典拠となるところの明示[81]――本稿の後の段に向けての[布石]としての古典的
元素論にまつわっての話として

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黄金比を媒介に指摘できもすることについて 補説2

 直前頁にあっての末尾では、

([話の向かう方向性]として明示しもしていた)、

[[黄金比と結びつくカー・ブラックホール]が[プラトン古典にみとめられる(黄金比を全身で体現するものにして第五元素「的なる」位置付けの)正十二面体]と何故、いかように特定の文物ら(現代にてヒットを見た作品ら)を介して結びつくのか、また、そのことがどうして本稿にての指し示し事項と密接に結びつくのかとのことについての指し示しをなす]

ための段

に入るその前に

[[元素論]にまつわっての[布石]としての解説をなす]

と申し述べた。

 以上、端的に再言なしもしたうえで表記のこと、[[元素論]にまつわっての[布石]としての解説をなす]との部に直下、入ることとする。


長くなるも、の[元素論]についての解説として

 ここにては元素論をテーマとして[布石]となる話をなしていく。

 まずもって下の図をご覧頂きたい。

 図葉三段に分けもしているとの表記図の概要を下にて説明する。


 最上段うち、左の方に挙げての図は印度や東南アジア文化圏に認められる仏教関連の歴史的建造物、釈迦の舎利(遺灰)を収めたとされるかたちにて各地に建立されている、
[ストゥーパ([仏塔]/Stupa)]
に際立って類似するものとしてペルシャ系の民族が諸所にて用いてきたとのことである標識 ―歴史的・地理的アイコン― を図示したもの(として古書にて紹介されている図)となる。そちら図の出所は19世紀刊行の著作、 Project Gutenbergのサイトにて誰でも全文閲覧・ダウンロード可能であるとのかたちにて公開されている、
A MANUAL OF THE HISTORICAL DEVELOPMENT OF ART(1876)
との著作となり、同著、革命家にしてSpy間諜の類であったとも英文Wikipediaに表記されているハンガリー人、 Gustav Zerffiの手になる著作となる(筆者が表記著作を検証した限り、どういった筋目の人間であれ、上記著作に見てとれる著者見識は深いものであると見てとれる)
 抜粋した同図に見る仏教建築物たるストゥーパ(Stupa)に類似の歴史的標識は

ether(エーテル/英語圏で第五元素とも呼称された観念上の天体構成要素),air(空気),fire(火),water(水),earth(地)]

との古典的元素論に見る各元素と結びつけられていもするものとなる(:図の抜粋元となる著作、初歩的英語力を有した人間にとって意味が歴然としたタイトルの著作 A MANUAL OF THE HISTORICAL DEVELOPMENT OF ART(1876)の中にての同図にまつわる一言解説として ―そこよりの原文引用をなすところとし― the Persians, like the Indians, expressed the cosmical elements of creation symbolically by means of geometrical signs, which are given below.「ペルシャ人は印度人のように創造にまつわる宇宙的[元素]を下図に認められるようなかたちで幾何学的に表した」と記載されているとおりである)。

 そして、実際、同最上段左の図にその構図の類似構造が描写されているとのストゥーパそれそのものが[五大元素]と結びつけられているとのことは ――ここ日本にての故人への供養のありよう、墓石の隣にぎざぎざの板(卒塔婆)を立てるとのやりよう、いわゆる、[卒塔婆供養]に伴う細かき様式とも結びついているところとして―― 現代社会にてあって「も」知る向きには知られている、といったことである(出典として:基本的なところであるため、そこよりの引用で十分か、と判断、そうすることとするが、墓地に見受けられる卒塔婆にまつわる和文ウィキペディア[板塔婆]項目にて[次の記載]が現行なされているとおりである。(Wikipedia[板塔婆]項目より引用なすところとして)板塔婆(いたとうば、いたとば)とは、追善供養のために墓の脇になどに立てる木製の長い板のこと。卒塔婆(そとうば、そとば)とも。塔婆とはストゥーパの音訳であり、ストゥーパとは仏舎利を納めた墓のことであり、それの形を模した板である。板塔婆は、日本の仏教のいくつかの宗派で用いられている。五輪塔に似せた形に作られており、五大を表し、上から空、風、火、水、地である。それぞれ宝珠形、逆半円形、三角形、円形、長方形をしている(引用部はここまでとする)。以上、 Project Gutenbergサイトより引用した19世紀著作( A MANUAL OF THE HISTORICAL DEVELOPMENT OF ART)の構図と全く同一のものとのものにまつわる表記として(ストゥーパは)五大を表し、上から空、風、火、水、地である。それぞれ[宝珠形][逆半円形][三角形][円形][長方形]をしているとの書かれようがなされているわけである)。

 次いで、最上段の右、及び、(最上段から下っての)中段の図の端的なる解説をなす。
 最上段右の図についてはサンスクリット語、その表記のための[梵字]に含まれる[悉曇(しったん)文字](と呼ばれる日本仏教界にて歴史的に用いられてきた字体)にて[空][風][火][水][地]の五大元素を体現する字を「本稿用に、」と最上段左の書籍掲載図に修正・付け加えたとのものとなる。
 につき、何故、筆者のような「非」宗教的人間 ―心底、宗教や宗教的やりようを軽侮しているとの人間― が悉曇文字(日本仏教界にて歴年重んじられてきたとの字体)による[空][風][火][水][地]の表記などをここにて易々と再現できもしているのか、と述べれば、である。そうもしたやりようをとっている理由が、そも、[そのこと自体を訴求したくもあった]とのことにあるとのこととして、悉曇文字にて五大元素を意味する文字表記がここ日本にての[そこかしこの墓地の隣の卒塔婆]に書き記されているとのことがあるそれぐらい[卒塔婆と五大元素の繋がりあい]が色濃いとのことがあるからである(:直に「卒塔婆、サンスクリット、梵字」などと入力して検索いただいてその通りの意味合いの悉曇文字が果たして本当に墓地の卒塔婆に一般的に描かれているものなのか、確認頂きたいものである)。
 そうしたサンスクリット語での五大(元素)にまつわる表記がそこにてなされているところの墓地にての卒塔婆とはいかなる様相のものなのかの確認・強調のために挙げもしているのが上掲図中段の図となり、その抜粋元となった著作は ROMANCES OF OLD JAPAN(1920)との Project Gutenbergサイトにて全文公開されているとの20世紀初頭にての欧州圏流通著作となる(:そちら著作、 Mademe Ozaki Yukio、[日本の議会政治の父]といった二つ名を伴っての政治家・尾崎行雄(一般に知られている方の名は号しての尾崎咢堂かと思う)、軍国主義化風潮の中であらかじめ辞世の句を詠んでおくとのやりようで思想的狂人(モードの駒)らに抗したとの事績などで今日に至るまでつとに知られる同・尾崎行雄の妻たる尾崎テオドラの手になる著作となる)。 同著( ROMANCES OF OLD JAPAN )にあっての図にまつわって解説されているところ、想い叶わず現世で結ばれることがなかった女が不遇をかこって死にもして霊として出没するようになったため女の遺骸を墓地から男が掘り出すとの物語の内容はここでは置くとして、画に見るような卒塔婆、今日でも墓地に据え置かれているとのその卒塔婆にわざわざもってサンスクリット由来文字を用いるなどして[空][風][火][水][地]と五大のことが表記されているとのありさまを筆者は問題視している(として話を続ける)。

 次いで、上掲図にあっての下段の図。同図は古代ギリシャ哲人の元素理解にて
エーテルとも表されるもの(第五元素とも表されること多き星天の世界の構成要素)を示すものとの理解があることをここまでにて解説してきた正十二面体の展開図
である(本稿にての出典(Source)紹介の部77で世間一般の講学的な解説のされようを引いているように古代ギリシャの代表的知識人プラトンは[四つの自然界の元素]と[四つの多面体]を対応させていたと古文献を介して伝わっているのだが、プラトンは[天を構成するもの]として後にそこに[正十二面体]を付け加えるに至った(とのことがあると先に紹介していたところである)。 といった中でプラトン自身は(彼自身が四大元素に付け加えたものでありながらも)正十二面体をしてはきと[第五元素]そのものであると強調していないのだが ―ただし本稿の先だっての段で引いている部にも見るようにプラトン著作を英訳しているような欧米圏識者らがプラトンにまつわっての注釈として正十二面体を第五元素と表しているといったことはままある― 、プラトンの弟子、諸学の父ともされるアリストテレスが四つの元素に次いでの天体構成物質をアイテール(エーテルの語源)、[上層の気]としての第五元素として表していたことから引き直して見れば、プラトン・アリストテレスが創始した学問体系では正十二面体が[空]こと第五元素と同一視される[エーテル]を現わすものであるとの解釈が自然に成り立つ(アリストテレス自身も「五大元素イコール正十二面体」との申しようを目立ってなしていたわけではないとされているが、そういう解釈が自然に成り立つ)ところとなっている ――同じくものことについては本稿にての出典(Source)紹介の部77(3)にても英文Wikipedia[ Platonic solid ]項目から The fifth Platonic solid, the dodecahedron, Plato obscurely remarks, "...the god used for arranging the constellations on the whole heaven". Aristotle added a fifth element, aithêr (aether in Latin, "ether" in English) and postulated that the heavens were made of this element, but he had no interest in matching it with Plato's fifth solid. (拙訳として)「プラトンが規定した第五の正多面体、それはプラトンが不明瞭に言及しているところとして[星天にあっての刺繍にて神(プラトンの指摘するところではデミウルゴス)が用いた]との正十二面体であるアリストテレスは五番目の元素としてアイテール(ラテン語表記でaether、英語ではイーサーことエーテル)を加え、そして、天はこの元素にて成り立つと主張したが、彼とて師たるプラトンの第五の立体とそちらを整合させるのに意を向けはしなかったとの記述を引いていもした―― )。


 何故、本稿筆者は以上のようなことをわざわざこの場で持ち出しているのか?「後の段への[布石]として意図しての話をなすことにしている」とは先述しているところなのだが、

