歴史。伝承。神話。人類の歩んできた足跡上に存在するエニグマ(謎)

 
 

爬虫類人人類支配説の分析

 現時、次のような説が欧米を中心に反響を巻き起こしている。

「我々の中に人間のフリをしている一部の爬虫類人がいる。彼らは外宇宙/多次元の別領域/地下世界からやってきて我々の世界に紛れ込んでいる。この地球のありとあらゆる統治体は実は"人間に直接、変身した彼ら自身"か"彼らに精神を支配された人間"によって運営されている。有史以来ずっと、である」

 実に馬鹿げた考えととられるかもしれない。
 だが、明示的に、あるいは、そこはかとなく、
「爬虫類人人類支配説は部分的に真実を包含するのではないか」
と主張する向きがネット上に"多々"、見受けられるということは紛れもなき事実だ(なかんずく英語圏にて、である)。
 では、上の異説、爬虫類人人類支配説は何故、広まりえたのか。そして、何故、受容されえたのか。この世界の"実状"の話を抜きにして言えば、だ。それは[デービッド・アイク]の活動によるところが極めて大きい。デービッド・ヴォーン・アイク( David Vaughan Icke )。いまや欧米ではその名を知らぬ人間の方が少なかろう英国人である。
 が、日本ではそのアイクの名、そして、その略歴について知る人間は少ないように見える(オンライン上の検索数などから見る知名度を分析する限りそうとれる)。ために、ここでは[デービッド・アイクと彼が異説を広めた過程につき細かい解説をなすこと]から始めることとしよう。私はデービッド・アイクの「無条件の」シンパでもなければ、(その内容を曲げつつも)日本で彼の異説を広めるのに貢献してきた者達とも関係ない人間だが、とにかくも、そこからはじめることとしよう。

 さて、デービッド・アイクの来し方(異説流布の道程)・略歴は ―多少、長くなるも― 次の前後期別にまとめたようなものとなっている(問題多き[前半期]の来歴に関しては英文ウィキペディアの記述に多くよった)。

[前半期]
 若き日のデービッド・アイク。彼はサッカーの選手を経て地元レスターのローカル紙の報道記者としての職を得た。その後、BBCのスポーツキャスターに転じ、間もなく、環境主義政党、緑の党のスポークス・マンをも兼任するようになる(しかし、現時、アイクは古巣の主張と真っ向から対立する物言いをなし、「環境保護主義の背景にあるのは人類をたばかる意図である」としている)。が、そのような成り行きで公営放送のキャスターとして、環境政党のスポークスマンとしてブラウン管上の人として名声を博していた時分の1990年代に、である。彼、アイクはベティ・シャインという霊媒と接触したといい、その彼女に「[地球を癒す者]になると指摘された」とスポークスマンを務めていた緑の党の運営陣に語ったところ、緑の党を代表して公の立ち位置で語ることを一切、拒否されることになったという。著書によると彼はその締め出しの翌、1991年にペルーにて人生を一変してしまうような体験に際会したといい(無論、そうした話の真偽は保証しない。この世界では[色々なこと]が起こるとは知っているが、そうした話の真偽など保証できることではない)、同年、トルコ石だけをまとい記者会見を開催。「私、アイクはキリスト的霊の媒体となった。神あるいは神"的"なるものに選ばれたようだからだ」とたからかに宣言する(ただし、その後、アイクはキリスト教を広めた存在、キリスト教の神は悪魔的存在だとはっきりと明言するようになった)。
 そういった中、デービッド・アイクは「私は神の子である。英国は時を経ずして津波と地震の中、荒廃することになる」とインタビュー番組の中で口にしたことがさらなる舌禍となって英国中で嘲笑われる存在となってしまう。デービッド・アイクは「往時、神の子だと主張したのは我々が無限の意識の海から生まれた滴のようなものだ」と訂正し直しているようなのだが、とにかくも、アイクは[神懸かった男・妙な物言いの男]と万人に悪い意味で認知されるようになったわけである。

 以上が、デービッド・アイクが世に知られるまでになった[前半期]の話である。一読してお分りになろうが、「実に気の毒な人物だな」といった感想や「要するにそちら系のタレントだろ?」といった感想を抱かせる人物。そう言わざるをえない。しかしながら、そのようなデービッド・アイクがさらに後、名声を次第次第に挽回、いや、ブラウン管上の華やぐ人であったとき以上の評価を得るようになる。次のような[後半期]の活動を通して、だ(その[後半期]の活動が上記異説との兼ね合いで重要となる)。

[後半期]
 完全に大衆の笑い物になったとのことであるその後、デービッド・アイクは多くニューエイジャー的な内容ながらも、見るべき点を含む書籍を立て続けに上梓するようになる(1994年に世に出た The Robots' Rebellion『ロボットの反乱』あたりから)。
 そして、ついぞ、「この世界の支配者が人間に変身した爬虫類人と爬虫類人に"憑依"(英語で言うところのPossesion)された者である」と1999年初版刊行の著書、 The Biggest Secret : The Book that Will Change the World『(邦題)大いなる秘密』で主張する段になって、だ。別の意味で公衆の注意を最大限、引くに至った(:その点に関しては、一つにデービッド・アイクが多くの証言者を自著にて実名で挙げたことも大きい。「英国女王は爬虫類人であると故人となったダイアナ妃から聞かされた」といったことを述べていたクリスティーン・フィッツジェラルドなどがその代表例だ)。
 上がアイクという人間の転換期の挙動、そして、内容の突拍子さや証言者発言の呈示が相まって爬虫類人人類支配説が一気に大衆に知られるようになった経緯だが、押さえておくべきは、である。
「18世紀に名声を博していたフリーメーソンのスウェーデンボルグが若干、言及し、20世紀中盤から活躍し出した超常現象分析家、ジョン・キール(このキールの主張にはアイク同様、不正確なところが多いがそれは余談だ)が触れていた[人類に対する亜空間からの支配]を大衆に分かりやすく説明し、かつ、"史上、最も広めえた"のはデービッド・アイクである
ということである。
 としつつ、話を進めるが、デービッド・アイクは1999年初版刊行の著書、 The Biggest Secret:The Book that Will Change the World(邦題版は2000年に世に出た『大いなる秘密』)以後も[極めて物議を醸す著書]を立て続けに出版し続け、いよいよ、その名を欧米全体に知らしめるに至った。アイクの異質なる来歴はもはや問題にならないといった形で彼の名を欧米全体に知らしめるに至ったのだ。その間の彼の主要著作だろうと私がとらえる著書名は次の如しだ。

2001年刊の Children of the Matrix. How an Interdimensional Race has Controlled the World for Thousands of Years-and Still Does:原題直訳はそのものずばりで『マトリックスの子供達。いかにして次元間移動種族は世界を数千年間、支配し、そして、まだ支配しているのか』2007年に訳されて日本に出た邦題タイトル名は『竜であり蛇であるわれらが神々』。同邦訳版、原著と装丁が"かなり異なる"とも指摘しておく ―アイクという男の実相を分析したく、かつ、英語を解する向きは邦訳本より彼の原著群の方を読まれることを勧める― )。

2002年刊の Alice in Wonderland and the World Trade Center Disaster『不思議の国のアリスとワールド・トレード・センターの崩壊』2003年に訳されて日本に出た邦題タイトル名は『究極の大陰謀』。911の事件を仔細に分析した書籍として非常に興味深い。が、それ以上に問題視すべきことが原著タイトルにまつわる事象にあるのではないか、と本Webサイト上の他所で触れている)。

2005年刊の Infinite Love Is the Only Truth: Everything Else Is Illusion『無限なる愛こそ唯一の真実。その他のものはすべて幻である』[人間社会の誰もが感じていて口にだせない実相]を視覚的にきわめて印象に残るようなやり方で訴えている良著であると見るも、未邦訳)。

