プログラム拘束の魂たちが紡ぎ出す結末を変えるために

 
 

問題意識の所在 ―5―

・前頁最後尾の点で記述したことを繰り返すが、
「大航海時代地図(掲載図像)を一面で意識しているともとれる"天球儀の[パーツ]を持ったアトラスという極めて独特な構図"がロックフェラーセンターアトラス像とCERN(欧州原子核研究機構)研究プロジェクトシンボルに用いられている」。
 その点、911の事件の話を抜きにすれば、欧州原子核研究機構(CERN)の独特なアトラス使用例の方は高等学校レベルの物理学をまじめに学んだ向きには取り立てて不思議に思われることでは「ない」かもしれない(現実には不思議であるどころか、極めて性質悪き背景事情があると言えることなのだが、常識人の主観の問題はそれに相反しうる)。何故か。については下に挙げた図と続く解説部を参照いただきたい。

 [上掲図像群の左]は欧州で中世末期から用いられるようになった天球儀の典型的な構造を描いたもの。
 [上掲の中央]は(メルカトルの手による)1595年版『アトラス』の前頁で問題とした部位の再掲。
 そして、[上掲の右]だが、原子の構造を描いたもので、もっと言えば、
[原子核](fm、フェムトメートル単位の存在。1000兆分の1cmにあたる"フェムト"メートルはナノメートルやピコメートルを上回る極小単位でここで問題とする欧州原子核研究機構が扱う原子核物理学では馴染みの単位である)を中心とした原子内の電子の振る舞いを誇張して描いた図
である。同原子模型の図(物理学者アーネスト・ラザフォードが基礎を造り物理学者ニールス・ボーアが固めたモデル)、すぐに分かろうかと思うが、
[上掲左の図]及び[上掲中央の図]に見る天球儀構造を模したものとなって」いる。
 と同時に、
[マイナスの電荷を伴った電子が原子軌道に存在"しうる"(確立論の世界の話となる)様を描いた概念図]として多くの理系の人間に馴染み深いものとなって」もいる(文系・理系などどこぞやの人形がこさえた下らない教育システムの範疇上の話にすぎない、と考えられもするのであるも)。
 さて、私は今日の科学がその上によって立つ[科学]が多く虚偽をはらんでいそうであることを把握しているのだが(当サイト無償公開著作ではロシアで物議を醸す学者の研究成果を援用、その旨について詳述している)、問題は、だ。繰り返すも、天球儀の構造を真似て描かれる[上掲右の図]、原子模型図のようなモノ(※原子模型図については本箇条書き部の下に補足を付しておく)が流布されていたがために、
欧州原子核研究機構の[天球儀パーツとアトラスを組み合わせた象徴物]はその研究領域にかぶるものとして何もおかしくはない
と多くの理系をもって任じる方々に映りかねないことだ(ここで上掲図像群の掲載"前"に述べたことに話が帰着する)。
 だが、しかし、だ。敢えて誤解を避けずに言えば、「人の"魂"」(と呼ばれる[意思作用の源泉にあるもの]。後述する:魂といった誤解招きやすき言葉を用いてはいるが、断じて[神秘主義者 ―軽侮されて然るべき人種だろう― ]として物を言っているのではない)の領域にも関わると考えられもする「原子核の世界/フェムトの世界の話」とはまた別の意味で、である。CERN(欧州原子核研究機構)が
「[ロックフェラーセンター前の彫像]よろしくの[独特な形態のアトラス・シンボル;天球儀を担ぐ巨人]を用いている(用いさせられている)」
ことは我々の未来と関わっている
、と考えられるのだ ―後にも取りあげるが、CERNとロックフェラー(ワールド・トレード・センター設営を促した[やらされビト]の一門)の相似形アトラスシンボルは形態的に[他に類例なきもの]となっている― 。
 『何を延々、意味不明なややこしいことを。やはり気でも狂っているのか』
と思われる向きもおられるだろうが、そう考えられる前に先をお読みいただきたい ―これからも「アトラスと天球儀の話」を何度も持ち出す―)。

補足本カッコ内で上掲の原子模型の図についての補足をなしておく。ある程度の科学的識見を有している方を想定しての補足、それがため、興味なき向きは読み飛ばして頂いても構わないといった類の補足をなしておく。
 さて、本文にて「原子模型図は電子の想定される振る舞いにかこつけ天球儀の構造を模した構造をとっている」と述べたが、そのこと自体がそも、この嘘ばかりの人間世界に突きつけられた皮肉と言えそうなことがある。
 具体的には
「天球儀と共に発展してきた天文学が多く虚偽の歴史の体現物 ―何者かによって基礎を贋造された体系― であるように見える。それがため、天球儀に模した原子模型を担いできた物理学も恣意的に形作られた体系ともとれてしまう」
ということがある ―文豪ともてはやされる反面、麻薬の伝導人脈とつながっていると立証されているオルダス・ハクスレー。有名な科学者輩出一族出身の同ハクスレー、裏の世界での重要人物だったとも噂される同男が有名小説の中で元物理学者だったという設定の顕官に次のようなことを言わせているが、それとて事実かもしれない、ととれてしまうような側面があるのだ。「科学とは料理の本と同じで[変化を認めない料理理論]と[追加を禁じられた調理理論]からなっている」―。
 その点、そう、「原子模型図にも影響を与えている天文学が実に不可解な発展をなしてきた学問、基礎からして胡散臭き学問である」ということについては人間の歴史の虚偽について扱った洋書、 History : Fiction or Science? vol.3 に多少、詳しい解説を見ることが出来る(右洋書については海外の正統派にunreliable-source[信用の置けぬ文献]と嘲弄されがちな側面も多々伴っているが、異論を許さぬ客観的な記載部だけで常識を破壊してしまうような側面もある)。
「天文学上の偉人達の業績に無視せざるべき時代的相互矛盾がある ―星表こと Star- catalogueというものにその兆候が顕著に現れている― 」
という形で、だ。
 以上のようなこと、天文学というものの胡散臭さに一言だけ触れつつも言うが、「原子核の世界が胡散臭き[天文学]の世界と客観側面的"でも"接合するのもまた事実である」。くどくなるも、専門領域に踏み込んで考える余力をもった方以外、読み飛ばしていただいても構わないことなのだが、
原子核の世界は星の動きになぞらえられた[電子の軌道]云々せずとも天文学的事象Precessionこと歳差運動 (同・歳差運動については ―実に偽り多き問題の書だが― グラハム・ハンコックの『神々の指紋』に興味深い解説が出ていたりする) と結びついたりする
からだ。
 物理学のみならず医学に ―そして、我々の"魂"の問題にも、かもしれない― 深く結びつく「ラーモア歳差運動こと Larmor Precession 」という概念の発見、「原子核まわりの歳差運動を表す」概念の発見がそのことを端的に指し示す

一旦、脇道に逸れるようで、それにでいて布石として重要な話をする
 「アトラス」は実のことを言って、米国初「実戦配備ICBM(大陸間弾道ミサイル)」の名前でもあるただし、ICBMのアトラスは配備後、数年程で次代のICBM、神話上でアトラスが属するの同じタイタン族の名前を冠するタイタン"II"や主力ICBM、ミニットマンにその座を譲り、現場からはその姿を消していった)。その点、ICBM、要するに核ミサイルは直近表記のCERN、原子核絡みの研究機構であるCERNの研究対象分野とも近しい"技術"の成果物として、言うまでもなく、軽く人類を滅亡まで追い込むことが出来る存在だ。そういったものに米国が「アトラス」の名前を与えたことには大きな意味がある(正確には米国の多くの有力者が成員となっているフリーメーソンに関わる"人形"達が悪夢の兵器にアトラスという名前を"つけさせられた"ことには大きな意味がある)。
 何故か。その理由は複数、存在している。差し当たって、箇条書き部のこの点(・)ではその内の一つ、
ICBMのアトラスが"開発段階から"重要な数字と意図をもって結び付けられていた節がある
ことを挙げることとする。
 ICBM「アトラス」に付されたエックス・プレーン(実験機)としての背番号は「X-11」「X-12」だった。「X-(エックス・ハイフン)」に続く実験機の呼称は「大陸間弾道ミサイルに関しては」アトラスの「X-"11"」「X-"12"」が始めてであると述べた上で、である。その他の側面でも初配備ICBMアトラスが「11(と12)」に"結びつく"ことを述べておきたい。
 まずもって、ICBMのアトラス開発途上の背番号が既述の「X-11」「X-12」から「SM-65」となったことが挙げられる(大陸間弾道ミサイルのプロトタイプを「アトラスA = XSM-65A」「アトラスB = XSM-65B」などと呼称していた)。65は6+5で「11」につながるものだ。それはアトラスが当初、爆撃機に与えられる「B-65」の背番号を1950年代初期の開発計画策定段階から付されていたことの名残りだとも言えそうなのだが、問題はアトラスが11と結びつくのがそれだけではないことだ。たとえば、だ。アトラスは開発当初、全長"11"0フィート(1ft = 30.48cmとして33メートルと同値。33はメーソンの階層数だ)を目処に開発計画が策定されていたということがある ―この段階では牽強付会(押し付け論法)ととられる方もおられるだろうが、110フィートの110というのは911(テロが起こる前からの米国の警察・消防呼び出し番号)9110とも置き換え可能な緊急時連絡番号である(緊急時連絡番号が世界中で数字11を分解した数になるよう調整されている節があることは先に述べている。「そもそもどうしてそうなのか」ということが重要となってくるとしつつも、である)。そして、双子の塔、ツインタワー・ビルの階数でもあった― 。
 また、アトラスが紆余曲折を経ての打ち上げ実験過程で初の打ち上げ成功を見たのはアトラス"12"Aが1957年12月17日(1+2+1+7=11となる)の打ち上げ、その時であるとされている。
 何?だから何だ?持説の押し付け(far-fetched)のために都合の良いデータを並べただけだろ?下らない数遊びにこだわるな?うむ。確かに、自身で書いていて、そういった誤解も免れえないか、と危惧もする。全編の中で特にここがこじつけがましいところでもあるからだ(上の話を読んだだけでは『事態より筆者の方が異常だ』とお考えになられる向きの方が健全のように思われる)。
 だが、だ。次の点(・)に入る前にはっきり言っておこう。
「(ここに至るまでの内容をきちんと読まれていた勘の良い方はとっくに気づかれていようが)ICBMのアトラスが"11"及び"12"と結びつく背景には既述のヘラクレスの計"12"の冒険、アトラスが"11"番目に登場してくる冒険の存在がある」と。
 蛇の尻尾を持つケルベロスを最終的に地獄より引きずり出すことで12の冒険を終えた英雄ヘラクレス。「赤ん坊の時の二匹の蛇退治」に始まり、「ヒドラ」や「ラドン」といった有名な蛇の怪物を退治してきたものの最終的に倒したヒドラの毒に悶絶しつつ世を去ったと神話に伝わるヘラクレス。彼の11番目の冒険は詳述したように「アトラスの娘達」(=アトランティスこと"アメリカ")が登場するものだったわけだが、アメリカの暴挙(奴隷国家ソ連との絡みで語られるICBM打ち上げ実験、及び、配備行為)は同じくの神話に依拠したプログラムだと言いたいのだ。 そう、「アトラス・プログラム」という呼称を与えるべきプログラム ―全く同じ固有名詞群が「別の文脈にて」存在しているがそれらとここでのアトラス・プログラムには関係はない―、「逆・ヘラクレスの冒険」プログラムとも言い換え可能なプログラムだと言いたいのだ。と、ここまできて、次の箇条書き部の点に入ることとする。

