拡大する限界領域について

 
 

米国では多くの人間が人知れず消えているというのか(統計上の不可解性)

 始めに信じがたいデータに触れる。下の「」内表記部がその内容だ。

 米国では通年ベースで膨大な数の人間が失踪計上される。2007年度だけで合衆国当局、NCIC(NCICとは The National Crime Information Centerこと[全米犯罪情報センター]、FBI管轄のデータ部局の略称)がカウントした失踪者数は以下のとおり。
 全失踪者カウント件数 814957件(81万件超) そのうち 18歳未満の者 643744件(64万件超)

 上のデータ(NCIC統計はオンライン上でダウンロード可能)を目にし、いかがお思いだろうか。2007年を基準に考えれば、米国では通年で81万人以上の人間が失踪扱いにされ、そのうち64万人以上が18歳未満だというのである
 よし分かった。そんなことがありうる筈がない。常識でもってものを見ようじゃないか。そんな観点から上に挙げた統計データの内容を精査してみた。
 すると、NCICデータベースの「更新」により、最終失踪者数の圧倒的縮減がなされていることが分かった。
 すなわち、「解除(CLEARS)」や「発見(LOCATES)」の複合計算の結果、膨大な失踪案件がデータベースより「抹消( RECORD REMOVED )」されていることが分かったのだ。例えば、失踪計上者数814957件をカウントした2007年度の「失踪データ"抹消"件数」は820212件 ―82万件超― だ(:「失踪計上者数」を「抹消件数」が超過しているのは前年失踪データの抹消などが含まれるからか)。
 そういった縮減がなされているがゆえなのか、2007年時にて当局が「継続失踪案件(active missing person records絡みの案件 )として抱えている案件 ―実際に捜査しているかどうかは分からない― については105229件である」とオンライン上の他媒体ではされる
 以上、述べたことから「失踪者数が通年80万件を超過している」と騒いでいる一部の米国人(実際に失踪者の"総数"を問題視している人間がいる)は心配しすぎ、という風にもとれなくもない。失踪者は日本における予測失踪者数、10万人前後と変わらないじゃないか、となるわけだ(あの凶悪犯罪多発の国で、だ。ちなみに、日本の失踪者については未届けのケースをも顧慮すると通年で数十万人が失踪している、との「俗説」もある ―そのような俗説が数値的に正しいとはおよそ思えないが。その点については警察庁生活安全局は裏付けとなる統計や予測を公表していない。届け出失踪の方についても大部分が解決しているのか、そうでないのか、ということすらはきとしない― )。
 だが、だ。米国の失踪統計には不審事、「安易に希望的観測をなすべきではない」と考えざるをえない不審事もつきまとう[失踪案件抹消理由の不分明さ]がそれだ。NCICデータを精査してみて分かったのだが、失踪計上案件中、「失踪者所在地発見(LOCATES)」によってデータから抹消されていくケースの数が非常に少ないのだ。例えば、2007年時、「所在地発見(LOCATES)」という理由でデータから抹消されたのは51683件にすぎない。2007年時失踪計上者数の「16分の1」といった数だ。また、当局から失踪計上案件から外される、抹消されるケースが「何故、そうなったのか、全く不明」ということもある。「物心両面での理由に由来する家出」や「愉快犯」として失跡した者だったのか、一時の勘違いで失踪者とされたために関係者が訴えを取り下げたのか。それとも、データが古くなりすぎたり、関係者が全て死没などしたために事件性を失ってしまったのか。公表データからでは全く分からない。 

