典拠となるところの明示[7]――加速器実験に伴う欺瞞性、 そして、そこより証示
なせもすることについて

関連情報にまつわるカテゴリ(各部クリックにて遷移)

ブラックホール生成問題に通ずる先覚的言及文物らの繋がりあいについて(布石としての[「一例」の紹介])

 直前頁までにて、(既に典拠示してきた[事実A]から[事実E]に加えてのものとして)、

[[事実F]から[事実I]]

と振ってのことらが

[(誰でも異論なくもそうであると裏取りできるとの)[文献的事実]]

として存在しているがゆえに問題であると申し述べ、そのうえで、それら([事実F]から[事実I]と振っての)事実らのうちの[事実F]および[事実G]がまさしくもの[記録的事実][文献的事実]であるとの典拠を ―オンライン上より確認なせるところの原著などよりの原文引用との式で― 挙げきった。

 ここ本頁ではさらに[事実H]および[事実I]が[記録的事実][文献的事実]であるとの典拠を挙げることとする。


| 出典(Source)紹介の部8 |

 本段、にあっては、

[事実H]

 上の[事実F]と[事実G]の摘示(容易に後追いできるとの該当部引用による摘示)によって

15兆電子ボルトのCEERN(CERNならぬCEERN)の粒子加速器を登場させている小説]([事実F]の言及部にて挙げた小説)
極微ブラックホールの暴発を描く小説]([事実G]の言及部にて挙げた小説)

が著名な米国SF賞を受賞したSF傑作選の中で(そうなるべくも定例化しての当該傑作撰体裁が定められているため)連結させられていると示すことができるようになっているわけであるが、取り上げての小説の間には
[「配置面」([連続掲載]との配置面)以外の連結関係]
が成立しもしている。
 その点、[事実F]に対する言及部に挙げた小説 ( 『北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中』 ) の主人公は作中、ラリィ「Larry」との愛称(通称)で頻繁に呼称され、その主人公の正式の姓はローレンス(Lawrence)であるとの設定が採用されている。
 他面、[事実G]の言及部にて問題視した小説( 『ホール・マン』 )の作者たるSF作家の愛称(通称)はラリィ「Larry」であり、その正式名称はローレンス(Laurence)であるとのことが存する。

とのことにまつわる出典を挙げておく。

 その点、表記のことの出典としては


『世界SF大賞傑作選8』(講談社刊/原題 The Hugo Winners Volume 3)に収録されている Adrift Just off the Islets of Langerhans:Latitude 38°54'N,Longitude77°00'13W(邦題)『北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中』小説本編
および
英文Wikipedia[ Larry Niven ]項目


を挙げておくこととする。

 それでは指し示しに入る。

(直下、日本国内で刊行された『世界SF大賞傑作選8』のp.223 、『北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中』掲載部よりの原文引用をなすとして)

 住みこみ天才科学者のおかげでスーパー加速器建設レースの先頭を切るCEERNが、その確たる事実をかみしめて満足にひたっているころ、当のヴィクトルは彼のもっとも古くからの親友にむかい、いかにして死の安らぎをさずけるか、いかにしてロレンス・タルボットがおのれの魂を見いだすか、いかにしてタルボットが道あやまたずおのれの体内に侵入できるかを説明していた。

(ここまででもって問題となるパートの訳書よりの引用部とする ―※― )

(※上の抜粋部は問題となる小説の主人公のフルネームがローレンス・タルボット[ Lawrence Talbot ]であることが示されている。ちなみにそちら問題となる小説の主人公姓名綴りの問題についても言及すべくも上の引用部の原著記載部も引用しておくが(原著記載部もインターネット・アーカイブのような媒体で現行オンライン上より確認可能となっていること、先述なしている)、そこにては While CEERN basked in the warmth of secure knowledge that their resident genius was keeping them in front in the Super Accelerator Sweepstakes, Victor was briefing his oldest friend on the manner in which he would gift him with the peace of death; the manner in which Lawrence Talbot would find his soul; the manner in which he would precisely and exactly go inside his own body.と表記されている、主人公の名称綴りとしてLawrence Talbotとの表記がなされている―― )

