォネガットの問題とする小説での前言対象ともなっていた不審事で溢れた事件― の前言作品の中には亜空間との扉を開くとのものが含まれている。亜空間との扉はブラックホール(やその近縁種のワームホール)となるとは普通に想起できることである(それにつきピンとこない、という方は当サイト内の[CERNと「次元の扉」開閉の懸念(911にまつわる儀式性詳説X)]とのタイトルのページ ―[問題意識の所在10]と題して始めている頁― をお読みいただきたい)

 以上、A.からE.をもって
[カート・ヴォネガットの小説『タイタンの妖女』がその実のブラックホール生成目的を吐露したものであるととれるだけの根拠]
とした。によって、カート・ヴォネガットの小説のようなものでさえもが本記事の主題と深くも結びつくことが ―少なくとも真摯な読み手には― おわかりいただけることか、と思う。


 著名作家カート・ヴォネガットの小説作品『タイタンの妖女』につき本記事で述べてきたことを極々端的な形にて指し示せば、
[上図のとおりのもの]
となる(:図に見る関係が真なりと傍証する材料にも事欠かず、については、本サイト内の他所にて詳説している)。

 ここまでで
LHCの如き粒子加速器とブラックホールの関係が問題となりだした始原期]
を専らに問題とした本記事で訴求すべきことを訴求したと考えている。その点、真実を知った上で一人でも多くの人間が何をなすべきかをよく考えるべきだろう。そういう局面に来ていると私は考えている。

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 一読でお分かりいただいているだろうこととして当記事は相当な文量を有する記事、かつ、極めて入り組んだ内容の記事となっている。
 ゆえに、本記事の「遺漏なくもの」完全な理解を期すといった向きには
印刷をなしたうえなどでのじっくりと向き合える環境下での精読
を推させていただきたい(:そのうえで(批判目的でもいいので)オンライン上のまともな英文媒体群に当たる、取り沙汰した書籍を一読してみるなどしての[記事内言及事実]の真偽確認をなしていただければ筆者冥利に尽きるというものである)。


補説(とどまることなき[粒子加速器実験出力上昇]を憂えつつ補説を付す)

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当記事本論部をきちんと読了された向きを想定しての」後の日にあっての追記として

 (ここ脇にての追記部から見ての) 当記事の本論部にては

[CERNのLHC実験の想定されるところの帰結](粒子加速器によるブラックホール生成)

につき尋常一様ならざる先覚的言及]が存在する、すなわち、加速器によるブラックホール生成可能性が取り沙汰されだすことになったのより「相当」前から[極めて正確に後の議論の状況を描き出していたとの先覚的言及]がなされているとのことを取り立てて問題視していた。 

 そうした問題視をなしていたとの当記事本論部(ここ後の日にあっての脇にての追記部から見ての本論部)ではまた次のようなことらをもまた問題視していた。

当記事本論の部を熟読していなければ、理解なぞ及ぶところではないだろうとも考えているところの本論部「既述の」訴求事項として

LHC実験に関しては
[トロイア崩壊にまつわる神話] (:オデュッセウスが用いた木製の馬による奸計の結果として崩落した城砦にまつわる神話)
との連続性が見て取れる、とのこと「も」ある。
 現行、LHC実験はアトラス実験(で使用される検出器ATLAS)によってブラックホールを探索しているとも銘打たれるに至っているわけであるが、そのことが

「アトラス実験の名の由来となっている天を担ぐ巨人アトラス、そのアトラスがその場を知っているとギリシャ神話が語る[黄金の林檎の園]にたわわに実る[黄金の林檎]というものがそもそものトロイア戦争勃発の因となっている」

との文脈で[加速器実験][その住人がたばかられて皆殺しにされるトロイア戦争(の原因)]とを結び付けていると述べられよう格好となっていたりする。

(:といった話の中で ―「穿(うが)ちすぎである」との批判をよくも事情を把握していない向きにはなされうるか、とも考えているところなのだが― 当記事本論部では
鷲(トロイア戦争の影の仕掛け人ともされるゼウスが変じた鳥類の鷲)による略取の象徴主義と結びつくトロイア城砦の王子たるガニメデス(:ギリシャ神話上で[黄金の林檎のように神々に不死を約束する飲料たるネクターの給仕係]に取り立てられるべくも鷲に変じたゼウスに略取された存在)
 および
小説・映画作品たる『2001年宇宙の旅』(:事前言及小説を記した作家のガニメデ・シリーズと濃厚に結びつく小説)
 および
『2001年宇宙の旅』と結びつく現実のアポロ計画関連で目立って用いられた特定フレーズたる「鷲は舞い降りた」
 および
CERNによって現在、実施されているOPERA実験(:[鷲は舞い降りたとの題の大ヒット小説と結びつく史的大事件が発生したグラン・サッソ山地で実施されている実験]にして[「問題となる前言小説と同様に」未来から過去への通信技術をもたらすかもしれぬとされる超光速(ファースター・ザン・ライト状態)でニュートリノを飛ばそうと試行する実験])
らを結節点にして、
粒子加速器によるブラックホール人為生成問題につき際立って正確な事前言及をなしている1980年刊行の THRICE UPON A TIMEの作者ジェイムズ・ホーガンの小説作風 ―トロイア城砦の王子ガニメデスと結びつく巨人を執拗に重視していたとの作風― 
に関して問題となるところについても論じていた )

・カート・ヴォネガットという作家の小説『タイタンの妖女』(1959)にはブラックホール人為生成問題との絡みで着目すべき側面が伴っている。

 以上のようにそれらについて「も」当記事本論の部にて言及していたとのことらにつき、
述べそこねていた結び目となること
があるのでその点についてここ脇の追記部にて記しておきたい、と思う。

 長くなるが、以下、枠で括っての部の内容の検討を心ある読み手には請いたいと考えている。

 ここ脇にての追記部にあってはまずもって

『2001年宇宙の旅』(加速器ブラックホール生成問題の事前言及小説たるスライス・アポン・ア・タイムの作者作風と結びつくと当記事本論部にて述べた小説・映画)および『タイタンの妖女』(それ自体が事前言及小説となっている節があると当記事本論部にて述べた「他の」有名作家による有名小説)の間に「も」深い深い相関関係が成立している」

とのことがあることを問題視したい。

 ご自身の足元を眺めて見てみる勇気を持っているとの向きには下のI.からIV.の各点をまずもって参照・把握いただきたい次第である。



 以上のI.からIV.をもってお分かりいただけることか、とも思うのだが、

 トロイア城砦を内破させしめたオデュッセウスの物語(叙事詩『オデュッセイア』)を介してのものとして、

2001年宇宙の旅』(粒子加速器ブラックホール人為生成事前言及小説作者作風と結節する作品およびタイタンの妖女』(それ自体が事前言及小説となっている節がある有名作家による小説の間にあっての際立っての接合点]
が存在する

と摘示できるのである ―[容易に指し示せる事実]の問題として、である― 。

 さて、以上指し示したところで述べるが、次のことらαアルファからγガンマをも ―当記事の本論部で問題視していなかったこととして― あわせて問題視すべきであると考えている。