 以上のような基本情報を押さえた上でだ。「米国で大量の人間(多くは未成年)が失踪している」ことについて深く掘り下げてみる ―家出で話が済むのか、そうではない要素があるのかを判断するため深く掘り下げてみる― 。
 より具体的には、「まずもって未成年失踪に焦点を絞って分析をなす。そして、 その異常性から、本件、大量失踪の不審さを訴求する」という形態で深く掘り下げてみる(本記事の元となった、初版数千部予定だった当方著作では悪魔主義"的"児童虐待「陰謀"論」"分析との兼ね合いで同様の話を進めている、とも述べておく)。
 さて、既述のように米国では大量の子供が失踪扱いとなる(繰り返すも、2007年度の18歳未満の者の失踪件数は64万件超だ)。何故、そのような驚くべき数値が出てくるのだろうか。そこで着目したのが[失踪の原因]だ。失踪者の大半を占めるティーンエイジャーなら家出もしたくなるだろう。また、米国の離婚率の高さには目を見張るものがある。前夫・前妻が親権者の同意無く子供を連れ出し、それが警察沙汰に発展してしまうケースだってあるはずだ。そういった角度から掘り下げてみると、明るい兆しが見えてきたような「気もした」。例えば、1999年の米国での18歳未満の者の失踪につき、2002年開示のNISMART-2という調査報告は次のような試算をだしている。
「1999年は790000人(79万人)の子供らが失踪した年だった、と報告されている。うち、20万人は家族による誘拐。典型的誘拐事犯すなわち金銭取得や悪戯目的による長期の家族外の者による誘拐事件の発生は115件にすぎない」。
 本当の意味で不幸に見まわれてしまった子供の事件は115件だけ?当たり前だが、そうあって欲しい、上の試算のとおりであって欲しい、と願う。であるが、考えてみるべきだ。米国では毎年15000件以上の殺人事件 ―死体があがっている事件― が発生するのだ(刑事訴訟法に多少なりとも詳しい向きは分かるだろうが、日本を含め死体が出ないと「殺人」事件として決着しない)。犯罪のプロや非激情型殺人犯の手による認知されない殺人事件や他の凶悪犯罪、すなわち、強盗・強姦などの発生件数を加えれば、アメリカでどれくらいの凶悪犯罪、失踪にダイレクトにつながるような凶悪犯罪が発生しているかは推して知るべしである。
 そこから、115件という数値はあまりにも[楽観的な数字]ではないか。そう思えもする(尚、115件を日本に当てはめて見た場合、それとて問題となる数と看做されてしかるべきだろうが、ここでは特別な国、米国の話をしていること、お含みいただきたい)。
 しかも、である。NISMART-2で言及された1999年の子供の失踪報告79万件のうち、「家族による誘拐件数」は20万件だけだ。残り60万件近くの大半が家出か?あるいは前夫・前妻を家族外とカウントして、その連れまわしと納得せよ、と?
 実は真相にそのような「救い」はないかもしれない。
 話を再び、1999年のNISMART-2の失踪報告から本記事冒頭で挙げた2007年のNCICの失踪者報告に戻す。
 2007年失踪者数のうち、64万件超が18歳未満の失踪事例だと記す本節冒頭で挙げたNCICの報告書、失踪事由も記されている。それにつき、精査したのだが、大きなごまかしが内在しているように見えてならないのだ。
 まずもって、未成年の自由意思によらない統計上の拉致件数が見た限りで「2万件」を超えるということがある(〔UNDER18(未成年)〕項目直下の〔ENDANGERD(危機にさらされた)〕項目での失踪件数は14206件。〔INVOLUNTARY(非主体的な)〕項目での失踪件数は6165件。計2万件以上 )。1999年のNISMART-2に見られる誘拐事犯115人とあまりにも話が釣り合わない(:ただし、「元」家族による連れまわしはNISMART-2の試算でも20万人とされているので統計上の拉致件数2万件のほぼ全てが[その範疇での出来事]であると楽観視できもする。NISMART-2とNCICデータの数十万件の差分への疑念 ―既述― は拭えないが)。
 さらにおかしなことがある。NCIC2007年報告上の「18歳以上、すなわち、成人の失踪事案」に目を向けるとそれは見えてくる。「2007年の成人の失踪17万1214件のうち驚くべきことに90000人以上が危険・非自主的状況での失踪扱いとなっている」のだ(〔ENDANGERD(危機にさらされた)〕項目で79859件。加えて、〔INVOLUNTARY(非主体的な)〕項目で15582件)。無論、大人に関しては元親族の連れ回しなどありえないだろうから、計にして年9万5000人以上の大の大人が拉致の上、失踪していることになる。彼らは何の目的で拉致されているのだろうか。そして、どこに行くのだろうか(繰り返すもデータ上での発見事例〔LOCATES〕比率は低い。また、大の大人の危機的失踪統計に「身体的あるいは精神的障害」起因事例は含まれていない。精神疾患罹患者や徘徊老人などを包摂していると思しき項目、〔DISABILITY(疾患ゆえ)〕項目が他の失踪事由として別個に挙げられているからだ)。
 とここで、言ってしまおう。子供の失踪データと大人の失踪データを比較したところで言ってしまおう。だから、アメリカ当局が「継続失踪案件( active missing person records絡みの案件 )」を105229件としていること(既述)に疑念を持つのだ。「(実態とかけ離れている見積りかもしれないが)毎年、拉致され、失踪させられている大の大人が10万人近くいるなら、その解決率を70%と想定しても ―3万人は決して助からない― 10年経てば、大の大人の発見不能失踪者だけでも30万人を超過してしまう」はずだろうからだ。常識的に考えて拉致され、失踪している大人が易々と戻ってくるはずがないので、それさえ甘い疑いの差し挟み方かもしれないのだが、とにかく、「当局が10万人前後を事件性ある失踪者と見なしている」と報じられていることには疑念が伴う(もしかしたら、10万人は現在、問題にしている数ではなく毎年発生の失踪者数の「未発見者人数」かもしれない。それなら、アメリカ当局とありうべき見立てに際立った齟齬はないことになる。が、オンライン上の統計を諸所、検討したところ、そういったこと"すら"判然としない)。
 米国当局の「継続案件」絡みの発表の胡散臭さを指摘したうえで話を続ける。
 さて、大の大人10万人近くが毎年、「危機にさらされた」か「非主体的に」行方不明になっているのに、子供の拉致疑惑件数がその5分の1近く(計「2万人」)にしか満たないこと ―うち元親族による連れまわし比率も不明瞭― に全幅の信を置けるだろうか子供の失踪者数累計(冒頭で記したように643744件)は大人の4倍以上である筈なのに
 不審点について述べたうえで、さらに不快な話をせざるをえない。つい先ごろ、未成年の本当の意味での誘拐事犯 ―真正の犯罪者による誘拐事犯― は115件にすぎないとの試算があるとしたが(今までなしたデータ分析から極めて楽観的な予測だ)、実のことを言うと、試算自体が怪しいという話が他ならぬ当局者の口から出ているらしいこともあるのだ。UPI通信が米国連邦政府の高官達が彼ら自身、一体、何名の子供が失踪しているか把握できていないと話している旨、報じているのである(資本関係から「望ましくない色つきの会社だろう」とはきと明言できるUPI通信だから信用できない、とすぐには言えまい。現場の記者とて時に"本当のこと"を書きはする ―ちなみに、UPI通信は英語のオンライン記事で最近、楽観的な記事を載せたりもしている― )。きちんとした筋からの発表というやつを鵜呑みには出来ない現状が米国にはあるのである。