・重要なところで脇に逸れているようで実はそれ自体が「前段階の話として」重要だとした"ICBMのアトラス"の話。それを続ける。
 ICBMアトラスを不審視する事情についてはもう前の点で述べてしまっているわけだが(「神話に依拠するプログラムにつながる」)、その背景事情の有無・正否の判断に関わる材料について全てを語ったわけではない。
 ために、ここでは「アトラス」という名を付されたICBMを無視せざるものと考える(要するに神話に依拠したプログラムが背後で動いていると考える)理由、他の理由の一つについて取り上げよう。それはICBMと同様、「アメリカの核兵器」絡みのこととしての「日本への核兵器使用(長崎と広島へのICBMの前身たる核兵器の使用)」についての話となる。とした上で、明言しよう。
 「―この段階ではまだ"暴言"と見えるかもしれないが―、大戦時の原爆投下も"冷戦後のイニシアティブ確保"などのためではなく、"儀式"としてなされた行為だった(ととれる)」。
 "ヤキンとボアズの柱"という日本人には聞きなれない言葉の話は後述するとして、だ。広島と長崎に投下された原爆は「キノコ雲の二本の柱」を立てるべくなされた儀式だったととれるのである(その二本の柱と形状的に似たシンボルがフリーメーソンのシンボル、直近にて「後述する」とした"ヤキンとボアズの柱"のシンボルである)。その二本の柱はヘラクレスがゲーリュオーンの島へ出向いた冒険の途上、打ち立てた「二本の柱」の比喩となるもの"とも"言えるのだが、まずもって、ここで述べるべきはだ。
「日本への原爆投下の結果、顕在化した二本の柱も911のあの事件での二つの塔のように11と結びつくこと」
である。
 従前の頁にて誤解を恐れずに敢えて述べたように12月8日(1+2+8=11)にて始まった太平洋戦争。9月2日(9+2=11)をもって正式に終了した太平洋戦争。あの戦争の時分、長崎と広島に並べて見ると11にもなろう「二本の柱」を打ち立てるのに使われた戦闘機は何か?B-29である。大戦末期から投入され、太平洋戦線で用いられた同機に付された29は2+9で11となる。それについては広島に原子爆弾リトルボーイを投下したB-29、エノラ・ゲイのビクトリー・ナンバー(識別番号)が「12(ヘラクレスの冒険数)」あらため「82(8+2=10.。ゲーリュオーン討伐時の達成冒険数)」であったことまでもがプログラムの一貫だったかまでは分からないが(普通であればそのようなことを述べれば焼殺ならぬ狂人視されたうえでの笑殺の憂き目に遭うだろう)、そこまでこじつけがましく穿たなくともB-29の名称込みで多くがプログラムに結びついていると見てよいものである。日本に原爆投下をなさしめた第"33"代目 ―33というのはフリーメーソンの階級数である― 大統領ハリー・トルーマンは有名なフリーメーソン員であると伝わっているが(前任者のルーズヴェルトも有名なメーソンである)、同トルーマンがメーソンのフロント組織、闇夜に十字架を燃やしアフリカ系アメリカ人を頻繁にリンチ殺人していたKKKの成員にまでなるような"筋金入り"だったことはその大きな流れのひとつの現れにすぎない(KKKとメーソンの不快な関係については私の無償公開著作でも触れている。尚、トルーマンがKKKとつながっていたのは有名な"史実"だ。歴史家は[政治家の票田]のこと以上は問題視しないが)。
 これは一見、馬鹿げているようで実は全く馬鹿げていないことだ。エノラ・ゲイ(広島原爆投下機)やボックスカー(長崎原爆投下機)の暴挙の観測機として「グレート・"アーティスト"」が随伴していたのが、アーツにこだわるフリーメーソン達の飼い主(おそらく魂の抜けた人形のような者達からなっていた日本軍上層部の飼い主も同じ存在だ)の「腐りきった"芸術"意識の現われだったかどうか」は人によって意見が異なるところだろうが ―フリーメーソンが尊崇視する存在はグレート・アーティスト(偉大なる芸術家)ならぬグレート・アーキテクト(偉大なる建築家)とよく呼称される― 、以降、書くことをよく読んでいただければ、「原爆投下自体が儀式だった」と言うのが馬鹿げたことではないと一面でお分かりいただけるだろう。

・ICBMのアトラスの話。欧州原子核研究機構(CERN)の話にも接合するその話から、一旦、
[現代史にあって著名なコンピューターにまつわる話]
に移る。「ICBMアトラスに垣間見れる儀式("プログラム")とは何か」を指し示し、かつ、よく知ってほしいからだ。
 さて、コンピューター発展史は冷戦(常に核戦争を想定していた冷たい戦争)の歴史と密接に結びつく。核ミサイルを正確に標的に命中させるための弾道学。その計算上、コンピューターが重きをなしたからだが、ここで挙げるコンピューターはそういった沿革で発展していった"マシーン"の中でも画期的な一機(全長"11".5メートルのそれは大きすぎて、一台ではなく一機や一基と呼称すべきもの)である。その問題とすべき歴史的存在たるコンピューターの名称は
[Atlas(アトラス)ことUNIVAC"11"01]
である。
『おえ。また、アトラスで11なのかよ』とお思いになられた方もいるだろう。が、それはまだ、多数の感想ではないかもしれない。ために、言及するわけだが、UNIVAC1101は「"アメリカ初"のノイマン型コンピューターとして"1950年初頭"に米国に現れた」ものであることにも着目すべきだ。いいだろうか。前に述べたことを繰り返すが、"アメリカ軍初配備初"の大陸間弾道核ミサイル、アトラスは「"1950年代初頭"から開発されだした」(UNIVAC"11"01ことAtlasが納入された1950年の1年後、開発対象のICBMにB-"65"アトラスの名称が与えられた)ミサイルだったのだ。画期的ミサイルと画期的コンピューターに関し、「登場時期」にも「初物であること」にもつながりを見てとれるだろう(無論、最重要事は双方共にアトラスと11に結びついていることなのだが)。
 その点、良識人はこう反論をなすかもしれない。
「UNIVAC1101は核戦争のための弾道計算を期して造られたコンピューターではない。他のより以前のコンピューター、ENIACのように弾道計算を目的に造られたものではないのだ。君はこじつけがましすぎるよ」。
 甘い。甘すぎる。核戦争擁護論者(というより促進論者)だったフォン・ノイマン。あまりにも人間離れした天才ぶりから「悪魔の頭脳の持ち主」などと呼ばれていたフォン・ノイマン。そのノイマンが人類にもたらした、と言われがちなノイマン型コンピューターの米国版元祖たるAtlas(UNIVAC1101)がその他の面でもかぐわかしい点を有していることを無視しての意見など甘すぎて到底、腹に入れられるものではない。UNIVACにAtlasという名前が与えられたのは「漫画の登場人物に由来する」というふざけた話(この後に至ってなお、正統派が垂れ流すそういった大嘘を信じたい向きはそうすればよい)があるのはどうでもよいこととして、だ。
 たとえば、UNIVAC1101に付された「1101」とは二進数で言うところの「13」である(表向き、UNIVAC1101がTask13を企図して造られたものだから、とされる)。が、よく考えてみよう。「UNIVACにAtlasの名前が付されたのは漫画の登場人物に由来するからだ」と主張するような者たちも「それはそうだろう」と認めざるをえないこととして「13」とはアトラス(とアトラスの娘達;アメリカの比喩)も登場するヘラクレスの冒険数「12」の次の数である(アトラスと関わったヘラクレスは計12の冒険の"後"、神々の戦いに参戦。下半身が竜の巨人達、ギガンテス相手の戦い ―後述― で活躍するも、さらにその後、かつて倒したヒドラの毒にあたって死ぬ)。そして、同13、フリーメーソン達にも馴染みが深い数でもある(彼らは13日の金曜日が何故、不吉とされるかについて、「自分達の先達とされる存在、十字軍時代のテンプル騎士団成員が一斉検挙された年だから」といった話をまじめに信じている節がある)。
 話はそれだけでは終わらない。AtlasことUNIVAC1101は別名が「ERA1101」であることも、不謹慎な言い方だが、実に興味深いこととしてある。その点、ERAとはUNIVAC1101の設計組織、 Engineering Research Associatesの頭文字だが、ERAを英単語そのままに「時代(イラ)」と解して、「1101の時代」ということも出来る
 さて、―この時点ではまだ「当然に」反論もあるだろうが― 「11」に結びつく911の事件が儀式、何らかの行為に向けての儀式だったとすると、だ。「1101(こと13ないし11)の時代」と画期的コンピューター(別名アトラス)が命名されたと"極自然に解釈できる"のは実に意味深いことだろう。
 (唐突な話となるが)「黄道"12"宮とされる星座群に"13"番目の蛇つかい座を加えるべきであるとの天文学的見地がある」とのことが重要となるといった見解を押し付けはしないが(:ただし、12番目の冒険の後にも蛇絡みの巨人と結びつくヘラクレスの冒険]が黄道12宮と密接に結びつくものなら、[13を忌み数とする欧米の伝統にかかわるともされる蛇を仇敵視するキリスト教のイエス・キリストの物語 ―13番目の席に着席したる弟子ユダがキリストを売ったなどとされる― ]も高度な意味で黄道12宮と関わるとされているのは[事実]だ。後述することとして)、とにかくも、全てが数値的に密接に結びつきすぎている節があるのだ。ICBMアトラス同様、米国にて画期的な初物であるアトラス、UNIVAC1101の話ひとつとっても、である。

