典拠となるところの明示[11]――加速器実験に伴う欺瞞性、 そして、そこより証示
なせもすることについて

関連情報にまつわるカテゴリ(各部クリックにて遷移)

ここまでひたすらに典拠に依拠して摘示してきたような[加速器によるブラックホール生成にまつわる予見的言及]が存在していること、そのことがいかようにして[今後]の問題に関わるのか。「差し当っての」解説として

 直前にての頁の切り替わり部にあって

「ここまでの話は(読み手を含めて)[我々が全員殺されることになる]との性質の話に(過去形ではなく)[これよりの問題]として現実的に関わるとの筋目・筋合いのものである」

とのことを申し述べた。

 本頁ではそこにいう[これよりの問題]に関わるところとして、「まずもって」、

「加速器の運営がブラックホール生成をなしやすくもなると評される式で出力増大・「性能」増大を見ながらなされていく」

とのことにまつわる典拠を挙げておくこととする。


| 出典(Source)紹介の部15 |

 ここ出典(Source)紹介の部15にあってはまずもって著者多数(訳書多数でもある)との科学読み本著者、アミール・アクゼルの手になる著作、

Present at the Creation The Story of CERN and the Large Hadron Colliderの邦訳版『宇宙創造の一瞬をつくる CERNと究極の加速器の挑戦』(早川書房)

にあっての次の記載を ――「これよりのブラックホール生成可能性」に関わる申しようとして―― 引いておくこととする。

(直下、早川書房よりだされている『宇宙創造の一瞬をつくる CERNと究極の加速器の挑戦』ハードカヴァー版にての[第13章 CERNでブラックホールは作られるか?]の部、283ページより引用をなすとして)

[ボストンで開かれた素粒子物理学の専門的な学会 『大型ハドロンコライダー ――標準モデルを超えて』 でCERN の物理学者ファビアン・レドロア=ギヨンは次のように語った。「CERN では何年か前からブラックホールの生成について研究しています。ブラックホールの質量の閾値は九・五TeV です」。ファビアンが示したグラフには、LHC での微小ブラックホールの生成が八から九TeVのエネルギーレベルで始まることが示されていた二〇一〇年段階ではLHC はそのレベルより低い七TeV のエネルギーを作り出している。しかしすべて予定通りに進めば二〇一三年に最高レベルの一四TeV に到達する

(引用部はここまでとする ―※― )

(上にての引用元著作の著者、アミール・アクゼルとの人物について:アミール・アクゼルという引用元著作の著者がいかに信頼に足るかは[メディア受けする当世流の御用知識人]がいかほどまでに信頼に値するのか、との問題と同義かとも思われるところもあるのだが、少なくとも、アミール・アクゼルは[下手な嘘]は吐かない(と看做されている)部類の人間である。その点、著者来歴について紹介すれば、である。同アミール・アクゼルという人物、日本でも早川書房から同男執筆の科学読み本が何冊も出されているとのポピュラー・サイエンス・ブック分野の著者として欧米圏で名が売れた向きとなっており、英文ウィキペディアの Amir Aczel項目にて記載の来歴を引けば、カリフォルニア大バークレー校で数学の学士号を取り、科学の修士号を持ち、統計学の博士号をオレゴン大学より授与された向きにして、欧州の大学で数学を講じていたとの向きとなる(そして、同男、アメリカの主流メディアにもお目見えする人物として知られている))―― )

 整理する。上にてのアクゼル著書( Present at the Creation The Story of CERN and the Large Hadron Colliderの邦訳版『宇宙創造の一瞬をつくる CERNと究極の加速器の挑戦』)よりの引用部では

「2010年段階ではLHCは(重心衝突系エネルギー)7TeVで運転されている」
「それが(2013年度に予定されているアップロードにて)14TeVに到達する予定である」
「その増大過程で9.5TeVを通り過ぎた際にブラックホールが生成されうる(上抜粋部に見る「ブラックホールの閾値」の閾値とはそうなるのに必要とされる最小限度の値である)とのCERNの一部科学者の見方がある」