 ここに至るまでの内容をまとめてみよう。次の〔1〕〔4〕のような形で、だ。

〔1〕2007年NCIC統計によると米国では通年で全失踪者81万人超(うち未成年失踪者64万人超)をカウントする。が、データより[削除]される案件も非常に多く現在、継続案件とされているのは ―他メディアが発表するところでは― 「10万件」超にすぎない。とは言いつつも、右に言うところのデータ削除が「LOCATE(失踪者発見)」でなされたケースが統計上でほとんど存在しないという不審事がつきまとう(未発見事例が人的リソースの問題から未解決事件として捨て置かれている可能性もある。ただし、「LOCATE(発見)」が当局が行方不明者を発見したケースのみに該当し、失踪者が自主的に届け人のところに舞い戻ったケースに該当しないのなら、より事態は望ましきこと ―統計は必要以上に悪く見えすぎる― ことになるだろう)。

〔2〕上の〔1〕のようなデータ、2007年度未成年者失踪計上数64万件とのデータがある一方で子供の失踪計上については楽観的な予測がありもする。すなわち、調査報告NISMART-2では1999年の未成年者失踪者数79万人のうち、「20万人は家族による誘拐。典型的誘拐事犯すなわち金銭取得や悪戯目的による長期の家族外の者による誘拐事件の発生は115件」となっている(ただし、米国では通年で「刑事事件化した殺人事件」が15000件が発生し、潜在的に「失踪」につながる他の凶悪犯罪の頻発も加味して、115件とは楽観的数値にすぎるとの指摘もなした ―死体があがらなければ、そして、被害報告がなければ事件にはならない。ために失踪と重罪はワンセットである:屑の世界でなければ、そう、真っ当な人間の世界では権利侵害がなされれば、他人の尊厳を踏みにじる犯罪者には制裁が加えられる。そうやって我々の社会が維持されていることを「当り前の前提」の話としてだ―)。

〔3〕上記「〔1〕〔2〕の矛盾」の検討をすることで全体の欺瞞性を分析することとした。
〔1〕の統計上では失踪要因も載せられている。それによると、子供の「危機的失踪事例」は相当数にのぼる(「2万件」を超える。具体的には〔UNDER18(未成年)〕項目直下の〔ENDANGERD:危機にさらされた〕項目での失踪件数は14206件、〔INVOLUNTARY:非主体的な〕項目での失踪件数は6165件となり計2万件以上)。それは〔2〕の統計、誘拐事件115件とあまりにも乖離している。
〔1〕の統計上の失踪要因を分析する限りアメリカでは成人の「危機的失踪事例」が通年で10万人近くにのぼる(〔ENDANGERD:危機にさらされた〕項目の79859件と〔INVOLUNTARY:非主体的な〕項目の15582件の合計 。年間「事件化」殺人発生件数15000件の国としても異常な数であるのは言うまでもない)。全成人失踪者数17万人のうち10万件近くが危機的失踪事例としているわけだが、そこにはティーンエイジャーで観念されるような「問題極まりない家出」や「元親族による連れまわし」などは当然、観念されない(精神疾患や痴呆に起因するわけでもない。それらについては別途、失踪要因別人数がカウントされているように見える)。従って、権利意識が確立した合衆国の「成人の失踪者」たちは極めて危険な状態で失踪していると観念できる(集団で個人をレイプするような人間の屑達の犠牲になっているととれる。くどいが、文明社会は犯罪者は処置せねばまわらず、ために、犯罪者達もそれを知った上で屑なりに対策を講じるだろうからだ)。に対し、未成年失踪者が大人の4倍(64万人)に達する国家で〔2〕のような試算が出されていることは、79万失踪の中で100件のみが営利や非営利の誘拐だとみなされていることは「やはり不自然である」。もっと言ってしまえば、未成年の危機的失踪事例が2万件であることすらも不自然との観さえ覚えさせるものである。

〔4〕UPI通信(資本関係を調べれば、色つきであることがすぐに分かると前述した媒体。私はアメリカ系メディアなども渡り歩いた関係上、そういうことには多少、詳しい:言っておくが、私はそういうところに五万といるフリーメーソンやCIA関係者などでは毛頭ない。両方とも、最悪の部類のやらされ人だと心底、嫌っている類だ)"ですら"〔2〕の統計と矛盾しているようなこと、「一体、何人の子供達がいなくなっているか分らない」と一時期、報じていた。

 以上、〔1〕〔4〕のまとめから分ること、それはこうだ。

2007年発表上の米国成人危機的失踪者合計が81万件超であること。それはあまりにも不可解である。その真偽はともかくも成人の年間危機的失踪者数10万人という発表数からして尋常ではないことは論をまたず(10年で中規模の都市の人口がまるまる消滅する数となるからだ)、未成年の失跡者数が数十万人というデータが存在している、しかも、大人の事例や他のデータと矛盾するように実態の見えぬ形で ―家出や家族による連れまわしを観念しても実態の見えぬ形で― 厳として存在していることを顧慮した上で言えることとしてあまりにも不可解である。 

 本Webサイト閲覧者の方には以上、述べてきたことを含んでいただいたうえで以下のような推察、以下の『』内に表記した推察とて「ありうること」と念頭に置いておいて欲しい(ただし、同推察については私が根本的に誤っている可能性もある。そう述べた上で「データに基づいた否定なり、訂正なりを歓迎する」と強調しておきたい。私は「自身が誤っていると立証されることを心底、望んでおり、訂正文を書きたくてたまらない」からだ)。