α.トロイア城砦を内破させるとの奸計を考案したオデュッセウスの物語を介して『2001年宇宙の旅』とはきと結びつくと直近指し示した有名小説『タイタンの妖女』(1959)がブラックホール人為生成問題に関する先覚的言及 ―ブラックホール人為生成などおよそ観念されるところがなかったろう1950年代にあっての先覚的言及― をなしている小説であるとのこと、そのことにつき述べているのが当記事にあっての本論の部であるが、そのように問題視している『タイタンの妖女』の作者たるカート・ヴォネガットは
Slapstick『スラップスティック』(1976)
との小説をものしてもいる。
 その『スラップスティック』、次のような特徴的なあらすじを有した作品である。

「ロックフェラーの血統にあるとの男女一対の双子 (補足:ワールド・トレード・センター、双子の塔たるツインタワーらもロックフェラーの人間らの推進によって建造されたものである ―和文ウィキペディア[ワールド・トレード・センター(ニューヨーク)]項目にもデイヴィッド・ロックフェラーは1950年代後半よりマンハッタン各地で数十ブロックを丸ごと刷新する計画を進めていたが、同時にローワー・マンハッタンでワールドトレードセンターを建造する計画を構想、同計画をニューヨーク港湾会社総裁に提案することとなったと[史実]として解説されている― ) が双子がそろってその場にいる時に
[他に見苦しいと映る行為]
を介して結合する(両者の頭脳を結線させる)。
 それによって天才的な閃きが双子の間に生まれ出ずることになる。
 といった双子の結線によってもたらされた技術が中国に転用されて(小説作中舞台では)世界中の重力が時間帯によって極めて強くなることがあると描かれている。そのような重力が強まったりすることもある異常なる世界で男女一対の双子の男の方の片割れが粒子加速器の遺構(作中、発見者から名を取って[フーリガン]などと呼称されるに至っている遺構)を用いて死別したもう片方の双子の女のいる[あの世]の領域と[この世]を繋ぐことをする

(以上のとおりに要約できる粗筋を有した作品かどうか疑わしいとの方には『スラップスティック』を手に取られて読されてみることを薦める)

 その点、当記事本論の部にてカート・ヴォネガット他小説らが九一一の事件の前言を含んでいると(委細を当サイト上の他所に譲って)述べはしたが、そのことが『スラップスティック』の上記のとおりのあらすじに見る[ロックフェラーに由来する双子]と結節するように見えることからして不気味であるとのこと「も」またある(:双子の塔と訳されるツインタワーがロックフェラー財閥の人間の関与によって生み出された建造物(往時、世界一の高さを有していたビル)であるがためヴォネガット小説の九一一の事件と係わる特質との絡みで不気味であると述べるのである)。

 しかし、ここではそのことは置き、次のことを取り立てて問題視したい。

「『スラップスティック』では双子が結合することで地球中の重力を強くする装置のアイディアが生み出されたとされるが、そもそも[重力]というのは検出することも容易ならざる非常に弱き力である(とされる。調べてみればすぐにご確認いただけようか、とも思うのだが、重力波を検出することだに人類のテクノロジーではままならぬこととされている)。
 そのようなものである重力を地球規模で強くする装置、地球規模で人が立てなくなるほどに強くする装置となると[ブラックホールのような異常に重力強きもの]のことが印象論としてながらも想起されもする。
 それと同じくもの伝で次のようなことも問題になる。
⇒ カート・ヴォネガット小説『スラップステッィク』にて[立っていられないほどに地球規模で重力を強くするとの装置]のアイディアを産み出したとされる[双子の結合]だが、その[双子の結合]が一方が死別した後に再び[粒子加速器]遺構を介して実現されるなどと作中にて設定づけさせられていることは[不自然極まりないこと]であると同時に[加速器によるブラックホールの人為生成]のことをも想起させるものである(:同じくもの小説の中で粒子加速器]と[幽明異にしつつもの双子の結合]が結びつけられている、そして、重力を重くする装置の発明]と[双子の結合]が結びつけられているからである)」

 ここで当記事本論部で述べたことを再度、訴求するが、少なくとも1990年代末葉まで粒子加速器によるブラックホール人為生成など想像・観念されるところですらなかったと専門家らには強調されているとのことがある(1980年から同様のことを極めて正確に事前言及している小説が存在するというのに(当記事本文で言及しているような)[余剰次元にまつわる新規理論]が「1998年より」提唱されだし、それによる理論動向の変転を見るまで、現行加速器出力でブラックホールが人為生成されるなど考えも及ぶところがなかったなどと強調されている)。

 にも関わらず、
(当記事本論の部にて述べているように、人類育種の究極的目的が[黒い点(マルポチ)マークだけひとつよりなる親書の送達]にあったなどとのふざけた粗筋を有している)タイタンの妖女』(1959年)
という小説の作者たるカート・ヴォネガットが70年代にものした別小説『スラップスティック』からして上のような特徴を有しているわけである。 

 この段階からして「ただの牽強付会の論法(こじつけがましき論法)だ」と述べる人間は[理解力を有した人間]には極めて少なくなる、とも思うのだが、次のようなことも「さらに」ある。

[カート・ヴォネガットは Cat's Cradle『猫のゆりかご』(1969年)との小説をもものしている。その『猫のゆりかご』に登場する架空の物質たる[アイスナイン]が ―ブラックホール人為生成とはまた別の文脈ながら― 粒子加速器によるストレンジレットという破滅的なる物質による破滅的事態を指す言葉として物理学者らに(ヴォネガットの同小説から)転用されるようになったとのこともある(:ブルックヘブン国立研究所が運用する粒子加速器RHICに関して1999年、ブラックホール生成可能性と同時にストレンジレットの生成可能性が問題となったとのことがある。そのストレンジレット生成による破滅的事態をして物理学者ら ―後にノーベル賞を2004年に受賞することになった量子色力学の大家たるフランク・ウィルチェックなど― がヴォネガット小説に出てくる[アイスナイン]に起因するようなものであると論じだしたとのことがある)。 上は当記事本文の部でも多少触れていることだが、によって、ヴォネガット小説に見る先覚的言及がどういう性質のものなのか、一部の科学者には分かっていた節があるし、仮にそうではなかったとのなら、ヴォネガット本人に先覚的言及をなさしめたことと同様の機序の問題、[人形遣いによる操り人形(人間「未満」のもの)が用いられているとの可能性]が科学者らやりように関しても首をもたげてくることになる]

[カート・ヴォネガットはTimequake『タイムクエイク』(1997)との小説をものしてもいる。その『タイムクエイク』は九一一の事前言及と結びつく作品であるとも解されるものなのだが(:その根拠について細かくは当サイト上の他所、[巨人の象徴物(911にまつわる儀式性詳説V)] ―文字色改変部をクリックすることで記事に移動― を参照のこと)、 と同時に、同『タイムクエイク』、[それに晒された人間たちが別の時間を体験させられるとの時間を遡行する波]([時間震動]たる[タイムクエイク])を作品の主題とした作品である(:尚、当記事本論の部で主軸として問題視しているジェイムズ・ホーガンの[加速器によるブラックホール生成の前言小説]たる THRICE UPON A TIME『未来からのホットライン』(1980)も[時間を遡行する波]が主題となっている作品である)。 といったヴォネガット『タイムクエイク』の刊行の二年後の1999年にカナダ人SF作家、ロバート・ソイヤーがFlashForward『フラッシュフォワード』との小説を世に出している。昨今、テレビドラマ化がアメリカでなされもしたその『フラッシュフォワード』の原作小説の方は(テレビドラマ版と異なり)「CERNの加速器実験が宇宙にあっての物理事象と複合作用して人々に未来を見せる[ブラックアウト]と呼ばれる現象が発生した」と描くものであった。要するにCERNの加速器実験に重きを置くFlashForward原作小説とカート・ヴォネガットのTimequake時空間を超えて大勢の人々に未来と過去の区別を模糊たらしめる時間震動を作品の主軸としているとの側面で接合している(疑わしいとの向きは両作品を見比べてみるとよい)。といったことからは[[カート・ヴォネガットの『タイムクエイク』と結びつく小説にあってのCERNに重きを置く内容][現時CERNによって運用されているブラックホール人為生成をなしうる加速器実験]の間に横たわる奇怪かつ不快な関係]のことが ―本当に目分量が効く人間にあっては― 想起されることである]