とのことらが記載されている(その科学的至当性の程には判じようがないわけだが、とにかくも、実験関係者由来の弁としてそうしたことが記載されている)。

 につき、LHCの休眠期を経ての最大出力たる14TeVへのアップロード ――上にての原著2010年初出のアクゼル著作、 Present at the Creation The Story of CERN and the Large Hadron Colliderよりの引用部にて[2013年度に予定されている]と表記されているところのアップロード―― は2014年現時点 (後日追記:小閑を偸(ぬす)んでものしてきた本稿は長大なもの、文量にして延べ幾百万字にも至ろうとのものとなっており、完成は2014年以降に繰り下がったのだが、とにかくも、本稿本段執筆時では2014年現時点) 未だ実現していない。 すなわち、である。ブラックホール生成は「これより」なされる可能性があるとの見立てがCERNサイド科学者より呈されてもいる(:筆者としては[ブラックホールの如き重力の怪物の人類を喰らい尽くす生成]に関しては[CERNの挙動]に加えて[対岸の針指しの挙動]もが要件になるか、とも見ているのだが(そうも判じられるところの[多重的論拠]はこれより明示する)、この段階ではそうした話はなさない

 その点、
[アミール・アクゼル著作にてはLHC実験の14兆電子ボルトへのアップロードは2013年に実現されるとの記載がなされているが、予定は延期を見ている]
とのことについては下の引用文を参照されたい。

(直下、英国BBCのオンライン媒体に見る記事、[ The Large Hadron Collider has turned off its particle beams ahead of a shut-down period that will last two years](2013年上半期発のもので『続く二年間の停止期間の前にてLHCはその粒子ビームの灯を消した』とでも表題訳せよう記事/表記タイトルの検索エンジン上での入力によって特定・閲覧・HTML文書ダウンロードできるとのもの)よりの記載内容を引用するとして)

The machine ran at particle energies of 8 trillion electron-volts (teraelectronvolts; TeV) in 2012, up from the prior high point of 7TeV in 2011
But when the shutdown concludes, slated for the end of November 2014, it should be set to run at 14TeV - far and away the highest-energy collisions ever attempted by scientists.
[ . . . ]
The shut-down is due to conclude in late November 2014. after which the system will be put through its paces and experiments are expected to resume in February or March 2015.

(訳を付すとして)
「2011年の最大時7TeVから2012年になり装置は8兆電子ボルトのエネルギーで稼働していた。しかし、2014年11月末目途でのシャットダウンが結末を迎えた折、装置は ――今まで科学者らに試みられてきたどれよりも遠く高くまでいっての―― 14TeV運転準備が整っていることであろう。・・・(中略)・・・シャットダウンは2014年11月後半をもって終えさせられるとの運びであり、その後、システムはペースを復調、実験は2015年2月または3月に再開される見込みである」

(訳を付しての引用部はここまでとする)

 上とアミール・アクゼル書籍よりの先にての引用部、

[ボストンで開かれた素粒子物理学の専門的な学会 『大型ハドロンコライダー ――標準モデルを超えて』 でCERN の物理学者ファビアン・レドロア=ギヨンは次のように語った。「CERN では何年か前からブラックホールの生成について研究しています。ブラックホールの質量の閾値は九・五TeV です」。ファビアンが示したグラフには、LHC での微小ブラックホールの生成が八から九TeVのエネルギーレベルで始まることが示されていた。二〇一〇年段階ではLHC はそのレベルより低い七TeV のエネルギーを作り出している。しかしすべて予定通りに進めば二〇一三年に最高レベルの一四TeV に到達する]

を合わせて見れば、

「実験機関の実験開始時期は延期(postponement)を見ながらも二年にわたっての休止期を終え、2015年より再度のアップロードに入ろうとしている」

とのことの意味についてご理解いただけることか、とは思う。

出典(Source)紹介の部15はここまでとする)