・核ミサイルの発展と密接不可分になっているコンピューター発展史の中のアトラスから再び、ミサイルのアトラスに戻る。ミサイルのアトラスはロケットに転用され、アメリカの宇宙開発史にも名を残した。マーキュリー計画(「蛇の杖」を持つヘルメスのローマ版がマーキュリーだ)という有人宇宙飛行計画推進の中、「アトラスはロケットに転用され、猿と続く人間の長期宇宙滞在を実現させた」のだ。
 宇宙開発計画と言うと、「アポロ計画」を思い浮かべる方が多数だろう。が、「ジェミニ計画」(:同計画でジェミニこと双子が計画名に付されたのは乗員二人の有人宇宙船に由来するとされる。が、1965-1966年にかけて計10回の有人宇宙飛行をなさしめ、打ち上げ自体は12回に及んだ同ジェミニ計画は「双子」つながりで計画収束後の1966年から建造が開始されだしたWTCの「二つの塔」=「ツイン(双子の)・タワー」を想起させもするものである)や続く「アポロ計画」(アポロ"11"号で月面着陸をなしたとされることはあまりにも有名)に先立つ「マーキュリー計画」はだ。軽んじていいものではない。先の頁にて一部既述のように、ヘルメス(とそのローマ版のマーキュリー)は錬金術のシンボルや概念に親和性高き存在なだけではなく、人間操作のシンボル・概念にも結びつく存在であると解釈できるからである(:尚、それについては当サイト上の本カテゴリから離れた他所にても詳説をなしていることである)。

・前言しておくが、次頁から、一部、ここまで延々、述べてきたことが行き着く先としての核心部に入る。全ての曖昧なる点をも"証拠"とならしめる決定的な証拠、911の事件が特定集団による巨大な「儀式」だったと立証する証拠を挙げつつ、だ
 が、箇条書き部でのこの点(・)ではまだ
[核心とは"直には"結びつかぬ不審事象群]
の話を続ける。と、断った上で、ICBMのアトラスがロケットに転用された後、向かった先の話をしよう。すなわち、宇宙空間の話をしよう。具体的には宇宙空間のはるか彼方にあるスバルことプレアデス星団について言及する(言っておくが、「プレアデスの宇宙人が・・・・」云々などという馬鹿げた話をする気は毛頭ない)。
 プレアデスとは既述の「ヘスペリデス」や「アトランティス」と同様、「アトラスの娘達」を指す言葉だ。そのプレアデスの名を冠するプレアデス星団の中の27番星として「アトラス」なる星が存在する。そのアトラスの「見かけの等級(天体の明るさの実視尺度)」は単位にして「3.62」などと"される"。ここで、プレアデスの27番星ということに絡んで2と7を足して9。天体の見かけの明るさの等級3.62に関しても同様のことをして11。9と11で911となりもする(無論、こじつけがましいととられるだろうが、天体の差異を決する"主たる数値データ"をつなぎ合わせることで「アトラス」に絡み、そのような数値が出てくることをこじつけとしてよいものだろうか。「特定の規則」に基づき星の全プロフィールが決められていたらばどうか)。加えてである。プレアデス星団は18世紀フランスが発祥のメシエカタログに45番目に加えられた星雲、要するにM45だ。4+5で9となる。27番星云々を抜きにしても、「9」「11」という数が出てくるように"させられている"ともとれる(断定などしないが)。いいだろうか。私には「地球外生命体がはるか昔から暗号を送ってきている」などという極めて馬鹿げたことを述べるつもりは"全くない"のだ。そうではなくて、「ここ数百年来、来るべきときを想定してアトラスに絡むマーキングが人形のような連中によってなされてきた節もある」と問題にしているのである ( The decision-making-process of astronomers has been based on ritualism for several hundred years. )。 と、不快なプログラムの存在を他側面から推し量れる話 ―だが、[行き過ぎたもの]として誤解を招きかねなき話― をしたところで、だ。理解を促すための図を挙げた上で[人類に対する犯罪行為にまつわる具体的根拠を羅列した次頁]に入る。


本頁でなした一見、迂遠なる話に関する図解をなす。

 まずは[上掲左上]枠内図。枠線内左側で挙げたのはアトラスという名前を与えられたICBM、11という数とコードネームのレベルで接合するICBMが「棺桶」と称されるコンテナから発射される様を描いた連続写真。枠線内右側に挙げたのはアトラスが地下サイロより発射される様を描いた図。
 次いで、[上掲の右]。従前掲載のものの再掲で映画 SUPER MARIO BROS.『(邦題)スーパーマリオ 魔界帝国の女神』、911の事件を露骨に予期するような描写を含んだ"1993"年公開の児童向け映画のワンシーンの模写(上階に穴が開いてから倒壊するツインタワーを描いたシーンの模写)。その模写と直近解説した上掲左の枠線内の「サイロから飛び出すアトラスの図」を並べて見れば、どんな人間にも思うところがあるはずだろうただし、その中には『似たようなこじつけ描写を並べただけではないか』と疑念を呈する向きもあるだろう。そういった向きには「さにあらず。英語版Wikipediaの"ICBMとしてのアトラス"の項目にサイロから飛び出すICBMの上掲のようなイラストが掲載されるだけの背景がある。それについては本Webサイトをきちんと読んでいただければ、分かるはずだ」と言っておきたい)。
 [上掲左下]。日本にフリーメーソンが大好きな「ヤキンとボアズの柱」類似のキノコ雲の柱、二本の柱を建てたB-29。2+9で11(911の事件とも異常に結びつく数)となる。に関しても、こじつけがましいととられる方もあろうが、ICBMアトラスの前身たる原爆を日本に落とさせしめたのは33代目大統領ハリー・トルーマンであり、同トルーマンはフリーメーソンの"人形"だった(:自身で考えることも出来ぬ"紐付き"の下らない陰謀論者などといった人種/騙すために飼われている者達が唱える陰謀史観と異なり、トルーマンも前任者のルーズヴェルトも有名なフリーメーソン員だったのは"史実"の話である)。「日本に柱が建てられたのもそのメーソンを用いたプログラムの問題である」との話が説得力を伴って成り立つ、というのも頁をあらためて書いていくことで多くの方にご納得いただけるだろう(911と同様にチェスの駒を用いたプログラムの問題だ)。
 最後に[上掲の右下]。「ICBMとしては"米国初配備"のアトラス」の開発計画が ―Atlasの名称使用決定の後― 走りだした折、初出荷がなされた画期的なコンピューターの姿、Atlasという名のコンピューターの姿だ。"米国で始めての"フォン・ノイマン型コンピューターであるそのAtlas、別称はUNIVAC1101。そのアトラスもやはり"11"と結びつく(:くどい程に述べてきたことだが、ヘラクレスが二本の柱を打ち立てた後の"11"番目の冒険ではアトラスとアトラスの娘達が関わってくる。私の造語である「逆・ヘラクレスの冒険プログラム」上、重要なこととして、だ ―おそらくフリーメーソンの中である程度、"まだ"考える力を残している者達の多くがおおよそにして気づいているそのプログラムは凄まじく"危険なもの"である―)。

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追記:本頁本文でB-29による原爆投下が儀式であったとの疑惑につき述べたことを後、振り返って見、そのあまりの突拍子もなさから誤解を招きかねないと判断したのでここに長々とした追記をなしておくこととする。

(注:以降、追記部は[極めて長々としたもの]となり、かつ、―冒頭部より推奨している[印刷後の検討]を履践されている向きにあられても― [理解が一苦労といった程に入り組んだもの]となっている。それがため、後回しにしての検討の途を選ばれるのもよいかもしれない

B-29。東京大空襲で制空権を奪われた日本を徹底的に爆撃し、無辜の市民を虐殺したことでも悪名高き同機を用いて「何故、原爆を落とす必要があったのか」。続く段の記述を読み、よくよく考えていただきたいものである。

 発端として原爆を産み出した計画、マンハッタン計画 ―911の事件が起こったのもマンハッタンである― が何だったのか、ということから話しはじめる必要がある。
 マンハッタン計画。最初期、ニューヨークのマンハッタンに拠点が置かれていた ―ただし、計画自体は全米で進められた― ためにマンハッタンの名を冠することとなったとされる同計画の本質を考えるにあたっては
[計画のシンボル]
に着目すべきである。下がそれだ。

 は原爆が投下された1945年、マンハッタン計画内メンバーでの使用が採択された腕章。はマンハッタン計画で用いられていた徽章である。
 醜組織に詳しい方は即座にお分かりいただけるだろうが、マンハッタン計画の ―英文Wikipedia Manhattan Project 項目に二つだけ目立つように掲載されている― 上記シンボルを合わせることで
[フリーメーソンのピラミッドと目のシンボル]
が浮かび上がるようになっている(:伝えたきことが伝わっていない方もおられるだろうから、次のようにも補足しておく⇒フリーメーソンの有名なる象徴としてドル札にも刻まれている[ピラミッドと目のシンボル] ―プロビデンスの目などとも呼称― がある。その[ピラミッドと目のシンボル]の構造を想起しつつ、上掲左の[稲妻を発する一つ目のシンボル]と上掲右の[冠石 ―頂上の石― が欠けたピラミッド状の一体何故なのか、といった按配のAの字状のシンボル]を併せれば、自然にフリーメーソンの[冠石の部分に目が置かれたピラミッド紋様]が浮かび上がってくる形となっている)。

 『では上をもってマンハッタン計画、そして、その帰結による日本への原爆投下をフリーメーソンの陰謀だ、とでも言いたいのだな』
と思われている方もおられるかもしれない。
 いや違う。「帰結自体の問題は置いておいて」私はそのような薄っぺらい話(根拠薄弱なる話)はしない。シンボリズムの話"だけで"メーソンの主導的役割を論じるようなことはしない。
 それでは
[陰謀論者達 ―実に程度の低い職業人達であると他所で強調してもいる類― がこととするマンハッタンプロジェクトに特定の民族が招集されたことをもって"それだけで"特定民族陰謀論に持っていくようなやり口]
と大差ないだろう、と考えているのだ。醜き紐帯、おともだち達の問題はその程度のことでは片づけられないと述べつつも、だ(:マンハッタン計画のシンボルに見るフリーメーソン・シンボル導出方法は[日本のNTTとその主要関係会社のNTTデータの社章 ―個人的にはNTTの社章は多重連結空間構造を示しているのでは、と考えているのだが― にもそっくりそのままに当てはまり」、フリーメーソンやその協働組織たる創価学会などに見るともだちの紐帯の問題がその程度のこと ―シンボルだけで全てが判断できる、といった観点― では説明できないことがよく示されもする。尚、言っておくが、そうやって[色が付けられた営利法人]までをも忌避していたら、我々、現代人は何も出来なくなる。インターネットを利用するにも電話を利用するにも我々はNTT社と関わらなければならないわけだし、日本のサーバー会社に至ってはそちら系の会社ととれるところばかりだが、それを含んだ上で(情報発信をするのなら)「予防線を張って」話を進めねばならないのだ― )。