 要約すると、カート・ヴォネガットの小説群に関しては ―(『タイタンの妖女』につき当記事本論の部にて述べたことをも加味して見て)― 次のような関係性のパスがブラックホールとの絡みで描けるとのことである。

β.カート・ヴォネガット『タイタンの妖女』と ―トロイア城砦を陥落させてのオデュッセウスの物語を介して― 結びつくと上にて既述の『2001年宇宙の旅』だが、同作をものした作家アーサー・クラークは(『2001年宇宙の旅』と似たようなタイトルの)続編たる 2010:Odyssey Two『2010年宇宙の旅』との作品をものしてもいる。[土星]を目的地としていたとの小説版ではなく[木星]を目立っての目的地としていたとの映画版『2001年宇宙の旅』の作中設定の方を踏襲しているとのその小説『2010年宇宙の旅』は次のようなあらすじを有している。

[宇宙にあっての他文明の育成に関与しているとの設定の[銀河規模の超文明]の遺した代理機構(モノリスという黒い石柱によって担われているとの機構)が関与して木星が恒星化させられる ――大量のモノリスが蝟集してのグレート・「ブラック」・スポットとの現象によりルシファーと呼ばれる恒星と化した木星によって木星衛星たるエウロパに暮らす生物らの進化を促すとの超文明の計画が実行される―― ]

 ここでまずもって次のことにつき着目すべきであると述べておきたい。

[アーサー・クラークの『2001年宇宙の旅』の続編、『2010年宇宙の旅』が刊行されたのは1982年であるが、その前から企画が練られ、日本の週刊サンケイに連載されていた日本の小説に小松左京 ―『日本沈没』との作品でも知られる日本にあっての大物作家― らの手になる『さよならジュピター』との作品が存在する(:『さよならジュピター』については1979年にシナリオが完成を見、アメリカで著作権登録が行われているとされ、また、1980年から週刊サンケイに連載が開始され、1984年に邦画として公開もされ、1983年に単行本が出版開始されている)。問題はその『さよならジュピター』が後続するアーサー・クラークの『2010年宇宙の旅』と同様、[木星の恒星化]をモチーフとした作品であったということ、そして何よりも同『さよならジュピター』にあっての木星の恒星化が銀河より飛来した極微ブラックホール ―太陽に直撃するコースをとっているなどと設定付けされる― に対する防壁を構築するための挙動であるなどと(『どうしてこのようなものが。』との)[奇抜なシナリオ]で設定づけされていることである](英文ウィキペディアの1984年公開邦画にまつわる Sayonara Jupiter(film) 項目には『2010年宇宙の旅』の映画版『2010』と映画版『さよならジュピター』に関係があると示唆する記載がなされてもいる)

 上のことからさらに一歩進んでさらに次のことにつき考える必要があると見立てている。

[『2010年宇宙の旅』も『さよならジュピター』も木星(木星はゼウスとも言い換え可能なローマ神話の主催神ジュピターをその名に与えられている惑星)の恒星化プランを主題とするものだが、両者は換言すれば、木星が[ルシファーと呼ばれる恒星]に変化させられる小説](アーサー・クラークであり、木星が極微ブラックホールに対する防壁として恒星に変化させられる小説](小松左京でありもする。ここで考えるべきは人間の歴史、その中にあって代表的なものとされる特定文物にあって[ルシファー(同ルシファー、悪魔の王サタンの別名とされる名称である)の横たわる領域]今日的視点で見てのブラックホール的なるものの存する領域]として描写されているとのことがある、とのことである(:『2001年宇宙の旅』をものしたアーサー・クラークが[ルシファー]の類を崇める悪魔主義者であるといったことも一部で取り上げられているようだが、そのような真偽不明な話ではなく、「[ルシファーの領域]が[ブラックホールの領域]の類似物として描かれている」と「今日的な視点で見ることができる」古典が存在しているとはきと指し示せるとのことがある、とのことが問題となる)。
 当然にして突拍子もないことと受け取られよう申しようだが、具体的には14世紀初頭に執筆されたとされるダンテのかの『地獄篇』が該当古典として問題となる。
 同『地獄篇』にあって
地獄門の先にある不帰の地たる蟻地獄状の地獄(の最下層コキュートス)][地球の重力がすべて向かう中心ポイント]として ―14世紀初頭との『地獄篇』の想定執筆年代の知見としては驚くべき科学的側面を有しているところながらも― 描かれることその場コキュートスで[時が止まったような氷地獄](ジュデッカと呼称)が展開し、罪人たちが三面構造のルシファーに永劫に噛み砕かれ続けるとの設定が採用されていることにブラックホールとの類似性([蟻地獄にあっての重力の中心の特異点に向けて吸い込まれた物体が「時が凍りついたような世界で」永劫に粉砕されるとの観点]からとらえての類似性)を見出せるとのことがある
とのことが ―問題となるところとして― 想起されることがあるのである(くどくも述べたきところとして、エキセントリックな話の中にあってさらに輪をかけてエキセントリックな話と受け取られかねないことではあるが、といった形でダンテの地獄篇のルシファーにブラックホールとの類似性を見出せるとのことについては当サイト上の他記事[CERNと「重力の扉」開閉の懸念(911にまつわる儀式性詳説X)] ―文字色改変部をクリックすることで記事に移動― との記事を参照いただきたいものである。また、その点については当サイトを通じて公開している『九一一の儀式性詳説』(の改訂稿)の中でより細やかに懇切丁寧に取り上げているのでそちらを精読され、筆者の申しようの適否につき判断されることを勧めたい(⇒改訂版『九一一の儀式性詳説』については当サイト上の無償公開著作をなしている次のページからダウンロード可能としている:[http://analysis-of-giga-ritual.com/release1.html] ―文字色改変部をクリックすることで記事に移動― )。尚、ダンテの『地獄篇』がブラックホールの隠喩と結びつく作品であるとの見立ては一部の著名な物理学者らからも(相応のやり方でありながらも)呈されているとのことも『九一一の儀式性詳説』(改訂版)との拙稿では問題視している)]