本稿を完成させた段階にて付しての「さらにも、」の後日追記として

 後、LHC実験は2015年5月にリ・スタートを見た。の折、LHC実験の運転は素早くも13TeVから開始されたのだが、ここ後日付記をものしている現時点の最新情報(2015年下半期)にあっても14兆電子ボルト運転の段階に到達していないとされている ――同じくものことの説明としてはCERNサイドのウェブ媒体、具体的にはCERNのドメインと紐付いた[ Restarting the LHC: Why 13 Tev? | CERN ]とウェブ文書のHTMLタイトルタグに記載されたページにて(以下、極々端的な引用をなすとして) However, retraining these magnets to 13 TeV should require only a short period of time, whereas retraining to 14 TeV would take longer, taking time away from physics research. That’s why the best way to get to new results quickly, at an energy considerably higher than ever achieved before, is to start operation at 13 TeV.(訳として)「14兆電子ボルトの磁石の磁石を再調整するのがよりもって時間を要する(調査実験の時間を削ぐぐらいに時間を要求する)とのことがある一方で13兆電子ボルトの磁石を再調整をなすにはよりもって少ない時間しかかからないはずだろうとのことがありもした。そこで今般、従前達成されたのよりも相対的に高いエネルギー規模にての結果を素早くも得るための最良の方法として実験は13兆電子ボルトよりの実施を見ることとなった」(引用部はここまでとする)との説明をなしているところでもある ―― )

 以上、 出典(Source)紹介の部15 にて引用なしたところの極々端的なることからも窺えるところとしてLHC問題は過去形のものではない、残置し続けてのものであると解されるようになっている(※)。

(※尚、LHCについてはLuminosity[ビーム衝突頻度]を倍加させての[HL-LHC](「ハイ・ルミノシティ」・ラージ・ハドロン。コライダーの略)へのバージョン・アップ、そして、重心衝突系エネルギーを14兆電子ボルトから33兆電子ボルトに増大させての[HE-LHC](「ハイ・エナジー」・ラージ・ハドロン・コライダーの略)へのバージョン・アップがこれより企図されており、加速器LHCはさらに強力なものへと進化していくと明示されている ――[HL-LHC]へのバージョンアップは2020年以降、[HE-LHC]へのバージョンアップは2030年以降とされもしてきたが、予定は流動的であり、何とも言えない。について詳しくは[HL-LHC][HE-LHC]との語と[schedule](スケジュール)といった語句を検索エンジン上に入力して表示されてくる実験関係機関由来の最新文書を参照されたい―― )

 ここまで指摘したことに基づき「も」して、である。

(先立っておもんぱかりなした第三者のありうべきものの見方を再度、引き合いに出すとして)

「仮に科学者らが上から下まで一枚岩となって嘘を吐いていること、あるいは、それと両立しない奇怪な予言がなされているとのことがあるのだとしてみよう。
 だが、それが我々の生活にどう関係があるというのか。
 現にLHCは運転開始を見ており、何も起こっていないではないか。結果よければすべてよし。どうでもいいことだ

との見方は(極々表層的な側面から見たうえでも)妥当ならざりしものであると述べたいのである(※)。


※[脇に逸れての話]として

さらに述べれば、

[一部の関係者がブラックホール生成の[可能性]とLHCのバージョン・アップの問題を紐付けている](直前出典紹介部にて指摘したことである)

などという側面から離れたところで何故、いかようにして本件が
[重要視せざるをえない]
とのことなのかということについては本稿全体にてこれより仔細に摘示していく所存である。

 につき、その[本件につき[重要視せざるをえない]との理(ことわり)]については、極々端的に述べれば、

(この段階では頓狂と響くかもしれないが)
LHCとはその実、[伝説上のトロイアを滅した木製の馬]として描写・意思表示され続けてきたものであり、そして、そのことを示す論拠は永年に渡ってあまりにも多くある。のみならず、そこにいう論拠が「あまりにも多層的に相互連関を呈する」とのものとなっており、なおかつ、[質的に異様なものら](偽りだらけの世界と人間存在そのものの限界を嗜虐的に「最終的に殺されるべくも養殖された家畜らよ」と人間存在そのものを嘲笑うが如きものら)となっているとのことがある]

とのことにあると申し述べておく ――そうもした本稿にての具体的指し示し内容を検討されたうえで 「LHCは[木製の馬]と同文にそれ単体だけではモニュメントにすぎないものかもしれないが、攻め手側からの一押しがあった際に真に問題となるものであると判じられるものである」 と明言するに足りるとの論拠らがきちんと呈示されきっているか、その是非についてきちんと判じていただきたい次第でもある。