2007年刊の The David Icke Guide to the Global Conspiracy (and how to end it)『デービッド・アイクが案内する世界的陰謀。そして、それを終わらせるには』2009年刊の邦題タイトルは『恐怖の世界大陰謀』。同著、デービッド・アイクの主張の集大成ともいえる書物であるが、素っ頓狂ともとれるアイクのかつての主張が再度、言及される一方、2005年刊の未邦訳本に見られた[人間社会の誰もが感じていて口にだせない実相]を視覚的に訴求する側面が弱まっているとの印象を覚えた)。

2010年刊の HUMAN RACE GET OFF YOUR KNEES The Lion Sleeps No More『人類よ。ひざまずくのを止めよ。ライオンはもうこれ以上、眠らない』現時、未邦訳。このデービッド・アイクの新刊、「個人的にも」タイトルレベルで非常に興味深くとっている著作ではある。同時期に書店に並ぶはずだった私の自著、『人類と操作』。[出版社が著者としての私の労力と時間を無駄にさせた挙句に社内事情で大手を含む他出版社に好かぬやり方で丸投げしようとしたがために印税など要らぬと出版権を渡さず無償公開することとした自著]。それと同様、 Human Race「人類」の語を含むがために[偶然の一致]にしても非常に興味深い、ととっている著作だからだ(2009年にはすでに私の著作は出版社 ―有名な外国書籍邦訳も手がけている会社― の手に渡っていた)。その点、私は「自身で考えられぬ連中と異なり猿真似・剽窃の類にあたる行為は決してしない」としつつ(私は名誉を重んじる。また、そのようなことをやる意味も全くない) 、右事情から「私的にも」興味深くとっているアイクの同著作に関しては次のようなこともあるのではないか、と注意を喚起しておく ⇒ アイクの新刊、『人類よ。ひざまずくのを止めよ。ライオンはもうこれ以上、眠らない』同著は人類の置かれている状況を見事に視覚的に指し示し、かつ、興味深い内容を有した"良著"と言える一方、[最悪の儀式行為との明示せぬ接合関係、獅子=ライオンの皮をかぶったヘラクレスを介しての明示せぬ接合関係]を内に含んでいる[可能性]がある書でもある:非事情通には素っ頓狂な物言いととられるだろう右の話については、である。本Webサイト上の[問題意識の所在]と題したカテゴリの中の[問題意識の所在―14―]というページ及びそれに先立つ[アトラス・プログラム]=[逆ヘラクレスの冒険・プログラム]解説頁をよくよく参照されたい)。
上につき追記『人類よ。ひざまずくのを止めよ。ライオンはもうこれ以上、眠らない』に関し「(同著は)未邦訳である」とした本記事原文をものしてから一年を経た後の二〇一一年一二月現在、邦訳版が流通し出していることを確認した。それに付随し、アイクの新説にまつわる長々とした追記部も本記事末尾に付しておくこととした。

 以上がデービッド・アイクという男の今日に至るまでの足跡となる。その足跡の中で、彼は奇異さが目立ち排撃された[前半期]から一転、爬虫類人類支配説という驚愕の説を広めつつ上述したような見るべき内容を多々含む著書群を世に出した[後半期]にて大躍進した。結果、欧米で ―良い意味でも悪い意味でも― その名を知らぬ者なき存在となった。
 世界中にて講演会を催し、カナダの名門、トロント大学では学生たちに拍手をもって応えられ、複数のポップ・シンガーに歌詞で実名や書名を唄われるまでの存在になったのはその端的な現れといえる(:2008年に発生したハリケーンにハリケーン・アイクという命名がなされたのはアイクの影響とは言わない。が、ボスニアで虐殺に関与したとの廉で指名手配されていた元精神科医 ―アイクとは対極の方にいる呪い師の部類― のセルビア人指導者ラドヴァン・カラジッチが、だ。 Dragan David Dabic、[ドラゴンのデービッド]ともとれる仮の名前にてポニーテール姿のニューエイジャー風代替医療実践者を演じていたときに捕まったのは、そう、[国家的最高権力者] ―と言っても屑の部類だが― とてデービッド・アイクを意識していることを一面で証しはしている。そのようなことを突っ込む人間は絶無に近しいも)。

 と、ここで人は言うかもしれない。

「よし、異説を広めた人間とその際立ったキャラクターのことはよくわかった。だが、何故、素っ頓狂な考えがよりにもよってこの現代社会に受け入れるようになったんだ?説の流布者のキャラクター性の問題だけじゃ説明がつかないだろう。おかしいじゃないか」。

 そういった疑問に応えるべく続く内容があるのだ、としつつ、[爬虫類人人類支配説]が受け入れられた"非"属人的なる理由(ととらえるところ)を挙げよう。AFと振った理由を下に挙げようそれら理由の記述方式については一冊の本を書けてしまうというぐらいに深い背景事情もあるがため、「 [より具体的なる解説]は私の自著の該当記述部や本Webサイト中の他記事に明示して譲り、結論だけ述べるという形式にならざるをえない」 ともお断りしておく)。

A.竜・蛇という形で[爬虫類の象徴]が世界中で往古より異常とも言える形で頻繁に用いられてきた、明示的あるいは隠喩的に用いられてきたということも異説の受容に影響しているだろう(爬虫類の象徴の隠喩的使用ケースについては本Webサイト上の他記事でも独自の視点で少なからず筆を割いている。[蛇の紋様にまつわる謎(二重螺旋構造篇)][蛇の紋様にまつわる怪異(雷文篇)]といった記事らがそうだ。また、本Webサイトからダウンロード可能という形で公開した自著『人類と操作』では[蛇・竜。象徴と奇怪な伝承]と題した第三章で世界各地の遺物や美術作品を例に爬虫類象徴頻用につき紹介している)。

直近、[竜・蛇の象徴]が人類史にあって異常な形で用いられているとのことがあると述べたが、百聞は一見に如かず、その最たる例を具体的図像 ―フローレンスことフィレンツェに保管されているとのことでオンライン上から誰でも(画題の検索エンジン入力で)確認可能な絵画上の図像― と共に紹介した当サイト上の他記事へのリンク部を直下、設けておく(疑わしきにおかれてはその真偽の検討を請う)。

蛇の紋様にまつわる謎(二重螺旋構造篇)] ―文字色改変部をクリックすることで記事に移動―
 上の記事、 特定ルネサンス期絵画に[蛇の視覚的寓意と結びつく二重螺旋構造](DNAのそれと同じもの)が描かれているとのことがあり、のみならず、同じくもの絵画に[蛇の寓意と結びつく精子の卵子への着床過程]が描かれていると自然に解されることまでもが ―信じ難いととられるだろうも― ある とのことにつき、細かくもの解説を講じているとの記事となる(:ルネサンス期特定絵画にまつわる寓意性については、(言論流通動態を確認するところ)、筆者ぐらいしか問題視していないことであるが、申しようは理に適ったものであると明言する)。

B[爬虫類の象徴]が異常な形で頻用されてきたという上のAと表裏をなすこととしてだ。"象徴"のみならず、世界各地の神話・伝承は蛇や竜の"神格"、蛇や竜絡みの"妖しき者達"で満ち満ちている。具体例としては ―"極一例"を羅列するだけでも― 次の「」内にて述べるようなことがある。