(※他面、フルネームが[ロレンス・タルボット]であるとのそちら主人公についてその略称名が[「ラリー」・タルボット]であることについては[事実F]の部で紹介した書籍内記述がそのことを指し示している。
(再度の引用をなすとして)
「よく勉強したものだな!十五兆電子ボルトだ。何もかもお見通しじゃないか、え、ラリィ?」(原著表記 ;"You have been reading up, haven't you! Fifteen trillion electron volts. There's simply no keeping secrets from you, is there, Larry?"
とのかたちにて、である)

 次いで、ウィキペディアにての作家情報記載部の内容を引いておくこととする。

(直下、英文Wikipedia[ Larry Niven ]項目よりの引用をなすとして)

Laurence van Cott Niven ( born April 30, 1938 ) is an American science fiction author. His best-known work is Ringworld (1970), which received Hugo, Locus, Ditmar, and Nebula awards.

(訳として)「 Laurence van Cott Nivenローレンス・ヴァン・コット・ニーヴン(一九三八年四月三〇日生)はアメリカのサイエンス・フィクション作家となる。同ニーヴンの最もよく知られた作品はヒューゴー賞、ディトマー賞、ネビュラ賞を受賞している『リングワールド』(一九七〇年初出)となる」

(引用部はここまでとする ―※― )

(※典拠が挙げられていない話が含まれ、かつ、書き手主観が過度に介在する可能性があるとのマイナスの特質をも伴っているウィキペディアのようなものから過度に引用をなすのは問題であるとの見方もあろうが(当然である)、多数の書籍で紹介されている著名作家(米国にての著名なSF作品賞、ヒューゴ賞を1967年、1971、1972年、1976年に受賞しているとの作家ラリー・ニーヴン)の基本的来歴部といった[争いのない項目]についてはWikipediaの記載を引くだけで十分ではあろうととらえている)

(※上のようなかたちで Larry Nivenとの作家のフルネームが Laurence van Cott Nivenであると紹介されていることを呈示したことにて問題となることの指し示しをなし終えたことになる、と述べられるところであろう。すなわち、撰集にて連続掲載がなされている([事実G][出典(Source)紹介の部7])との問題となる小説らのうち片方(主人公の正式名称・略称がLawrence(Larry)となっている一方の小説『ランゲルハンス島沖を漂流中』に対してのもう片方の小説(『ホール・マン』)の作者の正式名称・略称が Laurence(Larry)となっていることの指し示しはなし終えたことになると述べられるところであろう(尚、 LawrenceLaurenceでは綴りが一字だけ違うが発音・語感は共通の名であると述べてよいところである。また、 Larry Nivenが連結小説の片方(『ホール・マン』の作者であることについては上にて引き合いにだしている英文Wikipedia[ Larry Niven ]項目にも In addition to the Nebula award in 1970[3] and the Hugo and Locus awards in 1971[4] for Ringworld, Niven won the Hugo Award for Best Short Story for "Neutron Star" in 1967. He won the same award in 1972, for "Inconstant Moon", and in 1975 for "The Hole Man". との形で紹介されている) )

 以上、引用なしてきたことでもって 

[事実H]

 先立っての[事実F]と[事実G]の摘示(容易に後追いできるとの該当部引用による摘示)によって

15兆電子ボルトのCEERN(CERNならぬCEERN)の粒子加速器を登場させている小説]([事実F]の言及部にて挙げた小説)
極微ブラックホールの暴発を描く小説]([事実G]の言及部にて挙げた小説)