『この男が鼻持ちならぬペダン(衒学趣味者;学をひけらかすような類の悪癖の持ち主)だからだろうよ』

と考える向きもあろうかもしれないから「然にあらず」との意を兼ねさせて、さらにもって、次のこと、申し述べておきたい。

「筆者には[死んだ知識]など[犬](システムの奉仕者)と[漢字二字ないし一字で侮蔑的に形容される人種](下らぬ人種)にくれてやればいいとの考えがある。しかし、[ここでの一見する限り、非本質的な元素論にまつわる話]もが[敢えて筆を割くべきであるとの[我々の生き死にの問題]に関わる ――加えて述べれば、「実にもって嗜虐的に関わる」―― ものである]との指し示しが「実証的に」なせてしまうから、同じくものことにつき、(脇に逸れての話をなすとのかたちでながら)[布石]としてここにてわざわざ取り上げることとしている」

 さて、ここからが[布石]として意をなしてくるとの話である。

 につき、(唐突とはなるが)、ダン・ブラウンとの作家の手になる小説として『天使と悪魔』(2000年刊行)という有名な小説作品がある。同作、『天使と悪魔』、ハリウッド俳優トム・ハンクスが主演を張って(主要登場人物の象徴主義研究者ラングドン教授を演じて)の映画化バージョンが『ダ・ヴィンチ・コード』の続編として封切られ、大ヒットを見たとの作品ともなっているのだが、その小説としての初出自体は ―同作が[911の事件の前]に登場しだしたとのこととて重んじざるをえぬ側面がある(本稿にてのまた後の段で言及することとしてそういう側面がある)がゆえにわざわざもってそこまで言及しているとのことであるのだが― 映画とは逆に『ダ・ヴィンチ・コード』に先立つもの、2000年に遡るとのものとなる(映画化の経緯はともかくも『ダ・ヴィンチ・コード』の方が『天使と悪魔』「の」続編にあたる)。

 そちら『天使と悪魔』という小説作品、

[CERN(本稿にての最初部から問題視している欧州はジュネーブに本拠を置く研究機関でその主催するLHC実験にてブラックホール生成が取り沙汰されてきたとの研究機関である)より強奪された反物質が時限爆弾に転用され、バチカンを崩壊させる手段へとされると描かれるとの作品]

であり、また、

[CERNより反物質を強奪した犯人が教皇選出のためにバチカンに馳せ参じたローマ・カトリックの枢機卿らを欧州にて古代から伝わる元素論 ――気・火・水・地を世界の根源とする古典的元素論―― に基づき順々に儀式的に殺していくさまが描かれるとの作品]

ともなっている。

 通俗的で、かつ、すぐに調べがつくとのよく知られたことであるため、出典呈示を割愛したいとの気持ちもあるのだが、論拠呈示に重きを置いている本稿として上記のことらの出典を目につくところから ―それら出典表記にあっては問題としている作品『天使と悪魔』を把握・検討しもしている人間として誤りはないと確認したうえで― 挙げておくこととする。

(直下、英文Wikipedia[ Angels & Demons ]項目にての現行記載内容より掻い摘まんでの引用をなすとして)

Angels & Demons is a 2000 bestselling mystery-thriller novel written by American author Dan Brown and published by Pocket Books. The novel introduces the character Robert Langdon, who is also the protagonist of Brown's subsequent 2003 novel, The Da Vinci Code; his 2009 novel, The Lost Symbol; and the 2013 novel Inferno.
[ . . . ]
The plot follows Harvard symbologist Robert Langdon, as he tries to stop the Illuminati, a legendary secret society, from destroying Vatican City with the newly discovered power of antimatter.
CERN director Maximilian Kohler discovers one of the facility's physicists, Leonardo Vetra, murdered. His chest is branded with an ambigram of the word "Illuminati". Kohler contacts Robert Langdon, an expert on the Illuminati, who determines that the ambigram is authentic. Kohler calls Vetra's adopted daughter Vittoria to the scene, and it is ascertained that the Illuminati have stolen a canister containing antimatter ― a substance with destructive potential comparable to a nuclear weapon.
[ . . . ]
Langdon and Vittoria make their way to Vatican City, where the Pope has recently died. It is discovered that the four Preferiti, cardinals who are the most likely papal successor, are missing. Langdon and Vittoria search for the Preferiti in hopes that they will also find the antimatter canister. Their search is assisted by Camerlengo Carlo Ventresca ( the late pope's closest aide ) and the Vatican's Swiss Guard.
Langdon attempts to retrace the steps of the " Path of Illumination ", a process once used by the Illuminati as a means of inducting new members; aspirants to the order were required to follow a series of subtle clues left in various landmarks in and around Rome. The clues indicate the secret meeting place of the Illuminati. Langdon sets off on the Path of Illumination in hopes of delivering the Preferiti and recovering the antimatter canister.The Path leads Langdon to four locations in Rome, each associated with one of the primordial elements: 'Earth', 'Air', 'Fire', and 'Water'. Langdon finds one of the Preferiti murdered in a way thematically related to each location's related element. The first cardinal was branded with an Earth ambigram and had soil forced down his throat, suffocating him; the second was branded with an Air ambigram and had his lungs punctured; the third was branded with a Fire ambigram and was burned alive; and the fourth was branded with a Water ambigram and was wrapped in chains and left to drown at the bottom of a fountain.

(肩肘ばらずに即時に訳したところとして)
「『天使と悪魔』は2000年にベストセラーを記録したアメリカ人著者ダン・ブラウンの手になる作品、ポケット・ブックス社から刊行されたとのミステリー・スリラー小説である。同作『天使と悪魔』はロバート・ラングドンという登場人物、ダン・ブラウンの他の小説、2003年刊行の『ダ・ヴィンチ・コード』、2009年刊行の『ロスト・シンボル』、2013年刊行の『インフェルノ』の主人公となっているとのそのキャラクターをはじめて登場させたとの小説となっている。
・・・・(中略)・・・・
同『天使と悪魔』の粗筋はハーバードの象徴主義研究者ロバート・ラングドンが伝説上の秘密結社イルミナティがあたらしく発見された反物質の力でもってバチカンを破壊しようとしているのを阻止せんとしているとのその足跡を追うとのものである。
(以降、具体的粗筋Plot紹介の部として)
CERN役員マクシミリアン・コーラーが同研究機関物理学者の一人レオナルド・ヴェトラが殺害されているのを発見した。その遺体胸部にはアンビグラム(訳注:アンビグラムとは上下反転して見て見たり、鏡に映して見たりと見方を変えても同様の単語が読み取れるように調整された特別の文字記述様式のことを指す)でもってIlluminatiと焼きごてにて刻印されていた。コーラーはイルミナティに関する専門家であるロバート・ラングドンにコンタクトを取り、ラングドンはそのアンビグラムが真正のものであるとの判断を下した。コーラーはヴェトラ(被害者)の養女のヴィットリアを事件現場に呼び出し、イルミナティ(を名乗る存在)によって反物質 ――核兵器に比肩する潜在的破壊力を持った物質―― を収めたキャニスターが盗み取られていることが確認された(訳注:尚、「反物質を兵器に転用できるようなかたちで持ち運ぶことは荒唐無稽極まりない馬鹿げたことである」と諸種の科学者ら ―『天使と悪魔』に寸評加えているとの科学者ら― に諸所で指摘されており、については、オンライン上より容易に確認できるようになっていることともなる。だが、ここで問題視しているのは荒唐無稽小説の体裁を取る小説の額面通りの荒唐無稽なる設定を問題視することではなく[背面で問題となる]との性質悪き寓意性にまつわることであること、お含みいただきたいものである)
・・・・(中略)・・・・
 ラングドンと彼に同道することになったヴィットリア(殺されたCERN科学者の娘)は最近、教皇が帰天したヴァチカン市に(イルミナティを追っての)目的地を定めた。そこにて、
[四人のプレフェリーティ](新教皇の最有力候補たる枢機卿ら)
が失踪しているとのことが判明した。ラングドンとヴィットリアは彼らもまた反物質を入れた容器を(それなりの理由あって)見出しているのではないかと期し、四人のプレフェリーティ(新教皇の最有力候補たる枢機卿ら)を捜すこととなった。ラングドンらのといった探索行は前教皇の[教皇侍従長]たるカメルレンゴのカルロ・ヴェントレスカおよびヴァチカン詰めのスイス衛兵隊のサポートを受けることになった。
 ラングドンは(反物質を略取したイルミナティの足跡を追うべく)啓蒙の過程[パス・オブ・イルミネーション]、かつてイルミナティによって新参者を入会・手ほどきするのに用いられていたとのその過程を辿ることを試みだした。すなわち、ローマ界隈にての諸種様々なランドマークにてのかすかに残された一連の手がかりを追う、組織入団希望者が求められたとの形式を辿って追うとのことを試みだした。そうして煮詰められた証跡がイルミナティの秘密の会合の場を示唆するところとなる。ラングドンはプレフェリーティ(新教皇の最有力候補たる枢機卿ら)を見つけ出し、また、反物質入りのキャニスターを見つけることにそれが通ずると期待し、[パス・オブ・イルミネーション]の過程を(実際に足で)追うことになった。その啓蒙の過程[パス・オブ・イルミネーション]はラングドンをしてローマ市内の四つの地点、各々が原始的元素論[地・気・火・水]の各々と関わっているとの地点へといざなった
 ラングドンはその過程でプレフェリーティ(新教皇の最有力候補たる枢機卿ら)がテーマ性をもつとのかたちにて各々、元素に関わるかたちで殺害されているとのそのありさまを発見することになる。
 最初の枢機卿は[アース](大地)とアンビグラム(注記:再度記すが、アンビグラムとは上下反転して見て見たり、鏡に映して見たりと見方を変えても同様の単語が読み取れるように調整された特別の文字記述様式のことを指す)にて焼きごてを押されて、土を喉に無理矢理詰め込められ、それでもって窒息死させられていた。第二の枢機卿は[エアー](大気)とアンビグラムの焼きごてが押されて肺に穴を開けられて殺されていた。第三の枢機卿は[ファイア](火)とアンビグラムで焼きごてが押されて生きたまま焼き殺されていた。そして、第四の枢機卿は[ウォーター](水)とのアンビグラムの焼きごてが押されて鎖で繋がれ溺れ死ぬようにと噴水に放置されていた」

(訳を付しての引用部はここまでとする)

 さて、2000年初出の小説作品『天使と悪魔』が教皇候補の枢機卿らを元素論に基づいて殺していくとの粗筋を有しているとのことを扱っている解説媒体の記述を引いた上で述べるが、今日用いられている枢機卿との言葉の語源はラテン語のカルドCardo[蝶番(ちょうつがい)]にあると一般に知られているとのことがある。