有史以来、最古の例としてのエジプト先王朝時代の神ウアジェド(フリーメーソンの目の紋様とも結びつく蛇の神でファラオの冠から生える蛇の由来もこのウアジェトにあるともいう)やメソポタミアのエア神(Eaは下半身、蛇の形で碑文に現れる)に始まり、ユダヤ民族の神ヤハウェすら原初、蛇の神だったという説が提唱されている(ヤハウェ蛇神起源論については本Webサイト上の他記事で言及)。
 ギリシャのアテナに蛇の神としての由来があるとも言われれば、アテナよりも千年近く後に造られたことになっている神、日本の天照大神にも蛇神としての由来があるとされる(アテナや天照大神の蛇神起源論についても本Webサイト上で言及)。
 モーセが危機に瀕したイスラエル民族を救うべく頼ったのも[青銅の蛇]なら、同じくの聖書で人間に禁断の知識を授けたのも蛇だった。蛇の半神ナーガについての記述で満ちているインド神話にてヴィシュヌ神が横臥するのは多頭の蛇アナンタの上であり、同インド神話のシヴァ神はヴィシュヌ神と同様、背から大量の蛇の触手(にしか見えないもの)を這わす姿でよく彫像化される。
 北欧神話で世界を覆うヨルムンガンドはウロボロス ―尾を噛む蛇― 状の世界蛇であり(それが頭をもたげたとき、最終戦争ラグナロクが始まる、と伝わる)、ヒンドゥー教でも世界を覆うのは同じくものウロボロス ―尾を噛む蛇― 形状をとる蛇だ。南米ではしばしば至高神は蛇と表されていた(ケツアルカトルやククルカン)。イスラム世界と化していたイランにて十世紀に成立した『王書』では両肩から蛇が生えた王ザッハークが生贄の"脳味噌"を喰らう様が奇怪に描かれている(ザッハークは時に爬虫類の姿をとるともされるゾロアスター教の暗黒神アーリマン/アンラ・マンユの化身に魅入られ、蛇の魔人に変えられたという

 細かい解説抜きの"極一例"を挙げただけでも実に多くの文明が蛇や竜の神々/妖しき者達と密接に結びついていることがお分かりになられたことかと思う。そして、そういった存在らにまつわる伝承群が
文化伝播では絶対に説明できない形で、あるいは、馬鹿げたくらいに暗号的に相互に結びついている
といったこともこの世界では確として存在する(同テーマについては本Webサイト上の[蛇の神から人の神への変質。そこに見る奇怪な関係][三つ鱗紋様に込められた意味]といった題名を付しての記事にて微に入り細に穿(うが)ちといった按配にて詳述している。また、2009年に出来上がった私の自著『人類と操作』でも第三章[蛇・竜。象徴と奇怪な伝承]にて東洋と西洋の比較をなしたりしつつ、同じくもの点につき、詳述している)。

上にて「神話・伝承上の蛇・竜と結びつく妖しき存在らが文化伝播では絶対に説明できない形態で、あるいは、馬鹿げたくらいに暗号的に相互に結びついているとのことがある」と述べたが、問題となる古典の内容を挙げてそのことにつき細かくも解説しているとの当サイト上の他記事へのリンク部を直下、設けておく(疑わしいとの向きにおかれてはその記事の真偽の検討を請う/さらに後の日にあっての付記:尚、本来ならば、検索エンジンに表示されてくるはずであろうそうした当サイト内他ページが[内容などほとんど有していない拙劣極まりない相応の手合いによるジャンク](最低限の目分量がつくとの向きならばすぐにそれと判断できもしようもの)らが目立って表示されてくるような中で全く表示されてこないとのことになっていることも現況、観察している)。
⇒(あわせての参照・真偽検討を願いたきページとして)
三つ鱗紋様。レプティリアン陰謀論とも関わりし象徴] ―文字色改変部をクリックすることで記事に移動―
 上の記事の読解を通じて洋の東西で蛇・竜絡みの神話・伝承上の存在がいかに奇怪な形で相互に結びついているのか、ご理解いただけることか、と思う)。

欧州中世の写本に見る[竜としての悪魔の王とその軍勢が天使らに斥けられるさま]。キリスト教は悪の根幹として[竜]かつ[古き蛇]という存在を据え置いたわけだが、そうしたことが[人外]に由来する反対話法 ―斃される存在を自分たちと類似の存在に意図的に設定して真実を晦(くら)ますとの式での反対話法― ゆえのことである、と主張するのが当記事で取りあげている爬虫類人人類支配説である。

C近現代になって人類の営為に影響を与えることとなったものの、深い研究対象、そして、分析対象にはされていないサブ・カルチャー群(映画やジュベナイル小説など)。そこにも爬虫類人の類が[フィクション体系上の存在]として登場することが20世紀前半よりあった。その登場の多くは純粋な文化伝播で説明がつくものであるのだが(公開した自著の第三章や脚註部でそのように言える理由に触れている)、中には心魂を抜かれたといった風情でこの社会にはまってしまった者達がはっきり言えないこととしての、続くDを挟んで取り上げるEに見るような[フリーメーソン絡みの比喩]をまぶした爬虫類人登場サブ・カルチャー作品が20世紀前半より存在していたりする(私の自著『人類と操作』の第三章[蛇・竜。象徴と奇怪な伝承]及び第五章[秘密結社に潜む謎]にてそのことに言及している)。
 フリーメーソン、そして、同メーソンとおトモダチ関係にあるカルトや犯罪組織の性質の悪さ。心魂が総体的に抜け落ちたような臆病者達ばかりが目立つ社会にあってとりたてて目立つ、そうした性質の悪さは欧米圏では有名だが(限界領域 ―"ある種の治外法権"― の話となる)、そこから『メーソンの裏にいるのは[爬虫類人のような連中]だ』との考えがサブ・カルチャー絡みで徐々に根付いていった可能性もあるにはある(:その考えが事実か否かの応えをチェス盤に乗っかっているメーソンのどれくらいが"はっきりと"知っているのだろうか、との疑問には応えようがないが、何にせよ、メーソンなどの裏に控えている存在は尋常一様の話柄では語れない存在であると述べられるような ―本記事にてページをあらためた段で後述するが如しの― 事情がある)。

D上のCとワンセットになっていることとして[近現代に生じた神秘主義の思想体系]が爬虫類人絡みの前世紀初頭サブ・カルチャーとモチーフを共有しながら、ナチスの秘教思想に結実しているといったことがある。[フリーメーソンを媒介にしつつの話]として、である ( [下らない陰謀論者達] ―本記事で問題としているデービッド・アイクは多く虚偽情報を持ち出し、そして、素っ頓狂ととられるような物言いをなしているが、私は彼をこの[下らない陰謀論者]という括りでは見ていない― の話柄を用いずとも神智学や20世紀初頭のサブカルチャーの背景を分析することでそう言える。欧米圏を含め、この世界では絶無に近しい物言いではあるが、私の公開著作『人類と操作』の第四章の内容を参照されたい)。 そういったことに気づきつつも、明言しなかった・出来なかった者達が前世紀より爬虫類人人類支配説が受け入れられる素地となる暗流を徐々に徐々に形作っていった可能性がある

E事情通には有名な話であるが、フリーメーソンは[蛇の結社]であるフリーメーソンがいかにして蛇と結びついているかは[秘密結社に潜む謎]と題した私の自著の第五章にて解説している:当のメーソンらは[自組織と蛇象徴との結びつき]をグノーシス主義といった秘教思潮の話によく矮小化させるのだが、そういった視点の虚偽を指摘しつつ[メーソンの蛇のカルトとしての側面]につき解説している)。 そのメーソン=[蛇の結社]という事実が、上に挙げたCDに見るような点と相まって、デービッド・アイクの爬虫類人人類支配説が受け入れられた素地になっていると解釈できる(デービッド・アイクという男は[不定形な存在]としてイルミナティを持ち出すが、[ブラザーフッド](常識的に見てフリーメーソンの異称だ)への批判もメーソンの儀式に着目したりしながらなしている)。

Fデービッド・アイクが爬虫類人人類支配説を流布しだすより[多少、前から]の話として、である。[神智学]のような神秘主義言っておくが、[神智学]は実に性質が悪い側面を有した妄言宗教にすぎないや[サブ・カルチャー]のようなフィクション体系の枠組みの「外側で」爬虫類人実在説・爬虫類人文明発祥関与説に言及し出す人間が現れはじめた。より具体的には人類の起源を爬虫類人型の人外の介入に求めるといった説を展開する洋書 ―事実の分析を専らとするといった体裁をとる洋書― が数冊、主に90年代より世に出ており、その内容がそれなりに考えさせるものであった、といったことがある(そうした書籍については当サイト経由で公開している無償公開著作でも触れている。また、今日、[異説の主唱者]と目されているアイクもその点については彼の著作内でほんの一言、触れている)。

 いかがであろうか。上記、A.からF.の点からデービッド・アイクの異説が欧米社会で何故、受け入れられたのかが、よくお分かりになられたのではないだろうか。そう、[爬虫類人人類支配説]という、"一見"、馬鹿げても見える異説が受け容れられたのはだ。[いまだ"キリスト教狂信主義"(神と年を経た蛇の戦いを想定する妄言体系)に見る原理主義が猛威を奮っているようにも見え"も"する欧米の文化的特徴]や況や[アイク個人のキャラクターの問題]に起因させることが出来ぬ事由、それ相応の良識人をも唸らせる事由あってのことととれるのだ

 何?では、何故、日本で[爬虫類人人類支配説]がほとんど話題の俎上に上がらない、といった風情で受け容れられていないのか?