が著名な米国SF賞を受賞したSF傑作選の中で(そうなるべくも定例化しての当該傑作撰体裁が定められているため)連結させられていると示すことができるようになっているわけであるが、取り上げての小説らの間には
[「配置面」([連続掲載]との配置面)以外の連結関係]
が成立しもしている。
 その点、[事実F]に対する言及部に挙げた小説 ( 『北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中』 ) の主人公は作中、ラリィ「Larry」との愛称(通称)で頻繁に呼称され、その主人公の正式の姓はローレンス(Lawrence)であるとの設定が採用されている。
 他面、[事実G]の言及部にて問題視した小説( 『ホール・マン』 )の作者たるSF作家の愛称(通称)はラリィ「Larry」であり、その正式名称はローレンス(Laurence)であるとのことが存する。

とのことの指し示しに事足りるところはないであろうと揚言する。

([事実H]が文献的事実であることを示すべくも設けた出典(Source)紹介の部8はここまでとする)



| 出典(Source)紹介の部9 |

 続いて

[事実I]

[事実F]の部にてその名を挙げた小説 Adrift Just off the Islets of Langerhans : Latitude 38°54'N,Longitude77°00'13W(邦題)『北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中』は

[欧州の加速器運営機関(CERNならぬCEERNなどと呼称される15TeV加速器を運用する機関)のビーム照射装置でもって[自らを縮退させての極小の分身]をホログラム上に造り出した主人公がそちら分身を己の[「底無しの」「黒々とした」「渦を巻く」へそ]に落とし込み、もって、己の魂に引導を渡させるとの粗筋の作品]

「とも」なっている。

とのことにまつわる出典を挙げておく。

(直下、日本国内で刊行された『世界SF大賞傑作選8』のp.224-p.225、『北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中』掲載部よりの原文引用をなすとして)

「答えは、二段がまえになっている。まず最初は、きみの完全な分身を創らなければならない。実物のきみより何万分の一、何百万分の一も小さなやつだ。つぎに、それを実体化させる。イメージを、内容のある物質的なもの、実在するものに変えるんだ。きみの実存のすべて、きみのあらゆる記憶、あらゆる知識をそなえたミニチュアのきみだ
・・・(中略)・・・
ヴィクトルは一瞬鼻白み、どこかやましげな真剣な表情にかえると先を続けた。「問題の前半は、ここで開発したグレーザーで解決する。きみのホログラムを撮るんだ。波長には、電子ではなく、原子核から出たものを使う。レーザーのそれより百万分の一も短くて、解像力の大きい波長だ
・・・(中略)・・・
二台のグレーザーがガラス板の中心に狙いを定めている。「来てみろ」
・・・(中略)・・・
マイクロホログラム・プレートだ」と、ヴィクトル。「集積回路より小さい。その中に、きみの生命をばっちりとらえる。百万分の一かそこらに縮めて、細胞一つぐらいの大きさだな、赤血球ぐらいかもしれん
・・・(中略)・・・
年配の女性技術者がグレーザーの狙いを定めると、メカニズムが所定の位置にはまりこむようなかすかな音がし、ついでヴィクトルがいった、「そうだ、ラリィ、よし」

(ここまででもって問題となる一パートの訳書よりの引用部とする)

(さらに続けて直下、上の訳書よりの引用部と対応する原著 Adrift Just off the Islets of Langerhans:Latitude 38°54'N,Longitude77°00'13Wにての表記をも「オンライン上より確認できるところとして」引用なすとして)

“The answer to your problem is in two parts. First, we have to create a perfect simulacrum of you, a hundred thousand or a million times smaller than you, the original. Then, second, we have to actualize it, turn an image into something corporeal, material, something that exists. A miniature you with all the reality you possess, all the memories, all the knowledge.”
[ . . . ]
Victor hesitated a moment, securing his position of seriousness with a touch of free-floating guilt, then went on, “The first part of the problem is solved by using the grasers we’ve developed. We’ll shoot a hologram of you, using a wave generated not from the electrons of the atom, but from the nucleus...a wave a million times shorter, greater in resolution than that from a laser.”
[ . . . ]
in the middle of the lab, grasers trained on its center. “Come here.”
Talbot followed him.
[ . . . ]
Microholographic plate,” Victor said. “Smaller than an integrated chip. That’s where we capture your spirit, white-eyes, a million times reduced. About the size of a single cell, maybe a red corpuscle.”
[ . . . ]
The older of the female technicians aimed the graser at him, there was a soft sound Talbot took to be some mechanism locking into position, and then Victor said, “All right, Larry, that’s it.”