 そうもした本稿の後々の段にて問題視することに関わりもすること、といったこととして唐突とはなるが、本稿にあってはかなり後の段でCONTACT『コンタクト』という小説作品のこと「をも」問題視する。
 世界的に大ヒットを記録したベストセラー小説たる同『コンタクト』、
[ブラックホールやワームホールの類を用いての[ゲート]の構築が描かれる作品]
ともなるのだが、かてて加えて、
[トロイアを滅した木製の馬]
の寓意が「極めて悪辣かつ隠喩的なやりかたで」多層的に込められていることを指し示せる作品「とも」なっており(ただ単純に作中、トロイアの木製の馬との単語が頻用されるだけではない)、そちら『コンタクト』、同じくものトロイアに通ずるところで予言的側面を帯びているとの作品でもある(といったことらはすべて細かくも本稿の後の段にて[証示]することになることであると事前に断っておく)。
 さて、 ―典拠たるところの委細について触れる前であるとのこの段階であまり微に入っての記述をなすのもなんではあるかとも考えるのだが― そうした作品である小説CONTACT『コンタクト』にあってはその作中、
[人間にとっては当初、意図不明の機械として外宇宙より設計図が送信されてきたと描かれる装置 ―カー・ブラックホールないしワームホールを構築してスターゲイトを開くことになったと作中世界にて後に判明したと描かれる装置― ]
について

(以下、国内書店にて流通の訳書(当方所持の新潮社「文庫版」(下巻)では216ページ以降の部)および全文オンライン上より確認できるところの原著よりの引用をなすとして)

"All the project did was to make the faintest pucker in space-time, so they would have something to hook their tunnel onto. In all of that multidimensional geometry, it must be very difficult to detect a tiny pucker in space-time. Even harder to fit a nozzle onto it." "What are you saying? They changed the geometry of space?" "Yes. We're saying that space is topologically non-simply connected. It's like ―know Abonnema doesn't like this analogy― it's like a flat two-dimensional surface, thesmart surface, connected by some maze of tubing with some other flat two-dimensional surface, the dumb surface. The only way you can get from the smart surface to the dumb surface in a reasonable time is through the tubes. Now imagine that the people on the smart surface lower a tube with a nozzle on it. They will make a tunnel between the two surfaces,provided the dumb ones cooperate by making a little pucker on their surface, so the nozzle can attach itself."
「こっちのプロジェクトがしたことと言えば、ただ、時空にあるかないかの小さな皺を寄せただけの話だよ。そこへ、向うはトンネルは繋げたんだ。多次元幾何学的空間を考えると、その時空の僅かな皺を見付けだすだって大仕事だよ。ましてや、そこへトンネルの口を開けるとなると、これは容易なことじゃない」「うん。つまりね。空間は位相幾何学的に複雑な形で連続しているわけなんだ。アボネバに言わせれば、これはあまり上手い譬(たと)えではないかもしれないけれども、片方に二次元の平面があると仮定しようか。これが先進文明の世界だよ。で、もう一つ、こっちに別の二次元平面がある。これは後進世界でね、二つの平面は迷路のような管で結ばれている。先進世界から限られた時間で後進世界へ行くには、その迷路を抜けるしかないんだ。ところで、先進世界の住人が先端に穴の開いた管を伸ばすとするね。その時、後進世界の方でそれに合わせて自分たちの平面にちょっと皺を寄せてやれば、そこへ管の先が届くであろう。これでトンネルが通じる

(引用部はここまでとする)

との言及が作中登場人物らによってなされていもする。

 以上表記のことについて、
『たかがフィクションにすぎぬであろう』
と何も知らぬとの向きは侮るところかもしれないが(人間一般の思考形態の問題を考えれば当然の推定かとは思う)、 直上引用なしたところの部「それ自体」が (『コンタクト』原作[小説]版の方ではそれについてなんら言及されていないとの) [加速器]や[ギリシャ伝承に見る古のトロイアを滅した木製の馬]らと結びついての[怪物がかっての予言的言及]との絡みで問題になるとのことともなり、そうもしたことをひたすらに具体的典拠らに依拠してのこととして示そうというのが本稿となりもする)。