 たとえば、英文Wikipedia[Cardinal (Catholicism)]項目にてはその冒頭部からして

The term cardinal at one time applied to any priest permanently assigned or incardinated to a church, or specifically to the senior priest of an important church, based on the Latin cardo (hinge), meaning "principal" or "chief". The term was applied in this sense as early as the ninth century to the priests of the tituli (parishes) of the diocese of Rome.「[カーディナル]との語(現在の枢機卿を指す語)は教会にて終身任命されるか、赤き服を割り当てられるかしての諸々の聖職者ら、すなわち、殊に重要な教会にての上級僧に対して[ヒンジ(蝶番)]を指すラテン語[Cardo]に依拠して、(扉の留め金のように)[主要な][主たる]といったニュアンスで用いられるに至ったとのものである。この意でのカーディナルとの語はローマ司教区の教区にての僧らに対して早くも9世紀頃から用いられだしたものである」

と記載されているわけであるが、よりもって確度高きものと解されるソース、19世紀にての書、

The Study of Words (1851年に刊行されたものが1888年表記と共に Project Gutenbergサイトにて公開されているとの著作/著者はイングランド国教会の大司教(アークビショップ)にして詩人、言語学者として今日にその事績が今日に伝わっている Richard Chenevix Trenchリチャード・チェネヴィックス・トレンチとの人物)

にも(当然にオンライン上より誰でも確認可能なところであるからそこよりの引用をなすとして)[Cardinal]の語源(etymology)につき次のような記載がなされている。

(直下、 Project Gutenbergのサイトにて公開されているとの往時の聖職者系文筆家であった Richard Chenevix Trenchという人物の手になる著作 The Study of Words(1851)より抜粋をなすとして)

Various explanations of 'cardinal' have been proposed, which should account for the appropriation of this name to the parochial clergy of the city of Rome with the subordinate bishops of that diocese. [ . . . ] . One of the favourite comparisons by which that See was wont to set out its relation of superiority to all other Churches of Christendom was this; it was the hinge, or 'cardo,' on which all the rest of the Church, as the door, at once depended and turned. It followed presently upon this that the clergy of Rome were 'cardinales,' as nearest to, and most closely connected with, him who was thus the hinge, or 'cardo,' of all.

(19世紀中葉の書物とのことで流石に訳をなしがたいところがあるので[意訳]としての側面を強めて訳をなすとして)
「カーディナルとの語に対しては諸種様々な説明が講じられてきたわけだが、といった説明はローマ市の教区の聖職者に対しては[教区司教の従位階者]に対してもこの名称が割り当てられていたことに対して説明を付けるべしとのものであった・・・(中略)・・・よく持ち出される比較差異化に依拠しての便法は他の全てのキリスト教世界教会に対する(総本山の)優位性認識に端を発してこうも述べるものであった。「それは残余のキリスト教教会にとっての蝶番(hinge)、カルドとのことに由来し、ドアにてはそれが支柱となるところ、回されるところなのである。それに応ずるところとしてローマ聖職者らはカーディナルであった、最も近しきところとして最も緊密なる接合部との役割を果たしているがために他の全員に対してヒンジ(蝶番)すなわちカルドであったのである

(以上、19世紀の書 The Study of Wordsよりの訳を付しての引用とした) 

 さて、ここまでの話から申し述べられるとのことは

「小説Angels&Demons『天使と悪魔』は[蝶番(ちょうつがい)をその名称由来とする枢機卿の位にある四人の教皇候補者]が古典的元素論に基づき順々に殺されていくとの粗筋の作品である。につき、蝶番(ちょうつがい)、すなわち、Hingeヒンジとは扉の開閉を可能にする扉(ドア)の端っこの部分に付けられた金物(かなもの)のことであるが、(各自、自身でドアを観察すれば分かろうこととして)蝶番が破壊されたドアというのは最早、[留め金をなくした一個の板]にすぎず、それがあったところに通気口を残すようなかたちで倒れるしか道がないとのものになる

とのことともなる。

 以上のことに加えて次のようなことが述べられるようになっているとのこと、ここ[布石]の部では指し示していきたい。

1.「そもそもローマ教皇とはその歴代の紋章にを採用している存在となり、ローマ・カトリックが総本山として本拠としているサン・ピエトロ大聖堂それ自体が[巨大な鍵]を模しているといった按配の特色を有している(ヒンジを取り除くのが強引に扉を開く手法ならば、鍵を用いるのは筋道に沿って扉を開く手段ともなろう)。何故、そうもなっているのか、と述べれば、ローマ教皇について言えば、その初代教皇(とされる)ペテロがキリストより[天国の鍵]を渡された存在であるとの言い伝えの伝が存する、新約聖書に記述されているとのそうした言い伝えの伝が存するからである」

2.「ローマ・カトリック教会始祖であるペテロの教会については新約聖書(の中のマタイ福音書)にあってからして[地獄の門に対する蓋(ふた)となる存在]であるとの表記がなされてもいるとのことがある」

3.「先に既述のようにローマ教会をCERNより略奪した反物質でもって破壊しようとする存在がいるというのが小説『天使と悪魔』の粗筋設定である(:そうした内容の小説『天使と悪魔』、黒幕たるカメルレンゴ、教皇の侍従長が教会の権威を高めるためにイルミナティの名を騙って一芝居を打ったなどという取って付けたような結末がどんでん返しとして付されているのだが、そういう二重人格的な悪役の存在による自作自演を描いての結末部を観念しようとしまいと当該作品にて通貫して取り上げられているのは「被害者である」との設定のCERNより略取された反物質でもってローマ教会を壊滅させようとの行為動態である)。 小説作品『天使と悪魔』は教皇位を争う四人の([扉の蝶番ちょうつがい]に語源を持つ役職保持者である)枢機卿らを殺し、反物質で鍵に似姿が酷似している聖パウロの教会の総本山・聖ピエトロ大聖堂を中心とした一画を灰燼に帰せしめるとの作中悪役のプランが進行していると受け取られるようになっているとの粗筋展開を見せているわけである。 その点、蝶番](カーディナル枢機卿と結びつくカルド)が外れた扉、[地獄の門への蓋(ふた)となる聖なる教会](と歴年、自称されてきたもの)が破壊されるとのことで述べれば、天国であれ、地獄であれ、冥界との扉が開かれるとの寓意を観念することができる

4.「『天使と悪魔』にはそれを指摘する人間がこの世界にあっては「どういうわけなのか」絶無であることとして、高度に寓意的なやりようで地理的特質から[CERNに通ずる扉]の寓意が含まれているとのことがある(筆者は自身いろいろと分析していくなかでそのことに気付いて、「なるほど、こういうことか」と全く世間では言及されていないところの『天使と悪魔』という作品の背面にあるメッセージングの意図、その悪質性に辟易させられたとのことがある)

 面倒ではあると見るが、出典を紹介しながら、上記のことらが各々どういうことなのかの解説 ――そも、[解説]とは言葉の意味合いとしてそういうものであるべきなわけだが、[主観などは話柄の選択以上には働いていないとの客観性に重きをおいての指し示し]としての解説―― を事細かになすこととする。

 まずもって、

1.「そもそもローマ教皇とはその歴代の紋章にを採用している存在となり、ローマ・カトリックが総本山として本拠としているサン・ピエトロ大聖堂それ自体が[巨大な鍵]を模しているといった按配の特色を有している(ヒンジを取り除くのが強引に扉を開く手法ならば、鍵を用いるのは筋道に沿って扉を開く手段ともなろう)。何故、そうもなっているのか、と述べれば、ローマ教皇について言えば、その初代教皇(とされる)ペテロがキリストより[天国の鍵]を渡された存在であるとの言い伝えの伝が存する、新約聖書に記述されているとのそうした言い伝えの伝が存するからである」

2.「ローマ・カトリック教会始祖であるペテロの教会については新約聖書(の中のマタイ福音書)にあってからして[地獄の門に対する蓋(ふた)となる存在]であるとの表記がなされてもいるとのことがある」

とのことらについての典拠を挙げることとする。下の図解部をご覧頂きたい。

 図の内容だけでもってしてだけ何が述べたいのか明確化しているとのところではあるが、図像ら概要について若干の説明をなしながら、表記の1.のことの典拠となるところにつき解説を講じることとする。

 図解部にあっての最上段の図はナポレオンがフランス皇帝の位に就いた際にその戴冠に関わった教皇ピウス七世の肖像を描いているとの古書掲載の図像( Project Guntenbergのサイトにて掲載の古書)となり、そちら図像、教皇紋章として特徴的な[二本の鍵を交差させる紋章様式]が見てとれるとのものとなる(:歴代のローマ教皇の紋章が鍵と結びついているとのことについては英文Wikipedia[ Papal regalia and insignia ](教皇の権威象徴物および記章)項目などにも細かき解説がなされていることとなる。それについて和文Wikipedia[教皇]項目にも現行、(そこよりの引用をワンセンテンスでなすところとして)金と銀の二つの鍵が交差する形で描かれる天国の鍵もまた教皇のシンボルとして用いられている。そのうちの銀の鍵は現世的な権威を、金の鍵は宗教的な権威を示している(引用部はここまでとする)と表記されているようなことが広く知られている)。