(以上、([具体的確認方法]も先述なしたように)表記英文テキストを検索エンジン上にて検索することで問題となる箇所を特定できるようになっている(文献的事実の問題を確認できるようになっている)との原著原文テキストよりの引用とした)

(※尚、上記引用部にては
Victor hesitated a moment, securing his position of seriousness with a touch of free-floating guilt, then went on, “The first part of the problem is solved by using the grasers we’ve developed.[ヴィクトルは一瞬鼻白み、どこかやましげな真剣な表情にかえると先を続けた。「問題の前半は、ここで開発したグレーザーで解決する。きみのホログラムを撮るんだ(以下略)]
との表記が見てとれるが、そこにての表記に見るヴィクトルVictorとは
[CEERN(実在の加速器実験実施機関のCERNではない)の看板科学者にして主導者]
との設定のキャラクターとなり、そのヴィクトル曰くの[ここで開発した]との表記に見る[ここ]とは
[CEERN]
のことを指す。
 については先にての[事実F]にまつわる[出典(Source)紹介の部6]で
(原著表記として) CERN had had Dahl and Wideroe and Goward and Adams and Reich; CEERN had Victor. It balanced . He could call the tune. [ . . . ] Only seventy per cent of the experiments conducted in the underground laboratory were devoted to projects sponsored by CEERN. One hundred per cent of the staff of Victor's complex were personally committed to him, not to CEERN, not to the Eastern Bloc, not to philosophies or dogmas ...
(訳書表記として)CERNは、ダール、ヴィドレー、ゴワード、アダムズ、ライヒをこれまで抱え、CEERNにはヴィクトルがいた。それでバランスはとれていた。ヴィクトルは自由に采配を振ることができた。・・・(中略)・・・地下研究所で行われる実験のうち、CEERNの提唱になるプロジェクトは、七〇パーセントにすぎなかった。研究スタッフの百パーセントは、ヴィクトルと個人的につながっていた。CEERNでも東欧ブロックでもなければ、哲学やドグマでもない・・・・・・ヴィクトルその人への忠誠である
との記述を引いていたとおりである)

(問題となる作品の該当部引用を続ける)

(直下、日本国内で刊行された『世界SF大賞傑作選8』のp.229よりの原文該当部引用をなすとして)

ロレンス・タルボットは顕微鏡の前に行き、ノブを調整すると、金属柱のつややかな先端をのぞいた。そこには、彼自身が完全な姿のまま無限に縮小されて彼自身を見上げていた
・・・(中略)・・・
ロレンス・タルボットは、ロレンス・タルボットのへそである巨大なクレーターのふちに立った。底無しの穴の遠い斜面では、へそのしなびた表皮が、起伏に富んだ渦をえがき、なめらかに波うちながら漆黒の闇にのみこまれている。
・・・(中略)・・・
でっぱりを乗り越え、数フィート落下し、またすべりだし、闇にむかって落下した。

(ここまででもって問題となる一パートの訳書よりの引用部とする)

(さらに続けて直下、上の訳書よりの引用部と対応する原著 Adrift Just off the Islets of Langerhans:Latitude 38°54'N,Longitude77°00'13WLにての表記をも「オンライン上より確認できるところとして」引用なすとして)

Lawrence Talbot went to the microscope, adjusted the knob till he could see the reflective surface of the spindle, and saw himself in infinitely reduced perfection staring up at himself.
[ . . . ]
Lawrence Talbot stood at the lip of the huge crater that formed Lawrence Talbot’s navel. He looked down in the bottomless pit with its atrophied remnants of umbilicus forming loops and protuberances, smooth and undulant and vanishing into utter darkness.
[ . . . ]
He slid down, rode over an outcropping, dropped a few feet and slid again, tobogganing into darkness.