 米国では通年で十万人以上の人間が人知れず殺されている数十年で1000万人単位に突入するような規模で、ということも"ありうる"(最悪の[可能性論]である)。その点、私の無償公開著作では[悪魔主義的児童虐待・大量虐殺陰謀論]などという馬鹿げた陰謀論がかの国、米国で一時期、猛威を奮っていた背景についても仔細に解説している)。日本では女子高生のコンクリートリンチ殺人事件が100人にのぼる人間の関与によってなされた、という俗説があるが、そういった話が真実がどうかは議論の余地あるとしても、だ。何でもする連中、集団で個人をいたぶらせて"教育"することで飼い主のために何でもする輩がアメリカで諸所にて大量に「量産」されている可能性があるのである(フィクションならぬ実話ベースの物語たる2008年公開の米国映画『チェンジリング』。同映画に登場したような殺人劇がそこかしこで繰り広げられている可能性もある。ナチスドイツの収容所ではそれは可能性ではなく事実だった)。フリーメーソンの間には画期としての[生と死の儀式]があるが、それに類する画期となる行為、["何か" ―ここでは失踪者の殺害― にコミットメントさせることで対象の人間の内面を完全に変えてしまう(要するに人の顔をした犬を造る)行為]が組織的に行われていかねないとの話とイコールなこととしてである

 何、馬鹿げている、だと?まるで、デービッド・アイクという男が広めた「超」がつけられるような陰謀話と同じじゃないか、だと?(ただ、[そのように内心で突っ込みを入れうるデービッド・アイクの著書の愛読者]は日本では極少数だろう。私が調べたところ、日本ではそもそも、欧米で物議を醸すデービッド・アイクの書籍が何故かあまり流通していないようだからだ。また、言っておくが、私は日本でとかくニューエイジャーにすぎないとの物言いで語られがちなデービッド・アイク、彼のように[データや根拠]を軽視するようなことはしないし、推測を述べても事実そのものを曲げたりもしない)。

 無論、上の如き批判は甘んじて受けねばならない(大人の常識人には耐えがたいような非常識論を展開しているのだから当然だ)。

 だが、私は911テロ(実際は儀式だ)の背景に何があるか、膨大な文字数を割いて本Webサイト上で「証明している」。 その証明部を読んでいただければ、分かろうが、この世界は「プログラムで走らされおり」、「そのアルゴリズムは甚だしく醜い」のだ「予言の反対解釈的成就」によって「人口の圧倒的縮減」がなされたともとれるアステカ文明。その潰えた文明の狂ったような生贄殺害儀式記録がこの世界に押しつけられたアルゴリズムがいかに醜いものか、よく教えてくれる)。 また、私の著作や本Webサイト他記事でも述べているが、現実に失踪事件多発の国、米国の超有力者たちはボヘミアン・グローブという場での集いにて狂っているとしか見えぬ奇怪な祭儀、「懸念事の火葬 ―The Cremation of Care」を演じており、その「人焼きの儀」が「人を模して造られた本当の意味での人形か生身の人間を対象になされているのか、一部で物議を醸している(インターネット上にボヘミアン・グローブの動画が流されているからだ)」ということすらこの世界にはある。メディアは一部の富貴顕官の類の(流出画像が広められている)そうした狂態を「一切」報じないわけであるが。
 ために、プログラム ―人類にとって忌むべきものだ― の実行集団たる人形たちが熱心に教育されているとの上のような可能性の話、それは決して馬鹿げた話ではない。

 ここまでの内容をきちんと読んでいただければ、何故、[限界領域の拡大]と銘打った本Webサイト本セクションにて大量失踪の話をわざわざ扱ったかお分かりいただけるはずだ。 

本記事についての補足

※本記事は私の無償公開著作『人類と操作』の記述を元に作成したものだが、ために、ソースとした失踪統計が多少、古いとお断りしておく(2009年下半期に完成し2010年春季に書店に並ぶはずだった当方著作ではあるが、その執筆資料収集開始は2008年にさかのぼる。それゆえNCICのデータは2007年のものを採用しているわけである:当方著作『人類と操作』自体は無償公開版に至るまで改訂に改訂を重ねて2010年時の情報も含有しているも)。

本記事の元となった自著掲載文をものしていた時分に比して上に書いたような「予測」が大袈裟なものかもしれないという情報がネット上に現れるようになってきた。ために、重要な補足として次のIIIにてその旨に触れておく(私は何時でも自身の誤りを認める体制で本記事を書いている ―上に自身が書いている予測が完全に正鵠を射ているのは嫌であるので訂正文や否定材料を書くのは小気味いい―)。
I.2009年時の米国の Missing Persons Circumstances[失踪者詳細]発表では307672件超の失踪事例のうち、99%が家出人(Runaway)とみなされ、0.8%が親権を持たぬ親による連れまわしとされ、0.2%(494人)が見知らぬ人間による誘拐である、と分類されていると公表された。それゆえに、失踪の多発は大規模殺人と結びついていないよう"にも"とれる ―が、言っておくも、NCICの2009年の失踪者エントリー数719558件(不可解極まりないことに2007年のエントリー数814957人に比し急減している)と右の Missing Persons Circumstances[失踪者詳細]発表にて99%が家出人扱いされている307672件の間の[40万件超の差分]が何によるのかはよく分らない―。
II膨大な失踪者エントリーデータが抹消されているのは当局が[被害者を発見したケース]か[失踪者が戻ってきたケース]か[当局がデータを不適切とみなしたケース]のみにしか該当しないとの記述も目立って見受けられるようになってきた。仮にそれが本当なら、現在、当局が抱えている案件分(10万件前後)しか潜在的殺人のケースは存在しない可能性もある ―ただし、それは「通年ベースで15000件もの死体があがった殺人"事件"が発生していること」と「成人のみカウントでの危険状況分類失踪が2007年"だけで"10万件、発生しているとされること」と矛盾をきたし、当局がデータを不適切として削除する理由・基準も明らかではない―。