 図解部の中段にて挙げているのはサン・ピエトロ大聖堂に据え置かれているローマ教会の創始者とされる聖ペテロの彫像化作品となり、一三世紀から一四世紀初頭(一三〇〇年代初期)にかけて活動したイタリア人彫刻家 Arnolfo di Cambioアルノルフォ・ディ・カンビオの手になる一品となる(写真に著作権の縛りなきもの、そういう表示が付されている英文Wikipedia[ St. Peter's Basilica ]掲載のものよりの抜粋となる)。 一目瞭然かとは思うが、写真に見る彫像が鍵を手に持っている。それはパウロが天国の鍵をキリストより与えられているとの伝承によるところ、それがゆえに、ローマ・カトリックが自分達こそが天国への鍵の正当なる管理者となる存在である(カトリックに帰依することで天国行きが約束される)と主張してきたとの歴史的沿革をよく示すものである。
 それにつき、パウロを初代教皇とするローマ・カトリックについてはその天国の鍵にまつわる聖書の特定の下りにて
[地獄の門を塞ぐ役割を果たす存在]
であるとも表記されている存在ともなる(:具体的にはオンライン上よりすぐに該当記述特定できようとのところとしてマタイ福音書16章18節から19節(Matthew 16:18-19)にて次のような表記がなされているとのことがある。(以下引用なすとして) I tell you that you are Peter, and on this rock I will build my church, and the gates of Hell will not overcome it. I will give you the keys of the kingdom of heaven; whatever you bind on earth will be bound in heaven, and whatever you loose on earth will be loosed in heaven".(訳として)「(イエス曰くのこととして)我は汝に言う。汝はペテロ、我はこの[岩]の上に我が教会を打ち立てよう(註:ペテロという語句が[岩]とのニュアンスに近いことと通じている)、そして、地獄の門](ゲイツ・オブ・ヘル)はその教会に打ち破ることはできないであろう。我は汝ペテロに天国への鍵を授ける。汝が地上で束縛として課すことは天の国にても束縛として課されるであろうし、そして、汝が地上にて揺るめんとするが如くことは天の国にてもまたゆるめられるであろう」(英文表記に対する拙訳はここまでとしておく). その点、日本にて流通を見ている電子版新約聖書の[マタイによる福音書]第16章第18節から第19節にては(日本聖書協会作成のものとしてそのPDF版がオンライン上に頒布されているとの版、1954年改訳版新約聖書より原文引用するところとして)そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう(原文引用部はここまでとしておく)と表記されてもいる ――国内で多く流通している邦訳版聖書では引用なしているようにゲイツ・オブ・ヘル、[地獄の門]が[黄泉]と表記されているが、基本的ニュアンスは変わらない―― )。

 図解部の下段にて挙げている図らはそれぞれ英文Wikipedia[ St. Peter's Basilica ]項目及び同Wikipedia[ Vatican City ]項目及び Project Gutenberg媒体掲載著作( A HISTORY OF ART FOR BEGINNERS AND STUDENTS(1887)との著作)に掲載されている著作権の縛りなき画像らとなり、
[カトリックの中枢部[サン・ピエトロ大聖堂の図葉・写真に認められるよく知られた似姿]
および
[バチカン市国の領域策定時(ラテラノ条約 Lateran Treatyとのかたちでムッソリーニを首班としていたイタリア王国との間で領土決定されたとの時)から今日に至るまで変転を見ていないとのバチカン市国の「国土」のありようを描き取った図]
となる。
 一目にてお分かりいただけていることか、とは思うが、それら図葉らから見てとれることはカトリック中枢センター[サン・ピエトロ大聖堂]がバチカンの領域の多くのスペースを占めているとのこと、そして、サン・ピエトロ大聖堂についてはその眼前に広がる柱廊付きの広場の構図までひっくるめて見ると[鍵]状のありようを呈するようになっているとのことである(そして、といったことがあること、カトリック総本山が建築構造、そのレベルで[鍵]と結びつけられている節があるとのことはさして不自然なことではない。キリスト教徒ではないとの向きら(筆者も無神論者・無宗教の人間としてそのようなものの信徒ではない)は言うに及ばず、[最後の審判で救うものと救わないものを厳然と選り分けている条件付き正義と帰依の絶対視の宗教]であるキリスト教、の中の旧教徒に分類されている者達、カトリック教徒らにあってもたかだかその程度のことは理解しているとの信徒がいかほどにいるのか情報流通の動態からよく分からないのだが(英文Wikipedia[ Catholic sex abuse cases ]との項目に見るようにカトリック信徒である限りは[視野角狭くも宗教「仕様」の人間]としていろいろなことに目を瞑る特性が求められているところかと思われるが、彼ら信徒がいかほどまでに欧州各国からその運営費が給与より天引きされて供給されているとの[教会]という組織が根本的にどういうものなのか把握しているのかには疑念となるところがある)、 教皇権威の象徴にして根源は(イエスから授与されたとされる)[天国の鍵]にあると歴年説明されてきたとのことがあり、については、たかだか和文ウィキペディア[ペテロ]項目にても現行、(そこよりの記述を引用するところとして)カトリック教会ではペトロを初代のローマ教皇とみなす。これは「天の国の鍵」をイエスから受け取ったペトロが権威を与えられ、それをローマ司教としてのローマ教皇が継承したとみなすからである(和文ウィキペディア[ペトロ]項目よりの引用部はここまでとする)と記載されているとおりである)。

 ここまでにて、

1.「そもそもローマ教皇とはその歴代の紋章にを採用している存在となり、ローマ・カトリックが総本山として本拠としているサン・ピエトロ大聖堂それ自体が[巨大な鍵]を模しているといった按配の特色を有している(ヒンジを取り除くのが強引に扉を開く手法ならば、鍵を用いるのは筋道に沿って扉を開く手段ともなろう)。何故、そうもなっているのか、と述べれば、ローマ教皇について言えば、その初代教皇(とされる)ペテロがキリストより[天国の鍵]を渡された存在であるとの言い伝えの伝が存する、新約聖書に記述されているとのそうした言い伝えの伝が存するからである」

2.「ローマ・カトリック教会始祖であるペテロの教会については新約聖書(の中のマタイ福音書)にあってからして[地獄の門に対する蓋(ふた)となる存在]であるとの表記がなされてもいるとのことがある」

とのことらの典拠挙げての解説とした。それら解説部の検討によって、

3.「先に既述のようにローマ教会をCERNより略奪した反物質でもって破壊しようとする存在がいるというのが小説『天使と悪魔』の粗筋設定である(:そうした内容の小説『天使と悪魔』、黒幕たるカメルレンゴ、教皇の侍従長が教会の権威を高めるためにイルミナティの名を騙って一芝居を打ったなどという取って付けたような結末がどんでん返しとして付されているのだが、そういう二重人格的な悪役の存在による自作自演を描いての結末部を観念しようとしまいと当該作品にて通貫して取り上げられているのは「被害者である」との設定のCERNより略取された反物質でもってローマ教会を壊滅させようとの行為動態である)。 小説作品『天使と悪魔』は教皇位を争う四人の([扉の蝶番ちょうつがい]に語源を持つ役職保持者である)枢機卿らを殺し、反物質で鍵に似姿が酷似している聖パウロの教会の総本山・聖ピエトロ大聖堂を中心とした一画を灰燼に帰せしめるとの作中悪役のプランが進行していると受け取られるようになっているとの粗筋展開を見せているわけである。 その点、蝶番](カーディナル枢機卿と結びつくカルド)が外れた扉、[地獄の門への蓋(ふた)となる聖なる教会](と歴年、自称されてきたもの)が破壊されるとのことで述べれば、天国であれ、地獄であれ、冥界との扉が開かれるとの寓意を観念することができる

とのことも無理なく述べられること、理解いただけることか、と思う(:上の3.にあって言及の[ダン・ブラウンの小説Angels&Demons『天使と悪魔』にての枢機卿らを元素論に基づいて殺していくとの粗筋設定]についてからして本当かどうか疑わしいとのことであれば、つい先立っての解説部をご覧いただきたい)。

 次いで、

4.「『天使と悪魔』にはそれを指摘する人間がこの世界にあっては「どういうわけなのか」絶無であることとして、高度に寓意的なやりようで地理的特質から[CERNに通ずる扉]の寓意が含まれているとのことがある(筆者は自身いろいろと分析していくなかでそのことに気付いて、「なるほど、こういうことか」と全く世間では言及されていないところの『天使と悪魔』という作品の背面にあるメッセージングの意図、その悪質性に辟易させられたとのことがある)

とのことについて解説を講じる。
 まずもって下の図をご覧頂きたい。

 同図、英文Wikipedia[Geneva]項目にて掲載されている著作権の縛りなきことが明示されてのジュネーブの歴史的に用いられてきたところの市章となる(スイスにまつわる歴史的切手の英文紹介・販売サイトなどをご覧いただければ分かろうが、同市章は今日に至るまで数百年用いられてきたとの沿革を有するものである)
 一目瞭然のことかとは思うが、同市章の左半分には[鷲]が描かれ、右半分には[鍵]が描かれている。
 そちら図につきより細かく述べれば、[鷲]の方はローマの後裔を称するドイツ圏領邦国家にて重んじられた象徴である[インペリアル・イーグル]を指すものとされ(かつて鷲を象徴にしたとされるローマに倣ってか神聖ローマ帝国、ビザンツ帝国などが鷲を象徴に刻み込み、結果的に欧米圏の権力機構の枢要なるところが鷲と結びつくに至ったとの解説のされようがなされたりもするところである)、他面、[鍵]の方については先にも教皇の紋章とのことでもそれについて解説していたとの[聖人ペテロの天国に至る鍵]であるとされている(:その点、英文Wikipedia[ Flags and coats of arms of cantons of Switzerland ]項目([スイス各県の旗および紋章ら]項目)には The flag of Geneva is the historical flag of the city of Geneva, showing the Imperial Eagle and a Key of St. Peter (symbolizing the status of Geneva as Reichsstadt and as episcopal seat, respectively), in use since the 15th century.(訳として)「ジューブの旗はジュネーブ市の歴史的な市旗となり、15世紀以来の使用を見ているとのインペリアル・イーグルおよび聖ペテロの鍵を前面にもちだしているとのものである(これはジュネーブの[帝国都市](ライヒシュタット/神聖ローマ帝国が貢納を対価に独立を確保していた都市)と[司教座設置都市]との特性を各々示している)」(引用部はここまでとする)と同市市章に関する由来が端的に解説されているところとなる)。

 何故、いきなりもジュネーブの市章のことをもちだしたのか。それは次のような事情があるからである。

 本稿で延々とその問題性についての指し示しに注力なしてきたとのLHC実験はスイスのジュネーブにて執り行われているものである。
 そのジュネーブにて上記のような紋章が採用されていることが「極めて性質の悪いとのかたちで」「複合的に」

4.「『天使と悪魔』にはそれを指摘する人間がこの世界にあっては「どういうわけなのか」絶無であることとして、高度に寓意的なやりようで地理的特質から[CERNに通ずる扉]の寓意が含まれているとのことがある(筆者は自身いろいろと分析していくなかでそのことに気付いて、「なるほど、こういうことか」と全く世間では言及されていないところの『天使と悪魔』という作品の背面にあるメッセージングの意図、その悪質性に辟易させられたとのことがある)