[脇に逸れての話]はここまでとする


(現段階では行き過ぎもしての直上にての[脇に逸れての話]から引き戻しもし)
 さて、既に実験開始を見てより相当年が経過している中でLHCについては「これより」ブラックホールを生成する可能性があると一部専門家に言及されているわけだが(上にての出典紹介部を参照のこと)、そうした見立てとは逆に、

「現行にてはLHCでブラックホールが生成される見込みは実験開始を見た後、より低く見積もられるようになっている。最早、ブラックホール生成はほぼありえないだろうといったかたちにて、である」

との主流筋の理論物理学者の言い分が(それはそれなりにきちんと対応するところの事情があってであろう)広くも前面に押し出されてきているとのことがある。

 上のような申しようがなされていることを指し示すための出典(具体的にはリサ・ランドールという余剰次元理論の大家の書籍)を下に挙げておく(直下、出典(Source)紹介の部16を参照のこと)。


| 出典(Source)紹介の部16 |

 ここ出典(Source)紹介の部16にあっては主流筋の物理学者によって
LHC実験が始動を見、実験の成果が見えてきた現在、ブラックホール生成はほぼありえないことであると考えられるに至っている
との物言いがなされていることを紹介しておく。

(直下、著名な物理学者リサ・ランドール( Lisa Randall )の手になる著書 KNOCKING ON HEAVEN'S DOORの邦訳版『宇宙の扉をノックする』(原著の刊行年は2011年/NHK出版よりの邦訳版刊行はここ最近のことで2013年)にての253ページから254ページの記載内容よりの引用をなすとして)

「この計算により、たとえ素粒子物理現象の高次元的説明が正しかったとしても、オージェ実験で微小なブラックホールが見つかる可能性はないだろうとわかってみると、ほかの物理学者がLHCでふんだんにブラックホールが作られるかもしれないと主張しているのはどうしてなのかと私たちは不思議に思うようになった。その見積もりは、私たちの計算ではやはり多すぎだったのだ。たしかにおおざっぱな概算では、そうしたシナリオにおいてLHCは多数のブラックホールを作り出すのかもしれない。しかし私たちが行なった、より詳細な計算は、そうはならないことを実証していたのである。パトリックと私は、危険なブラックホールのことなど考えてもいなかった。私たちが知りたかったのは、小さくて無害な、急速に蒸発する高次元ブラックホールが生み出されるのかどうか、そして、それにより、高次元重力の存在が暗示されるのかどうかだった。そして、実際に計算してみると、それは皆無ではないにしろ、めったに起こらないことだった。もちろん、もしありうるのであれば、極小ブラックホールの生成はラマンと私が提唱した理論の素晴らしい裏づけとなっていただろう。しかし科学者として私は計算を直視しなくてはならない。私たちの出した結果を考えると、誤った期待を抱くわけにはいかなかった。パトリックと私は(そして大半のほかの科学者も)、たとえ極小のものであってもブラックホールができるとは考えていない。これが科学の仕組みである

(引用部はここまでとする)

 直近をもってNHK出版より出されている邦訳版『宇宙の扉をノックする』よりの引用部としたが、グーグル検索エンジンにてのテキスト入力で該当部がオンライン上より捕捉できようともとれる原著 KNOCKING ON HEAVEN'S DOORよりの引用も直下なす。

(直下、原著 KNOCKING ON HEAVEN'S DOORにての CHAPTER TEN BLACK HOLES THAT WILL DEVOUR THE WORLDの章より原文引用をなすとして) 

After recognizing that Auger wouldn’t discover tiny black holes, even if higher-dimensional explanations of particle physics phenomena were correct, our calculations made us curious about the claims other physicists had made that black holes could be produced in abundance at the LHC. We found that those rates were overestimates as well. Although the rough ballpark estimates had indicated that in these scenarios, the LHC would copiously produce black holes, our more detailed calculations demonstrated that this was not the case.
Patrick and I had not been concerned about dangerous black holes. We had wanted to know whether small,harmless,rapidly decaying higer-dimensional black holes could be produced and thereby signal the presence of higher-dimensional gravity. We calculated this could rarely happen,if at all. Of course,if possible,the production of small black holes could have been a fantastic verification of the theory Raman and I had proposed. But as a scientist, I'm obliged to pay attention to calculations. Given our results,we couldn't entertain false expectations. Patrick and I (and most other physicists) don't expect even small black holes to appear. That's how science works.