※上のような物言いには語弊があった。正確には「真っ当な人間たちの俎上には多く上がらない」とすべきところであろうか。日本でもデービッド・アイクのことを持ち上げている部類として、例えば、爬虫類人人類支配説を「誰それが爬虫類人だ」「宇宙人の一群がどうしたこうした」などと恐ろしく低劣な思考回路でとりあげている者達が「殊更に目につく」ことはある(そういった者達が正しいことを口にしているのか。そういった者達の背後関係や意図は何なのか。「読み手の悟性でもって」判断していただきたいものである)。 私個人としては[英国発で意図してなされている節がある比喩の話 ―明らかに虚偽であるといった要素を含んでいても比喩として重要となるような話― ]をより素っ頓狂でより稚拙なものにしようとしたり、額面通りにとって無理矢理、現実世界に当てはめようとしたりする行為 ―"騙す"という意味で人類に対する背信行為のようなものであるため、それ相応の輩しかコミットしていないようだが― の背後には組織的挙動があると見ている:そこからして馬鹿げた話と聞こえるかもしれないが、そのようにとれるのである)。

 といったことがある件については持論がある。
 すなわち、
『"奴隷用の無価値"を"つくる"ことを建前にした[心魂を抜くが如きのカルト的勢力]が[天皇教]にとって代わるように社会の至るところに浸透。この国の言論界の低レベル・クオリティを維持しているから、そのようにもなっている』
と見ている(私は人間修養と位置づけての歩み、転職を重ねての歩みから言論にまつわる業界の実情を平サラリーマン、その他、関係者としての立場から目にしたこともあるが、何でも言い、やる、色がついた人脈の臭いがそこら中にしたものだ。社会全体のあり様から見て相対論的な話に過ぎないだろうが)。

 まさしく陰謀論者"的"な言辞じゃないのか、だと?いや、そうではない、と自己弁護しておきたい。私は[陰謀論者]とは一線を画しているつもりだ。その点、死者を鞭打つようなことはしたくはないのだが、上に挙げたカルト勢力の悪口を"表層的"に口にしていた故太田龍(実際には私とは違いユダヤ人その他のビジネスにあって恣意的に構築された世界を"直接的"に見たこともない人物だったのではないか)がデービッド・アイクのあまり流通していない邦訳本の末尾にて、だ。"色"つきの法華経本を礼賛するようなことをやっていたことに見るように陰謀論者というのは多く[制限を課せられていた人間]であるからだ[人を傷つける思想をかつて容れていた男]ということで私は太田龍のような人物のシンパではなかった。なかったも、彼とて、最後は[一面で物事を変えたがっていた存在]になっていたと信じたくもある ―だから、私はシンパではない人間ながら、故太田竜を"極一面で"評価してもいる―。だが、アイクの2000年に世に出た邦訳本の後書きで法華経礼賛本を担いでいたことは実によくなかった。故人は「人脈上の関係者に留意していた」のかもしれないが、法華経とは[三つ鱗紋様に込められた意味]につき扱った本Webサイト上の記事で詳説しているように現代カルトの問題にも、日本の歴史的操作にも関わる妄言体系だからだ To my great regret, Japanese translator of Icke's Books, Ryu Ota valued the ideology of Japanese ruling Buddist cult organization in afterword of Icke's book. The Cult which has controlled over many many organizations all over the world is an alliance partner of Freemasonry in Japan.)。

 さて、もう爬虫類人人類支配説が欧米社会で受け入れられた背景(あるいはそれが殊更に日本で無視ないし陳腐化されている背景)については十二分に話しただろう。
 [補足としての図]を挙げた後、頁を改めて入る先では爬虫類人人類支配説が説得力をもって迫ってくる[視覚的なる事情]に言及しよう視覚的情報は軽視されがちだが、象徴言語としてのそれらは非常に重視すべきものであると ―それ自体、デービッド・アイク的な物言いともなってしまうのだが― とらえているゆえに、である)。

              

※15世紀末から16世紀初頭にかけて活躍したルネサンス期の画家、ヴィットーレ・カルパッチョ(Vittore Carpaccio)。彼の有名な絵、[竜と対峙する聖ゲオルギウス]の絵に画像ソフトの変換機能を駆使した処理を施し、生成したのが上の一連の図だ。何故、[竜に戦いを挑んだ男]の上掲図をこの場に(補足として)挙げたのか。それは下の「」内で述べるようなことを訴求したかったがゆえだ。

西洋にも東洋と同様、竜・蛇の眷属と対峙する聖人・英雄の伝説が数多く存在している。その中の代表例がカルバッチョが絵画のモチーフにしたような[聖ゲオルギウスによる竜退治]である。とした上で、仮にそれが[反対話法]である、とするとである(フリーメーソンの象徴としての位置づけを近代より与えられていた五芒星をとって無敵化したり、幻覚キノコと思われるものを手にして肥大化したりする赤い色の帽子をかぶった男が爬虫類の眷属を倒していくが如きの[反対話法]であるとすると、である)。
 我々の社会でかくも偽善と虚偽がまかり通っているのも(綺麗事の裏に口にしてはいけないタブーが多々あり、説得力ある考えが抑圧される一方で馬鹿げたものが権威の枠組みの中に組み込まれているといったことがあるのも)、あるいは、人間がレールに乗せられたように自由な生き方が出来なくなっているのに自由が当然視されているのも、だ。[あべこべの世界]で英雄に倒される(実はあべこべの世界ゆえに倒されてはいない)[蛇・竜の眷属のような連中]の根本レベルの操作が働いているからだ、ということで実に辻褄が合う。
 のような反対話法の存在をも指摘し、多くの矛盾や操作の問題に一つの答えを与えたデービッド・アイクという男自体がその言に反し、[反対話法の体現者]であるとはとりたくはない(:仮にアイクが[反対話法の体現者]だとすると私もまたその流れに乗せられている可能性がある ―私の挙動はすべて自由意思によるところだが、その自由意思さえもがプログラムの流れの中、想定内とされている可能性を感じている。だから、私の説を容れても、私の言うとおりに「しなければならない」などという傲慢なことは言わないし、言えない。ために、第三者に対してはただただ[具体的根拠呈示]をなしつつ「自身で判断して行動すべきときではないのか」と提案することに注力している― )。
 デービッド・アイク自身が反対話法の体現者であるとはとりたくはないものの(ただし、その可能性も否定はできないと私などはここ最近よりとらえるに至った)、人間の歴史や社会は上の強調画の元になったカルパッチョの絵に[反対話法の操作の象徴]を見るが如しのものであったし、そうなっている。
 それは何があってもおかしくはないこの時代であるからこそ押さえておいて然るべきことだろう

 本記事は一頁に収めるにはあまりにも長いものになっている。従って、ここで頁を改めることにする。

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[確たる裏付けなき無責任な言辞で真実をレイプしている向き][練れていない思考/憑かれているが如きのドグマチックな思考に囚われている向き]。そういった類とは一線を画す[理と知と実行力でこの呪われた世界を変えうる明日の希望]を読み手と想定し、意図を持っての追記をなす(二〇一一年十二月現在)