とのことに[通ずる]とのことがある(ためにいきなりもジュネーブの市章を持ち出した)。

 直上表記のことを煮詰めるべくもの話を続ける。

 さて、小説作品『天使と悪魔』ではジュネーブ(直近呈示のようにもう何百年も前から[左側に鷲を、右側に聖ペトロの天国の鍵を配しているとの紋章]が掲げられてきた都市)に本拠を構える[CERN]にて略取された反物質が略取の上でローマ教会の本拠地バチカンを吹き飛ばす手段へと転用された ――小説ではポーズとしての恫喝材料として用いられているとの設定も付されているのだが、額面上、そういう転用がなされた―― との筋立てが見てとれる(その点についてはハリウッド俳優トム・ハンクスが主演している映画版を見ることでもご理解いただけることか、と思う)。
 問題となる紋章を掲げる都市から反物質が奪われてそれがバチカンを吹き飛ばす手段に転用されるとのその粗筋についてはそれがいかに荒唐無稽な(かつ先述のように科学的に不正確な)ものでも、

[[扉の破壊の寓意]と「地理的」・「歴史的」にあまりにもできすぎたやりようで結びつくもの]

であることに相違ないとのことらがある。
 段階的に述べれば、以下のようなことらがある。

ジュネーブとバチカンを直線で結ぶと地図上のその直線の中間地点に[ジェノバ](英語呼称はジェノア)という都市が存在していることがある。そちらジェノバは現在にあっての「イタリアにおける神戸」的な立ち位置の都市であるのだが、同都市、[日本でも世界史の科目をお受験で使うことにしたとの高校生らが必須知識として暗記を求められるぐらいに欧州の歴史にとって極めて重きをもってその名を轟かせていた都市国家]に端を発する中核都市でもある(:たとえ実体を反映していない空疎極まりないものであったとしても[人間の歴史]をして[経済力と軍事力を有した政体らが影響力の増減を賭けて競い合うパワーゲームの記録]と見た場合、ジェノバ共和国は欧州にあって極めて重要な役割を帯びていた都市、一時、経済戦争の覇者となっていた都市となる ――本稿筆者にとって、そして、読み手にとっても非本質的な下らないことであるととらえているため、ここでは手間を割くことを避け、その程度のものの解説の一言引用に留めるが、ジェノバについては和文ウィキペディア[ジェノヴァ]項目にて(そこよりの原文引用をなすところとして)1100年頃より自治都市となり、その後はジェノヴァ共和国として発展する。ヴェネツィア、ピサ、アマルフィなどの他の海洋都市国家と競いながら、軍事力、経済力の影響力を増した。特に商船、軍艦による通商・金融の分野でヨーロッパ全土に権威をふるい、黒海貿易を独占するなどした(引用部はここまでとする)と記載されているが如くの歴史がジェノバには伴っている――  )。そうもしたジェノバ、日本ではおそらく極一部の人間のみが知るところとして[ローマの門の神ヤヌス](二つの顔を持つ神)に由来を持つ都市としての由来を有している存在でもある(典拠は続いての段で挙げる)」

「ジェノバは[ヤヌス](二つの顔を持つ門の神)に由来する都市であると一部にて知られているわけだが、小説『天使と悪魔』ではその[ヤヌス]、二つの顔を持ったローマの扉の神 ――ポイントは同ヤヌスが[門・扉の神]であるということである―― の名を自己の通り名としているとの男が次のような挙動に及んだと描写されている。
第一。[ジュネーブのCERNから盗んだ反物質でバチカンを吹き飛ばすことに通ずるとの挙動]。
第二。[枢機卿ら、すなわち扉に対する蝶番(ちょうつがい)を名称由来にするカーディナルら)を順々に[元素論]に基づいての方式で儀式的に殺していった(元素論に基づく枢機卿らの殺人儀式の話については先にウィキペディアの『天使と悪魔』の粗筋解説部よりの記述を引いているとおりである)との挙動]。
 小説版および映画版にての『天使と悪魔』にあってジュネーブとバチカンをつないだ直線上の中間地点にある都市ジェノバのことが重きをもって取り上げられているとのことは「ない」のだが(であるから作品に明示的に現われていないとの[「隠れた」寓意性]にまつわる話とはなる)、のような中にあって、
[[ジュネーブ](天国の鍵を紋章としている都市/CERNによるLHCが郊外に据え置かれている場)←→[ジェノバ](門と扉の神ヤヌスに由来を持つ都市)←→[バチカン](天国の鍵・天国の扉と多重的に結びつく都市)に起因する「地理的」接合性]
および
[門と扉の神ヤヌスを名乗る登場人物による[[蝶番](ちょうつがい)を意味する肩書きカーディナル(枢機卿)の位を持つ者達を順々に殺害していくとのやりよう][[鍵]と結びつくバチカンを灰燼に帰さしめるとのやりよう]に見る寓意性]
のことらが問題になる。
 それにつき、[蝶番]を意味する教皇候補者の枢機卿らを順々に殺していくことは[扉を「無理矢理」開く]とのことと同文であるとは先に述べたとおりである(ドアの開閉を可能にする蝶番が外された扉はあとは倒れるしかない)。また、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂の一画、天国の鍵そのものと結びつく教皇のお膝元のその場を灰燼に帰せしめることは[錠前破壊による門の開閉の寓意]に通ずるというわけである(つい先程の段にてマタイ福音書(Matthew 16:18-19)の記述を引き(再言すれば、 I tell you that you are Peter, and on this rock I will build my church, and the gates of Hell will not overcome it. I will give you the keys of the kingdom of heaven; whatever you bind on earth will be bound in heaven, and whatever you loose on earth will be loosed in heaven".(訳として)「(イエス曰くのこととして)我は汝に言う。汝はペテロ、我はこの[岩]の上に我が教会を打ち立てよう(註:ペテロという語句が[岩]とのニュアンスに近いことと通じている)、そして、地獄の門](ゲイツ・オブ・ヘル)はその教会に打ち破ることはできないであろう。我は汝ペテロに天国への鍵を授ける。汝が地上で束縛として課すことは天の国にても束縛として課されるであろうし、そして、汝が地上にて揺るめんとするが如くことは天の国にてもまたゆるめられるであろう」との記述を引き)、ローマ教会が ―二つの顔を持つ門の神ではないが― 天国の扉の管理者であるのと同時に地獄の門に対する蓋(ふた)]のようなものであると聖書それ自体(マタイ福音書)に記載されていることを挙げていたとのことがあるからである)。
 そうした[ジュネーブ(天国の鍵を紋章とする都市)よりのCERN反物質]でもって[バチカン(天国と地獄のゲートと結びつけられた都市)]を ―(扉の蝶番(ちょうつがい)を語源としている役職の者ら(枢機卿カーディナルら)]を順繰りに殺しながら)― 破壊しようとするように見せての挙が[ヤヌス犯行](ローマの門と扉の神)と結びつけられて具現化しているのが『天使と悪魔』というフィクションであり、そして、フィクションならぬ現実世界では[ヤヌスに由来する都市(ジェノバ)]がジュネーブとバチカンを結ぶ一直線上の中間地点に存在するのであるから当然にその伝での寓意、[扉を開閉する寓意]がわざと当該フィクションに込められているものとの観点が生じて然るべきなのである(そのようなことをわざわざもって問題視しようとの人間はこの世界には絶無といった按配で見受けられないのだが)。
 そして、極めつけとしてジュネーブの英語表記Genevaとジェノバのイタリア語表記Genova(英語表記はGenoa)とが極めて似た綴りのものであるとのことがあり、いよいよもっての[恣意性]を浮かび上がらせるとのこともがある」

 以上のことらの典拠となるところにつきまずもって

[都市ジュネーブと都市ジェノバと都市バチカンは地図にて一直線上に存在している都市らである(三点が直線上に存在している)]

とのことについてであるが、下の地図らを参考に手元の地図帳 ――ネット上のそれを印刷したものであれ、高等学校などにて購入を強いられるとのそれであれ、とにかくもの地図帳―― で位置確認してもらいたいものではある。
 その点、別個の地図帳らというものらはそれぞれ縮尺表記、三次元構造を二次元に落とし込んだうえでの湾曲度合いの相違から大なり小なりの特徴的差異をきたすものだが、それら差分を吸収するかたちでジュネーブ(スイス)・ジェノバ・バチカン(ローマ市に内包)が一直線にあるとの按配になっていること、理解なせるようになっている(:任意に地図上に描いてみた点が三つ揃って一直線上にあることはそれ自体が[あまり具現化しない]ことであることはお分かりいただけることか、と思う(大概にして三点は三角形を構成する三点になるはずである)。ちなみに筆者が下にての呈示の用に供した地図らは上の段の方18世紀後半(正確には1785年)に世に出たイングランドの William Fadenという地図作製者に由来する各都市名入りの地中海領域の精密地図(の拡大図)となりもし、対して、下段にて挙げているのが Project Gutenbergのサイトにて公開されている著作権喪失著作 First Lessons in Geography(初出1856/19世紀にあっての地理上の必須教養にまつわる教科書的著作)に見る[アバウトな欧州地図]および Project Gutenbergのサイトにて公開されている An Introduction to the History of Western Europeとの著作(1903年初出.幾分高度性が増すもこちらも教科書的著作)に見る[かなりもってしての正確な地図]の両地図となる(計三地図を挙げた))。


 次いで、
ジェノバの由来が二つの顔を持ったヤヌスにあるとされる
とのことについては
[ウィキペディア「程度」の媒体]
および
[相当レベルの歴史通をもって任ずる向きでもなければわざわざもって振り返って読みもしないであろうが、確度は高いとの20世紀前半初出の辞典内の記述内容]
からそれぞれ引用をなしておくこととする。

(直下、和文ウィキペディア[ジェノバ]項目にての[歴史]の節にての「現行の」記載内容 ――有為転変するとの媒体性質よりこれより消除を見る可能性もあるとのものだが、最も目に付きやすきと受け取れるところにある記載内容―― よりの抜粋をなすとして)

ジェノヴァの古名JanuaまたはJenuaはケルト語の入り口の意、他の説によると先住民族の王だったと思われるヤヌス(イタリア語ではGiano)から来たとも。

(目に付くところの媒体よりの引用部はここまでとする)

(直下、古書に認められる[文献的事実]の確認をオンライン上よりなすにはうってつけの Project Gutenbergのサイトにて全文公開されているとのブリタニカ百科事典(第11版) THE ENCYCLOPAEDIA BRITANNICA A DICTIONARY OF ARTS, SCIENCES, LITERATURE AND GENERAL INFORMATION ELEVENTH EDITION、その[J]の索引項目よりの記述よりの抜粋をなすとして)

JACOBUS DE VORAGINE (c. 1230-c. 1298), Italian chronicler, archbishop of Genoa, was born at the little village of Varazze, near Genoa, about the year 1230. He entered the order of the friars preachers of St Dominic in 1244, and besides preaching with success in many parts of Italy, taught in the schools of his own fraternity.
[ . . . ]
His two chief works are the Chronicon januense and the Golden Legend or Lombardica hystoria. The former is partly printed in Muratori ( Scriptores Rer. Ital. ix. 6 ). It is divided into twelve parts. The first four deal with the mythical history of Genoa from the time of its founder, Janus, the first king of Italy, and its enlarger, a second Janus “citizen of Troy”, till its conversion to Christianity “about twenty-five years after the passion of Christ.”