本筋から逸れての筆者視点についての補足として
 ここまでの段階で
ヴォネガット小説『タイタンの妖女』(1959)とトロイア内破をもたらしたオデュッセウスの物語を介して深くも結びつくことを先に示した『2001年宇宙の旅』、同著名作品の続編(『2010年宇宙の旅』)からして国内作家小説(小松左京『さよならジュピター』)とブラックホールとの兼ね合いで結び付く
と解説してきたわけだが、断っておけば、である。筆者には小説などという文物の一ジャンルについて
[往々にして実利的でもない側面で人生経験もさして豊富でなさそうな作者の狭い了見が書き綴られることが多いだけの見るに値せぬもの]
であるとする考え方が10代後半より根強くあった。
 といった考え方、実利的な人間の過半が有しているのではないか、ととらえられるところの見方をなしていた人間として筆者が従前、[小説]の類を読むとしたらばハードヴォイルド系か、教養・社交上の話柄のレパートリーの深化に資すると判断した歴史小説などノンフィクション接合系、あるいは、一部の名作とされるものだけだった(そもそも筆者は読書家ながらもフィクションは読まずノン・フィクション系を読むとの傾向強き人間であった)。
 (延々と手前語りなぞするようであれではあるが)、さらに言えば、SF(サイエンス・フィクション)などについては
[知的ながらも、他面、現実から遊離しすぎているきらいありの好事家の領域の文物](なかなか近づけぬ領域の文物)
であるとの認識が強くもあった。
 だが、そういった人間ながらも(というより、そういった人間でありさえしながらも)、この世界には[すさまじい虚偽]が伴っていると遅まきにも考えるに至り、その虚偽と関わるところにつき探る過程で
本当の大人の世界では[相応のもの]と往々に看做されがちなもの
の中にも、いや、そういったものであればこそ、[実に意味深い作品]が数多存在すると考えるに至ったとのことがある(といった見立てを共有することを押し付けるつもりはさらさらないが、私が具体例を多数挙げようとの人間であることはご理解しておいていただきたいものである)。
 のような意識の変遷の中、本来ならば[相応のもの]であるとして手に取る前に斥けていた作品らの分析的読解をもなすようになったわけだが(であっても当然、[ただの好事家の領域のものにしかすぎぬ]との結論に至る作品も多いのだが、そう言い切るためには検討を要するとの考え方がある)、ここにて述べているアーサー・クラークの小説と小松左京の小説の関係性についてもそういった絡みで邁進していた探索活動の結果、最近になって[着目するに値する]と見るようになったものとなる。そう、[はなからのためにしての話柄]ではなく[複数方向への探索の中、意外極まりない、との印象と共にたまさか同定・捕捉するところとなったもの]なのである
 いいだろうか。それゆえ、(理解力を有した人間にはいちいちもって断る必要もなきところかとも思うのだが)ここでの話が「できすぎている」からといって『わざと奇怪・奇天烈なる話をこさえているのだろう』などといった的外れもいいところな誤解に囚われないように、と申し述べておきたい(何度も請わせていただいているところとして、[検証]を厭わずになしていただければ、私が述べもしていることに嘘・偽りなどないこと、ご理解いただけるはずである。自分で物事の性質について考える能力(自由度・意志の力とワンセットになった能力)さえない向きが抱きがちであると見るところの表記のような誤解 ―ためにしての話を自分でこさえているとの誤解― に依拠しての見立てが本当に正しいものであったらばどれだけいいことか、これに勝ることはなしの幸いだろう、と述べたいところなのだが、「遺憾極まりないことに」ここでの申しように嘘・偽りなどないこと、ご理解いただけるはずである)。
 問題なのは、である。そういう「できすぎている」関係性の摘示が自由、かつ、それなりの識見を有した人間の専心しての探索活動の結果、自明のものとして容易くも「多重的に」浮かび上がってくるようにこの世界ができあがっていること、にもかかわらず、気づいている人間が少なからずいそうなそうしたことにまつわる話を[愚にもつかぬフィクションの類の問題]で済ませてだんまりを決め込むのを是とするような力学がこの世界では強くも働いている節があることである。そして、多くの人間から目を背けられているそういうことが他でもない[我々の種としての生存限界線に関わること]であると解されるようになっていることである。
(:であるから、私はそういう風潮を打破したいと思い、筆を尽くしての背景事情の紹介・解説に注力することとしている。その点、ここでの話、小松左京小説とアーサー・クラーク小説の相関関係に見る奇怪性 ―[ルシファーと結びつく木星の恒星化][極微ブラックホール災害と結びつく木星の恒星化]の相関関係に見る奇怪性― に関して問題となるところの背景事情としては
[科学者の間でいかに粒子加速器の類がブラックホール生成をなすと考えられるに至ったかの細やかな経緯]
[ダンテの古典に[(今日的視点で見ての)ブラックホール接合領域]と際立って比定されるようなものが[ルシファー絡みの領域]として登場してくるとの見立てがなせてしまうこと]

が挙げられるのだが、そうした点についての把握の一助としていただくべくもの解説およびその解説部の紹介も余念なくも当サイト上でなしているつもりである ―それにつき、言うまでもなきことか、と思うことを強調しておくが、私は「アーサー・クラークや小松左京が先覚的視野を持った実に優れている作家である」などと述べたいのでは断じてない。「それで済まされないことが[奇怪かつ巧妙すぎる形]で存在している」がために問題であるとしているのである― )

γ.ここに至るまでで次のことらを指し示してきた。

[小説『タイタンの妖女』と小説『2001年宇宙の旅』は事実の問題として[オデュッセウス(トロイア崩壊をもたらした謀将)の物語]を介して接合している](α.の部に入る前にここ脇にての後の日にあっての追記部で指し示しをなしたこととなる)

[『2001年宇宙の旅』と結びつく『タイタンの妖女』という作品の作者カート・ヴォネガットの他小説『スラップスティック』は ―その前言が常識的になせたとは思えぬところの― 1970年代にあっての[ブラックホールの加速器による人為生成に対する予見小説]と看做せる素地があるものであった([双子の結合]を介した[重力を地球規模で増大させる装置]と[現世とあの世をつなぐ加速器遺構]の関係性の話を先になした)。といったことは『タイタンの妖女』がブラックホールの人為生成につき言及した小説であるとの見立てがさらになしやすくなるとのことで「できすぎている」ことである。さらに言えば、カート・ヴォネガットのまた別の小説作品(1960年代の作品『猫のゆりかご』)からして[1999年以降、粒子加速器に起因するリスクとして目立って取り上げられだした仮説上の粒子ストレンジレット絡みの破滅のシナリオ]に対する呼称を与えた作品であること(アイスナインにまつわる話)、1990年代のカート・ヴォネガットのそのまた別の他小説九一一の前言小説としての要素を有した作品『タイムクエイク』)と結びつく他作家の手になる小説『フラッシュフォワード』が[CERN実験に起因するブラックアウトと呼ばれる因と果を逆転させる時間震動を扱った作品]であることをも顧慮し、「あまりにもできすぎている」](α.の部にて言及したこととなる)