 早いものでオンライン公開するために本記事原文をものしてからすでに一年以上が経過した。その間、本記事を含む本媒体が世界を変えうる力を有した明日の希望の目に入ったかどうか、結果によって多くを判断する私には楽観的な予断を抱くことが出来ない。まだ、変えること、そして、我々の未来に絶望したわけではないが ―私のような類が絶望し自身の人生を斜に構えて冷笑するときは自身が死ぬときだろうとも見ている― 、 とにかくも、楽観的な予断を抱くことが出来ない。読者のことは分からぬのだが、一つに、あいも変わらずオンライン上に溢れているのがゴミばかりであり、万人を救いうる真実もそれ相応の輩に貶められてばかりいる。そのような状況が観察されるからである(:右のような惨憺たる状況を脇目にしつつ、はっきり言うが、正しき者は[公共の福祉に一致している客観的根拠を伴った情報][事宜に適っていると判断可能な論稿]を引用こそすれ陳腐化しての猿真似・剽窃などなさない。そのようなことをなすのは我々、人類の裏切り者 ―[その"弱さ"と"内面の醜さ"ゆえに他を犠牲にする契約に同意させられ、それがため、そう、その腐敗性よりこれまたサディスティックな操作者の道義的自己満足に則って最終的に殺されても文句を言う資格もないといった輩]― だけだろう)。

 以上、手前の中に芽生えつつある冥(くら)くもある感情と折り合いをつけつつ、明日の希望のためにいくつかの追記をなしておく。「後々のために」である(明日の希望が行使しうる力、覚悟に根ざした変える力の[醸成]のために付記をなす)。下のIIIを参照されたい。

以下のIとIIは本記事のみならず本媒体全体の内容と照らし合わせていただくことで多くをご理解頂ける、といったものである

[追記事項I]

 本記事で問題としているデービッド・アイクが世に出した著作、 HUMAN RACE GET OFF YOUR KNEES The Lion Sleeps No More『人類よ。ひざまずくのを止めよ。ライオンはもうこれ以上、眠らない』の邦訳版がつい最近、世に出た。書店で手に取り確認した限り、『やはり』との感で悪い意味での[邦訳版を世に出した出版社のカラー]が前面に出たものとして、だ(:[心底、ただしいと思える書籍]あるいは[きちんと流通させたいと思っている書籍]を出すならいたずらに読者を小馬鹿にしたような側面を前面に出す必要もないのにそうしている、という意味で「悪い意味でのカラーが出ている」としている。につき、世間を知らぬ向きを脅えさせ、かつ、真実を虚偽情報で陳腐化するといった意味で毒入り"かもしれぬ"対象であるからこそ、殊更に俗悪な体裁で色をつけつつ流布させ、もって、良心を(出版元、元来にして大手出版絡みととれる人間たちが)見せたかったとでもいうのか、というと私はそうではないだろうととらえている ―それ相応の部局としての出版社および関係者に道義心や良心などあるとは見ていない。情報操作やその一環としての流通の独占といった穿った見方はとりあえず置いておいてもだ― )。

 その点、事細かに問題指摘をなす、さながら当該問題につき深くも与り知る人間の如く上記のようなことを書いてはいるが、

本追記部を付すことになった本記事本文にて
[(ごくごく最近、邦訳版が世に出た)『人類よ。ひざまずくのを止めよ。ライオンはもうこれ以上、眠らない』"原著"には良著と言える側面も一面ではある]
などとしているも、私とデービッド・アイク説を営利・非営利で日本で広めている者達との間に関係はない
と断っておく。

 上につきよりはっきりと言明し、
効率的に持説と真実を広めるために選定した著書出版先としての出版社にそういったカラーの会社との望まぬ提携を提案されたことはあるが ―印税100万ぐらいのはした金を貰って提携していたら「悪い意味で」私ももう少し有名になっていたかもしれないがそのようなことは私にはどうでもいいことだ― 、デービッド・アイク説を営利・非営利で日本で広めている者達と私の間に関係は ―友好的なものであるというのなら― 一切、ない
と断っておく(:相互につながっているという式での関係があるように見える、事実に合致せずに見える側面があれば、その背景にはそれなりの力学が介在している、と強調しておく。手前を心底、いからすような、だ)。

 さて、直近にて属人的なる話をも強調するようになしたのは[伝えておきたいこと]として次のようなことがあるからだ(その[伝えたきこと]の中にも愚痴めかしたことを折り込まざるをえなかったが、誠実な読み手の方にはそういった側面からも何がしかのものを得てほしい)。

「日本にてデービッド・アイクの主張を広めている者達の中には ―ベリーバッド(最悪)なことに― 人様の猿真似をなし真実をレイプするといったそれ相応の人間達が含まれていると見受けられる。同じくの中にはネット上での[引用]ならぬ[陳腐化を伴う組織的剽窃]にもやぶさかではない者たち ―ご丁寧に文体模倣行為をなしていることを自身らで示唆している向きをも含む(出版社関係者も込みにして者たちに自著作を剽窃されたことある身として経験に基づいて言う)― が含まれていると見受けられもする。そして、そうした者達は[尋常ならざる組織的挙動]を最大限、効率的になせる国家寄生カルトの成員の類だろう、と判断できるだけの事情がある。では、何故、そうした手合いがアイク説の供給元になっているのか」
尚、貴方が[騙すため、晦(くら)ますために飼われている者達]を見極めようと思ったならば、私のように判断材料を持っていなくとも有効な方法がある。騙しを生業とする者達はその特色として誰でも検証可能な証拠に則って話さない][他の主張、多くは信用性を伴わぬ主張をパッチワークして言葉を紡ぎはするものの、決して自分自身の考えに依拠した言葉では ―彼らがいかに事理に通じていようとも― 許容範囲を超えては話さないといった特徴を有しているがため、その点について押さえてみるべきだ、ということがそうだ)。

 以上、
[報しめておくことに意義があるととること]
について述べたうえでさらに伝えておきたきこととして次のようなこともある。

[アイクの新刊を読まれるなら邦訳版を読むより出来れば、原著を読むことを私としては勧める(英語読解力に難があり邦訳版を読むしかないというのなら邦訳をなした者達が他から取ってきたようなオリジナリティーがあまりなき注釈、そして、宗教家・神秘家然とした物言いに付き合うことを局面局面で強いられるだろう。によっても、どういった内面の者達がどういった考えでもって日本でアイクの書籍を広めているかの判断材料は得られるだろうが)]

[アイクのの著作には ―「良きにしろ悪しきにしろ」ためにしてのものととれる― 「二重話法」が含まれている。それを押さえたうえで(ただ、読みづらき本媒体を読まれている向きが二重話法の箇所もその探し方も分からぬ[幼き向き]なら ―本当にすまないのだが― 大人達の"弱さ"に負けないように、とエールを送ることしか現時点での私にはできない)、そう、はなから「二重話法」を含んだものである、と"念頭に置いて読む限りにおいて"意味深き良著 ―多くを考えさせる書物― といえる点が多々ある。また、粗さがしをすれば、アイク著作には"誰でも検証可能な"誤りや子供ら・世間知らずを過てる恐怖で満ちた袋小路に追い込みかねないといった悪しき側面も多々、含まれているが、そうであっても、大筋で彼の著作には意図をもって人間社会の操作の手法 ―別次元よりの操作の考えられる態様など― を活写している、という側面があるのでその点も含んで彼の著作を一読してみることを勧める]

[追記事項II]

 デービッド・アイクの2010年春季に世に出た HUMAN RACE GET OFF YOUR KNEES The Lion Sleeps No More『人類よ。ひざまずくのを止めよ。ライオンはもうこれ以上、眠らない』の中の主張についてだ。その中には要約すると
「爬虫類人は月より特殊な信号を送りそれが地球上に膨大な量、存在する水晶 ―振動の電気信号への変換をなす天然の補助装置― と連動し、人間に偽りの現実感覚、振動の幻像世界を造り出している。この世界は月のマトリックスであり、クリスタルのマトリックスであるのだ」
というくだり ―アイクの新説展開の核とも言うべきくだり― がある。