※米国失踪者統計について。「仮に通年で人知れず十万単位の人間が殺されているのなら米国が人口急上昇中なのはおかしい」との批判もあるだろう。それについては読者には知っておいて欲しい。米国の人口急上昇は[出生率の高さ]と[大量に流入している労働力・帰化移民]によって実現しているらしいということをだ(世界の労働力移動の指示線は大半が米国に向かっている。米国の労働人口における外国人比率は2004年の時点で15パーセントを超過してしまっている。あの国は多くの子供が生まれ、大量の人間が外から入ってきているから、(その真偽はともかくも)仮に大量の子供が失踪していても人口増加が進展しているともとれるのだ)。

※米国成人危険失踪者についてはその10万人に迫る全数のうち「1%もマスメディアは報じていない」との現状がありそうだ(危険失踪とカテゴライズされたうえで過半数が戻ってくると仮定しても、そうではないケースの大部分が報じられていないと言える。死体があがっている米国での殺人事件15000件の被害者の実名が全国で報じられていないのと同じ式で)。その点、世界的に見て最低品質の日本マスメディアお得意のやり口、市井の一私人の奇行や属人的犯罪に対しメディアスクラムを組んでそればかりを報じるようなやり口は「海外メディアでは"より少ない"ように見える」が、ご多分に洩れず、望ましくはない物事の氷山の下側は見えないようにされている節がある。もう、真実から目をそむけている時ではないように見えるのであるが。

※日本では通年で失踪者が10万人前後出ているとされる。また、[届け出がなされぬ失踪]を加味すると、日本でも通年ベースで数十万人の失踪者が発生しているとの俗説も ―およそ信用のおけるものではないが― ある。そうした俗説もあるも、日本では米国のように通年で10万人もの[危機的状況下での成人失踪者]が発生するわけでは ―当たり前だが― ない(自発的失踪者や借金絡みなどで失跡する人間も日本の失踪者発生数予測には(水増しされつつ)反映されているようにとれる)。 しかし、それが「日本が米国より"はるかにまともな"国である」との保証にはならない。「何でもさせられ、何をされても文句の言えぬ」人間ばかりになってしまった、そう、心魂が抜けたような風情ですべてを受け入れるように達観するようになってしまった大人達/悪い意味での「幼年期の終わり」を指向させられてしまう大人ばかりになってしまったこの国では、だ。限界領域の最悪の側面は[検死の不備]や[刑事事件化断念]で中々、表に出てこないように調整されている可能性もあるのだ。そういったこととの絡みでも米国の状況は日本にとっても無縁ではないとも考えられる(巨視的プログラムとの兼ね合いでは米国の現況は全世界・全人類と無縁ではないのだが)。


 本記事本文で分析してきた大量失踪疑惑。その深奥に横たわる事情について訴求すべく図を挙げた。
 一目して分かろうと思うが、上は[年単位での数値変化をあらわした表]である(目立つ合成絵画を持ち出した意図の説明は後ろになすとして、だ)。何の数値変化をあらわした表か?米国のNCIC、全米犯罪情報センターが把握している失踪案件、その年単位での計上数の変化をあらわした表である。
 同表では[失踪件数の膨大さ]だけではなく、[失踪報告数の易変性]といった目立った不審点が見てとれる形となっている。何故、1997年に98万件、計上されていた失踪案件が2000年には87万件に減っているのか?どうして、それが2007年には81万件になっているのか?といった具合に、である。 
 については、失踪案件の過半を占めるとも見える[ティーンエイジャーの家出動向]が年度年度によって易変することによる、とはあまり考えられない(そも、『ティーンエイジャーの家出計上件数が上掲の本記事補足情報にて挙げた30万件前後なら他の膨大な計上案件は何なのか』との疑念が残ることもある)。あるいは、景気の変動が一家離散、それとワンセットとなった失踪計上数に影響していると考えることもあまり出来ない(上掲の表では2007年度までの失踪計上数を取り上げたが、失踪者数は後に米国にてサブプライムバブルが崩壊、米国経済が停滞期に入った後も増加していないからだ)。
 そういった巨視的視点から論じられる不審点、失踪計上数の易変性に見ることが出来るような不審点から見て、だ。私としては失踪の背後に人知の及びつくところではない超常的なるメカニズム、そして、邪悪なるメカニズムが介在しているのではないかと考えている。とした上で言うが、「人の所在を不明ならしめてしまうような邪悪なメカニズムが作用していてもそれに屈するべきではない」ということを訴求するために挙げたのが[上掲表と合成した絵画]である
 表と合成した絵画はギリシャの古典、Odysseia『オデュッセイア』の一幕をモチーフにしたものだ。より具体的に言うと、流浪の身の男、オディッセウスが航海の途上、セイレーンが出没する海域を超えた場面をモチーフにしたものである
 セイレーン。今日、我々が知る[サイレン]の語源にもなっているギリシャ神話上の怪物(女の顔が鳥の胴体についた存在とも)だが、彼女たちは美しい歌声で船乗りを惑わして船を転覆させるとされる。『オデュッセイア』の主人公、オデュッセウスは他の船員の耳を蝋で塞がせたものの、自身にはその処置を施さず船体に身を縛らせてそのセイレーンの声を聞きつつ難所を越えたとされる。難所越えしたとされるも、何故、そのような場面を描いた絵をわざわざ、この場に挙げたのか。それについては叙事詩『オディッセイア』のセイレーン登場の段がいろいろな意味で意味深いということもある([スキュラ]といった怪物が登場する第12歌がそれだ。その点、セイレーンと同様、船乗りたちをとって喰らう同段登場のスキュラについては[フリーメーソン絡みの寓意との兼ね合い]で本Webサイト上の他所で触れている)。だが、次に述べるようなことを通して「邪悪なメカニズムに屈するべきではない」と訴求したい、というのが『オデュッセイア』の一幕を抜粋した主たる理由である(以下は多少、というより、かなり観念論的な話になってはいるが、この手のことははっきりと言えないものだとご納得いただきたい)。