(原著よりの引用部はここまでとする)

 上をもってして

[リサ・ランドール(ランドール・サンドラム・モデルと呼ばれる有名な理論モデルを呈示したカリスマ女物理学者でブレーンワールド理論の大家として知られる向きであることを「本稿の後の段で」解説するとの向き)のような有力物理学者]

が「2011年時点の物言い( KNOCKING ON HEAVEN'S DOOR原著刊行時点の物言い)として」LHC実験でブラックホール生成がなされる可能性が強くも否定される方向に向かっていると述べていること、そこから
[加速器による(「安全な」と実験関係者に枕詞がつけられる)ブラックホール生成可能性に関する目算]
が実験関係者らの間で大なるところとして後退を見ているらしいこと、お分かりいただけるだろう。

(※尚、実験関係者らにはまだブラックホール生成を期しているとの物言いをなす向き「も」いる)

出典(Source)紹介の部16はここまでとする)


 ここにて強調するが、

「「問題なのは、」偉い学者らであると(世間的慣行では)手放しに尊崇視されること多き現代物理学の牽引者らがどういう見立てを(ブラックホール生成可能性について)呈示しているかではない
 などと述べると、
『頓狂なる夜郎自大の徒がその途の大家を差し置いて独善にでも奔ったか』
などとの誤解を招きかねないかとも思うのだが、「然にあらず」と強調しつつ、返す刀で申し述べるところとして、真に問題なのは、」 ――それが蒸発せずに、なおかつ、成長するのに天文学的時間を要しなかった場合に我々全員の命を刈り取ることになるとされる出来事(ブラックホール人為生成)につき―― 科学者が云々とはいったレベルとは次元を異にして世間人並みの水準を有した人間ならば認知認容なせるとの、
[はきとした証拠の山](本稿ここまでに摘示なしてきたような事例が「一例」としかならぬような証拠の山)
に基づき[奇怪な前言]が過去になされ続けてきたということが指し示せるとの[事実]そのものであり、そして、その[事実]が指し示すとの方向性があまりにも[異常]かつ[酷薄]なものであるとのことである
(:より具体的には「[普通一般の人間のやりよう]ではおよそ説明が付けがたいとの[「奇怪な」前言]が山として具現化している、のみならず、それら[「奇怪な」前言]が[執拗なまでの恣意性の問題]を観念されもするとのかたちで[「堂に入った」「悪意によって成り立つ」系統立った側面]を相互に連関しながら呈していることとなっていることである)」

 以上、ここまで申し述べてきたことから「だけでも」ブラックホールを巡る問題は未だ過去形になっておらず、[生死にかかわるもの]として眼前に控えているのである、とのこの身申しようが
[いかな問題意識に基づいているか]
につき部分的にお分かりいただけたのではないか、と思う (:論拠をこれより呈示していくとの本段階ではまだ([属人的胸中に対する把握]を越えての)[納得]までは求めないが、生きるために足掻く意思があるとの向きは本稿の続く内容をお読みいただき、といった申しようが果たして事理に適ったものなのか、批判的視座にてでもよくご検討なしていただきたい。本稿にあっての後々の段にあっては[臆病者ならば戸惑い恐れて逃げ惑うだけであろうとの話]、そして、[機械のような「内面上の」硬直性を呈する人間ならば「不幸なことに」情報処理「しない」かもしれないとの話]に向けて舵を切っていくことになるわけだが、であっても、指し示しにあって必要十二分たるものになっていること、決して水準が低くもなく、すべて[事実](であると確度高い出典を明示しながらも摘示すること)に裏打ちされているとのことともなっていること、強くも請け合う次第である)。

 前のページへ〔PREVIOUS PAGE〕     次のページへ〔NEXT PAGE〕


直下、本稿冒頭部へのリンクを設けておく

(⇒冒頭頁へは下の部より)