 非事情通には一体、上のような発想がどうして出てきたのか、との疑念が生じることだろう(というより、常識の世界では上のような話を何も前提を知らない人間になせば、即、狂人とのラベリングがなされうる)。

 であるが、一部の事情通には上をもって『操作に類似する仕組みが用いられている可能性がある』と考える余地がある。何の事情通にか?
 言っておくが、アイクが主張するように[高度な操作の片棒を担がされている極一部の人間]に、ではない(少なくとも私はそうとらえている。アイクが実在を主張するような[高度な操作の片棒を担がされている極一部の人間][地下基地で従事する選りすぐりの人間]など使い捨てのみよりなる操り人形の世界にはいない ―実在していない― のではないか、と見立ているために、である ―ただし断定はしない― )。

 私が言う事情通とはSF小説や洋の東西の伝承・古典に関する事情通のことである。

 その点、現代SF小説界をリードする作家としてグレッグ・イーガン( Greg Eagan )なる作家がいる。彼、イーガン由来の短編の一にアイクの上記説と異常に近しき内容を含んだものが存在している、ということがある(その点につき気付いている人間は欧米圏には多そうだが、口に出す人間は絶無に近しいまた、日本で[独自の考え]など口に出すことができない[それ相応のアイクの担ぎ人]達にとってそれは、すなわち、イーガン小説とアイク新説の結びつきについては現時、想い至るところではないだろうと観察される。今現在の情報流通形態よりである ⇒ 後日追記:取り消し線を引きつつ最近の情報流通形態より見た訂正をなしておく。私が当サイト当記事当追記部をしたためオンライン上にアップロードした後、世に出、読解してみたアイク新著の邦訳版にグレッグ・イーガン小説内容が意識されている、原作者アイクのレベルで意識されているような[和約版オリジナル部](原著を露骨に偏向させているような部でもいい)が邦訳者らによって付されていることに気づかされた。当サイト当記事当追記部の内容すらも[良からぬもの]を作出する材料に付されているのか、と不快感を覚えさせられたことでもあるのが ―同点については下部に細かき追記を付す― )。

 具体的にはグレッグ・イーガンの
Crystal Nights 『クリスタルの夜』(市販のイーガン短編集にての初出は2009年。アイクの上記説とつながっているように自然にとれる作品)
が問題視すべき作品となる(デービッド・アイク新説と似たような内容を有している作品であるがゆえ)。

 同作品、『クリスタルの夜』は

「三次元フォトニックのクリスタル・モジュールというよく分からない装置 ―(ITの世界の一領域では一昔前、IBMの神がかった研究者マルセル・ヴォーゲルの研究もあってクリスタルの記憶媒体としての有用性が問題視されていたからその影響もあるのかもしれない)― の処理向上能力を活かして造った仮想世界にて人間とは主観時間を異とするソフトウェア生命体を進化させ、もって、ソフトウェア生命体の編み出した技術成果を用いて人間が不死への途を探究する」

との粗筋を有したものだが、その作中、クリスタルの作用によって操作されているソフトウェア生命体 ―自我を持ったフランケンシュタインでもある― を管理する上での要衝が[月と呼ばれるプラットフォーム]に置かれていると描かれている。

 月とクリスタルの相互作用によって外側から管理される仮想現実世界。それが上述のアイクの新説 ―上記の月のマトリックス/水晶のマトリックスの理論― と酷似しているのである。

 につき、『アイクという男とその身内がただ単純に剽窃をなしただけだろう?』と思われる方もいるかもしれないが、私は無条件にはそうはとらない(日本でアイクの説を ―稚拙化しつつ― 広めている者達がそのようなことをウェブ上で言っているのに際会すれば、彼らお得意の馬鹿噺(ばなし)と一笑に付していただろうが)。換言すれば、現代ハードSF界の極北に座する作家グレッグ・イーガンと超陰謀論者の極北に座すると指摘されるアイクに似たようなことを言わせしめる背景があるのでは、と見ている。
 それに絡みアイクの『人類よ。ひざまずくのを止めよ。ライオンはもうこれ以上、眠らない』の自体のなかには有効な回答 ―イーガン小説とアイク説が似ている背景にまつわる回答― を見出すことはできない。アイクの『人類よ。ひざまずくのを止めよ。ライオンはもうこれ以上、眠らない』には最初に天ありき的な側面が色濃く、直観というものを重要視しすぎているためにか、根拠に関する言及が全くもって薄弱となっているからだ(ただし、根拠など述べずいきなりもって感情的・断定調で話す、あるいは、[捏造した馬鹿げた根拠]で衆をたばかることばかりに注力する日本のそれ相応の者達とアイクを私は同一視していない。デービッド・アイクが月に関する興味深いデータを極部分的に持ち出していることを除いたうえでも、である:右につき、さらに断わっておくが、アイクが新刊ならぬ他の著作で[裏付けが取れる適正な具体的根拠]に基づいて話す人間であると ―彼の担ぎ人達がそう述べるように― 言っているのではない。アイクの情報源について多く裏をとる誠実な人間がどういう反応をするかの話は上の[追記事項I]や今より一年半以上前に出版される予定だった自著 ―本サイトで公開中― ですでになしている通りだ)。

 であるが、グレッグ・イーガンとアイクの同一性の背景にあるのは
[フリーメーソン・シンボルにおける月への意味付けとそれと不気味に接合する神話上の月への位置づけ]
であるととらえることは可能である(ここで話がSFから伝承へと向かう)。

 そういったことを敢えて懇切丁寧に指摘する人間はいないが、
伝承では月に爬虫類人のようなものと接合するような側面があり(:中国のガマガエル ―両生類だが各地の伝承に見る[水棲の蛇人間伝承]を想起させはする― に化した仙女、嫦娥ジョウガの例)、月に人間の失った大事なものが囚われているという話が伝わっている、ということもある(:アイクが指摘するような月を狂気の源泉とするような西洋一般に流布された観点もそうだが、私のような人間が着目するところとしてのルネサンス期叙事詩『狂えるオルランドゥ』に出てくる愉快な騎士アストルフォの月旅行に[地上人のエッセンスの拘束の隠喩(;地上で失われたものが月にある)]などが含まれていることもある)。そして、そうしたことらとフリーメーソン・シンボル画で月が[向こう側の世界]のメタファーに使われていることが不気味に接合する
のである。


 以上、アイクの新しき説がSFや伝承の事情通には何らかの背景があると看做されることになるかもしれない、と考える根拠の一部を ―極めて不十分ながら― 指し示した(私の脳裏にはアイクの新説と似たような内容のサブ・カルチャー群が日本にあることを調べて知った、ということもあるのだが、それについて述べていたら、きりがなくなる)。

 さて、ここまででアイクの異説上における新しき展開、月のマトリックス理論についての分析内容を簡潔に記載したのはあたら袋小路を掘り下げて自己満足に浸るためでは無論、ない。世界を変えうる潜在力を有した方々に次のようなことを訴求したい、との想いがあるからだ。