(以上、([具体的確認方法]も先述なしたように)表記英文テキストを検索エンジン上にて検索することで問題となる箇所を特定できるようになっている(文献的事実の問題を確認できるようになっている)との原著原文テキストよりの引用とした)

※上抜粋部は
[CEERN(作中、[15兆電子ボルト加速器を運用する組織体]として目立って紹介されている、CERNをモチーフとしての架空の組織)の運用するビーム発射装置で主人公ロレンス・タルボットことラリー・タルボットが[何百万分の一へと圧縮された自身の分身]を造り上げられ、その分身が[底無しの][渦を描く][黒々とした]同タルボットの臍(へそ)の穴へと投入されるという局面を描いている]
とのものである。その点、原著原文では(上の邦訳版よりの原文引用部たる)「ロレンス・タルボットは、ロレンス・タルボットのへそである巨大なクレーターのふちに立った。底無しの穴の遠い斜面では、へそのしなびた表皮が、起伏に富んだ渦をえがき、なめらかに波うちながら漆黒の闇にのみこまれている」との部につき、 Lawrence Talbot's navel. He looked down into the bottomless pit with its atrophied remnants of umbilicus forming loops and protuberances, smooth and undulant and vanishing into utter darkness.との表記がなされている

 ここまでの引用部でもって

[事実I]

[事実F]の部にてその名を挙げた小説 Adrift Just off the Islets of Langerhans : Latitude 38°54'N,Longitude77°00'13W(邦題)『北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中』は

[欧州の加速器運営機関(CERNならぬCEERNなどと呼称される15TeV加速器を運用する機関)のビーム照射装置でもって[自らを縮退させての極小の分身]をホログラム上に造り出した主人公がそちら分身を己の[「底無しの」「黒々とした」「渦を巻く」へそ]に落とし込み、もって、己の魂に引導を渡させるとの粗筋の作品]

「とも」なっている。

とのことが[文献的事実][記録的事実]であることを(必要十分であろうとのかたちにて)指し示した。

出典(Source)紹介の部9はここまでとする.続いての頁では今までそれらが文献的事実であることを示すのに注力してきたことら ―[事実F]から[事実H]― よりさらに一歩進んでところで何が述べられるのか、その指し示しに注力することとする)


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直下、本稿冒頭部へのリンクを設けておく

(⇒冒頭頁へは下の部より)

[典拠紹介部第1頁 加速器実験に伴う欺瞞性から証示なせることについて]

 上にて挙げているのはドイツ浪漫主義芸術の巨匠たる18世紀画家、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(Freemasonでもあったとの画家 Caspar David Friedrich)の手になる一品、

Der Wanderer uber dem Nebelmeer雲海の上の旅人』(に多少の[動き]をアレンジとして加えたもの)

となる。

 言われようの問題として一般に、

[人間の崇高なる精神が高みを目指し、ついぞ多くの物事を達観するに至った時、その折の孤独と感慨を描いた画]

などと形容される上掲の『雲海の上の旅人』に関して(本稿でもその言行を順次・段階的に取り上げることになるとの)物理学者リサ・ランドールは[次のような申しよう]をなしている。


(直下、物理学者リサ・ランドールの手になる著作 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)にての CHAPTER THREE LIVING IN A MATERIAL WORLD[第三章 物質世界に生きる]の章の記述内容 ――オンライン上検索エンジンにあっての原文検索にて該当部特定できるところの記述内容―― よりの原文引用をなすとして)

Our universe is in many respects sublime. It prompts wonder but can be daunting ―even frightening― in its complexity.  Nonetheless, the components fit together in marvelous ways. Art,science, and religion all aim to channel people’s curiosity and enlighten us by pushing the frontiers of our understanding. They promise, in their different ways, to help transcend the narrow confines of individual experience and allow us to enter into―and comprehend―the realm of the sublime. (See Figure 11.)
          [ . . . ]
[ FIGURE 11 ] Caspar David Friedrich’s Wanderer Above the Sea of Fog (1818), an iconic painting of the sublime ― a recurring theme in art and music.