[左]ここで問題とするマンハッタン計画のシンボリズム変換方式体現図となる。
[右]1ドル札に刻まれた合衆国国璽にしてフリーメーソンの象徴となっている[プロビデンスの目]となる(:事情がよく分からないといった向きは英文wikipediaの[ Great Seal of the United States ]項目(極めてメジャーな項目である)の内容を参照されるとよいだろう ―そこでは「メーソンにプロビデンスの目は頻用される象徴だが、合衆国国章がメーソンによる関与にてプロビデンスの目を描いたものであるとは(時期的に)考えられないところである」といった[常識論]が記載されている(他面、直近、読んだ限り、「和文の」wikipediaの[プロビデンスの目]項目にあっては曖昧模糊とした記載がなされているにすぎない)― )
 以上、具体例を挙げたうえで述べるが
「1ドル札に刻まれているのは何にせよ、合衆国の国章の一部なのだから、それをさらに分解したものがマンハッタン計画のシンボルになっていてもおかしくはない」
という考えは容れるべきではない。合衆国が[建国の父、五十六名中、五十三名までがメーソン員だったというメーソン製国家だった]と言われていることはさておきとし、18世紀末のフリーメーソン関連書籍の時点で「三角形の中の目、万物を見通す目がフリーメーソンの象徴である」と紹介されていることなどがあるからだ。
 また、「プロビデンスの目はルネサンス期以降、キリスト教象徴体系に組み込まれていたものであり、プロビデンスの目をもってだけでメーソン関与を主張するのはこじつけ論法だ」という批判も想定されるが、そういった批判に対してはこう応えたい。
「何にせよ、フリーメーソンが三角形の中の目を自組織の典型的アイコンとして認識することに相違はないだろうし、実際、彼ら由来の現代の担ぎあげ本にもそう書いてある。だが、私はそのこと ―三角形の中の目とメーソンの結びつき― だけで多くを語ろうとする類ではなく、ここでの話には続きがある。その先の部をお読みいただいてから多くをご判断いただきたい」

 外面のシンボルの問題"だけで"多くを片付けることの弊を退け(行き過ぎた推測をなすことを避け)、我々が着目しなければならないのは
[(B-29による原爆投下の真の意味を考える前提となることとし)マンハッタン計画がシンボルの時点でフリーメーソン象徴を体現しているだけではなく、その他にも無視してはならぬ他事情と密につなっがている
ということである。
 そこまで行ってはじめて実証的な話(の前段階の話)となりうる。

 では、マンハッタン計画を語る上で無視してはならぬ他事情とは何か。それは次に箇条表記するIからIIIのようなこととなる(尚、IからIIIは個別独立の話としてではなく、ひと続きの話として書いているのでその点、留意していただきたい)。

I.信じがたいことだろうが、[マンハッタン計画の策定がなされた場]では遅くとも前世紀前半、先の大戦の数十年前から[人焼きの儀]が行われてきたと「される」。正確には[人を模した人形(ヒトガタ)か生身の人間を焼いているのかが問題になりもしている儀式]が行われてきたと「される」:常識の世界では無論、人身御供など現代社会、いや、近代社会ですら先進国では行われていないこととなっているも)。何をもってそのように言うのか。
 [人焼きの儀の実践の場]と囁かれるボヘミアン・グローブ。近年、[儀式実行現場]盗撮映像 ―YouTubeなど参照のこと― が流布されるに至り、欧米圏で異常性が問題となっている[カリフォルニア近郊の古木(セコイア杉)生い茂る森林中のグローバル・エリート達の一夏の集いの場]たるそのボヘミアン・グローブにてマンハッタン計画策定がなされていたことが「歴史的事実とされている」からである。
 それについて詳しくは本サイト上の他記事、
[現代社会にて悪魔主義が取り沙汰される背景について]:クリックすることで遷移可能。ボヘミアン・グローブが何なのかも含めて委細について解説。尚、記事表題に誤解を招きかねないこととして[悪魔主義]という語を付しているが、私がその言葉を用いる文脈は[人間を操る力学の高度な意味での存在論]上のことであり、[三文オカルティストや陰謀論者たちがこととする拙劣な話柄]上のものとは性質を異にすると強調しておく
と題した他記事で取り上げているが、とにかくも、
[グローバル・エリート達のグロテスクな一夏の集いの場]
としてのボヘミアン・グローブでマンハッタン計画が策定されたことは保守的なる記述が目立つ英文Wikipedia ―BohemianGroveの項目― にも掲載され"史実"とされているのである(ボヘミアン・グローブでの[往古の中近東での人身御供 ―焼殺― の儀]に通底するものだとされる[懸念事の火葬: Cremation of care が「公式」見解上での額面通り[マイク録音音声としての人造の断末魔を用いた"人形"焼きの儀]であり、ボヘミアン・グローブがパワー・エリート達の政治的な意思調整の場となっていたと考える限りでは、にあっても、常識は決壊せず、であるから、堂々とWikipedia上にそのような記載 ―マンハッタン計画とグローブの関係にまつわる記載― がなされているともとれる)。
 無論のこととして、
[奇怪な格好をしてエリート達が ―焼かれる対象が人形であろうと「懸念」に仮託されている抽象物であろうと― 往古の焼殺式人身御供と相通じる奇怪な儀式(隠し撮り映像が流布されている儀式)を行い続けている場]
にて、大量の人間を焼き殺すことを目的とした計画 ―マンハッタン計画― の策定がなされたのは穏やかでない。いや、明らかに異常である。原爆を落としたのが焼夷弾で大量に人間を「焼き殺し」てきた爆撃機(B-29)であることは戦時にあっての流れ上のことであろう、と何とか納得できても、だ。
 そして、その異常性に輪をかけることとして、マンハッタン計画を最後まで主導し、戦後の核兵器開発計画の最初期で中心的役割をを果たしたのがレズリー・グローブスという将官であり、その彼の名がボヘミアン・グローブと繋がっている、ということもある(: Bohemian Grove Leslie Groves。レズリー・グローブスがボヘミアン・グローブ本体と関わっていたかどうかについては不分明なところもあるが、はっきりしているのはグローブという言葉と結びつく同グローブスがマンハッタン計画の陣頭指揮をとり出す前の1941年9月11日より911で「攻撃」されたペンタゴン建築の指揮をとりだしたことだ)。

II.ボヘミアン・グローブがフリーメーソンのような醜組織の上位意思決定機構の一つたることに異論を差し挟む余地は「あまりない」(これでもつとめて中立的に話している方で ―私の主観の話をすれば― 異論を差し挟む余地は「全くない」)。フリーメーソン会員はメーソンが欧米のトップビジネスマンの過半数を成員に抱えているなどと誇ってもいるようだが、その式で言うと、ボヘミアン・グローブに参じている米国政財界トップは多く秘密好きのフリーメーソンであることになるからだ。さて、そうしたボヘミアン・グローブに一つの淵源を求められるマンハッタン計画。極めてフリーメーソン的なる象徴を表に出していたマンハッタン計画。そして、実際にフリーメーソンであることが史実として有名なルーズヴェルトの時代に採択され必要性の有無に疑念が呈示されていたのにその成果物の実戦投入(原爆投下)が[フリーメーソンのみならずKKK ―ボヘミアン・グローブ絡みで疑惑となっている焼殺パーティを一部で実際にやっていもした組織― 成員であったのもまた史実だったトルーマン33代目大統領]の時代になされたマンハッタン計画。同計画がフリーメーソン製の儀式だったことを示すもうひと押しの材料として次のようなことがある
 再び、シンボル間のつながりの話となるが ―ただし、それは先になしたような表層的な話ではなくより意味深きシンボリズム間のつながりの話となる― 、次の図を見ていただきたい。

 上掲図上段の二図は先に解説済みということで触れないとし、上掲図下段の二図について、だ。それらはフリーメーソンが頻用するシンボリズム群 ―特に[柱のシンボリズム群]― の体現図である。そこに見られる構図はメーソンの図形的呪術思考 ―というよりメーソンの操作者が固執する象徴主義― の最たるものだとし、話を続けるが、
「マンハッタン計画シンボルがフリーメーソンのより深い意味での象徴体系と密接に結びついている」
ことが図の補助線間の流れを押さえることでわかる(:上図を補助線に沿って見ていけば、[二本の柱]/[柱の間に浮かぶ一つ目]/[柱の間のピラミッド構造]が相互に結びついていることが分かる)。
 以上は表層的な意味だけではなく深い意味でマンハッタン計画がフリーメーソン象徴主義と視覚的に結びついていることを示唆しもしている。

III.上のIIにてマンハッタン計画のシンボリズムが表層的な意味だけではなく深い意味でもフリーメーソン・シンボリズムと視覚的に結びついている、とした。
 だが、その文脈での話はいまだに視覚的なつながりの域を出ていない。問題なのはさらに一歩進んで意味論的なるつながりがマンハッタン計画とフリーメーソン・シンボルの間に存在することだ。
 下の図をご覧いただきたい。

 上掲上段は ―多くを語る必要もないだろうが― 
[広島と長崎に落とされた原爆爆発時の模様を写した写真]
を転載したものである。
 対し、下段の図らはマンハッタン計画の徽章とフリーメーソン・シンボリズム画の関係を再掲しつつも、シンボル図の中に描かれたヤキン(Jachin)とボアズ(Boaz)の構図を特段に ―両脇にて― ピックアップしたものとなる。
 それら上段と下段に見る構図を比較いただく中でお分かりいただけるかと思うが、ヤキンとボアズの柱
[コケシのような形態をとる太陽と月と結びついたフリーメーソンの柱の象徴物]
が原爆にて生じた二本のキノコ雲の柱と相似形を呈するようにとれるようになっている(;ヤキンとボアズを描いた画に関しては[よりキノコ雲に近づいた形態のもの]をネット上にて見かけたようにも記憶している)。
 マンハッタン計画のシンボルに描かれた、Bombの付された城塞類似図像が尖塔としての形態を通じヤキンとボアズと結びつくことを考えれば(上掲図像群とさらにひとつ前に掲載した図像群をよくよく参照のこと)、視覚的な意味だけではなく、意味論的な側面でもマンハッタン計画はフリーメーソン象徴主義と結びついていた、と考えることができる。
 端(はな)から二本の柱を日本に打ち建てることを念頭にマンハッタン計画は動かされていた
 それこそが
[エノラ・ゲイ(広島に原爆投下したB-29)に随伴していた観測機、グレート・アーティスト]
に語感近しき、
[グレート・アーキテクト]
などといった言葉で呼ばれるフリーメーソン尊崇対象の意志だった、という文脈で、だ。
 何?あまりにもこじつけがましくて(あるいはあまりにも突拍子もなく、か)容れることができない?
 残念でならないが、上の話を傍証する話には事欠かない。その一部については後に記載するとして話を次の段に移す。