(ブリタニカ百科事典[J]項目にての著名な年代記作者[ヤコブス・デ・ウォラギネ]にまつわる上記抜粋記載項目の訳として)
「 JACOBUS DE VORAGINE(1230年生-1298年没)、イタリアの年代記作成者にしてジェノバ(ジェノア)の司教であるとの同人物ヤコブス・デ・ウォラギネはおよそ1230年の折にジェノバ近郊の小村Varazze村にて生を受けた。彼は1244年、ドミニコ修道会に入会、そして、イタリア各地の説諭を成功裡になしとげながら、同伝道団の学堂で教鞭をとるに至った。
・・・(中略)・・・
同ヤコブス・デ・ウォラギネの主要な二著作は the Chronicon januense(『ジェノバ年代記』)と『黄金伝説』(あるいは『ロンバルディア史』)である。前者『ジェノバ年代記』については資料 Scriptores Rer. Ital. ix. 6にて記載されているところとしてMuratoriによって印刷を見ている。同『ジェノバ年代記』( the Chronicon januense)は十二のパートに分割されており、最初の四つのパートはその創建者たる[ヤヌス]、最初のイタリア王であるとのヤヌスに遡るジェノバの神秘のベールに包まれた歴史を扱い、さらに押し広げて、[トロイアの市民]であった第二の[ヤヌス]といった存在、キリストの25年の受難の後のキリスト教への改宗に至るプロセスが描かれている

(訳を付しての引用部はここまでとする ―※― )

(※尚、イタリア古代国家の歴史が[木製の馬で滅ぼされたトロイア]の落ち武者伝説と結びつけられていたり、反対に、[トロイア創建者]の伝説と結びつけられているとのことは、(無論、といったことは真偽など問題にならぬとの[伝説]上の話にとどまることなのだが)、本稿の後の段にてもアエネイウスという神話上の存在との絡みで必要に応じて解説する所存であるとのことともなり、また、部分的には先の段でも解説をなしてきたとのこととなる(:本稿にての先の段にてジョヴァンニ・ヴィッラーニというイタリアはフィレンツェの史家由来のフィレンツェ地史を扱った書として Nuova Cronica『新年代記』という書籍の内容をその近代英訳版から引き、の中にあって、[アトラス王の息子のうちの一方がイタリアに留まって王になり、もう一方がダルダネスとの名でもってトロイアの王になった]との偽史・贋造史観がかなり昔から伝わっていることを問題視していたとの経緯がある。偽史それ自体の内容を問題視していたのではなく、そういう文献的記録が残っていることが[アトラス]との呼称と[トロイア]の複合的なる関係の極一端を指し示しているとの観点に基づいて、である(詳しくは本稿にての出典(Source)紹介の部45を参照されたい))

 上もてジェノバ(かつてのジェノバ共和国の首府)がヤヌスと結びついていることの出典表記とした。

 ここまできたところで下の図らをまとめを兼ねてのものとして挙げておく。

 さて、以上示してきたこと、

1.「そもそもローマ教皇とはその歴代の紋章にを採用している存在となり、ローマ・カトリックが総本山として本拠としているサン・ピエトロ大聖堂それ自体が[巨大な鍵]を模しているといった按配の特色を有している(ヒンジを取り除くのが強引に扉を開く手法ならば、鍵を用いるのは筋道に沿って扉を開く手段ともなろう)。何故、そうもなっているのか、と述べれば、ローマ教皇について言えば、その初代教皇(とされる)ペテロがキリストより[天国の鍵]を渡された存在であるとの言い伝えの伝が存する、新約聖書に記述されているとのそうした言い伝えの伝が存するからである」

2.「ローマ・カトリック教会始祖であるペテロの教会については新約聖書(の中のマタイ福音書)にあってからして[地獄の門に対する蓋(ふた)となる存在]であるとの表記がなされてもいるとのことがある」

3.「先に既述のようにローマ教会をCERNより略奪した反物質でもって破壊しようとする存在がいるというのが小説『天使と悪魔』の粗筋設定である(:そうした内容の小説『天使と悪魔』、黒幕たるカメルレンゴ、教皇の侍従長が教会の権威を高めるためにイルミナティの名を騙って一芝居を打ったなどという取って付けたような結末がどんでん返しとして付されているのだが、そういう二重人格的な悪役の存在による自作自演を描いての結末部を観念しようとしまいと当該作品にて通貫して取り上げられているのは「被害者である」との設定のCERNより略取された反物質でもってローマ教会を壊滅させようとの行為動態である)。 小説作品『天使と悪魔』は教皇位を争う四人の([扉の蝶番ちょうつがい]に語源を持つ役職保持者である)枢機卿らを殺し、反物質で鍵に似姿が酷似している聖パウロの教会の総本山・聖ピエトロ大聖堂を中心とした一画を灰燼に帰せしめるとの作中悪役のプランが進行していると受け取られるようになっているとの粗筋展開を見せているわけである。 その点、蝶番](カーディナル枢機卿と結びつくカルド)が外れた扉、[地獄の門への蓋(ふた)となる聖なる教会](と歴年、自称されてきたもの)が破壊されるとのことで述べれば、天国であれ、地獄であれ、冥界との扉が開かれるとの寓意を観念することができる

4.「『天使と悪魔』にはそれを指摘する人間がこの世界にあっては「どういうわけなのか」絶無であることとして、高度に寓意的なやりようで地理的特質から[CERNに通ずる扉]の寓意が含まれているとのことがある(筆者は自身いろいろと分析していくなかでそのことに気付いて、「なるほど、こういうことか」と全く世間では言及されていないところの『天使と悪魔』という作品の背面にあるメッセージングの意図、その悪質性に辟易させられたとのことがある)

とのことらが真なりといえども、

『それが何だというのか? 作家ダン・ブラウンという作家の手の込んだ「表面に出ない」暗号入れ込みの方式が問題になるだけではないのか (作家ダン・ブラウンは【スイスのジュネーブの紋章が天国の鍵になる】とのことを小説『天使と悪魔』作中内で言及して「いない」、そして、【スイスのジュネーブとバチカンを結んだ直線上の中間地点にジュネーブの英文綴りが近しいイタリア語呼称を伴っての都市ジェノバが存在しており、そのジェノバの由来が(『天使と悪魔』の悪役がその名を用いている)門の神ヤヌスに由来している】とのことにもなんら作中言及して「いない」、また、【作品『天使と悪魔』のモチーフが天国および地獄との境界を無理矢理破壊して開く ―幽冥境をする領域を無理矢理に接合させるものである― とのことにある】とのことにも目立って言及して「いない」とのことがあるために「表面に出ない」暗号入れ込みの方式が問題になるということである) 』

と思われる向きも当然にあるだろう(現実にはその程度のことの指摘をなす人間とてこの世界には[いない]ことに筆者は嘆息させられているわけだが、とにかくものこととして、である)。

 であるから、以下のこと、申し述べておく。


「ここでの[布石]と明示しての脇に逸れての部では元素論のことを取り扱っているわけだが、そちら話の初期段階として
[西洋にあって[第五元素]までもってして網羅される(第六元素なるものは「ない」)との元素論]
が我々の[墓地]の隣の板卒塔婆にサンスクリット(体現の悉曇文字)が用いられるまでして影響を与えているとの指摘をなした ―西洋の[第五元素]に相当するエーテル(アイテール=星天構成要素)に至るとの寓意が日本の墓地の卒塔婆の最上段にサンスクリットで[空]と刻まれているとのことを解説することからはじめている― 。

 先の段でも取り上げた図よりの再掲載をなす。
 再掲なしての上図の左側は A MANUAL OF THE HISTORICAL DEVELOPMENT OF ART(1876)との Project Gutenbergサイトにあって全文公開されている著作にて認められる[印度のストゥーパ(釈迦の遺灰・仏舎利を収めた仏教建築物/日本の卒塔婆の原初的形態)に通ずるペルシア系民族の地理的・歴史的標識が五大(五大元素)と結びつけられているとのことを示す図]となる(同図最上段にてetherイーサー・エーテルと表記されているのがアリストテレス以来[第五元素]とされてきたAetherのことを指し 、同イーサー、東洋では五大たる[空][気][火][水][地]にあっての[空]、[虚空=空]とされているものとなる)。
 他面、上の図の右側は[釈迦の仏舎利(遺灰)を収めたとされる卒塔婆ストゥーバ]が[板塔婆 ―本来的には上部から宝珠形、逆半円形、三角形、円形、長方形と対応付けさせられるとされるもの― ]へと転じもして日本にての墓地に林立することともなっており、その[板塔婆]にサンクリット(表記のための梵字としての悉曇(しったん)文字)にて五大元素[空][気][火][水][地]のことが「執拗に」「そこらじゅうに」表記されていることを再度訴求すべくもの図となっている。

 それにつき、「問題視したいのは、」

[小説『天使と悪魔』がギリシャの古賢プラトンのそれに遡る元素論と結びつけられていること ――繰り返すが、言葉として[蝶番(ちょうつがい)]と結びつく枢機卿らが古典的元素論に基づいて儀式的に殺されていくというのが(CERN反物質と結びつく)『天使と悪魔』という作品である―― とのそのことは[仏舎利(あるいは仏教徒の遺灰)を収めたストゥーパ(あるいは卒塔婆)が元素論と結びつけられているのと同文の式にて[人間存在の行き先]を[際立っての予見的やりよう]との絡みで示すがごとくものとなっている]