この世界は、はきとは聞こえないが、すさまじく邪悪な想念とワンセットとなった"声"で満ちている。その声を聞いた者の大半はセイレーンの声に耳を傾けた船の乗員のように船を沈没させる方向でしか[オール]を漕げないようになる(この世界にはそういう人達がたくさんいる。彼らは自分たちがどういう状況か、十二分にわかっていても何の手だても打てないのだ)。
 そして、その声(セイレーンの声)は人生という冒険でオデュッセウスがそうあったような状況、立つ瀬なしといった状況に陥ったときに貴方を誘う類のものだ。カルト団体の勧誘でもいい。あるいは根本的なる欠陥を孕んだ政治信条への盲従要求でもいい。魅力的だが、どこかしら背景事情を抱えた節がある異性からの不自然な誘惑の後の妙な要求でもいい(欧米では魂の破滅をもたらす、そうした魅力的な異性を[赤い服を着た女]、 Lady in Redとして符丁的に用いる傾向があるとも聞いた)。とにかくも、そういったものを契機に多くの人間が邪悪な想念を体現した"声"を聞くようになり、誤った方向に進み、時として逐電・失踪という状況に陥るのである(そのような限界状況を現出させる手法はこの世界のコントロールする力と密接に関わっているようにも見える)。
 だからこそ、言う。貴方がいかに邪悪な声を聞いたとしても、だ。本然を見失ってはいけない、と。当然のこととして選択は貴方にゆだねられているわけだが、何を見せられ、何を聞かせられても、本然を見失わず、自身で生きる途を決めてほしい、と言いたいのだ(これは一度 ―幼年期の時分からでも― セイレーンの言うとおりに動く途を選んでしまった方々にも言うことだ。オディッセウスは他の蝋で耳を塞いだ船員達を言うとおりにさせることが出来なかったというが、オディッセウスとは違う[我々の船を沈めない方向への舵切り]の提案の式として、だ。私には無神経なことはあまり言えないとの想いもあるが)。
 詰まる所、声を聞く貴方はオデュッセウスだ(我々、人類はほぼ拠るべなき旅人、オデュッセウスとしてこの世界に生を受ける、と見る。伝承上のオデュッセウスにはトロイの木馬を用いた奸智に長けた戦争屋という側面もあるのだが、そのような悪しき側面は抜きにし、あくまでも比喩の話としてだ)。失踪をきたすが如きの邪悪な想念の体現物としての"声"を聞くことになっても、かつて聞いたことがあっても自身の行くべき道を考えてほしい

 以上、書いてきたことを目にされ、『何を訳の分らないことを言ってやがる』と思われる方もいるだろう。無論、そうだ。『そのように心底から思う方が大半の方が世の中は健全だろう』と私自身が思っているぐらいに誤解を招く観念論、宗教家じみた方向に偏りすぎているととられるだろう一見、意味不明瞭なる観念論を確信犯的に展開したのだから。 
 だが、読者の方には ―何度も言うが― よく考えてほしい。そして、どんな立ち位置にあっても自身の本然を全うしてほしいものだ。 

 

 上に挙げたのはロシアに伝わる怪鳥でシリン(Sirin)と呼ばれる存在を描いた絵だ。言わば、彼女たちはロシア版セイレーンだが(シリンは美女の顔にフクロウの胴体をもつ)、次のように伝わる存在でもある。
 「シリンの歌は人間を破滅にいざなう。彼女たちの歌を聞いた者は忘我させられ、やがて死に至る。だけではなく、シリンは[人間の魂に語りかける神の声の象徴化存在]であるともされる」。
 以上、述べたことをお含みいただいたうえでだ。次のような話を胸中に置いておいてもらえれば、と思う。

・上の絵は実は極めてフリーメーソン的 ―Freemasonic― な形態をとっていると言える。何故か。フリーメーソンの紋章に[セイレーン状の妖異を上の絵のような構造で二対並べるもの]が存在しているからだ。とした上で現在、欧米で「フリーメーソンが"人外"に憑かれた存在である」との説が大変、物議を醸していることを問題視したい(出版社からの提案、他の大手から色つきをきたす出版の提案を固辞して無償公開することにした自著や本Webサイト上の他記事にて分析している[デービッド・アイクという人物が広めえた説]がそうである。同アイクの説は素っ頓狂なところばかり日本では強調されるが、欧米ではポップミュージック分野での歌詞に取り上げられるほど、反響を巻き起こしている)。そう、「フリーメーソンはシリン(あるいはセイレーン)の言うことを聞いている者達だ」とさえ言われうる存在なのだ(私の見立てではメーソンに限らず歌を聴いている人間の数は楽観視できない数となるが)。