[典拠紹介部第1頁 加速器実験に伴う欺瞞性から証示なせることについて]

 上にて挙げているのはドイツ浪漫主義芸術の巨匠たる18世紀画家、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(Freemasonでもあったとの画家 Caspar David Friedrich)の手になる一品、

Der Wanderer uber dem Nebelmeer雲海の上の旅人』(に多少の[動き]をアレンジとして加えたもの)

となる。

 言われようの問題として一般に、

[人間の崇高なる精神が高みを目指し、ついぞ多くの物事を達観するに至った時、その折の孤独と感慨を描いた画]

などと形容される上掲の『雲海の上の旅人』に関して(本稿でもその言行を順次・段階的に取り上げることになるとの)物理学者リサ・ランドールは[次のような申しよう]をなしている。


(直下、物理学者リサ・ランドールの手になる著作 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)にての CHAPTER THREE LIVING IN A MATERIAL WORLD[第三章 物質世界に生きる]の章の記述内容 ――オンライン上検索エンジンにあっての原文検索にて該当部特定できるところの記述内容―― よりの原文引用をなすとして)

Our universe is in many respects sublime. It prompts wonder but can be daunting ―even frightening― in its complexity.  Nonetheless, the components fit together in marvelous ways. Art,science, and religion all aim to channel people’s curiosity and enlighten us by pushing the frontiers of our understanding. They promise, in their different ways, to help transcend the narrow confines of individual experience and allow us to enter into―and comprehend―the realm of the sublime. (See Figure 11.)
          [ . . . ]
[ FIGURE 11 ] Caspar David Friedrich’s Wanderer Above the Sea of Fog (1818), an iconic painting of the sublime ― a recurring theme in art and music.

(上の原著引用部に対する[訳文]として国内流通訳書『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)ハードカヴァー版にあっての81ページに記載されているところを引くとして)

多くの点で、私たちの宇宙は崇高だ。その複雑さは好奇心を駆り立てはするが、無力感も抱かせるし、ことによっては恐怖さえも感じさせる。にもかかわらず、宇宙の構成要素は素晴らしくぴたりと絡みあっている。芸術、科学、宗教は、いずれも人々の好奇心を促して、理解の限界を広げさせ、それによって私たちを啓蒙することを目指している。いずれもそれぞれのやり方で、個人の経験の狭い領域を越えさせることを約束している。それがかなえられたとき、私たちは崇高なものの領域に踏み込む――そして理解する――ことができるのだ(図11を参照)。 …(中略)… [図11]ドイツの画家カスパー・ダーヴィド・フリードリヒの「雲海の上の旅人」は、崇高なものを象徴的に描いた作品だ。崇高さは、美術と音楽に繰り返し登場するテーマである

(以上をもって Knocking on Heaven’s Doorにての原著表記および訳書よりの引用とした)


 さて、何故、ここ脇に逸れての部にあって「目立つように」特定絵画 ― 『雲海の上の旅人』― を挙げ、その絵画に対する物理学者の評しよう ―「雲海の上の旅人」は、崇高なものを象徴的に描いた作品だ....― などを引いたりもしたのか

「それは、」
絵画『雲海の上の旅人』に対して直上引用なしたような評しようをなしているとの物理学者リサ・ランドールが

加速器によるブラックホール生成可能性にまつわるトピックの理論深化に一廉ならぬ貢献をなしているとの著名物理学者

[[崇高なるもの]を目指しての宇宙の探求(およびそのための装置と銘打たれている巨大加速器LHC)の称揚・礼讃をなしているとの向き

であるとのことがあり、また、なおかつ、彼女リサ・ランドールの手による、(絵画『雲海の上の旅人』を科学者が目指しての[崇高さ]とを結びつけている)引用元著作 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)が

人間のありよう(崇高さとはおよそ程遠いところにあるありよう)]
人間の辿る運命

を嘲笑うような[嗜虐的寓意]で満ち満ちていると申し述べられるようになっている著作であるとのことがある、遺憾ながら
[理の当然]
として申し述べられるところとしてある ――個人のせせこましい偏頗(へんぱ)な主観などとは一線を画したところで客観的かつ具体的にこれはこうでこうだと申し述べられるようになっている(出典呈示を第一義にしての本稿では無論、その論拠を事細かに挙げる)とのところとしてある―― からであり、そのことに注意を向けたかったからである(※)。