 さて、
[ここまでのIからIIIの部]
をもってマンハッタン計画とフリーメーソンが結びついている、ただ単純に「視覚的に」だけではなく[マンハッタン計画によってもたらされたこと]という「意味論的な ―あるいは目的論的な― 意味でも」結びついていることについて少なからずの字数を割いて解説を講じてきた。それによって今後のことを考えて実証を心がける私と
[市井に駄文・ジャンク ―煙幕とも呼ぶべきもの― をばら撒き、我々に真実を見えなくしている類](要するに人間の屑の類だ)
との区別をつけるのは ―事理に疎い方には― 難事かもしれないが、とにかくも、少なからずの字数を割いての解説を講じてきたわけである。
 としつつ述べるが、以降は
[「端緒として」言及することにしたマンハッタン計画の話]
をより説得力あるものになさしめる話としての、そして、今までのマンハッタン計画の話と相互補完関係にある話としての
[B-29による原爆投下が儀式そのものだったことをB-29という戦闘機それ自体のレベルでなす話]
に舵を切る。
 次のAからCを順々に検討されることを ―世界を変える意思を有した向きには― 請う次第である。

 本追記部の先の段にてもその不快なる存在に触れたボヘミアン・グローブ(BohemianGrove。開催期、周辺地域で抗議運動が起こりもしているようであるそのボヘミアン・グローブのモットーになっているのは Weaving Spiders Come Not Here「網張る蜘蛛はお断り」という言葉である(とされている)。
 その言葉がモットー化している背景に「政治活動にまい進するような者はお断り。この会の目的は典雅なる一時を愉しむことにあるのだから」との[表向きの説明通りの意図]が実際にあるかどうかは置いておいてだ(:主観の問題としては[後の大統領になる人間たちが合わせて写っている写真]が流布されており、かつ、[マンハッタン計画の策定]が行われていもしたグローブのモットーにてそのような言葉が掲げられていることには心底、疑義を呈したいのだが)。 Weaving Spiders Come Not Hereという言葉の"出典"]が続く話との兼ね合いで問題となってくる。
 その点、 Weaving Spiders Come Not Hereの出典はシェークスピアの有名すぎる有名な戯曲、 A Midsummer Night's Dream『真夏の夜の夢』に求めることができるのだが、『真夏の夜の夢』の主要人物として妖精の女王、
[タイタニア(Titania)]
が登場してくることが ―続く話との兼ね合いで― 問題となるのである(:ちなみに上の画、 The Quarrel of Oberon and Titania『オベロンとタイタニアの諍(いさか)い』中央に描かれているのが妖精の女王、タイタニアだ)。
 具体的には
タイタニア、シェークスピアがより以前の古典に見る[タイタンの娘( Daughters of Titan )]を意味するフレーズ、ティターニアから取ったとされるそのキャラクターの命名由来が[タイタンの女]という側面をもって[B-29とも関わる911の前言]と結びついているとの文脈で続く話との兼ね合い上、問題になるのである。
 以上、狂的に聞こえる物言いであることは重々、承知の上であるが、果たしてその聞こえに合致するところか否か。続く段を検討したうえで判断していただきたい。

A.突然になるが、日本でも比較的、よく知られた作家にカート・ヴォネガット Kurt Vonnegut Jr.という人物がいる(物故者なので正確には「いた」)。
 その彼、ヴォネガットの代表作である
The Sirens of Titan『タイタンの妖女』1959年刊。直近のタイタニアの話を思い出していただきたい
という小説が同男の他の作品と相まってここでの話と ―組織の人形を用いての前言という文脈で― 結びつく

 そのように開口一番、伝えたきことを述べた上で言うが、カート・ヴォネガットという男が書いた、ここで問題とする小説、
『タイタンの妖女』では
[フリーメーソンがやらせによって動かされている一連の使い捨ての駒]
であることが実に面白おかしく皮肉られている。それをもってもか、―筆力・構成力の高さもさることながら― ヴォネガットの小説は名作であるなどと評価されているととれるのだが、しかし一方で、[真の事情通(決して語らずの人類の裏切り者達でもあるが)]は同小説に対して別の見方をするととれるようになっている。
ヘラクレスの冒険に仮託されたプログラムが進行していることが作中、濃密に匂わされている
からだ
。具体的には次のような観点から、である(:話があまりにもややこしくなるので敢えて一部しか論拠は挙げない。本当の意味で生き、闘う力を有する方には各自、「何が問題なのか」、自身で小説を読まれて考えていただきたい)。

・ヴォネガット小説『タイタンの妖女』は劇中登場人物の弁としての
「一時間ごとに太陽系はヘラクレス座のM13星団に近づいている」
という全くもって意味不明瞭な言、そして、作中本筋とは一切関わらぬ言の(こともあろうに、の)1ページ使用・引用から始まる
。その言、際立っての不自然性からかえって自然に身内間のメッセージングであるととれるが、
「ヘラクレスの冒険に重きを置くのは911の背景にある発想法である」
というのはここ本頁に至るまでに述べてきたことだし、後の頁で立証が ―国内外の知りつつもダンマリの臆病者達を脇目に― 完遂されることともなる(尚、[ヘラクレスとヴォネガット小説の作中人物の言に見る13の関係]については本頁でもかする程に触れている)。

・『タイタンの妖女』に言うタイタンとは土星(サターン)の衛星タイタンのことだが、よくよく考えれば、タイタンとはアトラスやプロメテウスがその中に属する一群の巨人族、ティターンのことでもある(本サイト本カテゴリの冒頭にて一言だけ述べていることである)。
 さて、
[タイタンに属するアトラス]と[ヘラクレス]の関係
が911の事件の背後にあることだ
というのはこれから異論なきことだと証していくことでもある(くどいが、知っていても立証をなす人間は海外 ―知的水準が高く言語使用人口も多い英語圏― でも絶無だ)。

・『タイタンの妖女』の原題、 The Sirens of TitanにあるSirenサイレンとは
[ギリシャ神話のオデュッセウスの冒険に登場する怪物](人面鳥身として図像化されたりする[船乗り達を沈没させ殺す妖かしの歌を歌う化け物])にして、
[フリーメーソンの流布された紋章に刻まれている人面鳥身の怪物]
と相似形を呈している存在である
ネット上にて流布されもしているフリーメーソン紋章の一つに人面鳥身の怪物が二対並ぶものがある ―「それはサイレンの体現物である」との明言を伴わないも― 。につき、ご丁寧な話だが、ギリシャの叙事詩、『オデュッセウス』では船乗り達の船を沈没させるセイレーン・サイレンは「版によっては」二対で描写されている)。

 当サイト上の"他所" ―具体的には[米国の「年次によって易変する」失踪統計にまつわる不可解な話(可能性論)]を扱った"箇所"― でも持ち出している、
[ロシア版セイレーンであるシリン(Sirin)を二対並べた近代絵画]
よりの抜粋。
 問題は
[人の魂に語りかける神の声の象徴物]:私に言わせれば、「[神などという概念を持ち出すこと]自体、馬鹿げている」が
ともされるシリン(=サイレンことSirenが二対並ぶその近代画構造が
Freemasonの特定シンボル;インターネット調査時、その存在を知った the Coat of Arms of the United Grand Lodge of Englandと呼称されるシンボル](:セイレーンあるいは近縁のギリシャ神話上の化け物たるハーピーと同様の鳥身人面の怪物が二対並ぶ紋章
と視覚的類似性を有していることであり、もって、本段で問題としているヴォネガットの『タイタンの妖女(ザ・セイレーンズ・オブ・タイタン)』と話がつながることである。

・『タイタンの妖女』では
[大富豪ですべての元凶にあるように見えて実はプログラムにされているといった類]
が登場するのだが、劇中、[フリーメーソン員の比喩としての自殺要員達]を操っているその人物、
[宇宙旅行の折、時間等曲率漏斗(クロノ・シンクラスティック・インファンディブラム)に入り実体性を完全に失った波動と化した存在]
としてまったくもって意味不明に ―ここがポイント― 描かれている
 さて、今日的な言葉で表すれば[ワームホール]『タイタンの妖女』刊行の当時、ワームホールという言葉は物理学者ホイーラーの手によって生まれてから二年しか経っていなかったし、全くもって科学的考証をおざなりにしているヴォネガットがそのようなものの存在を観念していたとも、正直、考えられない)、時空間における歪みたるワームホールにもなろうかととれる
[時間等曲率漏斗]
の中に入った男は複数個所に同時存在する意味不明な存在になっているのだが、同時存在の始点と終点が全くもって恣意的に設定されている節がある始点は太陽内部終点は ―これまた実に意味不明極まりなく何故なのか、といった按配で― ベテルギウス
 その点、ベテルギウス、その語源が ―911との絡みで― 問題となる。
 今では棄却された説ではあるが、ベテルギウスは「巨人のわきの下という意味があった」とかつて考えられており(911と結びつく巨人タイタンたるアトラスのことを考えたくもなる)、かつ、現時にあっては「黄道における双子宮と結びつく名称由来がある」とも考えられているからだ(911の事件で崩された双子の塔を想起せざるをえない)。
 何、押し付けがましすぎる?確かに字面だけ見る限りはそうだろう。しかし、ベテルギウスを ―全くもって意味不明瞭に終点とする― [時間等曲率漏斗に入った男の散在性]については911との結びつきが他の面でも観念できる
 ひとつ。 『タイタンの妖女』劇中では[時間等曲率漏斗] が人類に課せられた限界と語られる場面で 11にアクセントが置かれた話が展開し (聖書の創世記11章の話)、の中では 崩された塔たるバベルの塔 ―911でも塔が崩された― が持ち出されていもする。
 ふたつ。[時間等曲率漏斗]はカート・ヴォネガットという男の他の作品とも結びつき、それが ―ここでの本題に関わることとして―[かつてのB-29による原爆投下の動機への慮り]とも[911の事前言及]ともつながっている。不快なことであるが、つながっている(それについては続く段で述べる)。