デービッド・アイク。この次元にすでに爬虫類人が"直に"入りこんでおり血族を介しての支配を行っている ―強調しておくが、私はそのような見解は容れていない―  などと最大限、主張するような人物にして新世界秩序実現の時は近しいも我々、人間にはそれを防ぐ手立てがあるなどとも強弁する同男が仮にもし
[偽りの希望を呈示する立ち位置に置かれてしまった人間]
ならば、である(その懸念は本記事本文中でも述べている。私はそうではあってほしくないと願うも)。
 彼がグレッグ・イーガンの小説の類似概念を持ち出すのはそれはそれで理に適っている
 何故か。
 グレッグ・イーガンの
『クリスタルの夜』
には飼い主としての人間から逃れるためにソフトウェア生命体達(我々が生きる現実世界の史上最大の実験よろしく粒子加速器を用いた実験をさせられていたソフトウェア生命体達)が常温ビッグバンとワームホール生成によって逃亡する、という"落ち"がつけられているからだ。
 その"落ち"、私が本ウェブサイト上および他媒体でいくつもの具体的根拠とともに懇切丁寧に解説していること、
[人間がワームホールのようなものの生成のために養殖されていると考えられるだけの材料があること]
に恐ろしく話が符合する。小説の"落ち"が[反対話法の皮肉]であると解釈した場合に、である(本段だけ読まれれば気の毒な人間の妄言にしか聞こえないだろうが(当たり前である)、それ自体がゲートを開く象徴と結びついていた911の事件が、に対する[いくつもの事前言及作品 ―911の事前言及作品が存在していること自体が尋常ではないが事実は曲げられない― ]の中でさえ次元間のゲートと結び付けられていたことに私は誰よりも知悉している。また、ゲートが開いたときタイムマシーンやブラックホール工学絡みの信じがたい発展、神にも近しき不死への発展[オメガ点への到達]が実現されるのかもしれないが ―問題としている作家、グレッグ・イーガンの短編にもそういうことを扱った作品がある― 、考えられる動機についてここで延々と云々しても仕方ない:それについては ―万人の福利を期して― 他の場にて述べているし、これからも突き詰めていく所存である)。
 尚、私は日付偽装込みで剽窃をなし真実をレイプする人間 ―[重要事を他から盗んだことを切り貼りしてこさえた素っ頓狂な噺(はなし)]で陳腐化しまともな人間たちがなすべき対策を打ちにくくするといった飼い犬達― にではなく、コンセンサンス ―悪しき協約― と闘う勇気を有した方々にグレッグ・イーガンの以下の小説の内容本サイトおよび他媒体で述べている"具体的"兆候(及び、に対する分析)の比較検討をなしていただきたい、と考えている。

(当サイト他記事などで ―根拠主導方式にて― 論じていることと比較検討を願いたき小説のタイトル)
Diaspora『ディアスポラ』(海外1997年刊の小説)
The Planck Dive『プランク・ダイブ』(1998年初出の短編。上『ディアスポラ』の関連作)

 そのように述べる理由は[本追記部の右側脇に付した図とそれに対する解説記載]にても ―極部分的ながら― 述べている通りである

  以上をもって本追記部を終える。

 「特段の事情によりて」さらにもっての追記をここ本枠内にてなす
二〇一二年下半期現在

 長くなるも「重畳的に」[追記部のすぐ後にあってのさらなる追記部]を設けることとした(その後の言論流通状況を概観し、真実を探ろうといった向きを惑わすような言論操作が行われていると見たがゆえの[追記部のすぐ後にあってのさらなる追記部]を設けることとした)。

 まずもって、[実に小さなこと]からはじめるも、[仙女、嫦娥ジョウガの話を月と爬虫類人関与説の話を結びつけて懇切丁寧に解説する人間はいないが]と上にての[追記部I]にて書きもしていたが、同追記部をオンライン上に初動アップロード後(ネット上で誰もが目にできるようにした後)、世に出たデービッド・アイクの新著『人類よ。ひざまずくのを止めよ。ライオンはもうこれ以上、眠らない』の和訳本・後半部刊行版 ―(本来一冊本である原著を何冊にも分けて邦訳・出版するとの体裁をとっているため記事追記部をアップロードした段階では未刊であったもの)― の訳者解説部に
[他ならぬ当該本記事追記部内容と同じような内容の話]
が入れ込まれている ―といっても全くもって非論理的と見えるパッチワーク文章の中に部分的に入れ込まれているといった程度だが― ようになっていた旨、「気付かされた」(:和訳版はその俗悪性より読む値打ちもないものと考えながらも一応、確認していた中で、である)。
 につき、そのような小さなことで「当サイトの[剽窃]である」と明言するつもりは毛頭ないが、前後関係から言えば、同様のことを[広く公けにしている文章]にて論じたのは私のほうが先である。

 さて、ここからが本題で、上のような[実に小さなこと]としてではなく、「これは真に重要だから」述べておくべきであろうと見たことがある。
 具体的には
デービッド・アイク新刊とグレッグ・イーガンのSF小説設定の関係について言及している当記事追記部の内容 ―上述の[追記部II]の内容― と関わってくる記述]
がアイクの HUMAN RACE GET OFF YOUR KNEES The Lion Sleeps No More原著に極一部だけ含まれ、同・原著の改変されし邦訳版に固有に付されている部には極めて目立つように含まれていると「気づかされた」ことにつき述べておくべきだろうと見た、とのことがあるのである。

補注:以下の内容は爬虫類人人類関与説]でさえもが、現行、執り行われている史上最大の実験 ―ブラックホール生成実験とされるところの実験― と結びつく要素を有していることについてきちんと理解していない向きには[やたらと微に入ったどうでもいい話]と受け取られかねないものとなっている(換言すれば「荒らされてはならない重要な話に関わるものである」との機微につき察しがたいものとなっている)。ために、当サイト内の関連トピックを精査された上でそうした話 ―爬虫類人人類関与説でさえもが現時、行われている史上最大の実験と結びつく要素を有していること― につき感ずるところがあったという方以外の継続検討を勧めるものではない。

 それについて、最初に次のようなことに触れておく。

 アイクの新著 HUMAN RACE GET OFF YOUR KNEES The Lion Sleeps No More『人類よ。ひざまずくのを止めよ。ライオンはもうこれ以上、眠らない』には
[[ブラックホールから生じる振動]こそが人類が同調して然るべき(月に代わる)望ましき回帰先とするような表現
は目立っては用いられては「いない」ように見受けられる。が、しかし、そういう帰結が出てくるだけの表現がアイク新刊には含まれている。具体的には(私の手元にあるものにあっては) HUMAN RACE GET OFF YOUR KNEES The Lion Sleeps No More英語版原著にてノンブル(ページ番号)が振られている総計690ページ中の407-408ページに上記の[[ブラックホールから生じる振動]こそが人類が同調して然るべき(月に代わる)望ましき回帰先とするような表現と結びつきうる表現が ―「唯一ヶ所だけの話として」― 認められるとのことがある(:細かくも確認したところの話としてデービッド・アイクは「銀河系中心のブラックホールより共振されているところの新しき振動が太陽より(フォトンという形にて)放射される別段階に位置する新しき情報、真実の波動と呼ぶべきものをもたらしている」といった趣旨のことを ―内容の意味不明瞭さの問題はこの際、脇に置き― 一言だけ述べているのである)

 対し、そう、デービッド・アイク本人が[[ブラックホールから生じる振動]を人類が同調して然るべき月に対する望ましき回帰先とするような物言いをおよそ目立ってなしているようには見えない中、それ相応の者達がそれ相応の色彩を最大限付着させて流通させているととれるアイク原著[和訳版]巻末に付された和訳版オリジナルの解説部および図解部では

[仮想現実宇宙の中にあってのブラックホールこそが我々が回帰すべき太陽の真実の振動と結びついているものである]

といったことが ―その記述の意味不明瞭さの問題はさておきとして― アイクのムーンマトリックス理論のこれぞ重要部をなすものであるように「殊更に」強調され([邦訳版独特の偏向]ともとれる重みづけがなされていると私はとらえている)、かつ、[同じくものこと]が邦訳版だけに付された図解部にて目立つように図示されているとのことがあるのに気付かされた(:当サイトの上に見る[追記部II]をオンライン上にアップロードした際にはまだ未刊であった ―であるから一面で問題視している― アイクの HUMAN RACE GET OFF YOUR KNEES The Lion Sleeps No More邦訳版後半の巻。それを ―日本語版はその俗悪本がかった体裁より値打ちなきものと見ながらも― 確認のために読んだ際にそうしたことに気付かされた)。