(※上にて引用元とした著作、 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)、同著にあってはその冒頭部より
September 10, 2008, marked the historic first trial run of the Large Hadron Collider (LHC). Although the name―Large Hadron Collider― is literal but uninspired, the same is not true for the science we expect it to achieve, which should prove spectacular. (表記英文引用部に対する訳として)「2008年9月10日、ラージ・ハドロン・コライダー(LHC)が歴史的始動を見た.[ラージ・ハドロン・コライダー]との名称は有り体に言ってインスピレーションを何ら与えぬとの平凡なものだが、私たちがそれ(LHC)に[証明すべきととらえている壮大なる挙]を託しているとの意では[科学(の進歩)]にとり同じくものことは真実とはならない(LHCは際立ってのインスピレーションを与えるものである)」
などとのことが書き記されている。
 そうもした書きようが目立ってもの冒頭部にてみとめられる著作ノッキン・オン・ヘブンズ・ドアにおける表題、 [天国のドアをノックする]の由来についてリサ・ランドール女史は同じくもの著作の中で次のようなことを述べてもしている。
(以下、 Knocking on Heaven’s Doorにての CHAPTER FOUR LOOKING FOR ANSWERSより引用なすところとして)
I first heard the phrase “knockin”on heaven’s door”when listening to the Bob Dylan song at his 1987 concert with the Grateful Dead in Oakland, California. Needless to say, the title of my book is intended differently than the song’s lyrics, which I still hear Dylan and Jerry Garcia singing in my head. The phrase differs from its biblical origin as well, though my title does toy with this interpretation. In Matthew, the Bible says, “Ask, and it shall be given you; seek, and ye shall find; knock, and it shall be opened unto you: For every one that asketh receiveth; and he that seeketh findeth; and to him that knocketh it shall be opened. (以上原著表記に対して訳書『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)ハードカヴァー版[第四章]103ページにての表記を引くとして) Knocking on Heaven’s Door(天の扉を叩く)]――これが本書の原題だが、私が最初にこのフレーズを聞いたのは、一九八七年、カリフォルニア州オークランドでのグレイトフル・デッドとのコンサートで、ボブ・ディランが『天国への扉』を歌うのを聞いたときだった。いまでも私の頭の中ではディランとジェリー・ガルシアがこれを歌っているのが聞こえてくるけれど、いうまでもなく、私の本のタイトルは、この曲の歌詞とは意味が違っている。このフレーズは出典である聖書の一節とも違っているが、私のタイトルはこちらの意図を拝借したものだ。聖書の「マタイ伝」には、このように書かれている。「求めよ。さらば与えられん。尋ねよ、さらば見いださん。門を叩け、さらば聞かれん。すべて求むる者は得、たづねる者は見いだし、門を叩く者には開かれるるなり
(以上、引用部とした)
 といったところ、新約聖書のマタイ伝にあっての
[求めよ。さらば与えられん。尋ねよ、さらば見いださん。門を叩け、さらば聞かれん。すべて求むる者は得、たづねる者は見いだし、門を叩く者には開かれるるなり]
とのフレーズ、それが
[天国の門]・[天国への扉]・[天国への階梯](ステアウェイ・トゥ・ヘブン)
との兼ね合いでいかように嗜虐的なる別側面での意味( Double Meaning )と共にあるのか、そのことからして具体的典拠を挙げ連ねるとの式で遺漏無くも事細かに示そうというのが本稿の本義であるとここ脇に逸れての部にあって訴求しておきたいとの意図が筆者にはある)

当サイト内にあっての【各頁および各典拠への一覧方式遷移部】、及び、【PDF形式文書配布ページ】へのリンクを直下、設けておく

各頁および各典拠への一覧方式遷移部へは以下より


問題となる「予見的言及→実現」の体系についての[典拠紹介部]一覧呈示頁

PDF形式文書配布ページへは以下より


典拠解説媒体としての[一括PDF文書]の公開頁