B.カート・ヴォネガット Kurt Vonnegut Jr.の手による作品、直近Aにて言及した『タイタンの妖女』より数十年を経たのちの作品
TIMEQUAKE『タイム・クエイク』(1997年)
がある。老境に入った米国文壇の大家、ヴォネガットの長編最後の作である同作、[没になった小説の焼き直し物とエッセーの融合作品]という変わった体裁をとるのだが、911の事件発生の前言とも取れる箇所、そして、B-29による原爆投下が儀式だったと匂わせる下りを含んでいる。先に言及した The Sirens of Titan『タイタンの妖女』の[時間等曲率漏斗]とも結びつく側面で、である。以下にて箇条表記していくことをご覧になられるとよい。

・カート・ヴォネガットは
2001年夏のタイム・クエイク後のヤキハマグリ・パーティー( Clam Bake Party )まで生きていることを想定し、この小説を書いている」
と『タイムクエイク』の中で述べている。さて、『タイムクエイク』が世に出たのは1997年だが、どこから2001年夏という時期が出てきたのか。人によっては
『アーサー・クラーク由来のかの有名な小説にして映画たる 2001 : A Space Odyssey『2001年宇宙の旅』のような作品を[『タイタンの妖女』のようなSF作(とされる)作品著者としてのヴォネガット]が意識していたのでは?だから2001年なのでは』
ととらえるかもしれない(:話の性質上、アーサー・クラークの『2001年宇宙の旅』が ―タイタンではないが― タイタンを衛星とする土星と結びついたことを述べることまでしないと「フェアではない」 ―「他を貶めるための歪曲論法と看做されうる」― と見るために上のようなおもんぱかりをなしている。尚、クラークの『2001年宇宙の旅』も実は極めて性質悪き隠喩と結びついていると言えるのだが、ここではそこまで踏み込まない)。
 だが、私はそのようにはとらえていない。911の事件が起こされる方向で進んでいた2001年の運命のその時、2001年夏ごろから日付設定がなされているのだと考えている。冗談などではなく根拠に基づいて。

・カート・ヴォネガットは
[タイムクエイク]
の意味を
[2001年2月13日に起こって、人間にそれ以前の十年間の出来事、1991年2月17日に遡るまでの出来事を追体験させる時空連続体に生ずる歪み ―時震― ]
だと定義している。
 さて、それにつき考えてもみるべきだ。何故、2001年2月13日の10年前が1991年2月13日ではなく4日間、後ろにずれての1991年2月17日に設定されているのか、と。
 につき、私の見立てで(2001年の)[少なからずの"焼死"・倒壊死を伴った911の事件]に続き湾岸戦争の再現をなすのが[組織などと呼ばれる人形の集団]に押し付けられたコンセンサス ―悪しき協約― になっていたからであると見ている。
 『馬鹿な』と思うことだろう。だが、2001年2月13日にタイム・クエイクが起こり(その『タイム・クエイク』の後の2001年夏ごろにヤキハマグリ・パーティーが催されると小説作中ではされる)、十年前までの出来事を再追体験するなどという意味不明な粗筋が何もないところから出てくると思うだろうか。ヴォネガットという作家の作風から見てとれる[皮肉屋としての側面の冴えた発露の仕方]からして恣意性があったと考えてしかるべきであり、それが1991年1月17日に勃発した湾岸戦争( Gulf War に対する意識誘導である、と自然に解釈できるのだ。1月17日と湾岸戦争の日付をそのままに言及すると流石に後々、大問題にされる可能性があるので、わざわざ一か月だけで時間をずらして、1991年2月17日などという日付を持ち出したと考えられる、と述べつつ、である(※⇒尚、諸々の陰謀論者らは911の事件が米国の産業界の利益増進・政治的影響力増大のために中東への征戦を敢行する大義名分を提供するために企画されたイヴェント、[巨大なでっち上げ]であるなどともするが(アーロン・ルッソという著名プロデューサーに至ってはそういう話をロックフェラー一門のインサイダーに事前に聞かされていたと告白しもし、その動画が広く流通を見ている)、そういった話をここでは専らに問題視したいのではない。記号的一致性の話を問題視しているのである)。

・ヴォネガットは小説『タイムクエイク』の中に登場する架空の作家の小説として
そして、
[タイム・クエイク前後の作品であるため、二度書きを体験させられた小説(;先に言及したようにタイムクエイクとは ―意味不明に― 過去十年間の出来事を追体験させるものであるとされている)]
として、
[ヨコハマに原爆を落とす筋書きだったとの小説]
を登場させている。小説の中ですぐに破り捨てられたものとして登場させている。
 ここでまずもって原爆が ―これまでの話につながることとして― 問題になるとした上で着目すべきは、である。
[ヨコハマ原爆投下シナリオについて扱った架空小説作品をものしたのと同じくの小説『タイムクエイク』登場の架空の作家]
が劇中、
『B-36の姉妹』
という全くもって意味不明なるタイトルの作品をものした、とヴォネガットが描いていることである(ヨコハマ原爆投下小説の前に書かれたとの設定のその『B-36の姉妹』も完成後、即座にゴミ捨て場に捨てられたとされており、後、それを拾った人間との兼ね合いで一悶着、起こしたことが描かれている。尚、『B-36の姉妹』という小説、[異星文明が無慈悲化する契機となった想像力を奪う装置を作り出した、三姉妹の末娘の物語]となっている)。
『B-36の姉妹』にいうB-36とは ―「同じくの名前ながら関係ない」とヴォネガット自身は指摘しているも― アメリカ合衆国の爆撃機シリーズの中の際立った一機種である。B-29と繋がる文脈にての際立った一機種である
 調べれば、すぐにわかることだが、B-29が
[原子爆弾を投下して民間人を大量殺傷した爆撃機]
であったことに対し、B-36が
[その改良型機が米軍史上前代未聞の原子力搭載機体 ―NB-36H― となった爆撃機(原子力潜水艦よろしくの原子力推進型爆撃機)]
であったという意味でB-36はB-29と繋がりがあるのだ(双方、原子力と密接に繋がっているという文脈にて)。
 カート・ヴォネガットは ―東京大空襲ほどではなかったようだが― 連合国によるドイツはドレスデンの大爆撃に連合国捕虜の米兵として際会することとなった経歴を有していた作家。であるから、彼のそういった経歴が影を落とし、彼の作品に爆撃機へのこだわりが見られるのか、というとそうではないだろう。私の見立てでは次のようなことゆえに問題になる。
B-29は2+9=11。B-36は3+6=9。二つ合わせて、原子力911ペアの出来上がり、となる
 グラウンド・ゼロ。歴史上、その言葉が際立って使われているのは広島/長崎の爆心地、および、[911の跡地]、そして、[ペンタゴンの核戦争を想定しての広場]であるというのは有名なことだが
、グラウンド・ゼロという言葉がそもそも生まれることとなった契機となったマンハッタン計画由来の原子力の軍事利用研究。それを意識させるように組織(と呼ばれる人形の集団)の成員がヴォネガットという名で、その口で ―広島/長崎の爆撃とも結びつく― 911の背後にある思考法を「前言という形で」上記のような文脈にてさえずっていた。そう考えることが行き過ぎになると思われるだろうか。いや、ならないだろう。
[ヴォネガットは小説『タイム・クエイク』でヤキハマグリ・パーティーという文脈にて911に前言している節がある/右とつながる形でヴォネガットは911に続くイラク侵攻のコンセンサス ―悪しき協約― について具体的日付に言及し匂わせていた節がある/ヴォネガットはタイムクエイクのために二度書きされた小説の中の粗筋として実現されなかったB-29による横浜原爆投下について ―そのようなプランが実際にあったかどうかは別問題として― 言及しており、ゆえにB-29とB-36の関係に意識が集中するように仕向けていると解釈可能である]
ことからしてそうではない ―考えすぎにはならない― と言える。

 そして、ここまでの流れにかかわることとして
[小説『タイム・クエイク』のそのタイトル名と結びつく[時間等曲率漏斗]が登場した小説『タイタンの妖女』にはヘラクレスやタイタンとの絡みで予定の背後にある思考法が語られている、といった側面がある]
ことまで考えれば、多くがつながるようになっている。
 しかし、懐疑的な向き ―そもそもここまでの本追記部の入り組むに入り組んだ流れは理解するだけで一苦労のものであるから懐疑的な向きのことを持ち出すのはナンセンスかもしれないが― は
「それでも考えすぎだ」
と言うかもしれない。であるから、詰めに当たる次の点のようなことがある、とし、話を一旦、ここで切る。