(上の原著引用部に対する[訳文]として国内流通訳書『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)ハードカヴァー版にあっての81ページに記載されているところを引くとして)

多くの点で、私たちの宇宙は崇高だ。その複雑さは好奇心を駆り立てはするが、無力感も抱かせるし、ことによっては恐怖さえも感じさせる。にもかかわらず、宇宙の構成要素は素晴らしくぴたりと絡みあっている。芸術、科学、宗教は、いずれも人々の好奇心を促して、理解の限界を広げさせ、それによって私たちを啓蒙することを目指している。いずれもそれぞれのやり方で、個人の経験の狭い領域を越えさせることを約束している。それがかなえられたとき、私たちは崇高なものの領域に踏み込む――そして理解する――ことができるのだ(図11を参照)。 …(中略)… [図11]ドイツの画家カスパー・ダーヴィド・フリードリヒの「雲海の上の旅人」は、崇高なものを象徴的に描いた作品だ。崇高さは、美術と音楽に繰り返し登場するテーマである

(以上をもって Knocking on Heaven’s Doorにての原著表記および訳書よりの引用とした)


 さて、何故、ここ脇に逸れての部にあって「目立つように」特定絵画 ― 『雲海の上の旅人』― を挙げ、その絵画に対する物理学者の評しよう ―「雲海の上の旅人」は、崇高なものを象徴的に描いた作品だ....― などを引いたりもしたのか

「それは、」
絵画『雲海の上の旅人』に対して直上引用なしたような評しようをなしているとの物理学者リサ・ランドールが

加速器によるブラックホール生成可能性にまつわるトピックの理論深化に一廉ならぬ貢献をなしているとの著名物理学者

[[崇高なるもの]を目指しての宇宙の探求(およびそのための装置と銘打たれている巨大加速器LHC)の称揚・礼讃をなしているとの向き

であるとのことがあり、また、なおかつ、彼女リサ・ランドールの手による、(絵画『雲海の上の旅人』を科学者が目指しての[崇高さ]とを結びつけている)引用元著作 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)が

人間のありよう(崇高さとはおよそ程遠いところにあるありよう)]
人間の辿る運命

を嘲笑うような[嗜虐的寓意]で満ち満ちていると申し述べられるようになっている著作であるとのことがある、遺憾ながら
[理の当然]
として申し述べられるところとしてある ――個人のせせこましい偏頗(へんぱ)な主観などとは一線を画したところで客観的かつ具体的にこれはこうでこうだと申し述べられるようになっている(出典呈示を第一義にしての本稿では無論、その論拠を事細かに挙げる)とのところとしてある―― からであり、そのことに注意を向けたかったからである(※)。