 そのように後付けで付された[邦訳版に固有の要素]をもってアイクという男がはなからグレッグ・イーガンのSF小説設定を明からさまに念頭に置いていた、ニューエイジャーチックな物言いをなすうえでの材料とすべく念頭に置いていたように[何も知らぬ人間]には受け取られるようになっていると言える ―現実にはそうとは受け取りがたい要素もあるのだが、のように、とらえられるようになっている、と言える― 。
 和訳をなした者たちが付け加えた特有の付加要素で溢れている邦訳版にてのみ取り立てて強調されている節がある、
「[ブラックホールに由来する真実の波動]と波長を合わせること月のマトリックスから束縛されなくなることである」
とのデービッド・アイク新説の(顕微鏡で数十倍の倍率に拡大したものをさらすような式で露骨にピックアップされ誇張されもしているように見える)特色はグレッグ・イーガン小説に見る作中設定、
月と水晶に結びつく管理システムが採用されている仮想宇宙の中での脱出路ワームホール(ブラックホールよろしくの重力の怪物)に求める」
とまさしくも酷似しているようにとらえられるようになっているのである

 以上、言及したうえで言葉を補いつつも述べれば、

「先に付した[追記部II]の中にて述べたことを繰り返すが、デービッド・アイクの HUMAN RACE GET OFF YOUR KNEES The Lion Sleeps No More原著を読むだけではデービッド・アイクにグレッグ・イーガン作品に対する事前認識があったとは ―本来的には― 判断「しがたい」ようになっている。アイク新説とイーガン小説の間に ―私が先の[追記部II]にて述べているように― 際立った類似点があることは[紛れもない事実]だが、アイクにブラックホールやワームホールを根本に据えて物を論じるうえでのイーガン小説に対する事前認識があったかは判断「しがたい」ようになっているのである。デービッド・アイクが[カリスマ天文学者カール・セーガン(故人)の見解に対する親しき霊媒への言及]を話の切り口上としてブラックホールについてほんの少し持ち出すといった全くもってデービッド・アイクという男らしい[出典を韜晦(とうかい。くらまし)しつつも馬鹿話の中に興味深い寓意を込めるとのやり方]を採用しているからである。
 また、アイク言説の問題となる点 ―(原著には際立って認められぬところながら和訳版で殊更に付加されている節あるグレッグ・イーガン小説との類似性が問題となるところ)― を把握したうえにて、にもかかわらず、この私に
[アイクとグレッグ・イーガン小説に似たような側面があるのはアイクのグレッグ・イーガン小説に対する意識的引用以外のところ、別のところに因を求められるのではないかと考えられる]
と殊更に強調して本記事追記部(上にての追記部II)をものしたような側面、読み手をたばかるような側面があったわけでもない。そうではなくて、当サイトの[追記部II]を公開した後、世に出たアイク原著の邦訳版後半部を目にし『イーガンとアイクの類似点が(当サイトで問うたことが念頭に置かれているような形かつ顕微鏡で拡大したものを本来そうであったものとして目立って指し示すが如くの形で)強調されているな』と否が応でも気付かされたわけだが(:そして、オリジナル要素を加味されているその邦訳版に「当サイト呈示情報を参照しての」偏向解釈が事後的に折り込まれている可能性(軽侮されて然るべきようなやり口をとるそれ相応の連中の馬鹿話に手前が呈示している情報が供されて情報信憑性が落とさせられようとしている可能性)を見て取り心底、腹立たしい想いをさせられもしたわけだが)、 そもそももって「月と水晶に管理システムの根本理論を置く」との式に類似性を見る以上にこの私はアイク新説とイーガン小説における類似性には従前、着目しておらず、ブラックホールのことは問題視しはしていてもそれは
「イーガン小説作中設定に見る究極的目的と間尺が合いすぎる不審事が現実世界に多々あり、それが[アイクが流布した爬虫類人人類支配説関連要素]と結節しているように見受けられる」
とのことに因があることであった ―追記部をアップロードすると同時に本記事の側面に付したプロスペローにまつわる図解部を参照のこと― (:ブラックホール(と結びつくもの)への回帰が理想的かつ究極的な目的である、などという邦訳版にて殊更に強調されている解釈はアイク原著からは主要なものとして出てこない、ととれる。邦訳版では上にての私がものした当記事追記部が意識されているように「それこそが望ましい究極的目的である」などと歪曲されている節があるが。尚、そう指摘しつつ言っておくも、私はアイクを弁護しているわけではない。私はアイク言説は[虚実ないまぜの部分的に反対話法がかったもの]としてながら事理を判断する上での一材料になるものとしてしか現時、見ていない

 のようなことを実に細かくも解説したのは(私憤というより公憤として)デービッド・アイク書籍の邦訳を ―俗悪本との体裁を付しつつも― なしている者たちのやり口に対し思うところがあったからである。

 すなわち、

[重要な問題がエキセントリックな人間(託宣をこととする呪い師の類)の主観問題に「意図して」貶められている節がある、と見た] (:「実に不可解に」存在しているアイク新説とグレッグ・イーガンSF小説設定の間の類似性にまつわる諸問題(客観的に指し示せるところの諸問題)をアイク書籍の邦訳版に(「悪い」という意味でより一層問題となる)色をつけた相応の者達が[デービッド・アイクの他作家作品に対する意識的模倣問題(およびこの私のそれを無視した上での指摘の問題)]に事後的にすり替えるが如くの偏向要素を(当サイト上[追記部II]内容を世に公開した後に)刊行された俗悪本がかった書籍 ―私から見れば真実を問う流れを根腐れ・立ち枯れにしようといった類の出版物― に「後付けで」込めた、と見た)

ということで実に度し難くも受け取ったのである。

(:私は我々の運命を変えられるのはどこぞやの神秘家に由来する託宣がかった物言いではなく[確たる論理と確たる証拠で指し示せる真実とそれに向き合った際に抗うだけの勇気]だけである、と考えている。であるから、[確たる論理と確たる証拠で指し示せる真実とそれに向き合う勇気]という我々を救いうるものの涵養を妨げようとする者たち(及びそうした者たちに由来する夾雑物)は非難すべき対象としか見ていない。としつつも言うが、「従前(2010年前半期)、出版対象物の文体模倣を含む組織的剽窃をなされ弁護士らに相談したことがある者として(我々の生き死にに関わる問題を訴求すべく公開した)当サイトの内容までもが不愉快な連中に由来する何も変ええないし物事を変えることを困難にするが如くのジャンクの材料にされているらしいことに心底、憤ってもいる」)。

 尚、述べておくも、印象論の話として、デービッド・アイクの新刊邦訳本を出している者たちは[光を与える者]、陰謀「論」 ―要するに何も変えられない駄法螺群でもいい― の世界にいう秘密結社たるイルミナティを印象付けるような社名を版元名称に用いていもするようだが(『それも世間を深くも広くも知らぬ人間に誤解を与えるためのわざとの挙動の"一部"ではないか』と手前は考えている)、私はそのようなもの(秘密結社イルミナティ)の現存、実在論など信じていない。世の中をよくも見てきている人間として信じていない(:[写真公開もオンライン上にてなされている儀式で目隠しを外された一部のフリーメーソン]やそのアライアンスパートナーの[国内国家寄生仏教系カルト]が「光を与えられた」などと実体とは程遠きことを妄信しているという脈でならば話は別だが。比喩や反対話法と解釈した場合に興味深くなっている側面を多々含むアイクの邦訳本刊行にかかずらわっている者たちが、いや、というよりこの国で業としての陰謀論 ―当たり前だが証拠に基づかないからこその陰謀「論」である― に携わっている者たちが実に性質の悪い、
[そちら系の者たち](:看板としての邦人・外人の陰謀論者と意図しての剽窃にもやぶさかではないととれるそちら系のゴースト・ライターの連合体でもいい)
であることはそのやり口 ―「胡散臭い」との心証や軽蔑反応さえもたらさればそれでよいとの式での猿真似や陳腐化の態様に見るやり口― から容易に察しがつくことではあるも(※)。

 以上、極めて長くもなったが、「我々を救いうる真実がくだらない者たちの小手先の言論操作で荒らされてはならない」と考えている人間として重畳的に付した[追記部]はここまでとする。

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