・直近、―ややこしいことだが― 「ヴォネガットの長編最後の作である『タイムクエイク』で911の前言がなされている、それも爆撃機B-29と爆撃機B-36を敢えて持ち出したうえで、である」との話をなした。それをもって『考えすぎだ』ととられる向きもあるだろうから、述べるが、
「ヴォネガットの『タイムクエイク』内に登場する架空の小説『B-36の姉妹』は『タイタンの妖女』と密接不可分につながっていると言え、それがために ―"重みづけ"の観点上― 911前言の問題がより一層、迫真性をもって迫ってきもする」。
 『タイタンの妖女』タイトルに付されたタイタンのセイレーン([妖女]の原題表記がメーソンと結びつくセイレーンなのは既述のことだ)が実は『B-36の姉妹』に登場する[B-36の姉妹]と密接に結ぶつくと解釈できるようになっているからそのように言う。
 につき、まずもって、[B-36の姉妹]は既述のように(架空の小説内の)三姉妹だが、ヴォネガット別作品『タイタンの妖女』(繰り返すが、[ヘラクレス]と[13]絡みの暗号がかったメッセージを作中冒頭に置くとの小説)に見るところのタイタンのセイレーンも三人一組の設定の存在である。『タイタンの妖女』の妖女(セイレーン)とは小説作中、タイタンに据え置かれた[三体の彩色されたリアルな女性の像]のことを指しているとの設定になっているからそのように(三人一組である)と言えるのだ。そして、『B-36の姉妹』は ―当のヴォネガットの『タイムクエイク』内での弁によると― 『タイムクエイク』初期版を換骨奪胎の上に生まれた作中登場小説という位置づけにあるらしい、要するに本来なら本筋だったと言える位置づけにあるらしいから、[B-36の三姉妹]は[タイタンのセイレーン(妖女)に仮託される三体の女性像]と ―作家胸中あるいは作家に影響を与えた外力の問題を斟酌し― より意味深くも結びつくと言える。また、『タイタンの妖女』と『タイムクエイク』という小説は時空間の歪み(片方では[時間等曲率漏斗]でもう片方では[時震ことタイムクエイク])という要素を介してもつながるのだから、―延々と架空の小説作品について云々するのも馬鹿馬鹿しく見えもし嫌であるのだが― 『タイムクエイク』あらため『B-36の姉妹』は『タイタンの妖女』と三人一組の女性像という形だけではなく作品としてもつながっていると判断できる。
 前置きが長くなったが、
 「一時間ごとに太陽系はヘラクレス座のM13星団に近づいている」という文言で始まっていることからして「(ここで立証しようとしているのと同じ文脈で)911の事件の背後にある思考法に言及している」とした作品、『タイタンの妖女』 
及び
 B-29による実現しなかった原爆投下について扱った架空小説に続く同じくの架空作家による架空小説『B-36の姉妹』(『タイタンの妖女』と結びつく時空間の歪みを扱っている小説たる『タイムクエイク』初期版を換骨奪胎したものであるとのことである『タイムクエイク』内登場小説) 
がつながっているから
「B-29(2+9=11)、B-36(3+6=9)の方向での伝での911前言の話が真である」
との方向に一層強くも向かうと述べもし、2001年夏のヤキハマグリパーティを想定している小説であると作中明言され、2001年に[1991年湾岸戦争発生日付と時期的に近接するポイントまでを追体験させる出来事](時震ことタイムクエイク)が発生するなどとしている『タイムクエイク』は前言小説であると述べるのである。
 上につき多くを理解したうえでまだ
「穿ち過ぎである」
と述べる人間がいるかもしれない(大半の向きは申し訳なくもの私の筆力の問題とあまりにもややこしき話の性質からサイト出だしより推奨している通りの式[印刷しながらの検討]を履践されたうえでやっと理解に達する、そういうことになるようにも思われるが)。
 であるから述べるが、実は
[時間の歪みと911に相通じるニューヨークの災害]
を扱った他の作家由来のフィクション
が存在しており、その式でも ―他の影響を受けてやったのだろうという意味でも― ヴォネガットの前言(原爆投下もが一連の流れに連なるやらせだと匂わせている前言)の話が重きを持ってくる。
 ジェームズ・P・ホーガン James Patrick Hogan。つい最近、鬼籍に入ったばかりのその有名SF小説作家のものした、
Out of Time『(邦題)時間泥棒』という1993年の小説作品が ―ヴォネガット作品とは異なり科学理論考証をそれなりにしっかりなしている形で― ニューヨークを襲った時空間の歪みを描いて見せ(ブラックホールよろしくの赤方偏移が生じ時間の歪みがこの世界に具現化するさまなどを描いて見せ)、かつ、余程、目を凝らして読まねば気づかぬことだろうが、911の前言と「とれる」箇所 ―例えば、時針で911を指す11時45分を指す登場人物の時計のピックアップや貿易センタービル(ツインタワー)と七棟のビル(世界貿易センターには7つのビルがあった)の時間劣化倒壊描写など― を含ませてもいるため、ヴォネガット作品の意味がより重くなるのだ(:私としては冒頭部より言及している[911の露骨なる事前言及をなしていたことでも知られる荒唐無稽映画]の『スーパーマリオ魔界帝国の女神』からして[時空の歪み]をテーマとしたものであることを問題視しもしているのだが)。
 あまりにも長くなっている。であるから、ここでヴォネガットの話から導き出せること、ここでの本題たる
[B-29による原爆投下が儀式だった]
と述べることの"とり"にあたる話に移る

C.既述のようにフリーメーソンのシンボリズム(正確に言えば、フリーメーソンの人形たちに操作者が押し付けたシンボリズムだが)で溢れていたマンハッタン計画。同計画を「科学的知見でもって」主導した男は
[ロバート・オッペンハイマー]
である(軍側管理者としての立ち位置で計画を主導したのはボヘミアン・グローブについて挙げた先の段で既述の軍人、レズリー・グローヴスである)。
 彼、オッペンハイマーの物理学者としての業績が最も収斂されている分野がどこにあるか、ご存じだろうか。
[原爆の開発]というのは応用技術の話で彼、オッペンハイマーの研究成果が最も色濃く表れていたのは
ブラックホールに関する研究分野
であるととれる。オッペンハイマーは
[トルマン・オッペンハイマー・ヴォルコフ限界](Toleman-Oppenheimer-Volkoff-limit
という中性子星がブラックホールに変異するうえでの質量上での限界を共同研究者らと世に問うたことでも知られているが、(その式でのことをもっと言えば)、重力崩壊と結びつくブラックホール理論の開拓者の一人はオッペンハイマーであるとさえ考えられている。
 さて、ブラックホールとくれば、だ。考えなければならないこととして次のようなことがある(サイト公開後、一年を経て付した本追記部の[以降の内容]はサイト上の続く頁で述べていることを過度に先取りして「しまった」ようなところがある。あるので、初期より掲載していた続く頁の内容と本追記部の以降の内容とを比較した際、二重表記の印象を覚えさせるような側面が出てしまっていること、最初にお断りしておく)。

・先にてカート・ヴォネガットの『タイタンの妖女』を911の前言小説として取り上げた(:『タイタンの妖女』は単体ではなく『タイムクエイク』と複合顧慮することで911への言及作品としての重みが出てくる作品であると述べてきた)。その『タイタンの妖女』に登場する
[時間等曲率漏斗]
に入った男の波動存在としての散在位置の始点は太陽内部に置かれ終点はベテルギウスに置かれているとしたが、[巨人のわきの下]や[双子]といった言葉と結びつけられてきたとも言われる同ベテルギウスの考えられるひとつの未来はブラックホールであるとされている(余談:ベテルギウスが超新星爆発を起こした際、ガンマ線バーストによって人類の存続を脅かすとの考えもあるようだが、私のような類から見れば、[ガンマ線バーストを逃れるために粒子加速器 ―すぐにこれについては書く― を用いてワームホールを生成し、超長距離移動や上位宇宙への脱出を構想するソフトウェア生命体を描く近年のSF小説]があることの方が問題だ)。

・上の話とも結びつくこととして次のようなことがある。
現時、アトラス ―タイタンの一人― を象徴に掲げ粒子加速器を用いてマイクロ・ブラック・ホールの量産の方向に向かって走っている機関が存在している。その機関の名称は欧州原子核研究機構(CERN)であり、彼らの挙動いかんによって、人類が破滅させられるとの説が ―まともな部類の学究からも― 出されている
 とした上で述べるが、(後の頁でも取り扱うこととして)CERN ―同CERNの設立を促したのはマンハッタン計画出身の科学者らである― の象徴主義は911の事件の背後にある象徴主義と確実に結びついている。911の前言小説とした『タイタンの妖女』がそうであるのと同様、ヘラクレスの冒険がらみで、である」

 いいだろうか。上のことより『タイタンの妖女』で
[時間等曲率漏斗]終点とされるベテルギウス ―語の由来が[巨人(タイタン)のわきの下]や[双子(ツインタワーを想起させる)]と結びつくとの説がある赤色巨星― の終末がブラックホール化であると言われていることは、だ。できすぎているのである。オッペンハイマー、原子爆弾投下の儀式性を示唆せんがために持ち出したマンハッタン計画の主導者たるロバート・オッペンハイマー(同男がいかなやらされ人だったと判断できるかは後の頁でも持ち出す)がブラックホール理論のパイオニアであったことも含めて、である。

・『タイタンの妖女』、そして、その作中に登場すベテルギウスとも関わる似非科学概念たる[時間等曲率漏斗]と結びつくものとして、だ。同じくの作者ヴォネガットの手による小説『タイムクエイク』の中に登場の架空の小説『B-36の姉妹』が存在している。さて、すでにくどくも述べているように『B-36の姉妹』がB-29と相まって
[(ロバート・オッペンハイマーが主導した)マンハッタン計画成果物たる原子力の技術的応用成果物]
という共通項を見せつけながら、911の前言に用いられているのなら
、だ(実際に私はそうだととらえている)。全てが ―残念でならないが― 「完全に」結びついてしまう。本追記部にあってのより以前の段で私は図を挙げながらこう述べた。
「B-29が広島・長崎に建てた柱はフリーメーソンのヤキンとボアズの柱の象徴と似ており、マンハッタン計画のフリーメーソン的なるシンボルから実際にそうであると考えられる」
 その折、述べなかったことだが、
「フリーメーソンのヤキンとボアズの柱の象徴はその間に天に向かう梯子が描かれることが多々あり、それは聖書にて天界へのゲートとされる[ヤコブの梯子]( Jacob's Ladder )であるとされている」
ということがある。
 問題は静止軌道に伸びる未だ実現せざりし技術たる軌道エレベーターの別称ともなっている[ヤコブの梯子]( Jacob's Ladder )が亜空間へのゲートとも言い換え可能なものであり、かつ、それを現代物理学の用語で表すれば、
[カー・ブラックホールやワームホール]
といった重力の妙技たる時空間の歪曲構造 ―すなわち、ブラックホールのお身内― となりもしよう
ということである。
 さて、オッペンハイマーのようなご立派な先達 ―皮肉である― の後裔ともとれなくはない欧州原子核研究機構ことCERN、
[ブラックホールを造って人類と地球に破滅をもたらすことになりかねないとされる機関]

にして
[911の事件と背後にある発想法 ―アトラスとヘラクレスの物語にまつわる発想法― と結びつく機関]
でもあるそのCERNの挙動に関しては ―嫌となるほどに後述することだが―
「ワームホールを構築して
[空間を結ぶ通路あるいはタイムマシーンの類 ―本当の有識者にはお分かりのこととしてCERNの用いている粒子加速器は"すでに"タイムマシーンなのだが(粒子加速器は超加速させた粒子の寿命を1兆分の1秒スケールから1億分の1秒スケールに相対性メカニズムを用いて引き延ばしているという意味でのタイムマシーンである)― としての通路]
の類が結果として出来上がることになりかねない」

との指摘がベスト&ブライテスト(最良)を含む学者の類から出されている(ただし、このふざけた世界では科学者が人類全体の自殺行為に手を染めるはずがないとそうした指摘の帰結のマイナス面は無視されている)。
 以上の懸念をまとめて図示化すると次のようにもなる図はヤコブの梯子を描いた絵画、そして、フリーメーソンのシンボリズムを併せて挙げての概念説明図となる)。