・フリーメーソンの一部には[失踪とダイレクトにつながる児童虐待の噂]がつきまとう(につき、大きなところでは一時期、米国に大規模裁判多発とワンセットの狂熱をもたらした[悪魔主義組織的児童虐待疑惑]がある。また、上にて一言だけ言及したデービッド・アイクという男も「ブラザーフッドは組織的なる児童の虐待に手を染めている」と強調したりもしている)。そういった組織的児童虐待の噂の真偽は脇に置いておいて(私としては諸種の情報から判断して「おそらく部分的には真実だろう」と見ているが)、仮に虐待がなされているのなら、その背景にあるのは何か。シリンの歌を聴いている者達が何故、虐待を"させられ"てしまうというのか。答えは[魂の殺人]にあると見ている。同[魂の殺害]という言葉、ユダヤ系団体から表彰されているような心理学者、アリス・ミラーが用いた言葉で「虐待によって子供の精神の核に拭えぬ傷ができる」というものだ。私の見立てではアリス・ミラーなどという名の人物がそのようなことを言っていたことすらもが"やらせ"かもしれないと映るのだが(『"鏡"の国の"アリス"』は多重連結空間の数学的比喩を含んだフリーメーソン小説、それも最悪の予定吐露で用いられる節があるフリーメーソン小説だとの事情を知っているからだ)、 とにかくもである。『[魂の殺害]などと呼ばれる虐待行為が[セイレーンの声を聞く者達]によって子供達に彼らと同じ[セイレーンの声を聞かせる穴] ―アリス・ミラーの言うところの[破壊性の根源]― を生じさせるため実施"させられ"ている』ととらえている(虐待の連鎖というやつはそういった背景から生まれるとも)。あるいは、暴力是認の"教育"。それがナチス・ドイツを台頭させるべく、ロボットのように一糸乱れず行進し大量虐殺を黙々とこなせる人間を量産すべく実施されている、ととらえている(直近、挙げたアリス・ミラーは暴力教育とナチスの台頭を結びつけてはいるが、メーソンのメの字も出さなかった。しかし、ナチは表向きのフリーメーソン弾圧姿勢明示に反し、実際はフリーメーソン外郭団体を母体とした組織である。それについては私の自著にて詳述している)。

 何故、失踪にまつわる話を扱った本頁にてシリンの話を契機にフリーメーソンのような類の組織的虐待疑惑に言及したのか。その答えはすでに述べている。そう、記事本文で述べているように失踪多発の背後に[何でもやる人間の顔の付いた犬を量産している疑惑]があるからだ。何でもやる人間の育成過程で失踪被害者が殺されているから失踪者が多数出ている、米国で多数出ていると文脈で、である。とした上で押さえておいて欲しい。「加害者絡みにしろ、被害者絡みにしろ、失踪には上述したような文脈で言うところの[魂の殺人]が関わっている"可能性"がある。守るべきものは我々の魂とも呼ぶべき本然の属性なのだ」。

 いささか、くどくなってはしまったが、これにてここでの話を終えよう。

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当記事初稿を公開して数年を経ての今日にあっての追記として

 当記事では自著に反映させるために2008年にて収集していた情報の内容、および、往時の(悪い意味での)過剰予測にひきづられて、いささか、
[恐怖の行商人] (英語で言うところのフィア・モンガー
のような書きようをなしていたか、と後の日、振り返っての現時にて反省するところではある。

 その点、英国の首相ディズレーリに由来するものとして
「世の中には三つの嘘がある。普通の嘘、大嘘、統計である」( There are three kinds of lies: lies, damned lies, and statistics.
との言があること、広くも知られている。

 うち、[統計を正しくはない方向性で利用しての性質の悪い偽り]をなしているとの批判を受けかねないところもあったか、と考えている。

 米国では多くの人間が[死体の出る殺人]の犠牲になり(通年1万5千人が犠牲になり)、のような中で多くの人間が危険な状況で失踪している (2007年時〔ENDANGERD(危機にさらされた)〕項目で79859件) という[統計的分類]の背景にあるところ、それが実態を反映したものなのか、その背景にある真因は何なのか、十二分に知ることもできぬとの身の上でありながら、
[行き過ぎた印象論 ―(拙著にて示しているようなこの世界の悲惨な状況から引き直して見、)かの国では少なからずの人間が[人の顔をした犬]を所々で製造するために殺傷されている可能性もありうるとの印象論― ]
を展開していたか、との観点からである。