と「論拠に基づいて」判じられるようになっているとのことである。

 につき、上のことを支える[論拠]となるのは

[1970年代に欧米圏で大ヒットを見た小説『ジ・イルミナタス・トリロジー』 ――同『ジ・イルミナタス・トリロジー』、本稿にての先の段で尋常一様ならざる予言的側面を有している(黄金の林檎のシンボルを相応の式で用いるなどして911の事件が起こることにまつわる前言と述べられようことを多重的になしている)とのことの指し示しに原文引用なしながらも努めてきたとの作品である―― にあっての[予見描写]との絡みで小説『天使と悪魔』と「奇怪にも」多重的に接合しているとの側面]

そして、

小説『天使と悪魔』における元素論依拠型殺害方式と結びつく[第五元素(『天使と悪魔』では四大元素で言及が伴っているわけだが、その先にはアイテール・エーテルと呼称される第五元素の存在が観念できる)の体現象徴物と一部にて史的に解釈されてきたところのドデカヘドロン(正十二面体)、黄金比の全身での体現物であるその多面体にからんで問題となる側面

である。

 表記のことが何故もってして[墓地における五大元素(虚空を最上部に据える構図)に至るまでの対応付け]とその結びつきが問題となる小説作品『天使と悪魔』 ―最前までにて[扉を破壊する寓意]が(普通に読むだけでは気づきもしなかろうとの地理的メッセージングまで用いられもしながら)執拗に込められているとのことを解説してきたとの作品― の予見的側面に関わるのかについてはさらにもって後の段で解説をなす」


(直上の表記に関わるところの[再度の図示]を一応なしておく)

 これにて[布石]として元素論に絡み解説しておくべきかと判じてのことをほぼ解説しきったことになる(:繰り返すが、ダン・ブラウン小説『天使と悪魔』について問題となるところに関しては同じくものことを別観点からの掘り下げての解説を後の段でなす)。

[元素論]にまつわっての解説の部はここまでとしておく


(長くもなった[布石]を兼ねての元素論にまつわっての話に一区切りをつけたうえで本題に戻るとして)

 さて、先に「それこそが問題である」として取り上げるとしたとのこと、すなわち、

([話の向かう方向性]として明示しもしていた)、

[[黄金比と結びつくカー・ブラックホール]が[プラトン古典にみとめられる(黄金比を全身で体現するものにして、かつ、[第五元素]に近しき位置付けの)正十二面体]と何故、いかように特定の文物ら(現代にてヒットを見た作品ら)を介して結びつくのか、また、そのことがどうして本稿にての指し示し事項と密接に結びつくのかとのことについての指し示しをなす]

ための段

に足を踏み入れもしての[順を追っての説明]にこれ以降、入ることとする(※)。

(※尚、黄金比がいかようなものなのかについては本稿の出典(Source)紹介の部73にておよそ次のようなことを端的に指摘しもしている。

[黄金比]とは単純に書けば
「縦を1とした際に[縦横比1:1.6180339887(以下略)]となる比率(長さ逆転させて[横縦比0.6180339887(以下略):1]の比率でもいい)のことを指す」
のだが、そちら黄金比は二次方程式[x2-x-1=0]の二つの解とそのまま対応するものとして[重き]をもって表される、すなわち、(たかだが中学校の初等代数学で[学習]を強制されるものだったかとも思うのだが、いわゆる[二次方程式の解の公式]で導出されるとの)そちら二次方程式[x2-x-1=0]の二つの解
1.6180339887...
および
-0.6180339887...
とそのままに対応するものとして[重き]をもって表されるもの「とも」なる(:[x2-x-1=0]の正負の解のうち、正の解の方がゴールデン・ナンバーこと黄金数としてギリシャ語アルファベット・ファイφにて表象される)。
 につき、通例、「黄金比とは[1.6180339887...]との数値にて体現されるものである」とただ単純に説明されがちだが(φファイ即[1.6180339887...]の比率であるとだけ説明されがちだが)、表記の二次方程式[x2-x-1=0]では[第一桁目以外、[奇跡]とでも述べられるような数値として安定的なる一致性を呈する解]が現出していることとなっており(もう一度、[1.6180339887...][-0.6180339887...]との数をご覧頂きたい)、うち、マイナス符号付きの解である[-0.6180339887...]の方の符号取り払っての絶対値が黄金比の逆数バージョン[1/φ]と等しくもなっていることすら「も」があるとのこととなっている)

 ここで振り返るが、本稿の先の段では[極微極小領域に至る力学]とも相通ずるとの式にての

五芒星・正五角形・正十二面体それぞれと黄金比の関わり合い

について次のとおりの解説のなされようを引いていた。 

(直下、天体物理学者マリオ・リヴィオ著作 THE GOLDEN RATIO The story of Phi, the World's Most Astonishing Number訳書『黄金比はすべてを美しくするか?最も謎めいた「比率」をめぐる数学物語』(早川書房ハードカヴァー版)にてのp.49からp.51よりの引用を(出典(Source)紹介の部69(2)にて引用をなしていたところながらも)再度なすとして)

五芒星形は、正五角形――五つの辺の長さも頂角の大きさも等しい平面図形――とも深いつながりがある。正五角形の頂点を対角線で結ぶと、五芒星形ができる。この五芒星形の中心にも小さな五角形ができ、その五角形の対角線も五芒星形となって、さらに小さな五角形がなかにできる(図10)。これがどこまでも続き、どんどん小さな五角形と五芒星形が作られていく。この一連の図形には際立った特徴がある
・・・(中略)・・・
「どの線分もひとつ前の線分にくらべ、黄金比φにぴったり等しい比で小さくなっている」ことが、初頭幾何学によって簡単に証明できるのだ。
・・・(中略)・・・
なにより重要なことはに、入れ子状に小さくなる五角形と五芒星形の生じるプロセスが無限に続くという事実から、この五角形の対角線と辺が通約不可能である――つまり、両者の長さの比(φに等しい)がふたつの整数の比で表せない――と厳密に証明できる。
・・・(中略)・・・
ピタゴラス学派こそが黄金比と通約不可能性を最初に発見したと提唱する人がいる。そうした数学史家たちは、ピタゴラス学派こそが五芒星形と五角形に夢中になったことと、紀元前五世紀中葉に実際に知られていた幾何学とを考え合わせると、ピタゴラス学派――とくにメタポンティオンのヒッパソスかもしれない――が黄金比を、またそれを通じて通約不可能性を発見した可能性は非常に高いとしている。
・・・(中略)・・・
十二個の五角形からなる球体を・・・・・・描いた」というフレーズで、イアンブリコスは、正十二面体の作図に(図形が現実には球ではないので、やや不明確だが)言及している。正十二面体は、正五角形の面を一二枚もつ立体で、プラトン立体として知られる五つの立体のひとつにあたる。プラトン立体はどれも黄金比と密接に結びついており、それについては第4章で改めて語ろう。こうした話にはどこか嘘っぽさもあるが、数学史研究家のヴァルター・ブルケルトは一九七二年に刊行された『古代のピタゴラス学派の伝承と科学』で、「ヒッパソスにかんする話は、伝聞だらけだが納得できる」と言い切っている。そう言える主な根拠として、図10(と付録2)が挙げられる。正五角形の対角線と辺の長さが通約不可能であるとの結論は、無限に小さな五角形ができるというきわめて単純な知見にもとづいている。

([極小領域に至る力学]ともかかわるところの五芒星・正五角形・正十二面体・黄金比にまつわっての書籍内内記載内容よりの再度の引用部はここまでとする)

 以上、

[五芒星・正五角形・正十二面体それぞれと黄金比の関わり合い]

にまつわる再度の引用をなしたうえで(換言すれば、[五芒星と正五角形の無限小の世界へと向かっていく相互内接・外接関係には黄金比とのつながりがあり、また、正五角形を十二枚つなぎあわせた立体である正十二面体にも黄金比との密接なつながりがある]とのことについての再度の摘示をなしたうえで)

大宇宙にある極大ブラックホールの形態から自然界の生物の諸相にまで関わり、また、黄金比とも関わるとの[対数螺旋構造]]

というものについて(それが結節点になるとの観点があるからこそ)取り上げることとする。

 下にてのそちら対数螺旋構造に対する通俗的解説のなされようをまずもって参照されたい。


| 出典(Source)紹介の部78 |

 ここ出典(Source)紹介の部78にあってはそも、対数螺旋構造とは何か、そして、それが渦巻き銀河構造なぞにも具現化しているとはどういうことなのかについて基本的なる解説のなされようを紹介しておく。

(直下、和文ウィキペディア[対数螺旋構造]項目よりの抜粋をなすとして)

「対数螺旋とは、自然界に見られる螺旋の一種である。等角螺旋、ベルヌーイの螺旋ともいい、「螺旋の部分」は螺旋、渦巻線、匝線(そうせん)などとも書く。・・・(中略)・・・ 対数螺旋は自己相似である。すなわち、任意の倍率で拡大または縮小したものは、適当な回転によって元の螺旋と一致する。・・・(中略)・・・軟体動物の殻、牛や羊の角、象の牙など、硬化する部位で、本体の成長に伴って次第に大きい部分を追加することで成長するような生物の器官において、対数螺旋が観察される。その理由は、図のように相似で少しずつ大きくなる多角形が次々に形成されていくと、螺旋に近い形が描かれるからであると説明される。・・・(中略)・・・ 渦巻銀河の渦上腕は、ピッチがおよそ10度から40度の対数螺旋の形状に近い

(引用部はここまでとする ―※― )

(※尚、ここ引用部にて[対数螺旋構造]と結びつくと表記されている(渦巻き)銀河はブラックホールと結びつくものであることが知られている。その点について和文ウィキペディア[銀河バルジ]項目に現行見受けられるところの次の記載を引いておくこととする。(以下、和文ウィキペディア[銀河バルジ]項目よりの抜粋として)銀河バルジは、渦巻銀河や棒渦巻銀河の中心部に存在するふくらみ。「バルジ」は「膨らみ」という意味。単にバルジとも。・・・(中略)・・・バルジには年老いた恒星が数多く集まっていると考えられている。また、銀河の中心部には超大質量ブラックホールがあると推定され、その重力により星が集まっているのだと考えられている(引用部はここまでとする))