[『タイタンの妖女』と ―トロイア崩壊をなしたオデュッセウスを主役に据えての物語である『オデュッセウス』を介して― 接合する『2001年宇宙の旅』との作品の続編に『2010年宇宙の旅』との作品がある。同作品が日本の大物作家小松左京の作品『さよならジュピター』と[木星(ギリシャ神話のゼウスのローマ名ジュピターを充てられている惑星)の恒星化]という際立って特徴的な作中設定で接合しているとのことがある点からして問題となる。その接合にあって ―極めて不快なことに― [極微ブラックホール関連の寓意]が介在していると判断できるようになっているからである。その点、第一に小松左京の小説でのジュピター(ゼウス)の恒星化は太陽への極微ブラックホールの衝突を避けるための窮余の策として講じられたものであると「何でこのような粗筋が。」との筋立て上で描かれてのものであったことがある。第二にアーサー・クラークの小説『2010年宇宙の旅』(原題 2010:Odyssey Twoのレベルでトロイア崩壊の因を作った男オデュッセウスの機智縦横の冒険譚である叙事詩Odyssey『オデュッセイア』をタイトルに含む小説)では恒星化した木星がルシファーと呼ばれるようになったとの筋立てが採用されているわけだが、そのルシファー(ルチフェロ)絡みの領域がダンテ『地獄篇』ではこれぞブラックホール象徴物と解される形で登場してくるとのこともまた問題となる(要するにダンテ『地獄篇』のルチフェロの領域を間にはさむと小松左京の小説よろしくの木星の恒星化がアーサー・クラーク小説でも[ブラックホールを想起させるもの]に化ける、ということである)。 以上より小松左京小説、アーサー・クラーク小説の双方に認められる[木星(ジュピター/ゼウス)の恒星化オペレーション]との際立った要素は[ブラックホール生成にまつわる比喩的言及]と考えることができるようになっている](β.の部にて言及したこととなる)

 以上、振り返ってのことらは多くオデュッセウスの物語 ―要するに当記事本論の部でも問題視したトロイアの崩壊譚と接合する物語― と結びついている。

 としたところでここγの部では次のことにつき述べておく。

「意味がよく分かったうえでか、そうではないのか、CERNLHC実験の実験当事者らはブラックホール生成に関するシュミレーション・ツールとして[カリュブディス]という名を冠したシュミレーターを用いている(:当記事の本論部にあってはCERNが古代デルポイの蛇の巫女を指すPYTHIAの名を冠するコンピューター・シュミレーション・ツールを用いていることも意図して問題視しているのだが、といったことにも接合しようこととしてCERNは[カリュブディス]との名を冠するブラックホール・シュミレーターを用いている ―そこからして疑わしいとの向きにあっては CHARYBDIS、Blackhole, event generator、CERNなどと英語情報に強き検索エンジンなどに入力、確認いただきたい― )。

 さて、[カリュブディス](Charybdis)とはどういう存在かだが、次のような存在である。

[(カリュブディスは)オデュッセウスを主役に据えての欧米文学の源流として認知される古典『オデュッセイア』の第12歌に登場する渦潮の怪物である。その点、オデュッセウスは鳥身人面のサイレンらカリュブディスと同じくも第12歌に登場する怪物らいいだろうか。『タイタンの妖女』ことザ・サイレンズ・オブ・タイタンに登場するサイレンとは一般に彼女たちのことを指すの歌をやり過ごした後、[渦潮のカリュブディス]と[下半身に獰猛な犬の顔が複数据え付けられたスキュラ]との化け物らが別々に控える難所越えを強いられることになる。オデュッセウスは当初、渦潮の化け物カリュブディスを音を聞くことでやり過ごしたが、スキュラによって旅の同伴者ら(イタカ島とのオデュッセウス故地からオデュッセウスのトロイア遠征に同道していたオデュッセウスの部下ら)を何人か喰われた(と伝わる)。そうした労苦の後、オデュッセウスはゼウスの落雷の天罰によって船を破壊され、さらに後、引き戻されての渦潮カリュブディスの領域で命からがら己一個のみ助かることになったとホメロス叙事詩『オデュッセイア』には記載されている(尚、オデュッセウス本人はカリュプソー、[覆い隠すもの]との意を名に関する巨人アトラスの娘(アトラスの娘をしてAtlantisと呼称することもある)たる女神カリュプソーが管掌する島オーギュギアーに漂着することになった、とある)]

 以上のようなカリュブディスがその形態をとるとの渦潮というのは(ジェット噴射を伴うよく流通している構造図に認められるように)ブラックホールの形態を想起させるものである ―言ってみれば、ブラックホールとは[宇宙空間にあっての渦潮]そのものである― 。そうした渦潮、トロイア崩壊の策を講じた謀将オデュッセウスの船を呑み込んで完全に粉砕した渦潮の化け物の名をCERNはブラックホール生成シュミレーションツールCHARYBDISに流用しているのである(そこからしてCERNの粒子加速器実験LHCはトロイア戦争と結びついている。CERNがブラックホール探索に用いている検出器ATLASが[トロイア崩壊の因たる黄金の林檎の園の場を知る巨人]の名であることと同様に、である ――ただし、そうしたことをそれ単体だけで見る限りにおいては[事情通・神話通の実験関係者の皮肉なぞを込めてのやりよう]で話が済まされるとの見立てもなされよう(:カリュブディスと同様、実際にブラックホールは渦巻きで連想されるわけだし、CERNLHCがトロイアを陥落させしめたオデュッセウスの木製の馬であるとの懸念は一般論としても呈されるところである)。であるから述べるが、真に重篤な問題と言えるのか否かの判断をつけるためには[オデュッセウスの冒険を巡る比喩]が何なのか、[巨人アトラスを巡る比喩]として他にどのようなものが存在するのか、そういったことを入念に入念を重ねて煮詰める必要があると考えている(がために筆者は現実にそうしている)―― )

 また、次のようなこともある。

[ダンテ『地獄篇』では悪魔の王ルシファーが控える地獄の最下層にブラックホールとの近似性を見出せるとのことがあると ―委細を他に譲りながら― 先程、述べた。といったダンテ『地獄篇』には地獄の最下層に向かう流れの中でオデュッセウス(ユリシーズ)の物語『オデュッセイア』 ―アーサー・クラークの『2001年宇宙の旅』シリーズやカート・ヴォネガット『タイタンの妖女』と濃厚に結びつく物語― を意識しての部が設けられている。オデュッセウスら(ダンテ『神曲;地獄篇』ではオデュッセウスのラテン語名称ユリシーズが使用される)は[ヘラクレスの柱(ちなみにヘラクレスの柱はヘラクレス12功業の10番目の冒険で打ち立てられたものでその次の11番目の冒険でヘラクレスは[黄金の林檎](トロイア崩壊の因ともなった神々の食物)を入手すべくも巨人アトラスと折衝することになる)を超えた段階でつむじ風に巻き込まれてあえなくも海の藻屑と消え、そのまま地獄へと直行した(そして、[都市を奸計で刧略した者]として[謀略者の地獄]で責め苛まれ続けている)と文豪ダンテに描かれているのだ ――伝承ではオデュッセウスはカリュブデュスをただひとりやりすごしたとあるが、奇怪にもブラックホール類似の領域を描いて見せているとの『地獄篇』の作者たるダンテは沈没でオデュッセウスも含めて皆が皆、死んだ(そしてトロイアでの謀略の報いとして地獄に落ちた)と描き、オデュッセウスらを殺したのもカリュブディスではなくつむじ風の類だったと描いている―― ]

 当サイト内容をまじめに検討されている向きにあっては、もう何が言いたいかここまでの流れで大体にしてご理解いただけたことか、と思う。

 だが、話はまだ終わらない。さらに以下、述べるようなこともある。

 CERN実験に関与している物理学者らは現在、ATLAS実験の結果を分析するツール、
[ブラックホール(加速器実験の結果、生成される蒸発する安全なものと強調されている極微ブラックホール)を探索するためのもの]
でもあると銘打たれている[イヴェント・ディスプレイ](Event-display)用ツールとして
ATLANTIS(アトランティス)]
などという呼称が付されたものを用いて「も」いる(:そこからして疑わしいとの向きにあられてはatlantis,event display,blackholeなどと英文に強き検索エンジンにて入力して表示されてくる[きちんとした物理学者・研究機関由来の実験関連資料]らをご覧いただき確認なせばよい)。 