(※上にて引用元とした著作、 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)、同著にあってはその冒頭部より
September 10, 2008, marked the historic first trial run of the Large Hadron Collider (LHC). Although the name―Large Hadron Collider― is literal but uninspired, the same is not true for the science we expect it to achieve, which should prove spectacular. (表記英文引用部に対する訳として)「2008年9月10日、ラージ・ハドロン・コライダー(LHC)が歴史的始動を見た.[ラージ・ハドロン・コライダー]との名称は有り体に言ってインスピレーションを何ら与えぬとの平凡なものだが、私たちがそれ(LHC)に[証明すべきととらえている壮大なる挙]を託しているとの意では[科学(の進歩)]にとり同じくものことは真実とはならない(LHCは際立ってのインスピレーションを与えるものである)」
などとのことが書き記されている。
 そうもした書きようが目立ってもの冒頭部にてみとめられる著作ノッキン・オン・ヘブンズ・ドアにおける表題、 [天国のドアをノックする]の由来についてリサ・ランドール女史は同じくもの著作の中で次のようなことを述べてもしている。
(以下、 Knocking on Heaven’s Doorにての CHAPTER FOUR LOOKING FOR ANSWERSより引用なすところとして)
I first heard the phrase “knockin”on heaven’s door”when listening to the Bob Dylan song at his 1987 concert with the Grateful Dead in Oakland, California. Needless to say, the title of my book is intended differently than the song’s lyrics, which I still hear Dylan and Jerry Garcia singing in my head. The phrase differs from its biblical origin as well, though my title does toy with this interpretation. In Matthew, the Bible says, “Ask, and it shall be given you; seek, and ye shall find; knock, and it shall be opened unto you: For every one that asketh receiveth; and he that seeketh findeth; and to him that knocketh it shall be opened. (以上原著表記に対して訳書『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)ハードカヴァー版[第四章]103ページにての表記を引くとして) Knocking on Heaven’s Door(天の扉を叩く)]――これが本書の原題だが、私が最初にこのフレーズを聞いたのは、一九八七年、カリフォルニア州オークランドでのグレイトフル・デッドとのコンサートで、ボブ・ディランが『天国への扉』を歌うのを聞いたときだった。いまでも私の頭の中ではディランとジェリー・ガルシアがこれを歌っているのが聞こえてくるけれど、いうまでもなく、私の本のタイトルは、この曲の歌詞とは意味が違っている。このフレーズは出典である聖書の一節とも違っているが、私のタイトルはこちらの意図を拝借したものだ。聖書の「マタイ伝」には、このように書かれている。「求めよ。さらば与えられん。尋ねよ、さらば見いださん。門を叩け、さらば聞かれん。すべて求むる者は得、たづねる者は見いだし、門を叩く者には開かれるるなり
(以上、引用部とした)
 といったところ、新約聖書のマタイ伝にあっての
[求めよ。さらば与えられん。尋ねよ、さらば見いださん。門を叩け、さらば聞かれん。すべて求むる者は得、たづねる者は見いだし、門を叩く者には開かれるるなり]
とのフレーズ、それが
[天国の門]・[天国への扉]・[天国への階梯](ステアウェイ・トゥ・ヘブン)
との兼ね合いでいかように嗜虐的なる別側面での意味( Double Meaning )と共にあるのか、そのことからして具体的典拠を挙げ連ねるとの式で遺漏無くも事細かに示そうというのが本稿の本義であるとここ脇に逸れての部にあって訴求しておきたいとの意図が筆者にはある)

ここ本頁にて何故もってして細々とした指し示しをなしているのかに関わる[重篤なる問題]について扱った【「容易に後追い確認なる」「堅い」ソースを呈示しての出典紹介部ら】、それぞれへの[遷移経路]を設けておく (:クリックすることでブラウザ ―インターネット閲覧ソフト― の[別タブ(別枠)]にて典拠紹介部を表示( open "additional" tabbed window(s) of web browsers ))

[出典(Source)紹介の部6]から[出典(Source)紹介の部7]70年代に遡るところとして[欧州CERN加速器によるブラックホール生成]を臭わせている風が如実にあるとの[複数フィクション]が存在していることにまつわっての典拠紹介部6から典拠紹介部7)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)

[出典(Source)紹介の部6]
典拠紹介部第6頁 70年代小説らに見る「克明無比なる」ブラックホール生成に通ずる言及

[出典(Source)紹介の部7]
典拠紹介部第6頁 70年代小説らに見る「克明無比なる」ブラックホール生成に通ずる言及