 上掲図左側は対数螺旋構造を図示してのもの。対数螺旋構造とは中心部が[無限小の領域](Infinitesimal)に通ずる構造ともなる(:については和文ウィキペディア[対数螺旋]項目にあって(そこよりの対数螺旋構造記述式におけるパラメーターにまつわる記述を原文引用するところとして)bが正(負)の場合、rが0に近付くとθはいくらでも小さく(大きく)なるので、中心近くでは無限回渦巻いている(引用部はここまでとする)と表記されているとおりである ――その点、対数螺旋構造(という名の渦巻き紋様)が[極小領域に向けての力学]を体現したものであるとのことについては(対数螺旋構造の)渦巻き紋様を見れば、渦巻き紋様が小さき方向に向かっているとのことで自然にお分かりいただけることか、とも思う―― )。
 他面、上掲図右側は猟犬座渦巻き銀河のM51星雲、そのウィキペディアにて掲載されている著作権の縛りなきこと明示の写真、それを挙げてのものとなる。一目して分かろうか、とは思うが、渦巻き銀河が対数螺旋構造と結びつく格好となっている。

出典(Source)紹介の部78はここまでとする)


 直上、基本的事項解説部を設けたうえであらためて後の段へ向けての注意喚起をなしておくも、

[対数螺旋構造が無限小の領域への力学を強くも体現した構造であるとのことがある一方で(本稿のここに至るまでの流れにて細かくも出典挙げて申し述べてきたところとして)正五角形と五芒星の永劫に続く内接・外接関係もまた無限小の領域への力学を強くも体現した構造であるとのことがある」

 さて、ここまできたところで述べるが、何故、[対数螺旋構造]なのか、と言えば、である。同じくもの[対数螺旋構造]がノーチラス、和名ではオウムガイとなっているその著名な生き物の殻に具現化を見ているとのことが知れ渡っていることに

[不快で悪辣、そして、「奇怪」でもあるとの予見描写と関わる寓意添付の問題] (特定の文物ら作中にて見受けられ、[カー・ブラックホール]にも通ずるとの予見描写と関わる寓意性添付がなされているとの問題)

が介在しているとのことをこの身(本稿筆者)が捕捉しているからである。

 これより以上のこと、順繰りに説明していく所存だが、につき、まずもって述べるも、ノーチラスことオウムガイの外殻構造それ自体が
[対数螺旋の体現存在]
となっていることは比較的知られていることである。ばかりではなく、そちらノーチラスの殻が[黄金比]と結びつく対数螺旋構造の特殊な形態である[黄金螺旋]の体現物であるなどとの指摘・言われようも ―「実際はそのようには言えないとのことになっているようでもある」との見立ても[黄金螺旋]構造に興味ある向きから呈されていたりもするのだが― よくもなされているとのことがある。

 上のことにまつわる出典表記を以降なすこととする。

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直下、本稿冒頭部へのリンクを設けておく

(⇒冒頭頁へは下の部より)

[典拠紹介部第1頁 加速器実験に伴う欺瞞性から証示なせることについて]

 上にて挙げているのはドイツ浪漫主義芸術の巨匠たる18世紀画家、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(Freemasonでもあったとの画家 Caspar David Friedrich)の手になる一品、

Der Wanderer uber dem Nebelmeer雲海の上の旅人』(に多少の[動き]をアレンジとして加えたもの)

となる。

 言われようの問題として一般に、

[人間の崇高なる精神が高みを目指し、ついぞ多くの物事を達観するに至った時、その折の孤独と感慨を描いた画]

などと形容される上掲の『雲海の上の旅人』に関して(本稿でもその言行を順次・段階的に取り上げることになるとの)物理学者リサ・ランドールは[次のような申しよう]をなしている。


(直下、物理学者リサ・ランドールの手になる著作 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)にての CHAPTER THREE LIVING IN A MATERIAL WORLD[第三章 物質世界に生きる]の章の記述内容 ――オンライン上検索エンジンにあっての原文検索にて該当部特定できるところの記述内容―― よりの原文引用をなすとして)

Our universe is in many respects sublime. It prompts wonder but can be daunting ―even frightening― in its complexity.  Nonetheless, the components fit together in marvelous ways. Art,science, and religion all aim to channel people’s curiosity and enlighten us by pushing the frontiers of our understanding. They promise, in their different ways, to help transcend the narrow confines of individual experience and allow us to enter into―and comprehend―the realm of the sublime. (See Figure 11.)
          [ . . . ]
[ FIGURE 11 ] Caspar David Friedrich’s Wanderer Above the Sea of Fog (1818), an iconic painting of the sublime ― a recurring theme in art and music.

(上の原著引用部に対する[訳文]として国内流通訳書『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)ハードカヴァー版にあっての81ページに記載されているところを引くとして)

多くの点で、私たちの宇宙は崇高だ。その複雑さは好奇心を駆り立てはするが、無力感も抱かせるし、ことによっては恐怖さえも感じさせる。にもかかわらず、宇宙の構成要素は素晴らしくぴたりと絡みあっている。芸術、科学、宗教は、いずれも人々の好奇心を促して、理解の限界を広げさせ、それによって私たちを啓蒙することを目指している。いずれもそれぞれのやり方で、個人の経験の狭い領域を越えさせることを約束している。それがかなえられたとき、私たちは崇高なものの領域に踏み込む――そして理解する――ことができるのだ(図11を参照)。 …(中略)… [図11]ドイツの画家カスパー・ダーヴィド・フリードリヒの「雲海の上の旅人」は、崇高なものを象徴的に描いた作品だ。崇高さは、美術と音楽に繰り返し登場するテーマである

(以上をもって Knocking on Heaven’s Doorにての原著表記および訳書よりの引用とした)


 さて、何故、ここ脇に逸れての部にあって「目立つように」特定絵画 ― 『雲海の上の旅人』― を挙げ、その絵画に対する物理学者の評しよう ―「雲海の上の旅人」は、崇高なものを象徴的に描いた作品だ....― などを引いたりもしたのか

「それは、」
絵画『雲海の上の旅人』に対して直上引用なしたような評しようをなしているとの物理学者リサ・ランドールが

加速器によるブラックホール生成可能性にまつわるトピックの理論深化に一廉ならぬ貢献をなしているとの著名物理学者

[[崇高なるもの]を目指しての宇宙の探求(およびそのための装置と銘打たれている巨大加速器LHC)の称揚・礼讃をなしているとの向き

であるとのことがあり、また、なおかつ、彼女リサ・ランドールの手による、(絵画『雲海の上の旅人』を科学者が目指しての[崇高さ]とを結びつけている)引用元著作 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)が

人間のありよう(崇高さとはおよそ程遠いところにあるありよう)]
人間の辿る運命

を嘲笑うような[嗜虐的寓意]で満ち満ちていると申し述べられるようになっている著作であるとのことがある、遺憾ながら
[理の当然]
として申し述べられるところとしてある ――個人のせせこましい偏頗(へんぱ)な主観などとは一線を画したところで客観的かつ具体的にこれはこうでこうだと申し述べられるようになっている(出典呈示を第一義にしての本稿では無論、その論拠を事細かに挙げる)とのところとしてある―― からであり、そのことに注意を向けたかったからである(※)。

(※上にて引用元とした著作、 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)、同著にあってはその冒頭部より
September 10, 2008, marked the historic first trial run of the Large Hadron Collider (LHC). Although the name―Large Hadron Collider― is literal but uninspired, the same is not true for the science we expect it to achieve, which should prove spectacular. (表記英文引用部に対する訳として)「2008年9月10日、ラージ・ハドロン・コライダー(LHC)が歴史的始動を見た.[ラージ・ハドロン・コライダー]との名称は有り体に言ってインスピレーションを何ら与えぬとの平凡なものだが、私たちがそれ(LHC)に[証明すべきととらえている壮大なる挙]を託しているとの意では[科学(の進歩)]にとり同じくものことは真実とはならない(LHCは際立ってのインスピレーションを与えるものである)」
などとのことが書き記されている。
 そうもした書きようが目立ってもの冒頭部にてみとめられる著作ノッキン・オン・ヘブンズ・ドアにおける表題、 [天国のドアをノックする]の由来についてリサ・ランドール女史は同じくもの著作の中で次のようなことを述べてもしている。
(以下、 Knocking on Heaven’s Doorにての CHAPTER FOUR LOOKING FOR ANSWERSより引用なすところとして)
I first heard the phrase “knockin”on heaven’s door”when listening to the Bob Dylan song at his 1987 concert with the Grateful Dead in Oakland, California. Needless to say, the title of my book is intended differently than the song’s lyrics, which I still hear Dylan and Jerry Garcia singing in my head. The phrase differs from its biblical origin as well, though my title does toy with this interpretation. In Matthew, the Bible says, “Ask, and it shall be given you; seek, and ye shall find; knock, and it shall be opened unto you: For every one that asketh receiveth; and he that seeketh findeth; and to him that knocketh it shall be opened. (以上原著表記に対して訳書『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)ハードカヴァー版[第四章]103ページにての表記を引くとして) Knocking on Heaven’s Door(天の扉を叩く)]――これが本書の原題だが、私が最初にこのフレーズを聞いたのは、一九八七年、カリフォルニア州オークランドでのグレイトフル・デッドとのコンサートで、ボブ・ディランが『天国への扉』を歌うのを聞いたときだった。いまでも私の頭の中ではディランとジェリー・ガルシアがこれを歌っているのが聞こえてくるけれど、いうまでもなく、私の本のタイトルは、この曲の歌詞とは意味が違っている。このフレーズは出典である聖書の一節とも違っているが、私のタイトルはこちらの意図を拝借したものだ。聖書の「マタイ伝」には、このように書かれている。「求めよ。さらば与えられん。尋ねよ、さらば見いださん。門を叩け、さらば聞かれん。すべて求むる者は得、たづねる者は見いだし、門を叩く者には開かれるるなり
(以上、引用部とした)
 といったところ、新約聖書のマタイ伝にあっての
[求めよ。さらば与えられん。尋ねよ、さらば見いださん。門を叩け、さらば聞かれん。すべて求むる者は得、たづねる者は見いだし、門を叩く者には開かれるるなり]
とのフレーズ、それが
[天国の門]・[天国への扉]・[天国への階梯](ステアウェイ・トゥ・ヘブン)
との兼ね合いでいかように嗜虐的なる別側面での意味( Double Meaning )と共にあるのか、そのことからして具体的典拠を挙げ連ねるとの式で遺漏無くも事細かに示そうというのが本稿の本義であるとここ脇に逸れての部にあって訴求しておきたいとの意図が筆者にはある)

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