 そのことからして
[トロイアを内破させしめたオデュッセウスの物語]
との兼ね合いで意をなしてくる。

(:そも、何故、[かつて存在したものの海中に没した大陸]である(とプラトン著作を通じて)伝わっている伝説上のアトランティスの名をブラックホール発生イベントを観測するためのものなどと銘打たれているツールに付しているのか。実験にて生成予測がなされているブラックホールが暴走すれば我々の世界が栄耀栄華を誇った[アトランティス]が海中に没したと伝わるが如く崩壊することを連想させるようで不気味かつ不謹慎ではないのか。そのように思われる向きもあるやもしれない。それについてはCERN出入りの科学者らが[エス・ジー・アトランティス]との略称で知られる荒唐無稽な米国テレビドラマ『スターゲイト・アトランティス』のようなものを(特段の事情あって)意識していたような手合いだからそうもなっているのだろうと指摘する向きも海外にはいるにはいるが、[アトラス実験]にその名を冠するアトラスとの語の形容詞的表現が[アトランティック]であるのと同時に[アトランティス]と接合するものだからだろうで話を済ませてしまうとの向きの方が事情知る人間の中でも圧倒的に多いことか、と個人的には思っている ―そういう常識的な考えで納得してしまうとの向きにあってはより根本的なところとして何故、加速器実験に[アトラス]などとの呼称が採用されているかまでは考えはしないともとらえるが、それにつき、[アトラス]がブラックホール生成実験から離れてどういう形で20世紀より用いられてきた名前なのか、それがどういう化け物がかった側面と深く深く結びついているのか、とのことを当サイトでは膨大な文字数を割いて解説している。言い換えれば、[アトラス名称の加速器実験での使用]とて我々の運命を決する鍵となっていると解される点につきそれこそ数十万字を割いて解説している― )

(直近括弧内の記述が長くなったが話を続け)
 CERN実験に関与している物理学者らがブラックホール・イヴェント・ディスプレイのためのツールをして[アトランティス]なぞと命名していることとてもが[オデュッセウスの物語]との兼ね合いで意をなしてくると述べる理由についてだが、それは次のことにある。


 オデュッセウスが渦潮の化け物カリュブデュスにただ一人殺されずに命拾いし(既述)、大海の波のまにまに漂流、後、漂着したオギュギア島の管理者たる女神カリュプソ(パイレーツ・カリビアンなぞという実に下らなくも寓意的ともとれる映画で登場した女神の名にもその名が流用されている女神)を介してCERNの[アトランティス]使用が[オデュッセウスの物語]との絡みで問題になる
 漂着者オデュッセウスに懸想し(惚れ)、オデュッセウスに[永遠の生]を与えることまでを念頭に同男と共に七年との日々を暮らす(だが、オデュッセウスの方は[不死の未来とワンセットになった女神との安閑とした暮らし]よりも自身の妻子が待つ故郷への帰還を選択する)との神話的設定を伴った叙事詩『オデュッセイア』登場の女神がカリュプソという存在なわけだが、[アトラスの娘]たる同カリュプソの拠点の島(オギュギア島)をしてアトランティス ―要するにブラックホール・イヴェント・ディスプレイ・ツールの名前と結びついている古の国家・巨大な島― と結びつける風潮があることが問題になるのである。
 それにつきややこしい話と思われるかもしれない(:延々とマイナーな(と日本では認知されよう)ギリシャ古典の話などされても訳がわからない ―あるいは訳をわかろうともしない―  との向きが過半とも受け取れよう中にて、である)。
 だが、ややこしかろうと何だろうと筆者は決して論拠を伴わぬことは述べない。
 トロイア城市を木製の馬の計略で内側から崩壊させたことで知られるオデュッセウスが苦難の航海の末、場合によってはアトランティスと定置される島(カリュプソ拠点のオギュギア島)に漂着したこと、そうした形で神話的同等物を見いだせるアトランティスの名をCERNが[ブラックホール・イヴェント・ディスプレイ用のツール]に用いているのは事実だ。そうもまとめた上で述べたいのだが、疑わしいとの向きにあっては女神カリプソの拠点であるオギュギア島にまつわる英文Wikipedia[Ogygia]項目に次のような記載群がなされていること、検索エンジンを動かして手ずから確認していただきたい。

(英文Wikipedia[Ogygia]項目導入部に記載されていることとして)
Ogygia is an island mentioned in Homer's Odyssey,Book V,as the home of the nymph Calypso,the daughter of the Titan,Atlas also known as Atlantis in ancient Greek.(拙訳として)「オギュギア島はホメロス叙事詩『オデュッセイア』第五歌に登場するニンフ(にして女神)のカリュプソ、古代ギリシャにあって[アトランティス]として知られていた[タイタンたるアトラスの娘]たる者の拠点である」
(さらに英文Wikipedia[Ogygia]項目に現時点では記載されている[ Locating Ogygia ]のパートの記載内容を引くとして)
Many ancient and modern interpreters believe that Ogygia was located in the Ionian Sea. Some have identified either Ogygia or Phaeacia with the putative sunken Atlantis.(拙訳として)「数多くの古代、そして、近代の解釈者らがオギュギア島はイオニア海(地中海の一領域)にあると信じていた。他面、幾人かはオギュギア島あるいはシシリア島(Phaeacia)を海中に没したとのこととされているアトランティスの質的等価物として同定せんとしていた(注:[ヘラクレスの柱 ―ジブラルタル海峡― の先にある広大な島]とプラトンが伝えるアトランティスについてはどういうわけかそのありし日の候補地をシチリア島界隈に同定しようとの風潮さえある)
(さらに英文Wikipediaの[Ogygia]項目に現時点では記載されている[ Geography account by Plutarch ]のパートの記載内容を引くとして)
The passage of Plutarch has created much controvercy. W.Hamilton indicated the similarities of Plutarch's account on "the great continent" and Plato's location Atlantis in Timaeus 24E-25A. Kepler in his Kepleri Astronomi Opera Omnia estimated that "the great continent" was America and attempted to locate Ogygia and the surrounding islands.(拙訳として)「プルタルコス(プルターク、帝政ローマ時代の有名なギリシャ人著述家)の文章がより多くの議論を巻き起こした(注:プルタルコス書物にはプラトンがギリシャのソロンからアトランティス伝承について聞いたとの経緯にまつわる言及がある)。ウィリアム・ハミルトンはプルタルコスの[大いなる大陸]とプラトンの『ティマイオス』24Eから25Aに認められるアトランティスの近似性を同定していた。 ヨハネス・ケプラー(天文学史上にあっての大人物とされている17世紀人)は彼の Kepleri Astronomi Opera Omniaにて大いなる大陸とはアメリカのことを指すととらえ、オギュギア島およびその周囲の島々をその場と一致させんとしていた