・上の話と接合しもすることとして次のようなことがある。
「ヤキンとボアズの柱 ―B-29によって建てられた柱としてもよい― は[ヘラクレスの柱の歴史的象徴物]と構造的にそっくりである([ヘラクレスの柱の歴史的象徴物の形態]については本頁ではなく続くページにて順次、解説していく)。そのヘラクレスの柱の歴史的象徴物、16世紀の地図帳一般をアトラスという固有名詞で呼ばせしめるに至ったエポック・メイキングなるメルカトルの地図帳にも見られ、なおかつ、(極めて馬鹿げて聞こえようが)そのメルカトルの地図帳の時点で異空間を結ぶ比喩とも結びついていると解釈可能な部分がある。
 現時、誰もそんなことを指摘する人間はこの世界にいはしないのだが(ただし、私がメルカトル絡みの寓意にも重きをおく本サイトを公開してよりしばらく経ってから[この国を侵しきったカルトのメンバー]と判断可能な徒輩らが[メルカトルの話]と[現時、欧米で猛威を振るう爬虫類人人類支配説の類]を結合させ、―意図的拙劣さを醸し出させもした― ジャンク・煙幕の類を「万人を救いうる真実をレイプし、もって、我々全員の死地を整えるためにか」ネット上に猿真似成果物として大々的に、そう、インターネット情報流通産業関係者の特段の助力を受けているとしか見えぬ式で大々的に放流していたことは観察・記録しているのだが)、
[20世紀のこれはやらせだろうととれるくだらない神秘家の言]
を全く異なる方向から付き詰めてみるとメルカトル地図帳にすら異次元接合の比喩が垣間見れるようになっているのだ(本頁から2ページほど後にその話は極々部分的にとりあげる)」

 ヘラクレスの11番目の冒険に登場する天を支える巨人、アトラス(Atlas。彼が上掲のごときメルカトルの地図帳 ―アトラスを地図帳自体を指す名詞となさしむるに至った地図帳― 掲載画にて[メルカトル技法を体現するように球体を結合させようとしているそのさま]までもがワームホールやブラックホールといったものと結びつき"うる"こと。それは後の頁で述べることである。

 上につき何を言っているか、この時点ではお分かりいただくことまで期待しないが(それは続く頁の図解部を読んでいただいた向きにこそ期待することである)、何故、そのようなことに、メルカトルの地図帳と20世紀の下らないオカルトの徒の言が次元接合の文脈でつながっているなどということになっているのか。
 現時点での研究に基づく私の見立てではメルカトル図法ともつながる子午線弧( Meridian Arc 。その子午線弧を含む測地線(Geodesicsブラックホールや特異点がらみの定理を導き出すために用いられる必須の道具となるよう、Freemasonを介して[人類の測地体系]が調整されてきたことも「一因している」ようにとれる)。
上につき、これまた何を言っているのかわからない偏執狂の妄言の類ととられる方もいようが(本頁の2ページ後の内容を読まれていないのなら尚更だ)、―判断されるのは読者各自であったとしても― さにあらず、と強調しておきたい。何をもってか。
[人間の無力さ]を強調するように「月が人工物だった」などと強弁している書籍 ―言っておくも私は月が人工物だとはまだ見ていない― 、超陰謀論者の体裁を「表向き」とるデービッド・アイク( David Icke )という男が著作内でその存在を紹介していることでその名を知った
WHO BUILT THE MOON?
という[月=人工物理論]が提唱されている書籍(著者は Christopher Knight Alan Butlerの二名)にて
人間の測地体系が絶対に人間業とは思えぬやり方で調整・構築されていること
が極めて実証的なる式で ―しかし、重要なところで世間通にはわかる虚偽を含むやり方で― 解説されているのに相対していることをもって「さにあらず(ここでの話は妄言では済まされない)」と強調しておきたいのだ:フリーメーソン臭とともに[人外の力を担ぐような畏怖と明示せじの諦観]で満ちている WHO BUILT THE MOON?。その邦訳版は国家寄生カルトとオカルト愛好家好みのにおいを感じなくもない仕様となっているので敢えて同・邦訳版の紹介はなさない。なさないも、まだもって運命に抗う力を有した各人、闘う人間の足を引っ張るなどの目的でしばし生かされているといった類とは一線を画す各人は各々、調べ、同著に見られる人間の測地体系単位及び10進法と地球・月・太陽の位置関係の間に見る化け物じみた偶然性の話などを精査されてみるのもよいだろう。同著 WHO BUILT THE MOON?に書かれていることには誇張らしき点、そして、虚偽ととれる箇所も多いと知った上で、だが
)。

 いかがであろう。ここに至るまでのAからCを通して
「[B-29による原爆投下]は一連の儀式行為の一環として被操作者を用いてなされたのだ」
と述べる根拠が何なのか、お分かりいただけたのではないだろうか(最後のCの部にて付した[月にまつわる話]の箇所は理解の範疇を超える、とお思いになられている方も多いだろうと危惧するが)。
 それでは最後に次のような話をなして異常に長くもなってしまった本追記部を終えたい

「調べていくうちに長崎原爆投下を奇跡的に生き延びた人物として
[永井隆という被害者救助に尽力した医師]
がいたことを知った。同人物の自身が死に瀕した中での人命救助に挺身した生きざまは異論なく称賛に値するととらえるが、反面、同人物には「残念でならない」ところがあったとも ―自分自身のために闘っているわけでもある私にはそのように殊更に言う資格はないかもしれないが― 考えている。すなわち、故人が長崎への原爆投下をもって
[神の御摂理のなせる業にして(原爆投下は)汚れなき子羊達の燔祭(:燔祭"ハンサイ"とはユダヤ教にて丸焼きにした獣を神に捧げる神事であるとされているものである)だったのだ]
と定置していたらしい旨、伝わっているのを『どうなのか』ととらざるをえないのだ。
 それにつき、宗教および宗教をコントロールする力に実存を渡した者の内心(あるいは内心とは至らぬも物言い)などは往々にしてそういう方向に偏りがちになるとは分かるのだが、残念である/残念ではなくそれだけの人間だった、といった物故者の評価の問題を超えて、だ。ここで問題視すべきは故人の上記のような物言いの次元から原爆投下が儀式だったと ―情緒的にではなく純・記号論的に― 推し量れもすることである。
 その点、永井隆というある種、原爆の殉教者は原爆投下を
[ユダヤ教・キリスト教の神の燔祭(はんさい)]
と定置していたとらしいと述べたが、生贄の獣を焼いて捧げる燔祭とは外語に言いかえれば
[ホロコースト]
のことであり(永井隆が没した原爆投下後間もなき頃にホロコーストという言葉が本来の燔祭といった意味やユダヤ人に対する殺戮行為という文脈を超えて虐殺一般をさしえたかどうかはまだ調べ終わっていない)、史上、有名なホロコースト、ユダヤ人に対する組織的殺人行為と言えば、
ソロモン王が建立したエルサレム神殿をヘロデ王が包囲、身内のユダヤ人を焼き殺したこと
であるとされている。
 問題は
[(ホロコーストしての)ソロモンが建立した神殿の焼き討ち破壊]
である。何故か。本追記部でB-29を用いて具現化したキノコ雲と相似形を呈することの問題性を延々と述べてきたヤキンとボアズの柱。それらがソロモンの神殿の前に立つ柱である、とされているからである。そして、必要もなき所を敢えて付け加えれば、史上、ソロモン王の神殿の焼き討ちと立て篭もるユダヤ人の"焼殺"が6月8日、6月9日、6月10日に行われたとされているからである(籠城体制をとらんとしていた日本。その広島に原爆が投下された8/6という日付を反転させれば神殿立て篭もりユダヤ人へのホロコースト開始の6/8という日付が出てくる:単体で述べればこじつけとされることだ、というのは言うまでもないが、敢えて触れている)。
 以上のようなことと
[マンハッタン計画に集められた科学者たちの民族的特性 ―言っておくが私は差別論者ではない。"人形"に意図的につけられた色の話をしているだけだ― ]
[ナチスが"ホロコースト"対象者に付していたダビデの星が ―フリーメーソン象徴体系などで― ソロモンの呪印とも呼ばれていること]

を複合加味すれば、そう、先にて述べてきた[フリーメーソン・シンボリズムとマンハッタン計画の結びつき][ボヘミアン・グローブとマンハッタン計画の関係やそれと結びつく911前言の性質]をもあわせて複合加味すれば、全てがひとところに結線しようとは分かろうものである
 尚、ソロモンとはイスラム教世界では[悪魔を使役した賢王スレイマーン]としてつとに知れ渡っており(我々が子供心に聞く[アラビアン・ナイトこと『千夜一物語』に収録されている物語]に出てくる壺入りの魔人・悪鬼の類は揃いも揃ってソロモンの手によって封印されているとされている)、ソロモン王の神殿の破壊とは詰まる所、悪鬼の解放といった文脈と結びつきうる。そのことが何を意味するかは[イラク侵攻の背景][ブラックホール発生実験にまつわる問題すべき象徴の使用]にも言及している後の段を精読をされたうえでのご自身の判断にお任せする
 とにかくも、人類の不幸は相互に密接に結びつくよう調整されている節があり、さしあたり、
[B-29にまつわるやり口]
については論じるべきことは論じたと考えている」

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この異様な図は
[原爆開発のマンハッタン計画(Manhattan-Project)]
[地球儀を円筒に投影したものとも言えるメルカトル図法(Mercator-Projection)]

一つの共通項を介して結びつくことを訴求せんがために作成したコラージュ、[マンハッタン計画下請け作業のために雇われたオペレーター達の作業中写真]、[メルカトルの息子ルモルド・メルカトルの遺した世界地図]、[円筒内にて投影された地球]を合成し本サイト用に作成したコラージュである。
さて、肝心要のここで問題とする共通項
[アトラス]
である。
世界を背負った巨人、タイタンのうちの一たるアトラス。
同巨人はメルカトルの地図によって地図そのものを指す言葉となり、だけではなく、現在のマンハッタン島自体とも、マンハッタン島の名を冠するマンハッタン計画とも、そして、マンハッタン計画の成果を受けて生まれた節あるCERNとも結びついている、と言えてしまう。そして、その結びつきの背後には ―不快極まりないことに― [911の事件にまつわる象徴主義]が横たわっていると言えてしまう。
では、なぜそうもなっているのか。それを「出来るところまで」指し示すのが本サイトの本義である。
(尚、「出来るところまで」を超えての行き過ぎた推論、物理学分野の門外漢としての時宜を得ていぬ見立て"かもしれない"が、私的には現代に至るまでの[メルカトルに象徴されるアトラスへのこだわり]の背後には位相幾何学の領分である[トーラス][多重連結空間]といったものへの示唆があるようにも考えている;その意味するところについては力を有した方々 ―他の猿真似をし真実をレイプするといった屑に、ではない― 検討していただきたいと考えている)