 だが、そのように振り返りもしながらの反省の弁を講じながら、この身が次のように考えていること「も」あらためて訴求しておきたい。

 ここ表向き平穏な日本「にも」不快な隣人らはいる、そう、確かにわれわれのすぐ脇「にも」いる。
 については[大規模カルトの統制機構に組み込まれた人間ら]然り、(カルトと人脈接合しもする)[号令一下、上より命令がなされれば時に暴力的手法と接合しうる排斥行為といったことをも率先してなすような意識形態の人間が澱のように集まって形作っているとの(他の[尊厳]を傷つけるのを「是」とする)合法ないし非合法領域に近しき種々様々な横断"閥"ら関係者]然り、[純粋に個人的特性として[嗜虐的な人間]ら]然り、である。
 といった総称しての[不快な隣人]らを用いて ―彼らが心底それを望んでいようといなかろうと、彼らがその実の被害者であろうと加害者であろうと― 我々が守らねばならぬと思うものを傷つける力学がこの世界に存在するのならば、それを摘示しなければならないだろうとこの身は考えている (それが北鮮やりようのように直接的に失踪といったことに結びつくのか不分明であるということも含めて直近表記のような側面から現時、当ページのやりかたはまずかったか、とも考えているわけだが)。
 また、子供の虐待に[魂の殺人]との言葉(抽象的かつ比喩的なる言葉)を用いていることについてだが、 ―アリス・ミラー、心理学者などという物識る人間には軽侮を招こうといった人間の語用を踏襲したとのことも込みにして― そこからして問題が多少あったか、とも思う。
 が、(『それまた印象論的な口上であろうが』ととらえてもらって「も」よいのだが)、おおよそにして、そういう機序でもって次代を担うべき者らより守るべき人間性が少なからず収奪され、また、今日ここに至るまでのわれわれ人類のうちの実に多くが[魂]と呼ばれるようなレベルでの人間性を相当程度、棄損されてきたことに異動はないであろう、とこの身は考えている(アリス・ミラーなる人間の申しように見るナチス台頭前の暴力是認教育のことも加味して、である。[宗教]などではないので無論、そうした観点を押しつけるつもりは毛頭ないが)。

 さらに述べれば、この身は胸中にあって

「問題なのは、」
[そのような話]
を「敢えても」なすべき時が今であり、同様の原因に起因する弊を少しでも減らせるように人間というものがこれより先、努力できるのか、また、そうしたこととてありうる状況下でありながら、[覚悟に根ざした変えんとする意思]というものが人間に想起するのか、ということに今後が左右される
ととらえている
 (聞く者によっては『このような社会、このような世界で空論染みた青臭き理想論を。』と思うかもしれない。あるいは世をよく知りもせぬ向きは属人的視点としてはよりシビアに、が、状況分析としてはより楽観的に、『受信領域の外に完全に出てしまっている、まったくもってデンパな語り口上である。』などと「不適切に」(そも、大多数の人間はデンパという言葉が何故、不条理な妄想・妄言の語源になっているのか、そういう言葉を用いたとのことである屑の国内通り魔殺人狂人の戯言以上のレベルの[可能性論]について考えたことがあるのか、と私なぞはつい考えてしまう) その胸中にて嗤うかもしれない。 が、といった反応を想定しつつも敢えてもの話をなしている)。

 そうしたことの集積が結局は我々人類の[存続]問題にかかわっていると手前は考えているのである ――加えて、[覚悟]も何もない人間が何かを変えることは、変えんとしようとすることは「絶対にない」との観点がこの身には強くもありもすることもここ当記事の執筆動機の背景にある。[何も変ええぬ家畜](あるいは[唯々諾々と従うだけのロボットよろしくの人間]でもいいが)と[そうではない人間]の間に圧倒的に大きくも横たわるのは[不条理に抗う意思]、そして、[抗った結果を引き受ける覚悟]であると考えていもするのがこの身なのであるが、他面、そういう性質の話を(聞く耳を持った人間がいかほどまでにいるかはわからぬが)他に訴えるのならば、[現状についての最悪の見通し]をも同時に呈示しておく義務があろう、とこの身は考えていたし、今なお、そのように考えているとのことがあるのである(につき、述べておくが、かくいう私とて何時、儚き命を散らされるのか分かったものではないとの[覚悟]を持ってやっている)。 それがゆえ、当記事のようなもの、(人によっては 「(表向きでも)平穏安寧な日本にあっては過度に行き過ぎた申しようをなしている」 との見方をなすような書きようをなしていることにつき反省してもいるのだが)、この世界の[最悪であるのならば、ありうべきところの統制作用]を指し示すべくもの記事をも作成・公開しているとの経緯がある―― 」

 以上、胸中にあるところをそのままに吐露しての表記をなしたところでさらに述べておきたいが、

当サイトで最も重要なことは本頁で展開しているような人によっては[行き過ぎた印象論](かつ比喩的な話が必要以上に際立っての口上)ととらえるだろうとのことにはない
 本頁で扱っているような半ば真偽不明瞭なことではなく
はきとそれが成立している
ことを実証できるとの「他の」不快な相関関係ら、それらが指し示しているところの危険性こそが[当サイトで最も訴えたきところ]である

 その点、[覚悟]などとはどう考えても無縁の相応の人間らは(何も変ええぬし変えようともせぬとの「相応の」人間であるがゆえに)申しようの重みづけに際して(この身をフィア・モンガー(下らぬ職業的陰謀論者・恐怖の行商人の類)であると見たいとの心理なぞから)履き違えることもあろうか、と思うのであるが、重みづけに対する適正評価への上の請願の方、(話を聞く気がある人間にあっては)何卒、斟酌願いたいものである ――当記事では[サイレンの声]を聞いたと伝承が語る武将、古のトロイアを木製の馬で滅ぼしたギリシャのオデュッセウスのことを意図あって比喩的に持ち出しているが、その[オデュッセウス]のようなものに実に望ましくなき側面でなっている([トロイアを滅ぼしたとの外患誘致者]になっている)との一群の者らがいるとの指し示しも(性質の悪きことにトロイアそれそのものの比喩が介在しているところとして)なせてしまうとのことを告発しているのが当サイトであり、当サイトにて最も重要視していることはまさしくものその点であるとも強調しておきたい次第である――