 上もてお分かりだろうが、カリュプソの島たるオギュギア島をアメリカにしてアトランティスと定置せんとする風潮が今日の科学の大立役者と一般に認知されているヨハネス・ケプラーら ―後に万有引力の法則へと練り直されたケプラーの法則の提唱で有名― からしてあったとされているのである。
 以下、そのこととも関わる、
[[アトラスの娘][アメリカ][アトランティス]絡みで問題となる話]
をなしておく。
 それにつき、[城砦の内破]を帰結とするオデュッセウスが決着を付けたとのトロイア戦争というものは ―背景事情として神々の首長ゼウスの意図があったなどとの説明もなされるが― [黄金の林檎に端を発しての諍(いさか)い]によって発生することになったものである(当記事本論部でも述べたことである)。
 その[黄金の林檎]がたわわに実る果樹園の場所を知る巨人こそがアトラスであるとヘラクレス関連の一群の物語で今日に伝わっている。
 といった伝承上のアトラス・ヘラクレス・コネクションから

[CERN関係者らは黄金の林檎(トロイア戦争の原因)を知る巨人の名(アトラス)の名を冠した検出器によってのブラックホール探索を実施している](黄金の林檎の場所を知る巨人にブラックホール探索をなさしめている)

とのことでCERNとトロイア戦争と巨人の関係に注意を向けるとのこと「をも」当記事本論部ではなしている。
 だが、もっと深くも述べれば、である。

「多数いる[アトラスの娘](プレアデスと呼ばれる七人一組の女神らやヘスペリデスと呼ばれる四人一組の女神らやマイアという名の女神や直近既述のカリュプソといった女神らが一群のアトラスの娘となる)にあってのヘスペリデスと呼ばれる存在らが[西の果ての島]で[黄金の林檎]の管理をなしていると神話が語っていることからして ―CERNやりよう(あるいはCERN「やらされ」よう)と接合することとして― 問題となりもする」

とのこともある。
 まず、[アトラスの娘]という言葉には[アトランティス]と結びつく側面がある(とは既述のことである)。
 また、黄金の林檎(すなわちトロイア崩壊の因ともなった果実)が栽培されているアトラスの娘らたる四人一組のヘスペリデスの島のような[ギリシャ世界にあっての西の果ての島]こそが[アトランティス]であるとの解釈が ―別のアトラスの娘カリュプソの拠点たるオギュギア島をアメリカかつアトランティスとするような上にて既述のケプラー解釈論にとどまらず― 一部でなされてきた、との歴史的沿革がある(:プラトン由来の古典『ティマイオス』『クリティアス』では[ヘラクレスの柱](地中海の入り口たるジブラルタル海峡のこと)の先に大洋をまたいで存在する巨大な島がアトランティスであるとされているからそういう解釈論が取り沙汰されてきた。はきと[ヘスペリデスの島]=[アトランティス]と明言するようなギリシャ期古典が一切存在していない、にもかかわらず、残存するプラトン著作に見る[アトラス関連の記述](アトランティスの王は伝説の巨人と同じ名のアトラスである、また、アトランティスとの呼称から[アトラスの娘]のことが想起させる)/[地中海に展開するギリシャ世界から見ての西の果ての島とアトランティスを名指しする記述](アトラスの娘たるヘスペリデスが黄金の林檎を管理する西の果ての島のことを想起させる)から、といった解釈が自然(じねん)のものとしてなされることがあった)
 まとめれば、[[地中海世界から見ての西の果ての島]で[巨人アトラスがその在処を知る黄金の林檎]を管掌するのが[アトラスの娘](アトランティスとの言葉と親和性強きヘスペリデスという四人一組の存在/カリュプソとは別存在)であると神話は語っている]わけだが、その[黄金の林檎の園]がアトランティスと定置される素地があり、といったことから、CERNのアトランティス使用はトロイア崩壊劇、オデュッセウスの物語とつながると述べられるのである ―黄金の林檎はトロイア戦争の原因となっている。そうしたトロイア戦争に城砦内破との形で決着をつけたのがオデュッセウスである。他面、黄金の林檎がたわわに実る果樹園こそがアトランティス(アトランティスはCERNがブラックホール・イヴェントのディスプレイ・ツールに用いている名称でもある)であるとの見立てが極一部の人間になされてきた、との背景がある― 。
 だけではない。
[黄金の林檎]が[ネクター](ギリシャ神話で神が飲む不死の飲料/トロイアの王子ガニメデはその給仕係としてゼウスに略取された)よろしく[不死を約束する神の飲食物]となることからしてオデュッセウスの伝承との絡みで問題となる、とのことがある。
 渦潮で死にぞこなった(ただしダンテ『地獄篇』では殺されている)オデュッセウスが漂着した先も
[[西の最果てにたわわに実る不死を約束するものと解されるアトラスの娘(ヘスペリデスら)管掌の黄金の林檎]と同様に[不死を約束せんとする存在]であるアトラスの娘たる女神(カリュプソ)の島]
だとされているからである。
 多くがアトラス(およびその娘)とオデュッセウスの物語を介してつながっていることが分かるだろう?
 それにつき、筆者は当サイトを通じて配布を試みている無償公開著作でかの九―一も、また、その九―一が発生したニューヨークという土地も[黄金の林檎] (アトラスの娘らであるヘスペリデスが古代ギリシャ世界から見ての西の果てで果樹園 ―巨人アトラスのみがその場を知るともされる― を管理する神の食物) と複合的に結び付けられているとの根拠を並べ立てているし、同様に、そのニューヨークの近傍にあたるロングアイランドのブルックヘブン国立研究所で運用される加速器RHICを通じてブラックホールが生成される可能性があると1999年より問題視されるようになったというのが(当記事で問題視しているような)加速器実験であるとのことも指摘している

 奇怪な絵で有名なスイス印象派の巨匠、アルノルト・ベックリンが[オデュッセウスが漂着したカリュプソの島]を描いた19世紀絵画よりの抜粋。トロイア戦争の原因となった黄金の林檎とも[アトラスの娘][アトランティス][最果てにある島]との文脈で結び付く女神カリュプソ(画の右側の裸体の女)のことがCERN関係の物理学者が用いるブラックホール・イヴェント・ディスプレイ・ツールのATLANTISから想起させられてしまうとは上に述べたことである。
 CERNATLAS検出器で[科学の進歩]のための検出を狙っているなどと強弁するブラックホール、その生成シュミレーションツールのCHARYBDISの由来は既述のようにオデュッセウスの船(ゼウスの落雷によってすでに部分的に破壊されていた船)を呑み込んで海の藻屑と化さしめた渦潮の怪物カリュブディスなわけだが、その渦潮カリュブディスの災厄をただ一人生き残り、かつてトロイア内破をもたらした謀将オデュッセウスが漂流の末に辿り着いたのが[アトランティス](ATLANTIS)にも比定されるカリュプソのオギュギア島(Ogygia)である、とのことが多重的結合関係の一貫として問題となっているわけである。(:その点、唐突とはなるが、FlashFoward『フラッシュフォワード』(1999)という作品の原作小説あらすじが後続するテレビドラマ版とは異なって[[CERN科学者ら挙動]と[時間の垣根を無視する波]を主軸に据えてのもの]であったとの話を当記事の先の段でなしていた。そのようなCERNがテレビドラマ版とは異なり重きをなすとの小説版『フラッシュフォワード』の粗筋上ではCERN科学者らがパトロンの富豪に[人類の最大の功労者]として他のノーベル賞受賞者らと共に不死を人知れず進呈されるとの話が展開する(『フラッシュフォワード』原作小説を手に取られて見て、その最後の方の部を読まれてみるとよい)。他面、オデュッセウスでは女神カリュプソはかつてトロイア内破をもたらしていた漂着者オデュッセウスに[不死]を与えんと顧慮していた、ともされる(『オデュッセイア』第五歌にそのように記載されている)。それが家畜らに与えられた、正確には、家畜の中でも盆栽のように一部の思考能力だけのみが歪に強化されるように育てられた一部科学者らに与えられた[アヘンとしての虚偽]であればどうか。最期にはダンテ『地獄篇』にあって[謀略者の地獄]で責め苦を味わされ続ける亡霊と化している ―上にて既述― オデュッセウス(ユリシーズ)のように[沈めて殺して地獄送りにするつもりの者たち]に対する酷薄無情な欺瞞の式としては実に堂に入っているととらえられるところであるとみている)。

 話が長くなったが、要するに、ここまでの内容を通じて、
「トロイアと結びつくブラックホールの寓意で話が「奇怪に」つながりすぎている」
と述べたかったのである。

 あとは当記事で述べていることの適正さ ―[すべてのことが偶然を否定する形で悪辣に結びついているとのこと]を訴求せんとしていることの適正さ― を各自が確認されることを望むまでである(ここ脇にて付した補足部からしてページを保存するなり何なりしてよく検討していただきたいと考えている)


まとめの部

 上は『オデュッセイア』第12歌に出てくるサイレンと同第12歌に登場するカリュブディスの関係性について注意喚起すべくも作成した、
19世紀(訂正:20世紀初頭、1909年の)絵画とハリケーン(熱帯低気圧たるサイクロンの中の威力が強きもの)たるハリケーン・カトリーヌを映した写真のコラージュ]
である(セイレンことサイレンは人面鳥としての化け物ではなく人魚としての形態が採用されている絵を挙げている)。
 問題は『オデュッセイア』登場の怪物らサイレン、カリュブデュスらをも介在させながら以下、図示するような関係性が成立していると(ここに至るまで摘示してきたこより)述べられてしまうことである。


加速器関連議論の経年変化にまつわる補足として

 ハーバード大で法学博士号を取り、現時、ノースダコタ大学に法学者(助教)との立ち位置で奉職しているとのことである一流どころと看做されよう学究系法曹のエリック・ジョンソン( Eric Johnson )という人物は海外にあっての加速器差し止め訴訟 ―当記事本論部でも名を挙げたウォルター・ワグナーらが提訴してのLHC実験差し止め訴訟― を巡る経緯(事前経緯を含めての経緯)を分析した門外漢向け解説文書たる THE BLACK HOLE CASE: THE INJUNCTION AGAINST THE END OF THE WORLD(表記のタイトル入力でコーネル大の運用する論文配布サーバーarXivより誰でもダウンロード可能)の838と付された頁にて「出典摘示しての」事実の問題として[下に引用するとおり]のことを述べている。 ⇒ In 1999, when questions floated in the media about accelerator-produced black holes, physicists issued an assurance that no particle collider in the foreseeable future would have enough power to accomplish such a feat.(拙訳として)「1999 年、加速器によって生成されるブラックホールに対する疑問がマスメディアに取り沙汰されだした折、物理学者らはそのようなこと(feat.業わざ)をなしうるのに十分な力を有した[予見しうる(foressable)未来にあっての加速器]などは存在しないとの保証を発した

(上にて引用をなしている文章は1999年という年  ――(同1999年に当記事本論部でもその名を挙げたウォルター・ワグナーが[ホーキング由来の原初宇宙に極微ブラックホールが存在していたとする仮説に対する自己の知見]と[加速器が原初宇宙の状況を再現しようとしているとの情報]を複合顧慮、「加速器がブラックホールを生成する可能性はないのか」とは問題視し出している (1999年にブラックホール生成可能性が批判者より初めて問題視されだした(そして生成の可能性だに否定された)経緯については英国物理学団体会員誌の過去記事を収めたオンライン上にて公開されている論稿[ Case of the deadly strangelets ](検索エンジン上での右文字列入力でダウンロードアドレス捕捉可能)にも詳しい) ――  にあって加速器実験実施研究機関ブルックヘブン国立研究所より出された Review of Speculative "Disaster Scenarios" at RHICと題されての報告書内容、および、同年にCERNより出された Will relativistic heavy-ion colliders destroy our planet?と題されての報告書内容、すなわち、[加速器RHICによるブラックホール生成可能性にまつわる実験実施機関報告書]らの内容とそれら報告書に対する往時科学界申しようを公平に反映しての学究系法曹(エリック・ジョンソン)の状況解説文となる。 尚、一部の日本の物理学者らは彼ら由来の国内流通科学読み本の中で海外研究機関の発表文書内容とさえ「どういうわけか」一致しないことを述べてもいるのであるも、それは置く)。

 ここ追記部だからこそさらに補って書きもすることだが、案件を検討した法学者 ―限定的なレベルでは本当のことを言うとの向き― に上記のように、すなわち、
「1999年にあってなお、今後ありうべき加速器(出力増大を見ていく加速器)によってブラックホール生成がなされることはないとの保証が科学界当事者らによって発せられた」
とまとめられているようなことがある中、物理学者らはその後、
[1998年から提唱されていた余剰次元の理論展開]
によって2001年より加速器によるブラックホール生成は現実に観念されるとの変節を見せだし、なおかつ、その変節に伴って
[生成されるのは即座に蒸発する安全なブラックホールであるから安全である]
と同時に述べ出し、ブラックホール生成こそが科学の地平を切り拓くべくもの大義であるように主張しはじめた ―その点について「も」表記の法学者論稿には遺漏なくも言及されているので疑わしいとの向きにおかれては同論稿ダウンロードなどの上で確認されてみるとよいだろう― 。

 それにつき、だが、上記のような経緯ありようが指摘可能な一方で、その実、 ―(直近の図解部の領域にて扱っていることに話を回帰させ)― 
「[加速器による大量の極微ブラックホール生成]の後、「加速器製ブラックホールは即時蒸発するから安全である」との言い訳がブラックホール生成当事者によってなされることまで1980年の段階で問題となる小説 (『スライス・アポン・ア・タイム』(邦題)『未来からのホットライン』) によって既に予見的に描写されていたということがありもする
だけではなく、(上にての図解部の中で挙げているような)多数小説らの間で ―[前言]と関わるところの― [奇怪極まりない相関関係]が成立して「しまって」いる
ということさえもが現実にあるのである。

 以上のような状況、時期的問題を顧慮すれば、何が問題なのか一目瞭然の状況に関する、
[[正気の社会]であれば、[正気の人間]なれば無視しようはずもないところ]
をマス・メディア(低劣なことばかりを「報ずる」との相応の機構)の構成員らも科学者らも一切見ようとせずに[実験](などと滑稽なことに銘打たれている営為)は継続されている(:貴殿が「国内外」言論流通動態を把握せんと試みられてみればご理解いただけるはずである。当記事で指し示しているような[先覚的言及]にまつわる不可解事が[実験]に山と伴っていることを証拠主導方式で問題視しようとの主流サイドの人間はこの世界には全くもっていない、と)。

 そうした現状の先に何が控えているのか、訴求すべき局面は ―(遅まきに失しているかもしれないと危惧するところでもあるのだが)― 良くても「今しかない」と考えているのが私という人間である。

 極めて長くなったが、これにて本論部の脇にて設けた追記部たるこの場にあっての話を終える。